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ヤマザキマリさん、おめでとう!

2010年03月18日(木) 6:50:33

あれはもう3年も前になるのか…。
家族でポルトガル極楽旅行をしたのだが(本当にすばらしい旅行だった。第一日目から辿るならこちらから)、リスボンでマンガ家のヤマザキマリさんと初対面した。会った瞬間から違和感なし。すぐにとても親しくなった。

札幌にYOSAKOIソーラン祭りの審査員として行ったとき、「ポルトガルに行くならヤマザキマリさんに会わなくちゃ!」と数人から勧められ、紹介していただいたのがキッカケである(彼女は札幌出身でテレビのリポーターとかもしていた)。「モーレツ!イタリア家族」というヒットも持っているマンガ家さんだが、イタリア人のベッピと結婚した後、彼(大学の研究者)の転勤に伴い、リスボンに住んでいたのである。

で、その後、彼女&息子さんの来日時に遊んだりした挙げ句、イタリアにある彼女の旦那の実家に泊まりに行くまでに至った。そう、モーレツ家族の元に泊まりに行ったのである(これもすばらしい旅行だった。その様子はこちらから)。たった数年のつきあいとはいえ、こうしてわりと濃いつきあいになったのである。ちなみに彼女のマンガ「それではさっそくBuonappetito!」にボクもちらっと出演していたりする。

そのヤマザキマリさんの新作「テルマエ・ロマエ」が、なんと「マンガ大賞」を受賞した!

マンガ大賞:「テルマエ・ロマエ」が大賞 古代ローマと現代日本の風呂がつながる

 「マンガの直木賞」を目指し、マンガに詳しい書店員や記者らがその年一番のマンガを選ぶ「マンガ大賞2010」(同賞実行委員会主催)が17日発表され、ポルトガル在住のマンガ家、ヤマザキマリさんが「月刊コミックビーム」(エンターブレイン)で連載している「テルマエ・ロマエ」が大賞を獲得した。授賞式で、ポルトガル・リスボン在住のヤマザキさんはインターネット電話を通じて、「受賞は直前まで信じられなかった。インターネットで会場の状況を見て初めて実感した。我が家には(日本式の)お風呂がないので、お風呂に対する渇望があった。この憤りをそのままマンガにしたのがこの作品」と喜びを語った。

 09年1月1日~12月31日に単行本が出版され、通巻8巻以内のマンガが対象(過去の大賞作は除く)。書店員や記者、タレント、アナウンサーら89人の選考員の投票をまとめ、上位10作をノミネートした。2次審査ではノミネート10作を対象に投票し、1位を3ポイント、2位を2ポイント、3位を1ポイントで計算。「テルマエ・ロマエ」が94ポイント、小山宙哉さんの「宇宙兄弟」(講談社)が89ポイントだった。

 「テルマエ・ロマエ」は、古代ローマ時代の風呂限定の設計技師・ルシウスが、なぜか現代の日本の銭湯や温泉、浴槽にタイムスリップするようになり、風呂上がりのフルーツ牛乳やシャワー、あかすりタオル、シャンプーハットなどを知り、ローマで再現して名声を得ていく……というストーリー。09年11月に1巻が発売され、30万部を発行している。

 同作品は、ヤマザキさんが同人誌用に描いたものを、マンガ家の三宅乱丈さんが「コミックビーム」の編集部に紹介し、連載が始まったという。ヤマザキさんは「イタリア人の夫が、とてもまじめで内面はルシウスそのもの。彼にはこのマンガが理解できないみたい」と語り、女性読者が多いと聞き、「信じられない。男性ですら読者を選ぶ作品だと思っているのにどうして? こっちが聞きたいくらいです」と驚いていた。(引用元;毎日新聞デジタル


テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)いや、ホント、おめでとう!

彼女のブログはいつも読んでいるが、ちょうど3年弱前にテレビシリーズの「ローマ」にはまっている様子が描かれていた。はまった挙げ句、ローマを舞台に日本と結びつけて描いたのがこの作品。最初はほとんどシャレとして描き始めたのだったと思う。本人はたぶん、そのちょっと前から描いていた「ルミとマヤとその周辺」の方が力入っていたのだと思うが、こういう風に「思いも寄らぬものが賞を獲る」というのはよくあること(ボクが関わったスラムダンク一億冊感謝キャンペーンもそうだった)。

ローマ人のルシウスが現代の日本で出会ういろんなものに驚く部分が実に面白いこの作品。実は「日本の良さ再発見の書」にもなっている。遠きポルトガルで日本欠乏症に苦しんでいるマリさんならではのこの作品。まだの方は、ぜひ。

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感動! グルジア国立バレエ最終日「ロミオとジュリエット」

2010年03月15日(月) 8:24:14

感動的なステージだった。
ここんとこ連続で6本バレエを観ているが(笑)、その中でもベストな出来。実に素晴らしかった。

ニーナ・アナニアシヴィリや岩田さんが出ることもあって、東京公演の5回を皆勤賞してしまったグルジア国立バレエ。昨日はその最終日。よかったなぁ。演目は「ロミオとジュリエット」だった。

この、ラブロフスキー振付の「ロミジュリ」について、岩田さんはブログでこう書いている。

ラブロフスキーの「ロミオとジュリエット」はクラシックバレエ最高の名作の一つでしょう。現在色々な「ロミオとジュリエット」がありますが、これはその中でも最も古い作品で、他の大半の作品はこのラブロフスキーのバレエをもとにしてあります。
要するにバレエ「ロミオとジュリエット」の原型ですね。
時代背景、役の設定、音楽の使い方など、素晴らしいの一言です。
この、めったにやらないラブロフスキー版、それだけでうれしいところ、昨日は最終日ということもあってか、出演者全員ものすごい熱演だった。「開演前に全員で決起集会開いてました」(関係者談)というように、ものすごく気合いが入っていた。触れば火傷するような熱い舞台。どうやらNHKで放映されるらしいけど、生で見ないとわからない熱さかも。

実は、「ブログを読んで、バレエ初めて行きます」という方も多く来ていたし、友人たちもずいぶん見に来ていたので、勧めた手前「イマイチの出来だったらどうしよう…」と責任を感じてたんだけど(チケット安くないし)、それも杞憂に終わった。一般的ライブパフォーマンスとしても最高レベルだったと思う。多忙中時間を作って見に来た松井官房副長官(コンサートに通っている数は半端じゃない)は「ライブパフォーマンスとしてはクライバーの『椿姫』と並んで生涯ふたつに入る」とさえ。うれしいな。

もちろん、グルジア国立バレエ自体は一流とは言えない。ニーナはもちろん、ウヴァーロフ、岩田さんといったゲストの力がかなりの部分を占める。でも、昨日はみんなの心がひとつになっていて、奇跡的な舞台になっていたと思う。

白眉はやはりニーナとウヴァーロフ。第一幕の中庭場面のパ・ド・ドゥの美しさは魂抜かれた。そして結婚式の場面。アラベスクで長く静止するんだけど、一瞬世界が止まった。ラストの場面は、あまりバレエに馴れない15歳の娘(昨日は家族で観劇)も「泣けた」とひと言。いや、ほんと、昨日はロミオやジュリエットやマキューシオの心がよく伝わってきたいい舞台だったな。踊りの技術よりも心が伝わってくるこういう舞台がたまにあるからバレエはやめられない。

実はニーナは本当に調子が悪かったらしい(岩田さん談)。
来日初日ですでに足を引きずっていたという。10日の「ジゼル」でも右足が相当悪かったようで、とても公演が出来る状況ではなく、代役まで考えたとか。でも整体でなんとか治し、ギリギリの状態で出演していたらしい。13日のさなメモでボクは、

ただ、昨晩は、ニーナの調子がイマイチだったかも。いや、安定度は素晴らしかった。でも躍動感があまりなく、まとまりの良さばかりが感じられた。第三幕が始まるのが妙に遅れたので「まさかニーナの足が悪化した?」とか心配したくらい。
と勝手に想像して書いたが、これは本当にそうだったらしい。第三幕前に「急遽代役を」と騒ぎになっていたくらい足の調子が悪かったんだって(結婚式のアラベスクで静止する場面でまた痛めたらしい)。

昨日の公演も出演が相当危ぶまれたらしいが、整体がうまく行き、足も引きずらず会場入りしたとか。
いままでの不調を取り戻すかのようなラスト・ジュリエット。もう本当にこの役やらないの?ってもったいなく思うほど。第一幕の天真爛漫さ、第二幕の清楚さ、第三幕の悲嘆、どれをとってもジュリエットの心が直接伝わってくる。至福だった。

ウヴァーロフも渾身の演技。まったく隙なし。溜息の出るようなジャンプとリフト。190センチ以上あるのに鈍重さが全くない。リフトの安定感は一昨日のマチュー・ガニオと比較できたから特に感嘆した。これってさりげなくやってるけど実は超絶だ…。

そして岩田さん! 「途中で一回こけそうになりましたー」と後で笑っていた第一幕のバリエーション。そんなこと気づきもしなかったくらいキレもよくいいダンス。で、第二幕のマキューシオが死ぬ場面。刺されてからが実に長い演技なのだけど、3回の東京公演で一番いい「死に方」だった。

公演前、岩田さんと飲みに行ったとき、「佐藤さん、死に方がよくわからないんですよ。死ぬときってどうなるんでしょうねぇ」と質問をされたんだけど、答えようもなく(笑)。でも、「『傷だらけの天使』のとき、ショーケンが『撃たれたとき、映画みたいに格好よく死ぬわけない。イタタタタと奇声を上げて格好悪く死ぬのが本当だ』みたいなことを言ってたよ」とだけは伝えた。それを少し活かしてくれたのか、本当に痛そうに、ちょっと格好悪めに死んだ。迫真の演技。

全体的にダメダメだった東京ニューシティ管弦楽団の演奏も、昨日はなかなか。
金管とかは相変わらずちょっと…だったけど、かなり迫力ある演奏だった。岩田さんも「初日からどんどん熱い演奏になっていった」と褒めていた。きっと成長している過程なんだろうな。昨日は指揮者(ダヴィド・ムケリア)も燃えていたようで、「テンポがどんどん速くなり、踊りが追いつかないくらいだった(岩田さん)」とか。でもその分、熱は伝わってきた。

と、こんな感じで、すべてがうまく回って、奇跡的なステージに。
お客さんたちもかなり熱い反応だったので、ステージ上もどんどん熱くなる。このインタラクティブさがたまらない。やっぱり舞台は「生」だなぁ。

カーテンコールはニーナの娘さんであるエレーナも出てきたり、大きな音を立てて紙テープが発射されたり、ニーナがグルジア国旗を羽織って挨拶したり、とても楽しいものになった。もちろんお客さんもスタンディングオベーション。
ニーナはもともとカーテンコールが楽しい人で、いろいろサービスしてくれる(踊ったりもしてくれる)。今回は意外とサービスがなかったので「やっぱり調子が悪いのかなぁ」と心配してたけど、昨日は最終日でホッとしたのか、サービス多めだった(笑)。決して一流とは言えないグルジア国立を芸術監督として率いた責任感からも解放されたしね。足の調子悪さを押して無事に全公演を踊り終えた安堵感もあったのだろうと思う。
ちなみに、ABT最終日のカーテンコールが観られるのでご参考までに。これなんか、サービスの極致すぎるけど。

終演後、岩田さんに会いに楽屋に行ったら、ホールみたいなスペースにビールが用意してあって、ニーナやウヴァーロフも加わってみんなで乾杯となった。ちゃっかり参加してしまった。ニーナは相当ハシャギ気味。旦那さん(元グルジア外務大臣)のスピーチや即興のテノール披露もあったりして楽しい打ち上げ。

その後、岩田さんと、家族と友人夫妻(新潟から来ていた)、そして岩田さんのマネージャーさんとで恵比寿の「焼肉チャンピオン」へ。ここには書けない裏話なども聞けて楽しい一夜。岩田さん、本当にお疲れ様。あと11年。50歳まで是非踊ってください。

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パリ・オペラ座バレエ日本公演「シンデレラ」

2010年03月14日(日) 12:45:04

もうグルジア国立バレエ4連チャンでお腹一杯だったのだけど(今日で5連チャン目)、友人からパリ・オペラ座バレエ東京公演のチケットを譲ってもらったので、昨晩行ってきた。@東京文化会館。そうか、オペラ座が来日したからグルジアが五反田に追いやられたのね(笑)

演目はヌレエフ版「シンデレラ」。
ヌレエフ版は1986年初演で、昨日で95回目の上演だとか。

原作を1930年代のハリウッドに置き換え、カボチャの馬車はリムジン、お城はハリウッドの映画スタジオ、王子様は映画スター、というシンデレラである。かなり評判が良く、人気の舞台らしい。アメリカ映画嫌いのフランス人がなぜハリウッド? と最初は思ったが、煌びやかで美しい舞台に、そんな理屈も忘れて見入ってしまった。

いやー面白かった。
コミカルで華やかで上品。センスもよくエスプリも利いている。ちょっとだけ斜に構えている感じもいい。ストーリーも楽しいが、ヌレエフの振付も素晴らしい。こういうのを観るとロシア系(ボリショイやマリインスキー)の野暮ったさが際立ってしまう。まぁその野暮ったさ(荒削りで雄大で過剰にロマンチック)が結局好きで、観るならロシア系と個人的には思ってしまうのだけど。

グルジア国立バレエで男性陣の層の薄さを4回連続で感じていたせいか、パリ・オペラ座バレエの男性陣の層が厚さとうまさに溜息が出た。下っ端でもいいからあのうち3人ほどグルジアに借りたいくらい。

シンデレラ役のデルフィーヌ・ムッサンは知らなかった人だが、安定感抜群で端正なシンデレラを演じた。もっと喜怒哀楽を強く出して欲しいと思うのはロシアバレエの見過ぎ?(笑)。映画スター役(王子)はマチュー・ガニオ。一昨年の「エトワール・ガラ2008」で観ている。リフトがちょっと下手(?)なこと以外は文句のつけようがない演技。ジャンプも着地も美しい。回転のキレがすごい。全体に上品だし。

そして、特筆すべきは意地悪な義姉役のふたり、エミリー・コゼットとドロテ・ジルベール。うめぇ。コミカル&下手くそに踊らないといけない役なのだけど、軸がまったくぶれず細部に渡って技術がしっかりしているので、下手くそさがキレイに出る。第三幕のスペインの居酒屋や中国の酒場で別役でも踊っていたが、いずれも達者。こういう脇役がうまいとステージがキリリと締まって気持ちいい。
脇役で言ったら、継母のステファン・ファヴォランも素晴らしい。笑いを取りまくり。バレエで笑いを取るって超難しいのにサスガ。あと、ダンス教師のマチアス・エイマンもうまかったな。

くわしいストーリーと写真&動画はこちらに載っているので、興味ある方はどうぞ。チャップリンやらキングコングやらも出てきて、本当に楽しい良い舞台だったと思う。

さて、今日はグルジア国立バレエの最終日。今週はこれでバレエ4本目(笑)。何事も「固めて経験する」のがコツですな、と、自分に言い訳しつつ、アナニアシヴィリとウヴァーロフと岩田さんの競演を楽しんでくる。この3人で踊るのはもう二度とないだろう。

余談:パリのオペラ座(ガルニエ宮殿)は、6年前に岩田さんと一緒に隅から隅まで(舞台裏から奈落から稽古場まで全部)探検したことがある(そのときのさなメモ)。
そして特別に舞台袖(緞帳横)にパイプ椅子を置いて観劇させてもらった。ザハロワが荒い息で1m横からステージに飛び出していく世界。あんな体験ありえないなぁ…。6年前よりずいぶんバレエ・リテラシーが上がった今なら、きっともっともっと興奮しただろう。

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岩田さんに芸術選奨!

2010年03月13日(土) 10:19:09

岩田守弘さんが平成21年度「芸術選奨」を受賞した。
モリ、本当におめでとう。誇りに思う。

芸術選奨って他にどういう人がもらってるんだろー、と、文化庁のサイトを見てみたら、坂本龍一さんも同時に受賞。細田守さんは新人賞をもらってる。すごい人たちと並んでいるなぁ。岩田さんは中でもとても若い受賞者のひとりだ。

まぁ冷静に見るとその選び方がよくわからない部分もあるのだが(特に新人賞との違いとか。20年度は井上雄彦さんが新人賞だったりするし。なんで彼が新人賞なんだ?)、とはいえ平成21年度の30人の中に入ったのは素晴らしいと思う。ロシアというアウェイで孤独にがんばっている彼を認めてくれたのは友人としてとてもうれしい。

実は一週間前にはもう受賞はわかっていたのだが(正式発表が昨日)、岩田さんもあまりピンと来てなかったようだ。まぁ文化庁に認められるために踊ってきたわけじゃないし、メドベージェフ大統領から贈られた友好勲章の方がずっとうれしいのもわかる。でも授賞式に出れば実感湧くのかな。授賞式はラッキーなことにロシアに帰る前日の19日だ。

昨晩は、その岩田さんも出演しているグルジア国立バレエ「ロミオとジュリエット」。

ええ、すいません、ホント最近バレエ・ブログすね。
まぁでも時季的なもの。もう今週でオシマイなのでご勘弁を。今日パリ・オペラ座バレエに行って、明日グルジアの東京最終日に行ったら、しばらくバレエともお別れだ。

というか、ここ2年くらい、男性のバレエ観客が増えていてうれしい(少しは貢献できたかな)。3年前くらいは1割くらいしか男性観客がいなかったんだけど、今年なんか3割くらいに増えた感じがある。
「振付がわざとらしいしキモイ」「おとぎ話を見せられてもさ」「コスチュームが気恥ずかしい」「キレイゴトやってんじゃねぇ」…みたいなネガが男性からいろいろ言われるし、そういう部分も確かにあると思うけど、極限まで鍛え抜かれたダンサーたちが音楽を体現してくれる様は見慣れれば見慣れるほど快感に変わる。総合芸術としてとてもよく出来ているとボクは思う。女性に独占させておくのはもったいない。

ま、ボクも見始めた初期は「?」が多かった。同じようにネガを感じていた。
モスクワで集中的に観劇してからは「世界トップの凄さ」を知って大ファンに変わったが、それでも今考えると超絶技巧ばかり喜んでいたと思う。
でもね、いまでは、超絶技巧だけだったらビデオでアップで見てればいいと思っている。いまは「生でダンサーたちの躍動を感じたいし、彼らの『表現』が観たい」と思っている。生じゃないとそれが伝わってこないし、オーケストラも生じゃないと熱さは伝わってこない。稀に両者が至高なレベルで高まり合うステージがあって、そういうときの感動は計り知れない。そういう瞬間を求めて、毎回高いお金払って見に行っている感じ(その金額に見合う感動が稀にあるからやめられない)。

それはともかく、昨晩の「ロミジュリ」。

これで今回の東京公演を観るのも4回目なので、アラもいろいろ見えてくる。群舞もオケももっとがんばってほしい。でも、決してレベルが高くないグルジア国立を芸術監督のニーナ・アナニアシヴィリがしっかり締め、とてもまとまりのいいステージにしてくれていると思う。

ただ、昨晩は、ニーナの調子がイマイチだったかも。いや、安定度は素晴らしかった。でも躍動感があまりなく、まとまりの良さばかりが感じられた。第三幕が始まるのが妙に遅れたので「まさかニーナの足が悪化した?」とか心配したくらい。ただ、ウヴァーロフが相変わらずの熱演でそれも救われた。岩田さんもとても良かった。軽やかでコミカルで、マキューシオの陽気な一面をとてもよく表現していたと思う。東京公演初回より今回の方がボクは良かったと思うな。マキューシオの死に方については少し演技を変えていた。明日の最終日はどんな死に方を見せてくれるだろう。

アナニアシヴィリもウヴァーロフも、ほんと、いつ引退してもおかしくない。来日ももうそうはないだろう。岩田さん曰く、ウヴァーロフも引退をほのめかしているらしいし(まぁほのめかし出してからが長い人も多いけど…)。
あと1回。明日の公演も目を皿のようにして集中して観るつもり。このふたりのペアは1+1が3にも4にもなるところがある。明日がそうだといいな(ボクの知り合いもたくさん来るみたいだし、ツイッターやブログで知って初めてバレエに行くという人もたくさんいるようなので。いい舞台になるといい)。

余談:ニーナが今回持ってきているジュリエットの衣装だそうだ。8着持って来日しているらしいけど、実際には1回の公演で6着しか着ないので、公演毎にその日どれを着るか選ぶんだって。

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インビクタス。そしてモリ&オリザ

2010年03月12日(金) 8:46:51

以前から岩田守弘さんを平田オリザさんと繋げようと画策していたのだが(バレエと演劇ということもあるが、なによりも芸術立国論的な部分で話が合うと思ったし、この出会いが将来なにかの芽に育つ気がしてたから)、それがようやく昨晩かなった。

最初は19時から会うことにしていたのだが、今晩公演する「ロミオとジュリエット」で急遽代役が出たらしく「佐藤さん、急に通し稽古しなくちゃいけなくなったんですね」と岩田さんから連絡があり、オリザさんと調整した結果、22時からに変更することにした。

さて、どうしよう。時間が余った。
打ち合わせを19時前に銀座で終え、22時まで何もすることがない。長谷川等伯展は(昨日の木曜日は)17時までだしなぁ。会社に帰って仕事するか。それとも…。

そこでビビビと思い出した!(サンキュー、オレのシナプス!)
映画「インビクタス」が観たかったんだったったっ!

iPhone先生で調べると18:50から有楽町マリオンのピカデリー3でやっている。
いま飛び込めばまだ予告編だし大丈夫。

ということで、クリント・イーストウッド監督の新作「インビクタス/負けざる者たち」を観た。
もうすぐ公開終了なのでギリギリだった。間に合って良かった。

感想をくわしくは書かないが、いくらでもハリウッド的誇張を駆使できるこの題材(実話)を、端正に、ニュートラルに、淡々と撮ったイーストウッド監督の「きれいな知性」にまず感服。フェアで孤高で誇り高い。「この部分もっと盛り上げられる」「ここを伏線にすれば後半もっとグッとくるのに」とかいろいろ考えてしまうが、それをやらずに淡々と撮っていったところがいい。とはいえ、劇中何度も泣かされたけど。

心の揺れみたいなものの描き方(「ミリオンダラー・ベイビー」と似ている描き方)の最低限さとそのうまさ、「グラン・トリノ」と通じるような社会的メッセージ。モーガン・フリーマンとマット・デイモンの熱演。とてもよく出来た映画だと思う。

引用されていたウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩をネットで見つけたので全文載せておく。大切なことを思い出させてくれた感謝を込めて。


 インビクタス
 
  私を覆う漆黒の闇
  鉄格子にひそむ奈落の闇
  私は あらゆる神に感謝する
  我が魂が征服されぬことを

  無惨な状況においてさえ
  私は ひるみも叫びもしなかった
  運命に打ちのめされ 血を流しても
  決して屈服しない

  激しい怒りと涙の彼方に
  恐ろしい死が浮かび上がる
  だが 長きにわたる 脅しを受けてなお
  私は何ひとつ 恐れはしない

  門が いかに狭かろうと
  いかなる罰に苦しめられようと
  私が我が運命の支配者
  私が我が魂の指揮官


終了後、通し稽古を終えた岩田さんと五反田で待ち合わせ、駒場の「こまばアゴラ劇場」へ(アゴラはオリザさんが芸術監督をしている劇場)。
移動中、岩田さんに「インビクタス」のことを話したら「あ、観たんですか! ボク、2回観ました! 今日の昼も両親と観てきました!」とのこと。偶然だねぇ。ふたりでこの映画の凄さや征服されぬ魂について語り合う。

オリザさんとも無事に会えて、一緒に近くの居酒屋「英香」へ。
途中から松井官房副長官も飛び入り参加して、みんなで芸術や劇場の未来について話し合う。松井さんは落語やクラシックを中心に幅広く芸術に触れている人。話題は多岐に及んで楽しかった。


私は あらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを

私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官

インビクタスの詩を何度も反芻しつつ、25時半すぎに帰宅。
ネルソン・マンデラの27年間に及ぶ投獄と、その後の信念、赦し、礼儀、誇りに、思いを馳せる。

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アナニアシヴィリ、日本最後(?)の「ジゼル」

2010年03月11日(木) 8:33:39

アナニアシヴィリの「ジゼル」や「ロミオとジュリエット」、空席がある、と、数日前に書いたらニューヨーク在住の方からこんなメール。

> 東京って、バレエ環境、恵まれてますよね。
> それに気づいているのか東京都民。空席? ああ勿体無い。

いや、本当にもったいないと思う。
昨日も1階席は9割の入りながら、2階席はガラガラ。あー、アナニアシヴィリ渾身の「ジゼル」が! なんか、もったいないというか、彼女に申し訳ない…。

ということで、昨日は「ジゼル」。東京では今回ラストの「ジゼル」である。
宣伝文句によると「アナニアシヴィリ、日本最後の『ジゼル』」だそうである。ホントかな。でもあり得るな。ちなみに、12日と14日に「ロミジュリ」があるが、ジュリエット役も「日本最後」とポスターに書いてあった。うーむ。来日自体が最後にならないことを祈るのみ。でも、まだ会場でチケット売っていたから、空席あるんだよなぁ…(もったいない…)。

会場は五反田ゆうぽうとホール。なんというか、ニーナが五反田に来ている、ということ自体が現実離れしている(笑)。ニーナ・アナニアシヴィリが五反田。ニーナ・アナニアシヴィリが五反田。何度書いても現実離れしている(笑)

開演前に、稽古に来ていた岩田さんと少し話した(彼は「ロミジュリ」しか出ないので)。
なんか体調が悪かったのだけど、彼と会うと途端に元気になるのでありがたい。よく「横綱の四股は魔を払う」とか言うけど、それにならうと「岩田さんとの握手&ハグは疲れを払う」である。ボクにとって。

で、「ジゼル」。
1回目は第一幕の狂気の場面に心底驚いたが、今回は第二幕のウィリのニーナの完璧なダンスに目を奪われた。なんだこの安定感。安定しすぎていて凄さがわからないほどさりげなく見える。流れるように滑らかな踊り。美しすぎる。
というか、どうしてトゥで立ってあんなに安定するのだろう。アラベスクの深いの(用語は知らない)も驚異的な安定。安定しているから「踊り」ではなく「演技」の方に気持ちが行く。だから泣ける。他にこういう経験はギエムくらいしかしたことがない。

この安定感が、逆にグルジア国立バレエのコール・ド(群舞)の不安定感を目立たせてしまったのが哀しいところ。ミルタ役のラリ・カンデラキも昨日はかなり不安定。相当不調だったと思う。どこか悪いのかと思わせるくらい。

余談になるが、「ジゼル」の第二幕を観るときによく思い出すのが、モスクワのボリショイ劇場(建て替え前)。
ザハロワのボリショイデビュー公演の「ジゼル」を観たのだが、第二幕でお墓の横にジゼルが現れる場面が、ボリショイ劇場の場合、下からのせり上がりになる。お墓のところにすぅっと下から浮かび上がるウィリ姿のザハロワ。ものすごくキレイな場面なのだが、せり上がりが手動で、それも油をちゃんと差してないらしく、「キコキコキコ」と手動で回している音が響く(笑) あれには笑った。

って、まぁそんなことはどうでもいいや。
ウヴァーロフも相変わらず良い。なんか一皮剥けた。全盛期のフィーリンやツィスカリ-ゼみたいな華はないが、プリマバレリーナを脇からさりげなく盛り上げる素晴らしいプリンシパルに成長したと思う。着地の柔らかさ、リフトの美しさなどすばらしい。演技も幸せの表現もいいが、怒りの場面が意外といいのに驚いた。ロミオ役のときはそこに注目して見てみたい。

もちろん、ニーナの第一幕の狂気の場面は今回も凄かった。今回は席が前の方だったので表情がよく見えたのも大きい。細かい表情まで完璧に演じている。気が狂って、髪をほどき、客席をゆっくり振り向いたときの恐ろしさ。ホラー映画というか……、ファンは怒るかもしれないけど、楳図かずおの描くホラー少女そっくり。マジこわい!
完璧に演じたといえば、第一幕で家から出てきた母親に見つからぬようウヴァーロフの背中に隠れた場面の演技が本当に「少女」だった。すごいなぁ…。

終了後、五反田の「江戸間」に行って軽くご飯を食べて帰った。
会社帰りにササッとアナニアシヴィリを観て、ちょこっと食べて帰るなんて、ほんと贅沢。こういった贅沢を味わわないと、過酷な東京に住んでいる意味はないと思う。グルジア国立バレエの東京公演もあと2回。ありがたいことだ。

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「チャート」よ、どこへ行った!

2010年03月10日(水) 9:22:00

去年の伊藤若冲も見逃したが、長谷川等伯展も見逃しそうだ。
いや、行く時間は1時間半くらいなら作れるのだけど、混雑とか行列が嫌いで、どうしても二の足を踏んでしまう。等伯も異様に混んでいるようだしなぁ。入館するのに30分とかかかってしまったら、あとはかなり駆け足でないと見られないし。うーん…。

日本の美術については、なんか複雑な思いがある。「得意分野だったのになぁ」「あのころの知識を思い出してから観たら数百倍おもしろいのだろうけどなぁ」「でももうすべて脳味噌から失われてしまったなぁ」みたいな。

って、何言ってるかわけわからないっすね(笑)
なんというか、受験時代に「日本美術史」が異様に得意だったんだけど、その知識がすでに脳味噌から失われていて、悔しいような哀しいような、でもまだ得意意識が残っている分ちょっと「まかせとけ感」もあって……みたいなビミョーな感覚があるわけ。

ボクは大学受験で日本史を選択したんだけど、美術史が苦手でなかなか覚えられなかったんです。
狩野探幽がどうの、俵屋宗達がどうの、応挙や呉春や若冲がどうの、みたいなこと。もう固有名詞と時代の変遷と○○派の系譜みたいなものがゴッチャになって何が何やら…。

で、浪人の夏だったか、一念発起して室町時代から江戸時代、近代にかけての美術史(特に絵画系)を系譜や系列別に時系列で並べてオリジナルな「チャート」を作ったですね。狩野派の系譜や枝分かれ、土佐派、琳派、浮世絵系など、代表作とともに時代ごとにきれいな図表にしたわけ。で、その表を丸ごと何度も書く、という作業を繰り返した。何度も書く過程でどんどん完成度が上がっていき、最後には「この図表は大傑作なのではないかっ!」「有料で売ってもいいのではないかっ!」と思い込むまでに至った(笑)

言うまでもなく、苦手だった美術史は異様な得意分野に変わったです。
つうても、日本史の試験でほんの1問くらいしか出ないマイナー分野なんだけど、そういう1問の差を競うのが受験。もう本番のときも「美術史出ろ出ろ!」という感じ。運良く出たら、問題用紙の隅っこにサササとその「チャート」を再現し、余裕で穴埋めとかしていった。難しい問題だとご機嫌。簡単な問題だと怒り心頭。もっと難しいの出せよ!ってなもんである。

あれから30年…。
あれほど得意だった日本美術史も、もう記憶の彼方である。「チャート」でそれぞれの結びつきを関連化して覚える、というのは、かなり長期記憶化できる覚え方なのだけど、やはりあれ以来一度もやり直さないと忘れてしまうわけで。

というか、あの「チャート」をもう一度やれば、きっとまたアタマに入ると思う。昔の記憶が蘇る自信がある。この年齢で「日本美術史にくわしい自分」というのはなかなかに魅力的。あー、そんな自分になりたいっ!

でも、どこをどう探しても、あの「チャート」が見つからない。
あー…。受験勉強で得られた知識って社会に出てから何も役に立たないとかよく言われるけど、あの「チャート」に限っては、いまこそ役立つものなのだけどなぁ。惜しい。惜しすぎる。「チャート」よ、どこへ行った!

まぁ、とはいえ、もう一度「チャート」をいちからシコシコ作ってまで知識を得たい気持ちもないんだけど…(ダメじゃん)

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久しぶりにマネージャー業務 @TBSラジオ

2010年03月07日(日) 18:56:47

昨日の3月6日は、娘の響子の誕生日(15歳)と結婚記念日がダブルで来た日。我が家にとってはめでたい日である。
とはいえ毎年この日はもろに「娘の学年末試験」に重なるので、特に当日のイベントはなし。ケーキを買ってお祝いしただけ(今年はペニンシュラ・のケーキにした。うまかった)。誕生日プレゼントはちょいと奮発した(何をあげたかはそのうちに)。とても喜んだ。

昼間は久しぶりにマネージャー業務(笑)。
最近では岩田守弘くんももう有名になってきたのでやらなくてもいいんだけど、8年くらい前から手弁当でずっと彼の「私設マネージャー」をやっているのである。

彼は、野球で言ったらイチローか松井くらい凄い人なのに、当時の日本ではまったく無名(ロシアではとても有名)。
なので義憤に駆られ、東京地区マネージャーを買って出て、彼が来日するたびにいろんなメディアの人や有名人に会わせて歩き、テレビ出演やラジオ出演や雑誌出演を頼んでまわってきたのである。

まったくのボランティアであるが、なんというか「この人を有名にしなくちゃ!」という強い思いがあったわけ。
まぁでもそんな地道な活動が少しずつ実ったのか、「NHKプロフェショナル出演」というド派手な花火があり(これにはボクは直接の関与はしてないけど)、ようやく岩田さんも有名になってきた。公演会場での拍手が違う。岩田さんがロビーにいたりするとサインを求められたりする。そういう岩田さんの姿を「巨人の星」の星明子みたいに柱の影から見て、ヨヨヨと涙ぐむワタクシである。

で、昨日はTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」「スポットライト !!」というコーナーに生出演が決まっていたので、久しぶりに「付き添い&立ち会い」というマネージャー業務をしたんですね。いや、平たく言えば「ついていっただけ」なんですけど。

TBSラジオの村沢青子ディレクター(キラキラ担当)には本当にお世話になり、いろんな番組に岩田さんを出演させていただいた。岩田応援団の貴重なひとりである。
今回も担当を越えて久米さんに打診していただき、出演が叶った。昨日のさなメモで「久米宏夫妻と少しだけお話をした」と書いたのは、たまたま公演会場で久米さんと席が隣だったので、「はじめまして」とご挨拶し、この出演のことを感謝申し上げた、ということである(マネージャーとして:笑)。

2時からの出演なので、1時半に赤坂TBSへ。
出演前に一瞬久米さんが挨拶に来られ、3分ほど岩田さんと話した。さすがなもので、3分でちゃんとゲストと打ち解けて「もう少し話したい」と思わせるようなところまで持って行き、本番に突入。

本番でも上手だったなぁ久米さん。これまでに岩田さんにいろんなラジオに出てもらったが、いままでそんなに話したことのない話題を岩田さんからちゃんと引き出していた。10年以上前に岩田さんがモスクワ・バレエ・コンクール(4年に一度の超有名なコンクール)で金賞を取ったときの外電までサプライズで自ら用意していたり。さすがだ。

岩田さんの話にいつもの調子で多弁につっこんだり、あるところではわざと合いの手も入れずにじぃっと黙って話をうながしたり、その強弱の付け方が豊富すぎる経験を感じさせる。時間もぴったり30分。岩田さんの人生を辿って、直近の勲章授与まで持って行き、見事に締めた。久米宏おそるべし。さすがな技術。

生出演後の岩田さんもとてもいい顔をしていた。
その日は他にもいくつか仕事があったようだけど、1年前からついに本当のマネージャーもついたので、彼女に任せてボクは帰宅。というか、50前のオッサン・マネージャーより女性の方が何かとよろしい。もうそろそろマネージャー業務も卒業かなぁ…。ホッとしたような、寂しいような。でも当初の目的である「この人を少しでも有名にしなくては!」というのはある程度達せられた気もするので、まぁメデタシメデタシではある。

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ウヴァーロフすげえ! @「ロミオとジュリエット」

2010年03月06日(土) 19:35:55

昨晩は待望の「ロミオとジュリエット」@東京文化会館
アナニアシヴィリとウヴァーロフと岩田守弘。この3人の競演は見逃せない。そして、この原作の舞台となったヴェローナにも一昨年行ったので妙に親近感もある。だからとっても楽しみにしていた。

ロミジュリは、バレエでは3回目かな(直近では大日本プロレスでも観ているが:笑)。
印象に残っているのはヴィシニョーワのジュリエット。可憐かつキュート。それを大御所アナニアシヴィリがどう表現するか…。わくわくする。舞台自体は、セット転換が頻繁で、ストーリー性の強いバレエだ。踊りの見せ場よりも演技の見せ場が多いのだが、プロコフィエフの音楽もよく、飽きが来ないいい演目である。

グルジア国立バレエは、前々日の「ジゼル」で感じたような層の薄さをあまり感じず、昨日のステージに関して言えばとても良かった。全体にハイレベルにまとまっていて、いい舞台だったと思う。

まず、なんと言っても岩田守弘(モリ)。
モリに対しては思い入れが強くなりすぎて、踊ってる最中もずっとドキドキしすぎるんだけど(心配で)、積み重ねてきた稽古の量が違うのでもちろん失敗なんかしない。昨日も物凄い安定感で、彼がステージに出てきただけでピシッと空気が締まる感じ。さすがだなぁ。やっぱりひとレベル違う。彼自身、終演後「今日はとてもいい出来だった」と言っていた。

ニーナ・アナニアシヴィリも実にすばらしかった。「ジゼル」ほどの印象は残らなかったが(あれがすごすぎ)、14歳のジュリエットが違和感まったくなし。ヴィシニョーワに負けないくらい可憐でかわいくて、悲しみの演技も完璧。あぁ眼福ったらない。特に悲しみに暮れる演技は一日の長ありである。

でも!
昨日の白眉は、この凄いふたりを差しおいて、ロミオ役のアンドレイ・ウヴァーロフ!

この人、来日回数が多い人で、日本ではお馴染みのダンサーではあるが、ここ2年くらいの伸びがすごく注目していた(以前は普通っぽいダンサーだった)。そして昨晩のウヴァーロフは本当にすごかった。絶好調。ジャンプも回転も言うことなし。演技も実にいい。そして何よりリフト(女性を持ち上げる)。ものすごく高くて安定している。葬儀の場面でニーナを寝た姿勢のまま高々とリフトしてそのまま階段を上っていくというウルトラCがあったが、もう信じられないようなリフト技術だった。

終演後、岩田さんとご飯に行ったのだけど、彼にそう伝えたら「第一幕で僕が彼にリフトされる場面があったでしょ。彼、190センチ以上あるから、それがものすごく高い。高すぎて怖い!」だって。ニーナもさぞかし怖かっただろうな。水平に寝た姿のまま、3メートルくらいの高さで腕二本で支えられている彼女…。怖っ。

そういえば岩田さんはこうも言っていた。
「ウヴァーロフの足はもうボロボロで、腱とかいっぱい切れていてあと少ししか残ってない。でもすごく努力している」。うーむ、全くそんなこと感じさせない軽やかなダンスだったなぁ。

てな感じで「ジゼル」に続いて大満足の舞台だった。あぁバレエはいいな。最近では男性客も増えてきて頼もしい。ちなみに昨日は隣の席が久米宏夫妻で、少しだけお話をした(これについては明日)。


終演後、楽屋へ。
ボクのサイトをハブとして知り合った人たちと8人で行ったのだが、ニーナを間近に見られてこれまた眼福。若い。30代にしか見えない。そして終始ニコヤカ。主演&芸術監督をこなした後だったので、かなり満足感が高かったらしい(関係者談)

そしてサイン攻めにあっていたモリを待って、みんなで一緒に食事へ。

写真はモリがメドベーチェフ大統領からもらったロシアの友好勲章。
貴重品なのにさりげなく見せてくれた。これの授賞式の模様はモリのブログにくわしい。とても面白いから読んでみて(前日その1その2その3

東京タワー下の「タワシタ」でシャンパンをあけつついろんな話をした。いい夜だった。23時に食べ始めて、終わったのは26時すぎだったかな。久しぶりの夜更かし。でもこういう夜更かしは気持ちがいいな。大満足の楽しい一日だった。

ちなみに、昨日のロミジュリ、空席が1割くらいあった(もったいない)。ダンス重視なら10日の「ジゼル」。ストーリー重視なら12日と14日の「ロミジュリ」。グルジアやロシアからはるばるやって来たダンサーたちのためにも満席にしてあげたいのでオススメしておこう(詳細はこちら

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アナニアシヴィリの至芸 @「ジゼル」

2010年03月04日(木) 7:42:35

昨晩はグルジア国立バレエの公演で「ジゼル」を観てきた。@東京文化会館

グルジア国立バレエは、今回、ボリショイバレエからウヴァーロフと岩田守弘くんをゲストに迎えての来日公演でふたつの演目をする。「ジゼル」と「ロミオとジュリエット」。岩田くんは「ロミオ」にマキューシオ役で出る。配役が決まった半年前から今回の来日を楽しみにしていた。

昨晩は「ジゼル」で、岩田くんの出番はないのだが、なんといっても現代最高のプリマバレリーナのひとり、ニーナ・アナニアシヴィリが主役である。見逃せない!

