趣味
週刊文春に書評を書きました
2009年07月03日(金) 7:13:38
えっと、昨日発売の「週刊文春(7月9日号)」にボクが書いた書評が載っています。
書評したのは駒沢敏器さんの「アメリカのパイを買って帰ろう―沖縄58号線の向こうへ」という本。
駒沢さんは友人でもあるので、この本は出版されてすぐ買って読んでいました。
で、「なんて素晴らしい本なんだ」と感嘆したんだけど、その素晴らしさを伝えるのが意外と難しく、さなメモにどう書こうか迷っていたところに、「書評を書いてください」と偶然に文春の編集の方から依頼があったんですね。過去に2回だったか書評書いているし、沖縄の本を文春から出していることもあるのでしょう。
うわー書きたいけど…こりゃ難しいなぁと頭を抱えたんだけど、沖縄の話でもあるし、友人でもあるし、変に理解がない人が書くよりは適任だろうし、こりゃやっぱり書いた方がいいだろう…と引き受けました。
そこから悩むこと一週間。
アメリカだったころの沖縄を著者がシーク&ファインドしていくノンフィクション・エッセイなんだけど、書き出すと言及したいことが多すぎて字数が足りない(12字×91行=1092字)。参ったなぁ。中途半端に削るとその魅力が浮き出てこない。上っ面をなぞると深い部分に触れられない。んー、ままよ、いっそのこと肩の力を抜いて「さなメモ」みたいに書こう!
と、「書評」と思わず「さなメモ」なんだと意識して書いて、先週金曜日にメールで原稿送りました。
同時に著者の駒沢さんにもメールで送ったら、最大限の感謝をいただきつつ、「ちょっと力入りすぎですね。いつもらしくない(笑)」と。あは、ダメじゃん!(笑)
いつもらしく書こうとしつつ、「この本をみんなに読んで欲しい!」という気持ちが勝りすぎて結局肩に力が入ってしまったみたいですね。いや、ほんと、まったく力不足で申し訳ない。
もしよかったら立ち読みでもしてみてください。
書いた書評は来週くらいに(販売が終わったころに)ここに掲載します。
いやホント、題名からはわかりにくいですが、沖縄好きは必読だし、いままでほとんど光が当てられなかった「アメリカだったころの沖縄」を濃密にも美しく浮かび上がらせた名作だと思います。書評の冒頭でも書いたけど、「この本は近年書かれた沖縄本の中でもベストではあるまいか」とボクは思うなぁ。
立川談志 独演会
2009年07月01日(水) 12:03:55
眼福だった立川談志の独演会について書こう。
ある方がとってくれたプラチナ・チケット。サンケイリビング新聞社主催「リビング名人会 立川談志」。
大箱である「よみうりホール」の二階席だったが、生きて歩いて声出してる談志を見られるだけで満足である。なんつっても73歳にして声門ガンからの生還だ。以前も食道ガンとか摘出していたけど、今回は噺家の命、喉のガンだからなぁ。春には高座に復帰していたらしいけど、ほとんど声が出ず、出来も今ひとつだったと聞いた。
前座で弟子の立川談修が「家見舞」という噺をして(達者)、その後「踊らさせていただきます」といきなり高座で「奴さん」を踊った。そういえば談春が書いた「赤めだか」でも立川流の二段目昇進試験で踊りを踊る場面があったっけか。
で、次が談志。
出囃子が鳴り始め「お、ついに談志!」と身を乗り出したものの、そこからが長かった!
出囃子が鳴り続けること優に5分。いや10分近いか。いまかいまかと待っている10分ってホント長い(笑)。もう出てこないのかもと思った頃、談志がよちよちと姿を現した。というか、舞台袖カーテンから身を出したところで客席に「おぅ」とばかりに手を挙げる。ここで爆笑。座布団に座る前から空気を掴み、遅れたことも「談志だから仕方ない」とみんなが笑って許すこの凄さ。究極の芸は「その人自身でいるだけで笑いがとれること」だと思うが、そういう域に達した数少ない一人。
座布団に座るまでに数分かかる。歩けない。足がつらそうだ。膝が痛いらしく、噺の途中で「ちょいと待ってくださいよ、普通なら高座が終わってから楽屋で痛がるもんなんだろうけど、オレぁ客の前でも関係なく痛がるんだ。イタタタ」と、痛がる。歩くのがつらそうなのは可哀想。よろよろと数センチ単位で前に進む感じ。
まずは「居酒屋」。
これは「ずっこけ」の部分です、と談志自らが説明する。枕を語り、世相を斬り、落語を語り始め、落語の途中でまた雑談を入れ、芸人批判をやり、また落語に戻り、アメリカン・ジョークを少し入れ、また落語に戻り、落語の説明からまた雑談に入り、と、なんつーかもう自由自在の立川流。心配した声もよく出ていてメリハリも効いている。超よぼよぼだが、たまに若者の談志も現れる。その瞬間が面白くて。
仲入り後の後半も談志の落語。
またしても長〜い出囃子。というか、今度は「談志のことだから帰っちゃったんじゃないか」と心配になった。いや、もしかして死んじゃったのでは?…とか思い出した頃にまたよちよちと。
で、二席目「よかちょろ」(「山崎屋」)。
これ、落語にくわしい女性に言ったら「談志の『よかちょろ』! 生で聞きた〜〜い!」と羨ましがられた。
談志自身、「粗忽長屋」「金玉医者」と並んで大好きな噺なのだとか。十八番らしい。
しかし、サゲをサゲない。サゲの直前に「で、この噺、こうこうこういうサゲなんですが、あっさりしていていいやね」とサゲを客観的に解説してオシマイ。すげー(笑)。でも「このサゲの後にまだ一席二席分の噺があるんで、それを一席やりましょう」と、もう一席してくれた。
途中、番頭さんの台詞のところで「日本橋………おい、日本橋のどこだ?」「横山です」「あ、日本橋横山町ね」と、舞台袖のお弟子さんと会話(笑)。そこからまた雑談に入っていく。ま、とにかく自由自在。応用自在。
無事に噺も終わって、一度幕が下がったが、すぐ開いて「時間があるようなので」とお得意のアメリカン・ジョークをいくつか演ってくれた。このサービス精神があるなら大丈夫。もうちょっとは生きてくれそうな気がする。相変わらず毒舌爆裂だったし、気持ちの張りも失ってない。見た目は「超枯れすすき」だけどね。
同じ空間にいられるだけで幸せ。
みんなが「壊れもの」を扱うように丁寧に聴いている感じも心地よい。そう、客全員が、そーっと、壊れないように、優しい視線で彼を支え、包んでいるような。
こういう「わかってる人たちのわかってる空気」に浸るって、温泉よりずっと気持ちいいな。
模倣からの自由
2009年06月16日(火) 8:26:18
昨日寝るときに考えていたこと。
全盲のピアニストって、楽譜が読めないのだから、曲を覚えるときに誰かの演奏をCDで聴いたりして覚えるんだよね? そしてその演奏の「解釈」や「表情」を模倣するところから入る。特に超絶技巧系の曲だと、最初に聴いたCDを正確に再現するところから入るはず。つまり「誰かの解釈」を完全模倣して記憶するのが第一歩になる。
模倣は芸術の母だ。目が見える人でもそれは変わらない。でも、楽譜がなく、「誰かの演奏」が記憶のベースになるとき、その「模倣」からどうやって自由になるのだろう。
例えば生まれてから一度も地下室から出たことがない人がいるとして、「空」という概念をゴッホの絵で覚えたとする。まずは完全模写で「ゴッホの空」を覚える。あぁこれが「空」というものなのかぁと。 その後シスレーやらターナーやらの「空」も見るだろうけど、彼の「空」のベースは「ゴッホの空」。ある強烈な個性と完成度を持った「空」。そこから自由になって「彼自身の空」を描くに至るにはいったいどんな過程を経るのだろう。
バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した全盲のピアニスト、辻井伸行さんの偉業を思うたびに頭に浮かぶ命題。いや、彼や全盲の人を貶めているわけではなく、純粋に演奏に感動したから書いている。たとえばルービンシュタインの偉大な演奏の完全模倣から入ったとき、どうやってルービンシュタインの偉大な演奏から自由になるのか、なれるのか、そこが知りたい。
YOSAKOIソーランから無事帰還
2009年06月15日(月) 20:56:58
YOSAKOIソーラン祭りの札幌から東京へ無事帰還。
というか、朝のヒコーキだったので昼前にはもう東京で仕事していた。次回はもう少し札幌でゆっくりしよう。
ファイナル・パレード審査はとても楽しかった。
大通り公園南コースを12チームが演舞してくるのを、桟敷席に座って「演舞」「感動」「芸術」などの視点から100点満点で採点していく。審査員はボクを含めて8人。審査員前の演舞はチームも相当気合いが入るので感動もまた違う。
パレードの後でステージ審査があるのだが(これは倉本聰さんを審査委員長にした別チーム)、ステージとパレードではかなり採点結果が異なるだろうなぁ。パレード映えする演舞がステージではイマイチだったり、パレードではイマイチと思った演舞がステージではとても良かったりする。同じ演舞なのに見え方や感じられ方がずいぶん違う。チームの個性もあるし、構成の違いもあるだろう。両立が難しいのかも。
そういう意味では今年のYOSAKOIソーラン大賞を見事獲得した「平岸天神」も両立できていなかったと感じた。
ステージ演舞は完璧な出来だった。素晴らしい。でもパレード演舞は構成と盛り上がりに難があったと思う。ボクはパレードではあまり高い点をつけなかった。とはいえ完成度から言っても勢いから言ってもまぁ順当だと思うけど。
パレード演舞では、個人的には総合5位に終わった「北海道大学 "縁"」に高い点をつけた。
荒削りすぎるけど、パレードではそれがいい方に作用していたから。熱い塊が投げつけられたような衝撃があった。祭りはこうでなくっちゃね。ただステージ演舞ではそれが分散してしまっていた。惜しい!
審査終わって9時半くらいにモリ(森崎博之くん)の家へ赤ちゃんの顔を見に。
Rothschildのシャンパンを始め3本をほぼふたりで開けた。飲み過ぎだな。それにしてもこの若い男女が完全に「父母」になっていたのには驚いたな。やはり役割がヒトを作るんだなぁ。
赤ちゃんは美男子だった。お世辞抜きで。
でも頭がでかい。これは父親譲りだから喜ばしいね。
映画「グラン・トリノ」
2009年06月11日(木) 7:59:17
映画「グラン・トリノ」をレイトショウでようやく観た。
いつ公開が終わっちゃうか冷や冷やしていたので、観られて良かった。
リアルタイムでイーストウッドが新作を公開してくれる幸せって、たとえばリアルタイムでビリー・ワイルダーやフランク・キャプラが新作を公開してくれるみたいなのと同じくらい奇跡的なこと(もちろん作風は全く違うけど)。忙しいとか自分に言い訳している場合じゃないよなぁ…。
というか、いま書いてて思ったけど、この映画、ちょっとフランク・キャプラっぽかったかもしれない。もちろん作風は全然違うし、キャプラっぽい正統ハッピーエンドではない。でも、それは描き方の違いで、実は主題は近いかも。キャプラが表ならイーストウッドは裏。キャプラが古き良き20世紀のアメリカならイーストウッドは腐りかけている21世紀のアメリカ。
この映画を往年の西部劇と対比させる評論が多いし、もちろんそういう面はあると思うけど、キャプラと対比させると逆にこの映画の違う側面が明確に浮かび上がってくる気がちょっとした。
それにしても「いろんなもの」を2時間弱に詰め込んだなぁ、という印象。淡々と一本道を進む映画のように見せといて、いろんな側面から語ることが出来る作りになっている。
特に印象的だったのは、移民が国を支え、移民がアメリカの心を受け継いでいる(いく)ことの描き方。
ガチガチの人種差別主義者(ポーランド移民)を主人公に据え、古き良きアメリカの心(善意と無邪気さと騎士道的なもの)の荒廃を縦軸に、朝鮮戦争とものづくり没落を横軸にして、アジアからの移民に「大切なもの」が受け継がれていくというある種衝撃的な展開を、濃厚な暴力の気配の中で淡々とそして丁寧に細部を積み重ねて描いていく。すばらしいな。頭の固いアカデミー会員から作品賞のノミネートされなかったことが逆に勲章になるような映画じゃないか。
床屋でイタリア系移民の店主とポーランド系移民の主人公とモン族の少年が触れ合う場面。
ボクはこの場面が一番印象的だった。これってもろノーマン・ロックウェルじゃん! 21世紀のノーマン・ロックウェル。移民だらけのノーマン・ロックウェル。
アメリカの心を持った人間が(それがどんな人種であっても)アメリカ人であり、グラン・トリノを受け継ぐ資格を有する。そしてそれは(道が途切れず続くように)必ずや繋がっていく。
この、イーストウッド本人の渋い歌声が流れるラストシーンは、きわめて静かながら、フランク・キャプラ的なハッピーエンドなんだとボクは思う。センチメンタルではなく、ポジティブなメッセージだとボクは受け取った。さてボクは、日本の心を持った人間が(それがアングロサクソンやアフロアメリカンであっても)正統な日本人だ、と、ちゃんと言い切れるかな?
ちなみに、イーストウッドの歌声の次に流れるジェイミー・カラムが最高だった。こんな若手に歌のバトンタッチをしたこと自体が彼のポジティブなメッセージであり、映画の主題のひとつなのだと思う。
カラムのCDはどれもオススメだが、初めて聴くなら絶対コレ。「Twentysomething」。この1曲目の「What A Difference a Day Made」(→YouTube)をバーで聴いて鳥肌が立ち、「これ誰?」と店員に訊ねてすぐアマゾンで買ったのは数年前。それ以来折に触れて聴くお気に入りCDである。
関谷江里著「京都 美味案内 全216軒」
2009年06月09日(火) 8:35:39

ボクが京都に行くときにいつも参考にするサイト「関谷江里の京都暮らし」が1ヶ月ちょい前に本になった。
サイトに載っている店情報を厳選してコンパクトにまとめてくれたもの。フルカラーで写真満載(彼女が個人的に食べに行ったときのデジカメ写真が中心)。携帯しやすいからサイト見るより便利かな。というか、サイトの更新が頻繁なので、本で「行きたい!」と思った店の最新情報がサイトで読めるのもこの本の売りだと思う。ある意味サイトと本の融合。京都に食べに行くのがまた楽しみになった。
彼女とはご飯を数回食べたことがあるが、独特の雰囲気を持った方で、とにかくひたすら楽しく明るく食べる。ここまで明るく食べる人って他に知らない。一皿ごとに「おいしーおいしー」と大騒ぎする。でも、よく観察していると、実は料理のイイトコロを上手にすくいあげて騒いでいる。料理に対して肯定から入るタイプ。これって逆に経験値が高いからこそ出来る技。ほら、人間にたくさん会ったヒトほど人間に肯定的になるでしょ(性格にも寄るかもだけど)。それと同じ感じ。
ちなみにボクと彼女では店に対するつきあい方が違う。
ボクは(ほんの数店を除いて)店と仲良くなるのがあまり好きではないタイプ。しがらみを持たず自由に食べ歩きたいのがその理由。だから料理人の友達なんていない(沖縄の彩香さんくらいかな)。そしてボクは基本的に店で料理の写真を撮らない。メモもしない。というか食の専門家になろうなんてこれっぽっちも思ってないので、一般客のひとりとして、普通に食べて普通に帰り、感想をサイトに載せるくらい。だから食材にも調理法にも特には詳しくないし、詳しくなりたいとも思っていない(もちろん経験値が溜まれば自然にいろいろ知ってはいくが)。たまに食関係の本を出すけど、紀行文に毛が生えた程度の趣味の範囲。
関谷さんはスタンスが違う。
店と仲良くなる。料理人とよく話し個人的に親しくなる。「料理とは料理人を食べること」という前提に立っている感じ。だからその料理に惚れると応援して料理人をもっと伸ばそうとする。京都の食を応援し底支えするココロザシを強く持っている。食材や調理法についてもちゃんと勉強している。読者に伝える使命感を持って料理の写真をその場でデジカメで撮っている。献立もくわしくメモる。読者に誤りなく伝えるのが重要だからだ。
そう、ボクとはずいぶん違う。
食べ方もスタンスも、もっと言っちゃうと感性すら違うと思う。
でも、ボクは彼女が書いたこの本をかなり利用すると思う。
「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」として、個人的に貴重だからだ。
この辺、もう少し説明しておいた方がいいと思うので、長文になるけど書いておこう(いっつも長文じゃん、と、今一斉にツッコまれた気がする:笑)。
昔と違って、ボクは今、「いろんなガイドがあっていい」というスタンスをとっている。
秋には「ミシュラン」の大阪・京都編が出るらしいが、「ミシュラン? あ、そう。別にいいんじゃないかなぁ」という感じ。海外からの旅行客にはいいと思うけどボクはきっと使わない。でもそれでいいじゃん、というスタンス。批判もしないし賞賛もしない。
1990年代後半、ボクは、店と結びついて店から特別待遇を受けるレストラン評論家たちを批判し、いろんなガイドブックやマスコミに対してもその視点を批判してきた。その挙げ句そういったものへのアンチテーゼとして「ジバラン」という自腹覆面レストランガイド(1996〜2005)を主宰したりしてきた。でも、いまは「いろんなガイドがあっていいんじゃない?」というスタンスだ。
なぜそう変わったか。
理由はひとつ。「世の中に流れる情報量とメディア環境が激変したから」である。
本当にここ10年で史上稀に見るくらい激変した。
世の中に流れている情報量はここ12年で637倍になり(総務省発表データによる)、一般人が触れられるメディアも激烈に増えた。
雑誌や本くらいからしかレストラン情報を得られなかった90年代は、レストラン評論家の記事は大きな影響力を持ったので、彼らの記事の欠点を批判し代替策を提示することは必要だった。でも、情報洪水&メディア激増の今、相対的にレストラン評論家の影響力は低下し、一般人によるランキング・サイトやブログや本もたくさん出て、状況は大きく変わった。
マスヒロ氏によるレストランガイドくらいしかなかった頃と違い、いまや一般人はいろんな情報ソースを見比べてレストランを選ぶことができる。高名なレストラン評論家の本もいまでは「いろんな情報ソースのひとつ」。情報価値としてブログと並列かつフラットになってしまった。
実際、ボクはもうその手の本や雑誌に以前ほど頼らなくなった。周りの人も個人的に信頼できるブログの記事でレストランを選んでいる人が多い。高名なレストラン評論家のひと言でブームが起こった15年前では考えられなかったことだ。
だからといって、レストラン評論家の存在価値がなくなったわけではない。
経験豊富かつ店を深く取材できるレストラン評論家からの情報は「いろんな情報ソースのひとつ」として貴重だ。それは一般ブロガーには出来ないことだからである。で、一般客は、それを読んで店の情報を仕入れる一方、サイトで一般人の評価やランキングと比べ、信頼するブロガーや友人などの感想も知って、比較検討してから行くレストランを決めればいいわけである。
もちろん情報は玉石混淆で、有害な情報も流されているが、それは情報洪水時代の基本リスク。「有害な情報やいい加減な情報を見抜くこと=情報洪水時代を生き抜くこと」である。こういう時代だからこそ有害情報に騙されないリテラシーを個人個人が持つべきなのである。
つまり、有害な情報やいい加減な情報を見抜くことを含めて、比較検討能力が高い人にとってはとってもいい時代になったわけ。「情報リテラシーが高ければ高いほど、いいレストランに辿り着ける」という世の中になったということ。
ボクが「ジバラン」的なレストランガイドをやめたのも、10点法で採点していたサイト上の「おいしい店リスト」を主観的感想に書き換えてリニューアルしたのも、すべて「時代が激変したから」という理由である。
時代が激変し、一般人の意識やメディアも激変した。読者(一般人)のお役に立てればと思ってボクがサイトに掲出している情報も、それが読者のためだからこそ、読者の激変に対応して変わっていかないといけない。それだけのこと。
ボクのサイトも、ボクと趣味嗜好が合う人が「いろんな情報ソースのひとつ」として利用してくれれば良いと思っている。
だから、レストラン評論家やガイドブック、いい加減なグルメ番組などを批判する気ももうない。それらも「いろんな情報ソースのひとつ」としてありがたく利用するのが情報洪水時代には正しいと思う。それを上手に利用するもしないも個人の情報リテラシー次第。とっくにそういう時代になっている。
話が脇道にそれてしまったけど、つまり、関谷さんの「京都 美味案内 全216軒」は、「いろんな情報ソースのひとつ」であると同時に、特にボクは彼女のオススメでハズしたことがほとんどないだけに、個人的にはとても貴重でありがたいということです。
京都在住の京都経験豊富なレストラン評論家が京都の店について書いた本であると同時に、個人的に信頼するブロガーからの発信でもある。つまり「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」なわけですね。個人的に。
ま、ボクを信頼していただけるならば、まずはこの本を基点にして京都のうまい店情報を集めるといいと思う。
あとは比較検討だ。関谷さんだけを信じる時代でもないし、他のレストラン評論家やブロガーたちの言葉だけを信じる時代でもない。両方見て、上手に検討し、一生に一回しかないその食事を最大限楽しく豊かにする。そういう情報リテラシーが大切なだけ。
ちなみに、本文が少なく、多くの料理写真で店を紹介しているこの本。一の写真を見て十を知るリテラシーが要求される。
「あぁこういう料理をこう出してコースをこういう風に構成する店なのね、だったら私の好みっぽい」とか、写真からある程度想像できる人にはものすごく雄弁な本であるが、初心者には多少不親切な面もある。でも、その辺も「いろんな情報ソースのひとつ」であるということ。それをわかって使えばいいだけのことである。
九連宝燈
2009年06月03日(水) 7:22:32
ううむ。生まれて初めて九連宝燈あがるの見た(YouTube)。
すごいなぁ小島武夫。
学生時代は彼の麻雀本を何冊か読んだ。ホント、学生時代は麻雀ばっかりやっていた。キング・オブ・ゲームのひとつだと思う。圧倒的に面白い。
ただ、結局ボクは麻雀に向いていなかったと思う。
畑正憲の「精密麻雀」と阿佐田哲也の「Aクラス麻雀」の2冊をバイブルに、テクニック的にはわりとイイトコロまで行ったと思う。だけど、「上がりの美しさ」に意識が行きすぎて「泥臭くてもとにかく勝つ」というどん欲さが全く足りないプレイヤーだった。鳴きタン1000点とかピンフ1000点とかで上がらないタイプ。いや、上がらないのではなく、上がれない。変な美意識とか「相手に悪い」とかいろいろ考えて、無理やり手を伸ばしていく。だから勝負が遅くてツキ倍増スパイラルに入りにくい。こりゃ勝てん!
ボクの麻雀人生のピークは、30歳ちょい前、雀鬼・畑正憲から「タンピン三色」をダマで上がった瞬間かな。なにしろ彼の「精密麻雀」を精密に読み込んだワタクシ。彼と麻雀できるなんていう千載一遇のチャンスだもん、彼しか見ていない。捨て牌に迷彩ほどこして、とにかく畑さん狙いで張っていた。しかも「畑さんに恥ずかしくない美しい手」で(←だからダメなんだよ:笑)。美しくテンパイしてから4巡目。畑さんの手元からローピン。「ロン!」 あぁあの瞬間!
その半荘、勝ったのか負けたのかも覚えていない。美しい手(特に三色好き)で畑さんから上がれたのがボクのピーク。ね、こんな人、麻雀ではまさにカモだよね。
そういえばあれ以降やってないかも…。
あ、15年前くらいに、いまではアカデミー監督になってしまった滝田洋二郎さんと一回やったか。あれが最後かな。彼にCMの監督をやっていただいて、ロケ後、鄙びた旅館で卓を囲んだ。彼は「リーチリーチなんでもリーチ!」という賑やかな麻雀。あの感じ、映画にもよく出ているんだなぁ。「おくりびと」を見ながら、あぁ滝田さんっぽい、と何度も思った。しっとりとした脚本と暗くなりがちなテーマを、滝田監督の妙な明るさとシンプルさが救っている(奇跡的に機能している)。
半藤一利著「幕末史」
2009年05月25日(月) 7:48:42

半藤一利の「幕末史」
(新潮社/1800円)を読んだ。
500ページ弱の大部ながら、あまりに平明で面白く、読み終わってすぐ昨日一日かけて再読してしまった。あぁ脳味噌内で従来の幕末知識が新しい視点を与えられ、シャッフルされソートされ正しく並び替えられるこの快感よ。しかも超やさしい記述。丁寧にしてホスピタリティに溢れている。
ボクの歴史遍歴は「源平〜戦国〜幕末」で、それが「小〜中〜高」とシンクロする。
ご存知の通りかなりの凝り性なので、特に高校の時に凝った幕末は「学者になれるレベル」と自負していた。まぁいま考えれば「単に歴史小説を多読濫読しただけの超マニア」でしかなかったのだけど。海音寺・司馬遼・子母澤らの視点を出発点に、あるレベルには達していたとは思うが、幕末オタクの域を出ていなかった。そしていまではその大量の知識もほとんど空の彼方。幕末にくわしかった、という自負だけが残った状態。
でも、あのころ身につけた幕末の知識って見事に「薩長史観」であり、攘夷のことも無血開城のことも戊辰戦争のこともほとんど何も知らなかったのだとこの本を読んでいたく思い知らされた。ちゃんと鳥瞰俯瞰できていない地を這いずる虫の目線での幕末史観だったのだ。細部には異様にくわしいが全体が見えていなかった。そしてそのままオトナになっちゃった。
そう思い知らされるくらい、この本は鳥の目線を与えてくれる。
語り下ろしということもあって、めちゃめちゃ平明でわかりやすい。かつ細部を疎かにせず(エピソードは異様に豊富)、歴史の縦糸と横糸を自由に行き来し、しかも乱れず、懐深く、読者の頭をクリアに整理してくれる。そして自然と薩長史観に染まってしまった大部分の人々の頭を、フラットかつ客観的にしてくれるのだ。あぁこれだけ調べ尽くしたと思っていた事柄でも見方や切り口を変えるとこんなに違って見えるんだぁと、この歳になってようやく気づかされた感じ。感慨を覚え姿勢を正す。
それにしても著者の博覧強記かつ頭の整理されていることよ。
「週刊文春」「文藝春秋」の編集長、取締役を経て作家になったという経歴も手伝っているのだろう。社会で揉まれることによって手に入れられる視点は多い。しかしこの平明に見渡す才能には嫉妬するなぁ。憧れるレベル。小室直樹の「痛快!憲法学」を読んだときに感じたのと同じ感覚。
著者は「歴史は公正でなければならないのに、いまだに薩長史観が世に罷り通っているのは残念でならない」と書いている。明治維新は「維新」ではなく、薩長による「革命」であり(もしくは徳川の「瓦解」であり)、「志士」たちは徳川にかわって天下に号令したかっただけで、「新政府の”革命家”たちは(統一後のことを)ほとんど何も考えていなかった」と言い切りつつ、それもひとつの視点だよと謙虚に身を引く。そのあたりの距離感もいい。でも、読後、西郷や龍馬の姿が少し違って見えること請け合い。
また、秀逸なのは、明治11年まで鳥瞰した上で「幕末史」と括っていること。明治初頭の”革命家”たちによるめちゃくちゃまで描いてこそ、幕末の私利私欲が見えてくる。廃藩置県の裏側の哀しみを知ってこそ、明治革命の真の姿が見えてくる。
著者には「昭和史」という大評判の前作があり、本当はそちらから先に読もうと思ったのだが、オタオタしているうちに「幕末史」が去年末に出版されたので先にこれを読んだ。すぐに「昭和史」に手を付けなければ。どんな発見があるか楽しみでならない。
しかしなぁ。永井荷風の以下の言葉は、負け惜しみだけではなく、ある程度真実をついていたのだなぁ。
「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顚覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」「明治以降日本人の悪るくなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛歎せらるるなり」
自分の薩長史観に染まりしを嘆く一冊。
この本で軌道修正し、もう一度薩長史観からもいろいろ調べ直して、自分の中での幕末を再構築したくなる。いつする? 現役引退後か?
METs と Ex
2009年05月18日(月) 7:32:07
ここ半年、ボクなりに仕事に本腰を入れすぎて、エクササイズが疎かになっていた。
プールも行かなくなったし、腹筋や腕立てなどの習慣も途切れてしまっていた。まぁBMグラサン・ダイエットは続けているので体重は増えないのだが、でも体型が変わりつつある。わりと着痩せするので目立たないけど、脱ぐとお腹がポッコリだ。
というか、体型なんかより、体力が落ちたのがキツイ。
仕事しててもすぐ疲れる(まぁ過労もあるけど)。こりゃいちから地道に体力づくりしないとなぁ、と思い、とりあえずウォーキングから再開することにした。といってもまだ再開して2週間なんだけど。
で、ウォーキングを再開するためにいろいろ調べていて初めて知ったんだけど、なんか最近では「METs(メッツ)」とか「Ex(エクササイズ)」とかいう新指標があるようで。 つか、エクササイズって言葉、いつから単位に?
◆METs(メッツ)
身体活動の強度を表す単位(運動によるエネルギー消費量が安静時の何倍にあたるかを示す)
(例)
・1METs=座って安静にしている状態。
・3METs=通常歩行。
◆Ex(エクササイズ)
身体活動の量を表す単位(身体活動の強度[METs]×身体活動の実施時間[時])
(例)
・3METsの通常歩行を1時間行う
:3METs × 1時間=3Ex
・4METS(メッツ)の庭掃除を30分行う
:4METs × 0.5時間=2Ex
で、厚労省による「目標運動量」は、「3METs以上の強度のある身体活動・運動を1日60分、1週間に23Ex以上行うこと」とあるのである。これ、2006年7月に定められているんだね。知らなかった。
ま、厚労省の目標に沿うこともないのだが、一応ある基準にはなる。
前に使っていた万歩計をどこかに置いてきてしまったので、その「1週間に23Ex以上」という目標運動量に基づいたオムロンの歩数計を新たに購入することにした。
いまのところ2週間、「1週間に23Ex以上」はクリアしている。
これ、この夏はとりあえず続けるつもり。少しずつ体力を取り戻し、秋には何か違う運動を始めようと思っている。それまでに五十肩も治しておかないと。これもヨガに詳しい人に治し方を聞いたので、じわじわとヤル。
エアチェック職人
2009年05月14日(木) 6:38:20
まぁボクもエアチェック世代なわけだが。
もうエアチェックと言ってわからない人もいるのかな。死語に近いのかも。ラジオから楽曲などを録音することである。テレビ放送にも使わないことはないが、あれは「録画する」と言うのが一般的。それに対しラジオは「エアチェックする」と言った。
「FMレコパル」とか「FM Fan」とか「FM STATION」とかいう今は亡きFM雑誌を買って、どの番組でどういう曲が流れるかを事前に調べ、お目当ての曲が流れる放送を聴き録音するのである。中学高校の頃(1970年代)なんてレンタルレコード店なんかまだなかったから、音楽を手に入れるのはレコードを買うかエアチェックするかしかなかった。
レアな曲が流れる前は緊張したな。
放送のちょっと前からラジカセの前に陣取り、カセットテープで前に録った曲のお尻を頭出しし、録音ボタンを押すのとほぼ同時に(正確には0.5秒後くらいに)ポーズボタンを押して、そのままその曲が流れるのを手に汗握り待つのである。曲紹介のナレーションが終わり曲が流れる。このコンマ何秒の間にポーズボタンを解除する。録り直しがきかないから緊張するわけ。たまに曲の頭にナレーションをかぶせるDJがいたりすると泣く泣く削除したり。
昔はそうやって音楽コレクションを一曲一曲増やしていった。
地道な作業である。録音前の一連の段取りなんて、ボクはもう職人技に近く洗練されていたと思う。なにしろボクのカセットテープ・コレクションは(仲間内では)有名だった。その質と量。当時で数百本のカセットを持っていた。いつかはあれらの音源をデジタル化したいと思うんだけど、あれからすでに30年以上。もう磁気がダメになっているだろうなぁ。もったいない…。
って、何故こんな話を書いているかというと、すごいエアチェック音源の存在を知ったのだ。
ちょっと前に書いた「バーンズ」の同窓の方のである。落語や漫談や漫才の貴重な音源の数々。中学時代から録りためたものだと言う。ものすごい量である上にちゃんとデジタル化してあるのがスゴイ。ボクがFMでフォークとか歌謡曲とかポップスとかクラシックとかを追いかけている頃、彼は落語や漫談や漫才を追いかけていたのね。それにしても……すごい質と量である。
というか、落語はともかく、漫談や漫才はエンタツアチャコまで遡る歴史的なものだからなぁ。個人的には知らない名前も多い(あんまり漫談とかは聴いてこなかったから)。彼のオススメはローカル岡なのだとか。ローカル岡? ふーん、知らないなぁと思って聴いたらこれが妙に面白い。落語にくわしい友人に「知ってる?」と聞いたら、「ローカル岡! 知らないの!? 寄席に通っていた人は誰でも知ってるよ! 数年前に亡くなっちゃったけどさ、私なんか大好きで大好きで…」と5分説教された。そうなのね。(参考動画:YouTube)
あぁでもこのコレクションを聴かせていただいていると、彼の深い独りの夜が思われる(笑)。ボクが孤独に音楽を追いかけていたころ、彼も孤独に落語を追っていたわけね。録音に至る一連の動作をしながら手に汗握っていたわけね(彼はオープンリールだったらしいけど。そしてそれはもっとマニアックなものなんだけど)。ジャンルは違えどエアチェック職人だったのは一緒である。同志だなぁ。
自分の声を聴くってホント気持ち悪い
2009年05月10日(日) 7:34:17
FM東京の「アヴァンティ」、意外と人気なんですね。よく聴いてます(ました)とメールをいくつもいただきました。確かにボクも昔何度か聴いたことがある。でもクルマを捨ててからすっかりご無沙汰だ。
で、昨日の自分の放送、一応聴いたんだけど、なんか「リラックスして話せた」と書いたわりには早口で滑舌も悪くてダメダメな感。もっとわかりやすく話せよオマエ(笑) ジョークも入れずに真面目一方な専門分野トーク。こんなことバーのカウンターで話してたら確実に嫌われます。真鍋かをりの軽妙トークの直後だけに特にお堅く感じられた。あーあ。まぁまだ話すことで精一杯でジョークとかまで頭が回らないのでしょう。もっともっと場馴れが必要。
つか、自分の声を聴くってホント気持ち悪い。キモッ。
聴いた方々から「もっと低音で熊のような声かと思っていた」「もっと低くて太い声だと想像していた」といただいたんだけど、そんな印象なんですか? ヒゲの大男と自分のことを書いているからかなぁ。大男というのは「背が高い」という意味なんです。ダイエット成功してからはどっちかというとヒョロ系。
ちなみに、おいしい店系トークで収録した分はいつ放送されるかわかりません。少なくとも来週ではないはずなのであしからず。
なんだか自分の声聴いて気持ち悪くなったので、気分を変えるべく2ちゃんまとめサイトで「うちの母ちゃん凄いぞ」をラストまで読んだ。
数日前からゆっくり楽しんで読んでいたもの。なんか心が温かくなる実話。出てくる母ちゃんは本当に凄いが、書いているクズ子自身の心理描写が面白い。面白いというか「あぁこういうことなのか」といろいろ氷解した気分。すごく理解できたなぁ。オススメ。というか鮨喰いたくなる。ボクはこれ読んでてたまらなくなり、「鮨しみづ」に発作的に電話。たまたま席が空いていたので激食べしてしまった。散財注意。
バレエ「ザハーロワのすべて」観劇
2009年05月05日(火) 9:18:06
ザハーロワのガラ公演「ザハーロワのすべて」最終日を観てきた。@東京文化会館
ザハーロワを盛り上げる脇役陣はボリショイからで、これがなかなかに豪華。
ウヴァーロフにメルクーリエフにワシーリエフにシュピレスフキー。そしてカプツォーワにコバヒーゼ。あとはキエフバレエからのエントリー。さすがザハーロワ、集めるなぁ。まぁロシアの人はみんな日本に来たがるらしいので(岩田さん談)日本公演だからということもあるのだろうけど。
このメモでも何度か書いたが、ザハーロワを初めて観たのは2003年。マリインスキー劇場からボリショイ劇場に移ってきたデビュー公演の「ジゼル」をモスクワで観たのが最初である。それ以来いろいろ観てきているが、その伸びやかな肢体と教科書的にきちっとした踊り、高く上がる足、優雅な細部、そして圧倒的な美人度とオーラなどは認めるものの、実はあまり好きではないダンサーだったりする。美しくまとまっているが、心にグッと来ない。迫り来るものがない。他のダンサーなら涙ぐめる踊りが、ザハーロワだとまるで泣けない。まだ「踊り」が「演技」になっていないように感じてしまう。
この日の前半の「カルメン組曲」がまさにそれだった。
うまいんだけど、カルメンが単なる美しいお人形に見える。妖艶さもエッチさも謎めいたところも気っぷの良さも感じられない。これじゃドン・ホセも誘惑されないなぁ。会場のあちこちからブラボーが飛ぶが、ボクはブラボーを叫べない。たとえばグラチョーワとかで観たい…。
でも休憩後の、メルクーリエフと組んだモダンダンス「トリスタン」「ブラック」はわりと良かった。お人形のメッキが剥がれて、彼女自身が出てきた感じ。ちょっとギエムを彷彿とさせるような動き。ザハーロワって真面目で消極的な人なのかもとちょっと思った。良くも悪くも「枠」を自分で作ってしまいその中を出ない。枠を壊さないといけないダンスだと真面目に枠を壊してくる。
とはいえ、結局この日の公演を持って行っちゃったのは「パリの炎」「クレイジー」を踊ったワシーリエフだった。
去年の(岩田さんが来日したときの)ボリショイ公演「明るい小川」でも光っていたけど、この人、次世代のボリショイを支えるひとりになるんだろうな。圧倒的なダンス技術と明るいオーラ、そして心に直接届く表現。ちょっとアクロバティックに寄りすぎてはいるけど、伝えたいことがとてもよく伝わってくる。カーテンコールでも(ザハーロワの除けば)一番拍手が多かった。
アンコール、出演者全員でパガニーニをを踊ってくれた(アンコールのアンコールでもう一回)。
これ、とても良かった。ウヴァーロフ、メルクーリエフ、ワシーリエフと、高い技術の男性陣が揃っていたので、全体が締まり、美しかった。前回のボリショイ公演「白鳥の湖」でダメっぷりを見せつけたシュピレスフキーはやっぱり今回もダメ。でも超ハンサムで背も高くスタイルもいいから、まぁ彼も次世代のスターなんだろうけど、もうちょっとうまくなってほしい。
備忘録として演目とキャストを。
カルメン組曲
ザハーロワ、ウヴァーロフ、シュピレフスキーほか
パリの炎(第2幕のパ・ド・ドゥ)
カプツォーワ、ワシーリエフ
トリスタン(デュエット)
ザハーロワ、メルクーリエフ
エスメラルダ(パ・ド・ドゥ)
キファーク、ヴァーニャ
ブラック
ザハーロワ、メルクーリエフ
ジゼル(第2幕のパ・ド・ドゥ)
コパヒーゼ、シュピレフスキー
クレイジー
ワシーリエフ
ヴォイス
ザハーロワ
アンコール(パガニーニ「カプリース 24」)
主要メンバー全員
沖縄から帰ってきた翌日で、その文化や空気の方向性の違いに馴れるまで時間が少しかかったけど、でも、やっぱりバレエはいい。
で、帰り際、11月に来日する「マリインスキー劇場」の会場特別先行販売チケットを衝動買いしてしまった。バレエ観劇欲がまた上がってきた。「白鳥の湖」をロパートキナとヴィシニョーワがやるんだけど、さんざん迷ってヴィシニョーワのにした。ロパートキナのは一度観ているし、ヴィシニョーワの「シンデレラ」や「ロミジュリ」を5年前くらいに観て異様に良かった記憶があるから。彼女の白鳥、楽しみ。
8月には岩田さんが来日してガラ公演に出演するらしい(8/9らしい)。
それも今から楽しみだ。
花火師免許更新講習
2009年04月23日(木) 6:26:53
昨日は「花火師免許」更新講習の日。
会議を抜け出して18時から20時まで。2時間の講習@浅草橋の花火問屋街。
正確には「社団法人日本煙火協会」の「煙火打揚従事者」の資格である。花火のことを「煙火(えんか)」と言うわけですね(その辺のことは去年の講習の日にも書いた)。花火の玉を作る資格ではなく、花火を打ち揚げる資格である。隅田川などの花火大会はもちろん、ネズミーランドでの花火の打ち上げにもこの資格がいる。だからイベントや舞台演出の裏方さんとかも受けに来ていたりする。
ボクみたいな素人(本業は別)も多く参加してはいるが、実は素人がこの資格をとってもひとりではとてもじゃないが花火大会は開催できない。消防や警察への許可申請が大変だし、素人主催の仲間内な小さなイベントでも当日消防車が横付けされたりするくらい大仰になる。わりと危険で大変なことなのである。だからどこぞの花火師の団体に属して活動しないと難しい。ボクは「のれそれ花火会」というところに属していて毎年花火を打ち揚げさせてもらっている。ここはカリスマ的な花火師がいて(本業は小学校の先生)、とてもまとまりがよい。
さて講習。
今年から「煙火の消費保安基準」が大きく変わり「電気点火」が基本となった。従来の手で点火する方式は危険が大きすぎるということで保安基準が改正になったのである。やむをえない場合だけ(一定の条件を守って)手でつけても良しということ。まぁ防御保安措置をきっちりすればいままで通り手で点火できるわけだが、事故の例が毎年起こるのでどんどん厳しくなっていき、ついに電気点火の時代になってしまった。ボクレベルの花火師は手でつけるスリルが楽しかったりもするので、少し残念であるが、まぁ安全を考えると仕方ないのかな。だって一つ間違えれば手で点火する際に腕が吹っ飛ぶとか頭が吹っ飛ぶとか普通に起きる世界だし。
今年から教育用ビデオ(約20分ほど)も一新され、新撮されたものが流された。このビデオも電気点火中心の説明。時代が変わったなぁ。「昔はライターとかで点火していた時代もあったのですが…」と遠い目で講義される時代がそのうち来るのであろう。なんというか、風情は確実になくなっていっている。打ち上げの快感も減っちゃうなぁ。
座学2時間。パイプ椅子のお尻の痛みに耐えきれなくなったころ、なんとか終了。そのままご飯に行こうかと思っていたんだけど(下町方面へ)、会社から電話が入り帰社。そのまま24時ころまで会議。うぅ。でも、座学とはいえ、仕事と関係ない花火の世界に2時間ワープしていたのはかなりのリフレッシュになった。つーか、今年は何発打ち揚げられるだろうか(去年は花火師歴5年目にして初のゼロ発)。年々打ち揚げ規制が厳しくなっているので、あんまり揚げられないかもなぁ。もし打ち揚げる場合は、またこのメモで告知しますね。
ところで昨日の夜、アクセスカウンターが「28282828」になったらしい。ニヤニヤニヤニヤ。ほめられサロンでほめられた効果でしょうか。ニヤニヤニヤニヤ。ご報告してくださった方、どうもありがとう!
丸元喜恵著「野菜と魚の栄養ごはん」
2009年04月20日(月) 6:53:25

ボクが丸元淑生さんに私淑していることは前にも書いた。
独身時代、ボクは彼の本を読んでその理論と味に惚れ、楽しく自炊をしていた。出張がち&外食がちだったので毎食は無理だったが、朝ご飯はわりときっちり丸元流だった。当時のボクの朝は鰹節をカリカリ削るところから始まった。ダシをとって味噌汁を作り、冷蔵庫から基本料理のストックを出して野菜と豆たっぷりの朝ご飯。豆については関西で手に入らないものも多く(なにしろ20年前のことだ)、東京出張時に問屋に買いに行ったりもした。
結婚してからは、というか、30代40代と余裕がどんどんなくなって(外食もぐんと増えて)料理することも激減してしまったが、余裕ができたらまた丸元本に戻るんだろうなぁと思っていた。定年でもしたらまた丸元理論をいちからやろう、とかね。そうボンヤリ思っていたところ、先月、彼の娘さんである丸元喜恵さんが料理本を出した。
「野菜と魚の栄養ごはん」丸元喜恵著/講談社
父・丸元淑生さんから受け継いだ栄養学に基づいて、丁寧に書かれたフィッシュ・ベジタリアンの本である。
内容は丸元淑生さんのエッセンスがたっぷり詰まったもの。なんだか懐かしいなぁ。簡単で手軽なのに充実していて満足感がありカラダにいい。野菜と魚をたっぷり使う。そして栄養についても深く考察されている。一貫性のある考え方も清々しい。そんな丸元料理の数々が娘さんの手によって見事に蘇っている。彼女が日々実践している感じも温かい。こういう「受け継ぎ」こそ、丸元淑生さんの思想の根本に流れていたものだろう。そういう意味では、父と娘の合作でもあり、父の想いを娘が実現したオマージュ本とも言える。
料理はもっと歳をとってからゆっくりね、とか思っていたボクであるが、新作の丸元本があるなら話はまた別。だってなんだかすべてのレシピが懐かしくて、美味しそうで、ボクの舌の原点のような感じがして。どこかの休日を利用して、ゆっくりこの本とつきあってみたいなぁ、とか。いや、まずはこの本の料理に似合うような緑豊かな土地に移住することからかなぁ、とか(そこからかよ!)
