仕事
ずっと先を走ってくれてる人
2010年07月13日(火) 8:27:57
昨日はサトナオ・オープンラボ(説明みたいなものはこちら)に岸勇希くん(@yukixcom)をお招きして話をしてもらった。
広告業界で岸くんを知らない人はわりとモグリ。同じ会社の後輩で、元部下でもある。まだ若い。でもコミュニケーション・デザイナーとしては業界トップを突っ走っている。今年のカンヌ国際広告祭でもサイバー部門の日本代表審査員をつとめた。名著「コミュニケーションをデザインするための本」の著者でもある。
お互い忙しくてほとんど話も出来ないまますぐ半年とか経ってしまうのだが、昨日は無理矢理時間をあけてもらってラボ員に話をしてもらった。ラボ員の刺激になれば、と思って呼んだのだが、自分が一番刺激になったかも。特にここ1年の成果は、世の中的には見えにくい部分もあるが、それはもう凄まじいもの。ヒトとは違う次元の仕事である。それがいかに高いレベルかがわかっちゃう分、なんか聞いてて呆然としてしまった。
いやほんと、頬をひっぱたかれた気分。
でも、後輩とはいえ、ずっと先を走ってくれてる人がいるのは幸せだ。はっきり言って追いつくのは難しいのだが、彼の背中は見えている。せめて引き離されないようにしときたいと思う。
写真は彼が去年手がけた仕事のほんの一例「PhoneBook」。動画での紹介を見ていただくのが早い。
ほんの一例とはいえ、とても素敵な仕事だと思う。というか、もう広告の領域を大きく越えている。コミュニケーション領域を自由に飛び回っているなぁ。
龍馬マニアだった高校時代
2010年06月15日(火) 21:11:13
高知での二日間の講演を終え、東京に帰ってきた。
月曜日は高知新聞の勉強会。火曜日は高知広告協会。
特に一日目の高知新聞は、約2時間の講演、その後の若手との懇談会、その後、お酒が入っての懇親会、若手との二次会、と、約8時間くらいいろんな話をさせていただいた。ボクが得た経験やスキルなんかでよろしかったらどんどん絞りとって使ってくださいw
高知は人生で10回目くらいかなぁ。
高校時代に幕末マニアだったワタクシ(中学時代は戦国マニア)。特に坂本龍馬に懲りに懲り、写真のような分厚い1000ページの本も買った(本の横は名刺の箱。大きさの比較のために置いてみた)。
これ、当時のお金で2万円の本。高校時代だから32年前くらい。当時の高校生の2万円っつうたら超巨額である。小遣いを貯めに貯めて、横浜の相鉄ジョイナスの栄松堂書店で手を震わせながら買ったのを昨日のことのように覚えている。店員のおねえさんのちょっと驚いた表情(に、にまんえんになります)も覚えている。
この本、単なる資料集なんだけど(1000ページ分、古文資料ばっかり)、こんな本を買って毎晩眺めて悦に入ってるくらいは龍馬が好きだったんですね。だから高知にも当然何度か「聖地巡礼」に行った。まだ龍馬ブームなんかになってなく、龍馬記念館なんてものもなかった時代。ボクがあんまり好き好き言うもんだから、友人とか龍馬グッズを見つけてはプレゼントしてくれてたくらいである。
まぁそういうボクにとって、今の福山龍馬ブームは多少複雑な感じ。実は毎回欠かさず大河ドラマ「龍馬伝」は観ているのだけど、なんとなく、この「ボクが大好きだった、高校時代の甘酸っぱい思い出でもある坂本龍馬について、あまりにもたくさんの人が語っている感じ」に馴れない(笑)。
高知はいまや町中が龍馬、龍馬、龍馬であった。どんな商品にも龍馬の名前が冠してある。…まぁ仕方ないよね。でも、なんとなく知らん顔して帰って来たワタクシ。なんだろう、この「一緒に踊りたくない感じ」は(笑)。 まったくもってひねくれものである。
ま、それはともかく、高知でお世話になった方々、ありがとうございました! 実に楽しかったっす。8月の本場の「よさこい祭り」も行きたいなぁ。行けるかなぁ。
ある意味、象徴的な例
2010年06月05日(土) 19:51:16
ツイッター上では日々いろんなことが起きているが、昨晩のもかなりの出来事だった。
まず、深夜に歌手の浜崎あゆみさん(@ayu_19980408)が孫正義さん(@masason)に向けてこんなツイートをしたんですね。
始めまして、浜崎あゆみと申します。孫さんーっっっ‼犬のお父さんと共演したいでございます。RT @masason: 何ですか~っ?! RT @ayu_19980408 夢すぎますね。それ、大声で孫さんって叫べば、届きますかね???孫さーん‼そしたらいきなり孫さんが
やりましょう。RT @ayu_19980408: 始めまして、浜崎あゆみと申します。孫さんーっっっ‼犬のお父さんと共演したいでございます。そして、あの白い犬シリーズを作っているCM界の超大御所プランナーの澤本氏(@sawamoto55go;ボクのすぐ近くに座っている)に孫さんがツイッター上ですぐ発注(笑)
澤本ちゃん宜しくね~。RT @sawamoto55go: 孫さん、拝読いたしました。ありゃー、、、考えます。 RT @ayu_19980408そこにカメラマンの蜷川実花さん(@ninagawamika)が「写真家蜷川実花と申します。そのポスター私が撮りたいです!」とツイートしてきたことに対して孫さんが
ayuちゃん、どうですか? @ninagawamika 写真家蜷川実花と申します。そのポスター私が撮りたいです!RT @masasonやりましょう!RT @ayu_19980408 浜崎あゆみと申します。と、浜崎あゆみさんに問いかけ、
蜷川さんのように、様々なジャンルのクリエイターの方々が自ら手をあげて下さりこの輪がもっともっと広がり、繋がっていけば、日本が変わるキッカケになるのかも知れない、、、と若輩者ながら感じております‼RT @masason: ayuちゃん、どうですか? @ninagawamikaと、彼女が返す・・・みたいな流れ。
まぁ、広告マン的に言うと、CMというのはお気楽そうに見えてかなりちゃんと考えられている場合が多く、あの白い犬シリーズもきちんと今後の展開が計算され、決まっていたはず。
そこにいきなりアーチストたちが社長に直に訴えて乱入してくるのは担当プランナーとしてはかなり厳しいことだろうと思うし、それがイイコトなのかどうかはなんとも言えない(まぁ社長がいいと言っているのだからいいんだけど)。実際かなり話題になるだろうし、こういうエピソード自体が得難いクチコミにはなるのとはいえ…。
(※ちなみにヤラセではないか、という説もあるが、それはないと感じた。「ガチ」だと孫さんもツイートしているし)
ただ、ソーシャルメディアによって「個と個」(たとえば企業の中の人と生活者)が直接つながりだした以上、「個と個をつなぐ職種」や「企業と個をつなぐ職種」(代理業的なもの)などがパスされ省略され淘汰されていく流れは止められないと思うし、実際、ここへの対応が遅れた会社は生き残っていけないと思う。のんびり構えているとあっと言う間に大波にさらわれるだろう。
浜崎あゆみさんは翌朝「ある意味、昨日一晩で日本を変えたでしょ」と問いかけられてこんなツイートをした。
ある意味。RT @toshi_harikae: @ayu_19980408 ある意味、昨日一晩で日本を変えたでしょ・・・ある意味そうなんだと思う。
ある意味、「やり方」が大きく変わっていく象徴的な例ではあった。良し悪しは別にして。
お知らせなど
2010年06月04日(金) 9:28:47
いきなりですが、今晩23時からNHK教育「芸術劇場」でアナニアシヴィリの「ロミオとジュリエット」放映します! 岩田守弘さんももちろん出ます。ぜひご覧下さい。当日のボクの感想はこちら
お知らせついでにもうひとつ。
「my Japan」というコンテストの審査員をしています。「学生が日本の良さを表現する」というコンテストで、テーマは「ガイドブックにない日本の良さ」。CM部門とインタラクティブ部門があります。ボクが審査するのはインタラクティブ部門。佐藤尚之賞もあります(笑)。インタラクティブ部門の〆切は6月26日(エントリー〆切は19日)。ふるってご応募ください。
こういう漠然とした広いテーマの場合、わりと「自分の視点」に固執してしまってひとりよがりの作品になりがちなんですよね。それではヒトに伝わらない。まず「伝えたい相手」を決め、その人の顔を具体的に想像しながら、その人だけのために作ってみると意外とうまく行くと思います。がんばって!
ついでのついでにもうひとつ。
佐々木かをりさんの「イー・ウーマン」が企画・運営している「第15回 国際女性ビジネス会議」にパネリストで参加します。7月24日(土)にある大きなカンファレンス。女性だけが話すのかと思ったら、男性も多いんですね。ただ、会場は女性だらけなのだと思われ。いまから少し緊張してます。だって聴衆が女性ばっかりって…。とりあえずまだ参加募集中みたいなのでよろしくお願いします。
ついでだからまだ言うぞ。
来週末に札幌で行われる「YOSAKOIソーラン祭り」のファイナル審査員(パレード審査担当)として札幌に行きます。
土曜日曜(12日13日)と大通公園会場をうろちょろしていると思いますので、もし見かけたらお声かけください。声をかけにくい風貌をしているらしいので、多少勇気がためされる場合もありますが(笑)。よろしくお願いします。
山本彩香さん、そして太田和彦さん
2010年05月30日(日) 19:04:38
昨晩は、沖縄から東京にきている山本彩香さんとご飯を食べた。
山本彩香さんは那覇で「琉球料理乃山本彩香」という店をやっている方。ボクが日本でもトップクラスにリスペクトしているお店。ずっと通ってきて、いつのまにか「うみない」「うみきい」(琉球言葉で「兄弟!」みたいな意味)と呼び合う姉弟つきあいになった方である。去年、夜の営業を終え(→最後の夜)、いまは昼のみの営業になっているが、ほとんど夜と変わらないメニューを出してくれるのでエッセンスは変わらないと思う(半年伺ってないけど…)
時節柄、普天間問題の話にどうしてもなる。
マスコミが伝えない現地の空気をいろいろ聞けてよかった。
というか、どこかの新聞コラムで読んだが、中堅の有名女子大の学生41人の中で、日本がアメリカと戦争した過去があることを知っていたのはたった21人だったとか(!)
ひどい話だと思うが、そういう現実がある、というのは受けとめるべきだろう。
で、そういう状況の中、日本はまだアメリカの軍事的属国であること、沖縄が(戦争での犠牲のみならず)同盟による負担を一手に引き受けている現実、みたいなことが周知されたのは、(鳩山内閣のやり方のヘボさ・落としどころの是非はもちろんあるものの)長い目で見たらわりとマシな一歩なのかもとも思う。みんながこの問題に目を向け始めた。これはこれで「マシな変化」だ(←なにごとにもマシ論者w)。先週、電車の中で中学生が「なんで日本にアメリカの基地があるの」という話をしていたもん。そういうのはとてもイイコト。
ついでに言うと、ボクに「○○について鳩山さんに伝えてください!」「あの政策はいったいどうなってるんですか」みたいなメールがたまにくるけど、ボクの内閣官房への関わりは、コミュニケーション系のプロとして内閣の発信の仕方についてたまに意見を求められることがある、という程度のもの。政策面ではノータッチだし、内閣や民主党に肩入れしているわけでもないので勘違いされませぬよう。
ツイッターやブログの使い方についても、サジェスチョンや意見はしているけど、それを受け取るも受け取らぬもあちら次第。
ただ、少しずつだけど「大きな変化」が起こっていると思う。
マスコミが一次情報を独占してきた記者クラブ制度の壁の一角は崩れたし、閣議などのUstream中継も実現し、一次情報が国民に直接伝わるようになった(いままではマスコミが都合良く切り取った情報しか世の中に出なかった)。
これって実は「革命」に近い出来事。鳩山内閣は、マスコミを敵に回すことを覚悟の上でそれらを断行したわけ。もちろんマスコミはそんなのほとんど取り上げないけど(自分たちに不利になるから)。
ツイッターだって、孫さんとかに比べると鳩山さんの使い方は中途半端ではあるけれど、とりあえず政治への関心はじわりじわりと醸成されていると思う。そしてそれがもともとの目的。政治への無関心を少しでも改善したい。これがボクが関わっている目的だ(政策への失望が無関心を助長することもあるけど、それはボクが関与できることではない)。
ちなみに、今月、ついにガチャピンを抜いて、鳩山首相のフォロワー数は日本一になった。支持率は下がってるのに(笑)。
でも、タレントやキャラクターより政治家のフォローの方が多い、というのはそれなりに画期的なことなんじゃないだろうか。選挙活動のネット解禁も始まるし、少しずつ「変化」してきている。せっかちな人が多いけど、少しずつ少しずつマシになる、というのが大事だと思うな。急に変わる社会は怖いし。
閑話休題。
山本彩香さんは相変わらずお元気そうで、20歳以上年下のボクの方がよっぽど疲れてる。まいったな。まだまだがんばらなくちゃいけない・・・
実は昨晩はそれだけでは終わらず、彩香さんと別れた後、同行していた友人に連絡が入り、急に太田和彦さんと飲むことになったですね。23時前くらいから。太田和彦さん。もちろん居酒屋系の大家。著書もファンも多数。うわー…。
長くなったので、その模様については、またそのうち書くことにするです。スマソ。
ハンクさんが亡くなってしまった…
2010年05月18日(火) 7:50:46
ジャズ・ピアノの大御所というか、生きる伝説みたいな存在だった人、ハンク・ジョーンズさんが亡くなってしまった。91歳。経歴はWikipediaにくわしい。
彼の人生の歴史はジャズの歴史。きっとボクよりもずっと長いこと彼のピアノを聴いてきた人もいるだろうし、もっと悲しんでいるジャズ・ファンも多いだろうから、ここで思い入れたっぷり大仰に悲しむのもどうかと思う。でも少しだけ書かせていただく。
ある時期。あれはええと1990年代中盤の5年くらいかな。ボクは彼と長く一緒だった。一緒にいた時間だけ計ったら、彼と接した日本人の中でもトップレベルに長かったと思う。
パナソニックの企業広告の仕事だった。「What's New」という曲とともに最新技術を紹介するCMがあったのだが(ハンクさんの決めセリフ「ヤルモンダ!」で覚えている人もいるかもしれない)、それにハンク・ジョーンズさんを起用し、シリーズ広告を作った。5年に渡り、何度もロケやスタジオ撮影をした。ニューヨーク・ロケはたぶん5回くらい。東京ロケも3回くらい。ヴィレッジ・ヴァンガードやスイート・ベイジルなど、数々の有名ジャズクラブを貸し切って撮影をした。撮影の合間に拙い英語でいろんな話を一緒にした。ボクたちスタッフだけを観客に、何度も何度もピアノを弾いてくれた。
思い出はたくさんある。ありすぎるほどたくさんある。しばらく経ったら書いてみたいと思っている。
写真は、ハンクさんと知り合って5年目のころだろうか。娘の響子がピアノをやっているので何かひと言お願いできますか? とお願いしたら、ハンクさん、なぜか長考に入り、長時間かけて絞り出すようにこれらの言葉を書いてくれた(二枚目はそれを書いてくれているハンクさん)。いつも本当に丁寧なのだ。そして謙虚。こんなにすごい人なのに、驚くほど謙虚で優しい。どこに連れて行っても、なにを見せても、すごく喜んでくれた(和食だけはあまり合わなかったようだけど)。そしていつ会ってもキチッとネクタイをし、背筋をピンと伸ばしていた。
この写真の言葉通り、彼は練習を本当に怠らなかった。ロケ中も、少しでも時間があるとピアノに向かって練習していた。あまりに頻繁に弾くので有り難みが薄れ、スタッフも「ハンクが横で弾いてること」に馴れきってしまっていたが、本当に「ありえない貴重な時間」だったと思う。
誰かが死ぬということは、その人の記憶の中にある自分も死ぬということ。
ハンクさんのものすごい経歴(なにしろチャーリー・パーカーと演ってるからね)の中の隅っこの隅っこであるが、確実に彼の脳細胞のほんの一部にはボクがいた。ハンクさん自身がいなくなったことも悲しいけど、彼の脳細胞が消えてしまったのと同時に、あの濃密で楽しかった時間までもが消えてしまったようで、なんだかものすごく切ない。もちろんボクの脳細胞にはまだたくさん彼との時間が存在しているのだけど、でも、なんだか、切ない。うまく書けないけど。
彼に最後に会えたのは、2008年の1月のこの日に東京で。ニューヨークでは2004年のこの日。
このサイトを始める前くらいからご一緒したので、サイトにもほとんど書き残してないんだよなぁ(コンプライアンス的にも仕事のことをサイトに書くのは憚られたし)。彼との思い出をもっと読みたい。自分のサイト内を家捜しして読んでいる(ニューヨーク日記とか)
ちなみに、昨日、スイング・ジャーナルも休刊が発表された。編集部に先月だったかに遊びに行ったばかりなのだけど。さみしい。これについてもまた書く機会があるかもしれない。
ラジオ・メディアについて言いたかったこと
2010年05月02日(日) 22:50:37
ラジオの生放送で何をしゃべったんですか、とメールで聞かれたが、ええとここで Podcasting できるようです。自分で聴くのはヤでまだ聴いてないけど(笑)。前半はわりと緊張しちゃったし。舌はまわらないし。あ〜ヤだヤだ。
うまく伝わったかどうかわからないけど、ラジオ・メディアについて言いたかったことはこんなこと。
- ラジオは生活者参加型という意味で、昔からソーシャルメディア的だった。その知見の積み重なりは貴重。ラジオはいまソーシャルメディアともっとも親和性が高いマスメディアでもあり、そこと融合・合体していけばかなり明るい未来が待っているのではないか。
- radiko.jp の登場で、そのソーシャルメディアに具体的に入っていけるようになったのが大きい。しかも「いままでラジオに触れたことがなかった若者たち(ラジオを持ってもおらず、チューニングの仕方もわからない若者たち)」にとっては新鮮なメディアでもあるので、逆に有利だろう。
- radiko.jp によって、ラジオは(ネット上の)映像とテキストを手に入れた。音を聴きながらいろんなコンテンツを楽しめる。リンクできる。参照できる。検索できる。ツイートできる。etc.etc。そしてそれをパーソナリティ(DJ)と共有できる。これがどのくらい大きなことか。ここに無限な可能性と勝機がある。ラジオは、「音だけ」を捨てれば、真のマルチメディアの中心に行ける可能性がある。
- ただし、ソーシャルメディアに上手に入り込んでいくためには「ソーシャルメディアにどっぷり浸かって、肌感覚でソーシャルメディアがわかっていること」が必須。ラジオの経営者はそれができないといけない。いまの経営陣にそれができるかどうか。極端な世代交代がラジオこそ必要ではないか。30代〜40代に経営を任せ、フットワーク軽くソーシャルメディアの中に入っていくべきであろう。
- テレビみたいに録画で見ても楽しめるものとは別に、ラジオにはリアルタイムという強みがある。これはリアルタイム・ウェブであるソーシャルメディア、特にツイッター的なものとの親和性が高い。月が美しいことや地震で揺れたことを共有し、ツイッター的にリアルタイムで共感できる流れができれば、新しいラジオの未来が見えてくる気がする。
- ちなみに、ラジオは「ながらメディア」である。メディアが激増したこの多メディア時代、逆に「他のメディアに触れ“ながら”利用できる」というラジオにとっては有利な時代でもある。そういう観点からも、ラジオの未来は明るいと思える。ちゃんとその辺を自覚して前に進めれば、だけど。
ただ、ラジオの中の人はあまりに「マーケティング」しておらず、「いまの生活者」のことを知らなすぎる。
どんなヒトが聴いていて、どこに新たなニーズがあるか、まったく探ってないと言ってもいい。やっているとしてもアンケート調査的定量調査。そんなの「大衆」という人たちがいた時代の調査手法である。大衆なんてもう死語だ。20歳〜35歳までをF1M1と呼ぶのは単なる思考停止のなせる技。20歳の女性と35歳の女性が同じわけない。
まずは伝える相手である生活者をよく知り、漠然と「大衆」に向かって番組を作るのをやめ、ソーシャルメディアに踏み込んでいく。そこから第一歩が始まるんじゃないかな。
昨晩のNHK「激震マスメディア」を見ながらボンヤリ考えてたこと
2010年03月23日(火) 9:26:13
最近、「自分の老い方をどうするか」をよく考える。
どうやって60代70代を迎えるか、ということである。来年50歳になると実感してから急に気になるようになった。そろそろ準備をしないといけない。
もちろん「自分の人生的には60代70代はまだまだ上り坂。楽しい盛り」である。人生のピークを80歳と考えているので、それまではずっと上り坂(笑)。でもそれは「個人の人生」の場合。「社会での老い方」はまた別だと最近考えるようになってきた。
変化が激しいこの時代、今は変化についていけているが(変化を引っ張っているほうだとも思うが)、そのうち自分で気がつかぬうちに変化に遅れ始める(と思う)。そして少しずつ社会の障害になる。壮年時代にがんばって成功事例を作れば作るほどその可能性が高い。
昨晩22時からのNHK放送記念日特集「激震 マスメディア~テレビ・新聞の未来~」を見ていてもそう思った。
この番組、放送業界・新聞業界の代表と、IT系代表、評論家、学者などの対談で進められたのだが、代表者たち(社会的に偉い方々)の「変化に対して身を守ろうとする姿」「時代の変化を受け入れない態度」などが露わになってしまった。もちろん業界代表としてのポジション・トークもある。でもそれだけではない。映像は怖い。すべてが映ってしまう。いかに取り繕っても、裏側が透けて見えてしまう。
あそこまで上り詰めた方々が優秀でないわけがない。
若いとき、壮年時代、熟年時代と、業界で注目されるくらいはバリバリに働き、成功体験を積み重ねてきたはずだ。それには敬意を払う。ただ、現在の激烈な変化に対応するには成功しすぎた。既得権益を持ちすぎた。
嗚呼、がんばって成功体験を積み重ねれば積み重ねるほど、過去の成功にがんじがらめになって時代に遅れていくのだなぁ。変化に対応できなくなるのだなぁ。成功体験をどんどん捨てて、次々転身(転進)していくことが必要なのだなぁ。そうでないと知らず知らずに老害的になっていくのだなぁ。とか、テレビを見ながらしみじみ考えてしまった。
まぁ、いま上の方にいる60代70代と、変化の真っ直中で動き回っている20代30代を、しっかりつなぐ40代50代が逆に重要になってくる場合もある。そのために働くのも一手。でも、それをした挙げ句、結局「老害」になってしまったらイヤだ。いつの間にか自分がそうなるのが怖い。
そんなこんな。
思考がまとまってはいないけど、感覚的・本能的に「イヤだ」と思ってしまった昨晩であった。
ちなみにこの番組、内容的には目新しいことはなかったのだけど、NHKがこの問題に真っ正面から取り組み真面目な特集を組んだ、ということは素晴らしいと思う。テレビと新聞が「老人」になったことも(期せずしてなのか狙いなのか)浮き彫りになってしまった。それを狙ったのなら番組制作陣の勝利。そういう検証をやる若手・壮年が中にいるのなら(そしてそれを通す上がいるのなら)、NHKはまだまだ大丈夫だと思わせる。
そうそう、番組を見ながら、ボクはこんなことをツイートした。
佐々木さんも遠藤さんもよくキレないで忍耐強く語っている。ボクだったらキレそうだw おじいちゃん、何言ってるんだ?多少酔ってますね(笑)
で、それに対して、あの「ハンバーグオリンピック」の迷言&見事な対応を残したNHK_PR(NHK広報局オフィシャルアカウント)さんからツイートが!
@satonao310 そこを、どうにかご辛抱して頂けると幸いです…NHKにオフィシャルに慰められちゃったよ(笑)。
ちなみのちなみに、同じ時間にUstream で「この番組を見ながらツッコミを入れる放送」をやっていて、津田大介、山本一郎、上杉隆、小飼弾、堀江貴文の(空恐ろしい)5人がその番組を見ながらツッコミを入れ、ツイッターTL(タイムライン)でもみんなが話すということが行われていた。わりとグダグダなツッコミだったけど、とっても「イマ」っぽかったので、同時に見ていた。番組終了後もわりと長々と。
というか、「時間がないので今日はこの辺で」と終わってしまうテレビ番組って、もう「古い」よね。編集権が送り手側にあること自体が、たぶんデジタルネイティブには理解不能なことだと思う。これはテレビだけでなく新聞にも言えることだけど。
つまり、「限られた時間(紙面)」なので「ある視点で要約して(一部分だけ取り上げて)報道する」ということ自体、感覚的に古くなると思うな。それもあと数年〜十年くらいで。
アクションプランナー
2010年03月09日(火) 12:47:39
「国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ」のメンバーは全部で8人。そこで初めて佐々木かをりさんとお会いした。イー・ウーマンの代表であり、時間管理術でも有名な方だ。テレビのキャスターやコメンテーターもつとめられている。
で、何度かワーキンググループの会合を重ねる中、いろいろ話をするようになったのだが、あるとき彼女がボクの使っている手帳を見て、いきなり「さとなおさん、その手帳、すぐ捨ててください」と言う(笑)。もちろんそこは佐々木さんなので、感じよくニコヤカにだけど。
当然「え、なんで!」である。
ボクはボクで毎年苦労して手帳を選ぶ。最近では iPhone の手帳アプリも試したり、Google Calender を使ったりもしているが、どうもボクには「紙の手帳」が合っているようなので、紙にしている。でもなかなか自分に合った手帳がないので毎年選択に苦労するのである。
「手帳はこうやって使ってください。こうしてスケジュールを面で捉えるの」
と、自分の手帳を開いて、その手帳の良さや使い方を説明してくれる彼女。時間管理術の講座や手帳の使い方の本なども書いている彼女から直接受ける「超贅沢なひとり講義」である。なるほどねー。納得はいろいろあった。で、その手帳こそが彼女自身がプロデュースした「アクションプランナー」という手帳だったのである。あぁあの有名な。
とはいえ、その "講義" をしてくれたのは2月中旬だった。もう手帳を買う時期でもないし、第一ボクは「左側に7日分のスケジュール、右側にメモ欄」という手帳が好きで、このアクションプランナーのような「バーチカルタイプ(1週間分が見開きになっている)が苦手なのである。
それでもその説明はなかなか魅力的で、一度試してみたいとは思ったですね。
実物を触って確かめてから買いたいので、思い出しては文具売り場の手帳コーナーに探しに行ったりもした。でもアクション・プランナーは置いていない(時期はずれすぎ)。まぁ来年版からにしようか、と、ほとんど諦めていたのである。
が、あるときツイッターで佐々木さんとやりとりしていて、「アクションプランナー、どこにも置いてないですねぇ」みたいなことを書いたら「売り切れていたグロリアラインが手元に1冊ありますよ」と推薦され、なんとなく流れで購入させてもらうことにした。今年使ってたヤツもイマイチ気に入ってなかったのが大きい。ただしグロリアラインは1万円と高いので、オーストリッチの安価なタイプを(あと10ヶ月しかないし)。
届いたのが3月5日。使い始めたのが3月6日。
イー・ウーマン・サイトのこの手帳の使い方コーナーみたいのも熟読した。動画も見た(とても丁寧なサイトだ)。
まだ徐々にバーチカルタイプに慣れていっている段階ではあるが(横軸から縦軸になったのもなかなか慣れない)、たしかに時間管理はしやすいかも。ムダな時間や空いている時間が一目でわかるし、受動的ではなく能動的に予定を埋めていける。
つか、これ以上能率あげてどうする、という気もするが(笑)
まぁ残りの10ヶ月、これでやってみます。
久しぶりの不眠
2010年03月08日(月) 6:41:07
昨日は切羽詰まった企画書が2つあり、どこにも出かけずモニター前でどっぷり仕事していた。
朝6時前から深夜25時すぎまで、朝ご飯と昼ご飯と夜ご飯(with「龍馬伝」)と犬散歩と1時間の昼寝以外ずぅっとモニター前。15時間は向かっていたかも。
というか、思ったよりずっと時間がかかった。
本当は2本で8時間くらいで仕上がると踏んでいたのだが、パワポのアニメーション(プレゼンのときに文字や図を動かすやつ)とかを細かく調整しているうちにそんな事態に。うーん、実はまだ終わっていない。今日プレゼンする案件があるのだが、それが間に合っていない。こんなことでちゃんとプレゼンできるのかな、オレ。
作業の最後の方は目が疲れすぎてアタマがガンガン鳴っていたのだが、あまりに長時間モニター前で照射されていてメラトニンの分泌が妨げられたせいなのか、うまく睡眠に入れず、結局ほとんど眠れないままに朝を迎えた。久しぶりの不眠。あーあ。眠い。つか、アタマが痛い。
まぁボクは20代30代とかなり深く不眠とつきあったので、不眠には慣れている。
あまり気にせず起きて活動しちゃうことだ。とりあえずプレゼンに向かって企画書を仕上げよう。
「さとなお」と「サトナオ」
2010年03月03日(水) 7:31:00
読売新聞の月イチ連載コラム。前回の掲載時に立松和平さんが亡くなった特集記事が急に入った関係でひと月近くズレ込んでいたんですが、今日の朝刊には出ているようです。
新聞は急な事件によってコラムとかはすぐ飛びますね。ダイナミックで面白い部分でもあるけど、新鮮度重視な旬ネタでコラムを書いた場合、書き直しせざるを得ないのがツライところ。今回も全面的に書き直しました(これで2回目の書き直し)。ちなみに写真も変わりました。お暇な方は見てみてください。
本業の広告について言えば、ブログやツイッターで書かれたりメールでもたくさん問い合わせをいただいたのでここでもお知らせしておくと、3/1に、所属している会社で「サトナオ・オープン・ラボ」というのが発足しました(リリースPDF)。
15年前、このサイトで使い始めた「さとなお」という名前。
中学高校時代の通称だったのをそのままハンドルネームとして使い始めたんだけど、それがペンネームとなり、そのまま本まで出すようになるとは当初予想もしませんでした。おかげで70歳になっても80歳になっても「さとなお」。よしんばハーヴェイ・カイテルみたいな渋いオジサンになれたとしても、名前はしょせん「さとなお」。腰砕けだ(笑)。著者名として本の背表紙に出ていても何か頼りない(ひらがな四文字だしなぁ)。あぁもうちょっと考えて名前をつけるべきだったよ!
…まぁそういう軽い後悔はあるものの、会社でもいつの間にか「さとなお」で流通してしまい、たいていの人が「さとなお」と呼んでくれるですね(もちろん年下とかからは「さとなおさん」だけど)。
「さとなお」はプライベート、本業は「佐藤尚之」、と、自分の中で区別していたのだけど、だんだんその境目がなくなってきて、まぁそれはそれでいいか、とだんだん開き直ってきました。でも、企業へのプレゼンとかのオフィシャルの場で「さとなお」と呼ばれるのは今でも慣れません。照れるというか、お恥ずかしい。まぁでも仕方ない…。
で、そういうところにきて、ついに組織の名前にこの通称がついてしまった…。
オープン・ラボというカタカナに合わせて、ひらがなからカタカナにはなったけど、それにしても…。
恥ずかしいから相当抵抗したんですが、はるか上の方からの「これで行け」との指示により(泣)。んー…。こうなってくると、両方「さとなお」なので、必然的にこのサイトともリンクしてきます。
この「公私が独立して存在するのではなく限りなく混ざり合っていく感じ」は、実にツイッター的というか、ソーシャルメディア時代っぽいなぁとは思うし、「オンとオフの区別はなく、すべてがオン」という考え方のボクとしては理屈上は望ましいことなんだけど、実際に「さとなお」が本業に混ざり込んでいくのはなかなかに複雑な気分ではあります。
まぁ佐藤部とか、組織に名前がつくことはたまに見るけど、通称が組織名になるのは聞いたことないなぁ。こんなことで画期的になっても仕方ないけど、まぁこれも新しい前例作りの一環ということで。
いったいその「サトナオ・オープン・ラボ」で何をやるのか、とメールでもいろいろ聞かれましたが、拙著「明日の広告」で書いたようなコミュニケーション・デザインを基本として、生活者本位の「広義なパブリック・リレーションズ」を目指します。
日本ではパブリック・リレーションズ(PR)はパブリシティ的な狭義なニュアンスに閉じ込められちゃっているけど、本家アメリカでは「広告(AD)」より広い概念。でも、それでもまだ「広告」とは分離して考えられているですね。そこを合体させた「新しい、多元的な、広義のパブリック・リレーションズ」を目指しとります。
カタカナ言葉を使わずに平たく言うと「頭をぐじゃぐじゃに柔らかくして、伝わるなら何でもありをちゃんやる」ということかな。
とはいえ名前が「さとなお」なので、腰砕け的に(笑)気楽にやります。おいしいものでも食べながら。
東京〜大阪を1日で2往復半
2010年02月05日(金) 12:11:55
「昨日は新幹線に住んでいるような1日でしたね」というメールをいただいたけど(ありがとうございます)、確かに4回も乗り降りしているが、延べ時間としては新幹線の中に5時間弱しかおらず、それほどでもないといえばそれほどでもないかも。ボクは大阪勤務時代が長かったので、もっとすごいのをいろいろ経験している。一番きつかったのは、なんと東京〜大阪を1日で2往復半したときである(15時間!)。
東京の編集室でCMを徹夜編集して、朝いちの新幹線で大阪へ行き、大阪のクライアントに試写して修正を指示され、東京にトンボ帰りし、新幹線の中の公衆電話(公衆電話!)から編集室に電話指示して作業してもらっておいた修正済のビデオテープ(ビデオテープ!)を東京駅で受け取り、そのまま引き返して大阪に帰り、新大阪駅に持ち込んだ14インチのビデオ付テレビ(テレビデオ!)でクライアントに試写し、また修正の指示を受けて東京に引き返し、新幹線の公衆電話で指示しておいた修正済のビデオテープを東京駅で受け取って、最終の新幹線で大阪に帰ってクライアントに渡した、という「パシリにも程があるだろう的超絶パシリ」である。
いまなら「ネットでやれよカス」って言われるであろうアナログ時代の思い出だ。
いま、普通に「ニューヨークの編集室にネット上でリアルタイムに改訂指示を出して修正箇所をリアルタイムに確認する」なんてことが出来ているが、ホント夢のような世界である(そのぶん時間に追われるので、どっちがいいか難しいところだけど)。
神戸〜京都〜名古屋〜東京〜名古屋〜味仙
2010年02月04日(木) 8:50:22
昨日は長い1日だった。
朝早く神戸のホテルを発ち、クライアント(大勢)と待ち合わせて新神戸駅から京都駅まで新幹線。京都から近鉄で移動してある街に行って仕事を2時間ほどし、また京都に帰ってきて駅ビルでさっと昼ご飯を食べ、そのまま新幹線で名古屋に移動。名古屋で1時間半ほど打ち合わせをし、また新幹線で東京へ移動。品川で2時間ほど打ち合わせをし、また新幹線に乗って名古屋に22時頃帰ってきた(翌日、つまり今日、名古屋で講演するので名古屋泊だった)。
夜中に名古屋の街を歩きながら、なんだかとっても不思議な気持ちに。
朝には神戸にいて、昼には京都にいて、昼下がりには名古屋にいて、夕方は東京にいて、そして今また名古屋……。ユビキタス的というか遍在的というか、なんというか「いま名古屋にいる自分と、まだ神戸とか京都とか東京にとどまって存在しているパラレルな自分が、同時に存在しているみたいな感覚」とでもいうか…。んー、自分自身がノードとなり結節点として機能しているような、そんな感じかな。ええと、伝えるのが難しいな。平たく言うと、とっても「ネット的」ちゅうことです(←平たくしすぎ)。
名古屋に22時に着いてそのままホテルに帰る手もあったが、そのままだとなんだかあっちこっちに行っている自分の分身が自分の中に戻ってこないような妙な感覚があった。こういうときは後輩でも呼び出して飲みに行くに限る。
名古屋に勤めている後輩は何人かいるが、アルファブロガーの「はあちゅう」もそのひとり。ちょうど東京出張帰りだという彼女と待ち合わせて金山のバーで一杯。
その店からツイッターに書き込んでいたら、同じく名古屋勤務の片瀬くんという後輩からツイートが入ったので、彼も呼び出して3人で「味仙」へ。言わずと知れた台湾ラーメンの有名店。名古屋出身者が東京で「あぁ味仙の台湾ラーメンが食べたい!」と騒ぐ、ほとんど郷土食的位置づけの店である。
というか、一軒で終わりにしようと思ったのだけど、ツイッター上で「味仙」話が盛り上がり、いろんな人が行け行け言うものだから、ツイ行ったー(しょうもな)。今池の「味仙」は3回目かな。
青菜炒め、手羽先などをアテにビールを飲み、翌日のニンニクの臭いを気にしつつ台湾ラーメン、アサリラーメンも食べ(アサリラーメンが意外と良かった)、ガーガー話して深夜2時前に解散。いやぁ長い1日だった。でもおかげでなんだか「名古屋にいる自分が腑に落ちた」。ありがとう後輩たち。
名古屋はどえりゃー寒い。東京より冷え込んでる感じ。なんか今年は冬らしい冬でイーネ!(横山剣風に)
ほんの0.0003秒くらいな綱渡り
2010年01月12日(火) 12:38:54
今朝、入稿した。
15章分。
おめでとう、オレ。
仕事が相変わらず大嵐なので、脱稿の開放感は全くないのだけど、それでもちょいと負担が減った。
さて、次は今週の長時間講義と、来週から始まる講演行脚の準備を始めないといけない。本業の仕事は減る気配を見せないし。んー、いつまで綱渡りが続くかなぁ…。
まぁ長い宇宙の歴史からするとほんの0.0003秒くらいな綱渡りなんだけど(→ツイッターで教えてもらった「宇宙の歴史を1年であらわすと」)
死ぬほどわかる!
2010年01月11日(月) 21:02:02
世界トップクラスのダンサーで、あんなに努力している岩田さんにもこういうことがあるんだなぁ。
何でだ、何でだ、何でだ~~!!翌日のブログでもドキドキだ。
今までまったく問題の無かった技術が、突然出来なくなった。
出来ないイメージが頭の中を占領している。
「出来ないから、やめます。」これ、よくわかるなー。ボクもいつも逃げたい。
なんて、言えたら良いのにとか、
「逃げたいな~~。」
なんて思ったり。
結局、岩田さんはなんとか成功するのだけど、舞台袖での葛藤が…。
舞台袖で試したりこれも死ぬほどわかる!
鏡の前で試したりしながら、
僕の中では、冷静な自分とパニックが戦っている。ここで、残念なのが
冷静な自分が勝っても
決して成功するわけではない事を、
僕は経験上、知っているのです。
いや、岩田さんほど努力をしているボクではないし、世界トップかつアウェイで闘っているわけではないので「わかる」なんて言うのは傲慢なんだけど、それでも、わかる!
というか、最近、逃げ出したいことが多い(笑)
なんだか仕事でも何でも、プレッシャーが重くなることばかりなんだもん。
大きな仕事に携われるのはやり甲斐あるけど、誰も経験したことがないようなこの変革の時代、心の中の冷静な自分は「今度こそ上手にできないのではないか」と分析している。数ヶ月単位で世の中が変化するので、以前の成功体験がまったく効かないからね。毎回綱渡りだ。
いままでは何とかすり抜けてきたけど、今回はダメなのではないか。今回こそ失敗するのではないか。と、いつもどこかでドキドキしている。でもやらないといけない。周りの期待に応えないといけない。
なんだか最近この繰り返しだ。どっかに逃げ出したいなぁ。
まぁそうやってチャレンジして達成できたら、それはもうとてもうれしいし、貴重な経験値になるのだけど…。命まで取られるわけではなし、肩の力を抜いてやるしかないんだけど…。でも。なんだかな。いろんな責任が肩にのしかかる…。
とか言いながら。
なんとか原稿終わったので(快哉!)、今日は飲もう。
ワタクシトシタコトガ
2010年01月08日(金) 8:11:25
昨日は時間がなかったので、昼にオニギリを1個食べ、そのまま企画書書き、会議、企画書書き、会議、会議会議会議、と働いていたら、いつの間にか夜11時前。
疲れ切って、さて帰ろうかとデスクを立ってふと気づいた。夜メシを食べていない!
ボクは、高熱でも食欲が落ちないタイプ。
そのボクが空腹も感じず、夜メシを食べるということすら忘れていたとは…。しかも昼メシが超少ない。こんなことちょっと記憶にない。
というかですね、そのまま何も食べずに寝て、今朝起きたのだけど、今朝も「すげー空腹!」ってわけでもなかった。そういえば今年になって強烈な食欲ってヤツがまだないなぁ。2010年を境に「食べなくてもいい人」に脱皮するのであろうか。
ま、たぶん仕事量・執筆量に比例したストレスで食欲が落ちているのだと思う。意外とヤワ。陽転思考的にはこれはラッキーで、精神をより鍛える訓練になるし、仕事ダイエットにもなる(笑)。というか、ジムに行きたい。今年まだ行けてない。
背水なる晦日
2009年12月30日(水) 9:48:40
晦日といえば、「あー今年も良く働いたー!」「今年観た一番の舞台や映画はなんだろう?」「今年一番のレストランはね」とか感慨と思い出に浸りながら、ネコのように伸びをしている頃合いであろう。
が、まさかのまさか、この年末最終週が一年で一番忙しくなろうとは!