彼女はボクより3歳下の45歳(3月末で46歳)。もういつ引退してもおかしくない。というか、普通のダンサーだったらとっくに引退している。実際、ボリショイもABT(アメリカン・バレエ・シアター)も引退した。そうして世界の第一線を退き、いまは旦那さんがいるグルジアで、このバレエ団の芸術監督をしながら細々と踊っている状態。もうニーナが踊るのをこの目で見られるだけで至福。ありがたやありがたや、である。呼んでくれたジャパン・アーツさん、ありがとう。

ボクが彼女の舞台を初めて見たのはモスクワだった。
2003年にロシアをひとり旅したとき、バレエを8舞台観たのだが(8泊9日で8舞台:笑。バレエ超初心者から一気に中級者へ)、このとき、ボリショイで彼女の「白鳥の湖」を観たのである。

死ぬほどよかった。
もう全盛期は過ぎた、とも言われていて、確かに超絶技巧的にはもう下り坂だったかもしれないが、「人の心に伝わるダンス」という意味では図抜けていた。翌日、ザハロワのボリショイ・デビュー公演があったのだが(マリインスキーから移ってきた最初の公演。演目は「ジゼル」)、まぁザハロワも教科書的でうまいけど、「心に伝わる表現」という意味では比較にならなかった。

それ以来、彼女の舞台はなるべく欠かさず観ている(人気も高く、値段も高いのでなかなか行けないのだが)。

で、昨晩。

なんだろう。
ニーナだけ「踊っていない」というかなんというか…。いや、もちろんいい意味で。

もちろん、すばらしいダンスなのである。見惚れる。図抜けている。でも「踊り」というより「演技」に昇華されていた。もう踊りが無意識下に降りていて、「がんばっている」「超絶技巧を見せている」みたいな感じがまったくなく、それよりも、心が伝わってくる。まさに「演技」。立ち姿だけで何かが伝わってくる。ダンサーというよりアクトレス。

圧巻は狂気の場面(狂い死にの場面)。
いままで何度か「ジゼル」を観ているが、これほどの狂気を演じた人はいなかった。ダンスが少しずつ崩れていく。最後は観ているのも辛いほどの狂気。まさに迫真の「演技」。

周りに泣いている人が何人もいたなぁ。

幕間にホワイエで岩田くんに会った。「ロミオ」のための稽古に来ていたらしい。
第二幕は岩田さんと並んで観劇(隣の席が空いていたので)。岩田さんがボソリと「ニーナはカラダが万全ではない」と言う。年齢的にももうボロボロなのは自分を顧みてみればよくわかる。たった3歳下でこれだけ動けることだけで驚異だ。

第二幕のウィリの場面はもうひたすら美しい。
おおっ!と驚くダンスはなかったが、完璧な表現力で楽しませてくれた。あぁすばらしいな…。ウヴァーロフもさすがに良かった。ミルタ役のラリ・カンデラキにもうちょっと期待したが、それでも全体にいい舞台。

グルジアは政情不安の余波もあり、バレエダンサーが急激に減っているという。バレエでは喰えない状態だとか。今回も男性ダンサーの層の薄さを感じさせた。ヤバイほど薄い。でも、アナニアシヴィリが芸術監督として急速に立て直しているというから、今後に期待。

終演後、岩田くんが無邪気に言う。
「佐藤さん、僕、バレエ、久しぶりに観ましたよー。やっぱりバレエって美しいですねー」
まぁ踊る側の彼が舞台を観る機会があまりないのはよくわかる。どんな気持ちでバレエのどこを観たのかなー。いろいろ聞きたかったが「今晩は予定が」とのことで終演後すぐ帰ってしまった。まぁ来日中あと何回かは会えるからその時に聞こう。

というか、「ジゼル」も「ロミオとジュリエット」も、今回の東京公演にボクは全部行く予定(まだ空席あり)。岩田くんもニーナも一回も見逃せない。ほんと、いつまで踊ってくれるのか、という二人である。目を皿のようにして観るぞ。

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クレイジーケンバンド @八王子市民会館

2010年02月22日(月) 8:17:09

土日は必死に仕事した。
今週はわりと山なのである(昨日の件も含めていろいろと)。で、「やらないといけないこと」を書き出して、ひとつずつ消していく方式に。あぁ時間がない。間に合わない。なんとか土日分のノルマは終えたけど、今日も明日も明後日もわりと必死。

という嵐の最中ではあるが、クレイジーケンバンド(CKB)のライブに行ってきた。@八王子市民会館 (まぁ逆に言うと、この予定があったから必死さが増し、能率が高まったとも言える)

CKBは長者町の「FRIDAY」に続いて今年2回目。GIRLS! GIRLS! GIRLS! BACK TO 009 TOUR ファイナルである。まぁ初日が先週なのだが(笑)

八王子、遠かったし寒かった。あまりの寒さに「八王子、寒い…」とツイッターにつぶやいたら、八王子出身者や在住者から一気に「そうなんです、八王子って寒いんです」みたいな書き込みがあったくらいは寒い。寒いなぁ。

会場の八王子市民会館は古い古い会場。
ケンさん曰く「私にとってはここはなんといっても『8時だョ!全員集合』ですね。この辺にいかりやが立っていたわけですよ」と。なるほどー。そういえば確かに収録によく使われていた気がする。そうかー。この舞台にドリフが立っていたかー。キャンディーズも立っていたかー。
CKBはそれに敬意を表して「ズンドコ節」をやった(笑)。そしてズンドコのリズムに乗せて「タイガー&ドラゴン」もやった。「タイガー&ドラゴン ズンドコ・バージョン」(笑)
他には「無条件」をやった。これ、「FRIDAY」でやったときは背景を説明してからやってくれたのだが、今回は何の説明もなくやった。初めて聴いた人は新曲と思ったかも(笑) すべてがサビのようなK-POP。いい曲だ。つか、耳から離れない。

3時間みっちりのライブは相変わらず格好良く、実に楽しかった。格好いいなぁケンさん。惚れ惚れする。

写真は会館前にあった立て看板。昭和かよ。でも、この昭和感がCKBにまさにぴったりで、とてもいい会場だったと思う。
ライブ終了後は、同行した小石原はるかCKB師匠と初対面の石黒謙吾さんと荻窪の「鮨なんば」へ。ライター系の3人なので濃い話をいろいろと。というか「その校了スケジュール、ホントに間に合うの!」と、とても心配された(泣)

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ワルボロ

2010年02月20日(土) 21:25:58

ちょっと出口がない気分になっていた上に、体調不良まで来た。

これ、困ったなぁ…。
このまま長めのトンネルに入ってしまうのだろうか…。

ストックしてある「効く言葉」を読んだり、陽転思考したり、ジム行って体をいじめたり、音楽聴いたり、いろんな手を使ってみたが、なんだか上昇気流に乗れない。

んー困った…。

暗い気分のまま、深夜、ぼんやりと本棚を眺めていた。

そしたら一冊の本に目が止まった。なぜこの本なのかわからない。初読時の印象はとてもよかった。イメージの残像が残っているくらいは印象的だった。でもなんでこの本なんだろう…。

本を手に取る。ベッドに持ち込む。そして明け方まで、500ページあるこの本を一気読み。

抜けた。
出口を抜けた。
なぜだか知らないが、きれいに抜けた。

すごいな。本もすごいけど、ボクの潜在意識もたいしたもんだ。「いま心に必要な栄養」を数千冊の本の中から、しかも特に意識してなかった本の中から、ピンポイントで探し出した。

その本は「ワルボロ」(ゲッツ板谷著/幻冬舎)。
名作だ。すばらしい。でも、なんでこの本が出口を示してくれたのかはわからない。でも、抜けた。はは。

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「NECK」@青山円形劇場

2010年02月17日(水) 7:42:07

さて、おととい観た青山円形劇場の「NECK」の感想を書こうと思ったのだが、いざ「あそこを褒めたい」「あの部分を書きたい」と思って書き始めたものの、よく考えたらこの舞台、ネタばれは相当まずいタイプのストーリー。まだ絶賛上演中なのでほとんど書けないことに気がついた。

ホラー演劇なのだが、ストーリーの意外性にかなり依存しているのである。いろいろ伏線が張られているので、テーマにすら触れられない。とてもいいテーマなのだけど。

だからひとこと、いや〜怖いよ〜、と言うに留めておく(笑える場面もたくさんある)。
ホラーって大苦手だから、観てる途中でホラーとわかったときは戦慄した(笑)。何の予備知識もなく「モリが出るから」という理由のみでニコニコ観に行ったからなぁ…。

舞台美術についてくらいなら触れてもいいかな。なかなか素晴らしかった。
円形劇場なので、まわりをグルリと観客が囲む形式。舞台も丸いのだが、土俵のように盛り土になっていて(実際には土ではないが、森の中という設定なので土の設定)、その上で、主要俳優は、ほぼ2時間にわたり、首だけ地面上に出して演技する。そう、首=NECK、ですね。映像の使い方も格好よくお洒落(この辺は演出の妙)。あえて言えば照明にもっと凝ってほしかったかも。直射日光、木漏れ日、朝の光などなど、違いをちゃんと出したらもっとよくなった。

あー、このくらいしか書けないなぁ…。
終演後、出演者のひとりである森崎博之くん(モリ:TEAM NACS のリーダー)と飲んだのだが、彼曰く「動きがほとんどないので、台詞を間違えやすい」と言っていた。台詞ってカラダの動きと共に覚えた方が覚えやすいであろうことは素人でも想像がつくが、まったく動かないし、俳優同士、目も合わせにくいシチュエーションなので、たしかに台詞の順番とか間違えちゃいそうだ。

あと「カラダを動かさずに叫ぶせいか喉が痛む」とも言っていた。喉のクスリを多用して舞台に出ているらしい。同姿勢で叫び続けると喉にばっかり負担がかかるのだろう。それと「とにかく腰がいたい」とも言っていたっけ。座りっぱなしで首上だけの演技だからなぁ。たしかに腰に来そう。

この舞台では俳優は極限状態を演じるので、その気分を引きずって帰るらしく、夜もよく寝られないと言っていた。大変だ。でも今回のモリの演技は素晴らしいものだった。2/24の終演まであと1週間、がんばれ。

ちなみに、この「NECK」、原作は舞城王太郎で、同一モチーフのまったく別のストーリーでの映画化も考えられているらしい(くわしくはこちら)。ちょっと面白そう。両方楽しむためには舞台を観ておく必要があるので、ぜひ(まだ多少の当日券はあるらしい)。

キャストも書いておこう。

原作:舞城王太郎
劇作:竹内佑
演出:河原雅彦
出演:溝端淳平、森崎博之、鈴木浩介、加藤啓、市川しんぺー、河原雅彦

本当はもうひとり、重要人物が出るのだが、それは書けない(サイトのキャスト紹介でも書いてないし)。あと、河原雅彦の役は当初板尾創路が配役されていたのだが、体調不良のために降板とのことである。人気の溝端淳平はなかなか達者な演技でありました。

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すぎやまこういち、マジ天才

2010年02月13日(土) 21:10:55

ドラクエ6の隠しダンジョンに行ったら、中に街があって、そこであることをすると大好きなドラクエ5(天空の花嫁)の登場人物に会える。

ちょっと感動した(笑)

で、それをムスメに見せたら、ムスメも感動して、ニコ動に上がってる「ドラクエ5全曲集」みたいのを見せてくれた(というか、聴かせてくれた)。
いやー、ドラクエ5の音楽、やっぱりいいわ。ふたりで50分、歌いながらずっと聴いていた。すぎやまこういち、マジ天才。

それにしても今日は能率が上がらなかったな。やらないといけないこと満載なのに、自己嫌悪になるくらい出来なかった。こういう日もあるさではそろそろ済まない。いろんなことが間に合わない…。

そんな気分を引きずりながら、今はなぜかユーミンを聴いている。初期の荒井由実。
ツイッターに書き込みながら聴いていて、「山手のドルフィン、私も行きましたー」とか、いろんな人と話しながら。

「晩夏」が流れてきて、「初めて聴いたとき、♪夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭(はげいとう)〜 の葉鶏頭をハゲ伊藤と脳に刷り込んでしまい、いまでもそれが離れない。なんとかしてくれ」とツイッターに書き込んだら、「いま刷り込まれちゃうからヤメテ!」と、とてもイヤがられた。まぁそう言わずに、一緒に刷り込まれちゃいましょうよ(笑)

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ドラクエ6終了

2010年02月12日(金) 7:15:03

この日に買ってしまったドラゴンクエスト6「幻の大地」。

仕事と出張の合間にチマチマとやってきた。いや、チマチマと、というより、チマー…チマー…、という感じ。普通、徹夜したりして一気に進めたりするのだが、数日おきに数時間やる、という間延び感。さすがに本業(広告)も副業(ライティング)も切羽詰まっているので、徹夜する無茶は避けた(したくてたまらなかったけど)。

で、昨日、ようやくエンディングを迎えた。
まだ、クリア後の隠しダンジョンが残っているが、とりあえず「The End」の文字を見た。買ってから15日。主人公のレベルは40。ラスボスとの闘いは長時間の苦しい闘いだったが、一度も全滅せず、一度も「世界樹の葉」を使わず(「時の砂」は一回使った)、なんとか「なかま」全員無事のままで勝ち残った。

というか、前半の「ムドー3回目」以外は、すべての中ボスが弱かったな。
DSに移植したときにずいぶんゲームバランスを変えた印象。まぁストーリーが複雑かつ哲学的で、とってもわかりにくいので(上の世界と下の世界の区別もつきにくいし、その真の意味もわかりにくい)、せめてバトルは優しくしたのかもしれない。それにしてもラスト・ダンジョンを何の不安もなくすらすら進めちゃうバランスってどうよ。ドキドキしたのは前半の「ストーンビースト2匹出現」くらい(これには一度全滅させられた。凶悪)。特に経験値稼ぎはしなかったが、なんでこんなに楽にしたのかな…。

ついでに言えば、移植で面白くなくなった部分は他にもいろいろあり、かなり不満が残る出来かもしれない。すれ違い通信とかカーリングとかスライム格闘場とかもつまらない。モンスターを(一部しか)仲間にできないのもやりこめない要素。経験値アップのうれしさもなく(熟練度の方が大切)、お金での苦労もほとんどなかった。なんだかなぁ…。ドラクエ5の傑作具合に比べてあまりにも…。

まぁでもこれで落ち着いて仕事と原稿に取り組める。
ドラクエとかFFとかって、いったん始めちゃうと「クリアしたい感」に苛まれて落ち着かないからね。まだ隠しダンジョンに行ったり、「はぐれのさとり」を手に入れて転職させてみたり、と、やることはあるけれど、とりあえずいったん終了だ。

ところでドラクエ3をやりたいんだけど(最初期三部作がやりたい)、DSにしてくれないかなぁ…。ただし移植は上手に。ね。

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マッキントッシュMC7270、ザオリク!

2010年02月11日(木) 19:30:39

パワーアンプのクレルKSA80Bの調子があまりに悪いので買い換えを画策しだしたと前に書いた

オーディオマニアの方々からメールをたくさんいただき、いくつか買い換え候補も決めたのだが、自由に使えるお金が減り続け、まだしばらく買えない感じである(そこそこの値段のを買おうと思っているので)。
そうなると音楽が聴けない。コンピューターの貧弱なスピーカーから聴くしかない。それではあまりに哀しいので、暫定的にセカンドシステムとして眠っていたMcIntosh(コンピューターじゃない、オーディオのマッキントッシュ)のMC7270を復活させることにした。ザオリク!

アポジーとマッキントッシュは非常に相性が悪いと言われている。
でもどうかなー、もしかしたら意外と良かったりしてー、と、ほのかな希望を持ちながら、つないでみた。ええとアポジーのインピーダンスは3オームだから、2オームのところにつなげばいいのかな…(そういうことももう忘れてしまった)。

わりと苦労して配線し、とりあえず鳴らしてみる。
いくつかボクの「オーディオ用のリファレンスCD」ってヤツがあり、それを聴くとシステムの良し悪しがわかる。インバルのマーラー4番、ジェニファー・ウォーンズの「Ain't No Cure For Love」、ユーミンの「ダイアモンドダストが消えぬ間に」、ジェイミー・カラム「縁は異なもの」、リンダ・ロンシュタット「星に願いを」、バーシアの一連などなど、昔から聴いてきたリファレンスたち。これらで定位や低音や歌手の口の大きさなどをチェックするのである。

んー……。
なんというか、古いラジオのような音がするじゃないか(もちろん標準レベル以上の音なんだけど)。昔のジャズなんかは気持ちいいが、ボーカルの口が大きくて緩い。そして上の方が詰まったような音。天井が低い部屋で聴いているような感じ。こりゃダメかなぁ。やっぱり相性悪いや。

まぁでも小さな音だとそれもごまかせる。しばらくはこれで聴こう。必然的に古いジャズが多くなるが、最近あまり聴いてなかったのでこれはこれで楽しい。いま聴いているのは「リトル・スージー」。レイ・ブライアントの左手がいい感じに響いている。こういうの、マッキントッシュは大得意である。

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クレイジーケンバンド @ィ横浜FRIDAY

2010年02月06日(土) 22:36:36

昨晩は、ィ横浜は伊勢佐木長者町のライブハウス「FRIDAY」にて、クレイジーケンバンド(CKB)のライブを観た。正確に言うと「クレイジーケンバンド Classics」かな。6人構成のCKB。

いや〜楽しかった〜!
CKBのライブは二回目だが(一回目はこの日)、こんな楽しいライブは他のバンドでは味わえないもの。イイね、イイね、イーーネッ! しかも場所が場所。ここ「FRIDAY」は100人ほどしか入らない小さくて古い、そして有名なライブハウスで、CKBの聖地&拠点と言われている場所なのである。

CKBは売れる前からここでライブをやっていて、いまでも毎月ここで定例ライブをやっているという。偉いなぁ。
そしてここでのCKBライブは超プラチナチケットらしい(そりゃそうだ)。コアなファンが争奪戦を繰り広げる世界。そんな世界、自分とは遠い世界だと思っていたが、今回は友人の友人が電話攻勢でゲットしてくれ、総勢7人で出かけることができたのである。長年のファンでも行ったことがない人が多い聖地。申し訳ない&めっちゃうれしい。電話かけまくってくれたハルナさん、本当にありがとう。

2部制(19時40分・22時50分)の2部だったので、まずは長者町の「華隆餐館」で腹ごしらえ。
ここ、うまいわぁ〜。四川料理の店なのだが、外観や内装から想像できる数倍は本格的でうまい。刀削麺も抜群。ここはリピートしたい店だなぁ。同行した小石原はるかセレクト。さすがである。総勢7人、この店で集合して「はじめましてー」などのご挨拶をして、いざライブへ(結構バラバラな7人で面白かった)。

21時40分に入店コールがあるとのことで、その時間に着いて並ぶ。
寒い中、階段に並び、ブロックごとに呼ばれて入店する段取り。ボクたちはCブロック。席はステージ右側(上手)のキーボード真横。ステージといっても段差がないので、まぁなんつうか、剣さんがキーボード弾きに来ると、ほんと2メートル前にいる、という感じ。すげー近いよオイ。

第2部のライブが始まったのは、夜22時50分から。
結局、終わったのが24時20分だったから、1時間半くらいやったかな。すごく小さな箱な上に、コアでディープなファンばかりなので盛り上がりがすごい。それを観ているだけで楽しい。バンドもノリノリ。いやー楽しいなぁ…。

曲は、レアな曲もやったのでわからないのも多いが、わかる曲だけ書き出すと、

「長者町ブルース」「夜のヴィブラート」「松並木ストラット」「黒いオートバイ」「発光!深夜族」「検便」「JBメドレー」「無条件」「そこまで云わせておいて」「あるレーサーの死」「アメ車と夜と本牧と」「ベレット1600GT」「聴力検査」「あなたの名前を呼びたくて」

という感じ。20曲くらいやったのではないか。

終わってからは関内駅に向かって伊勢佐木モール(ゆずの聖地)を疾走(終電に間に合わない!)。なんとか蒲田行きの最終電車に間に合って、蒲田からタクシーに乗って家に辿り着いた。そういう疾走を含めて実に楽しい夜だった。なんかね、ライブのあとにジタバタいじこくする感じがCKBっぽい。

あぁ楽しかった。
CKBはまた近々見に行ける予定。次は大きめの箱なので昨日の親密さはないだろうけど、サービス精神は一緒だろう。期待を絶対裏切らないのが彼ら(ボクもプロの端くれなのでこのすごさには頭が下がる)。

一度、有楽町の小さなカウンター・カレー屋で、はからずも剣さんと隣り合わせになったことがあるが(緊張して声をかけれなかった)、それ以来の接近遭遇だった。相変わらず惚れ惚れするくらい格好いい。前も書いたけど、シリアスだけどコミック、クレバーだけど頭悪い、イマだけど昭和、王道だけど場末。この感じ、すごすぎる。

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疲れをとらないといけないのに何すんねん

2010年01月29日(金) 9:16:59

なんだかものすごく疲れているんだけど、よくよく考えたら、去年の12月初旬くらいから休みらしい休みをとっていない。晦日も正月もずっと仕事していたし(しかも徹夜レベル)、普通の土日も執筆で明け暮れていた(これまた徹夜レベル)。新年になってからの仕事量は尋常じゃない。講演行脚の出張にかこつけて各地で食べたり遊んだりもしたが、休息にはなっていない。そりゃ疲れるわ。

ということで、金曜夜、土曜、日曜とすべての予定をキャンセルさせていただいて、じっくり休むことにした。急にキャンセルのお願いをした方々、本当に申し訳ない。でもこれ以上動いていると「発症」する予感。すいません。来週も三日間も出張あるし。

まぁじっくり休むと言っても、単行本の推敲や企画書書きなど多少やらないといけないことはあるのだが、極力短時間で終わらせて、のんびりと音楽聴いたり睡眠とったりアレやったりする。あぁジムくらいは行こうかな。スッキリするだろうな。あとはアレをやる。

というか、アレなんかまったく買うつもりはなかったのだ。でも、昨日、有楽町線からJRに乗り換えるときにビックカメラの中を通っちまったんだよなぁ。そして「本日発売!」の大きな文字を見ちまったんだよなぁ。嗚呼。イヤだ。困った。したくない。……DS「ドラクエVI」。疲れをとらないといけないのに何すんねん。


※ ボクも参加している「国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ」の提案の一環として、ツイッターやブログに続き、首相官邸に毎回何組かの方を招いて行われるリアルなカフェが始まります。世界的にこういう対話型のカフェはたくさん開かれ、文化や芸術や政策が醸成される場になっていますが、日本ではまだまだ例が少ないですね。官邸で首相が開くのは画期的かと思います。第一回目は託児施設つきで「子育てカフェ」。応募の仕方など、くわしくはこちら。とりあえずリアルでも第一歩。少しずつ。着実に。

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映画「すべては海になる」

2010年01月25日(月) 7:49:53

subeumi-p.jpgおっと、ずいぶん前に「感想は後日」と書いたままになっていた映画「すべては海になる」の感想を書きそびれているうちに公開日過ぎてしまった。おとといの土曜日が初日であった。

完成試写会に行ったのは11月のこの日
原作・脚本・監督をすべてこなした山田あかねさん(映画初監督)からお知らせをいただき、観てきたのであった。まだお会いしたことはなく、メールで何度かやりとりしただけだが、前に読んだ「まじめなわたしの不まじめな愛情」は面白かったし、「もしも、この世に天使が。《青の章》 」も良かった。この映画の原作「すべては海になる」は映画を観た後すぐ買ったのだが、まだ読めてない。年末は仕事で大嵐だったので。

完成試写会だったので舞台挨拶があった。挨拶したのは主演の佐藤江梨子と柳楽優弥、そして山田あかね監督。
サトエリの抜群のスタイルに見とれ、柳楽くんの天然トークに笑い、山田監督の理知的コメントに頷き、なかなか楽しい舞台挨拶だった。しかし、マジで柳楽優弥ってそういう系なんだなぁ。まだ19歳かぁ。先日結婚したよね。どんどん人生が前倒しになっている人だ(14才でカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞だし)。でも、彼はたぶん50才くらいになった方が味のある俳優になると思う。

で、本編。

リアルをリアルに描こうとした感じの映画で、特に盛り上がりもないのだけど、ハリウッド的「早わかり映画」がそんなに好きではないボクとしてはいろいろ考えさせられて良かったと思う。注意深く見つめないと本質が見えてこないような映画なので、思索型の人にはとてもいいと思う。「別にベストセラーにならなくても、どこかにいる誰かが感動してくれた方がいい」みたいなセリフが映画中にあったが、まさにそれを狙っているような映画である。誰か少数の胸に深く届くことを狙いつつ、人気主演俳優を使って大きく網を投げてみた、という感じだろうか。

書店に勤める「愛がわからない女」佐藤江梨子と、崩壊寸前の家庭をひとりで立て直そうとしている高校生、柳楽優弥。このふたりが近づいていく過程を丹念に拾いながら物語は進んでいく。
いろんなエピソードが重なるので、ストーリーは複雑なのだが、それをスッキリまとめて2時間飽きさせなかったのはなかなかの力技。テーマに近づいたと思ったら遠ざかり、遠ざかったと思ったらまた近づいて、というような波に翻弄されている感じも上手だった。

劇中劇「小島小鳥の冒険」が面白い。そしてこの映画の重要なテーマになっている。そして、この映画自体が反「小島小鳥」になっているのがイイ。あと、個人的には、フェイバリットな「ガープの世界」への言及がわかりやすかった。考えすぎかもしれないけど、「ガープ」の中の劇中劇とかぶさって、ボクの中では納得感があった。

賛否が分かれるのはラストシーンかなぁ。原作・脚本・監督をすべてひとりがやった「思い入れ」が画に出てしまっている印象。ラストで初めて表題とリンクしてくるのだけど、その辺も多少唐突。伏線がもうちょっと欲しかったかも。このあたり何度も前を読み返せる小説の方が向いているストーリーなのかもしれない。映画は時間軸として後戻りできないから。

なんというか、人生はどうしようもないということを前提に、それでも前を向いて生きていくしかない、というような、苦いような爽やかなような不思議な後味が残って面白かった。

お、そうそう、一瞬出てきた吉高由里子が実に良かった。この子、女優として大化けする気がする。

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36年前なのにまったく色あせない

2010年01月16日(土) 22:42:52

数日前、映画「アバター」を「絶対IMAX3Dで観ろ」とオススメしたが、それは友人から「キャメロン監督はIMAX3Dを念頭に置いて撮影した」と聞いたからである。そして、実際にIMAX3Dで観てその映像に衝撃を受けたこともあってオススメしたので別にウソは言っていないのだが、他の3D方式(全部で4つあるらしい)ではダメなのかは検証していない。

で、「なんでXpanD方式ではダメなの」とかの感想をツイッターで読んだりもして、少し気にしていたのであるが、素晴らしいレビューをしているブログを見つけた。題して「『アバター』3D全方式完全制覇レビュー」。4方式を全部、短期間で見比べてレビューしてあるのである。

これを読めばすべてわかる!
ええ、要するに「絶対IMAX3Dで観ろ」です!
あー、良かった(笑)

良かったと言えば、今日の夜21時からBS2でやった番組「荒井由実 "ひこうき雲" の秘密」は良かったなぁ。
荒井由実のデビューアルバムである「ひこうき雲」の当時のマスターテープを録音スタジオで聴きながら、ユーミンと松任谷正隆と細野晴臣とかが当時のエピソードを話しあったり、トラックごとに聴いたり、マニアックに語り合ったりした1時間。このアルバム、約1年かけてじっくり録音していったとか。そのディテールへの凝り方などが浮き彫りになっていく。ティンパンアレーすげえ。

それにしても、発売以来36年も経つこのアルバムだが、本当にまったく色あせない。いま聴いてもとても新しく感じる。これは細部の作り込みの尋常ではない凝り方のおかげだったんだな。当時として新しかったのに、とても普遍的。そしていまでも新しい。そういう音作りってあるんだなぁ。

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毎年恒例の「正しいお正月」

2010年01月14日(木) 6:58:35

maki10.gif昨晩は毎年恒例の新年のお祝い。
神楽坂の料亭「牧」にて芸者さんたちと。 2006年から毎年同じメンバー5人(男性3人女性2人)で続けている「和」の会である。今年で5年目か。

初めてのときにはそれはそれは緊張した。振る舞い方がなにもわからない。禁則事も客としての気配りも芸事への理解などもわからない。大人として「和の常識」をここまで知らないというのはどうなのか、と後悔しながら緊張して座っていたものだ。

そういう意味では今年も「わからない」。
でも、「こういうものはただ単にくつろいで楽しめばいいのだ」ということだけは5年の経験でわかってきた。そしてさすがに場馴れしてきた(夏も来ているし)。分厚い座布団に座り、金粉入りの日本酒を飲み、正月正装の芸者さんにお酒を注がれ、美しい踊りを見て、三味線入りの三三七拍子をやり、「おめでとうございます」と挨拶して締める。何も考えずにこの流れに乗ればいい。

そのせいか、今年はやけに楽しかった。まぁ疲れ切っていたせいもあるのだけどすぐ酔って、踊りも会話も超くつろいで楽しめた。芸者さんたちも毎年来るこのメンバーを覚えてくれていて、最初から空気が温かい。頭ではなく、こうやって少しずつ体で「空気」を覚えていくもんなんだな。

いつもの如く、1時間でさっと帰り、同じ神楽坂の「弥生」を覗いてみたら奇跡的に空いていたので5人でハシゴ。
ここの一人用すっぽん鍋が大好きだ。うまいなぁ。カキフライもうまかった。〆の鴨チャーハンも絶品。会話も大変盛り上がり、なんか久しぶりに腹かかえて笑った。腹筋いてえ。その瞬間、ストレスがすぅぅぅと抜けた。

あー楽しかった。「正しいお正月」をやるのってやっぱり大切。今年も一年楽しく生きよう、と、心があらたまった。この会がずっと続きますように。

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映画「アバター」@IMAX 3Dシアター

2010年01月13日(水) 8:04:53

昨年末から「おまえもクリエイターの端くれならすぐに見に行け」と言われ続けた映画「アバター」

執筆終了を待って、遅ればせながらようやく昨日観に行けた。川崎の109シネマズ「IMAX 3Dシアター」にて。

観てわかった。「アバターは映画を永遠に変えてしまった」と言われている意味が。

「スターウォーズ」初作の冒頭でどこまでも続く巨大宇宙船が現れたときに感じたものに近い。あぁこの映画が出来る前と後では何かが違っちゃうんだな、と思わせる何か。

クリエイターとか関係なく、映画好きなら「映画芸術のある転換点を体験するために」観に行くべきだろう(いまさら言うか)。

DVDになるのを待ってはいけない。去年「サマーウォーズ」を「夏の間に行け。大画面で観ろ」とオススメしたが、この映画は「大画面かつ3Dで観ろ。そして出来るならIMAX 3Dシアター(IMAXデジタルシアター)で観ろ」である。つまり公開中に。わざわざ「IMAX 3Dシアター」がある場所まで出かけていって。なにがなんでも。

3時間弱、3Dメガネをつけて観るのだが、ちょっと3D酔いはあったかな。
でも、余計な3D感(こっちに棒が伸びてくるとか)がなく、とても自然な映像で、怖さはない。遠近感によるリアリティと「その場にいる感」がすごいだけ。ストーリーも(ツッコミドコロはいろいろあるが)面白く、CGの完成度も強烈。

少し寂しくもなった。
あぁこれで過去の大好きな映画たちが「古い2D映画」とか言われて文字通り前世紀のものになっちゃうんだろうなぁ。まぁ数年はかかると思うけど、映画はたぶん3Dに向かう。映画は「アバター」によって観るものから体験するものになってしまった。2Dが物足りなく見えてくる未来がくるのかもしれない。

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志の輔らくご in パルコ

2010年01月10日(日) 19:03:52

すごいすごいとは聞いていたけど、ここまですごいとはなぁ…。

って、表題の「志の輔らくご in パルコ」のことである。
今年で5年目になるというこの高座、ボクは初めて行ってきた。

というか、立川志の輔の噺を聴くこと自体が初めて。その至芸はつとに有名だし、いま一番おもしろい落語だとは聞いていたが、なにしろチケットが取れないと聞く。そう聞いてビビってしまい、取る努力をしたことがないんだけど(笑)、とにかくプラチナチケットであることは本当らしい。

で、今回も初手から諦めて、まったく行く予定にしていなかったのだが、昨日、早朝からたらんこたらんこ執筆していたら、友人からメールが舞い込んだのである。「志の輔、1枚ありますよ。ごいっしょしません?」と。

うほっ!
これぞ天の恵み! 晦日から松の内まで休みなく酒も飲まず働いたご褒美!

もうその時点から「夜をあけるために必死に執筆!」状態となり、死ぬほど集中して書いた。おかげで予定の二日分を17時30分までにあげた。なんだよ、やれば出来んじゃんか。というか、目の色変わったもんな。約10時間、死ぬほどがんばった。

ということで、行ってきましたパルコ劇場。19時開演。

なんか、劇場の空気が独特だ。みんな「前のめりで笑いに来ている」。
落語ってマニアックな人が見に来る確率も高いので、批評的な空気がほんのり漂っているものなのだが、この「志の輔らくご」はどちらかというと演劇系やエンタメ系の客筋で、みんながみんなポジティブな気を発している。志の輔、いいお客さん掴んでるなぁ。

で、時間となり、さりげなく高座に上がってきた志の輔師匠。おお、ついに志の輔の落語! 楽しみだぁ!
と、気合いが入るこちらの気持ちを読んだかのように、かるーい枕ではぐらしながら始めたのだけど、もう数十秒後にはドッカンドッカン笑いを取った。うまいなぁ。おもろいなぁ。ちょっと仕事で心配事があったんだけど、そんなのも軽く忘れさせるほど面白い。うまいなぁ。ほんと、マジうまい。

で、枕からの絶妙の流れで一席目「身代りポン太」。
これはいわゆる「根多おろし」なのかな。創作落語である。もうすでに「あぁこれだけでもう満足」ってくらい面白かった。さすがだなぁ。世の中の空気感を敏感に取り入れて、「事業凍結」で噺を作ったあたりもさすが。みんなが自分ごとになるので、のめり込み方が違う。うまいなぁ。

で、いったん下がって、その間舞台上では小咄系の文字映像が流れ、そこでも笑いを取り(サービス精神旺盛)、二席目も創作落語「踊るファックス 2010」。
これはね、本当にすごかった。笑いのドッカン具合がなんか落語じゃない感じ。ちょっと呆然としつつ楽しんだ。いやー笑った笑った。

その噺のオチの流れで、バックの衝立が急にファクスになって紙がベーーーッって排出されてきたりする演出があって(サービス精神旺盛すぎ)、仲入り。15分休んで三席目である。黒紋付で現れた志の輔さん。これまた上手な枕から、流れるように自然に古典落語「中村仲蔵」の世界へ。

一転して真面目なお話なんだけど、これまたうんまいのである。
敢えて言えば声質がガラガラ声なので(志の輔さん、タバコ吸いすぎかと)、女役をするときにすこーし違和感あるかな程度。ぐぐぅっと引き込まれ、他の世界を忘れた。普通なら「ここの表現、うまいなぁ」とか、表面的なところに気が散るんだけど、そんなこと意識もせずストーリーに没入した。で、引き込まれていると突然演出でライトがついたりしてドキッ! これがまた効果的。

あー、すごかった。
おもしろいと言うより、すごい。

舞台も演奏も係員も、すべてポジな空気をまとっていて、楽しいのなんの。すごいエンタメを見させていただいた。ヤフオクで買ってもう一回見に行きたいくらい。

これだけの芸を持った上で、ソツなくガッテンの司会なんかもこなしちゃって。コラムも上手だし。天才なんだな志の輔師匠。
裏ではいっつも「死にそうなほど疲れている」らしいけど(知り合い談)、これだけ人に笑いを与えるって、生半可なエネルギーでは出来ないだろう。いや、すごい。自分の抱えている苦労が小さく小さく思えた。ありがとう志の輔らくご。ありがとう、友人様。

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サンタ氏

2009年12月23日(水) 20:52:28

例年ほとんどクリスマスを意識しないのだけど、今年は先々週の義父葬儀もあり、特にお祝い気分はない。
しかも義母のケアのために妻が神戸に行っていることもあって、数少ないクリスマスグッズ(テーブル上に置く小さなツリー)も出ていない(「出そうかぁ」とムスメに聞いたら「んー、まぁいいんじゃない?」と。クールだw)。まぁ週末にケーキくらいは買おうかな…。

というか、それどころではなく、仕事と執筆が重なって地獄の様相を見せているので、クリスマス気分なんかにならなくてもいいのだけど、でも、今日の早朝にツイッターで可愛い友人&後輩が撮った写真を見つけて、ムスメと一緒にほんわかとクリスマス気分になった。そしてツイッターでRTしたら数千人が見に行って喜んでくれた模様(いつの間にかフォロワーも9700人超になってるので)。

彼女がつけたタイトルは「朝焼けにサンタさん乗ってきた!!!」。
すごくイイ写真なので是非見てみてください。このカタチ自体も奇跡的だけど、それが12月23日に出るのもスゴイ。そしてそれを見つけて撮ったのもスゴイ(見つけたのは彼女のお母さんらしい)。

サンタ氏、ソリに乗ってどこに急いでるのか。と、ちょっとカマトトぶってみる。

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シルヴィ・ギエム & アクラム・カーン「聖なる怪物たち」

2009年12月21日(月) 7:30:23

昨日もちょっと書いたが、「シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー『聖なる怪物たち』」を観てきた。@東京文化会館

シルヴィ・ギエムを観るのは何回目かな。たぶん7回目くらい。もう観る度に口あんぐりなのだけど、今回はアクラム・カーンの舞踊とその演出も含めて、超口あんぐりだった。

15時から16時すぎまで、1時間とちょっとの舞台。
短いけど濃密。濃厚。隅々まで自由で新しい。ギエムとカーンの「相違」と「問い」と「共感」。そしてそれらからの「自由」。

この舞台、どう説明すればいいのかな。
お互いに違う出自のダンサーなんだけど(ギエムはバレエ出身。カーンはインド舞踊 "カタック" 出身)、それが自由自在に合わさって、まったく新しい舞台になっている。背景は抽象的でシンプル。そこにシンプルな練習着を着たふたり。そして5人の様々な人種の音楽奏者のみ。ただ、ダンスと音楽だけでなく、独白と会話も大きな要素。そしてそのどれにもまったく囚われず、結論もオチもつけず、ひたすら「自由」に表現する。とはいえストーリーはちゃんとあり、不条理劇でもハプニング劇でもない。なんというか「あくまで自由に『自由』をきちんと描いた」感じ。もっと説明的に言うと「お互いが自由になる過程」を「自由な方法論」で描いている感じ。

ダンスからも、悩みからも、小さいときの葛藤からも、髪のないクリシュナからも、言葉からも、肉体からも……、すべてから自由になる過程。それをダンスや音楽や独白などが唐突に「自由に」入る構成で、ものすごく自由に描いている。そしてギエムもカーンも、自分本来のダンスから自由になって踊りまくる。

だからだろう、この舞台には相対するものがたくさん出てくる。
ダンス(バレエとカタック)。宗教(キリスト教とイスラム教)。言葉(イタリア語のエピソード)。音楽(西洋と東洋)。性(男と女)。肌(白と黒と黄)。髪(長い・ハゲ)。背(高い・低い)。
独白でもダンスでもそれらが語られる。それらが正反対な姿を見せつつ、問い会うことで調和を見いだし、その挙げ句ぶつかりあい、またわかりあい、エマーヴェイユ(驚くこと)を共有し、歓喜し、また不調和を見せつつ終わる……。その過程と自由さが得難いものだった。

だいたいのストーリーはサイトのこのページの下の方の独白部分を読むとわかる(ダンス動画も少しある)。いやゴメン、読んでもわからないかも。そこに書いてあるような独白を実際に舞台上でカーンとギエムがアドリブをはさみながら語り、その間にダンスや音楽が仕込まれている。

「自由」になるために、このふたりが出会って一緒にステージを作り上げることはきっと必然だったんだな。
バレエやカタックに囚われていた精神が、ふっと自由に飛翔する過程と瞬間をしっかり見せてもらった感じ。伝わるなら何でもありなんだ、という「ダンス自体からの自由」も見せてもらった。

題名の「聖なる怪物たち」(Sacred Monsters)には違和感があり、いろいろ深読みしてしまったが、ボクの中では、怪物たちは合わさる前のそれぞれの要素たちのこと。囚われていた聖なる怪物たちが解き放たれて自由になる、みたいな解釈をしてしまったが、たぶん日本人にはわかりにくい別の意味合いが題名にはありそうな気がする。

会場を出ながら、国木田独歩の「驚きたいんです」という言葉を思い出していた。
ギエムが最後に語る「emerveille(エマーヴェイユ)」ってそういうことなんだろうと思う。驚き続けるためには開放された精神と肉体が必要なんだろうと思う。さて自分は開放されているか。自由になれているか。要はそういうこと。

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Superfly @武道館!

2009年12月15日(火) 6:52:29

なんか葬儀関係の疲れが出たのか身動きできず、昨日は休みをいただいて一日寝ていた。
でも、夜にはムスメが異様に(本当に異様に)楽しみにしていたライブが武道館であった。父娘ふたりで行く約束である。夕方くらいから楽曲を聴いて、少しずつテンション上げて、よし、行くぞっ!

ということで行ってきました「Superfly 2009 Dancing at Budokan!!」。

Superfly 初の武道館公演である。そしてムスメにとってもライブ初体験(クラシック・コンサートを除く)。人生初のロック・ライブが Superfly で武道館というのもなかなかいいのではないかな(ついでに with 父 というのも)。

中3のムスメは Superfly のいわば糟糠のファン。
まだ全然有名じゃない頃から「Superfly すごい、Superfly 好き!」と騒いでいた。女子校には同好の友人もおらず(年齢的にはジャニーズとかに走る人が多いから)、彼女ひとりで突き抜けて好きだったらしい。だから最近の大人気を少し複雑な想いで眺めていたみたい。「私が好きって言いだしたころはまだ誰もその価値を認めてなかったじゃない!」って感じで(笑)

彼女が家で毎日のように聴いていたので、ボクもわりとSuperflyの曲をいろいろ知っている。というかファン化している。
つうか、Superfly ってなにしろサイケでフラワーチルドレンでウッドストックでジョップリンな人なので、聴いていてボクもまるで違和感がない(今年ウッドストックに招かれてジョップリンを歌った模様を撮った「情熱大陸」ももちろんチェックした)。そして歌唱力は抜群だし楽曲もすばらしい。小さなカラダからほとばしるエネルギーとオーラもただものではない。

会場は超満席(立ち見多数)。年齢層はちびっ子から年寄りまで。男女比も五分五分くらいか。
ライブは15分遅れで始まったが(始まる前のBGMがジム・クローチとかチープトリックとか古いストーンズとかで趣味の良さを感じさせた)、1曲目は「Hi-Five」。ボクはこれが1曲目じゃないかとムスメと賭けていたので勝った!

