内省・戒め
3つの人生相談
2010年07月27日(火) 7:00:18
この半年、ツイッター経由で3つの人生相談を知った。
3つともたぶん朝日新聞の「悩みのるつぼ」という、回答が過激なことで最近有名な相談コーナー。
それぞれの回答がすごい。
「正しい」とは限らないが「すごい」。特に車谷長吉。小説で自分のワールドを築くのはまだわかるが、この短い人生相談でも「ザ・車谷」なのに感服する。
結局、ソリューションとは一般論のこねくり回しではなく、ソリューションを提示する人の「自分の露出」なのだな。最大公約数的解決策なんか意味なくて、結局「自分」なんだ。こういう回答を読むとそういう意を強くする。
ということで、共有します。
「40歳の男性です。中学1年生の長女が、寝る間も惜しんでパソコンに向かっているのが心配です。パソコンの虜になった娘に、それ以外の様々な楽しみ方を伝えるにはどうすればいいのでしょう」ちなみに、最後の岡田斗司夫さんの回答には、彼のブログにメイキングが載っているのもツイッターで教えてもらった。それもいっしょにどうぞ。
→ 回答:上野千鶴子「40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。教育者としてダメだと思いますが、女子生徒に対して情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか」
→ 回答:車谷長吉「10代の女子高生です。私は物心ついたときから父が嫌いで、父がいる休日はイライラし、死んでほしい、殺したいという気持ちが強くなります。どうすれば良いのでしょうか。」
→ 回答:岡田斗司夫
高田馬場、ビッグボックス裏の雀荘前にて
2010年07月06日(火) 8:46:26
昨日は早稲田大学の広告研究会で大学生を相手に講演。
広告を研究している人たちだけあって質問もたくさん出て、まぁ良かったと思う。
早稲田は母校だ。母校ではあるが、学舎(まなびや)というよりは遊び場だったなぁ。ちゃんと勉強しなかったせいでアタマの基礎体力が養われなかった。基礎体力がないから論の展開でも議論でもすぐ息切れする。もっと必死に寸暇を惜しんで勉強し、最低限の基礎体力は養っておくべきだった(後悔先に立たず)。
まぁ遊びまくったあの日々も無駄にはなっていない、という論もある。人生に無駄などひとつもない。
でも、たとえば麻雀なんかやっぱり無駄だったんじゃないかなぁ。麻雀が世界一面白いゲームであることは否定しない。教室より雀荘に籠もった時間が長かっただけのことはある。でも、あの若い貴重な時期にあれだけ膨大に時間を使う価値があったかと言われると、ノーかも。
そんなことを考えながら、講演帰りに高田馬場を歩いていたですね。
戸塚方面からビッグボックスの裏あたりを高田馬場駅に向かって歩いていたわけなんだけど、そしてその道を歩くのは大学卒業以来だからほぼ26年振りなんだけど、偶然、考えとシンクロして、当時籠もっていた悪の巣を見つけた(笑)
「ふじ」という名の雀荘である。
思わず足を止めてしまった。うあー、まだあったか! あれから26年ずっとあったか! ゲッ! 学割1時間120円! 相変わらずやっすいなぁ。確か約30年前にボクが通っていた当時、1時間90円だった記憶がある。約30年で30円しか値上がりしてない! なぜやっていける!
それにしてもここでボクはどれだけ若い時間を消費したことか。若い貴重な時間をじゃぶじゃぶと惜しげもなく使ってしまった…。うーむむむ。
……店前でしばらく甘い後悔と自己憐憫に浸った後、首を振り振り歩き始める。あーああ、あーああ、青春の日々よ(by ゆず)。そしたら続いて次々と懐かしい店名が目の前に! おお、「西武」! おお、「サン」!
そう、この2つも雀荘である。
たしか「ふじ」にまず行ってみて一杯だったら「西武」。そして「サン」と、その日によって行き分けていた気がする。「西武」はカレーが美味かった。「ふじ」では出前を異様にとって、壁に役満達成者と一緒に名前が貼り出された。ううむ、懐かしい。
他に通った雀荘は、渋谷の「96(クンロク)」とか大隈通りの「CoCo」という喫茶店の横の「フジ」(この店名が思い出せなかったのだけど、昨晩ツイッター上で教えてもらった。ありがとう)。「トキワ」とか「ナンバー1」とか「早苗」も行った気がする。なんだか懐かしいな…。
麻雀は本当によくやった。畑正憲の名著「精密麻雀」を精読し、打ち筋まですべてマネするくらい凝って打っていた。
でも、いま考えると「勝てない麻雀」だったと思う。なんかね、「汚い手で上がるのを嫌がるタイプ」だったし、「勝っていても(負けてる人に遠慮して)安い手で上がるような逃げ切りをしないタイプ」だった。見栄っ張りというか、きれいに勝とうとする。こういうヤツは絶対勝てない(トータルでは)。いまだにそういう甘さがあるな、と自分で思う。人生もトータルでは負けるだろう(笑)。まぁ汚く勝つより負ける方が好きだからいいんだけど。
ちなみに、後年、雀鬼畑正憲さんと雀卓を囲んだ。憧れの対局。もう死んでもいいと思った。勝ち負けなんか関係ない。とにかくムツゴロウさんから美しくアガることのみを考えて打っていた。
いまでも忘れない。345のタンヤオ三色。10巡目くらいに36筒(サブローピン)でテンパった。もちろんダマで待つ。捨て牌に迷彩は施せてないが、それでもピンズ待ちの匂いは薄め。場は南2局くらいで切迫してたのでムツさんもそこそこ慎重に打っていた。
ちょっと逡巡したあと、ムツさんからポロリと3ピンが出た。
落ち着け。上ずるな。と自分に言い聞かせ、低めの声で「ロン。タンピン三色です」と言う。心の中は「うはは、うはは、うはははははは」であった(笑)。ムツさんがさりげなく悔しそうな顔をした。あぁ冥土の土産が出来た!(笑)
とか、ものすごく久しぶりに麻雀の甘くて苦い思い出に浸っていたら、いつの間にかビッグボックス前に出た。
あぁここでキャラメルボックスは結団したんだなぁ、とか(この劇団とボクは無関係だけどなんとなく…)、スポーツロードはもうないのかな、とか、清龍はまだあるんだろうか、とか、ここにいると昔の仲間がぞろぞろやってきそうだ、とか、いっそのこといまから26年ぶりに新宿ゴールデン街に繰り出すか、とか、いろんな甘酸っぱい想いが錯綜する。
それにしても、大学時代、もう少し勉強しておけばよかったなぁ(結局それかよ)
続・日本のパスポートは最強らしい
2010年06月23日(水) 7:58:16
ボクの20日のさなメモ(「いい国に生まれたのだ」ということ)と昨日のさなメモ(日本のパスポートは最強らしい)を受けて、パスポートの話が次々入るので、今日もご紹介。
というか、「パスポート=国の信用」って意識、普段忘れているよね。
先人が各国できちんと信用を築いてくれたこと、外交官がきちんと外交してきてくれたこと、開発援助などの貢献を地道に続けてきたこと、国自体がこうして平和である続けていること、などをきちんと感謝したいし、誇りに思いたい。