ということで、仕事ばっかりしています。朝6時から夜26時まで(笑)。いろんな仕事が重なって押し寄せてきている。少し仕事に隙間ができると執筆。そう執筆! 延ばしに延ばして1月4日を〆切にしてもらったが、実質あとたった5日半。手をつけたいのに仕事の方が膨大すぎて手がつけられぬ。あぁあと10章まとめないと! しかもそのうち完全書き下ろし1章だ。間に合うのか? 背水の陣って実は好きなのだけど、それにしてもどうだこりゃ。
計算上は、仕事の合間をかいくぐりつつ、1日3章書いて3日半。残りの2日で推敲&仕上げとなる。とはいえ大晦日&お正月。行事はあるし、妻は神戸の義母のもとに行ってるから家の雑事もあったりする。ううむ…。
まぁ連載の単行本化だし、いままでもちょこちょこいじってきてはいるので、数章は大筋出来ている。でも手をつけてない章が4つある。大筋出来てる章も細かい確認とか表現とかが実に難関だ。そのうえ一冊の長きに渡り同じトーンでまとめなおさないといけない。やばいなぁ。
とか行ってる間に書けるので、書きます。というか今日も昼から仕事に行かなければいけない。ということで。
日本で一番古くて伝統ある、一番大きな会社
2009年12月26日(土) 12:53:59
昨日の民間ワーキンググループの件について、いろいろご期待をいただきました。ありがとうございました。
でも、あまり早急に結果を求めないでくださいね。
変化していく過程ですので、これからいろいろな試行錯誤があると思うし、民間ワーキンググループが出来ることも限られています。温かく見守っていただけると助かります。というか、会食での提言がこうして実際にカタチになって進みつつあるだけでもすごいこと。
まぁでも、実際、思ったより遠い道のりなのだろうと思います。
たとえばアナタが「伝統ある古くて大きな会社」の一員だとして、その会社が昭和時代のやり方を改めて変わろうとしているとします。そしてこの夏、実際に社長も替わったとします。
社長も経営陣も一新した。社長は改革派である。でも、長く続いた借金体質や密室運営、業界の慣習や既得権益を守ろうとする守旧派の跋扈などにがんじがらめになって身動きがとりにくい。とはいえ少しずつ改革の芽は出始めている。でも期待したほど成果が出ていない。そんな空気が「今」だと思います。変わらないと会社がヤバイと焦っている社員たちは、期待と失望を繰り返しながら、固唾を呑んで改革派経営陣を見守っている感じ。
でもね、伝統ある古くて大きな会社は、一朝一夕には変われません。
そういう会社でなにかを改革しようとしたことがある人ほど、それを身に染みて感じているはずです。
昭和な体質のまま巨大になった企業は、いかに経営陣が必死になろうと、社員が運動を起こそうと、そう簡単には変われないのが現実です。大きな船ほど方向転換に時間がかかるのと一緒。新しくて小さめの会社にいる人が「どうしてそんなことも変えられないんだ?」と不思議に思うようなことでも、なかなか時間がかかったりします。
で、「日本」って、日本で一番古くて伝統ある、一番大きな会社ですから(笑)。そんなに簡単に変われるわけもない。
社員たちが「社長はなにやってんだ」とボヤくのはわかるけど、長く続いた前経営陣のツケを精算しつつ、いいところは取り入れ、悪いところは改め、一歩ずつ前に進む作業は、結果を出すまでにそれなりに時間がかかるんじゃないかな、というのが、民間の古い会社に勤めるボクなりの経験則。大企業だったら、経営陣総取っ替えから2年目でようやく改革の効果が出始めるくらいが常識的なラインかな、と(この政権の政策の是非は置いておいて)。
いや、つまり何が言いたいかというと、それなりに時間はかかるだろうということ。
その「日本で一番古くて伝統ある、一番大きな会社」の社長に「社員有志が集まって意見書を出した」というのが、今回の件です。
伝統ある古い大企業って、社長はまさに「雲の上の人」。ものすごく遠いしものすごく偉い。トヨタとかNTTとかパナソニックの社長をイメージすると少しはわかるかもしれません。でも今回は社長が直接話を聞いてくれた。これだけでも今までとは違います。そして実際に取り入れて動こうとしてくれているのも今までとは違います。
でも、ここから先はいろんなことが起こるでしょうね。社員からすると「なんでそんな慣習すぐに壊せないんだ?」と思うことでも、意外と時間がかかって、あっという間に半年くらい経ってしまう感じ。本当はそんなことじゃいけないんだけど、実際はそんなところが現実かと。
まぁでも乗りかかった舟ですから、いろいろ意見を出し、行けるところまでは行こうと思っていますが。
国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ
2009年12月25日(金) 8:11:35
鳩山首相との二回の会食(1回目、2回目)とそこでの提言が縁で、「国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ」というのに参加することになった。
昨日は第一回目のリアル・ミーティングで首相官邸に行ってきた。
リアルと書いたのは、それまでもバーチャルで多少話し合いは進んでいたから(メンバーによるメールの頻繁なやりとりで、という意味)。ボクを含む一部メンバーは、この1ヶ月弱、ミーティングに先んじてしこしこと提案 & 活動をしてきたのである。ただ、忙しい人が多いのでなかなか実際に全員集まれるタイミングがなく、ようやく昨日が実現したというわけ。昨日は鳩山首相もミーティングに参加する予定だったが、ちょうど例の偽装献金謝罪会見と重なって欠席。なので、松井官房副長官と首相秘書官、そして我々民間人とで「国民と政治の距離をどう近づけていくか」を1時間半に渡って話し合った。
民間メンバーは、平田オリザさん(劇作家)を座長に、佐々木かをりさん(イーウーマン社長)、小山薫堂さん(脚本家/放送作家)、今村久美さん(NPOカタリバ代表理事)、徳田祐司さん(アートディレクター)、須田和博さん(クリエィティブディレクター)、佐々木康晴さん(クリエィティブディレクター)、そしてボク、佐藤尚之(ブロガー/クリエィティブディレクター)、の8人。
ポジティブで活発ないいミーティングだったと思う。
メンバー全員、別に鳩山首相寄りでも民主党寄りでもない。ニュートラルな立ち位置である。敢えて言えば平田オリザさんは内閣参謀参与なので多少内閣寄りではあるが、あとの人間は、政治や政党や政策よりも「コミュニケーション」に興味がある人間が揃っている。そして「国民と政治の距離の遠さをコミュニケーションの力で大幅に改善したい」と思っているメンバーたちである。
ボク個人としては、国民と政治の距離が近くなればなるほど一般人の政治への無関心や無力感が払拭されやすくなり、政治参加意識も強くなっていくんじゃないかと思っている。そしてそれは社会をいい方に変えるのではないかとポジティブに夢想している。そのためであるなら、ボクが持っている微々たるスキルを出し惜しみせず提供したい、そう思ってこのワーキンググループに参加している。
具体的には、まずはソーシャルメディア(ブログやツイッターやYouTubeなど)を使ったコミュニケーションから始めて、首相だけに限らず、政治全体をもっと国民からわかりやすく、オープンで、透明な存在にすることが当面の目標だと思う。今朝の新聞には(とても小さな記事ではあるが)このワーキンググループが「首相にツイッターを始めるように提案した」と書かれているようだけど、ツイッターはごく一部の手段だ。
もちろん民間メンバーが出来ることは限られていて、実際にやるのは首相であり大臣であり議員たちであるのだが、我々がしつこくサジェスチョンしたりアイデアを出したり手助けしたりスキルを提供したりすることで、何かが少しずついい方に変わっていくと信じて事に当たりたい。このチームが、ありがちな「有識者会議」とか「諮問委員会」ではなく、「ワーキンググループ」と名乗っているのは「実際に動く」という意思表示である。
ちなみに「どうせ電通とかがキャンペーンするんだろ」とか思う方もいらっしゃるかもしれないが、メンバーには電通もいるが博報堂も入っているし、みな個人で参加している。他にNPOの人や個人作家たちも入っていることからもわかるように、フラットでニュートラルなチームであることはご理解いただきたい。
とりあえず、もうちょっとしたら具体的に刷新(発信)が始まる。
ゴールは「国民と政治の距離がぐっと近づくこと」。そのために、まずは第一段階として首相の発信を刷新すること。国民の声が首相の元にもっと届くようにすること。 ゴールはまだまだ相当遠いと思うけど、一歩ずつ、まずは一歩ずつ。
というか、こうして第一歩目が踏み出せただけでも政権交代の意味があったかなと思う。民間の意見に対してこんなに聞く耳を持ってくれる空気感は以前にはなかったものだし、「変えよう」という気運の強さも以前にはなかったもの。せっかくなのでいろいろと(もちろんいいと信じられる方向に)刷新するご協力ができればと思っている。
No, You are NOT the Center of the Universe !
2009年12月22日(火) 6:09:26
年末の忙しさが頂点に達しつつありまして。
昨日も会社で超バタバタした挙げ句、家に帰ってからもずぅっと仕事をし、真夜中に寝たのに朝4時には早朝覚醒し、寝ている間に入った仕事メールにドバーーッと対応しているうちに朝6時になり、そろそろ朝ご飯の支度と犬散歩(葬儀後の義母ケアのために妻は神戸に行っている)。あー…。
要所要所で現実逃避にこんなビデオ(星の大きさ比較:面白い!)を見て、いま自分が抱えている案件たちの「超超超超超極小さ」を確認し、まぁ大勢に影響ないやね、と自覚する。ついでに3年後の今日のこと(例の「マヤ文明におけるマヤ暦は2012年12月22日で終わっている」ってヤツ)も考えて、まぁ仕事なんてどーでもいいじゃん、とか自嘲する。
でもさ、そんな超超超超超極小案件でも、ちゃんとやらないと、二度と来ない「今日」が「気分悪い」んだよね。それが問題。今日を気分良く過ごしたいという目的のためにのみ、ちゃんとやりたい。その手段のために一日が終わってしまうという本末転倒は置いといて。
間に合うのか、オレ!
2009年12月19日(土) 18:11:05
もう夏くらいから「書けない」だの「つらい」だのぐちゃぐちゃ愚痴ってる単行本(二泊三日でその街に行くなら朝昼夜をどこで食べるのがベストか、という旅エッセイ本)の執筆ですが、いよいよ「真の〆切」が年末に迫ってきていて焦っています。
というか一体何ヶ月書いているのかという話ですよ。夏からずぅっと何やっていたのかと。イヤ、書こうと努力はしていたし、そのうえ仕事だの鳩山さんだと募金だの、様々な案件が滝のように降り注いできて…とか言い訳はいろいろあるのだけど、まぁ言い訳しようがなんだろうが〆切は確実に来るわけで。
というわけで今日は久しぶりに何もない休日だったので、朝から「今日は執筆!」とまなじり決していたわけです。
で、朝6時からしこしこと書き始めていたのに、朝8時30分に「ちょっと急ぎで!」というメール&電話が入り、仕事場に呼び出されてしまいました。まぁ結果的には行って良かったのだけど、帰ってきたらもうお昼。お腹減ってたのでガガガとお昼ご飯食べたら一週間の疲れが出たのか気がつくとベッドにいたワタクシ。悪夢にうなされて目が覚めたら(本当に悪夢だった。なんか知らないクライアントにすごい怒られてる夢:笑)、もう時計は夕方3時半を指している……。
「やばい!書かなきゃ!」と急いで起きてメールを見たら、違う仕事がなにやら困ったことに(あぁ仕事メールなんか見なけりゃ良かったよ…)。あーだこーだ対処しているうちに、ふと気がつくともう6時かよ!
あー、もうムシャクシャするので、いまからジム行ってカラダいじめてきます。
帰ったら書くぞ!
と、一瞬燃えたんだけど、今晩は姫路の友人から「お父さんが猟で仕留めた野生の鹿肉」が届いており、それを赤ワインと一緒に食べる予定にしてたんだった…。ワイン飲んじゃったら書けないなぁ。うーむ。
しかも!
明日はギエム! あーー、いったい間に合うのか、オレ!
福岡空港にて
2009年12月16日(水) 8:06:28
昨日は朝に羽田を発って博多へ。
目的は午後の長い会議だったのだが、どうせなら美味しいランチを食べたい。ということで、10時30分に福岡空港に着いて、そのまま姪浜まで地下鉄に乗り、能古島に渡るべくフェリー乗り場へ。
なぜ能古島かというと、ずっと昔にダンチューだったかで檀太郎か椎名誠が書いた食エッセイが記憶の片隅に残っており、なんとなく「能古島で魚を食べると至福である」という脳内イメージが勝手に出来上がっていたからである。「雑魚」という店の名もなんとなく覚えていた。そんなこともあっていそいそと。
が、結果は撃沈(笑)
フェリーは1時間に一本しかなく、それには間に合いそうもなかったので海上タクシー狙いでフェリー乗り場に行ったのだが、シーズンオフなせいか営業しておらず、次のフェリーも40分ほど待たねばならぬ。次のフェリーで行って食べてまた1時間後のフェリーで帰ってきたら打ち合わせの時間に間に合わない。うーん、残念! まぁ能古島は次の機会にするか…。
とぼとぼと天神まで戻って、打ち合わせ相手の後輩を呼び出してランチにつきあってもらった。彼は警固の「魚松」という店を勧めてくれ、そこで海鮮丼。名物らしい。まぁおいしかったけど、脳内が能古島で出来上がっていただけにやっぱり残念だなぁ。能古島、行きたかったなぁ…。
午後の長い打ち合わせを終え、夜は別の打ち合わせ相手と「浄水ろくしき」、そして「山下ワイン食道」へ。
「浄水ろくしき」は以前一回来たことがあって、もう一度食べてみたいと思っていた店。独学で日本料理を学んだというご主人だが、甘くて辛い味付けが多い博多の店には珍しく繊細な薄味で、そこが好ましい。豪快な料理を尊ぶ気風の博多にあっては雰囲気も料理も上品で、値段もリーズナブルでいいのである。若くて真面目なご主人といろいろしゃべりながら。くつろいだいい時間。
二軒目の「山下ワイン食道」(食堂ではなく食道ね)も、ビオを中心に品揃えが充実していてとてもいい店だった。グラスワインのバリエーションも素晴らしく、全部飲んでみたくなる。料理も充実(おいしい)。あー、いい店を知ったなぁ。ここもまた来よう。
てなことで、なかなかいい夜を過ごし、今朝も上々(天気もいい!)。東京に帰ろう。打ち合わせが5本待っている。
新人くん
2009年11月20日(金) 9:28:49
「宣伝会議」という広告系の学校で年に数回教えているのだが、今年の春の講座で、教え終わった後、緊張してボクの元に来た受講生がいた。30歳くらいの男性。
質問かと思って顔を向けたら、なにやら分厚い手紙を渡された。後で読んでください、と。手が震えている。なんだろう? ちょっと気になったが、次の仕事が控えていたのですぐ帰った。バタバタしていて翌日の夜までその手紙のことは忘れていた。
あ、そういえば、と思って手紙の封を切ったら、そこには「佐藤の下でコミュニケーション・デザインをやりたい」という熱い想いが書かれていた。ボクの本「明日の広告」の中でラブレターの話を書いているので、それを模したのかもしれない。汚い字ではあるが、気持ちはよく伝わってきた。でもヒトの人生を気軽に背負うわけにはいかない。メアドが書いてあったので丁重にお断りした。お断りというか、もっと慎重に考えろというサジェスチョンかな。彼はある会社の正社員で、そこを辞めてでも来たいと言うのだが、そりゃ無理だ。実績のある人の中途入社はありえても、まだ何も実績もなく、ただ「やりたい!」というだけの人を採ることはありえない(というか、ボクは人事担当者でもない)。いまいる会社でその想いをぶつけられる仕事を作り出す方がずっといい。
彼は引き下がらなかった。
やりたい!とか働きたい!と訴える人はわりと多い。でも一度お断りしたり、厳しい就職状況を説明したり、生半可ではない仕事内容を教えるとたいてい引き下がる。でも引き下がらない。何度もメールが来た。こちらも「考え直せ」一辺倒。というか、コミュニケーション・デザインって総合力みたいなところがあるので、もろもろ無経験に近い人には難しいのである。それにさ、正社員は無理だよ。しかもこの不況下、正社員という安定を捨てるのは相当危ういと思うよ。そのうえボクは一度しか会ってないキミの人生にまったく責任もてないよ。
でも彼は引き下がらなかった。
どんな不安定な立場になってもよいと言う。いままでの人生でようやくやりたいことが見つかったのだと言う。
うーん…、これはある種の「才能」かも。熱意という名の「才能」。引き下がらないという名の才能。賭けるという名の才能。
まぁその後何度か会ったりして、いろんな経緯や絶妙なタイミングがあったりして、結局、彼はいま、ボクの下にいる。
まことに頼りないヤツなのだが(微笑)、こうなったら数年で独立できるようになるくらいには経験を積ませるつもりである。経験値が増えても使える人間になれるかわからないのがこの分野(変化が激しすぎて成功体験がすぐ通用しなくなるから)。経験を積んだ後、どのように化けるのかは彼次第である。が、まぁ経験だけは積ませる。そのうち企画なども鍛える。半人前にまではなんとかする(一人前じゃないのかよ)
学校でもなく、学習の場でもなく、大切なクライアントをいっぱい抱えて、この不況下の虎の子のお金を預かっている「プロのチーム」である。足手まといになったらすぐ放り出すから。
でも、がんばってください。
老衰って久しぶりに聞いた気がする
2009年11月11日(水) 9:23:12
血液検査の結果も出て、尿酸値は高めだけど「痛風になるほどではない」とのことで、晴れて完璧に痛風疑惑が晴れました。ご心配くださった方々、本当にありがとうございました。おかげで痛風情報もたくさん集まり、もう予防対策完璧です(実行できれば)。ただ、昨日も書きましたがこれを天のサインと捉えてちょっと節制します。もう6時間7軒8玉とかイタシマセン!
と、言いつつ、おとといはフレンチで昨日は中国料理。どちらもフルコース。ダメじゃんよ。でも明晩の「23時からの餃子パーティ」というのは泣く泣く我慢した(←周りのみんなに反対された)。なんだかとっても有名な餃子会らしく、参加してみたかったなぁ。せっかく誘ってくれたのになぁ。参加メンバーの方々、すいません、タイミングが悪かったです…。
ところで森繁久弥が亡くなりましたね。老衰。久しぶりに聞いた気がする。老衰。幸せな死に方。大往生。
ああいう「肩書きが決められない人生」って理想に近いな。肩書きという枠に規定される人生なんか送りたくない。常に枠からはみ出していたい。だったら会社やめろって? いやいや、会社という枠に規定されていさえしなければ、会社は意外と楽しいところ。個人でやるより大きなステージ。楽しく踊っちゃえばいいだけだ。そういうステージが楽しく感じられる間は会社にいた方がいい気がする。こぢんまりしたステージの方が楽しくなったら、それはそのとき考える。
聖☆おにいさん
2009年11月07日(土) 8:56:23
朝5時に起きて仕事メール打ってたら蚊に刺された。
この寒いのによく粘って生きてるなぁ、とか感心しつつ、足の小指で今まさにチューチュー吸ってる小さな蚊はやはり憎い。かゆいのもイヤだ。でも殺せないなぁ。「こういう季節はずれに飛ぶ蚊は『あはれ蚊』と呼ぶの。殺してはいけないよ」って、亡くなった祖母がよく言ってたし。早く満腹になって去ってくれ。つか、かゆっ。
昨日は酒も飲まず外食もせず、まっすぐ家に帰った。
家のMac前に静かに座り、ずっと感じていた「『この週末にしないといけないこと』『来週するべきこと』が莫大なのではないかという予感&悪寒」にまっすぐ向き合ってみた。目をそらさずに一度現実を見ようよ! で、書き出してみた……。な、なんじゃこりゃぁ!
そのまま呆然とMacをスリープにして食卓に行き、録画していたドラマ「リアル・クローズ」を見て現実逃避し、娘に借りた漫画「聖☆おにいさん」の新刊を読んで浮世離れした。さよなら現世。しばらく呆然としたあと気を取り直し、「ニューシネマパラダイス」のサントラ盤を流して自己憐憫に浸り、ようやく現世回帰。うん、わかったよ、逃げずにちゃんとやるよ…。
しかし「聖☆おにいさん」はおもろいなぁ。
聖人たちが普通の感情を持つ一般人として描かれながら、でも、きちんと歴史や伝説を背負った聖人キャラとなっている。その辺のバランスが絶妙。エピソードの取り入れ方も絶妙。ギャグもおもろい。全巻そろえて何度か読みたい気分。
さて、今日は講演一本と演劇一本と宴会一本。その前に朝ランとジム。その合間に原稿と企画書。ちゃんとやります(きっぱり)。
ブランドへの愛が生まれる瞬間
2009年11月03日(火) 19:14:48
新潟の「水と土の芸術祭」の事務局からメールが入り、「Water Front 在水一方」(通称バンブーハウス:王文志作品)が写真のように立派に再建されたそうです。前のが少しトンガリ気味だったのに比べて、ちょっとズングリになったかな。ちなみにこれについて前に書いたさなメモはこちらとこちら。
事務局のブログで写真を見ると、大風でまたペシャンコにならないように、内部はかなり補強されていますね(柱というか梁みたいのが見える)。
ただ、せっかく再建されたこの作品、「水と土の芸術祭」終了の12月27日を最後に撤去されちゃうそうなので、まだ見てない人はお早めに。補強後はどうなっているかわからないけど、内部のあの気持ちよさは失われていないはず。
そうそう、上記リンク先でも言及しているMac用日本語入力プログラム「かわせみ」の販売が開始して、さっそく無料お試し版を使ってみています。販売元の物書堂サイトの説明文が丁寧で素晴らしく、こういう書き方をする会社ならきっと製品もいいはず、と、すでに愛用(お試し期間が終わる前に買っちゃいそう)。というか、こういう真摯な説明があるだけでそのブランドを愛せちゃうよなぁ。ちょっとしたことなんだよね、ブランドへの愛が生まれる瞬間って。
次はぜひ物書きが一番使いやすいと感じる、究極のワープロ・ソフトをお願いします!
「Open」かつ「Flat」な人
2009年10月24日(土) 12:21:00
今週は広告業界の人と刺激的な飲みがふたつあったのだけど、そのうちのひとつは須田和博さんとのサシ飲み。
ネット系ディレクターとして前から飲んでみたかった人。ライバル会社の人ではあるのだけど、お互い「Open」「Flat」「No Line」が思想的に徹底しているので、そういう「会社間の垣根」感がゼロなのが良かったな。とことんゼロ。あ、そういえばライバル会社でしたね、みたいな。 というか協働すら約束したし。
こういう頭もココロも開かれた人と飲んでいるととても気持ちがいい。
最近とみに「Open」じゃない人や「Flat」じゃない人と飲む(話す)のが苦痛になってきている。旧来型のやり方やお作法に凝り固まってしまってる人。なんというか「どこから手をつけていいかわからない難病」のように感じてしまう。こうやって意識が先走るのはあんまりバランスよろしくないので少し元に戻そうとは思っているけど、それにしてもなぁ。
そういう意味で同僚の林信貴とのサシ飲みも「Open」かつ「Flat」で気持ちよかった。
彼とは戦友みたいな仲。あまり世間的有名さはないけれど、優秀さではうちの会社の中でも飛び抜けている存在。ゆっくり飲んだのは久しぶりだった。心臓の中に手を突っ込んでお互いのココロザシをぐぃぃぃと取り出し「それはホントなのか。それでいいのか」と検証しあうような夜。こういう青臭い飲みも気持ちがいい。最近「青臭さ」が自分に戻ってきた気がしてちょっとワクワクしているので、それを確かめる意味でもいい夜だった。
と、とりとめなく回想する土曜日。ジム&昼ランに行ってこよう!
読売新聞で月イチ連載コラム
2009年10月22日(木) 8:28:37
山本彩香さんの店がまた始まったことは昨日書きました。
で、その文章の最後に「実は同じ日にもうひとつ始まったものがあります。読売新聞朝刊の月イチ連載コラム。メディア論を毎月第三水曜日に掲載します。同じ日に始まるなんて縁があるかも」みたいなことを書こうと思ってたんだけど、彩香さんのことを書いているうちにすっかり失念してました。
ということで改めて。
昨日から、読売新聞朝刊で月イチ連載コラムが始まっています。「さとなお」ではなく「広告ディレクター 佐藤尚之」で。会社名もなく、いち個人として書いてます(拙著「明日の広告」と同じパターン)。
テーマは「メディア」。広告メディアや ITメディアについて最低1年くらいは書いていく予定です。毎月第三水曜日掲載。昨日は22面に載ってました。昨日のなので手に入りにくい方もいらっしゃるでしょうが、もし見られてたら見てみてください。顔写真つき(!)です。
顔写真を載せるのが条件です、と読売側に言われてかなり迷ったですね。
「ジバラン」という自腹覆面レストランガイドを主宰していたこともあって、ずっとどこにも顔を出してなかったんです。面が割れると店側から特別待遇を受ける可能性がある、というのがその理由。かなりストイックに顔出しを避けてきました。だから雑誌のインタビュー記事や対談なんかでも、顔写真掲載な時点でお断りしていたり、顔をシャドウにしたり、逆光で撮ってわからなくしたり、と、編集者やカメラマンにご迷惑をおかけしながらワガママしてきたわけです。
ただ、4年ほど前に「ジバラン」は終了したし、もうレストラン評論も今後やる気はありません(食エッセイや旅エッセイはこれからも書いていくし、レストランの主観的「感想」はサイトに載せていくけど、客観的「評論」はもうやる気はない)。
また、講演や授賞式での写真はいろんなメディアに出てしまっているし、広告専門誌なんかには顔写真掲載で文章も書いています(会社の仕事絡みでは顔写真載せるのを断れない)。そうやって仕事関係に限っては少しずつ顔を出したりはしてました。
今回も仕事関係。でも読売新聞となると規模が違います(1000万部)。
1週間ほど迷った末、まぁそろそろいっか、みたいな感じで決めました。たいしたことじゃないじゃんと思われるかもですが、ずっと14年も顔写真掲載なしでやってきたので、自分の中では大きな変化ではあるんですね。まぁボクの中では「さとなお」と「佐藤尚之」はわりと別人格なので、とりあえず「佐藤尚之」系で書くとき(つまり本業&真面目系)は顔写真もありということに決めたということです。
で、昨日のコラムになったわけですが、見られた方はわかると思うけど、ユニクロの柳井社長の写真の横に、やけに顔色の悪い男の顔が(笑)。
実はあれ、モノクロ写真なんです。原稿と一緒にモノクロ写真を送ってしまい、掲載直前に「カラーページになりますのでカラー写真を送ってください」と言われたんだけど、ちょっとバタバタしていて送れなかったんです。なので読売側でモノクロにほんのり色をつけてくれ、ああいうセピアな感じになったわけ。なんかめちゃめちゃ昭和っぽい(笑)
というか、ボクをリアルで知っている方々から「写真写りが悪い」「ちょっと太って映ってる」「本人と違う感じ」とかいろいろ言われました。ツイッターでは「うわあ、想像してた顔と違うー」とか(うわあ、って:笑)。ええと、いずれにしてもカラーで撮り直すので、もうちょっとマシなのを撮ってもらいます(←カメラマンは娘)
って、顔写真のことばかり書いたけど、コラムの内容は「アドテック」のことや「ツイッター」のこと、「ソーシャルメディア」のこと、そして広告界やメディア界に対して少しアジったりしています。あ、アジるって死語か(笑)。全共闘用語ですね。アジテーションが語源。檄を飛ばすときに使う言葉。
ということで、もしご興味があったら読んでみてください。来月も第三水曜日の朝刊です。来月は何書こうかな。
岩田守弘くんの記事
2009年10月19日(月) 8:03:59
書き忘れてましたが、岩田守弘くんの記事が先週の産経新聞に大きく出てましたね。
ネット上でも読めるので、いつリンクが切れるかわかりませんがリンクしておきます。「『話の肖像画』50まで踊りたい(上)」、「『話の肖像画』50まで踊りたい(下)」。
長くメディアに全く取り上げられなかった人なので、こうして大きく取り上げられると感慨もひとしお。ホント、野球だったらイチローみたいな人なので、もっと注目されるべき。
いまはモスクワで日々踊っている岩田モリ。最近、新たに「ワクワクすること」を考え始めているみたいなので、また応援したいと思っています。モスクワに応援に行けるかな?(笑)
ボクはといえば、昨日の午前中、深夜、今日の早朝と、人が書いた論文の添削にずっと身を窶してました。って、こんな文字に転換されたよ。身をやつす、の「やつす」ってこんな漢字なのね。初めて知った。
この添削、ボランティアな上に不馴れな分野が題材。最初は入り込むのに苦労した。でも読み込んでいくうちにいろいろと視野が広がって良かったかも。お堅い論文ではあるのだけど、ボクが手を入れると文章が易しくなりすぎるので、適度に抑えながらじっくり添削(というかほとんど推敲)。人の文章を直すっていい頭の訓練になる。
土日は朝ランしたんだけど(5キロずつ)、平日だとまだ勇気がいる感じ。疲れちゃったら仕事にさわるし。でも天気もいいしなぁ。んー。とか迷い中。
あぁ今日は珍しく短く終われそうだ(←これでも一応意識をしている)。というか細かい添削で目が痛んだので、今日はこの辺で。
矢野顕子と9刷とクラウドと
2009年09月05日(土) 13:38:33
みなさん、今日の夜のNHK教育「佐野元春のザ・ソングライターズ」は矢野顕子ですよ!
23時25分〜23時55分。二週連続。これは必見。いまのあっこちゃんはすごいと思う(まぁ前からすごいのだけど、この前のライブが特にすごかったから)。ちなみに明日は見逃した松本隆の回の再放送がある。18時〜19時。これもうれしいなぁ。
本当は、明日はそんな番組を見るどころではなくて、親しい編集者夫婦が家に訪ねてくるはずだったんだけど(9ヶ月の赤ちゃん連れて)、もしボクたち家族の誰かがインフルエンザ潜伏期だったら赤ちゃんにうつしちゃうかもしれないので、先ほど話し合って泣く泣く延期にした。赤ちゃんは重篤になりやすいと聞くし。インフルエンザの流行がおさまったらまた企画するということで。
というか、毎日の超満員電車やらカンファレンスやら講演会やらで、菌自体には接触していると思うんだよなぁ。手洗いもうがいも励行しているけど、カラダのどこかにはきっとついている。赤ちゃんが来たら思わずダッコしたりするし、赤ちゃんも何かに触った手をすぐ口に入れちゃったりするし、やっぱりインフルエンザが流行っているうちは無理かもね。残念。
編集者といえば、拙著「明日の広告」、9刷、決まった模様です(つか、1Q84やヱヴァ新劇場版Qみたいに、実は9刷ではなくてQ刷だったりして)。
去年の1月に発売して以来もう1年9ヶ月。未だじわじわ売れ続けているのは完全に想定外。異例のロングセラーになりました。みなさま、本当にありがとうございます。広告業界以外でも売れ出したのが増刷の原因。実際、題名は「広告」だけど、消費者を相手にしているすべての人がターゲットだし。
発売当初、冗談で「10刷くらい行くといいねぇ」とか編集者と言い合っていたんだけど、もしかしたら現実になるかも…。人生、予想外のことばかり起こる。うれしい限り。
今日は大きく仕事環境を変える作業に終日かかりそう。
本格的にクラウドを導入する。いままでも使っていたけど、仕事も原稿もクラウドにすべて移行するためにいろいろ設定中。書き物やメモをすべて「Evernote」にぶちこむことと、ブラウザをSafariからFirefoxに変えてアドオンを充実させること、そしてサブメーラーとして使っていた Gmail をラボで徹底的に鍛え直すこと。それらを使いこなせるところまで持って行きたい。それもこれも iPhoneアプリを使い出したことが大きいな。クラウドへのいい入り口になった。というかクラウドを使う意味が iPhoneで明確になった感じ。いろいろ便利な世の中なのだ。
個人的夏フェスもそろそろ終わり
2009年08月24日(月) 7:31:21
最近の矢野顕子の話やら落語の話やらバレエの話やらを読んで、メールやツイッターで「こういうのを読むと首都圏に住みたいと激しく思います」と数人からいただいた。
すごくよくわかるし、一昨日の晩も新潟のお医者さん夫妻に同じようなことを言われた。でもさ、自然豊かで多少ののんびり感があるそっちの環境と東京の便利さの両方を手に入れようというのはゼイタクすぎです(笑)。首都圏、過酷っすよ、環境が。 人多すぎとか、電車混みすぎとか、渋滞多すぎとか、ガキ多すぎとか、空気悪すぎとか、騒音酷すぎとか、人間冷たすぎとか、競争ありすぎとか。 まともな川も海もない。山も遠い。緑も少ない。よくこんな環境で毎日暮らしていると思う(歳のせいか)。そろそろ田舎で暮らしたいとしょっちゅう思ってる。まぁそういうのの替わりに多少のエンターテイメントやレストランを手に入れているわけですが。
逆に言うと、東京に住んでいてそれらを楽しまないのはちょいともったいない。というか割に合わない。
最近、部下や仕事仲間を見ていて「遊んでない人が多すぎる」と感じてる。
せっかく東京にいるんだから、もっと無理矢理でもいいから予定を入れていろいろ遊んだ方がいいと思う。もちろん忙しいときは難しいしお金もかかるけど、世界トップクラスのエンターテイメントとかアートとかレストランが集まっているこの環境、活かさないと過酷な環境が割に合わない。東京でなくてもどこにいてもいじれるネットばっかりやっているのはもったいなさすぎる。
特に「次代の文化を支える気概を持ってコトに当たって欲しいネット・IT関係者」。
テクノロジーを作っているのではなくて「文化」を創っているんだという意識を持って欲しいと思うな(特に若手)。次代の中心になるものを今作っているんだし。
芸術とかにあまり触れていないネット関係の若い人、多すぎると思うなぁ。激しく仕事をするのはいいけど、もっともっといろんなものを見ておいた方がいいと思う。触れてすぐはわからないかもしれないけど、貯まった刺激や記憶が自分の中で化学反応を起こすことによって「まったく新しいもの」が産まれると思うし。 偉そうで悪いけど。
でもまぁここ数週間、たしかに毎日毎日いろんなことをしすぎかも(笑)。
個人的夏フェスという感じ。いろんなことが多すぎて、このメモにも書きそびれていることがいくつもある。毎日いろんな出会いがある夏。
書きそびれていることのひとつに、飯島奈美さんとご飯を食べたことがある。短い時間だったけど、お互い会った瞬間からワーワーと話して、なんだかとても楽しかった。

そこで本をいただき、それがとても良かったのでご紹介。「LIFE」
。まぁ「ほぼ日」を読んでる方にはお馴染みの本ですね(→「ほぼ日」の「LIFE」)。
「世の中にはレシピ本の名作が山ほどあるので、ただのレシピ集なら出す意味がない。だから映画みたいに『シーン』を設定して、そのシーンに登場させるならどういうレシピかをイメージして作ってみたんです」と飯島さん。
彼女は、知っている人も多いと思うけど、映画「かもめ食堂」や「めがね」の食事シーンを担当したフード・スタイリスト。最近では小林聡美のパスコのCM(サンドイッチのあれ)とか、西田敏行のサッポロビールのCM(居酒屋のあれ)とかも担当している。どれもこれもめちゃくちゃ美味しそうだし、どこか温かいでしょ。シーンを深く理解して、そこにレシピを馴染ませていく。そんな作業のたまものだと思う。それがこの本にも活かされている。
まず、映画やCM的に、小道具も含めて、きわめて映像的にシーン設定をする。その上でそこにフィットするレシピを作る。そういうレシピ本。これって実はいままでにあまりないパターン。普通はレシピを先に作ってそれを元に画面構成を作っていくのだけど、その逆パターンだ。うーん、これはこれで豊かな鉱脈だなぁ。実際「朝ごはんの献立」や新刊「シネマ食堂」
も、そういう考えで作られたレシピ本。
彼女とは数年前に一度縁があってお会いしているのだけど、それ以来とっても久しぶりのご飯であった。ほんわかした雰囲気のとても魅力的な人。実は今週の「とある食事会」で一緒なので、その打ち合わせというか前哨戦でお会いした。その食事会がいまから楽しみである。
今週のイベントはその食事会ただひとつ。個人的夏フェスもそれがラストかな。
縁は異なもの
2009年08月14日(金) 8:10:55
おとといはなんだか面白い夜だった。
どこから説明すればよいかな。んー…。
ええと、まず中目黒に「ビッグママ」という店があるんですね。店名通り大柄な女性がやっている店で、肉料理がとてもおいしい。生前のナンシー関が行きつけていて、彼女の消しゴム版画の看板が目印。最近ではリリーフランキーによるママの似顔絵も飾ってある。そんな店。
で、2ヶ月ほど前に久しぶりに「ビッグママ」に行ったのである。
店がすいていたのでママといろいろ話をしながら食べたのだが、いつしかボクの仕事の話になった。で、勤めている会社の話になり「あ、○○なの。ふーん。○○も最近はいい男が減ったからねぇ。昔はたくさんいたんだけど。H間さんとか。知らないと思うけど」と超遠い目で言われた。
H間さん? ええと、もしかしていま九州で役員やってる? カラダがごつくて押し出しの強いあのH間さん? 「知ってるの? あらうれしい。あたし、いままで会った男の中であの人が一番アタマがいいと思う」と。
で、自然とH間さんの話になった。
若い頃ママは音楽プロダクションをやっており、その頃よくH間さんと仕事していたらしい。しかもH間さんの奥さんは博多の高校でママの1年先輩に当たり、同じコーラス部に所属していたという縁もあったらしい。そんなこんなで家族ぐるみでつきあっていたようなのである。H間さんの当時の鎌倉の家(超モダンでお洒落な家だったとか)にしょっちゅう遊びに行っていたと懐かしそうに話してくれた。へー、親しかったんですねぇ。
ボクはといえば、まだ若い頃、あるクライアントの仕事でH間さんとご一緒したことが何度かある。超やり手の名物営業として有名だった。しかも今はボクのこのサイトをよく読んでくださっていて、「明日の広告」も読んでくださり、去年の10月には博多に講演で呼んでくれたばっかり。そのときは「ゑびす堂」というめちゃくちゃうまい割烹に連れて行っていただいた。そこでいろいろ一緒に話をしたばかりである。
しかもしかも、拙著「明日の広告」の挿絵というか図表制作は、偶然、H間さんの息子さんである晶太くんなのである。
これは超偶然なこと。図表制作をあるフリーのデザイナーにお願いしたところ、彼の部下として当時働いていたH間晶太くんが実際に手を動かしてくれていたのである。ボクはそのことを出版後に知った。ある日会社のエレベーターホールで「あ、さとうさん、はじめまして! ボクが図表つくらせてもらいました。しかもH間の息子です」と自己紹介されたときの驚きよ。マジで?
しかもしかもしかも、ちょうど「ビッグママ」に行く前日にその晶太くんから「お久しぶりです」とメールをもらったばかりであった。すごいタイミング!
そのことをママに話すと「晶太! 懐かしすぎる!」と大声で。
家族ぐるみでつきあっていたころ、晶太くんはまだ小学生。「あら〜、いま何やっているのかしら〜」と懐かしむので、じゃあ電話してみましょうということに。メールに電話番号書いてあったので、そのまま店からいきなり電話。
彼はママのことをよく覚えていた。「あら懐かしい」と電話をかわったママはほとんど涙声。そして晶太くんからH間さんの奥さんの電話番号も聞き出し、そのままの流れで奥さんにも電話。ママはもう感無量になっちゃって…。
音楽プロダクションをやめてから、屋台を始め、そして念願叶って店を出したビッグママ。飲食業に関わりだした頃からH間さんとは疎遠になっていたらしいのだけど、ずっと「また会いたい」と思っていたとか。でも昔の電話番号はつながらず(H間さん夫婦は九州に移住していたし)、ほとんど諦めていたらしいのだった。
で、その夜、「今度は晶太くんを連れてきますね」と約束して店を出たわけ。
おとといはその約束の「晶太くんを連れてくる夜」だったわけですね(ようやく前説が終わった:笑)
おととい夜、中目黒駅で待ち合わせた晶太くんは大興奮していて、なんだか可愛い(いま27歳で、ニューヨークでデザインの勉強をしている)。
店に入ったら、まぁママの喜ぶことよ。15年ぶりくらいなのかな。晶太くんも「よく覚えてます。カニとか家に持ってきてくれましたよね。あれ、うまかったなぁ」とか話す。後にも先にもあんなうまいカニを喰ったことがないとか。食事の記憶ってすごいね。
ママと晶太くんがいろんな思い出話をするのを横でニコニコと聞いていたボク。気持ちいいなぁ。楽しいなぁ。ヒトとヒトが結びつくのって大好き。こういうのってわりとボクの得意分野で、周りでよくこういうことが起こる。
で、案の定、もうひとつ偶然が起こった。
ふたりの思い出話の中に「ハマジさん」という名前がよく出てきたのだが(鎌倉の家にママとよく一緒に行って、歌い手だったハマジさんは暖炉前で歌ったりしたとのこと)、そのハマジさんが超偶然に店に入ってきたのである。それも超久しぶりの来店らしい。
「ハマジ、彼、誰だかわかる」とママ。「いえ、すいません、全然わからない」とハマジさん。「これ、H間晶太くん」。「えーーーーーーーーーー!!!」
その後の盛り上がりは想像できますよね?
九州のH間さんにも電話をし、いろんな話で盛り上がっていた。ボクはそれをニコニコ聞いてるだけだったけど、なんだかとても元気をもらえた。
あー楽しかった…。
晶太くんとも再会を誓って、さて帰ろう、と思ったらケータイにモリ(岩田守弘のモリではなく、森崎博之のモリ)から「いま新宿にいるんだけど、どこかひとりでビール飲める店知りませんか」というメールが入り、あら、だったら一緒に飲もうと新宿へ。「池林房」で最終電車まで飲んだ。これまた楽しかった。
今日はそのモリと岩田モリを引き合わせる予定。これも不思議な縁だなぁ。「モリ×モリ」はどんな化学反応を起こすことやら。
久しぶりの「打ち上げ」
2009年08月04日(火) 8:52:39
昨晩はある仕事の打ち上げ。
世の中的に目立ったキャンペーンではないけれど、ある層に向けて丁寧にコミュニケーションすることを目的にしたもので、キャンペーン後の店頭調査によるとその目的はきっちり果たせた模様。「広告ができること」を限定し、ゴールを明確に設定し(買いに来た人に店頭でその商品もしくは広告のことを販売員に訊ねてもらうこと)、すべてのメディア・表現をそこに集約させた。粛々と地道に確実にそれを成し遂げたメンバー。特に営業メンバーが実によろしかった。着実かつ明るい。営業部長のお人柄もある。お疲れ様。
それにしても「打ち上げ」って久しぶりだ。
最近、広告業界では「打ち上げ」が激減していて、ほぼ絶滅状態なのである。
たった10年前まで、広告は「作ってオシマイ」だった。CMとかを作って流したらオシマイ。だから納品したら「打ち上げ」というピリオドがあったのだが、今はずいぶん違う。納品後もウェブやらPRやらが延々と続く。だから「打ち上げ」られないのである(まぁみんな多忙で予定が合わないこともあるが)。
でも、それではなんか達成感がない。達成感がない仕事は少しずつ人間を蝕んでいく。絶対打ち上げしようね、と言い合って、納品から2ヶ月以上経ってようやく「お疲れ!」となったわけ。
打ち上げ場所は広尾のイタリアン「ラ・ビスボッチャ」。営業の若い女性の選択らしいがなかなか良い(会費が高そうだけど)。
すっごい久しぶりに来たのだが、相変わらず「ボナセーラ!」と叫んで迎えられる。懐かしいバブルの匂い(笑)。このリストランテ、著名人が壁に直接サインを残すことで有名なんだけど(壁はサインだらけ)、ボクたちのテーブル(奥の個室)の壁にもいろんな人のサインが。
ボクの正面には小泉純一郎元首相のサインがあった。
2002年の日付。田中真紀子を更迭したり、北朝鮮を電撃訪問したりした年か。
サインに曰く「柔肌の 熱き血潮を断ち切りて 仕事ひとすじ われは非情か」。
ボクは小泉政治のファンだし、格差とかいうものは構造改革のせいではないと思っているが、まぁそれはいいや。とりあえず、小洒落たリストランテにこういうアドリブ的なやんちゃな言葉を残せるリーダーをボクはちょっと愛していたな。
横に小泉孝太郎のサイン。親子で来たらしい。曰く「夢の続き」。夢の続き?