この1曲目の照明と演出がとても良かったので期待していたら、その後のステージ演出(特に照明)も異様によく、わりと口をあんぐりあけて見惚れていた感じ。照明ディレクター誰だろう。本当に素晴らしい。もうこの人が照明をするステージをずっと追っていきたいくらいモダンで派手で芸が細かくてツボを心得ていて、そして何より美しかった。
特に前半数曲の蜘蛛の巣のようなレーザー光線の使い方の美しさ。雲上みたいなレーザーもキレイだった。中盤の「My Best Of My Life」の巨大ミラーボール+レーザーの幻想的なこと。良かったなぁ。素晴らしい。この照明を楽しむならアリーナの前の方ではダメ。1階席や2階席の方が楽しめる(ボクは2階席中央だったので堪能できた)。

一夜限りの特別ライブ、ということで、古い曲からもいろいろやったのだが、印象的だったのは「孤独なハイエナ」「嘘とロマンス」「愛をこめて花束を」「ハロー・ハロー」「How Do I Survive」。弾き語った「Last Love Song」。あとはもちろん「Alright!!」に「Dancing On The Fire」。そしてアンコールでやった3曲「マニフェスト」に、ジョップリンの「Piece Of My Heart」、「I Remember」。あとは……って良いのばっかりだな。持ち歌いい曲多いからねぇ。そのうえ聴き惚れるような歌唱力。キーボードは弾くしギターも弾くしハモニカ吹くし。

ロック系ライブは初体験だったムスメは、まずはその大音量にびっくりしていた。
でも2時間半、大好きなSuperflyと同じ空気を吸って歌を楽しめ、本当に満足した模様。もう明日学校に行きたくない、余韻に浸っていたい、とかつぶやいていた。わかるなぁ。
ボクのロック系初ライブは誰だっただろう。中3のときのKISSだったかRod Stewartだったか。その頃の興奮と「同じ場所にいて同じ空気を吸っているなんて信じられない!」という思いは本当によくわかる。

結局、ムスメのファンさ加減に引きずられて行ったくせに、自分でも異様に楽しんでしまった Superfly。
この志帆(Superfly)って子、相当すごいと思う。こういう子が音楽シーンにさりげなく出てくると、日本もアーチストの層が厚くなってきたんだなぁって実感する。音楽業界、不況だけどね。でも、目も耳も肥えた日本の客をしっかり楽しませるこういう子がまだまだ次々出てきているのは頼もしい限りだ。あー楽しかった。

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朝日俊彦先生の講演音声ファイル

2009年12月13日(日) 16:44:54

ツイッターで紹介されたこの講演の音声ファイルが実に良かった。お時間がある方は聴いてみてください。朝日俊彦さんという泌尿器科の医師による講演の模様。この先生の本も読んでみよう。

この先生、この後で末期癌になられたらしいのだけど、そのことはこちらにくわしい(下の方に別のラジオ番組音声ファイルもある。これも必聴)。

今回、義父の死をめぐってボンヤリと「癌って、本人も家族も親族も覚悟と準備ができる、ある意味シアワセな病気」と思ったのだけど(痛みがあまり激しくない場合に限るが)、それに近いお話もあった。要は考え方だなぁ。人生の終え方をどう考えておくか、ということに尽きる。

というか、なんか、明日にでも「死」が来るような、妙な感覚。身近だ。「死」が身近だからこそ、寸秒惜しんでちゃんと生きようと思う。そして「どう死ぬか」をもうちょっと "具体的に" 考えようと思った。先延ばしにしすぎてきた。


義父・山谷陽久の趣味は俳句で、亡くなる寸前まで投句していた。
句文集「富士」という本(自費出版・非売品)を遺していて、それをパラパラめくっていたら、癌告知そして手術前後に読んだであろう句が載っていた。

癌告知受けて出づれば時雨れたり
病院の聖樹に治癒の願ひ込め
手術日の決まりし夜半の虎落笛
術経過告げる医師笑み冬ぬくし
術後とはただ耐える時冬の菊
傷跡の痛みに手添へ冬日浴ぶ

あまり気持ちの裏側をヒトに見せない義父であったけど、告知前後の気持ちはいかばかりだったであろう。

ちなみに、NHK俳句や朝日俳壇で入選した句もご紹介しないと義父があの世で怒りそうなので二句つけておきます。

奥駈の岨道ゆけばほととぎす(NHK俳句)
郭公や己が名前に節つけて(朝日俳壇)

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マリインスキー・バレエ「イワンと仔馬」

2009年12月09日(水) 7:51:46

昨日の募金アプリについて、たくさんの応援やサジェスチョン、ありがとうございます。
こういういわゆる「いいこと」っぽいことって、書けば書くほど「いいことをしているオレ」みたいなアピールに見えてきてイヤなのだけど、もともとツイッター上でオープンに話が始まったこともあり、経過もある程度オープンにしていこうと思います。というか、なぜだかわからないけどとにかく走り始めちゃったので、どうなるかわからないなりに最後までは走ってみます。

まず、税金問題については光明が見え始めていますが、まだまとまってません。今日か明日にはまとめて、デザインも仮に上げて、とりあえず申請できるところまでは持って行きたいところ。いずれにしても年内リリースはアップルの都合で難しいけど、まだルートを探っている状況です。結果はもうちょっとお待ち下さい。

そんな中、昨晩はマリインスキー・バレエへ。
「白鳥の湖」をコンダウーロワヴィシニョーワで見て、昨日で3つ目にしてラストである。あぁロシアに帰っちゃうのね(まだガラがあるけど観に行けない)。

昨晩はワレリー・ゲルギエフがマリインスキー歌劇場管弦楽団を指揮した完全引越公演。ゲルギエフの異様な人気もあり、マイナーな演目なのに会場はほぼ満席。補助椅子が出ていたくらいであった。有名なところでは細川護煕元首相が観に来ていた。

演目は「イワンと仔馬」。ラトマンスキーが新演出したもの。
ラトマンスキーのものはボリショイ・バレエで「明るい小川」というコメディを1年前に観たが(岩田モリ熱演!)、あれよりももっとコミカルで、美術もかなり抽象的でシンプル。興味深かったけど、「白鳥の湖」みたいな「さすがマリインスキー!」って感動はなかったかな。美術と衣装の素晴らしさが活かされてきっていなかったし。というかボク自身、クラシックな舞台の方が好きということもあり。

原作は「せむしの仔馬」という民話で、ロシアでは幼児から大人まで誰でも知っている物語らしい。日本で言ったら「桃太郎」みたいなものか。
たとえば「桃太郎」だったら、犬や猿や雉との出会いや鬼との闘いを有名演出家がどう描くか、世界トップのダンサーたちがどう踊るか、を、日本人は楽しめるでしょ? この作品、たぶんロシア人にとってはそういうものなのだと思う。でもストーリーを全く知らない日本人から観ると、ストーリー的についていくのがやっとで(かなり荒唐無稽で展開も早い)、そのコミカルさも(前提をしらないから)どこか楽しめないのである。仕方がないから途中からはダンスそのものと、色濃いロシア色を楽しむことに徹することにした。サイトでストーリーを熟読していったボクでもそうだったから、ストーリーを知らずに観た人には相当チンプンカンプンだっただろうなぁ。

第一幕は、その独特のコミカルさについていくのがやっとで(ノリについていけないし笑えない)、ダンスも盛り上がる部分が少なく、個人的にはもうひとつ。
ただ、休憩後の第二幕は、姫役のソーモアのダンスが多くなり、火の鳥たちや海の女王たちのダンスなどもあり、イワンや仔馬のダンスの見せ場もあり、かなり楽しめた。ラストのころには「もっと観たい!」と思うくらい。逆に言うと、ラストでようやく盛り上がってきたので、もっと最初から見せ場をたくさんちょうだいよ、という感じ。

ラトマンスキーの振付は、姫のソロがどれもこれも素晴らしいものだった。
ただ、火の鳥たちの群舞はもっともっと盛り上げられるはず。海の女王たちのところも。そこがもっとグッと盛り上がると舞台全体の印象も変わったと思う。あと最後の「熱湯の入った大釜」場面。ちょっとマジックっぽい演出が欲しかったな(イワンが変身する部分。着替えてるのが丸見えなのってどうよ)。

キャストは、姫君役がアリーナ・ソーモワ(とても良かった。ヴィシニョーワっぽい)、イワン役がレオニード・サラファーノフ(これも良い。岩田モリがやったら当たり役になるような役だなぁ)、仔馬役がグリゴーリー・ポポフ(ジャンプが高く安定していて良い)。この三人が大きなダンスをしてくれ、舞台は相当締まったと思う。あと、雌馬と海の女王役に「白鳥の湖」でプリマをやったコンダウーロワが出ていた。海の女王よりも雌馬役の可愛さが目立ったかも。

全体にかわいらしい小品だったけど、民話知識としての共通の土台があったら3倍は楽しめただろうと思うとちょっと残念。皇帝や侍従たちの動きももっともっと楽しめただろうに。

ゲルギエフの指揮はメリハリがあって力強いもの。第二幕などガンガンに攻めていて気持ちよいくらい。彼のシンフォニーとか聴いてみたいな。まぁほとんどチケット取れないのだけど。

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国際理解のための落語会

2009年12月05日(土) 11:01:10

今朝の犬散歩のときに見た雲。これっていわゆる地震雲? ヒコーキ雲にしてはぶっとくて長い。

ぶっとくて長いといえば(汚い!)、数日前の「うちのわんこのウンチ問題」にメールやツイッターでたくさん反応をいただきました。ありがとうございました。
「うちのもそうです!」というのが半分。「そういう犬って初めて聞きました」が1/4。「病気とかも疑った方がいいですよ」が1/4。だいたいそんな感じ。まぁ急にウンチ回数が増えたり、急に壁になすりつけだしたりしたら病気を疑うけど、ずぅっと昔から散歩中は4〜5回ウンチで歩きウンチでなすりつけウンチなヤツなので、これはもう習性ですね(なすりつけはマーキングっぽい)。他にもそういう犬が結構いるみたいなのでホッとしました。というか、みなさん「うちのわんこですー」と写真を添付してくれて楽しかった(笑)

昨晩は、お茶の水女子大学グローバル教育センター主催の「国際理解のための落語会」で落語を聞いてきた。@お茶の水女子大学徽音堂

外国人学生に落語や小噺を利用して日本語を教える、という研究活動の一環としての落語会で(趣旨がすばらしいね!)、外国人学生が小噺を練習して発表したあとに、プロの落語家や紙切り師も来て芸を披露してくれる。

で、そのプロというのが、なんと柳家さん喬師匠(!)
さん喬師匠がハナとトリの二席をやって、柳亭左龍師匠がもう一席、鏡味仙花が太神楽をやり、紙切りを林家二楽がやるという豪華な寄席形式。ボクは仕事で遅れていったので、左龍の「棒鱈」と二楽の紙切り、そしてさん喬の「幾代餅」しか見られなかった。

左龍や二楽の話しぶりからすると、どうやらもう何回もこの落語会に参加している様子(さん喬師匠も)。それどころか提携しているっぽい米国バーモント州のミドルベリー大学夏期日本語学校にも何度か行って落語などをしている様子。こういう草の根の活動が我々の知らないところでちゃんと行われているんだなぁ。すばらしい。観客もそうは多くないからギャラ的にもほとんどボランティアに近いだろうに。

外国人学生が相手という意味では「紙切り」は格好の芸である。
ハサミを使って見事な切り絵を作り上げていくものだが、まぁ寄席ではちょっと地味めの芸。ただ、外国人にはホントに受ける。昨日も大受け。まぁああいう器用さは神業としか見えないだろうなぁ。おおおー!とか歓声が上がるとこちらまでうれしくなる。

柳家さん喬師匠は、実はボクは初めて聞いたのだが、いやぁ本当にホレボレする「幾代餅」だった。絶品すぎて呆然とした。うんまいなぁ…。もっともっとこの人の落語が聞きたいと思った。寄席に行こう。

終了後、NPOカタリバ代表理事の今村久美さん(アジア版「TIME」誌の表紙になってる!)も加わり、5人でご飯。松井さんの官房副長官就任のお祝いをずぅっとやってなかったので、親しい仲間で集まっての小宴だった。

なんだか最近「教育」に急に縁が出てきた。
演劇教育を推進する平田オリザさんや「よのなか科」の藤原和博さんとの出会いもそうだし、今村さんが代表をやっているNPOカタリバもすばらしい教育プログラムの実践で知られている。昨日の「国際理解のための落語会」も教育の一環だし、最近は広告学校系でのレクチャーも増えた。青学オープンカレッジのスタッフも友人にいていろいろ話を聞いているし、そういえば来年はある大学の非常勤講師も勤めることになった。

「思いも寄らない流れにはとりあえず乗ってみろ」というのはボクのモットーでもあるが、これも「思いも寄らない流れ」なのかもしれない。「教育」か。まぁ向き不向きから言ったらわりと向いているとは思うけど…。

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マリインスキー・バレエ「白鳥の湖」(ヴィシニョーワ)

2009年12月01日(火) 8:42:48

昨晩、サンクトペテルブルグのマリインスキー・バレエ団による「白鳥の湖」に行ってきた。@東京文化会館(上野)

今回はヴィシニョーワがプリマ(主役の白鳥/黒鳥役)。
ヴィシニョーワは「ロミオとジュリエット」を観たことがあるが、これが実に魅力的なジュリエットだったので白鳥にも大期待だった。先週行ったコンダウーロワの白鳥に比べてどうだろうか。

マリインスキーの「白鳥の湖」全体についての感想は先週書いたのでそちらを読んでいただきたいが、今回も感嘆のし通し。本当に世界最高峰だなぁ…。衣装から美術から群舞からすべて素晴らしい。今回は席が前の方だったこともあり、演技の詳細をきちんと見られたが、手先・足先まですべて気が行き届いていて本当に美しかった。

この、世界最高峰の「白鳥の湖」で、主演がこれまた世界最高峰のひとりであるヴィシニョーワなのに、なんと会場には空席が1割ほども! ありえないなぁ。ロシアからわざわざ来てくれているのに…。まぁでもバレエの現状ってこういうことなのかもしれない。ボクも本場ロシアで衝撃を受けるまでは「バレエ? ケッ」って感じだったし(笑)。まさかここまで好きになる未来が来るなんて10年前には思いもしなかったしな。そのうえチケット高いし。不況だし…。わかるけど。わかるけどモッタイナイ。こんなに楽しく美しい芸術なのに。

でも、メールをいただいただけで3人、ボクを信じてマリインスキーの「白鳥」を観に行ってくれたみたい。3人ともものすごく感激して長いメールをくれた。いやー、本当に今回のマリインスキーの「白鳥」はいい。特に初心者にうってつけだったのだけど。こんなに空席があるのは残念だ…。

それはともかく、ヴィシニョーワの「白鳥」。
マリインスキーで言うならば、以前観たロパートキナの白鳥、そして先週観たコンダウーロワの白鳥と比べてどうだろうとワクワク。ヴィシニョーワは「ロミジュリ」で大ファンになっているので超期待した。

で、第一幕の湖畔のシーンではもう期待を上回る出来で、マジで涙が流れた。
ボクも広告業界で四半世紀生きてきたので、いい加減スレているオッサンなのだが、そのオッサンが泣くくらいなんだから、その良さは想像していただけると思う。白鳥の恥じらいと驚きと歓喜。白鳥の想いが美しい音楽とともに心になだれ込んでくる。ヴィシニョーワは繊細に美しく完璧に表現しわけ、一寸の隙もない。コンダウーロワのは「美しいダンス」。教科書的に美しく隙がなかったが、ヴィシニョーワのはダンスを越えて「素晴らしい演技」だった。あぁバレエとは「言葉のない芝居」なんだと再確認。ダンスは主ではなくて従。演技が主。それを感じさせてくれる表現だった。最高。

それが第二幕では一変してしまったのだから、バレエとは難しい。
まず黒鳥が似合わない。可愛らしすぎて「魔性の女」的な部分が感じられない。しかも王子役のコールプが手を引っ張りすぎてヴィシニョーワが転ぶというハプニングがあり、そこからダンス自体も堅くなってしまった(というか、陶然としていた観客がそこから少しハラハラ観るようになり、その空気を受けてヴィシニョーワ自体も緊張した感じ)。有名なグラン・フェッテに至っては「ミスを取り返すのよ!」って感じの必死さが前面に出てしまい、確かに凄かったのだけどちょっと引いた。あぁいろいろとチグハグになってしまったなぁ。ものすごく残念。

第三幕は落ち着きを取り戻し、なかなか良かったかも。今公演ではハッピーエンドなのだが(この演目、バレエ団や演出によって様々なラストがある)、最後の「白鳥から人間に戻った驚きの表現」がとても上手だった。この可憐な感じはヴィシニョーワの真骨頂だなぁ。

ということで、全体ではコンダウーロワの回の方がまとまっていて満足度が高かったかも。第一幕に限って言えばヴィシニョーワの圧勝だったけど。

王子役のコールプは個人的に顔がダメだった(笑)。ダンスは安定していて良かったかな。でも無難な感じ。
その他のキャストは前回とほぼ一緒(前回のプリマであるコンダウーロワが群舞で参加していた!)。ロットバルト役のイワン・シートニコフは相変わらず素晴らしい。道化のラフェエル・ムーシンが物足りないのも同様。王子の友人たちのヤナ・セーリナとヴァレーリヤ・マルトゥイニュクが良かった。

あとは、8日にラトマンスキー振付の「イワンと仔馬」を観に行って(8日はゲルギエフが指揮する!)、今回のボクのマリインスキー観劇は終了。
人気演目「白鳥の湖」でこの入りだから、「イワンと仔馬」は壊滅的なのかも。まぁ「イワンと仔馬」が面白いかどうかは未知数なのだけど、時間とお財布に余裕があるかたは是非! 最高峰を体感するだけでも価値はあるはず。→公演スケジュール

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兵庫県立ピッコロ劇団「モスラを待って」

2009年11月28日(土) 19:33:36

全国初の県立劇団である 兵庫県立ピッコロ劇団の東京公演「モスラを待って」を観劇してきた。
平成19年度文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞受賞作品(ものものしいな)。今回の東京公演は明日まで。明日はまだ席が若干あるらしい。こういう地元に密着した劇団は応援したい。しかも昔住んでいた西宮の劇団だからね。

会場の「あうるすぽっと」は、移転した「東池袋 大勝軒」のちょうど真ん前のビルにある新しい劇場。
14時開演だったので約20年ぶりに「大勝軒」で食べてから行った。ラーメンはほとんど詳しくないんだけど、一時再開発で閉店してたんだよね? 今年の頭だったかに移転&復活したと聞く。有名な山岸さんも店頭の券売機横にニコニコ座っていた。巨大なパンダのぬいぐるみみたいで可愛い(失礼!)。大行列で有名な店だったが、今日はほとんど行列もなくすっと食べられた。つけ麺もいろんな店が出来たからなぁ…。

で、満腹になってピッコロ劇団。
この「モスラを待って」は、脚本家・鄭義信がピッコロ劇団に書き下ろした作品で、演出は「南河内万歳一座」の内藤浩敬である。
南河内万歳一座かぁ……なつかしいなぁ。大阪勤務時代に何回か観に行った。大阪は小劇団が盛んで、槍魔栗三助(やりまくりさんすけ:現在の生瀬勝久)がやっていた「そとばこまち」とか、まだ超無名だった「劇団新感線」(古田新太や羽野晶紀や高田聖子なんかが所属)とかよく観に行った。売れない役者さんたちにボクが作ったラジオCMに安く出てもらったりしてたっけ。古田新太さんとかとてもよく出てもらっていた(「第三舞台」の人たちにもよく出てもらっていた)。

とか、回想に浸っている間に公演が始まった。
映画(「帰って来たモスラ」)の撮影現場(しかも大晦日)のドタバタを軸に、様々な人間模様を詰め込んだコメディ。題名からして「ゴドーを待ちながら」的なのかなと予想していったが、そんな不条理劇ではなく、いろんな要素を詰め込みつつも、かなりわかりやすい人間模様となっていた。このわかりやすさはちょっと昭和ちっく。

ただ、全体に少し吉本新喜劇的なノリがあり、東京のお客さん的には空回りしていた部分はあったかも。
大阪勤務が長かったボクは「前のめりで笑いに行く」ことを知っているからまだしもだったが、演劇を「鑑賞」しちゃう東京のお客さんから「軽い笑い」を取るのは至難の業。その辺、少しかわいそうだったかもしれない。これ、観客のノリ次第でもっともっと面白くなるのにな。

素晴らしかったのは主演(客演)の剣幸。
いやー、この人、宝塚劇団トップスター時代(ウタコ時代)、わりと惚れて観に行っていたんだよなぁ。懐かしかった…。でもって、抜群の存在感と歌唱力でほとんど持って行ってしまった状態。実にうまかった。コミカルな演技も抜群。あぁもっとこの人の舞台が観たい!

出演は他に山田裕、平井久美子、橘義、森好文、木村保、吉村祐樹、杏華、今井佐知子など。みんな達者で安定していたが、やっぱりその大阪ノリが東京では空回り気味で、そこが惜しかったかも。笑いが来ないからみんな焦っちゃって、もっと空回りが進行した感じ。大阪か西宮で観たらまったく違う空気だっただろうなぁ。惜しい!

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クレルがついにダメっぽい

2009年11月25日(水) 8:02:54

アポジーのスピーカーをクレルのメインアンプで鳴らし、プリアンプはチェロ、CDプレイヤーはマッキントッシュ、というちょっとアンバランスなラインナップで音楽を聴いているが(阪神大震災で壊れて以来こうなった)、アンプのクレルがとうとうダメっぽくなり、メインアンプだけ買い換えることを検討しだした。

平面スピーカーのアポジー(カリパーシグネチャー)も相当へたっているが、これを替えるのはまだイヤ。理由は愛してるから(笑)。

となると、カリパーシグネチャーを充分鳴らせるくらい力が強くて、しかも相性がいいアンプを探さなければいけない。

もう最近では「Stereo Sound」なども読まなくなってしまったので、今のトレンドや今人気のアンプとか知らないのだけど、どなたかサジェスチョンいただけませんか?

って、オーディオに興味ない人には全くわからない話でスイマセン…。

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「ハイペリオン」再読

2009年11月24日(火) 9:17:56

THE ANSWER鈴木剛介の「THE ANSWER」は、世界中のすべての問いに答えようとする超野心的な哲学エンターテイメントであるが、その過程において「言葉」が重要なファクターとなっている。というか(乱暴にひと言で言っちゃえば)すべての始原を「言葉」と位置づけ、それ自体を答えとしている。それは正しい、と、心のどこかで膝を打ちつつ、心の別の部分では疑問が渦巻いた。

たとえば「共感」という「言葉を経由しない感情」はどうなのだろう。ボクにとって「共感」は「言葉」の母であり、共感から言語が生まれたのではないかと思っている(あまり深く "哲学" してはいないのだが)。そして「共感」こそ、人間を人間たらしめているものなのではないかと思っている。まぁ「THE ANSWER」はかなり緻密に書いてある本なので、中にそういう記述があったのかもしれないが(しばらく置いておいてから再読してみたい)、ざっくりとした読後印象はそんな感じ。←たぶん読みがまだ浅い。

で、唐突に「ハイペリオン」4部作を再読したくなった。
ダン・シモンズの傑作「ハイペリオン」4部作。SFではボクの中でJ.P.ホーガンのシリーズと双璧なくらい大切な作品で、もう3回ほど通読しており(1部あたり2段組500ページ超なので再読するにも体力と気力がいる)、今回やったら4度目の再読になる。

ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)なぜそんな気持ちになったかというと、この物語の中で、機械(コンピューター)の神と人間の神が争うのだが、人間の神の唯一の武器は「共感」なのである。ただ、「言葉」も重要なファクターであり、ジョン・キーツ(実在する偉大な詩人)とマーティン・サイリーナス(重要登場人物のひとり)の「詩想」に世界のすべてが収束していく。「共感」と「詩想(言葉)」。これをどう位置づけて物語が進行したか。ここにどう上下関係(前後関係)があったのか。この辺の視点からあの物語を読んだことがなかったので、もう一度読み直してみよう、となったわけ。

で、ここ2週間くらいか、再読している。
昨日、第2部「ハイペリオンの没落」を読み終えた。これから3部4部の「エンディミオン」に入っていくが、ここからはもっと「共感」に寄っていったはず。2部が終わった時点としてはですね、ええと、よくわからん(笑)。サイリーナスの言いまわしが思わせぶりすぎて、キーツのほのめかしがわかりにくすぎて、筋を理解するだけでボーッとなり、言葉と共感の関係性まで読み取れない(これだけ難しいのに、これだけ飽きさせない物語も珍しい)。

でも、やっぱり思うのは「言葉」はコンピューターも人間も使えるが、「共感」だけは人間特有のものであるということ(一部の動物も持っているが)。そこに大事な始点がある気がする。4部まで読み終わったら今度は「THE ANSWER」を再読してみよう。この本には考えるいいキッカケをもらった。考えること、つまり「哲学」すること。そういう意味では実に『哲学」な本である。


というか、余談になるけど、「ハイペリオン」シリーズには本当にそうなりそうな未来がいっぱい入っていることに、いまさらながらビックリするな。映画「マトリックス」的なものも、ホーガンの「内なる宇宙」的なものも含めて、1989年発刊時点で、つまりグーグル誕生のはるか以前な時点で、これだけの予想(予言)をしていることに本当に驚くな。まぁウィリアム・ギブスンみたいな先人もいるわけだけど、それにしても。

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マリインスキー・バレエ「白鳥の湖」(コンダウーロワ)

2009年11月23日(月) 21:48:18

来日中のマリインスキー・バレエに行ってきた。@神奈川県民ホール。

30日にもヴィシニョーワの「白鳥の湖」を観に行くのだが、今日のはまだ無名のコンダウーロワの「白鳥の湖」。若手がチャンスをもらうと一所懸命に踊るので意外と良かったりする。そして今日のはまさにそうだった。

ボクのバレエ経験は6年前のモスクワ旅行から始まっており(ボリショイ・バレエを6ステージ観劇)、岩田守弘くんが所属していることもあって圧倒的にボリショイ・バレエが好きなのだが、サンクトペテルブルグを本拠地とするマリインスキー・バレエも同じロシア・バレエなのでもちろん嫌いではない(この街にも行ったし)。
ただ、バレエ団の性格は多少違って、ボリショイが「情熱」ならマリインスキーは「冷静」。マリインスキーは、群舞の揃い方も、演出の精緻さも、踊りの端正さも、ボリショイより一歩上かなとは思う。迫ってくる熱さがあるボリショイの方が好きだけど、マリインスキーも観ていて惚れ惚れする。

今日の「白鳥」もまさにそうだった。
いやー、美しかった。まず、衣装、照明、そして舞台美術の美しいことよ。衣装はボリショイより数段上のセンスかも(ボリショイはいい意味でも悪い意味でも野暮ったいところがある)。美術も感嘆しどうしだったけど、第1幕第2場の湖水のシーンで、白鳥の模型が湖面に映って見える演出はとても新しかった(いままで見たことない!)。

舞台演出も上手。よく整理されていてわかりやすいし、とても写実的で観ていて楽しかった。ラストはハッピーエンドを選んだが、これも(マザコンの王子が急に強くなるのはどうかと思いつつ)まぁわかりやすいし、いいラスト。

そして、あまり期待しなかった白鳥役のエカテリーナ・コンダウーロワ!
この人、入団してから6年間も群舞(コールド)だったらしく、そこでの努力が認められて主役に抜擢されたとか。応援したくなってしまう(群舞からプリマドンナになるのは希有)。
1幕2場の白鳥シーンではちょっと老成していると思ったくらいな安定感があるダンスで、それが逆に「教科書的」に見えてしまい「どうかなー」と思ったのだが、2幕の黒鳥で印象が一気に覆った。妖艶かつ蠱惑的な黒鳥が見事に表現された。静と動を上手に演じ分けたなぁ。3幕のラストも良かった。どちらかというと哀しみの演技がもうひとつだが、これだけ安定感があればこれからどうにでもなる。今後に期待。ちょっとファン化。

あと、ロットバルト役のイワン・シートニコフが出色だった。王子役のダニーラ・コルスンツェフはまぁまぁというところ(ダンスは下手だけど存在感はあった)。道化役のラファエル・ムーシンは、どう贔屓目に見ても岩田さんにはテクニックで勝てず、かといってキャラも立っておらず少し残念だったかな。道化役って舞台を締める意味でとっても大事なのだと改めて確認。

とにかく、全体によくまとまった美しい舞台で、舞台演出的にはいままで見た「白鳥」の中でトップクラス。さすがマリインスキーという感じ。同じ演出でのヴィシニョーワの「白鳥」がいまから楽しみだ! うぅ、うれしいなヴィシニョーワのオデット。

ちなみに、マリインスキー・バレエの日本公演は12/11まで長々と続く(公演日程はこちら。東京・横浜以外では愛知・富山・滋賀・兵庫)。
今日のなんて空席もあったからね。モッタイナイ! 世界最高峰が向こうからわざわざ来てくれているのである。是非!

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娘と「ニュー・シネマ・パラダイス」

2009年11月22日(日) 23:16:30

一日中ずっと原稿を書いていて、粘りに粘ったのだが、どうにも前に進まない。芋虫が蜂に刺されてのたうつように数編仕上げたけど、読み返してもなんかノリが悪くクオリティが低い。んー、軽い旅エッセイ本なのになぁ。書けない時期なのかなぁ。でも〆切近いしそうも言っていられない。

とはいえ気分転換も必要だ。
今日は妻が実家に行っているので、中3の娘と二人きりの夕食。「なにかDVDでも観ようか」ということになり、前から観せたかった映画「ニュー・シネマ・パラダイス」をふたりで。完全オリジナル版の方なので3時間。ふたりで号泣しながら、ついさきほど観終えた。

……娘といっしょに「ニュー・シネマ・パラダイス」を観て、そのあとエンニオ・モリコーネの音楽をかけながら感想を語り合うのなんて、人生の至福のひとつではなかろうか。

いまはこの映画のテーマについてふたりで話してる。
昔書いたボクの映画評はこちら「座右のシネマ」コーナーの中では一番アクセスが多いかも(「パリ・テキサス」のも多い)。

今日はもう原稿は書かずに寝よう。いい夜だった。

※追記:結局25時30分くらいまでふたりで話してしまいました。

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煙が目にしみる

2009年11月16日(月) 8:45:38

ええと、金曜に宣言した背水の陣としては3章書かないといけなかったんですが、結局2章ちょいしか書けませんでした…(ダメじゃん)。でも! 読売新聞の連載コラムは書いたので、合わせ技で3章かと自分では思ってます(自己正当化)。まぁ実際のところ、全体構成とかも作ったから、わりといいところまでは行ったかな。とはいえ背水の陣違反なので、バツとして今日中にもう1章書くことにします。書けよ、オレ。

昨日書いたように、原稿書きのお供はずっとマイケル・ジャクソンだったのだけど(特に「トリビュート・ダンス」の感動的な映像)、夜になってまったく唐突に映画「Always」(三丁目の夕日ではなくて、リチャード・ドレイファスとホリー・ハンターが主演してスピルバーグが監督したヤツ。オードリー・ヘップバーンが出た最後の映画)の中で歌い手役の J.D.サウザーが歌った「煙が目にしみる」が聴きたくなって(プラターズではなくサウザーのが聴きたかった)、たしか iTunes に入れていた気がすると思って調べたけど入れておらず、昔のカセットテープとか探して聴くのも大変なので YouTube を探してみたら、あったよ、あった、これだこれ(映像は動かないけど)。ついでに懐かしい予告編なんかも見たりして、うっとりしてた。昔、リチャード・ドレイファスってすごく好きだったな。「コンペティション」とか「グッバイガール」とか、観たい・・・

煙が目にしみるといえば、土曜日の講義(広告系学校での授業)帰りにコーヒーはおいしいけど喫煙者が多い喫茶店(青山の「大坊喫茶店」)に寄ったんだけど、そこでカウンター隣の女性がまったくこちらに気をつかわず長く置きタバコしていて、その煙がちょうどボクの顔のあたりに来ていて、本当に煙が目にしみた。
おいしいコーヒーとタバコはゴールデンカップルらしいので気持ちはわかるけど、その煙、おいしいなら全部吸い込んでくれよ。そしてボクに吸わせないでくれ。そんな気持ちを込めてツイッターに「タバコ吸うなら煙をすべて肺に吸い込んでほしいと思う、美味しい珈琲屋のカウンターなう。」と書いた。そしたらツイッター返信やメールがたくさん。タバコの話題を書くと反応が激しいな。嫌煙派からも愛煙派からも中道派からも(以前「おしぼりで鼻をふさげ」とか「嫌煙はやめようよ」なんて書いたときはそれはもう…)。

もちろん喫煙オッケーの喫茶店だから文句を言う筋合いはないかもしれないし、タバコを真っ向から否定するわけでもない。でも、そこ、喫煙席ではなくて「自由席」なんだよね。禁煙派も近くにいる。だからせめて煙の行き場に注意するとかは最低限してほしい。

せっかくのおいしいコーヒーが楽しめなくなったのですぐ店を出て別のカフェへ。あぁオバマはもう帰っちゃうんだなぁと思いつつお茶を飲んだ。同じ年の彼のプレッシャーを思えば何でも出来るはずだよなぁ、と、ぼんやり思う(だけの)ワタクシ。精神的にちょっと端境期な感じ。

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Michael Jackson Dance Tribute

2009年11月15日(日) 12:43:26

ひーひー言いながら原稿書いてます。
いやウソ。わりと楽しんでる。読売新聞用のコラムはとりあえず書き終えたので、いま単行本に移っているところ。

ちょっと集中力が途切れたり気持ちが萎えたりすると、いまさらながらに「Michael Jackson Dance Tribute」を見て気持ちを奮い立たせている。

ええと、どれが最初なんだろう。このストックホルムのかな。「関連動画」から次々いろんな土地のが見られるので(オフィシャルだけでもたくさんある)、昨日から順々にゆっくり見ている感じ。「Beat It」だけでなくいろいろある。道路を占拠するブカレストのも好きだし、子供がやってるモントリオールのも好き。映画「This is it」の「Beat It」のシーンも思い出しつついろいろ見て、で、最後にマイケルの元素材を見て、またストックホルムに戻り、という感じ。

なんだか号泣できるし(笑)、なにより勇気が出る。
世界は捨てたもんじゃないし、きっともっと良いものになる。人間は愛すべきものだし、音楽は偉大だし、ネットは世界を根本的に変えつつある。そしてなによりマイケル・ジャクソンの遺したものの凄さに身震いする。

大勢でのインスタレーション(?)的なものとしては「Frozen Grand Central」が有名だったりするが、この「MJ Tribute」は、ちょっと「Free Hugs」にも似てるよね。傍観者ではなく当事者になりたいし、なれるツールをボクらは持っている。あとはアイデアとやる気だけ。文句や批判を言うヒマがあるなら動こうと思う。

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マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」

2009年11月09日(月) 7:25:38

先週の頭だったか、マイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」を観てきた。

ライブを撮った映画として、たとえばローリング・ストーンズの「シャイン・ア・ライト」がある。
マーティン・スコセッシ監督の名作だが(ボクは機内映画で観た)、これにはライブが始まる数分前までセットリスト(演奏曲順)も決めないストーンズの姿が描かれている。出たとこ勝負というか、ある種のライブ感はそこから生まれるのだとも思うし、彼らのシンプルなステージゆえのことでもあると思う。

マイケル・ジャクソンのステージ作りはその真逆。
まるで精密機械を組み立てるように、繊細に、計算づくで、細かく細かく考えられている。なのでリハーサルも超緻密。映像とも連動するので、秒単位でタイミングなどが決められていく。その緻密さゆえ、リハーサルが繰り返され、それをつなげたこの映画も2時間飽きさせず成立している(ほとんど本番に近いステージが再現されるため)。

映画の中で特に強く印象に残ったのはふたつ。
まずはマイケルの謙虚さ。暴君であっても全員ついてくるだろうに、あくまでも謙虚かつ優しく、細かい気遣いを欠かさない。ちょっと気の毒になるくらい周りの人間に気を遣っている。その姿がとても印象に残った。北風と太陽なら完全に太陽。こういう感じ、たぶん21世紀的。

もうひとつは「Beat It」のシーン。なぜか涙が出た。マイケルと同じステージで踊りたいがために集まったバックダンサーたち。彼らはものすごい倍率のオーディションをくぐり抜けただけあってみんな異様にうまいのだが、そんな彼らがマイケルのバックで「Beat It」のあの有名な振り付けをマイケルと一緒に踊るのである。
このシーンではバックダンサーたちの顔を追ったりはしてないのだけど、バックダンサーたちの気持ちを思うと泣けた。子供のころに見てマネして憧れたであろうあのダンスを、今、マイケルと一緒に踊っている自分。うれしかっただろうなぁ。それを思うとなんだかね。

2時間まったく飽きなかったが、最後をメッセージ的に締めくくったのは蛇足だったかも。マイケルのステージと映像を観ていれば自然と伝わることである。それだけが少し残念な他はとてもよく出来た映画だった。モノづくりに関わっている人は観たほうがいい映画。自分の姿勢が問われるという意味において。

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聖☆おにいさん

2009年11月07日(土) 8:56:23

朝5時に起きて仕事メール打ってたら蚊に刺された。
この寒いのによく粘って生きてるなぁ、とか感心しつつ、足の小指で今まさにチューチュー吸ってる小さな蚊はやはり憎い。かゆいのもイヤだ。でも殺せないなぁ。「こういう季節はずれに飛ぶ蚊は『あはれ蚊』と呼ぶの。殺してはいけないよ」って、亡くなった祖母がよく言ってたし。早く満腹になって去ってくれ。つか、かゆっ。

昨日は酒も飲まず外食もせず、まっすぐ家に帰った。
家のMac前に静かに座り、ずっと感じていた「『この週末にしないといけないこと』『来週するべきこと』が莫大なのではないかという予感&悪寒」にまっすぐ向き合ってみた。目をそらさずに一度現実を見ようよ! で、書き出してみた……。な、なんじゃこりゃぁ!

そのまま呆然とMacをスリープにして食卓に行き、録画していたドラマ「リアル・クローズ」を見て現実逃避し、娘に借りた漫画「聖☆おにいさん」の新刊を読んで浮世離れした。さよなら現世。しばらく呆然としたあと気を取り直し、「ニューシネマパラダイス」のサントラ盤を流して自己憐憫に浸り、ようやく現世回帰。うん、わかったよ、逃げずにちゃんとやるよ…。

しかし「聖☆おにいさん」はおもろいなぁ。
聖人たちが普通の感情を持つ一般人として描かれながら、でも、きちんと歴史や伝説を背負った聖人キャラとなっている。その辺のバランスが絶妙。エピソードの取り入れ方も絶妙。ギャグもおもろい。全巻そろえて何度か読みたい気分。

さて、今日は講演一本と演劇一本と宴会一本。その前に朝ランとジム。その合間に原稿と企画書。ちゃんとやります(きっぱり)。

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岩田さんが勲章をもらった

2009年11月05日(木) 9:22:00

岩田さん、勲章もらいましたね。
ニュースだとココ。彼のブログだとココ(←数回に分けてとても面白い実況)。

ボクがさなメモで取り上げないので、何人もの方から「もしかして気がついてない?」とメールをいただきましたが、ええとずいぶん前にさなメモのどこかで書いて満足しちゃってました。初夏の時点でもらうことが決まっていたので、なんかずいぶん前のことのような気がして。
でも何度も書いていいくらいスゴイこと。あの文化大国ロシアで勲章をもらうって本当にスゴイ。メドベージェフ大統領から直接もらったんだもんなぁ。スゴイなぁ。どのくらいの高みにいるんだか。勲章、今度来日したら見せてもらおう! ちなみに次の来日は来年の3月。アナニアシヴィリと「ロミオとジュリエット」を踊る。すごい楽しみ。詳細はジャパンアーツへ。

昨晩はちょっと飲み過ぎて、電車の中でもフラフラ。最寄り駅から家までもいつもの3倍以上時間がかかったくらいの千鳥足。で、家に鍵あけて入ったところまでは覚えているけど、あとは記憶なし。ふと「なんか寒い〜」と目が覚めたら朝4時で、リビングのフローリングの上でした。ブルゾン脱いで薄着で床寝。体中が痛い。というか風邪ひいちゃうよ。

ちょっと体調が下降気味な上に、ワインをパカパカ飲んでしまったのが原因。いや〜酔った。でも料理はまぁまぁおいしかった。赤坂の「コム・ア・ラ・メゾン」。小さくてカジュアルなビストロだけど、ランド地方の料理がなかなか良い感じ。最近バスクとかランドとかの料理を食べる機会が多い。もしかしてあそこらへんに呼ばれてるかも。来年か再来年には行っちゃいそうだ。

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コッキーポップな夜(コッキーポップだけじゃないけど)

2009年11月02日(月) 6:51:59

大食いした翌日はゆっくりするに限る(笑)
ということで、昨日はほとんど活動せずボンヤリ&ユックリしてました。夜にジョギングしてきたけど、それも4キロほどを超ユックリ。その後、夜ご飯後はなんとなくYouTubeサーフィンしてた。

先週に小宮山雄飛くんに会ったからなのか、さぬきうどん巡りをしている間ずっとホフディラン「遠距離恋愛は続く」「恋はいつも幻のように」が耳から離れなかったんですね。で、まずそれを聴いて、そこからいろいろ巡っているうちになぜか浜田省吾に辿りつき、「悲しみは雪のように」とか「愛という名のもとに」とかを涙ボロボロ流しながら聴いた(笑)。大学生時代の深夜にクルマで環七とか環八とか走っていたころがリアルに思い出される。♪眠れぬ夜は電話しておくれ ひとりで朝を待たずに 真夜中のドライブイン 昔のように 急いで迎えに行くよ〜

で、なんとなくチューリップの「青春の影」が聴きたくなり、1976年の映像に辿りついた。うわー財津が若くてカッコイイ!と思いつつ、そのまま1976年の丸山圭子「どうぞこのまま」へ。いいなぁ。そして高木麻早「ひとりぼっちの部屋」へ移っていき、必然的にポプコンへ。

ポプコンというかニッポン放送の「コッキーポップ」でよく流れてた曲ですね。
まず柴田まゆみの「白いページの中に」を聴いて、次に石川優子の「沈丁花」、もとまろの「サルビアの花」、大友裕子の「傷心」、谷山浩子の「カントリーガール」、門あさ美の「ファッシネイション」。あとは伊丹哲也とSide by Sideの「街が泣いてた」とかチャゲアスの「ひとり咲き」とかツイストの「あんたのバラード」とか。

んでもって、いやーまさかないよな、と思って小野香代子を検索してみたら、あったよあった!
1977年のポプコン・グランプリ「さよならの言葉」

これ、好きすぎて鼻血出そう。八神純子がカバーしたのも好きだったけど、やはりこのオリジナルには叶わない。10年以上前、サイトを始めた初期に「小野香代子のこの曲が大好き」と書いたら、ある出版社の方からメールやテープを送っていただき、その後もおつきあいが続いていたりする。それどころか「小野香代子は私の叔母です」というメールももらったっけ。

で、そこから八神純子の名曲「夜間飛行」に行き、つーか「夜間飛行」はちあきなおみだよなぁ、と変な方向に流れ、夜の空つながりでなぜか岩崎宏美の「銀河伝説」を聴いて泣き、姉妹つながりで岩崎良美の「タッチ」「涼風」に行き、なんとなくアイドルつながりで金井夕子(あったよ!)の「パステル・ラブ」へ行き・・・、と、無節操に夜が更けていったのでありました。

最後の方は須藤薫の「Rainy Day Hello」を何回も聴き、麗美の「愛にDESPERATE」を聴いた後、中原めいこ特集に移りゆき(「FANTASY」とか「2時までのシンデレラ」とかね)、一番最後はEPOの「12月のエイプリル・フール」だったかな。深夜1時ころまで。相当ひとり上手だね。なんか独居老人になっても楽しく生きていける気がしてきたよ。

つか、リンク張るの疲れた(笑)

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プロへの道

2009年10月26日(月) 7:05:27

娘の通っている中学高校の学祭があり、それを見学に行ってきた。
いわゆる文化祭的な学祭で、各教室でいろんな部が発表を行う形式。娘は写真部なので写真部の教室をいの一番に見に行き、その後だいたい全部の教室を見学した。こういう展示って作るのって楽しいよね。昔を思い出しながら。

娘が特に勧めてくれたので、講堂でのダンス部の公演「ヘラクレス」も観た。約1時間の大作。
整理券が出るくらいの人気で、30分以上並んでようやく入場。満席である。まぁ女子中高生がやることだからたいしたことはないと先入観をもって見始めた。しかしこれがなかなかスゴイ。「ヘラクレス」はディズニー映画で、それを舞台用に焼き直し(音楽は映画のまま使用)、いわゆるブロードウェイ・ミュージカルみたいに作り込んであるのだが、まずダンスが予想以上に素晴らしい(振付も)。ふーん、なんかもう「出来てるじゃん」と思った。一応「プロ」として観ての印象。

もちろん児戯に等しいダンスをする子もいる。部活だもん初心者だっているだろう。でも主役級の数人はこのまま有料の舞台でも行けるのではないかと思わせる奮闘ぶり。うまいなぁ。ダンスも演技も笑顔も素晴らしい。この分野、日本でも少しずつ層が厚くなって来始めたみたい。

とはいえ、いざ将来の進路として「ダンス」「ミュージカル」を考えたとき、日本では劇団四季くらいしかプロの道がない。宝塚はもっと早く入学しないとダメ。バレエやモダンダンスで食べていくのは小さいときからの積み重ねが必要(というか世界トップクラスでないと食べていけない)。あとはアーチストのバックダンサーか舞台俳優かな。まぁ世界的に競争率の高い分野ではあるのだけど、日本ではあまりにプロへの道が少ないよなぁ。

「夢はかなう」とか「やりたいことをしろ」って言われても、選択肢がない社会ではやりようがない。
だからみんな「つぶしがきく」という意味で普通に大学に入り、そのままなんとなく埋もれていってしまう。主役級のふたりなんか専門的に数年磨けばプロでやれそうだと思ったけどなぁ。でも受け皿がない。才能とやる気のある子にとっては可哀想な話だ。

幸いにもここ20年、国境の壁はどんどん薄くなり、先駆者もどんどん道を切り開いてくれ、海外に出て行くという選択肢が身近なものとなった。アメリカに行くのが一番かもね。日本で日本のお客さんを相手にするより楽しいかもしれない。スタイルも運動神経も外国人の方が優っている場合が多いから、その中で勝ち残っていくのは大変だけど、最初から世界が相手というシンプルさもある。

大拍手を受けてステージの快感に魅せられた風の、あの才能ある子たちは、どんな未来を選ぶのだろう。

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岩田守弘くんの記事

2009年10月19日(月) 8:03:59

書き忘れてましたが、岩田守弘くんの記事が先週の産経新聞に大きく出てましたね。
ネット上でも読めるので、いつリンクが切れるかわかりませんがリンクしておきます。「『話の肖像画』50まで踊りたい(上)」「『話の肖像画』50まで踊りたい(下)」

長くメディアに全く取り上げられなかった人なので、こうして大きく取り上げられると感慨もひとしお。ホント、野球だったらイチローみたいな人なので、もっと注目されるべき。
いまはモスクワで日々踊っている岩田モリ。最近、新たに「ワクワクすること」を考え始めているみたいなので、また応援したいと思っています。モスクワに応援に行けるかな?(笑)

ボクはといえば、昨日の午前中、深夜、今日の早朝と、人が書いた論文の添削にずっと身を窶してました。って、こんな文字に転換されたよ。身をやつす、の「やつす」ってこんな漢字なのね。初めて知った。

この添削、ボランティアな上に不馴れな分野が題材。最初は入り込むのに苦労した。でも読み込んでいくうちにいろいろと視野が広がって良かったかも。お堅い論文ではあるのだけど、ボクが手を入れると文章が易しくなりすぎるので、適度に抑えながらじっくり添削(というかほとんど推敲)。人の文章を直すっていい頭の訓練になる。

土日は朝ランしたんだけど(5キロずつ)、平日だとまだ勇気がいる感じ。疲れちゃったら仕事にさわるし。でも天気もいいしなぁ。んー。とか迷い中。

あぁ今日は珍しく短く終われそうだ(←これでも一応意識をしている)。というか細かい添削で目が痛んだので、今日はこの辺で。

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完成しきったメディア。出来上がりつつあるメディア。

2009年10月16日(金) 7:15:17

パーティ嫌いなボクにしては珍しく、昨晩はパーティのハシゴをした。
ひとつはもうとっくに完成して成熟しきってしまったメディア。もうひとつは今まさにメキメキ成長している伸び盛りのメディア。短時間にハシゴして何だか感慨深かった。

まず18時半ごろに谷崎潤一郎賞・中央公論文芸賞の贈呈式に出かけた(@東京會舘)。
中央公論新社に知り合いがいて「ちょっと文壇系の集まりも経験してみない?」と誘われたのである。

こういう文学賞の授賞式みたいのを見に行くのは初めて。
中央公論文芸賞は村山由佳の「ダブル・ファンタジー」(谷崎潤一郎賞は該当者なし)。ボクが会場に着いたときには彼女の受賞スピーチも終わっており、歓談&立食の時間に突入していた。お、林真理子がいる。あ、渡辺淳一がいる。わ、浅田次郎がいる。と、一応文学好きなボクとしてはミーハー的なワクワクもあった。あとは編集者と思われる方が多数。銀座のクラブのおねえさまたちかなと思われるキレイドコロもわりと見かけた。華やかである。500人以上いたんじゃないかな。広いローズルームが満杯だった。年齢層は高く、48歳のボクで若い方だったと思う。伝統あるトラディショナルな賞と、それを祝うトラディショナルな方々の落ち着いた良さに溢れていた。あ、関係ないけど料理もとても良かった。さすが東京會舘。