ボリス・ヴィアン
2009年04月17日(金) 8:52:32
ロシアでのニュース。
ある男性の肺の中に、5センチほどに成長したモミの木が見つかったらしい。
28歳のArtyom Sidorkinさんが吐血をするなどの肺の苦しみをうったえたために病院で検査をしたところ、腫瘍があることが発覚。すぐに緊急手術をしたところ、吐血や痛みの原因が、腫瘍ではなかったことがわかった。このニュースを読んで、十年ぶりくらいでボリス・ヴィアンを思い出した。「うたかたの日々」。片肺に睡蓮が咲く女性が登場する美しくも腐蝕した小説。こういう小説が書きたいと願った青い日々。あそこからずいぶん遠くまで来てしまった気がする。
なんと、肺の中におよそ5センチほどのモミの木が入っていたのである。口から5センチもあるモミの木を飲み込めるはずがなく、飲み込んだとしても肺に入るはずがない。医者によると、このモミの木はまだ種の状態のとき、吸引により偶然にも肺に入り込み、そこで栄養を摂取しながら成長したのではないかという。
「日本人の知らない日本語」
2009年04月16日(木) 9:22:20

「日本人の知らない日本語」
(蛇蔵&海野凪子著/メディアファクトリー)を読んだ。
日本語学校の教師(日本人)が外国人に日本語を教えていくコミックエッセイである。日本語初心者たちの奇問・珍問の数々が面白い。へーこんなこと疑問に思うんだー、という発見がいろいろある。まぁ「ここがヘンだよ日本人」に近いアプローチな部分もあるのだが、我々が気づきにくい日本語の一側面をシンプルに教えてくれる。
でも、ボクが一番面白かったのは実はそこではない。随所に出てくる日本語トリビアというか、外国人の質問で明らかになった日本語の歴史みたいなものである。もちろん、たぶんどっかで既知のものであると思う。どっかで聞いたことがある、という感じはあるのだけど、漫画でわかりやすく教えてくれるとまた違う知的興奮があった。
たとえば変体仮名の話。昔は「かな」がたくさんあった。たくさんありすぎてややこしいくらいたくさんあったという。理由は、いろんな漢字を元にみんなが勝手にひらがなを作りまくったからなんだって。例えば「か」と読む「かな」なんて7つくらいあったらしい。さらに「合略仮名」という一文字一音ではない「かな」もあり、一文字で「まいらせそうろう」と読ませる「かな」もあったとか。
この混沌に終止符を打ったのは明治政府で、明治33年に「ひらがなは一音につき一字だけを標準とする」という政令を出した、と。で、標準からはずれた「かな」を変体仮名と名付けた、らしい。あぁ、たまに古い店とかの店名に変体仮名が使われているが、それはその頃の名残なのねー…。
たとえば「猫」という漢字は中国語の「苗(ミョウ)」から来ていて、それに獣偏を付けたということらしい。要するに「ミョウと鳴く獣」という意味なんだって。「鳩」は「九(クー)」と鳴く鳥だから「鳩」、「蚊」は「文(ブン)ブン」いうから「蚊」、「鴉」は「牙(ガー)」と鳴くから「鴉」。ふーん。音を表した漢字だったわけね…。
たとえば、「しゃもじ」とかいうけど、この語尾の「もじ」は室町時代のギャル語だったらしい。宮中の女房が「ねー、なんか『もじ』って言葉、かわいくね?」と言いだして、何にでも「もじ」をつけたのが現代まで残ったらしい。「かもじ」「ゆもじ」「ひもじい」とか。ちなみに丁寧語の「お」もギャル語。彼女たちが何にでも「お」をつけたことの名残だとか。「田楽」も「それじゃあ名前がかわいくない」ってことで、「お」をつけて「おでん」となったとか(へーへーへー)。
「お」と言えば、「を」と発音が同じである。一時期WOと発音した時期があったらしいが、いまでは両方Oである。で、昭和の初めに「両方同じ音なのはややこしい。よし『を』をなくそう」って決めたんだって。でも反対も多く、「じゃぁ助詞の『を』だけ残して、あとは全部「お」に統合。でもこれは暫定ルール。将来は『を』を全廃します」と決めたらしい。そのままなし崩しに「を」が生き残っているのが現在だとか。そうかー「を」はもしかしたらなかった言葉なのかー。「私おスキーに連れてって」みたいな使い方になっていた可能性が高かったのかー(←例が古い)。
とか。とかとか。
いやぁ、なんだか面白かったな。言葉は時代とともに変わる。いまのギャル語とかもかなりの創意工夫があり、とても面白い。いちいち目くじら立てないで、言葉の変遷として楽しめばいいのかも。
第五三二回 紀伊国屋寄席
2009年04月15日(水) 6:49:23
大事な会議があり、予定していた夜の会食をキャンセルさせてもらったのに、その会議自体がドタキャンになって時間がポッカリ空いた。さてどうしようかと思っていたところにタイミング良く落語のお誘い。オヤそれは楽しそうっつうことで昨晩はふらりと寄席へ。
でも誘ってくれた人自身が急な仕事で来れなくなって、結局ひとりで聞いた。なんだか全体にキャンセルな流れの夜。でもひとりで気楽に聞く落語もまた良し。いろんな偶然がめぐりめぐって出会えた貴重な時間。
行ったのは紀伊國屋ホールの紀伊国屋寄席。
紀伊國屋ホールって、今を去ること30年前の高校時代に、当時傾倒していた森本哲朗の講演を聴きに行って以来かも。たぶんそうだ。いや、その後、野田秀樹の演劇も観たかもしれない。とにかくなんだか異様に懐かしい。
寄席は、二ツ目の台所鬼〆(落研のような名前だけど小さんがつけたらしい)の「二人旅」から始まって、古今亭菊之丞の「湯屋番」、林家木久扇の「道具屋」で仲入(出演予定の桂文楽が急病で林家木久扇が代演)。再開後は桂米助の創作野球落語「虹ムコウ」があって、トリが入船亭扇橋の「化物使い」であった。
圧巻は古今亭菊之丞の「湯屋番」かなぁ。もうダントツの面白さ&うまさ。初めて聞いたがすでにファン。菊之丞すばらしい。歌舞伎系の女形の声色使いも相当うまい。そのうえ枕からドカンドカンと笑いをとる。サビというか、番台での若旦那の独り芝居の部分なんかドッカンドッカン大笑い。いいなぁ。うまいなぁ。
あと印象的だったのが入船亭扇橋。あのふわふわ感がたまらないと人づてに聞いてはいたが、なんつうか志ん生と同じ方向に浮世離れしている。
噺の同じ部分を繰り返すので「やべ、筋を忘れちゃったのかも」とハラハラしながら聞いているとすぅっと戻ってきてハァァと安心させ、そうかと思うと大事な場面をすっ飛ばして「あれ?」と思ったら後から唐突に付け加えたり、と、淡々と素っ気ないけどその構造自体への不安がぬぐえないような花屋敷ジェットコースター的楽しみがある落語だった。有名な噺なので客は筋を知っている。だから少々繰り返しても飛ばしても客はびくともしないどころかそこを楽しんでいる。扇橋もそれを知っていてなんか「いい加減」にやっている感じ。そういう客との共有感を含めて芸になっている。
こういうのを「枯れた芸」というのかもなぁ。場馴れしすぎの乾燥感。この味は好きな人には堪らないかも。永六輔や小沢昭一の話も出てきて小三治の俳句ネタを思い出した。
なんか全体にバランスのよい寄席だった。ふわふわおっとり系とテンション高め系が交互に出てくる。そしてふわふわで〆だったのが抜群。
真ん中にやった林家木久扇(笑点の彼ですね)もかなりふわふわで、滑舌も悪く、声も出ていない。「おい、大丈夫か」と心配になる瞬間が何回もあった。でも要所要所でドカンと笑いを取るのはさすが。枕での林家正蔵師匠の思い出噺が爆笑ものだったなぁ。師匠がテレビでバスケットボールを観ていて「誰か言ってやればいいのに…」と震える声で独り言言っているから「師匠どうしたんですか?」と聞いたら「いえね、さっきから若い男が寄ってたかって網にボールを入れようとしているんだけど、網に穴が開いているんだよ」みたいな。ここに物まねや情景描写が入って異様に可笑しかった。大笑い。
台所鬼〆は演じ分けがもうひとつだったけど、若さに似合わず座掴みがうまい。ただ、なんだか少し閉じている。自分の部屋で練習しているそのままな感じ。そこから抜ければ真打ちなのかな。
桂米助(突撃隣の晩ご飯の人ですね)の野球落語は2039年のWBCを語ったのだけど、んー、なんだかちょっと作りが雑。30年後、長嶋一茂が巨人軍のオーナーをしていたり、ハンカチ王子がスカウト兼コーチをしていたり、WBCを率いるのがダルビッシュ監督だったりして可笑しかったけど、そういう配役での笑い以上のものがなかったかも。サゲも読めすぎかなー。新作落語って、長い年月で完成度が高められた古典の間に挟まるとどうしても雑に見えてしまう。寄席でやるのは勇気がいる。そういう意味ではたいしたものだと思う。
仕事がトラブル含みで予断を許さない状態なんだけど、こういう数時間のトリップが精神のバランス上大切みたい。抱えている仕事の案件数がとっても多いので予定を入れにくい分、こういう飛び込み系のお誘いは実にありがたい。誘ってくれた方ありがとう。来られなくて残念だったけど、また行きましょう。
ショートフィルム「胡同の一日」
2009年04月13日(月) 8:07:05
数日前のさなメモで「DID」を取り上げたとき、書くタイミングを逸したと書いたが、書きそびれていたことって意外とたくさんある。このショートフィルムについても長く長く書きそびれていた。
鈴木勉監督の「胡同の一日 〜A day in the life of Beijing Hutong〜」。中国題名は「一天在北京胡同」。
2008年ショートショートフィルムフェスティバルで、フェスティバル史上初、日本人としてグランプリを獲った作品である。世界最大の短編映画祭であるフランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭の2008年正式招待作品にもなった。
近代化に揺れる北京を22分間、シンプルかつ鮮やかに切り取った作品だが、現場スタッフは中国人なものの、脚本・監督が日本人(鈴木勉)である。そのせいか近代化を終えた日本人(古いものを壊し続けてきた日本人)からの視点で胡同の風景を描いており、少なくとも我々日本人にはとても感情移入しやすい作品になっている。近代化途上の中国人が観たらどう言うだろう。ちょっと知りたい。
胡同(フートン)とは北京に残る歴史ある細い路地。旧城内を中心に点在する古き良き北京の街並みのこと。オリンピック開催決定を機に北京では一気に再開発が進み、胡同はあっという間にその波に飲み込まれ、消え去ろうとしている。その胡同で代々やってきたある漢方医の物語。周囲の住民たちが立ち退きを始め、患者も減り、ついに閉店を決心した彼の一日を丁寧に淡々と追った作品だ。
街を去る決断をし、代々受け継がれてきた巨大な薬箪笥を売り払うために自転車に危なっかしく括り付け、胡同を走っていく彼。街が消えること=自分の店が消えること、と何の疑いもなく受け止めていた受け身の自分が、自転車で胡同を走っていくうちにゆっくり少しずつ変化していく。ハリウッド映画ならここでわかりやすく象徴的な出来事を入れるところだが、鈴木監督はそれをしない。だから彼の変化がわかりにくい。でも人間ってそんなもんだ。わかりやすく変化なんかしない。2時間の映画だったらわかりやすく端的に描いちゃうところを、たった22分のショートフィルムが逆に丹念に情景をつなげることで周辺から感じさせるやり方を選んだことがボクは面白かった。というか、ショートフィルムならでは、でもある。主題にきっちり寄り添うだけの22分。だからこそ魅力的。
鈴木監督の場面のつなぎ方がなかなかいい。場面場面がフェイドアウトしてつながっていくのだけど、このフェイドアウト時に一瞬とまどうような揺らめきを残す。無くなってしまう街の想い出を惜しむような瞬きをフィルムがする。それが主人公の心の揺れにまでつながっていて、観ているこちらの心まで揺れる。
ラスト、その漢方医は再起を決意するわけだが、その描き方もあくまでも静か。好意を持ち合っている女性との触れ合いも実に静か。こういう映画はハリウッドには受けないだろうなぁと思いつつ、「おくりびと」や「つみきのいえ」と並んで、アカデミー短編映画部門でノミネートされてほしかったなぁと思う。でもまぁ鈴木監督の次作長編に期待したい。
アマゾンでも売ってないので、市販されていないのかも。売ればいいのにな。小さいけど心に残る佳品。
ゴルフのおもひで
2009年04月11日(土) 18:29:38
ボクはほとんどゴルフ中継を見ないのだが、この季節、マスターズだけは観る。そんなに熱心な観戦者ではない。でもこの季節だけは早朝になんとなく。風物詩として。というかコースきれいだし。特にアーメンコーナーから16番までの6ホールを愛している。
放送中、セベ・バレステロスが脳腫瘍と闘っているということを知った。
バレステロス。好きだったなぁ。スイングの美しさではほぼトップかと。ひどい腰痛と闘いながら高いフィニッシュをキープし続けた。スイングとしてはジャック・ニクラウスとかトム・ワイスコフとかも好きだった(ゴルフをよく観ていた時期がわかりますね)。渋いところではジェリー・ペイトとか、日本によく来ていたグラハム・マーシュのスイングも好きだったっけ。要するに右足カカトからテイクバックが始動するタイプのアメリカン打法(と当時言われた。いまはどう言われているか知らない)が好きだったのである。
懐かしい顔としてゲーリー・プレイヤーが出ていたのにビックリ。73歳。まだスイングもしっかりしている。出場者一覧を見てみたら、ワトソンとかフロイドとかスタドラーとかクレンショーとかランガーとかライルとかカプルスとかも出ていた。懐かしい。意外と好きだったニック・ファルドは出ていないな。いまは何をやっているんだろうか。グレッグ・ノーマンも懐かしかった。たしか去年、テニスのクリス・エバートと再婚したんだよね。ふたりともある年代の人々にとっては特別な存在だ。
ゴルフ。一時期狂ったようにやったんだけど、もう15年くらいクラブも握っていない。練習場によく行っていたのは20年以上前である。初ラウンドで50も100も切って(48-51だった)「これはオレに向いているスポーツだ!」と血迷ったのが運の尽き。そこから思ったほど伸びなかった。一時期は75とか出していたけど、全盛期は短く、全体に出入りの多いゴルフだった。ヒット・イット・ハードな、パーマー的ブンブンゴルフ。
あれからホント、ほとんどやっていない。まだメインドライバーとして持っているのがパーシモンのマクレガーとクリーブランド・クラシックだったりすることからもそれがわかる。いまどきパーシモンて(笑)。でもパーシモン・ヘッドって美しいよね。よくやっていた当時はクラシック・クラブにもそこそこ詳しかったが、もうほとんど忘れてしまった。
メインのアイアンは古い型のウイルソン・スタッフ。これも顔が美しいクラブだ。メインのパターもウィルソンのL字型で、確かクレンショー・モデルだった。サイレントポンとかピンの一番古い型も持っていた。まぁかなりの凝り性なので、クラブもいろいろ試行錯誤していたのである。
今でもゴルフはキング・オブ・スポーツのひとつだと思ってはいるが、日本の場合(特に首都圏の場合)、ゴルフをやるとすると休日が丸一日つぶれるのが痛い。そのうえ会社の人間関係の延長上的であるのも痛い。しかも財布もかなり痛い。今やらない理由はこの3つ。特に休日が丸一日つぶれるのが痛いかな。やりたいこと、やらないといけないことが休日は山積である。ゴルフのみで終わるのではたまらない。あ、それと、6年ほど前にクルマを捨てたのもでかいかも。電車で行くのはちょっと面倒。
というか、さなメモにゴルフの話題書くの初めてかも。マスターズをぼんやり観ていてなんとなく書きたくなった。60歳過ぎたら、また始めようかな。今はとにかく時間なし。
スラムダンク『あれから10日後ー』完全版
2009年04月09日(木) 6:48:11

拙著「明日の広告」
にもくわしく書いたあのイベント、2004年12月に三浦半島三崎高校(廃校)でやった「スラムダンク一億冊感謝ファイナルイベント」の黒板漫画が本になる。
最終戦である山王工業戦から10日後の彼らを書いた、スラムダンクの正式続編にしてファイナル版。井上雄彦さんがこのイベントのために黒板にチョークで描きおろした、その23枚の黒板漫画が、教室の雰囲気そのままに読めるフォトブックである。
スラムダンクの主要登場人物21人がそれぞれ1枚ずつ黒板に描かれている(花道だけ3枚使っているので23枚となる)。ゴリや流川やリョーちんやミッチーやメガネ君以外にも、彩子ファンも水戸ファンも仙道ファンも牧ファンも河田ファンも沢北ファンも、もちろん安西先生ファンも、みんなが満足できる23枚になっている。ちなみにボクの本では小さくしか掲載できなかった6枚の新聞広告やウェブサイトも大きく掲載されている。
これが井上さんのスラダン絶筆になるのだろうなぁ。たぶん。まぁ先のことはわからないとはいえ。
イベントの翌日のさなメモはこんな感じ。
一枚一枚の写真から、あの3日間が蘇る。いや、準備に費やした数週間、新聞やサイトを作った数ヶ月も色濃く思い出される。こうしてカタチに残るって素晴らしいな。余分な説明も言葉もないフォトブックという潔さもよい。個人的には「宝物」である。正式には明日発売。本当は4/1の桜木花道誕生日に間に合わせたかったらしいけど、ちょっとだけ遅れちゃったみたいですね(笑)
ちなみにこのイベントの模様を記録したDVDはこちら。 「SLAM DUNK 10 DAYS AFTER」。フジテレビ放映用に我々が井上さんと一緒に編集したものである。かなり泣ける内容となってますので、ご興味ある方はどうぞ。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
2009年04月06日(月) 8:18:11
もう2週間前になるかな。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID:DIALOG IN THE DARK)に行ってきた。ひと言で言うなら暗闇イベントである。感動したのですぐ書こうと思ったのだが、なんとなく書くタイミングを逸して今に至ってしまった。
公式サイトを見ればわかるが、世界25か国・約100都市で開催され、2009年現在で600万人以上が体験したイベントで、1989年に哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によってドイツで生まれたもの。1999年に日本で開催されて以来、日本でも約36000人が体験しているらしい。
直訳すると「暗闇の中の対話」。
まさに真の暗闇。目の前の自分の手すら見えない暗闇。この中に1時間30分放り込まれ、目以外の四感(つまり視覚以外の聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で探検し、物を「見る」体験である。
まず匂いがする。木の匂いだ。そして足の下の触感。ん、なんかおがくずの上を歩いているような……いや、途中から土になった。お、岩がゴツゴツした道になった?……とか思っていると右手が葉っぱに触る。わっ。目に枝が刺さらないか不安になり顔を背ける。手をおそるおそる伸ばして触ってみる。あぁ普通の木だ。右前方に水の音。参加者から「水だ。あ、触った」とか言っている。数センチずつ足を進めて声のするところへ。目が見えないと声だけでは場所が特定しにくい(馴れるまでの最初の数十分は特に)。ここらへんかな?としゃがむ。あ、水だ。懐かしい触感。遠くに牛の声。鳥のさえずり。あぁあっちに行ってみよう。ヨチヨチ歩いて行くと「丸木橋がありますよ!」という声がする。丸木橋? そう、真っ暗闇の中、丸木橋を渡るのだ。ギョギョギョ。その不安。周りの人と声を出し合って、丸木を確かめ一歩一歩こわごわ渡る。その後「おじいさんの家」へ。ひなたぼっこする縁側も真っ暗闇の中。あ、畳だ! あ、テーブルの上に何かある!
……と、あまりくわしく書くとネタバレになるのでこれ以上書かないが、最後は暗闇の中のバーで飲んだりもする。
総時間1時間30分。総勢8人の知らない人たちでグループを組み、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、暗闇空間を探検し、様々なシチュエーションに対峙する企画である。四感が開き、とぎすまされる以上に、その1時間30分を通してヒトとのコミュニケーションの意味に気づいていくのが素晴らしい。視覚を失ったときの頼りなさ。相手が近くにいることの安心。そして助け合わないと何もできない人間という存在への実感。
ネット空間はフラットだとよく言われる。肩書きも姿形も関係なく、まったくフラットに存在する。この「DID」はとてもネットに似ている。姿カタチが見えないとここまでフラットになるのだなぁ。まぁネット生活が長いせいか、これって匿名文化と一緒だよなぁとか、しょーもないことも考えながら暗闇散歩していたけど、ヒトによっていろんな想いがあることだろう。そして何人かが「倦怠期の夫婦とか一緒に来るといいね」「つきあい始めの恋人とかと来ると親しさがグッと増すね」と言っていたが、それもその通り。なんか親密になるというか「個としての相手の存在」が愛おしく思えてくる体験なのである。
それにしても。
自分の内部が次第に大きくなっていき、カラダが実物大から無限大に変わっていく感覚が面白かったな。尋常でなく面白かった。目が見えないと「実物大」ということが意味をなくし、精神がどんどん拡張していく。手が長く伸びる。耳が異様に大きくなる。鼻の穴も無限大になる。ここからここまでが自分の内部でここからあっちが自分の外部、という境目がわからなくなる感じ。これが一番面白かったかも。
誤解を恐れずに言うと、暗闇の中では「圧倒的強者」であり「頼れるボス」だった視覚障害者が、暗闇から出た途端にそのチカラを急速に失い「社会的弱者」になる感じが、なんか堪らなかった。暗闇の1時間30分。彼がいなければ一歩も前に進めなかった自分。それが光の存在があるだけで逆になる。そして「本当に大切なことは目には見えない」という「星の王子さま」の大切な言葉に辿り着く。目は時に心の邪魔をする。そういうことだ。
もうすぐ暗闇から脱出、という段になって、自分が異様にフリーな気持ちになっていることに気がついた。ここにあと数時間いれさえすれば、ボクは目から自由になれる。そんな感じ。もちろんそこからが長いのだろうけど、真理の入り口をちょっとだけ垣間見た気がしたかも。
イベントが終わって明るい街に出る。
異様な量の情報が目に飛び込んできて、いままで開いていた耳や鼻がしゅるるるる〜と閉じていく。この感覚、絶対忘れないでいよう。そう思った。
今回は第1期が3月20日から6月下旬まで。第2期が7月上旬から。入場者が多ければ長期開催も可能な模様。完全予約制で8000円。高い? いや安いと思う。何食かおにぎりで済ませて節約してでも是非。
♪私はオッサン、いつでもハッピー
2009年04月05日(日) 21:39:47
満開の桜を見上げると、「一期一会」という言葉が胸に去来し、その後「独座観念」という美しい言葉に辿り着く。
前にも書いたことがあるが、桜の花のどこか観念している感じと相まって妙に胸に響く。独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。
今日もそんな想いで桜を見上げながら、大森さくらフェスティバルを覗いてきた。
まさに満開の桜。JR大森駅周辺のバーやレストランが10店ほど集まって、カクテルや食事の屋台を出してくれている。カクテル選手権で全国優勝歴があるようなプロたちが満開の桜の下でシェイカーを振ってくれる。レストランもその腕を披露する(肉がうまかった!)。屋外に設えられたステージでは大井海岸の置屋「まつ乃家」の芸者衆が妖艶な踊りを見せる。昔の遊びコーナーとかもあって、けん玉とかベーゴマとかで遊べる。そんな、手作りながらとても温かいお祭りだった。
実行委員長でもある「テンダリー」の宮崎優子さんも途中から屋台でシェイカーを振っていた。お世辞でなく日本で一番美しいシェイク姿だと思う。桜をバックに大変美しい。この瞬間も一期一会。独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。
とはいえ、頭の中には復活ユニコーンの「オッサンマーチ」が鳴り響いていたりするわけで、そんな格好いいもんじゃないんだけど。
この曲、誰かオレの頭から取り去ってくれ。耳について離れん。つーか、「♪私はオッサン、いつでもハッピー」っていうサビ、素晴らしい歌詞だ。そう、オッサンと認めちゃいさえすればいつでもハッピーになれたりする。もれなくラッキー、あなたもハッピー。最近ボクもオッサン観念しだした模様。人生が楽になってきた。これはこれである種の独座観念。ふたゝびかへらざる事を観念す。
ユニコーン・ライブ「2009 蘇る勤労」@横浜アリーナ
2009年04月02日(木) 9:26:20
朝会社についたら夜までまさに1時間刻みで会議があるのだけど、ひとつひとつが少しずつ押す(延びる)から、最後の方は15分しかいられないみたいな状況が起こり、とはいえ年齢的にも責任者的仕事が多く、ワーとしゃべってワーと走って次の会議へを繰り返し、もちろん昼飯なんか食べるヒマもなく……、と、加速度ついている最近ですが、こういう毎日って何となくユニコーンの歌詞世界的(笑)
ということで、会議相手たちの怨念こもる目を無理矢理振り切り横浜アリーナへ!
行くに決まってるじゃないですか、ユニコーン16年ぶり復活ライブ。蘇る勤労ですからね。勤労中年こそふさわしい。
で、感想は、もうね、出来ればひと言で済ませたい。
いよーーーーに楽しかった(笑)
(笑)つきです。楽しかった(笑)という意味では人生トップのライブだったかも。
もちろん演奏が超ハイレベルにうまく、歌も曲もとってもいい、というのがベースにあった上で、とにかく楽しませてくれる。そしてコミックバンドと呼ばれても仕方がないくらい笑わせてくれる。演出の完成度が高く、背景の巨大スクリーンとの連動も完璧。ライトの使い方も完璧。そういう細かい細かい完成度の高さがあったうえで、ステージ上ではダラダラ(笑)でGDGDで、やる気なくて自由。そして大笑い。ほんと、細かいツッコミどころ満載で笑いが絶えないライブだった。
あまりに楽しかったので、1曲1曲書きたいが、やった24曲(S.M.A.含む)すべてに言及していったらキリがない。それはくわしいブログ(これとかこれとか)にお任せする。泣きそうになったのは冒頭の「ひまわり」と「おかしなふたり」、そして「大迷惑」「HELLO」「すばらしい日々」。異様に楽しかったのは「キミトデカケタ」「PTA」、ツインドラムが最高だった「ヒゲとボイン」。で、説明無用だけど、アンコール1曲目「人生は上々だ」のアベ・オンステージ(1曲に30分!※正確には2曲だけど)の大笑い。
それにしても。奥田民生って格好いいな。他のメンバーもそれぞれ超変人で格好良かったけど、なんつうか、ユニコーン(主に奥田民生)ってミュージック界の赤塚不二夫なんだな。重苦しい意味の世界を壊し解放する。昨日それが初めてわかった。
演奏のうまさ(各メンバーが楽器を次々持ち替える)、歌のうまさ、曲の良さ。すごいなぁ。最新アルバム「シャンブル」を繰り返し聴いて予習した甲斐もあった。この「シャンブル」の出来がまた実にいい。「ひまわり」から「HELLO」まで名曲ばかり。この辺、成長しつづけているのがまたスゴイ。
3時間たっぷりのライブ。途中「ずっとこのまま6時間続いても飽きない。というか聴いていたい」と思った。こういうライブも(ボクにとっては)珍しい。あーしあわせだ。このまま(とりあえず週末までは)突っ走れそうである。サンキュー。またお会いしましょう!
映画「ホノカア・ボーイ」とか
2009年03月28日(土) 19:51:09
金曜は普通に会社に行って普通に仕事をした。木曜の不調はいったい何だったんだという感じ。
なんだかゆったり気分になりたかったので、夜は映画「ホノカア・ボーイ」を観に行った。「かもめ食堂」や「めがね」みたいなくつろげる映画だと思って行ったが、もうちょっとテーマが深く、いろんな想いを巡らすことが出来るいい映画だった。なんだろう、ホノカアって町がとても美しいんだけど、死に満ちていて、生と死が自然と同居している。そこが良かったな。
なんかとてもいい町に主人公が漂い着くんだけど実はその町の気のいい住人たちは全員幽霊で…、っていう本だか映画だかが思い出されそうで思い出せず、脳味噌が痒い。そんな本だか映画だかのことが思い出されると、それを「ホノカア・ボーイ」に重ね合わせて、いい感じで語れそうなんだけどな。ふと浅田次郎のあれかと思ったけど、んー、あれとは違う。なんだっけなぁ…。
そういえば、「かもめ食堂」や「めがね」との共通点はご飯がおいしそうなこと。こういう日本映画、最近多いね。「おくりびと」もそうだったし。この「ホノカア・ボーイ」は高山なおみさんが担当していた。うまそうすぎてお腹が鳴った。思わず六本木の「さだ吉」に飛び込んでご飯。
で、今日の土曜日はひたすら寝た。
木曜の不調が、実は何かの前兆予兆である可能性は否定できず、とりあえずすべてを忘れて寝ることに。
起きたのはほぼ15時。犬の散歩だけ行って、帰ってまたすぐ就寝。いま夜ご飯用に起きたところ。食べたらまた寝る。明日は仕事だし、来週も激務っぽいし、今日はひたすら寝るですよ。ベッドでのお供は週刊文春の創刊50周年号。読みごたえがあった。
ロックの学園
2009年03月23日(月) 7:50:10
「ロックの学園」に行ってきた。
2007年11月に引き続いて2回目の開催。前回の様子はBS-hiでも流れた(再放送を含めて2回も。今年は4/27~29に流れる)。
サイトを見ていただければわかるとおり、体育館を利用したライブや教室を利用したライブ、教室を利用した「ロックの授業」や展示など、まるで学園祭に遊びに来たような楽しさと手作り感に溢れていた。校長室には校長である忌野清志郎グッズの数々、中庭には屋台も並び、廊下や玄関でも随時ライブが行われていた。大人たちが真剣に企画した学園祭。大きく真剣なシャレ。真剣に遊ぶとこんなに楽しいってことの見本。素晴らしい空間。
会場は三浦半島三崎高校。廃校となったその高校の校舎や体育館、中庭などをフルに活用しての開催である。
この三崎高校、ボクたちが2004年12月に「スラムダンク一億冊感謝イベント」をやった場所である(その模様は「明日の広告」にくわしく書いた)。1年半前、主催者側の方に「確実に、あの記憶が起点のひとつとなって、この度、同じ三崎高校を会場とするロックフェスを開催することとなりました」とメールをいただいたので、スラムダンクのあのイベントの空気がどこかに漂っていると感じられたのもあながち間違ってはいない。あの奇跡の時間からの細く力強い糸が確かに繋がっている。ボクにしかわからない感覚かもしれないけど、なんだかとてもうれしかった。
この校舎、隅から隅まで知ってるな、と、あらためて。
あのイベントの時、たった9人で校舎の掃除から始めたからね。とにかく懐かしい。そしてなんだか愛おしい。あの時と来場者も違うし、コンセプトも違うのだけど、通底している精神は一緒。いいなぁ。なんだかシアワセになった。昨日もおとといも来れば良かった。ここに座っているだけでシアワセになれたのに。
ボクにとっては無名なグループが(でもその筋では有名っぽいグループが)いろんな場所でライブしている。それをひとつひとつ丁寧に聴いていってみる。ロックといっても案外アコースティックで親密なものも多い。これがイマなのだな。歌は時代を映す。マイナーなものも含めて、たくさんイマに触れられて良かった。
3日間の学園の大トリは、スガシカオの体育館ライブ。日曜18時から。
いやぁ高校の体育館という狭い空間でのライブ、楽しかった! 席は200席ほどで、その後ろに大きく立ち見席。全部で500人ほど入っていただろうか。スガシカオも「控え室が教室なんだよー。なんだか興奮したね。好きな子の笛を探したりしちゃうそうだった」とか話し、会場からは「センセー!」と声が飛び(一応学園の教諭という設定)、なんだかとても親密な雰囲気。学校空間ってその場全員の共有体験だから、最初から全員が場馴れしていて、とても空気が温かい。いいライブだなぁ。これも高校という空間のマジック。
1時間ぴったし、大ノリでやって終了。楽しかった。土曜の斉藤和義も見たかったなぁ。というか、廃校という箱はもっと他にも活用できるなぁと思った。来場者みんなが懐かしく思い、あの頃のことを思って温かい気持ちになり、そして場馴れしている。そんな空間でのイベントは無限の可能性がある。
ロック・フェスってフジロックをはじめいろいろあるけど、このフェスは「学園」って捉え方がいい。
校則に代表されるような「学園」と、その対極にあるはずの「ロック」を結びつけたところに、日本独特の草の根ロックの息吹が感じられる。そして、若いグループが中心なのに忌野清志郎校長とか鮎川誠とかの大御所に対するリスペクトがそこここで感じられたのもいい。こういういい意味での「ぬるさ」って日本っぽくて良いと思う。楽しかった。主催者側の方々、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
杉浦千里展 @東神奈川かなっくホール
2009年03月22日(日) 22:40:04
さて「ロックの学園」に行ってくるか、と、出かける寸前にメールチェックをしたら、気になる新着メールがあった。初めての方からのメールで、ある展覧会のお知らせ。ボクなら興味を持つのではないか、と書いてある。
それがこれ。「杉浦千里展」。
誰それ?って感じであったが、よく読むととても興味深い。
2001年に39歳の若さで亡くなった博物画家で、甲殻類を中心とした海の生き物の細密画である。荒俣宏さんの彼に関するコラムを読んでも面白そう。なるほどこれは見たいかも。なにより三崎口でやっている「ロックの学園」へ行く途中にあるのがいい。東神奈川駅前の「かなっくホール」でやっているのである。「ロックの学園」に行きがてら立ち寄ってみるか。
で、立ち寄ったわけなのだが、いやーすごい。見て良かった。
上のポスターを見てもらえば雰囲気わかると思うけど(クリックすると大きくなります)、まぁなんというか驚愕の細密画なのである。こういうのを見ると手塚治虫が中学生のときに描いた昆虫の細密画とか思い出すが(これもまたすごい!)、それと違うのは杉浦千里の絵の目的が図鑑に載せるような博物画ということ。ウロコ一枚、毛一本おろそかにせず、学術的にも正しいように描ききらないといけない。
ウルトラマンのキャラクターデザイナーとしての方が知られている人らしいが、怪獣系や動物系の絵になると逆に妙に演出が入ってしまい、なぜかもうひとつになってしまう。きっと50歳くらいになったらすごかったのだろうなぁと思う。演出の若さが消え、基礎の細密画に磨きがかかり、きっと想像もできない完成度が待ち受けていただろう。夭折とはこういうことか。
なんというか、人間っていろんなことをして生きているんだなぁ、という普通のことを思った。当たり前だけど、ボクが興味ない部分とかに一生をかける人がいて、もしかしたらそれにボクは一生気づかず人生を終えるのだけど、そういう部分部分の完成度の高さが回り回ってボクの人生をどこかで豊かにしてくれている感じ。うまく説明できないけど。今日も世界のどこかでいい演劇、いい展覧会、いいライブなどが行われているのだけど、それが回り回って自分に影響を与えてくれている感じがなんかリアルに感じることが出来た、そんな展覧会。不思議な感覚。
その感覚に酔いながら、京急に乗り三崎口駅へ。「ロックの学園」である。無名な人(ボクにとっては)のライブやスガシカオのライブを観た。その感想は明日。
アタマお休み
2009年03月21日(土) 21:59:17
なんとかメールのお返事を書き終わったはずなんだけど…。
でも、最近友人から「メール出したけど?」という連絡がよく来ていて、どうも彼らのメールがボクに届いていないようなのである。ということは他にもそういう方がわりといらっしゃる可能性もあり。サーバーの方で強化されている迷惑メールフィルターに引っかかっているのかな。特にGmailは届きにくかったみたいなんだけど、最近サーバー側で改善してもらい、もう届くようになっているはず。ここ1ヶ月くらいの間にボクにメールをくださった方で、ボクからのお返事がない方は再度メールをいただけますか? たぶん届いていないです。あ、もしくは、いくつかお返事したのがはね返されて戻ってきたので、そちらのサーバーの問題 or ご自分のメアド設定が間違っている場合もあります。ここ1ヶ月分で10通くらいはお返事が戻ってきてしまっています。
仕事であまりに余裕がなかったせいもあるのか、なんだか急にゲームがしたくなり、ソフトをいろいろ選んでいたのだけど、娘が欲しがっていた「どうぶつの森」のWii版を娘孝行に思わず買ってしまった。もっと他のをしたかった気もするけどなんとなく。まぁ街に行けるようにはなっているが内容的には以前のとそうは変わらない。昨日今日と数時間、ボンヤリとやっている。ボンヤリできるという意味では良いかな。もうちょっと刺激が強いゲームが欲しかったけど(ドラクエ最新作発売延期が痛い)。
さて、寝よう。今日も寝てばっかり。いくら寝れば気が済むのか。というか、読み返しても「相当アタマが働いていないのがよくわかるさなメモ」ですね。この三連休はアタマお休みです。
ミュージカル「ザ・ヒットパレード」観劇
2009年03月18日(水) 9:28:49
ミュージカル「ザ・ヒットパレード 〜ショウと私を愛した夫」を観た。@ル テアトル銀座
日本のショウビジネスを暗闇から明るい日光の元へ導き出し、虚業から実業へと価値転換したある夫婦の実話。言わずと知れた渡辺晋・美佐夫婦の物語である。いわゆるナベプロですね。彼らが日本のエンタメのために果たした役割は計り知れない。その出会いから死別まで、夢の一歩目から失意そして次の夢まで、一介のジャズマンから藍綬褒章を得るまで、を、昭和ヒット歌謡の数々に乗せて原田泰造と戸田恵子が達者に演じている。
題名はもちろん昭和の大ヒットTV番組「ザ・ヒットパレード」から来ている。
3時間にも渡る全体がその番組構成をベースに作られていて、番組と同じようにヒット曲のメドレーを歌いながら、番組「ザ・ヒットパレード」で花開いた渡辺夫妻の人生やザ・ピーナッツの栄光が綴られていく。この二重構造はとても面白いが、逆にちょっとマニアックになっていて、ストーリーに乗っていった気持ちが唐突に始まるメドレーではぐらかされた部分もあった。ストーリーに連関するようにもっと綿密にヒット歌謡が仕組まれていたら(たとえばアバの曲をストーリーと上手に組み合わせた「マンマ・ミーア」のように)もっと気持ちよかったかもしれない。
ま、それはともかく、日本オリジナルのミュージカルとして、とっても出来が良かったと思う。昭和時代っていい曲が多いなぁ。観劇後はフンフンと鼻唄歌いながら楽しく仕事に帰った。
主演のふたり、良かったなぁ。戸田恵子は滑舌が異様によく、早口セリフも完璧。存在感もあるし、なにより渡辺美佐感(?)がよく出ていた。素晴らしい。原田泰造は「笑う犬」シリーズや「篤姫」でその演技力は知っていたものの、なかなかすごい役者になってきた、というのが感想。ちょっと自信がない感じが目に出ちゃうのが惜しいけど、セリフも不自然さがまるでなくプロの仕事。
特に休憩後の後半、「Anything goes」の一連がよかった。
なんだかとてもブロードウェイっぽい演出。なんとなくニューヨークで観ている気分になった。あぁブロードウェイ、今年は行けるかなぁ(忙しくて行けそうにないけど…)。
敢えて言うなら、主人公ふたりの背景が描かれていないので、カタルシスがないのが残念だったかも。
せめて美佐の両親の話とか子供時代なんかが描かれていたら美佐のあそこまでの情熱とモーレツの理由もわかるし、渡辺晋の「スマイル」の秘密がどこかで描かれていたら晋のエンタメへの熱い想いがより伝わってきただろう。なんとなくふたりの人生の上澄みを辿った感じだったのが残念。まぁあれだけヒット歌謡を入れ込んだので時間がなかったのだろう(それがこのミュージカルの最大のサービス部分なのでそれもわかるのだけど)。ただ渡辺晋・美佐という素材があまりに素晴らしいだけに、もっと深く彼らの人生を観たかった気持ちは残る。そういう意味で「Anything goes」はちょっとダークサイドを描いている分、深みが増し、印象に残ったのかもしれない。
ラストは「シャボン玉ホリデー」のラストシーンの演出と同じだった(ハナ肇とザ・ピーナッツの例のアレ)。
スターダストを歌うザ・ピーナッツに挟まれ、渡辺晋が言う。「人生って長いようでこんなに短い。だから楽しまないと損だと思うんだよね」。このセリフを聞いて、今の激務を楽しんでない自分に気がついた。そう、楽しまないと損だよな。で、渡辺晋の口癖「スマーイル」を自分に言い聞かせながら仕事に帰り、なんとなくニコニコしていたら、後輩から「あれ? イイコトあったんですか?」と聞かれ、そのままにこやかに会議に入り、なんだかハッピーな結末となった。スマーイル。眉間にしわを寄せるようなことばかり起こる毎日だからこそ、スマーイル。
テアトル銀座では25日まで。大阪ではシアターBRAVA!で4/1〜5まで上演する。
日本のエンタメ創世記を知りたい方、たったひと組の夫婦が何を変えたかを実感したい方、昭和ヒット歌謡が好きな方などにオススメ。当日券もとれそうな感じである。
ロッド・スチュワート日本公演 @武道館
2009年03月14日(土) 7:34:43
ロッド・スチュワートの13年ぶりの来日公演「ROCKS HIS GREATEST HITS JAPAN TOURS 2009」に行ってきた。
中学高校大学と、彼のアルバムはすべて買い、彼の来日ライブにもすべて行ったくらいはファンであったワタクシ。たまたま来日公演の記事をネットで読み、脊髄反射的にチケット購入ボタンを押したのだが、その反射神経のおかげか席はアリーナの前から4列目(ステージに向かって左端の方だけど)。いやぁロッドが20メートル前にいるよ! 会場一番奥の安席で熱狂していた30年前の自分に教えてあげたい。
それにしてもパンクチャル(時間に正確)なライブだった。ちょっと異様なくらい。
寸分の狂いもなく7時00分に始まり、8時00分に「じゃ、10分休憩ね」と休み(休憩があるロック・コンサート、初めて見たよ)、8時10分ジャストにショウを再開し、9時00分ジャストにアンコールまですべて終わって会場が明るくなった。いや、マジですべてが計算されたようにピッタシ。
そのうえ、娘さんのRuby Stewartが2曲歌ったり、バンドメンバーが「プラウド・メアリー」歌ったりする間は彼は楽屋に帰って休んでいたので、実質1時間半弱しか歌わなかったな。動きも少なく、ステージ上でも走らず、なんだか歳とったなぁという印象。まぁ64歳にしては見た目は若いし、相変わらずセンスも体型もいいんだけど。
ステージはなんというか「ロス郊外のホテル会場か体育館」みたいな感じ。装飾は白いカーテンのみ。広いステージの真ん中にドラムとキーボードと白いマイクスタンド(!)が置いてあるだけのシンプルさ。まぁオシャレと言えばオシャレなんだけど、全体の大人しいステージングも相まって、なんだかラウンジみたいだった。ラウンジ・ミュージック。途中、バニー・マニロウか布施明のコンサートを見ている気分になったよ。
でもさすがに歌はよかったな。楽器としての彼の喉はやはり最高。
「サム・ガイズ」から始まったステージは、「The First Cut Is the Deepest」「Tonight's The Night」「You're in My Heart 」あたりのスローナンバーで前半の最高潮。この辺、実に良かったな。でもさ「もう話したくない」や「ただのジョークさ」をやらないってどうなのよロッドさん。
後半はサッカーボールを客席に蹴るパフォーマンスの「ホット・レッグス」と「マギー・メイ」が大盛り上がり。個人的には「マギー・メイ」が一番感動した。で、「アイム・セクシー」をやって、アンコールに「セイリング」。んー、「セイリング」嫌いなんだよね、なんだか。だからいつもアンコールで白けるワタクシ。
会場は6〜7割の入り。2階席はガラガラ。でも全員がロッド・ファンで、全員が中高年で、とても拍手が暖かくて、その雰囲気は逆に良かった。でもさ、ROCKじゃないなぁ。大ファンだから敢えて言うけど、もう彼はROCKしていない。ストーンズとかと比べるのは酷かもしれないけど、ちょっと哀しい夜でもあった。
TEAM NACS「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」観劇
2009年03月08日(日) 21:11:17
TEAM NACS 第13回公演「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」東京公演を観てきた。@池袋サンシャイン劇場
前回の2007年公演「HONOR」(名作)までは森崎博之の脚本・演出だったが、これは大泉洋初脚本・演出の舞台となる。オムニバス映画「N43°」でメンバー5人のいい意味でのバラバラさが明らかになったこの人気劇団。大泉洋の本を得て、また違った展開が見えてきた。個人的には一緒にNYにミュージカル観劇旅行に行ったモリ(森崎博之)の脚本・演出の成長を見たかったところだけど、大泉洋の秀逸なコント劇もまた良し。
コント劇と書いたが、全体はよく練られた人情ものの脚本である。実際ラストで泣いている人も多かった。ただ前半のお笑い系展開があまりに面白く印象的だったし、テンポの良さを含めて大泉脚本の良さはやはりコントかなぁ。モリの壮大で熱い脚本に大泉の軽妙なコント部分が合体するとNACSはもっと面白くなるかもなぁとか勝手なことを思った。
うん。やっぱり前半が気に入った。腹よじって笑ったわ。
5人のキャラが最大限笑える方向に活かされていた。安田顕の衝撃の(?)オープニング、音尾琢真・森崎博之・戸次重幸の一人二役、大泉洋のさすがの笑わせなど、みんな本当に達者だった。
モリのセリフが異様に多く、知り合いとしては「いつ噛むか」ドキドキ状態だったが、でもほとんどミスなく乗りきった模様。モリ曰く「いやぁ〜、いつもはボクの脚本・演出だからボクのセリフは少ないんですよ。でも今回は洋ちゃんの本で、洋ちゃんが気を遣って『いつもセリフの少ないリーダーにセリフを多く』ってしてくれたんだけど、余計なお世話だっつーの!」だって。確かにセリフはかなり多かったし、かなり早口で詰め込んでた。あまり説明をしない森崎脚本に比べて、大泉脚本は説明をしすぎるところがあるかも。
後半は音尾琢真の達者な演技に引っ張られてわりと締まった展開。泣いていた人も多かった。
音尾琢真、この前の映画の監督ぶりでも驚いたけど、役者としてもかなりいい。もう少し年齢を重ねると実にいい個性派俳優になるかもしれない。
というか、5人とも、どんどん有名になってきていて、それをファンが心から喜んでいる感じがあって、舞台上と客席の一体感が素晴らしかった。まぁ逆に言うと5人のキャラを把握しているファンでないとわからない(笑えない)部分も多く、NACS初心者が観たらどうなんだろうという場面もちょこちょこ見受けられたけどね。そこは良し悪し。ファンを大切にするNACSとしてはこれでいいのだと思う。その辺、いい意味でのマイナーさをずっと持ち続けて欲しい部分でもある。
なんだか全体に「ドリフ」を思いながら見ていた。
セットの壊れ方とかほとんど「8時だョ! 全員集合」だったし、ドリフもNACSも5人ということもある。モリがいかりや長介で大泉洋が加藤茶。ヤスケンが志村かなぁ。そうなると戸次が仲本工事で音尾が荒井注かなぁ(高木ブーはいない)。ま、無理矢理あてはめても意味ないし、本質はドリフと全然違うんだけど、いまこういう個性バラバラの5人ユニットって他にいないから、わりと貴重な集団になっていくかも、とか思ったな。こういうバランスの5人ってわりと奇跡的だと思う。
今夜、タイミングがいいことに、「情熱大陸」がTEAM NACSを取り上げる。この舞台が出来上がるまでを追うようである。番宣によると「大泉洋が全国公演では初めて脚本・演出を手がけることになった。ところが、『最後にどうしてもお客さんを泣かせたい』とこだわり続けた大泉に、アイデアが降臨しない。ギリギリまで完成しない大泉の脚本にメンバーの苛立ちが隠せなくなってきた。」とか書いてある。面白そう! 要チェック!