どこまでが夢でどこからが夢じゃないんだろう。
最近よくわからなくなっている。
仲畑貴志さんとサシ飲み
2009年07月31日(金) 18:30:54
昨日の夜遅く、仲畑貴志さんとサシで飲む機会を得た。
言わずとしれたコピーライターの超大御所(代表作はWikiにくわしい)。広告クリエイターを志したヒトはみな憧れる方である。まさかサシで飲める日が来るなんて。20年くらい前の自分にそっと耳打ちしてやりたい。
最初からサシだったわけではなく、仲畑貴志さん、秋山道男さん、杉山恒太郎さんの3人が飲んでいるところに合流して、まずは4人で飲んでいたんだけど、杉山さんが帰り、秋山さんが帰り、そして仲畑さんとふたりきりになったという流れ。
というか、この3人、いま思い出してもスゴイ。
秋山さんは経歴をうまく説明できない異能の人。よく知られたところでは、チェッカーズの総合プロデュース、無印良品の全般プロデュース、内田春菊の名付け親などかな。Wikiを読むとその異能ぶりがよくわかる。
杉山さんも言わずとしれたCM界の大御所で、代表作は「ピッカピカの一年生」「ランボー」など(Wiki)。まぁずっと直属の上司だったのだが、いまではずいぶんと雲の上。
つまりは、コピーライター、プロデューサー/エディター、CMプランナーの大御所が3人で飲んでたところに呼ばれて、ノコノコと「お邪魔しまーす」と入っていったわけで、素面になって思い出すとちょっと足が震える。3人とも全く偉ぶらないので緊張はしなかったけど、なんとも非日常すぎて、最後までお尻がもじもじ落ち着かなかった。場所は六本木のイタリアン「アモーレ」。そういえば途中から澤口シェフも少し合流したっけな。その後ふたりでもう一軒。
でもせっかくの時間も、飲み過ぎでよく覚えていない(笑)。
仲畑さんと2人で話が盛り上がって何度か「おお!」と握手したのを覚えているが、とにかくたくさん飲まされてしまったのだ。
仲畑さん、2人きりになってから(いい加減酔っているというのに)「まだ一本くらいは飲めるよね?」と高い赤ワインをオーダーし、ワイングラスのてっぺんまで並々つがれ「ま、飲みなよ」とか言って見てるんだもん。ボトルあけないと失礼な気がしてガンガン飲んだ。結局ひとりでボトル2本くらい飲んだかな。その後のもう一軒ではもうデロデロ。とにかくふたりで何度か握手したことくらいしか覚えていない。もったいなさすぎ。
あぁ、でも、握手しながら「この手が…」と思ったことは覚えている。意外と小さな手。この手からあれらのコピーが生まれたんだなぁ…。
彼のコピーを読みながら「こんなコピーが書ける未来が来るのかな、いや来ないんだろうな」とか思っていた昔の自分。いまだに全く書けてはいないけど、同じ業界の違う部分で前線に出られるようにはなった。それはたぶんそうやってウジウジした昔があったからなんだろうな。
おかげで二日酔いだったけど、シアワセな二日酔い。いい週末を迎えられそうだ。
憧れた存在
2009年06月25日(木) 7:53:03
昨晩は高校の同窓会があったのでそのことを書こうかと思ったが、ちょっとショックな訃報があったのでそちらを先に。
眞木準さん。60歳。急性心筋梗塞
若すぎるなぁ。最近は本も精力的に書かれていたので、とっても意外な訃報だった。
ボクにとって糸井重里さんよりも「いいなぁ、コピーライターって」と憧れた存在だった。
だってラクそうだったもん。駄洒落系の短いコピーで大金を稼ぐ人。いいなぁいいなぁと単なる羨みの対象として憧れた。
よく考えれば「でっかいどお。北海道。」みたいな駄洒落コピーって書けそうで書けない名作なんだけど、なんかラクそうに思えた。同じくコピーライターとして有名な土屋さんとか秋山さんとか糸井さんとか仲畑さんとかはもっと「考えている感じ」が匂った。眞木準さんは「考えている感じ」が外に出てこないコピーだった。若いころのボクにはそれがラクそうに見えたわけですね。ホントは違うのにね。
あ、そういう意味では魚住勉さんはもっとラクそうに見えたなぁ。なにしろ「アイ ラブ ユー。」というコピーでお金もらえるんだもん。サントリーのキャンペーンになって山下達郎に歌ってもらえるんだもん。そして有名女優(浅野温子)と結婚できちゃうんだもん。うわぁコピーライターっていい職業だなぁと憧れた。
でも、考えてみたら、そのころボクはすでにコピーライターだったんだよなぁ。
なんか上に挙げた人たちって、別世界の住人って感じで、自分と同じ世界で働いている人とは思えなかった。自分もコピーライターだったくせに「コピーライター」っていう違う世界に憧れていた。わかりにくいかもしれないけど、そんな感じ。
眞木準さんの代表作。
でっかいどお。北海道。
トースト娘ができあがる。
タキシード・ボディ、流行。
女は、ナヤンデルタール。
恋を何年、休んでますか。
何人まで愛せるか。
イマ人を刺激する。
あんたも発展途上人。
ホンダ買うボーイ。
時代とコピーとが蜜月のように寄り添っていた頃の名作たち。
後付けっぽい物言いになるけど、4月の「広告批評」休刊と合わせて、広告の時代の変わり目の象徴のような訃報かも。「明日の広告」を説きつつも「昨日の広告」も大好きなので、なんか妙に寂しい。
30歳と31歳
2009年06月23日(火) 6:26:19
ちょっとだけ前の話になるが、ベルリン・フィルのコンサートマスターに30歳の樫本大進氏の就任が内定した。
日本が誇るコンマス安永徹氏の後任として選ばれたらしい。今後約1年間の試用期間を経て、団員の2/3以上の賛成を得てから完全な契約を結ぶらしいが、それにしてもすごくない? あのベルリン・フィルのコンマスって…。団員になるだけでもすごいのに、コンマスって…。一般的に考えてかなりの経験値と解釈の深さ、リーダーシップの強さなどが求められるコンマスに弱冠30歳で選ばれるっていったいどんな人なのだろう。しかも年上&猛者揃いのベルリン・フィル。ちょっと考えられない。
ちょうど同じ頃、千葉市長に熊谷俊人氏が現役最年少の31歳で選ばれた。
彼は高2で阪神大震災を経験し、大学卒業後にNTTコミュニケーションズに就職したという。
すばらしいなと思うのはその行動力。政治不信を募らせていた3年前に「居酒屋で腐っていてもしょうがない」と一念発起し、脱サラして民主党の千葉市議会議員候補公募に応募して合格。1週間後に東京都内から転居し、翌年、稲毛区選挙区でトップ当選したという。そして今回も千葉市長選史上最高の17万票獲得。うーむ。まぁこれから年長&老練な議員たちに揉まれるのだろうけど、その行動力と志や良し。
30歳と31歳。
たまたまこのふたりがすごいのだとも言えるけど、やっぱり「普通に要職を任せられる20代30代」が世の中にはたくさん埋もれているのだろうなという実感を持つ。
企業の世界でも20代30代でトップを任せられる人材は意外とたくさんいるのだろう。なのに名ばかり実力主義の年功序列の中で実力を発揮しきれず埋もれきっている。まぁIT系では20代30代のトップがゴロゴロいるけどね。普通の企業ではまだまだ20代30代は下っ端の部類だ。
ボクの周りにも「こいつに企業トップに近い要職を与えたら、きっと大きく働くし、会社を変えるだろうな」という20代30代が何人もいる。「変な経験値」がつく前に彼らに要職を与えて行動させてみたいとよく思う(そんな権限が自分にないのがもどかしい)。経験値が必要な場合もたしかに多いが、意外と無経験な人でも行動力と志があったらできるもの。結局、地位が人を作るのだ。慎重さと臆病さばかりが身についた経験豊富な人より、多少危なっかしくても若い行動力と志がある人の方が企業や世の中を変える。
ボクはもう48歳。
勤めている会社においてはようやく中の上クラス。役員から見たらまだまだ下っ端である。
でも、本音を言うが、下っ端のくせに、すでに少しずつ守りに入ってきている自分を知り衝撃を受けることがある。経験値がつきすぎたのだろう。心の奥の方に妙な慎重さと諦めと守りがある。20代30代のころの蛮勇をずいぶんなくしてしまった。50代60代になったらもっと「守る」んだろうな。いろいろと築き上げてきたものを。
自分がそうだからって世の中の人みんながそうだとは言えないけど、でも、世の組織のトップである50代60代の大半は、このように「守っている」と言ってもいいと思う。日本は、「守っている人」が上の方にいっぱい巣くって慎重さと臆病さをはびこらせている、身動きとれない社会なのだ。
守っている人は若い芽を摘むのがうまい(ホントにうまい)。
20代30代の蛮勇なんてすぐ摘み取られる。自分がもし知らず知らずにそうなっていたらすぐ辞めよう。そして守る必要のない、まだ何も築き上げていない世界に旅立とう。
コーチング
2009年06月10日(水) 9:28:02
先週、コーチングについての研修を受けた。
コーチングとは人材育成法のひとつ。まぁスポーツでいう「コーチ」を想像するとよくわかる。コーチする方法の研修ですね。会社の研修だったので、要するに「部下をコーチし、人材開発するための技法」を習ったわけだ。
中身については、ペーシングとかアクノリッジメントとか各人のタイプ分けとか、いろいろ参考になった。でも、根本的なところで一番参考になったのが「コーチング」と「トレーニング」の違い。
「コーチング」の語源は「COACH」(馬車)。馬車は人を目的地に運ぶことから、「目標達成に導く方法」を「コーチング」と呼ぶわけである。一方の「トレーニング」の語源も乗り物で、「TRAIN」(列車)である。これも、列車は人を目的地に運ぶことから「目標達成に導く方法」を「トレーニング」と呼ぶわけである。
そう、両方とも「目標達成に導く方法」。
では、コーチングとトレーニングの違いは?というと、要するに語源にあるのである。「馬車」と「列車」。つまりレールが敷かれて行く道が画一的に限られているのが列車(トレーニング)だ。人は目的地に着くためにそのレールに乗るしかない。それに対して馬車は、いろんな道を選べる。なだらかな道を通って遠回りしてもいいし、険しい近道を行ってもいい。本人とよく話してその人に一番合った道を通る。画一的な行き方を押しつけることはしない。それがコーチング。一番大きな違いはそこ。
ま、いままでの社員教育はトレーニングな部分が多かったわけだが(大勢をある程度のレベルに育てるにはトレーニングの方が便利)、時代の移り変わりとともに、十数年前から、個々の個性に合わせた人材育成としてコーチングが注目されてきたわけですね。
研修を聞きながら、部下のことを考えたのはもちろんだけど、ボクはわりと娘のことも考えていた。
教育、という観点から自分が彼女にやっていることを振り返ってみると、どっちかというと「トレーニング」に偏っていなかったかなぁ、とか…。
ちゃんと彼女の個性を見極めて、彼女とよく話して、きっちり気持ちを引き出して、決めた目標に向かっての「コーチング」をしていたっけ。レールに乗せて安心していなかったっけ。
というか、もっと前提的に、ちゃんと彼女の目を見て聞き上手な会話をしていたかなぁ(ペーシング)。ちゃんと個性を認めてオッケーのサインを送っていたかなぁ(アクノリッジメント)。ちゃんと個性に合わせた動機づけを与えていたかなぁ(モチベーション)。そんな反省をつらつらと。
こういうのって他人だと意識してやるけど、意外と身内にはしなかったりする。
究極の人材育成は我が子の家庭教育。もうちょっと意識的になろう、と、いまさらながら。
移動が多い日
2009年05月31日(日) 8:36:04
東京に帰ってきたせいなのか、予想通りまたしても早朝覚醒。朝3時半に起床。夜早めに寝たというのも影響していると思うけど、もうちょっと寝ていろよオレ。
で、仕方ないからノコノコ起き出して仕事メールとか打っていたら、他にも早朝覚醒の人がいて、朝4時すぎに1通。5時すぎに1通、仕事メールが来た。うはは。日曜朝なのにみんな働き過ぎ。というか土曜夜からの徹夜?
うちの会社、みんなホントよく働くなぁと思う。
かく言うボクも、管理職だから残業も休日出勤もつかないのに、ちょっと公に出来ないレベルの残業量と毎週の休日出勤を普通にやっている。でもそんなボクを平気で上回るヤツがゴロゴロいる。きっとその分さぼっているヤツもいるのだろうけど、知っている限りではみんな身を粉にして働いている。広告業界っていい加減とかチャラいとか思われているけど、そしてそういう人も確かにいるとは思うけど、地味に地を這いずり回って普通の人の2倍か3倍の仕事量をこなしている「激務な真面目人」も多いのだ。
という文脈で「今日も仕事」とか書くと激務・真面目自慢と思われるかな(笑)
そんな気は毛頭ない。だって誰の命令でもなく自主的に好きでやっていることだし。今年は「働く」と決めているので働く。今年は広告業界にとってターニングポイントの年だから悔いがないように動く。それだけ。体調だけは最低限気をつけるけど。
今日は移動が多い日になりそう。
武蔵嵐山まで2時間ちょいかけて行き、そこから1時間半ちょいかけて高島平まで行き、そこから2時間くらいかけて帰ってくる。うわ。大阪往復くらいの移動時間じゃん。村上春樹の新作「1Q84」を読みながら移動するか、柴田元幸の新訳「ナイン・ストーリーズ」
を読みながら移動するか、半藤一利の「昭和史」
を読みながら移動するか、迷い中。まぁ寝ちゃうかもだけど。
ヘラヘラエヘラ
2009年05月28日(木) 17:39:50
昨日今日と企画書をたくさん書かなくてはいけなくて、あまり寝てもおらず、軽く死亡気味だった。なんとかクリアでき、いまはボーッとしている。でも数十分ボーッとしたらCM編集に行かないといけない。早く帰れると良いなぁ。
今日、気分的に重かったのは社内講演。
これ、広告のこれからのカタチについての私見(未来予想図)を提示し、そのための組織改革について述べる、という、考えようによっては相当重く難しいお題(まぁ自分でハードル上げたのだけど)。でもそういう難しいお題についてパワポを無理矢理まとめていくと、頭も無理矢理整理されていく(本を書くのと同じ作用)。結局、こういう「追い詰められ感」って大事なんだよね。
それもなんとかクリア。言いたかったこともある程度伝わった模様。めでたし。
なんだかね、疲れすぎていてずぅっとヘラヘラ笑っている感じ。文章もちょっとヘラヘラしている気がする。ヘラヘラエヘラ。明日は寝るぞ!と強く決心していたのだけど、なんと急に沖縄一泊出張に! 普段ならうれしくて小躍りするのになぁ。ちょっと疲れすぎ。しかもずぅっっっと室内会議っぽい。無事に帰ってくることが目的(どんな出張や)。
プチ立ち直り
2009年05月27日(水) 8:02:39
あまりに仕事メールが多く、軽く「メール拒否」状態に。
プライベートにいただくメールは普通に読めるんだけど、仕事メールが読めない(心が拒否る)。だって1時間見ないだけで30通くらい溜まる。全部読んでいたらまったく仕事にならない。受信トレイをざっと見て、超大事そうなもの以外は未読ですませてしまった。ごめんなさい! 仕事仲間の方々。でもなんでもかんでもCcに入れるのやめようよ。
昨日は夕方に2時間の講義をしたこともあり、極度に疲労して終業。激忙しい最中に「しゃべり」が入るとただでさえ無闇に消費しているアドレナリンをそこで使いきっちゃって、その後仕事が捗らない。というか完全にガス欠。トイレに行くにもひーひーぜーぜー。大丈夫かオレ。
終業後、会食があり、気心の知れた店だったので、店主に「すまん。疲れすぎ。疲れがとれる日本酒を」「あぁ、いいね、次は折れそうな心を支えるヤツ」「すばらしい。じゃ、ガツンと来るけど絶対明日に残らない酒」とか無茶なリクエストを続け、一杯一杯日本酒を変えていった。それに見事に応えてくれた店主さん。ありがとう。飲み終わる頃にはすっかり疲れが抜けていた。おいしいお酒においしい料理。偉大だな。生き返った気分。
帰り道、少し笑いたいと思って、iPodで談志を聴きながら歩いた。
仕事が多い(求められている)、おいしい食事(ちゃんと応えてくれる店がある)、夜道で談志(歩きながら名人芸が聴ける)。なんだよ意外とシアワセじゃないか。ダークサイドに落ちそうな気分だったけど、プチ立ち直り。単純だけど大切なこと。
強く想えば。
2009年05月19日(火) 7:06:04
昨日は終日スタジオ撮影。
朝早く入って、ちょうど終電で帰ってきた。
若いときはチェックすることや確認することが多く、スタジオ撮影もそれなりに忙しかったが、この年齢になるとあまりやることがない。若いスタッフにすべてを任せ、スタジオの隅にでんと座って撮影を見守るばかり。まぁトラブルが起きたときの保険みたいな存在か。寂しいような気楽なような。
近くにはスナックとかおせんべいとか差入れのお菓子とかが置いてある。それとの闘い。食べちゃダメだ。でも口寂しい。お腹も減る。美味しそうだ。でも食べちゃダメだ。太る。一口くらいイイか。いやダメだ。そんな一日。あ、運動不足になるので数時間おきにスタジオの周りをウォーキングした。ジジくさ。でも一応歩数計ノルマはクリア。そんな一日。
心配された難しい演出のCMもウェブもスタッフのおかげでなんとかこなし、ラストのグラフィック撮影へ。
これ、楽しかったな。いまやノリにノッている写真家レスリー・キー。タレントを自然に乗せていく彼の陽気さと技術、そして撮影の速さに感服。浜崎あゆみをはじめとするトップ・アーチストたちが彼を指名するのがよくわかる。
オフィシャルサイトで彼のバイオグラフィーを読んで驚いた。
シンガポール生まれの彼は、ふとしたことでユーミンを知り、独学で日本語を勉強し始め、20歳のときの1週間の初来日時にユーミンのライブを鑑賞。その後兵役を経て再来日。日本語学校に通いながら病院でのアルバイト。夜はレストランやチラシ配りの日々。で、24歳のとき「東京ビジュアルアーツ」に入学して本格的に写真の勉強を始め、30歳になった2001年、ついに夢が叶い、ユーミンを自身初の写真集のために撮影したとか(その後ユーミンのCD「Face's」のジャケットも撮っている)。
シンガポールからは遠い日本。そこのトップ・アーチストであるユーミン。そんなとんでもなく遠い存在でも「辿り着ける」んだな。手が届くんだ。強く想えば。
ちょうどこの撮影に来る電車で新譜「そしてもう一度夢見るだろう」をiPodで聴いていたので感慨深く。
そしたら撮影中、開きっぱなしだったマックブック・エアーに「ユーミンの札幌公演に行きました」というメールが届いた。シンクロニシティ。
なんだか謙虚になった一週間
2009年05月16日(土) 21:07:58
なんか毎週のように書いている気もするが「あぁ今週もなんとか週末に辿り着いた」というのが正直なところ。ホント、今週もいろんなことがあった。
仕事もたくさんしたけど、夜もいろいろあった。
というか、いろんな人と会って、いろんな話をして、なんだか謙虚になった一週間。ボクなんかまだまだである(当たり前)。
月曜は某大女優のご家族とプライベートご飯。十年近くぶりにお会いしたが相変わらずお美しい。ずっと第一線を走り続けているオーラと、ふとした時に見せる素の魅力。十年近く経ってボクは彼女みたいにちゃんと魅力が進化したかな? まぁ比べる相手が相手だけど、それにしても…。
火曜は平田オリザさんと藤原和博さんと政治家の方々5人と居酒屋飲み。これについては明日書けたら書こう。「政治家の会合」みたいな空間に初めて身を置いたので新鮮だった。熱い想いを持った人たちばかり。ボクは彼らみたいな大局観を持てているっけか? ああいう熱い情熱をちゃんと維持できていたっけか?
水曜は広告業界の有名人と旧友と3人でご飯。数年前からの約束をようやく果たせた。ボクの本を過分に評価していただき、裏話などを話しているうちに「書いた当時の気分」をリアルに思い出した。あれからいろんなことがあり少し忘れ気味だった。そうそうそういうココロザシがあったんだった。初心だろ、初心。
木曜は夜の会議の後に友人とタラタラ。東京タワー近くのバーにてタラタラ話していたら急に強烈なデジャヴ。あぁそういえばこんな未来を想ったかも。で、それで? その後の未来は? 何もイメージできずしばし呆然。ここ数年オレはいったい何をやっていたのだろう…。
で、昨日の金曜日。
寒かった木曜の夜を引きずってちょっと風邪気味。これは休んだ方がいいのではないかという体調。喉がやられていて声が出ない。でも大事な仕事があったので会社に行ったのだが、その会議が長く長くかかってしまい、結局夜22時すぎまで。流れで「軽く一杯行くか」ということになり、体調を気遣いながらも「この会議の延長でちょっと仕事トークしておいた方がよいかも」と思って参加。同期と後輩と3人で仕事トーク。でも会議中からそうだったが体調が悪くて頭が働かない。んー…。
仕事トークでも押され気味。あー、はいはい、ボクがすべて悪かったよ的気分に。
しかも同期がディープな酒好きで「よし、二軒目は最低の店に連れて行ってやろう!」と。つーか、その時点でもすでに夜25時なんですけど(笑)。
二軒目は確かに「最低」の店で、ボクが最も苦手なタイプのノリの店。うわー。お客さんとか裸だよ。あっちでは首輪つけてるよ。ゲイもメイドもニューハーフもいるよ(本格的にHな店ではなく、お笑い系なんだけど、でも夜の底に蠢いている怪しい感じの店)。元気ならともかく、今の体調ではしんどい雰囲気。同期がトイレ行った隙に、後輩にスマンと耳打ちして先に店を出た。朝4時前くらいだったかな。
で、ようやく今日。
この一週間の出来事を思い出しつつ終日就寝。オヤジくさっ。でも貴重な休息日。体調管理優先。来週も相当大変だからなぁ。って、いつまでこんな綱渡りを続けるつもりなのだろうか。このままダラダラと人生終盤にさしかかるつもりなのだろうか。一度立ち止まって考えなければ。心底そう自覚した47歳。あと2週間強で48歳。
連休は三日休めた
2009年05月06日(水) 10:15:22
本当は沖縄出張から帰ってきて一日おいてすぐハワイ出張の予定だったのだが、仕事の都合でそれがキャンセルになった(例の新型インフルエンザとは関係なし)。良かった。ハワイに行っていたら一日も休めない連休になっていたところだった。
「仕事と言っても沖縄とハワイでしょ。楽しいじゃん」と傍目には思えるだろうけど、現地では体力使うし、東京に残してある仕事の差配もネットを使ってしないといけないし、とっても大変なのです。仕事が重なりまくっている時のロケは逆にとても大変。
とはいえ、ハワイに行かなくなったらなったで仕事は山積だ。
クライアントはだいたい長い休み明けに企画提出を望むもの。今回も「じゃ、連休明けに!」という案件が4つ。こりゃ休んでいるヒマはない! ということで会社に行ったり家で企画書書いたり。長い人では16連休というこのGWだが、ボクが休めたのは5/2の沖縄でのオフ(宮里酒造に行った日)と、5/4,5の二日のみ。まぁでも全部で三日休めたことで良しとしよう。
今日は7日8日にあるプレゼンの準備と来週頭にあるプレゼンの準備、メールのお返事、ゲラチェック、エクササイズ再開など、やらなければいけないこと山積。沖縄や高知や伊勢志摩の更新もしたかったんだけど、出来るかな(いや出来まい)。どっかでゆっくり時間をとって「おいしい店」を一気に更新したい。たまってくると気になる。気になることがいっぱい重なると心の状態が悪くなる。そういうスパイラルに突入しないように。
沖縄の行政に対する(相当ぼかした)おとといのさなメモに、地方行政のプロや沖縄でまさに行政に苦しめられている方から長く切実なメールが届いた。
視点が偏らないように沖縄行政側の事情や意見も知りたいが、いずれにしても沖縄という土地の特殊性を再度確認できた感じ。「観光」しか産業がないと言ってもいい特殊な県なんだけど、その「観光」に対する行政と民間の認識の乖離がすさまじい。箱もの・開発こそ「観光」だと考える行政と、沖縄らしさ・沖縄の真の魅力を探ることこそ「観光」だと考える民間。この距離が絶望的なほど埋まりにくい。
こりゃ、距離を埋めることを考えるよりも、双方から魅力的に思える別次元のアイデアがいるのかも。
名護ロケ終了
2009年05月01日(金) 7:40:43
名護のロケも昨日で終了。今日は那覇方面に移る。
名護では「おBAR」「縁」「夢の舎」「おかめ」にスタッフで食事に行った。どの店もなかなか良かったが、特に印象的だったのは「夢の舎」と「おかめ」かな。名護の店をあまり知らなかったのでいい店を知れて良かった。
この仕事、沖縄ロケ組と東京居残組に分かれて動いているのだが、東京は東京で修羅場を迎えていて、沖縄と東京で電話が異様に飛び交っている。昨日も結局ロケ終了後、夜中までその調整に終われた。沖縄のゆったりした空気の中、超アタフタしている自分がなんだか可笑しい。
頭頂部対策、いろいろいただきました(笑)
でも、一日目ですでにもう……手遅れ気味。水際対策失敗。この半年、外に出ず、スポーツもせず、ひたすら室内で仕事していたもんなぁ。肌が弱くなっている感じ。ついでに腹肉もかつてない状況。Tシャツで過ごすとやはり気になる。半年の油断(多忙)でここまで緩むか…。締めないと。
とりあえず金曜まで持った
2009年04月25日(土) 21:23:34
昨日は本当にヘトヘトで、昼過ぎにはもうガス欠状態。デスクで企画書をまとめていたんだけど、いつの間にか失神(というか睡眠)。座ってパソコンをにらんだまま微動だにせず寝ていたみたい(ちょっと怖い)。そこへ「そろそろ時間ですが」とお呼びが。うわっ、しまった、講演だ!
昨日はファッション系クライアントを数十社招いた講演があったのだが、なんか話す内容がいまいち定まらずパワポ作りに四苦八苦していたのである。どのくらい基礎的なことに触れるべきか、どのくらい実践的な内容にするかなどの具合がわからない。困ったなぁと思いながらおとといの夜に講演内容をパワポにまとめたんだけど、最後にもう一度集中して考えて直そうと思っていたのである。でももう直す時間がない。直す気力もない。このまま行こう。
会場に向かう最中も「だ、大丈夫ですか?」と気を遣われるほどフラフラで、あーこりゃ死ぬかもなぁと我ながら思ったくらい。まぁ話し始めればアドレナリンが出るから大丈夫なんだけど、それまで持つかな状態。ここまでフラフラなのは久しぶりだ。
ただ、講演ではその疲れがいい方に出た。緊張しがちな話し始めも相当リラックス。いつもこうだったらいいのになぁというくらい緊張せず、普段通りの話ができた。まぁこんだけヘトヘトフラフラだと緊張のしようもないのだけど。途中からアドレナリンも出始めて、なんとか最後まで持った。あー終わったぁ。
でも、その後が酷かったな。一度出たアドレナリンが引くと、アドレナリンが出る前よりも深く疲れを感じる。夜の会議の最中に急降下。グッタリ。もう電車に乗る体力すら残っておらず、自腹でタクシーに乗って帰った。
しかし最近の東京のタクシーは本当にレベルが下がったなぁ。
道を一から十まで聞いてくる。基本的な交差点すら知らない。寝てもいられないよ。まぁとりあえず金曜夜まで体力持ったのはラッキーだった。なんかどっかに仕事の抜けがありそうだけど、そういう心配を脳から閉め出して、とりあえず睡眠睡眠!
いい感じに修羅場
2009年04月24日(金) 8:02:03
う〜。仕事がまたスゴイことになってきた。それも複数案件が同時にスゴイことになり、ちょっと錯綜気味。これ、ちゃんと無事にしのげるのかな…。
修羅場馴れしている後輩とかと「いい感じだねえ」「修羅場ですなあ」と笑いあってはいるものの、背中では冷や汗をかいている。GWがあるので逆にそこで取り戻して攻勢に転じようと画策していたが、どうもそこはロケに行かないといけない雲行き。長いGWも一日も休めない予定。でもまぁロケって、ロケ先で「仕事がひとつ」なので(他案件の会議などが追ってこない)、逆に落ち着いていろいろ考えられるのだけど。
そんな中、昨晩は某大手新聞社の政治部記者さんたちと会食。会議が紛糾して1時間遅刻して参加。みなさんスイマセンでした。というか基本的に会食に遅刻することなんかありえないタイプなんです。それほど仕事が錯綜しているんです。スイマセンスイマセン。
いやぁ、新聞社政治部の最前線バリバリ記者さんと長く話すなんて人生初。おもしろかった。やっぱり異業種と話すのって楽しい。多少仕事絡みでもあったのだけど、オバマの話から日本の政治のこと、新聞の未来のことなど、いろいろと盛り上がった。特に面白かったテーマは「ネットのフラットな価値観が蔓延するであろう未来に、政党はどうなっていくのか」。イデオロギーを二大政党に収束させるのなんて到底無理。そのときどうなる?ってお話。いろんな見方があっておもろいな。
会食中、トラブル含みの仕事電話が3件飛び込んだ。あぁツッコミも災いの元だけど、軽口も災いの元だなぁ。仕事が多すぎてテンション上がらざるをえないボクの軽口が火種になったものもあった。気をつけないと。
とりあえず今日でようやく一週間が終わる。怒濤であった。でも最後にちょっと重めの講演が今日の午後にある。やばいなぁ。テーマが難しく、まだ話す構成が決まらない。さてどうしよう。
ツッコミは災いの元
2009年04月21日(火) 7:32:29
広告業界ではしばしば「刈り取り」とか「囲い込み」とかいう言葉を使う。
顧客を刈り取る、とか、消費者を囲い込む、とか、そんな感じ。まぁ商習慣的な言葉でもある。でもこの言葉を使っている時点でホントは相当古い。だってそれは完全に送り手(作り手)目線。昭和な考え方だ。消費者(生活者)が変化した今、こんな発想でキャンペーンを作っていたら時代に置いて行かれる。消費者目線に立つ発想が徹底していたら「刈り取る」とか「囲い込む」という言葉など出てこないはず。早く死語にした方がいいし、きっと10年後には使っていない言葉だと思う(と思いたい)。
いや、そんなかたい話がしたいのではなく。
つまりは業界最前線でバリバリやっているタイプの若手営業くんとかは喜々として「顧客を刈り取りましょう!」とか発言しがちなわけです。なんか業界っぽいしね。仕事している気にもなるしね。その言葉自体ちょっと古いということなんかあまり考えず、習慣的に口にする感じ。
昨日もここ数ヶ月一緒に仕事をしている優秀な若手営業くんが、メールで「その会議にクライアントのどなたが出るか、出欠刈り取り中です」と書いてきた。
会議への出欠を刈り取り中だぁ? なんだその変な使い方…。まぁ意味はわかる。もしかしたら現場ではそういう使い方もしているかもしれない。でもさー、あのさー、そういう業界言葉っぽい使い方ってそんなにみっともよくないよ…。というか、これってツッコメということ? 笑うとこ? そうなの?
ボケにはツッコまないといけないと14年の関西暮らしで叩き込まれたボクは、脊髄反射的にこう返信した(もちろん主要用件に返信しつつ、P.S.的に)。
>出欠刈り取り中です
そんなもん、刈り取るなよな。
(笑)をつけた方がいいか、とか、典型的関西弁を使った方がいいか、とか一瞬思ったが、まぁ普通のツッコミだし、みんながみんなツッコむところだろう、と考えて気軽にポチッと送信ボタン。関係者全返信である。まぁ別に笑いを取りに行ったわけでもなく、メールのラストに気楽な会話も入れといて、みたいな感じで。
そしたら数分後、その若手営業くんから大慌てかつ平謝りのメール(DM)が返ってきた。超平謝り。ほとんど涙目。なんか怒られたと思ってるらしい。えぇ〜! しかもそれをCcで読んだ同じ部署の後輩が「佐藤さん、なんか厳しい指導ですねー」と話しかけてきた。ハァ〜???
いやまぁなんつうか、関西で鍛えられたボケとツッコミの会話術は東京ではまるで伝わらないことはさすがに知っている。いらぬツッコミしないように気をつけてもいる。でも、もう十分親しくなったからって油断しちゃったよ。つうか、このメールが怒りメールかどうかくらいわかるよね? 普段ボクとつきあっているならさ?
「いや、佐藤さん、彼から見たら年次が相当上だし、業界的にも大先輩だし、見た目も怖いし、そりゃーびびるんじゃないですか?」
そ、そっかー…。そうなのかー……。じゃれるようなツッコミすら無理なのかー………。
そういえば、ふと周りを見渡してもこのプロジェクトでの最年長はボクだ。「ボク」とか若ぶってカタカナで書いているけど一番年寄りかつプロジェクトリーダーだ。んー、もしかして、若手から見たら遙か彼方にいる権威系オッサンなのか。ちょっとじゃれただけで平謝りされるくらい近寄りがたいのか…。
まぁそういうことは別にしても、ボケツッコミ文化がないところに文脈も空気も読まず、笑いもとれないツッコミをしたのはボクだ。ボクが悪い。悪い。のか。つーか、この程度のツッコミでもそんなに傷つくの?
なんだか若手との会話に急に自信がなくなり、ガックリ落ち込んだので、「ほめられサロン」で軽くほめられといた。すごーい! すてきー! イケテルー!
寝過ぎで頭が痛い
2009年04月12日(日) 18:13:56
昨日は起きていた時間がほぼ3時間。24時間あるうちの21時間は寝ていた。とにかく寝た。あ〜寝た。今日もそんな調子。まだ2時間ちょいしか起きていない。寝過ぎて頭が痛いんだけど、でもまだ眠い。あぁ眠い。ちょっと異様。それだけ疲れているのだろう。とはいえ今日はこれから仕事しないといけないし、連載原稿〆切があるので起きていないといけない。でも眠いなぁ。いま「うまい店対談」の更新を終え、これから企画書に取りかかる予定。原稿はその後。エンジンかかってくるであろう深夜に書こう。
なんか「うまい店対談」も含め、「おいしい店」系の更新の筆が進まない。
今年は会社の状況もあって、いやもう少し熱いココロザシ的に書くと「広告業界の明日のため」もあって(ホントかよ)、実は「人生史上初なくらいトップギアで仕事しよう」と決心しているのだけど、そう決めた途端になぜか小説(フィクション)が読めなくなり、時を同じくしておいしい店の更新の筆が止まってしまった。なんなんだろうこの感じ。読めないし書けない。気持ちが実業に寄りすぎたか。もしくは単なる疲れか。
でもこのまま前に進むのはバランス的に宜しくなく、仕事のクオリティにも影響を与えることが予想されるので、少しバランスを小説側に戻している最中である。昨日今日とガルシア=マルケスの「百年の孤独」の再読を始めた。もう20年ぶりくらいな再読。すっかり筋も登場人物も忘れている。ホセ・アルカディオ・ブエンディア、久しぶり。レメディオス、久しぶり。
あぁそれにしても寝過ぎで頭が痛い。脳味噌が砂袋のよう。頭蓋骨の中が痒い。
寝が足りたとはいえ、明日の月曜もきっと異様に眠いんだろうなぁ。でも2日かけて疲れを取ったのはきっといい影響を及ぼすはず。さて、仕事しよう。なんかヒーヒー辛いカレーが食べたい…。
スラムダンク『あれから10日後ー』完全版
2009年04月09日(木) 6:48:11

拙著「明日の広告」
にもくわしく書いたあのイベント、2004年12月に三浦半島三崎高校(廃校)でやった「スラムダンク一億冊感謝ファイナルイベント」の黒板漫画が本になる。
最終戦である山王工業戦から10日後の彼らを書いた、スラムダンクの正式続編にしてファイナル版。井上雄彦さんがこのイベントのために黒板にチョークで描きおろした、その23枚の黒板漫画が、教室の雰囲気そのままに読めるフォトブックである。
スラムダンクの主要登場人物21人がそれぞれ1枚ずつ黒板に描かれている(花道だけ3枚使っているので23枚となる)。ゴリや流川やリョーちんやミッチーやメガネ君以外にも、彩子ファンも水戸ファンも仙道ファンも牧ファンも河田ファンも沢北ファンも、もちろん安西先生ファンも、みんなが満足できる23枚になっている。ちなみにボクの本では小さくしか掲載できなかった6枚の新聞広告やウェブサイトも大きく掲載されている。
これが井上さんのスラダン絶筆になるのだろうなぁ。たぶん。まぁ先のことはわからないとはいえ。
イベントの翌日のさなメモはこんな感じ。
一枚一枚の写真から、あの3日間が蘇る。いや、準備に費やした数週間、新聞やサイトを作った数ヶ月も色濃く思い出される。こうしてカタチに残るって素晴らしいな。余分な説明も言葉もないフォトブックという潔さもよい。個人的には「宝物」である。正式には明日発売。本当は4/1の桜木花道誕生日に間に合わせたかったらしいけど、ちょっとだけ遅れちゃったみたいですね(笑)
ちなみにこのイベントの模様を記録したDVDはこちら。 「SLAM DUNK 10 DAYS AFTER」。フジテレビ放映用に我々が井上さんと一緒に編集したものである。かなり泣ける内容となってますので、ご興味ある方はどうぞ。
講演という基礎練習
2009年04月08日(水) 13:08:45
昨晩は、大阪勤務時代の同じ部の上司ふたりと、「コミュニケーションをデザインするための本」を書いた岸勇希くんと4人で焼肉。岸くんはボクの部員でもあるのだけど、ボクも彼もバタバタと忙しくしているのでめったに顔を合わさない関係。昨日も「なんだか久しぶりだねぇ」という感じ。同じ部なのにな(笑)
というか、彼がボクの部に来てから3年弱だったか。こうしてメシを一緒にするのは昨日でなんと2回目である(部会などは除く)。たった2回。それほど会えない関係だ。そういう意味では昨日は超久しぶりにゆっくり今の広告のことなど話せた(焼肉屋へ行くタクシーの中で特に)。
たまに心配をしていただく。手法を開示しすぎではないかと。
拙著「明日の広告」と彼の「コミュニケーションをデザインするための本」を読むと、もう完全にこのチームのやり方がわかってしまい、競合相手とかに対して不利ではないのか、みたいな。
まぁそういうこともないことはない。でも、本って「書く過程で頭が整理され、いままでぼんやり理解していたことが血となり肉となる」という効果がある。読むだけの人と、書いた人とでは、実際かなりの差ができるものなのである。ボクも彼も、自分たちが書いた内容はとっくに血肉になって潜在意識の域まで降りており、そこを基礎とした上で次に行っている。この差は実感できるものなので、そういう意味では不利とかいうことはないかな(偉そうに聞こえたらごめんなさい)。
さらに、ふたりとも講演が異様に多いんだけど、講演で本に書いたようなことを繰り返し繰り返ししゃべっていると、基礎練習を繰り返すスポーツ選手のような効果が出てくる。こういう仕事でもスポーツのように基礎練習って本当に大事なんだなと最近わかってきた。数週間に一回は基礎をしゃべるこの繰り返しが実にいろいろな発見をもたらしてくれている。昨日も岸くんとそんな話になった。忙しい中での講演ってかなり大変だけど、やる意味ってあるよねぇ、次々と発見が出てくるよねぇ、みたいなこと。そこで得られた発見がどんどん次につながっていっている。
まぁそれはそれとして、広告界の現状やら会社の現状やら次の展望やら、4人でガーガーと話をした。そのせいなのか、単なる風邪なのか、今朝は喉が腫れ上がって声が出なかった。まぁ風邪かな。クスリ飲んで半休。家で企画書。
なんなんだ !?