ふと「ツイッターで書き込む人なんかいないかも」と会場から書き込んでみた。だいたい文系っぽい人自体がツイッターに少ない。文壇系はもっと少ない。というか、ほとんどいない。
で、「中央公論文芸賞・谷崎潤一郎賞 贈呈式会場に来てる。@東京會舘。ツイッター実況率ゼロ、かな?」みたいに書き込んだ。そしたらすぐに返信が入り、書評家の豊崎さんが来場していてツイッターに書いていたことを知った。この会場のどこかで書き込んでいるんだなぁ。でも会場を見渡す限りケータイとかPCとかiPhoneを手に持っている人すらいない。みんな飲み物片手に談笑している。

その光景がまさに「一変」するのは40分後。
東京會舘を出て恵比寿のガーデンプレイスにある「ガーデンルーム」に向かい、「Tweetup Tokyo 09 Fall」というパーティに行ったのである。数日前に主催者側に急に招待された。鳩山さんにツイッターを紹介した流れかな。まぁツイッター創業者もアメリカから来ているということでちょっと覗きに行ったのである。

入り口で名札に「satonao310」と書いて首にさげ、会場に入った。
狭い会場に400人くらいが詰め込まれてわんわん言ってる。もう雰囲気が違う。服装も全然違う。でもって熱気がすげー。立錐の余地もない中いろんなカルチャーが入り交じってぐじゃぐじゃになってる感じ。奥の壁際に飲み物とか食べ物が置いてあるのだが、その混沌の中を歩いてそこまで辿り着ける気がしない。圧倒的に若者が多く、ボクは上から1割って感じの年齢。かぶり物の人がいたり、NHKのカメラが入っていたり、なんつうか「今まさに出来上がりつつあるメディアの勢い」がハンパなく襲ってくる。

で、予想はしていたが、会場にいた全員がケータイとか iPhone とか PC を開いている(笑)。そして会場で起こっていることをみんながツイッターに書き込んでいる。
壇上では創業者やサードパーティの方々がスピーチしているのだけど、みんなそれを聞きつつ、隣の人としゃべりつつ、初対面の人と名刺交換しつつ、周りの人の名札をチェックしつつ、その上でケータイなどでツイッターを更新している。まさにリアル・マルチタスク。

いやぁ、なんというか、ちょっと客観的に見てたんだけど、大勢の人がリアルに集まって話しているのに、同時にツイッターに書き込んでサイバー上で別のつながりをもっていて、でもみんな意外と孤独、って感じがなんとも面白かったな。
つながりたいという情熱は強いし、実際こういうつながりが世界を変えていく部分もあると思うけど、意外とつながってない感じ。いわゆるコミュニティ系オフ会と違うのはココ。同好の士で閉じてる感じが少なく、妙にオープン。だから「つながっている」ようでいて「つながっていない」。オープンに開いている分、つながっていない。なんだか逆に新しい感覚。

ツイッター上でも、大切なこととか重要な考えとかが次々流れ去っていってしまうが、この会場でも(いい意味でも悪い意味でも)そういう感覚があったかも。簡単につながれる。でもそれは表面的で流れ去っていく。でも、流れ去るからこそいい。そんな感じ。そしてボクはこれがとても21世紀的だと思った。もちろん濃いつながりは大事。でもそれは他で持てばいい。リアルに濃くつながった「狭い自己」と、ゆるくオープンにつながった「広い自己」を同時に持つような感覚。リアルな自分と幽体離脱した自分が同時に存在しマルチタスクしているような感覚。

20世紀の匂いがする文壇系と、21世紀の始まりを象徴するようなネット先端系。
対立軸としてなかなか対照的だったかも。アナログ vs デジタル。古くからある完成されたメディア vs 最先端の今まさに出来上がりつつあるメディア。中年 vs 青年。閉鎖的 vs オープン。小説 vs 140字のつぶやき。などなど。一晩で本当に対照的な集まりを経験したなぁ。まだ自分の中で昇華できていないけど、いろいろと思うところがあった。

ちなみにボクは両方ともアレルギーなく楽しめるタイプかも。そして、もしかしたら「両方をつなぐ役割」でもあるのかとちょっと思った。年齢的にも経歴的にも。

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朝ランお試し期間

2009年10月12日(月) 12:29:52

おとといご紹介したジム、年会費とか高いのかと思われる方も多かったようですが、これがまたいままで知ったジムの中で一番安いんですね。圧倒的に安い。しかも家族会員って制度がまた……、って、ナイショなくせにいろいろイイトコロを書くと申し訳ないのでまたそのうちに。とはいえジム関連の話は続くんだけど。

というのも、なんとジョギングを始めてしまったのです。このボクが。
って、一部の友人しか知らないと思うけど、公言してたんですよ、マラソンとかジョギングとか大嫌いだと。何が楽しくて長距離走など。第一あんなもの逆にカラダに悪いとすら言い放っていた。まぁ真相は単に「長距離走はわが人生の最悪天敵と呼べるくらい不得意な分野だった」というだけなんだけど。中学高校のラグビー部時代も、そこそこ体力あったはずなのに、長距離走だけは大の不得意。「おなか痛いから学校休む」と駄々こねるレベル。1500m走なんて地獄そのものだったのです。だからメールで勧めてくださる方とか多かったのに「ぜってぇやらねぇ」と思ってたわけですよ。何が悲しゅうてあんな辛い単純運動をやらなあかんねんと。

なのになぜ始めたか。
キッカケはジムです。置いてあるマシンの中に「このマシンをやると道などでつまずきにくくなります。マラソンやジョギングで息が切れにくくなります」と説明されている人気マシンがあるんですね(膝あげをして腸腰筋を鍛えるマシン)。まぁ人気マシンだし気持ちはいいからなんとなくそれをやり続けたんだけど、そのうち「効いてる気はするけど、汗もかかないし、スタミナつくわけでもなさそうだし、ホントにマラソンで息が切れにくくなるのかな?」と好奇心が湧いてきたわけ。で、ある朝「チョットだけヨ」と自分に言い訳しながら走ってみました。朝ラン。あれは先月始め頃だったかな。犬の散歩をする妻の横を、彼女が早足歩きするのに負ける程度のスピードでゆっくりゆっくり。

そしたら意外と走れるじゃないですか。1時間くらい走っても息が切れないじゃないですか。
まぁこのジョグ方法だともともと息が切れないんだけど、とはいえ超天敵の長距離走。自分的にはめっちゃ画期的です。そこそこ気持ちよい汗は出るし、達成感あるわりには疲労も少ないし、なによりなんだか意外と楽しいかも…。

それ以来、週に1,2回、走ってみてます。まだお試し期間。テスト採用。
自分的には「ウソだろ?」「まだやる気?」「無理しなくていいんだよ?」「そろそろ飽きるよな?」と半信半疑&疑心暗鬼。だからさなメモにも書かなかった。そうこうしているうちに iPhone に「iTrail」というアプリ入れて走った距離や速度、マップなんかも見れるようにして楽しみ始めやがったし。まぁまだ5キロを1時間弱かけて歩くようにジョグするレベルですけどね。でもまさか自分の人生でジョギングが楽しいと思う瞬間が来るとは想像しなかったなぁ。最近みんなが走っている気持ちが少しだけわかってきたかも。

まぁこういうこと書くと「まずは市民マラソン大会から是非!」とか誘ってくださる方がいるんだけど、えーと、それはムリですから! やりませんから! つうか、まだ超天敵とのつきあい方を学んでいる最中なんです。すこーしわかりあえてきただけ。寒い季節になったらさっさとやめる可能性すらある。

そんな程度の朝ランなんだけど、くりかえすけど、自分の中では超画期的事件。
あぁ、心をオープンにしてふらふら行き当たりばったり生きてると、いろんなことにぶちあたるなぁ。おもしれえ。

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新しくできたジムがとってもすばらしい件

2009年10月10日(土) 17:31:04

去年の4月に我が社は自転車通勤禁止になったのだが(安全性の観点かららしい…まぁ確かに事故もした)、このごろのように朝に晩にとても涼しく気持ちいい季節になると「あぁ自転車通勤したいなぁ」と思わずつぶやいてしまうボクである。自転車で50分くらいかけて通っていたころは季節が肌で感じられてホント楽しかった。商店街とかを走りすぎると普段触れられない「人の気配」みたいなものに触れられて、なんだか地に足が着いた。あぁ自転車通勤したいなぁ。なんで禁止すんだよー。時代に逆行してるじゃんかー。

一時期あんだけ凝っていたプールにも行けなくなった。今年の初めくらいに五十肩(!)っぽくなり、右肩が上がらなくなったのである。クロールしたら肩がピキキと痛む。平泳ぎしても痛みやがる。あぁ泳ぎたいなぁ。ほとんどカナヅチからようやく1キロ程度泳げるようにまで成長してたのになぁ。せっかくトータル・イマージョンとかが楽しくなっていた頃だったのになぁ。くそー。泳ぎてー。

そうそう、去年の年末くらいに同時に数人にテニスに誘われて、15年ぶりくらいにテニス再開ももくろんだんだけど、この右肩ではとっても無理だなぁ。阪神大震災前は毎週熱心にやっていたんだけどなぁ。なぜか震災のあと急にテニス熱が冷めてやめてしまった。あのころとラケットの流行も変わったんだろうなぁ(厚ラケとかがブームの頃だった)。あーテニスもしてー。

と、自転車通勤もダメ、プールもダメ、テニスもダメと、なにやらスポーツ系閉塞感に満ち満ちていたボクであるが、捨てる神あれば拾う神あり、家の近くに素晴らしいジムが出来た。もう2ヶ月通っているが、とても楽しい。

ここは普通のジムと違って「リハビリ系・介護予防系の画期的なジム」という触れ込み。
リハビリ系・介護予防系とか聞くと「老人くせー」とか思われるかもしれないが、このジムのマシンは相当評判がいいみたいで、ムキムキマッチョなお兄さんも多く通ってきている。基本的に介護予備軍の方々の衰えた筋力を正常に戻していくタイプのマシンがたくさん置いてあるのだが、これが壮年のボクのようなカラダにも思ったより効くのである。実際、ほんの短期間でかなり筋肉が太くなった。普通のジムのマシンでもここまでの効果は感じられたことがない。週に1日か2日、15分〜30分くらいやりに行っているだけなのである。なのにほんの2ヶ月くらいでかなり筋肉ついた。腰痛もピタッと止まった。五十肩もかなり改善させられた。姿勢もよくなった。わりとイイコトずくめ。

周りはさすがにオジイサンやオバアサンも多いのだが、それもほのぼのしてていい。商店街の八百屋のおじちゃんとかもいて「数十年ぶりにカラダを鍛えてるよ」とか言いながらマシンに向かっている。腰や肩や関節などにあっという間に効果がでるので面白いのだと思う。
あと、このジムが特にすばらしいのは、着替えもシャワーもいらないこと。筋肉をマシンで短時間刺激して正常な動きに戻していく、というタイプなので汗をかかないのだ。だからジーンズや背広でもオッケー。通勤ついでに数十分マシンをやってく人も多い。ついでに言うと筋肉痛もない。なったことがない。なのに、どうしてなのか、たった2ヶ月で服の上からでも指摘されるほど筋肉がついた。先週、結婚退社する人と飲んだときも「マッチョですね」とか言われたし。なんだか不思議だ。

かなり独特の理論で作られたマシンのようで、まだ全国にほとんどないジムらしい。普通のジムに置いてあるマシンとは似て非なるものがいろいろ並んでいる(形状は似ている)。これを一度やっちゃうと、普通のジムのマシンに戻れないなぁ…。

ちなみに、場所はナイショ(笑)
ごめんなさい。でも、知り合いとか読者の方に会うと通いにくくなっちゃうので(独りが好きなタイプ)、しばらくはナイショにさせてください。自転車通勤もプールもテニスもできないボクの最後の砦なんです、すいません。

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寝転んで過ごした時間

2009年10月09日(金) 7:56:28

昨日の台風18号で、新潟市の信濃川沿いにあったアート作品「Water Front 在水一方」が倒壊してしまったらしい。

写真はこの夏に新潟に行ったときに撮ったもの。
台湾のアーチスト王文志氏が作ったこの作品、右の入り口から中に入れるのだが、この内部がまたとても気持ちがいいのである。竹で精妙に編みこんだ空間は外に向かって閉じている。でも、信濃川が流れる音や新潟の街で生きている人たちの生活音、鳥の声、そして空からの光、川に反射した光などが、竹の隙間から川風とともにスルリと入ってくる。閉じているのに開いているこの不思議な感覚。

素晴らしい空間だったなぁ。ぼんやりと数十分、寝転んで過ごした。本当にいい時間だった。
東京で仕事しているときとかに、ふとあの空間での時間を思い出すことがあって、そこに置いてきた自分のカケラとつながる感じもあって、なんだかとても和んでいたんだけどなぁ。惜しいなぁ。

この写真は中に寝転んで天井を撮ったもの。見事な編み込みが少しはわかるかな。上を見ても横を見ても実にキレイに編み込んであって、そこに「人工」の素晴らしさを感じるんだけど、アート全体からは「自然」が肌で感じられる。この融合感もよかったな。

まぁもともと新潟市の「水と土の芸術祭」(越後妻有の「大地の芸術祭」に関連して開かれている芸術祭)用に造られたアートだったので、いつかは壊されてしまうものなのだけど、少しでも長く「そこにあって」ほしかった。

いや、でも、会期が終わって人力で壊されちゃうより、自然のチカラで壊されちゃう方が、実はこの作品に似合っているかもしれない。自然に対してとても柔(やわ)な作りであること自体に意味があったわけだし。うん、そうかも。

とりあえずあの空間を体験できてよかった。あそこに寝転んで過ごした時間はたぶんずっと忘れない。

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75セントぽっきりってスゴイ

2009年10月07日(水) 7:44:30

おととい書いたドゥダメルのコンサートですが、実際にハリウッドボウルに観に行った方からメールをいただきました。
なんとチケットの値段は「75セントぽっきり(all seats)」とか。75セントってすごいなぁ。前座でレッチリやハービー・ハンコックが出て、ドゥダメルが大合唱団を従えて第九やって、たったの75セントぽっきり。100円以下。しかも「手数料とか送料とかで10ドルぐらいになるんじゃないのとか思っていたら送料も込み。ほとんど無料です」だって。送料込みかよ! すごいなぁ。日本だったらここぞとばかりにド高い料金で売りそうだ。この辺の考え方がなにか根本から違う気がする。

ちなみにその方によると「クラシック音楽には相当疎い僕ですが、そんな僕でもドゥダメルの指揮には感動。彼の指揮に催眠術にかかったように引き込まれてしまいました。そしてアンコールの時には一緒に行った友達たちと大合唱してました」とのこと。ライブで聴けたらまた感動が違ったでしょうね。うらやましすぎ。

昨晩は、某社から結婚退社される方と、その上司と、3人で新宿のディープな沖縄料理店へ。
おふたりとも長くこのサイトを読んでくださっていて、特に、結婚される方は中学生のときから(なに!)ずぅっと読んでくださっているディープな読者。結婚して関西に行く前に是非、とリクエストを受けてのご飯。うれしいなぁ。関西に行かれるならということで、朝日新聞に連載した関西の店紹介をまとめた本「さとなおの自腹で満足!」をプレゼントした。もう8年前の本なので情報は古いけど、参考にしてください。ご結婚おめでとうございます。

ただ、そのディープな読者の方にとっても「最近のさなメモは長いですー」とのこと(泣)
確かになぁ…。少し考えなおさないとなぁ(長くてOKという方も多くいらっしゃるのは知ってるけど)。いや、なんつうか、読者数が増えてくるといろんな背景の方も増えるわけで、そういう不特定多数の方に誤解なくわかっていただくためには、ある程度丁寧に前後関係を説明した方がいいこともあって、なかなか短く出来なかったりする話題があるんですね。まぁでももう少し短くします。

23時ころ帰宅。
ムスメに激オススメされた漫画「君に届け」(椎名軽穂著)を読みながら就寝。貞子けなげ〜。とても面白い。

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ドゥダメルのLAフィル就任記念コンサート @ネット生中継

2009年10月05日(月) 7:07:41

昨日の日曜日の昼間にやった「ドゥダメルのロサンジェルス・フィル音楽監督就任記念コンサート @ハリウッドボウル」のネット生中継はすごかったなぁ。

ある方にメールで教えてもらったのだけど、教えてもらった時点でレッチリやハービー・ハンコックの前座(前座!)は終わっていて、ドゥダメルの就任初指揮は日本時間の午前11時からという感じだった(ロス時間で19時)。

サイトにアクセスしてしばし待つ。スピーチとかが始まり、ジョン・ウィリアムスとかもスピーチしてた。
ボクはボクで Twitter

  • ドゥダメルのロサンジェルス・フィル就任記念コンサートをネットで生中継しています。彼が出てくるのはロス時間の19時(日本11時)だと。前座がレッチリやハービーハンコック。すげー! → http://www.laphil.com/webcast/

とか流し、情報を共有。わくわくしながら待ったですね。だってこの前の来日コンサートがあまりに神だったから(→芸術劇場の日は特に。その日の日記参照)

その後 Twitter で、ネットで同時間に見ている方々と感想を言い合いながら鑑賞。演ったのは「ベートーベン交響曲第9番」(その前にユースプログラムの「YOLA EXPO Center Youth Orchestra」の演奏(ドゥダメル指揮)があったがそれは省略)。

Twitter に書いた流れを写してみると、


  • そろそろドゥダメルの登場かな。【11:03】

  • 第一楽章で拍手出ちゃったよ。気持ちはわかるけど(笑)【11:51】

  • 第一楽章より軽快さがでてきた。これ、第四楽章はかなり歌うね。楽しみすぎる!【12:02】

  • こういうテンポのとりかた、ドゥダメルっぽい。【12:16】

  • クラシックをあまり聴かない方も、このドゥダメルの就任記念コンサート生中継の、第九の最終楽章あたりは聴く価値あると思いますよ。今です。ぜひ。【12:23】

  • 楽章間拍手ならまだしも、楽章途中での拍手は……さすがLA(笑)【12:31】

  • 重くて軽快で沈んでジャンプして、急流のような第九。お見事。ボクは好き。純粋に楽しい音楽。【12:48】

  • アンコールやるんだ!【12:53】

  • あ、花火か。すごい。【12:54】

  • すごすぎる・・・【12:59】

  • 音楽は楽しいんだって、クラシックってこうやって楽しんでいいんだって、自ら体現してくれている。なんか本当に二十世紀が終わったんだなぁと思った。あらゆる意味で。ドゥダメル。素晴らしい。【13:02】

というような流れ。
いや、ほんと、LAの観衆は自由すぎて、いきなり第一楽章が終わったところで大拍手&大歓声(笑)。まぁでもドゥダメルの音楽って「芸術」というより「歓喜の衝動」に近いので、なんか許される部分はある。間(ま)がとてもものを言う第三楽章と第四楽章の間も大拍手&大歓声が出ちゃったしなぁ…。というか、終楽章に至っては、楽章途中で拍手でちゃったからね(笑) このときはさすがのドゥダメルもやりにくそうだった。

第一楽章はあくまでも重くどっしり始まって、第二楽章で軽快さが加わり、第三楽章は細部までとにかく美しく、と、来日した時に聴いたチャイコフスキーの5番の構成を彷彿とさせるような「大きなうねり」を持った演奏。で、第四楽章・終楽章と、高らかに歌い上げ、叫び、疾走する…。この辺、本当に「これぞドゥダメル」という感じ。細部はあくまで丁寧で正確なんだけど、俯瞰してみたときの疾走感が凄まじい。好き嫌いはあると思うけど、ボクは大好き。クラシックはここまで楽しくたっていい。

ものすごい大歓声。まぁこりゃ熱狂するよなぁ。こういう人を音楽監督に迎えられる都市がうらやましい。
で、アンコール。終楽章をもう一度やったんだけど、その前にドゥダメルがスピーチして、最後「Enjoy !」と締めくくった。かっけー! そう、音楽の本質は「Enjoy !」だ。

いきなりカメラが大きく引いて会場であるハリウッドボウル全景に。
屋外の大会場にふさわしいフィナーレ。なんと花火と第九の競演である。曲にシンクロして華やかに演出される花火。実にド派手で美しい。思わず「ワー!」と声が出てしまう。こんな第九に眉をひそめるヒトもいるのだろうけど、ボクはこれを見て「二十一世紀が来た!」と思ったな。こういうネット生中継も含めて、Twitter でのやりとりも含めて、フラットでオープンなこのイベントも含めて、多様な人種・服装での第九合唱も含めて、そして第九と花火のド派手な競演も含めて、二十世紀的なやり方が本当に終わり始めている。

まさに「歓喜の歌」だったなぁ。陽気で楽天的で、未来を信じるポジティブパワー全開。鳥肌たちまくり。ちょっと目眩すらした。いいもの観たなぁ…。

あと、個人的にはドゥダメルが第一楽章を始める前に、指揮台の上で一瞬静かに集中し、一度目を閉じながらニコッとしたところが印象に残っている。あのとき「さあ、楽しい音楽の時間だ」と、のだめの千秋のようなことを考えたのではないかな。楽しもう、と。そんな心理が読み取れるようで、あの場面はとても好き。

ネットの生中継はとてもキレイな映像で、音質もとてもよい。歓喜の歌では字幕入り(英訳&スペイン語訳)。
というか、これ、世界中のヒトが同時に観ているというのがすごいなぁ。よくサーバー持つなぁ。テレビと違って「編集や解説がない」のがいい。一時情報そのまんま。いいコンテンツ(ライブやスポーツ)はタレントによるコメントなんかなくたって充分持つということをそろそろ民放も気がついて欲しい。

ちなみに、この生中継、公式に「Twitterでフォローしろ」とアナウンスが出ていた。もうアメリカでは普通のこと。
で、そこに「Follow @LAPhil on Twitter:Thanks to everyone who watched the Bienvenido Gustavo webcast! Tune into our 24 hour on-demand encore tomorrow @ 10am PDT: http://laphil.com」と出ている。つまり、現地時間で明日の朝10時(日本時間だと午前2時かな)から24時間、ネットで放映するみたいです。

そう、たった今、サイトにアクセスすれば見られます。今晩の午前2時まで。お見逃しなく!

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十文字美信 写真展「FACES」

2009年10月03日(土) 15:21:52

昨日の昼休み、日本橋のギャラリー・ショウでやっている十文字美信の写真展「FACES」を覗いてきた。
この日に稲越功一さんの写真展に行ったことを書いたら、ある方からメールをいただき、「十文字さんの写真展も是非」とお勧めいただいたからである。10月10日までの展示。

十文字さんの写真集は「ポケットに仏像」と「IL BALSAMICO」しか持っていないが、広告界では超大御所。いろんな傑作を残している方である(お仕事はご一緒したことない)。有名な「首なし」の実物も展示されているということで、わりといそいそと。

ギャラリー・ショウは思ったより小さなスペース。
入り口に十文字さんの言葉が掲出してある。

人体のあらゆる部位の中で、顔だけは特別な存在だ。壁に刺さっている3個の画鋲を見ただけで、ある種の顔を連想してしまう。粗野な網点印刷からでも、顔の個体的な特長を読み取ることができる。誰と誰が似ているなんてすぐに想像できる。脳の内部には、顔だけに反応する特別な細胞野が存在するのではと思わされるほどだ。
このところ、僕はずっと顔の写真を撮りたいと思い続けてきた。どんな顔写真に興味があるかというと、まず「決定的瞬間」から自由であり、ドラマティックな表情よりもっと大切なものがあると思わせる写真、そして何よりも心惹かれるのは、撮ってみなければ結果がわからない、論理的に計算できるものをはるかに凌駕する顔の写真だ。
現在ただいまのこのリアリズム、新しい必然に立ち会いたいと願っている。
展示はわりと衝撃的な写真から始まる。
一見合成写真のような女性の顔の写真。表情が重ね撮りしてあって目が6つもあったりする。コンピューターを使わず、特殊な撮影方法で30分から1時間もかけて撮ったものだそうだが、現像するまでどんな作品になるのか本人さえも分からなかったとか。どう伝えればいいかな、ちょっとピカソの「泣く女」とか「ひじかけ椅子に座る女」っぽい印象なのだが、写真ならではの表現に昇華されている。ありそうでなかった写真。しばらく見入った。

次に有名な「首なし」。首から下の全身を写した写真。本でしか見たことがなかったが、実物が見れてうれしい。そして最後に自画像など。これがまたなんというか…。最後に自画像がこう来るか、と。

隅っこに写真集が置いてあったので見てみたが、若いときから老年になるまでの経過はどこか稲越さんに似たものを感じさせる。歳をとられてからは、日本的なもの、自然的なものにどんどん傾斜していっている。でも、そういう過程を経て、また今、敢えて、こういう「写真ならではの新しい表現」「論理的に計算できるものを凌駕した顔の写真」に挑戦していること自体が一番おもしろかった。その変化過程の心理を知りたい。

写真集を丹念に見ているうちに欲しくなってしまったので二冊購入。「感性のバケモノになりたい」と「十文字美信の仕事と周辺」。
その後、それを持って近くの鮨屋「日本橋 吉野鮨本店」へ。ランチだと大将がつけ台に立っているからね。安価な握りとしてはやはり東京トップクラスのバランス度。おいしい。鮨を食べながら膝元で写真集を開いて見てた。

ちょうどこの日、十文字さんがEOS 7Dで撮影した「おわら風の盆」の動画も公開された模様。さっきゆっくり見た。実に美しいな。美しいものはいいな。

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大日本プロレス「ロミオ vs ジュリエット」

2009年10月02日(金) 8:41:27

ボクが年に一回だけ観るプロレス、大日本プロレスに昨晩行ってきた。
いや、プロレスでもあり演劇でもある。レスラーたちがストーリーに沿って演技をしつつ、随所に30分一本勝負などのファイトが入るというボーダレス・エンターテイメント(笑)

去年は「リア王」をやり、どうかな〜と半信半疑ならぬ1/4信3/4疑くらいで行ったのだが、これがとても面白かったのである(去年のさなメモ参照)。で、今年は原作が「ロミオとジュリエット」(笑) いったいどうなるんだ? ジュリエットはどうするんだ? バルコニーの場面はどうなるんだ? と、頭の中に疑問がぐるぐる渦巻きつつ、横浜の赤レンガホールまでいそいそ出かけたのである。

結果から先に言うと、腰抜けた。
ラストでは泣いているヒトもいた。終了後6人で横浜中華街の「青葉」に夜食を食べに出かけたが、6人ともほとんど無言。あまりの衝撃に料理を食べるチカラが出ない。「あした仕事できるかなぁ」とつぶやく人もいる。いやぁ、なんだろう、感動というより疲弊に近い。ふと気がつくと、口に入った餃子も噛まず、ぼんやり遠くを見つめている。まいったなぁ。

会場は去年より凝っている。
リングが中央にあるのは一緒だが、その両コーナー端にライバルとして争っているモンタギュー家とキャピュレット家のセット(書き割りに近い ←あとの乱闘で壊すから)がある。
まぁモンタギュー家は焼肉屋で(モンタ牛:笑)、キャピュレット家は工場なのだけど。奥にはロミオやマキューシオが集うであろうバーまで設えてある。(写真は両家が争うとこ)

ただ、ストーリーは去年よりシンプルで、よりファイトに重きが置かれていた。去年はリア王のストーリーに忠実で少し段取りくさい部分があったのだが、今年はラストのロミオ葛西 vs ジュリエット沼澤のデスマッチ時間無制限一本勝負に向かってなだれ込む勢いがあり、しかもそのデスマッチの衝撃的なことたるや物凄かったので、なんか観劇後の印象がひとつにまとまった感じ。いやすごかった。(写真はマキューシオが死んじゃうとこ)

と、ここまで書いて、なぜロミオとジュリエットがラストでデスマッチするのか、と疑問をお持ちの方もいらっしゃろうが、これもよく出来ていて、プロレスラーにとって「命がけで闘うことこそが相手に対する純愛」なのだ。いや、本当に命がけのファイトで、「そ、それは、死ぬんじゃ !?」というのの連続。怖いしエグいし、もう目を開けていられない。観に行ったことを後悔したくらい。

大日本プロレス名物の蛍光灯ファイトも凄まじかったが(蛍光灯で殴り合う。ポンポン割れて破片が飛び散り、その上でバックドロップとかブレーンバスターとかしまくり血が流れまくる)、リング上に画鋲をばらまいた上でのバックドロップとかもう見てられない。背中は言うに及ばず、後頭部にも画鋲とか普通に刺さってるよ! しかもジュリエットのバルコニー(2階の高さ)から、ダイビング・ボディ・プレスをしたりする。蛍光灯の破片と画鋲だらけのリング上に…。
でもそれ以上に怖かったのは、バルコニーから場外へのダイブ。場外乱闘の末、ジュリエットをデコラの長机の上に寝かせ、ロミオがバルコニーに上り、そこからジュリエットに向かってダイビングするのだ。机は真っ二つに折れ、ジュリエットが起き上がってくるのにすごく時間がかかった…。

もちろん演出だし興行だし、真の命がけではないとも言えるが、でも、間近で見ている観客には「命を賭けている」というのがヒシヒシと伝わってくる(だって少し間違えたら死ぬか半身不随にはなる)。その衝撃に打ちのめされているところに、見事に勝ったロミオ葛西(葛西純)の語りが入るのだが、これが「命がけで闘うことこそが相手に対する純愛」そのものの独白となる。ジュリエット沼澤への愛の言葉になる。これはね、設定のクレージーさも理屈も越えて、純粋に感動させるものがあった。

ふたりが退場し、会場に「本日の公演はこれですべて終了です云々」のアナウンスが流れても、誰も席を立たず、拍手のひとつもない。観客全員呆然としている。で、もう一度「本日の公演はこれですべて終了です」と流れ、そこで全員ようやく我に返って、大拍手が起こった。こんな舞台、めったにない。

もうフラフラだ。
昨日はYahoo!Topicsに載るという事件もあり、会社でのスピーチやプレゼンもあり、ただでさえもフラフラだったので、もうフラフラの極致の極致。まいった。ほんと、まいった。

構成・演出をしている八代眞奈美ディレクター、ありがとう。そして強烈なデスマッチをしてくれた葛西純、黒天使沼澤邪鬼、ありがとう。
「オレたちよー、いつまでプロレスやってられるカラダかわからないけどよー、だからこそ、命がけでオマエと闘いたいんだよー!」という言葉が脳から離れない。いつまで人間やってられるかわからないくせにダラダラ生きてる自分が透けて見えちゃうんだろうな。

つか、まだ胸の奥に深い疲弊がある。本当に疲れる舞台(リング)だった。仕事できっかな。

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映画「時をかける少女」アニメ版

2009年09月28日(月) 8:59:04

細田守監督のアニメ映画「時をかける少女」をやっと観た。公開時に見逃し、ようやくDVDで観た。というか細田監督の「サマーウォーズ」が良すぎたので早く観たくて仕方がなかった。

感想をひと言で言うと青春映画としてとてもよく出来ていたと思う。高校生活のいろんな描写、若いころの夏のいろんな感情がリアリティをもって描かれていてドキドキした。ラストシーンはさすがに泣けた。とてもいい映画だと思う。往年の原田知世ファン&大林宣彦ファンとしてはあの映画の記憶が上書きされてしまうことに多少複雑な想いもあるけどね。

ただ、青春映画としてはかなりの良作だけど、SF映画としてはわりとツッコミどころ満載かも。「このタイムパラドクス、どうすんだ?」と、途中で何度も立ち止まった。まぁでもこの映画は、青春の「二度と戻ってこない時間の切なさ」をタイムリープをモチーフにして描いているわけで、重心の位置がSFにはないから関係ない。 そういう意味において、この映画は大林宣彦監督不変のテーマを引き継いでいる正統な後継作品と言えるだろう。

でも、重心の位置がSFにはないとはいえ、やっぱり謎がいっぱいあるなぁ。
数多いタイムリープ自体もいろんな矛盾をはらんでいるけど、物語全体として「絵を見に来ただけなのになんで千昭は高校に入る必要がある?」とか「和子って記憶を消されたんじゃなかったっけ?」とか「なんで千昭はすぐに未来に帰らないといけないの?」とか「未来で待つって言ったって会えないじゃん?」とか「なんで千昭は真琴の記憶を消さないで未来へ帰るの?」(原作では消す)とか「別れ際、和子のところに連れて行って千昭に絵を見せればいいじゃん?」とか、大きな部分での疑問がいくつもある。

ということで、超妄想版極私的「時かけ」解釈をしてみたいと思う。ネタバレ注意だけど、公開から3年経ってるからまぁいいか。まだ観てない方は読まないでください(つか長いし)。


まず、主人公の真琴は、本来の時間軸では、踏切事故で死んでいる。その延長線上である未来から千昭は来た。これが前提。
タイムパラドクス的に考えると「千昭が過去に来て真琴を偶然救うことも織り込み済みな未来から千昭が来た」とも言えるし、パラレルワールドのお話という考え方(いくつもの未来が存在する)もあるけど、とりあえず真琴が踏切事故で死んでいる未来から千昭が来た、ということを前提として話を進めたい。

千昭が過去に来たのは「絵を見るため」と説明してはいるが、絵が修復中だからって高校にわざわざ入学する必要はない(絵の修復前か後にタイムリープし直せば良い)。
だとすると真琴と知りあうため(救うため)にタイムリープしたのだろうか。その場合、千昭は、理科実験室で一瞬時間を止めて、真琴自身にクルミでわざとチャージをし、素知らぬ顔して実験室を出る。そして千昭は事故直前に初めてのタイムリープをし、死ぬのを免れる、と考えるのが妥当だが、でも彼女を救うことが目的ならばわざわざ彼女にチャージする必要はなく、事故が起こる日に彼女が踏切を自転車で通らないようにリアルに画策するだけでよい。過去の人にチャージするというような超御法度なことをする必要がない(というか、過去を変えるためにタイムリープすること自体が御法度だ)。

とすると、「何か別の理由」で千昭は過去を訪れており、高校転入も何かそうする理由があり、真琴が実験室でチャージされて踏切でタイムスリップし死を免れるのは「全くの偶然」ということになる。(千昭が高校転入するための書類とか住む家とかは、原作がそうだったように催眠術でごまかしたのだろう)

ここで和子(美術館に勤めるオバサン)の存在が気になってくる。
彼女はもちろん、筒井康隆の原作、NHKによるドラマ化、そして原田知世主演の映画の主人公でもある芳山和子が30代後半になった姿である。オフィスでラベンダーを栽培し、深町一夫(ケン・ソゴル:2660年の未来からラベンダーを採取するためにやってきて、和子を好きになる)や浅倉吾朗と一緒に写った写真を机に飾っている。そして謎めいた言葉をいろいろ吐く。つまり自分がタイムリープ経験者であることは彼女も自覚しているようである。

ただ、過去において、和子の記憶は深町一夫によって消去されているはず(原作や大林映画もそういう設定)。だから覚えているはずがない。というか、一夫と一緒に写った写真も残っているはずない…。

この辺からボクの妄想が始まるのだけど、こうなってくると、一夫が消える前に和子とした約束「和子の前にいつか再び別の人間として現れる」というのが気になってくる。
つまり千昭は一夫ではないのか? 和子に会いに来たのではないのか? 和子があの絵を美術館の学芸員として精魂込めて守っていたことを未来でなんらかの文献で知り、未来では失われているその絵の現物を見るために(そして美術館で働いている和子を見るために)、こっそり未来から訪れたのではないか。そして何らかのカタチで和子と接触し、あのころ実は出会っていたということを打ち明け、証拠として写真を手渡したのではないか。

学芸員である現在の和子のオフィスに飾ってある写真がアップになる場面があるが、一夫の顔がわざと描かれていない(和子の顔はちゃんと描かれているのに)。これは一夫=千昭だからではないか。

ただ、気になるのは、千昭が真琴に「こんなに人がたくさんいるのを初めて見た」とか「こんなに空が広いなんて知らなかった」みたいなことを漏らす場面があること。つまり一夫=千昭だったらわざわざそんなこと言わない。一夫がタイムリープした日本はもっと空が広かったし、歩行者天国などもあってすでに人で溢れていた。つまり一夫は千昭ではないように思える。

となるとですよ、情緒的推測(妄想)も入れ込んで考えると、千昭は一夫の子供である、というのが落としどころとなるかも。
で、父である一夫から「過去にタイムリープして高校生になり、和子という同級生を好きになった。和子は後に美術館で絵を守る(修復する)仕事に就き、いまでは失われたある絵の修復で知られている」みたいなエピソードを(たとえば死の床で)聞き、千昭は和子に会ってみたくなり、彼女に会うために、そして絵の現物(この時期にしか見ることができないと千昭は語っている)を見るために、そして父が経験したという「古き良き日本の高校生」を経験してみるために、過去にタイムリープしてきた、と。で、高校に転入する、と。で、偶然真琴と出会う、と。で、クルミを落としてしまい偶然真琴の命を救う、と。

それと前後して、千昭は和子に会いに行き、一夫が保存していた写真を何らかの理由で手渡し、一夫からのなんらかのメッセージを伝える。和子はそれを(記憶はないものの)理解すると同時に、自分が「何かを待ちつづけた」理由を知る。そして、千昭に、すでに千昭の友人になってしまっている真琴に影響を与えないで欲しいと頼む、と。

でも、すっかり過去(高校生活)が居心地良くなった千昭は、真琴に告白しかけたり、違う子とつきあいかけてみたりしてしまう。わりといい加減というか、もう未来に帰る必要性を感じてないようにも見える。
ただ、最終的に千昭は知る。真琴の命を偶然救ってしまった時点で未来を変えてしまっているし、真琴の度重なるタイムリープで二重にも三重にも未来は変わってしまっているし、功介の命を救った時点で四重にも五重にも未来を変えてしまった。しかも過去の人にタイムリープの存在を教えるのは御法度である。自分がしてしまったことの大きさを身に染みて感じた千昭は時が止まったスクランブル交差点で真琴に別れを告げ、これ以上の影響を与えないよう姿を消す(未来にも帰れない)。

が、真琴がもう一度タイムリープして物語の始めまで巻き戻したので、また話が進行する。
時間を巻き戻し、千昭にクルミを渡して「タイムリープのことを知ってしまった」ことを告白した真琴。この時点で千昭は「過去の人にタイムリープの存在を教えてしまった」と初めて知り、真琴が何度か無自覚にタイムリープしたことも知る。事は重大で、もしかしたら未来のカタチは変わっているかもしれないし、時間警察みたいな存在に捕まる可能性もある。つまり未来に帰れない。でもこれ以上未来を変えられないから、真琴たちと一緒にいることもできない。

だから、たぶん千昭は未来へ帰っていない。
未来に帰るなら真琴の記憶を消すはずだし( ←原作)。
つまり、未来ではなく、この時代のどこかへ彼は去った。ただ、 誰と接触しても未来を変えてしまう可能性があるから、もう誰にも会えない。どこかでひとりで生きていくしかない。

そう考えてくると、真琴に告げた最後の言葉「未来で待ってる」は別の意味を持ってくる。
何百年後の未来で、という意味ではなく、「どこかで生き延びて、真琴の未来のどこかで、こっそり会いに来る」という意味で。たぶん未来に影響を与えないほどお互い老人になったころ、こっそり会いに来るのではないか。そのために真琴の記憶を消さずに残したのではないか…。

ここで真琴の「うん。すぐ行く。走っていく」という感動的な言葉になるのだが、真琴は千昭の言葉の深い意味がわからない。でも、「なんとかする」と思っている(これは真琴の口癖)。
それは「絵を守って未来でも見られるようにする」という意味かもしれないし「タイムリープできることを知っている唯一の過去人として、理系に進み(文系・理系の進路の分かれ目という設定だった)、タイムリープ開発者になり、なんとかして会いに行く」という意志かもしれない。それは千昭の意志とはズレているんだけど、生きていく大きな意志にはなる。

そして、真琴も千昭も、違う想いを持ちながら、「未来で会う」ために現在を生きていく…。


……って、朝からオレは何を妄想しているのか!(笑)
あぁまだいろいろ深く考えたいけど、そろそろ会社にかけて行かなくちゃ。長々おつきあいありがとうございました。

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映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」

2009年09月21日(月) 7:51:23

名作の誉れ高いこのアニメ(2002年製作)、ずっと見られずにいたのだが、数日前の昼間にテレビ放映されるのを知り無事録画。昨晩のご飯時にようやく見ることが出来た。ムスメはこの映画を元にリメイクした映画「BALLAD 名もなき恋のうた」を観に行く予定があるので予習も兼ねて。

2002年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞をはじめ数々の賞に輝いているこの作品、さすがによく出来ていた。子供にもわかりやすいシンプルなストーリーにまとめつつ、生と死を正面から描き、戦国時代と現代との違いも(説明的でなく)全体の描写で伝えてくれている。戦国時代の描き方も通り一遍のありがちなものではなく、シビアでリアルなもの(もちろん子供用にはなっているが)。その描写を通して現代の安全で平穏な生活が浮かび上がってくる仕組みもすばらしい。

特に驚いたのは合戦の描写。これ、戦国の合戦を描いた映画やドラマの中でもトップクラスに秀逸なのではないだろうか。
子供の頃から無数に合戦描写の映像を見ているが、初めて「あ、実際はこういうことだったのかも」とリアリティを持って知った気がする。つまり、合戦の段取りとか、投石攻撃とか、火縄銃の次に矢を射りつつ前進後退する感じとか、槍衆の動き方とか、なんだかすごく納得がいった。合戦が終了した後、敵と普通にすれ違って帰って行く描写など、妙なリアリティがあったなぁ。Wikipediaを見てみたら、作家の鈴木輝一郎氏が「戦国時代の合戦シーンで動画映像史料で最も正確なのはこの作品」と言っているらしい。マジでそうかも。

大満足で観終わり、マック前に戻ったら、Twitter に「クレヨンしんちゃん」の原作者臼井儀人氏の訃報が流れていた。偶然とはいえドッキリする。
遭難してから一週間あまり。やっぱりそうだったのか…。タイに行ったときも台湾に行ったときもクレヨンしんちゃんをいたるところで見つけた。国際的なマンガだったよなぁ。「サザエさん」みたいに原作者が亡くなってもずっと続いていくアニメになりそうではあるが、やっぱり残念。久しぶりにマンガの「クレヨンしんちゃん」を読んでみたくなった。マンガ喫茶にでも行くか。

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志らく・談笑 二人会

2009年09月20日(日) 19:34:54

政権交代して急に激務になった方から今朝早くメールがあり、「今日の1時からの『志らく・談笑 二人会』のチケットを持っているんだけど、急に会議が入って行けなくなったので、代わりに行けない?」と。まぁそりゃ忙しいだろうなぁ。バランス感覚抜群の彼は、異様に忙しくなった今でも常に芸術に触れようとしていて、落語も極力行こうとしているようなのだが、そりゃ組閣直後は無理でしょう。

ということで2枚譲っていただいたのだが、今日の今日では落語仲間に連絡が取れるわけもなく(しかも5連休だし)、急遽ムスメと行くことにした。「じゃ、ありがたくムスメと行かせていただきます!」と返事を書いたら、「うーん、談笑は大丈夫でしょうか」みたいなお返事。はは。確かに。

ムスメはこれが高座デビューとなる。生の落語を聞くのが初めてなのだ。で、そのデビューに、エロエロ系かつ毒舌系かつシャブシャブ系(笑)の立川談笑はどうなのか、というご懸念である。ごもっとも。でもまぁ中3だしイイんじゃない? その日の演目に寄るしね。当たって砕けろで参りましょう。

高座は13時から有楽町のよみうりホールにて。
まずは立川談笑が出てきて、いきなりのりピーの話。ま、この程度ならワイドショーレベル。枕最後の「押尾学と清水健太郎のボクシングはシャブの応酬」みたいなギャグはいまいちわからなかったみたいだけど、ムスメも順調に笑っていた。
落語は「子別れ」の昭和50年代版。笑いあり涙ありの人情噺ゆえムスメもとても喜んでた。特にエロ爆発ってこともなく、ホッ。

お次は立川志らくが出てきて「疝気の虫」。枕から談志の物まねを数々披露して笑わしといて、談志の十八番をやるとはなかなか太い。遊星からの物体Xのような、エイリアンのような疝気の虫の描写にこれまた大受け。うまいなぁ。実は志らくは初めてだったのだけど、かなり面白いなぁ。また来よう。

仲入りで「落語っておもしろいねー」とムスメ。あぁ良かった。いいデビューだったようである。

後半はまずは談笑の「居酒屋 改め イラサリマケリ」。
居酒屋に行ったらビルマ(←ミャンマーではなくビルマ)から来た店員だらけで、「いらっしゃいませー」が「イラサリマケリー」で……と展開していく短いお話し。ドッカンドッカンうけていた。でも、これはね、ラストが多少エロだった。「有楽町では出来ねぇネタだ」とボヤきながら進める談笑。ま、でも、これもムスメは大丈夫だったようである。セーフ。

で、トリが志らくの「紺屋高尾」。
枕もなくすっと始めた。いやぁうまいなぁ。聞かせどころは聞かせ、笑わせるところはドッカンドッカン持って行く。ふたりとも本当に達者だった。

ということで、ムスメの生落語デビューは無事終了。
終わってみれば、「子別れ」「疝気の虫」「居酒屋 改め イラサリマケリ」「紺屋高尾」というデビューはバランスもよく入門編として素晴らしかったのではないだろうか。日本の古典芸能をよく知っておくことはこれからの国際人に欠かせない教養。これを機会に定期的に連れだそう。チケットを譲ってくれたMさん、本当にありがとうございます。またいつでも譲り受けまする(笑)

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「兵士の物語」 アダム・クーパー&ウィル・ケンプ

2009年09月17日(木) 6:32:24

Macのトラブルなどで書きそびれていたが、今週の月曜日(14日)、英国ロイヤル・オペラ・ハウス版「兵士の物語」を観た。@新国立劇場中ホール

サイトによると「世界初、 奇跡の実現! 本国英国でも、わずか数回しか公演されなかった、 ロイヤル・オペラ・ハウス製作のプレミア公演、 門外不出の『兵士の物語』、スーパー・スターの競演で東京・大阪に、世界初の引越公演!!」とある。話半分に聞いたとしてもなかなか稀少な公演である。

アダム・クーパーをはじめとするロイヤル・バレエのスター4人が、ダンスを披露するだけでなくセリフを使い芝居もする、というのは確かに面白い。舞台俳優が舞台でダンスをすることはよくあるが、世界トップレベルのダンサーが俳優として声を出し芝居をするのはほとんど見たことがない。しかもアダム・クーパーとウィル・ケンプという二大スターの競演。音楽はストラヴィンスキー。面白そうじゃん?