誕生日 & 7刷
2009年03月07日(土) 15:44:40
昨日は娘の誕生日にして結婚記念日。娘が14歳ということは、結婚して15年目ということになる。ちょっとした年月だ。
今年の誕生日プレゼントはモノではなく、「ミラコスタ&ネズミー・シー」だったのだが、まぁ当日何もないのも何である、ということで、昨晩はTEAM NACS公演「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」を観に行ってきた。感想は明日にでも。ひと言で言うと「すげー面白かった!」である。特に前半の笑わしは最高だった。というか、基本はコント系。特にそれぞれのキャラをわかっているNACSファンには異様に楽しめるものに仕上がっていた。つまりは娘、大喜び。
で、終演後、楽屋にモリを訪ねる。
そこでヤスケン以外のTEAM NACSメンバーに会え(ヤスケンはあっという間に帰っちゃうことが多いらしい:笑)、狂喜する娘。まぁこれが一番のプレゼントかも。いい思い出になっただろう。
ついでにボクにもイイコトが。
拙著「明日の広告」7刷が決定しました。これも皆様のおかげです。ありがとうございます。5刷から6刷までは意外とかかったのに、6刷から7刷は早かったなぁ。じわりじわりと売れてます。ありがとうございます。
今日の土曜日は「仕事集中デイ」と決めて、朝からガシガシやっているんだけど、途中で煮詰まって苦しんでいる最中。うぅ。おまけにTRANSMOVERなんてネットゲームにはまってやってしまっている。くそぅ。間に合わねぇ。しかも確定申告もやらねばならぬ。まいったな。
三月大歌舞伎「元禄忠臣蔵」
2009年03月03日(火) 8:23:11
歌舞伎座さよなら公演「元禄忠臣蔵」の初日を観てきた。
さよなら公演といっても、延々とあと1年は続く。でもさよなら公演と銘打つだけあって出演者が豪華(値段も豪華だけど)。この「元禄忠臣蔵」も大石内蔵助を市川團十郎、片岡仁左衛門、松本幸四郎の三人が演じてくれている。なんともお得な感じである。
観に行ったのは夜の部。「南部坂雪の別れ」と「仙石屋敷」と「大石最後の一日」の三編。
「南部坂雪の別れ」は團十郎が大石内蔵助。瑤泉院を中村芝翫。羽倉斎宮を片岡我當。
「仮名手本忠臣蔵」に比べて全体に動きがとても少なく台詞回しばかりが多い「元禄忠臣蔵」ではあるが、この編は内蔵助の台詞も少なく、團十郎の見せ場も少なかった。内蔵助と瑤泉院の別れの場面は美しかったが、全体に平板な舞台。
「仙石屋敷」は仁左衛門が大石内蔵助。仙石伯耆守に中村梅玉。磯谷十郎左衛門に市川染五郎。
ボクは仁左衛門が一番好き。吉右衛門とどっちが好きか迷うけど、んーと迷った挙げ句やっぱり仁左衛門。この編は内蔵助の台詞が多く、見せ場もたっぷり(相変わらず動きは少ないけど)。あー惚れ惚れした。もっと長く仁左衛門の内蔵助を観たかったな。梅玉は初日のせいかまだ台詞がこなれておらず、言い淀みも数回あってちょっと残念。
「大石最後の一日」は幸四郎が大石内蔵助。おみのに中村福助。堀内伝右衛門に中村歌六。磯谷十郎左衛門に市川染五郎。
歌舞伎における松本幸四郎がどうにも苦手なボクであったが(舞台やドラマでは好き)、この内蔵助はとても良かった。あの暗い感じが「最後の一日」にうまくはまっていた。もともとこの「元禄忠臣蔵」はこの「大石最後の一日」が初演された後、大好評につきリクエストされ、あと9編を付け加えて完成したもの。つまり元々の一編であるだけに完成度も高い。見せ場も多く引き込まれた。幸四郎、うまいな。ただ福助のおみのはちょっとブリッコ気味でTOO MUCHだった。ひいた。
席が舞台に近かった(二階東桟敷舞台袖)のもあって、黒子がセリフを読み上げる声が丸聞こえ(稽古が足りない役者はそれを聞きながらしゃべる)。初日だからかな。ただ、さすがに仁左衛門、幸四郎のおふたりは黒子に頼らず朗々と語っていた(團十郎は一部頼っていた)。圧倒的にうまい。やっぱり看板役者なだけはある。
幕間では名物のオリエンタル・カレーを。懐かしい味でうまいよなぁ。このカレーも歌舞伎座改築(改悪築)とともに消えてしまうのかな。新しい歌舞伎座に変にマーケティングされた飲食店が入らないことを願う。
平田オリザ作「ヤルタ会談」観劇
2009年02月25日(水) 12:15:52
おとといになるが、憲政記念館で演劇「ヤルタ会談」を観た。
超党派議員有志を中心に発起人が集まり、開催が実現したもの。友人の参議院議員に誘われて参加した。
小さな会議室が会場だったのだが、大御所議員や若手議員をはじめ、学生さんまでいろんな立場の人が参加していて面白い雰囲気だった。
よく思うのだけど、議員って直に話すととてもいい人が多いし、精力的に動いているし、意外とクリーンだし、見方が変わる。演説になるとどうにもうさんくさい部分があるけど、普段は本当に普通の感覚をもって少しでも世の中を良くしようと動いている人が多い。特に権力に染まっていない若手はそう。その情熱は(普段問題意識薄く生きている自分には)まぶしいほどである。「議員=ダーティで裏がある」というレッテルを貼りがちだが、そうでない若手も多いことにもっとみんなが気づくと政治への印象も変わるのだけどなぁ。選挙活動以外の場所でもっと議員と接する機会が増えるみたいなことが、意外と政治意識改革につながる気がする。ネットってもっと上手に活用できないものか。
で、「ヤルタ会談」。
平田オリザ脚本のたった30分の演劇。出演者もたった3人。スターリン役(松田弘子)とルーズベルト役(高橋緑)とチャーチル役(島田曜蔵)。スターリンとルーズベルトが女性だよ(笑)。でもって本音トークでわいわい言い合うのだけど、これが面白い。
「で、どうなの? ソビエト軍はいつ頃ドイツに本格的に入ってくるわけ?」
「ま、来月中かな?」
「え、そんなに早く?」
「まあね」
「へー、そうするとベルリンまですぐって感じかな?」
「いやいや、ドイツ軍の抵抗がね、どの程度なのか…、ポーランドも大変だったしね」
「とはいえさ」
「とはいえじゃなくてさ、だいたいアメリカさんはいつも無責任すぎるんだよ」
「そんなこと言ってもさ、大変なんだよ、日本はまだまだ気が狂ってるしさ」
「あ、日本っていまどうなってるの?」
「そんな他人事みたいな言い方しないでよ。ソ連はいつ参戦してくれるのよ」
「いや、だから、ソ日中立条約ってのがあってさー」
「ロシア人が条約守ったことあったっけ?」
「なに!」
「まぁまぁまぁ」
みたいな爆裂トークで、たった3国で第二次世界大戦後の世界地図を適当に決めてってる様子が描かれていくのである。
いや、よく出来ている。
実際にこうだったのかもと思わせるほどリアリティがある部分と、上手にデフォルメされている部分と、平田オリザによる問題提起な部分がバランス良く織り込んであり、頭の中で史実がクリアに整理されると同時に「権力者たちの普通の感情」に寄り添える。そしてどんな政治も「ヒト」が行っているという当たり前なことに気がついていく。
こういう「異化」こそ芸術の役割なんだなぁと再確認した感じ。平たく言うと、日常に埋もれてしまいがちな「他者の存在と痛み」に気づく「目」になってあげること、かな。難しくややこしい政治と権力の駆け引きを異化してわかりやすく提示し、観ているヒトに新しい視点を与える。そういう意味で演劇「ヤルタ会談」は大変すぐれた芸術であった。
また、西洋のややこしい題材をアジア人が描いていることにも意味がある。日本での上演よりも海外での上演の方が多いようだけど、海外でもとても受けているそうだ。アジア人だからこそ描け、理解される部分もあるのだと思う。アジアの芸術家の役割、という新たな視点をもらった感じ。
観劇後、平田オリザさんを中心にパネル・ディスカッションがあった(彼はこの上演のためにパリから前日に帰国して、また翌日パリに帰ったらしい)。
コメンテイターとしてたまにテレビに出ている劇作家、みたいな印象しかなかったけど、平田オリザっていう人の知と姿勢とビジョンにちょっと感動した。自分の役割と目的、ゴール・イメージまでクリアに系統だって整理されている人、という印象。特に教育に対する志の高さと問題意識は大変刺激になった。
第一次産業向け人材を育てる教育しかしてこなかった日本に、コミュニケーション・ティーチャー(ドラマ・ティーチャー)的なものを導入していくというビジョンにも共感した。この辺、自分の中でもう少しゆっくり消化してみたい。さっそく彼の著作「芸術立国論」を読んでみよう。楽しい知の刺激。久しぶりな感覚。
「おくりびと」「つみきのいえ」 おめでとう!
2009年02月24日(火) 8:38:46
ご飯友達でもある小山薫堂さんが脚本を書いた映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
日本映画の受賞は1956年に同賞が独立した賞になってから初めてだという。すばらしいことだと思う。モントリオール世界映画祭グランプリや日本アカデミー賞やキネ旬脚本賞や読売文学賞脚本賞や、もう賞獲りまくりの脚本であるが、それだけの価値がある仕事だと思う。時代の流れにもいい感じで乗った。その辺もさすが。刺激になるなぁ。忙しいとかなんとかブツブツ言っている場合じゃないようなぁ。ちなみに映画「おくりびと」のボクの感想はこちら。
短編アニメーション部門で見事受賞した「つみきのいえ」は、先月末にROBOTの担当プロデューサー秦さんと飲む約束がちょっとしたことで流れてしまい残念だった。でもそのかわりDVDをいただき、ゆっくり観る機会があった。12分と短いが、中身がギュッと詰まった佳品である。海面上昇により(まるでその人の人生のように)積み上がっていく家。落とし物を拾いにその家を海底まで潜っていく過程が、老人の人生を遡る過程に重なっていくところがすばらしい着想。手書きの良さもよく活きている。
両作ともに静かで丁寧な作品だ。そういう作品が賞を獲ったことが誇らしい。おめでとう。そしてありがとう。
やっぱりドゥダメルはスゴイ
2009年02月21日(土) 13:03:23
昨晩は仕事で遅かったので、ドゥダメルの放送は今朝録画で観た。
この会場に公演当日いたんだなぁ…、あれは本当に幸せな夜だったなぁ…と、遠い目で思い出しつつ。舞台から見て左側2列目にいたので、たま〜に画面に映っている(合わせてもほんの1〜2秒だけど)。それを見てあらためて思う。あぁ本当にいたんだ…。なんか夢みたいだった。オーバーでなく。
チャイコフスキーの5番はやはり圧巻。テレビで客観的に聴くと弦がすごいな。解像度が高く正確なのに熱い。ユース・オケだから、きっと楽器も安いものなのだろうけど、十分なクオリティ。素晴らしい。
アンコールのマンボとマランボも聴けて満足。会場の熱狂がいまいち画面からは伝わってこないけど、いやホント、日本人の観衆とは思えない熱狂だった。
メールもいろいろいただいたが、みんな「当日ライブで聴きたかった!」というもの。「見ていて泣いた」というメールも多かった。いや、ほんと、泣くよね。
で、シモン・ボリバルが終わって、次はベルリンフィルとドゥダメルの演奏だ!と待ちかまえていたら、そこでなぜか録画ストップ! え、まさか! マジ? うわっ、録れてない!!!
ショックで寝室に。マジ寝込んだ。
村上春樹講演全文。そして新聞の取材力
2009年02月20日(金) 8:16:49
村上春樹の「エルサレム賞」講演全文が47NEWSに載ってますね。日本語訳全文はこちら(英語原文はこちら)。現地で記者が録音したものから書き起こしたようなので、ほぼ正確な全文ということだと思います。
なお、個人的保存のためにボクのサイト上にも引用しておきました(こちらから)。なぜわざわざそんなことをするかというと、ほぼ永久にサイトの内容(リンク先ニュース原文)を消さない海外ニュースサイトに比べて、日本のニュースサイトは一定の期間が経つと原文を消してしまい、リンク切れが起こるからです。
取材に人件費などのお金がかかっているものをタダで提供すること(使われてしまうこと)への新聞社のささやかな抵抗だとは思いますが、もうそんな時代ではありません。堂々とタダで提供し「さすがプロの仕事は違う」とネット住民に思わせ、新聞本紙を見直させる方向で動くべきだと思います。
ロイター通信はこんなことを言っています。
「情報洪水は歓迎です。情報が多く氾濫すればするほど『ロイターはそのことについて何と言ってるんだ?』と聞かれるからです」
この自信に満ち溢れたプロの言葉。
すべての情報がフラットかつローコストになっていく流れは止まらないわけで、そうなってくるとジャンクな情報が溢れる分、「情報の信頼度」が勝負の核となっていきます。そうなってこそ「取材力の新聞」のチカラの見せ所でしょう。ネット上にどんどんタダで提供してその「チカラ」をアピールせずに、いったいどこでアピールすると言うのでしょうか。
ネット上には、新聞と並ぶかそれ以上の言論がたくさん転がっています。全共闘世代や新左翼が経営陣に残る新聞社の言論に比べて、ネット上の言論の方が時代の気分にずっと近く、読者は新聞を見捨ててネットに流れ込んでいます。そこの改革ももちろん早急にしないといけませんが、まずは取材力の圧倒的な違いをネット上でネット住民に見せつけるべきです。
村上春樹の講演完全全文を載せられるのは、現地できちんと取材をしたからこそのこと。これはネット上ではなかなか出来ません(現地のブロガーが動かない限り)。この違いをもっともっとアピールすべきです。ネット上にタダですばやく提供することで。
いたずらに扇情的にして読者に媚びるのもやめた方がいいですね。マスゴミとバカにされるだけです。そういうものはネットで十分。新聞というプロ集団に読者はそんなこと望んでません。不景気不景気と暗いニュースばかり流して騒ぐのももううんざりです。政治家たちの揚げ足とりも一部読者しか楽しんでません。
『○○新聞はそのことについて何と言ってるんだ?』『いろんな言説やデマがネット上に飛び交っているけど、きっと正確な情報が○○新聞に載っているだろう』
そんなことを思って売店で新聞にお金を払うような、健全な情報社会が来ることを願っています。
ドゥダメル放映!
2009年02月19日(木) 7:52:44
明日の金曜日(2/20)、NHKでドゥダメルの放送がある。
ボクが「生涯トップかも」と感激した去年12月17日の東京芸術劇場でのコンサートの録画も流れる。ボクの長い長い感想はこちら。あぁもう一度あの夜に戻れる! とはいえ、あの生の良さをそのまま取っておきたい気もする。録画はやっぱり録画。録画映像を見ちゃうとあの生の鮮烈な感激が少し変質するかもなぁ。不安だけど、でも観ないわけにもいかない。ちょっと悩ましい。
予告サイトによると「マンボ」や「マランボ」は放映しないみたいだが(残念!)、あの強烈な「チャイコフスキー交響曲第5番」はやるようだ。あわせてベルリン・フィルを振ったヤツも(ここでマランボはやるかも)。ただ、あのアンコールの熱狂は流して欲しいなぁ。スナップ的に入るのかもしれないけど。
2月20日22時30分〜24時45分。NHK教育テレビ「芸術劇場」にて。絶対チェック!
が〜まるちょば JAPAN TOUR 2009 ゲネプロ
2009年02月11日(水) 19:44:08
ある方からお誘いを受け、「が〜まるちょば」の「サイレント・コメディ JAPAN TOUR 2009」の公開ゲネプロを観てきた。ゲネプロとは演劇用語ですね。本番さながらの最終全体リハーサルのこと。初日直前にやることが多い。「が〜まるちょば」のこのツアーは今日2/11から4/30まで全国で行われる(スケジュールはこちら)。十周年にして初の全国縦断ツアー。その前日ゲネプロである。
が〜まるちょばを生で観るのは2回目(前回はこの日)。
最近テレビにもちょくちょく紹介されているのでさすがに知っている人は増えたと思うけど、いまや世界を代表するパントマイム・コンビである。大きな賞などももらっていて、日本より世界での方がずっと有名。現にこのツアーの直後にNY公演も決まっている(5/7〜24 The New Victory Theater)。このシアター、42ndストリートだからまさにオン・ブロードウェイ。堂々たるものである。
前回と同じく、大道芸ネタのオープニングから。
何度観ても笑える質の高いパントマイム。ゲネプロなので客は少なかったが(関係者とプレスのみ)、きっちり客イジリもあった。でも「舞台上に出されちゃいそうで」落ち着いて観られないのが難。まぁそれも狙いなのだけど。
そして短編4つ。「やかん」「催眠術師」「白い男」「THE TARAI」。
「やかん」が良かったなぁ。可愛い。
で、休憩をはさんで長編の「街の灯」。
チャップリンの名作の「が〜版」であるのだが、これが傑作だった。洒落たオープニングといい、途中の時間経過の表現法といい、スローモーションの見せ場といい、ラストの抑えた演技といい、素晴らしい。ラストなんか泣かせる泣かせる。圧巻であった。敢えて言えばカーチェイスのところが少し冗長だったか。でも公演が続いている間にこの辺のバランスはどんどんとれていくのだろう。
この「街の灯」を長編に選んだ経緯は、パンフレットでHIRO-PON(右の黄色モヒカンの方)が語っていることを読むとわかる。パントマイムとは見えない壁や綱引きとかだけでなく、演技そのものなのだな。演技の技術ではなくて、演技から導き出される感動そのもの。そこに敢えて挑戦しているこの長編こそ、今回の白眉だと思う。
このプログラムのまま、NYでもやるのだろうと思う。ノンバーバル(言葉がいらない)コミュニケーションなので、このまま外国人にも伝わるのが強い。彼らが世界で闘っていることを誇りに思う。
誘ってくださったOさん、本当にありがとう。
ZOOKEEPER
2009年02月05日(木) 8:33:12
「Shockwave」のサービスが1/31で終了してしまった。
これは我が家ではとても大きな出来事。
ボクはあまり利用してなかったが、妻はヘタすると「日本一のズーキーパラー(なんやそれ)」である。「ZOOKEEPER」をいまでも毎日毎日十数回やっている。よく飽きないものだ。もう数万回はやっているだろう。家族は呆れるのを通り越して感心しており、「Shockwave」のサービス終了を妻と一緒に悼んでいたのである。まぁDSなどでも同タイトルは売っているのだが、「無料だからいいのよ」とおっしゃる。無料サービスが終わったらゲームするのをやめるとまでいう。
ところが、終了後にサイトを覗いてみたら、なんと、下の方にリンク集があり、「ZOOKEEPER」があるではないか!
「ZOOKEEPERが終わったらどうやって生きていこう」とまで言っていた妻。
いまも朝から横で喜々としてやっている。しかしなぜ飽きないかな。いや、というか、「ZOOKEEPER」でストレス解消してなかったら家族にどう当たっていたかを考えると、ここは感謝すべきことなのかもしれない。ZOOKEEPER開発者さん、マジでありがとう。そしてここにこのゲームを異様に異様に愛している人がいることをご報告しときます。
山下達郎ライブツアー 08〜09
2009年02月01日(日) 8:07:51
山下達郎の6年ぶりのライブツアーに行ってきた。@NHKホール
彼のライブは3回目。
一度目は大阪のフェスティバル・ホールだった。何年前だろう。10年前かな。そのときも久しぶりのツアーで「リハビリツアー」と称していた記憶がある。アンコールでは竹内まりやがバックコーラスに出てきたりして、とても素晴らしいライブだった。そのフェスティバル・ホールも去年末で取り壊し。実は今回のライブツアー、フェスティバル・ホールが深く関係しているのだが、そのエピソードはこれからライブに行く方々のために書かずにおこう。
二度目は2002年の4月にNHKホールにて。
当時はさなメモも短く書いていたので、超短い感想。古い曲ばかりやるツアーだったな。本当に極上だった。
あれから6年。彼ももう来週で56歳だとか(!)。
今回は新譜プロモーション的ツアーではない気楽さもあったのか、山達曰く「ベタな選曲」。前2回ではやらなかったあの大ヒット曲もやったし、ヒット曲をずらりと並べた感じ。
お約束のアカペラコーナーもあるし、カラオケもあるし、日本トップクラスのリズムセクションによるインプロビゼーションも相変わらず最高だし、ちょっとファンである国分友里恵も健在だったし、MCもいつも通り絶好調で面白かったし、なんというか伝統芸能を見せていただいている感じでとても楽しいというか「有り難かった」。なんか柏手打ちたくなる感じ。有り難いものを見せていただきました、という感謝な気分。
彼はここ5年くらい「もう引退するか」というくらいいろんな問題や障害にぶちあたって悩んでいたらしい。「人生山あり谷あり、禍福はあざなえる縄のごとし、人生万事塞翁が馬、捨てる神あれば拾う神あり」と、続けて早口で言っていたが、相当つらかったらしいことが想像できた。大御所としてマイペースで生きていけると(下界からは見える)彼ですら、人生の谷を経験していたんだなぁ…。なんだか最近弱気になっているせいか、そんなところにとても感動したりして。
竹内まりやのベストアルバム「Expressions」のライナーノーツで山下達郎はこう書いている。
竹内まりやの作品には、市井の人々が経験する出会いや別れ、喜びや悲しみ、愛情、友情といった、さまざまな情景が描かれ歌われていますが、それと同時に彼女の歌の中には、あるひとつのテーマが常にこっそりと内包されています。生きることの肯定。それは「ひとが生きて行くことへの強い肯定」です。
ポップ・カルチャーの本質は、つまるところ「生きることの肯定」だと思います。
まさにそんなライブだった。全身で受け止めさせていただいた。どうもありがとう。
2つの個展
2009年01月31日(土) 12:58:51
昨晩はふたつの個展を覗いてきた。
ひとつはボクの講義を聴いてくれたことがキッカケでメールのやりとりが始まった写真家さん。昨日までの個展だったので滑り込みセーフでなんとか見られた。
実はそんなに期待していなかったのだが、これが期待を大きく裏切る美しい写真の連続でビックリ。光の捉え方、水の動き、風景の切り取り方など、どれも素晴らしい。期待が薄かった分(失礼)妙に感動して鳥肌たてて見ていたら、当の彼女が偶然現れていろいろお話しが出来た。お会いできて良かった。
来月は赤坂で個展をするようなので、その情報が整ったらまたここで告知しますね。写真家さんは中村美和子さんと言う。もともとは建築家なのだが、一念発起してカメラマンの道に入ったヒト。サイトはこちら。写真の一部がスライドショーで見られる。
ふたつ目は広告業界の大物のひとり笠井修二さんのもの。六本木AXISギャラリーで日曜(2/1)まで開いている。
これもとても良かったなぁ。サイトに作品がひとつ載っているが、この宇宙人みたいな顔、誰のポートレイトだと思います? これ、IKKOさんなのだ。目を細めて遠くから見るか、解像度の低いケータイ・デジカメで写してみるとよくわかる。こんな感じでいろんな有名人のポートレイトがたくさん並んでいる個展。素晴らしかった。
みんな忙しい中、ちゃんと発信しているなぁ。気を引き締め直した夜だった。
テカテカ系
2009年01月30日(金) 6:41:42
今年はイタリアでジージャン買ったのでもう冬物は買わないと思っていたが、DIESELでテカテカ系の黒ダウンが4割引きだったので思わず手に入れてしまった。
DIESELの本拠地(発祥地)はイタリアのバッサーノ・デル・グラッパ。
去年の旅の滞在地である。その郊外に3泊した。DIESELの地元アウトレットにも行った。そういうこともあってDIESELはとても親近感あるブランドとなり、最近ではよく着ている。
ツルツルで手触りがよく、軽いので肩も凝らない。とてもお気に入り。服一着で気分ってずいぶん変わるね。最近クヨクヨが強いので、バーゲン行ってお洒落しよう。
本田哲也著「戦略PR」
2009年01月19日(月) 7:54:41

仕事をご一緒させていただいている本田哲也さんが新書を出した。
「戦略PR」(本田哲也著/アスキー新書/743円)
副題は「空気をつくる。世論で売る。」
著者の本田さんはPRの第一人者で、もともと拙著「明日の広告」を読んでくださってからのおつきあい。内容に共感してくださり、ご飯を食べながらいろんな話をした。そしてボクの本の中で触れた戦略PRについてより深い言及をしたいということになり、アスキー新書の編集者である本多いずみさんをご紹介したのであった。
そういう意味では「明日の広告」と姉妹関係にある感じ。
本の中でも頻繁に引用され、「本書はある意味で『明日の広告』の続編といえなくもない」と位置づけられている。編集者が一緒であることもあり、題名や帯のコピーを考える会議にはボクも出席した(笑)。ちなみに帯は「オバマの勝利もオムツもピロリ菌も『戦略PR』だった!」
去年の秋くらいから「日本式の新しいパブリック・リレーションズこそ、これからのコミュニケーションの主役である」という意識を持って動いているボクにとって、戦略PRは欠くことの出来ない分野であり、戦略PRマンは主役級のプレイヤーである。
空気を作って売る。世論を興して売る。両方とても大切な概念だ。そこにプッシュ型の広告、プル型の広告、WEB2.0的自走式コミュニケーションが加わる。そして広報と連動して「企業ステイトメント」をしっかり世の中に打ち出して企業の本気度を示す。これらの組み合わせが日本式の新しいパブリック・リレーションズだと考えている。
オバマの場合はこの企業ステイトメントの部分があの素晴らしいスピーチに当たる。
オバマの選挙チームがアドエイジ誌の「マーケター・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのは、これらの戦略が(ある偶然をもってして)巧みに組み合わされたからである。戦略PRマンは常にオバマの横にいて、さまざまな施策を組み合わせてタイミング良く打ち出していった(毎朝5時に全体会議をしていたらしい)。
この本は、そういった戦略PRの基本の基本を、広告コミュニケーションに軸足を置いて、わかりやすくまとめてある。コミュニケーション関係を仕事とされている方々の基礎素養として是非。
ちなみに最終章では「戦略PRの明日はどっちだ!?」と題して著者とボクの「対談」も載ってます。
※元アマゾンのカリスマバイヤー土井英司氏による本書の書評はこちら。
三浦しをん著「風が強く吹いている」
2009年01月18日(日) 13:31:27

舞台がとても良かったので、急いで原作を読んだ。
三浦しをん著「風が強く吹いている」(新潮社/1800円)
舞台で先にストーリーを知っていたのだが、知っていたのにとても泣けた。知らなかったら号泣だろう。三浦しをんは「仏果を得ず」を読んでとてもよかったが、逆にああいうコミカルタッチのさらりとした芸風だと思っていたので、この濃い描写力と感動させかた方向はちょっと意外。というかこっちが本領発揮っぽい。他の作品も読んでみよう。
10人のランナーそれぞれを描いているので、少しずつ描き込みが薄いのは仕方がないかな。ただ、是非「外伝」を出して欲しいとか思う。キングやユキや神童のその後が読みたい。舞台化に引き続き映画化も進んでいるそうなので(ハイジが小出恵介、走が林遣都らしい)、人気が出れば出るほど外伝の可能性も増える。ちょっと読んでみたいな。
あと、素人たちが走りに夢中になっていく過程や、ハイジや走の過去への言及などももう少し欲しいとも思った。でもそういうのやっていると、ただでさえ500ページ超の分厚い本がこの倍くらいになっちゃうんだろうな。著者としても泣く泣く削ったのかもしれない。
舞台が先で原作が後になった分、舞台の脚本を書いた鈴木哲也氏がどこをどう脚色して舞台化(シンプル化)していったのか、思考経路や悩んだ部分などまで手に取るようにわかって面白かった。原作にない足し算も多用している。なるほどね。でもこういう風に舞台化しないとわかりにくいよな、確かに。
関係ないけど、表紙の装画を担当した山口晃の絵がとてもいい。
実は寡聞にして知らなかったが、有名な人のよう。ちょっと追ってみたい作風。
「風が強く吹いている」観劇
2009年01月16日(金) 8:34:59
三浦しをん原作の舞台化「風が強く吹いている」を見てきた。@ル・テアトル銀座
東京公演は18日まで。その後、富山、愛知、宮城、大阪、福岡などを回って2/13までやるみたい。とりあえず駅伝好きや陸上好き、経験者、市民ランナーなどは観て損がない舞台。いや、走るのに興味がない人でも楽しめるな。事実ボクがそうだし。実はぜんっぜん期待せず観に行ったのだが、とても良い舞台だった。泣いている人も多かった。客席は7割の入りだったからまだまだチケットは手に入ると思う。
題材は、今年初めてじっくり観戦して初めて沿道応援にも行った箱根駅伝。
お誘いを受けたのも何かの縁。いままで自分の人生に全く関係なかった箱根駅伝が、今年になってたった2週間で急に「自分ごと」になったなぁ。もう目が離せない感じ。原作もすぐ読もう。駅伝ファンには定番本らしい(映画化もされるらしい)。
脚本(鈴木哲也)と演出(鈴木裕美)が上手。3時間の長丁場なのだけど、途中全く飽きさせない。
駅伝に縁もゆかりもない素人たち10人がひょんなことから箱根を目指すことになり、それぞれに悩みや過去をかかえながら練習し、記録会や予選会をぎりぎりクリアして箱根駅伝に出場を果たし、本番でも大健闘するというベタなストーリー。でもベタって泣けるよね。
駅伝の舞台化ってどうやるんだろと思ってたけど、終盤までは昭和的なオンボロ寮が舞台で、人間模様をいろいろ描ききり、このままラストまで行くのかなと思ったら、終盤の1時間でセットが替わって走る孤独を感じさせる暗い舞台になった。ルームランナーを利用した駅伝場面。背景にランナーのシルエットを映し出しつつ、舞台中央でルームランナー上を正面向いて走るランナー。それを支えるように集う各中継所で待機する他のランナーたち。それぞれの想いが襷でつながっていく。シンプルで美しい舞台だった。ちょっとコーラスラインを思い出させるような演出で上手に10人の想いが描けていた。
出演俳優は若手ばかり。
まぁ大学生10人がそれぞれ主人公みたいなものだし(駅伝は10区走るので、ランナーだけで10人必要)、若手が多いのは当たり前なんだけど、見分けがつくようになるまで1時間かかった(笑)。登場人物多いからなぁ。
主演は黄川田将也。そして和田正人。あとは渋江譲二、高木万平、高木心平、松本慎也、荒木宏文、鍛治直人、瀧川英次、粕谷吉洋、デイビット矢野、伊藤高史、樋渡真司、近野成美、花王おさむ。どの人もこの人も熱演。若手ばっかりで大丈夫かなと思ったけど、セリフも多い長丁場をよくぞ乗りきったと拍手を送りたい。一人二役の樋渡真司と花王おさむも渋く支えた。
昔、映画「ロッキー」を初めて観た後、映画館を出ながら「よし走るぞ!」と誓ったっけな。仕事がこんな状態じゃなければ、観劇後「よし走るぞ!」と誓ったかもしれない。とか思った。とりあえず長距離が走ってみたくなる舞台であった。教えてくれた市民ランナーのYさん。どうもありがとう。
岩田オタク
2009年01月14日(水) 5:56:03
昨晩はバレエ関係者とご飯。
目的は「岩田守弘さんの話をすること」であった。お互いに彼の大ファンだし、プライベートでの彼もよく知っているので話は尽きない。
いろいろ話をしていった中で、「そもそもどうやって知り合ったんですか?」と質問され、ええとね、と記憶を掘り起こし、まずは共通の友人の話から始めて7〜8年くらい前の出会いを話し、モスクワ滞在中の話をし、ロシアで観た8舞台についても言及し、ボリショイ劇場の裏話をし、パリでの邂逅にも触れ、私設マネージャーの活動を振り返り、って感じで、岩田さんとの関係をずぅぅっと現在まで話していった。
振り返りながらだんだん「アウェイでたったひとりで頑張っているすごい人なのに、なんでこんなに超無名なんだ!」という当時の怒りというかやるせなさが蘇ってくる。しかしそれも今では笑い話。NHKの放映以降ようやく知名度も上がり、こうして岩田さんの話をできる仲間も増えた。彼は「50歳まで踊る!」と言い切っているので、これからもじわじわ仲間を増やすぞ。
ふと気がつくと23時。なんと4時間近く岩田さんの話しかしなかった。岩田オタクか(笑)。勝手に4時間も噂された岩田さんも災難である。でもボクたちはシアワセだった。これも岩田さんのお人柄。得難い人である。
山田太一「ありふれた奇跡」
2009年01月11日(日) 9:42:32
山田太一最後の連ドラ「ありふれた奇跡」を録画で観た。
1997年の「ふぞろいの林檎たちIV」以来の連ドラ脚本にして、これが最後らしい。倉本聰と並んで20世紀終盤を代表する脚本家。娘には「倉本聰や山田太一をリアルタイムで観たことがある、ということをいつか自慢できる日がくるよ」と言っておいたが、まぁそれくらいの大御所である。
その娘、観終わった感想がボロクソだった。
「わけわからない」「テンポが遅い」「会話が変」「なんだか古い」。
「んー、でもね、この頃のドラマは確かにテンポが早いけど、人生って実際にはあんな風には展開しないからね。表現だって、例えば怒りなら怒りの表情をそのまま描くのが今のドラマ。でも人間って実際にはそんなに「わかりやすく」怒ったりしないし、「わかりやすく」泣いたりもしない。本当に人間を描こうと思ったら、状況を外側から丹念に描いていく必要があるんだよ」と、一応説明というか弁護はしておいた。
そう、弁護。
だってボクも「古い」と思ったもん。少なくとも初回は。残念ながら。
この古さは倉本聰の「風のガーデン」からは感じなかった。山田太一自身が「自分の作品は時代に合わなくなって来てしまったから、もう最後にしようと思う」というようなことを語っていたが、その感覚がわかる。不思議なくらい時代からズレていた。特にセリフ回し。
なんというか「セットのない舞台」でのセリフ回しみたい。
状況を言葉ですべて説明しようとする。これが違和感の一番の原因。そんなに説明しなくても今の若者は察する。察する能力は有史以来最高レベルなのだ。
しかも棒読み。そして短い会話を淡々とつなげる。この棒読み感と淡々感は演出だと思うけど、なんなんだろう、「ゴトーを待ちながら」の舞台や三好達治の詩なんかを思い出させるような感じ。達者な役者を揃えているんだけどな。全員が全員ワザとらしくてヘタクソに見えて、観ていて辛かった。
たぶん山田太一だからこれらは「狙い」だと思うし、こういう希薄なコミュニケーションから現代の何かを浮かび上がらせるつもりなのかもしれないが、今の視聴者はもっとせっかちなので、浮かび上がらせる前に観るのを止めてしまう可能性がある。現にうちの娘はもう観ない可能性大。んー。
伏線がいろいろ張ってあったので、山田太一的な驚きの展開が待っていそうではあるけれど、どうしようかなぁ、ボクも観るかどうか迷っている。ちょっとね。あぁでも加瀬亮がなかなかいいから観てみようかな…。
20世紀終盤を代表する脚本家といえば、市川森一も最近観ていないな。
「傷だらけの天使」が有名だし大好きだが、ボクが一番好きなのは「淋しいのはお前だけじゃない」。脚本原作を買ったくらい好きだ。主演した西田敏行の代表作だと思っているし、歌も彼の代表作だと思っている。
あの頃の市川森一みたいなドラマが観たい。
浅草演芸ホール「平成21年初席」
2009年01月07日(水) 8:32:21
去年の舞台納めは落語だったが、今年の舞台初めも結果的に落語になった。結果的に、と書いたのは、当初は行く予定がなかったから。
つい数日前に「東京煮込み横丁評判記」(坂崎重盛著)という本を読んで、なんだか煮込みが食べたくなり(というか大衆酒場に行きたくなり)、友人とまずは北千住に行ったのが事の始まり。
まず行ったのは言わずと知れた千住の名居酒屋「大はし」である。ただ、本に載っている「大升」「天七」「千住の永見」も射程に入れていた。本に載ってなかった「徳多和良」も行ってみたい。あ、「藤や」も。んー全部行ったら6軒のハシゴ酒になる。新年早々それもどうかと思いつつ、まずは「大はし」。
あー、やっぱりここの肉豆腐はうまいや。刺身もうまい。セロリや串カツもうまい。梅割りももちろんうまい。サービスのテンポも相変わらずのテキパキさ。気持ちいいなぁ。常連さんたちに囲まれて飲んでいるうちに腰が落ち着いてしまってミニ牡蠣鍋までもらってしまう。あぁ食が進むなぁ。ハシゴ酒気分が遠のくなぁ。
長居したい気分を断ち切って大衆酒場「大升」へ。
途中「天七」や「千住の永見」を通り過ぎるもほぼ満席だったので「大升」もヤバイか、と、覚悟していったらガラガラだった。でもボクたちが入って数分で満席に(ボクはわりと客を呼ぶ。思い込みかもしれないけどね)。後から来た常連さんに女将さんが「今日は本当にヒマだったの」と愚痴っているのを横で聞きながら、酎ハイと煮込み、ホルモン炒め、ミリン干しなど。いい店だ。雰囲気が大衆酒場の典型。楽しいな。
ただ、昨晩はなぜか、食は進むのにあまり酒が飲めなかった。頼んだ酎ハイもなかなか減らない。体調かな。まぁこういう夜もある。でもハシゴ酒はどうしよう…と思っていたら、落語好きの友人が「浅草演芸ホールで落語聞きたい」と言い出す。初笑いか!それは名案! と、タクシーに乗り込んだ。
折しも浅草演芸ホールは「平成21年初席」。10日までの正月寄席である。
朝9時から夜9時まで12時間、80人近い芸人が入れ替わり立ち替わり芸を見せる顔見世興行。四部構成なんだけど、それぞれのトリが林家木久扇、橘家圓蔵、三遊亭圓歌、三遊亭金馬。トリじゃないところにも小さんやら小三治やら正蔵やらの有名どころがズラリ。ひとり10分弱の持ち時間で落語やら漫談やらマジックやらを次々やってくれる。
8時前くらいに入ったので9時まで1時間強。春風亭正朝とぺぺ桜井と昭和のいるこいると大トリの三遊亭金馬が印象に残っているかな。持ち時間が短いので小咄が多いのだが、逆に正月の特別気分があって楽しい。いろんな芸人がいるなぁ。噺家も知らない人ばかり。これ、いろいろ知っていくと楽しいんだろうな。
正月三が日は満席らしいが、6日ともなるとわりとガラガラ。前の方に座って金馬とか間近で見るのもまた楽し。ちゃんとした劇場で聞く落語もいいが、小さい常設小屋で唾がかかりそうな近さで聞くのもまた違う趣がある。椅子が古くて腰が痛かったが、なんだか今年はいい年になりそうな気がしてきたよ。
あ〜楽しかった。また寄席に飛び入ろう。
三人集 〜談春、市馬、三三〜 @読売ホール
2008年12月28日(日) 13:50:44
落語を聞いてきた。
今年はいろんな舞台を見たが、年末の〆が落語というのもまたいいものである。
舞台納めは「三人集」と名付けられた寄席。人気若手3人の会である。立川談春、柳亭市馬、柳家三三の3人(出演順)。昼夜公演の昼の部で、昼も夜も違う演目な上に、三三は昼夜共に大ネタのネタ下ろしだ(「双蝶々」と「鼠小僧 蜆売り」)。一番若い三三がトリを務めて大ネタをする、ということからわかるようにほとんど柳家三三が主役の会である。三三は6月に独演会を見たこともあり、ちょっと応援中。
3人並んでの「口上」から始まったが、かなりくだけた雑談調。
三三に談春が絡むのだが、これがちょっとわざとらしい。いじり下手な上に目が笑っていない。今年は「赤めだか」(立川談春著)が大ヒットして、ボクも7月だったかに読んでいるが、読んだときに感じた違和感を思い出した。談春には独特の上から目線があり、何をやってもどこか説教になってしまう。この本、すごい評判が良かったが、ボクには全く合わなかった。なんでこんなに人気があるのかわからなかった。たぶん相性が悪いのだろう。だって「口上」での絡みを聞いているだけでどんどん違和感が大きくなるくらいだし。
その立川談春の「明烏」が始まった。
途中までは快調。おばさんとかならず者とかはとても良い。でも若旦那が可愛くない。生真面目な若旦那の変容がキーポイントなのにそこが色っぽくない。しかも大きな間違いを二ヶ所でした。落語初心者のボクでもヒヤッとするほどの大間違い。客席もしばし凍る。一回目の間違いは知らん顔で通した。二回目のは自分で間違えを認めて笑いに変えてくれてホッ。
と、なんだか談春を見る目がネガになってしまうのも相性かな。どうやっても上から目線に聞こえる見える。教えてやるよ、という姿勢が見え隠れするように感じてしまう。後で落語にくわしい人に聞いたら「あれはやはり談志の影響かな」とのこと。確かに談志は上から目線だなぁ。でも談志は談志だからなぁ。というか、同じ立川流でも志の輔には上から目線を感じないぞ。この違いはなんだろう。
とか考えながら、続いて柳亭市馬の「三十石」。
ネタ下ろしらしい。彼の大らかでほがらかなお人柄がまっすぐに出た好演。いい人なんだなぁ。ただ若干退屈で眠くなった。宿帳のところとか、もっと爆笑に持って行って欲しかった。舟唄はさすがにうまい。もっと別の演目を聞いてみたいな。夜の部では彼の十八番らしい「掛け取り」をやるらしい。聞いてみたかった。
仲入り後、柳家三三の「双蝶々(ふたつちょうちょう)」(上下)。
上下というのは、大ネタのネタ下ろしなので、体力気力ともに大変、ということで、構成を二部に分けたもの。その間に談春の「お楽しみ」というのが入る。
で、三三の「双蝶々」。これは良かった。人情物でちゃんと泣かせる。登場人物が多いのだが、それぞれの演じ分けが素晴らしい。特におっかさんがうまい。うまいなぁ。贔屓目もあるかもしれないが、今年で34歳にしてはうますぎる。というか、彼の弱みはその老成加減かも。老成しすぎ。ちょっと華がないのも損。でもうまい。
ただ、父親が息子のお金を受け取るに至る心理描写が描けてなかった気がする。そこは残念。
間に挟まった立川談春の「お楽しみ」は「権助魚」だった。
落語初心者としては、三三のしんみりした話の間に、しかも長吉が殺人をしでかしてしまった直後に、こういう大笑い物を挟まれるのはずいぶん興醒めなんだけど、こういうものなのかな。
談春の権助はとても良かった。でも「すぐに帰って」と旦那が言ってしまったのはネタばれで、これもミスじゃないかなぁ。なんか全体に集中力不足を感じた。
はは。また談春に厳しいや。
まぁフォローすると、彼のこのアクは、逆に年を取って枯れてくるとすごい味になると思う。いまは変にまとまらないで、ボクみたいな素人に嫌われているくらいがいいのかもしれない。逆にいまいい味が出ちゃっている三三の老年期が少し心配。落ち着いちゃわないといいなぁ。とか。素人感想。
ドゥダメルの余韻
2008年12月24日(水) 8:38:25
高知行きが間に挟まったが、相変わらずドゥダメルの余韻が長く、いまだ陶酔状態にいる。
クラシックは中学生のときから地道に聴いてきた分野なのだが、彼のライブを聴いて「クラシック全体への見方」が少し変わってしまった。浸っているのはその余韻かもしれない。
ここで「なにか『古いもの』が自分の中で壊れた」と書いたが、たった一度(正確には2回の公演)の経験でここまで大きく見方が変わるとは思わなかった。
当然「いったい何が壊れて何が変わったんだ?」と聞かれると思うが、実はまだ自分の中でまとまっていない。ただ、クラシックという分野がドゥダメル以前と以後では違って見えているという事実を知っているのみ。
んー、敢えて「感じ」を表現するなら、「オーケストラとビッグバンドの境目がなくなった」感覚。
いや、こう書いてしまうとライブのノリやスウィング感のみを指しているように思われちゃうな。そうじゃなくて、オーケストラ→ビッグバンド→トリオ→ジャズボーカル→ポップス→J-pop→歌謡曲→演歌、と、全部つながって見えてきた感じ。いま、チャイコフスキー交響曲5番と津軽海峡冬景色が同じ地平に見えている。なんじゃこりゃー。ちょっとビックリ。
たぶんいままでクラシックだけ違う場所にあったんですね、ボクの中で。
でもドゥダメルの構成力と表現力で、作曲者のイイタイコトというか「体温」みたいなものが明確に伝わってきた。「あぁこのプロダクト(曲)の向こう側にちゃんと生身の人間がいるんだ」と肌感覚で理解できた。その瞬間に、ジャズとかポップスとか歌謡曲とかの他の音楽分野とスパッとつながった感じ。もう少し延長すると、バレエや絵画や建築や映画や小説などの分野とも。
もちろん表現分野として、クラシックと絵画や小説の近しさは(頭では)わかっていたけど、それが肌感覚でつながったのは実は初めて。
そして。指揮者は「その人(作曲者)の良さを引き出して伝えるプロデューサーに近いんだ」という感覚も初めて持った。いままで「作曲者のイイタイコトを理解して(時にはそこに自分の解釈も織り込んで)的確&豊かに伝える役目」とだけ考えていた部分があったが、それだけではない、とドゥダメルを聴いてようやくわかった。引っ込み思案な彼らの良さを最大限に引き出して観客にプレゼンテーションするんだな。