2009年03月26日(木) 8:59:51
昨晩は友人のおめでたい報告を聞き、あー良かったなぁとご機嫌に飲んだ。思ってもみなかった新しい流れにはとにかく乗ってみること。乗ってみてダメだったらそのときはそのとき。何しろおめでとうおめでとう。
昨晩はもうひとつおめでたいことがあって、先週に峠を越えた大きな仕事のひとつが「勝利」と出た。めでたいなぁ。長々悩んだ複雑な仕事ではあったけど苦労した甲斐があった。といっても受注が決まっただけで、ここからが第一歩。もっと大変になるのだけど。
おめでたいことがふたつ重なり、相当上機嫌で帰ってきたのだが(飲んだお酒も「上喜元」だった)、帰ってベッドに横になり、30分ほど経ってから急にお燗が。いや悪寒が。
とにかく寒い。寒い寒い寒い。極寒だ。ここまで寒い悪寒も初めてかも。大の男が「うおー!」とか叫ぶ寒さ。息も絶え絶え。ひーひーひー。
布団をいっぱい出してもらって重ね、マフラーをし、お湯を飲んだりもしたのだが(お湯を飲むために手を布団の外に出すことが寒くて出来ないから大変だった)、震えが止まらない。熱を測ったらすでに38℃くらいある。急上昇中。こりゃ本格的か。
1時間弱ガタガタ震えていただろうか。ようやく温かくなってきてそのまま気を失うように就寝。最後の方はよく覚えていないが、とにかくカラダから震えが出て行かなかった。
で、先ほど起床。寒さは去っていた。熱も平熱。多少フラフラするがまぁ普通に戻った。あの悪寒はいったいなんだったんだろう。オオゴトじゃなくて良かったな……。ただね。先ほどから両太ももが激痛で参っている。激痛というか鈍痛と疼痛が酷くて「あー痛い!」と叫んでしまうくらい。菌が太ももに居を定めた? 動かすと痛いとかいうレベルではなく、とにかく四六時中痛いの。風邪でカラダ中の筋肉が痛いときがあるけど、あれの超酷い版。だって痛くて歩けないんだもん。かといって寝てもいられない。痛くて。
とりあえず主治医に電話して(朝早くすいません)今から行ってくる。今日は会議がいっぱいあるんだけど、とてもじゃないけどずっと「痛い痛い」と呻きながらこなすわけにはいかない。関係者各位。誠に申し訳なし。すべてドタキャンさせてください。
と、いま熱を再度測ったら微熱に上がっていた。ま、風邪ですね。倒れてもいられないので集中して治そう。
峠を越しました
2009年03月19日(木) 8:05:05
仕事が峠を越した。火曜の午前中に大きな年間プレゼン、夜にも別クライアントで大事な年間プレゼン。ふたつとも個人的には綱渡りっぽかったけど何とかクリア。特に午前中のは企画書を100枚ほど自分で書いてのプレゼンだったので時間がかかったし責任も大きかった。あぁホッとしたよ。まぁでもこのふたつもこれで終わりではなく「これが始まり」だし、まだ大きな仕事が3つほど控えている。しかも昨日また大きな仕事が飛び込んできた。今年は気が抜けないな。仕方がない。
2009年2010年は広告業界にとってもメディア業界にとってもものすごく大切な2年だ。歴史的転換年。大きなターニング・ポイントだと思う。だからこの2年は「仕事の年」と腹を括った。あんな本を書いたこともあるし、モーレツに仕事しようと思う。ちょうど50歳前で人生的にもそういう時期でもあるし。
モーレツに仕事する、と決めて腹括ると、もう馴れきってマンネリ化してしまったと思っていた毎日でもいろいろと新しい喜びや学びが見えてくる。この感覚どっかで経験したなぁと考えていたら「あ、受験のときと一緒だ」と気がついた。小学校から高校まで毎日毎日勉強を続け、もう勉強なんて飽き飽きするほど馴れきっていたのだが、いざ大学受験のために(それも一度落ちて浪人が決まってから)腹を括ってモーレツに勉強しだしたら、まったく想像しなかった新しい喜びや学びが見えてきた。あの感覚。きっと毎日馴れきった家事とか、毎日馴れきった歯磨きとか、毎日馴れきった排便とかにも「隠れている喜びや学び」って山ほどあるんだろうな。「どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる」。ジェイもそう言っていたっけ。
モーレツに仕事する、とか言いつつ、ライブに行ったりミュージカル観たり旅行行ったり、結構遊んでんじゃん、と思われる方も多いと思うけど、これまた受験のときと一緒で「忙しいときほど他のことがしたくなる」というヤツですね。というか、先週ほど忙しい一週間でもライブやら講演やら演劇やらに行けたというのは自信になった。予定を詰め込んだらなんとかなるもんだ。
この週末も「ロックの学園」に行ってこようと思う。三浦半島三崎高校。「スラムダンク1億冊感謝イベント」をやって以来初めて行く。懐かしいな。泣いちゃうかもしれない。
地方紙で講演
2009年03月17日(火) 6:27:15
新聞系の講演が続く。
昨日は地方紙の集まりで講演。全国の地方紙の部長以上が集まった勉強会で、「新聞のこれから」を話させていただいた。大筋は先週に某中央紙に話させていただいた内容と一緒である。ただ、地方紙は地元に密着した強みがあり、そこについての研究は自分の中で未開拓分野なので、少し突っ込みが足りなかったかもしれない。これを機に地方紙についてもいろいろ考察してみたい。
昨日は仕事が本当に秒刻みだったので、この講演はかなり響いた。体力的に。たった1時間30分のしゃべくりとはいえ120枚のパワポを話し切るのは体力使う。
講演後いきなりガス欠となり(カラダが)、青息吐息。秒刻みが深夜2時まで続いたのだが、最後の方は1分ごとに大あくび。会議を一緒にしていた方々には申し訳なし。というか、あまりに時間なくて昼ご飯も夜ご飯もコンビニおにぎり2個だったので、物理的にガソリン不足だったのかも。ちゃんと栄養とらないとなぁ。
でもね、今日の昼前(もうすぐだ!)、ひとつ大きな峠を越す(仕事)。あぁうれしいなぁ。峠を越したらとりあえずメールのお返事から始めます。溜まりすぎてしまいました。すいません。
今週は地獄の様相
2009年03月10日(火) 9:11:23
メールのお返事を含め、いろんな方々に不義理・失礼いたしておりますが、来週頭くらいに仕事の峠を越える予定です。ちょっと異様な仕事量になってきてオーバーフローしています。そのうえ、前からお約束していた重めの講演がふたつ、ずいぶん前にチケット取ったライブがひとつ、〆切寸前の取材旅行がひとつ、と、予期せず重なりまくってしまい、今週は地獄の様相。致命的なミスをしないようにするのが精一杯。
ライブはね、ロッド・スチュワート。
中学・高校・大学時代、彼のライブはすべて行ったけど、それ以来。二十数年ぶりだ。懐かしいなぁ。「ただのジョークさ」とかやるかな。若い時のやんちゃさこそロッドの真骨頂なんだけど、どんな歳の取り方をしたか、それも楽しみ(スタンダードとか歌わないことを願う)。
でも寄りによって今週とは…。
まぁ3時間観たら3時間分深夜作業すればいいんだけど、精神的余裕があるときに観たかった。
コーヒー口臭問題2
2009年03月06日(金) 12:15:21
コーヒー口臭問題にはいろいろ解決策をいただきました。
コーヒーの口臭、ティースプーンで舌の上の汚れを掻き出してあげると、だいぶ違いますよ。ポケットに忍ばせておくといいですね。ええと、これはちょっと…。ティースプーンをいつもポケットに入れておくオジサンって、新手のヘンタイみたいじゃない?(どんなプレイか知らんけど)
私、以前にスタバに勤めておりまして、当時はコーヒーミントってのがあったんですよ。なんてことは無いフリスクみたいなものなんですが。ただ、ミントではなく、何で「コーヒーミント」なのか?と疑問に思い、フード担当に聞いたら、「コーヒー飲んだ後、臭うでしょ? その臭い消し」と。なるほどー。これ、検索したら「アフターコーヒーミント」という名前みたいですね。「アフターコーヒーチューイングガム」というのもあるみたい。これ、いいなぁ。まだ売っているのかどうかスタバに行ってみよう。
コーヒー口臭の原理を教えてくれた方も。
1)コーヒーの成分が舌の表面に付着したまま口腔内のpHが下がると特有の口臭を発する。元ネタはココらしいですが、これでいろいろ理解ができました。確かに食後のコーヒーのときはそんなに口臭しないかも。朝いちの会議で他人のコーヒー口臭に苦しむ理由もわかった(笑)
2)コーヒーやお茶の渋みの元は唾液分泌を抑制し、口腔内が乾くのでpHが下がる。それによって口臭の成分が生成される。
3)コーヒーで口臭が発生しやすい状況は起床直後や空腹時など、元々唾液分泌が少ない状態。
4)淹れたてのコーヒーより長時間保温したコーヒーの方が口臭を起こしやすいようだ。
5)コーヒーに起因する口臭を防ぐには、飲んだ後、舌を動かすなど唾液分泌を促して口腔内のpHを上げるか、水を含み舌を口蓋にこすりつけるようにして残渣を洗い流すようにすれば良い。
とりあえずは唾液分泌ですね。
そういえば長時間ヒコーキに乗る前に空港のドラッグストアで口臭止めのガムを買おうとしたら、そこのオジサンに「機内は空気が乾燥してるから口が匂うんだ。ツバを出して口の中にためてクチュクチュやれば口臭なんか消せる」と買うのを止められたことがありました。あのオジサン、正しかったんだなぁ。でも商売っけなさすぎ。買おうとしてるのに止めるこたあない。
疲れ切って寝ています
2009年02月07日(土) 18:40:05
「よくぞ週末に辿り着いたな…」と金曜夜中に嘆息したくらい大変な一週間だった。
バタバタと忙しいというよりは頭脳労働系の忙しさだったが、容量いっぱい考え続けた毎日だったと思う。あぁこの程度で自分の容量越えちゃうか、と限界を感じつつ。複雑怪奇な仕事が駆け込み寺のように持ち込まれる難しい部署にいることもあるのだけど、ひとつひとつの仕事が途方に暮れてしまうくらい難しい。
そんな中、金曜は民放連のセミナーでしゃべるという重たい仕事もあり、疲れはピークに。
広告業界や学生さんなどに広告の話をするのはさすがにもう馴れたが、メディア相手に話すとなると内容も切り口も変わってくるので講義の予習が大変。テレビ業界でしゃべるのは初めてだったが、新聞大会や雑誌国際会議の時と同じく、いちからそのメディアについて思考を始める作業なのでなかなかにストレスだった。門外漢がメディアのプロに対して1時間みっちり講義するって意外と重たい。
でも、おかげで「テレビについて強制的に深く考える」時間がたくさん持て、今後の思考の端緒となった。執筆もそうだが、切羽詰まって必死に考えざるを得ない状況に置かれることでようやく見えてくることって多い。書いたりヒトにしゃべったりしてみると、ぼんやり頭でわかったつもりになっていたことが実はスカスカの理論だったとわかったりする。新聞や雑誌に続いてテレビについての思考が一歩進んだ。まぁまだ入り口だけど。
ということで、今日の土曜日はカラダがこのまま溶け出すんじゃないかと思うくらい寝ています。
朝ご飯に起き、またすぐ寝て、昼ご飯に起き、またすぐ寝て、いま夕ご飯のために起きたところ。ご飯食べたらまたすぐ寝ます。どんだけ寝ても寝足りない感じ。本当に疲れていたんだなぁと我が身を思いやる。
戦友と
2009年01月29日(木) 8:56:42
昨晩は2歳下の同僚と広告の未来のカタチについて深く語った。カタチというか、新しいビジネスモデルとそれを実現するための体制みたいなこと。お互いに考えが近く、ほぼ同じ地点に着地。そう、やっぱりソコだよな。でもソコに着地する人って実は少数派なんだよな。
彼とはチェコ、ニューヨークと修羅場行脚をした。もう5年前になる。
ある企業のショートフィルムを撮るロケをチェコでし、ニューヨークで編集した。ニューヨークには3ヶ月近く滞在した。監督はハリウッドの若手で、主演は小雪さん。シノプシスはボクが書いた。
もう本当に修羅場な毎日で、数え切れないトラブルが次々起こった。でも、ハリウッドの映画監督と丁々発止やりあったのはその後の大きな自信になっている。日本と世界にレベルの差はない。それがわかっただけでも収穫だった。
その「地獄」のような仕事をしたときの戦友なので気が合うのはもちろんだが、お互いの才能的に補完しあえるのが彼とのコンビの魅力。ボクにないものを彼が持ち、彼にないものをボクが持つ。そして広告の未来にも同じようなビジョンを持つ。
しばらく一緒に仕事していないけど、そろそろまた組んで、今度は「新しい体制」を作ることを目指そうか。
お互いに「これこれこういう改革をして、次世代に渡す」みたいな発言が出る。
そう、もう「渡す」時期なのだ。変化に対応し、改善し、貢献し、ちゃんとした体制に昇華して、後輩達に「渡す」。変化のただ中にいるボクたち世代の役割だ。それをお互いに再認識してお開き。ちょっと飲み過ぎたかも。神保町「嘉門」にて。
仕事な祝日
2009年01月13日(火) 6:26:07
あぁ昨日はよく仕事した。祝日だというのに。
朝起きてから、朝ご飯と昼ご飯と夜ご飯の時間を除いて、寝るまでずっとマックと本に向かっていた。なんだ、もうなくなっちゃったかと思ってた集中力、少しは残ってるじゃん。もしかしたらイノシシのおかげかもしれないけど。
一番はかどったのは企画書。約150ページある企画書をいちから書いていってとりあえず必要な要素を埋めることができた。あとは〆のアイデアを足して、わかりやすく整理してレイアウトし直したら出来上がり。えらく気が楽になった(この企画書作成がわりと苦痛だった)。とはいえあと2日はかかるけど。
残りの時間は「パブリック・リレーションズ」とか「PR」とかの専門書を赤ペン片手に精読。
これからの新しいコミュニケーションに絶対必要な要素群。あと、調査の本ももっと読みたいし、IRの本も読みたい。アメリカのロビイストがどうやって動いているかも知りたいな。クリエーティブ&インターネットという自分の土俵をそっち方面に大きく広げるのがこの春の目標。まだまだ道は遠いけど、全体像は掴めてきた。
BGMはドゥダメルの「フィエスタ」。
ライブでの高揚感が蘇る。これ、燃えるし、適度に散らかってるのも脳を刺激してくれて良い(まとまりすぎたクラシックは逆に捗らない)。しばらくはこれをBGMに仕事&勉強をしよう。
ゆるやかに発進
2009年01月05日(月) 4:51:16
この休みの目標のひとつに「カラダを締める」というのがあった。
ヨガと基本エクササイズ。特に腹筋。これらは一週間まめにやったと思う。ただ体重は増えた。まぁ筋肉は重いので筋肉がついてきたとも言えるが、少しお雑煮食べ過ぎたかな(←お雑煮好き)。まぁ基礎代謝(BM)が増えたのでそのうち自然と痩せるだろう。
年末、バリカンの目盛りを下げ、1〜2mm程度にした。
超短髪というかほとんどマルコメに近くなった。が、家族も両親も気づいてくれない。まぁ見た目変わらない、ということだろう。こっちの方が気持ちいいのでしばらくこれでやってみる。刈りたてをジョリジョリ触っているのが気持ちええ。
今日から出社となったらいきなり早朝覚醒。
どんだけイヤなのか(笑)。朝4時前に目が覚めて、その後寝られず、仕方がないからさなメモ書いている。まぁ昨日が惰眠の一日だったので寝が足りているせいもあるかもしれない。ただ、1月の早朝って好きではある。空気の密度が違う感じ。
ちゅうことで、激動の2009年の仕事始め。
年頭の初心を忘れず、マイペースでゆるやかに発進しようと思う。まずは早朝ヨガ(超簡単版)から。ヨガをすると「体が資本」って言葉を思い出すね。からだがスッキリすると頭が働く。頭が働くといろんな心配事が解決し出す。いい循環だ。
2008年を振り返っていろいろ反省しています
2008年12月29日(月) 16:48:40
来年飛び上がるためにも、一度ググッと深くしゃがまないと。
ということで、自分を振り返って厳しめにいろいろ反省しています。
2008年は仕事面で反省点が多かったですね。原因を二日かけて探ったのですが、「自分ができること」と「自分ができないこと」をきちんと把握せずに事に及んだことが大きいかな。「明日の広告」なんて本を出したこともあって周囲の期待が大きくなり、それに応えようとしすぎた感じ。スーパーマンじゃないんだから一人でできる質も量も限られます。その点を甘く認識して仕事を受け、オーバーフローし、それぞれが中途半端になっていってしまった。これは来年からかなり厳しく改めたいと思っています。
あと、視点の変化にうまく対応できなかった。
「明日の広告」はわりと広めの視野で書いた本です。それでもまだ「広告」という分野に限っている。でも、実は出版から約1年経って、その「広告」をほんの一部とする「パブリック・リレーションズ」(この言葉も古いけど、いまはこの言葉しか当てはまる言葉がない)に興味も関心も向かっています。プッシュ型広告、プル型広告、広報、戦略PR、コンテンツ、WEB2.0的自走コミュニケーション、次世代テクノロジー、クチコミ、そして商品そのもの……などをすべて使って生活者とコミュニケーションしていくやり方ですね。
「コミュニケーション・デザイン」という概念はこれにとても近いのだけど、まだ「広告まわり」の意識が強い。パブリック・リレーションズは、もっと視野と領域を広げて、すべてを関連させてコミュニケーションを作っていかなければいけません。最近ではオバマ次期大統領がこの方法を効果的に使って選挙を闘い、「マーケッター・オブ・ザ・イヤー」を獲りました。
で、志向も思考もそちらに向かっていて、自分の中でのリワイアリング(配線組み替え)もある程度進んでいるのに、実際の仕事が、たとえば「広告」という分野の中の「プッシュ型広告」という分野の中の「クリエィティブ」という分野の中の「CMプランニング」だったりすると、どうにも視点が切り替えられず、プランニングの細部が少しずつ甘くなっていきます。これは悩みました。ここ十数年ずっと普通に見えていたはずのものが、ふと気づくと見えなくなっている。ショックでしたね。でもきっと空から俯瞰すると細かいものが見えにくくなる、みたいなことなのでしょう。使う筋肉が違う。偉そうな意味ではなく。 俯瞰も細視も両方できるのではないか、と甘く考えた自分がいけない。
あと、広告プランニングでは重要な「コア・バリュー」とか「コンセプト」とかいう考え方も、ボクの考えるやり方では「それはひとつではなく伝えたい相手によって分散して存在する」「だからいろんなメディアやソース、タイミングを組み合わせる」ので、何かひとつに絞るという発想がなかったりします。
でも、トラディショナルな作業だと、いきなり「コア・バリュー設定」なんですね。それに直面して初めてそういう発想自体が自分の中で消えていたことにハッと気づいたりしました。自分が変化していることを他から知らされて戸惑う感じ。アレレと困っているうちに、ふと気づくとスタッフとの間で意識乖離が起こっている…。この乖離をちゃんと埋められなかったのも大きな反省点のひとつです。
というか、ボクがトラディショナルなプッシュ型広告の現場に細かく関わっていること自体がすでに非効率的なのかもしれません。
広告制作現場が好きなもので未練たらしく関わり続けていますが、もう志向も思考も変わったのだから、潔く離れるべきなのでしょう。そして、自分が考える新しいコミュニケーション分野の開拓に邁進するべきなのかもしれません。
2009年は大変厳しい年になります。大不況という言葉で片付けられたらラッキーなくらい。
そういう年は「やり方を変える千載一遇のチャンス」でもあることは前に書きました。そしてそれは「個人」にも言えること。自分自身、大きくやり方を変える年にするべきなのだろうな、と思います。クリエィティブ・ディレクターという肩書きからも自由になる頃合いかもしれません。
来年はちょうど年男。つまり48歳。あとひと回りで60歳。
いつまで仕事するかは別にして、残された時間を考えると、自分がいままでやってきたやり方を大きく変えるにはいいタイミングなのだと思います。
そんなことをつらつら思う年の暮れ。
来年の出発点
2008年12月27日(土) 20:54:51
モスクワに帰った岩田守弘さん。
さみしいけど、帰ってからブログを頻繁に更新してくれているので遠くは感じない(このエントリーにはボクの名前もチラリと)。やっぱりブログって素晴らしいメディアだな、と有り難く思う。
彼はいつも要所要所でメールをくれるのだが、それがボクのさなメモに対する短信で、いつもとてもほのぼのする。
昨日のさなメモで「ゆっくりお風呂につかり」と書いたら、彼からさっそく「こんにちは佐藤さん。そうだ、お風呂だお風呂だ!!」と短いメールをもらった。ボリショイの第一ソリストに向かって言う言葉じゃないかもしれないけど、なんか可愛いww
ボクは彼からいろんなことを学ばせてもらっているが、その中の一番大きなものは「素直さ」だ。こういうメールをもらうと心底「ボクも彼みたいに素直に生きていきたい」などと思う。でもまぁボクみたいなひねくれものにはほとんど無理っぽい。これって後天的には難しいのかな。先天的に素直じゃないと無理なのだろうか…。
だったらせめて、二番目に大きく学ばせてもらっている「努力」だけはなんとかしたいと思う。彼の「努力」に少しでも追いつきたい。
彼の言葉にこんなのがある。
「世界中の35歳の中で僕ほど努力したものはいないと胸を張って言えるんだ」
一度ここで紹介したことがある言葉だが、年末で自分を振り返るこの時期、もう一度取り上げて自分への戒めにしたい。
この言葉、彼を知らない人が聞いたら誤解する言葉かもしれないけど、あそこまで素直で謙虚な彼の口から出ると本当に納得する。そして自分を振り返って思わず下を向いてしまう…。ボクは今年、世界中の47歳の中で、どのくらい努力したかな。少なくともオバマには負けたな(←比較になりません)。
素直に認めよう。
ボクは、今年、自分に与えられた環境において、自分で誇りに思えるほどの努力をしなかった。成長はした。経験も積んだ。でも「努力をしたか」と言われると胸を張れない自分がいる。
この悔恨を来年の出発点にしたい。
48歳になる来年、ボクはいままでの経験やスキルを食いつぶして生きていくのではなく、もう一度意識して青臭い「努力」をしたいと思う。本業の広告も誰よりも勉強しようと思う。文筆系もしっかり自分に向き合ってチャレンジしてみようと思う。もちろん遊びも食事もその他もろもろも。
こういう思いって、10代の頃から毎年のように誓っては挫折してきたことでもあるが、ボクにもう先はない。50歳を目前に控えて先送りしても意味がない。バレエ・ダンサー引退の年齢(38歳)を迎えた岩田さんと同じ心境。背水の陣。本当に猶予はない。最後のチャンスだと思っている。
プレゼントの価値
2008年12月25日(木) 8:00:57
娘もさすがにサンタへのアンケートを書く年代から脱出し、「クリスマス・プレゼントに欲しいものがあるから有楽町の丸井で待ち合わせよう」って感じで、具体的に欲しい物を父親に買わせる、というドライな年代に突入した。夜中に枕元に忍んでいってプレゼントを置く、という行為はもう一生できないのだな。面倒がなくていいけど、それはそれでちょっと寂しい。
丸井というかイトシアか。混んでたなぁ。ホントに不況?
トヨタが前期2兆2千億の黒字から一転して今期の営業赤字1500億を発表したくらいなスピードで大不況に突入しているのだが、消費感覚的にはタイムラグがあるようで、まだ繁華街は買い物客で溢れている。でもこの混雑も今年までかもしれない、しばらく見られなくなるかもねとボンヤリ思いながら娘と買い物をした。まぁオバマのデフォルトがあるかどうかはわからないけど、かなり大変な事態になることは目に見えている。2009年は試練の年だろう。
広告業界的に言うと、広告費の大幅削減は避けられない。
でも、ポジティブに考えれば、「少ない予算の広告で商品が売れる事例」をたくさん作って、広告が違うカタチに生まれ変わるチャンスでもある。変化した時代、変化した消費者に合わせ、「いままでのやり方」を大幅に変えることができる千載一遇のチャンス。そしてその延長線上には「広告はパブリック・リレーションズのほんの一部である」という未来があるだろう。そこは広告業界にとっては新領域であり、チャンスはまだまだ山ほどある。
好況のままだったらやり方はなかなか変えられない。不況はチャンス。やり方を抜本的に新しくするチャンス。メディアもプロダクションも、もちろんクライアントも、古い体質から脱皮する千載一遇のチャンスを迎える。逆に言うと、ここで変われなかった企業は5年後に存在していないだろう。
話を元に戻す。
それにしても、娘が商品を選び、ボクが財布を開いてそれを買い、はいプレゼント、と、レジ横にいる娘にそれを渡すのって何だか変。ATMになった気分。
でもまぁ逆に娘が大人になったらまた「人が時間をかけて考えて選んだプレゼント」を喜ぶようになるだろう。一度はドライになる時期があってもいいと思う。欲しい物をもらうのがうれしい年代はそれでいい。そのうちプレゼントの本当の意味に気づく。プレゼントの価値は物にあるのではなく「相手のことを考えた時間」にあるということに気づく。
過緊張
2008年12月07日(日) 6:53:41
ちょっと前だが、こんな記事があった。
「朝、時計が鳴る前に目が覚める」 働き盛りに多い「過緊張」ほっておくと危ない。もうね、すべてが当てはまる。というか、最近では目覚まし時計すらセットしたことがない。今朝も4時台に起床。過緊張&早朝覚醒。そして不眠、喉のつかえ、だるさ、肩こり、頭痛。結果としての慢性疲労。まぁ最近では眠れる日も出てきたのだけど、大きく見れば完全に「未病」であるな。
11月27日11時15分配信 J-CASTニュース毎朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。結構なことのようだが、本当は危ない症状なのだ。「過緊張」といい、それが疲れの原因になっているというのだ。働き盛りに見られる不眠、肩こり、体のだるさ、ほてり、女性に多い冷え症もそうだ。病気とまではいえないが、ほっておくとよくない。
「過緊張」とは、心や体の緊張が進んでしまい、ゆるめたくても自分ではゆるめられない状態をいう。病気というほどではないが健康でもない、いわゆる「未病」を引き起こす「元凶」ともいえる。
たとえば、毎朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。体内時計が朝起きる時間を覚えているなどと自慢げに話す人がいるが、そんなことを言っている場合ではない。仕事へ出かけなければならないという緊張状態からくる一種の症状で、ストレスが溜まっていく前ぶれなのだ。
眠りが浅く夜中に何度も目が覚める、トイレに起きる。暑くもないのに汗をかいたり、あまり気づかないが喉や胸につかえを感じて呼吸が浅くなったりする。寝起きなのに肩が凝り固まっている。こうした症状も、過緊張が原因とされる。
そんな過緊張や早朝覚醒、不眠などを解消しようと仕事のペースをゆるめると、途端に仕事に綻びが起きる。まぁ当たり前っちゃ当たり前か。元々ペースをゆるめた自分が悪いので誰のせいでもない。自己嫌悪に陥る。でもまたペースを戻すと過緊張・早朝覚醒・不眠が戻ってきて疲れ切ってしまう。この悪循環をどうすればいいのか、わりと思考停止な昨今。ちょっと悩み深い。
みんなが楽しんでいる空間に身を置いて(会食とか観劇とか)ポジの「気」をもらおうと試みるが、その効果も数時間かな。まぁそれでもないよりマシなのでなるべくそういう場所に行くようにしているが、だんだんこれ自体も疲れの原因になりつつあるかも。んー、悪循環のまま年末へ。
「今思えば軽々しく使っていた」
2008年12月04日(木) 7:57:34
わりと「生と死」についてよく考える方ではあると思うが、情けないもので、身近にそういうことが起こらないとどこかで真剣になるのを「先延ばし」にしてしまっている自分がいる。というか、身近にそういうことが起こるとまた急に真剣に考えるようになる。
先週、同期が亡くなった。
9月まで元気に働いていたのに、急に病に倒れ、それからたった3ヶ月。
たいして親しい男ではなかったが、さすがに身につまされる。毎朝のように「今日なのかな、小鳥さん? 今日かい?」とかつぶやいているくせに、心のどこかで「今日じゃないだろう」と高をくくっているのを誰かに見透かされた気分。
保釈された小室哲哉氏がこんなことを言っていた。
保釈会見で「人生をリセットし、再出発を図るチャンスを与えてもらった」と感謝の言葉を口にしたあとのひと言。
「曲の歌詞でチャンスという言葉をよく使ったが、今思えば軽々しく使っていた」
今思えば軽々しく使っていた…。今思えば軽々しく考えていた…。死の間際にそう思わないために、人生をしっかり立て直そう。最近あまりに慌ただしくてちゃんと「生きて」いない。ひとりでゆっくり思索する時間すらまったく取れていない。
モニター前な1日
2008年12月02日(火) 8:03:07
昨日は朝10時から夜9時までずぅっと企画書を書いていた。
会議の予定も入れず、企画書作成用に1日開けておいた日なのだが、昼ご飯もお弁当買ってきてパソコン・モニター前から離れないという徹底ぶり。約11時間ずぅっとモニター前。途中何度か企画書をプリントアウトしてデスクに広げて構成を俯瞰して眺めたり、ブツブツつぶやきながらフロアを歩き回って考えたりはしたが、後はほとんどモニター前を離れなかった。
あ、「18時半に東京タワーが新しいデザインでライトアップされる」と朝のニュースで聞いていたので、そのときだけ東京タワーが見える窓際へ行ったな。なかなか素晴らしかった。それと後輩の「ちょっと愚痴聞いてくれますか?」にも30分ほどつきあったっけ。興味深い&同情した。でもそれ以外はずぅっとモニター前。
切羽詰まった企画が中心だったこともあり、11時間なんとか集中力が保ったが、9時に終わったときはモニター酔いでクラクラだった。歩いていてもフラフラと左右によろめく。とりあえずワインでも飲まんとやってられんと友人と気楽なイタリアンに行った。「疲れがとれる白ワインを!」と無理な注文をしたのだが、アルト・アディジェのリースリングを出してくれた。あぁこのすっきりした酸味。疲れが霧散するよ、ありがとう。おまけに料理は「トルテリーニ・イン・ブロード」を勧められた。仔牛と鶏のレバーを包んだ小さいラビオリがブロードに浮かんでいる。これまた疲れがとれるし温まる。ありがとう。
今朝起きたら頭と目と肩と手が痛い。すべてモニターの見過ぎ&キーボード打ちすぎを原因とする。あかんなぁ。1日ムリをすると悪影響が数日続く年齢だ。どうして学習しないかな。まぁ今日はモニターを見るヒマもなく会議会議会議の日なのだが。これまた極端な1日になる予定。
天野祐吉著「広告も変わったねぇ。」
2008年12月01日(月) 5:28:15

僭越ながらボクも対談に登場させていただいている本「広告も変わったねぇ。 〜「ぼくと広告批評」と「広告の転形期」についてお話しします。」(天野祐吉著/インプレスジャパン/1764円)が、先週末から書店に並んでいます。
雑誌「広告批評」の社主としても、コラムニストとしても有名な天野祐吉さんが、広告業界の5人と対談したものをまとめた本で、対談相手は、順に、杉山恒太郎さん、中島信也さん、ボク、伊藤直樹さん、谷山雅計さん。
すいません。大先輩やスターたちの中ではっきり言って浮いてます。企画した出版プランナーの松永光弘さんに何度も固辞させていただいたんだけど、最終的には押し切られてしまいました。重荷だったなぁ。対談は8月。まぁ緊張した緊張した(→その日のさなメモ)。天野さんも後書きで書いているけど、モノローグの方が楽なんだよね。論を好きに展開できるから。でも対談は出たとこ勝負。人間の薄っぺらさも勉強の足りなさも全部出てしまう。怖い怖い。
ということで、あまり読まれたくない気持ちもありますが、書店で見かけたら手にとってみてください。
対談以外にもボクにとって「初めてのこと」がもうひとつあります。他人の本だし、専門分野の本だし、断り切れなかった。うーむ、という感じ。
ハチャメチャ食べで立ち直る
2008年11月27日(木) 7:37:35
昨日は600人規模の会議でスピーチ。
新聞大会や雑誌大会を経て、もういい加減場馴れしたからアドリブっぽく話せるのではないか、という「自分に対する淡い期待とテスト」的な考えで、あまり下準備せず臨んでみた。でも、この600人、全員我が社の部長以上、社長までのほぼすべての幹部がいる会議である。登壇した途端「ぞわぞわぞわぞわ」とアガリ虫が足下から這い上がってくる(笑) うわー、この感覚久しぶり!と楽しむ余裕はもちろんなく、しかもスピーチ冒頭で噛んでしまい、頭の中が真っ白に。「あー、何を語っているかわからなくなってきた…」と冷静に見ている自分を意識しつつ、論があっちゃこっちゃ行ってしまう。結局たいして場馴れなんかしていなかったことを確認。一歩進んで二歩下がる。
途中からさすがになんとか立ち直り、普通に展開できたが、ポイントだと思っていた論をしゃべり忘れるという残念な結果に。終わってから「話にちょっと矛盾があったよ」というご指摘も。くぅー。自分的には50点の出来かな。しばし落ち込む。
午後は社外で大きめのプレゼン。
午前中の50点を引きずらないように、とだけ自分に言い聞かせて話した。といっても、ほとんどを同僚が話してくれ、ボクは途中からのクリエーティブパートを話しただけ。このしゃべりはまぁ無難にこなせたと思うけど、質疑応答での難解な質問に柔軟に答えられず、これまたなんだか残念な感じに。
嗚呼なんとも残念な一日だったなぁ…。
ただ、夜は「断れない先輩」から急に誘われ、そーとー無理矢理な夜飯ハシゴになった。そして、文化も余韻も何もないようなそのハシゴ具合に逆に少し立ち直ったのだった。
だって1軒目で「ヒレ酒4杯」に「クジラの尾の身」に「クジラのステーキ」に「はりはり鍋」を食べて腹一杯になったのに、2軒目としてローマピザの店に行って「白ワイン3杯」に「オリーブ」に「ピザ2枚」を食べたのだよ?
はりはり鍋を食べながら「あのさー、次、たまねぎだけを使ったピザ食べに行かない? うまいんだよねー」と言われたときはさすがに仰け反った。先輩は60歳。負けた。というか、その流れのハチャメチャさにちょっと感動した。
ハチャメチャ食べは立ち直るのに最適。少なくともボクは。しかも二軒とも絶大にうまかった。昼間の残念さが遠く感じられる。落ち込みも遠く感じられる。結果的にはありがたいお誘いだった。実に助かった。
後日、後日
2008年11月26日(水) 6:53:25
昨晩は仕事を4時間抜け出してTEAM NACSフィルムツアー「N43°」(メンバーによるアフタートークつき)を観に行った。
余裕がないので観劇感想は後日。端的に言えば「メンバーそれぞれバラバラにショートフィルムを作ったのに、ちゃんと5つの作品がつながってひとつの作品になっているところがすごい」。いや、内容もテイストもほんとバラバラなんですけどね。ま、後日。
で、観劇終了後、23時に都内某所で集合して会議。25時すぎに都内別所にて会議。そして今日は朝9時から600人規模の大きな会議でスピーチ。昼から大きめのプレゼン。と、なかなか厳しいスケジュール。でもまぁ今日を乗りきればナントカコウトカ…。
深夜仕事を終えて、朝方に乗ったタクシーが怖かった。
PSP(プレステ・ポータブル)がダッシュボードに立てて設置してある。PSPでテレビを観るソフトがあるでしょ、あれを使ってテレビのワンセグ放送を観ながら走っているのだ。
まぁカーナビとかでテレビつけっぱなしのタクシーは多い。でも、あれは運転席の左下、ハンドルの左の方に画面がある。走ってる間は首をひねらないと画面は見えない。でもこのタクシーは違う。ハンドルの真後ろ延長線上のダッシュボードに設置してあるのだ。運転手の視界のほぼど真ん中。PSPが邪魔でフロントノーズなんか見えない位置。うわ〜。
これ、完璧に「ながら運転」である。どう運転しても視界にテレビが入る。ちゃんと道路を見てる、と主張しようがなんだろうが、テレビ画面が盛り上がったらどうしてもテレビを観てしまう位置。しかも音も消音していない。後部座席に座っているボクが問題なく聞き取れる大きさで流している。注意力散漫のお手本みたいな運転じゃないか。
さすがに注意しようと思ったが、スキンヘッドに白いメガネの若い運転手。ちょっと怖い。
運転で事故るのも怖いが、運転手とのトラブルも怖い。いまどき何をされるかわからないからな…。
せめてと思いタクシー会社と運転手の名前はメモった。これは言わねば。
ただ、うっかり家の前につけてしまったので、自宅を知られているという弱みがある。情けないが、変に恨まれてもなぁとか、思わず慎重になってしまうご時世だ。ま、これも後日に判断しよう。今日は脳味噌の余裕がない。後日、後日…。
生きて在る価値
2008年11月24日(月) 7:48:17
昨日の結婚式&披露宴は六本木ヒルズの51階、ヒルズクラブで行われた。
話題の新ビルというのに全く興味がないボクは、六本木ヒルズにもほとんど出入りしない(まぁ六本木ヒルズが新ビルだったのはずいぶん前だが)。有名社長への直接プレゼンのためにヒルズクラブに呼ばれたことが一度。J-WAVEに出演するために訪れたことが一度。それだけ。それらのときもその景色には目を奪われたものの、ビルの設計や内装のセンスなんかに対しては「だっさ」と思っただけであった。プレゼンのときなんかはまだこのビルも出来たばかりだったのだが、すでに格好悪かった。
ボクはたぶん、結果として時代の流れに乗ったのではなく、「時代の流れに乗ろうとプロデュースされた建造物」が嫌いなのである。その時代の格好よさを目指して、どこかその時代に媚びて作られた物は、それはそれは急速に格好悪くなる。時代に消費されるスピードが尋常ではない。賞味期限が短いのだ。この六本木ヒルズというのはその象徴みたいなビルディングだと思う。設計・プロデュースされた頃にはほんの一瞬だけ格好よかった。でも竣工した頃にはもう格好悪くなっていた。他にも評判の悪い奇抜な建造物はいろいろあるが、チカラがある建築家が造った物はちゃんと内部に「普遍」を湛えている。そこが違う。
と、ビル自体は大嫌いなボクであるが、中で行われた宴はとても普遍的ないいものであった。
新郎新婦とともにその赤ちゃんも出席した披露宴で、すでに新生活が始まってから長い、ということもあり、なんだかとてもアットホーム。いわゆるひな壇もなく、ボクなんか新郎新婦と同じテーブルであった。こういう披露宴も初めて。というか、ご親族の方々を除くとほぼ最年長。これはショックだったなぁ。最年長だよ、最年長。
でも、その赤ちゃん(一歳半)が異様に可愛くてまいった。
長い宴に一度もぐずらず、騒がない。ずっと静かに機嫌がよいのだ。しかも、カメラを向けるとちゃんとカメラ目線になり、まばたきもせずじっとレンズを見つめ、タイミングよく笑う(これが本当にすごい)。会場を歩き回り愛嬌を振りまく。出し物のマジックにもタイミングよく絡む。天才かと思ったよ。
もともと、ボクがやっていたあるプロジェクトがきっかけで結ばれたふたりである。あの仕事がなければこのふたりも出会わず、この赤ちゃんも存在していなかったのだなぁ…。こういうのを「偶然」とは呼ばず「縁」と呼ぶ。数十億分の一の確率の「糸」が複雑に絡み合う。
それにしても。
自分が意図しないところで、自分からは見えないところで、自分の人生が他の人生に影響を与え、それがつながっていく。生きて在る価値とは意外とそんなところにあるのかもしれない。目に見えてるほんの表層でくよくよ悩むではないぞよ、自分。
キャスティング
2008年11月22日(土) 9:17:03
昨晩はタレント選定の長い会議。
ある商品のCMを作っているのだが、絵コンテはだいたい出来たものの、役者がなかなか決まらない。もうそろそろ決めないと先に進めない。キャスティングの会社の方も呼んで一気に固める覚悟で。
会議ではボクがダントツに年上だ。
でも、いまの若手俳優とかを(他の若い参加者たちと比べても)自分が意外と知っていることに気づく。娘がいるおかげかな。録画したドラマとかをちょこちょこ見ているのだ。だから「あのドラマの○○役をやっていた男子がいいかも」とか発言できる。そうするとキャスティング会社の方が「それは△△くんですね」とすかさず名前を言ってくれ、その場でノートパソコンで検索して顔写真を映しだし、プリントアウトして壁に貼る。快調に会議が進む。もちろんボクが知らない若手俳優も多い。顔写真を見たり、YouTubeで演技やインタビュー動画を見たりして選定していく。便利な時代だなぁ。昔ならいちいちビデオとかを取り寄せていた。
3人の役者を組み合わせて使おうとしているのだが、ひとりならイイと思った役者が、3人並べるとバランス的に悪くなったり、他の役者に飲まれちゃったり。かといって、いい役者ばかり並べると逆に普通っぽくなっちゃったり、違和感ない3人にしちゃうとインパクトがなくなっちゃったり。「この人!」と決定的と思った役者を思いついても、すでに競合他社に出演していたり。キャスティングという仕事って楽しいけど相当パズルちっく。いいキャスティングってCMや映画やドラマのキモだもんなぁ。
最終的にはとてもいい組み合わせが二組できた。と、思う。
絵コンテを見ながら、この3人が動くところを具体的にイメージする。セリフが少しずつ変わっていく。この過程もなかなか面白い。紙の上の絵が急に動き出すのだ。
10年以上前は毎日のようにCMコンテを描いていた。ボクはキャンペーン全体を設計する方が得意で、CM企画はそんなに得意ではないのだけれど(天才みたいにうまい人がまわりにたくさんいるし)、やっぱりなかなか楽しいな。しかも後輩たちがみんな優秀で上手にまとめてくれる。いい空気が流れている。
ヌーベルな日本料理って?