席は前から3列目と極上。
開演前、iPhone から Twitter に書き込んでいたら、2席横の人も iPhone から Twitter に書き込んでいた(笑)。今後こういう光景はいろんなところで見られるようになるだろうな。Twitter に限らず、Brightkite みたいなリアルな場所を共有していくソーシャル・メディアも増えるだろう。この辺のいくつかが統合したような、決定的なサービスがそのうち出るような気がする。

soldierstale.gif閑話休題。会場に入るとまず目を奪われるのは舞台美術(写真はサイトより拝借)。7人の生オケが入るオケピの演出も美しい。舞台の上手下手は酒場のテーブルのようになっていてそこに観客も少し入り、まだ会場が明るいうちにウィル・ケンプら4人が舞台に出てきてその観客と握手したりしている。そうやっていつの間にか物語に引き込まれていく設定。ただ、ストーリーを体現した舞台美術ではなく、見せ方を優先した美術。美しいけど、最後までピンとは来なかった。

ウィル・ケンプのセリフ回しが上手で驚いた。だってダンサーだし、と期待しなかった分、その上手さに舌を巻いた感じ。ちゃんと本格的な「演劇」になっている(ちなみに和訳は舞台袖に表示される)。ただ、彼は語り部として登場したのだが、とっても説明的なセリフ回しで少しイヤな予感(まぁこれは演出の問題であるが)。これだけのダンサーが集まったのだから、もっとダンスで視覚的に展開していくような演出かと思ったら、ほとんど語り部のストーリー説明とセリフで理屈っぽく展開していく。ダンスは添え物的ですらある。うーん…。

とはいえ、いったん踊り出すとその美しさに惚れ惚れするな。
特にラストの20分。いままで抑えていた分を一気に放出するように4人が踊りまくる。そして悪魔が本来の姿で出てくるラスト。凄まじいラストで会場は一気に白熱した。

正直言うと、たった1時間15分の舞台なのに、前半はわりと退屈で(見せ場は少しはあったが)、寝ている人もいた気がする。でもラストの20分は価値があった。中盤からは笑いもあり、なかなか楽しかったし。

大雑把な感想としては「ユニークなもの観たなぁ。美しかったけど」という印象。まぁ音楽もストラヴィンスキーですからね、わかりやすく楽しいなんてことはない。そして演出はとても説明的。うーん、出来としてはいまひとつなのかな。個人的にはアダム・クーパーとウィル・ケンプを間近で観られたことと、「ダンスが超安定している演劇」といういままでにない体験が出来たのが面白かったことと、まぶたの裏に焼き付けられるほど(スチル的に)美しい場面がいくつかあったことが収穫かも。

あ、それと、悪魔役のマシュー・ハートが実によかった。これも収穫。特にラストの悪魔。あと、悲劇と喜劇の両方を演じ分けたゼナイダ・ヤノスキーも素晴らしい。うん、この2人を含め、4人の出演者はとても良かったな。敢えて言えば、アダム・クーパーのダンスの見せ場はたくさんあったが、ウィル・ケンプの見せ場が少なかったのは残念かも。

最後にキャストを書いておくと、

兵士:アダム・クーパー
語り部:ウィル・ケンプ
王女&許嫁:ゼナイダ・ヤノスキー
悪魔:マシュー・ハート

演出振付:ウィル・タケット
舞台美術:レズ・ブラザーストン
製作:英国ロイヤル・オペラ・ハウス

今月20日21日は大阪厚生年金会館芸術ホールでもやるみたい。

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後輩の2冊の本

2009年09月07日(月) 9:03:11

先月、可愛い後輩の本が2冊も出たので、ちょっとご紹介しておきます。両方ともタイトルが「なぜ」系。

いま20代女性はなぜ40代男性に惹かれるのか (講談社プラスアルファ新書)1冊目はもう18年くらいの長いつきあいになる大屋洋子の「いま20代女性はなぜ40代男性に惹かれるのか」(講談社+α新書)。新入社員のときから知っている彼女の処女作である。

ちょっとスキャンダラスな題名だけど内容はいたってまとも。40代男性とつきあう20代女性が増えてるらしいんだけど、このふたつの世代、実は共通点がいろいろあり、惹かれあう理由がある、というもの。彼女はシンクタンクのスーパーバイザーなので、調査結果を駆使して、現代恋愛論を超平易にあたたかく語っている。もちろんこの二世代を語るためには他の世代も分析しないとならず、各世代、きちんきちんと丁寧に読み解いてあってわかりやすい。なるほどー、これは彼らと仕事を一緒にするときにも応用できるなぁ。恋愛観を知ると各世代がよくわかる。

それにしても恋愛事情も大きく変わったもんだ。携帯もメールもなかった時代にどうやって恋愛していたか、いまの若い人たちには滑稽なことも多いだろう。バブル期を知らない世代の恋愛観は、逆にボクたちから見たらちょっと新鮮。そして著者が最後に辿り着く「本当の幸せとは」という問いかけにも納得。題名はキャッチーにしているけど、内容はとっても真面目であたたかい。彼女自身の良さがよく出ている内容になっている。
というか、ボクはもろ40代なのでちょっとワクワクしながら読んだですね。20代女性との共通点もとてもよくわかる。なるほどな。こりゃ一緒にいて楽かも。

わたしは、なぜタダで70日間世界一周できたのか?2冊目は最近後輩になった伊藤春香。「はあちゅう」という名前の方が通りがいいか。女子大生アルファブロガーとして超有名だった彼女の新刊である。「わたしは、なぜタダで70日間世界一周できたのか?」(ポプラ社)

ずっと「一生に一度は世界一周をしたい」と思っていた彼女。大学に入ったとき「3年生までに全部単位を取りきって、4年生では世界一周をしよう!」と決め、それを実行に移すわけだが、問題は世界一周するお金がないこと。そこで思いついたのが広告でお金を稼ぎながらの世界一周(当時彼女がアルファブロガーだったからこそなんだけど)。つまりスポンサーをつけてブログなどを更新しながらエンタメとして世界一周していくという企画を立てたわけだ。
まぁここまでは誰でも思いつく。でも彼女が常にすごいのは「実行する」こと。一介の女子大生が企画書書いて企業の宣伝部や広報の怖いオジサンたちを訪ねてプレゼンし、通していくのにどのくらいの勇気と知性と体力がいることか。「夢を夢で終わらせない」と言ってちゃんと実行したところがすごいよなー。しかも結果的に黒字にしている。すばらしい。

その後の70日間世界一周の様子は本を読んでいただくとして、最後の「自分の核にあたる部分から無駄なものがそぎ落とされ、シンプルになったのを感じる。今の私は、自分に必要なもの、欲しいものに正直で、前よりも潔くなれている」という言葉が良かった。漫然とではなく書き残しながら旅をしたのも良かったんだと思うな。書くことは自分を知ることだしね。「いつかは…」と思い続けているだけで実行に移さないワナビー族にこそ捧げたい一冊。

どちらの著者も「出版前ブルー」で相当悩んだらしい。世界でトップクラスにその気持ちわかるぞ(笑)。
でもね、それは「真剣に向き合った」からこそのこと。それはとても大きな自信になるしチカラにもなる。他の後輩たちにも「無理してでも本を書いたらいいよ」と常に言ってるんだけど、本って「書くことは自分を知ること」以上に「人生の違う景色を見るための一番の近道」でもあったりする。苦労してでもやる意味があるものだと思うけどな。
「私なんて無理無理! 文章も下手だし量も書けないし、出版社にルートもないし」とかみんな言うんだけど、真剣にやりさえすれば道は開けるもの。以前にもご紹介したように、ミクシィに書いていた文章を本にするのに成功した人もいる。

…とか、偉そうに書いてるけど、12月入稿の次の本の原稿がまっっったく進まない。もうホントだめだめ。
クレア・トラベラーでの連載を加筆修正してまとめなおすだけなのに、なんだかうまく書き進められない。過去に書いた文章を直しながら一冊に仕上げるって思ったより苦行だ…。でも後輩に経験者ぶっていろいろ偉そうに言った手前、なんとか仕上げなければいけないなぁ。わりとつらいっす。

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

2009年09月01日(火) 8:01:34

いやいやエヴァ世代ではないですよ。もっと言うとガンダム世代ですらない。だからお台場ガンダムなんて全くシズらない。なんでみんなあんなの見に行くんだろうってなもんです。あえて言えば何だ、「巨人の星」世代か。いや「あしたのジョー」か。お台場に大リーグボール養成ギプスとか力石が吹き飛ばしたジョーのマウスピースとかが飾ってあったら行くぞ(笑)

でも、エヴァは知らないといけないだろうとずっと思ってたですね。
というか、この前、矢野顕子@ブルーノートを聴きに行ったとき、ボクを除く同行者3人がエヴァの話をしだして、軽く仲間ハズレになったんです。ううむ。これは常識としてちゃんと知っとかないとヤバイな…。

ということで、すぐに「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の「序」をTUTAYAで借りて観ました。
このシリーズ、「序」「破」「Q(急)」「完結篇」という四部作になっていて(これもQなのね)、その第1作目をとりあえず観た、と。
で、「おおおっ!」となり、次が観たくてたまらなくなり、昨日、いま絶賛公開中の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を、台風直撃の嵐の中いそいそと観に行ってきたというわけ。

いまさら50歳前のオッサンがエヴァの感想を述べても失笑だと思うので書かないけど、いやぁ思ったよりずっとスゴかったなぁ。背景もストーリーも難解なものの、そういうのをすっ飛ばしてもちょっと感動した。
というか、「今日の日はさようなら」と「翼をください」は、逆にボクの世代直撃なので、あれらの場面で流れてきたこれらの曲には衝撃を受けてしまった。す、すげっ。

くわしい人に言わせると、新劇場版はエヴァであってエヴァでない、ということなので(アスカの名字も違うらしいし)、初心者がここから入るのはどうなのよとも思うけど、まぁそれはそれで良しとしよう。テレビ放映のオリジナル版をこれから追っかけて観ます。
ということで、もうエヴァの話題、少しはついていけるようになりましたよ! >ブルーノートに一緒に行った方々


話はさらっと変わって、今日は防災の日。
しつこいかもしれないけど、「地震が起こったら、まずこれをしろ!」「地震が起こる前に、これだけはしておけ!」にリンクしておきます。ボクの個人的大震災体験を書いています。起こる前に、ぜひ。

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個人的夏フェスもそろそろ終わり

2009年08月24日(月) 7:31:21

最近の矢野顕子の話やら落語の話やらバレエの話やらを読んで、メールやツイッターで「こういうのを読むと首都圏に住みたいと激しく思います」と数人からいただいた。
すごくよくわかるし、一昨日の晩も新潟のお医者さん夫妻に同じようなことを言われた。でもさ、自然豊かで多少ののんびり感があるそっちの環境と東京の便利さの両方を手に入れようというのはゼイタクすぎです(笑)。首都圏、過酷っすよ、環境が。 人多すぎとか、電車混みすぎとか、渋滞多すぎとか、ガキ多すぎとか、空気悪すぎとか、騒音酷すぎとか、人間冷たすぎとか、競争ありすぎとか。 まともな川も海もない。山も遠い。緑も少ない。よくこんな環境で毎日暮らしていると思う(歳のせいか)。そろそろ田舎で暮らしたいとしょっちゅう思ってる。まぁそういうのの替わりに多少のエンターテイメントやレストランを手に入れているわけですが。

逆に言うと、東京に住んでいてそれらを楽しまないのはちょいともったいない。というか割に合わない。

最近、部下や仕事仲間を見ていて「遊んでない人が多すぎる」と感じてる。
せっかく東京にいるんだから、もっと無理矢理でもいいから予定を入れていろいろ遊んだ方がいいと思う。もちろん忙しいときは難しいしお金もかかるけど、世界トップクラスのエンターテイメントとかアートとかレストランが集まっているこの環境、活かさないと過酷な環境が割に合わない。東京でなくてもどこにいてもいじれるネットばっかりやっているのはもったいなさすぎる。

特に「次代の文化を支える気概を持ってコトに当たって欲しいネット・IT関係者」。
テクノロジーを作っているのではなくて「文化」を創っているんだという意識を持って欲しいと思うな(特に若手)。次代の中心になるものを今作っているんだし。

芸術とかにあまり触れていないネット関係の若い人、多すぎると思うなぁ。激しく仕事をするのはいいけど、もっともっといろんなものを見ておいた方がいいと思う。触れてすぐはわからないかもしれないけど、貯まった刺激や記憶が自分の中で化学反応を起こすことによって「まったく新しいもの」が産まれると思うし。 偉そうで悪いけど。


でもまぁここ数週間、たしかに毎日毎日いろんなことをしすぎかも(笑)。
個人的夏フェスという感じ。いろんなことが多すぎて、このメモにも書きそびれていることがいくつもある。毎日いろんな出会いがある夏。

書きそびれていることのひとつに、飯島奈美さんとご飯を食べたことがある。短い時間だったけど、お互い会った瞬間からワーワーと話して、なんだかとても楽しかった。

LIFE なんでもない日、おめでとう!のごはん。 (ほぼ日ブックス #)そこで本をいただき、それがとても良かったのでご紹介。「LIFE」。まぁ「ほぼ日」を読んでる方にはお馴染みの本ですね(→「ほぼ日」の「LIFE」)。

「世の中にはレシピ本の名作が山ほどあるので、ただのレシピ集なら出す意味がない。だから映画みたいに『シーン』を設定して、そのシーンに登場させるならどういうレシピかをイメージして作ってみたんです」と飯島さん。

彼女は、知っている人も多いと思うけど、映画「かもめ食堂」や「めがね」の食事シーンを担当したフード・スタイリスト。最近では小林聡美のパスコのCM(サンドイッチのあれ)とか、西田敏行のサッポロビールのCM(居酒屋のあれ)とかも担当している。どれもこれもめちゃくちゃ美味しそうだし、どこか温かいでしょ。シーンを深く理解して、そこにレシピを馴染ませていく。そんな作業のたまものだと思う。それがこの本にも活かされている。

まず、映画やCM的に、小道具も含めて、きわめて映像的にシーン設定をする。その上でそこにフィットするレシピを作る。そういうレシピ本。これって実はいままでにあまりないパターン。普通はレシピを先に作ってそれを元に画面構成を作っていくのだけど、その逆パターンだ。うーん、これはこれで豊かな鉱脈だなぁ。実際「朝ごはんの献立」や新刊「シネマ食堂」も、そういう考えで作られたレシピ本。

彼女とは数年前に一度縁があってお会いしているのだけど、それ以来とっても久しぶりのご飯であった。ほんわかした雰囲気のとても魅力的な人。実は今週の「とある食事会」で一緒なので、その打ち合わせというか前哨戦でお会いした。その食事会がいまから楽しみである。

今週のイベントはその食事会ただひとつ。個人的夏フェスもそれがラストかな。

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矢野顕子ライブ @ブルーノート

2009年08月23日(日) 19:41:54

昨晩はブルーノートで矢野顕子。
先月知り合った新潟のお医者さんご夫婦に誘われて、友人も誘っていそいそと。

いや、もう、すばらしいライブで、終わった瞬間「あぁこの場で死んでもいいなぁ」とすら思った。いま、いま殺してくれ、みたいな。そのくらい良かった。約1日経った今でもまだ少し呆然としている。そしてカラダの奥底から静かなチカラが湧いてきている。

ライブは(特にジャズ系は)わりと見ている方だと思うが、その中でも最高クラス。やっぱりね、世界トップレベルの演奏クオリティのジャズ(?)に、日本語の歌が混じるのがいいんだな。それも「日本くささが全くない」中で、さりげなく、あっこちゃん特有のふわふわ感で日本語が混じるところがいい。感動するジャズライブはいくつもあるが、言葉も理解できると感動がより深くなる。

だってさ、強烈に格好いい演奏をするミュージシャンのライブで、「すばらしい日々」とか「ごはんができたよ」とかが、あの神がかった声で歌われるのだよ? 鳥肌でっぱなしでも仕方があるまい。

パーソネルは、

矢野顕子(ピアノ、ヴォーカル)
ウィル・リー(ベース、ヴォーカル)
クリス・パーカー(ドラムス)

知ってる人には「え! ウィル・リーと矢野顕子! すごすぎる…」と絶句するレベル。ウィル・リーが組んでいるだけで矢野顕子の世界的な立ち位置もわかる。席もブルーノートの一段上がった最上席だったし、一緒に行ったメンバーも良かったし、あぁ実にいい夜だったなぁ。

♪これでいいのだぁ〜、と「BAKABON」から始まったライブ。
途中では忌野清志郎に捧げた「きよしちゃん」(YouTube)を歌い、ユニコーンの大名曲「すばらしい日々」(YouTube)も歌い、最後には「ごはんができたよ」(YouTube)を歌い、あぁもう大満足だ(敢えて言うなら「ラーメンたべたい」も聴きたかった)。

もちろん他の曲もそれぞれ世界トップレベル。
演奏とアレンジの格好良さが際だっていて、終始「かっけー」とつぶやいていた。特にウィル・リー。なんてセンスいいベースなんだ。途中でビートルズの「レボリューション」を挟んだりしたが、このときのウィル・リーがまた良かったなぁ。

ビフォア・ライブで「HOUSE」で美味しいご飯を食べたのと、アフター・ライブで「アモウズ・バー」で楽しく飲んだことも含めて、なんとも極上の夜だった。ブルーノートという小さい箱もよかった。コンサートホールだとまた違っちゃうかも。

矢野顕子が最後に言った。

「忌野清志郎の葬式に4万人とか40万人とか集まったんだって? そんなのに集まれるくらいだったら、生きてるうちに来い! 生きてる矢野顕子を見に来い!」

禿同。生きてる矢野顕子、また見に行くよ、あっこちゃん。ありがとう。

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立川談笑 落語会(ゲスト立川談志)

2009年08月22日(土) 9:45:04

danshi.jpgサンケイリビング新聞社主催の「J亭 談笑落語会」に行ってきた。
場所は虎ノ門のJTアートホール。ある方が押さえてくださったプラチナチケットである。なんと言ってもゲストが立川談志だ。

同じ夜に行われた「Wish2009」と迷ったが、未来は取り返しがついても談志は取り返しがつかない(笑)。でもホントに取り返しがつかないような高座であった。

7月に談志独演会を見たときに異様にうらやましがられた方(落語マニア)をお誘いして出かけた。
JTアートホールはチェロのソロコンサートが似合いそうな小さな箱。席も前から3列目。あぁ談志をこんな近くで見られるなんて。でも小さなコンサートホールって声が不必要に響くせいか落語向きではないなぁ。音が回っちゃってちょっと聞き取りにくかった。

基本的に立川談笑の落語会なので、談笑が数席やって、最後に談志がゲストで一席(もしくは小咄のみ)する段取り。トリに談志が控えている談笑はとてもやりにくそうだった上に「談志が来たらこのネタを聴かせたい」と、ネタの順番も変えた模様。つまり、談志が途中で楽屋入りするので、家元に聴いてもらいたいネタを彼が楽屋入りしてからやろうという心づもりだったようだ。

どうやらその「聴いてもらいたいネタ」は、「青菜」。
「青菜」をやって「化け物長屋」をやるのが当初のプログラムだったのに、「化け物長屋」を先にやった。で、それが終わってもまだ談志が楽屋入りしないので、予定になかった「片棒」を一席。そして談志の楽屋入りを確かめてから「青菜」をやった。なるほどね、高座に寝っ転がっちゃうあたりとか、家元に見せたかったのかな。

談笑は初めて聴いたが、とても達者な人。人の良さそうな顔して毒もたっぷり。談志スピリッツの片鱗を伝承している。上手だなぁ。細かい時事ネタを噺の中にさりげなく入れちゃうあたりもうまい。落語家って「一緒に飲んで楽しそうな人」と「一緒に飲んだら気詰まりっぽい人」に分かれるが、談笑は典型的な前者。バラエティ番組でも重宝されそうなタイプの人。

ただ、三席続けて聴くとちょっとTOO MUCHな部分もあった。若いせいもあってくどい。あと「落語マニアにしかわからないネタ」を振っては客席を伺うのがちょいと鼻につく(ウケるんだけど)。もうちょっと自然体になってくるといいなぁ。でもまぁ大笑いさせてもらった。「化け物長屋」はいまひとつだったが、「片棒」と「青菜」はとても良かった。「片棒」のオカマやゾンビの描写など達者達者。

で、談志。

例によって出囃子が鳴っても全然出てこない。ようやくヨチヨチと出てきて顔をちょこっと出したときの驚き。7月の独演会のときよりずっと調子が悪そうだ。というか、失礼を顧みず書くと「死相が出ている」。顔が真っ白で表情がなく、皮膚がテローッとしている。うわー…、こりゃ、死んじゃうよ……(客席も大拍手しながら凍り付いていたと思う)。

高座にもひとりでは上がれない。談笑の手を借りてようやく。
ただ、喉(声門ガンを切った)の調子はよいみたいで、声は出ていた。上半身の動きも問題なし。

「もう落語もこれが最後だと思うんです」と始めた。「これ」とは今日のことを指すのか、今回の病後のことを指すのかドキドキする。話すに従って心配された顔色も徐々に戻ってきて、小咄をふたつほどやったあとくらいからはなんとか普通っぽくなった。で、一席始めたは良かったが、これがまたちょっと衝撃。

「疝気の虫」を話してくれたのだが、入り方をいきなり間違え、途中で「あ、最初からやり直してもいいすかね」と。で、やり直したんだけど、これがまた筋を行ったり来たり、「あ、これも抜かしちゃったよ」「あ、間違えました」の連続で、最後にはサゲも出来ず、あまりのボロボロさにあの談志が絶句(泣)。「ひどいことになっちゃったな」と黙ってしまった。

「もう耄碌だね。見てる方もつらいだろうが、やってるほうもつらいんだ」と笑わせたが、実に寂しそうな顔。もう今にも「落語も今夜で仕舞いにしたいと思います」と頭を下げて引退宣言しちゃいそうで怖くて怖くて。そんな出来だった。

いや、大笑いは何度もとったよ。お得意のアメリカンジョークもきちんとしてた。辛口時評や他の落語家への文句も散りばめた。疝気の虫が胃から上がってくるあたりのアクションも元気一杯だった。でも、やっぱり、衰えは隠しようもなく。いかに好意的に見ても、明日にも引退宣言が出てもおかしくない状態(少なくとも昨晩は)。

「疝気の虫」のサゲで長く絶句したあと「これでオシマイには出来ないから」と小咄をひとつふたつやってくれ、「不思議な夜になりまして」と苦笑いして終了。好意と敬意いっぱいの大拍手。何度か試みるも高座からひとりでは下りられず、談笑のおんぶされて退場した。

終わってから、その落語マニアの方とチケットをとってくださった方と3人で食事に行くべく新橋方面に向かったが、なんだか3人とも下向いてトボトボと歩いた。寂しい。でも仕方がない。でも眼福。でも寂しい。でも見られて良かった。でも寂しい。でも。でも。でも。

気を取り直しての食事は、実はそのおふたりが「異様なサブカル・オタク」だったことが表明し、とても盛り上がった。ボクもそーとーオタクだと思うが、足元にも及ばない。世の中にはスゴイ人がいるもんである。

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「肝高の阿麻和利」東京公演 @厚生年金大ホール

2009年08月21日(金) 7:30:13

amawari.jpg沖縄では有名なこの演劇(組踊=いうなれば琉球ミュージカル)「肝高の阿麻和利」も、全国的にはまだまだ無名だろう。
というか、沖縄にそこそこ詳しいボクも(本を文庫含めて3冊書いているから、そこそこ詳しいと言ってもいいよね)、実はこの舞台のことを知らなかった。「肝高の阿麻和利」。何て読むんだ?(笑)

これは「きむたか の あまわり」と読む。肝高は「心が高い」つまり「誇り高き」みたいな意味。阿麻和利は人の名前。沖縄県うるま市勝連(地図でいうとこの辺)にある勝連城10代目城主。時は約550年前、1456年ころの琉球のお話である。

この舞台のものすごさをどう説明すればいいかな。
出演者は全員、うるま市の中高生である。音楽演奏から舞踊、出演、すべて中高生である(オケピでは中高生が三線などを演奏し唄う)。もともとは勝連町教育委員会が地域おこしを目的に企画したもの。最初は「中高生の演劇?」とちょっとバカにしてたし、それは舞台が始まってからしばらくも変わらなかった。学芸会の延長線上だろ?みたいな上から目線(笑)

でも、そんな上から目線も第一幕途中まで。
ん? んんん? と、思わず身を乗り出した。こ、これは、すごい、のでは、ない、か……。

途中からもう「中高生が演じている」とかいう意識はどこかに消え、そのストーリーと音楽と演技と踊りにのめりこんでいった。それでも第一幕終了までは冷静だったな。第二幕のすごさはそんな冷静さも吹き飛ばした。エンディングで観客は熱狂し、スタンディングオベーション。拍手が鳴りやまない。いやぁ、すごい。有名な演出家が「いままで見た舞台の中で一番いい」と言ったらしいが、それもよくわかる。あぁ…イイモノ見せてもらったなぁ。

以前「脳内ネーネーズ」という駄文の中で「うらやましすぎるぞ、沖縄!」と書いたことがある(この文は加筆して本にも載せた)。
沖縄の民蔵文化の継承され具合を心からうらやんだ文章なのだが、今回も本当にうらやましかった。住んでいる土地の歴史的な出来事。それをその土地に住んでいる子供たちが演じ、「いま自分が生きていることはどういうことか」「どういう血が流されどういう人たちが生きた結果、自分たちがあるか」みたいなことを世の中に、そして次の世代に伝えていく。実際この舞台は2000年の初演からこっち、たくさんのOB・OGを生みながらずっと続いている。そこにある「リアルな伝承」。これこそすべての文化の根っこにあるべきものだし、「生きていく誇り」を生み育てる基本となるものだ。そういう伝承が途絶えた土地に生きる者として、なんとうらやましく思えることか。

それにしても沖縄って芸能の島だなぁと改めて思う。
数々のアーチスト、男優女優を出しているのもよくわかる。音楽も唄も踊りも本当に素晴らしい。中高生たち、素晴らしく達者だ。というか、ちゃんと芸能が機能しているんだな。唄や踊りで年寄りと子供がつながっている。大和の民謡ではこうはいかない。

東京公演は昨晩でオシマイ。
長く伝承されていく舞台だと思うので、今後も観る機会があるかもしれない(23、24日は盛岡公演ですよ!盛岡のみなさん!)。もし機会があったら見逃してはいけない舞台だと思う。感動以上に「伝承していくとはどういうことか」がリアルに理解できる。それは本当に素晴らしく、そして滅多にないことだ。

総合演出の平田大一さんにも感謝したい。彼(彼は大人)の強い想いがあってこそ、の舞台だった。あと昨晩主演の宮里成明くん、ハッタラー熱演の前堂篤輝くんにも拍手を送りたい(本当は熱演熱踊熱奏の全員に拍手したいが、ふたりだけ代表で)。ありがとう。

さて。ボクは何をどうやって伝承していくか。観て感心しているだけでなく、やらなくちゃいけない。

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稲越功一写真展「心の眼」

2009年08月20日(木) 7:57:25

稲越功一写真展「心の眼」のオープニング・レセプションに招待されたので行ってきた。@東京都写真美術館。

招待されたのにはわけがある。広告写真の遺作はボクとの仕事だったからである。あと、一度、仕事に関係なく一泊遊びをご一緒したことがある。小淵沢の紬山荘にて。ここでも書いたが、「はじめまして」と挨拶したら、「あ、はじめまして」と微笑まれ、右のお尻を少し上げて「プッ」とオナラをされた(笑)。

広告界では知らない人はいないカメラマンの大御所である。
この写真展では、コマーシャル系やエディトリアル系の写真以外の、スナップショット系の作品が並んでいる。稲越さんのコマーシャル系やエディトリアル系、そしてポートレート系の写真は結構見ていたが、スナップ系をじっくり見るのは実は初めてであった。そしてビックリした。なんというか「稲越功一ってこんなに写真うまかったっけ」って失礼なことを思った。ものすごくイイ。

というか、世界の見え方が近い(僭越ながらボクと)。だから見ていて強い共感がある。年代を追っての展示だったことも良かった。ソリッドな若いときから、少し情緒的な部分が出てきて、どんどん自分を客観的にしていって、最終的にとても静かな心境に到達している感じが俯瞰して見られる。入り口近くに立っていると、右側に若いときの写真。左側に死の直前の写真が見える。テーマもタッチも違うが、どちらも客観的で、突き放していて、わずかにカメラマンの微笑が見える点は一緒。そしてこの世界がとても好きな自分がいる。

会期は8/20(今日)から10/12まで(月曜休館)。
このPDFを見るとどんな写真を撮る人なのかわかる(下の方まで見てください)。何か感じた人は是非。ちなみにこの写真展の写真集も発売される。まだアマゾンには並んでないが求龍堂から「Mind's Eye」という題名で。昨日レセプションで分けていただいたので、昨晩からこればかり見ている。素晴らしい。

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モスクワのモリとのしばしのお別れ

2009年08月19日(水) 9:29:20

岩田守弘くん(モスクワのモリ)が来日すると、それがたまにしかない貴重なものであることもあって、彼と会うことが最優先になる。今月4日に来日してから、彼の予定とボクの予定を最大限合わせてなるべく会ってきた。それも昨晩が最後となった。

ええと今回は6回会えたんだったかな。
「鷹匠壽」で食事(編集者とプロデューサーと)、「茶茶」で食事(ディレクターと大学関係者とマネージの人と)、「アステラス2009」(これは公演)、「モリ×モリ」(これは家で森崎くんと)、「岩田バレエスクール発表会」(これも公演)、「朝日カルチャー講演会」(守山実花さんとの特別講義)。

このメモで少しずつ報告したけど、書いてないのは「岩田バレエスクール発表会」と「朝日カルチャーセンター講演会」か。

前者「岩田バレエスクール発表会」は16日の日曜日に川崎教育文化会館であった。
岩田さんのお父さんが鶴見でバレエスクールをやっていて、そこの発表会で岩田さんがゲストで踊ったのである。「ゴパック」と「『バヤデルカ』ソロルのバリエーション」。ふたつとも実に美しい踊りだった。「アステラス2009」でも思ったが、どうしてもその凄まじいジャンプと美しい回転に目が奪われがちだけど、彼の真骨頂は上半身と手の動きの美しさだなぁ。まぁボクも初心者から脱却して、ようやく細部の美しさに目が止まるようになってきた、ということなのかもだけど。
バレエの発表会自体も楽しかった。トップダンサーたちが何でもないことのように踊っているダンスをスクール生たちが四苦八苦して踊っている。あぁトップダンサーたちもこの過程を経て、気の遠くなるような月日の努力の結果、ようやくあそこに辿り着いているんだなぁというのが鳥瞰俯瞰して見られるのが好き。

後者の「朝日カルチャーセンター講演会」は昨日。新宿の新宿住友ビルにて。
友人の守山実花さん(「食わず嫌いのためのバレエ入門」「バレエに連れてって!」などの著書あり)がインタビューして、ボリショイバレエ入団への道のりから、ダンスへの想い、最近の振付での苦労話まで、いろいろ聞き出していく企画。満員御礼。会場を一番大きなところに変更してもまだ入らず、たくさんの人を断らざるを得なかった模様。モリに好意を持ってくれてる人が大集合しているだけで私設マネージャーとしては感無量。

控え室では「しゃべるの苦手だー」「しゃべれなくてずっと下向いてたらどうしよー」とか本当に困った様子だったモリも、実際に壇上に上がったらまぁしゃべるしゃべる(笑) 彼が講演に向いていることがよくわかった。講演会、もっと企画しよう!>ジャパン・アーツ

個人的には、彼がバレエに没頭していく過程の話や、合気道を始めてバレエがうまくなった話、振付に和を取り入れる話、ボリショイとマリインスキーの違いの話なんかが(前にも何度か聞いたことがあるとはいえ)おもしろかった。

そのあと守山さんも含めて一緒に飲みに行ったので、彼に「ボリショイに練習生として稽古に行ってたとき、相当白い目で見られていたと思うんだけど(練習生も含めて外国人なんかゼロだし)、常に謙虚なモリが、そんな環境でどうやってのし上がっていったの?」みたいなことを聞いた。前から聞いてみたかったこと。
「たぶん、当時は、ものすごく厚かましかったのだと思う」というのがモリの答え。やっぱりそうなんだな。夢中で燃えているある時期、ある種の「厚かましさ」は必要だ。当たり前のようなことだけど、「こんな性格のモリでもそうだったんだ」と確認できたことが大きかった。逆に言えば、伸びる時期(年齢に関係なく)に「厚かましくできないで一歩引いちゃう人」は、それなりにしかなれないということだ。

georgia.jpgモリは今日から岡山へ移動。友人の吉田さんが待ちかまえている。
そして東京を経由してモスクワに帰ってしまう。今年会えるのは昨日が最後。「次は3月だね」と帰りの終電の中で固いハグをした。男同士で抱き合う図がまだ珍しい日本。ものすごく目立った(笑)

そうそう、3月の公演の急造チラシをいただいたので載せておきます。アナニアシヴィリとウヴァーロフ。そしてマキューシオ役に岩田守弘。いまからわくわくである。予約は10月上旬からになりそうだ。またここで告知します。

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おそらくは 今も宇宙を走りゆく

2009年08月16日(日) 13:29:06

昨日は終戦記念日ということもあって、個人的にはしめやかに過ごした。
45歳を過ぎたころからかなぁ、いろんな人のいろんな想いにいままで以上に敏感になってきて、ふと立ち止まることが増えた。若いときにはわかっていたつもりだったことが、実はたいしてわかっていなかったということにだんだん気づいてくる。そしてちょっと想像しただけで泣いちゃうようになった。台風や地震で被害にあった方々の表情とか見てるだけで泣く(笑)。戦争の話なんて涙なしには読めない。端から見たら単なる暑苦しいオッサンだ。ま、外では不感症のフリしてるから大丈夫だけど。

昨日もそんなオッサン状態。玉音放送を聞いて泣き崩れた人々の悔しさ哀しさ空しさが身に染みる。身近で大切な人が戦死しちゃった悔しさ哀しさ。そうやって死んでいったのに戦争に大敗してしまった空しさ。まぁ勝っても空しいのだけど。とにかく想像力が勝手に暴走してとっても辛い事態に。

戦争といえば、以前ご紹介した「カルビーのポテトチップス原爆忌」という句も衝撃だったが、メールで教えていただいた岩井謙一氏の短歌もすごい。

おそらくは 今も宇宙を走りゆく 二つの光 水ヲクダサイ

広島と長崎のピカドンの光。今も宇宙を走っているなんて想像もしなかったよ。何億光年きっと走り続けるんだな。人々の苦しい叫びに追われながら。そしてその二つの光自体の果てしない孤独まで浮かび上がってくる。水ヲクダサイは光自体の叫びでもある。

そうそう、映画「サマーウォーズ」をボクのオススメを信じて観に行ってくださった方から感想をいろいろいただいてます。ありがとう。すげー面白かったでしょ?
ちょっとイマっぽいつながり方だなと思ったのは、ある民主党の議員さんがボクのメモを読んだその日に深夜ロードショウで観に行って感動し、「鳩山さんに絶対見せる」とメールをくれたこと。20世紀には存在し得なかったつながり方だし、どこか「サマーウォーズ」的。

ふと思ったけど、何度聞いてもよくわからない鳩山さんの「友愛」というコンセプト、「サマーウォーズ」は(結果的に)かなりわかりやすいカタチで見せてくれているのではないかな。「友愛」ってきっとある種のチカラのことなんだ。思いやりとかわかりあいとか結びつきだけでは終わらない、その向こう側にある何らかのアクション。そう考えてくると少しわかった気にもなるけど、単なる思い過ごしかもしれない。選挙までもう少し慎重にいろいろ考えよう。

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映画「サマーウォーズ」

2009年08月12日(水) 8:12:58

c20090318_smmerwars_01_cs1w1_300x.jpg映画「サマーウォーズ」をようやく観てきた。
ネット上であまりに評判がいいので、行かなくちゃ行かなくちゃと焦っていたのだけど、満席で断られたりを繰り返しなかなか行けなかった。公開から二週間。ようやく!である。そしてムリしてでも行って良かった。

結論から言う。「すぐ観に行け!」である。DVD化を待つことすら許さん。いますぐ行くべし!