ということで、以下、ツイッターやメールから引用。
日本のパスポート、ホントに最強です。毎週アメリカに通っていたころ、イミグレは「また来たのね~」って感じで優しかった。他の国なら「頻繁に来るって何者?」って訝しがられるはずなのに。すごいよねぇ。最初に作ったパスポートは北朝鮮だけアウトでした。今はそれもなくなり、イミグレーションの扱いもいいし、最強なのを実感してます。
これは本当に、国境で実感する。あと、外国で(別の国の)visa取得のためにその大使館を訪れた時。先人の努力と外交?の賜物。
上海在住の友人も、バスポートのすごさについて、切々と語ってました。海外での有事に全力で国民を保護・捜索してくれるのは日本だからこそらしいです。
日本に留学してた外国人の知りあいに「どこの国でも行けるから」という理由で頑張って日本のパスポートを取った人がいます。海外で暮らしているのに。日本はすごいって海外で言われた時、日本人は「そんなことないよ」って言いがちなんですよね。Yes!って言いたいですね。
ドバイの空港で、アメリカ・ヨーロッパから来た人達が審査を待つ長蛇の列を作る中、私はするりとそこを通り抜けて入国できました。豊かで大人しい日本人(特に女性)はいろんな標的にもなりますが、でも日本人で助かったことも多いです。
在日だが同感。旅行のとき痛感する。
06年のロンドン地下鉄テロの直後に渡英した時、さぞや入国管理もきびしかろうと覚悟していたのですが、係員「コンバンハ!」私「ノー、コンニチハ」でスルーでした。どんだけ安全だと思われてるんでしょうか。
確かに。ギリシャ行った時のイミグレも日本のパスポートはEU圏並みの早さでした。ほぼ同じ顔した中国の人々は2人がかりで囲まれていて、なんか申し訳ない気さえして。
国の信用度もですが、パスポート自体の作りが高度で偽物作りにくい事もあるそうです。お札もそうですよね。日本の技術がこんなとこにも。
以前インドネシア国籍(日本人とのハーフなのだが)の同僚がビザを取るのにすごく時間がかかると言ってましたが、そんなに違うんだなぁと。
確かに日本のパスポートは最強だね。ほとんどの国にビザ無しで行けるのはスゴいが、インドネシアのビザにはハラタツ。1回の入国でUSD25は、高すぎ。
ドイツからチェコスロバキアに入る国境駅で旅券を取り上げられたとき、裸同然のような不安な気持になったのを思い出した。ビザを持っていなかったんだ(笑)
パスポートの色と表紙だけで,態度が変わりますよね.テロしたい人が手にできたら,(見た目が日本人風なら)無敵だなといつもおもってしまいます.
こんなにすごいって、知らなかったな。
というか、一連のボクのさなメモを読んで「日本を見直しました」「自信でた」「勇気をもらった」「知りませんでした!」「日本すごいw」とかいう反応がたっくさん。どんだけいままで自信を失っていたんだよ、と。
こんなメールもいただいた。
現在仕事でGPI(世界平和度指数)ランキング135位の国に住んでおりまして。日本の新聞もまともに届かないところですが、それでも、ここ何年と日本からくるニュースはみんななんだか、内向きで、気の滅入るような、息苦しい、病的なものを感じさせるようなものばかりで、暗ーくなりそうな話には事欠かない感じだったのですが、たまに日本に帰ると、ホントにみんなが嘆いてみせるほどに不幸な社会なのか?とそのギャップを感じていたのです。まぁ確かにマスコミはそういう仕事ではあるけれど、でも、マジでマスコミの人は少し考えなおしたほうがいいと思う。ネガ・キャンペーンをやりすぎて、日本人、心底自信を失っている。本気で悲観的になっている。ネガからポジは生まれない。こんなにポジ要素満載の国なのに、ネガにばっかり注目して叩いている。もう飽きた。そういうの。銀座の目抜き通りにユニクロができていたり、新宿で昼ご飯が800円でしっかり食べられたり、デフレ社会だなぁとは思うんですけど、でも、この日本社会の「行き届き」具合は、尋常じゃないすばらしさだと思っていたもので。
GPI135位の国と比べるまでもなく、先進国と呼ばれる国と比べても、普通の国民が平和に、安全に、消費者として王様のような暮らしができるのは、日本ぐらいですよ。
たしかに、人口減社会、成熟した社会に到達して、今後目指す方向性を見失っていて、おっしゃるように自殺は多いし、希望が見えないような気はする。むしろ、GPI低位の国の方が、低位な分目指す方向性がはっきりしているし、国民の多くにちまちまと余計なことを悩んでる暇がないので、希望がより輝いて見えるようには思う。「貧しいけれども、子どもたちの目は輝いていました。」型の希望はあると思う。
しかし、その彼らの希望するものをすでに十分達成して、その次を模索しているのが日本社会だと思うのです。そして、そのことを世界に誇っていい。
日本はすばらしい、とか言ってると、国粋かユーフォリアでボケてるのか、という目で見られそうですけど、マスコミはある意味「問題」を報じるのが仕事なわけで、それがすべてではない、むしろマスコミの報じないところに日本のすばらしさがあるわけで、あのエントリに、「やっぱり、そうだよな」と、安心いたしました。
海外の方からはこんなメールもあった。
ある国が「いい国」か否かという事の一つの指標に、僕は「アメリカに移民してくる国かどうか」というのをあげたいです。韓国や中国のアメリカ進出に比べて、日本人は情けないという論もあるが、確かにこういう観点から見るとまた違って見えてくるね。
日本は人口比率でアメリカの永住権取得者の数が少ない国です。また永住権を放棄して日本に帰る人の数も多いそうです。永住権をもって何十年もアメリカに住んできたけど最後は日本に帰る、という人が案外と多い。人の移動は正直です。水が高きから低きに流れるやうに人は豊かな場所に移動します。
ロサンゼルスですが、日系人(日本人)の数がどんどんと縮小傾向にあります。新規の移民が少なければ、当然そうなります。しかし中国人や韓国人、インド人の数はどんどんと増えています。日本人居住者は911以降減ってきて、ブッシュの悪政による公的サービスの低下か、ますます減ってきています。しかしこんな悪政でも「まだまし」と思う国の人が居て、そんな国の人は移り住んで来ています。まさしく一つのバロメーターと思っています。
最後にこんなツイートを引用しておこう。
さっき、同僚の在日本15年の日系ブラジル人に聞いたら、日本は天国です、人の対応が素晴らしいです、と言う。年収1000万円でサンパウロ暮らしと年収600万円で東京暮らし、どっちがいい?には、迷わず東京!だそうです。居心地が良いのです、と言ってました。日本はいい。
日本に生まれて本当にラッキー。
まずはそれを認めて誇りを持って、今日もニッコリ、ポジティブに1日を始めよう。あーー、ラッキーだっ!