2008年11月17日(月) 21:49:16
そういえば、昨日書いた雑誌国際会議でパネリストをしてくださったブライトコーブのアダムさんが「日曜まで日本にいるのでどこかおいしい店を教えて下さい」と言ってきた。間に立ってボクを紹介してくれた人が「この男は東京の店にちょっとくわしい」と吹き込んだらしい。希望は「ヌーベルな日本料理が食べたい」というもの。
「ってことはクラシックな日本料理はもういろいろ食べたということ?」と、たどたどしい英語で聞いたら、「はい、だいたい食べました」と言う。どうやら日本料理ファンでずいぶん食べ込んでいる模様。「鮨とか天ぷらとかのジャンルものも食べた?」「わりと食べてます」「ふーん」「だから、もっとヌーベルな日本料理が食べたいのです」「なるほど…」
ヌーベルな日本料理。いくらでも思いつきそうだ。
でも改めて頭の中を検索してみても意外とヒットしてこない。最近では気の利いた割烹はたいていちょっと小洒落たワザを効かす。クラシックとモダンを組み合わせるメニューも多い。フュージョンっぽい店も増えている。でもそれらが「ヌーベル」かと言われるとちょっと違う気がする。そういう表面的な小技ではなくて、もっと潮流的な何かを呼ぶはず。心棒が一本未来に向かって伸びているような、一貫性という背骨が通っているような。
まぁアダムさんもそこまで根本的な質問をしたのではないだろうとわかりつつ、悩みに悩んで、結局「表面的にヌーベルなもので勘弁してもらおう」と数店リストアップしてメールした。店の内装と盛りつけがモダン。料理も工夫が効いた良質なもの。クラシカルな日本料理にはとても見えないし根っこも違う。ヌーベルと言えばヌーベルだ。でも問題はボクがその手の料理をあまり好きではないということ。好きでもない料理を人に勧めるのってなんだか辛いな。
ヌーベルな日本料理って何だろう。まぁボクが無知なだけかもしれないけど、少し自分の中で発酵させるテーマにしてみたい。
アジア太平洋デジタル雑誌国際会議
2008年11月16日(日) 20:52:37
おとといの金曜日、国際雑誌連合と日本雑誌協会が主催する「第1回アジア太平洋デジタル雑誌国際会議」のパネル・ディスカッションにモデレーター(司会というか、いわゆる田原総一朗役ですね)として参加してきた。
3日かけていろんな講演やディスカッションがある大きなカンファレンスである。日本の出版社はほぼすべて参加したんじゃないかな。場所はホテル・ニューオータニの鶴の間。でかい会場だ。かなりチカラが入っている模様。
大会テーマは「紙とデジタルの融合」。
デジタルへの対応が大きく遅れた雑誌業界がようやく真剣に焦りだしたということか。ちょっと遅い。でもどんな競争でもそうだが、遅れたなら遅れたなりの闘い方がある。出遅れた、ということをちゃんと意識すれば効率的に近道を通れると思う。
ただ、例によってボクは門外漢である。そういう大雑把な話は出来てもくわしい話など全然ムリ。メディアとしての雑誌の現状についてしっかり把握しているわけではない。
たぶん、新聞大会に呼ばれたのと同じ理由、つまり、拙著「明日の広告」で既存マスメディアを肯定的に捉えたことが呼ばれた理由なんだろう。まぁその手のことを大雑把に話すならイイですよ、と、わりと軽い気持ちで受けたのだが、フタを開けたらパネル・ディスカッションの司会役だった(泣)。司会なんて生まれて初めてだし、司会が無知だと話にならないからある程度勉強しないといけないし、しかもパネリストがアメリカ人らしいから和やかなディスカッションにはなりにくいし(同時通訳はつくけど)、直前になってから構成にかなり悩んだ。そのうえパネリストのお三方は、ケータイ広告と、アドネットワークと、動画テクノロジー、という三社で、共通点がほとんどない。これをいったいどうまとめろと……(泣)
与えられたテーマは「デジタル広告の未来を探る」。
分科会ではあったが、使用会場は一番大きな鶴の間で、聴衆は数百人。モデレーターはボク。パネリストは以下のお三方。デジタル最前線の方々だ。
藤田明久氏(D2C社長)日本
Ralf Hirt氏(glam media VP)アメリカ
Adam Berrey氏(brightcove SVP)アメリカ
ボクはネットをさんざんやったあげく、いまは一周回って「紙メディアとしての雑誌 応援論者」的になっている(新聞も同じく)。
コミュニケーション・デザインの観点から言ったら、すべてのメディアが共存する方が面白い未来になるわけで、雑誌業界が変に自信を失って迷走し、「紙」という魅力的なメディアの価値を自ら貶めることは、雑誌業界にとっても、生活者にとっても、望ましくないと考えるスタンス。まずは紙としてのメディア価値を最大化しようよと思う。いまの「変化した消費者」に対応してメディア価値を最大化してもいないのに、闇雲にデジタルへの道を進んでも、そこには怖いデジタルの虎たちが待ち受けているだけ。食べられちゃうよ?
とはいえ「そういう意見を講演しろ」という依頼ならまだしも、今回は司会である。デジタルの最前線で闘うお三方の意見を聞いて、論をまとめていく役回りだ。んーどうしよう……。あ、そうだ! いっそのことデジタルの旗手たちに、紙メディアとしての雑誌に対しての提言をしてもらっちゃうのはどうだ?
と、いうことで、そうしました(笑)
与えられた75分のうち、前半は三社のプレゼンテーションとそれに対するボクの質問。後半はデジタル側から見た紙メディアとしての雑誌の可能性・かなう部分かなわない部分・雑誌の未来像などを聞いていくことにした。
え? いったいどこが「デジタル広告の未来を探る」なのかって? いやいや、アナログ側の人間があーだこーだ未来を予想するより、デジタル側からの分析を聞いた方が早いですからね。それこそが「探る」でしょう。
アメリカ人のおふたりは多少「デジタル至上主義」な部分があったので少し論点が一方的になったが、D2Cの藤田社長(たまたま高校の後輩だった)はポイントをわかってくれてとてもいい提言をしてくれた。最終的には三社ともに「雑誌の未来は明るいのではないか? やりかたによっては」みたいな感じに結ばれた。まぁまぁのまとまりだったかも。
なんつうか、その昔、まだ「大衆」という言葉がまだあったころ、大衆である生活者は逆に「個性」を目指し、「個」に生きることがもてはやされたんだけど、少衆、分衆を経て「個」の時代になった今、人々は逆に「共有してつながる」ことに快感を覚え、孤立を嫌う傾向にある。
このように、生活者は時代の流れに大きく影響されながら生きている以上、たとえばデジタルが空気みたいに普通のものになった時代においてはアナログの良さ、紙の良さが見直され、もてはやされることも充分ありえるとボクは思うわけで。
雑誌は問題山積でこのままではダメだと思うけど、変化はチャンス、雑誌にしか出来ない「強み」を整理し、選択し、集中し、より魅力的に生まれ変わって欲しいな、とか。一生活者としての素直な思うです。
あー、でも、なんだか異様に疲れた。
公の場での司会って、こんなに疲れるんだなぁ。司会者やインタビュアーの苦労がわかったのが今回の収穫かも。話すこと少なそうだからもっとずっと楽かと思っていたよ。いろんな経験をすればするほど、周りの人への敬意が増すよ。イヤほんと。
三連休ではあるが
2008年11月01日(土) 12:24:21
さきおとといの17時すぎに受けた「一週間後にプレゼン」という仕事。
翌朝おとといの午前中にスタッフを選んで一緒に打ち合わせ。その後社外スタッフも入れて昨日打ち合わせ。少し感じが掴めてきたのが昨日の夜遅く。だいたいこんな方向かなぁ…。でも土日月と三連休なことを忘れていた(!)。三連休あけたらもう火曜じゃん。水曜がプレゼンなので火曜に一気にまとめないといけないじゃん。実質あと一日しか営業日ないじゃん!
とか焦っていたら、営業さんが「クライアントに根回ししたいので、火曜には完成したものが欲しい」と。
ねぇねぇ、三連休あけの午後には完成品が欲しいってさ、それって三連休仕事してなんとかまとめろ、と言いたいわけ? ボクはそういう非人間的な仕事は受けません。というかもともと泣き落とし的に頼んできた仕事なのにそんな無理がよく言えるね。だいたい直前にそんなこと言ってスタッフに三連休の予定があったらどうするのよ。と怒った。ら、横にいたスタッフたちがのほほんと「三連休、仕事しますよ?」と普通に言いやがる。おーい。ちゃんと休もうよー。そういう仕事スタイルやめようよー。つか、要するに自分の三連休がつぶれるのが痛いだけだったりもするんだけど、でもさ、人生を仕事に牛耳られるのだけはやめようよー…。
実はこの三連休、沖縄に行く予定であった。
遊びではなく個人プロジェクトの件だったのだが、それが数日前に先方の都合で中止になり、だったら久しぶりにとことん休もう!と思っていたのである。先週も連休できなかったしね。
まぁそういう意味ではこの土日月の予定はない。予定はない。予定はないがっ。休みたいのだっ。もうカラダがそろそろ限界なのだっ。キミたち30代とは違うのだっ。
結局理不尽に押し切られ、三連休は企画と打ち合わせとまとめに。
ただ、ボクが怒ったことを受け、火曜日の根回しは「できたらする」程度になった。でもまぁ考えたら水曜プレゼンということは、火曜にはそこそこ出来ていないといけないし、結局三連休のどこかでは集まって完成させないといけないだろう。あぁ連続で休みてぇ。
と、愚痴から始まった三連休。
三日全部は休めはしないが、11月中旬はもっと忙しくなりそうなので、貴重な休日だ。ダラダラと「ダメ人間」に徹してカラダをひたすら休めよう。ということで、おやすみなさい(堂々の三度寝へ)。
また修羅場か…
2008年10月30日(木) 6:51:01
今日はプレゼンがひとつあり、別のクライアントにも提出ドキュメントがひとつあり、両方ともわりと重いのでスタッフの多くが昨日の晩から徹夜している。
ボクもメールなどで途切れ途切れに参加。
徹夜は若いときに死ぬほどやったので、もう若手に任せてつきあわないことにしているが、どうしても「みんなが起きているのに自分だけ寝てて申し訳ない」という後ろめたさが残る。昔のボクの上司みたいに「あとはよろしく〜!」と後ろめたさなくサッサと帰り、翌朝、徹夜した人の気持ちなんか考えずに「ここ出来てないじゃん。やり直し〜」とヌケヌケと言える神経を身につけるべきなのか。仕事とはそういうもんなのだ、という気もするし、今の若者はそれでは動かない、という気もする。
まぁプレゼン前日に徹夜しなくていいようにスケジュール管理する、というのが一番なのだが…。
ちなみに、今日のこのふたつを終えると少し山を越えるはずだったのだが、昨日の17時すぎにふたつ続けて新しい仕事が入った。ひとつは一週間後の小プレゼン。もうひとつは一ヶ月後の大プレゼン。嗚呼また修羅場か…。「しばらくは少しだけ楽になるぞ」と喜んでいた矢先だったので、ちょっとショック。いや、かなりショック。
聴衆によってまったく反応が違う
2008年10月28日(火) 8:16:07
昨日の午前中は某クライアントにて講演。150人くらい集まってくださり、なんとか2時間話しきった。
ここ半年、40以上の講演をこなしてきたが「講演は聴衆次第」ということがようやく実感できてきた。
というか、最近やっと余裕ができてきて、一方的ではなくインタラクティブに話ができるようになってきたのだろう。聴衆に合わせて微調整することができるようになった。余裕がないころは聴衆の反応に関係なく一本道をひたすら走るような講演内容だった。いまはいろいろ寄り道しつつ「どのゴールを目指そうかな」と考えながら話をしている。
それにしても聴衆って本当にそれぞれ違う。
同じ話をしても、同じ動画を見せても、聴衆によってまったく反応が違う。思いも寄らない場所で笑いが出たり、いつもウケる場所でウケなかったり。 もちろんボクの話し方も日によってムラがあるわけで、その影響も大きいだろうけど、土地柄・社風・年齢層・男女比・時間帯などによって意外なほど大きく反応が違うのを肌で感じる。
昨日はびっくりするようなところで笑いや反応が出て面白かった。へー、ここでドワッとくるか、みたいな。全体にとても明るい。実に風通しのいい社風であることがよくわかる。なるほどこういう社風の会社なんだなぁと講演をしてみて初めてわかった感じ。
話し終わって質疑応答の時間になり、最初にされた質問は「講演に関係ないんですけど、ブログ読んでます。さとなおさんの生きる目標ってなんですか?」だった(笑)。会場が揺れる。明るい会社だなぁ。その空気に乗らせてもらって「というか、答えたくない」と失礼にも言い切るワタクシ。また会場が揺れる。笑いで講演が終わった。よかったよかった。
お役に立てたかどうかはわからないが、講演のやり方といい(アドリブ式にした)、自分のリラックスの仕方といい、やっぱり新聞大会での経験がとても役にたっている。あれに比べればたいていのプレッシャーは克服できる。厳しい山を乗り越えるってやっぱり大事だな、と実感。ありがたい経験をさせてもらったなぁ。大失敗していたら人生の汚点として記憶されただろうから、結果論ではあるけれど。
マジすか
2008年10月26日(日) 10:36:05
ちょっと前のことだが、打ち合わせを終えてラストオーダー間際の店に入った。
10年ぶりくらいに来た店であったが、なかなか美味しく食べ、いつしか店内はボクたちだけに。じゃ、帰ろうかなと店を出ようとした瞬間、厨房の方で大きくお皿が割れる音。ガッシャーン! もう客がいないと油断したのか、店員が大きめの声でしゃべっている。
「オマエ、何やってんだよ〜、気をつけろよ」
「スイマセーン」
「あのな、皿の持ち方、いい加減覚えろよ」
「マジすか」
「マジすかじゃねぇ!」
いや、たいしたエピソードじゃないんだけど、「マジすか」の使い方が妙にツボで、同行者と大笑いした。
というか、若者の間で「普通に」や「やばい」の意味が拡散していい意味にも使われるようになったように、「マジすか」の意味も多少変化してる? 「やっぱりそうですか」程度の軽いポジティブ・ニュアンスで若者が「マジすか」を使い始めてる?
いずれにしても、「マジすか」って明治時代の人が見たら日本語と思わないだろうな。マジ=真面目、すか=ですか、と分解できないだろう上に、できたとしても「真面目ですか」っていう文章も相当理解不能。正確に言うと「『マジ』メにで『すか』」の略だろうけど。この言葉の裏にある「ウソ!」みたいなニュアンス、そして「やっぱり?」みたいなもっと高度なニュアンスを明治人が理解できるとはとても思えない。
ま、こんなことを思い出したのも、昨日仕事の電話をしていて、小さなお願いを後輩にしたら「マジすか」と言われたせい。「マジだよ」と普通に答えたが、あそこは「マジすかじゃねぇ!」と叫ぶべきだったかな。それとも「やっぱりそうですか」的に軽く言ったと解釈して流して良かったのか。まぁよくわからんな。
せっかくの2日連休が!
2008年10月25日(土) 14:16:31
超久しぶりに土日連続で休める予定だった。このところの疲労の溜まり具合が尋常ではなかったので、もうホント待ちに待ったという感じの2日連休。
とはいえ相変わらずの早朝覚醒で、今朝は土曜なのに5時すぎに目が覚め、何の気無しに仕事メールを開いたら、あらら、なんだかトラブルの模様。むぅぅぅと読んで、返事を書き、いやこれは直接話さないとどうやらまずいと思い直して朝8時になるのを待って各方面に電話(休日なのにスイマセン)。急いで収束をはかったが、結局明日の日曜は出社と相成ってしまった。あーせっかくの2日連休が!
まぁでもとりあえず今日は寝ようと二度寝するも1時間くらいで目が覚めてしまう。いろいろ心配事項が思い浮かぶのが原因。なんだか自分で企画書書いたりした方が楽だな。後輩の育成が急務なのでそれも兼ねて「任せる」という姿勢で臨んでいるのだが、自分でやらない分、心配ばかりが先に立つ。でも任せないと後輩は伸びない。毎度のことながら「任せる」というのは胆力のいる作業だ。
もう自分でやっちゃう!と一瞬だけ決断してパワポを書き始めたけど、やっぱり止めた。ここまで任せてきたのに、ここでボクが手を出したら逆効果。ディレクションだけして、あとは「任せる」。ストレス溜まるのでジャンク・フードをぽりぽり食べる。ストレス食べ。よくないなぁ。あぁストレス解消したい。
青臭さを失わない友人
2008年10月24日(金) 8:28:03
「La BOMBANCE」で仕事仲間と夕食。
店名はフランス語で「ご馳走」。フレンチ・レストランのようだが和食である。でもフレンチっぽいエッセンスも入っている料理群。日本酒で通したが、フォアグラのソテーに合わせて「醸し人 九平次」をリーデルの大きなグラスで出してくれ、これが料理とよく合った。リーデルで冷酒。おいしいな。
仕事仲間は元同期で、若くして独立し、プロダクションを長く経営している(彼のブログ。他の社員もたまに書いているようだが)。
お互い50歳を数年後に控えて、人生をどうするか、なにを削ぎ落としてなにを残すか、などが話の中心になってくる。広告業界を元気にするにはどうすればいいか、そのために自分たちができることはなにか、なんかも周辺話題としてわりと熱く。そして青臭く。
青臭さを失わない友人がいることは貴重だ。
実はこの青臭さが邪魔になり、昔はお互い仲が悪かった。というかボクが避けていたと言った方が正確か。でもいつしか仲良くなり今に至る。彼は若いときから優秀で有名なアート・ディレクターで、ギラギラした目で派手な仕事をしていた。ボクは彼と親しくなる将来なんかあるとは思っていなかった。親しくなったのは何のきっかけだったかな。今では思い出せない。でもボクが自分のすべきことをようやく理解したころだったと思う。早熟な彼。晩熟なボク。交差した一瞬。
いまでは同期で一番親しいに近い。不思議なもんである。水と油みたいに遠い関係だと思っていたのにな。
たぶんこれから10年20年、他にも「思いもよらない人」と仲良くなるのだろう。その人はいまどこでなにをやっているのか。どう交差してどう親しくなるのか。そう思うと生きていくのがチョット楽しみ。
生涯忘れることはないでしょう
2008年10月22日(水) 7:55:45
博多でのふたつめの講演はグループ会社でのものだったので少々アジってみた。アジる。死語かな。アジテーションですね。危機感の共有と明るい未来への展望。不況時をどう乗りきるのか。その具体的な方法は。などなど。広告を暗くしているのは自分たちなのだ、という自覚が足りない。どこかで他人事。もっと焦ろうよ。みたいに煽った。
2時間ぶっ続けで話した後、弁当を食べながら1時間30分の質疑応答。質疑応答がここまで長かったのは初めてだが、逆に「みんなどこを悩んでいるのか」がよく見えて参考になった。なるほど。次回の講演ではこの辺も活かしてみよう。
終了後すぐ空港に向かい東京へ。札幌・秋田・博多と渡り歩いたが東京が一番寒い。札幌か。新聞大会もずいぶん遠くに感じるな。でも先週の今日だったんだよな。
一度家に帰って用事を済ませた後、仕事場へ。
途中、aikoの「カブトムシ」に出てくる男性は死んでしまうのかどうかの議論になる(どんな仕事や)。ボクは背景にどこか「死」を感じるが、それは単に「終わりの予感」かもしれない。いずれにしても「いまが一番大切」なのことは確か。そういえばこのごろ「生涯忘れることはないでしょう」と思うことが増えた。人生も後半戦に入り、死を意識することが増えたからだろうか。
最近、地方でがんばる若者と話をしているときが一番楽しい。東京出身のボクが大阪という「地方」に配属になって感じた当時の気持ちをリアルに思い出し、とても応援したくなる。言っておくけど若いときは地方にいた方がいいよ。東京だと部品になる。地方だとエンジンになれる。エンジンの経験はキミを飛躍的に成長させる。
ヒコーキに乗っている間、自分が本当にやりたいことは何なのだろうとずっと考えていた。やりたいこと、ちょっと前まで掴んでいたんだけどな。またこのごろ少し揺らいでいる。何なのかな。人生あと約30年。そろそろ道を定めないと。「選ばなかったから失うのだ」と、あとで歌わなくてもいいように。
ありがとう、新聞大会
2008年10月17日(金) 7:08:41
昨日、ホテルから出る直前に慌ただしく更新したときに、新聞に顔写真が出ているとなにげなく書いてしまい、いろんな意味でちょっと後悔しながらヒコーキ乗っていた…。んー、まぁ仕方ないか。でもなんか居心地悪いなぁ…。
ま、それはともかく新聞大会。
超大規模の大会だったけど、終わってみれば「数ヶ月も緊張しつづける必要はなかったかな」って印象。でもそれはなんとかうまくいったから。やはりパネリストも聴衆も社長+幹部だらけ、というのは異様であった。地方紙の社長や幹部ってその地方の名士でもあるし、うちの社長・会長・役員たちも来ているし、だいたい50代60代の男性だらけの聴衆っていうのも経験がない。どういう話題でどういうウケ方をするのか、どのくらい噛み砕けばいいのか、まったく未知数…。
しかも講演ではなくパネル・ディスカッション。講演の場合、自分のペースで話していけるが、パネリストはペースを勝手に作れない。いったいどうなるのだろう…。
午前中は札幌交響楽団(尾高忠明指揮)の演奏。ランチ後は神田山陽のスピーチ(すげー面白かった)。で、基調講演をエコノミストの浜矩子さんが1時間しゃべったあと、いよいよわれわれの出番である。
パネリストは朝日新聞社・秋山耿太郎社長、新潟日報社・高橋道映社長、西日本新聞社・川崎隆生社長、そしてボク。コーディネーター(司会)は北海道新聞社・菊池育夫社長。
舞台の上からの景色はなかなか壮観。オジサンばっかりだー。
「舞台上からこの景色を写真撮ったら怒られるかな」とか思いつつ、アレ?意外とあがってないや、とも思う。講演だと舞台にあがった途端になにかしゃべりださないといけないので落ち着く暇がなく、それが「頭の中真っ白」につながるのだが、パネリストだと司会役が話しをしているうちに会場を隅から隅まで眺められ、現状把握に時間をかけられる。だからなんとなく落ち着ける。
意外と落ち着いている自分にホッとしつつ、しゃべる順番が来るのを待つ。
このパネル・ディスカッション、テーマを「広告」「編集」「販売」「ウェブ」「協調」「企業モデル」の6つに設定し、新聞の現状と未来について、パネリスト全員がそれぞれ5分強ずつ話しをしていく形式。ボクは「広告」と「ウェブ」に関しては専門なので、15分くらい話すように言われていた。あとは他の方と同じく5分強ずつ。つまりひとりで50分くらい割り当てられている。
ボクに求められているのは新聞業界の外からの忌憚なき意見である。いろいろ考えた末、とかく暗い話題ばかりの新聞業界なので、とにかく明るい未来の話をしてやろうと心に決めた。要は考え方で、明るい側面から考えていけばいくらでも明るい切り口は出てくる。綿密に予習をしていく間に「新聞業界の明日は意外と明るい」と思える切り口もいくつか出てきた。そこらをどんどん話していこう…。
最初のテーマは「広告」。
ボクの専門テーマだし、15分しゃべらないといけない。予習はしっかりやったのでしゃべる内容は大丈夫。あとはひと言目。冒頭の1分をゆっくり上手に話し出せさえすれば……と思っているうちに、ボクのひとり前の朝日新聞の秋山社長のスピーチが始まった。
ら、彼はボクの著書「明日の広告」を取り出して、「佐藤さんの本を読んだんですけど、この本にはこう書いてありまして」とボクの本の内容をしゃべりだしたのだ。うわっ、そ、それってボクがしゃべる内容なんですけど!(驚)。で、どんどん引用した上で「この辺について佐藤さんのお話を興味深くお待ちしたいと思います」と結んだのだ(泣)
なに〜!
ボクのしゃべることずいぶん話してしまったし! 用意してあった冒頭の数行も使えないし! ど、どうする !?
少しパニックになりかけたが、ここで思わずマイクに向かって「ひ、ひどい…」とつぶやいたことで、会場がワハハと揺れた(!)。おお !? その空気を掴んだまま司会の菊池社長が絶妙のタイミングでボクに話を振ってくれ、ボクがもう一度「秋山社長、ボクのネタ取ってひどいです…」と続けたところでまたワハハ。
この笑い二発で落ち着いた(笑)
ド頭で笑いさえ取れれば成功したも同然。なぜなら聴衆が一気に好意的になってくれるし、しゃべっている本人も妙に落ち着くからである。
秋山社長の話を受けて話す内容をアレンジし、なんとか自分の持って行きたい方向に話を持って行く。空気が温まった会場に向けて「いやいや、みなさん悲観してらっしゃるけど、ちゃんと変化さえすれば新聞広告の未来は明るいですよ。なぜならですね」と快調にしゃべり始めた自分を、もうひとりの自分が微笑みながら見ている。
そのままいい感じで最後まで。
終了した瞬間、足がふらつくくらいドッっと疲れが出たから、やっぱり緊張はしていたと思うのだけど、わりと多くの方から名刺交換を求められ評判は上々だった。いや、もう、ホント、よかった…。
パネリストの社長の方々ともずいぶん親しくなった。社長!とこちらが身構えなければ、本当にいい感じのオジサンばかり。それぞれの会社では怖い存在なのだろうけど、まぁボクには関係ないし(笑)。特に秋山社長とはいろんな話をさせていただいた(ありがとうございました)。
レセプション会場で少し飲んだあと退散。一度ホテルに帰ってマッサージを受け(逆に疲れが出ちゃったけど)、21時からモリたちと待ち合わせて「ビストロ・ヴァンテール」へ。おいしい料理とおいしいワイン(3本くらい飲んだ)。いい店だ。そのうえうれしい出会いもあり、楽しい夜だったな。
ということで新聞大会、終了。
ま、結果的にはいわゆる「案ずるより産むが易し」ってヤツだったのだけど、この経験はゆっくりじわじわと効いてくる気がする。
特に場馴れのジャンプアップ。野球の日本シリーズなんかで「大舞台を経験してるベテランの強さ」とかが取りざたされたりすることがあるけど、なんかそれに近い感じがあるなぁ。緊張必至の大舞台をとりあえず経験しおえた感覚。←偉そうな意味ではなく。
というか、忘れていたけど、来月、今度は「雑誌の国際的大会」があり、そこではモデレーター(パネル・ディスカッションの司会役)を引き受けていたのであった。むむぅ。パネリストは外国人。むむむぅ…。でも、今、「なんとかなるさ」と思う自分がいる。これは新聞大会のおかげだなぁ。ありがとう、新聞大会。
しゃべれました♪
2008年10月16日(木) 6:45:47
新聞大会のあとマッサージを受け、そのあとずいぶん飲んだこともあり、疲れが出たのかすっかり寝坊。
ヒコーキへの時間がギリギリなので長くは書けないけど、応援してくれた方々へ。
しゃべれました♪
声も震えず、額汗も脇汗もかかず、しどろもどろにもならず。イイタイコトはなんとか言えたかも。なんか高いハードルを越えて少しすがすがしい気分。また少し「自由」を獲得した感じ。詳細はまた書きます。
朝起きてホテルの部屋に届いていた北海道新聞(今年の新聞大会の主催社)を開いてビックリ。主催社だからだと思うけど、新聞大会が見開きで大きく特集されていて、ボクの顔写真も大きく出ています(笑)。メディアに顔写真が出るのは(業界系を除くと)ほぼ初めて。いままでずっと出さずにいただけにちょっと困った…。
あ、空港に向かう時間だ…。
前祝い的にシャサーニュ・モンラッシェ
2008年10月15日(水) 8:12:32
札幌はいい天気。
夕方に着いたが、ジャケットを着ていてちょうどいいくらい温かい。コートを着てこようかどうか迷ったのだが、着てこなくて良かった。
夜遅めからモリこと森崎博之くんと待ち合わせてフレンチへ。
一応明日の本番前なので生魚は避けようと思ったのと(一応ね)、いまモリが異様にワインに凝っているので「じゃ、ワインを飲もうか」となったのだった。
以前の札幌は「素材は新鮮でいいけど調理がダメ」という感じで、どちらかというと「美味しくない街」と思っていたのだが、ここ5年くらい、なんだか異様に美味しくなった印象。東京とかで修業した料理人が地元に帰ってきて、北海道のいい素材を使って基本のしっかりした料理をつくりはじめた感じ。おしゃれな店も増えたし。和食洋食問わず、来るたびに驚かされるレベルに出会う。
昨日の店「ル・プルコア・パ…」も若いシェフが高いレベルで料理を作っていて楽しかった。
野菜がうまかったな。さすが北海道。それと「穴子のピラフ詰めスープ・ド・ポワソン」が印象的。うまうま。
モリも昨日の昼間にフードマイスターの試験があり、どうやらいい点とれたらしい(自己申告)ので、ボクの本番前と合わせて、前祝い的にシャサーニュ・モンラッシェなどを飲んだ。知らない造り手だったけど。
モリと遊ぶようになってちょうど2年だろうか。
約1年前、ワインのワの字も知らなかった彼。恵比寿の「レスプリ・ド・ミタニ」で2人で飲んでいたとき、ボクのワイン知識(たいしたことないです)をうらやんだので、「キミね、10年あれば何でもできるのだよ。どんな自分にもなれるのだよ」と、10年年上の酔っぱらいとして諭したのである。キミも努力次第では10年後にいまのボクなんかのレベルをずぅっと越えたワイン強者になってることも充分可能だよ、みたいな(まぁ3年もあれば抜けるけど)。というか、つまり「やりゃーいいじゃん!」ということですね(笑)
どうやらそのひと言がキッカケになったらしく、彼はワインの世界にいきなり深く突入。
なんだか深すぎて怖いと思っていたらしいワインの深海をずぶずぶ潜っている最中だ。あれから1年、すでになかなかのワイン通である。彼とワインの話を濃くできるようになるとは思わなかったな。というか、ワイン・アドバイザーまで取っちゃいそうな勢い。んー、あと半年くらいで越されそうだ……。
ワインはちょっとだけ勉強するとものすごく面白くなるからなぁ。ボクは食事や酒系の資格を取ることはしないけど(食べものなんて素人でいた方が楽しい)、見てるとモリは本当に好きらしいから応援したい。来年の今頃は抜かれてるかなぁ…。抜かれちゃうのにうれしいのはなぜかな。
さて、今日は新聞大会本番。雲ひとつない晴天。
モリに「どんだけ晴れ男ですか」と言われるくらいの晴天。つまり流れはボクにある(と思いこむ)。
冒頭の数分をいかにゆっくり落ち着いて話せるかにかかっている気がする。あとは成り行きでなんとかなるだろう。
ゆっくりな。ゆっくり。
アドリブ系の講演
2008年10月14日(火) 8:50:52
先週も講演がふたつあったのだが、両方ともアドリブ系でやってみた。
ひとつはテレフォン・ショッキング形式。
つまりタモリ役がいて、ボクにインタビューをしてくれる。ボクがアドリブでいろいろ答える。それを聴衆が聞いてくれるパターン。いつもガチガチに構成したパワーポイントを作って、それを映し出して講演するボクにとって、これはあまりないパターン。最初は不安だったのだが、パワポでの一本道じゃない分、アドリブや周辺のイイタイコトなどを自由に織り交ぜたり会場の空気に合わせて話題を変えていったりもでき、一本道の講義よりずっとカジュアルでくつろいだ会となった。
あれ? オレ、意外と話せんじゃん。
それが正直な印象。しかも意外と楽しい。
で、ふたつめの講演も時間が短かったこともあり、アドリブ系にしてみた。
パワポは作ったが、「不況→広告費削減とならないために」「マス広告だけではなぜダメなのか」「クロスメディアという言葉の罪」「イマなアイデアの出し方」「言うは易し、消費者本位」みたいに、一枚に一行、テーマを次々提示するのみ。そしてそのテーマに沿ってアドリブで話していくのだ。これも初めてのパターンだったんだけど、意外といけた。カジュアルな形式だから会場からの質問も自然と盛り上がり、こちらも答えやすかった。
って、いままでどうやっていたのだ、と思う方もいるかもしれないけど、アガリ症でしゃべりが下手だった(もしくはそう思い込んでいた)ボクは「パワポで完全に構成された講演なら話せるけど、アドリブ的に話していくのは死ぬほど苦手」と思い込んでいたのである。
この苦手感覚は話し下手しかわからないかもなぁ。講演直前までは普通にしてても、演壇にのぼって聴衆の顔を見ると急に緊張してくる。うぅこれはイカンと思って緊張したまま冒頭のジョークを言う。噛む。会場はシーンとしている。わき汗がドー。そしてしどろもどろになってしまう……あの頭が白くなる感覚…。ただパワポがあればすぐ一本道に入ることができ、適当に盛り返せるのだ。アドリブだとどんどんしどろもどろが深くなるだろう。
でもここ半年の多量の講演体験で、いつの間にか(少なくとも広告コミュニケーションというテーマでは)意外と最初から自由に話せるようになってきた。すべて場馴れのおかげ。話しなんて急にうまくなるわけではないが、場馴れすると少なくとも冒頭がスムーズになってくる。冒頭がうまくいけば後は大丈夫。普段の口調でにこやかに話せる。時には会場を掴める。講演は冒頭次第なのだなぁ。
と、このふたつのプチ成功体験(?)を思い浮かべて、明日(ついに明日!)の新聞大会のイメージングをする毎日。うまくいくぞうまくいくぞうまくいくぞ ←オーム真理教方式
なりふり構わず「伝えて、売る」
2008年10月11日(土) 14:00:07
強烈な世界同時株安で一気に経済がシュリンクしそうな昨今。
あえて(あえて、ね)脳天気に「広告のコミュニケーション・デザイナー」として発言をすると、テレビCMや新聞広告がふたたび盛り返すようになるのではないかと思っている。広告費の落ち込みで苦況に陥っている両業界だが、不況感が蔓延するとヒトは家を出なくなる。行動を控え守旧派的になる。お茶の間にタダで流れてくるエンターテイメントであるテレビ、そして黙っていても宅配されてくる新聞をいつもより見るようになるのは確か。
まぁ単純な発想だけど、家にテレビがあり、新聞もとっているという前提に立つと、お茶の間がもう一度機能し始める可能性はわりとあるんじゃないかな。そこにどんなコミュニケーションをとっていくか、それを考えるとちょっとワクワクする。
というか、ボクを含めた広告マンは、いまこそ「広告で商品が売れた!」という事例をたくさん作るべくがんばらないと、この業界は一気にシュリンクしてしまう。ただでさえも広告が効かないと言われ始めて数年、この不況の風はそこに追い打ちをかけてくるだろうし。
広告で売る。そのためには変化した消費者(生活者)に合わせて、広告手法自体が大きく変わらなければ無理。イメージがどうの、ブランディングがどうの、ではなく、今は自覚的に「広告で売る」というゴールを設定して、なりふり構わず「伝えて、売る」ということをやらないといけないと心底思う。まぁその辺、拙著にもさんざん(ポジティブに)書いたが、なんかまだまだみんな危機感なさすぎな気がしてならない…。
ちなみにボクの企画書はこのごろ「○○(商品名)を○○億円売るために、我々がお手伝いできること」みたいな表題が多い。題名でゴールを明確に金額で設定して、そこに向かって細かくコミュニケーション・デザインしていく。広告の範疇ではないことまで言及していく。データと首っ引きで試算して作り上げていく。
そんな企画書、クリエーティブ部門っぽくないと思うかもしれないし、数字も不得意なのだけど、そのくらいな意識じゃないとさすがに生き残れないんじゃないかと、わりと冷や汗かいているのだ。
広告業界志望の学生に会ったりすると背筋が伸びる。
ボクらは彼らに「明るい広告の未来」を見させてあげないといけない。残してあげないといけない。そこをちゃんと自覚したい。
人生でもトップクラスのプレッシャー
2008年10月10日(金) 8:35:37
来週の15日(水)に、人生でもトップクラスにプレッシャーのかかる仕事があり、日々緊張が高まっている。
テンションが上がったり下がったり、人に頼ったり独りを欲したり、異様に元気になったり急に疲弊したり、なんだか気分が乱高下。というかですね、この仕事を言われたのが6月。なんでそんなに早く言うかな。この4ヶ月、ずっとこのプレッシャーと闘っている。
親しい友人にはちょこちょこ愚痴をこぼしているのだが、違う業界の人にはこのプレッシャーがわかりにくいようで、理解してくれようとはするもののどこかでピンと来ていない模様。それもそうだろうなぁ。
かといって会社の同僚ならわかってくれるかというと、ボクの周りのクリエィティブ部門の人間はピンと来ない様子。まぁボクでも他人事だったらピンとこないかも。だから気楽な気持ちでその仕事を受けてしまった。受けたあと、いろんな説明を聞いているうちに「こ、これはひょっとしてオオゴトなのでわ!?」とびびりまくった次第。
実は新聞業界の仕事(依頼は新聞協会より)なのだが、どうやら新聞業界ではその年最大のイベントで(その名も「第61回新聞大会」)、うちの会社のその部門の人間に話すと一瞬絶句した挙げ句「そ、それは……地獄だなぁ」と憐れんでくれる。そんな類のプレッシャーなのである。
新聞大会というのは、よく知らなかったのだが、全国の中央紙・地方紙の社長・副社長・専務クラスが年に一回一同に会し、新聞のあれこれについて話し合う、というイベントである。地方の持ち回りで、今年の開催は札幌。大会式典は尾高忠明指揮による札幌交響楽団の演奏から始まる。そういう大イベントなのである。
ワタクシに課せられたその仕事とは、その新聞大会の壇上でパネル・ディスカッションをする、ということ。日本語で言ったら座談ですね。
座談といっても3時間を超える長丁場。聴衆は日本の新聞社全紙の社長・副社長・専務クラスがズラリ(日本の新聞社はこんなにある)。全員スーツの大観衆だ。んでもって、座談相手の4人(ボクを入れて5人で座談)がこれまたみな社長さんなのである(!)。朝日新聞社社長、新潟日報社社長、西日本新聞社社長、そして司会は北海道新聞社社長。そこにボク。一介のクリエィティブ・ディレクター。なぜボクがその場にいないといけないのか、いまだに理解に苦しんでいる。
講演と思ったのでまぁなんとかなるかと引き受けたのだが、座談と知ったのはちょっと後。座談はまったく未知数だ。壇上でアドリブがきかないタイプなので不得意分野。というかパワポなしでなんかしゃべれないよ。しかも相手は社長様たち。新聞業界素人のボクにいったい何を望んでいるのか。まぁ当日聞かれる話題についてはだいたい教えてもらっているので予習はできるし、素人だからこそ出来る発言もある。それにしても、んー、困った…。
たぶん拙著「明日の広告」でメディアの明日をポジティブに書いていることが人選のキッカケだと思うので、当日は超明るい話をしようとは思っているが、それにしても、座談相手が座談相手、聴衆が聴衆。しかもうちの会社の社長・専務・常務・局長クラスまでみな来るという。あー胸が痛くなってきた(←数週間来の胸の痛みの原因はこれかも)。
乗り越えるべき山が高ければ高いほど、乗り越えた後は違う風景が見える。
もともとアガリ症で話下手のボクにとって、チャレンジし甲斐のある高い山である。でも違う風景が見えるには「乗り越える」ことが前提。頭が真っ白になり、声が震え、大汗かき、支離滅裂な話をしてこの大切な大イベントを台無しにする自分の姿がちょっと想像できる(わぁ)。あぁ逃げ出したい!