理由はふたつある。
まず「大画面で観て欲しい」こと。これは観ればわかる。DVDで観なくて良かったなぁと必ず思う。
あと「夏の間に観て欲しい」こと。日本の夏の良さをこれほど感じさせてくれる映画も少ない。日本の夏の描かせたらジブリも異様にうまいんだけど(トトロのすごさ!)、いやいやそれを超えたかも。この映画の作画担当に御礼が言いたい。日本の正しい夏をフィルムに残しておいてくれてありがとう。朝顔でスイカで積乱雲で高校野球な、そして帰省した大家族の食卓な、正しい日本の夏。本当にありがとう。

いやほんと、世界に誇れるアニメ映画だ。すぐ輸出すべし。

なによりも「アナログとデジタルを対比させながら、どちらも大肯定しているところ」が素晴らしい。
ストーリー的にデジタル批判に持って行くのは簡単なのに全くそちらを匂わせず、しかも「最後は人間力」みたいなところへ怒濤の収束をしていくあたりの異様な筆力。すごいなぁ。アナログとデジタルに境目がない。どちらも自然に受け入れて取り込んで混ぜあわせる、きわめて日本的なごちゃまぜ収束方法。ハリウッドだったら二元論的な教訓に持って行くところだ。うーん、そういう意味では、輸出してもアメリカ人にはこの多元論的な描き方は理解できないかもしれないなぁ。

それと、ネットのフラット感(肩書きも年齢も関係ない感じ)と大家族のピラミッド感(年功序列&本家分家的な階層感)を同居させて、これまた「どちらも大肯定しているところ」がホント凄まじい。
大家族の縦並び関係にネットの横並び関係がきわめて自然に合わさっている。そういう意味で「未来の空気感」がここにあった。リアルとバーチャルの境目のない感じもきわめて未来的。あぁ数年後には必ずこういう空気になるんだろうなぁ、と腑に落ちた感じ。

というような理屈はどうでもいいや。つか、泣けるし。大泣きできるし。公開が終わる前に是非どうぞ。

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バレエ・アステラス2009

2009年08月10日(月) 7:04:33

ko_20002139_kouen.JPG.jpegモリ(岩田守弘さん)のバレエを観に「バレエ・アステラス2009」へ。@新国立劇場 中劇場

この公演、文化庁新進芸術家育成公演等事業で、副題に「海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて」とある。
アステラスとはギリシャ語で「スター、星たち」だとか。別に製薬会社が後援してるというわけではなく(笑)、今年から始まった文化庁主催の文化事業である。

ここ数年のモリの例をとってみてもそうなのだが、あれだけ海外で活躍しながら、日本で踊る機会が本当に少なかった。数年に一度のボリショイ・バレエ来日公演のときに配役されない限り、ほとんど日本で踊れない。海外で得た経験を披露する場も、後進に伝える場も、実に限られていたのである。
そういうことを憂いている人が他にもたくさんいて、こういう場が出来たという流れ。とってもいいことだと思う。海外というアウェイで孤独に闘っている日本人ダンサーのモチベーションにもつながる。いい企画だ。本当に感謝したい。長く続くといいなぁ。

出演者の中で一番キャリアが長くて有名なのはモリかな。まぁそれでもNHKの放映があるまでは超無名だったけど(バレエの本場ロシアでは今年勲章をもらったくらい有名)。
他に来日したのは、浅見紘子(ドレスデン国立歌劇場)、菅野真代(ディアボロ・バレエ団)、寺山春美(シーダーレイク・コンテンポラリーバレエ)、長崎真湖(遼寧バレエ団)、針山愛美(ベルリン国立バレエ団)、安川千晶(オーランド・バレエ団)。それぞれに海外から相手役を連れてきての出演。

みんなアウェイで一線の人なのでそれぞれに良かったが、まったく贔屓目抜きでモリのダンスが凄かった。
お姉さんの岩田唯起子さんと「サタネラ」のパ・ド・ドゥを踊ったのだが、舞台に姿を現した時点でもうその違いがわかる。ひと言で言うと「ひとりだけ日本人じゃない」感じ。雰囲気や立ち振る舞いが優雅で日本人離れしており、登場しただけで舞台の空気をパッと変えてしまった。というか、ダンスじゃなく「演技」になっている。ひとりだけ踊ってない(ダンスを意識していない)。そんな印象。

もちろんジャンプ力や回転の素晴らしさは群を抜いているし、昨日も堪能できたが、「あぁ根本的に違うなぁ」と思ったのは、立ち姿、手の動き、指先の表現など、基本的なところ。特に手と指の動き。ものすごくキレイで見惚れる。あと目。目や顔の表情でちゃんと演技している。当たり前のことのようだけど、ダンスに精一杯で演技まで気が回っていないダンサーが(ボリショイとかのレベルでも)とてもたくさんいる。うーむ。知れば知るほど、観れば観るほど、彼のうまさ、美しさに唸らされる。

モリたちが踊ったあと休憩時間になったのだが、ホワイエ(ロビー)は彼のダンスで持ちきりだった。

他に昨日イイ!と思ったのは、寺山春美さん。まぁコンテンポラリー(「サンデイ・アゲイン」という演目)を踊ったので目立ったということもあるけど、小さいのにゴムまりみたいなエネルギーで楽しかった。あと、遼寧バレエ団のふたりが良かった。長崎真湖さんと彼女が連れてきた呂萌というプリンシパル。特に呂萌。スター性があるなぁ。彼のダンスの明暗の切れはタダモノではない感じ。ヨーロッパに出てみたら国際的なスターになる可能性があるかも。

海外組以外に、新国立劇場バレエ研修所修了生のダンスがあったが、これも意外によかった。特にフィナーレ前の「カプリチョ・エスパニョール」。踊りの完成度はなかなか。あとは迫力とか内面の激しさが表現できてくるともっとグッと来るなぁ。

公演後、レセプション(打ち上げみたいなもの)に参加。
文化庁長官のスピーチもあった。少々遅かったとはいえ(モリが海外組最年長とかになる前にやってほしかった)、こういうイベントは本当に意義がある。「文化」はこれからの日本の「米」。自民党か民主党、どちらが政権を取るにしても、こういう事業はどんどん推進してほしい。

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あっけなく「ドラクエの夏」が終わる…

2009年08月02日(日) 20:39:58

昨日「ようやく始めました」と書いたばかりのドラクエ9。
あれ? まさか? もう? ほえ? という感じで、どうやらラストダンジョンに突入した模様です。

ええと、本格的に始めたのは新潟から帰ってきてからだから木曜日かな。
でも、木曜夜は仲畑貴志さん、金曜夜は映画監督の鈴木勉さんと飲んだりしていたので、ほぼこの土日しかやっていない。二日で9割方終わりって、あっけなさすぎ…。だいたい30時間くらいしかかかっていない。

でも、やり始めてわかったけど、今回のドラクエ9は「友達が参加していっしょに旅をする」用に作ってあるんだね。つまりDSで通信しながら遊ぶ「オンラインゲーム的醍醐味」を重視した作り。

だからストーリーをクリアするのはどちらかというと二の次なんだな。
「クエスト」とか「練金」とか「宝の地図」とかをやらないでクリアに邁進するとあっという間に終わってしまう作り。

ただ、ストーリーに関係ないところで、友達同士でクエストやったり素材集めたり宝のダンジョンに潜ったりするのが面白いっぽい。そういう意味ではまったく新しいドラクエだ。「実験作」に近い印象。

ストーリー上はずっと4人で旅するんだけど、その仲間との関係も単なる「傭兵」。誰もストーリーに絡んでこない。これが最初不満で不満で仕方なかったんだけど(仲間のレベルアップに思い入れられないから)、これも「友達が参加していっしょに旅をする」ことが前提のゲームだからだと中盤で理解した。誰がはずれてもいいように最初から作ってあるんだな。

ということで、孤独にシコシコやり込みたいボクには多少不満が残るドラクエ9だったけど、客観的に言うと「ちゃんと面白かった」と思う。アマゾンに吹き荒れる不評の嵐ほどではない。魔法の種類が少なかったり、ダンジョンが簡単すぎたり、お馴染みの武器や小さなメダルがあまり機能しなかったり、いろいろ不満点はあるけどね。でもまぁよく練られていたと思う。「主人公が天使かよ」と最初は嘆いたストーリーも、途中からしっくり来だし、天使である意味もよくわかった。うん、次回作に向けていろんな意味でいい転換点になったのではないかと。

って、まだクリアしてないくせに(笑)
でも、クリア後にひとりで「クエスト」とか「練金」とか「宝の地図」とかやる気はないから、あと数時間で「ドラクエの夏」が終わる。寂しいようなホッとするような。ま、本棚整理やら更新やら執筆やら(もちろん仕事やら)がたくさんあるので、これで良かったのだろうな…。

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背徳感がたまらん

2009年08月01日(土) 7:58:51

今日から8月。
月が替わると、まず「『どうぶつの森』で新しい魚や虫を捕らなくちゃ!」とか思うオレ。しかも今日は土曜だからトタケケから曲をもらわなくちゃ、とも思う。アホか。あ、ゲームの話です、すいません。

ゲームといえば、ドラクエ9、ようやく始めました。
時間とられるなぁ、こんなことやってていいのかなぁ、やること山ほどあるのになぁ、という背徳感がたまらん。この背徳感を味わうには「40代50代で現役バリバリ」という表の顔が必要。まさに「こんなことやっててはいけない」世代。ここに深い味わいがある。ドラクエやFFの楽しさの何割かはこの背徳感。時間がふんだんにある若者と引退者にはわからない悦楽かも。

アマゾンとかのレビューでは不評が多かったドラクエ9,どうなのかなぁと始めてみたら意外と面白いじゃん。
まぁ旅する仲間との関係性がゼロなのが思い入れ的に辛いし、ガングロ天使もいちいちウザイけど、細部はよく練ってある(少なくとも前半は)。内容も易しめだけど、DSだし、RPG初心者取り込みの目的もあったんだろうなぁ。個人的には錬金と遊びクエストが面倒だが、これは個人差があるだろう。時間に追われずゆっくりやるなら楽しい要素かもしれないし。

そういえば、Wiiモーションプラスを使った「Wii Sports Resort」は、最初の印象では「あ、欲しい! というかすぐ買う!」という感じだったんだけど、最終的になぜか食指が動いてない。なんでだろう。ピンポンとかやってみたいけど、急速に購買意欲が薄れた。Wiiの「モンハン」もそんなに惹かれない。消費者って難しいね。

そうそう、ご報告が遅れましたが、この日に書いた「新潟の面積は北海道の次に大きい云々」っていうの、全くのデタラメでした(あっちにもウソですと追記しときました)。友人が何度も「新潟は意外と広いよ。だって面積的に北海道の次だから」と言っていて、それをそのまま信じて書いちゃいました。実際に調べたら「5位」じゃん! 友人には速攻クレーム入れときましたが、ツッコミ・メールも多数。すいませんすいません。ちなみに2位は岩手。3位は福島。4位は長野。冷静に考えてみりゃごもっとも。

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越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭

2009年07月28日(火) 10:25:33

朝、レンタカーを借りて「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」へ。

って、新潟って北海道の次に大きな県なんだって !?(追記:ウソです。実際には5位です)。その中部、妻有地区まで、泊まった岩室温泉から意外と遠く、わりとドライブな1日になった。だって作品から作品までクルマ移動で20分とかザラ。そういうアートが350点点在しているんだもん、面白いけど結構苦労するフェスティバルだ。

とはいえ、アートより食事なワタクシ。
まずは十日町市のへぎそばの老舗「由屋」でへぎそば。その後、すぐ近くにあるという理由でアートNo.28のジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー「ストーム・ルーム」を見る。

廃屋を利用した体験型アートで、廃屋の二階の一室に入ると、大雨と雷鳴を体験できる。古くてカビ臭い一室の座布団に座り込んで外の大雨(窓外に実際に水が降る)と雷鳴におびえる。遠い記憶がいくつも呼び起こされるアート。いやぁ最初からすばらしいものを体験。結果的にボクはこのインスタレーションが一番気に入った。

お次はNo.27の渡辺泰幸「風の音」。
山道を500メートルくらい登っていくと風鈴がたくさん鳴る空間に出るのだが、小雨っぽかったこともあるのかその山道にアマガエルの大群が出てきていて、彼らを踏まないように歩くのに必死(笑)。こんな大群初めてだ。しかも他に観覧者もおらず、深山にひとりきり。これまた印象的(風鈴アートもなかなか良かったが)。

と、最初のふたつで相当楽しい思いをしたので、その後は前のめりで鑑賞。

No.33、田島征三「旧真田小学校 絵本と木の実の美術館」。
廃校アート。廃校時たった3人だった生徒が廃校後も校内を永遠に飛び回り遊び回るアート。

No.38、「福武ハウス2009」。
これも廃校の各教室にいろんなインスタレーションを展示したもの。中では渡辺英司の蝶瞰図と平野薫の古着アートが良かった。
前者は図鑑の蝶の写真をすべて切り抜いて天井とかに無数にとまらせたもの。蝶が図鑑から外に出る、という着想が、昆虫図鑑にかじりついていた昔の自分を想起させ、そのまま解放されて面白い。後者は着用した服を解体し糸くずを再構築するインスタレーション。老女の服が教室一杯に糸くずとして広がり、糸に染みついた記憶を展開させる。見事。

No.147の「まつだい農舞台」。
ここではイリア&エミリア・カバコフの「棚田」がすばらしかった。同敷地内に展示されていたNo.150の草間彌生「花咲ける妻有」も良かったけど。

この辺でタイムリミット。夜は新潟の割烹「蘭(あららぎ)」を予約したので、もう出ないと間に合わない。半日かけてこれしか見れなかったけど、意外と満足。いい芸術祭だったな。でもあと340くらい見てない(笑)

見たアート、いくつか写真撮っているので、東京に帰ったら追加掲載します。

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ホンマタカシ著「たのしい写真」

2009年07月21日(火) 6:19:22

たのしい写真 よい子のための写真教室最近、アタリ本が多くて感想が間に合わない。
この本も数週間前に読み終えた。すばらしい。写真だけでなく人生にも新しい視点を与えてくれる本である。

著者のホンマタカシさんは日本を代表するカメラマンのひとり。
彼が書き下ろしたこの本「たのしい写真 ーよい子のための写真教室」(平凡社)は、「photograghは『写真』じゃない。〈真を写す〉だけじゃない---」というキーワードを出発点に、小難しく語られがちな写真史をさらっと整理してくれ(写真初心者が知っておくべきふたつの「山」"決定的瞬間とニューカラー" に絞って簡潔に俯瞰させてくれる)、写真がもっとたのしくなるための最低限の考え方を楽しく気楽に提示してくれる。ワークショップもエッセイも対談もそれぞれにすばらしい。

あとがきにこうある。

写真を目にしながら、何も考えずに好き嫌いの次元で判断してはいませんか? もったいないなあ! と思うのです。もうちょっとだけ写真について考えてもらえたら。そうすれば、写真はもっともっとたのしくなるはずなのに。
いや、そのとおり。
実際ボクは、この本を読み終わってから、写真の見方がずいぶん変わった。ブレッソンとかティルマンスとかの写真集を買い求め、"この本以前" とは違った目で写真を眺めている。そして自分でもまた撮りだした。たのしくて仕方ない。

ホンマさんとはハワイで一緒にロケしたことがある。とっても無口で物静かな人だった。でもこの本ではたいへんに饒舌。たとえば「は・じ・め・て・の写真」という章なんか、長々と「はじめてのデート」のことを書いてボケるんだけど、実物のホンマさんを知ってたら驚天動地だ。内面ではこんなに豊かに言葉が奔出してたのか!(笑) というか、文章うまっ!

この本にボクはたくさん付箋をつけたんだけど、そのうちのひとつをご紹介しよう。

 写真する人はいつも考えるだろう、どうやったら他人と違う写真が撮れるのだろう、と。どうしたら自分だけの世界を構築できるだろう? それが間違いなんだ。自己表現なんて考えるな。自分が考えられることなんてたかが知れている。その風景にただ体を預ければいいのだ。そして感謝しろ。「太陽さん、ありがとう」。何も考えずにバーチバチ撮るんだ。ただし、その風景を敏感に感じなければいけない。絶えず自分の感覚を鋭敏にして、オープンにしておかなければ、せっかくの絶景を逃がしてしまう。
 1回逃がしたら終わり。2度目はない。それが写真のリアル。ボケッとしていたり悩んでいたら、せっかくのチャンスは全速力で逃げてしまう。あっという間に何億光年も先まで行ってしまうんだ。だから素早く捕まえよう。そしてバーチバチドンドン撮影するのだ。(P143)
この本の帯には「『今日の写真』を読み解くための必読教科書!」と書いてあるが、これを教科書とカテゴライズしてしまってはもったいない。写真ともっとたのしくつきあうためのエントランスであると同時に、「人生をたのしく過ごすためのバーチバチとは何か」でもあるんだな。このバーチバチとは「カメラがあれば助けにはなるが、カメラがなくても本当は切り取れる瞬間瞬間」のこと。そこに写っている「時間」こそが人生だ。

読後、なんとなく芭蕉の「高く心を悟りて、俗に帰るべし」という言葉を思い出した。
ホンマさん、一周回って俗に帰り、そのたのしさに浸っている感じ。そこへの「近道」を提示してくれている本だ。ありがたく、近道、行かせていただきます!

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共通認識が揺らぐとき

2009年07月20日(月) 19:33:32

毎日少しずつ、大切に読んでいる「1Q84」。
ようやくふたつの月が空に浮かんでいるところにさしかかった。

村上春樹というのはすごい作家だと思う。
ふたつの月のところにさしかかったところで、ボクの中の「世の中と握っている共通認識」は相当揺るがされた。

ボクは世の中と「月はひとつである」という共通認識を取り結んでいて、何も疑っていない。
「1Q84」という本の中でもそうだ。村上春樹は我々がよく知っているちょっと前の日本の情景を丁寧に描くことで、読者の我々と「同じ世界に生きている物語」という共通認識を取り結んでいく。で、ある時突然それが裏切られる。「月がふたつ出ている」という「現実」がいきなり提示され、「世の中と握っている共通認識」すべてに疑念が発せられる。それをボクたちは見事に疑似体験させられる。

これは凡百の小説がそれを描こうと艱難辛苦してきた「異化」の鮮やかかつシンプルな提示だ。
登場人物の日常を丁寧に描き、わずかなほころびでジャブを打ちつつ、突然、共通認識の崩壊を鮮やかにボディにぶちこんでくる。そしてボクは見事にそのパンチを受け、揺らぎきってしまった。その後、何も信用できないままにストーリーを追わざるを得なくなる。それは「存在」への不安に直結しているから。

我々の「存在」は、その時代と組織(もちろん国やイデオロギーを含む)のシステムに内包された共通認識に大きく依存している。そのことに強烈に気づかされる瞬間。では、共通認識が崩れると「存在」まで崩れゆくのだろうか…。

もちろん、まだ一巻目の途中なので、今後「月」の意味も変わってくるかもしれないし、「異化」と見えたものも実は「異化」ではないかもしれない。でも、「ふたつの月」を中空に見た時点で、ボクはしばらく読むのを止めようかと思っている。この部分だけでたくさん考えないといけないことが出来てしまった。ちょっと処理する時間が必要だ。

どっかで同じような感覚に襲われたことがあったなと必死に考えてようやくわかった。映画「マトリックス」を初めて観たときに同じような感覚に襲われたっけ。共通認識の崩壊、という観点のみだけど。

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サイモン&ガーファンクル 武道館ライブ

2009年07月16日(木) 9:25:38

というわけで、サイモン&ガーファンクルのたぶん最後から二番目になるライブに行ってきた。@武道館。

2日前にとった席なので仕方ないけど、スタンドの一番上から2列目。アルファベットでいったらW列。ううむ、これで20000円は辛いなぁ。でも、ステージから遠い分、逆に歌に集中できて良かったかもしれない。

彼らの半生を振り返る映像(BGMは「America」のカラオケ)から始まったライブ。ふたりが出てきての一曲目は渋く「Old Friends」であった。このツアーの表題曲。で、2曲目は「Hazy Shade of Winter」で盛り上げ、「I Am a Rock」「America」へ。

以前からちょっと挙動不審ぽいところはあったけど、歳をとってポール・サイモンの動きがいよいよ怪しい感じになったのがなんとも可笑しかった。めちゃセンスの悪いシャツ着て、めちゃ格好悪いアクションをたまに少しする。あとは視線はずっと下を見たままの無表情。MCもほとんどしない。変人だなぁ。

対照的にアート・ガーファンクルはサービス精神旺盛だし、歌もがんばっていた。
MCでも日本語混ぜ込んだりして、ちょっと可愛い。「日本の太平洋側から日本海側までずっと歩いたことあるよ」みたいなことを言っていた。調べたらこんな逸話があるっぽい。

1978年6月、アート・ガーファンクルはコンサートやレコードのプロモーションではなく、個人的な好奇心で突然の1人旅で、貨物船に乗って10日がかりで日本にやってきた。
神戸のホテルに荷物は置きっぱなしで、歯ブラシと地図とクレジットカードだけを持って京都まで歩く。京都から福井県敦賀まで4日かけて歩く。敦賀で自転車購入。自転車で小野八幡まで。
宿泊先の旅館でちょうど「愛の狩人」放映。ステージ用のヅラはずしてたのでただのハゲ外人にしか見えず、テレビに映ってるS&Gの映像指して「あれオレ」と言っても旅館の人に相手にされなかった。
京都に戻り、自転車ごと新幹線に乗ろうとするが持ち込めないと言われ、そこらの通行人に売ろうとするが売れず。結局駅前で自転車を捨て、列車で荷物をとりに神戸へ。神戸から新幹線で東京。
東京で初めてCBSソニーに連絡を入れ、野球(巨人・ヤクルト戦)を観戦。野球のチケットはCBSソニーの手配したネット裏のものだが、アート本人も朝8時の当日券売りに並んで購入した外野席券をすでに1枚持っていた。野球のTV中継でカメラマンがアートに気付き姿を放送し、TVに写った時、「ポールサイモンさんです。」と紹介される。(元ネタ
変人だ(笑)
でもボクもガーファンクルの顔みながら「愛の狩人」を思い出していた。あの頃のアン・マーグレットがさ…(回想に入る)

ライブに戻ると、その後コンビを組んだ頃のエピソードと曲をやって、「Scarborough Fair」へ。
ここでいきなり意識が小学生のころにスリップした。小学校4年のクラス。ボクが班長をやっている班に好きな子がいて、その子にいいとこ見せようとがんばりすぎて逆に班の運営がうまく行かなくなったことなんかがアルバムを一頁一頁めくるように思い出されていく。あの頃この曲を聴いてたわけではないのに、なぜだろう。

続いて「Homeward Bound」「Mrs Robinson」。
「Mrs Robinson」は映画「卒業」の映像を挟んだあとに。途中でストーンズの(というか、クリケッツのか)「Not Fade Away」に曲が変わって、また「Mrs Robinson」に帰ってきたのが面白かった。

サイモンのソロヒット曲「Slip Slidin' Away」をふたりでやって、お約束「El Condor Pasa」(コンドルは飛んでいく)をやって、ソロコーナーへ。
ガーファンクルが3曲(「A Heart in New York」をやってくれてうれしかった)、サイモンが3曲(「Still Crazy After All These Years」を生で聴けるとは!)、そしてふたりに戻って3曲。ラストは「Bridge Over Troubled Water」である。

この「明日に架ける橋」は、中学時代だったかに聴きすぎてちょっと飽きており、たいして聴きたくなかった。
でも、やっぱり生で聴くと違う。ガーファンクルが端正に1コーラスやり、2コーラス目はサイモンが崩して歌った。で、3コーラス目をふたりで歌ったのだが、その冒頭、「Sail on silvergirl, Sail on by. Your time has come to shine. All your dreams are on their way.」のところのハーモニーの美しいこと! 思わず泣いた。サイモンが崩して歌った分、よりその美しさが引き立ち、染み渡った。この一曲だけでこの日は満足かも。

あとはアンコール。
「Sound of Silence」「The Boxer」「Leaves That Are Green」「Cecilia」。
あのさー、観客のみなさん、「Sound of Silence」で手拍子はやめようよ(笑)。というか、やめて!
ノレる予定だった「The Boxer」の♪ライラライは、ふたりが崩し気味にするものだからうまくノレず。ちょっと残念。まぁラストのラストで「♪Cecilia〜」と一緒に歌えたから良かったけど。

なんだろうな、とっても楽しかったけど、妙に懐古的になった2時間だった。
聴きながらニコニコ笑うというより、遠い目で「あれ? オレはいったいなんでこういう人生だったんだっけ?」と感慨にふける感じ。どっちかというと内省的に。

内省的になったのは、ポール・サイモンのせいもある。
なんか楽しくなさそうだったし、何かを悔いているような表情に思えた(実際は単にそういう顔をするタイプだと思うのだけど)。その表情を見ているうちに、ふと気がつくと心は過去の悔恨の中で苦悶している。

ライブはいろんな効能を見せる。楽しく元気になるだけがライブではない。しばしの悔恨と甘き自己憐憫。これはこれで砂糖菓子のように甘い。

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最後から二番目のライブ

2009年07月15日(水) 12:14:16

今日の夜、ぽっかり予定が空いたので、なんかライブかコンサートか落語かに行って気分転換したいなと探し回っていたら、ちょうど「サイモン&ガーファンクル・ライブ」があった。しかも@武道館。東京ドームだったら行かなかったけど、武道館なら行きたい。しかも昨日の朝時点でまだチケットがあった。こりゃ縁だ。行かねば!

ということで、無事チケットを入手し(かなり高い…)、昨日からずっと彼らの曲を聴いている。
久しぶりに聴くといいなぁ。というかほとんど全部歌えるなぁ。目の前であのふたりのハーモニーを聴ける未来が来るとは…。もしくは(舞台と客席とはいえ)「♪Cecilia〜, you're breaking my heart」とかって一緒に歌える未来が来るとは…。

サイモン&ガーファンクルの再結成は今回で4度目。
どうやら、今年2月に行われたポール・サイモンのライブにアート・ガーファンクルが飛び入り参加したことが再結成のきっかけらしい。「サイモン&ガーファンクルとしてツアーをするのは、この来日公演が最後だと思う」とサイモンが発言してるらしいから、もうふたりとも67歳だし、本当の「ラストライブ」になるのかもしれない。日程を見ると武道館の次は札幌で7/18。これがツアー最終日。札幌がこの偉大なデュオの「最後の最後」になるのかも。「最後から二番目のライブ」をギリギリ見られて良かったな。楽しみ。

そうそう、お知らせを忘れておりましたが、約1ヶ月前に収録したKISS-FMの「ワダカフェ」のPodcastがこちらにアップされております。和田裕美さんとの対談。やっぱ自分の声を聴くって気持ち悪い。つーか、もっと大きな声で話せよ!とか、滑舌わりぃ〜とか、いろいろ思っちゃいますね。ご興味ある方は、どうぞ。

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「犬」のくせに

2009年07月12日(日) 8:08:44

bigboss.jpgま、アップルほどではないにしろ、「ドラクエ」シリーズの「犬」でもあるワタクシです。

昨日はその新作「ドラクエ9」の発売日。

うん、「オレは必ず買う」って明白にわかっている。かなり前から予約受付していたのも知っている。なんとなく7月中旬は仕事入れずに開けてある。
でも、なぜか予約はしないんだな。なんでか知らんが「予約してまで買いたくない」と思っているようである。この「犬」心理の微妙なことよ(笑)。「犬」のくせに普通に流通するようになってからコッソリ買ってコッソリ始めるらしい。この辺、自分でもうまく説明できない心の動き。

あぁそういえば「1Q84」についてもどこかにそんな心理があったなぁ。「iPhone」についてもそういう気持ちがどこかにあった。「犬」心理というより、みんなが殺到すると距離を置きたくなるという、単なる天の邪鬼的ココロかも。面倒くせえヤツ。

写真は、犬の散歩中に見つけた「エスターク」さんのお宅。こんなところに隠遁されてましたか。
いわずとしれたドラクエ5の裏ボス。魔族の王ピサロが崇拝し、魔界の王ミルドラースが恐怖する帝王。そのわりに意外と地味でさりげないお家にお住まいでした。真の強者とはそういうものか。

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駒沢敏器著「アメリカのパイを買って帰ろう」

2009年07月10日(金) 7:36:47

アメリカのパイを買って帰ろう―沖縄58号線の向こうへ先週お約束したとおり、週刊文春に書いた書評を転載します。

アメリカのパイを買って帰ろう ―沖縄58号線の向こうへ」(駒沢敏器著/日本経済新聞出版社/1785円)

 もちろん近年発売されたすべての沖縄本を読んでいるわけではない。でも、そこそこ沖縄に詳しい(沖縄本を2冊書いている)人間としていきなり断言したい。この本は近年書かれた沖縄本の中でもベストではあるまいか。

 沖縄本といってもいろいろあって、自然の魅力を書いた本、琉球文化について書いた本、沖縄戦の真実を書いた本などたくさん出版されている。ただ、この本が他の沖縄本と違うのは、意外にもまだほとんど誰も手をつけてなかった「アメリカだったころの沖縄」について書かれていること。そう、沖縄にはパスポートを持たなければ入れない時代があった。正確に言うと一九四五年に終戦してから一九七二年に返還されるまでの二十七年間、沖縄は、琉球でも日本でもなく、アメリカだったのだ。

 意識してなのかどうなのか、沖縄人は「アメリカだったころの沖縄」に触れたがらない。アメリカ統治時代にどんなことがあり、どれだけアメリカ経済・文化の恩恵を受けたか。反米と親米の狭間で心が揺れ、日本に対する複雑な思いもそこに加わり、いったいどれだけ苦しんだか。沖縄人は語らない。だからこそ、それらをあぶり出したこの本は新鮮であり、かつ貴重なのである。

 著者は彼らの心に一歩一歩静かに踏み込んでいく。残された資料がほとんどないので、生き残っている当事者を探し出し、消えつつある彼らの記憶を掘り起こし、丁寧に「アメリカだった沖縄で何があったのか」を調べ上げていく。こう書くと「地味で資料的な本? なんか難しそー」と敬遠されるかもしれないが、さにあらず。魅力的な語り口とともに濃密にも美しく「アメリカだったころの沖縄」が浮かび上がる名作ノンフィクション・エッセイだ。

 著者によって描かれるのは、意外に明るく素直な「アメリカ好きな沖縄人の素顔」。アップルパイのエピソードから始まって、アメリカグチと言われた独特の沖縄弁イングリッシュ、アメリカの影響で沖縄に広まったコンクリートブロック住宅、言わずとしれたポーク缶詰、そして幻のラジオステーションKSBKなど、様々なエピソードを通してアメリカと共に生きた沖縄人の素顔が見えてくる。それらの元になっているのは沖縄人特有の受容の心。あのまま日本に返還されなかった方が幸せだったのではないか、と少し思ってしまうくらい、沖縄人はアメリカを自然に受け入れ、愛していたのである。

 いまの沖縄を理解する上で避けては通れないのに、いままで誰も通らなかった地下の道。封印されていたこの地下道への扉を開け、新たな光で満たした著者の慧眼と筆力、取材力に拍手を送りたい。

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Smell of Books

2009年07月08日(水) 7:15:23

本の匂いフェチの人、やっぱり多いんですね。いろいろメールをいただきました。

NY在住の方から教えてもらって驚いたのは、アメリカでは「本の匂いスプレー」なんかが売っていること!

その名も「Smell of Books」

e-BOOKを読む人に「本」気分を味わってもらうためのものらしい。サイトをみると「e-BOOKを読みながら嗅いだりしたことある? ないよね? 科学的に証明されてるんだけど、e-BOOKってカラダの記憶に残るために必要な何かが足りないんだ。このスプレーがそれを解決するよ」みたいなことが書いてあって笑える。「本」気分が欲しければ本を買えよ、とも思うけど、紙からデジタルへ移行した人のためのアイデア・グッズとしては面白い。

これ、KindleとかiPhoneとかで本を読むときに、そのガジェットに吹きつけるのかな。シリーズで5つも出ていて、まぁちょっと欲しいのは「New Book Smell」ってやつ(笑)。これはフェチには堪りませんね。デスクトップのモニターに吹きつけたいくらいだ。
古本のかび臭さを再現している「Classic Musty」もちょっと嗅いでみたい。「シェイクスピア全集が缶に入っているようなかび臭さ」だって。同じような感じに「Eau, You Have Cats」とかいうのもある。ネコ好きのおばあちゃんちから本を借りたような匂い。うはは。

よくわからんのは「Scent of Sensibility」「Crunchy Bacon Scent」。前者は雰囲気作りかな。ジェーン・オースティン(イギリスの古い女流小説家)の世界に生きているような香り、とか書いてあるし。でも後者のベーコンの香りは何だ? 「健康に関心のある本好きに」と書いてあるけど「for your breakfast reading enjoyment」っちゅうのがよくわからん。ベーコンの香りを嗅ぎながら読むと朝飯が食べたくなって健康にも良いぞよ、という趣旨だろうか。

※朝からツッコミメールが多数なので、ご紹介しときます。つまり「朝ごはんを食べながら本を読むのが好きだけど、健康を考えたらベーコンみたいな脂っこいものは控えなきゃいけないなぁ、という方のために、この香りで我慢してね、という趣旨の商品だろう」と。我慢するよりせめて匂いだけでも楽しんでね、ということ。いや、それも考えたんだけど、匂い嗅いだら逆に食べたくなんない? そう思って「食欲増進」「朝食大切」方面に解釈しちゃいました。アホ。考えてみたら、アメリカの場合そんな複雑な発想しないよね。
ま、ともかく、商品になるくらい、世界中に本の匂い好きがいるっつうことで。
文庫本の匂いを嗅いで「あっこれ、角川」「あっこれ、文春文庫」と「利き本」が出来る方からもメールをいただいた。でも確かに、文庫を異様に読んでいた高校時代だったら出来たかもなぁ。岩波文庫とか独特の香りがあった。あとね、いま思い出したけど、春陽文庫だったかなぁ、これは少しケミカルな安い匂いで(これはこれで当時としては)好きだったなぁ。

でも、濃密な体験(苦痛も含めて)として、受験参考書の匂いが一番よく覚えている。
昨日も書いた「チャート式」もそうだけど、「大学への数学」シリーズも強烈に香りを覚えている。これ、黒本もそうだけど、ムック版のピンク本ブルー本の香りも特徴的だった(色でいえば、いわゆる「赤本」も香ったね)。
あと、山川の日本史参考書も香ったなぁ。山川のは教科書も香った気がする。あとね、名作「英文解釈教室」(伊藤和夫著)。これの開きたて(つまりNew Book)も香ったなぁ。陶酔した(笑)

そういえば、昨日はひとつ講演があったのだけど、そこで質疑応答の時間に「1Q84の本の匂いは何か思い出しましたか?」と聞かれて焦った(笑) いや、まだ思い出せてません。

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本の匂いフェチ

2009年07月07日(火) 7:35:13

村上春樹を読むのって、ボクにとっては体力いることなので(わりと精読したくなるから)、体調悪いときに読みたくない。まわりがみんな新作「1Q84」を読んでいるのに手を付けなかった理由はそれだけ。体調が戻ったらゆっくり読むぞおと思ってた。高原のホテルのプールサイドにでも寝ころんでさ(そんなことしないけど)。

でも、完調に戻ってないのに、昨晩なんとなく読み始めてしまった。
積ん読になっている「1Q84」をふと手にとって「いつごろ読めるかなぁ」とパラパラとめくってたら、なんともいい香りがするじゃないですか。あぁ〜、この本の紙の匂い、好きかも……と思って、そのままなんとなく読み始めてしまったのである。うーむ、もうちょっと先にゆっくり読もうと思っていたのに。

ボクは昔から「本の匂いフェチ」である。ジャケ買いならぬ「匂い買い」もよくする。
目覚めたのは高校の参考書の「チャート式」かなぁ。あの参考書の紙の独特の匂いがわりと好きだった。参考書自体としては「チャート式」はあまり好きじゃなかったのに、本の匂いが好きだから、という理由で買ったりしていた。ボクが高校当時だからもう30年前の「チャート式」だけど(最近の「チャート式」はあの匂いがしない! ←定期的に参考書売り場に「チャート式」の匂いを嗅ぎに行っているらしい)。

この「1Q84」の紙の匂いは、高校時代に好きだった何かの本を思い出す。
何の本だっけなぁ。喉元まで出かかってるんだけど。あぁ!もどかしい!

最近は経費削減なのか、紙の匂いがいい本に巡り会えることが少なくなった。「1Q84」は久しぶりのいい匂い。数ページ読んでは紙の匂いを嗅いで陶酔しているオッサンもキモイと思うが、まぁ誰も見てないし。 許せ。

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週刊文春に書評を書きました

2009年07月03日(金) 7:13:38

えっと、昨日発売の「週刊文春(7月9日号)」にボクが書いた書評が載っています。

書評したのは駒沢敏器さんの「アメリカのパイを買って帰ろう―沖縄58号線の向こうへ」という本。

駒沢さんは友人でもあるので、この本は出版されてすぐ買って読んでいました。
で、「なんて素晴らしい本なんだ」と感嘆したんだけど、その素晴らしさを伝えるのが意外と難しく、さなメモにどう書こうか迷っていたところに、「書評を書いてください」と偶然に文春の編集の方から依頼があったんですね。過去に2回だったか書評書いているし、沖縄の本を文春から出していることもあるのでしょう。

うわー書きたいけど…こりゃ難しいなぁと頭を抱えたんだけど、沖縄の話でもあるし、友人でもあるし、変に理解がない人が書くよりは適任だろうし、こりゃやっぱり書いた方がいいだろう…と引き受けました。

そこから悩むこと一週間。
アメリカだったころの沖縄を著者がシーク&ファインドしていくノンフィクション・エッセイなんだけど、書き出すと言及したいことが多すぎて字数が足りない(12字×91行=1092字)。参ったなぁ。中途半端に削るとその魅力が浮き出てこない。上っ面をなぞると深い部分に触れられない。んー、ままよ、いっそのこと肩の力を抜いて「さなメモ」みたいに書こう!

と、「書評」と思わず「さなメモ」なんだと意識して書いて、先週金曜日にメールで原稿送りました。
同時に著者の駒沢さんにもメールで送ったら、最大限の感謝をいただきつつ、「ちょっと力入りすぎですね。いつもらしくない(笑)」と。あは、ダメじゃん!(笑)
いつもらしく書こうとしつつ、「この本をみんなに読んで欲しい!」という気持ちが勝りすぎて結局肩に力が入ってしまったみたいですね。いや、ほんと、まったく力不足で申し訳ない。

もしよかったら立ち読みでもしてみてください。
書いた書評は来週くらいに(販売が終わったころに)ここに掲載します。

いやホント、題名からはわかりにくいですが、沖縄好きは必読だし、いままでほとんど光が当てられなかった「アメリカだったころの沖縄」を濃密にも美しく浮かび上がらせた名作だと思います。書評の冒頭でも書いたけど、「この本は近年書かれた沖縄本の中でもベストではあるまいか」とボクは思うなぁ。

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立川談志 独演会

2009年07月01日(水) 12:03:55

眼福だった立川談志の独演会について書こう。

ある方がとってくれたプラチナ・チケット。サンケイリビング新聞社主催「リビング名人会 立川談志」。
大箱である「よみうりホール」の二階席だったが、生きて歩いて声出してる談志を見られるだけで満足である。なんつっても73歳にして声門ガンからの生還だ。以前も食道ガンとか摘出していたけど、今回は噺家の命、喉のガンだからなぁ。春には高座に復帰していたらしいけど、ほとんど声が出ず、出来も今ひとつだったと聞いた。

前座で弟子の立川談修が「家見舞」という噺をして(達者)、その後「踊らさせていただきます」といきなり高座で「奴さん」を踊った。そういえば談春が書いた「赤めだか」でも立川流の二段目昇進試験で踊りを踊る場面があったっけか。

で、次が談志。

出囃子が鳴り始め「お、ついに談志!」と身を乗り出したものの、そこからが長かった!
出囃子が鳴り続けること優に5分。いや10分近いか。いまかいまかと待っている10分ってホント長い(笑)。もう出てこないのかもと思った頃、談志がよちよちと姿を現した。というか、舞台袖カーテンから身を出したところで客席に「おぅ」とばかりに手を挙げる。ここで爆笑。座布団に座る前から空気を掴み、遅れたことも「談志だから仕方ない」とみんなが笑って許すこの凄さ。究極の芸は「その人自身でいるだけで笑いがとれること」だと思うが、そういう域に達した数少ない一人。

座布団に座るまでに数分かかる。歩けない。足がつらそうだ。膝が痛いらしく、噺の途中で「ちょいと待ってくださいよ、普通なら高座が終わってから楽屋で痛がるもんなんだろうけど、オレぁ客の前でも関係なく痛がるんだ。イタタタ」と、痛がる。歩くのがつらそうなのは可哀想。よろよろと数センチ単位で前に進む感じ。

まずは「居酒屋」。
これは「ずっこけ」の部分です、と談志自らが説明する。枕を語り、世相を斬り、落語を語り始め、落語の途中でまた雑談を入れ、芸人批判をやり、また落語に戻り、アメリカン・ジョークを少し入れ、また落語に戻り、落語の説明からまた雑談に入り、と、なんつーかもう自由自在の立川流。心配した声もよく出ていてメリハリも効いている。超よぼよぼだが、たまに若者の談志も現れる。その瞬間が面白くて。

仲入り後の後半も談志の落語。
またしても長〜い出囃子。というか、今度は「談志のことだから帰っちゃったんじゃないか」と心配になった。いや、もしかして死んじゃったのでは?…とか思い出した頃にまたよちよちと。

で、二席目「よかちょろ」(「山崎屋」)。
これ、落語にくわしい女性に言ったら「談志の『よかちょろ』! 生で聞きた〜〜い!」と羨ましがられた。

談志自身、「粗忽長屋」「金玉医者」と並んで大好きな噺なのだとか。十八番らしい。
しかし、サゲをサゲない。サゲの直前に「で、この噺、こうこうこういうサゲなんですが、あっさりしていていいやね」とサゲを客観的に解説してオシマイ。すげー(笑)。でも「このサゲの後にまだ一席二席分の噺があるんで、それを一席やりましょう」と、もう一席してくれた。

途中、番頭さんの台詞のところで「日本橋………おい、日本橋のどこだ?」「横山です」「あ、日本橋横山町ね」と、舞台袖のお弟子さんと会話(笑)。そこからまた雑談に入っていく。ま、とにかく自由自在。応用自在。

無事に噺も終わって、一度幕が下がったが、すぐ開いて「時間があるようなので」とお得意のアメリカン・ジョークをいくつか演ってくれた。このサービス精神があるなら大丈夫。もうちょっとは生きてくれそうな気がする。相変わらず毒舌爆裂だったし、気持ちの張りも失ってない。見た目は「超枯れすすき」だけどね。

同じ空間にいられるだけで幸せ。
みんなが「壊れもの」を扱うように丁寧に聴いている感じも心地よい。そう、客全員が、そーっと、壊れないように、優しい視線で彼を支え、包んでいるような。

こういう「わかってる人たちのわかってる空気」に浸るって、温泉よりずっと気持ちいいな。

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模倣からの自由

2009年06月16日(火) 8:26:18

昨日寝るときに考えていたこと。

全盲のピアニストって、楽譜が読めないのだから、曲を覚えるときに誰かの演奏をCDで聴いたりして覚えるんだよね? そしてその演奏の「解釈」や「表情」を模倣するところから入る。特に超絶技巧系の曲だと、最初に聴いたCDを正確に再現するところから入るはず。つまり「誰かの解釈」を完全模倣して記憶するのが第一歩になる。

模倣は芸術の母だ。目が見える人でもそれは変わらない。でも、楽譜がなく、「誰かの演奏」が記憶のベースになるとき、その「模倣」からどうやって自由になるのだろう。
例えば生まれてから一度も地下室から出たことがない人がいるとして、「空」という概念をゴッホの絵で覚えたとする。まずは完全模写で「ゴッホの空」を覚える。あぁこれが「空」というものなのかぁと。 その後シスレーやらターナーやらの「空」も見るだろうけど、彼の「空」のベースは「ゴッホの空」。ある強烈な個性と完成度を持った「空」。そこから自由になって「彼自身の空」を描くに至るにはいったいどんな過程を経るのだろう。

バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した全盲のピアニスト、辻井伸行さんの偉業を思うたびに頭に浮かぶ命題。いや、彼や全盲の人を貶めているわけではなく、純粋に演奏に感動したから書いている。たとえばルービンシュタインの偉大な演奏の完全模倣から入ったとき、どうやってルービンシュタインの偉大な演奏から自由になるのか、なれるのか、そこが知りたい。

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YOSAKOIソーランから無事帰還

2009年06月15日(月) 20:56:58

YOSAKOIソーラン祭りの札幌から東京へ無事帰還。
というか、朝のヒコーキだったので昼前にはもう東京で仕事していた。次回はもう少し札幌でゆっくりしよう。

ファイナル・パレード審査はとても楽しかった。
大通り公園南コースを12チームが演舞してくるのを、桟敷席に座って「演舞」「感動」「芸術」などの視点から100点満点で採点していく。審査員はボクを含めて8人。審査員前の演舞はチームも相当気合いが入るので感動もまた違う。

パレードの後でステージ審査があるのだが(これは倉本聰さんを審査委員長にした別チーム)、ステージとパレードではかなり採点結果が異なるだろうなぁ。パレード映えする演舞がステージではイマイチだったり、パレードではイマイチと思った演舞がステージではとても良かったりする。同じ演舞なのに見え方や感じられ方がずいぶん違う。チームの個性もあるし、構成の違いもあるだろう。両立が難しいのかも。

そういう意味では今年のYOSAKOIソーラン大賞を見事獲得した「平岸天神」も両立できていなかったと感じた。
ステージ演舞は完璧な出来だった。素晴らしい。でもパレード演舞は構成と盛り上がりに難があったと思う。ボクはパレードではあまり高い点をつけなかった。とはいえ完成度から言っても勢いから言ってもまぁ順当だと思うけど。

パレード演舞では、個人的には総合5位に終わった「北海道大学 "縁"」に高い点をつけた。
荒削りすぎるけど、パレードではそれがいい方に作用していたから。熱い塊が投げつけられたような衝撃があった。祭りはこうでなくっちゃね。ただステージ演舞ではそれが分散してしまっていた。惜しい!

審査終わって9時半くらいにモリ(森崎博之くん)の家へ赤ちゃんの顔を見に。
Rothschildのシャンパンを始め3本をほぼふたりで開けた。飲み過ぎだな。それにしてもこの若い男女が完全に「父母」になっていたのには驚いたな。やはり役割がヒトを作るんだなぁ。

赤ちゃんは美男子だった。お世辞抜きで。
でも頭がでかい。これは父親譲りだから喜ばしいね。

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映画「グラン・トリノ」

2009年06月11日(木) 7:59:17

映画「グラン・トリノ」をレイトショウでようやく観た。

いつ公開が終わっちゃうか冷や冷やしていたので、観られて良かった。
リアルタイムでイーストウッドが新作を公開してくれる幸せって、たとえばリアルタイムでビリー・ワイルダーやフランク・キャプラが新作を公開してくれるみたいなのと同じくらい奇跡的なこと(もちろん作風は全く違うけど)。忙しいとか自分に言い訳している場合じゃないよなぁ…。

というか、いま書いてて思ったけど、この映画、ちょっとフランク・キャプラっぽかったかもしれない。もちろん作風は全然違うし、キャプラっぽい正統ハッピーエンドではない。でも、それは描き方の違いで、実は主題は近いかも。キャプラが表ならイーストウッドは裏。キャプラが古き良き20世紀のアメリカならイーストウッドは腐りかけている21世紀のアメリカ。
この映画を往年の西部劇と対比させる評論が多いし、もちろんそういう面はあると思うけど、キャプラと対比させると逆にこの映画の違う側面が明確に浮かび上がってくる気がちょっとした。

それにしても「いろんなもの」を2時間弱に詰め込んだなぁ、という印象。淡々と一本道を進む映画のように見せといて、いろんな側面から語ることが出来る作りになっている。

特に印象的だったのは、移民が国を支え、移民がアメリカの心を受け継いでいる(いく)ことの描き方。
ガチガチの人種差別主義者(ポーランド移民)を主人公に据え、古き良きアメリカの心(善意と無邪気さと騎士道的なもの)の荒廃を縦軸に、朝鮮戦争とものづくり没落を横軸にして、アジアからの移民に「大切なもの」が受け継がれていくというある種衝撃的な展開を、濃厚な暴力の気配の中で淡々とそして丁寧に細部を積み重ねて描いていく。すばらしいな。頭の固いアカデミー会員から作品賞のノミネートされなかったことが逆に勲章になるような映画じゃないか。

床屋でイタリア系移民の店主とポーランド系移民の主人公とモン族の少年が触れ合う場面。
ボクはこの場面が一番印象的だった。これってもろノーマン・ロックウェルじゃん! 21世紀のノーマン・ロックウェル。移民だらけのノーマン・ロックウェル。

アメリカの心を持った人間が(それがどんな人種であっても)アメリカ人であり、グラン・トリノを受け継ぐ資格を有する。そしてそれは(道が途切れず続くように)必ずや繋がっていく。
この、イーストウッド本人の渋い歌声が流れるラストシーンは、きわめて静かながら、フランク・キャプラ的なハッピーエンドなんだとボクは思う。センチメンタルではなく、ポジティブなメッセージだとボクは受け取った。さてボクは、日本の心を持った人間が(それがアングロサクソンやアフロアメリカンであっても)正統な日本人だ、と、ちゃんと言い切れるかな?