太田和彦さんと飲んだ話
2010年06月06日(日) 22:07:41
そうだ、太田和彦さんと飲んだ話を書かなければ。
この日、山本彩香さんとご飯をしたあとのことだった。
夜21時すぎくらいだったかな。同行した方から「友人が太田和彦さんと飲んでいるらしいので、一緒に行きますか?」と誘われた。
実は迷った。「まだ」なのではないか、と。
店とかはそこそこ巡って、経験値も積んで、自分なりの考えも出来てはいる。でも、「まだ」なんじゃないか、と思った。まだ、この居酒屋の大家と飲むのは早いのではないかと。それは、いつか、もっと自分が自分なりに完成したあとのほうがいいのではないかと。
でも、いつかなんて来ないんだよね。完成なんてするわけもない。それが人間というもの。いまの自分をそのまま晒すしかないんじゃないかな。そう考えなおして「ぜひ」と答えた。
もう時間も遅いので彩香さんたちは帰った。
山本彩香という日本の宝と飲んだあと、太田和彦という、居酒屋好きな人にとっての日本の宝と飲む。そのうえ同行者も実は日本の宝。なんという贅沢をしているのだろう、と、少しめまいを覚えつつ、太田さんたちが飲んでいるという西麻布の店へ向かった。
太田さんは寡黙で、言葉を選んで訥々と語る人だった。
とても丁寧で謙虚。でも、会話に少しだけ、気がつかない程度に毒を混ぜる。そしてそれが、素朴な地酒がひとつまみの珍味で輝くように、会話をピリリと引き締める。
「さとうさんは、たいへんたくさん店を知ってらっしゃるわけですが、そうやってたくさん知ったうえで、浮かび上がってきたものは何ですか?」
相手の目を見て、微笑みながら、低音でゆっくり、さりげなくこんな深いことを訊いてくる(笑)
まいったな…。
冷や汗かきつつ、誠心誠意こたえてみる。
でも、言葉は、口から出る端から重さと厚さをなくし、床に散らかる。
古い店の、長い年月の会話が染みこんだような、古い壁が好きだ、そういう壁がある店が好きだ、みたいなことを言った部分だけ、太田さんは深く頷いてくれたっけ。「合板の壁だとダメなんですよね。あれは会話が染みこまない。会話がはねかえってしまう」みたいなことをうれしそうに話してくれた。
別れ際にこう言われた。
「さとうさん、いつもそういう派手な格好しているんですか?」
その日はイタリアのデニムジャケットを着ていた。自分ではそんなに派手とは思わなかったが、彼には派手に見えたようだ。
「そういう派手な格好はしないほうがいいですよ」
店に溶け込み、店と同化するような飲み方をする太田さんから見ると、店から浮きあがるような格好をしているボクはまだまだだと見えたようである。聞く聞かぬは別にして、指摘してくれる先人はありがたいな。
飲んだのは土曜日の夜。
月曜に出社したらデスクに彼の著書がメッセージつきで届いていた。
冷や汗かいて万年筆で御礼のハガキ。
なんか、きちんと生きてないのがどんどんバレていくような感じである。
この歳になると、そういうことを気づかせてくれる方がどんどん少なくなってくる。
太田さん、どうもありがとうございました。
49歳になりました
2010年06月01日(火) 5:25:37
昨日ご紹介した動画「iPad magic」は、昨晩の段階でヤフートピックスに取り上げられてましたね。すごいな。彼もめくるめく数日を過ごしたことでしょう(笑)
ところで、今日、49歳になりました。
いや、ほんと、みんな同じこと言うと思うけど、「まさか自分がこういう歳になるとはね!」って感じ。
フランク・シナトラが、ライブ盤の名作「SINATRA AT THE SANDS」の中で「My body may be 50, but I'm 28.」って語ってるんだけど、まさにそういう心境。心の中では28歳程度で止まっている。自分が50歳前後だなんて、うまく実感できない。
でも、まぁ、大事な一年だなぁ。40代最後の一年って。
自分を追い込んで、よっぽど日々を充実させて生きないといろいろ間に合わない、「人生を決める一年」の始まりの日でもある。
……とか、キリッと決意しつつ、二度寝するオレw
アウトプットのススメ
2010年05月10日(月) 8:49:35
先週は、立川談志、奥田民生、矢野顕子、と、プラチナ・チケットが連続したので、ずいぶんと羨まれた。すいませんすいませんすいません。
でもね。これも、ボクがよく言ったり書いたりしている、「出せば入ってくる」の一環かと思うですね。
情報は出せば出すほど、向こうから入ってくる。15年前にサイトを始め、ボクが知ってるうまい店やおもしろい本やいいCDや映画などの情報を出し惜しみせず出してきたのだけど(最近更新してないのも多いけど…)、出したらそれを上回る勢いでいろんな情報や体験やお誘いが「入ってくる」ようになったのである。これは発見だった。また、「出すのをサボると、入ってくる勢いもニブる」というのもわかってきた。自分という容器から物を出さないと他の物が入る隙間ができない感じ。