札幌ではモリが脳天気に「飲みましょうねぇ!」と待ってくれているが、ごめん、前日夜とかに飲んだらプレッシャーから深酒しちゃいそうだよ。あ、二日酔いくらいで行った方が逆にアガらないかも。いやいややっぱりそれはダメだ。んー……また胸が痛くなってきた(笑)
みずの実
2008年10月03日(金) 7:42:50
昨晩行った店にも「みずの実」があった。
みずの実。東北の方の山菜で晩夏が旬。茎の部分に実がついている独特な山菜。シャクシャクした食感で実にうまい。東京ではまだ知らない人が多いが、数年前から「みずの実」を出す割烹や居酒屋がポツポツ出てきた。今年は3軒目の出会い。初めて食べてからボクはずっとみずの実のファンで、メニューにあったら必ず頼む。
みずの実を食べつつ、昨晩は珍しく会社談義。
新たに部長になった後輩とふたりで飲んだのだが、彼の悩みや不安がびんびん伝わってきて、こちらも妙に熱心に自分の体験などを語ってしまった。食事の場で会社の話とかほとんどしないので(消化に悪いし)、逆に新鮮。しゃべりながら、あぁ自分はこんなこと考えているんだ、と自分の思考を確認した感じ。
なるほどこうやって世のオヤジたちは会社談義・仕事談義・人事談義をするのだなぁ。
麻薬(やったことないけど)みたいに気持ちがいいのも少しわかる。だらだらと仕事周辺の話をしていると変なカタルシスがある。でもやはり封印しよう。仕事が終わったら、なるべく仕事と関係ない人と食事をし、仕事と関係ない話をする(結果的に後で仕事につながることはあるが)。ずっと心がけてきたこの方針は、こういうちょっとしたカタルシスから崩れていく。
仕事相手と飲まないわけではない。クライアントとも飲みに行くし、先輩とも後輩とも飲む。でも会社談義や仕事談義、人事談義はなるべく封印。
社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え。
この言葉の効果を、四半世紀くらい会社にいて、いま改めて実感している昨今ゆえに。
プレゼンって学校の必須課目にした方がいい
2008年09月30日(火) 7:12:22
昨日の朝は快調。昼も快調。お? この快調感は久しぶり! と喜びつつ溜まった雑務や打ち合わせをこなしていたが、夕方くらいに急にふらふらになった。あれ〜と思う間もなく一気にガス欠症状。体力の底が浅くなっている模様。もう眠くてしんどくて倒れそうだったが、講演があったのでとりあえず向かう。
控え室で数分、気を失うように寝て、18時半から講演。
聴衆は20代30代を中心に120人。若手中心の伸び盛りの会社。業界トップクラスの活躍をしている会社でもある。富山での不出来が頭をよぎったが、眠すぎたこともあってか超リラックスして話を始めることができ、そのままリラックスしたまま最後まで。あぁやっぱりリラックスって大事だな。聴衆が満足されたかどうかは別にして、話す側としてはわりと満足できた。少し自信回復。まぁ時間がたっぷりあったのも良かった。やはり1時間半から2時間は欲しい(いまは伝えたいことがたくさんあるので)。上手に1時間にまとめるワザはまだボクには無理のようだ。今月は短時間の講演が多いのでちょっと憂鬱。
プレゼンって、学校の必須課目にした方がいいな。もしくはスピーチ。
社会に出たら相手にプレゼンする場面が激増する。自分自身がどういう人間かを相手に伝える場面も激増する。国際社会であればなおのこと。もう超必須技術である。でも、高校でも大学でもほとんど教えない。赤面せず、あがらず、リラックスして話すのは(しゃべりが得意な人を除いて)ひたすら場馴れと訓練が必要だ。座の空気を掴み、引っ張り、なごませるワザは、超不得意なボクでも「あぁこういうことか」とわかる瞬間がある。体系的に訓練したらきっと近道があるだろう。
とか思いつつ、懇親会もこなして帰途につく。あぁ今日も酒を飲んでしまった。もともと週に2日は酒抜きの日がある生活をしていたのだが、8月以来ほとんど毎晩飲んでいる(飲まざるを得ない状況)。ペースを週2日酒抜きに戻したい。11月にはこの異様なペースから脱出できる見込み。
家に帰って落ち着いたらまた胸が少し変。心筋梗塞の前兆を疑った方がいいですよというメールをいただく。ありがとうございます。疑ってみます。
しゃべりが低調
2008年09月27日(土) 22:26:26
昨日の富山の講演、なんか最初からギクシャクしてしまい、あまり上手にしゃべれなかった。
というか、もともと話はうまくない方なのでこれが普通といえば普通なのだけど、ここ十数回それなりにちゃんとしゃべれていたので油断したかも。富山に着いてから講演パワポを作ったくらいギリギリだったのも要因か。いずれにしても富山の方々に申し訳なく、少し落ち込みつつヒコーキで帰ってきた。
今日のプレゼンはその影響もあり、少しおっかなびっくりで話し始めた。内容は自信があったが、しゃべりは相変わらず低調。んー、よりによって大事な仕事のときに限って低調が来るとは。話しているうちに低調を回復できるような技術がほしい。
でもまぁ結果としては70点。ある程度決まり少しホッとしている。これからまだひとヤマもふたヤマもある仕事だけど、無事完走できるようがんばろう。明日は少し休める。寝るのみ。
キトキトのはずだった
2008年09月26日(金) 6:46:16
本当は昨晩は富山でキトキトの魚を食べているはずだった。
今日の昼、富山の関係会社に地元のクライアントをお招きして講演をするのだが、古い先輩が支社長をしていることもあり、前泊でおいしい魚と日本酒をご馳走になっているはずだったのだ。
でも、昨晩午前2時。なぜか東京の編集室で企画の打ち合わせをしているワタクシ。
忙中閑ありの一泊富山旅のはずが、朝いちのヒコーキで発って18時には東京に帰ってくる日帰り突撃出張に。
帰ってすぐ会社で打ち合わせ。その後はいったい何時になることか。
カマス、鯛、アオリイカ、フクラギ…。
白エビにはもう遅いかもしれないけど甘エビが旬になりつつあるかもなぁ。あ、ゲンゲもそろそろかなぁ。と、無駄な想像をしてみたりする。冷やおろしを飲みつつ食べたかったな。
昨日もよく働いた
2008年09月25日(木) 7:37:25
昨日もよく働いた。
早朝はオッジの原稿書き。〆切日。推敲してメール送信ボタンをポチと押したらもう出社時間。いっそいで出かけてまずは打ち合わせ。その後、土曜の大きなプレゼンのための企画書を集中して書く。一昨日に状況がかわり、半分以上書き直しになったのだ。勢いのみで2時間で書き上げる。意外と出来たかも。でも客観的になれるまで半日ほど別のことをしてその後チェックすることにする。
昼ご飯は平河町に出かけて編集者の方々と打ち合わせご飯。ボクの連載の担当編集引き継ぎや誌面デザインの打ち合わせ。担当編集者がおめでたで産休に入るのだ。いま周りでおめでたラッシュとか。バタバタだったがやはりちゃんと会うのはよい。メールだけというのはバランスが悪い。顔見て話さないと。
天ぷらでお腹一杯になり、午後からは睡魔と闘いつつ打ち合わせをいくつか。事務・雑務作業を後回しにしているうちに溜まってしまい、提出書類や申請書類の山がちょっとヤバイ量。フロスト警部状態。でも仕事が追ってくるんだもん無理だよ、と自分を正当化して見て見ぬふり。この先送りがどんな事態を引き起こすのか一瞬想像するが、やっぱり見て見ぬふり。
夜、グーグルで講演だったので、夕方遅めから講演内容のチェック。今週は講演が3つ。「9月以降なら」と夏ごろ先送りしたツケである。
1時間10分という時間に入るように2時間用の講演を削り、聴衆の方々(グーグル社員ではなくクライアント系)に合わせるために内容を少し入れ替えたりしているうちにもう出ないと間に合わない時間に。
19時から渋谷のグーグルにて講演。約100人。
ボクの話なんかよりグーグルのオフィスを見に来た方々が多いんだろうなと思いつつ、内容が盛り沢山なので早口で走り抜ける。いままではテレビCMや新聞広告が「エースで4番」で、彼らが打てば試合に勝てたんだけど、消費者が変化したこの時代、打線のつながりで点を取らないと勝てなくなったんです、なぜならこうこうこういう流れだからです、じゃあどうすればいいかというと例えばこういう事例、ボクの発想法はたとえばこういう風。みたいな講演。
テレビCMや新聞広告が「エースで4番」というワンマンチームではもう勝てない。とはいえ、彼らのチカラが落ちたわけではない。3番4番であることはかわりはない。ただ彼らのホームランだけに頼っていてはもうダメなのだ。1番が塁に出て機動力を発揮して、2番がつなぎ、と、全員野球で勝っていく時代だ。例えばこんな打線。
1番 検索(SEM)
2番 CGM
3番 新聞広告
4番 テレビCM
5番 ネット広告
6番 雑誌広告
7番 交通広告(OOH)
8番 ラジオCM
9番 モバイル広告
他に優れた代打要因もたくさんいる。メディア・クリエーションやフリーペーパー、アドバゲームなど魅力的な代打が揃っている。それらを使ってどの打順からも点が取れるチームにしなければいけない。
ちなみに上の打順はメディアのチカラの順ではない。この順番で消費者を誘因するということでもない。検索の機動力、クチコミのつなぎ、マスメディアでどかん、街メディアで駄目押し、消費者の行動動線に沿って下位打線できれいにつないで点を取る、という無理矢理な例示をしてみただけ。ラジオやモバイルが1番打者に座るチームもあるだろう。それも消費者本位で決めていく。
昨晩はこんな比喩から講演を始めてみた。ラブレターといい打順といい、比喩が多いヤツだ。
講演終わって名刺交換して21時すぎ。編集室に直行し編集作業。
夜23時ころ夕食のお弁当。うな重。腹に染みいる。午前中に書き上げた企画書を後輩に見てもらい、客観的にもう一度精査する。一部が妙にくわしすぎることの是非を話し合いつつ、8割方これでいいかもと納得する。
企画案の精査をしつつ編集チェックをして、27時くらいに帰途につく。翌日(今日)は企画書仕上げの日で、目一杯アタマを使わないといけないので少しでも睡眠時間を稼ぎたく、ボクだけ先に帰らさせてもらった。みんなはあと数時間。役割分担ということでよろしく。
で、さっき起床。今日明日がヤマ。乗り越えられますように。
金沢美人ズ
2008年09月13日(土) 20:59:59
昨日の夜は金沢で講演。
金沢の28〜33歳くらいのビジネスマンの異業種交流会で2時間話す。最初は1時間20分と言われていたのだが、せっかくヒコーキ使って一泊で行くんだからもっと話させろ、と2時間に(笑)。長時間みんな熱心に聴いてくれた。それなりにイイタイコトは伝わったと思う。
東京一極集中が激しい今、地方の若者はいろいろせつない気持ちを抱えて仕事をしている気がする。
ボク自身、若いときに大阪勤務になり、「東京とは状況が違うけど負けないぞ」と気張りつつ、どこかでせつなかった。だからだろう、東京以外で頑張っている若者を応援したいという気持ちがボクは強い。そのせつなさ、少しはわかるぞー、みたいな。
まぁ実際に東京で働く辛さは相当なもので、地方の方がシアワセだと思う部分も多いのだが、でもどうせ苦労するなら一極集中の首都で自分を試してみたい気持ちもわかるのだ。そういう若者たちに、地方ならではの良さを仕事に活かす方法、東京に負けないやり方、なんかをボクの経験をふまえて伝えたい、とか思って話した。偉そうな意味ではなく、なんとなく若いときの自分に向かって言っている気分で。
話終わって会場を出たのが22時。さて金沢の夜である。金沢の知り合いが待っていてくれる。
クレア・トラベラーの連載のために金沢を下見取材したとき(去年12月)、サイトの読者さんを中心に金沢に人脈が出来た。ある女性を中心に広がっている人脈の中にボクを入れてもらった、という感じなのだが、その人脈がなんと金沢美人ばかりという素晴らしさ。もともと金沢は美人率が異様に高い街だと思うが、それにしても美人ばかりすぎないか、というシアワセ具合。
で、そのうちの4人が「四遊」という美味しい割烹につれていってくれるというので、若者たちと別れてその店へ。
ボクを挟んで右に2人、左に2人、計4人の金沢美人。そういう状況で飲む地元銘酒のうまいことよ。んでもって二軒目の「空海」に辿り着いたときにはもう2人も金沢美人が合流し、男1女6というハーレム状態。あぁ長いこと生きているとこういうこともあるのだなぁ(遠い目)。
「空海」は7月末の集中豪雨で浅野川が氾濫し、床上浸水の被害を受けた主計町茶屋街にある。
「ここまで水が来た」と壁のところを指し示すご主人。「いやー、アユやゴリが店の床でぴちゃぴちゃ跳ねよるんよ」という状態だったらしい。川水と一緒に店に入ってきたということ。修繕が本当に大変だったと思うが、とにかく明るく話してくれてホッとした。
なんやかんや話して盛り上がり、結局ホテルに帰り着いたのは朝4時前。連日寝てない状況が続いていたが、金沢の空気と美人さんたちのおかげでずいぶん発散したらしく、わりと疲れが取れた気がする(気のせいか)。
翌日(つまり今日)の昼は昨晩のうちの2人(姉妹)がお相手してくれた。
チェックアウトにロビーに降りていったら、2人が受付前にいる。しかもなんと着物姿! うひゃぁ、美しい! 金沢の街と着物の組み合わせも大好きだし、シアワセすぎ。
美しい着物姿の美人金沢姉妹と3人で東山の茶屋街を歩き、「十月亭」という店の個室で庭を眺めながら昼ご飯をいただくこの贅沢よ。でもそんな最中に東京から仕事の電話が相次ぎ、夢の時間もぶちこわし。いや、休日返上で働いている方々には申し訳ない。でもさ、タイミング悪すぎ(笑)
東京に帰り着いたのは18時。人の歩く速度が体感で金沢の3倍だ。それって人生的にどうなのだろうと一瞬下を向く。でも今はここがボクの生きている街である。顔を上げて速度を合わせよう。
「忙しい」って結局何かに使われている状態ですよ
2008年09月12日(金) 9:37:42
昨日も講演。
ある会社に呼ばれて話をしたが、若い人が多く、なんとなく楽しかった。若い人が多いのってやっぱりいいな。彼らに風通しのいい社会を残してあげるためにもっと必死にがんばらなくちゃ、とか殊勝なことを心の中で再確認する感じ。いつしか「次の世代に残す」という意識が強くなり始めた。45歳を過ぎてからだろうか。制度疲労で崩れ壊れつつある日本をなんとか少しでも立て直して、もっとヤンチャに生きられる世の中に変えて次代に渡さなければ、とかね。キレイゴトに聞こえたらごめんなさい。でも、いつもではないけど、そんなことをこの頃よく思う。
今晩も若い人を相手にした講演。金沢なのでちょっと遠いけど、刺激をもらうくらいな気持ちで行くつもり。疲弊しきった身に必要な栄養分。
昨日の講演後、「Amoh's Bar」で高校卒業以来約30年ぶりに同期に会った。
まぁ店主の天羽自体が同期なのだが、彼がここで店を構えていることで、彼がハブになり、思ってもみなかった同期に会う機会が増えてきた。昨晩の彼も「思ってもみなかった」ヤツ。中学高校のときはそんなにつきあいもなく、こうして今頃会うなんて想像もつかなかった。
3人で会ったのだが(天羽を除く)、ボク以外のふたりも中学高校では全く接点がなかったふたり。でも、彼らは境遇がとても似ていて、ある講演会でばったり再会して以来、意気投合しているらしい。ふたりとも7年でサラリーマンを辞めて起業し、売上げ100億とかの大成功をし、ひょんなことから綻びが生じて破産し(バブル崩壊もある)、借金を返し終わって第二起業をして今に至る苦労人実業家。天国と地獄を経験し、なんだかたくましくなっている。
彼らに「疲れてるねー」と言われ反省。疲れが外に見えるのはカッコワルイ。
というか、雇われサラリーマン特有の疲労顔なのだろう。苦労しているとはいえ社長である彼らは「人を使う側特有のイキイキ顔」をしている。「いやさ、佐藤、一度社長をやると人に使われるのが耐えられなくなるんだよ。疲れちゃうし。いや、一度権力を持つとね、とかいう偉そうな意味ではなくて、自分の好きなことを自分の判断でやるのと、他人の命令と判断に合わせて物事を運営するのとでは、疲れもやり甲斐も違うという意味で」とか言う。うぅ。その通りだよな。
以前「オサニチ」で「『忙しい』って結局何かに使われている状態ですよ」という言葉をご紹介したことがあるが、まさにその通りな感じ。あぁそういえばこの頃知らず知らずに「忙しい」という言葉を連発しているなぁ。あんなに「もうこの言葉を言うのは恥ずかしいからやめよう」と思っていたのに。
今週、仕事の峠をひとつ越えたので、三連休をしっかり休んで、きっちり切り替えよう。そんなことを思う金曜週末。
赤を着る月曜日
2008年09月09日(火) 7:27:59
イタリアから帰国以来、まぁ文楽なんかを観たりして順調に遊んでいることもあるのだが、疲れがとれず、なかなか辛い。
昨日の月曜は朝からどうにもダルダルだったのだが、竹本住大夫の影響かやる気だけはあったので「よし! 赤を着て元気に出社!」と意気込み、全身を赤で固めた。赤い男。赤キ○ガイ。でも派手な色って気持ちを元気にさせるし、ダルい月曜にはピッタシかも。
赤いTシャツ。赤い靴下。赤い靴。メガネも赤いし下着も赤。ついでにジーンズにも赤が入っているし、鞄にも赤が入っている。そういえばケータイも赤だ。もうね、すべて赤。美輪明宏が「黒っぽい地味な色を着るときはせめて下着を赤にしなさい」と言っているのを聞いてから、黒を着ることが多いボクは赤い下着を着用することが増え、メガネを赤にしてからはどんどん赤い服を着る割合が増えてきて、と、すっかり赤い人生になっていっているのだが、さすがにここまで赤いと目がチカチカする(笑) 会社でも「今日はなんですか。どうしたんですか」と問い詰められた。「いや、疲れてるからさー」とか答えると「周りも目が疲れます」だと。すまんの。
そういえば昨晩飲んだ某有名編集者が言うには「赤い下着は腰にいいらしいですよ。ボクは赤パンはいて腰痛が治りました」とか言っていた。
昨晩は岸くんと一緒に、フリーマガジンの雄であるおふたりと4人で飲んだのだが、業界やメディアを越えて意外と発想が近いことにお互い気づき、いろいろな意見交換に盛り上がった。広告側の見方とメディア側の見方なのでもちろんスタンスは違うのだが、発想の根本がとても似ているのでなんか一緒にプロジェクト組んだら面白そうである。ボクと岸くんはもとより発想がとても近いし、彼らと社外プロジェクト的なものを少し回してみるのもいいかもしれない。
とか思いつつ、今日の講演、明日のプレゼンと準備しないといけないことも多く、夜中に帰宅してからシコシコと作業。今朝も早く起きてシコシコと作業。結局こんなにダルいのに4時間強しか寝れていない。まぁ明日のプレゼンが終わったら少し寝られるかな。早朝覚醒しなければ、の話だけど。
催眠術師の弟子
2008年09月06日(土) 4:46:08
先週の日曜夜にイタリアから帰ってきて、月曜朝からいきなり休暇明けの激務に突入し、今週は仕事も多かったけど夜の予定も多く、とにかく眠い眠いとつぶやきながら日々をこなし、異様に疲れきって「やっと土曜だ! 土曜は予定が何もない! 寝られる!」と、金曜の24時に喜々としてベッドに倒れ込んだのに、あぁそれなのにそれなのに。こういう朝に限って何故4時に目が覚めるのか。何故寝続けられないのか。まさに早朝覚醒。目がパッチリ。仕方ないからこうしてマック前。
昨日は朝いちに歯医者で手術。麻酔をばんばんにきかせて歯を削った。そんでもってその1時間後にある場所で講演。麻酔に痺れた口がうまく回らなくて難儀した。広告業界の精鋭の方々を前に「基礎の基礎を確認っ」みたいな話。広告系有名ブロガーが来ているなんて知らずにヘラヘラしゃべり、後で名刺交換して冷や汗かいた。
そのまま昼ご飯も食べず打ち合わせの嵐に突入。プレッシャーのかかる仕事が多いが、あまりそこを考えすぎないように、なるべくいい加減になるよう自分に言い聞かせる。放っておくと必要以上に責任を重く考えるところがあるので、こういう性格は鬱とかになりやすいという自覚あり。楽に、楽に。
夜はある企業の常務さんと会食。仕事ではなくプライベート。すっごく昔から異様な濃度でこのサイトを読んでいただいている方で、会食のお約束をちょっと前にしたのだった。楽しかったけど、読まれすぎていてちょっとお尻の座りが悪かった(笑)。店は六本木の「さだ吉」。久しぶり。昨晩も実においしかった。腕が上がったかな。
3人で会食したのだが、その3人目が催眠術師であることが判明。弟子を何人もとっている本格的な人。花火師のときと同じように即座に「弟子になります!」と宣言。催眠術って興味あるなぁ。ただし同性(その方)より異性(その方の弟子)から習った方が実は効果的だと諭され、弟子の弟子になることに。つまりこの方は大師匠に当たることになる。ヘヘー(土下座)
催眠術って上手にやれば自分にもかけられるという(自分がかかりやすいタイプなら)。実際に世に成功者と言われる人々は、成功した自分を明確にイメージして目標に突っ走るというが、それって自己催眠の一種らしい。まぁそうだよね。というか「アナタは今日は10時間眠れる〜」とか自己催眠できないものか。眠いのに眠れない〜。今日は久しぶりにプールでも行ってカラダを疲れさせ、そのあと昼ご飯をたっくさん食べて腹一杯になり、長時間昼寝を目論もう。あぁスポーツクラブが始まるまであと5時間もあるや。早く始まれ〜。
岸勇希著「コミュニケーションをデザインするための本」
2008年09月04日(木) 8:16:57
ボクも一応コミュニケーション・デザイナーを名乗っているのだけど、ずっと若い(20歳くらい若い)彼の方がこの分野では先達だと思っている。先達リスペクト。なにしろもうコミュニケーション・デザインが服を着て歩いているような男なのだ。日本にはまだ数人しか本当のコミュニケーション・デザイナーはいないと思うが、彼は確実にその先頭を走っている。
そんな彼が書いた本だ。この分野の「決定版」と言える。草稿の頃から読ませてもらっているが、解説の丁寧さ、事例の豊富さ、想いの熱さなど、図抜けている。広告への情熱や未来への展望もひしひし伝わってくる。広告を生業としている方なら必読だ。生業としていなくても、広告の最先端にワクワクしたい方は是非。
ちなみに、後輩の本だからってオススメしているのではない。それなりにこの分野をよく知り、日々悩み苦しんでいる人間として、どう考えても「決定版」としか思えないからオススメしている。
ボクの本「明日の広告」との違いは、ボクの本は入門・基本編で、この分野を知らない人、広告業界自体を知らない人にもわかるように書いたつもり。それに対して彼の本は実践・応用編で、じゃあ実際にどうすればいいのか、がくわしく豊かに書き込んである。同じ部だけあって論旨展開はほぼ一緒であるが、より現場的に役立つのは彼の本だと思う。
まぁ敢えて言うなら、ボクの本を先に読まれてからこの本を読まれるとより理解が深まる、とアピールしておこうかな(笑)。ボクの本をすでに読んでくださった方なら、あの本の趣旨を実際の仕事に落とし込んだらこうなるんだ、というのが、豊富な事例とともにわかると思う。
というか、この2冊を読まれてしまうと、我々の部の手口がほとんど白日の下に照らされることになってしまうので、競合上ちょっと困るかも、というのも本音。まぁ本に書いた内容は書いた瞬間に古くなるので、知られても大丈夫なのだけど。うちのグループには本こそ書いてはいないが舌を巻くくらい優秀なコミュニケーション・デザイナーが他にも何人もいて、日々新しいことやっているし。
ちなみに、専門書なのでいままでご紹介してこなかったが、一緒に働いている螺澤裕次郎くんが共著で書いた「Webキャンペーンのしかけ方」、同じく一緒に働いている中村洋基くんが共著で書いた「Webデザインの『プロだから考えること』」もよい機会なのでご紹介。専門書なのですべての人にはオススメできないが、2冊ともとても参考になる良書だと思う。
ヤマ、越えた
2008年08月21日(木) 12:03:04
昨日、8月20日はある種のヤマであった。
明日、つまり22日から夏休みに突入することもあって、その前に片付けないといけない仕事のピークであったことがひとつめ。週刊文春から鈴木敏夫著「仕事道楽」の書評を頼まれたのだが、それの〆切日だったのがふたつめ。「広告批評社主の天野祐吉さんとの対談」という、業界の方なら「うわー、それ、重そう!」とわかってくださるようなプレッシャーのきつい2時間がみっつめ。鮨職人・新津武昭氏が復活して週1日だけ握っているそのカウンターに座る、という、ちょっと鮨経験上では重要な夜になりそうだったことがよっつめ。
ここ数日の仕事量も厳しかったけど、〆切も厳しかったなぁ。
だいたい書けてはいたが、出だしがどうもしっくり来ず、最後の最後まで違和感あり。で、一昨日の早朝にウンコしてるとき一行目が突然にょろにょろとひねり出された(汚い!)。やはりトイレは発想の母。それを受けて一気に書き直し、なんとなく納得のいくものになったのが昨日の早朝。はぁ〜間に合った!
天野祐吉さんとの対談は、もうここ数ヶ月の重荷で、先週あたりからは重荷過ぎて「はよ終わってくれ」と願ったほど。天野さんの新刊が冬に出るのだが、そこに収録する対談で、5人のうちの1人になぜかセレクトされたのだ。固辞しまくったのだが、企画意図・セレクト意図などを出版プロデューサーに延々口説かれ、つい受けてしまった。あぁプレッシャーきつかった。
でも案ずるより産むが易しで、なんとか2時間話し終えた。対談って慣れていないので(というか、ちゃんとしたのは初めてに近い)、なんかしゃべる部分と聞く部分のバランスが上手に取れず、途中舞い上がってしまった部分もあり、後悔はいろいろあるが、まぁこれが今の自分の実力、ということだと思う。
新津武昭氏は鮨好きの間では有名で、伝説の鮨職人ということになっている。
藤本繁蔵の数少ない弟子のひとり。銀座「きよ田」で名を上げた鮨職人。ボクは15年ほど前に一度行っている。そのときはまだ鮨カウンターに慣れていなかったこともあって異様に緊張した。いまは西麻布の「鮨 青木」の奥の個室カウンターで週に1回だけ握っている。
仕入れは青木さんで、酢飯と握りが新津さん。「仕入れをご自分でしないと握りは変わりますか?」「もうそれは大きく変わります」とおっしゃっていたから、完全に新津さんの握りというわけではない。ブランクも7年ほどあり勘も鈍っているだろう。でも「鮨の歴史として欠かせない人を(ある程度鮨経験を積んだ今)食べる」という意味では貴重な夜。
昨日はカウンターはボクと同行者のふたりのみ。しかも同行者が遅れたので、20分ほどボクは新津さんを独占し、いろんな話を聞いた。
「きよ田」開店一日目に小林秀雄が来たことや、常連だった白州次郎との初対面秘話などから始まって、毎晩80本ビールの大瓶をひとりで飲んだという話(!)、「今では減って30本になりました」という話(!!)、それでも本当に毎晩飲むのだという話(!!!)、それも早飲みで20分で20本空けるのだという話(!!!!)。いや、ビールの話だけしていたわけではなく(笑)、でもその話ですっかり打ち解け、いろんな話で盛り上がったなぁ。
同行者が来てからもニコヤカな新津さんは付かず離れず、絶妙な距離感でいろんなお話しをしてくれた。「きよ田」の記憶ではこんなに饒舌な方ではなかったはずなのだが、もう終始ニコヤカで楽しげ。裏話もいろいろ。いまや有名店になったあの店の持ち逃げ話など、ここでは書けないことも多い。「左様でございます」が口癖でどんどん話にドライブがかかる。
握りは記憶よりずいぶん優しい。藤本繁蔵の先輩弟子おふたり(鈴木さんと舘野さん)と比べるのも何だが、おふたりより突出して優しい。もっとエッジが立った鮨だった気がしたなぁ、というのが最初の印象。
酢飯が絶妙。タネとのバランスも絶妙。「伝説の鮨だから」という有り難みは置いておいて、トップクラスにおいしいとは思った。最初に赤身5貫。その後もすべて2貫ずつというスタイル。新子、新烏賊、鯛、穴子、それぞれ良い。一品一品というより全体のコース・バランスがとても良い鮨。よく出来たソナタを聞いてるような気分になった。こういう気持ちよさは鮨では希少。
でも、えーと、もし興味を持って行かれる方がいらっしゃったら、お財布だけは分厚くして行かれた方がよろしいかと。高い鮨屋はいろいろ行ったけど、2位以下を大きく引き離して断トツの新記録。ボルトの200メートル決勝みたいな感じ。まぁ多少追加で握ってももらったが…。いやぁ参った。領収書も取らず自腹で払うふたりに女将さんはちょっとびびっていた。社用の方が多いのだろう。
冬には、こういう間借りではなくて、ちゃんと復活されるとのこと。東京の鮨地図がまた賑やかになる。すごく楽しみだけど、財布が…。
内定者へのメッセージ
2008年08月20日(水) 8:23:35
数日前になるが、我が社の「内定者用冊子」のインタビューを受けた。
一日の過ごし方、とか、会社に入って一番印象深かったこと、とか、これからも残って欲しい我が社のいいところ、とか、自分の中の鉱脈、とか、いろいろ聞かれた後、「では最後に手書きでひと言、内定者にメッセージを」とリクエストされた。与えられたのは名刺大のスペース。ひと言? ひと言ねぇ…。
オサニチを長く書いていたし、今は雑誌「oggi」に「明日を変えるひと言」という連載コラムも持っている。そういう格言的ひと言には強いはずである。でもなぜか何も思い浮かばなかった。うーん、困った…。
苦しんだ末、最初に思いついたのは「社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え」という言葉。これは元々、ボクが新入社員当時に大ボスから言われた言葉。今でも守っているし、経験上とても役立った言葉だったので、まずはこれを書いた。
でもなぁ…。社内の人間とばかり飲んでいる人って、うちの会社には多いからなぁ。個人サイトに書くならまだしも、内定者用の冊子に「そういう人はバカなのよ」と言い切っちゃうのもどうなのか。配属部署によっては周りほとんどバカってことになっちまう。そりゃまずいかもしれない…。
で、次に思いついたのはタモリの座右の銘。「やる気のあるものは去れ!」
これはね、深いんです。深い上に、肩に力が入っている新入社員にはわりと効く言葉だと思う。でもなぁ…。内定者に向かってコレを言うのって、なんだかウケを狙ってるイヤらしさがあるよなぁ。というか、本当にやる気がある人(かつ、この言葉の深さがわからない人)が読んだら、とてもヤな気持ちになる気がする。んー…、これは書くのをやめよう。
切羽詰まって最後にボンヤリと浮かんだのが、パタゴニアの企業理念。「遊ばざる者、働くべからず」
あー。普通かもなぁ。でもこの言葉も深いんだよなぁ。ボクが日々守っている言葉でもあるしなぁ。まぁこれはこれでアリか。と、これは書いた。
さて、1つめと3つめ。見比べて悩む。どっちがいいっすかね。
なんとか選び、ありがとうと言ってデスクに帰って仕事をし、ふと「やっぱりあっちにしよう」と考えを変えてメールを出して変えてもらった。ま、どっちでもいいんだけどね。でもなんだか今でも迷ってます、ハイ。
お金のお話
2008年08月19日(火) 9:25:43
ここのところ知り合いから立て続けに副収入関係でうらやましがられたので、いい機会なので誤解を解いておきたい。お金のことを書くのってイヤだし、書き方によっては批判を受けるのだけど、あまりに誤解が多いので。
よく訊かれるのは本の印税。
これは何度か説明しているが、定価の10%がボクの収入となる。「明日の広告」は743円だから、誰かが1冊買ってくださったら74.3円がボクに入る計算となるわけだ。本屋の書棚でたまたま巡り会い、たまたま手にとって、意を決してレジに行ってくださる、という確率的に異様に少ないことが起こって、初めて74.3円が入るのだ(この辺の心情は昔こちらに書いた)。
本というのは1万部売れたらヒットである。10万部なら場外ホームラン。100万部は人気作家でも一生に一回あるかないかのミラクルだ。たとえば1万部で計算すると74万3千円がボクに入る計算。「明日の広告」はその数倍は売れているが、10万部にはもうちょっと届いていない。たとえ10万部売れたとしても743万円にしかならない。
しかならない、と書くと反発を受けそうだが、10万部というのは普通のライターにとって人生にそんなにはない場外ホームランだということを思い出して欲しい。毎回このくらい売れれば喰えるが、人生で数度、ようやくこの程度の収入が入るのではとても「印税で喰っていく」のは無理だということがわかると思う。「夢の印税生活!」と、知らない人は必ず揶揄してくるのだが、とんでもないことでございますよ。世に本の印税だけで食べて行けている人なんて数十人しかいないだろう。
もちろんボクは本業のサラリーマンがあるから印税は副収入となり、いろいろ助かる。でも、3ヶ月くらい毎晩毎週末しこしこ頑張って、自分の20年分の広告経験をすべてぶちこんででの収入としては決して見合うものではない。え? それでも収入入るだけマシじゃんって? それはそう。でもアナタも書いてごらん。異様に大変な地獄の作業だから。お金儲けだけ考えるなら別の方法の方がいい。全く見合わない世界なのです。
次に講演料もよく訊かれる。
ある友人に「1回100万円とかもらえるの?」と言われて呆然とした。そんな風に思われているのか! 確かに有名タレントや文化人の中には1回数百万もらえる人がいるだろう。でもボク程度の人間の、しかも専門分野の講演なんて数万円ですよ、数万円。二桁違いますって。2時間しゃべりまくって1万円ってなこともよくある。来月、ある地方にヒコーキ乗って講演に行くが、これなど講演料は0円。ホテル代とヒコーキ代出すから是非是非来てくれ、と若い人たちに頼まれて出かけるボランティアだ。
だから、ここ半年、立て続けに講演をしてますが、こんだけ予習して、仕事の合間を縫って駆けつけて、こっちが得たノウハウや教訓を出し惜しみなく提供して、「え、この程度?」って程度の収入ですよ。半年分を足し算しても数十万。軽自動車も買えない程度の収入。それに費やした経験と時間を思えば、決して見合うものではないのです。いままで育ててくれた業界への恩返し的な考えでなんとか続けていっているだけ。
ついでだから連載料も。
10年前、超超無名だったころは数千円でした。雑誌1ページとか書いて数千円。マクドナルドのバイトの方がずっとずっと効率的です。最近はちょっとは上がったですけど、それでも数万もらえるかどうか。それにかける時間には全く見合わないものです。原稿ライティングだけで食べていくなんて相当奇跡だ。
おまけに(特に単発原稿では)出版界の悪習として書く前に報酬が提示されない。苦労して書き終わって入稿してようやく「○○円を振り込みますので口座番号を教えてください」というメールを受け取り、報酬がわかるという仕組み。ライター専業の人なんかやってられないと思う。収入わからず仕事するって異様に不安なものなのです。ホント悪習だ。
でもね、もっとスゴイのが非常勤講師料。
大学とかの非常勤になるとするでしょ。いくつかオファーがあって受けてからビックリしたんだけど、半期(要するに半年)1コースの非常勤講師料っていくらだと思います? 5万円行かないんですよ? いいですか、講義1回分ではなくて、半年分で、ですよ。毎週毎週半年教えて、全部でたったの数万円。交通費になるかならないか。こんなの正当な報酬じゃない。教えさせてやっている、に近い発想。バイト代以下だよなぁ。教えるに至る努力や知識や経験もまったく無視。いやぁ下には下があるなぁ、と驚きまくった次第。
とにかく、出版や雑誌や大学ってそれぞれみんな不況で悩んでいらっしゃるけど「そんな報酬で優秀な人が集まるわけない」という根本的なところから考えなおすべきだと思う。優秀な書き手や講師が集まらないから、どんどん内容がつまらなくなり、読者や学生から見放されるという負のスパイラルに陥っている。
お金のあるところに優秀な人は集まる。
まずコンテンツ・メイカーを優遇して報酬を増やすこと。それが業界不況脱出の一番優先すべきことだとボクは思うなぁ。ライターで高収入が得られる、となったら、優秀な人がその世界に入ってきて競争しだす。そうすればコンテンツは加速度的に面白くなっていく。他業界からも人材が流入してくる。でまた競争が起こって…、と、そういう正のスパイラルにならないと不況なんか脱せないと思う。
大人の社会見学
2008年08月16日(土) 18:04:24
以前、有名編集長とかIT系社長とかと飲んだことをちょっとだけ書いたが、そのとき同席したある社長の会社がユニークで面白いと盛り上がり、今度みんなで見学に行こう!ということになった。昨日はその当日。昼間2時間ほど時間をこじ開けて行ってきた。集まった見学者はボクを含めて4人。有名編集長2人とIT系有名社長1人が一緒であった。
行ったのはチラシを作る会社なのだが、その工程が見事に可視化されており、企画から納品までのすべての作業があるひとつのビルで行われ、上階から下階に向けて流れている。そのリアルな構造自体がとても面白いのだが、最初にあったその会社の社長からのプレゼンテーションがまた圧巻だった。
チラシ作りの1から10までがすべて整然と理解でき、その大変さとIT化による改革、そして将来像まで、ものの30分で見事にアタマに入った。面白かったなぁ。いままで全く知らなかった世界にどんどん詳しくなっていく過程って異様に楽しい。知らない異国に旅行したときに感じるような「新しい世界を知っていく快感」に近い。脳内で何か気持ちよい物質が分泌される感じ。
その30分の間、ボクの隣に座った編集長(まだ30代)がまた見事だったな。
まぁ特にメモ魔な人だったのかもしれないが、とにかくガシガシとメモをとっていく。この熱心さに「さすがに大ヒット雑誌の仕掛け人だ」と感嘆させられた。そこらのサラリーマンでは太刀打ちできないどん欲さ。こうやって自分を常にエクスパンドさせている人と普通に生きている人の差はどんどん広がるばかり。その「差が広がる瞬間」に同席させてもらった感じ。うーむ。ボクも負けずにエクスパンドさせないと!
と、なんだかやる気をもらって会社に帰り仕事。ガシガシガシ。
夜は前からの約束で割烹のYに行ったのだが(4回目の訪問だが味がやけに落ちていた)、その後2軒渡り歩き、深夜まで男2人で3本のワインを開け、「そろそろ帰るか。でもその前に仕事場に電話してみよう」と電話したら、若手がみんなで苦労しているみたいなので仕事場へGO。
深夜0時すぎ。みんなまだ残って入稿前のデザイン直しに四苦八苦している。結局2時半までかけて解決に辿り着き、ようやく解散。やる気が出たのはいいとしても、こんなことしてるとカラダが持たんな。
家に帰って昨日の朝刊とともにテーブルに置いてあったチラシを見る。
いままで何の気なく読み捨てていたチラシだが、今後はチラシを見るたびに、その向こう側に日夜必死に働いている人たちの顔が浮かぶことだろう。IT化されたユニークなビルの風景も思い出すだろう。新しい視点を獲得させてくれてありがとう、M社長!
負けて終わりたい派
2008年08月15日(金) 9:14:11
いろんなことがうまく行かず、かなり苦しんでいたんだけど、昨日一気に状況が変わった。
相当つらくなることが予想された仕事がひとつ中止になり、トラブルが多かった仕事がひとつヤマを越え、企画に苦労していた仕事がひとつがブレイク・スルーし、と、バタバタと楽な方向に収束。うわー。こういうこともあるんだなー。相変わらず仕事量は多いものの、ずいぶん肩の荷がおり、ストレスが軽減された。いやホント助かった。一時はどうなるかと思ったよ。
と、気が楽になったせいか、昨晩は酔った。
はるか年下の友人が海外の修羅場から戻ったのでそのお祝いというかお久しぶりの会だったのだが、途中からもうグダグダ。どうやって帰ったのかもあまり覚えていない。いや、帰り道で仕事の電話をかけたのは覚えている。酔っぱらって電話された方も迷惑だったろう。すいません。
夜中に帰って床寝。
途中ちょっと起きて、鈴木桂治が一回戦で負けたのをテレビで観る。王者の惨敗。勝って終わる人と負けて終わる人がいる。ボクは「負けて終わりたい派」かな。最近ようやく「負けること」の良さとか格好いい面とかがわかるようになった。負けたら悔しい。でも長い目で見ると成長速度は高まる。物事を見る目がひとつ深くなる。人生が豊かになる。あとは負け方。美しい負け方ができる大人になりたい。…って、まだ酔ってるな、オレ。
金本アニキ!!
2008年08月14日(木) 6:54:38
ボクに対する期待値が高すぎる仕事が次々と飛び込んできて、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらヒーヒー仕事をしている昨今。ついに処理能力を越えようとしている模様。本業の本なんか書くのも考えものだ。魔法使いか何かと思われる。新しいコミュニケーションなんて試行錯誤の連続で、トライ&エラー&エラーなんて普通なのに、すぐ正解が出てくると思い込まれている。んー。ただひたすら辛いんですけど。
と、まぁ自らへのプレッシャーのきつさと忙しさを嘆きつつ、無理矢理にでも遊びの予定を入れるのがボク流。
昨晩はすっごい久しぶりに家族で野球を観てきた。阪神巨人戦。東京ドーム。当然3塁側阪神席。阪神は5連敗中だったようだが、ボクが応援に行って負けたことがないので、まったく心配せず仕事終わりに駆けつけた。ドームに着いたのは4回表だったかな。
進行の早い試合で、8時すぎにはもう9回。1対1のまま延長へ。
で、延長10回表。ノーアウト・ランナー1塁2塁で打席に金本知憲が立ったのだった。
実は、ボクが応援に行くと延長10回で阪神が劇的に勝つ、というジンクスがあって、以前は日本シリーズで2日連続、10回に劇的な勝ち方をした(こちら参照。そのうち一回は金本のサヨナラホームランだった)。今回もそうだったら凄いなぁ、金本ならやりかねんなぁ、と思いながら大声出して応援していた。
そしたらさ!
打ったよ、金本アニキ!!
ライトスタンドに見事な3ラン。すげー! 格好ええー!
これで観戦3回連続で延長10回で阪神の勝利。これって珍しくない?
無理して観戦しに行って良かった。ムスメもほぼ初めてのナイター観戦に喜んでいた(2歳のころ甲子園球場の阪神戦に連れて行ったことがあるが覚えていないらしい)。ほぼ初ナイターで金本の劇的ホームランを見られるなんて、どんな強運なんだ!