ちなみに、イーストウッドの歌声の次に流れるジェイミー・カラムが最高だった。こんな若手に歌のバトンタッチをしたこと自体が彼のポジティブなメッセージであり、映画の主題のひとつなのだと思う。
カラムのCDはどれもオススメだが、初めて聴くなら絶対コレ。「Twentysomething」。この1曲目の「What A Difference a Day Made」(→YouTube)をバーで聴いて鳥肌が立ち、「これ誰?」と店員に訊ねてすぐアマゾンで買ったのは数年前。それ以来折に触れて聴くお気に入りCDである。

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関谷江里著「京都 美味案内 全216軒」

2009年06月09日(火) 8:35:39

実際に食べて選んだ納得!の店ガイド全216軒  京都 美味案内ボクが京都に行くときにいつも参考にするサイト「関谷江里の京都暮らし」が1ヶ月ちょい前に本になった。

題して「京都 美味案内 全216軒」

サイトに載っている店情報を厳選してコンパクトにまとめてくれたもの。フルカラーで写真満載(彼女が個人的に食べに行ったときのデジカメ写真が中心)。携帯しやすいからサイト見るより便利かな。というか、サイトの更新が頻繁なので、本で「行きたい!」と思った店の最新情報がサイトで読めるのもこの本の売りだと思う。ある意味サイトと本の融合。京都に食べに行くのがまた楽しみになった。

彼女とはご飯を数回食べたことがあるが、独特の雰囲気を持った方で、とにかくひたすら楽しく明るく食べる。ここまで明るく食べる人って他に知らない。一皿ごとに「おいしーおいしー」と大騒ぎする。でも、よく観察していると、実は料理のイイトコロを上手にすくいあげて騒いでいる。料理に対して肯定から入るタイプ。これって逆に経験値が高いからこそ出来る技。ほら、人間にたくさん会ったヒトほど人間に肯定的になるでしょ(性格にも寄るかもだけど)。それと同じ感じ。

ちなみにボクと彼女では店に対するつきあい方が違う。
ボクは(ほんの数店を除いて)店と仲良くなるのがあまり好きではないタイプ。しがらみを持たず自由に食べ歩きたいのがその理由。だから料理人の友達なんていない(沖縄の彩香さんくらいかな)。そしてボクは基本的に店で料理の写真を撮らない。メモもしない。というか食の専門家になろうなんてこれっぽっちも思ってないので、一般客のひとりとして、普通に食べて普通に帰り、感想をサイトに載せるくらい。だから食材にも調理法にも特には詳しくないし、詳しくなりたいとも思っていない(もちろん経験値が溜まれば自然にいろいろ知ってはいくが)。たまに食関係の本を出すけど、紀行文に毛が生えた程度の趣味の範囲。

関谷さんはスタンスが違う。
店と仲良くなる。料理人とよく話し個人的に親しくなる。「料理とは料理人を食べること」という前提に立っている感じ。だからその料理に惚れると応援して料理人をもっと伸ばそうとする。京都の食を応援し底支えするココロザシを強く持っている。食材や調理法についてもちゃんと勉強している。読者に伝える使命感を持って料理の写真をその場でデジカメで撮っている。献立もくわしくメモる。読者に誤りなく伝えるのが重要だからだ。

そう、ボクとはずいぶん違う。
食べ方もスタンスも、もっと言っちゃうと感性すら違うと思う。

でも、ボクは彼女が書いたこの本をかなり利用すると思う。
「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」として、個人的に貴重だからだ。


この辺、もう少し説明しておいた方がいいと思うので、長文になるけど書いておこう(いっつも長文じゃん、と、今一斉にツッコまれた気がする:笑)。

昔と違って、ボクは今、「いろんなガイドがあっていい」というスタンスをとっている。
秋には「ミシュラン」の大阪・京都編が出るらしいが、「ミシュラン? あ、そう。別にいいんじゃないかなぁ」という感じ。海外からの旅行客にはいいと思うけどボクはきっと使わない。でもそれでいいじゃん、というスタンス。批判もしないし賞賛もしない。

1990年代後半、ボクは、店と結びついて店から特別待遇を受けるレストラン評論家たちを批判し、いろんなガイドブックやマスコミに対してもその視点を批判してきた。その挙げ句そういったものへのアンチテーゼとして「ジバラン」という自腹覆面レストランガイド(1996〜2005)を主宰したりしてきた。でも、いまは「いろんなガイドがあっていいんじゃない?」というスタンスだ。

なぜそう変わったか。
理由はひとつ。「世の中に流れる情報量とメディア環境が激変したから」である。

本当にここ10年で史上稀に見るくらい激変した。
世の中に流れている情報量はここ12年で637倍になり(総務省発表データによる)、一般人が触れられるメディアも激烈に増えた。

雑誌や本くらいからしかレストラン情報を得られなかった90年代は、レストラン評論家の記事は大きな影響力を持ったので、彼らの記事の欠点を批判し代替策を提示することは必要だった。でも、情報洪水&メディア激増の今、相対的にレストラン評論家の影響力は低下し、一般人によるランキング・サイトやブログや本もたくさん出て、状況は大きく変わった。

マスヒロ氏によるレストランガイドくらいしかなかった頃と違い、いまや一般人はいろんな情報ソースを見比べてレストランを選ぶことができる。高名なレストラン評論家の本もいまでは「いろんな情報ソースのひとつ」。情報価値としてブログと並列かつフラットになってしまった。
実際、ボクはもうその手の本や雑誌に以前ほど頼らなくなった。周りの人も個人的に信頼できるブログの記事でレストランを選んでいる人が多い。高名なレストラン評論家のひと言でブームが起こった15年前では考えられなかったことだ。

だからといって、レストラン評論家の存在価値がなくなったわけではない。
経験豊富かつ店を深く取材できるレストラン評論家からの情報は「いろんな情報ソースのひとつ」として貴重だ。それは一般ブロガーには出来ないことだからである。で、一般客は、それを読んで店の情報を仕入れる一方、サイトで一般人の評価やランキングと比べ、信頼するブロガーや友人などの感想も知って、比較検討してから行くレストランを決めればいいわけである。

もちろん情報は玉石混淆で、有害な情報も流されているが、それは情報洪水時代の基本リスク。「有害な情報やいい加減な情報を見抜くこと=情報洪水時代を生き抜くこと」である。こういう時代だからこそ有害情報に騙されないリテラシーを個人個人が持つべきなのである。

つまり、有害な情報やいい加減な情報を見抜くことを含めて、比較検討能力が高い人にとってはとってもいい時代になったわけ。「情報リテラシーが高ければ高いほど、いいレストランに辿り着ける」という世の中になったということ。

ボクが「ジバラン」的なレストランガイドをやめたのも、10点法で採点していたサイト上の「おいしい店リスト」を主観的感想に書き換えてリニューアルしたのも、すべて「時代が激変したから」という理由である。
時代が激変し、一般人の意識やメディアも激変した。読者(一般人)のお役に立てればと思ってボクがサイトに掲出している情報も、それが読者のためだからこそ、読者の激変に対応して変わっていかないといけない。それだけのこと。

ボクのサイトも、ボクと趣味嗜好が合う人が「いろんな情報ソースのひとつ」として利用してくれれば良いと思っている。
だから、レストラン評論家やガイドブック、いい加減なグルメ番組などを批判する気ももうない。それらも「いろんな情報ソースのひとつ」としてありがたく利用するのが情報洪水時代には正しいと思う。それを上手に利用するもしないも個人の情報リテラシー次第。とっくにそういう時代になっている。


話が脇道にそれてしまったけど、つまり、関谷さんの「京都 美味案内 全216軒」は、「いろんな情報ソースのひとつ」であると同時に、特にボクは彼女のオススメでハズしたことがほとんどないだけに、個人的にはとても貴重でありがたいということです。
京都在住の京都経験豊富なレストラン評論家が京都の店について書いた本であると同時に、個人的に信頼するブロガーからの発信でもある。つまり「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」なわけですね。個人的に。

ま、ボクを信頼していただけるならば、まずはこの本を基点にして京都のうまい店情報を集めるといいと思う。
あとは比較検討だ。関谷さんだけを信じる時代でもないし、他のレストラン評論家やブロガーたちの言葉だけを信じる時代でもない。両方見て、上手に検討し、一生に一回しかないその食事を最大限楽しく豊かにする。そういう情報リテラシーが大切なだけ。

ちなみに、本文が少なく、多くの料理写真で店を紹介しているこの本。一の写真を見て十を知るリテラシーが要求される。
「あぁこういう料理をこう出してコースをこういう風に構成する店なのね、だったら私の好みっぽい」とか、写真からある程度想像できる人にはものすごく雄弁な本であるが、初心者には多少不親切な面もある。でも、その辺も「いろんな情報ソースのひとつ」であるということ。それをわかって使えばいいだけのことである。

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九連宝燈

2009年06月03日(水) 7:22:32

ううむ。生まれて初めて九連宝燈あがるの見た(YouTube)。

すごいなぁ小島武夫。
学生時代は彼の麻雀本を何冊か読んだ。ホント、学生時代は麻雀ばっかりやっていた。キング・オブ・ゲームのひとつだと思う。圧倒的に面白い。

ただ、結局ボクは麻雀に向いていなかったと思う。
畑正憲の「精密麻雀」と阿佐田哲也の「Aクラス麻雀」の2冊をバイブルに、テクニック的にはわりとイイトコロまで行ったと思う。だけど、「上がりの美しさ」に意識が行きすぎて「泥臭くてもとにかく勝つ」というどん欲さが全く足りないプレイヤーだった。鳴きタン1000点とかピンフ1000点とかで上がらないタイプ。いや、上がらないのではなく、上がれない。変な美意識とか「相手に悪い」とかいろいろ考えて、無理やり手を伸ばしていく。だから勝負が遅くてツキ倍増スパイラルに入りにくい。こりゃ勝てん!

ボクの麻雀人生のピークは、30歳ちょい前、雀鬼・畑正憲から「タンピン三色」をダマで上がった瞬間かな。なにしろ彼の「精密麻雀」を精密に読み込んだワタクシ。彼と麻雀できるなんていう千載一遇のチャンスだもん、彼しか見ていない。捨て牌に迷彩ほどこして、とにかく畑さん狙いで張っていた。しかも「畑さんに恥ずかしくない美しい手」で(←だからダメなんだよ:笑)。美しくテンパイしてから4巡目。畑さんの手元からローピン。「ロン!」 あぁあの瞬間!

その半荘、勝ったのか負けたのかも覚えていない。美しい手(特に三色好き)で畑さんから上がれたのがボクのピーク。ね、こんな人、麻雀ではまさにカモだよね。

そういえばあれ以降やってないかも…。
あ、15年前くらいに、いまではアカデミー監督になってしまった滝田洋二郎さんと一回やったか。あれが最後かな。彼にCMの監督をやっていただいて、ロケ後、鄙びた旅館で卓を囲んだ。彼は「リーチリーチなんでもリーチ!」という賑やかな麻雀。あの感じ、映画にもよく出ているんだなぁ。「おくりびと」を見ながら、あぁ滝田さんっぽい、と何度も思った。しっとりとした脚本と暗くなりがちなテーマを、滝田監督の妙な明るさとシンプルさが救っている(奇跡的に機能している)。

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半藤一利著「幕末史」

2009年05月25日(月) 7:48:42

幕末史半藤一利の「幕末史」(新潮社/1800円)を読んだ。
500ページ弱の大部ながら、あまりに平明で面白く、読み終わってすぐ昨日一日かけて再読してしまった。あぁ脳味噌内で従来の幕末知識が新しい視点を与えられ、シャッフルされソートされ正しく並び替えられるこの快感よ。しかも超やさしい記述。丁寧にしてホスピタリティに溢れている。

ボクの歴史遍歴は「源平〜戦国〜幕末」で、それが「小〜中〜高」とシンクロする。
ご存知の通りかなりの凝り性なので、特に高校の時に凝った幕末は「学者になれるレベル」と自負していた。まぁいま考えれば「単に歴史小説を多読濫読しただけの超マニア」でしかなかったのだけど。海音寺・司馬遼・子母澤らの視点を出発点に、あるレベルには達していたとは思うが、幕末オタクの域を出ていなかった。そしていまではその大量の知識もほとんど空の彼方。幕末にくわしかった、という自負だけが残った状態。

でも、あのころ身につけた幕末の知識って見事に「薩長史観」であり、攘夷のことも無血開城のことも戊辰戦争のこともほとんど何も知らなかったのだとこの本を読んでいたく思い知らされた。ちゃんと鳥瞰俯瞰できていない地を這いずる虫の目線での幕末史観だったのだ。細部には異様にくわしいが全体が見えていなかった。そしてそのままオトナになっちゃった。

そう思い知らされるくらい、この本は鳥の目線を与えてくれる。
語り下ろしということもあって、めちゃめちゃ平明でわかりやすい。かつ細部を疎かにせず(エピソードは異様に豊富)、歴史の縦糸と横糸を自由に行き来し、しかも乱れず、懐深く、読者の頭をクリアに整理してくれる。そして自然と薩長史観に染まってしまった大部分の人々の頭を、フラットかつ客観的にしてくれるのだ。あぁこれだけ調べ尽くしたと思っていた事柄でも見方や切り口を変えるとこんなに違って見えるんだぁと、この歳になってようやく気づかされた感じ。感慨を覚え姿勢を正す。

それにしても著者の博覧強記かつ頭の整理されていることよ。
「週刊文春」「文藝春秋」の編集長、取締役を経て作家になったという経歴も手伝っているのだろう。社会で揉まれることによって手に入れられる視点は多い。しかしこの平明に見渡す才能には嫉妬するなぁ。憧れるレベル。小室直樹の「痛快!憲法学」を読んだときに感じたのと同じ感覚。

著者は「歴史は公正でなければならないのに、いまだに薩長史観が世に罷り通っているのは残念でならない」と書いている。明治維新は「維新」ではなく、薩長による「革命」であり(もしくは徳川の「瓦解」であり)、「志士」たちは徳川にかわって天下に号令したかっただけで、「新政府の”革命家”たちは(統一後のことを)ほとんど何も考えていなかった」と言い切りつつ、それもひとつの視点だよと謙虚に身を引く。そのあたりの距離感もいい。でも、読後、西郷や龍馬の姿が少し違って見えること請け合い。
また、秀逸なのは、明治11年まで鳥瞰した上で「幕末史」と括っていること。明治初頭の”革命家”たちによるめちゃくちゃまで描いてこそ、幕末の私利私欲が見えてくる。廃藩置県の裏側の哀しみを知ってこそ、明治革命の真の姿が見えてくる。

著者には「昭和史」という大評判の前作があり、本当はそちらから先に読もうと思ったのだが、オタオタしているうちに「幕末史」が去年末に出版されたので先にこれを読んだ。すぐに「昭和史」に手を付けなければ。どんな発見があるか楽しみでならない。

しかしなぁ。永井荷風の以下の言葉は、負け惜しみだけではなく、ある程度真実をついていたのだなぁ。
「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顚覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」「明治以降日本人の悪るくなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛歎せらるるなり」

自分の薩長史観に染まりしを嘆く一冊。
この本で軌道修正し、もう一度薩長史観からもいろいろ調べ直して、自分の中での幕末を再構築したくなる。いつする? 現役引退後か?

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METs と Ex

2009年05月18日(月) 7:32:07

ここ半年、ボクなりに仕事に本腰を入れすぎて、エクササイズが疎かになっていた。
プールも行かなくなったし、腹筋や腕立てなどの習慣も途切れてしまっていた。まぁBMグラサン・ダイエットは続けているので体重は増えないのだが、でも体型が変わりつつある。わりと着痩せするので目立たないけど、脱ぐとお腹がポッコリだ。

というか、体型なんかより、体力が落ちたのがキツイ。
仕事しててもすぐ疲れる(まぁ過労もあるけど)。こりゃいちから地道に体力づくりしないとなぁ、と思い、とりあえずウォーキングから再開することにした。といってもまだ再開して2週間なんだけど。

で、ウォーキングを再開するためにいろいろ調べていて初めて知ったんだけど、なんか最近では「METs(メッツ)」とか「Ex(エクササイズ)」とかいう新指標があるようで。 つか、エクササイズって言葉、いつから単位に?

◆METs(メッツ)
身体活動の強度を表す単位(運動によるエネルギー消費量が安静時の何倍にあたるかを示す)
 (例)
  ・1METs=座って安静にしている状態。
  ・3METs=通常歩行。

◆Ex(エクササイズ)
身体活動の量を表す単位(身体活動の強度[METs]×身体活動の実施時間[時])
 (例)
  ・3METsの通常歩行を1時間行う
    :3METs × 1時間=3Ex
  ・4METS(メッツ)の庭掃除を30分行う
    :4METs × 0.5時間=2Ex

で、厚労省による「目標運動量」は、「3METs以上の強度のある身体活動・運動を1日60分、1週間に23Ex以上行うこと」とあるのである。これ、2006年7月に定められているんだね。知らなかった。

ま、厚労省の目標に沿うこともないのだが、一応ある基準にはなる。
前に使っていた万歩計をどこかに置いてきてしまったので、その「1週間に23Ex以上」という目標運動量に基づいたオムロンの歩数計を新たに購入することにした。

いまのところ2週間、「1週間に23Ex以上」はクリアしている。
これ、この夏はとりあえず続けるつもり。少しずつ体力を取り戻し、秋には何か違う運動を始めようと思っている。それまでに五十肩も治しておかないと。これもヨガに詳しい人に治し方を聞いたので、じわじわとヤル。

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エアチェック職人

2009年05月14日(木) 6:38:20

まぁボクもエアチェック世代なわけだが。
もうエアチェックと言ってわからない人もいるのかな。死語に近いのかも。ラジオから楽曲などを録音することである。テレビ放送にも使わないことはないが、あれは「録画する」と言うのが一般的。それに対しラジオは「エアチェックする」と言った。

「FMレコパル」とか「FM Fan」とか「FM STATION」とかいう今は亡きFM雑誌を買って、どの番組でどういう曲が流れるかを事前に調べ、お目当ての曲が流れる放送を聴き録音するのである。中学高校の頃(1970年代)なんてレンタルレコード店なんかまだなかったから、音楽を手に入れるのはレコードを買うかエアチェックするかしかなかった。

レアな曲が流れる前は緊張したな。
放送のちょっと前からラジカセの前に陣取り、カセットテープで前に録った曲のお尻を頭出しし、録音ボタンを押すのとほぼ同時に(正確には0.5秒後くらいに)ポーズボタンを押して、そのままその曲が流れるのを手に汗握り待つのである。曲紹介のナレーションが終わり曲が流れる。このコンマ何秒の間にポーズボタンを解除する。録り直しがきかないから緊張するわけ。たまに曲の頭にナレーションをかぶせるDJがいたりすると泣く泣く削除したり。

昔はそうやって音楽コレクションを一曲一曲増やしていった。
地道な作業である。録音前の一連の段取りなんて、ボクはもう職人技に近く洗練されていたと思う。なにしろボクのカセットテープ・コレクションは(仲間内では)有名だった。その質と量。当時で数百本のカセットを持っていた。いつかはあれらの音源をデジタル化したいと思うんだけど、あれからすでに30年以上。もう磁気がダメになっているだろうなぁ。もったいない…。

って、何故こんな話を書いているかというと、すごいエアチェック音源の存在を知ったのだ。
ちょっと前に書いた「バーンズ」の同窓の方のである。落語や漫談や漫才の貴重な音源の数々。中学時代から録りためたものだと言う。ものすごい量である上にちゃんとデジタル化してあるのがスゴイ。ボクがFMでフォークとか歌謡曲とかポップスとかクラシックとかを追いかけている頃、彼は落語や漫談や漫才を追いかけていたのね。それにしても……すごい質と量である。

というか、落語はともかく、漫談や漫才はエンタツアチャコまで遡る歴史的なものだからなぁ。個人的には知らない名前も多い(あんまり漫談とかは聴いてこなかったから)。彼のオススメはローカル岡なのだとか。ローカル岡? ふーん、知らないなぁと思って聴いたらこれが妙に面白い。落語にくわしい友人に「知ってる?」と聞いたら、「ローカル岡! 知らないの!? 寄席に通っていた人は誰でも知ってるよ! 数年前に亡くなっちゃったけどさ、私なんか大好きで大好きで…」と5分説教された。そうなのね。(参考動画:YouTube

あぁでもこのコレクションを聴かせていただいていると、彼の深い独りの夜が思われる(笑)。ボクが孤独に音楽を追いかけていたころ、彼も孤独に落語を追っていたわけね。録音に至る一連の動作をしながら手に汗握っていたわけね(彼はオープンリールだったらしいけど。そしてそれはもっとマニアックなものなんだけど)。ジャンルは違えどエアチェック職人だったのは一緒である。同志だなぁ。

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自分の声を聴くってホント気持ち悪い

2009年05月10日(日) 7:34:17

FM東京の「アヴァンティ」、意外と人気なんですね。よく聴いてます(ました)とメールをいくつもいただきました。確かにボクも昔何度か聴いたことがある。でもクルマを捨ててからすっかりご無沙汰だ。

で、昨日の自分の放送、一応聴いたんだけど、なんか「リラックスして話せた」と書いたわりには早口で滑舌も悪くてダメダメな感。もっとわかりやすく話せよオマエ(笑) ジョークも入れずに真面目一方な専門分野トーク。こんなことバーのカウンターで話してたら確実に嫌われます。真鍋かをりの軽妙トークの直後だけに特にお堅く感じられた。あーあ。まぁまだ話すことで精一杯でジョークとかまで頭が回らないのでしょう。もっともっと場馴れが必要。

つか、自分の声を聴くってホント気持ち悪い。キモッ。
聴いた方々から「もっと低音で熊のような声かと思っていた」「もっと低くて太い声だと想像していた」といただいたんだけど、そんな印象なんですか? ヒゲの大男と自分のことを書いているからかなぁ。大男というのは「背が高い」という意味なんです。ダイエット成功してからはどっちかというとヒョロ系。

ちなみに、おいしい店系トークで収録した分はいつ放送されるかわかりません。少なくとも来週ではないはずなのであしからず。

なんだか自分の声聴いて気持ち悪くなったので、気分を変えるべく2ちゃんまとめサイトで「うちの母ちゃん凄いぞ」をラストまで読んだ。
数日前からゆっくり楽しんで読んでいたもの。なんか心が温かくなる実話。出てくる母ちゃんは本当に凄いが、書いているクズ子自身の心理描写が面白い。面白いというか「あぁこういうことなのか」といろいろ氷解した気分。すごく理解できたなぁ。オススメ。というか鮨喰いたくなる。ボクはこれ読んでてたまらなくなり、「鮨しみづ」に発作的に電話。たまたま席が空いていたので激食べしてしまった。散財注意。

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バレエ「ザハーロワのすべて」観劇

2009年05月05日(火) 9:18:06

ザハーロワのガラ公演「ザハーロワのすべて」最終日を観てきた。@東京文化会館

ザハーロワを盛り上げる脇役陣はボリショイからで、これがなかなかに豪華。
ウヴァーロフにメルクーリエフにワシーリエフにシュピレスフキー。そしてカプツォーワにコバヒーゼ。あとはキエフバレエからのエントリー。さすがザハーロワ、集めるなぁ。まぁロシアの人はみんな日本に来たがるらしいので(岩田さん談)日本公演だからということもあるのだろうけど。

このメモでも何度か書いたが、ザハーロワを初めて観たのは2003年。マリインスキー劇場からボリショイ劇場に移ってきたデビュー公演の「ジゼル」をモスクワで観たのが最初である。それ以来いろいろ観てきているが、その伸びやかな肢体と教科書的にきちっとした踊り、高く上がる足、優雅な細部、そして圧倒的な美人度とオーラなどは認めるものの、実はあまり好きではないダンサーだったりする。美しくまとまっているが、心にグッと来ない。迫り来るものがない。他のダンサーなら涙ぐめる踊りが、ザハーロワだとまるで泣けない。まだ「踊り」が「演技」になっていないように感じてしまう。

この日の前半の「カルメン組曲」がまさにそれだった。
うまいんだけど、カルメンが単なる美しいお人形に見える。妖艶さもエッチさも謎めいたところも気っぷの良さも感じられない。これじゃドン・ホセも誘惑されないなぁ。会場のあちこちからブラボーが飛ぶが、ボクはブラボーを叫べない。たとえばグラチョーワとかで観たい…。

でも休憩後の、メルクーリエフと組んだモダンダンス「トリスタン」「ブラック」はわりと良かった。お人形のメッキが剥がれて、彼女自身が出てきた感じ。ちょっとギエムを彷彿とさせるような動き。ザハーロワって真面目で消極的な人なのかもとちょっと思った。良くも悪くも「枠」を自分で作ってしまいその中を出ない。枠を壊さないといけないダンスだと真面目に枠を壊してくる。

とはいえ、結局この日の公演を持って行っちゃったのは「パリの炎」「クレイジー」を踊ったワシーリエフだった。
去年の(岩田さんが来日したときの)ボリショイ公演「明るい小川」でも光っていたけど、この人、次世代のボリショイを支えるひとりになるんだろうな。圧倒的なダンス技術と明るいオーラ、そして心に直接届く表現。ちょっとアクロバティックに寄りすぎてはいるけど、伝えたいことがとてもよく伝わってくる。カーテンコールでも(ザハーロワの除けば)一番拍手が多かった。

アンコール、出演者全員でパガニーニをを踊ってくれた(アンコールのアンコールでもう一回)。
これ、とても良かった。ウヴァーロフ、メルクーリエフ、ワシーリエフと、高い技術の男性陣が揃っていたので、全体が締まり、美しかった。前回のボリショイ公演「白鳥の湖」でダメっぷりを見せつけたシュピレスフキーはやっぱり今回もダメ。でも超ハンサムで背も高くスタイルもいいから、まぁ彼も次世代のスターなんだろうけど、もうちょっとうまくなってほしい。

備忘録として演目とキャストを。

カルメン組曲
  ザハーロワ、ウヴァーロフ、シュピレフスキーほか
パリの炎(第2幕のパ・ド・ドゥ)
  カプツォーワ、ワシーリエフ
トリスタン(デュエット)
  ザハーロワ、メルクーリエフ
エスメラルダ(パ・ド・ドゥ)
  キファーク、ヴァーニャ
ブラック
  ザハーロワ、メルクーリエフ
ジゼル(第2幕のパ・ド・ドゥ)
  コパヒーゼ、シュピレフスキー
クレイジー
  ワシーリエフ
ヴォイス
  ザハーロワ
アンコール(パガニーニ「カプリース 24」)
  主要メンバー全員

沖縄から帰ってきた翌日で、その文化や空気の方向性の違いに馴れるまで時間が少しかかったけど、でも、やっぱりバレエはいい。
で、帰り際、11月に来日する「マリインスキー劇場」の会場特別先行販売チケットを衝動買いしてしまった。バレエ観劇欲がまた上がってきた。「白鳥の湖」をロパートキナとヴィシニョーワがやるんだけど、さんざん迷ってヴィシニョーワのにした。ロパートキナのは一度観ているし、ヴィシニョーワの「シンデレラ」や「ロミジュリ」を5年前くらいに観て異様に良かった記憶があるから。彼女の白鳥、楽しみ。

8月には岩田さんが来日してガラ公演に出演するらしい(8/9らしい)。
それも今から楽しみだ。

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花火師免許更新講習

2009年04月23日(木) 6:26:53

昨日は「花火師免許」更新講習の日。
会議を抜け出して18時から20時まで。2時間の講習@浅草橋の花火問屋街。

正確には「社団法人日本煙火協会」の「煙火打揚従事者」の資格である。花火のことを「煙火(えんか)」と言うわけですね(その辺のことは去年の講習の日にも書いた)。花火の玉を作る資格ではなく、花火を打ち揚げる資格である。隅田川などの花火大会はもちろん、ネズミーランドでの花火の打ち上げにもこの資格がいる。だからイベントや舞台演出の裏方さんとかも受けに来ていたりする。

ボクみたいな素人(本業は別)も多く参加してはいるが、実は素人がこの資格をとってもひとりではとてもじゃないが花火大会は開催できない。消防や警察への許可申請が大変だし、素人主催の仲間内な小さなイベントでも当日消防車が横付けされたりするくらい大仰になる。わりと危険で大変なことなのである。だからどこぞの花火師の団体に属して活動しないと難しい。ボクは「のれそれ花火会」というところに属していて毎年花火を打ち揚げさせてもらっている。ここはカリスマ的な花火師がいて(本業は小学校の先生)、とてもまとまりがよい。

さて講習。
今年から「煙火の消費保安基準」が大きく変わり「電気点火」が基本となった。従来の手で点火する方式は危険が大きすぎるということで保安基準が改正になったのである。やむをえない場合だけ(一定の条件を守って)手でつけても良しということ。まぁ防御保安措置をきっちりすればいままで通り手で点火できるわけだが、事故の例が毎年起こるのでどんどん厳しくなっていき、ついに電気点火の時代になってしまった。ボクレベルの花火師は手でつけるスリルが楽しかったりもするので、少し残念であるが、まぁ安全を考えると仕方ないのかな。だって一つ間違えれば手で点火する際に腕が吹っ飛ぶとか頭が吹っ飛ぶとか普通に起きる世界だし。

今年から教育用ビデオ(約20分ほど)も一新され、新撮されたものが流された。このビデオも電気点火中心の説明。時代が変わったなぁ。「昔はライターとかで点火していた時代もあったのですが…」と遠い目で講義される時代がそのうち来るのであろう。なんというか、風情は確実になくなっていっている。打ち上げの快感も減っちゃうなぁ。

座学2時間。パイプ椅子のお尻の痛みに耐えきれなくなったころ、なんとか終了。そのままご飯に行こうかと思っていたんだけど(下町方面へ)、会社から電話が入り帰社。そのまま24時ころまで会議。うぅ。でも、座学とはいえ、仕事と関係ない花火の世界に2時間ワープしていたのはかなりのリフレッシュになった。つーか、今年は何発打ち揚げられるだろうか(去年は花火師歴5年目にして初のゼロ発)。年々打ち揚げ規制が厳しくなっているので、あんまり揚げられないかもなぁ。もし打ち揚げる場合は、またこのメモで告知しますね。

ところで昨日の夜、アクセスカウンターが「28282828」になったらしい。ニヤニヤニヤニヤ。ほめられサロンでほめられた効果でしょうか。ニヤニヤニヤニヤ。ご報告してくださった方、どうもありがとう!

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丸元喜恵著「野菜と魚の栄養ごはん」

2009年04月20日(月) 6:53:25

丸元淑生理論らくらく実践 心と体が元気になる!野菜と魚の栄養ごはん (講談社のお料理BOOK)ボクが丸元淑生さんに私淑していることは前にも書いた
独身時代、ボクは彼の本を読んでその理論と味に惚れ、楽しく自炊をしていた。出張がち&外食がちだったので毎食は無理だったが、朝ご飯はわりときっちり丸元流だった。当時のボクの朝は鰹節をカリカリ削るところから始まった。ダシをとって味噌汁を作り、冷蔵庫から基本料理のストックを出して野菜と豆たっぷりの朝ご飯。豆については関西で手に入らないものも多く(なにしろ20年前のことだ)、東京出張時に問屋に買いに行ったりもした。

結婚してからは、というか、30代40代と余裕がどんどんなくなって(外食もぐんと増えて)料理することも激減してしまったが、余裕ができたらまた丸元本に戻るんだろうなぁと思っていた。定年でもしたらまた丸元理論をいちからやろう、とかね。そうボンヤリ思っていたところ、先月、彼の娘さんである丸元喜恵さんが料理本を出した。

「野菜と魚の栄養ごはん」丸元喜恵著/講談社

父・丸元淑生さんから受け継いだ栄養学に基づいて、丁寧に書かれたフィッシュ・ベジタリアンの本である。
内容は丸元淑生さんのエッセンスがたっぷり詰まったもの。なんだか懐かしいなぁ。簡単で手軽なのに充実していて満足感がありカラダにいい。野菜と魚をたっぷり使う。そして栄養についても深く考察されている。一貫性のある考え方も清々しい。そんな丸元料理の数々が娘さんの手によって見事に蘇っている。彼女が日々実践している感じも温かい。こういう「受け継ぎ」こそ、丸元淑生さんの思想の根本に流れていたものだろう。そういう意味では、父と娘の合作でもあり、父の想いを娘が実現したオマージュ本とも言える。

料理はもっと歳をとってからゆっくりね、とか思っていたボクであるが、新作の丸元本があるなら話はまた別。だってなんだかすべてのレシピが懐かしくて、美味しそうで、ボクの舌の原点のような感じがして。どこかの休日を利用して、ゆっくりこの本とつきあってみたいなぁ、とか。いや、まずはこの本の料理に似合うような緑豊かな土地に移住することからかなぁ、とか(そこからかよ!)

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ボリス・ヴィアン

2009年04月17日(金) 8:52:32

ロシアでのニュース。
ある男性の肺の中に、5センチほどに成長したモミの木が見つかったらしい。

28歳のArtyom Sidorkinさんが吐血をするなどの肺の苦しみをうったえたために病院で検査をしたところ、腫瘍があることが発覚。すぐに緊急手術をしたところ、吐血や痛みの原因が、腫瘍ではなかったことがわかった。
なんと、肺の中におよそ5センチほどのモミの木が入っていたのである。口から5センチもあるモミの木を飲み込めるはずがなく、飲み込んだとしても肺に入るはずがない。医者によると、このモミの木はまだ種の状態のとき、吸引により偶然にも肺に入り込み、そこで栄養を摂取しながら成長したのではないかという。
このニュースを読んで、十年ぶりくらいでボリス・ヴィアンを思い出した。「うたかたの日々」。片肺に睡蓮が咲く女性が登場する美しくも腐蝕した小説。こういう小説が書きたいと願った青い日々。あそこからずいぶん遠くまで来てしまった気がする。

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「日本人の知らない日本語」

2009年04月16日(木) 9:22:20

日本人の知らない日本語「日本人の知らない日本語」(蛇蔵&海野凪子著/メディアファクトリー)を読んだ。
日本語学校の教師(日本人)が外国人に日本語を教えていくコミックエッセイである。日本語初心者たちの奇問・珍問の数々が面白い。へーこんなこと疑問に思うんだー、という発見がいろいろある。まぁ「ここがヘンだよ日本人」に近いアプローチな部分もあるのだが、我々が気づきにくい日本語の一側面をシンプルに教えてくれる。

でも、ボクが一番面白かったのは実はそこではない。随所に出てくる日本語トリビアというか、外国人の質問で明らかになった日本語の歴史みたいなものである。もちろん、たぶんどっかで既知のものであると思う。どっかで聞いたことがある、という感じはあるのだけど、漫画でわかりやすく教えてくれるとまた違う知的興奮があった。

たとえば変体仮名の話。昔は「かな」がたくさんあった。たくさんありすぎてややこしいくらいたくさんあったという。理由は、いろんな漢字を元にみんなが勝手にひらがなを作りまくったからなんだって。例えば「か」と読む「かな」なんて7つくらいあったらしい。さらに「合略仮名」という一文字一音ではない「かな」もあり、一文字で「まいらせそうろう」と読ませる「かな」もあったとか。
この混沌に終止符を打ったのは明治政府で、明治33年に「ひらがなは一音につき一字だけを標準とする」という政令を出した、と。で、標準からはずれた「かな」を変体仮名と名付けた、らしい。あぁ、たまに古い店とかの店名に変体仮名が使われているが、それはその頃の名残なのねー…。

たとえば「猫」という漢字は中国語の「苗(ミョウ)」から来ていて、それに獣偏を付けたということらしい。要するに「ミョウと鳴く獣」という意味なんだって。「鳩」は「九(クー)」と鳴く鳥だから「鳩」、「蚊」は「文(ブン)ブン」いうから「蚊」、「鴉」は「牙(ガー)」と鳴くから「鴉」。ふーん。音を表した漢字だったわけね…。

たとえば、「しゃもじ」とかいうけど、この語尾の「もじ」は室町時代のギャル語だったらしい。宮中の女房が「ねー、なんか『もじ』って言葉、かわいくね?」と言いだして、何にでも「もじ」をつけたのが現代まで残ったらしい。「かもじ」「ゆもじ」「ひもじい」とか。ちなみに丁寧語の「お」もギャル語。彼女たちが何にでも「お」をつけたことの名残だとか。「田楽」も「それじゃあ名前がかわいくない」ってことで、「お」をつけて「おでん」となったとか(へーへーへー)。

「お」と言えば、「を」と発音が同じである。一時期WOと発音した時期があったらしいが、いまでは両方Oである。で、昭和の初めに「両方同じ音なのはややこしい。よし『を』をなくそう」って決めたんだって。でも反対も多く、「じゃぁ助詞の『を』だけ残して、あとは全部「お」に統合。でもこれは暫定ルール。将来は『を』を全廃します」と決めたらしい。そのままなし崩しに「を」が生き残っているのが現在だとか。そうかー「を」はもしかしたらなかった言葉なのかー。「私おスキーに連れてって」みたいな使い方になっていた可能性が高かったのかー(←例が古い)。

とか。とかとか。
いやぁ、なんだか面白かったな。言葉は時代とともに変わる。いまのギャル語とかもかなりの創意工夫があり、とても面白い。いちいち目くじら立てないで、言葉の変遷として楽しめばいいのかも。

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第五三二回 紀伊国屋寄席

2009年04月15日(水) 6:49:23

大事な会議があり、予定していた夜の会食をキャンセルさせてもらったのに、その会議自体がドタキャンになって時間がポッカリ空いた。さてどうしようかと思っていたところにタイミング良く落語のお誘い。オヤそれは楽しそうっつうことで昨晩はふらりと寄席へ。
でも誘ってくれた人自身が急な仕事で来れなくなって、結局ひとりで聞いた。なんだか全体にキャンセルな流れの夜。でもひとりで気楽に聞く落語もまた良し。いろんな偶然がめぐりめぐって出会えた貴重な時間。

行ったのは紀伊國屋ホールの紀伊国屋寄席。
紀伊國屋ホールって、今を去ること30年前の高校時代に、当時傾倒していた森本哲朗の講演を聴きに行って以来かも。たぶんそうだ。いや、その後、野田秀樹の演劇も観たかもしれない。とにかくなんだか異様に懐かしい。

寄席は、二ツ目の台所鬼〆(落研のような名前だけど小さんがつけたらしい)の「二人旅」から始まって、古今亭菊之丞の「湯屋番」、林家木久扇の「道具屋」で仲入(出演予定の桂文楽が急病で林家木久扇が代演)。再開後は桂米助の創作野球落語「虹ムコウ」があって、トリが入船亭扇橋の「化物使い」であった。

圧巻は古今亭菊之丞の「湯屋番」かなぁ。もうダントツの面白さ&うまさ。初めて聞いたがすでにファン。菊之丞すばらしい。歌舞伎系の女形の声色使いも相当うまい。そのうえ枕からドカンドカンと笑いをとる。サビというか、番台での若旦那の独り芝居の部分なんかドッカンドッカン大笑い。いいなぁ。うまいなぁ。

あと印象的だったのが入船亭扇橋。あのふわふわ感がたまらないと人づてに聞いてはいたが、なんつうか志ん生と同じ方向に浮世離れしている。
噺の同じ部分を繰り返すので「やべ、筋を忘れちゃったのかも」とハラハラしながら聞いているとすぅっと戻ってきてハァァと安心させ、そうかと思うと大事な場面をすっ飛ばして「あれ?」と思ったら後から唐突に付け加えたり、と、淡々と素っ気ないけどその構造自体への不安がぬぐえないような花屋敷ジェットコースター的楽しみがある落語だった。有名な噺なので客は筋を知っている。だから少々繰り返しても飛ばしても客はびくともしないどころかそこを楽しんでいる。扇橋もそれを知っていてなんか「いい加減」にやっている感じ。そういう客との共有感を含めて芸になっている。
こういうのを「枯れた芸」というのかもなぁ。場馴れしすぎの乾燥感。この味は好きな人には堪らないかも。永六輔や小沢昭一の話も出てきて小三治の俳句ネタを思い出した。

なんか全体にバランスのよい寄席だった。ふわふわおっとり系とテンション高め系が交互に出てくる。そしてふわふわで〆だったのが抜群。
真ん中にやった林家木久扇(笑点の彼ですね)もかなりふわふわで、滑舌も悪く、声も出ていない。「おい、大丈夫か」と心配になる瞬間が何回もあった。でも要所要所でドカンと笑いを取るのはさすが。枕での林家正蔵師匠の思い出噺が爆笑ものだったなぁ。師匠がテレビでバスケットボールを観ていて「誰か言ってやればいいのに…」と震える声で独り言言っているから「師匠どうしたんですか?」と聞いたら「いえね、さっきから若い男が寄ってたかって網にボールを入れようとしているんだけど、網に穴が開いているんだよ」みたいな。ここに物まねや情景描写が入って異様に可笑しかった。大笑い。

台所鬼〆は演じ分けがもうひとつだったけど、若さに似合わず座掴みがうまい。ただ、なんだか少し閉じている。自分の部屋で練習しているそのままな感じ。そこから抜ければ真打ちなのかな。
桂米助(突撃隣の晩ご飯の人ですね)の野球落語は2039年のWBCを語ったのだけど、んー、なんだかちょっと作りが雑。30年後、長嶋一茂が巨人軍のオーナーをしていたり、ハンカチ王子がスカウト兼コーチをしていたり、WBCを率いるのがダルビッシュ監督だったりして可笑しかったけど、そういう配役での笑い以上のものがなかったかも。サゲも読めすぎかなー。新作落語って、長い年月で完成度が高められた古典の間に挟まるとどうしても雑に見えてしまう。寄席でやるのは勇気がいる。そういう意味ではたいしたものだと思う。

仕事がトラブル含みで予断を許さない状態なんだけど、こういう数時間のトリップが精神のバランス上大切みたい。抱えている仕事の案件数がとっても多いので予定を入れにくい分、こういう飛び込み系のお誘いは実にありがたい。誘ってくれた方ありがとう。来られなくて残念だったけど、また行きましょう。

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ショートフィルム「胡同の一日」

2009年04月13日(月) 8:07:05

数日前のさなメモで「DID」を取り上げたとき、書くタイミングを逸したと書いたが、書きそびれていたことって意外とたくさんある。このショートフィルムについても長く長く書きそびれていた。

鈴木勉監督の「胡同の一日 〜A day in the life of Beijing Hutong〜」。中国題名は「一天在北京胡同」。
2008年ショートショートフィルムフェスティバルで、フェスティバル史上初、日本人としてグランプリを獲った作品である。世界最大の短編映画祭であるフランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭の2008年正式招待作品にもなった。

近代化に揺れる北京を22分間、シンプルかつ鮮やかに切り取った作品だが、現場スタッフは中国人なものの、脚本・監督が日本人(鈴木勉)である。そのせいか近代化を終えた日本人(古いものを壊し続けてきた日本人)からの視点で胡同の風景を描いており、少なくとも我々日本人にはとても感情移入しやすい作品になっている。近代化途上の中国人が観たらどう言うだろう。ちょっと知りたい。

胡同(フートン)とは北京に残る歴史ある細い路地。旧城内を中心に点在する古き良き北京の街並みのこと。オリンピック開催決定を機に北京では一気に再開発が進み、胡同はあっという間にその波に飲み込まれ、消え去ろうとしている。その胡同で代々やってきたある漢方医の物語。周囲の住民たちが立ち退きを始め、患者も減り、ついに閉店を決心した彼の一日を丁寧に淡々と追った作品だ。

街を去る決断をし、代々受け継がれてきた巨大な薬箪笥を売り払うために自転車に危なっかしく括り付け、胡同を走っていく彼。街が消えること=自分の店が消えること、と何の疑いもなく受け止めていた受け身の自分が、自転車で胡同を走っていくうちにゆっくり少しずつ変化していく。ハリウッド映画ならここでわかりやすく象徴的な出来事を入れるところだが、鈴木監督はそれをしない。だから彼の変化がわかりにくい。でも人間ってそんなもんだ。わかりやすく変化なんかしない。2時間の映画だったらわかりやすく端的に描いちゃうところを、たった22分のショートフィルムが逆に丹念に情景をつなげることで周辺から感じさせるやり方を選んだことがボクは面白かった。というか、ショートフィルムならでは、でもある。主題にきっちり寄り添うだけの22分。だからこそ魅力的。

鈴木監督の場面のつなぎ方がなかなかいい。場面場面がフェイドアウトしてつながっていくのだけど、このフェイドアウト時に一瞬とまどうような揺らめきを残す。無くなってしまう街の想い出を惜しむような瞬きをフィルムがする。それが主人公の心の揺れにまでつながっていて、観ているこちらの心まで揺れる。

ラスト、その漢方医は再起を決意するわけだが、その描き方もあくまでも静か。好意を持ち合っている女性との触れ合いも実に静か。こういう映画はハリウッドには受けないだろうなぁと思いつつ、「おくりびと」や「つみきのいえ」と並んで、アカデミー短編映画部門でノミネートされてほしかったなぁと思う。でもまぁ鈴木監督の次作長編に期待したい。

アマゾンでも売ってないので、市販されていないのかも。売ればいいのにな。小さいけど心に残る佳品。

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ゴルフのおもひで

2009年04月11日(土) 18:29:38

ボクはほとんどゴルフ中継を見ないのだが、この季節、マスターズだけは観る。そんなに熱心な観戦者ではない。でもこの季節だけは早朝になんとなく。風物詩として。というかコースきれいだし。特にアーメンコーナーから16番までの6ホールを愛している。