インプットとアウトプットの関係で言うと、普通はインプットが先なような気がすると思うけど、実はアウトプットが先だった、というお話。
佐々木かをりさん風に言うと「ギブ&ギブン」。ギブ&テイク的損得ではなく、あまり損とか思わず出し続けると、大きく与えられる、という感じ。特に「共有・共感」が流通貨幣になりつつあるソーシャルメディアでは、自分の知っていることをまず「出す」ことにより「共有・共感」の一歩目が始まる。ネットを「情報を得る場所」と考えてインプットのみに利用している人はネットを活用しきれてない。ネットは「情報を出す場所」だ。出すと大きく与えられる。
談志も民生もアッコちゃんも、ボクが15年出し続けた結果として知り合った方々がお誘いくださったもの(ありがとう!)。アウトプットし続けなければ知り合うはずもなかった方々だ。おまけに、アウトプットはものすごく勉強にもなる。アウトプットして他人に伝える作業ほど自分の頭が整理できるものはない(「明日の広告」を書いて特に実感した)。その整理できた頭の中にどんどん情報がギブンされてくるわけで、効果は加速度的に上がっていくのである。
「毎日毎日、サイト更新してすごいね」と、“なんの得にもならないだろうによくやるよ” みたいな目で言われることがよくあるけど、確かに「得をする目的ではやってはいない」ものの、こうして更新しつづけているといろいろギブンされ、思わぬ方向に人生が楽しくなることをボクは経験上で知っている。ボクにとってサイトにアウトプットし続けるという行為は、人生を楽しくするために必須のことなのである。
昨晩のNHK「激震マスメディア」を見ながらボンヤリ考えてたこと
2010年03月23日(火) 9:26:13
最近、「自分の老い方をどうするか」をよく考える。
どうやって60代70代を迎えるか、ということである。来年50歳になると実感してから急に気になるようになった。そろそろ準備をしないといけない。
もちろん「自分の人生的には60代70代はまだまだ上り坂。楽しい盛り」である。人生のピークを80歳と考えているので、それまではずっと上り坂(笑)。でもそれは「個人の人生」の場合。「社会での老い方」はまた別だと最近考えるようになってきた。
変化が激しいこの時代、今は変化についていけているが(変化を引っ張っているほうだとも思うが)、そのうち自分で気がつかぬうちに変化に遅れ始める(と思う)。そして少しずつ社会の障害になる。壮年時代にがんばって成功事例を作れば作るほどその可能性が高い。
昨晩22時からのNHK放送記念日特集「激震 マスメディア~テレビ・新聞の未来~」を見ていてもそう思った。
この番組、放送業界・新聞業界の代表と、IT系代表、評論家、学者などの対談で進められたのだが、代表者たち(社会的に偉い方々)の「変化に対して身を守ろうとする姿」「時代の変化を受け入れない態度」などが露わになってしまった。もちろん業界代表としてのポジション・トークもある。でもそれだけではない。映像は怖い。すべてが映ってしまう。いかに取り繕っても、裏側が透けて見えてしまう。
あそこまで上り詰めた方々が優秀でないわけがない。
若いとき、壮年時代、熟年時代と、業界で注目されるくらいはバリバリに働き、成功体験を積み重ねてきたはずだ。それには敬意を払う。ただ、現在の激烈な変化に対応するには成功しすぎた。既得権益を持ちすぎた。
嗚呼、がんばって成功体験を積み重ねれば積み重ねるほど、過去の成功にがんじがらめになって時代に遅れていくのだなぁ。変化に対応できなくなるのだなぁ。成功体験をどんどん捨てて、次々転身(転進)していくことが必要なのだなぁ。そうでないと知らず知らずに老害的になっていくのだなぁ。とか、テレビを見ながらしみじみ考えてしまった。
まぁ、いま上の方にいる60代70代と、変化の真っ直中で動き回っている20代30代を、しっかりつなぐ40代50代が逆に重要になってくる場合もある。そのために働くのも一手。でも、それをした挙げ句、結局「老害」になってしまったらイヤだ。いつの間にか自分がそうなるのが怖い。
そんなこんな。
思考がまとまってはいないけど、感覚的・本能的に「イヤだ」と思ってしまった昨晩であった。
ちなみにこの番組、内容的には目新しいことはなかったのだけど、NHKがこの問題に真っ正面から取り組み真面目な特集を組んだ、ということは素晴らしいと思う。テレビと新聞が「老人」になったことも(期せずしてなのか狙いなのか)浮き彫りになってしまった。それを狙ったのなら番組制作陣の勝利。そういう検証をやる若手・壮年が中にいるのなら(そしてそれを通す上がいるのなら)、NHKはまだまだ大丈夫だと思わせる。
そうそう、番組を見ながら、ボクはこんなことをツイートした。
佐々木さんも遠藤さんもよくキレないで忍耐強く語っている。ボクだったらキレそうだw おじいちゃん、何言ってるんだ?多少酔ってますね(笑)
で、それに対して、あの「ハンバーグオリンピック」の迷言&見事な対応を残したNHK_PR(NHK広報局オフィシャルアカウント)さんからツイートが!