いままでぼんやり理解していたことがサッとクリアになる瞬間。この知的興奮には浸らざるを得ない。しばらくとっぷり浸っていたい。あぁ極楽極楽。
ドゥダメル初来日公演2日日
2008年12月19日(金) 9:27:45
さて、前日の「いままで観たクラシック・コンサートの中で一番よかった」ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースだが、昨晩のコンサートはちょっとだけ残念な結果だった。いや、さすがに素晴らしいライブだったよ。とても楽しかった。ニコニコ。でも前日のが凄すぎて、それに比較するとちょっとだけ残念ということ。
理由はふたつ。
東京国際フォーラム(ホールA)がでかすぎたこと。音が全然ダメ&一体感が出なかった。そして大御所アーチストとの協奏曲だと「ボクが望むドゥダメルの良さが出にくい」こと。
入場前から、当日券売り場に倍賞美津子が並んでいたり、小澤征爾の姿が見えたり、もう心がウキウキ浮き立って仕方がなかった。
でも、会場に入るとあまりの巨大さに唖然。いや、過去に数回ここでライブは観ている。のだめコンサートとかピンクレディ復活ライブとか。でも、前日の東京芸術劇場の親密で一体感ある空間とあまりに違うのであらためてビックリした。不安がよぎる。ドゥダメルは一体感が命なのに…。
会場はすいていた。7割の入り。後ろの方は空席が目立った。5000席の巨大な箱だもんなぁ。とはいえユース・オケのためにも満席にしてやりたかったなぁ。
まぁポジに考えれば、ステージも巨大なので、オケも超巨大編成に出来ること。200人弱いたんじゃないか。1曲目のベートーベンはコンパクトだったが、マーラーはこれでもかの超巨大編成。ただ、その超巨大編成が必死に音をかき鳴らしても前日みたいに音圧が襲ってこない。音が拡散&霧散していく。マーラーの1番の終楽章はさすがの迫力だったが…。あぁこれを2000席の東京芸術劇場で聴きたかった。音の壁がカラダ全体にぶち当たってきて、マーラーなんか震えるくらい感動しただろうに…。
というか、世紀の来日コンサートの会場にここを選んだのは誰だ? 貴重な時間がぶちこわし。ほとんど罪。
1曲目のベートーベン「ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲」は端正な演奏。
大好きな大御所アルゲリッチは軽く流した感じ。弦のカプソン兄弟はフレッシュで良い。ドゥダメルはその脇役にまわり、正確に支えた。前日は第二ヴァイオリンの前に座っていたのでよく聞こえなかったが、第一ヴァイオリンの美しい音が際だっていた。よく揃っているしよく歌う。前日目立っていたコンマスが今日もよい。彼のリーダーシップがとても機能しているのが感じられる。
一曲目が終わっても、前日みたいなスタンディング・オベーションは出ず。いや、マエストロ小澤征爾がひとりでスタンディングしていたか。でも前日のような熱狂はない。選曲もあるが(前日はとても盛り上がる曲だった)、やはりドゥダメルもオケもアルゲリッチのバックに回った、という印象。まぁアルゲリッチみたいな巨匠とやるのは彼らとしても貴重な経験だっただろうからいいんだけど。でもアルゲリッチ好きのボクでも「アルゲリッチよりキミたち単独の演奏が聴きたいよ!」と思ったくらいだからなぁ。
1曲目の終楽章のラストを数分アンコールでやってくれて、アルゲリッチたちが下がり、休憩。
2曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」。
ほとんど暗記している曲なのでいろんな楽しみ方を出来たが、前日聴いた印象と同じ印象を今日も持った。細部まで構成が見える。楽譜が見えてくるような解像度なのである。これ、他のコンサートでついぞ感じたことのない印象なのだけど、なんなんだろうか。もちろんドゥダメルとシモン・ボリバル・ユースは猛烈に激しい演奏をしているのだが、全体がごちゃごちゃにならず各パートがすぅっと耳に入ってくる。クリアな解像度と遠近感。これがドゥダメルの天才たる所以なのだろう。
前日はチャイコフスキーで熱狂したが、今日は席が後方だったこともあり、ずいぶん客観的に聴いた。
ドゥダメルのマーラーは緩急の付け方がわりとユニーク。グググと溜めてパッと消費する。まずサビありき、な構成と感じた。サビで歌い上げるために序章やピアニシモをロマンチックに磨き上げている印象。
昨日「カラヤン以来」と書いて「カラヤンかなぁ、むしろクライバー的じゃない?」と疑問のメールもいただいたが、なんというか、カラヤンって「美しければそれでいい」という部分があると思うけど、ドゥダメルには「歌えればそれでいい」という感じがあって、そういう方向付けのハッキリした感じが少しカラヤン的だと思うのですよね。時代を反映して屹立するという意味でも。そういう意味ではカラヤンと同じようにアンチも増えるかもしれない。
クライバーは確かに近いけど、「歌う」は彼の技の一部分。目的ではない感じ。ドゥダメルは「いかに歌うか。歌うためにどう構成するか」を目的化している気が(いまのところ)する。CD数枚、コンサート2回から受ける印象だけど。そしてボクは彼のそういう部分が好き。喜びの歌。彼のそれを聴きたい。
終楽章はかなり盛り上がった。うねり、絶叫し、疾走する。観客も熱狂し、前日のような大歓声&スタンディング・オベーションとなった。ただ、前日の大熱狂よりは弱いかな…。とはいえ前日を知らない人は「こんなに盛り上がるクラシック・コンサートがあるんだ!」と驚いたと思うけど。
アンコールは「マンボ」のみ。ありゃ、2曲やらないのか。あ、もう9時半だからか。と、少し残念。ヒナステラの「マランボ」が大好きになっているボクとしては物足りず。
でも、一度舞台が暗転し、団員が全員ベネズエラ国旗カラーのジャンパーに着替えて演奏したのは良かった。演奏後はそのジャンパーを全員脱いで客席に投げるパフォーマンス。良いねぇ。今日だけで数千人のベネズエラ・ファンが生まれたと思う。
いずれにしても、前日の東京芸術劇場での2時間半がいかに「マジック」だったかよくわかった。それもこれもたぶん箱のせい。広島公演は昨日と同じBプロらしいが、小さい会場だったらいいな。あのマーラー、小さい会場で聴いたらきっと泣く。
あぁ。でも。それにしても。
ドゥダメルの初来日公演、2日とも行けて本当に良かった。たぶんこれから一生聴いていく指揮者だと思う。まだ27歳の彼がこれからどう成長して行くのか、リアルタイムで追えるシアワセよ(長生きしなくちゃ)。そして(特に初日の)歴史的ステージを体験できたシアワセ。ボリショイ・バレエに続く年末の大きな贈り物。ちゃんと受け取って活かせるかどうかは自分次第。
グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オケ初来日公演 初日
2008年12月18日(木) 7:51:56
昨晩、ボクは天才を目撃した。
グスターボ・ドゥダメル。
この人、21世紀を代表するマエストロになるのは間違いない。カラヤン以来の存在になるかもしれない。
というか、開いた口がふさがらなかった。
チャイコフスキー第5番。なんだこれ。え? これなに? こんなに熱くてエキサイティングで明るくて、でも繊細で正確で求心力のあるチャイコフスキー、一度も聴いたことがない。うねり、叫び、疾走する。なによりも聴いていて(見ていて)楽しい。
演奏後、口をぽかんと開けたまま、知らぬうちにスタンディング・オベーション。これほど自然かつ無意識にスタンディングしたのは生まれて初めてだ。
会場のほとんどがスタンディング。まるで欧米かのような歓声とブラボー。こんなクラシック・コンサート、観たことも聴いたこともない。コンサートというより「ライブ」である。
オケは10代20代による巨大編成なのだけど、それを見事にまとめきって一音たりとも置き去りにしない。すべてが有機的につながって、まるで楽譜が見えるかのよう。こういう経験も初めて。1曲目にやったラヴェル「バレエ『ダフニスとクロエ』第二組曲」の豊かなピアニシモ。2曲目にやったカステジャーノス「パカイグリグアの聖なる十字架」の陽気なフォルテ。両方とも初めて聴いた曲なのに、もっとずっと聴いていたいと思った。たいていクラシックで初めての曲だと退屈というか眠い瞬間があるものだが、それが一秒もなかった。
んー、もう他のクラシック・コンサートを観られなくなってしまうよ…。
グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの初来日「ライブ」は、君が代とベネズエラ国歌で始まった。
いきなりオケが立ち上がって演奏し始めるから何かと思ったら国歌を2曲。そして1曲目のラヴェルに移る。
これが絶品。まぁ巨大編成ということもあるのだが、まず音圧がスゴイ。その分厚い迫力。でも鈍重さは微塵もなく、軽快に駆け抜ける。駆け抜けているのに細部がよく聞こえてくる。こんなに大勢のオケなのにきちんと正確に揃っているのだ。揃った上での熱い表現。レベル高すぎ。ビックリした。よくここまでまとめたなぁ。金管木管とバイオリンのバランスが絶妙。ドゥダメルのリーダーシップの非凡さだ。なんというか、もう、ちびりそうだった。顔が自然と笑っていた。
席は前から二列目。舞台に向かって右の隅の方。オケを聴くには決していい席ではないが、ドゥダメルの指揮している顔を横からずっと見ていられるという意味ではとてもいい席。だって表情の豊かさがすごいのだ。表情で団員を乗せ、オケの一体感を作ってしまう。気持ちが団員に乗り移っていくのが見える。オケと非常に近い席だったこともあり、オケ目線で指揮者を見られたのも大きかった。もうね、ドゥダメルに団員が惚れてるわけですよ。その気持ちがよくわかる。オケの一体感は「ドゥダメルに対する一種の恋」から来ているな。
2曲目のカステジャーノス。知らないよ、この作曲家も曲も。でも、初めてなのに曲のカタチが見えてくる。なんだろう、この描写力。気持ちいいからずっと聴いていたくなる。素晴らしい質感と迫力。駆け上がり絶叫し静かに収まってまた熱狂する。フォルテが素晴らしいのは想像していたが、ピアニシモも抜群によい。滑らかでクリアで繊細。本当にユース・オケなのか。
もうこの2曲目が終わった時点でスタンディング・オベーションが止まらない。誰もこんなクラシック、生で聴いたことがないからだ。
休憩を挟んで3曲目「チャイコフスキー交響曲第5番」。
こんなのチャイコじゃない、と批判する人もいるかもしれない。ラテンすぎる、楽しすぎる、とかね。でもね、これはもう天才の技。ここまでうねり、絶叫し、疾走するチャイコを誰が作れる? しかも尋常ではない説得力。説き伏せられてしまった感じ。
序盤は品良くスローペースだったのだが、終楽章あたりから疾走&絶叫し始め、ボクはずっと口開きっぱなし。崩された。何か「古いもの」が自分の中で壊れた。ガガゴゴドビシュー。
コンマス(存在感抜群)とか笑いながら弾いているし、パーカッションたちも飛び上がる寸前。バイオリンも踊る寸前。こんなチャイコあるか? サビになるとオケ全体が揺れる。すごい音圧。音の津波を全身で浴びる。そしてまたドゥダメルの指揮ぶりの熱さ・楽しさはどうだ。跳ぶ、叩きつける、拳が天を差す。熱い感情を楽団員すべてに乗り移らせようとしているイタコのようであった。
日本ではついぞ聞いたことないレベルの拍手と歓声に包まれる。観客大興奮。
ドゥダメルはカーテンコールに出てくるたびに演奏者を数人立たせて褒め称える。12歳から26歳までの団員は照れくさそうに立ち上がる(このオケの尊い意味はこちらで書いた)。そこにまたすごい拍手と歓声とブラボー。ここは本当に日本? この人たちは本当に日本人?
そして。アンコール。
やるかもなぁとは思っていたが、ドゥダメルを知ったキッカケにもなった「マンボ」、そして「マランボ」の2曲をやってくれた。もう完全に暗記していたのでうれしすぎ。どちらもYouTubeにリンクしておいたので見て欲しい。この映像よりも実際はすごかった。生だとこの映像に音の厚さと団員の笑顔がつく。コントラバスは回るしバスーンは空を差す。空手のポーズも出る。マランボなんか、楽団員が好き勝手踊りまくる。勝手にステージ前方まで出てきて弾く弾く。
客は誰も帰らない。拍手が鳴りやまない。
ほぼ全員笑いながら手を叩いている。こんな楽しいクラシックは生まれて初めて。
ドゥダメルはいったい何度呼ばれて出てきたか。何度も何度も出てきて、ついに最後の最後、オケたちもさすがに全員ステージから引っ込んだのだが、ステージが空になっても客は帰らない。拍手も鳴りやまない。オケが引っ込んだのに拍手がやまないのは初めての経験。そしてまたドゥダメルがひとりで出てくる。それに釣られて、もう帰り支度してコートを着込んだ団員までステージに出てきたり(笑)。
昨晩、東京芸術劇場にいた人といなかった人。
人類はこのふたつに分かれるのではないか、と、そんなオーバーなことを思いつつ、帰宅。個人的にはこれは「事件」だ。いままで見た(聴いた)コンサートの中で一番良かった。
※NHKが収録していたので、いつか放映すると思う。偉い! NHK!
※※ちなみに今晩のチケット、まだあるみたい。アルゲリッチとドゥダメル。見逃すと人生の損。
ボリショイ・バレエ「白鳥の湖」@大阪
2008年12月16日(火) 7:53:19
あーあ、モリ(岩田守弘さん)もモスクワに帰っちゃったな。
ということで、土曜に観た「白鳥の湖」の感想を。
観たのは大阪のフェスティバル・ホール。50周年を迎える老舗のホールで、音がいいのでも有名。今月いっぱいで取り壊し、2013年に中之島フェスティバルタワーという複合ビルの中に復活するそうだ。味のある今のホールの雰囲気が少しでも残るといいな。
12/7に観たクリサノワとグダーノフがとても良かったので、今回の「白鳥の湖」も相当期待して観たが、王子役のシュピレフスキーがかなりダメだったのが残念。跳ばない。回らない。決まらない。このヒト、顔・スタイル・背の高さなどが抜群で、岩田さんをして「天は二物どころか三物与えるんですねぇ」と溜息をつかせたほどなのだが、うーん、ダンスに関しては疑問だなぁ。
そうそう、ボクの隣の席がボリショイ・バレエ芸術監督のラトマンスキーだったのだが、彼はシュピレフスキーのソロのとき、まったく拍手しなかった。他では拍手してたから、彼もかなりガッカリ気味だったのだと思われ。
オデット/オディール役のアレクサンドロワは、やっぱり異様にうまい。
でも、なんというかマッチョな白鳥で、どうにも哀しさが伝わってこない。逆に黒鳥は素晴らしかったけど、なんというか黒鳥というよりは鷹か鷲な感じ。猛禽類系の凄みがありすぎてちょっと怖かった。このヒトの踊りは大好きだしテクニックも抜群だと思うけど「白鳥の湖」は向いてないかも。
ベロゴロフツェフのロットバルトは良かった。彼が出てくるとシュプレフスキーのダメさが少し緩和されてホッとする。アレクサンドロワとの3人の踊りは素晴らしかったなぁ。
と、全体に7日に観た「白鳥の湖」より多少劣った印象だったのだけど(もちろん全体にレベルは異様に高かったのだけど)、その分、岩田さんの素晴らしさが目立った舞台だった。
ほんと、誰よりも高く、誰よりも速く、軸もぶれない。最後もバシッと決まる。観ていて「美しい」と溜息が出る。そこに大阪ならではの大拍手(超大拍手)が加わって大盛り上がり。東京の拍手と熱さが違う。ブラボーも乱れ飛び。「そこは拍手するとこじゃないから!」と思うようなとこでも大拍手(笑)
ボクは例によって涙。パブロフの犬か。岩田さんがすごいダンスを見せるたびに涙がじょぉぉぉ。友人として誇らしいのと、彼のいままでの孤独を想像して哀しくなるのとが混ざり合ったような、我ながら不思議な涙。
終わってから岩田さんと飲みに行って大拍手について感想を聞いてみたけど、それはそれは喜んでいた。でも、「なんか拍手がありすぎて、ダンスの出来に対する拍手というよりは、小さい子供に対する『岩田くーん、頑張ってー』みたいな応援の拍手に聞こえちゃって(笑)」と笑っていた。確かに身びいき的な応援の気持ちもいっぱい入っていた。「プロフェッショナル」を観て岩田さん目当てで初めてバレエを観に来たヒトもたくさんいたと思うし。でもそれはとてもいいことだ。
主要キャスト:
オデット/オディール: マリーヤ・アレクサンドロワ
ジークフリート王子: アルテム・シュピレフスキー
ロットバルト: ドミートリー・ベロゴロフツェフ
道化: 岩田守弘
細かいところでは、王子の友人たち役でクリサノワ、ナポリの王女役にゴリャーチェワ、ワルツのコールドでバラーノフが出ていた。それぞれ他の公演日には主役級を演じた若手である。
そうそう、第一幕第一場でいつもは弓矢が渡されるところでなんと日本刀が渡されるという細かいギャグがあった。
しかもシュピレフスキーはそれをサムライのように腰に差すアクションをした。横に座っていた芸術監督がクスッと笑う。あとで岩田さんに聞いたら「なんかね、公演も最後の方になると、そうやってふざけるやつがいるんですよ。必要ないのにヒゲを顔に描いたり」と、笑っていた。ま、わかるけど。しかし日本刀とは(笑)
んー、これで来シーズンまではバレエとおさらばかな。グリゴローヴィチ版じゃない「白鳥」をちょっと観てみたい気分なので、DVDとか、少し探そう。
満員劇場御礼座2008「踊る職員室」
2008年12月15日(月) 6:30:39
ということで、土曜に観た満員劇場御礼座「踊る職員室」の感想を。
ここ数年続いたオムニバス形式ではなく、2時間の長編もの。長編は「とりあえず、披露宴」以来かな。いや「不思議の国の田中」以来か。長編と言えば「弁護士 便剛史郎」とかも思い出される。おもろかったなぁ。「すちゃらか社員」や「係長・係長太郎」も。つまり最近は短編にチカラを入れていたが(その方が稽古がしやすいという事情もあろう←全員現役サラリーマンなので集まりにくい)、元々は長編が面白かった劇団なのだ。
脚本はあべの金欠(←ライス兄弟のライスたけおと同人物)。
2006年と2008年の公演「それは秘密です」の中に「献血記念日」という短編があるのだが、確か彼はこれを書いたヒト。この「献血記念日」って短いながらもとてもよく出来ていて、ストーリーの絡み合い方と結び方がとても上手だった。その時「あぁこのヒトは長編もきっと書けるなぁ」と思っていたのだが、今回の脚本もストーリーの絡み合い方のバランスがとてもよく、なかなかよく出来ていたと思う。まぁ敢えて言うなら直接ストーリーには関係ない大笑いエピソードみたいのが突発破綻的に入っていたりすると深みが出たかも。
満劇の短編は一発ギャグに近い部分もあり、いつも大笑いさせてくれるのだが、長編はそれだけではもたない。そういう意味で今回はいつもの満劇のような大笑いはなかったが、こなれた脚本と演出でクスクス笑わせてくれた感じ。サラリーマンによるアマチュア劇団だが、演技もみんななかなかうまくなってきて安心して観ていられる(途中何度かミスがあり、知り合いだけに心臓が止まりそうになったが)。しかしこんだけよく稽古したなぁ。尊敬してしまう。だってみんな相当激務の人たちだよ。
ボクは特に淀川フーヨーハイ(教頭役)のファンなので、彼の出番が多くてうれしかった。もともと主役をやっていたヒトだけど、最近は脇役にまわっていたのだ。彼はあんな情けない役をやっているが、本業ではクリエーター・オブ・ザ・イヤーを取ったほどのスター広告マン。まったくそんな気配を感じさせないところがスゴイ。でも彼の「ダジャレが逆上的に加速していく」という持ち芸が今回は出なかったのが残念。あれ、好きなんだけどな。
ちゅうことで、ボクはわりと好きでした。
爆発力はないけどほんわかしていてちょっと温かい気持ちになれる。不況のいま、こんな何でもないコメディが一番ホッとする。いい劇をありがとうございました。
あ、それと、会場で話しかけてくれた読者の方もどうもありがとうございました。長くお話しできなくてすいません。
同じく土曜に観たボリショイの「白鳥の湖」の感想は、明日。
共有できてシアワセ
2008年12月12日(金) 8:51:19
岩田さんの「プロフェッショナル」について、メールをたくさんありがとうございます(ホントにたくさん)。
みなさんと「岩田守弘」を共有できてホントにシアワセ。彼の存在をひとりでも多く知って欲しかったから。
ずいぶん前にも書いたけど、ここまで性格のいい青年をボクは他に知らない。純粋で素直でひたむきでまっすぐで謙虚。こんなオトコがたった独りでロシアという厳しいアウェイで闘っていることを、バレエファン以外にも知って欲しかった。あぁ紹介した甲斐があったなぁ。
土曜の夜も、一瞬だけど彼に会える予定(たぶん大阪フェスティバルホールの楽屋で)。もう彼を独占できなくなるけど、それがまたうれしい。モリ(岩田さん)がファンとかに囲まれている姿を見るのが好きなのだ。
昨晩会った人たちも「プロフェッショナル」を見てくれていて、岩田さんの話で盛り上がった。
金沢でお世話になった女性たちが観劇のために東京に来ていて、アフターシアターに会おうと誘ってくれたのだ。夜10時まで仕事をしたあと疲れ切って駆けつけたのだが、結局ふと気がつくと午前2時。いろんな話に花が咲いた。不思議だな。1年ちょっと前には縁もゆかりもなかった金沢に、いまではこうして知り合いがいて「今度はいつ金沢に来るんですか!」と責めてくれる。こうして人生は広がっていく。
彼女らはもうひとりのモリこと森崎博之くんのファンでもある。
こっちのモリも異様に性格がいい。性格がいい友人が近くにいると自分まで性格が良くなった錯覚に陥るから有り難い。ボクは友人が少ないタイプなのだが、その少ない友人にはとても恵まれている。
お、そうそう、友人といえば、友人たちが多数出演している満員劇場御礼座。
ボクもこの週末、大阪に公演を観に行くのだが、金曜と日曜はその名の通り満員御礼らしいけど、土曜の昼公演・夜公演にまだ若干残席があるらしい。関西近辺にお住まいの方々、いかがでしょう? くわしい内容とチケット入手先は以前書いたこの記事をどうぞお読み下さい。なんと主題歌がYouTubeに上がっているらしい。こちらもどうぞ。
ボリショイ・バレエ「明るい小川」@東京文化会館
2008年12月11日(木) 9:12:06
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中でも「新しい大役に挑む」として取り上げられていた演目「明るい小川」を観てきた。
もちろん岩田守弘さんも出演。
もちろん、って書いたけど、役を得る大変さは放映でも描かれていた通り。舞台上でたったひとりの東洋顔・東洋体型。しかも背が飛び抜けて低い。背が高いロシア人でさえも役を得るのは大変なのに、それだけ不利な状況を覆しての配役。すごいことだ。「日本公演だから役をもらえた」と思う人がいるかもしれないが、ボリショイはそんなに甘くない。「国の顔」なのだ。前回の日本公演では岩田さんは連れてきてさえもらえなかった。
放映で彼が悩む姿や必死の練習姿を見ていた演目を、放映の翌日に、生で観られるシアワセ。あぁあの振付だ!とかドキドキしながら観た。あのキスを投げる場面、練習よりずっと良くできていた。あれからも進歩しつづけたんだなぁ。会場からドッと笑いが起こる。これは贔屓とか応援とかではなく、虚を突かれて普通に笑った笑い。バレエでちゃんと笑いを取るって難しい。あれだけ高度なダンスを軽々こなしながらちゃんと笑いを取る。素晴らしいな。
弱みがちゃんと強みになっている踊り。その安定感と速さと高さ。空中滞在時間が異様に長い。ホントに38歳か? まったくすごい。目頭が熱くなる(またかよ)。
それはともかく、これ、岩田さんにとって当たり役かもしれない。とっぽくて胡散臭くて軟派なんだけど明るくて憎めない性格がよく表現できていたし、技術的な見せ所も充分。これなら40歳を越えても出られるんではないかなぁ。
終演後、楽屋を訪ねた。
今日はご両親もいたのでご挨拶をした(何度か自宅に遊びに行っているので知っている)。うれしそうだったなぁ。岩田さんが出てくる。ハグの順番待ち。ほぼ徹夜と会議だらけでフラフラの極致だったボクだが、彼とハグして固い握手した途端元気になった。出番を終えたばかりの岩田さんから溢れ出す誇りとオーラが乗り移ってくるからだろう。先ほどまでの疲れはどこへ?と不思議になる感じ。
あ、演目についての感想も短く書いておこう。
日本初演のこの演目、あまり期待しなかったんだけどとっても良かった。
第一幕から妙にコミカルな演技で「これは…はずしたかも」という感じだったんだけど、そのコミカルさに脳とカラダが馴れてくると、これが妙に気持ちよい。たわいもない喜劇なのだけど、見せ場も多く、実に可愛い。第二幕なんか、ボクの前に座った子供が大声で笑い続け。もうこっちに笑いが移るほどの大笑い。子供をこれだけ笑わせるバレエが他にあるだろうか。
しかしこの笑いもボリショイの高い技術力に底支えされているからこそ。コミカルな動きや演技を支えるダンスの素晴らしさ。圧倒的だった。マリインスキーやABTやパリオペラ座なんかの来日公演もよく観るけど、端役を含めた全体のレベルの高さに舌を巻き続けたのはボリショイだけ。特にこういう群衆ものは「熱い演技」のボリショイが群を抜いている。「踊りを見せる」の上にある「演技で伝える」ところまでちゃんと行っている(そういう方針を持っている)劇団だからだろう。
個人で言うと、ボクには超お馴染みのフィーリンがやはり良かった。この3月にボリショイを辞めちゃってダンチェンコ音楽劇場(モスクワ音楽劇場)の芸術監督になっちゃったんだけど、ゲスト・プリンシパルとして来日していたのだ。彼の出演舞台はいっぱい観てきたが、今回もとても良かったな。女装ダンスで異様に笑いを取っていた。うまいし花がある。もうボリショイでは踊らないかもなぁ。また踊って欲しい。カーテンコールでワシーリエフと肩組みながら出てきたのがなんか世代交代的で印象的だった。
ゴリャーチェワとオーシポワのふたり、とても可愛くて安定していて楽しげ。オーシポワの男装ダンスが素晴らしかった(第一幕でワシーリエフが踊ったのと同じ振付をやった)。7日の「白鳥の湖」は捻挫で休演(←岩田情報)した彼女だが、それを感じさせないダンスだった。ワシーリエフはちょい固かった。あとはシマチェフ(デブ役)が熱演。
主要キャスト:
音楽 : ドミトリー・ショスタコーヴィッチ
台本 : アドリアン・ピオトロフスキー/フョードル・ロプホーフ
振付 アレクセイ・ラトマンスキー
美術 : ボリス・メッセレル
音楽監督 : パーヴェル・ソローキン
指揮 : パーヴェル・クリニチェフ
管弦楽 : ボリショイ劇場管弦楽団
ジーナ (ピョートルの妻) : アナスタシア・ゴリャーチェワ
ピョートル (農業技師) : イワン・ワシーリエフ
バレリーナ : ナターリヤ・オーシポワ
バレエ・ダンサー: セルゲイ・フィーリン
アコーディオン奏者 : 岩田守弘
初老の別荘住人 : アレクセイ・ロパレーヴィチ
その若作りの妻 : アナスタシア・ヴィノクール
ガヴリールィチ (品質検査官) イーゴリ・シマチェフ
ガーリャ (女学生) : クセーニヤ・プチョールキナ
若手中心のキャスティング。若手中心の舞台ってどこか熱くていい。フィーリンも確か岩田さんと同じ38歳。このふたりがみんなを引っ張っていた印象の舞台だった。
作曲はショスタコーヴィッチだったんだなぁ。可愛い曲ばかりで意外だった。
リアルタイムで観られなかった(泣)
2008年12月10日(水) 6:06:24
あれだけ楽しみにしていたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の岩田守弘さんの回。でもリアルタイムで観られなかった(泣)。
というか、仕事が終わって家に帰り着いたのが午前3時だから話にならない。
夕食も食べられず、「あぁ今頃オンエアーしてるなぁ」と思いながらずっと会社で打ち合わせをしていた。世界でもトップクラスに放映を楽しみにしていた人間のひとりなのに…。
で、午前3時に帰り着いて録画を観ました。
やはり泣いた(最近そればっか)。万感胸に迫る。
このさなメモに書いたのは2002年のこの辺が最初かな。それからいったい何回会っただろう。会ってすぐ惚れて、ずっと自称ボランティア・マネージャー東京支部をやってきた。モスクワでお世話になったりもした。録画を観ながらその辺の記憶が走馬燈のように…。
で、興奮してすぐには眠れず、少し巻き戻して観たりして、ふと気づくと4時すぎ。あぁ朝7時には家を出て8時半には埼玉某所にいないといけないのになぁ。でもなんかめちゃめちゃ元気をもらったので2時間寝れば大丈夫(1日くらいは)。
それはともかく。たくさんの人が観てくれてたらいいなぁ…。
ボリショイ・バレエ「白鳥の湖」 @東京文化会館
2008年12月09日(火) 7:21:11
感想を書く前に。
今晩、岩田守弘さんがNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演します(放映ページはこちら)。
ここ5年くらい、私設マネージャー役をやってきたボクとしては、もう本当にうれしくて仕方がない。ずっと不当に無名だった彼にやっと陽が当たる! あぁ今晩が楽しみだ!
それと、NBOnlineに茂木健一郎さんによる岩田さんに関するコラムが出てました。これも是非。
と、お知らせしつつ、一昨日観劇したボリショイ東京引越公演「白鳥の湖」の感想を。
他の日ではザハーロワやアレクサンドロワも踊るこの舞台。実はザハーロワにそんなに興味はなく(モスクワでボリショイ・デビュー舞台の「ジゼル」を観て、なんとなく興味をなくした)、アレクサンドロワは大好きだけど何度か観ているし、じゃあ先物買いで、と、無名のクリサノワ主演の舞台にした。クリサノワは岩田さんと同じく第一ソリスト。これからの人である。岩田さんに聞いたら「テクニックはピカいち! でもまだ演技が若い」とのことだった。
王子はグダーノフ(これは安定感あり)、ロットバルトはコールドのバラーノフ(熱演!)。クリサノワとかバラーノフとか、比較的無名の若者が主演する舞台は大化けする場合があるが、この舞台もそんな感じに溢れていた。
というか、久しぶりに「白鳥」で泣いたよ。
美術と演奏(ボリショイ専属オケによる生)も素晴らしく、舞台もとても熱かった。
第一幕第一場はお世辞でも贔屓でもなんでもなく、岩田さん(道化役)が一番目立っていた。すごい速度の回転と安定したジャンプ。誰よりも速く、誰よりも高い。切れ味抜群。一度バラの花を落としたがそれもご愛敬。終演後楽屋を訪ねて「バラ、落としちゃいましたねぇ」とからかったら「そうなんですよー! 落としちゃって!」と豪快に笑っていた。
第一幕第二場の見せ場グラン・パ・ド・ドゥのアダージオではクリサノワが転ぶというアクシデント。
でも、この転びで会場は一気にクリサノワ応援モードに。クリサノワも開き直ったのかそこからの踊りがよくなった。最初はとても生硬だった。でもまぁオディール(黒鳥)はもうひとつだったかな。オデット(白鳥)の時は違和感なし。この「不幸が滲み出る感じ」はザハーロワとかにはない。見た目の問題とかもあって。
第一幕第二場ラストの歓喜の踊り(?)で一度目の涙(まぁこの踊り異様に好きなので)。
第二幕第一場の冒頭の岩田さんの踊りも素晴らしかった。オケの演奏もとてもよく、舞台はわりとノリノリに。ボリショイの熱さがよく出た舞台だった。これを観るとマリインスキーとかはやはりクールなんだなぁと思う。
エンディングは超悲劇的な演出。ハッピーエンドとかのエンディングもあるけど、グリゴローヴィチ演出のエンディングは暗いんだよなぁ。王子役のグダーノフは悲嘆のあまり倒れ込んでしまう演技。普通倒れ込むまではしないが、この演技は良かったと思う。ここで二度目の涙。
主要なキャストを書いておくと、
台本・改訂振付・制作:ユーリー・グリゴローヴィチ
美術:シモン・ヴィルサラーゼ
指揮:ハーヴェル・クリニチェフ
演奏:ボリショイ劇場管弦楽団
オデット:エカテリーナ・クリサノワ
ジークフリート王子:ドミートリー・グダーノフ
ロットバルト:ユーリー・バラーノフ
道化:岩田守弘
さすがボリショイ。熱さが違う。非常に出来が良い舞台だったので、もう一度観たいな。もうチケットとれないだろうけど、んー、もう一度観たい…。と、思ってたら、岩田さんが「13日から大阪公演です」と! 最後のフェスですか!(フェスティバル・ホールももう閉まる) あれ?そういえば13日は大阪にいる!(満劇を観に行く) んー、観たい! いまチケットを八方手を尽くして手配中!
ボリショイはあと「明るい小川」を観に行く予定。これは日本初演。とても面白いいい舞台らしい。まだチケット少しは残ってるみたいですよ、みなさん。生の岩田さんを観るチャンス!
天野祐吉著「広告も変わったねぇ。」
2008年12月01日(月) 5:28:15

僭越ながらボクも対談に登場させていただいている本「広告も変わったねぇ。 〜「ぼくと広告批評」と「広告の転形期」についてお話しします。」(天野祐吉著/インプレスジャパン/1764円)が、先週末から書店に並んでいます。
雑誌「広告批評」の社主としても、コラムニストとしても有名な天野祐吉さんが、広告業界の5人と対談したものをまとめた本で、対談相手は、順に、杉山恒太郎さん、中島信也さん、ボク、伊藤直樹さん、谷山雅計さん。
すいません。大先輩やスターたちの中ではっきり言って浮いてます。企画した出版プランナーの松永光弘さんに何度も固辞させていただいたんだけど、最終的には押し切られてしまいました。重荷だったなぁ。対談は8月。まぁ緊張した緊張した(→その日のさなメモ)。天野さんも後書きで書いているけど、モノローグの方が楽なんだよね。論を好きに展開できるから。でも対談は出たとこ勝負。人間の薄っぺらさも勉強の足りなさも全部出てしまう。怖い怖い。
ということで、あまり読まれたくない気持ちもありますが、書店で見かけたら手にとってみてください。
対談以外にもボクにとって「初めてのこと」がもうひとつあります。他人の本だし、専門分野の本だし、断り切れなかった。うーむ、という感じ。
TEAM NACS FILMS 「N43°」
2008年11月30日(日) 18:35:59
先週の火曜日に北海道の劇団「TEAM NACS」の全国フィルムツアー「N43°」に家族で行ってきた。
場所はお台場Zepp Tokyo。当然のように満席(立ち見もいた)。1階の最後列だったので舞台は遠かったけど、家族ともどもとても楽しんだ(家族はナックス大ファン)。
チーム・ナックスと言ってもまだぎりぎり知らない人もいるかな。大泉洋が所属する劇団と言えば少しはわかるだろうか。一緒にNYに行ったモリこと森崎博之くんがリーダーを務める5人組。安田顕、音尾琢真、戸次重幸も最近よくテレビに出ているのでわかる方はわかると思う。北海道では超人気劇団だ。全国的にブレイク寸前。というか演劇としては「いまもっともチケットがとれない劇団」と言われている。知らないアナタの方が悪い(笑)
このナックス、毎年演劇ツアーをするのだが、2008年は多忙のためそれが出来ないこととなり、かわりにメンバー5人それぞれが30分弱の映画を作ってそれを観てもらうツアーをすることになったわけである。映画を撮って編集し、5人がアフタートークのために全国ついて歩く方が大変なような気もするが、舞台は5人集まって稽古しないといけない分スケジュールが合わないんだろうな。映画はバラバラに撮れるし。
ということで、5本のショートフィルムを観た。順に、
「頑張れ!鹿子ブルブルズ!」 脚本・監督 大泉洋
「神居のじいちゃん」 脚本・監督 音尾琢真
「部屋クリーン」 脚本・監督 戸次重幸
「ヤスダッタ3D」 脚本・監督 安田顕
「AFTER」 脚本・監督 森崎博之
の5本。
そして上映終了後、5人が舞台に上がってアフタートークを30分強。これでたっぷり3時間。
映画の感想としては、まぁ呆れるくらいバラバラなテイスト。
ただ、よく観ていくと、それぞれが「5人の中での自分の立ち位置」を意識しているのがわかる。大泉洋は冒頭ということもあり「メンバーそれぞれの紹介」をメインにわかりやすい物語と笑いで構成。気遣い溢れた一品だった。音尾琢真はしっとり真面目に撮ってナックスのウェットな部分を品よく見せた。抑制の効いた映像で泣かせる泣かせる。戸次重幸はアニメとマニアックな演出でナックスの領域を大きく広げて見せた。実はなかなかの傑作。安田顕は異様なまでに個性的な作品に徹することで彼の役割を演じきった。自分の立ち位置をしっかりわかってそれをやりきるのって実はそれなりに高度な技。そしてラストの森崎くんはナックスのファンに対する熱いメッセージを軸に、リーダーらしくちゃんと美しい締めに持って行った。ナックス独特の「熱さ」を支えているのは彼だということがよくわかる。
5人それぞれが「自分の役割はこの辺だな」と無意識に了解している感じが良いなぁ。その仲良し具合がうらやましい。
映像として印象的だったのは音尾監督の「神居のじいちゃん」。
まず光の使い方が抜群。画がとても良かった。カメラマンの腕にも寄るが初監督作品とは思えない。脚本もとても良いし、夏八木勲を使ったのも(役者としての勉強的にも)とても良かったのではないかな。ああやってハードルを上げると思わぬギフトが手に入るもの。それと「ひなた」役の大野百花という子役がうますぎてゾッとした。この子は……すごすぎる。
戸次監督の「部屋クリーン」も強烈な作品。ボクは「ヤスダッタ3D」より強烈だと思ったな。とてもクリエィティブだし深い。「ちらかし」役の音尾琢真の怪演も素晴らしい。多少編集でつまみたい部分があるけど(ちょっと冗長)、ショートフィルムならではの良さがある。5本の中でショートフィルムフェスティバルに出すとしたらコレかも。
逆に「頑張れ!鹿子ブルブルズ!」と「AFTER」は長編、もしくは舞台向きの作品。
ナックスのいつもの舞台脚本が森崎博之で、来年の新作舞台の脚本が大泉洋なのを考えると、ふたりとも長編向きのストーリーテラーなのだと思う。ただ、こういうのを短編にまとめるのは相当難しい。映像的文法が必要だ。モリはさすがにその盛り上げをよくわかっていて安心して観ていられた。ただ少し楽屋落ち(ファン落ち)が多かったかな。大泉作品は「モリ、それ、どこに咲いてんの!」という戸次のアップと、崖を落ちていく縮尺が少し変な戸次が圧巻。大泉監督はこういう笑いに徹したらもっと面白い。
ヤスケン監督の「ヤスダッタ3D」は、ある意味一番「アマチュアの味」が出ている作品。疑似プロっぽく撮るのは意外と簡単なのに、敢えて素人っぽい方面に行った勇気を、ボクは業界人として理解する。これって高度な技だし、プロにはやれない難しい領域だったりする。
終了後のアフタートークは5人が舞台に出てのトーク。芸達者の集まりなので話はとても面白かった。
すべて終わったあと、モリを楽屋に訪ねたが、モリが大泉洋を紹介してくれ、娘は驚喜していた。娘相手にも異様にしゃべってくれる彼。サービス精神旺盛だなぁ。偶然ではあるが、ラーメンズの小林賢太郎が楽屋に遊びに来ていたのが個人的には驚喜(笑)。
ちゅうことで、来年春のTEAM NACS全国ツアー「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」が楽しみである。
いつものモリに替わり、今回は大泉洋の作・演出。彼の「頑張れ!鹿子ブルブルズ!」を見て、その周到な気遣いとサービス精神が悪い方に出なければいいなとは思うが、いい方に出たら相当面白いはず。楽しみ楽しみ。
小田和正ライブ@東京ドーム
2008年11月28日(金) 8:01:30
小田和正ツアー2008「今日もどこかで FINAL きっとまたいつか」@東京ドームに行ってきた。
席はアリーナ。東京ドームでのライブはいろんなアーチストで見ているが、ここまでアリーナ全域に張り巡らされたステージは見たことないな。メインステージから花道が四方に伸びてほぼ球場を一周している。
ボクはステージに向かって左側の真ん中あたりにいたが、花道を歌いながら歩いてくる小田和正が、一番近いときで5メートルの距離。というか、花道すら頻繁に降りて、普通の通路を歩きながら歌うので、アリーナに座ってた人はほぼ全員、数メートルの距離で「歌っている小田和正」を見られたはず。花道はフェンス間際まで行っているので1階席や2階席でも相当近かったと思う。そういう意味ではものすごくサービス精神旺盛なライブだった。
いつもは「歌いながら走り回る」らしいし、そのために花道が縦横に伸びているのだと思うが、リハーサルの時自転車で転倒して足を強打したらしく、「今日は走れません」と謝っていた。でも「キラキラ」の時には自転車に乗って球場のフェンス沿いを一周して歌った。それでもまったく息を乱さず歌う61歳。すごいよ。
チケットを取った方がいて一週間前に誘ってくれたのだが、行こうかどうか最初は少し迷った。
ボクはオフコースが相当好きで(→座右のCD)、学生時代には様々な想い出がある。特に初期のアルバムが好きで、ボクにとってのオフコースはいつまでも小田&鈴木のデュオなのだ。正式に5人になった「Three & Two」からはなんか違うバンドみたいな感じでそんなに聴いていない。いわんやソロにおいてをや。だから小田のソロライブを聴くのはちょっと違和感があった。違和感というか、想い出が壊されそうな恐れ。
その恐れは、ある意味当たったし、ある意味はずれた。
当たった部分は小田和正の怪人化。ボクの知っている彼とは別人。ただ、ある時期からの彼の「抜け方」は(ボクもある程度の歳になったこともあって)よくわかる。理解もするしリスペクトもする。カッコいいことがカッコ悪いと心底わかってしまい、それを実行に移してカッコ悪い自分を全面的に露出していったあたりは相当ハイブロウな成長過程だと思う。ライブ途中で彼が全国を回ってレポートする映像が流れたが、なんというか単なる変人。昔の彼のカタクナサを知っている身としてはホント別人。でもその成長はなかなか眩しい。
ただね。ボクの中ではね。小田和正っていう存在は1979年あたりで止まったままなのです。あの頃の彼はそれはもう繊細で透明でカッコよかったわけで。その彼を心の中で大事にしていたボクとしては、この違和感はなかなかに激しい。
恐れがはずれたのは歌唱力。
年齢を重ね、以前の数倍「心に届く」歌唱になっていた。想い出を壊すどころではない。きっちり重ね塗りしてくれてありがとう、という感じ。「思いのままに」「さよなら」「もう歌は作れない」「生まれ来る子供たちのために」「言葉にできない」「YES-YES-YES」「君住む街へ」。このあたりはちょっとうますぎて呆然とした。
曲の話をすれば、懐かしメドレーがやっぱりよかった。「あなたのすべて」をやってくれなかったのが残念だが、一番好きな「夏の終わり」をやってくれ、他に「眠れぬ夜」「こころは気紛れ」「風に吹かれて」「やさしさにさようなら」「言葉と心」とアコースティックギターで。良かったなぁ。
盛り上がったのはやはり「Yes-No」「ラブ・ストーリーは突然に」「キラキラ」の連続。新曲の「さよならは言わない」も良かったな。
ソロになってからの曲は、耳覚えはあるもののあまり知らない。でも大スクリーンに歌詞字幕が出ていたので、歌詞とともにじっくり味わえた。以前の小田和正の詞とは少し違い、ある種の飄々とした味が加わっていて、なんだか共感を深くした。年齢なりにわかってくるものがある。そこに響く。
新しいのも聴いてみようかな。土日にちょっと聴いてみよう。
そうそう、ライブの感想とは関係ないが、ステージを縦横に伸ばして球場を丸く使ったライブだったおかげで、アリーナの真ん中当たりにいると拍手の音をほぼアーチストと同じ感じで聞くことができる。おかげで東京ドームの満場の拍手を体感できた。感想は…、意外とすごくない。そっか、これが5万人の拍手か、と、脳味噌は感動しようとするのだけど、意外と拍手が遠いんだよな。なるほどこんなもんなのね。
アナニアシヴィリの赤ワイン
2008年11月25日(火) 7:55:11
ただの赤ワインではない。バレエ好き垂涎の赤ワインである。
逆に言えばバレエ好きでなければ何の興味もないかもしれない。かの大御所プリマドンナ、ニーナ・アナニアシヴィリの旦那さんが作っているグルジアの赤ワインなのである。日本では売っていない代物。というか、カベルネ・ソーヴィニヨンのスペルも普通ではない(普通はCabernet Sauvignonと書くが、これはCabernet Souvinionと書いてある)。アルコール度数も11.4%とカベルネにしては低い。珍品か!?