というか、金本、すごいなぁ。大きな期待にきっちり応える。5連敗の重い雰囲気を一振りで一掃する。
と、こういう話の展開だと、「そういう金本の姿に、仕事のプレッシャーが少々きついくらいで泣き言を言う自分を猛省し、明日へのやる気に奮える」とかいう流れになりそうだけど、野球が終わってすぐ仕事の電話やら企画書作成やらしているうちに金本のホームラン効果もすぐしぼみ、ヘナヘナヘナ。
最近よく思うけど、発散や気分転換の有効期間がやけに短くなってきた実感がある。長持ちしない。旅行行っても、おいしいもの食べても、昨日みたいにいいもの見ても、昔なら数日から数週間は「明日もがんばろう!」とか思えたのだが、最近はヘタすると数時間しか持たない。時の流れがどんどん加速している感じ。生きにくい時代だなぁ。うつ病をはじめ精神的に罹患する人が増えるのもよくわかるなぁ。
58秒91
2008年08月12日(火) 8:55:39
58秒91がどれだけすごい記録か、「『北島康介』プロジェクト2008」を読めばすぐわかる。数年前は1分を切る世界が憧れとともに語られていたのだ。それなのに世界で初めて59秒も切った。すごいな北島康介。金メダルおめでとう。
夜はグーグルの若い人たちと飲んだ。
ボクはトラディショナルな広告会社に所属しているので、最先端な会社の人たちとの飲み会は自分を試されているような緊張が(多少)伴う。先端の一部を担っているつもりではあるが、あちらからはどう見えてるのだろう、みたいな。でも杞憂だった。悩みや目的意識はいずこも一緒。というかコミュニケーションに先端もトラディショナルもない。相手に伝われば何でもいいのだ。逆に「先端」とか「テクノロジー」とかに縛られてしまう彼らの悩みも伝わってきた。
以前部下だったタカヒロくんとも久しぶりの邂逅。お互いに以前とは違うスタンスになっていて、関係も多少変化した。大きな意味での「同志」。また飲もう。
グーグル以外にも、ある広告会社の新入社員が参加していて、入社3ヶ月の悩みをいろいろ聞いた。熱いな。燃えてるな。不安と情熱がひしひしと伝わってくる。それに経験者ぶって答えている自分を客観的なもうひとりの自分が遠くから眺めていて「愚かだ」とひっそり耳元で。情熱の前に経験は愚かでしかない。経験者ぶる淀んだ目の大人になるなよ自分、と強く心に刻む。
大きく交替しないといけないタイミング
2008年08月11日(月) 8:13:23
おとといは丸一日、朝から深夜まで都内某所で仕事だった。
そーとー疲れた。でも、大御所稲越功一カメラマンとの仕事だったので撮影自体は楽しかった。大御所との仕事は何かしら発見や刺激があり、やはり楽しい。打ち合わせやセット建て込みではカジュアルな格好で来られた稲越さん。本番のおとといはおしゃれなスーツ。格好いい。
疲れが溜まっていたので、昨日は一日ひたすらカラダを休めた。ずっとベッド。〆切原稿をふたつクリアした他は何もせず。あ、「『北島康介』プロジェクト2008」(長田渚左著/文春文庫)を読んだっけ。今日の男子水泳100m決勝を前に読んでおくかと何気なく手に取った一冊。意外とおもしろくて一気に読んだ。様々な人がボランティアに近いカタチで濃く関わり、北島康介を作り上げている。その無私な情熱は美談だが、そこにちゃんと報酬が伴う社会にしないと、結局長い目では大国に勝てないだろうな。もう個人の努力で勝てた時代は終わったのだ。
あと、個人の誰それという意味ではなく、60代70代の協会幹部の方々が一斉に辞めてくれないと、やはり日本は勝てないだろう。
もう40代50代に任せて欲しい。やり方が違うのだ。これはどのスポーツ分野においてもそうだし、産業分野においても実はそうだ。ここ10年で世の中の様々な「やり方」が大きく変化してしまった。その変化に対応できず、過去の成功体験を当てはめようとする幹部や経営者が組織のトップに居残る限り、日本に明日はない。
基本的にボクは老人リスペクトの意識が強い人間である。年長者の経験や成功体験は尊い。
でも、ここ10年の変化は歴史的に見ても劇的なものなのだ。いまたまたまトップにいる方々にはタイミング悪くて申し訳ないと思うが、あなた方が悪いのではなく、たまたま「大きく交替しないといけないタイミング」なのである。明治維新と同じようなタイミングなのだ。過去の成功体験を捨てないと生き残れない時代。成功体験がない若手に思い切って任せないと取り残される時代。もう猶予なく。
宮崎駿の「あー面倒くさい」
2008年08月06日(水) 8:13:46
札幌からの帰り便の出発が、羽田空港周辺の雷雨・豪雨で遅れ、東京に着いたのは午後10時すぎ。着いた頃には雨は上がっていた。晴れ男(笑)
ちょうど札幌に行っていた一日の間、東京は豪雨だったらしい。いろんな事故や被害が報じられるのを帰ってから知った。長く停電した地区もあったようですね。停電と聞くとすぐ阪神大震災での体験を思い出し、阪神大震災を思い出すと「こういう豪雨の最中に大地震が起こったらどうなるだろう?」とアタマが勝手にシミュレーションを始める。豪雨×大地震はかんべんしてほしいなぁ。
というか、豪雨というより、そろそろ「これはスコールなのだ」と考え始めた方がいいのではないか。
もう体感的には亜熱帯である日本の夏。スコールが定期的に起こっても不思議ではない。先月にインドやタイやシンガポールの人を相手にレクチャーしたことはここでも書いたが、そのときに「今日の東京はものすごく暑いけど、実際のところ、お国と比べてどうなんですか? やっぱりインドとかシンガポールは今日の東京よりずっと暑いですか?」と聞いてみたのだ。そしたら「almost same」と返ってきた。そう、東京の真夏はインド並みの暑さなのだ。もう亜熱帯的自覚を持ち始めた方がいいのかも。
札幌に行っていて東京にいない間に仕事でトラブルが続出したのだが、8月は後半に夏休みをとることもあって仕事の予定がギッチリ詰まっており、対応も後手後手になる。
うんざり&面倒が続き、消えていなくなりたい衝動と果てしない疲労感に苛まれたが、家に帰ってからたまたまNHKの「プロフェッショナル」を見ていて、宮崎駿が絵コンテ考えながら「面倒くさい。あー面倒くさい面倒くさい面倒くさい」とつぶやくのを見て、なんだか立ち直った。これほど名声を得て、これほど人に求められ、待ち焦がれられ、感動を与えている人が、死にたいほどの「うんざり&面倒」に襲われている。これは逆説的でもあって、「あそこまで行ってすらそうなのか」という絶望にもつながりかねないのだが、昨晩は「いずこも同じ。とにかく進め。それでも進め」という気分になった。
そうそう、おとといくらいにトップページのカウンターが2500万を突破した模様。ありがとうございます。
それと、今発売中の雑誌「プレジデント」(2008.8.18号)で見開き2ページ出ています。出ているというかインタビューされてそれをライターさんが書き起こしてくれた記事が載っている、というだけですが。「達人に学ぶクライアントの落とし方」みたいな特集の3番目「アイデア立案」の部分。P80です。
オフィスの引越
2008年07月26日(土) 10:43:25
関西地区では昨晩「ちりとてちん外伝 まいご3兄弟」が放映されたんだよなー。うらやましー。でも、他地区でも明日のBS2で見られるし、8/10には総合放送で見られる。もうちょっとの我慢だ。とはいえボクは、明日は仕事で出社だし、うちはBS2を録画できないので、8/10までの我慢。わりと長い…。
昨日はオフィスの引越だった。
引越といってもビル内の違う階に移るだけだが、わりと全社単位の引越なので、業者が土日に荷物を一気に動かす。なのでボクはデスク周りの荷物を段ボールに詰めて名前と移動先を書いておくという作業をすればよいのだった。でもそれが意外と大変。
迷ったら、それはゴミ。
自ら作ったそのルールに則って、いろんなものを捨てまくったのだが、それでも段ボール7箱になってしまった。「どうしても捨てられないもの」を厳選すれば段ボール2箱くらいに縮小できると思うのだけど、まだなかなか捨てられない。昔作ったCMとか、プレゼンの企画書とか、買い込んだ資料とか、役に立ちそうな雑誌とか、捨てられないなぁ。
それでも昔よりは荷物少なくなったかも。
昔は制作したテレビCMはフィルムか3/4(Uマチック:通称シブサン)のテープで保管してあって、それが意外と嵩んだので、個人用保管テープだけで何箱にもなった。そのうえ保存用ポスターや新聞広告なんかの場所をとったことといったら。
仕事のほとんどがパソコンで出来るようになってから、CMはCD-ROMかハードディスクで保存でき、ポスターや新聞広告もデータで保存できるようになった。それだけでもずいぶん身軽になった実感はある。
やはり引越があると身の回りが整理できてよいな。
我が家も移り住んできて早8年。捨てられない荷物が増えた。引越すれば荷物を半分に出来る気がするのだけど、引越の予定もない。一度思い切ってエイヤと捨てる作業が必要だ。高峰秀子みたいにどんどん身軽になっていく人生を送りたい。
アホ面
2008年07月23日(水) 7:36:48
昨日、アジアの関係会社の人たちに講義をした。
台湾、タイ、シンガポール、インド、それぞれの国から2〜3人ずつやってきた参加者に向けて話をしたのであった。演目は「クロスメディアの本質について」。
共通言語は英語。
ボクのレジュメは英訳され、横に英語の同時通訳者に座ってもらっての講義。アジアの方々は当然のように英語を聞き取り、質疑も英語でやりとりし、内容もきちんと理解してくれた。
というか、台湾人、タイ人、シンガポール人、インド人、日本人と揃っていて、英語が話せないのが話者である日本人のボクだけ、というのは恥ずかしかったなぁ…。
英語が母国語のヒトと話しているときよりずっと恥ずかしい。まぁシンガポールやインドは英語の普及率が高いのでいいとしても、台湾やタイにも負けるか。ボクも意外と地道に勉強しているのだけどなぁ。地道すぎるのか(笑) 同時通訳のヒトのわかりやすい英語はヒアリングできるのだけど(ボクが話した内容だから当たり前ではあるけど)、彼らの質問がうまく聞き取れない。答えも英語で話せない。んー、日常会話に専門用語の毛が生えた程度の会話だったのに、なぜ…。orz
アホ面さらしたな、と思う。
いや、講義の内容はちゃんとしていたと思う。アジア各国より一歩も二歩も先行っている内容だと思う。でも、「広告の最前線を滔々と語っているくせに、英語という超基本的なリテラシーすら身についていないヒト」ってどうよ。彼らの目にどう映ったのよ。こんな超基本的なことで「負け気分」って悔しすぎる。参った。
まさかこんなところでねぇ
2008年07月17日(木) 6:47:28
昨日の大阪での講演は154ページに膨れあがったパワポを2時間でしゃべくりまくり、最後の方はなんだかガス欠になった。疲れたなぁ。いつもはもう少し動画とかも見せるので、見せている間に休めるのだが、昨日はかなり真面目に「コミュニケーション・デザインをするときのヒント」「ボクはどうやっているかの例」みたいなのをお話したので、とにかくしゃべりっぱなし。聴いてくださった側も大変だったろう。お疲れ様でした。ありがとうございました。
ボクが2時間しゃべった後、次の講演者が1時間話すのだが、プログラムを見たらなんか知った名前。競合他社のヒトなのだけど、んー、これはどう考えても知っている名前だ。そういえばこの名前のヤツ、ボクが知っているヒトだとすると、風の噂で競合他社に入ったのを聞いた気がする…。
と、気になったまま講演を始めたんだけど、広い会場の前の方に当人の顔を発見。うわっ。30年ぶりだよ! 同じ業界で同じ分野の専門家をやっていたとはなぁ。つか、30年前と同じ顔(笑)
つまりですね、次の講演者がですね、中学高校の同期だったのでした。
高校卒業以来初めて会う。それもこんなところで。懐かしい…。
思わず講演の最後に「えー、次の講演の○○くんは、実は中学高校の同期で、顔を見るのは30年ぶりです」と紹介。よっ!とお互い、演台と会場とで挨拶を交わし合う。それにしても、まさかこんなところでねぇ。
講演も無事おわり、○○くんと名刺交換をしてバトンタッチ。
その後、大阪支社時代の懐かしい方々の顔をオフィスに見に行く。
で、ある昔の戦友と話していたら、聞き捨てならぬ言葉が。
「今晩、△△さんと飲むんだよ」。
えええっ! その△△さん、ボクの入社時の直属の上司にして仲人さん。大阪支社時代の親代わりに近い方。もうとっくに会社は引退していて、ほぼ悠々自適の生活を送っていらっしゃる。どうやらちょっと深い話をする会食のようだったので合流するのは無理っぽいけど、もし出来るなら、そのレストランの前で△△さんに挨拶だけさせてくれませんか!
もちろんいいよ、と言ってもらい、レストラン(リッツの「花筐」)の前で待つ。
向こうから人影が見えてくる。おお、あの、癖のある歩き方〜(←ユーミンの「ダンデライオン」の節で)。8年ぶりかなぁ。あぁ顔が見えてきた。
「お久しぶりです!」「?……おおっ!」
いやぁ、おかわりなくお元気そうで良かった。ボクの「明日の広告」も読んでくださり、とてもうれしい感想をいただいた。なんかお互いに感慨深い目で見つめ合う。端から見たら久しぶりに会う親子みたいだっただろうか。いやまぁ仲人と言えば親も同然なので親子に見えてもいいのだが。
大阪の郊外に住んでらっしゃる△△さんとは、なかなかお会いする機会がない。ここでご挨拶できて本当に良かった。うれしい。…それにしても、まさかこんなところでねぇ。
ハワイは遠くなりにけり
2008年07月16日(水) 6:59:16
体調不良のひと月と、その後のハワイ出張のしわ寄せが来ていて、仕事がバタバタだ。
バタバタといっても分秒単位で右往左往するわけではないが、「自分が企画の中心にいて推進力にならないといけず、最終責任も自分にある」プロジェクトが4つ〜5つほどになってくるといきなり余裕が失われる。若手として走り回っていたころは同時に13個のプロジェクト(CM制作)をしたことがあって我ながら記録だと思っているのだが、でもあれは責任者が別にいた。やりっぱなしでも責任者(部長)が最終的に締めてくれる、みたいな甘えがどこかにあった。いまはそれがない分、冷や汗の量が違う。
しかも、新しいコミュニケーションを目指す部署なので、前例がないことも多く、実行には手がかかる。CMという部品だけ作っていれば良かった時代とは違い、いろんなコンタクト・ポイントに目を光らせ実行しないといけない。メディアによっては「ここはプロダクションに任せて流れ作業で」みたいな部分がほとんどなく、自分でシコシコ企画書書いて実行の経過をいちいちチェックして修正しないといけない。手離れ悪いのだ。全部ちゃんとやろうと思ったら無限に作業があるのである。おかげで会社のメールの受信簿は様々なプロジェクトのメールで埋まり、雑務・事務のメールもたくさんあり、もう何がなにやら…。見逃すメールも多く、アポイントの約束を果たせず大汗かくこともしばしば。
ということで、ハワイの気分はすでに遙か彼方に吹っ飛び、このまま突っ走ると体調不良まで戻ってきそうで怖い今日このごろ。ハワイって…、5日前に帰ってきたばかりなんだけどなぁ(って、あれも仕事だったが)。
と、こんな中、今日は日帰りで大阪。講演である。1日いない間、変なトラブルが起こりませんように(祈)。ってまだ講演のパワポ、完成してないや。新幹線で書こう。
ハワイ出張 第1日目
2008年07月08日(火) 13:41:10
夜7時すぎ成田発の便で朝7時すぎにホノルル空港着。7時間弱の旅。予算が少ない出張だったので全員エコノミー。まぁ7時間なら我慢できるが、わりとギリギリだったかな。あまり眠れず。そのうえ機内が異様に寒く、毛布を2枚もらって全身くるまって寝た。風邪ぶりかえしたら大変だ。
なんとかホノルルに着き、外に出ると27℃のドライな陽気。あぁこの乾いた感じ、素晴らしいなぁ。約20年ぶりのハワイである。前回はあまりいい印象を持たなかったが、今回はわりといい予感。
ホテル(ヒルトン)に荷物を置いて、すぐ撮影に出かける。今回は実質2日(予備日1日)でたくさん撮りまくらなければいけない。
外はピーカン(ピーカンとはピーク・コンデションの略で撮影用語かな)。
坊主のボクは、キャップをかぶると焼けている部分と焼けていない部分がクッキリおでこ上で分かれてしまう。そうなると東京に帰ってから非常に恥ずかしい思いをするので、こういういかにも焼けそうな場所ではキャップをかぶらない。で、頭頂部を太陽に晒しながらワイキキのビーチで撮影立ち会いしていたのだが、みんなに「佐藤さん、それは危ない」「悪いことは言わないから帽子を買いなさいって」「キャップがイヤならハットとかさ」「たぶんそのまま行くと悲惨なことになりますよ」とか口々に言われる。うるさいなぁ。でも頭頂部が少しつっぱってきた(焼ける前兆)ので、仕方なく撮影の合間にハットを買いに行く。麦わらのツバが大きなヤツね。ついでにサンダルも買ってすっかりハワイのオジサンスタイル。
今回、カメラはいつか仕事を一緒にできたらいいなぁと思っていたホンマタカシさんにお願いできた。大ラッキーである。最初はお互い無口で緊張していたが、少しずつほぐれてきた。というかハットを買う買わないでほぐれた。ボクが買ってきたのを見て、ホンマさんもハットを同じところに買いに行き、ふたりで麦わら帽子コンビに。
ホンマさんはやっぱりすごい。
仮撮影でポラ切ったりするんだけど、そのポラを見て、百戦錬磨のアートディレクターとかクリエーティブ・ディレクター(←一応ボク)とかが「うわー、キレイー」とため息をついてしまう程なのだ。ホント、なんてことない風景が魔法のようにキレイな舞台に早変わりする。この人の目には世界がこう見えているのかぁとひたすら感心する。
今日の撮影は昼過ぎに終わり、あとは明日からのロケハン。オアフ島を車で走り回った。きれいなビーチがたくさんあるなぁ。遠くの島々がクッキリ見える。空気が澄んでいる。あぁ完全復活だ、とおいしい空気を吸いながら思った。癒しの島なのだな、やっぱり。
ということで、いまから夜ご飯(日本とは19時間くらい時差がある)。
今日はひさしぶりにちゃんとお酒を飲む予定。うれしい…。
ポジティブ or ネガティブ
2008年07月03日(木) 7:46:54
普段から「ポジティブ・シンキング! ポジティブ・シンキング!」と自分に言い聞かせて生きていると、体調が悪いときもポジティブになりがちで、知らず知らずに「なんとかなるさ」「前向きに行けば治る」とか考えている自分がいる(まぁ真のポジティブ・シンキングは客観的な現状把握があった上で「病気の状態を楽しもう」とか前向きになることなので、これは単なる現状認識の甘さに近いものであるが)。
ここ数日、まるでそれを見透かしたように、人生の大先輩方から「まさか、そんなこと考えているのではないでしょうね」というような意味のメールを立て続けにいただいた。えっとえっと…、そんなこと考えてました(笑)
「忙しい、断れない、まだたぶん大丈夫、だって仕事は絶好調なんだから運も上向きのはず、と言っているうちに倒れた仲間を何人か知っています」とか読むと、あぁちゃんと現状認識をシビアにしないとなぁと素直に思う。当たり前なことなんだけど、「自分ごと」になると、これがなかなか出来ない。大先輩方も「そうやって自分も倒れ、人生の方向が変わった」みたいなことを書かれており、実体験アドバイスが心に沁みる。
昨晩も前々から約束していた飲み会で、IT系企業の社長とか有名編集長とかメディア系会社の社長とか会社の同期とかが集まったのだが、途中から疲れが出てしまってうまく場の雰囲気に乗り切れなかった(異様に盛り上がった宴席だったのに)。飲みも食べもほんの少しずつしか出来ない。さすがにまだ復調していない自分を自覚させられたなぁ。多少ネガティブ・シンキングしながら深夜帰宅。
そこですぐ寝ればいいのに、今日の朝8時半からの会議資料が出来上がっておらず、いっそいで企画書を書いた。そうだ、朝の会議が終わったら、いったん仮眠室で寝させてもらおう! それは極楽! って、これはポジティブ・シンキングなのかネガティブ・シンキングなのか。どっちだ?
今日から新部署
2008年07月01日(火) 7:12:41
2000年春から昨日までずっと同じ部署にいたのだが、今日から新たな部署である。いわゆる「異動」だ。
昨日までいた部署はネットを扱う部署。8年前にそこに来た当時まだ50人弱の組織だったのだが、時代の流れとともに年々人は増え続け、いまでは200人前後の大所帯。大きくなったなぁ。
いい意味でも悪い意味でもトラディショナルな会社の中で、その部署だけネット社会のカルチャーが育ち、オープンでシェアな独特の空気感があった。
ウェブという新しいメディアの世界では誰もが新参者で誰もがアマチュアだ。過去の、そして他メディアでの「成功体験」はまったく通用しない。でも、だからこそ楽しいところがあり、ボクたちはアマチュアイズムを存分に発揮して楽しく働いたと思う。昨日の成功体験はすぐに捨てて、明日の成功を目指す日々。ディレクター職なんて過去の成功体験で10年は喰えるのに(他部署ではそうしている人が多いのに)、それを即座に捨てて次に進まなければいけない日々の繰り返し。鍛えられたなぁ。この年齢にして、常に若手と同じスピード(もしくはもっと早いスピード)で変わり続けないといけない状況に晒されたのは実にラッキーであった。
会社というプロ集団の中でのアマチュア集団という立ち位置は、それはそれで社内の風当たりも強い部分もあったし、失敗も数限りなく経験させられたが、とても大切なことをボクの肌に刷り込んでもくれた。
アマチュアであり続けることの強さである。
当たり前だが、どんな事例もアマチュア目線で接すると「初めての事例」であり、だからこそ新鮮な切り口で見ることができる。プロ目線だと「いつもと同じ」だと思って見逃しがちなことが、アマチュア目線だと「あれ? どういうことだろう?」とバイアスのかからない視点で見直すことができる。最近の言葉で言えば「ゼロベース」に感じが近いかな。あらゆる仕事をゼロベースで考えるクセがついた(と思う)。
さてと、新部署。
拙著「明日の広告」で書いたようなことをする部署ではあるが、新たな荒れ野を開拓して生活できるように整備する使命もある。ただ、ネットの部署にいたときよりは「成功体験で喰える」部署でもあるので、少し油断するといつの間にか変化を恐れる自分になっている可能性もある。これからは、周りの環境によって無理矢理に、ではなく、自発的に、自ら率先して「過去の成功体験」を脱ぎ捨てていかなければならないだろう。それって相当意識的にやらないと大変かもなぁ。とか。そんなことを思う第一日目。
美しく気持ちよい夜風
2008年06月25日(水) 8:17:23
自分的にはおそるおそるリハビリって感じで夕方の打ち合わせに行ったのだけど、考えたら別に入院していたわけでもなく、数日休んだだけだった。なんでかしんないけど、えらく長いこと病気をしている気分。まぁ最初に病院行ったのが6月6日だったので20日間近くダラダラと病気ではあるのだけどな。そろそろちゃんと治さないと。というか、治れ。
ここに来て「心の病気も疑いなさい」というメールが急に来だした。
カラダが先に信号を発するんだって。なるほどー。ありがとうございます。まぁ本業の本を出して以来、様々なリクエストが届きだし、仕事でも今までになく高い結果を期待されるようになり、プレッシャーが日々強まっているのは確か。心が悲鳴あげてるのかなぁ。少し慎重に心を覗くようにしよう。
昨晩の講演は「変化した消費者とコミュニケーションする方法」みたいなテーマだったのだけど、業界が全く違う方々の集まり(100人くらい)だったので、消費者はどう変化したのか、をいつもより丁寧に話した。途中で時計を見てビックリ。おお、もう1時間経っている! 微熱で勘がにぶっているのか、丁寧に話しすぎたのか、時間配分を大幅に間違え、そこからが駆け足&端折り。「ではどうやって変化した消費者に対応するのか」の部分が少し説明したりないまま終了。あぁ申し訳なかったなぁ。伝えたい核の部分はちゃんと伝わったみたいでホッとしているけど、自分的には後悔あり。まだまだアマチュアだ。
講演後、夜の街をゆっくり歩いたが、昨晩は最高に気持ちいい夜だったな。まるで奇跡のような美しく気持ちよい夜風。横を歩いている人と思わず手をつないで歩きたくなるような(よしなさい)。夜風を楽しみながらふわふわと歩きつつ、ふと、妙にほがらか&ポジティブな自分に気づく。お。こりゃ、治るかも、しれないぞ。
気になる会議
2008年06月24日(火) 8:21:28
昨日ボクが会社を休んだことで出られなかった企画会議のことが気になっていた。
会議は16時に始まる。「終わったら結果を電話してね」と営業に電話しておいたのだが、19時になっても20時になっても21時になっても連絡がない。シビレを切らして「どう?」と電話したら「もうちょっと…」と疲れた声で。んー、すまんなぁ。ボクが出席していれば(ボクは長時間会議が嫌いなのでサッサと進行しようとするせいもあり)もうちょっとは早く終わっていただろうに。というか、ディレクターとしてのボクが参加しないと、ある程度滞るのは仕方ない。偉そうな意味ではなくて。物理的に。
で、ようやく22時ころ電話。6時間も会議してたのかよ…。
疲れ果てた営業から会議の結果を聞きつつ、「いや、でもさー」と口を挟むイヤなディレクター。長い会議の挙げ句、休んだヤツに言われたくないだろうなぁ、本当にイヤだろうなぁとは想像つくのだけど、ここで妥協するとボンヤリしたコミュニケーション・デザインになっちゃいそうなので心を鬼にしてあーだこーだ言う。すまん。ホントすまん。今度おいしいものでも奢るから、我慢してください。
1時間以上電話で話して、お互いなんとかコンセンサスを得る。
営業の不安がビンビンに伝わってくる。ボクも不安だ。ボクのディレクションが間違っていたら、10億円くらいの仕事がなくなる。この年齢になるとこういう責任が急激に増えてくる。でも自分以上のことはできないので、自分を信じて仕事するしかないなぁ。
なんかストレスがたまったので、iTunesからダウンロードした「Sick Puppies」のアルバムを寝る前に聴いた。「Free Hugs」のテーマ曲である「All the same」で知ったグループだが、なかなか良い。少しだけ活力をもらう。
微熱は微微熱に変わりつつある。
投げ出すわけにはいかない
2008年06月23日(月) 14:51:37
病院に行って血液検査などを受けてきたのだが、数値はやはり安定していて、特に悪いところは見つからず。でも微熱はとれない。頭痛もとれない。うーむ。
ということで、まだしばらく会社に行けないのだが、まさかこんなことになろうとは思わなかったので、さすがにいくつかの仕事がやばくなっている。投げ出すわけにはいかないので、とりあえず家で企画書の草案などを書いている。本格的企画書を書くにはテンションと体力が足りない。
もうひとつ、やばいなぁと思っているのは明晩の講演。これはお断りできないので這ってでも行くが、1時間半しゃべり切れるのかがどうにも不安。いや、話している間はアドレナリンが出ているからいいけど、話し終わってからのグッタリが怖いな。
昨日、井上雄彦さんの言葉をひとつご紹介したが、同じく「バガボンド」の28巻袖のこんな言葉もご紹介しよう。
「高校生の頃
好きなことを仕事にするのはつらいよ、
そこそこ好きなことを仕事に選ぶといいと助言された
僕はその言葉に逆らった
そして今それで良かったと思える
この仕事がそこそこ好きなことだったら
もう投げ出していただろう
好きなことと自分はイコールだ
自分を投げ出すわけにはいかない」
上の方でボクも「投げ出すわけにはいかない」とは書いているが、でも、そこにあるのは責任感と義務感である。それとは違う意味で、つまり井上さんが語っている意味で「投げ出すわけにはいかない」と、コミュニケーションの仕事全体のことを思っているかどうかはまた別だ。この仕事、とてもボクに向いているとは思うが、投げ出せちゃう気もする。じゃ、投げ出せない仕事は? どこにある?
ぶりかえし
2008年06月20日(金) 9:05:23
これまた病気ですっかり書くタイミングを失ってたけど、発売中の雑誌「日経エンタテインメント!」に載ってます。P88にインタビュー。顔写真付きだけど、シルエットなので超謎の男(笑)。ちなみに発売中の雑誌「日経おとなのOFF」にも出ています。これはインタビューのみ。
って、すっかり病気が回復したような感じで書いてますが、まだまだ不調は続いていて、今朝また微熱に戻ってしまいました。水木、そこそこ自重して働いたのだけど、それでも忙しくしすぎだったか…。いただいた抗生剤は飲み続けているんだけどなぁ…。昨晩ほんの少しだけ外食したのもいけなかったかなぁ…。この程度なら家で食べるのと一緒、程度な外食だったのだけど。
あぁこれでまた今日はお休み。来週もちょっとわからない状況に。いろんな仕事が重なっていてとても休める状況じゃないだけに冷や汗が出る。いま熱が出る風邪が流行っているらしいので、それかなとは思うのだけど、とにかく治さなければ。
って、またみんなにメールで怒られるー(笑)
こわいこわい。お手柔らかに。。。(でも、ちょっと怒られ好き。特に副委員長タイプのヒトに「ダメでしょ!」とか言われるとグッと来ます ←バカ)
子孫に閉塞感のない社会を残すという貢献
2008年06月06日(金) 8:48:50
数日前になるが、「今のままでは著作権法に未来はない」という中山信弘氏(知的財産権研究会会長)の素晴らしいスピーチを池田信夫氏がメモから書き起こしてくれているので、リンク&共有します。
著作権法についてボクの考えをくわしく書くことはしないが、アナログ時代に最適化された法律をそのままデジタル時代に当てはめるのは無理というか怠慢、とは思っている。デジタル&ネットの出現は、産業革命に匹敵する変革だ。産業革命以前のやり方や価値観を改めないといけないのは自明である。
ま、それはともかく、このスピーチを読んでボクは「子孫に閉塞感のない社会を残すという貢献」について考えさせられた。子孫によりよい社会を残す、という言葉はとかく環境問題みたいな文脈で語られることが多いけど、古くなった体制を変え、閉塞感を取り除き、チャレンジしやすい社会にしてあげることもそのひとつである。そのために力をふるえるのなら、「地位を得る」というのもある種の「貢献」なのだな、と気づかせてくれた感じ。
組織の中での出世とか地位とか、ボクはどこかで鼻で笑っていた。
興味もないしひたすら面倒臭い。そんなことに自分の限られた人生を使いたくない。何かやりたいことがあったら自分個人のリスクで、と思っていたし、そういう準備も続けてきた。実際、上の方は、変化しつづける社会に対応しようともしない「老害」としか言いようがない人たちが古い価値観と既得権益を守っている魑魅魍魎の世界でもあるので(うちの会社が、ではなく、一般的に)、なるべく関わらずに遠くから見ていたいと思ってきた。
でも、そういう場所に足を踏み入れることでしか出来ない「子孫への貢献」もあるのだな。
会長という地位を得て発言力を増し、こうして改革の先頭に立つ人もいる。そのためには「組織の中での長く厳しいステップアップ」や「業界の重鎮になるための様々な面倒」が必要だ。でも、その分、上に立てれば(上に立つ過程で志を失わなければ)、評論家や批評家には出来ない「実際的な改革や貢献」が出来る。その辺の考えがボクには欠落していた。
出世して地位を得たいと書いているわけではまるでない(念のため)。そういう地位を得ることで「子孫に閉塞感のない社会を残すという貢献」ができるのなら、捨てたものでもないかも、と思っただけである。偉い人にはガッカリさせられることが多い昨今だが、こうしてちゃんと次代のことを考えて動いている人もいる。捨てたものではない。
反応の波状攻撃
2008年05月30日(金) 8:11:14
拙著「明日の広告」、5刷決まりました。ありがとうございました。
4刷までは1ヶ月で行ったのだけど、4刷は多めに刷ったこともあり、4刷から5刷まで3ヶ月。でも、一応、1月より2月、2月より3月、3月より4月、と、売上げは少しずつ増えているらしい。ありがたいことです。広告業界以外の方からのご感想も多く、「超わかりやすく」を心がけて書いた甲斐がありました。
今回面白かったのは反応の波状攻撃。
1月中旬に書店に並び始めて、まず反応がドドドと来たのがネット上。これは出足が早く、有名ブロガーたちが書いてくれたこともあって2週間くらいで数百のブログが書評を書いてくれました。
2月も引き続きブログ上での反応が多く、「渋谷ではたらく社長」に取り上げられたときをピークとしてアマゾンが「在庫なし」になり、その後数週間の致命的な「在庫なし」の継続で一気にブログ書評が減りました。まさに致命的。ここでネット上の勢いストップ。クチコミがクチコミを呼ぶ、というスパイラルに乗れなかったのは大きい。
でも、3月になると社内や広告業界からのリアルな(ネットを介さない)反応が入り始めました。2ヶ月の誤差。普段ネットにあまり触れてない業界人がそのくらいの誤差で読み始めてくれた感じ。リアルだと、発売直後よりもどっかのベストセラーリストに載ったのを見て買い始める人も多いから、2ヶ月遅れというのは肌感覚に近いかも。
で、4月。この月は講演会や取材のオファーが急に来始めました。3ヶ月誤差。マスコミ関係の方々がこの本の売れ行きや反応を客観的に判断して、腰を上げ始めてくれた時期。ブロガーたちの素早い動きとのこの誤差は(哀しいけど)これまたリアル。
んでもって5月になったらクライアントから仕事のオファーが急増。4ヶ月誤差。リアル・ビジネスでの反応が続けざまに来た。もう最近ではネット上の書評もほとんどないんだけど、リアルな反応は逆に増えている。4ヶ月ってネットの感覚だとめっちゃ長いんだけど(永遠みたいだ)、リアルだと意外と短い。ネット上での時間感覚に慣れちゃっているけど、それはそれで「特殊」ということを改めて自覚させてくれた。
わりとネット上で取り上げてくれやすい内容の本だったということもあるけど、世の中に何かがクチコミで広がっていくスピードや経路、メディアの順番みたいなものの一例ではある。広告だと初速の反応で広告効果を計ったりするけど、意外と3ヶ月4ヶ月後にリアル・ビジネス上で現れる動きの方が大事だったりする、という発見も。一般事例として、時間経過によるクチコミの質・量・経路の変化をもう少し調べてみる必要があるなぁ。
飲みニケーションは古い
2008年05月25日(日) 17:36:28
ちょっと前だが「部下をねぎらう店」という取材を受けた。
部下との飲みニケーション(死語)、みたいなことである。「部下とのコミュニケーションは管理職に共通する悩み。部下をお酒に誘ってねぎらうとき(もしくはコミュニケーションをとるとき)、アナタならどういう店を選びますか?」という質問をさせていただきたい、ということだった。それを聞いて「ボクには向いていない」と思って最初お断りしたのだが、重ねて要請され、結局インタビューを引き受けた。「飲みニケーションに否定的なんですけどいいですか?」という条件付きで。
そのインタビューでのボクの答えはこんな感じ。
「プライベートを大事にし、しかも元々あまりお酒を飲まない今の20代30代は、基本的に上司とは飲みに行きたがらない。なのに無理やり誘うのでは、ねぎらいにならない。ねぎらうなら、就業時間内に素面できちんと伝えた方がいい。コミュニケーションをとるにしても、お酒の席である必要は特にはない」
ぐはは。とりつく島もない。テーマに合ってもいない。でもどうやらこのまま載せてくれる模様(月刊誌「日経おとなのOFF」7月号)。とても好意的なインタビュアーで助かった。
ボクは、部下とコミュニケーションを取るために飲みに行く、いわゆる「飲みニケーション」は古いと思っている。5年ほど前までは実践の意味も感じていたが、最近ではもう改めた。古い。
年長のオジサンたちは「若者がつきあい悪くなった」と責めるように言う。まぁそれは事実だ。でも、それがわかっているのに、彼らは「飲みの場でのコミュニケーション至上主義」を貫いて無理矢理誘う。それってコミュニケーションと言えるのかな。「明日の広告」ではないが、コミュニケーションをとりたい相手(若者)本位に考えないと伝わるものも伝わらないのでは? 若者の生活パターンは大幅に変化したのだ。彼らはマジでお酒を飲まないし、上司年代とは違う時間の使い方をする。
もちろん、若者を酒の場につれていくことで伝承できることはいろいろある。
ボクは先輩方に「若者が行けないような高級な店」にいろいろ連れて行っていただき、世間を知り、成長させてもらってきた。今度はボクがそれをすべき番だとは自覚している。
だから、仕事抜きで、彼らが普段行かない(行けない)ような高級店に連れて行ったりはする。コミュニケーション目的ではなく、「こういう世界があるよ」と教えるためだ。とはいえ、高級店で釣っても「上司と飲むのはイヤ」という顔をする若者はいるから(泣)、そういうヒトは無理には誘わない。断られてもその人に悪意など持たない。
まぁこんなこと書くと「そんな考えのヤツがいるからコミュニケーションがどんどん薄まっていく。無理矢理にでも誘う意味はある。酔ったら本音も聞き出せる」みたいな反論が来るのかもしれない。でも、そういう行為が逆に若者との溝を広げる場合もある。つか、酔わせて本音っていうのもどうか。
要は相手次第なのだが、年長者と酒を飲みたがらない若者だと見抜いたのなら、酒を介さないコミュニケーションをこちらが工夫すべきだと思う。つきあいが悪い若者を責める前に、自分の行動を見直した方が良い気がする。
でも、飲食店やお酒のメーカーは大変だろうなぁ。若者がここまでお酒を飲まなくなると…。
3つの風
2008年05月24日(土) 19:14:22
今日発売の「月刊アスキー」7月号の第一特集は「明日の広告」らしい。
実はまだ届いてないので読めてないのだけど、別にボクの本の特集ではなく(笑)、ボクの本を受けて、編集部なりに「明日の広告の姿」を読み解いていったもののよう。ボクは冒頭の2ページ見開きインタビューのみ(顔写真はないですよ)。
もちろん拙著「明日の広告」はアスキー新書から出しているので、販促の意味合いもある特集だと思う。でも自分の本の題名が特集記事になっているのってなんとも不思議だ。
拙著「明日の広告」を出したのが1月。
いままでエッセイや食関係の本を10冊ほど出しているが、仕事の本は初めてであったこともあって、反応が仕事方面から来るのが新鮮だった。出版=プライベート、という自分の中での一線が壊されて、より「仕事とプライベートの境目」がなくなってきた感じ。まぁそれでも2月3月はおとなしめであった。
風が変わったなぁと感じだしたのは4月。
まず講演依頼が急増した。広告系の勉強会や学生相手の講義、クライアントに呼ばれてのレクチャーや、広告には関係ないけど広くコミュニケーションを題材とした講演など、めったやたらに依頼が増えた。
まぁ何事も経験だし、これを機に場数を踏んでアガリ症を治そうという気持ちもあるので有り難く引き受けているのだが、本のテーマ自体が「伝えたい相手本位のコミュニケーション」であるだけに、聴衆のタイプや傾向を細かく聞き出してそこに内容をアジャストしていくので、講演準備は何かと時間がかかる。最近では週1平均。来週は学生相手の講義がふたつもある。前準備がとても大変だ。
その上、もうひとつの「風」として仕事依頼が増えてきたのが痛い(痛いのか)。
本業だから断れないし、あんな本を書いた手前、依頼相手の期待値が異様に上がっているのでとても大変。プレッシャーもきつい。きびしー!
んでもって3つめの「風」として取材依頼や寄稿依頼も増えた。インタビューを受けたりコメントしたり。いままでのエッセイや食関係の出版と違って、ビジネス系って依頼が多いなぁ。必然的に人脈も変わってきて、いままでおつきあいしたことないタイプの方との接点が増えている。楽しい。楽しいけど、わりとイッパイイッパイ。
勝間和代氏が「本を出すと人脈も仕事もあっちからやってくるようになる」とどっかで書いていたが、エッセイなどにそれはそんなに当てはまらないが、仕事の本には完璧に当てはまる。なるほどねー、こういうことねー、と、疲れながらもつぶやく昨今。偉そうに聞こえたらごめんなさい。でも素直な感想はそんなとこ。
スーツ着て講演
2008年05月18日(日) 18:15:49
今日は1500人弱を相手に講演してきた。
こんなに多い聴衆を相手にするのは2回目かな。ある学会での特別講演だったのだが、紹介や導入がよかったせいであまり緊張せず話が出来た。というか、本当にボクなんかでいいんですか?と不安になるような、伝統ある学会での出し物。念のため、と思って着慣れぬスーツを着て出かけたのだが、ジーンズ着てかなくて本当に良かった。ジーンズだったら浮きまくってた(笑)
広告以外の分野での門外漢的講演。門外漢としてどこまでつっこんでいいものか、ちょっと「話の距離感」に迷ったものの、とても暖かい聴衆で助かった。ちゃんと笑ってくれたし満足。少しでもお役に立てたのなら光栄だ。
「明日の広告」を出してから講演依頼がとても増えたのだが、もともと人前で話すのが非常に不得意なタチである。小学校時代から赤面症で目立つことが嫌いなのだ。いまこうして人前でしゃべってる自分がいまだに信じられない。何事も場慣れと経験なのだなぁと思う。たぶんパワポ資料もなく手ぶらで話せと言われたら死ぬと思うが、パワポさえ見せられるのならわりと話せるようになってきた。いや、本当に、あれだけ口ベタでアガリ症な自分がねぇ、と、よく思う。
とはいえ、今回は(今回も?)パワポ作成時点でわりと悩んだ。
知り合い(ボクにとってはかつてのスター)からのオファーだったので一も二もなく受けたのだが、本番まであと数日と迫るに従って悩みが深くなっていく。講演のパワポを作ってみると、どうにも「浅い」。門外漢分野って深くつっこめないからどうしても浅くなる。ううむ。こんなに浅くて大丈夫なのかな…。
昨晩はとても悩み、パワポを何度も作り直した。自分でどんどんハードル高くして作り直しては、「やっぱりこれじゃ難しすぎるし内容にもいまいち自信がない」とハードルをまた低くして、の作業の繰り返し。他の講演でも毎回こんなことをすることはするが、今回は特に悩んだ。こういう試行錯誤は決して無駄にはならず、数回こういうのを繰り返すと「思ってもみない結論」に辿り着いたりするのだが、今回はわりと冷や汗かいたかも。
ところで。
今日(日曜)の朝日新聞の読書欄「売れてる本」のコーナーに拙著「明日の広告」が載っています(asahi.comへの反映は木曜らしい)。この本、おかげさまでじわじわ売れておりまして、ロングセラー的な動きになってきています。とはいえ、世のベストセラー系の部数に比べると小さなもんなんですが。
そういえば、5/14に行われたサイバーエージェントの決算説明会でお前の本が出てくるぞ、と友人に言われ、「まさか決算説明会で」ってビデオを見てみたら、始まって25分すぎの藤田晋社長のスピーチのところで本当に拙著「明日の広告」が出てきた(驚) ま、一瞬なんですが、なんだか不思議だ。
千葉の奥の奥の方
2008年05月14日(水) 21:36:29
NYから帰ってきてからさすがにバタバタしていて、企画・雑務・人事・会議・講義と折り重なっている。まぁ連休明けということもあるけど実に慌ただしい限り。連載もそろそろ〆切だ。あぁ台湾も仙台もNYも「おいしい店」まとめたい…。あ、メールのお返事など、とんでもなく遅れてます。すいません…。
今朝は6時半すぎに家を出て千葉の奥の奥の方まで2時間半かけて出かけた。と、遠い!
会社の研修所での講義が目的。
この講義を3月にオファーされて、そのときの勢いでちょっとハードルの高い講義テーマを設定しちゃったのだが(そのときはそれで出来る気がしていた)、そのテーマが今になってプレッシャーとなり、昨晩も今朝も「あーでもない、こーでもない」とパワポをいじりまくってた。やべっ、できないっ、話せないっ、と切羽詰まる。
今朝の段階でまだ出来てなかったのだが、出かける寸前に「あ、こうまとめればいいんだ!」と思いつき、それまで作っていた中途半端なパワポは破棄。行きの電車内でタコ坊主のような形相で必死にMac Book Airを打ちまくり(周りの乗客が引いていた)、研修所についてからも講義が始まる寸前まで打ちまくり、なんとかギリギリで100枚ほどのパワポを完成。そのまま勢いで講義も話し終わった。好評。良かった。ホッとしてお弁当をいただいて、また2時間半かけて都内へ戻ってきた。行って話して帰ってくるだけで7時間以上だよぉ。でも無事に済んで良かった良かった。
と、ここでふと気づく。
社員証とクレジットカードがない! どうやらどこかで落とした模様。
クレジットカードはSuicaを兼ねているヤツで、会社のゲートを通るときに使う社員証と一緒にプラスティック・ケースに入れて、いつもポケットに入れている。物を落とすことがほとんどない人生を送ってきたので、そんな持ち歩き方でも落とさない自信があったのだ。なのになのに。んーちょっと呆然。
朝からの行動をひとつひとつ掘り起こしてみる。薄ぼんやりしているが、行きの電車でタコ坊主のような形相で必死にMac Book Airを打ちまくっている時に車掌の検札を受けた気がする。特急券も買わずに飛び乗ったので、Suicaを見せて降車駅までの乗車券・特急券を買った記憶がある。そのときそのSuicaをちゃんとしまわずに、寸暇を惜しんでまたMac Book Airに向かった気がする…。
あの時落としたに違いない!