@satonao310 そこを、どうにかご辛抱して頂けると幸いです…NHKにオフィシャルに慰められちゃったよ(笑)。
ちなみのちなみに、同じ時間にUstream で「この番組を見ながらツッコミを入れる放送」をやっていて、津田大介、山本一郎、上杉隆、小飼弾、堀江貴文の(空恐ろしい)5人がその番組を見ながらツッコミを入れ、ツイッターTL(タイムライン)でもみんなが話すということが行われていた。わりとグダグダなツッコミだったけど、とっても「イマ」っぽかったので、同時に見ていた。番組終了後もわりと長々と。
というか、「時間がないので今日はこの辺で」と終わってしまうテレビ番組って、もう「古い」よね。編集権が送り手側にあること自体が、たぶんデジタルネイティブには理解不能なことだと思う。これはテレビだけでなく新聞にも言えることだけど。
つまり、「限られた時間(紙面)」なので「ある視点で要約して(一部分だけ取り上げて)報道する」ということ自体、感覚的に古くなると思うな。それもあと数年〜十年くらいで。
朝日俊彦先生の講演音声ファイル
2009年12月13日(日) 16:44:54
ツイッターで紹介されたこの講演の音声ファイルが実に良かった。お時間がある方は聴いてみてください。朝日俊彦さんという泌尿器科の医師による講演の模様。この先生の本も読んでみよう。
この先生、この後で末期癌になられたらしいのだけど、そのことはこちらにくわしい(下の方に別のラジオ番組音声ファイルもある。これも必聴)。
今回、義父の死をめぐってボンヤリと「癌って、本人も家族も親族も覚悟と準備ができる、ある意味シアワセな病気」と思ったのだけど(痛みがあまり激しくない場合に限るが)、それに近いお話もあった。要は考え方だなぁ。人生の終え方をどう考えておくか、ということに尽きる。
というか、なんか、明日にでも「死」が来るような、妙な感覚。身近だ。「死」が身近だからこそ、寸秒惜しんでちゃんと生きようと思う。そして「どう死ぬか」をもうちょっと "具体的に" 考えようと思った。先延ばしにしすぎてきた。
義父・山谷陽久の趣味は俳句で、亡くなる寸前まで投句していた。
句文集「富士」という本(自費出版・非売品)を遺していて、それをパラパラめくっていたら、癌告知そして手術前後に読んだであろう句が載っていた。
癌告知受けて出づれば時雨れたり
病院の聖樹に治癒の願ひ込め
手術日の決まりし夜半の虎落笛
術経過告げる医師笑み冬ぬくし
術後とはただ耐える時冬の菊
傷跡の痛みに手添へ冬日浴ぶ
あまり気持ちの裏側をヒトに見せない義父であったけど、告知前後の気持ちはいかばかりだったであろう。
ちなみに、NHK俳句や朝日俳壇で入選した句もご紹介しないと義父があの世で怒りそうなので二句つけておきます。
奥駈の岨道ゆけばほととぎす(NHK俳句)
郭公や己が名前に節つけて(朝日俳壇)
山本彩香、再オープン
2009年10月21日(水) 7:12:04
はからずも昨日の記事でリンクをしたが(ここ)、那覇の「琉球料理乃山本彩香」が夜の営業をやめ、いったん閉店してから約2ヶ月、今日21日から、昼の営業に絞って再オープンする。
場所も連絡先も変わらない。改装してギャラリーつきのカフェ的空間になったと聞く。メニューもランチ用に大きく様変わりするらしい。
ボクはあの店の、泡盛とともにいただく夜のコースの流れと料理群を「宝物」のように思っていて、味的にも本当に好きだった。あの店がなければ絶滅していた「昔ながらの沖縄料理」も多いし、沖縄の辻料理(花街料理)を継承している彩香さんの料理の本来の姿は「夜」にあると思っている。なので、昼のみの営業となるとちょっと勝手が違うのだけど、幸いにして「豆腐よう」や「どぅるわかしー」などの名物料理は一品として残るようだし、ランチ用に簡略化されたメニューにも彩香さんのエッセンスは必ず宿っていると思うので、食べに行くのがいまから楽しみである(いつ行けるかなぁ…)。
閉店した理由は「カラダが続かない」というものだった。
夜のみの営業だったころの彩香さんの一日はこんな感じだったらしい。朝早く起きて家で販売用の「豆腐よう」をひとつひとつ手作りして梱包し、昼すぎに作業をやめて店に出て料理の仕込みをし、3時ごろいったん家に帰ってシャワーを浴びて着替え、5時ごろまた店に出て店を開け、料理を作り、接客をこなし、夜中に店を閉めて後片付けをして、深夜にようやく家に帰るという繰り返し。
琉球文化の生き証人的な役割もある彩香さんは、それらの合間を縫って、テレビやラジオにも(ある使命感を持って)極力出演する。琉球料理の伝統を守りたい一心から、最高の琉球食材を探す旅もずっと続けている。
「そんなことしてたら倒れちゃうよ」という周りの声をはね返しながら元気に活動していた彩香さんだが、とはいえ1935年生まれである、この毎日がボディブロウのようにじわじわ堪えてくる上に、カラダだけでなくちょっとココロも弱る出来事が続き、悩みに悩んだ末、閉店を決意されたのだった。
でも、昨日の記事ではないが、閉店を発表した直後から、いままでの感謝と想いを「伝える」お客さんが激増し、感激した彩香さんはまた元気いっぱいになり、ランチに絞って再開店することを決めたのだった。そう、お客さんの声が彼女を動かしたのである。
アッコちゃんがこのライブのときに言った「忌野清志郎の葬式に4万人とか40万人とか集まったんだって? そんなのに集まれるくらいだったら、生きてるうちに来い! 生きてる矢野顕子を見に来い!」じゃないけれど、まぁ彩香さん本人に「伝える」タイミングとしてはちょっと遅い。店を閉めると決めた後にわーっと集まってもちょっとだけ遅い(忌野清志郎にしても加藤和彦にしても、死んだ後では伝わらない)。でも、伝えないよりずっとマシ。実際彼女のココロには届いた。そして再出発を決意させた。
ボクは、惜しみなく「伝える」ことをしているうちに、彩香さんと義兄弟みたいな仲になったが、そしてそういう濃いサポーターは周りにたくさんいるのだが、それでも、ボクたちの言葉だけでは彼女は再開店を決意しなかったと思う。
多くのお客さんのひと言ひと言を彩香さんは泣きながらボクに教えてくれる。「それはあなたの料理が本当に素晴らしいからなんですよ」とお伝えしても首を振って「私は当たり前のことを当たり前にやっているだけ。それなのに本当にありがたい」と言うだけである。
孤高の位置に立ち続けている人って(若くて伸び盛りなころは別にして)、謙虚に自分を見つめ直すクセがついているせいか(そうだからこそ、その位置まで行ける)、「自分の客観的価値」がわからなくなっていることが多いんだろうな。加藤和彦もそうだった。ユーミンももしかしたらそうなっちゃっているのかもしれない。
二日連続同じ〆になるけど、もっとちゃんと伝えないといけないと思う。彼ら彼女らとの距離が(ITテクノロジーによって)大幅に縮まった今だからこそ、シアワセをもらったらそれをちゃんと伝えないと。買うとか食べるとかいうだけでなく、もう一歩行動に移さないと。
そう思っている方も多いようで、昨日の記事にメールやツイッターで共感の反応をいっぱいいただいた。どうもありがとうございました。
もっとちゃんと伝えよう。
2009年10月20日(火) 7:46:37
おとといの「もっとちゃんと応援しないと」の記事に、友人からメールをもらった。
加藤和彦の自殺に関して、ボクが「頭の隅でユーミンや桑田が自殺したらどう思うかを想像した」と書いたことへの反応である。一部ご紹介する。
先日、神奈川でのユーミンのコンサートに行ってきたんです。わりとショックな言葉だった。
そこで、ユーミンが前半から涙ぐんでいるのはわかったんですが、アンコールでは号泣してしまい(あのユーミンが!)