アナニアシヴィリは地元マスコミに「活力の源泉は?」と聞かれて「円満な家庭。正しい食生活。そしていいワインを飲むこと」と答えたらしい。そのワインは旦那が作ったもの、とも言ったとか。たぶんそれがコレだ。うーん稀少。岩田さんありがとう。
これはしかし……いつ飲もう?
無気力な休日 & 映画「ハッピーフライト」
2008年11月23日(日) 8:55:32
自分がどうかなってしまったのかと思うくらい無気力な休日。
連載原稿の〆切や、書かないといけない企画書や、やらないといけないプライベートな物事なんかが山積しているのだけど、もう本当にヤルキというものが数億光年ほど遠くに去ってしまっており、何にも手につかない状態。
ここまで無気力も久しぶりだ。落ち込むとかしんどいとかそういうのではなくて、純粋に無気力。生きている意味がないのではないかと思われるくらいの無気力。
このままだとどこまでも沈降しそうだったので、心とカラダを必死に奮い起こして映画に行った(映画に行けるくらいの気力がある人を無気力とは呼ばないと言われそうだけど、イヤ、ホントに必死に必死に必死に奮い起こした)。
たるい〜と思いながら検索して上映時間を調べ、たるい〜と思いながら靴を履いて、たるい〜と思いながら歩いて一番近い映画館へ。よくぞ辿り着いた。そのくらいたるかった。
観た映画は矢口史靖監督の新作「ハッピーフライト」。
前半に広げきってとっちらかったエピソードたちを後半に見事にまとめきった監督の力量に脱帽。広げきった分それぞれのエピソードが薄っぺらくなるし、客の描き方も類型的すぎて笑えなかったけど、無気力な日にこれほど最適な映画があろうか。軽快で楽しかった。役者では寺島しのぶがよかったなぁ。キャスティングうまし。
帰ってきてからも無気力でな〜んにもしなかったけど、心の奥の方にちょこっとだけ前向きな萌芽が感じられる。映画のおかげかな。この芽を大事にしよう。うん、創作ってこういうことでいいんだよな。ほんの少しだけヒトを明るい気持ちにさせること。
今日は後輩の結婚式&披露宴出席。昨日よりは無気力感がマシなので乗り切れそうだ。その後の仕事もなんとかなりそう。明日も休日出勤。それまでにもう少し芽を大きくしとかないと。あ、連載原稿、今日書かないと間に合わない! 披露宴で少し元気をもらってこよう。
岩田守弘さんが来た!
2008年11月21日(金) 17:50:16
モスクワから岩田守弘さんが2年ぶりに来日した。
このサイトを読んでいただいている人にはもうお馴染みとは思うが、ボリショイ・バレエ団唯一の日本人であり、第一ソリストでもある。今回はボリショイ・バレエ団の公演のための来日。「白鳥の湖」で道化役を踊る。うれしいなぁ。彼の道化は大好きだ。キレが違う。そして「明るい小川」という作品でも踊るという。これは復刻した演目らしく、非常に面白いらしい。
派手にハグした後のひと言目が「東京は暖かいですねー」だって。いや、ここ数日、異様に寒いんですってば。とはいえモスクワ在住の人に言われると説得力がある。寒い寒いと縮こまっている背筋が伸びる。ぬ。
とりあえず昼ご飯を食べよう!ということになり、ランチを一緒に。
おいしい白いご飯とお味噌汁、ちゃんとした焼き魚に良質なお漬け物という「おいしい和定食」の店に。とても喜んでくれて良かった。彼と話していると迷いがなくなる。彼みたいにまっすぐ生きていればいいんだ、と素直に信じられる。
彼はいま38歳。50歳までは踊っていたいと言う。そのときボクはほぼ60歳。何やってるかなぁ。お互いに想像しあう。そしてそのころ豪遊しようと約束し合う。彼に恥ずかしくない60歳を迎えなければ。
12月9日にNHK「プロフェショナル 仕事の流儀」のオンエアがある。
その日までは「知る人ぞ知る岩田守弘さん」。その日からは「ちょっと有名な岩田守弘さん」と変化する。変化する前の岩田さんとあと数回は遊ぶ予定。今日から名古屋に向かうらしいが(ボリショイの公演日程はこちら。公式ページの中の彼の紹介ページはこちら)、12月2日に東京に帰ってきて10日までは東京公演。楽しみ。
ビリー・ジョエル @東京ドーム
2008年11月19日(水) 9:27:46
昨晩はビリー・ジョエルのライブにひとりで行ってきた。
なんでも初来日から30周年を記念しての「一夜限りのスペシャル・ライブ」だったそうで、会場となった東京ドームは超満員。これだけ埋まった東京ドームのライブは初めてかも。ストーンズでも少し空席があるもんな。
2階席という劣悪な環境だったが(なのに1万円もする)、正面だったせいか東京ドームにしては意外と音が回らず、ちゃんとストレートに音が届いた。ビリーのボーカルもきれいに聴こえる。2階席ゆえ誰も立たないし、座ってじっくり聴けたのが良かったな。照明も凝っていたので遠いのもあまり気にならず。美しいステージだった。
ライブは「ストレンジャー」から始まった。
1977年に発売されたアルバム「ストレンジャー」を当時16歳だったボクは高いの顧みずすぐ購入。人生初の衝動買い。そして何百回と聴きこまれることとなる。当時は音楽ソースが少なかったから持っているアルバムはどれも何百回と聴きこまれる。その分、血となり肉となる。このアルバムと次の「ニューヨーク52番街」は針のノイズ位置まで覚えているくらい聴きこんだ。
そういうこともあり、冒頭からいきなり16歳に引き戻され、「あれから31年か…。いったい何をやり何をやらなかったのか」と来し方行く末を思索する時間に(笑) サービス精神旺盛の彼は、日本人に合わせた大ヒットパレード大会をやってくれたので(アメリカじゃ「オネスティ」なんかやらないと言うし)、過去の自分をゆっくり遡ることができる。ちょっと前なら「カラダはともかく心は16歳のころと変わらない」と言い切っていたと思うが、今はなんとなくそう言い切れない気分。何が自分の心から若さを奪い取ったか。
そんな「なんだかなー」気分に浸っていたら、ライブ中盤でビリーがギターを持ち、いきなりAC/DCの「highway to hell」をやった。曲をやる前、ビリーはステージに塩を撒き、「オーストラリアでは葬式ソングとして大人気な神聖な曲だ」と紹介した。そうそう、そのニュースはどこかで読んだ。それにしてもいきなりのAC/DC。葬式ソング。彼は、自分の過去を(そしてその大ヒットナンバーたちを)そろそろ葬ろうとしているのか、と深読みしてしまう。
さすがにAC/DCの高音は彼もでないらしく、歌ったのはジェイソンという裏方さん(たぶん裏方さん)。素晴らしい歌唱力。なんだかしんみりしていた気持ちがシャンとなる。
ライブは7時ぴったりに始まって、9時ぴったりに終わった。そういえば、このまえビリーのライブに行ったこの時も時間ぴったり始まったっけ。彼の性格かもね。
やったのはすべて大ヒット曲。全曲歌えるレベル。アンコールは「ピアノマン」。このあと「スーベニア」をやってくれると期待したんだけど、それはやってくれずあっさりと終わった。でも「ピアノマン」は熱唱で、思わずちょっと涙ぐんだ。途中でやった「ニューヨークの想い」「she is always a woman」もちょっと泣いた。
演歌な国
2008年11月18日(火) 12:28:07
昨晩は親戚が我が家を訪れたのだが、途中からなぜか演歌大会になった。
最初はジャズを聴きながら飲んでいたのだが、いろんな思い出話をしているうちに「演歌が聴きたい」とうちの父が言い出し、演歌まで幅広くカバーしているボクのコレクションから流したのである。
古いところだと「湖畔の宿」とか「圭子の夢は夜ひらく」とかからかけていったのだが、一番盛り上がったのは「津軽海峡冬景色」であった。オジサンたちは大合唱である。「北の宿から」と「舟唄」も盛り上がったな。って阿久悠ばっかりだ。偉大である。
今回あらためて相当真剣に「津軽海峡冬景色」「北の宿から」「舟唄」の3つを何度も聴きこんだが(何度も聴いたのか)、これらの歌詞に日本人の基本的心性はすべて入っているような気がした。ウェットで閉ざされていて自己憐憫的で、奥の方がわかりにくく熱い。こりゃオバマな国とは相当違う。あの国をうらやんだりマネしたりしないで、この独特の心性を活かした国作りをしていった方が本当はいいのだろう。いまのグチャグチャな政治状況も、久しぶりに演歌を聴いたらなんとなく納得しちゃったよ。とても演歌的ではないか。
とはいえ、そのうちこの3つの歌に感動できない世代も出てくるのかもしれないから、変化はすると思うけど、ボクの世代はまだ演歌的だな。そんなことを考えながら痛飲。ばったり。
満劇「踊る職員室」
2008年11月14日(金) 7:53:42
今日は宣伝。
ボクの大阪勤務時代の先輩や友人が多数所属している満員劇場御礼座(満劇)が2年ぶりに大阪公演をする。
満劇2008年歳末助け合い公演なんと会場はABCホール。定員327人の大箱だ。大丈夫なのか!? イヤきっとダメだろう(笑)。だから宣伝宣伝!
「踊る職員室」
12/12(金)13(土)14(日)全4回舞台は、とある私立高校の職員室。いつもと変わらぬ平和な日常を突然の知らせが切り裂く。「大竹先生が、痴漢で捕まったらしい…」 真相を巡って様々な憶測が飛び交う中、噂が噂を呼び、職員会議は大混乱。舞い踊る本音と建て前! 踊り疲れた先生達を待ち受ける事件の真相とは? この冬、満劇がABCホールを笑いと感動の渦に巻き込みます!(チラシより)
ただ、その面白さは(こっそり)保証する。
ボクは1987年から見ているが、一度も「はずしたなぁ」と思ったことがない。ちなみに最近2回の観劇さなメモはこれとこれ。読んでいただければ感じはわかると思う。
う〜今から楽しみだ。ボクも東京から「満劇を観るためだけに」大阪に行く。
ちなみにチラシ(PDF)にボクもこんな言葉を寄せさせていただいた。
「東京〜新大阪のぞみ往復28,100円の自腹がちっとも痛くない。でも笑いすぎて腹は痛い」
騙されたと思って一度いかがでしょう?
チケットは前売り3000円。ローソンチケット(TEL:0570-000-777、Lコード:55834)にて売っています。
小松政夫の生舞台
2008年11月12日(水) 8:15:29
ちょっと前だが、舞台「小松政夫 vs コロッケ 爆笑街道まっしぐら」を観た。新宿のシアターアプルにて。この劇場もコマ劇場とともに今年でオシマイ。
昭和最後のコメディアンだとリスペクトしている小松政夫を生で観たい!というのが行った理由。
予想通り「昭和の笑い」の連続で、はっきり言って「古い」のだが、そのテンポの遅い古さが逆に心地よく、昔のお茶の間感覚でダラダラとくつろいで笑い続けられた。そう、こういうおバカでくだらない笑いを欲していたのだ。満席の客席は60代中心。昭和時代にバリバリがんばっていた人々が大声で笑いながら観ている。こういうのイイな。
もともと昭和の笑いを舞台にするのが狙いだったらしい。なにしろラストは「電線音頭」なのである。
電線マンが登場し、金色スパンコールのジャケットを着た小松政夫がおたまをマイクに司会をこなす。客席からも数人舞台に上げ、「♪チュチュンがチュン、チュチュンがチュン、あソレ、電線にっ、雀が三羽止まってたっ。それを猟師が鉄砲で撃ってさ。煮てさ。焼いてさ。喰ってさ。ヨイヨイヨイヨイ、オットットット、ヨイヨイヨイヨイ、オットットット」と繰り返し踊るのだ。冷静に考えると「なんでこの程度のギャグであんなに笑えて、あんなに流行ったのだろう」と思うのだが、ふと気がつくとゲラゲラ笑っている自分がいる。あぁ「電線音頭」を生で観ちゃったよ。一生の思い出だ(ホントか)。
他にも「小松の親分さん」「知らない知らない!」「しらけ鳥」「淀川長治」「小森のおばちゃま」など、往年のギャグ満載。流行ったのは全部やったんじゃないかな。
コロッケがまた面白かった。
物まねの持ちネタ出しまくり。これがまた(当たり前だが)うますぎて大笑い。淡谷のり子、美空ひばり、鶴田浩二、フランク永井、ちあきなおみ、田中邦衛、五木ひろし、森進一、田村正和……。くわー。ホントうまい。こんなくだらない物まねなんかで笑うもんか!と脳味噌が抵抗するが、そんなハードル軽く飛び越えて大笑い。コロッケ恐るべし。彼の本質はこういう舞台かもしれない。客席の反応を受けてどんどん悪のりしていく。
後半の人情喜劇はあまりに「古い」演出でちょっと引いたが(脚本・演出はドリフターズでやってた人らしい)、舞台で小松政夫が演技をしているのを観ているだけでシアワセ。少し滑舌悪くなっていたし、ギャグのキレも悪かったけど、小松政夫はやっぱりイイな。リスペクト。2時間たっぷり、いい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
映画「おくりびと」
2008年11月02日(日) 9:26:46
遅ればせながら映画「おくりびと」を観た。
脚本の小山薫堂さんと少々おつきあいがあるので「なんとか時間を作って観ておこう」と無理矢理行った感じだが、観ておいて良かった。第32回モントリオール世界映画祭グランプリはだてじゃない。静かで小さくて温かくて、でも見えない奥底で嵐が吹き荒れているのが肌身で感じられる、そんな映画。その奥底の嵐が表面に出るか出ないかギリギリの表現になっている。ハリウッドにはできない抑制。
納棺師が主人公なので、映画は死で満ちあふれている。でも、これでもかと死を描くことで生の躍動を浮かび上がらせる、みたいな定型に陥っていないのがこの映画の大人なところ。死にも生にも客観的だ。ポンッと物としてそこに置かれた感じ。その解釈は観客に委ねられている。だから観客はそれぞれの体験に重ね合わせて観ることができる。うまいんだな、困ったことに。
前半は納棺師の説明と生活を丁寧に描き、観客をゆっくりその世界に沈めてゆく。あまりに淡々と順調にそれが進むので、後半どうやって話を収めるのだろうと心配になったくらい。
でもその静かなストーリーが見事にラストで結実する。納棺師として経験を積んでいく主人公の人生の過程が、実は自分自身の記憶を遡る伏線になっていた、という全体構成がラストのほんの数分で明らかにされるのだ。それがあまりに上手なので、ちょっとよく出来すぎているなぁ、とストーリーを離れてふと我に返ってしまったくらい(泣きながらであるが)。ギリギリのバランス。ただ、ラストのラストは少しクレバーすぎる印象を受けた。意味が与えられすぎて感情のかわりに脳味噌が働き出してしまう感じ。まぁ映画としてはこれでいいのだろうと思いつつ、もう少しだらだらと感情だけで泣きたかったかも。
滝田洋二郎監督とは2本ほどCMでご一緒したことがあるが(麻雀もしたことがある)、こんなに静かでキレイな映像を撮る人だったっけ、が正直な感想。いい意味でアバウトで明るい描き方が得意な人だと思っていたが、とても端正で静かなフィルムに仕上がっている。逆に監督のアバウトな明るさが、得てして暗くなりがちなこのテーマにいい方に作用しているのかも。映画の底流が妙に明るいのは彼のおかげかもしれない。
役者はそれぞれ達者。主演の本木雅弘にはただただ舌を巻く。見事な役者。唯一「生」の象徴として存在した広末涼子の美しさはこの映画の大事なポイント。キャスティングの勝利。山崎努と吉行和子、素晴らしい。意外と杉本哲太が効いていた。そして死体役の峰岸徹。つい先日亡くなったばかりなのでドキリとする。変な偶然ではあるが、話が深くなった。
薫堂さんの脚本は「参りました」という感じ。上記のように上手すぎると思わされたところはあったが、素晴らしいと思う。知り合いだけあって思わず知らず「ボクなら書けるか」という比較を心の中でしてしまうのだが、まぁ絶対書けないな(当たり前)。
ちなみに、薫堂さんだけあって、さすがに食事シーンがよかった(効果音もよかった)。食べるという営みを死と対比させて一段深く描いていた。死がテーマの映画なのに観ている間中おなかがグーグー鳴っていた。その点でもやられた感あり(笑)。
湊かなえ著「告白」
2008年10月31日(金) 8:40:16

湊かなえのデビュー作「告白」を読んだ。
第29回小説推理新人賞を受賞した短編「聖職者」を第一章にすえ、そこから第六章まで6つの連作で「聖職者」で提起した世界を展開させている。
その展開は様々な憎悪という感情で結びつけられており、憎悪という切り口で現代社会の綻びを描きあげている。各章のいろんな憎悪に直面するたびに読者は立ち止まらされ、途方に暮れるだろう。身につまされる部分もあるし違和感を感じる部分もある。読み終わって「現代日本は憎悪で構成されているのかも」と思わされるあたり、この作家の力量を感じる。
はっきり言って第一章「聖職者」は傑作だ。息を呑む。
女性教師の独白のみで構成されているのだが、ものすごい集中力と密度で語られる事件の衝撃たるや。その衝撃は第二章、第三章と告白者をかえて語られる。その語られ方が「核心にあえて触れない」絶妙な距離感ゆえ、非常にもどかしく、ページをめくる手が止まらない状況となる。
ただ、第四章から第六章までは無理矢理感が漂うな。
第三章まで展開した時点では絶妙であった距離感も、事件をおこした当人の告白が始まった時点で崩れ去り、ここから普通の謎解き&新展開になってしまう。周辺人物の語りのみで謎を呼びながら最後まで引っ張って欲しかったと残念に思う。ラストの第六章では第一章の女性教師の行動にも答えが与えられてしまい、小説全体が「薄く」なってしまった。もう、なんというか、ジタバタするくらい残念。この辺、編集者がもう少し誘導してあげれば大傑作になっただろうに。ジタバタジタバタ。
なんだろう、大傑作映画「エイリアン」が、無理矢理シリーズ化されて、二作目以降も面白いんだけど、なんか第一作目で終わって欲しかったなぁ…みたいな、そんな感慨に近い読後感。いや、とても面白い本なんです。新人離れした力量。構成力。ストーリーテラーとしてもなかなか。でも惜しい。とっても惜しい。そんな感想。
モリ、プロフェッショナル出演!
2008年10月23日(木) 9:01:15
ライブツアーのような旅の疲れに加えて圧倒的な睡眠不足が続いているが、相変わらずの早朝覚醒。2時に寝ようが3時に寝ようが5時とか6時に目が覚める。
朝早くに犬が騒ぐせいもあるけど、どうしてこんなに眠いのに目が覚めちゃうかなぁ…。その分、電車で座れたりすると即爆睡。クライアントの待合室でも即爆睡。いぎたなく数分の眠りをむさぼるワタクシ。この爆睡を朝にくれ。朝、あと2時間目覚めずにいることが、今一番の希望。
おとといの九州での講演の感想がメールでいっぱい届いた。ここ半年、40本以上の講演やレクチャーをやってきたが、ここまでいっぱい届いたのは初めて。なるほどあのくらいアジってちょうどいいのかも。講演って奥が深いな。ようやく入り口に立てた感じ。入り口に立ったら違う風景が見えてきた。
ボクの親しい友人にふたりのモリがいる。
岩田守弘と森崎博之。守と森。さなメモを普段から読んでくださっている方には両者とももうお馴染みだと思う。
で、守の方のモリ、ロシアのボリショイバレエ団で第一ソリストをやっている岩田守弘くんからメールが来て「11月に公演で来日!」とのこと。やった! めっちゃ久しぶり! 遊ぼう! しかもそのメールの文面に「先日NHKのプロフェッショナルという番組がモスクワに来て撮影をしていきました。11月28日にスタジオで撮影して12月9日に放送予定だそうです。お時間があったら見てくださいね」と(!)。
モリ、プロフェッショナル出演! マジ?
こんなにめでたいことがあるだろうか(泣)。最近聞いたニュースの中で一番めでたい……。あぁ、苦節数年、ようやくアウェイでひとり頑張っている誇らしい日本人、モリのことが全国に知られる……。ドキドキして超早朝覚醒しちゃいそうなほどうれしい……。
まだNHKの公式サイトにも出ていないので詳細はわからないけど、モリのブログにもそのことは書いてある。続報があったらここでもご報告しますね。
「風のガーデン」と「YOSAKOIソーラン祭り」
2008年10月12日(日) 8:14:41
倉本聰の新ドラマ「風のガーデン」を録画で見た。
富良野三部作最終章。
先日亡くなった緒方拳が普通にしゃべって普通に動いているのが不思議。遺作になるのかな。さなメモでは書く時期を逸したが、とても好きな役者さんだった。まぁこの人を嫌いな人はあまりいないと思うけど。いい作品にいっぱい出ているが、北林谷栄とがっぷり組んだ映画「大誘拐」がなんとなくすぐ頭に浮かんだ。あれはポスターが特に良かったな。
さて「風のガーデン」。
内容はともかく、途中で「YOSAKOIソーラン祭り」の話題が出てきて、一応セミファイナルの審査員であるボクとしてはオッと身を乗り出して見ていたのだが、なんだかいろいろ結びついておかしかった。
まず、脚本の倉本聰は「YOSAKOIソーラン祭り」ファイナルの審査委員長である。
ここで軽く説明しておくと、YOSAKOIソーラン祭りはチーム演舞の審査があり、一次審査で10位までに残ったチームがファイナル審査に進め、そこで優勝を争う。11〜20位はセミファイナル審査。ボクはセミファイナルの審査員だ。
倉本聰はファイナルの審査委員長を長く務めた。去年は名誉審査委員長になり審査には直接参加しなかったが、相当長く審査委員長をやっていた。
だから「あぁ北海道を盛り上げようとがんばっているこの祭りを励ます意味もあるのだろうなぁ」と思いつつ見ていたら、「旭川 北の大地」というYOSAKOIソーランでは有名なチームの一員として黒木メイサが踊っている場面が…。そうか〜リアルなチームを出してきたか〜、とか。でも「北の大地」というチーム選択はなかなかいい線ついてるな、とか。
そういえば、黒木メイサって去年、ファイナルのゲスト審査員だったなぁと急に思い出した。
なぜ突然黒木メイサがゲスト審査員?って驚いたのをよく覚えている。そこそこ売れていたけど、まだみんながみんな知っている存在でもなかったので、ゲスト審査員に何故呼ばれたのかがいまひとつわからなかったのだ。
いや、それどころか主演の中井喜一もゲストで来ていて審査員席に座っていた…(ただのゲストで審査には参加していない)。つまりこのころからこのドラマの脚本も配役も出来ていて(実際、ドラマに出てくるブリティッシュ・ガーデンは2年がかりで作られたというし)、打ち合わせなども行われていて、審査委員長である倉本聰のツテで彼らがゲスト審査員になったのかも、とか、いろいろ裏読みしながら見続けたのだ。
そうこうしていたら、黒木メイサ(白鳥ルイ役)に取材が入る場面で異様に通なセリフが(笑)
「ルイ、yosanet から取材!」だって。yosanetというのはYOSAKOIソーラン祭りのサイトを運営している株式会社だ。なんと通なセリフだ。わかる人、全国に数百人しかおらんぞ(笑)。しかも重要登場人物の名前が「岳」。←これはわかる人だけわかってくれればいいのだけど(というか一般的な名前なので偶然かもしれないけど)、それにしても倉本先生(面識はないけど)、いろいろ知ってるボクには妙に面白かったけど、えらくマニアックな脚本です!
ラスト挿入歌であるショパンのノクターンを聴いて、急にショパンが聴きたくなって、クレルに灯を入れアポジーを鳴らす。夏は暑くてアンプに灯を入れられない(アンプが暖房のように熱くなるから)。秋になりようやくメインシステムで聴けるようになった。平原綾香が歌うノクターンは何番だ? やはり遺作のヤツか、とか探しながら。
それはそれとして、YOSAKOIソーランといえば札幌。
札幌といえば、しあさっての新聞大会(笑)
パネル・ディスカッションのお励まし、たくさんありがとうございます。
特に新聞業界の方々からの「緊張する必要ないですよ。なぜならね…」という内部タレコミ的励ましは心強かったです(笑)。パネリストやコーディネーターをやったことがある方からのノウハウ・サジェスチョンも有り難かったです。
というか、パネリストは初めてではなく、2回目なのをいま思い出した。1回目はYOSAKOIソーラン祭り参加者フォーラムだった(笑)。あの時の聴衆は600人。話の内容がわりと受けて、客席から拍手が起こったのだった。そうだ、あのプチ成功体験を思いだしてイメージングしよう!
その人の癖の記憶
2008年10月07日(火) 7:30:08
夜中、気持ちのいい風に吹かれながらゆっくりゆっくり道を歩いていたら、iPodからaikoの「カブトムシ」。
もともと大好きな曲ではあるが、そのときの気分に妙にはまり、何度も再生した。
♪少し癖のあるあなたの声耳を傾け
深い安らぎ酔いしれるあたしはカブトムシ
癖のある、と聞くとこの歌も思い出す。
♪夕焼けに小さくなる癖のある歩き方
ずっと手をふり続けていたい人
癖というと、同じユーミンのこの歌も思い出す。これはユーミンの中で一番好きな歌かもしれない。
♪青いエアメールがポストに落ちたわ
雨が染みぬうちに 急いで取りに行くわ
傘を頬で押さえ 待ちきれず開くと
癖のある文字が 切なすぎて歩けない
その人の癖の記憶って、どうしてこんなに切ないのだろう。
そんなこと考えつつ、いつしか見知らぬマンションの階段に腰をかけてボンヤリしていたワタクシ。すっかり不審者。
ワタシの休日
2008年10月06日(月) 7:36:59
土曜も仕事で、夕方から夜中まで企画会議だった。すっかり休日出勤体質になってしまったが、まぁこの2ヶ月が終わればそれも落ち着く。
胸の圧迫感もまだ取れず、全体に疲れていたせいか、昨日の日曜はずいぶん寝た。相変わらず早朝覚醒で5時台に一度起きるのだが、朝ご飯後また眠る。いや、昨日は睡眠というよりはずっと寝ころんでいたという方が正しいかも。
本を数冊。椎名誠「『十五少年漂流記』への旅」、デュラン・れい子「一度も植民地になったことがない日本」、山田あかね「まじめなわたしの不まじめな愛情」、ジミヘン「おやじのための自炊講座」、吉田豪「元アイドル!」。ジャンルばらばら。読んでは寝て、寝ては読む。まぁ極楽なんだけど、なんだか疲弊した。特に「まじめなわたしの不まじめな愛情」の登場人物の心を追っているうちに虚無感が襲ってきたのが痛い(笑)。一人称で露悪的描写が続くのでなかなか大変。恋愛の砂地獄に気持ちがいきなり引きずり込まれ、心の柔らかい部分を晒されてしまう。そういう意味で秀作。
砂地獄から脱出するために、サイトを本にした(同志!)「おやじのための自炊講座」や、天才インタビュアー吉田豪の本なんかを読むが、どうにも抜け出せない。うーむ。山田あかね、人の休日をどうしようというのだ(笑)
砂地獄気分から抜け出せないまま夕方に起き出して久しぶりに「おいしい店」の更新作業にとりかかった。なんとなく。ほぼ気まぐれ的に。というか砂の中から自分を救出するために。
ちょこちょこ作業しながら、ふと思いついて数えてみたら、250店以上更新が溜まっていることに気がつき発狂。メモは残してあるのだが、こんなに溜めては意味がない。地道に少しずつ書いていこうと思うが、1日10店も書いても1ヶ月くらいかかるよ(泣)
でもホントはこんな悠長な作業をしている場合じゃないんだな。
企画、ディレクション、原稿校正、原稿〆切、座談レジュメ、講演予習など、火急の用件がたまっているのにまったく終わっていない。やばいかも。でもまぁ深刻に考えないことにする。ストレスが胸に来ている気がするし。なんとかなるさ。きっと。たぶん。
というか、来週は三連休だ! そこに先延ばしできる作業は全部先延ばししよう! と、火急の用件を見て見ぬふりしつつ、更新作業を続けたワタシの休日。
ポール・ニューマンが亡くなった
2008年09月28日(日) 11:50:49
ポール・ニューマンが亡くなった。83歳。
ボクは中学時代、アメリカン・ニューシネマと呼ばれた作品群が好きでそればかり名画座で追いかけていた。「俺たちに明日はない」「卒業」「イージー・ライダー」「真夜中のカーボーイ」「いちご白書」「ファイブ・イージー・ピーセス」、そして「明日へ向かって撃て!」。
特に「明日へ向かって撃て!」は異様に好きで、何度も何度も観た(またこれがよく上映していた)。暗記したくらい観た。その後ビデオも買ったしレーザーディスクも買った。ほぼアタマに入っちゃっているのでDVDを買う予定はない(というかDVDというメディアもそのうちなくなるだろうし)。
この作品でのポール・ニューマンが好きだった。意外と作品に恵まれてない人で、特にその飄々とした良さが出ている作品が少ないのだが、「明日へ向かって撃て!」の彼は人柄の良さが滲み出ていて良かったな。
「明日へ向かって撃て!」、とっくに座右のシネマコーナーに書いていると思ったがまだ書いてなかった。思い入れが強すぎて書けなかったのだろう。また再開したら書こうと思う。
彼の娘さんと仕事をしたことがある。
ハンク・ジョーンズを迎えて撮ったCMのジャズ・ボーカリストをやってもらった。さっきからそのファースト・ネームを思い出そうとしているのだが思い出せない。ポールお父さんが設立した会社「ニューマンズ・オウン」を手伝っている傍ら、シンガーも地味にやっていたのである。お顔もわりと地味で華はなかったな。でも歌は上手だった。
1997年、目黒の「蔬菜坊」にハンクさんと彼女を連れて行った。板の間の渋い店に最初は喜んでいたふたりだが、そのうち足がつらくなったらしく、ずいぶん居心地悪そうにしていたっけ。彼女を目の前に「うわー、ポール・ニューマンの愛娘と飲んでいるんだなぁ」と何だか呆然としたのを覚えている。暗記するくらい観たあの映画に出た彼と血がつながっている人が目の前にいる感慨。そして一緒に菊姫を飲んでいる不思議。
ちなみにそのCMシリーズ、次の歌手はニール・セダカの娘を歌手に迎えた。娘シリーズと言われたものである(彼女の名前は覚えている。デラ・セダカだ)。デラはとても魅力的で華があったが、いまは何をしているだろう。アマゾンだと「アイム・ユア・ガール・フレンド」というのが出てますね。でも鳴かず飛ばずかな。
文楽「豊松清十郎襲名披露公演」そして竹本住大夫の講演
2008年09月08日(月) 7:16:23
国立劇場第164回文楽公演を観てきた。
演目は「近頃河原の達引 四条河原の段・堀川猿廻しの段」「吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露口上」「襲名披露狂言 本朝廿四孝 十種香の段・奥庭狐火の段」。
昨日「闘う三味線」を見て自分の中に流れを作っていたこともあり、いままで観た中で一番ワクワクした。
ただ、見どころを浄瑠璃語りと三味線とのせめぎあいに自己設定した分、いままでで一番忙しい観劇となった。語りを聴き、三味線とのせめぎあいを聞くだけでも精一杯なのに、舞台では人形遣いたちが迫真の演技をするからそっちも観たいし、字幕も読みたいし、イヤホンガイドの解説もちゃんと聴きたいし、と、とにかく忙しいのである。
特に派手な見せ場が多い「奥庭狐火の段」は忙しかった。豊松清十郎と桐竹勘十郎が演じる、キツネが憑いた八重垣姫の動き。これがまた面白く、目は舞台に釘付けに。でも竹本津駒大夫の語りと人間国宝・鶴澤寛治の三味線も気になる。その一方で、字幕とイヤホンガイドで言葉を追わないと筋や見どころを見失うし、もう何がなにやら。眠くなっている暇がなかった。
しかも襲名披露公演なので出演している人たちがスゴイ。
「堀川猿廻しの段」では人間国宝のふたり竹本住大夫と竹本綱大夫が連続で語り、「本朝廿四孝」は人形遣いのオールスター出演で、人間国宝のふたり吉田簑助と吉田文雀が演じ、三味線で人間国宝の鶴澤寛治が弾いた(楽しみにしていた鶴澤清治は夜の部への出演だった)。
他に好きなところでは豊竹嶋大夫、桐竹勘十郎も出演。知らなかったところでは、猿回し与次郎をやった桐竹紋寿も良かった。「襲名披露口上」では前列にずらりと竹本文字久大夫、桐竹勘十郎、吉田簑助、豊松清十郎、竹本住大夫、鶴澤寛治が並ぶという豪華な舞台。それぞれの口上が聞けて楽しかったな。
朝11時に始まって15時前まで。4時間充実して楽しんだ。
まぁド素人ゆえ、変な楽しみ方をしているかもしれないが、きっと文楽好きの誰もが通る道だろうと思う。こうして演者を知り、知っている演目を増やし、語りや三味線のポイントを知り、と、ゆっくり詳しくなっていくのだと思う。ただ、今は人間国宝も多くて充実しているが、どなたもご高齢である。ゆっくりしている暇はないかもなぁという危機感もまたある。
特に竹本住大夫など84歳だ。
元々この人の語りは好きであったが、「闘う三味線」を見てすっかりファンに。そのうえ昨日は贅沢なことに終演後に彼の講演を聞くことができ、もうファンクラブがあったら入ろうかというくらい好きになってしまった(笑) でもあと何年彼の浄瑠璃を聴けるのか。もうあまり時間がないかもと焦ってしまう。
竹本住大夫の講演は、第一部終演後、15時すぎから国立劇場裏の伝統芸能情報館の3階の小さな部屋で行われた。
チケットを斡旋してくれたギリークラブ主催で80人ほどの聴衆。予定では1時間のはずだったが、「いやもう出番が終わると疲労困憊やねん」とおっしゃりつつ興に乗られたのかどんどん話が展開し、結局1時間50分しゃべりっぱなし。最後の方では「こんなに長時間立ちづめで話をして、お体は大丈夫なのか」と聴衆がざわざわ心配しだすくらい。主催者の渡辺さんもハラハラしていた。
でも、有り難かったなぁ。
もうそこに存在して話してくださるだけで有り難い。しかも話が異様に面白く、80人の聴衆は笑ってばかり。5分おきにドッとくる感じ。このままテレビに流してもイケルくらい面白い。舞台を見ているようだった。
今日やった「堀川猿回しの段」の解説や裏話はもちろん、笑いや泣きの演じ分けも実演してくれた(それぞれ顔自体が変形し別人になるのが見事だった)。
でも聞き所は彼の様々なボヤキ(笑)。もうおかしくって笑ってばかり。あとは薬師寺の高田管長とのエピソードやら教訓やらも良かった。文楽についてのトリビアはそれはもう有り難いものばかり。「文楽はもともと大阪のもんやから、語りも三味線も大阪弁やないとあかん。なのに最近は訛っとる(東京弁っぽくなっている)」ということは何度もおっしゃっていた。三味線の音も訛っているらしい。
聞き終わって「とにかく努力が足りない!」と強く思った。
84歳で人間国宝の彼ですら、こんなに毎日勉強し、少しでも上達しようと必死になっている。それに比べて自分は相当甘い。広告も文筆関係も。忙しさを理由にいろいろ怠けている。できる努力を怠っている。性根をたたき直された気分。
生きている世界は相当違うが、久しぶりに目標とできる人生の先輩を見つけた思い。
次に東京に公演に来るのは来年2月だと言う。大阪まで追っかけで観に行こうかな…。大阪には文楽仲間がたくさんいるしな(笑)。終演後いろいろ話し合えたらどれだけ楽しいか。
闘う三味線
2008年09月07日(日) 8:40:57
ずっと見忘れていたNHKのハイビジョン特集 「闘う三味線 人間国宝に挑む 文楽 一期一会の舞台」を見た。
2007年6月24日に放映されたもの。大阪のバー「パイルドライバー」で借りた。文楽三味線の第一人者、鶴澤清治(62)と浄瑠璃語りの名手、人間国宝の竹本住大夫(82)が、難曲「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」を巡って激しいしのぎを繰り広げる日々を描いたドキュメンタリー。
三浦しをん著「仏果を得ず」を読んでからこれを見ると、いろいろなことがものすごくよく理解できる。もともと浄瑠璃語りと三味線は合わせて演奏していくものではなく、お互いが突っ走った上で「合っていく」もの。そのせめぎ合いが本と映像の両方で理解でき、一気に文楽の楽しさを増幅してくれる。文楽理解の超近道。鶴澤清治の自分との闘いも見事なら、竹本住大夫の自分を削る日々も見事。
というか、名人たちの懊悩と、たった一回の公演に対する念入りな準備、浄瑠璃語りと三味線の奥深い駆け引きなど、もう見ていて圧倒されることばかり。名ドキュメンタリーだ。「第24回ATP賞テレビグランプリ2007」にて総務大臣賞を受賞したというのもよくわかる。そういえば一度レクチャーを聞いたことがある竹本文字久大夫が怒られまくっていた。稽古の鬼の運の竹本住大夫も、食らいついていく竹本文字久大夫も、妙に美しい。ラッキーなことにDVD化もされているようなので、文楽とか芸に興味のある方は必見だ。
もともと、初めて文楽を観たときから、人形遣いよりも義太夫語りの方に目が釘付けになっていたボクである。浄瑠璃語りの世界は興味津々だ。初体験で竹本住大夫を経験できたのがラッキーだが、それから数回、まだ語りにしか耳がいかず、三味線の音まで追えてはいない。でも次回はそこを中心に聴いていくと思う。あぁ楽しみだ。
って、次回というのは実は今日。これから文楽公演を観に行くのだ。国立劇場。
竹本住大夫も鶴澤清治も出演する。しかも終了後、竹本住大夫のレクチャーにも参加できる。シアワセすぎ。もういつ引退してもおかしくない人であるゆえ。
演目は「近頃河原の達引 四条河原の段・堀川猿廻しの段」「吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露口上」「襲名披露狂言 本朝廿四孝 十種香の段・奥庭狐火の段」である。
行ってきます。
ロードショー休刊
2008年09月05日(金) 7:01:41
中学高校と毎月必ず買っていた雑誌「ロードショー」が休刊する(09年1月号で)。
いや、少しウソついた。雑誌「スクリーン」と両方毎月買っていたのだが、途中から「スクリーン」一誌だけ買って「ロードショー」は立ち読みで済ませていた。「ロードショー」派と「スクリーン」派があって、ボクは「スクリーン」派。「スクリーン」の方が映画レビューが本格的で写真もマニアっぽかった。「ロードショー」は途中から少しミーハー系に偏っていったのでボクは離れたのだった。ま、でも、必ず毎月読んでいたのは間違いない。
「ロードショー」と「スクリーン」は表記も微妙に違っていて、たとえば、たしか「ロードショー」はオリビア・ハッセー、「スクリーン」はオリビア・ハッシーみたいな感じ(逆だったかもしれない)。
一時期、本当にむさぼるように読んでいて、次の号が出る頃にはほぼ暗記していたくらい。それが今のボクの映画知識の基礎になっている。ああいう「情報が少なかった時代」って貴重だったな。情報が少ないからむさぼるように摂取して血肉にした。今の子は情報洪水にさらされているからあんな読み方はしないだろう。
街に出ればビデオ・レンタル屋に無数に映画DVDが並んでいて手軽に観られるなんて、あの頃からは考えられないくらいシアワセなことだ。中学高校のときの「映画飢餓感」と言ったらなかったもの。名画座かテレビでしか旧作が観られない。でもいつでも何でも観られるっていうのは、その環境が普通な人にとってはフシアワセなこと。ボクたちみたいに「もう二度と観られないかもしれないから食い入るように必死に観る」なんて情熱は、今の子は持てないだろう。その分、血肉にもなりにくい。
同じように一時期むさぼるように読んでいた雑誌は「ステレオサウンド」。これも血肉になったなぁ。1990年前後のハイエンド・オーディオ系知識はほぼ完璧だった。その後の流れはいまいち把握していないが、今年の春に秋葉原のハイエンド・オーディオ店にたまたま行ったとき、店員とえらく話があった。「お客さん、20年前くらいのモデルに異様にくわしいね!」って。まぁお互い懐古趣味がよく合ったのだ。
閑話休題。とにかく「ロードショー」。「スクリーン」を含めて、よく覚えている記事はいっぱいある。誌面構成や写真と共に、ページを目の前に再現できるほど。エッチな映画(と言っても今考えれば可愛いものなのだが)の写真入り記事なんか特に(笑) もう過去の雑誌なので休刊は残念ではないが、なんか自分の青春時代がまたひとつ終わるようで寂しくはある。
あの頃、他に毎月必ず買っていたのは「明星」かな(笑)。中学高校時代は歌謡曲マニアだったし芸能界好きだった。
やっぱりここでも「明星」派と「平凡」派があって、ボクは圧倒的に「明星」派だったなぁ。これは内容というよりは誌面デザインの差。「明星」のデザインが好きだった。あと、ピンクレディ・マニアだったので「近代映画」もたまに買っていた。他には「GORO」と東京情報誌「アングル」かな。「ぴあ」もたまに。覚えてる範囲ではそんなもん。どれもこれも濃く読んだ。読み捨てなんてとんでもない、って感じ。読み捨てするようになったのはいつのころからか。そのころから血肉になるような読み方も捨てていった気がする。
岸勇希著「コミュニケーションをデザインするための本」
2008年09月04日(木) 8:16:57
ボクも一応コミュニケーション・デザイナーを名乗っているのだけど、ずっと若い(20歳くらい若い)彼の方がこの分野では先達だと思っている。先達リスペクト。なにしろもうコミュニケーション・デザインが服を着て歩いているような男なのだ。日本にはまだ数人しか本当のコミュニケーション・デザイナーはいないと思うが、彼は確実にその先頭を走っている。
そんな彼が書いた本だ。この分野の「決定版」と言える。草稿の頃から読ませてもらっているが、解説の丁寧さ、事例の豊富さ、想いの熱さなど、図抜けている。広告への情熱や未来への展望もひしひし伝わってくる。広告を生業としている方なら必読だ。生業としていなくても、広告の最先端にワクワクしたい方は是非。
ちなみに、後輩の本だからってオススメしているのではない。それなりにこの分野をよく知り、日々悩み苦しんでいる人間として、どう考えても「決定版」としか思えないからオススメしている。
ボクの本「明日の広告」との違いは、ボクの本は入門・基本編で、この分野を知らない人、広告業界自体を知らない人にもわかるように書いたつもり。それに対して彼の本は実践・応用編で、じゃあ実際にどうすればいいのか、がくわしく豊かに書き込んである。同じ部だけあって論旨展開はほぼ一緒であるが、より現場的に役立つのは彼の本だと思う。
まぁ敢えて言うなら、ボクの本を先に読まれてからこの本を読まれるとより理解が深まる、とアピールしておこうかな(笑)。ボクの本をすでに読んでくださった方なら、あの本の趣旨を実際の仕事に落とし込んだらこうなるんだ、というのが、豊富な事例とともにわかると思う。
というか、この2冊を読まれてしまうと、我々の部の手口がほとんど白日の下に照らされることになってしまうので、競合上ちょっと困るかも、というのも本音。まぁ本に書いた内容は書いた瞬間に古くなるので、知られても大丈夫なのだけど。うちのグループには本こそ書いてはいないが舌を巻くくらい優秀なコミュニケーション・デザイナーが他にも何人もいて、日々新しいことやっているし。
ちなみに、専門書なのでいままでご紹介してこなかったが、一緒に働いている螺澤裕次郎くんが共著で書いた「Webキャンペーンのしかけ方」、同じく一緒に働いている中村洋基くんが共著で書いた「Webデザインの『プロだから考えること』」もよい機会なのでご紹介。専門書なのですべての人にはオススメできないが、2冊ともとても参考になる良書だと思う。
劇団四季「CATS」
2008年08月17日(日) 8:52:56
いったい何年ぶりだろう。劇団四季の「CATS」を家族で観てきた。
たしか、ニューヨークで1回、日本で劇団四季のを1回観ているお馴染みの舞台。劇団四季のは1980年代後半だったか。グリザベラ役を久野綾希子がやっていた記憶がある。そのときのラム・タム・タガー役が山口祐一郎だった気がするが、違ってるかもしれない。
つまりボクにとっては3回目の観劇なのだが、ムスメに「CATS」を観せておくのもミュージカル好きの親の義務だろうと思い(そうか?)、チケットをとった。前半終わってムスメは「ストーリーがよくわからない…」となにやら悲しげ。ボクもほとんど20年ぶりくらいに観るので場面場面を見事に忘れていた。何の予備知識もなく観ると確かに少しわかりにくいストーリーだ。
でも、休憩を挟んで後半はなかなか盛り上がり、最後はムスメもとても楽しんでいた。
久しぶりに観たキャッツだが、セットはさすがだし、ダンスもなかなか見事(ミストフェリーズ役の岩崎晋也がうまかった)。でもこんなにわかりにくいストーリーだったかなぁ。なんかグリザベラが天に昇っていくのも、昔はもっと納得出来た記憶があるのだが、今回は妙な唐突感あり。演出も(仕方ないとはいえ)やはりちょっと古く感じる。〆のネコ賛歌も蛇足っぽい。ミュージカルを代表する名作であることにかわりはないが、ここ数年ブロードウェイに通っている目で見ると全体に物足りない印象。
それにしても、劇団四季は20年前より格段に層が厚くなり、歌もダンスも相当うまくなっている。全国各地でいろんな公演を並行してやっているのだから、このレベルの人たちが数百人単位でいるわけだ。すごいな劇団四季。子供の頃に劇団四季でミュージカルに触れてこの道を目指す人もきっと増えているだろう。そういう意味で、日本のエンターテイメント界の普及・底上げ・レベルアップにどれだけ貢献しているかわからない。
が、逆に劇団四季しかメジャーがない今の状況も寂しいものがあるのも確か。実質的に「ミュージカル=劇団四季」では、若者の職業選択肢として狭すぎる。もうちょっと選択肢が増えて、エンターテイメント界を目指す若者が増えると楽しいのだけどな。
金本アニキ!!