放送中、セベ・バレステロスが脳腫瘍と闘っているということを知った。
バレステロス。好きだったなぁ。スイングの美しさではほぼトップかと。ひどい腰痛と闘いながら高いフィニッシュをキープし続けた。スイングとしてはジャック・ニクラウスとかトム・ワイスコフとかも好きだった(ゴルフをよく観ていた時期がわかりますね)。渋いところではジェリー・ペイトとか、日本によく来ていたグラハム・マーシュのスイングも好きだったっけ。要するに右足カカトからテイクバックが始動するタイプのアメリカン打法(と当時言われた。いまはどう言われているか知らない)が好きだったのである。

懐かしい顔としてゲーリー・プレイヤーが出ていたのにビックリ。73歳。まだスイングもしっかりしている。出場者一覧を見てみたら、ワトソンとかフロイドとかスタドラーとかクレンショーとかランガーとかライルとかカプルスとかも出ていた。懐かしい。意外と好きだったニック・ファルドは出ていないな。いまは何をやっているんだろうか。グレッグ・ノーマンも懐かしかった。たしか去年、テニスのクリス・エバートと再婚したんだよね。ふたりともある年代の人々にとっては特別な存在だ。

ゴルフ。一時期狂ったようにやったんだけど、もう15年くらいクラブも握っていない。練習場によく行っていたのは20年以上前である。初ラウンドで50も100も切って(48-51だった)「これはオレに向いているスポーツだ!」と血迷ったのが運の尽き。そこから思ったほど伸びなかった。一時期は75とか出していたけど、全盛期は短く、全体に出入りの多いゴルフだった。ヒット・イット・ハードな、パーマー的ブンブンゴルフ。

あれからホント、ほとんどやっていない。まだメインドライバーとして持っているのがパーシモンのマクレガーとクリーブランド・クラシックだったりすることからもそれがわかる。いまどきパーシモンて(笑)。でもパーシモン・ヘッドって美しいよね。よくやっていた当時はクラシック・クラブにもそこそこ詳しかったが、もうほとんど忘れてしまった。
メインのアイアンは古い型のウイルソン・スタッフ。これも顔が美しいクラブだ。メインのパターもウィルソンのL字型で、確かクレンショー・モデルだった。サイレントポンとかピンの一番古い型も持っていた。まぁかなりの凝り性なので、クラブもいろいろ試行錯誤していたのである。

今でもゴルフはキング・オブ・スポーツのひとつだと思ってはいるが、日本の場合(特に首都圏の場合)、ゴルフをやるとすると休日が丸一日つぶれるのが痛い。そのうえ会社の人間関係の延長上的であるのも痛い。しかも財布もかなり痛い。今やらない理由はこの3つ。特に休日が丸一日つぶれるのが痛いかな。やりたいこと、やらないといけないことが休日は山積である。ゴルフのみで終わるのではたまらない。あ、それと、6年ほど前にクルマを捨てたのもでかいかも。電車で行くのはちょっと面倒。

というか、さなメモにゴルフの話題書くの初めてかも。マスターズをぼんやり観ていてなんとなく書きたくなった。60歳過ぎたら、また始めようかな。今はとにかく時間なし。

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スラムダンク『あれから10日後ー』完全版

2009年04月09日(木) 6:48:11

スラムダンク『あれから10日後-』完全版拙著「明日の広告」にもくわしく書いたあのイベント、2004年12月に三浦半島三崎高校(廃校)でやった「スラムダンク一億冊感謝ファイナルイベント」の黒板漫画が本になる。

スラムダンク『あれから10日後ー』完全版

最終戦である山王工業戦から10日後の彼らを書いた、スラムダンクの正式続編にしてファイナル版。井上雄彦さんがこのイベントのために黒板にチョークで描きおろした、その23枚の黒板漫画が、教室の雰囲気そのままに読めるフォトブックである。

スラムダンクの主要登場人物21人がそれぞれ1枚ずつ黒板に描かれている(花道だけ3枚使っているので23枚となる)。ゴリや流川やリョーちんやミッチーやメガネ君以外にも、彩子ファンも水戸ファンも仙道ファンも牧ファンも河田ファンも沢北ファンも、もちろん安西先生ファンも、みんなが満足できる23枚になっている。ちなみにボクの本では小さくしか掲載できなかった6枚の新聞広告やウェブサイトも大きく掲載されている。

これが井上さんのスラダン絶筆になるのだろうなぁ。たぶん。まぁ先のことはわからないとはいえ。

イベントの翌日のさなメモはこんな感じ
一枚一枚の写真から、あの3日間が蘇る。いや、準備に費やした数週間、新聞やサイトを作った数ヶ月も色濃く思い出される。こうしてカタチに残るって素晴らしいな。余分な説明も言葉もないフォトブックという潔さもよい。個人的には「宝物」である。正式には明日発売。本当は4/1の桜木花道誕生日に間に合わせたかったらしいけど、ちょっとだけ遅れちゃったみたいですね(笑)

ちなみにこのイベントの模様を記録したDVDはこちら。 「SLAM DUNK 10 DAYS AFTER」。フジテレビ放映用に我々が井上さんと一緒に編集したものである。かなり泣ける内容となってますので、ご興味ある方はどうぞ。

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク

2009年04月06日(月) 8:18:11

もう2週間前になるかな。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID:DIALOG IN THE DARK)に行ってきた。ひと言で言うなら暗闇イベントである。感動したのですぐ書こうと思ったのだが、なんとなく書くタイミングを逸して今に至ってしまった。

公式サイトを見ればわかるが、世界25か国・約100都市で開催され、2009年現在で600万人以上が体験したイベントで、1989年に哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によってドイツで生まれたもの。1999年に日本で開催されて以来、日本でも約36000人が体験しているらしい。

直訳すると「暗闇の中の対話」。
まさに真の暗闇。目の前の自分の手すら見えない暗闇。この中に1時間30分放り込まれ、目以外の四感(つまり視覚以外の聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で探検し、物を「見る」体験である。

まず匂いがする。木の匂いだ。そして足の下の触感。ん、なんかおがくずの上を歩いているような……いや、途中から土になった。お、岩がゴツゴツした道になった?……とか思っていると右手が葉っぱに触る。わっ。目に枝が刺さらないか不安になり顔を背ける。手をおそるおそる伸ばして触ってみる。あぁ普通の木だ。右前方に水の音。参加者から「水だ。あ、触った」とか言っている。数センチずつ足を進めて声のするところへ。目が見えないと声だけでは場所が特定しにくい(馴れるまでの最初の数十分は特に)。ここらへんかな?としゃがむ。あ、水だ。懐かしい触感。遠くに牛の声。鳥のさえずり。あぁあっちに行ってみよう。ヨチヨチ歩いて行くと「丸木橋がありますよ!」という声がする。丸木橋? そう、真っ暗闇の中、丸木橋を渡るのだ。ギョギョギョ。その不安。周りの人と声を出し合って、丸木を確かめ一歩一歩こわごわ渡る。その後「おじいさんの家」へ。ひなたぼっこする縁側も真っ暗闇の中。あ、畳だ! あ、テーブルの上に何かある!

……と、あまりくわしく書くとネタバレになるのでこれ以上書かないが、最後は暗闇の中のバーで飲んだりもする。
総時間1時間30分。総勢8人の知らない人たちでグループを組み、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、暗闇空間を探検し、様々なシチュエーションに対峙する企画である。四感が開き、とぎすまされる以上に、その1時間30分を通してヒトとのコミュニケーションの意味に気づいていくのが素晴らしい。視覚を失ったときの頼りなさ。相手が近くにいることの安心。そして助け合わないと何もできない人間という存在への実感。

ネット空間はフラットだとよく言われる。肩書きも姿形も関係なく、まったくフラットに存在する。この「DID」はとてもネットに似ている。姿カタチが見えないとここまでフラットになるのだなぁ。まぁネット生活が長いせいか、これって匿名文化と一緒だよなぁとか、しょーもないことも考えながら暗闇散歩していたけど、ヒトによっていろんな想いがあることだろう。そして何人かが「倦怠期の夫婦とか一緒に来るといいね」「つきあい始めの恋人とかと来ると親しさがグッと増すね」と言っていたが、それもその通り。なんか親密になるというか「個としての相手の存在」が愛おしく思えてくる体験なのである。

それにしても。
自分の内部が次第に大きくなっていき、カラダが実物大から無限大に変わっていく感覚が面白かったな。尋常でなく面白かった。目が見えないと「実物大」ということが意味をなくし、精神がどんどん拡張していく。手が長く伸びる。耳が異様に大きくなる。鼻の穴も無限大になる。ここからここまでが自分の内部でここからあっちが自分の外部、という境目がわからなくなる感じ。これが一番面白かったかも。

誤解を恐れずに言うと、暗闇の中では「圧倒的強者」であり「頼れるボス」だった視覚障害者が、暗闇から出た途端にそのチカラを急速に失い「社会的弱者」になる感じが、なんか堪らなかった。暗闇の1時間30分。彼がいなければ一歩も前に進めなかった自分。それが光の存在があるだけで逆になる。そして「本当に大切なことは目には見えない」という「星の王子さま」の大切な言葉に辿り着く。目は時に心の邪魔をする。そういうことだ。

もうすぐ暗闇から脱出、という段になって、自分が異様にフリーな気持ちになっていることに気がついた。ここにあと数時間いれさえすれば、ボクは目から自由になれる。そんな感じ。もちろんそこからが長いのだろうけど、真理の入り口をちょっとだけ垣間見た気がしたかも。

イベントが終わって明るい街に出る。
異様な量の情報が目に飛び込んできて、いままで開いていた耳や鼻がしゅるるるる〜と閉じていく。この感覚、絶対忘れないでいよう。そう思った。

今回は第1期が3月20日から6月下旬まで。第2期が7月上旬から。入場者が多ければ長期開催も可能な模様。完全予約制で8000円。高い? いや安いと思う。何食かおにぎりで済ませて節約してでも是非。

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♪私はオッサン、いつでもハッピー

2009年04月05日(日) 21:39:47

満開の桜を見上げると、「一期一会」という言葉が胸に去来し、その後「独座観念」という美しい言葉に辿り着く。

前にも書いたことがあるが、桜の花のどこか観念している感じと相まって妙に胸に響く。独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。

今日もそんな想いで桜を見上げながら、大森さくらフェスティバルを覗いてきた。
まさに満開の桜。JR大森駅周辺のバーやレストランが10店ほど集まって、カクテルや食事の屋台を出してくれている。カクテル選手権で全国優勝歴があるようなプロたちが満開の桜の下でシェイカーを振ってくれる。レストランもその腕を披露する(肉がうまかった!)。屋外に設えられたステージでは大井海岸の置屋「まつ乃家」の芸者衆が妖艶な踊りを見せる。昔の遊びコーナーとかもあって、けん玉とかベーゴマとかで遊べる。そんな、手作りながらとても温かいお祭りだった。

実行委員長でもある「テンダリー」の宮崎優子さんも途中から屋台でシェイカーを振っていた。お世辞でなく日本で一番美しいシェイク姿だと思う。桜をバックに大変美しい。この瞬間も一期一会。独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。

とはいえ、頭の中には復活ユニコーンの「オッサンマーチ」が鳴り響いていたりするわけで、そんな格好いいもんじゃないんだけど。
この曲、誰かオレの頭から取り去ってくれ。耳について離れん。つーか、「♪私はオッサン、いつでもハッピー」っていうサビ、素晴らしい歌詞だ。そう、オッサンと認めちゃいさえすればいつでもハッピーになれたりする。もれなくラッキー、あなたもハッピー。最近ボクもオッサン観念しだした模様。人生が楽になってきた。これはこれである種の独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。

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ユニコーン・ライブ「2009 蘇る勤労」@横浜アリーナ

2009年04月02日(木) 9:26:20

朝会社についたら夜までまさに1時間刻みで会議があるのだけど、ひとつひとつが少しずつ押す(延びる)から、最後の方は15分しかいられないみたいな状況が起こり、とはいえ年齢的にも責任者的仕事が多く、ワーとしゃべってワーと走って次の会議へを繰り返し、もちろん昼飯なんか食べるヒマもなく……、と、加速度ついている最近ですが、こういう毎日って何となくユニコーンの歌詞世界的(笑)

ということで、会議相手たちの怨念こもる目を無理矢理振り切り横浜アリーナへ!
行くに決まってるじゃないですか、ユニコーン16年ぶり復活ライブ。蘇る勤労ですからね。勤労中年こそふさわしい。

で、感想は、もうね、出来ればひと言で済ませたい。

いよーーーーに楽しかった(笑)

(笑)つきです。楽しかった(笑)という意味では人生トップのライブだったかも。
もちろん演奏が超ハイレベルにうまく、歌も曲もとってもいい、というのがベースにあった上で、とにかく楽しませてくれる。そしてコミックバンドと呼ばれても仕方がないくらい笑わせてくれる。演出の完成度が高く、背景の巨大スクリーンとの連動も完璧。ライトの使い方も完璧。そういう細かい細かい完成度の高さがあったうえで、ステージ上ではダラダラ(笑)でGDGDで、やる気なくて自由。そして大笑い。ほんと、細かいツッコミどころ満載で笑いが絶えないライブだった。

あまりに楽しかったので、1曲1曲書きたいが、やった24曲(S.M.A.含む)すべてに言及していったらキリがない。それはくわしいブログ(これとかこれとか)にお任せする。泣きそうになったのは冒頭の「ひまわり」と「おかしなふたり」、そして「大迷惑」「HELLO」「すばらしい日々」。異様に楽しかったのは「キミトデカケタ」「PTA」、ツインドラムが最高だった「ヒゲとボイン」。で、説明無用だけど、アンコール1曲目「人生は上々だ」のアベ・オンステージ(1曲に30分!※正確には2曲だけど)の大笑い。

それにしても。奥田民生って格好いいな。他のメンバーもそれぞれ超変人で格好良かったけど、なんつうか、ユニコーン(主に奥田民生)ってミュージック界の赤塚不二夫なんだな。重苦しい意味の世界を壊し解放する。昨日それが初めてわかった。

演奏のうまさ(各メンバーが楽器を次々持ち替える)、歌のうまさ、曲の良さ。すごいなぁ。最新アルバム「シャンブル」を繰り返し聴いて予習した甲斐もあった。この「シャンブル」の出来がまた実にいい。「ひまわり」から「HELLO」まで名曲ばかり。この辺、成長しつづけているのがまたスゴイ。

3時間たっぷりのライブ。途中「ずっとこのまま6時間続いても飽きない。というか聴いていたい」と思った。こういうライブも(ボクにとっては)珍しい。あーしあわせだ。このまま(とりあえず週末までは)突っ走れそうである。サンキュー。またお会いしましょう!

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映画「ホノカア・ボーイ」とか

2009年03月28日(土) 19:51:09

金曜は普通に会社に行って普通に仕事をした。木曜の不調はいったい何だったんだという感じ。
なんだかゆったり気分になりたかったので、夜は映画「ホノカア・ボーイ」を観に行った。「かもめ食堂」「めがね」みたいなくつろげる映画だと思って行ったが、もうちょっとテーマが深く、いろんな想いを巡らすことが出来るいい映画だった。なんだろう、ホノカアって町がとても美しいんだけど、死に満ちていて、生と死が自然と同居している。そこが良かったな。

なんかとてもいい町に主人公が漂い着くんだけど実はその町の気のいい住人たちは全員幽霊で…、っていう本だか映画だかが思い出されそうで思い出せず、脳味噌が痒い。そんな本だか映画だかのことが思い出されると、それを「ホノカア・ボーイ」に重ね合わせて、いい感じで語れそうなんだけどな。ふと浅田次郎のあれかと思ったけど、んー、あれとは違う。なんだっけなぁ…。

そういえば、「かもめ食堂」や「めがね」との共通点はご飯がおいしそうなこと。こういう日本映画、最近多いね。「おくりびと」もそうだったし。この「ホノカア・ボーイ」は高山なおみさんが担当していた。うまそうすぎてお腹が鳴った。思わず六本木の「さだ吉」に飛び込んでご飯。

で、今日の土曜日はひたすら寝た。
木曜の不調が、実は何かの前兆予兆である可能性は否定できず、とりあえずすべてを忘れて寝ることに。

起きたのはほぼ15時。犬の散歩だけ行って、帰ってまたすぐ就寝。いま夜ご飯用に起きたところ。食べたらまた寝る。明日は仕事だし、来週も激務っぽいし、今日はひたすら寝るですよ。ベッドでのお供は週刊文春の創刊50周年号。読みごたえがあった。

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ロックの学園

2009年03月23日(月) 7:50:10

「ロックの学園」に行ってきた。

2007年11月に引き続いて2回目の開催。前回の様子はBS-hiでも流れた(再放送を含めて2回も。今年は4/27~29に流れる)。
サイトを見ていただければわかるとおり、体育館を利用したライブや教室を利用したライブ、教室を利用した「ロックの授業」や展示など、まるで学園祭に遊びに来たような楽しさと手作り感に溢れていた。校長室には校長である忌野清志郎グッズの数々、中庭には屋台も並び、廊下や玄関でも随時ライブが行われていた。大人たちが真剣に企画した学園祭。大きく真剣なシャレ。真剣に遊ぶとこんなに楽しいってことの見本。素晴らしい空間。

会場は三浦半島三崎高校。廃校となったその高校の校舎や体育館、中庭などをフルに活用しての開催である。
この三崎高校、ボクたちが2004年12月に「スラムダンク一億冊感謝イベント」をやった場所である(その模様は「明日の広告」にくわしく書いた)。1年半前、主催者側の方に「確実に、あの記憶が起点のひとつとなって、この度、同じ三崎高校を会場とするロックフェスを開催することとなりました」とメールをいただいたので、スラムダンクのあのイベントの空気がどこかに漂っていると感じられたのもあながち間違ってはいない。あの奇跡の時間からの細く力強い糸が確かに繋がっている。ボクにしかわからない感覚かもしれないけど、なんだかとてもうれしかった。

この校舎、隅から隅まで知ってるな、と、あらためて。
あのイベントの時、たった9人で校舎の掃除から始めたからね。とにかく懐かしい。そしてなんだか愛おしい。あの時と来場者も違うし、コンセプトも違うのだけど、通底している精神は一緒。いいなぁ。なんだかシアワセになった。昨日もおとといも来れば良かった。ここに座っているだけでシアワセになれたのに。

ボクにとっては無名なグループが(でもその筋では有名っぽいグループが)いろんな場所でライブしている。それをひとつひとつ丁寧に聴いていってみる。ロックといっても案外アコースティックで親密なものも多い。これがイマなのだな。歌は時代を映す。マイナーなものも含めて、たくさんイマに触れられて良かった。

3日間の学園の大トリは、スガシカオの体育館ライブ。日曜18時から。
いやぁ高校の体育館という狭い空間でのライブ、楽しかった! 席は200席ほどで、その後ろに大きく立ち見席。全部で500人ほど入っていただろうか。スガシカオも「控え室が教室なんだよー。なんだか興奮したね。好きな子の笛を探したりしちゃうそうだった」とか話し、会場からは「センセー!」と声が飛び(一応学園の教諭という設定)、なんだかとても親密な雰囲気。学校空間ってその場全員の共有体験だから、最初から全員が場馴れしていて、とても空気が温かい。いいライブだなぁ。これも高校という空間のマジック。

1時間ぴったし、大ノリでやって終了。楽しかった。土曜の斉藤和義も見たかったなぁ。というか、廃校という箱はもっと他にも活用できるなぁと思った。来場者みんなが懐かしく思い、あの頃のことを思って温かい気持ちになり、そして場馴れしている。そんな空間でのイベントは無限の可能性がある。

ロック・フェスってフジロックをはじめいろいろあるけど、このフェスは「学園」って捉え方がいい。
校則に代表されるような「学園」と、その対極にあるはずの「ロック」を結びつけたところに、日本独特の草の根ロックの息吹が感じられる。そして、若いグループが中心なのに忌野清志郎校長とか鮎川誠とかの大御所に対するリスペクトがそこここで感じられたのもいい。こういういい意味での「ぬるさ」って日本っぽくて良いと思う。楽しかった。主催者側の方々、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

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杉浦千里展 @東神奈川かなっくホール

2009年03月22日(日) 22:40:04

sugiura.jpgさて「ロックの学園」に行ってくるか、と、出かける寸前にメールチェックをしたら、気になる新着メールがあった。初めての方からのメールで、ある展覧会のお知らせ。ボクなら興味を持つのではないか、と書いてある。

それがこれ。「杉浦千里展」

誰それ?って感じであったが、よく読むととても興味深い。
2001年に39歳の若さで亡くなった博物画家で、甲殻類を中心とした海の生き物の細密画である。荒俣宏さんの彼に関するコラムを読んでも面白そう。なるほどこれは見たいかも。なにより三崎口でやっている「ロックの学園」へ行く途中にあるのがいい。東神奈川駅前の「かなっくホール」でやっているのである。「ロックの学園」に行きがてら立ち寄ってみるか。

で、立ち寄ったわけなのだが、いやーすごい。見て良かった。
上のポスターを見てもらえば雰囲気わかると思うけど(クリックすると大きくなります)、まぁなんというか驚愕の細密画なのである。こういうのを見ると手塚治虫が中学生のときに描いた昆虫の細密画とか思い出すが(これもまたすごい!)、それと違うのは杉浦千里の絵の目的が図鑑に載せるような博物画ということ。ウロコ一枚、毛一本おろそかにせず、学術的にも正しいように描ききらないといけない。

ウルトラマンのキャラクターデザイナーとしての方が知られている人らしいが、怪獣系や動物系の絵になると逆に妙に演出が入ってしまい、なぜかもうひとつになってしまう。きっと50歳くらいになったらすごかったのだろうなぁと思う。演出の若さが消え、基礎の細密画に磨きがかかり、きっと想像もできない完成度が待ち受けていただろう。夭折とはこういうことか。

なんというか、人間っていろんなことをして生きているんだなぁ、という普通のことを思った。当たり前だけど、ボクが興味ない部分とかに一生をかける人がいて、もしかしたらそれにボクは一生気づかず人生を終えるのだけど、そういう部分部分の完成度の高さが回り回ってボクの人生をどこかで豊かにしてくれている感じ。うまく説明できないけど。今日も世界のどこかでいい演劇、いい展覧会、いいライブなどが行われているのだけど、それが回り回って自分に影響を与えてくれている感じがなんかリアルに感じることが出来た、そんな展覧会。不思議な感覚。

その感覚に酔いながら、京急に乗り三崎口駅へ。「ロックの学園」である。無名な人(ボクにとっては)のライブやスガシカオのライブを観た。その感想は明日。

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アタマお休み

2009年03月21日(土) 21:59:17

なんとかメールのお返事を書き終わったはずなんだけど…。
でも、最近友人から「メール出したけど?」という連絡がよく来ていて、どうも彼らのメールがボクに届いていないようなのである。ということは他にもそういう方がわりといらっしゃる可能性もあり。サーバーの方で強化されている迷惑メールフィルターに引っかかっているのかな。特にGmailは届きにくかったみたいなんだけど、最近サーバー側で改善してもらい、もう届くようになっているはず。ここ1ヶ月くらいの間にボクにメールをくださった方で、ボクからのお返事がない方は再度メールをいただけますか? たぶん届いていないです。あ、もしくは、いくつかお返事したのがはね返されて戻ってきたので、そちらのサーバーの問題 or ご自分のメアド設定が間違っている場合もあります。ここ1ヶ月分で10通くらいはお返事が戻ってきてしまっています。

仕事であまりに余裕がなかったせいもあるのか、なんだか急にゲームがしたくなり、ソフトをいろいろ選んでいたのだけど、娘が欲しがっていた「どうぶつの森」のWii版を娘孝行に思わず買ってしまった。もっと他のをしたかった気もするけどなんとなく。まぁ街に行けるようにはなっているが内容的には以前のとそうは変わらない。昨日今日と数時間、ボンヤリとやっている。ボンヤリできるという意味では良いかな。もうちょっと刺激が強いゲームが欲しかったけど(ドラクエ最新作発売延期が痛い)。

さて、寝よう。今日も寝てばっかり。いくら寝れば気が済むのか。というか、読み返しても「相当アタマが働いていないのがよくわかるさなメモ」ですね。この三連休はアタマお休みです。

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ミュージカル「ザ・ヒットパレード」観劇

2009年03月18日(水) 9:28:49

ミュージカル「ザ・ヒットパレード 〜ショウと私を愛した夫」を観た。@ル テアトル銀座

日本のショウビジネスを暗闇から明るい日光の元へ導き出し、虚業から実業へと価値転換したある夫婦の実話。言わずと知れた渡辺晋・美佐夫婦の物語である。いわゆるナベプロですね。彼らが日本のエンタメのために果たした役割は計り知れない。その出会いから死別まで、夢の一歩目から失意そして次の夢まで、一介のジャズマンから藍綬褒章を得るまで、を、昭和ヒット歌謡の数々に乗せて原田泰造と戸田恵子が達者に演じている。

題名はもちろん昭和の大ヒットTV番組「ザ・ヒットパレード」から来ている。
3時間にも渡る全体がその番組構成をベースに作られていて、番組と同じようにヒット曲のメドレーを歌いながら、番組「ザ・ヒットパレード」で花開いた渡辺夫妻の人生やザ・ピーナッツの栄光が綴られていく。この二重構造はとても面白いが、逆にちょっとマニアックになっていて、ストーリーに乗っていった気持ちが唐突に始まるメドレーではぐらかされた部分もあった。ストーリーに連関するようにもっと綿密にヒット歌謡が仕組まれていたら(たとえばアバの曲をストーリーと上手に組み合わせた「マンマ・ミーア」のように)もっと気持ちよかったかもしれない。

ま、それはともかく、日本オリジナルのミュージカルとして、とっても出来が良かったと思う。昭和時代っていい曲が多いなぁ。観劇後はフンフンと鼻唄歌いながら楽しく仕事に帰った。
主演のふたり、良かったなぁ。戸田恵子は滑舌が異様によく、早口セリフも完璧。存在感もあるし、なにより渡辺美佐感(?)がよく出ていた。素晴らしい。原田泰造は「笑う犬」シリーズや「篤姫」でその演技力は知っていたものの、なかなかすごい役者になってきた、というのが感想。ちょっと自信がない感じが目に出ちゃうのが惜しいけど、セリフも不自然さがまるでなくプロの仕事。

特に休憩後の後半、「Anything goes」の一連がよかった。
なんだかとてもブロードウェイっぽい演出。なんとなくニューヨークで観ている気分になった。あぁブロードウェイ、今年は行けるかなぁ(忙しくて行けそうにないけど…)。

敢えて言うなら、主人公ふたりの背景が描かれていないので、カタルシスがないのが残念だったかも。
せめて美佐の両親の話とか子供時代なんかが描かれていたら美佐のあそこまでの情熱とモーレツの理由もわかるし、渡辺晋の「スマイル」の秘密がどこかで描かれていたら晋のエンタメへの熱い想いがより伝わってきただろう。なんとなくふたりの人生の上澄みを辿った感じだったのが残念。まぁあれだけヒット歌謡を入れ込んだので時間がなかったのだろう(それがこのミュージカルの最大のサービス部分なのでそれもわかるのだけど)。ただ渡辺晋・美佐という素材があまりに素晴らしいだけに、もっと深く彼らの人生を観たかった気持ちは残る。そういう意味で「Anything goes」はちょっとダークサイドを描いている分、深みが増し、印象に残ったのかもしれない。

ラストは「シャボン玉ホリデー」のラストシーンの演出と同じだった(ハナ肇とザ・ピーナッツの例のアレ)。
スターダストを歌うザ・ピーナッツに挟まれ、渡辺晋が言う。「人生って長いようでこんなに短い。だから楽しまないと損だと思うんだよね」。このセリフを聞いて、今の激務を楽しんでない自分に気がついた。そう、楽しまないと損だよな。で、渡辺晋の口癖「スマーイル」を自分に言い聞かせながら仕事に帰り、なんとなくニコニコしていたら、後輩から「あれ? イイコトあったんですか?」と聞かれ、そのままにこやかに会議に入り、なんだかハッピーな結末となった。スマーイル。眉間にしわを寄せるようなことばかり起こる毎日だからこそ、スマーイル。

テアトル銀座では25日まで。大阪ではシアターBRAVA!で4/1〜5まで上演する。
日本のエンタメ創世記を知りたい方、たったひと組の夫婦が何を変えたかを実感したい方、昭和ヒット歌謡が好きな方などにオススメ。当日券もとれそうな感じである。

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ロッド・スチュワート日本公演 @武道館

2009年03月14日(土) 7:34:43

ロッド・スチュワートの13年ぶりの来日公演「ROCKS HIS GREATEST HITS JAPAN TOURS 2009」に行ってきた。

中学高校大学と、彼のアルバムはすべて買い、彼の来日ライブにもすべて行ったくらいはファンであったワタクシ。たまたま来日公演の記事をネットで読み、脊髄反射的にチケット購入ボタンを押したのだが、その反射神経のおかげか席はアリーナの前から4列目(ステージに向かって左端の方だけど)。いやぁロッドが20メートル前にいるよ! 会場一番奥の安席で熱狂していた30年前の自分に教えてあげたい。

それにしてもパンクチャル(時間に正確)なライブだった。ちょっと異様なくらい。
寸分の狂いもなく7時00分に始まり、8時00分に「じゃ、10分休憩ね」と休み(休憩があるロック・コンサート、初めて見たよ)、8時10分ジャストにショウを再開し、9時00分ジャストにアンコールまですべて終わって会場が明るくなった。いや、マジですべてが計算されたようにピッタシ。

そのうえ、娘さんのRuby Stewartが2曲歌ったり、バンドメンバーが「プラウド・メアリー」歌ったりする間は彼は楽屋に帰って休んでいたので、実質1時間半弱しか歌わなかったな。動きも少なく、ステージ上でも走らず、なんだか歳とったなぁという印象。まぁ64歳にしては見た目は若いし、相変わらずセンスも体型もいいんだけど。

ステージはなんというか「ロス郊外のホテル会場か体育館」みたいな感じ。装飾は白いカーテンのみ。広いステージの真ん中にドラムとキーボードと白いマイクスタンド(!)が置いてあるだけのシンプルさ。まぁオシャレと言えばオシャレなんだけど、全体の大人しいステージングも相まって、なんだかラウンジみたいだった。ラウンジ・ミュージック。途中、バニー・マニロウか布施明のコンサートを見ている気分になったよ。

でもさすがに歌はよかったな。楽器としての彼の喉はやはり最高。
「サム・ガイズ」から始まったステージは、「The First Cut Is the Deepest」「Tonight's The Night」「You're in My Heart 」あたりのスローナンバーで前半の最高潮。この辺、実に良かったな。でもさ「もう話したくない」や「ただのジョークさ」をやらないってどうなのよロッドさん。
後半はサッカーボールを客席に蹴るパフォーマンスの「ホット・レッグス」と「マギー・メイ」が大盛り上がり。個人的には「マギー・メイ」が一番感動した。で、「アイム・セクシー」をやって、アンコールに「セイリング」。んー、「セイリング」嫌いなんだよね、なんだか。だからいつもアンコールで白けるワタクシ。

会場は6〜7割の入り。2階席はガラガラ。でも全員がロッド・ファンで、全員が中高年で、とても拍手が暖かくて、その雰囲気は逆に良かった。でもさ、ROCKじゃないなぁ。大ファンだから敢えて言うけど、もう彼はROCKしていない。ストーンズとかと比べるのは酷かもしれないけど、ちょっと哀しい夜でもあった。

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TEAM NACS「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」観劇

2009年03月08日(日) 21:11:17

TEAM NACS 第13回公演「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」東京公演を観てきた。@池袋サンシャイン劇場

前回の2007年公演「HONOR」(名作)までは森崎博之の脚本・演出だったが、これは大泉洋初脚本・演出の舞台となる。オムニバス映画「N43°」でメンバー5人のいい意味でのバラバラさが明らかになったこの人気劇団。大泉洋の本を得て、また違った展開が見えてきた。個人的には一緒にNYにミュージカル観劇旅行に行ったモリ(森崎博之)の脚本・演出の成長を見たかったところだけど、大泉洋の秀逸なコント劇もまた良し。

コント劇と書いたが、全体はよく練られた人情ものの脚本である。実際ラストで泣いている人も多かった。ただ前半のお笑い系展開があまりに面白く印象的だったし、テンポの良さを含めて大泉脚本の良さはやはりコントかなぁ。モリの壮大で熱い脚本に大泉の軽妙なコント部分が合体するとNACSはもっと面白くなるかもなぁとか勝手なことを思った。

うん。やっぱり前半が気に入った。腹よじって笑ったわ。
5人のキャラが最大限笑える方向に活かされていた。安田顕の衝撃の(?)オープニング、音尾琢真・森崎博之・戸次重幸の一人二役、大泉洋のさすがの笑わせなど、みんな本当に達者だった。
モリのセリフが異様に多く、知り合いとしては「いつ噛むか」ドキドキ状態だったが、でもほとんどミスなく乗りきった模様。モリ曰く「いやぁ〜、いつもはボクの脚本・演出だからボクのセリフは少ないんですよ。でも今回は洋ちゃんの本で、洋ちゃんが気を遣って『いつもセリフの少ないリーダーにセリフを多く』ってしてくれたんだけど、余計なお世話だっつーの!」だって。確かにセリフはかなり多かったし、かなり早口で詰め込んでた。あまり説明をしない森崎脚本に比べて、大泉脚本は説明をしすぎるところがあるかも。

後半は音尾琢真の達者な演技に引っ張られてわりと締まった展開。泣いていた人も多かった。
音尾琢真、この前の映画の監督ぶりでも驚いたけど、役者としてもかなりいい。もう少し年齢を重ねると実にいい個性派俳優になるかもしれない。
というか、5人とも、どんどん有名になってきていて、それをファンが心から喜んでいる感じがあって、舞台上と客席の一体感が素晴らしかった。まぁ逆に言うと5人のキャラを把握しているファンでないとわからない(笑えない)部分も多く、NACS初心者が観たらどうなんだろうという場面もちょこちょこ見受けられたけどね。そこは良し悪し。ファンを大切にするNACSとしてはこれでいいのだと思う。その辺、いい意味でのマイナーさをずっと持ち続けて欲しい部分でもある。

なんだか全体に「ドリフ」を思いながら見ていた。
セットの壊れ方とかほとんど「8時だョ! 全員集合」だったし、ドリフもNACSも5人ということもある。モリがいかりや長介で大泉洋が加藤茶。ヤスケンが志村かなぁ。そうなると戸次が仲本工事で音尾が荒井注かなぁ(高木ブーはいない)。ま、無理矢理あてはめても意味ないし、本質はドリフと全然違うんだけど、いまこういう個性バラバラの5人ユニットって他にいないから、わりと貴重な集団になっていくかも、とか思ったな。こういうバランスの5人ってわりと奇跡的だと思う。

今夜、タイミングがいいことに、「情熱大陸」がTEAM NACSを取り上げる。この舞台が出来上がるまでを追うようである。番宣によると「大泉洋が全国公演では初めて脚本・演出を手がけることになった。ところが、『最後にどうしてもお客さんを泣かせたい』とこだわり続けた大泉に、アイデアが降臨しない。ギリギリまで完成しない大泉の脚本にメンバーの苛立ちが隠せなくなってきた。」とか書いてある。面白そう! 要チェック!

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誕生日 & 7刷

2009年03月07日(土) 15:44:40

昨日は娘の誕生日にして結婚記念日。娘が14歳ということは、結婚して15年目ということになる。ちょっとした年月だ。

今年の誕生日プレゼントはモノではなく、「ミラコスタ&ネズミー・シー」だったのだが、まぁ当日何もないのも何である、ということで、昨晩はTEAM NACS公演「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」を観に行ってきた。感想は明日にでも。ひと言で言うと「すげー面白かった!」である。特に前半の笑わしは最高だった。というか、基本はコント系。特にそれぞれのキャラをわかっているNACSファンには異様に楽しめるものに仕上がっていた。つまりは娘、大喜び。

で、終演後、楽屋にモリを訪ねる。
そこでヤスケン以外のTEAM NACSメンバーに会え(ヤスケンはあっという間に帰っちゃうことが多いらしい:笑)、狂喜する娘。まぁこれが一番のプレゼントかも。いい思い出になっただろう。

ついでにボクにもイイコトが。
拙著「明日の広告」7刷が決定しました。これも皆様のおかげです。ありがとうございます。5刷から6刷までは意外とかかったのに、6刷から7刷は早かったなぁ。じわりじわりと売れてます。ありがとうございます。

今日の土曜日は「仕事集中デイ」と決めて、朝からガシガシやっているんだけど、途中で煮詰まって苦しんでいる最中。うぅ。おまけにTRANSMOVERなんてネットゲームにはまってやってしまっている。くそぅ。間に合わねぇ。しかも確定申告もやらねばならぬ。まいったな。

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三月大歌舞伎「元禄忠臣蔵」

2009年03月03日(火) 8:23:11

歌舞伎座さよなら公演「元禄忠臣蔵」の初日を観てきた。
さよなら公演といっても、延々とあと1年は続く。でもさよなら公演と銘打つだけあって出演者が豪華(値段も豪華だけど)。この「元禄忠臣蔵」も大石内蔵助を市川團十郎、片岡仁左衛門、松本幸四郎の三人が演じてくれている。なんともお得な感じである。

観に行ったのは夜の部。「南部坂雪の別れ」と「仙石屋敷」と「大石最後の一日」の三編。

「南部坂雪の別れ」は團十郎が大石内蔵助。瑤泉院を中村芝翫。羽倉斎宮を片岡我當。
「仮名手本忠臣蔵」に比べて全体に動きがとても少なく台詞回しばかりが多い「元禄忠臣蔵」ではあるが、この編は内蔵助の台詞も少なく、團十郎の見せ場も少なかった。内蔵助と瑤泉院の別れの場面は美しかったが、全体に平板な舞台。

「仙石屋敷」は仁左衛門が大石内蔵助。仙石伯耆守に中村梅玉。磯谷十郎左衛門に市川染五郎。
ボクは仁左衛門が一番好き。吉右衛門とどっちが好きか迷うけど、んーと迷った挙げ句やっぱり仁左衛門。この編は内蔵助の台詞が多く、見せ場もたっぷり(相変わらず動きは少ないけど)。あー惚れ惚れした。もっと長く仁左衛門の内蔵助を観たかったな。梅玉は初日のせいかまだ台詞がこなれておらず、言い淀みも数回あってちょっと残念。

「大石最後の一日」は幸四郎が大石内蔵助。おみのに中村福助。堀内伝右衛門に中村歌六。磯谷十郎左衛門に市川染五郎。
歌舞伎における松本幸四郎がどうにも苦手なボクであったが(舞台やドラマでは好き)、この内蔵助はとても良かった。あの暗い感じが「最後の一日」にうまくはまっていた。もともとこの「元禄忠臣蔵」はこの「大石最後の一日」が初演された後、大好評につきリクエストされ、あと9編を付け加えて完成したもの。つまり元々の一編であるだけに完成度も高い。見せ場も多く引き込まれた。幸四郎、うまいな。ただ福助のおみのはちょっとブリッコ気味でTOO MUCHだった。ひいた。

席が舞台に近かった(二階東桟敷舞台袖)のもあって、黒子がセリフを読み上げる声が丸聞こえ(稽古が足りない役者はそれを聞きながらしゃべる)。初日だからかな。ただ、さすがに仁左衛門、幸四郎のおふたりは黒子に頼らず朗々と語っていた(團十郎は一部頼っていた)。圧倒的にうまい。やっぱり看板役者なだけはある。

幕間では名物のオリエンタル・カレーを。懐かしい味でうまいよなぁ。このカレーも歌舞伎座改築(改悪築)とともに消えてしまうのかな。新しい歌舞伎座に変にマーケティングされた飲食店が入らないことを願う。

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平田オリザ作「ヤルタ会談」観劇

2009年02月25日(水) 12:15:52

おとといになるが、憲政記念館で演劇「ヤルタ会談」を観た。

超党派議員有志を中心に発起人が集まり、開催が実現したもの。友人の参議院議員に誘われて参加した。
小さな会議室が会場だったのだが、大御所議員や若手議員をはじめ、学生さんまでいろんな立場の人が参加していて面白い雰囲気だった。

よく思うのだけど、議員って直に話すととてもいい人が多いし、精力的に動いているし、意外とクリーンだし、見方が変わる。演説になるとどうにもうさんくさい部分があるけど、普段は本当に普通の感覚をもって少しでも世の中を良くしようと動いている人が多い。特に権力に染まっていない若手はそう。その情熱は(普段問題意識薄く生きている自分には)まぶしいほどである。「議員=ダーティで裏がある」というレッテルを貼りがちだが、そうでない若手も多いことにもっとみんなが気づくと政治への印象も変わるのだけどなぁ。選挙活動以外の場所でもっと議員と接する機会が増えるみたいなことが、意外と政治意識改革につながる気がする。ネットってもっと上手に活用できないものか。

で、「ヤルタ会談」。
平田オリザ脚本のたった30分の演劇。出演者もたった3人。スターリン役(松田弘子)とルーズベルト役(高橋緑)とチャーチル役(島田曜蔵)。スターリンとルーズベルトが女性だよ(笑)。でもって本音トークでわいわい言い合うのだけど、これが面白い。

「で、どうなの? ソビエト軍はいつ頃ドイツに本格的に入ってくるわけ?」
「ま、来月中かな?」
「え、そんなに早く?」
「まあね」
「へー、そうするとベルリンまですぐって感じかな?」
「いやいや、ドイツ軍の抵抗がね、どの程度なのか…、ポーランドも大変だったしね」
「とはいえさ」
「とはいえじゃなくてさ、だいたいアメリカさんはいつも無責任すぎるんだよ」
「そんなこと言ってもさ、大変なんだよ、日本はまだまだ気が狂ってるしさ」
「あ、日本っていまどうなってるの?」
「そんな他人事みたいな言い方しないでよ。ソ連はいつ参戦してくれるのよ」
「いや、だから、ソ日中立条約ってのがあってさー」
「ロシア人が条約守ったことあったっけ?」
「なに!」
「まぁまぁまぁ」

みたいな爆裂トークで、たった3国で第二次世界大戦後の世界地図を適当に決めてってる様子が描かれていくのである。

いや、よく出来ている。
実際にこうだったのかもと思わせるほどリアリティがある部分と、上手にデフォルメされている部分と、平田オリザによる問題提起な部分がバランス良く織り込んであり、頭の中で史実がクリアに整理されると同時に「権力者たちの普通の感情」に寄り添える。そしてどんな政治も「ヒト」が行っているという当たり前なことに気がついていく。

こういう「異化」こそ芸術の役割なんだなぁと再確認した感じ。平たく言うと、日常に埋もれてしまいがちな「他者の存在と痛み」に気づく「目」になってあげること、かな。難しくややこしい政治と権力の駆け引きを異化してわかりやすく提示し、観ているヒトに新しい視点を与える。そういう意味で演劇「ヤルタ会談」は大変すぐれた芸術であった。

また、西洋のややこしい題材をアジア人が描いていることにも意味がある。日本での上演よりも海外での上演の方が多いようだけど、海外でもとても受けているそうだ。アジア人だからこそ描け、理解される部分もあるのだと思う。アジアの芸術家の役割、という新たな視点をもらった感じ。

観劇後、平田オリザさんを中心にパネル・ディスカッションがあった(彼はこの上演のためにパリから前日に帰国して、また翌日パリに帰ったらしい)。
コメンテイターとしてたまにテレビに出ている劇作家、みたいな印象しかなかったけど、平田オリザっていう人の知と姿勢とビジョンにちょっと感動した。自分の役割と目的、ゴール・イメージまでクリアに系統だって整理されている人、という印象。特に教育に対する志の高さと問題意識は大変刺激になった。

第一次産業向け人材を育てる教育しかしてこなかった日本に、コミュニケーション・ティーチャー(ドラマ・ティーチャー)的なものを導入していくというビジョンにも共感した。この辺、自分の中でもう少しゆっくり消化してみたい。さっそく彼の著作「芸術立国論」を読んでみよう。楽しい知の刺激。久しぶりな感覚。

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「おくりびと」「つみきのいえ」 おめでとう!

2009年02月24日(火) 8:38:46

ご飯友達でもある小山薫堂さんが脚本を書いた映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
日本映画の受賞は1956年に同賞が独立した賞になってから初