「みんな、こんなにナイスにしてくれて、ありがとう。
自分で言うのもなんだけど、たいしたことない歌なのに・・・」
と言ったんです。
これまで30年間、時代の先を歩き、トレンドや恋愛の道しるべ的に憧れていたユーミンの弱気な発言。なんて言っていいのかわかりませんが、私も泣いてしまいました。超えられない存在だと思っていた人が急に近く見えたというか、親が急に甘え出す年代になってしまったこととリンクした、というか・・・
好きな人をずっと好きでいるために、できることは全部やっておきたい! そんなことを考えた週末でした。
あの強気で陽気なユーミンが…。あなたの歌はこんなに素晴らしいのに…。
たぶん、一時期でも時代の先頭を走った人は、自分の中でのハードルがどんどん上がり、下げられなくなってしまうのだろうと思う。真面目で真摯な人ほど高く高くハードルを上げる。そしてある日ハードルを越えられなくなった自分に気づき、「みんなの期待に応えられない自分」が自分の中でクローズアップされていく…。
いままで素晴らしいものを提供してくれただけで、こんなにもボクらの人生は豊かになっているのに。その素晴らしい価値に気づかないまま、ボクらの声も届かないまま、深く悩み、苦しんでいく。
手軽に、簡単に、いろんな芸術作品やありがたい言葉やオリジナルな情報を享受できるようになった現代。
手に入れやすくなったからこそ、こちらからも手を伸ばして、もっとしっかり感謝や愛情を「伝える」ことをしないといけないのだと思う。彼らには心ない言葉もたくさん届いている。それに負けないくらいたくさん「心ある言葉」を伝えないといけない。ここでも書いたが、意外と本人には伝わってない。誰かがきっと伝えてるよと思っても意外と誰も伝えていない。それどころかとっても孤独な状態にいたりする。それはきっとサイレント・マジョリティがサイレントのままでいるからだ。
加藤和彦は「これまでに作ってきた音楽というものが本当に必要だったのか」「死にたいと言うより生きていたくない、消えてしまいたい」と遺書に書いていたらしい。
居ても立ってもいられない気持ち。
もっとちゃんと伝えよう。
井上雄彦「プロフェッショナル」
2009年09月16日(水) 8:54:29
まだ自分の中でうまく消化(昇華)できていないけど、昨晩のNHK「プロフェッショナル」はとても刺激的だった。出演は井上雄彦。
彼と自分を比べるなんて傲慢だということはわかってはいるものの、彼のことを思うたび、自分がいかに「楽な道」を歩んでいるかを思い知らされる。あまりに差がありすぎて自分が惨めになるので、最近ではなるべく彼のことを考えないようにしているくらいである。数年前にわりと濃くおつきあいさせていただいたが、その間ずっと「およびもつかない」と思い知らされ続けた。いやホント、およびもつかない。
昨晩の放映で印象に残った言葉は「手に負えないことをやる」という彼が大切にしている流儀。
そして「自分がコントロールして書いたら途端にこざかしいものになるのは目に見えているじゃないですか」という言葉がそれに続く。この「自分がコントロールして書いたら途端にこざかしいものになる」というのは、彼の "創作の秘密" そのものではないかな。自分の頭の中から出てくるものなどたかが知れていて、単に「こざかしい」ものでしかないということ。キャラクターや紙や筆から勝手に紡ぎ出てくるものをこぼさず受け取って身を任せていくということ。自分の予想や実力を超えた何かがそこから生み出されていくということ。
そういえばよくお会いしている頃も彼は「こざかしくしたくない」みたいなことを何度も言っていた。「してやったり」という感じも嫌っていた。そういう "計算されたもの" の限界やみっともなさを知り尽くしているのだと思う。えてして「こざかしく」「してやったり」になりがちな広告の仕事なんて恥ずかしくて恥ずかしくて(だからその対極にある「スラムダンク一億冊感謝広告」は、自分が関わった仕事ながら、今でも自分の中のお手本だったりする)。
「手に負えないことをやる」という言葉は、番組ラストの「プロフェッショナルとは?」という問いの答えにつながっている。彼はこう言った。「向上し続ける人ですかね。これがなくなったらプロをやめないとって思ってることが、それなんで。だから、プロフェッショナルというのは、向上し続ける人、と思います」。
自己模倣は言うに及ばず、自分が獲得してきたもので回していくことすら自分に許さず、自分の手に負えない難しいテーマを自分に課すことで、常に向上し続ける。
この考え方が一貫して彼の底流に流れている。一貫して、そして徹底的に。
だからやっぱり「およびもつかない」。ボクなんか自己模倣を避けるのが精一杯なレベルで右往左往している。でもね、一歩でも二歩でも追いつこうとは思っている。あと数十年、死ぬ前には背中が見えるあたりまでなんとか追いつきたいな。追いつけるかな。
独りで先を行くつらさ・孤独さは、少しは想像できるつもり。
先を走り続けていてくれて本当にありがとう。
普通で常識的で等身大
2009年07月26日(日) 8:38:05
数日前、和田裕美さんとご飯を食べた。
言わずとしれたベストセラーの著者にして有名な営業ウーマン。
前回お会いしたときも思ったけど、「28歳にして世界でNo.2の成績をあげた営業ウーマン」とか聞くとちょっと怖いけど、ホント、まったくそういう部分がなくて「普通」なのであった。ガンガンにアピールしてくることもなく、クセの強さもなく、わざとらしい笑顔もなく、とても控えめで柔らかくて「普通」ないい人。ものすごく常識的で等身大。ある意味徹底して等身大。
でも、考えてみると、「今」って優秀なヒトほど「普通」だなと気がついた。
普通っぽい。常識的。とっても等身大。
ボクの周りの有名クリエーターたちも、とっても普通で常識的で等身大な人ばかり。
昭和時代は、優秀なヒトは何かヒトと違う異様な部分が目立っていたと思う。見るからに人と違う雰囲気をまとっていた。クリエーターとかアーチストは特にね。そうしないと「大衆」から抜け出られないからだろうな。群から抜け出て目立つための方策でもあったのだと思う。