2008年08月14日(木) 6:54:38
ボクに対する期待値が高すぎる仕事が次々と飛び込んできて、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらヒーヒー仕事をしている昨今。ついに処理能力を越えようとしている模様。本業の本なんか書くのも考えものだ。魔法使いか何かと思われる。新しいコミュニケーションなんて試行錯誤の連続で、トライ&エラー&エラーなんて普通なのに、すぐ正解が出てくると思い込まれている。んー。ただひたすら辛いんですけど。
と、まぁ自らへのプレッシャーのきつさと忙しさを嘆きつつ、無理矢理にでも遊びの予定を入れるのがボク流。
昨晩はすっごい久しぶりに家族で野球を観てきた。阪神巨人戦。東京ドーム。当然3塁側阪神席。阪神は5連敗中だったようだが、ボクが応援に行って負けたことがないので、まったく心配せず仕事終わりに駆けつけた。ドームに着いたのは4回表だったかな。
進行の早い試合で、8時すぎにはもう9回。1対1のまま延長へ。
で、延長10回表。ノーアウト・ランナー1塁2塁で打席に金本知憲が立ったのだった。
実は、ボクが応援に行くと延長10回で阪神が劇的に勝つ、というジンクスがあって、以前は日本シリーズで2日連続、10回に劇的な勝ち方をした(こちら参照。そのうち一回は金本のサヨナラホームランだった)。今回もそうだったら凄いなぁ、金本ならやりかねんなぁ、と思いながら大声出して応援していた。
そしたらさ!
打ったよ、金本アニキ!!
ライトスタンドに見事な3ラン。すげー! 格好ええー!
これで観戦3回連続で延長10回で阪神の勝利。これって珍しくない?
無理して観戦しに行って良かった。ムスメもほぼ初めてのナイター観戦に喜んでいた(2歳のころ甲子園球場の阪神戦に連れて行ったことがあるが覚えていないらしい)。ほぼ初ナイターで金本の劇的ホームランを見られるなんて、どんな強運なんだ!
というか、金本、すごいなぁ。大きな期待にきっちり応える。5連敗の重い雰囲気を一振りで一掃する。
と、こういう話の展開だと、「そういう金本の姿に、仕事のプレッシャーが少々きついくらいで泣き言を言う自分を猛省し、明日へのやる気に奮える」とかいう流れになりそうだけど、野球が終わってすぐ仕事の電話やら企画書作成やらしているうちに金本のホームラン効果もすぐしぼみ、ヘナヘナヘナ。
最近よく思うけど、発散や気分転換の有効期間がやけに短くなってきた実感がある。長持ちしない。旅行行っても、おいしいもの食べても、昨日みたいにいいもの見ても、昔なら数日から数週間は「明日もがんばろう!」とか思えたのだが、最近はヘタすると数時間しか持たない。時の流れがどんどん加速している感じ。生きにくい時代だなぁ。うつ病をはじめ精神的に罹患する人が増えるのもよくわかるなぁ。
大日本プロレス「リア王」観劇(観戦?)
2008年08月08日(金) 8:42:20
知り合いの映像ディレクター八代眞奈美さんが演出をやっているということで、シェークスピアの「リア王」を観てきた。出演者はすべてプロレスラー。おもろそー。どんな舞台になるのだろう…。ちょっとワクワクしながら横浜赤レンガ倉庫3階ホールへ。
会場に入ったら、これがなんと、リングのみ(笑)
客席はリングを囲っており、舞台というより完璧にプロレス観戦だ。どうやらプロレスラーが「リア王」をやるというより、「リア王」の設定を借りたプロレス興行の模様。ま、どちらにしてもクレイジーですっ飛んだ素晴らしいコラボ。おもしろいこと考えるなぁ(記者のレポートや対談などこちらで読めます)。
しかも席はリング前2列目。こんなかぶりつきでプロレス観るの初めてだよ。ちょっと怖い。
あまりプロレスは詳しくないし、観るのも中学生以来。だから出演者に思い入れもないし背景もわからないのだが、背景とかわかるとめちゃめちゃ面白い設定らしい。
グレート小鹿という大日本プロレスの重鎮(?)がリア王。彼が大日本プロレスの王位継承として3名指名する。ゴネリル谷口(谷口裕一)、リーガンWX(シャドーWX)、コーデリア伊東(伊東竜二)。でもうまくおべっかを言えないコーデリアはリア王の怒りを買い追放。ケント井上(井上勝正)とフランス帝王(MEN'Sテイオー)とともに去っていく。でもゴネリルやリーガンはリア王を疎ましく思っており…。といった具合。
リング上で、上記ストーリーに沿って、プロレスラーがマイクを持ってセリフを言う。というか「なんだこのヤロー」状態でいがみ合う。そこに唐突に「青コーナーより○○選手の登場です!」と音楽がなってレスラー入場。王位継承者のチームとそれに対抗するチームが闘い合う。という演出。音楽と照明も凝っているうえに、リア王のストーリーが意外とプロレスにしっくり来ていて面白い。
舞台上では、ゴネリルが敗れ(1試合目)、リーガンが敗れ(2試合目)、敗れたリーガンにも邪険にされてリア王が狂い、死んでしまう。ここで休憩。リング上に蛍光灯の祭壇が据えられる(知らなかったが大日本プロレスは蛍光灯バトルが名物らしい。蛍光灯を武器にして血だらけデスマッチをするのだ)。
休憩後の第4幕。リア王の死により、大日本プロレスは滅び去ったように見えたが、最後にコーデリアが出てくるんですね(3試合目)。で、蛍光灯を使った血だらけデスマッチへ。蛍光灯の破片とか血とかがバラバラ飛んでくるので、「ひえ〜」と後列へ避難しながら観る。つか、演劇を観る気分で来ていたのでいきなり血を見ると驚きも倍増。痛そうすぎ。リングに飛び散った蛍光灯の破片の上に叩きつけられるのってさ…。
ま、それはともかく、最後、コーデリアも敗れ去るんだけど(この辺、勝敗とストーリーは関係ないらしい)、大日本プロレスへの愛を語り、なぜか生き返っているリア王も「まだまだ死ねねぇ」と叫び、大団円(笑)
おもろかった。なんか妙な楽しさがあり、プロレスの良さも久しぶりに実感。
同行者たちとワハハと笑いながら会場を出て、とりあえずビールを飲もう、と、中華街の「山東」で水餃子&ビール。シェークスピア悲劇とプロレスとと血とバラと笑いとビール。いーね!(←CKBのケンさんっぽく)。
バレエ「エトワール・ガラ2008」観劇
2008年08月07日(木) 8:52:07
昨日は朝一から40分刻みにたくさん打ち合わせがあり、疲労の極致。
元々は1時間刻みだったのだが、ひとつのクライアントで2時間近く費やしてしまい、他にしわ寄せ。しわ寄せちゃった方々、すいません。でもその分、集中した。40分あれば相当のことが出来る。
で、際限なく続くと思われた打ち合わせの波を18時で無理矢理打ち切り、オーチャードホールに駆けつけた。
パリ・オペラ座バレエ団のエトワール(星:オペラ座バレエの最高名誉階級)を中心としたダンサーたちによるガラ公演「エトワール・ガラ2008」である。今年はアナニアシビリ+ABTを見事に見逃していたりして、バレエ欲が異様に高まっていたこともあり、ようやくスッキリ。あぁ楽しかった。
出演予定だったレティシア・プジョル(見たかった)、エルヴェ・モロー、ジェレミー・ベランガールがそれぞれ怪我で来日できなくなって、そのかわりに来日したのが、マニュエル・ルグリ(!)とメラニー・ユレル、マチアス・エイマン、アレクサンドル・リアブコだった。
というか、ルグリは彼一人で客を呼べる超大物。そんなルグリが代役で来てくれるなんてすごいラッキーである。彼は最後の一曲しか踊らなかったが、生チェロに乗って「どの瞬間もちゃんと絵になる高度に安定したダンス」を見せてくれた。ルグリ先生、さすがの安定感。
他に印象に残ったのは、エレオノラ・アバニャート、「思いがけない結末」の時のマリ=アニエス・ジロ(「メリー・ウィドウ」はいまひとつだった)、そしてマチュー・ガニオ。
エレオノラ・アバニャートの「椿姫」は、そのまま続けて全幕観たいと思ったな。ダンスもいいが、なにより演技がいい。表情の作り方がダンサーのそれを越えていた。あと、ボリショイ贔屓のボクとしてはルンキナをもっと褒めたいのだが、ルンキナは昨日は精彩を欠いたなぁ。
備忘録としてプログラムとキャストを。
・「ハムレット」第2幕より
シルヴィア・アッツォーニ/イリ・ブベニチェク
・「ジゼル」第2幕より
スヴェトラーナ・ルンキナ/マチアス・エイマン
・「椿姫」第1幕より
エレオノラ・アバニャート/バンジャマン・ペッシュ
・「メリー・ウィドウ」※世界初演
マリ=アニエス・ジロ/マチュー・ガニオ
・「ラ・バヤデール」第1幕より
スヴェトラーナ・ルンキナ/バンジャマン・ペッシュ
・「ロミオとジュリエット」第1幕より
メラニー・ユレル/マチュー・ガニオ
・「思いがけない結末」※世界初演
マリ=アニエス・ジロ/イリ・ブベニチェク
・「ベラ・フィギュラ」
シルヴィア・アッツォーニ/アレクサンドル・リアブコ
・「カンツォーニ」※日本初演
エレオノラ・アバニャート/バンジャマン・ペッシュ
・「バーンスタイン・ダンス」
アレクサンドル・リアブコ
・「ダンス組曲」
マニュエル・ルグリ
「エトワール・ガラ」は2005年にも観ている。その日のメモを見てみると、来てる人はずいぶん共通しているな。
ガラ公演はもともとあまり好きではないのだが(ストーリーがあるものの方が好き)、モダン・ダンス系をやってくれるのはうれしい。昨日も「思いがけない結末」「ベラ・フィギュラ」とかでかなり発散した。前者のジロとか、まさに神。ダンスとして目が離せないどころか、そのしなやかな融通無碍さが心の奥にきっちり棲みついた感じ。キレイなダンスはたくさんあるが、心に棲みつくようなダンスはめったにない。
宮崎駿の「あー面倒くさい」
2008年08月06日(水) 8:13:46
札幌からの帰り便の出発が、羽田空港周辺の雷雨・豪雨で遅れ、東京に着いたのは午後10時すぎ。着いた頃には雨は上がっていた。晴れ男(笑)
ちょうど札幌に行っていた一日の間、東京は豪雨だったらしい。いろんな事故や被害が報じられるのを帰ってから知った。長く停電した地区もあったようですね。停電と聞くとすぐ阪神大震災での体験を思い出し、阪神大震災を思い出すと「こういう豪雨の最中に大地震が起こったらどうなるだろう?」とアタマが勝手にシミュレーションを始める。豪雨×大地震はかんべんしてほしいなぁ。
というか、豪雨というより、そろそろ「これはスコールなのだ」と考え始めた方がいいのではないか。
もう体感的には亜熱帯である日本の夏。スコールが定期的に起こっても不思議ではない。先月にインドやタイやシンガポールの人を相手にレクチャーしたことはここでも書いたが、そのときに「今日の東京はものすごく暑いけど、実際のところ、お国と比べてどうなんですか? やっぱりインドとかシンガポールは今日の東京よりずっと暑いですか?」と聞いてみたのだ。そしたら「almost same」と返ってきた。そう、東京の真夏はインド並みの暑さなのだ。もう亜熱帯的自覚を持ち始めた方がいいのかも。
札幌に行っていて東京にいない間に仕事でトラブルが続出したのだが、8月は後半に夏休みをとることもあって仕事の予定がギッチリ詰まっており、対応も後手後手になる。
うんざり&面倒が続き、消えていなくなりたい衝動と果てしない疲労感に苛まれたが、家に帰ってからたまたまNHKの「プロフェッショナル」を見ていて、宮崎駿が絵コンテ考えながら「面倒くさい。あー面倒くさい面倒くさい面倒くさい」とつぶやくのを見て、なんだか立ち直った。これほど名声を得て、これほど人に求められ、待ち焦がれられ、感動を与えている人が、死にたいほどの「うんざり&面倒」に襲われている。これは逆説的でもあって、「あそこまで行ってすらそうなのか」という絶望にもつながりかねないのだが、昨晩は「いずこも同じ。とにかく進め。それでも進め」という気分になった。
そうそう、おとといくらいにトップページのカウンターが2500万を突破した模様。ありがとうございます。
それと、今発売中の雑誌「プレジデント」(2008.8.18号)で見開き2ページ出ています。出ているというかインタビューされてそれをライターさんが書き起こしてくれた記事が載っている、というだけですが。「達人に学ぶクライアントの落とし方」みたいな特集の3番目「アイデア立案」の部分。P80です。
夏の歌
2008年08月04日(月) 6:35:32
だらだらとネットを眺めていたら「『夏の歌』カラオケ人気楽曲ランキング」みたいな記事があって、
1位 夏の日の1993 class
2位 夏祭り Whiteberry
3位 何も言えなくて…夏 JAYWALK(J-WALK)
4位 夏色 ゆず
5位 真夏の果実 サザンオールスターズ
という順位だった。
2位以下は知ってる(口ずさめる)が、1位を知らん。「夏の日の1993」? class? んー?
いまは便利だからそのまま座ったまま曲を購入できる。1分後にはiTunesでその曲を150円で購入。さっそく聴いてみる。んー、やっぱ知らんかった。1993年のヒットというからボクは32歳。あの頃の歌は知ってるはずだけど何故か抜けていたらしい。いずれにしても、ちょっと40代後半には歌えない歌詞だ。青い(笑)
夏の歌ねぇ。
ボクは20歳の夏に大瀧詠一の「A LONG VACATION」が発売された、という最強の人生を送っているので、別に他には何も望みません。充分シアワセだ。
あ、サザンの「熱い胸騒ぎ」が17歳の夏とか、達郎の「FOR YOU」が21歳の夏とかいうのも最強。この3枚の超傑作サマーアルバムがリアルタイム&ドンピシャに青春の夏にリリースされてくる人生ってどうよ。
ついでに言うと、レイニーウッドの「青い瞳のステラ 1962年夏…」が19歳の夏で、稲垣潤一の「夏のクラクション」が22歳の夏で、スタレビの「夢伝説」が23歳の夏で、TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」が25歳の夏だ。これらもボクの中でタイミング的に最強。
振り返ってみると、ボクにとっての夏の歌は男が歌うことが多いな。
まぁ、人生的に負けるとすると、ビーチボーイズの「サーフィンUSA」とかでリアルタイムの夏を過ごしている世代の夏には負けるかも。これはうらやましい。ええと、いま65歳とかそこらの方々ですね。この辺の方々はベンチャーズやグループサウンズもリアルタイム。これはなかなかにうらやましい。
映画「崖の上のポニョ」
2008年08月03日(日) 19:00:13
ムスメとふたり、ジブリの新作「崖の上のポニョ」を観てきた。
子供向き映画だねーとか、つっこみどころ満載ーとか、いろんな感想が聞こえてくるけど、ボクはわりと絶賛だな。傑作だと思う。
この映画は大人の目で観てはいけないと思う。ただただ宮崎駿監督の想像力をありのまま受け入れればいい映画だ。これに比べると「トトロ」ですらかなり説明的に思えてくる。そのくらい感性のみで観たい映画。ストーリーすら少し邪魔になる。
というのも、実はいろんな伏線や意味づけがなされているストーリーではあるのである。
宗助は夏目漱石の「門」の主人公の名前からとってるという(彼は奪った女性と崖の下でひっそりと暮らす)。ポニョの本名ブリュンヒルデはワーグナーの「ニーベルングの指輪」から来ている(つまり宗助はジークフリートでもある。波の上の疾走の時の音楽はほとんどワルキューレの騎行だった)。ポニョが入るの嫌がったトンネルは「千と千尋の神隠し」に出てきた異界への入り口だ。
この3つを結びつけて考えるだけで、なかなか恐ろしいストーリーなのだが、他にも、夢かなって走りだすおばあちゃんたちはどう考えても死の世界の隠喩だし、小舟に乗った赤ん坊連れの若夫婦はまるで古き良き昭和の亡霊のようだし(ちょっとさつきとメイの父母のようだった)、船の墓場は出てくるし、助かった人々が乗っている船も精霊流しのようだったし(つまり死人の群れ)、ゴミだらけの海は巨大魚や古代魚によって浄化されてしまうし(王蟲?)、題名でわざわざ「崖の上」を強調しているのは「崖の上の一軒家だけ生き残ってあとは沈んで死滅したこと」を言い表している気がするし…。
と、ストーリーだけを深読みしていくと、決してハッピーエンドな映画ではないと思われたりするのだけど、その辺すべてうっちゃって、「ポニョ、ソースケ、好き!」と叫ぶポニョの可愛さに笑っていればいい映画なのだと思う。実際、結末はちょっとシアワセの涙が出た。頭で小難しく考えたことより、その涙の方をボクは信じたい。
というか、映画館にいた子供たちは(もちろんムスメも)上記のようなくだらない見方をせず、単純に楽しんで「おもしろーい!」と言っていた。ムスメは「ジブリで一番好きかも」と言っていた。それでいいのだ!(合掌:赤塚不二夫さん)
ちなみに、毎回なかなか唸らされる声優を起用する宮崎駿監督だが、今回のヒットは矢野顕子。なんとポニョの無数の妹たちの声が彼女である。すばらしすぎ。
残りの96%
2008年08月02日(土) 19:52:33
今日は朝から寝続け。朝ご飯と昼ご飯以外ずっと寝ていた。夜ご飯前に起き出して今。
咳風邪が苦しいのでこの土日で徹底的に寝て治してしまおうという魂胆もある。ベッドのお供は「ナルニア国物語」。何度目の再読だろうか。
最新の研究成果によると、宇宙の96%は暗黒物質と暗黒エネルギーで覆われ、我々が観測できている物質宇宙は全体のたった4%だと言う。
地球に置き換えれば、地球の4%、つまり、海を入れない面積で計算したらオーストラリアよりちょっと小さいくらいの面積しか人類は認識できていない状況だ。オーストラリアに住み、オーストラリアが世界のすべてと思って生きているということである。オーストラリアの外を何も知らず、その狭い価値観の中で何が真実か虚構か正義か悪かを言い争っているわけで、他の地を知ったらそんなものすぐにでも引っ繰りかえってしまう可能性の方が高い。
いや、何が言いたいかというと、単なるファンタジーと片付けてしまえる「ナルニアのような世界」だって、充分現実に存在しうる、ということ。なにしろ我々は宇宙のたった4%しか知らず、その4%すら正確には把握していないのだ。
ナルニア国物語の「銀のいす」の中で泥足にがえもんがこんなことを言う。
あたしらがみな夢を見ているだけで、ああいうものがみな-----つまり、木々や草や、太陽や月や星々や、アスランその方さえ、頭のなかにつくりだされたものにすぎないと、いたしましょう。たしかにそうかもしれませんよ。だとしても、その場合ただあたしにいえることは、心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なものに思えるということでさ。あなたの王国のこんなまっくらな穴が、この世でただ一つじっさいにある世界だ、ということになれば、やれやれ、あたしにはそれではまったくなさけない世界だと、やりきれなくてなりませんのさ。残り96%すべてが判明する可能性は(少なくともボクの生きている間は)ほとんどない。ボクたちはたった4%の中で、それを「この世でただ一つじっさいにある世界だ」と信じて生きていく。やれやれ、それは確かにやりきれない。鎖国中の江戸時代の田舎の村人の偏狭な世界観のようにやりきれない。
心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なもの。
「心につくりだしたもの」が極端に減ってるなぁと自覚する昨今。仕事ばっかしてるからだな。そろそろ改めないと枯れてしまう。
春風亭昇太 独演会「オレスタイル」
2008年07月31日(木) 7:53:51
昨晩は落語。新宿の紀伊国屋サザンシアターで春風亭昇太の独演会。
バレエも最初教えてくれる人がいて、その後ひとりで観に行くようになった。落語もこうして教えてくれる人ができた。オペラや文楽も誘ってくれる人がいる。シアワセなことである。
春風亭昇太の落語は初めて。
活躍の様子や人気は知っていたが、さすがにそれだけのことはある。全身から愛嬌が染み出ていて魅力的。華がある。地味で堅実な落語家さんも好きだが、ここまで派手な押しがあると強いなぁ。客席をグッと掴んで離さない。調べたらなんとボクより2歳も年上。つまりもうすぐ50歳。んーどう見ても30代の愛嬌だ。
「今日は自分に向いていない落語を二席目にやります。そのかわり、一席目と三席目は自分が思いっきり好きなヤツを。私は人が追い詰められる噺が好きなんです。追い詰められて変なことをしちゃう人」とか普段着前説で自ら語り、その後、林家彦いちが「初天神」で前座をつとめ、その間に着替えた昇太が再度出てきて独演会に移る構成。一席目と二席目の間は名物らしい「昇太生着替え」。着物の着付けにちょっと興味があるのでじっくり見た。
昇太がやったのは「天災」「化け物使い」「船徳」の3つ。
「天災」は「ちりとてちん」の順ちゃんの台詞でも有名っすね(ファンの間では)。昇太は「一番好きな落語」だと言っていた。好きなだけあって大熱演。おもろかったー。どんどん変になっていってしまうあたりのクレイジーさが上手。
「化け物使い」は「自分に向いてない、普段はやらない演目」とのこと。でも上手だったな。彼がやると噺が動くというか、アクションものっぽくなるのが面白い。
「船徳」は噺をくわしく知っていたので細部までじっくり楽しめた。船頭たちと親方の会話にやはり動きがある。通に言わせると無駄な動きも多いんだろうけど、とても現代的で映像的な落語だと思った。
落語のあと、やはり居酒屋でしょう、と、同行者と知ってる店に行ったが一杯で、近くのカジュアルな店へ。
入店してすぐ後悔。賑やかすぎる。咳で声が出ず、賑やかな店だと声を張り上げないといけない。声を張り上げると苦しいのでどうしても言葉少なになる。あぁ言葉が足りない、と、言葉をつなごうとすると咳こんで苦しいから短く略さざるをえない。つまり少々つっけんどんになる。昨日の方、ごめんなさい。
ついでに、今日会う方、先に謝っておきます。今晩もたぶん言葉が足りません。ごめんなさい。
パリ国立オペラ 初来日公演「トリスタンとイゾルデ」
2008年07月28日(月) 6:58:25
昨晩は渋谷オーチャード・ホールにてオペラ観劇。パリ国立オペラの初来日公演。演目はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」であった。
率直な感想としては「世界のトップとはスゴイものだな」。
いや、こんなに冷静ではない。もっと率直に書くなら「いや〜良かった! 素晴らしい!」かも。いままで見たオペラの中でトップかなぁ。NYで観た「アイーダ」や去年観た「パレルモ・マッシモ劇場」、一昨年観た「シュツットガルト歌劇場」の「魔笛」なども印象的だったが、今回のはいろんな意味でそれらを越えるかも。
かなり斬新な「トリスタンとイゾルデ」だった。
舞台はセットなし(台がひとつ)。衣装も黒ずくめのシンプルなもの。そういう意味では超地味な舞台なのだが、舞台の背景に大きなスクリーンが掲げられ、4時間の上映中途切れることなく映し出される映像がものすごかった。ビデオ・アート第一人者と言われるビル・ヴィオラ。ハイスピードの長回しを多用したそのビデオが予想を超えて素晴らしく、魂抜かれてしまった。映像の持つチカラを最近ここまで実感したことはない。
特に第一幕のずっと歩いてくるシーンや水中に頭から落ちるのを下から撮ったシーン、恋愛の心象風景と思われる囚われの身の一連の表現の素晴らしさ。
第二幕の夜明けの長回しの潔さ(30分近くは回してた感じ)。水中での男女愛の表現。
第三幕の死を感じさせる様々なシーン展開。そしてなにより、魂が天に召されるシーンの落水の逆回転を使った衝撃的なラスト。
決して説明的ではなく、舞台の補完でもなく、独立した芸術として観客の脳内をエキスパンドする映像群。心象風景がある距離感で持って演じられ(舞台上の歌手とは違う人が演じる)、それが舞台上のライブと一体化する。観客は両方のメッセージを受け取り、それを頭の中でブレンドする。頭の中で映像と舞台がどちらも負けずに主張し闘いコラボするのだ。
ボクはドイツ語がわからないので映像に引きずられて観ざるを得なかったが(舞台の両端に歌の日本語字幕は出るが、映像が凄まじすぎて字幕を読む余裕があまりない)、これでドイツ語を理解できていたら、耳は舞台のライブ、目は映像、という脳内コラボ作用が相当激しかったと思われる。あぁドイツ語わかる人がうらやましい。
制作に6ヶ月かけたというこの4時間の映像。
それと闘うパリ国立オペラのスターたちの迫力満点のテノールやバスやソプラノがまた素晴らしい。映像と舞台の両者をつなぐパリ国立オペラ管弦楽団の演奏も印象的。特に前奏曲冒頭。美しかった! というか、完パケの映像と生舞台の両方を合わせる指揮者の苦労がしのばれる。
映像ありきで演出したピーター・セラーズだが、工夫のあとはいろんなところに。舞台とスクリーンとのバランスを考えた演者の配置。第一幕のラスト、客席の後ろからコーラスが大音響で響く演出などさすがに面白い。照明も良かった。なにしろ印象的な映像をちゃんと見せないといけないので、スポットライトをあちこち動かしたくない。そこを逆手にとって陰と陽を上手に使っていた。歌手はスポット当たらないまま、薄暗い中で歌ったりもする。それが逆に効果を上げていた。
まぁでもなんといっても、パリ国立オペラ総裁ジェラール・モルティエがスゴイのだろう。
いい意味でクレイジー。ヨーロッパ・オペラ界の風雲児と言われるのがよくわかる。斬新・異端・過激。こういう前衛が総裁主導で行われているあたり、日本ではまず無理だろうなぁ…。次は映画「ブロークバック・マウンテン」のオペラ化を狙っているらしいが(これまたクレイジー!)、彼がやるなら絶対イイと確信できる。あの名画をどうオペラ化してくれるのだろう。ぜひビル・ヴィオラの映像とのコラボで観てみたい。
備忘録として主要キャストを。
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演出:ピーター・セラーズ
映像:ビル・ヴィオラ
衣装:マーティン・パクレディナズ
照明:ジェームズ・エフ・インガルス
トリスタン:クリフトン・フォービス
イゾルデ:ヴィオレッタ・ウルマーナ
マルケ王:フランツ・ヨーゼフ・セリグ
クルヴェナール:ボアズ・ダニエル
幕間の休憩入れて5時間の舞台。
仕事があったので終了後カーテンコールも待たずにオーチャード・ホールを飛び出し仕事場に向かった。おかげで最後の素晴らしい余韻があっという間に消えてしまった。
でも、この「トリスタンとイゾルデ」を体験できたのは、ボクの人生にとって大きかったと思う。「映像」の伝わるチカラを久しぶりに体感した。いや、「映像」単体というより映像を含む「空間表現」かな。胸の奥で何かを掴んだ。いま、わかっているうちに……。焦燥に似た気持ち。
ホンマタカシ「TOKYO」
2008年07月27日(日) 8:46:38

TAKASHI HOMMA「TOKYO」。
ハワイで撮影をご一緒したホンマタカシさん初の海外出版写真集である。1998年に発表された代表作「TOKYO SUBURBIA」(第24回木村伊兵衛賞受賞)も含めたトウキョウ写真の集大成。
ボクたちの目に見慣れた「東京」が、ホンマさんの目で「トウキョウ」として再生される。
最初の印象は「淡々として植物的な写真だなぁ」であったが、何度も見ているうちに「これは日本人の目線ではない」と気づいた。異邦人の目線だ。いや、厳密に言うと、本当の異邦人なら「トウキョウの異質な部分」をもっと強調するだろう。彼はそれをしない。そういう意味では「邦人だからこそ獲得できる異邦人の目線」と言った方が正確か。客観的で冷めていてどこにも属さない。そんな孤独な目線。
無表情に、マネキンのように切り取られた子供たちの肖像。同じく無表情に模型のように切り取られた東京。ときどき出てくる彼の愛犬ですら作り物のようである。そこに「都会の寂しさ」を感じる人もいるかもしれないが、ボクは逆。ホンマさんの写真で異邦人の目線を共有すればするほど、周りにあるリアルな東京風景が猥雑で冗長でエネルギッシュな「体温が高い街」に見えてくる。
写真を見た人が、写真を見た後に、東京とトウキョウの狭間で揺れ、リアルな東京を再発見する。
なんかそんな優れたインタラクションをボクはこの写真集に感じたな。さりげないけど密度の高い、何度も見返したくなる一冊。最近とても多い、スナップの面白さ(スライス・オブ・ライフの面白さ)をメインに売る写真家が、いい意味でも悪い意味でも「若い」ということをわからせてくれた写真集。
ようやく共通言語に
2008年07月22日(火) 6:50:48
帰りの新幹線の弁当は水了軒の「八角弁当」。
これは昔からのお馴染みで、朝日新聞のコラムにも書いた。崎陽軒の「シウマイ弁当」と、この「八角弁当」。いろんな弁当があるが結局ここに帰ってくる。このふたつ、どちらもとてもベーシックな味なのだが、ご飯の味がずいぶん違う。どちらかというとシウマイ弁当のご飯の方が好き。
「八角」は少し味が変わった気がする。なんかラッピングを厳重にすることによって(真空パックのような厳重さ)今まであった「風通し」がなくなり、味に影響を与えている感じ(もしくはそのように味を変えている)。いずれにしても、ラップされた弁当ってなんかシズらないな。
無事東京に帰ってきて最初の感想が「涼しい!」であった。
もちろん東京も真夏日で、30℃を越えてはいたが、体温越えの関西に比べればオコチャマ・レベル。めっちゃ涼しい。やっぱり人生体験のほとんどは「相対」なのだな。関西の暑さを知っただけで東京の暑さが楽になる。体験量を増やすこと(相対化)で、絶対化されていく。
家に辿り着き、預けてあった犬とも再会し、夜ご飯は「ちりとてちん」DVDと共に。ま、昨日のヒグラシの話もひぐらし亭への伏線だったのですが(そんな大層なもんでもないか)。
ムスメは毎朝7時前には家を出て学校に向かうので、「ちりとてちん」をリアルタイムで見ていない。で、今回、DVDで初めて「ちりとてちん」を見た訳なのだが、すぐに本質に気がつきよった。
「ねぇ、このドラマ、やけに長くない?」
「あれ? こんなに見たのにまだ15分?」
「え! ようやく1週分が終わったの?」
長い、というのは退屈という意味ではない。
そう、藤本有紀の異様によくできた脚本に初めて触れた彼女は、あまりの面白さに時間を長く感じたのだ。まぁしかし、特に初期の2週間の「ちりとてちん」は、ホント濃いんだよなぁ。世界観や登場人物を提示しながら、伏線を張り巡らせて、笑わせ泣かせ、ものすごい早さでストーリーを展開させる。導入部として最高の出来。これに比べると、大阪に出てからのストーリーは少しゆっくりになる。3週4週はわざと緩めてある感じ。でもここでの緩みが後々効いてくる。
と、我が家ではまたまた「ちりとてちん」ブーム。
少しネガなところのあるムスメは主人公に大いに共感している。「ちりとてちん」の話がようやくムスメとの共通言語になった。めでたし。
やめられない
2008年07月19日(土) 13:29:24
昨日から家族が関西に行っており(ボクも今日の夕方から行くが)、今朝起きてからのつかの間の「独りの自由」をどうするか、悩んだ挙げ句、「ちりとてちん」のDVDを第一話から見る、という暴挙に出てしまった。
いや、何が暴挙って、やめられない(笑)
やっぱり面白いわ、このドラマ。初期のもいろんなギャグが満載で楽しいな。独特の「間」もまた楽しい。んー、いいドラマである。
昨晩わりと夜更かししたので、今朝は起きてからずっと眠いのだが、午前中から目をこすりながらずっと「ちりとてちん」を見ているというのも間抜けな図。これがボクが選んだ「独りの自由」とは…。でも、本当は「かなりシアワセな図」なのだろう、と、自分を客観視しつつ、そろそろ関西に向かわなければ。
あぁ、それにしても、やめられない。あと一話見てからにしよう。
トニー賞授賞式2008をやっと見られた
2008年07月06日(日) 8:46:41
友人が、見逃していた「トニー賞授賞式2008」を見せてくれた。ハルキさん、ありがとう。
さっそく見終わって、前にも増して「南太平洋」を見逃したことが悔やまれた。逆に「Passing Strange」や「ジプシー」は諦めがついた。
トニー賞ではノミネート作品の数分ほどのパフォーマンスが見られるのだが、「Passing Strange」はたぶん英語が不自由なボクにとって作品の意図がわからないタイプのものだった。新作だからストーリーもネットに転がってないし。「ジプシー」は名作なのでネットで予習とか出来たとは思うが、短いパフォーマンスを見た限りではそんなに魅力的に見えなかったな。それに比べて「南太平洋」はやはりロジャース&ハマースタインだけあって曲を聴いているだけでも楽しい。見れば良かった。
とはいえ圧巻はやはり「In The Heights」のパフォーマンス。
たった数分にエッセンスがギッシリ詰め込まれ、圧倒的な迫力で観客を魅了した。最優秀作品賞はこれだな、と、賞の発表前からわかっちゃうほどの旬の勢い。作品賞ノミネートの他3作品と同じ争いをしているようにはとても見えない(特に「ザナドゥ」はなんだ? 去年観たときも酷いと思ったが、やはり酷かった)。
ちなみに、作品賞にノミネートされた「クライ・ベイビー」は授賞式のすぐ後に公演打ち切りされたとか…。
作品賞はたった4作品しかノミネートされない。つまり一応2008年度トップの4作品である。なのに観客が入らないとすぐ打ち切り。シビアだなぁ。まぁ今年観たときも「んー?」って感じの印象だったんだけど、それにしてもちょっと可哀想。授賞式では、もともとの映画を作ったジョン・ウォーターズ監督が「クライ・ベイビー」のパフォーマンス紹介に出てきたのがうれしかったが、主演のふたり、好演だっただけにちょっと不憫だ。
「ライオン・キング」のパフォーマンスで始まった授賞式。
司会のウーピー・ゴールドバーグが出てきて「ライオン・キングは受賞10周年。ブロードウェイに子供たちを呼び戻してくれた!」と語る。そうか、ちゃんとそこをトニーは評価したんだ、と、うれしくなる。
彼女はその後も「オペラ座の怪人」のクリスティーヌに扮したり、「SPAMALOT」のレディ・オブ・ザ・レイクに扮したり、空飛ぶメアリー・ポピンズに扮したりと大活躍だったが、ボクには少しToo Muchだった。アメリカ人にはちょうどいい感じか。「RENT」のオリジナル・キャストが出てきたのは良かったが、初演から12年ということで、多少年月の影響を受けてしまった人がいたなぁ。イディナ・メンゼルがとても可愛かった。
あぁ満足。モリとチャットしながら観たかったけど、後追いとはいえ見られて良かった。繰り返しになるけど、ハルキさん、ありがとう。
マリオカートWii
2008年06月29日(日) 9:00:36
昨日はとてもよく寝た。長時間&何度も。おかげでかなり体調復活。単なる慢性寝不足が原因ではなかったのか、と思うくらいスッキリ。多少は頭痛の残滓があるが、まぁ無視できる程度である。こうやって回復していくのだね。回復期の自分がなんだか新鮮だ(本当に回復期なのかどうかは油断せずウォッチするが)。
ということで、久しぶりにマリオカートWii(笑)
というか、このメモで書くのは初めてか。
いや、このまえYOSAKOIソーランで札幌に行ったとき、「鮨処有馬」にて、モリたちが誕生日プレゼントとしてマリオカートWiiをくれたのだ。ハンドルとのセット(ありがとう)。で、東京の自宅に帰ってきたら、娘が「誕生日&父の日」ということでマリオカートWiiのハンドルをひとつ、それもボクのイニシャルを貼り込んでプレゼントしてくれたのである。まるで彼らと謀ったかのようなタイミング(いや、実際に謀ったらしいのだが)。
ということで、その日からマリオカートでの対戦が我が家の旬になったのだが、途中でボクが病気脱落し、その間は娘と妻とがひとしきり勝負に励んでいたらしい。そろそろマリオカートくらい出来るだろうというのでようやくボクも復帰というところ。まだ対戦で熱くなるのは自重して、ひとりで孤独に150ccを走り込んでいる(50cc、100ccは勝てるが、150ccはなかなか勝てん!)。
さすがにゲームバランスが良く、素晴らしいゲームである。こういうゲームをやっていると大画面TVが欲しくなる。PSPのモンハンが意外と盛り上がらずに停滞しているボクとしては、しばらくはマリオカートかなぁ。
ネット対戦も出来るらしいし、札幌のモリたちとネット上のレースを繰り広げる日も遠くないだろう。回復したら相手してやる。待ってろよ。
ひとりの強い想い
2008年06月27日(金) 8:29:02
昨日は少し疲れが出て調子が崩れかけたので早々に帰宅。
本当は大事な送別会があり、どうしても出たかったのだがちょっと体調に自信がなく、このまま再度崩れるとまずいので諦めて帰ってきた。帰ってすぐ寝たらずいぶん楽になった。
良くなったり悪くなったりジグザグを描きつつ少しずつ右上がりに調子が上がってきているのは感じているが、今回は油断せず、必要以上に気を遣って元に戻そうと思う。もうちょいという感じ。毎度のコトながら、ご心配いただいた方々、ありがとうございます。メールのお返事おくれております。ゆっくり書かせていただきます。
メールで教えていただいたが、「Where the Hell is Matt?」の2008年版、「Where the Hell is Matt? (2008)」が公開されている(動画の右下の「高画質表示ボタン」を押して見るといいです)。
「Free Hugs」もそうだけど、ひとりの強い想いを世の中に伝えるために、いろんな方法がとれる時代になったな、と心底思う。そしてちゃんと伝わっているところがすごい。マスコミも使わず、お金も使わず、一滴の水が水面に波紋を起こすようにじわりじわりと影響を与えていく。ネットの恩恵にあずかりすぎて「アタリマエ」と思ってしまいがちだが、やっぱりこれって希有だ。人類の歴史が始まって以来、こんな時代はない。
あとは言葉の壁さえ越えれば、日本人の発信ももっともっと世界に受け入れられるだろう。
日本人って(ボクを含めて)言葉に頼るコミュニケーションをとる。きっと、もっとノンバーバルな、つまり「言葉の壁がない表現」をしていかないといけないのだろう。MattもHugsもノンバーバルだ。英語が読めなくてもイイタイコトは肌でわかる。日本人も、もっと言葉に頼らない発信をするクセをつけないといけない。
ボクはいま日本語に頼った表現、つまり読み物で発信をしているが、考えてみたらボクは20年近くCM制作の現場にいたわけで、(そのプロくささがデメリットにならなければ)映像発信は得意分野でもある。ちょっとノンバーバルな映像発信も考えてみようと思い始めている。数年かけてゆっくりと。個人制作で。ショートショートで。
そういえば、今年10周年になったショートショートフィルムフェスティバルで、映画祭史上初、日本人がグランプリを獲った。「胡同の一日」。この作品、世界最大の短編映画祭、フランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭の正式招待作品でもあったんですよね。すばらしい。鈴木勉監督、おめでとうございます!