で、「大衆」とか「マス」とかいう言葉が死語になりつつある現在(死語にした方がいいくらい変化しつつある現在)、群から抜け出てますよというアピールがいらない。「個」を必要以上に主張しなくてよくなった分、そういう人たちも普通で常識的で等身大でいられるようになったのかも。いや、逆か。普通で常識的で等身大であることが逆にとっても大切になったのかも。そうしないと共感を呼べない。生活者と豊かなコミュニケーションをとれない。そういう時代。
クリエーターもアーチストも普通っぽくて常識的な人が増えたけど、小粒になったとかそういうことではなくて、それがとっても大切な時代なんだな、きっと。
優秀な人ほど普通を大切にする。常識的な目線とか考え方を常に意識する。等身大の自分から離れないように気をつける。
和田裕美さんはまさにそんな人。「カー・ウント・カー」でおいしい料理を食べながら、内心ずっと感心してた。この普通さこそ、時代に乗っているということ。そういうことなのだろう。
サラリーマンの連帯
2009年07月18日(土) 18:59:39
昨日の「キッチン南海」は、何人かの方に「昔の何か」を思い出させたようで、エッセイのようなメールをいくつかいただいた。
ボクもまだなんとなく「昔の何か」から抜け出せず…。
なんだかモヤモヤするので、昨晩はいかにも「昭和」なサラリーマンが集まっている居酒屋、虎ノ門の「升本」で軽く飲んできた。飲むこと自体を減らしている昨今であるが(カラダに溜まった疲れを抜ききりたいため)、飲まないと決めちゃってストイックに生きるのもカラダに悪いと思う。いい加減に。適当に。
で、「升本」。
こういう、背広姿の中高年が大量に集まって赤い顔してるオヤジ居酒屋の効用は、「みんな、いろいろあるんだろうけど、毎日がんばってるんだよなぁ」みたいな、なんというか「サラリーマンの連帯」に浸れること。
自分だけが何かに苦しんでいるわけではない。自分だけが何かを喪失したわけではない。自分だけが「昔の何か」に申し訳なく思っているわけではない。みんな大なり小なりそんな辛さを引きずっている。そんな当たり前のことに、こういう大衆居酒屋は気づかせてくれる。
「升本」の2階は特に「連帯場」だね。
200人くらいのサラリーマンがわんわんしゃべって酔っている。昭和から平成へ、好況から不況へ、成長から停滞へ、年功序列から疑似実力主義へ、年長が敬われた時代からウザがられる時代へ……。いろんな変化をくぐり抜け、じっと耐えて働き続けている中高年たち。日本はこういう人たちが静かに支えている。
写真は「升本」のお酒メニュー。なんとなく可愛かったので携帯でパチリ。
可愛いというか、なんかハワイだのバリ島だのに行かずとも、こんな「飲んでる人にホッと楽しくなってもらいたい」という店員さんの小さな思いやりにこそ癒される。癒されるって言葉、嫌いなんだけど、でも、他にピッタリの言葉が見つからないな。思わず頬がゆるむ絵をありがとう。
うん、少しずつ「足元」が見えてきたかも。少しずつだけど。
「娯楽」の減少
2009年06月29日(月) 8:24:46
テレビを見ていたらアユの映像が流れた。ayuじゃなくて鮎ね。
あぁ一時は最大の趣味だった鮎釣りも十数年してないなぁと思いつつ、ふと自分の生活を振り返ってみると、いわゆる「娯楽」をまったくしなくなった自分に気づく。
関西勤務時代は毎週末にテニスをしていた。夏は鮎釣りも数多く行っていた。二週間にいっぺんくらい誰かのホームパーティに顔を出していた(もしくは招いていた)。ゴルフもたま〜にではあるが行っていた。温泉とかにも定期的に行っていた。近場旅行も頻繁(関西は京都も奈良も紀伊も日本海も山陽も四国も近いし)。なにより「行きつけのバー」があった。毎日のように飲んだくれてだらだら出来る空間があった。
いまはそれらがほぼゼロである。土日は仕事か執筆か更新作業か講演か取材旅行。もしくは終日ベッド。
最近は平日の夜もいわゆる「仕事系・人脈系会食」が多く、くつろげる親しい友達とも全然会えていない。
というか、酒もやめつつある。体調理由もあるが「常に頭をスッキリさせていたい」という気持ちが勝るようになってきてしまった。酔いの効用は百も承知だが、酔うこと自体が嫌いになってきている。だからバー的なストレス解消の場にも全然行っていない。
これは次へのステップなのか、いい意味で人生の変わり目なのか、もしくは退歩なのか、つまらない大人への入り口なのか、どうなんだろう…。そろそろ真剣に考えないと後戻りできなくなる…。
ま、そんなことはともかく、鮎釣りしたいなぁ。
でも東京って鮎が釣れる川が遠いんだよね。クルマも捨てちゃったしなぁ。あぁ川行きたいなぁ(←海よりも川が好き)
経験値から自由であること
2009年06月24日(水) 6:23:15
ボクは「若者褒め派」である。
昨日のさなメモもそうだったし、いままでもいろいろそんなことを書いてきた。
実際、尊敬すべき有意なる若者は多い。学生に教えたりすることも多いせいか、一見ふにゃふにゃで情けなさそうに見える「イマドキの若者たち」が意外としっかりものを考えているのを知っているし、経済状況が悪い中で育ってきた若者たちの現実的な「夢」をなんとかバックアップできたらなと思っている。
あと、「褒める」ということを自分に課している部分も潜在意識的に少しあるかも。閉塞感ある社会でなんとかがんばろうとしている若者に少しでも自信と意欲を持って欲しいから。そして日本をちゃんと受け渡したいから。
肩書きも年齢も通じないフラットな価値観の「ネット社会」にもう15年身を浸していることも大きいかもね。メールなどで普通にやりとりしている人の中に10代の若者とかもいる。本当に肩書きも年齢も関係ない世界。ここにずっと棲んでいると、そういう不要な価値感から自由になれる。
というか、成功体験にがんじがらめになってそれを捨てられない「変われない大人」が嫌いなんだな。腐った大人が嫌い。不必要に上から目線の大人が嫌い。いまの日本の閉塞感はそんな大人たちのせいも多分にある。
でも、一方でボクはポジティブ・エイジング派。歳をとることの大礼賛者でもある。
悔しかったら早く大人になってみろ〜!と若者を囃したてたいと思うくらい「大人であること」が好きだ。生まれ変わるとしても10代20代とかまっぴらゴメン。体力だけはうらやましいが、あとは全然うらやましくない。若者でいるって大変だな、って同情しているくらい。
いや、昨日のさなメモを読んで、「さとなおさんはアンチエイジング派? 老いることへの抵抗感が大きい?」みたいなメールをいただいたので、うーん全く違うんだけどなぁ、そう読めるのかなぁ、と、なんとなく書いてみました。でも文脈なく唐突に書いているせいでとてもわかりにくいね。