サザンオールスターズ30周年
2008年06月26日(木) 8:07:34
昨日でサザンオールスターズがデビュー30周年だそうだ。
ボクの中でサザンの一番古い記憶と言えば、高校2年のとき(つまり30年前)。
いま青山で「Amoh's Bar」というバーをやっている天羽が、放課後だったか文化祭の準備中だったかの教室で、大声で「♪ラーラーラーララララーラーラー」と、発売されたばかりの「勝手にシンドバッド」の出だしを歌っていた映像的な記憶である。前後のつながりはわからず、そこだけクッキリ覚えている。きっと「あ、知ってる! その曲大好き!」とか強い共感があったのだろう。
高校生のときに、当時大学生だったサザンの衝撃的デビューをリアルに体験していることは、きっと「得難い人生の体験のひとつ」なのだろうと思う。シアワセだ。まぁ衝撃的といっても音楽的にではなくて、当時としては「お笑いバンド的に」なのだけどね。大好きだったし大人気だったけど、典型的キワモノでもあった。3枚目に「いとしのエリー」を出すまでは、全員が全員「一発屋」と思っていた。でもボクはわりと早くにデビューアルバムを買っていたな。それはものすごく「勝手にシンドバッド」が好きだったから、である。「こんな名曲あるかいな」と、一方でストーンズ好きの友達とかとつきあいながらコッソリ思っていた。
彼らの深夜放送もよく聴いた。2枚目の「気分しだいで責めないで」を桑田佳祐が「本邦初公開!」とか叫びながらオールナイトニッポンで流したのを覚えている。「うわっ、またすげー早口」とか笑いながら。まだ若き西田敏行も深夜放送のDJをしていて、「うわー、大好き」とか大笑いしながら「気分しだいで責めないで」をかけていたっけ。そんな記憶が次々と。
あの当時は桑田佳祐の作詞は「ありえないくらいな早口&詰め込み」に思えたものだ。まだ情報量が少ないのどかな時代だったのだと思う。
17歳から47歳まで。30年ずっと聴いているバンド。すごいことである。
桑田佳祐も52歳になった。たぶん(とはいえ確信があるのだが)、彼らは60歳とか70歳でサザンオールスターズをやりたいがために、いったん活動休止したのだと思う。カッコイイじじい&ばばあバンドでロックやろうぜ、とか、心のどこかで狙っているのではないか、と。
ついでに言うと、桑田佳祐より2歳年上のユーミンも、70歳くらいに大復活すると睨んでいる。
「こういう風に歳をとりたい」みたいな代表としてユーミンが再度あがめられる未来が見える。彼女は「どうすれば時代的に格好良く見えるか」に敏感だ。たぶん70歳くらいに、時代を象徴する「異様に格好良い大人の女性」として、もう一度一世風靡するのではないかな。いまの年齢は中途半端。だからじっと静かにしている感じ。
2008年トニー賞発表
2008年06月19日(木) 7:17:55
病気ですっかり書くタイミングを失ったけど、日本時間の16日にブロードウェイのトニー賞が発表になりましたね。今年は9本観たボクとしては、どれが獲るのかまさに当事者気分。去年も同じようなワクワクでトニー賞を迎えたっけ。
で、トニー賞ミュージカル最優秀作品賞は「In The Heights」!
予想通りである。というか圧倒的である。観た当日、ボクも「トニー賞はこれでいいのではないかなぁ」とつぶやいている。作曲賞、振付賞、編曲賞も合わせて4部門受賞。去年の「Spring Awakening」の8部門には劣るけど、でも立派。まぁこれは旬だよなぁ。オフ・ブロードウェイからオンに上がってきた勢いがそのまま舞台に活かされていた。
この「In The Heights」を、トニー賞ノミネート前の緊張感ある時期に、モリとふたりで前から5列目ド真ん中で観られたのは本当にラッキーだった(って、自分でネット予約したのだけど)。
乗りに乗っている上に、まだノミネート前なので海のものとも山のものとも知れない「オフ・ブロードウェイ感」がどこかに残っており(主に観客側にかもしれない)、とても熱い舞台&客席であった。最高の時期に最高の席で、全身でこのミュージカルを浴びたこの経験は得難し。モリも「一生の思い出」とまで書いている(2008/06/16の日記)。
と、喜んでいたら、昨日の深夜、ニューヨークの空港にて帰国の搭乗を待っている友人から偶然に携帯メール。
「『In The Heights』観ましたー! しかもトニー賞獲った翌日の最初の公演(つまり火曜日のソワレ)です。すごい盛り上がりで興奮しましたー!」だって。くそー! それはそれで異様にうらやましい!
それにしても、7部門獲った「南太平洋」を、迷った挙げ句観なかったのは汚点。そのうえ「ジプシー」も、Patti LuPoneかぁとか迷った挙げ句観なかった。勘が働かなかったなぁ。特に「南太平洋」。昔の名作をリバイバルしているものは、リバイバルする意味があってリバイバルするので、いいのが多いのだ。でも大ハズレもたまにある。あぁ残念。まぁまた来年行こう。
映画「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」
2008年06月14日(土) 17:24:28
インディ・ジョーンズの最新作を先行ロードショーで観てきた。本公開は6/21から。
中間テストが終わった娘とふたり(妻は札幌出張中)。娘には1年ちょっと前にシリーズを観せている。だから彼女もワクワクの鑑賞。
ご存じ19年ぶりの新作。製作総指揮がジョージ・ルーカスで、監督がスティーヴン・スピルバーグで、主演がハリソン・フォードな「新作」をロードショーで観られるなんて、同時代を生きている極上のシアワセのひとつではなかろうか。まさか第4作を作るとはなぁ。しかもこの歴史的シリーズを娘とリアルタイムで共有できるとは。あぁシアワセ(笑)。
内容的にはなんというか「てんこもりの極致」といったところ。凝ってるし楽しいし破天荒だし荒唐無稽だが、最後には「あぁイイモノを拝ませていただきました」と合掌する感じ。もうね、このメンバーで作ってくれるならどんな映画でも有り難い。
ハリソン・フォードはもう65歳になるので、前作でショーン・コネリーがやったような引退探検家的役割かと思ったらとんでもない。ここまでやるかの連続。65歳って、知人で言ったらあの人とかあの人とか、だよね。うーん、すごい。40代の動きである。
まぁこれから観る方がほとんどなので詳しくは書かないが、インディ・ジョーンズ好きは何度もニヤリと出来るだろう。失われた聖櫃もちらりと出てくる。
あぁそれにしてもこの夏は観たい映画が多い。
「アフター・スクール」、「ザ・マジック・アワー」、「秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 2 〜私を愛した黒烏龍茶〜」、「ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛」、そしてここへ来て「Juno」がものすごく観たいぞ。
お酒解禁
2008年06月12日(木) 9:14:22
うれしいニュース。
「ちりとてちん」のDVDが、「おしん」を抜いて、朝ドラの中でトップに躍り出たらしい。17000セット。「おしん」(少女編)が9000セットらしいから、倍近い。まだ発売後数日でこれだから、もっと伸びるかもしれない。関東地区の平均視聴率ワースト1の汚名返上。DVDを買ったひとりとして素直にうれしいな。というか、こんなことに一喜一憂させてくれるドラマは(ボクの中では)これしかない。
そんなニュースに打ち震えながら(って、昨日と同じつなぎの言葉)、昨晩はお酒解禁日。
たった1週間弱の禁酒で済んで本当に良かったけど、まだどこかで慎重な気持ちも残っており、気をつけながら飲んだが、グラスのスプマンテを皮切りに、ふたりで赤ワイン2本は解禁日にしては飲み過ぎか。それでやめとけばいいのに、〆にモヒートを2杯。おかげでやっぱり二日酔い気味。弱っ。
昨日、ちょっと重い仕事を乗り越えたので、夜の飲みは楽しかった。夜半から雨。深夜すぎの雨は好き。
重窓
2008年06月10日(火) 7:53:21
約1年前にお会いした千宗屋さん(武者小路千家若宗匠)と再会し、彼が麻布に造った新しいお茶室「重窓」に招かれてお茶をいただいた。
「ちょうそう」と読む。軒とか庵とか呼ぶのと同じように、お茶室を「窓」と呼ぶこともあるらしい。マンションの一室の中にお茶室を造ったので窓が重なるという意味もある。由緒正しい名前ということだった。
朝いちに札幌から帰ってきて、仕事でも疲弊し、わりと疲れが出ていてボーッとしていた。
もう「お断りしようか」という体調だったのだが、千さんとお互いの予定を合わせるのに数ヶ月かかっており、しかも千さんは来月から1年間ニューヨークに行ってしまう。出発直前の慌ただしさの中で予定を開けてくれたのだ。うん、やはりお会いしたい、と出かけたのだが、お会いして良かった。鮨をご一緒したあとお茶室に招かれたのだが、彼が点ててくれたお茶をいただいたらなんか元気になっちゃった(笑)。現金なものだ。でも今朝の目覚めのさわやかさと言ったらない。
まず、マンションの一室「待合い」に入る。
ベランダから東京タワーがほぼ全身、間近に見える。すごい立地だなぁ。そこはソファが置いてある洋室で、品のいいバーのよう。床の間に模した一角もあり、真ん中には千さんが設計した立礼式のテーブルもあることから、最初はここでカジュアルにお茶をいただくのかなと思っていたくらい、静逸ないい空間であった。
茶室を含めたこの部屋のオーナーであるS氏(偶然、中高の後輩だった)や千さんのマネージをしている方々ともお会いし、ついでにボクの友人である編集者たちも到着して総勢6名揃ったところで、千さんがおもむろにクローゼットを開いた。
と、なんと、そこはクローゼットではなく、お茶室への隠し戸(!)
その「驚き」自体がもてなしなのだな、と気づく。
いったんくつろいだ気持ちがここで緊張とワクワクに変わり、探検のような気持ちで戸をくぐり、お茶室へ。
そこは天井が低い、京間の四畳半。ロウソクがゆらぐいきなりの異空間。もう入っただけで「あぁ」と溜息をつく感じ。実にくつろげるいい空間だ。弛緩して緊張してまた弛緩する。筋肉をストレッチするように心がストレッチされる。これも計算されているのだろうなぁ。
勝手がわからないボクたちをS氏が優しくリードしてくれたが、「正客」を務めることとなったボクは何事も一番にやらねばならず、またしても少々緊張。でもまぁ「ねばならない」を心から追い出して自然体でいることに。
全員が揃った後、千さんが入室してきて、まずはお菓子。その後「濃茶」の用意をしてくださる。
千さんの姿に慄然。目を閉じて心眼で茶器を扱っているのかと思うほどの半眼。火影にゆらめいて迫力あり。鮨屋での饒舌な青年の面影は消え、近寄りがたい空気が漂う。でもそれもボクにお茶を出してくれるまで。ボクがお茶を手にする頃から、ボクの右側から厳しい気配が見事に消えた。
お茶をいただいた瞬間は「この後の感想をどう言おう」という雑念に囚われてうまく味わえなかったが(ゆえに感想も中途半端になった)、隣のS氏に茶碗を渡し、ホッとした後、口の中の豊かな味に気づいた。濃いけどさわやか。深いけど淡い。「初夏らしく点ててみました」と千さん。なるほど。
その後、器の話、掛け軸の話、花器の話、茶道具の話など、さまざまに教えてくれる。
もうね、ここでそれぞれ書いていきたいくらいいい話が満載だったのだが、不調法で専門用語や固有名詞を知らず、うまく書けそうもないのでパス。
ひとつだけ書くと、それぞれの道具がすべてつながっていたことが(初心者のボクには)目鱗だった。
三途の川をモチーフとした掛け軸の淡い絵。その川はこちらに向かって流れてくるように描かれているのだが、絵の中から川が溢れ出てくることをイメージして、そこに舟の形をした花器を浮かべ(しかも千さんがNYに行くので出船の方向に浮かべ)、茶室にいる我々はその流れの中にいる。掛け軸の絵には遠くに霞む山も描かれているのだが「だから『遠山』の茶壺を使いました」と千さん。「今日は雨で霞んでいましたし」と。そういえば夕方、東京タワーも細かい雨に霞んでいたな。すべてつながっているのか。感心すると同時に弛緩しまくる。流れに逆らうようなインパクトを出そうとする広告表現の世界に普段いるせいか、この、大きな流れの中に同化するようなもてなしがひたすら心地よい。正座の足が痛いのも忘れるほど心地よい。
「この茶室は時間を忘れるんですよ」とS氏。
確かにねー。そういえばもう何時間ここにいるんだろう。会話がだんだん途切れ途切れになるのだが、気にならず、ひたすらボーッとする。お茶室の障子を開けると間近に東京タワーが見える。都会の真ん中にふわりと浮かんだ深山幽谷。違和感があるはずなのに、なんでここまで自然でくつろげるのか。
確かその後、待合いに戻って少し話をし、ありがとう、今度はNYで会いましょう、とか約束して千さんたちと別れて帰宅したのだが、その辺の記憶が曖昧だ。ボーッが続いていた感じ。いつの間にか自宅のリビングにいた。
で、ふと気づくと疲れが霧散していた。川の流れと共に流れて行っちゃったのかもしれないな。あぁこうやって流してやるのか。疲れって、とろうとか癒そうとか思わず、ただ流してやれば良かったんだとようやく気づいた。
柳家三三 独演会 @国立演芸場
2008年06月04日(水) 6:54:52
ひっさしぶりに落語を聞きに行った。何年ぶりかな。
若手の実力者と名高いらしい柳家三三(さんざ)。小三治のお弟子さん。彼が33歳になったのを記念して「三三 三十三歳 三夜 三席 三宅坂」という三尽くしの独演会である。昨晩はその第二夜中日で、余計な「二」が入ってしまったが、六月「三」日なのでまぁいいか。
直前まで仕事でバタバタしていて、そのまま会場に飛び込んだ。うまくビジネスモードから転換できるかなぁと不安だったが、国立演芸場の独特のほんわかした雰囲気にさっと転換でき、笑いの世界に突入できた。国立演芸場って初めてだったけど、ここ、なんか「場の力」があるね。
昨晩の三席は「道灌」と「三軒長屋」、仲入りがあって「崇徳院」。
締めに大ネタ「三軒長屋」かと思いきや「崇徳院」か。ちょっと拍子抜けしていたら、その「崇徳院」、「道灌」や「三軒長屋」のエピソードをちょこっと入れたりして、客席爆笑。なかなか上手。キャラからすると、弱った若旦那とか弱った熊さんとかでもうちょっと笑わせて欲しかったかな。弱った人とかもっとうまく出来そうな人だ。
「三軒長屋」は、演じ分けが異様に難しい噺なのに、実にうまかった。
ちょくちょくPodcastingで聞く「ニフティ寄席」の若手たちに比べるとうまさが違う。さすが。敢えて言えば「男っぽい女将さん」が男にしか聞こえなかったのが惜しい。まぁ男が「男っぽい女将さん」を演ずるのは超難しいとは思うけど。
「道灌」は初高座のネタらしく、思い入れが深そうであった。ちょっと固かったけど満足。
三夜ともにチケットはすぐ売り切れたらしい。柳家三三って人気者なのね。チケット取ってくれた人に感謝。聞いたら、みんなわりと青田刈り的に見に来ているらしい。落語好きたちが青田刈りする柳家三三。これも何かの縁なので、注目しておこう。
そういえば昨日の朝、予約しておいた「ちりとてちん 完全版 DVD-BOX 1」が届いた。2ヶ月ほど前に衝動アマゾン買いした「古今亭志ん朝 全集 上巻 DVD」もまだ見ていないが、とっておきの休日に見るつもり。
個人的に、落語の「流れ」が来ているな。もちろん、乗る。しばらくはiPodで落語通勤。
山田洋次監督の講演
2008年06月03日(火) 7:25:00
山田洋次監督の講演を聴いた。テーマは「演出について」。
「演出とは何か、何を意味する言葉なのか、いまだにわからない」と語りつつ、ご自分の作品の演出についてではなく、小津、黒澤、ヒッチコックなどの「語り口」について解説してくれた。「それぞれの監督がそれぞれの語り口を持っていて、それは、映画を数分観れば『この映画は誰々のだ』と指摘できるような確固としたものである」と話しつつ、「では、ちょっと観てみましょうか」と巨匠たちの映画の冒頭をスクリーンに映し出す。
なんという贅沢!
だって、小津安二郎の「東京物語」の冒頭をスクリーンに映しながら、1カット1カット、リアルタイムで山田洋次が解説してくれたりするのだ。「このカットはこういう意味があります」「小津の演出の特徴はココです」とか。
で、次に黒澤明の「赤ひげ」を映して小津との違いを語ったりする。その次はヒッチコックの「サイコ」。んでもって黒澤の「七人の侍」。贅沢じゃない??
「七人の侍」というモチーフを思いつくに至る黒澤明の秘めたるエピソードも面白かったが、印象的だったのは講演のラスト。いったん終了したあと、「あ、ひとつ言い忘れた」と、こんなエピソードを話してくれた。
「当時、松竹の若手助監督だった私は、松竹を代表するマエストロであった小津安二郎を恥ずかしく思っていた。なんとも古くさく感じたし、どうでもいいような小さな幸せをじめじめ描いているし。 そのころ封切られた『七人の侍』を観て、これこそ映画だ!と興奮した。黒澤のダイナミックさ、技巧を凝らした演出の妙。小津にはまったくないものだったし、いよいよ彼をバカにした。同じ撮影所としての反発もあったかもしれない。
年月が経ち、歳をとるに従って、小津の凄さがわかってきた。
そんなころ、私は黒澤明と個人的に親しくなり、彼の家によく遊びに行くようになった。
世界の黒沢とは思えないような小さな家で、一人暮らしをしていた黒澤明。門から玄関までたった2,3メートルしかないような普通の家だった。
ある日、確か黒澤明が最後の作品を撮る少し前、遊びに来いと呼ばれたので、玄関を入って「山田です」と名乗ると、2階から、おう、上がってこい、と声がした。彼の書斎は2階にあった。上がってみると彼がなんかのビデオを食い入るように見ている。世界の黒澤が何を見ているんだろう、と見てみると、それはなんと小津の「東京物語」だった。
オレはいますごいものを見ているなぁと思った。
昔自分が憧れた黒澤が、昔自分がバカにしていた小津を食い入るように見ている。そして思った。実は、黒澤明は、こういう小さな幸せを、小さなユーモアみたいなものを描きたかったんだなぁ、と。
そのすぐ後に撮った遺作「まあだだよ」を観て、それを確信したのです。」
こんな話だった。なんだか巨匠が3人、内臓を擦り合っているような話だ。しみじみ聞いた。
その後、会社の先輩と感想を話し合った。
「僕は小津については、少し見解が違うなぁ」と彼は言った。
「小津安二郎って、ダダとかの影響をすごく受けていて、当時世界で最もモダーンな映画を作っているという自負を実は持っていて、あの超モダンさがあるからこそ今でもまったく古さを感じないのだと思う。シュールでしょ、小津の描く日常って。ジム・ジャームッシュが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の中で『今夜はオヅのトーキョー・ストーリーを観に行くんだ!』とニューヨークのスカ青年に言わせてるけど、そこによく現れているんだよ。つまり、小津は当時の東京のバリバリのモダンボーイ。一方の山田さんは文学青年。そこら辺に小津の捉え方の違いが出ている気がするんだよなぁ」
同意。そのとおりだとも思う。
でも、ボクは山田青年助監督の言葉に、やけにリアリティを感じたな。意外と感情レベルではそんなもんだったんだろうなぁ、と。観客側ではなくて、制作側のリアルな言葉としてとても面白かったし、そういう「反発」が若き山田洋次にあったことが微笑ましく、ちょっと彼を好きになったりもしたのだった。
FROGMAN
2008年06月02日(月) 6:39:40
先週、FROGMANの講演を聴いた(オフィシャルサイト「蛙男商会」。←サイトからは音が出るけど、面白いので見よう)。
映画「秘密結社鷹の爪 THE MOVIE 2 〜私を愛した黒烏龍茶〜」は観たいと思っていたし、「古墳ギャルのコフィー」とかピジョンのネットCMとか見たことあったので面白いのは知っていたが、話を聴いて、正直、舌を巻いた。ここまでクレバーかつ意識的にやっていたとは。ちょっと尊敬のまなざしで見てしまった。
制作者、というかアーチストとしての自分の特徴(売り)を「面白さ」と捉えず、「フラッシュだから早く作れる」と冷静に分析していることがまず素晴らしい。そしてフラッシュとデジタルの良さを最大限に利用して作品を量産していく。ナンセンスであるようでいて冷静な計算が施された作品群。いままでの映像文法を無視して緩くチープに作っていくが、それが逆にとても時代に合っている。
制作時間が少ないだけでなく、直すのも数分(スポンサーがいるとここの部分が意外と大きい)。監督・脚本・キャラデザイン・フラッシュ制作・編集・録音・声の出演まですべて自分でやることで権利関係のゴタゴタもなくスピード重視で世の中に出すことができる。ライツがひとりに集中しているので、二次使用やメディア展開、広告展開などの決断もスピーディ。彼の直感でどんどん仕掛けられる。
んでもって、YouTubeなどでどんどん露出していくことを重視するので「コピーOK」と打ち出しているのも素晴らしい。
講演では「もともとデジタルはコピーできるのが便利だし最大の特徴。なのにコピーされては困るという方向に考えるのはナンセンス。どんどんコピーされることを前提に作ればよい」というような発言もあった。海外のミュージシャンなんかはすでにそういう方針を打ち出している人もいるが、映像アーチストでそれを言い出しているのはちょっと珍しいし目鱗。
広告マンとしては、映画スクリーンの右端で上下する「バジェットゲージシステム」が画期的に面白かった。
予算が少ないのも笑いにしようと、バジェット(予算)のゲージが映画中どんどん減っていくのだ。CGとか使うとどーんと減る。観客はハラハラするわけ(笑)。
でもって面白いのは、プロダクト・プレイスメントで映画の中にクライアントの製品が出てきたりするのだが、出てきた瞬間にどーんとゲージが増えたりすること。そこで会場から大笑いが起こるらしい。本来邪魔なものである広告自体が笑いを持って好意的に迎えられるという発想の転換。なるほどー。
映画史上初といわれる「サブタイトルネーミングライツ」もいいなぁ。黒烏龍茶。こういう「広告まみれ」も「チープさ」も今の若者は「逆手にとってくれてさえすれば面白がってくれる」ことをきちんと見抜いているのが良い。元々、映画やTVの裏側などとっくに見抜いている若者たち。取り繕わない方が面白くなるならとことん取り繕わない。それは正しい。
YouTubeを見ていると「映像クオリティより内容」という流れはもう止めようがない。
劣悪な画質のビデオでも、面白いものは面白い。それで満足なのだ。隅々まで画質とクオリティにこだわったCMとかを作ってきたし、その良さももちろん知っているが、もうそういう時代でもない。FROGMANのこの動きはそれを加速させるものかもしれない。なにしろフラッシュだけで映画まで作っちゃうのだ。ひとり全役で。
ちなみにこのFROGMAN、今年2月に行われたニューヨーク国際インデペンデント映画祭で、アニメーション部門の最優秀作品賞と、国際アニメーション最優秀監督賞の2部門を受賞している。まぁ日本より海外で認められるタイプの人ではある。
花火師5年
2008年05月31日(土) 9:40:55
昨晩は「花火師免許更新講習」を受けに浅草橋へ。
正確に言うと、(社)日本煙火協会による「煙火消費保安手帳保安講習」。花火のことを「煙火(えんか)」と呼ぶのは最初に講習を聞いた5年前に初めて知った。「にほんえんかきょうかい」ってサブちゃんが出てきそうだよね。
ついでに言うと、花火をすることを「消費」と言い、花火が(上空等で)開くことを「開発」と言う。開いて発する。なるほどね。講習の中で事故例の紹介と注意があるのだが、例えば「花火大会においてモーターボートから水上花火をガストーチで点火し消費していたところ、何らかの原因で開発し、従事者が重傷を負うとともに同船者が軽傷を負った」みたいな文章が出てきたりする。この「開発」が最初わからなかったなぁ。
もう煙火打揚従事者(いわゆる花火師)になって5年。
「人生ピロピロ」でも書いたように、一回の講習を受ければ免許(保安手帳)が交付されて煙火打揚従事者になれるのだが、それを聞いて「どうしてもなりたい! すぐなりたい!」と思うか「へぇ〜、なりた〜い」程度に思うかが大きな別れ道。ボクの周りでも「なりた〜い」と言う人は多いが、即座に講習の受け方や日時を聞いてきたり、講習受付が終わっていても協会にねじ込むような執念を見せる人(←わたくし)などは、全くと言っていいほどいない。で、そういうノリがない人は花火師に向かない。
つか、毎年「右手首切断」とか「右全指欠損」とか「顔面火傷・脳損傷」とかいう事故例が上がってくるほど危険なものなので、よっぽど「なりたい」と思う人しかやめたほうがいいだろう。
ボクが花火師になってからも、ボクに「なりたい!」と真剣に話を聞きに来て実際になった人はたったのひとり。隣の隣のデスクで部長をやっている先輩だけである。割合で言ったら0.5割程度。9.5割の人は「なりたい」とは言うがそこ止まりである。この差は意外と大きいのだ。
とはいえ、その0.5割の人々も最近では活躍の場が非常に少ない。
規制もどんどん厳しくなって、我々が花火を打ち上げる機会も極端に減った。5年前は多摩川土手とかでやっていたのになぁ。あれは楽しかったなぁ。多摩川ほどではないが、ここ数年わりと盛り上がっていた品川天王洲の花火大会も今年からなくなりそうである。今夏は品川の中学校の校庭で一回花火大会をするだけで終わっちゃいそうだ。残念。
そこそこな規模の花火大会が予定されていないと、講習を聞いていてもなんだか気持ちが盛り上がらない。ビデオを見ながら打ち上げ段取りを復習していてもちょっと空しい。まぁ気が緩むのは事故の元なので気をつけないといけないが、ちょっとは盛り上がりたいな。せっかく0.5割のノリで花火師になったんだから…。
昨晩の講習はやけに長く感じてしまったよ。
まいご3兄弟
2008年05月29日(木) 8:15:24
いくつかメールをいただいておりますが、「ちりとてちん」のスピンオフ・ドラマの放映日が発表になっているようですね。まだ2ヶ月くらい後なので予約録画も出来ないし、なんとなく備忘録的に書いておきます。
題名は「ちりとてちん外伝『まいご3兄弟』」だって(笑)
放映は、
2008年7月25日(金)20:00〜20:43 総合(関西ブロック)
2008年7月27日(日)11:00〜11:43 BS2
さらに8月、総合TVで全国放送予定
とのこと。
内容的には、喜代美が子供を産んだ1年後、草々がひぐらし亭の高座で創作落語を語るところから始まるらしい。
草原、小草若、四草の3人があるところで実際に迷子になったお話しを創作落語にしている設定のよう。たぶん回想と落語が重なって構成されていく感じだろう。43分という短い時間で、名人・藤本有紀がどのようなまとめ方を見せてくれるか、見物である。
「ちりとてちん」は総集編も見たが、あれは「ちょっと…」という出来であった。
伏線が細かく長く張り巡らされたドラマだったので、短く端折ると途端に齟齬が生じる。重要な場面がいくつもカットされ、「あの場面もこの伏線もカットかよー! ありえねー!」の連続だった。相当苦労して編集されたのだろうことは想像できるが、でも、あれはちょっと…。まぁプロとしてよく考えると「まぁあの辺はカットせざるを得ないのかもなぁ」と理解はするのだが、好きな伏線がいくつもカットされて無惨な姿になった「ちりとてちん」は見ていて辛かった。総集編だけ見て「あぁこんなドラマだったのか」と理解したヒトがいたとしたら悔しいな。
井上雄彦 最後のマンガ展
2008年05月26日(月) 5:52:44
内覧会に招待されて夫婦で行ってきた(娘は風邪で留守番)。
井上さんもいらしてて、ちょっとだけ話もできた。「お互い、なんか似てますね」とか(←バリカン頭同士)
マンガ展の感想はあえて書かない。いろいろ書きたい気もするが、あえて書かない。
ぜひ体験してほしい。
というか、ちょっと神懸かっている。
いま地球上で体験できるトップクラスの芸術だと思う。
かなり衝撃を受けた。
これを見逃すのは人生の損である。
地方にお住まいだとしてもヒコーキ代ホテル代かけて来るべし。惜しくない。
海外の方、これを観るために渡航費使って日本に来ても絶対惜しくない。
7月6日までである。意外と短い。見逃すな。
帰り道、ちょっと落ちこんだ。
天下無双の井上雄彦と張り合う気は毛頭ないが(当たり前だ)、ここまでの高みを見せつけられると、ちょっと…。
寝る前には少しやる気になった。自分なりに出来ることがあるのかもしれない。
世界の首都を奪還せよ
2008年05月21日(水) 7:20:04
録画しておいた「NHKスペシャル 沸騰都市」を見た。
見たのは19日放映の「ロンドン 世界の首都を奪還せよ」である。いや、面白かった。さすがNスペ。わかりやすくコンパクトにイマを伝えてくれた。
ロンドンが「世界の首都」の座をニューヨークから奪い返しつつある、というテーマ。
外国為替や外国株式の取引量はすでにニューヨークを抜き去ったという。その大きな要因が、ロシア、インド、中国などからの人材の流入らしい。
リビングストン市長の徹底した市場開放政策で、多国籍企業がロンドンに押し寄せている。
9.11以降規制を強めたニューヨーク証券取引所を嫌い、ロンドンに世界の資本が集まっているという。その資本目当てに企業や優秀な人材、豊富な労働力が一気にロンドンに流れ込んでいるということか。ロンドン・オリンピックも4年後に迫り、建設ブームも後押ししている模様。移民の数はあの「人種のるつぼ」ニューヨークに迫っているという。しばらくロンドンに行ってない身としてはなんか意外。だってさ、なんと、いま、ロンドンの住人の3人に1人が外国人だって(!) 基本がコンサバな国なので意外だ。
3人に1人が外国人。東京で想像してみると、それってすごいことだ。ええと昨日モリと行った鮨屋のカウンター(6席)のうち、2人が外国人。それが常態って…。思い切ったことやったなぁ。外国人に税制優遇しすぎて、ロンドンの外国人の収入は地元イギリス人の平均3倍とか。サッカーのプレミアリーグも半数近くのチームのオーナーが外国人とか。少々やりすぎな感もあり。
とはいえ、たとえば3人に1人が外国人であるサッカーチームだとしても、優勝したら人気が出る。そこにお金も生まれ、お金があるところには優秀な人材も集まる。外国人の力に頼ってでも優勝さえすれば大きな見返りはあるのである。
そういう意味で、「とにかくニューヨークに勝って優勝することだ」というのもわからんでもない。一回優勝しておくといろんなものが順回転しだす。でも必ずや歪みも生まれるし、大きな反発も予想されるので、今後どうなるのかウォッチしつづけたいところ。リビングストン市長は、たぶん「やりすぎ」で、この5月1日の市長選で敗れたという。まずはいきなり曲がり角。
日本はどうなんだろう。一時期優勝争いに絡んでいたが、いまではJ2に落ちかねない凋落ぶり。徹底的に市場開放して移民を受け入れ、もう一度優勝を狙う手もなくはない。でもそこにはシアワセの匂いがしないな。ボクの大好きな街ロンドンに、今、シアワセの匂いがどのくらいするか、嗅ぎに行ってみたいぞ。
※今夜24時55分から再放送があるようです。
情報を得る手段としての書籍の重要性
2008年05月20日(火) 8:00:43
いろんなブログを読み回っていると、最近「情報を得る手段としての書籍の重要性」に言及するブログが多くなってきているのを感じる。
ブログを読む習慣がある人々が、より効率的に情報やノウハウを得る手段として「きちんと一冊にまとめてある本というメディア」を再評価しはじめているのだ。ブログ的さみだれ&気まぐれ論説との比較において、著者と編集者がワン・テーマについてあるレベル以上の論説を苦労して一冊にまとめ上げている「本というカタマリ」の有益性・利便性に改めて気づいたというわけである。
携帯メールの日常化を見てもわかるように、有史以来こんなに人間が文章を書く(打つ)時代はない。
活字離れが叫ばれて久しいが、実は文章リテラシーは個々人それぞれのレベルで上がっている。日常的に書くことを繰り返して上がらないはずはない。そして書けるということは読めるということでもある。底流で全体的に「読書リテラシー」も向上し、ブロガーたちによるそのような「気づき」も含めて、本が売れる土壌が数十年ぶりに整ってきたのではないか。
日本人は、もともと読書好きだったところから一度読書離れを経て、また帰ってこようとしている。
情報・ノウハウ系だけでなく、この延長線上に「小説という優れたパッケージへの回帰」もあるかもしれない。ただ、今のところ、キーワードは「向上」かも。より直接的に自分に役立つものが求められてはいる。純文学に取り組むには身の回りに他のエンターテイメントが溢れすぎているし、ちょっとした時間つぶしなら携帯で充分だ。
いずれにしても出版界にとっては喜ばしいことではあるが、何も変化せずにいままで通りの売り方をしていたら、この好機を逃すかもしれない。売れているからといって情報・ノウハウ系ばかり粗製濫造していると読者はすぐそっぽをむく。判型、価格、タイミング、クチコミ、コンタクトポイントなど、いまの時代の読者に合わせてフレキシブルに対応していかないとこの新しい波に乗りきれないだろう。「書店の書棚で、その本を読みたい人がたまたま見つけてくれるのをじぃっと待っている」という超受け身な売り方のままではたぶん無理。情報洪水の現代、そんな奇跡的確率の巡り合わせに頼った販売方法ではさすがに無理。
ある違和感とともに話される
2008年05月19日(月) 7:52:29
NYのブルックリン・ミュージアムの回顧展で実物と空間を体験して以来、ずいぶん見方を変えて「これはやはり素晴らしいアートかもしれない」と思っている村上隆だが、彼の「MY LONESOME COWBOY」がサザビーズのオークションで約16億円で落札されたという(このページの下の方に写真)。ちょうどその美術館にも展示されていて異彩を放っていた。
これはミルクと題されて、女性の胸からミルクが放出されている作品(「HIROPON」上記リンク先参照)と対になっていたが、ちょうどそれを観た夜、NYの「Momofuku Ssam bar」でこの作品の話になったのを印象的に思い出す。友人から、ある違和感とともに話された。「ある違和感とともに話される」ってまさにアートの役割だと思う。アートとはそういう「異化」のみでいいのではないか、と、このごろよく思う。
そういえば、NYのニューミュージアムで売っていた「EARTH」のスペルの中の「ART」の部分だけ色が変わっているステッカー、買おうと思ったのに買い忘れた。ま、ありがちなのだが、なんか地球という単語の中にARTという言葉が含まれている感じを忘れたくないと思ったのだった。
アートって、別に創作物のことではなくて、日常の中の「気づき」なんだろう。朽ち果てたコンクリの建物をアートと見るかゴミと見るかで日常はずいぶん変化する。村上隆はより強烈なカタチでそんな「気づき」を与えてくれ、その「EARTH」のステッカーはより静かなカタチで地球全体、日常全部がアートだと教えてくれる。
北方謙三著「楊家将」
2008年05月17日(土) 10:17:34
読み始めから「惚れざるを得ない男たち」をズラリと濃密に描いて、主人公たちにしっかり胸をときめかされ、もう彼らは永遠の命を生きるのだと信じるくらいの強さに痺れまくらされる。中盤には必ず敵役が出てくるのだがこれも敵役側から緻密に描いてきっちり惚れさせられる。それはもう見事な描写。
で、おもむろに「イヤな予感」が行間から立ち上り出す。誰かが死ぬ。まさか…。いや、でも、死ぬはずのない男が死ぬのだ。きっと死ぬのだ。そんなの絶対読みたくない。惚れた男の死など見たくない。
そうして読み進めるのがイヤになる。ガッデム北方謙三!
この「中盤でおもむろにイヤな予感が行間から立ち上り出す感じ」が北方謙三の真骨頂だと個人的には思っている(あとは出だしの一行)。主人公と敵を視点を変えつつ描き分け、脇役にも命を与え、それらを複層的に構成していく筆力。この複層的な大きな流れの中で、読者にイヤな予感を少しずつ与えていく。直接的な表現はない。ただただ構成で感じさせていくのだ。その辺、舌を巻く。
物語はそれぞれの視点で快調に進む。文体も特には変わらない。でも行間から立ち上るのだ。むあ〜っとイヤ〜なムードが。ヤだなぁ。主人公に惚れさせたあげくに壮絶な死を描く名人は他にもいるが、とらえどころのないイヤ〜な感じで読者の心を見事に染めてしまう作家は他にあまり知らない。
「水滸伝」に至っては、そのあまりの「イヤな予感」に途中で読むのを止めている(笑)
もう誰一人死んで欲しくないのだ。その魅力的な登場人物たち誰一人。楊志ひとりの死でいっぱいいっぱい。それなのにイヤ〜なムードが行間に立ち上り始めており、とてもじゃないけど前に進めない。ボクが読み進めない限り彼らは死なないのだ。それでいいやもう。ほとんど封印。
この「楊家将」(北方謙三著/上下巻/PHP文庫) も下巻途中から前に進めなくなった。でも昨晩無理矢理最後まで読んだ。素晴らしいラストだが、嗚呼でもこんなラストなど読みたくなかったよ。彼らには永遠の命を持って欲しかった…。
ということで、傑作です。
続編は「血涙 --新楊家将」。題名がイヤすぎる。絶対つらい思いをする。読むのどうしようかな。んーでも読まざるを得ないな。でもつらいんだろうな…。
北方謙三の本は本当にイヤだ(笑)
トニー賞ノミネート発表
2008年05月15日(木) 7:34:25
一緒にNY観劇旅行に行ったモリから「トニー賞のノミネートが発表になりましたよ!」とメール。
去年はノミネート後(そして本戦発表前)に観劇旅行をしたのでノミネート作品を中心に観れば良かったが、今年はノミネート前だったのでまさに手探り。当たったかなぁ、どうだったかなぁ、と、ちょっとドキドキしつつサイトを見た。
予想通り「In The Heights」が強い。
最優秀ミュージカル作品賞、最優秀ミュージカル脚本賞、最優秀ミュージカル主演男優賞ほか、14部門にノミネートされた。まぁ2008年はこれに決まりじゃないかな。ノミネート直前の脂が乗りきってる頃に、オリジナル・キャストで、しかも前から5列目の真ん中でこれを観たのは相当自慢できるかも。
予想を大きく裏切ったのが「Young Frankenstein」。最優秀作品賞も最優秀作曲賞も主演男優賞もノミネートされなかった。というかほとんど黙殺に近い。去年の「Legally Bronde」みたいな黙殺のされ方。んー、腑に落ちない。ボクは大好きだけどなぁ。
びっくりしたのは最優秀作品賞のノミネートされた「Cry-Baby」と「Xanadu」。
ノミネートするか!?
前者はともかく、後者は去年のプレビュー公演を観て「高校の文化祭レベル」とまで思ったぞ。まぁプレビュー公演(正式公開前のテスト公開)だったからあれから改良されたのかもしれないが、でもなぁ…。「Xanadu」をノミネートして「Young Frankenstein」をノミネートしないのはあんまりじゃないかな。「Cry-Baby」のノミネートもハテナもの。でもまぁこれは理解できなくはない。ただ、最優秀主演男優賞のノミネートは逃しているんだよね。彼の歌唱力で持っていた舞台だったのに。
悔やまれるのは最優秀作品賞など7部門にノミネートされた「Passing Strange」を観なかったことと、最優秀リバイバル作品賞ほか10部門にノミネートされた「南太平洋」を観なかったこと。特に後者は直前まで迷って観なかった。いまさら「バリ・ハイ」でもないと思ったのだった。観とけば良かった。「Gypsy」もPatti LuPone主演ということで一瞬考えたが、こんなにノミネートされるとは思わなかったな…。
トニー賞本番は6月15日20時(日本時間だと16日の朝9時)。その瞬間はモリとチャット状態に突入…のはずだけど、その時間は早朝会議とぶつかっている。むぅ。
ニューヨーク旅 総括(ミュージカル編)
2008年05月12日(月) 6:31:08
実質6日で、ミュージカル9本という目標はクリア(写真はクリックすると拡大します。去年観たのはこちら)。
他に、レストラン17軒、美術館3つ、野球1ゲーム。お会いした人9人。数字にするとそんな感じ。
ミュージカルは去年と今年の観劇旅行で計19本観たわけだが(人生全体でのべ50本くらい)、今からNYに行く方に極私的にオススメするなら、まずは「IN THE HEIGHTS」。旬だし勢いがあり素晴らしい。
ただヒスパニック系のお話しでラップやラテン音楽が中心。言葉もスペイン語が多用されるので、ミュージカルをある程度見慣れた人の方がいいかもしれない。全くの初心者には勧めにくいのも事実。英語もラップは聞き取りにくい(ボクはいずれにしても聞き取れないのであまり関係がなかったが)。
オフブロードウェイだけど、「FUERZA BRUTA」も良かったな。いかにも「NYに来ているぞ」という実感が味わえるだろう。でも濡れてもいい格好でね。
ミュージカルの完成度ではやっぱり「メリー・ポピンズ」が図抜けていると感じる。「オペラ座の怪人」はハワード・マクギリンが主演をしているうちに是非(意外とまだまだやりそうだけど)。9月に終わっちゃう「RENT」も必見。オリジナルメンバーはあまり残ってないが、意外といいキャスト。去年トニー賞を獲った「SPRING AWAKENING」や、毛色は違うけどとにかく楽しい「Avenue Q」もオススメ。日本では劇団四季がやってる「WICKED」も本場で観ておきたいし、新作だけど映画では名作「YOUNG FRANKENSTEIN」もなかなか良い。意外と「リトル・マーメイド」も良いし……
んー、きりがないので極私的オススメをタイプ別に分けてみよう。ここ数年のミュージカルから。
ミュージカル初心者には、「メリー・ポピンズ」「ヘアスプレー」「Avenue Q」「オペラ座の怪人」「WICKED」「MAMMA MIA!」の順でオススメかな。それぞれ楽しい。
ある程度観てる人が数年ぶりに行くなら、「SPRING AWAKENING」「メリー・ポピンズ」「JERSEY BOYS」「IN THE HEIGHTS」「YOUNG FRANKENSTEIN」の順でオススメ。ただ「JERSEY BOYS」はフォーシーズンスの曲をある程度知ってることが条件。
今年の新作からなら、「IN THE HEIGHTS」「YOUNG FRANKENSTEIN」「FUERZA BRUTA」「リトル・マーメイド」の順でオススメ。ボクは観てないけど「Passing Strange」も評判いいみたい。
クリエィター系の人なら「IN THE HEIGHTS」「FUERZA BRUTA」は必見。それプラス、去年のトニー賞最優秀作品賞「SPRING AWAKENING」あたりを押さえておけばそれなりにイマの息吹はわかる。あとは「Monty Python's SPAMALOT」かな。なんといってもモンティ・パイソンだし。
トニー賞の最優秀作品賞を観たい人は新しい順に「SPRING AWAKENING」「JERSEY BOYS」「Monty Python's SPAMALOT」「Avenue Q」「ヘアスプレー」です。あ、「RENT」も獲ってるか。2008年度の発表は6月15日ですね。
主演で選ぶなら、いま旬のDavid Hyde Pierceが「Curtains」で主演中(6/29で終演)。御大Harvey Fiersteinは「A Catered Affair」に出ていて脚本も彼だが、かなり地味な作品なのでファン以外には勧めない。Howard McGillinが主演中の「オペラ座の怪人」が必見なのは上述の通り。「メリー・ポピンズ」もAshley Brownが主演しているうちに是非(ちなみに、関係ないけど、ジュリー・アンドリュース主演の舞台をボクは1996年に観てます。自慢♪)。
というか、主演やキャストでガラリと作品の質が変わってしまうことがあるのがミュージカルの怖いところ。
たとえば「Monty Python's SPAMALOT」は大傑作なのだが、オリジナル・キャストが替わってしまって普通になってしまった(去年再見してガッカリした)。そういう意味では、たった今行くなら、初演メンバーがやっている「メリー・ポピンズ」「IN THE HEIGHTS」「YOUNG FRANKENSTEIN」あたりを観るといいなと思う。初演メンバーはかなり豪華にするのでお得なのだ。「IN THE HEIGHTS」なんか、モリと「初演メンバーで観られたのはラッキーですねぇ」「そうだねぇ」と話し合いながら帰ってきたくらいで。
「SPRING AWAKENING」も少し入れ替わり始めてるし、「JERSEY BOYS」は主演が替わってしまったらしい。
ちなみにチケットを買えるサイトはいろいろあるが、「ticket master」か「telecharge」が代表的。ほぼすべての演目がどちらかのサイトで買えるようになっている。英語不得意な人でもなんとか取れる。前者はカードで購入して、チケットは劇場のチケット売り場(Will Call窓口)に取り置いてもらう段取り。後者はEメール添付でチケットを送ってくるので、それをプリントアウトして持って行けばオッケー(プリントアウト必)。
また、観たい演目が確実に観られるわけではないが、当日のチケットは現地「TKTS」で取れる。いま工事中で46丁目(between Broadway & 8th Ave.)のMarriott Marquis Hotelに仮の店舗を構えている。25〜50%くらいのディスカウントだが、短い旅程の人は上記サイトで予約していった方が無難。もしくは「BroadwayBox.com」や「TheaterMania」みたいなディスカウント・サイトもある。
って、長くなったので、レストラン総括編は明日。
銀色夏生著「子どもとの暮らしと会話」
2008年04月22日(火) 7:31:55

「子どもとの暮らしと会話」。久しぶりの銀色夏生。題名がえらくストレート。詩ではなく、子供たち(中2と小2)との会話、そこから派生するいろんな想いを綴った本。
銀色夏生の「心の自由さ」に軽く打ちのめされる。
これは容易に手に入れられるものではなく、「心を自由であらせようとする瞬間瞬間の努力」を毎日毎時間毎分毎秒積み重ねていった結果であることはボクも知っている。だからこそ彼女は詩人であれるのだし、それは実に得難いことなのだが、でも「欲しいな」と無理を思った。これを手に入れるのにサラリーマンであること(つまり外部環境)は障害にならない。心のありようだから。でも、長い間にできあがってしまった自分の心の枠を取り払うのは、内臓にこびりついた脂肪を取り除くのよりだいぶ難しい。小さな努力と習慣の積み重ね。これに比べりゃダイエットなんか楽勝。
収めてあるいろんな会話がとても魅力的だ。
そうなんだよなー。子供との会話ってこうやって遺しておきたいものがいっぱいあるよなー…。日常の小さな小さな出来事と共に。
一方で銀色夏生が子供の性格を平気で「嫌い」「たえられない」「早く遠くへ行って欲しい」とか公に発表しちゃう(書いちゃう)のにもドキドキする。自由すぎない?(笑) でもそういう表現のおかげで、読み終わるころ、子供を上から目線で見ない彼女の姿勢が読者にうつり、自分たちも対等な地平にいるのを自覚する。フラットな目線の獲得。ここらへんは銀色夏生の真骨頂。レストランの食事が豊かな時間と栄養を与えてくれるように、彼女は新しい目線を提供してくれる。詩人というのは尊い仕事だな。
会話やエッセイだけでなく、写真やイラストも面白い。それらを丹念に拾って心に収めていると意外と時間がかかる。1日で読めるかな、と思った本だが、3日もかかってしまった。どっか田舎でゆっくり読むべき本かも。
この本をくれたのは遠くに行く友人。
くれた理由は理解したよ。ありがとう。気をつけて。
見忘れた!