なんというか、自分の考えに凝り固まらず、成功体験も身軽に脱ぎ捨てちゃうような軽やかでしなやかな大人が好きだし、そうなりたいと思ってます。「経験値が多いのに、経験値から自由であること」。そんな大人でありたいと心の底から思ってる。まだまだ軽やかには程遠いけど。
藤原和博の帰り方
2009年05月17日(日) 21:00:35
昨日、「火曜は平田オリザさんと藤原和博さんと政治家の方々5人と居酒屋飲み。これについては明日書けたら書こう」と書いたけど、今日も仕事でちょっと疲れが出たのでまたの機会に。
ひとつだけ書くとすると、居酒屋での藤原和博さんの帰り方がカッコ良かった。
藤原さんを知らない人がいるかもしれないのでご紹介すると、彼は東京都初の民間人校長となり、「よのなか科」とか「夜スペ」とかで有名な人(一応Wikiにリンク ←正確かどうかは知らない)。
流れとしては、平田さん、藤原さんの講演会があり、それを聴講した議員さんたちと、なぜかボクが、平田さん藤原さんと飲みに来たという流れ。つまり藤原さんは主役のひとりであったわけ。
でも、彼は前回飲んだときと同じく、「あ、もう8時半だ。わたしは9時すぎには寝ますからもう帰りまーす」と、まさに宴もたけなわの8時半にスッとスマートに席を立ったのである。教育論とか芸術論を闘わせている最中に、話の中心にいた彼自ら、話の腰を堂々と折ってのお帰り。これがなんとも格好良かった。
ボクは会議の去り際はわりとキッパリしている。ええ、それはもう「じゃ!」という感じで。でも宴席の帰り方がマジで不得意だ。いろいろ気を遣って結局最後までつきあってしまうことが多い(金曜もそうだった)。よし、これからは藤原和博式にスッと席を立とう。キッパリ断固と席を立とう。
でもこれってお人柄も大きいんだよなぁ。藤原さんだとみんなワハハと笑って送り出すが、ボクがやったらムッとされそうだ(笑)。ま、それはそれ。今度やってみるぞ。
オバマ大統領のプラハ演説
2009年04月07日(火) 8:26:10
5日のオバマ大統領による核廃絶に向けたプラハ演説は、ニュースでは意外と地味な扱いであったけれど、実は歴史的なものかもしれない。
「核のない世界」の実現に向けた新政策の数々を、核廃絶の壁だった核超大国のトップが、具体的に、明確に、希望的に発表した。これだけでも歴史的。
そのうえ。
演説冒頭で「アメリカは、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある」と、広島長崎への原爆投下に明確に言及したのも歴史的。
アメリカ人のほとんどは「原爆投下のおかげで第二次世界大戦は終わった」という原爆に肯定的な考え方をしているという。こうした空気の中で「道義的責任」への言及を大統領がしたという意義は限りない。核廃絶に向けた大きな一歩になるんじゃないかな。
CTBT(核実験全面禁止条約)の早期批准やカットオフ条約の妥結に具体的に言及したのも素晴らしい。ここらへんくわしいわけではなく、Wikiとか見つつ勉強しながら書いているんだけど、アメリカが率先してこれらの条約への取り組みを表明するとは。ブッシュ時代が一気に遠くなった感あり。あぁ。世界をよくしようという思いを諦めてはいけないんだなぁ。青い感想だけどさ。
演説のラストのオバマ節を備忘録として。
こんなに広範囲な課題を実現できるのか疑問に思う人もいるだろう。各国に違いがあることが避けられない中で、真に国際的な協力が可能か疑う人もいるだろう。核兵器のない世界という話を聴いて、そんな実現できそうもない目標を設けることの意味を疑う人もいるだろう。よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病なことだ。そうやって戦争が始まる。そうやって人類の進歩が終わる。
我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人びとの気持ちを沸き立たせることができると知っている。しかしだからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げられなければならない。
その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。
人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ。
「世界」はオバマたちに役割を担ってもらう。ボクたちは「日本」や「地域」や「会社」や「家族」において、ボクたちが見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を、まずはしっかり引き受けよう。それが「共に」動くということだ。
自己肯定の弱まり
2009年01月04日(日) 16:08:46
お正月休み最後の日。
心安らかに連続して休めるのは今年はもうないかも、と、サイトをいじったりするのもやめてベッドで物思いにふける日にした。別名、ほとんど惰眠。
惰眠中、ふと気づいた。
このところの精神的迷走は「自己肯定の弱まり」が原因だったんだな。自己否定が強まりすぎた。本業もプライベートも領域を広げすぎたせいで全体の密度が薄まり、部分部分の完成度が低くなり、それを悔いて内省的になってしまった。それが強い自己否定につながった。そんなことよりも領域をここまで広げられた自分をもっと肯定するべきであった。もっと誇りに思うべきであった。
また寝て、ふと目が覚める。
そういえば、この休み中、娘のこともよーく見ていたが、彼女もこのところ自己肯定が弱い。自己否定的な発想をする。謙虚というには否定的すぎる。これはボクのが移っているのではないか。いかんいかん。ボクも直すけど、もっと彼女自身のイイトコロに気づかせてあげて、自分を好きになるようにしてあげないと。
以前オサニチに「不得意なものを克服するには、人生はあまりに短い。自分のいいところだけを伸ばして生きていきなさい。」というのを書いた。そういうことだよな。こういう言葉は自己否定的な時に限って思い出さないもの。休み最後の日にふと思い出せて良かった。
安心してまた眠りに落ちる。そんな一日。平和である。
@satonao310