2008年04月21日(月) 6:30:44
「ちりとてちん」のスペシャル番組(スピンオフドラマと違うヤツ。題名は「それぞれのちりとてちん」)、昨日BS2で放送されていたみたいですね。終わってからメールで知った。しまった!
でも、総合放送で再放送があるみたいです。ホッ。4月27日(日)25:15〜26:00。早速録画予約した。
草若の弟子たちが主人公のスピンオフドラマもBS2にての全国放送が決定したらしい(当初は関西ローカルの予定だった)。めでたしめでたし。きっとファンの声がNHKに殺到したのでしょう。
BS2といえば、おととい放映された「週刊ブックレビュー」のラストのベストセラー紹介に「明日の広告」が出た。渋谷ブックファーストの週刊ベストセラーを読み上げたところでほんの数秒(笑)。8位だった。出版してからまだたった3ヶ月なのだが、もうずいぶん昔みたいに感じていたから、あらためてうれしかった。買ってくださった方々、どうもありがとうございます。
最近いろんな作業が重なってちょっと余裕がなく、メールのお返事もたまっているし、いろんなところに不義理もしている。んー。こうやって友人知人をなくしていくのかも。というか、仕事関係とか大きな抜けがなければいいなぁ。そのくらい抜け抜け。すいません。
今年も行けるか!? ミュージカル
2008年04月07日(月) 7:40:28
土曜日はモリが東京に来ていたので一緒に夜ご飯。
銀座「ヴィラ・モウラ」でポルトガル料理を食べた後、家に呼んでピション・ラランドの1994を飲んだ。
去年に引き続き、またモリと一緒に「ニューヨーク・ミュージカル観劇ツアー」を敢行しようと画策していて、まだ日程は本決まりではないのだが「いま、どのミュージカルが面白いのか」を資料首っ引きで調べているところ。
今年公開の中ではこの3本が良さそうだ。「In the Heights」と「A Catered Affair」と「Cry-baby」。
「In the Heights」は「Rent」と「Avenue Q」をやったプロデューサーが仕切っていて、オフブロードウェイから上がってきたもののよう。なんだか想像はつくけど、でもまず間違いなく面白そう。「A Catered Affair」はハーヴェイ・ファイアスタインの脚本・主演なので必見。絶対観る。決まり。「Cry-baby」は初代「ヘアスプレー」のジョン・ウォーターズ監督のカルト映画(当時ジョニー・デップ主演)のミュージカル化。フィフティーズの音楽がふんだんに味わえそうだし、これも決まりかな。
この3本に「Young Frankenstein」、そしてディズニーの新作「The Little Mermaid」で5本か。リバイバルの「South Pacific」(南太平洋)を入れて6本。あとはなんだろうな。どなたか、今年のトニー賞の下馬評とかに詳しい方、ヘルプ!
ま、あとは再見系もあるかな。
モリは「JERSEY BOYS」をもう一度観たいと言っていた。ボクは、んー、意外と「Mary Poppins」がもう一度観たいかも。あと、もう3回目になるけど「Avenue Q」。暗記する勢い(笑)。
調べていたら、今年の秋から公開されるミュージカルの中に「Billy Elliot」があった。これって映画の「リトルダンサー」のミュージカル化だよね。う〜観たい! 来年も行かなアカン(笑)
「と村」と「戸村飯店」
2008年04月05日(土) 14:12:10
ずっと行きたかった「京料理 と村」へ。
派手さはないが滋味溢れ、シンプルな中に奥深さがある料理群。このわたの茶碗蒸し、京茄子の焚き物、そして寒もろこに参った。特に寒もろこ。絶品であった。全体にある程度食べ慣れた人に向いている店かな。価格的に安くはないので、それなりに余裕がある熟年向きだ。ボクにはもう十年早い感じ。
京都「嵐山吉兆」で13年修業した戸村仁男さん(実は千葉外房生まれ)は、一見気むずかしそうに見えるが、とても饒舌な方で、食材の話やレシピの話、修業の話などになるとニコヤカによく話される。
彼は青森の赤石川(天然遡上)に毎年鮎を釣りに行くそうで、鮎釣りを趣味のひとつとするボクとしばし友釣りの話で盛り上がった。
というか、東京に転勤してから鮎釣り行ってないな。世界最高に面白い釣りだと思うのだが、川が近くになんぼでもある関西に比べて、東京は相当遠くに行かないとおいしい鮎がいる川がない。でも戸村さんと話しているうちにふつふつと鮎欲が蘇ってきたので、今年はなんとか時間を作って行きたい。7月かな。どっかの土日をなんとかあけよう(無理かもしれないが)。

戸村と言えば、瀬尾まいこの新作「戸村飯店 青春100連発」(理論社/1500円)をちょうど同じ日に読んだ。そんなに多くない名字なのに偶然。戸村の日。
瀬尾まいこって高校生の気持ちを書かせたら天下一品である。戸村飯店の二人の兄弟の桎梏と解放が明るい筆致で描かれている佳作だ。
今回はナチュラルな大阪弁も炸裂しており、エセ大阪弁を操れるボクとしては楽しくも懐かしい(東京の人には違和感あるかも)。大阪弁の小説ってわざとらしいのが多いのだけど、この本はまったくそれを感じさせない。しかも東京と大阪の空気の違いが明確に描かれており、その点も愉快。
100連発というと吉本の名作「ギャグ100連発」を思い起こさせるし、わりと疾走感&炸裂感がある題名だと思うが、この前紹介した「仏果を得ず」と同じく、題名で少し損していると思う。疾走感&炸裂感というよりは、普通に温かくてさわやかな青春小説なのだ。少しキワモノに見えてしまうし、はしゃぎすぎに見えてもしまうかも。
でも、この兄弟、どっちも好きだなぁ。特に弟は名作「幸福な食卓」の大浦勉学くんみたい。いいキャラだ。読みやすい分、少し損をしている作家であるが、ボクはこの読みやすくさりげないところが好き。
三浦しをん著「仏果を得ず」
2008年04月03日(木) 8:06:18

すっかり「ちりとてブログ」になりつつある昨今だが、ワールド的にとても近い本を読んだのでご紹介。三浦しをん著「仏果を得ず」(双葉社/1500円)。「ちりとてちん」が好きな方ならたぶん好き。といっても小浜家族編ではなく大阪草若一門編の方だけど。
この本は落語ではなく、文楽(人形浄瑠璃)の義太夫を題材にしている現代劇。
義太夫語りは落語「寝床」でも取り上げられるけど、その義太夫節を修行中の若者のお話である。古い芸能を伝承していこうとする若者たちが等身大で瑞々しく描かれている。毎章、テーマとなる文楽の解釈に悩みながら成長する主人公がなかなか魅力的(ある意味これも本歌取り)。知らなかった世界を楽しく知れる、という意味でも、純粋に小説としても、なかなかいい本である。
文楽は去年初めて観に(聞きに)行った。
普通初心者は人形遣いのそのリアルさに関心が向くらしいが、そのときのメモでも書いたように、ボクは最初から義太夫に目が釘付け。人形をあまり見なかったくらいである。竹本住大夫と豊竹嶋大夫。すごかったなぁ。
そういうこともあってか、この本の題材である義太夫は多少身近で、銀大夫の語りなども目に浮かぶようであるし、三味線とのやり合いなども十二分に楽しめた。義太夫語りの舞台裏を楽しく知れるのもうれしい。文楽が急激に身近になる。
とはいえ文楽をまったく知らない人でも楽しめるので大丈夫。読後、きっと文楽が観たくて観たくてたまらなくなること請け合いだ。この本は文楽ファンを急激に増やすだろうなぁ。
全体にさらりと読みやすく、多少漫画チック。というか連続ドラマっぽい(笑)。イケメンを配役すれば充分ドラマ化にも耐えうる内容。
惜しいと思うのは主人公の背景描写がさらりとしすぎている部分。「ちりとて」で言ったら小浜家族編的な部分がほとんど描かれない。その分シンプルにストーリーを楽しめるのは確かなのだが。
それと題名。読み終わってからだと「なるほど」と思うのだが、これは取っつきにくすぎる題名かも。表紙を漫画にするなど、文楽という一般ウケしにくいテーマの本を読者が手に取りやすい工夫はしてあるのに、題名が抹香臭くて一瞬「難しい本か?」と手が止まってしまう。ちょっと残念。
「ちりとて」ファン的には、「この役は加藤虎ノ介しかできん!」という、きわめて四草なキャラが重要人物として出てくるのでお楽しみに。
「ちりとてちん」のスピンオフドラマ
2008年04月02日(水) 9:28:24
昨日は全国の「ちりとてちん」ファンからのメールで受信簿が埋まりました。
こんなに悲痛なメールの数々は記憶にない(笑)
そこまで思い入れさせられるドラマだったのですね。この思いはきっと制作陣にも届いているだろうし、視聴率最低だったことに彼らもショックを受けていないかもしれないなと。歴代最低でもこれだけ「深く」届いていれば、逆に誇りに思えることでしょう。
で、どうやら「ちりとてちん」のスピンオフドラマが制作決定になったようですね。
制作統括の遠藤氏のここへの書き込みによると「草原(桂吉弥さん)・小草若(茂山宗彦さん)・四草(加藤虎ノ介さん)の三人を中心にしたスピンオフドラマを大阪局で制作することにいたしました。連続テレビ小説でスピンオフドラマが制作されるのは初めてのことです」とのこと。パチパチパチ。
いまのところ関西のみのオンエアー予定らしいけど、全国放送の可能性も高いらしいので、これは楽しみに待つしかないですね。NHKの番組企画の多さと決定までの超大変な道のりはある方から聞いてよくよく知っているので、今の段階では「作ってくれるだけで超有り難い」というところ。
それにしても。ほとんどの方がBSで見てますね。今回のメールの嵐でそれもまた実感。
8時15分に総合テレビで見ることができる主婦の方も、裏でやっているNHK教育の「いないいないばぁっ!」を子供に見せていることが多いみたいでやはりBS。もしくは録画。メールだけのサンプルとはいえ、朝ドラに関しては視聴率は全く当てにならないことがよくわかりました(まぁビデオリサーチの少ないサンプル家庭の行動で決まっちゃうので一般家庭の行動は反映されないとはいえ)。
というか、視聴率という仕組みや考え方自体が20世紀の遺物なのが(いままでもそうとは思っていたけど改めて)いろんな方のメールから肌感覚でわかったな。視聴形態の多様化の進み方は尋常じゃないのに、いまだに「お茶の間での視聴率」を基準にしているテレビ局。生活者のメディア接触の変化との乖離はどんどん大きくなるばかり。そして「お茶の間での視聴率」に影響されて「お茶の間にウケる番組」を作るから、乖離は加速度的に広がる。お茶の間にはもう老人と子供しかいないのに。テレビがどんどんつまらなくなるスパイラル。
ま、それはそれとして、スピンオフドラマ、草若一門の外伝が見られるのはうれしいな。キャラとしては四草をもっと掘り下げて見せてほしいとか思ふ。
「ちりとてちん」が朝ドラ史上最低視聴率 !?
2008年04月01日(火) 8:01:11
なんと。低いとは聞いていたが。
NHK総合で29日まで放送された連続テレビ小説「ちりとてちん」の平均視聴率が関東地区で15.9%と過去最低だったことが31日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は17.0%だった。これまでの関東地区の平均視聴率の最低は、2004年の「天花」の16.2%。昨年の「芋たこなんきん」は16.8%だった。(時事通信より)ありえん。マジありえん。史上最高の出来だと確信するあの朝ドラが。
というか、モノを作る人間の端くれとしてショックが大きい。
あれだけイイモノを作っておいて朝ドラ史上最低って…。つらいなぁ。こんなニュース、あの力作のスタッフや役者たちの耳に入れたくない。頼む。このニュースを知らずに生きていってくれ(無理)。
ま、でも、ボクにメールくださった方のほとんどが7時30分からBS2で見ていたようなので(ボクも)、視聴率に換算されないんだよな。サラリーマンで8時15分からゆっくり見られる人は少ないので、どうしても7時30分からBS2で見るようになるし、そうなると家族もそこで見るだろう。
あと多かったのは土曜にBSで5話まとめて見る、というパターン。これも意外と見ている人が多いようだった。BSの視聴率は足せないのか? 足せたら間違いなくそこそこの視聴率行ったはずだ。だって周りでファン、とても多いもの。「天花」や「芋たこなんきん」の比ではないもの。
しかし…。
あれだけ素晴らしい脚本を書きながら朝ドラ史上最低視聴率の汚名をかぶらないといけない藤本有紀さんの気持ちを考えるとせつないな。でも逆にコアで熱狂的なファンは得ただろうから、薄く広くウケるよりいいかもしれない。「ちりとてちん」の素晴らしさを知っているヒトは必ずや藤本有紀さんの次作を見るだろう。
そして決心した。オレはDVDを買う(笑)
磯山晶や宮藤官九郎のドラマのように、放映時の視聴率は悪いけどDVDの売上げは抜群ってヤツに、このドラマをしてやりたい。微力ながら。
関係ないけど、ついでにもうひとつ大ショック。
前々日にも書いたように自転車通勤の季節だなぁとウキウキしていたら、昨日、会社で通達があった。「自転車通勤は一切禁止!」とのこと。いままでも不文律として「禁止」だったが明文化されるとのこと。マジ? うぅ。もうこんな快感は味わえないのか(まぁこんな危険もあるのだけど)。なんだよ。なんでだよ。うー……。
ポケットに万歩計
2008年03月30日(日) 8:15:46
最近、万歩計をポケットに入れておくのが習慣となった。
オムロンのこれ。色はもちろん赤。ポケットや鞄に入れっぱなしにしていてもほぼ正確に計ってくれる万歩計なので負担にならないし、あまり大きくないし、カタカタいわない。7日間メモリーつきなので見るのを忘れていても過去にさかのぼってチェックできる。など、あまり「万歩計を使ってるワタクシ」を意識しなくていいのがいい。万歩計って効果抜群なのだけど、「意識してやっている自分」はあまり好きではないのだ。万歩計ってなんか老人くさいし。
そんなこともあって、歩数を増やすのが楽しい時期。
毎日1万〜1万2千歩くらいを目安にしている。普通に会社行って仕事していると7〜8千歩程度なので、意識して数千歩歩けば目標は達する。通勤時はひとつ前の駅で降りて歩いても歩数が千歩ほど増えるわりにあまり時間が変わらないことを発見。降車駅を変えた。クライアントに行くときもあまり遠くなければ20分ほど早く会社を出て歩く。このふたつをすれば1万歩近くまでは行く。
夜は夜で会食の場所まで歩く習慣がついてきた。
先週もよく歩いたな。六本木のとある店で出張料理人&料理教室主宰のマカロン由香さんを独占して料理を作っていただいた時も銀座から六本木まで歩いた(料理はさすがにうまかった! マカロン由香さんありがとう!)。日本橋の有名なラーメン屋の夜メニューを楽しんだ時も新橋から歩いたし(料理は予想外に美味だった)、銀座の高級割烹の時は品川近辺から銀座まで歩いた(料理は唸ったね)。茅場町の新しい居酒屋「集楽」で同期会したときも飲んだ帰りに茅場町から新橋くらいまで歩いた(大箱だけど安くてとてもうまい。宴会にオススメ)。
先週一番長く歩いたのは新橋から恵比寿か。それでも超早足で1時間ちょい。打ち合わせに遅れず、しかも企画をいろいろ考えられる。歩くことは考えること。気持ちいいし、徐々に体力がついてくるので集中力も増す。まぁそれも5月過ぎあたりから汗ビショになっちゃうのでまた難しくなるのだけど。
そういえばそろそろ自転車通勤の季節だ。
冬と夏はやめているのだが、春と秋は気持ちがいいからまたやり始めよう。自転車を整備しなくては。家から会社まで約45分くらい。季節もいいし、Macも軽くなったし。
その道中の陽気なこと!
2008年03月29日(土) 10:28:24
全部つながって、未来へもつながって、緻密な伏線もちゃんと機能して、おかしな人間たちがそれぞれに居場所を見つけて、見事に大団円を迎えた「ちりとてちん」。
最終回も素晴らしい出来。草々の産室前の「愛宕山」、泣けた。ラストの貫地谷しほりの「母の笑顔」の長回し、泣けた。それぞれに微妙に緩く長いカットなのだが、この「数秒余分な編集」がとてもいい。全編通じて上手に上手に「緩さ」を演出している。脚本が隙なくカッチリしているので、演出までカッチリすると視聴者がついてきにくい。その辺までしっかり計算されている感じ。
実際のラストは2007年春の出来事なのに、ナレーションが「2025年くらいの未来から目線」になっているのも良いね。ボクは好き。上沼恵美子のナレーション、最初はイヤな予感がしたけど、最後まであっさりすっきりでとてもよかった。
この朝ドラ、佐橋俊彦の音楽も秀逸だった。
YouTubeを見てみると、サントラをバックに編集している動画が投稿されているのだが、これが意外といい編集で泣ける。著作権的に問題なのでリンクはしないが、YouTubeのトップから「ちりとてちん サントラ」で検索すればズラリと見られる。
いい編集と言えば「Taiyo ni Chiritotechin」という動画も投稿されていて、これは「太陽にほえろ!」のオープニングを模して「ちりとてちん」の登場人物紹介をしているもの。これがまたよく出来ている。これもYouTubeで「Taiyo ni Chiritotechin」で検索すると見られる。2じゃなくて1の方がよい。
ちなみに総集編は5月5日6日の朝8時35分からNHK総合テレビでやる。このスタッフだもの、たぶん相当凝って編集するはず。楽しみだ。
「ちりとてちん落語ワールドSP」という番組も今日の朝11時から(BS2)と日曜の朝8時から(総合)やるみたい。「それぞれの『ちりとてちん』」という番組もあるらしいが、これは関西・福井エリアのみの放送。うぅ。東京でもやれよ!
まぁ「ちりとてちん、最高ですね」と話しかけてくれる人もメールくださる人も、関ヶ原より西の方の人が圧倒的に多いから仕方ないのかな。舞台が西だし。それに、あの笑いの感覚やギリギリのわざとらしさ、湿度の高さなどは、やはり東より西の人の方がしっくり来るのだろう。視聴率の低さもそういうこと? もうこんなに面白くて完成度の高い朝ドラは二度とないと思うのだけど。
ドラマの中で繰り返し語られた「愛宕山」。
野辺へ出てまいりますと、春先のことで、空にはヒバリがピーチクパーチクピーチクパーチクさえずって、下にはレンゲたんぽぽの花盛り。かげろうがこう萌え立ちまして、遠山にはふあ〜っと霞の帯をひいたよう。麦が青々と伸びて菜種の花が彩っていようかという本陽気、やかましゅう言うてやってまいります、その道中の陽気なこと!ここに込められたメッセージ、きちんと受け止めさせてもらいました。ありがとう「ちりとてちん」。
今日も泣けたぞ「ちりとてちん」
2008年03月28日(金) 9:21:24
あぁ今日も泣けたなぁ「ちりとてちん」。
和久井映見の演技素晴らしき。貫地谷しほりも素晴らしき。そして藤本有紀の脚本、そーこーぬーけーにー素晴らしき。落語をベースに、これだけたくさんのテーマを入れ込んで、伏線もたくさん張り巡らして、ラストまで破綻なくスッと胃の腑に落ちてくる。で、最後の最後でこう来るか。なるほど…。和久井映見の泣き顔にもらい泣き。いつからこんないい役者になったんだ?
NHK大阪の人に聞いたが、たいていの朝ドラは放映しながらストーリーをどんどん変えたり書き直したりするらしいのに、この「ちりとてちん」は最初からほぼ完璧にラストまでの脚本ができあがっていて、それをほとんど変えてないらしい。さもありなん。手の入れようがない。
あぁ明日で最終回。個人的には「歴史に残る人情話」かと。
各登場人物の見事な描き込み、抜群のキャスティング、落語へのリスペクトと本歌取り、軽快なボケとツッコミ、凝った挿入歌と音楽、笑えるサブタイトル、シンプルなナレーション、わかる人にしかわからない細かい遊び、そして熱演の役者陣。
適度にわざとらしいのもイイ。ギリギリの線を狙っている。ダメな主人公というのもイイ。さわやか重視の朝ドラの常識を破りつつ、実に自然で共感できる。いや、主人公だけでなく、よく見ていくと登場人物全員「ダメ」というのもまたイイ。「ダメな人間たちが助け合って一生懸命生きていくおもろさ」がここまでちゃんと描かれているドラマは他にない。んでもって、笑いと泣かせの絶妙な配分。笑わせたと思ったら泣かせ、泣かせたと思ったら笑わせる。うまいなぁ。
それにしても小浜市。バラク・オバマで浮かれるのではなく「ちりとてちん」で浮かれて欲しかった。若狭塗り箸がここまでフィーチャーされ、ドラマの重要な主題にまでなっているのにほとんどそういう盛り上がりが聞こえてこない(少なくとも東京のボクには)。まぁ商売っ気が見えすぎるのもイヤだが、塗り箸への興味が最大限に高まったこの半年、もうちょっと何かやりようはなかったのかな。
「ちりとてちん 完全版 DVD-BOX I」、2008年5月21日発売予定か。
予約しようかな。総集編でなくて完全版が出て良かった。視聴率悪かったらしいから(見なかった人かわいそ)総集編発売がいいところか、と思っていたので。
と、いま「ちりとてちん」のサイトを見ていたら、制作統括の遠藤理史氏が「最終回、ぜひタイトルバックの最初から見てください! 放送開始2秒後から、最終回だけのスペシャルな仕掛けがありますから!」と書いている。ハイ。見ます。
映画「バンテージ・ポイント」
2008年03月25日(火) 7:53:02
あちこちのブログで褒めてあったので遅ればせながら観に行った。
大変クレバーな映画。おもろかったなぁ。
ひとつの事件を8つの異なる視点(バンテージ・ポイント)からオムニバス的に描いており、エピソードが進むに従って次々新たなる意外な事実が浮かび上がってきて、一見シンプルに見えるシーンの複雑な裏側が明らかになっていく。その畳みかけの仕方が見事で、脚本の完成度の高さに舌を巻く。演出もカメラワークも文句なし。
時間の切り取り方がどこか「パルプ・フィクション」的なのだが、タランティーノが上手なのは「少し退屈な時間を作る」こと。長編にはその「隙」が必要不可欠だとボクは思っているが、この映画にはそれがない。最初から最後まで絶え間なく観客を引きずり回す。1時間30分という短い上映時間にしたのはそのためだろうが、あと30分の「隙」を足して2時間ものにしていたら名作になったのではないかと思わされる。後半、もう少しだけ人間が描けていたら、と惜しく思う。ただ、時間を巻き戻して周辺を何度も丹念に描くことで人物像が次第に浮かび上がってくる快感も捨てがたいので微妙なところか。
こういうクレバーな映画は「感心はするけど感動はしない」ものである。でも、最終エピソードのカーチェイスと卓越した編集がそれを救っている。ある男のエピソードがかなり不自然なのと、ある女性(有名女優なので重要登場人物に見える)のその後が描かれないこと、カーチェイスがさすがにやり過ぎではないかと思わされることなど、多少瑕疵はあるが、かなりの良作。というか、もう一度観たい。この週末、もう一回観に行こうかな。
クレイジー・ケン・バンド ZERO TOUR 2K8
2008年03月15日(土) 6:46:35
あるご縁があって、クレイジー・ケン・バンド(CKB)の「ZERO TOUR 2K8」のファイナル・ライブへ行ってきた。@横浜Blitz
いやぁこのご縁がなければ一生行かなかったかも。んでもってこの素晴らしさを一生知らずに生きていったかも。そのくらい嵌ったな。格好良いけど格好悪い。シリアスだけどコミック。クレバーだけど頭悪い。イマだけど昭和。王道だけど場末。すげーや。
このバランスというか両面性にどんどん吸い込まれていき、時間を忘れた。
ボクは背が高いのでこういうスタンディング・ライブは後ろのヒトを気にして中腰になり、かなりキツイのだが、途中からどうでもよくなってノッた(後ろのヒトとかスマン)。知ってる曲が「GT」「タイガー&ドラゴン」くらいしかなかったのだが、どの曲もとっくに知っていたようにしっくりくる。演奏も素晴らしく聞き飽きしない。いやぁいいわ。つか横山剣、格好良すぎ。
一応、中学2年から大学1年まで横浜の祖父母の家に預けられたので、この横浜ドメインのバンドの「横浜の匂い」はよくわかる。そういう肌感覚もあるのかもしれないが、やはり同年代というのが大きいか。横山剣は48歳。ボクは今年47歳。彼が持っている「昭和の匂い」がもうボクの心のストライク・ゾーンにビシッと嵌る。
終演後、総勢7人で関内の「青香延」へ。
いや、この店もすごい。羊肉串専門店・中国東北延辺料理と銘打っているのだが、朝鮮系中国人がやっていて独特の辛み。うめー。
一緒に行ったメンバーがこれまた超濃くて、ちょっとここでは書けないようなメンバー。一緒にいられて光栄なヒトばかり。ありがとうございました。
というか、一番感謝しないといけないのは、このプラチナ・チケットをネットに齧り付いて取ってくれたあのヒト。ありがとう。また是非。
ゲームあれこれ
2008年03月10日(月) 6:35:17
あれは森崎くんが家に来た日だから、2/11だったかな。彼が「ドラクエ4 DS版」を置いていったので、それからチマチマとやっていたのである。
で、先週末、裏ボスも倒して完全終了。昔あんなに時間をかけてやったゲームなのに筋をほとんど覚えておらず、新鮮な気分でやりきった。ボクならエンディングをもっと感動的な演出にするなぁとか思いつつ、ちょっとスクルトが効果ありすぎだよなぁとかも思いつつ、というかライアンやトルネコが使えなさすぎ!とかも思いつつ、でもまぁよく出来たRPGざんした。
ゲームといえば「Wii ファミリースキー」を2月は家族でやっていた。
これ、「私をスキーに連れてって」世代には最高だ。なんてったって滑りながらのBGMがユーミンなのだ。「恋人はサンタクロース」とか「ブリザード」とかを聴きながら滑る。しかもちゃんとスキー場のスピーカー的な音。リフト乗っててスピーカー近くになると音が大きくなる(ちゃんとガコンガコンとリフトが揺れもする)。ま、なんつうか、しばらくやっていると飽きるゲームでもあるのだが(滑ってるだけなので)、この臨場感だけは最高。しばらく夢中になった。作った人、わかってるなぁ。
そういう意味では「Wii Fit」もよかった。意外とエンターテイメント満載してるのね。なかなか楽しい。
って、わりとゲームやってるな。ムスメはまだ「ドラクエ8」をチマチマやっている。期末テストも終わったし、この試験休みと春休みで終えるつもりだろう。やっているのをこっそり見ているとキャーキャー独り言言いながらやっている。中ボス戦とかやかましくてかなわん。ま、やりきってくれ。
あ、それと、一応DSでの英単語もムスメは始めた。春休み中に中学生用のを終了するのがゴール。1800語。大丈夫かな。やりきってくれ。
『ちりとてちん』収録セット公開
2008年03月08日(土) 10:36:24
昨晩は大阪。
新幹線で夜に着いて、NHK大阪に用事があって行ったのだが、そしたら奥さん、一階で「期間限定『ちりとてちん』収録セット一般公開」というイベントをやっているではないですか! 草若の家が離れを含めてまるごと、そして居酒屋「寝床」も公開されている! いきなりミーハー素人になって写真を撮りまくる。今週まで(正確に言うと日曜まで)のイベントのようだ。いやラッキー。草若の家の設計図もあったのでじっと楽しむ。なるほどなるほど。
社屋に入って局のアナウンサー(男性)とちょっと打ち合わせた後、南森町の「みやび亭」で一緒にご飯。3500円のコースのあまりのリーズナブルさに大阪の競争の激しさを知る。この値段なのにとてもうまいしちゃんとしている。しかし夜でこの値段でよくやっていけるなぁ。
彼らと別れてちょっとだけのつもりで北新地のいつものバーを覗いたらおるおるおる(笑)
でも時間も遅めだったのでそこでは軽く。先輩方と別れたあと「ついてきます!」という若い後輩を連れてその後2軒。いやぁ週末とはいえ、北新地、異様な人出。午前2時なのにラッシュアワーのようだった。景気が戻ってきているのかも。
しかし大阪は寒いな。東京より寒い。風邪ひく寸前な感じ。3月は昼も夜も忙しいので気をつけよう。
プール後の洗眼は逆効果
2008年02月22日(金) 7:04:07
おととしプール熱にやられたこともあって、プール直後のうがいと洗眼は習慣にしている。プールサイドの洗面台でそれをしてからシャワーを浴びる。うがい中心だが、例のどこかサメのハンマーヘッドを思わせる洗眼用水道も横にあるからよく使うのだ。
で、厚労省も文科省も「プール後の洗眼」を奨励してきたらしいのだが、最近の慶応大の研究によると、プール後の水道水での洗眼は逆効果らしい。「塩素で角膜が傷ついた目の表面の粘液が洗い流されてしまい」(←ニュース原文ママ。わかりにくいな)、逆に細菌やウイルスに感染しやすくなるという。
検索したら過去にも「水道水で目を洗う行為は、予防につながるどころか、かえって目に悪影響を与える。以前はプール内の塩素濃度が高いため、目に付着した塩素を洗い流す目的で洗眼を行っていたと考えられるが、水道水は涙液とは浸透圧が異なるため、角膜上皮障害を起こしやすい」と発言している眼科医がいた(細川眼科クリニック)。どうやら眼科医の間では常識的なことだった模様。
あぁ、念入りにやっていたワタクシ。勘弁してほしいなぁ。
ということで「もう洗眼はしない!」と忘れないために、メモ。
ところで、プール後の「うがい」はどうなんだろう。
塩素で傷ついた喉の粘液が洗い流されてしまい、スポーツクラブから外に出た途端に最近やウイルスに感染しやすくなるということはないのだろうか。お医者さんたちのご意見、お聞きしたく。
満劇2008年公演「それは秘密です」
2008年02月09日(土) 19:44:10
満員劇場御礼座2008年ひそひそ公演「それは秘密です」東京版、に行ってきた。
大阪で活動するサラリーマン劇団で、数年に一回、こうして東京に大阪のアホなお笑いを届けてくれる。
3時間たっぷり、6話のオムニバス形式。おととし大阪で一度観ている3本と、東京公演用新作3本。いや〜、こんなおもろいお芝居がわざわざ手土産持って(もれなくポッキーつき)大阪から出張してきてくれるとは、なんと贅沢なことか。しかも出てる人のほとんどはリアルに会社の先輩後輩。ボクにとってはおもろすぎて天国みたいなひとときであった。
知り合いが出ている芝居というのは客として肩が凝る。頭真っ白になってセリフ忘れないかドキドキするのだ。
実際、満劇の過去の芝居では相当ドキドキしたこともあった。座長の「ライス大」に至っては舞台デビューの時から観ていて、そのときなんぞ、もう心臓が口から飛び出そうな緊張を味わった。リアルに本人の大ボケを知っているから怖くて舞台が観られない。少しセリフを噛んだだけでドッキ〜ッと震え上がる。終演後のグッタリ感限りなし。疲労困憊。ふらふらだった。周りを見たらみんなふらふらしていた。
でも今回はびっくり。ライス大、大好演。安定感あって全くドキドキしない。見事な座長ぶり。素晴らしかった。
藤白アル子も堂島サバ吉もうまくなったなぁ。舞台を締める淀川フーヨーハイ、桂雲呑の名演は言うまでもないが、朝潮でんぷん、緑ファンタ、天王寺春雨あたりは演技に安定感が出てきて味がある。楠葉プリンも舞子わかめも心斎橋ラムネもライス兄弟も…ってキリがないけど(おわかりの通り、基本的に出身地と好きな食べ物を組み合わせて芸名になっている模様です)。
と、こうして満劇劇団員を評論できるくらいは見続けてきているが、そうなってくると、やはり芦屋キムチが出ていた頃が懐かしい。スチャラカ社員シリーズを再演してほしいけど、彼がいないと無理だもんなぁ…。
演目は第四話の『おでん屋の女』が客席的に微妙だった。
というのは、大阪だと、ライス兄弟の片割れ「ライスさとし」から滲み出てくる変な空気でたぶん笑いが取れるのだけど、東京だとああいう空気に共感する土壌がない。笑わな損、と考える大阪の客じゃないと、あの演目はつらいのかも、と観ていてちょっと思った。
あとの5つはどれも笑えて楽しい。3時間があっという間。新作もとても良い。ライスたけお大熱演の『煩悩』が特に気に入った。ただ、大阪公演で締めを飾った『続・メールフレンド』をもう一回観たかったかも。
終演後、外に出た客たちの顔はみんなニッコニコ。
業界的になかなか濃いメンバーが観に来ていたが、みんな顔が緩みきっていた。この劇団の味だなぁ。客をこういう「ド緩い顔」にさせてしまうところがこの劇団の持ち味だろう。
座長のライス大や大黒柱の淀川フーヨーハイはうちの会社の偉いさんでもある。こういう人たちが会社のトップの方にいる会社って相当いい会社だなぁ、と、厚顔にも言い切ってしまいたい。でもまぁ大阪と東京とでは別会社みたいに雰囲気違うんだけど(笑)
※日曜の夜の部はまだ空席があるようです! 当日券は劇場までお問い合わせを!(03-3791-6566)
ボクがよく見る動画
2008年02月06日(水) 8:54:41
最近見た動画の中では「Frozen Grand Central」が一番印象的だった。
こういうパフォーマンスというかインスタレーションは大好きだ。超好み。いいなぁ。なんというか、自分が生きている何気ない時間自体の劇場性に気づき、精神が異化される感じ。まさに芸術そのものじゃないか。
動画で言うと「Free Hugs Campaign」も好き。
これはずいぶん前のものだけど、たまに疲れ切った夜とかに見るとてきめんに効く。カサカサになった心にすぅっと水が与えられる感じ。人間も捨てたもんじゃないと思う。というか、もしかしたらこの延長線上に国とか政治とかの争いを越えた「民衆による世界平和の実現」があるのではないか、とすら思う。性善説すぎると言われるかもしれないけど。でも、ベルリンの壁が民衆によって崩されたようなカタチがネットで起こらないと誰が言える?
実際これはその後世界各地に広がってるし(関連動画)。
それと「Where the Hell is Matt?」も好きかな。
これも超有名だが、なぜか何度も何度も見てしまう。自分たちが生きている地球という星がなんだかやけにリアルに感じられる。環境保護や世界平和を正論的に真っ正面から声高に叫ぶより、こういう表現の方が心に届くし感じられる。優れたコミュニケーションとはこういうことだ。
有名ついでに「Kiwi!」。しみじみするね。これはお酒を飲んだ夜中なんかにこっそり見ると効く(笑)
さなメモではあまり紹介しないけど(講演ではわりと紹介している)、いい動画はたくさんコレクションしているので、また定期的に紹介します。「これはオススメ!」とか言うのがあったら是非お教えください。
荒川修作 講演会「死ぬのは法律違反です」
2008年02月03日(日) 9:52:21
先週、荒川修作の講演会に行ってきた。
題して「死ぬのは法律違反です 〜死に抗する建築〜」。英語で言うと「Making Dying Illegal」。ご存じない方のために説明すると、荒川修作は芸術家・建築家・哲学家で、有名なのは養老天命反転地と三鷹天命反転住宅かな。
彼の講演をちゃんと聴くのは2回目。1回目より荒川節に磨きがかかって自由自在だった。珠玉の言葉の連続。でも彼の講演は「荒川修作の言葉を受け止めようとする人には珠玉の言葉の連続に聞こえるが、荒川修作の言葉を受け止めようとしない人には支離滅裂に聞こえる」という特徴があるので、会場の他の人がどう思っていたかは知らない。「このオッサン、何言ってるか全然わかんねぇよ」というような顔で聞いている人が多かったと思う。
というか、明らかにボクは有利だ。
2年半前に彼が作った三鷹天命反転住宅の住宅内特別公開に参加している。つまり彼が訴える「死なない住宅」「生命の外在化」を体験・体感しているのだ。彼がバリアフリーの風潮に反対して言っている「負荷のない暮らしはかえって人を衰えさせます」という言葉も、体感してようやく心底理解した。あの住宅を体感しているといないとでは理解の度合いは違うだろう。
彼は言う。
ここに住めば普通に生活するだけで身体の細部のあらゆる細胞や筋肉の活性化が始まり、共同の免疫力や新しい感覚が出現し始めるのです。健康になり長寿になる。だから今までの建築や住居とは全く目的が違います。ここに住むには「使用法」があって、その通りに住まなくちゃならない。それほどプリミティブ(原始的)につくってあります。使用法がなくても使えるような家はもうつくってはいけないのです。この言葉も、あそこに実際に行って、家の中を歩き回ったり体感したりするとよくわかるのだ。
というか、笑うなよ。
マジな話なのだが、その日、ひどい風邪をひいてその見学会に参加したのだ。で、約2時間あの家の中にいただけで見事に風邪が治っていた。いやホント。その顛末は昔のさなメモ(ココとココ。写真も見られます)にも書いたが、あれには本当にビックリした。脳でなく、身体が勝手に反応したのである。
あの家はすごい。お金があったら買って住んでみたいな、とたまにぼんやり考える。人間の日常を「異化」してくれる家。毎分毎秒「異化」が起こるのは、ココロにもカラダにもとても大きな影響を与えるだろう。あの体験を元に彼の話を聞くといろんなことがよくわかる。いや、正確に言うと言葉や論旨はよくわからない。でも身体が納得する。「意味はわかんないけど『そうなんだ』と知っている」みたいな感覚。
荒川修作の素晴らしいところは、哲学に終わらせず、実践として「運動」にするところだ。
彼はいま高知に理想郷を作ろうと画策しているらしい。「それにはお金がいる」と衒いもなく訴える。なんでこういう素晴らしい哲学にみんなお金を出さないんだ、と訴え、営業する。その辺がユニークだし面白い。
身体は使い方次第で「生命」という現象を外在化できるのだ、と彼は訴える。だから「死なない」し、死ぬことはイリーガルなのだ、と。「僕たちは太陽だって作れちゃうんだよ。そんなことも知らないでみんな生きているんだ」。あぁ気持ちいいなぁ、荒川節。でも荒川さん、ボクも最近少しわかるようになりました。死なない、という意味が。まだ茫洋としてはいるけど。
彼の本「死ぬのは法律違反です」は
こちら。
ちなみに、3年半ほど前に彼の講演を聴いて印象に残った言葉はこんなの。
「ヒトは形あるものに名前をつけたが、目や手から出た力みたいなものに名前をつけず、認めない。形あるものしか認めないから死ぬんだ。身体がなくなったと同時に死ぬんだ。でも身体がなくなっても人間は死なないんだ。それがおまえらバカは誰もわからない」
家族で「サウンド・オブ・ミュージック」
2008年01月26日(土) 23:03:50
ムスメは、学校の「音楽の時間」に授業として映画「サウンド・オブ・ミュージック」を毎回少しずつ観ているのだそうだ。
おお、それはいい授業だ。
まぁ本当は細切れに観て欲しくない映画なのだが、学校で友達と一緒に観る、という初体験もいいかな。名画座もほとんど消滅した今、こういう名画に触れる機会はどんどん減っているし。
で、授業で数回かけて前半まで見終わって、彼女もさすがに我慢が出来なくなったらしく「全部観てみたい!」と言い出した。ホイ来たソレ来たとばかりにDVDを取り出して家族で鑑賞。
あぁなんだか「あのころ夢見た未来」だなぁとか思う。
DVDとかLD(レーザーディスク)とかって、いつか家族と観れたらいいなぁとか目論んで買っている部分がある。そのうち子供とかと「サウンド・オブ・ミュージック」観るのかなぁ、とか、結婚のけの字もなかった20代に想像してLD買ったしな。DVDに買い直したのも、もちろん自分が何回も観たいのもあるけど、いつかムスメとかと観たい、と思っていたのだと思う。
まぁこういうメディアもそのうちなくなって、ネット配信で観るようになるとは思うけど。
「お父さんは何回観たことあるの?」と聞くから、正直に「100回くらい」と言ったら絶句していた。いや、これでも控えめに言ったんですが。
座右のシネマにも書いているとおり、ボクはこの映画で3回泣く。
家のリビングで観ると、画面が小さかったり(うちのTVは15インチ)、ツマが話しかけてきたり、犬が鳴いたり、レンジがチンッといったりして気が散るのが難だが、とはいえやはり名画である。あぁシャーミアン・カー。好き(笑)
ボビー・マクファーリン・スーパー・オーケストラ・コンサート
2008年01月24日(木) 9:29:16
おととい、「ボビー・マクファーリン・スーパー・オーケストラ・コンサート」に行ってきた。@すみだトリフォニーホール。
彼を知らない人はあまりいないと思うけど、コレが有名。大ヒット。最近はクラシックを振っていたりする。
昨日もちょっと書いたが、とにかく神ライブ。陶酔したなぁ。席も前から5列目で良かったこともある。あんなにいいライブなのに客席は6割の入りで終始申し訳ない気持ちだった。すみだトリフォニーホールって、ちょっと前のハンク・ジョーンズもそうだったけど、とてもいい人を呼ぶわりには客の入りが悪すぎる。宣伝が下手なのかな。音は抜群にいいホールなのに。
やった演目は
バーンスタイン:キャンディード序曲
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
と、わかりやすい楽曲。
ボビー・マクファーリンだから何かもっと変わったことやるかな?と思ったが、「キャンディード序曲」はとても真面目な指揮ぶり。あれ、このままずっとこんな感じ?と思ったら、モーツァルトではカデンツァ部分のアドリブでボビーらしいというか、音楽の楽しさを感じさせてくれた。
ヴァイオリン・ソロのジョセフ・リンが良い。
チャイナ服を着た坊主頭の若者(中国系)で、まぁなんつうか笑顔を絶やさないで楽しそうに演奏をするのだ。多少雑な部分もあるのだが、壮大でロマンティックなソロをやる。そしてカデンツァ。いわゆるアドリブ。トルコ風というよりケルト風で長大なアドリブをやったなぁ。第1楽章は特に印象的。
モーツァルトとメンデルスゾーンの間に