千葉の奥の奥の方にあるその特急の終着駅に電話して拾得物を聞いてみたが、答えは「届いてないです」のひと言。
一応携帯電話の番号をお教えして、あったら電話してくれるように頼み、あとは研修所に電話したり、クレジットカードを止めたり、社員証を止めたり(止めないとそのカードを拾ったヒトが会社に自由に出入りできるようになる)。あぁ始末書もんだなぁ、とか思って暗い気持ちでいたら、その1時間後に駅から電話で「見つかりました!」と。
いや〜助かった…。
千葉の奥の奥の方のその駅員さん、落とした状況や場所を聞いて、車庫に入っている列車にわざわざ見に行かせて、きっちり拾得してくれた模様。ありがたいなぁ。というか、仕事を増やして申し訳なかったなぁ。こういうあたり、日本はモラルがまだしっかりしていてやっぱり安心だ。疲れたけどいい一日だったぜよ。
うまいもので頭痛を霧散させる
2008年05月01日(木) 5:31:03
企画書書きの寝不足もあって偏頭痛がし、肩こりも酷かった昨日。会社のデスクに向かっていても常に目の奥の方がジンジンと痛い。ちょっとヤバイな、これは。
こういうときの対処法のひとつは「思いっきりおいしい昼飯を食べる」である。ボクの場合、それで治った過去がある(ホントかよ)。なんか悪いストレスみたいなものが出てっちゃうのかな。
電話してみたらラッキーにも席がひとつ空いていたので「鮨しみづ」。
地方の名店をいくつか回っている昨今だが、やはりここの鮨はひとレベル違う。というかボクとの相性が抜群なのだ。年々相性がよくなる気がする。数年前より柔らかく優しい握りに変化してきているが、奥の方に力強い男鮨が身を潜めていて、その酢の強さといい、パラけ方の絶妙な具合といい、Too Muchじゃない感じといい、お値段といい、食後の気持ちよさといい、ボクの中の「鮨の理想」に今一番近いかもしれない。
他の名店で食べても、それはそれで「うまいなぁ」と溜息をつくが、「鮨しみづ」で食べたときのホッとするようなしみじみするような極楽感は味わえない。相性だなぁ。いくつか名店を知っているからこそ、味の相性の存在に気がつく。相性がいい店を探し当てられたのは人生の極上のシアワセのひとつだ。そしてそのシアワセはそこそこの遍歴があってこそ、である。(←遍歴の末でないとボクはシアワセを感じられない)
これからも遍歴は重ねていくとは思うけど、この相性ばっちりが少しでも長く続きますように。
そう神様にお願いして店を出た。
あ、偏頭痛も肩こりも治らなかったです(笑)。そう甘くはないか…。
で、夜22時。
企画書を書いていたら電話。打ち合わせを兼ねて一杯飲むことになった。頭痛はひかない。痛い痛い。
行ったのは「Bar Radio」。最初はシャンパン。ボワールをちょっと垂らしてもらう。うまいなぁ。数杯飲んだあと、尾崎さんに「何かお願いします」と、カクテルを指定せずにお願いする(期待満面)。はい、と、いつもの笑顔で応えてくれて丁寧に作業しだす尾崎さん。
「はい、どうぞ。ジン・フィズです」
ジン・フィズ?
と、ちょっとはぐらかされた気分で飲み始めたが、このジン・フィズがすごかった。
あぁジン・フィズって飲み物の高みをボクはまだ知らなかったな。こんなにすごいんだ…。飲んだ瞬間、数多あるカクテルの中からジン・フィズという狭い狭いストライクを(それもチェンジアップで)狙いにきた尾崎さんの粋に気がついた。うわぁ。それにしてもジン・フィズがここまで…。うわぁ。
いや、ウソみたいな話、頭痛が霧散した。
そういうことも、ある。実際、あまり寝てないままに朝5時に起きて仕事をしているが、頭痛も肩こりも治ってしまった。うはは。
体内時計?
2008年04月16日(水) 8:01:08
先週の大阪での講演はパワポ(パワーポイントというプレゼン・ソフト)で143枚に及んだ。
2時間で143枚。1分で1.2枚。有料の講演だったので、ぜひ元を取って欲しいこともあり、アレも言おうコレも言おうこの動画も見せよう、とか盛り沢山に入れ込んでいたら最終的にこんなになってしまった。まぁ1枚にたくさんの要素を入れるのが嫌いなので、1枚1行とかも多いのだけど、動画とかもいろいろ見せて143枚はさすがに多い。
いつも多くても120枚くらい。140枚台はさすがに初めてだったので2時間でしゃべり切れるかなぁと不安だったが、終わってみたらアラ不思議。最後の1枚を終えて時計を見たら2時間ジャスト! ピッタリ! 素晴らしい!(でも質疑応答の時間がなかったのだけど…)
昨日はもっとすごかった。
ある企業にお呼ばれしてレクチャーに行ったのだが(内容は「明日の広告」)、宣伝関係のプロ相手ならコレも入れようアレも見せようと、もっともっと増えていってしまい、作り終わってみたらなんと183枚(笑)。昨日も2時間だったから、1分で1.5枚。さすがに無理がないか? 動画やDVDを見る時間を引くと、実質で1分2.5枚くらいになる。おいおい。
でも、これまた不思議。絶対無理だと思ってたのだが、最後の1枚をしゃべり終わって時計を見たら2時間ジャスト! なんのマジック? そんなに早口にしたつもりはないのだけど、大阪より40枚も多くてもなんとか入っちゃった。というか、聴いてくださった方々の方が大変か。どんどん話が進むせいで消化不良になったかも。だとしたらスイマセンでした。でも、その後30分も時間延長して質疑応答があり、うれしかったな(質問があるとうれしいものです)。
伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」に、精確な体内時計を持つ女が出てきたが、講演もそれなりに数をこなしてきて、わりと体内時計が出来てきたのかも。
ってまぁ2回ともまぐれだな、まぐれ。
調子に乗るともっと枚数増やしそうだから気をつけよう。
広告批評、休刊
2008年04月14日(月) 6:40:21
広告業界で働く人、もしくは広告に興味ある人にはお馴染みだった雑誌「広告批評」が来年4月で休刊になる。部数減少や赤字が理由ではないそうだが、だからこそ、広告業界にとってとても象徴的な出来事だと思う。
このニュースをしばらく前に聞いてとても感慨深かったのだが、考えてみたらここ5年、マス広告よりもメディア・ニュートラルなコミュニケーション・デザインの方向に仕事も興味も向かっていたこともあって、ボクはほとんど「広告批評」を読んでいなかったことに気がついた。たまに読むと違和感すら感じていた。もうマス広告の「表現」だけで生活者に届く時代ではとっくにない。広告自体がすでに大きく変わっている。なのに「広告の批評」という題名のこの雑誌がそこを無視してずっと「マス広告の表現」を中心に追い続けていたのは相当偏って感じられた。
ただ、結果的にそこにある種の「批評」は感じていた。
こんな時代なのに敢えてマス広告の表現中心に編集していたことに。
そういう意味では、休刊は「殉死」に近いのかもしれない。部数減少や赤字が理由でないのなら、彼らは潔く「マス広告の時代」と殉死したのだ。それはそれで見識だ。
なんだか明治と乃木希典の関係を思い出させる。
乃木希典が明治という時代に象徴的に終止符を打ったように、「広告=マス広告」という図式に象徴的に終止符が打たれた感じ。
人生を賭けるに足る仕事を真剣に探している学生たちは、時代の終焉と始まりを敏感に感じ取っている。
広告批評が主催する「広告学校」は、やはりマス広告の表現を中心に学ぶ場なのだが、受講生が年々加速度ついて減っていると聞く。マス中心と思われているトラディショナル・エージェンシーの志望者数も今年は明らかに減ったと聞いた。レベルも下がってきたらしい。有能な学生が他業界、もしくはネット系広告会社に流れているのだ。いままでは潜在的だったので目を伏せていられたそういう問題点が、明確に顕在化してきたということだ。
いいことなのだろうな。
こうしてわかりやすいカタチで顕在化しないと、広告の世界はなかなか変わらない。
中の人たちはまだまだ少し前の「マス広告栄光の時代」の殻を引きずっている人が多いし、変わらないといけないとわかっている人たちも、日常の作業に追われてなかなか変われないままに日々を過ごしている。この「広告批評」の休刊は、まさに「顕在化された明日」である。志望者減少も「顕在化された明日」である。スルーせず重く受け止めるべきだと思うし、もう猶予はない。
拙著「明日の広告」でも書いたように、別にマス広告が終わったわけではない。「広告=マス広告」という時代が終わっただけ。消費者本位に考えてコミュニケーションをデザインしていけば、まだまだ広告は力を持つ。問われているのは「脱皮」の早さだ。変わらなきゃ。
大阪の夜
2008年04月11日(金) 8:15:58
大阪にいる。
といっても、昨日の夕方ついて、講演をひとつして、飲んで、寝て、いまから東京へ帰る。せめて夙川の桜を見に行きたかったな。でももう帰らなければ。
講演を2時間して、解放されたのが21時過ぎ。
「ヘレカツサンド専門店 梵」。「Bar Tazmi」。「Pile Driver」。「うどん処 大和屋」。「ワインバー サンテ」。昨晩行った店。意外と行ったな(笑)。3軒目からはずっとひとりで逍遙。「なんか蕎麦かうどんが食べたいなぁ」と北新地を歩いていて偶然入った「うどん処 大和屋」のカレーうどんが妙にうまかった。ここ知らなかった。麺が弱いけど深夜にはちょうどいい。また来よう。
最後は「ワインバー サンテ」の森さんとこに久しぶりに。
すごく喜んでくれてちょっと感激。そういえば2年ぶり以上かな。相変わらずとてもいい店だ。ふたりでいろんな話をして深夜3時ころ堂島ホテルへ帰りつく。講演主催者がとってくれたホテルだが、ベッドからガラス張りのお風呂が見えるちょっとエッチーな部屋。むぅぅと唸って即寝。
古い水夫
2008年03月14日(金) 8:47:08
最近若者に会うことが多い。
多いのは就活のOB訪問。拙著「明日の広告」を熟読した上で会いに来る方が多く、学生なのにやけに広告事情にくわしい(笑)。んでもって質問が濃い。「新聞メディアの復活はどこがポイントだと思いますか?」「コミュニケーション・デザインにおけるスケジュール感について聞きたいんですが」「ソーシャル・メディアが乱立する世の中になると消費行動はどう変わってくるとお考えですか?」……いつの間にか額に汗を浮かべているワタクシ。でも「お前にはまだ早い!」とか、白い犬みたいに一蹴するには相手が真剣すぎる。すごいな。頼もしいな。こんなに広告のことを考えてくれている。
学生だけでなく、現場の若手と会うことも増えた。
昨晩はある会社の若手に招かれて、お店で飲みながら広告の話。13名の初対面な若者たちに囲まれて熱心にいろいろ聞かれる。やはり「明日の広告」を全員読んでおり、ベースをあの本に置きつつより深い話になっていく。でも学生さんと違って現場を踏んでいる人たちなので、理念的な話というよりは実践的な話。みんないろいろ考えてるなぁ。仕事や業界に危機感がある分、考えが深い。すごいな。頼もしいな。広告業界に元気があったボクの若い頃はこんなに深く考えていなかった。
「古い舟をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」
この言葉とともにひとり広島から出てきたのは吉田拓郎だが、こういう若者たちと会っていると、自分が今、まさに「古い水夫」なんだと自覚させられる。40代中盤の働き盛り。でも確かに古い水夫ではあるんだな。この自覚はとても大切かもしれない。
もちろん同等に争ったら絶対負けない。でもそれは慣れ親しんだ古い舟の上だからだ。
古い水夫のそのやり方がこの舟の速度をどんどん遅くしてきたのは事実。もう先頭に立たず、後ろから支えるスタンスに変化しなければならない年代なのだ。ただ、この「変化」は実に難しい。有害な老人が社会の中枢にいかに多く蔓延っているかを見てもそれはわかる。
吉田拓郎があまり表立って活動しないのは、病気のこともあるだろうが、「自分がすでに古い水夫である」という自覚をある時期に持ったからではないか、と、ちょっと思った。
うーさんの定年祝い
2008年03月05日(水) 9:27:46
昨晩は大阪勤務時代の戦友たちと。
ボクたちが命をすり減らして働いた部の元部長(現局長)が定年を迎えたので、その元部長を含めて5人の部員全員、東京に集まったのである(いまその元部長が東京にいるので)。あっという間に昔の空気。あぁラクチン。
でもまぁなんつうか、今思い返しても地獄の日々ではあった。
忙しいなんてもんじゃない。常にバタバタしていたが、たとえば最高記録は一ヶ月で13本のCMを作ったことがある。ボクの担当で13本。部全体(5人)では一ヶ月にその倍くらい作っていた。あり得ないなぁ(同業界の方なら驚愕してくれるとは思う)。
残業時間もちょっとここでは書けない量(捕まる)。下手するとうちの会社の記録保持者かも。実際、昨日来た一番年下のメンバーはその部に移ってきて2ヶ月で過労入院。それを横目で見て「さもありなん」と納得しつつ、お見舞いに行く暇もなかったワタクシたち。
でもこの元部長の有能さと元気さとトラブル処理能力と「いい意味でのいい加減さ」は、ボクに多大な影響を与えてくれた。仕事上での「いまのボク」の80%くらいは彼によって育まれたと言っても過言ではない。
ついでに言うと、このサイトを一番更新していたのも彼の部時代。
あまりに忙しく、人間的な生活が出来なかったので(一ヶ月に30日出張とかもあった。長期出張じゃなくて一泊出張の積み重ねで)、そのはけ口として、空いている時間をサイトや執筆に燃えたのである。忙しい時の方が個人的活動がはかどる。これはボクの中での真理。
彼から教わったことはたくさんあるが、ボクの中で仕事上の教訓としているのはこのふたつ。
・毎回必ずひとつ、新しいチャレンジをしよう
・どんな小さな仕事でも必ずメジャーと組もう
特に後者は彼の真骨頂で、「えー、こんな小さなしょーもない仕事なのにそんな巨匠と組むんですか!」ということがよくあった。ラクチンな人と組んで流したいのに、その小さな仕事が巨匠のワガママとかで地獄に変わる。でもさんざん苦労して仕上げた後に気がつくのだ。メジャーならではの刺激だったり、自分の成長具合だったり、人脈の広がりだったりに。やっぱメジャーな人は何か違うものを持っていて、単なる「作業」を「仕事」に変えてくれるのである。
って、いろいろ書いていると二冊くらい本が書けちゃうので、はしょろう。
とにかく、うーさん、長いこと、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
昨日はそれぞれ彼にCDをプレゼントし、奥様の手紙をサプライズとして用意して泣かせ、昔話で盛り上がった。
「タワシタ」「zorro」そして六本木の生ギター・カラオケのバーと3軒ハシゴ。カラオケなんか8年ぶり(←カラオケ嫌いなタイプ)。もともと持ち歌は「ひとり咲き」と「恋しくて」なのだが、昨晩は「万里の河」と「大きな玉ねぎの下で」を歌った。タマネギ好きとしてはやっぱりね(笑)
中国人の教授たちに講義
2008年02月07日(木) 7:05:47
ある機会があって、中国人の大学教授・講師たちに広告の講義をした。
みんな広告の専門家。中国各地から日本に研修に来ている6人の先生たち。25歳から46歳まで。黒竜江省とか江西省とか、遠くは新疆ウイグル自治区の大学から来ている。遠いなぁ。チベットの隣じゃん。イヤイヤはるばるようこそ!という感じ。
講師として部屋に入ると、それまでくつろいでいた聴衆の雰囲気がたいてい一瞬凍るものである。ボクが丸坊主で髭ででかい、というのも理由かもしれない。こっちも緊張してるしね。でも中国人たちは違った。底抜けに明るい。入った瞬間みんなが笑顔になって「こんにちわー!」という声が溢れる。うわ〜。こっちも明るい気持ちになって「ニーハオー!」と心を開く。
講義やプレゼンの始まりって、アイス・ブレイク、つまり会場の空気の固さを砕くようなジョークとか下世話トークで始める必要があることが多いのだけど、この人たちにはまったく必要ない。あぁこりゃいい時間になりそうだ、と、ほぼ確信。そしてその通り、話している間中、なんだか楽しかった。
講義を始めるとさすがに先生たちだけあって非常に熱心にノートを取る。んでもって少しでもわからないことがあると話の途中でも遠慮なく質問してくる。こっちはこっちで「あぁそこが理解しにくいのか」と軌道修正しながら話を前に進める。こういう風に途中で遠慮のない質問を受けることなんて日本では皆無なのであまり経験なかったが、これはこれで話しやすいな。
自分が聴衆の立場だったら、話の途中で質問をするなんて失礼だし、他の聴衆にも悪いとか思ってしまう。後で質疑応答の時間があるだろうし、最悪、講義が終わってから講師を廊下で捕まえて質問してもいい。でも講師の立場からすると、話の途中での素直な質問って意外と話の推進力になる。ふと「あぁそこがわからないなら、これも話しておこう」なんて違う話もしたりして、結果的にとてもいい説明が出来たりする。そんな感じで、昨日はわりといい講義ができた気がする。
楽しかったな。もう一生会わないであろう人々と笑顔で心を通わせるひととき。ボクが話したことが彼らをメディアにして黒竜江省とか新疆ウイグル自治区に渡る。ボクという人間のカケラが彼らを介して世界のどこかに散らばっていく。きっと荒川修作が言っている「人間は死なない」ってこういうことに近いんだろうなぁとか思いながら、彼らに「さよなら」を言った。もう一生会わないと思うけど、一生分会ったよね。
ギリークラブで講演
2008年02月01日(金) 9:29:37
昨晩は「明日の広告」を出すキッカケになったギリークラブでの講演。
元々おととしの12月にここで講演したのをアスキー新書の本多さんが聞いてくださり、その半年後に「あの講演を元にして、本書きません?」と言ってきてくださったのだった。
講演テーマはまさに「明日の広告」。本の発売を受けて急に決まった講演だったが大勢集まってくれ盛況。でもいま本が品切れ状態で、半分の方はまだ読んでいない状況だった(会場で即売したが)。半分の方は読み終わっていて、半分の方はまだ読んでいない状態での講演。むずかしい。全員が読んでいれば突っ込んだ話ができるし、全員が読んでなければ易しく内容をなぞる。その中間。いったいどこらへんがストライクゾーンなんだ!?
ということで、内容は総花的になり、ちょっと散漫になってしまったかも。でも本でお見せできなかった動画とか実例とかを見ていただいたので、いろんな理解は進んだかもしれない。広告関係の方がほとんどいなかったので、より一般化して応用できるようにはお話した。
話していてわかったけど、あの本の内容をちゃんと話そうとすると最低でも8時間はかかる(笑) そのくらいは詰め込んだなぁ、と。「これたった2行で書いたけど、実はちゃんと説明するなら10分は欲しい」というような部分が意外とある。さなメモ口調で20年分の知見を入れ込んだつもり。自分で言うのもなんだけど780円はお得だと思います。
講演後の食事会は新丸ビルの7階で。30人くらい残っていたかな。
ここ、初めて行ったけど、なかなかすごいことになっている。面白い。しかもほとんどの店が朝4時までやっているとは知らなかった。
てっぺん(24時)をまわるまでそこで飲んで解散。その後ひとりで銀座の小さなバー。話しすぎて枯れた喉を軽く潤しつつ、今日の講演の反省。んー、本にイイタイコトをほとんど書いちゃったので、講演が逆に難しくなっちゃったなぁ。「これについては今日は時間がないのでご説明できません。本を読んでください」的な言い回しが増え、ちょっと不親切。講演用の構成をもう一回練り直さないと…。
WIN・WINで行こう
2008年01月27日(日) 18:04:50
風邪になりきらない風邪気味状態。だるいままダラダラとベッド。
やらないといけないことが多いのだけど(更新とか連載原稿とか)、この週末はまったく出来なかった。まぁ11月の執筆地獄以来「本業の本」ってことで無闇矢鱈にナーバスになっていたから、そういう疲れも出ているのだろう。思ったより評判がいいので安心してドッと疲れが出たのかもしれない。特に若い人から評判がいいのがうれしい。それと広告業界以外の人からも。 そうだといいなぁと思って書いたので大変うれしい。
変化が必要、かつ、変化の真っ只中にある業種のことを「中から」書く場合、ちょっとストライク・ゾーンをはずすだけでバッシングの嵐になる可能性がある。それも急進派と守旧派の双方から。でも、双方にとってぎりぎりストライクであるゾーンが存在することは確か。その狭いゾーンを狙って、ベテランにも若者にも届くように超ポジティブな球を投げようと試みたのが今回の本「明日の広告」である。その狭いストライク・ゾーンは、でも、狭いからこそ普遍性もあり、広告業界以外の人にも伝わると思った(願った)。
ストライクがとれたかどうかはまだわからない。でも、これでストライクが取れなかったら潔く去ろうと決心して書き始めた。そりゃ緊張もするしナーバスにもなる。相当疲れた。燃え尽き系。
なぜわざわざ地雷を踏みに? と、ある人に聞かれた。
キレイゴトに聞こえるかもしれないけど、社内外問わず20代30代の元気な人たちがいまいち仕事を楽しんでいないように感じることが多くなってきたのが大きい。ここ数年、彼らの閉塞感を肌で感じることが多かったのだ。それと、広告業界を目指す若者が実際に減っている現実を目の当たりにしたということもある。広告をはじめとするコミュニケーションの仕事が若者の目に魅力的に映ってないのだ。それはきっといま業界の真ん中で働いている40代50代が魅力的かつ楽しそうに見えていないからだ。
そういうこともあって「いやいや実は楽しいんですけど」と我々の世代が発信しないといけないと思った。実際楽しいし(楽しくない人がいるとしたら、やり方を時代に合わせて変えていない人だと思う)。
んー…、文章にするとやっぱキレイゴトっぽいな(笑) そこまでご立派な使命感があったわけでもないか。
でも、なんつうか、現代の日本社会自体、若者の目にあまり魅力的に映っていないのは、いま社会の真ん中にいる40代50代がポジティブなメッセージを発していないせいもあるのではないか、とも思う(もしくは格好よく見えていない)。社会で働くつらさ・しんどさばかりが発信され、その楽しさ、豊かさ、広がり、刺激なんかがちゃんと発信されていない。そのくせ「若者よ夢を持て」「最近若者が大人しい」みたいな勝手を(上から目線で)言う。そりゃ酷だ。
いや、この時代、よくよく観察して過去の時代と比較すれば、人類有史以来トップクラスに楽しい時代だということがわかると思う。世界中のモノや娯楽や食べ物が揃い、コミュニケーションのやり方も楽しみ方も無限にある。チャンスもいろいろ用意されている。そりゃしんどい側面も増えてはいるが、見方を変えればかなり楽しく自由なのは確か。
ぜひご一緒に楽しみたいと思うし、若い人たちがもっと楽しめチカラを出せる環境を整えたいとも思う。
これはある程度ホンネ。だって彼らが楽しくいっぱい働いてくれたら、ボクらの世代もラクできる(笑)。WIN・WINですな。
那覇から帰京。寒っ。
2008年01月15日(火) 6:19:19
昨日は昼ご飯に「シーサー」と「我楽そば」をハシゴ。「我楽そば」は特に面白かった。感想は対談ブログの方に書いたので是非。んー、沖縄そばはどんどん面白いことになっていっているなぁ。ボクが必死に食べ歩いた10年前とは隔世の感あり。あの頃はほとんどラーメン化していて「昔ながらの沖縄そばはもう絶滅か」と思ったもんなぁ。実際3軒くらいしか昔ながらの打ち方でやってる店なかったし。その辺のことに興味がある方はコラム「すばの細道」をご一読ください。
そんなこんなで2泊3日の那覇行きは終了。今日からまた一週間が始まる。あと4日だけど。
おかげさまで新刊「明日の広告」の感想、いろいろいただいております。
本業なのでエッセイよりずいぶんナーバスに書いたこともあり、ひと言ひと言が本当にうれしい。どうもありがとうございます。なんとかいまのところ評判いいみたいで心底ホッとしています。意外と広告業界以外の方からの感想が多いのもうれしい。広告関係以外の方にわかるかなぁと心配していたんだけど、どうやら全然大丈夫っぽいです。これまたホッ。なぜか「泣いた」と言う感想も3通(笑)。これはスラムダンク・キャンペーンのところですね。まぁ素材がスラムダンクですから。
いただいたメールから察するに、地方も含めて、書店には行き渡ったようです。広告や消費者、イマのコミュニケーションに少しでもご興味がある方、そして商品をもっと売りたい方など、立ち読みでもいいのでどうぞ読んでみてください。いろんな業界に応用が利く「消費者とのコミュニケーションについて」のお話です。780円(税込)の価値はあると思っています。
「明日の広告」発売
2008年01月10日(木) 9:27:22
まだ書店に並んでないだろうと思っていたら、昨日「ブック・ファースト」で平積みされていたので、急いで告知します。
「ブック・ファースト」は特別早いけど、普通の書店だとたぶん今日か明日くらいからボクの新刊「明日(あした)の広告」が並び始めると思います。三連休のお供にいかがでしょう?(書店によっては土日くらいからかもしれません)
副題は「変化した消費者とコミュニケーションする方法」。
初めての本業(広告)の本です。本業なので「さとなお」ではなく「佐藤尚之」で出版しました。
内容は、未来すぎない「明日」の広告のお話。
あまり未来ばかり予想して心配してないで現状をどんどんよくしていこう、と、なるべくポジティブに書いてみたつもりです。というか、広告やメディアの明日はもっともっと楽しくなると信じているし。
ここ20年の広告コミュニケーションの流れや、今後の必然的変化なんかも、比喩を使ってかなりわかりやすく書いてみたつもり。
テレビCMは本当に崩壊するのかとか、新しいお茶の間「ネオ茶の間」の出現とか、商品丸裸時代のこととか、コミュニケーション・チームの作り方とかにも言及しています。あ、スラムダンク1億冊感謝キャンペーンについても書いています。
ちょっと最近の流れについていってないかもと不安に思われている広告業界の方だけでなく、コミュニケーション全般に興味のある方、広告業界をめざしている学生さんなどにも読んでいただけるとうれしいです。最近よくある「難しい横文字満載の本」ではありません。
新書ですし、わりと一般向けですが、そこそこ専門的なことも書いているので、広告にまったく興味がない方には多少難しいかもしれません。でも、消費者の変化についてくわしく書いているので、消費者とのコミュニケーションに従事している方のお役には立てるかもしれません。
ちなみに、広告系最先端の人にとっては基礎的な記述が多く物足りないと思います。お手柔らかに願います。
内容や目次についてくわしいことはこちらをご覧ください。amazonではまだ予約注文になっていますが、今日か明日くらいから普通に売られると思います。
最後は謝罪
2007年12月29日(土) 8:45:56
1日早く休んだ年末。1時間の早朝早足散歩 with 犬をしたあと、煤払いしたり、窓拭いたり、洋服をエイヤ!と捨てたりしていたら、ブルルとケータイが震え、あるクライアントでトラブルが発生したのを知る。部下も休んでいて連絡がつかないので、とりあえず午後の予定を取りやめてクライアントへ直行。頭を下げまくる。こちらに非がある。申し訳なし。昨晩シャンパーニュで気持ちよく〆たはずの今年だが、最後の最後で謝罪。なんか今年の流行に乗った感じ(笑)。ま、下がって終わるのもまた良し。後は上がるだけ。
謝罪から帰ってきて気分転換にプール。
最近では「連続で1km泳ぐ」とかいうことは考えず、100m単位で最低10本(つまり1km)泳ぐようにしている。この方が泳ぎも乱れず、コンスタントに泳げる。というか100m単位で10本泳げるようになったのは最近だ。以前は最後の方は50mで休みを入れちゃっていた。まぁたった1年半前に100m完泳記念日とか喜んでいた程度の泳力なので、これでも達成感はあるな。これを150m単位、200m単位と増やしていこうと思う。
まだ右肘が痛いのでジムにはいけない。プールのみ。家の近くに出来たので、1km泳いで風呂入って帰ってきてちょうど1時間ちょいくらい。手軽な気分転換である。
帰って奥さんの年賀状制作を手伝い(マック上でレイアウト)、少し「地方のおいしい店リスト」のリニューアル作業をして、TVでフィギュアの全日本選手権を「俺たちフィギュアスケーター」目線で見つつご飯を食べ、腹筋を腹がつる直前までして就寝。10月11月の集中執筆でカラダを甘やかしてしまい、相当なまっているのだ。この1週間強の休みのひとつの目標はカラダをいじめまくること。まずは基本的なスタミナを復活させないと。
今日は本棚周辺を煤払い。しばらく前からブックオフに売って本を減らす作業をしているのだが、それをもう少し大がかりにやるつもり。一冊ずつ迷いながらやると一週間あっても終わらないので、迷わずエイヤ!である。洋服を捨てるのと同じ要領。というか気合い。
サラリーマン生活の優れた部分
2007年12月22日(土) 17:29:45
ハードルの為末選手が毎日新聞に「ハードラー進化論」と題して面白いことを書いていたのでメモ。
競技人生も長くなると「常識」がたくさん出てくる。常識は思考スピードを速めてくれるが同時に思い込みも生む。それが本当に正しいのか、もしかして例外があるのではないか、という再検討を怠ることにもなる。と書き、再検討というか視点の変化としてこんな例を挙げる。
例えば最初のうちは、走るという行為は、地面を自分の力で踏みつけて、その力で前に進むポジティブな動作ととらえていた。だから当時はスクワットなどの、下から持ち上げるトレーニングを重視していた。そして「道を究める途中では、積み上げるだけではどうにもならない場所がある。そこでどれだけ視点を変えることができるかが重要だ」と続くのである。
ところがある時、何かのきっかけでネガティブな動作だと思い始めた。自分の体が地面に落ちてきて、足がそれを支えているだけのように見えてきたのだ。トレーニングも下から持ち上げるよりも、上から落ちてきた体を支え、弾むようなものを重視するようになった。同じ「走る」という循環動作なのに、視点が変わると動きも大きく変化した。
この文章は彼自身がある会社の社外取締役になったことの報告として「競技生活に影響はでないのか、と言う人がいるが、『変化すること』は競技にいい方に働くと思っている」という理由として書かれていたが、いやぁ全くその通りだなぁ、と。
ボクはその辺のことを「思ってもみない流れには乗ってみろ」という言葉で自分の心に留め置いているのだが、なんというか、自分で考えることなんて限界があって、なかなか「自分の常識」を越えられないものなのだ。でも、思ってもみない流れに流されて乗ってみると、視点がガラリと変わり、わりとスムーズに新しい境地へいけたりする。
んでもって、サラリーマンって「強制的に視点を変えさせられちゃう」という意味において、なかなか優れた職業(?)だと思う。異動とか転勤が理不尽に言い渡される。そして思ってもみない方向に人生が流れていく。でもこれは、結果的にだが、人生を爆裂的に進化させてくれはする。
ボクもサラリーマンにならなければ大阪で働くなんてことはありえなかった。超理不尽だと思い、いやいや大阪に行ったものだ。でも、結果的に、あの十数年を抜きに自分の人生を語ることなんてできないくらい深く影響を受け、成長させてくれた。こういう強制的人生の変化は、成長過程において非常に重要な気がする。
個人で仕事をしている人にはそれがない。自分の「常識」に固まってしまいがちだし、視点の変化を得るのが非常に難しくなる。若くして独立した優秀な人(技術者や料理人や職人や)が、意外とその地点から成長してなかったりするのはそういう部分もあると思う。外部からの強制変化がない分、自分でそれを作り出さないといけない。それはとても難しいことだ。
サラリーマン生活における「強制的人生の変化」は、意外と貴重で有り難いことなのである。
昔の戦友にバッタリ
2007年12月11日(火) 8:31:49
終業後、会社を出たらバッタリと昔の戦友にあった。
って、もちろん戦争に行ったわけではなくて、「あまりの過労とストレスでバタバタと入院患者が出た過酷&長期のCMロケで一緒に棺桶に足をつっこんだ仲」の若い後輩である。若いといってもあれから10年以上、当時若かった彼も白髪が増え、それなりに貫禄がついている。
10年以上ぶりなのに1秒で昔に戻って「おい! コラ! なにやってる!」と叫んで怒り顔で懐かしがるボク。彼は当時「怒られ役」で、みんなにサンドバッグのように怒られまくり、でもそれにもめげず地道にニコニコがんばるのでそのうちみんなが一目も二目も置きだしたという強者。「うわわ!」と一瞬驚いたあと、懐かしいニコニコ顔で「サイト、毎日見てます」とか言う彼。「見てるんならメールくらい出せ!」と、また怒られる彼(笑)
名刺をもらったら、もう立派なプロデューサーになっていた。若くて怒られていた姿しか見たことないからちょっと頼りないし不安だけど、彼ならまた一緒に仕事をしたいな。なんといっても戦友は信頼できる。トラブルや修羅場で彼がどんな行動をするか全部わかっているのが大きい。絶対逃げないとボクは知っている。
その後、初対面の編集者と来年の新連載についての打ち合わせご飯。
昔からサイトをよく読んでくれていた人。あーだこーだ話しているうちになんとか連載テーマが決まった。気楽に楽しく続けていけたらいいな。「Oggi」という女性誌に連載する予定。
若者とハムユイと
2007年11月23日(金) 10:39:25
昨日は終業後、ある教室で学生さん50人くらいを相手に先輩とふたりで講義。
もう感心するくらい真面目で真剣な生徒さんたちだった。昼間に自分を原因とした「反省させられること」が立て続けに起こり、それはもう落ち込んで過ごしていたのだが、若者たちに身近に触れて少し立て直す。
この年齢と経験値をもって眺めると、若者の不安も焦燥も臆病も全部そこそこ見えてしまう。でも彼らはその彼ら自身と一生一緒に生きていかなければならず、結局自分の枠の中で最良の自分にするしかないのだ。ボクもこんな自分と一生つきあっていかないといけない。小学生のころと同じような、まったく成長していないお調子者的間違いを相変わらず起こし、自分に相当幻滅したりもするが、でもそういう自分という枠の中で最良を尽くしていくしかないんだろう。辛抱強く自分とつきあわなければいけない。
終了後、学生さんが質問に来た。質問のペーパーを持つ手も声も震えている。緊張するタイプなんだな。ボクの若い頃と一緒だ。がんばれがんばれと心の中で思いつつ、知らんぷりして素っ気なく質問に答える。誰もが通ってきた道だ。ボクが手を震わせて講師に質問していた頃、講師もボクの震える手を見ながら心の中でそう思っていたんだな、とリアルにわかる。
講義終了後、先輩とごはん。
この先輩、ピンポイントで「食べたいもの」を要求する方で、昨日のリクエストはハムユイ(咸魚)。「ハムユイ? あの塩漬け魚の?」「そう、中国のクサヤと言われてるヤツ。なんか急に食べたくなってさー。予約も入れてあるから」 あらそうですか、と、ウェスティンの「龍天門」へ。知らなかったが、ここはハムユイの炒飯が名物らしい。
ラストオーダーもそろそろ、という時間だったが、店内満員。すごいな。
「とにかくハムユイを食べさせてくれ」とハムユイが入ったメニューをしつこく聞く二人組に、キャプテンは「珍しい客が来た」と警戒したのだろう、つきっきりで応対してくれた。先輩が「土鍋に鯛めしみたいにハムユイが入ったのとかできません?」とかワガママなオーダーをするので、料理長と相談してきてくれてメニューにないハムユイ料理をいくつか作ってくれることに。最初はハムユイの切り身を肴に紹興酒の熱燗(染みる!)。それからハムユイと野菜の炒めもの(名作!)を経て、ハムユイ炒飯(うま!)。最後はハムユイの土鍋ハンバーグご飯(絶品!)。この最後のが異様にうまかった。抜群だ。正式名を何度聞いても覚えられないので、「今度来たときもハムユイの土鍋ハンバーグご飯と言えばわかってくれますか?」と聞いたら「大丈夫です」とのことなので、次もこれでオーダーしよっと。
ラストオーダーで上湯(シャンタン)をもらい、〆。
いい店だな。満員なのもよくわかる。
若者とハムユイのおかげで少し前向きに。
先輩に示唆された村上春樹の言葉、「孤独は勝ち取るものだ」を噛みしめつつ。
※メールで教えていただきました。
「ハムユイの土鍋ハンバーグご飯」は「咸魚肉餅[保火]仔飯」だそうです。[保火]は「保」の下に「火」。
サラリーマン・コスプレ
2007年10月13日(土) 17:43:56
昨日は以前書いたとおり「これに出ないのはサラリーマンとしてウンチ」という会議があったのでスーツを着ていった(制作部門ということもあり、普段はわりとカジュアルな格好で会社に行っている)。
どうせスーツを着るならいっそのことコスプレ的に、ということで、白のYシャツにイエローのタイ。スーツはヨージの真っ黒。家族に冷やかされながら、新入社員みたいな新鮮な気分で出かけたのである。
で、これが、不評(笑)
若い人に至っては「キモイ」とか言うし。首から下は爽やかだけど首から上がヤクザじゃないですか、とか。まぁ見慣れの問題だとは思うけど、Yシャツだけでも色物にすれば良かったかな。
ま、なんだかそんな感じで居心地悪いまま夜になり、仕事を抜け出して「鮨しみづ」。電話したら運良く空いていたのでひとりで飛び込んだ。
昨日は沖縄に行くはずだった日だし、おまけに仕事のストレスもあったし、スーツ姿を笑われてガックシきていた部分もあった。とにかく一杯だけ飲ませてくれよ気分だったのだ。
ガラリと引き戸を開けて入店。
「あれっ、どうしたんですか? なんだか入学式みたいですねぇ。クククク、ウバハハハハ」
そこまで笑うかね。おかげでお酒がガシガシ進み、1時間半後に会議に戻るも千鳥足。首から下は爽やかだけど首から上は超酔っぱらい。すまんかったね、みなさん。
ドタキャン
2007年10月11日(木) 9:03:24
様々な仕事案件が重なり、ついでに期初の事務作業も重なり、おまけに原稿〆切も重なり、なかなかなことになっている。
おかげで「夜の会食をドタキャンする」という、自分の人生的にはありえない事態を招いてしまった。
相手にも失礼な上に、お店にも大迷惑、悔恨の思いに会議にも集中できず仕事仲間にも申し訳ない、という三重苦。まぁ会食相手に必死にお願いして代打を見つけていただき、お店への迷惑はかからないで済んだのだが、普段「仕事よりメシ優先!」とか偉そうに嘯いているだけに相当心苦しい。
でも、代打が「急ぎの代打という口実で初めて誘えた高嶺の花」だったりして(会食相手は若い独身男性だったのです)、代打が縁でなんとかなっちゃったりして、そうしたらオレは仲人? とか、自分の失態を忘れてくだらん妄想してたけど(会議に集中せい!)
ドタキャンがもうひとつ。
今週末の沖縄行き(泣)
まぁ「危なそうではある」と、チケットとか押さえてなかったのが不幸中の幸いだったが、これまた同行予定の作家さんにご迷惑をおかけすることになってしまった。
昨日の夕方までは行く気マンマンでいて、安く行く手段もゲットしていたのだが、金曜夕方に「これに出ないのはサラリーマンとしてウンチだろう」という会議があるのが発覚し、その後もうひとつ重要案件が発生し、原稿〆切もあって泣く泣く断念。念を断つと書いて断念。あぁ、沖縄。
最近、仕事量を甘く見積もりすぎかも。気をつけよう。
あ、でも、この手のドタキャンはいままでの人生で3度とない珍事ですので、お誘いしてくださろうと思っている方々、もしくはすでにお約束している方々、ご安心ください。もうしません。たぶん。
おごられ酒
2007年10月04日(木) 9:25:58
昨晩は会社の後輩がおごってくれるというのでトコトコと小滝橋「多幸兵衛」まで。高田馬場周辺は久しぶりなので馬場からずっと歩いた。途中「真菜板」を通り過ぎる。行きたい店のひとつ。それにしても後輩がおごってくれるって意外とうれしいもんだ。高い店じゃないけど、気持ちがうれしい。
3人で会社の話とかいろいろ。社外の人と飲むことが多いので(なるべくそうしている)、仕事の話とか逆に新鮮だったりして。愚痴酒ではなかったが、若い人たちも閉塞感いっぱいで大変そうだ。そういえばおとといは若者雑誌の編集長と2人でランチしたが、やっぱりそういう話になった。半径5メートル以内のシアワセに向かわざるを得ない人たち。成り上がってやろうとかいうギトギトとは無縁。それは大人が作った現在の環境から来るんだろう。ま、大人たちは大人たちで閉塞感で参っているのだけど。
3人でチラリと「Amoh's Bar」によって、バカ話で盛り上がって帰宅。時計の針がてっぺん指す頃だったかな。そんな遅い時間じゃなかったしあまり酔ってもいなかったんだけど、いつの間にかリビングで床寝していいてビックリした。いや、床寝というか床座り寝。ソファを背にして床に座って寝てたからケツいてぇ。朝6時までそんな状態。あぁケツいてぇ。起きてきた妻に笑われながら寝室に退散して二度寝。あぁ二度寝ほどのシアワセは他にない。
京都から帰還 アーンド 披露宴
2007年09月29日(土) 22:02:40
娘が試験休みだったので家族で二泊の京都旅行を企てたのだが、急ぎの仕事や原稿が挟まってなかなかしんどい京都行きになってしまった。疲れフルスロットル。そのうえ娘の体調もいまいち優れず。んー…。でもメシ屋はたくさん回った(笑)。「祇園ちんねん」が秀逸だった。
宿にネットが来てなかったので、電話で仕事指示などしつつ凌いでいたのだが、とうとう凌ぎ切れず、今日は朝5時に起きて(ま、いつものことか)早朝の新幹線でひとり東京帰還。一度家に帰って荷物を置き、着替えてオフィスへゴー。ドガガガと打ち合わせてサササと抜けて、13時には恵比寿で披露宴。
ひょんなことから親しくなった会社の後輩(新婦)の披露宴。
披露宴に出るのって実に久しぶり。わりとシンプルでアトホームないい式だった。でも久しぶりだったのでファッションに困り、京都伊勢丹でじたばた店をまわってしまった。昔は紫のボータイとカマーバンドにドレスシャツでへらへら列席していたのだが、年齢的にはもうちょっと落ち着きたいところ。で、いろいろ店を回った後、「ARISTOCRATICO」に絞り、店の人と相談してシンプルな白シャツと銀ネクタイと白麻のポケットチーフを揃えた。いまの流行とかも教えてくれて面白かった。でもわりと散財。
披露宴も無事に終了し、夕方帰宅してから仕事&原稿をしようと思ったが、疲れたカラダに昼酒がきいてダルダルとなり、そのまま夜に。やっとこさ溜まったメールをチェックしたところ。寝よう。
嵐のような一日
2007年09月27日(木) 8:06:22
企画がどうしてもまとまらずほとんど寝なかった上に、昨日はなぜか講義がふたつも重なり、嵐のような一日に。
朝は一番乗りでオフィスへ。企画企画。んーでもやっぱりまとまらねーや。久しぶりに冷や汗かく状況。
午前中は他の打ち合わせなども入りドタバタ。で、午後いちにあるクライアントの勉強会で講義みたいなもの。ガガガとお話ししてすぐ会社へ帰ってくる。話す間ってアドレナリン出てるから元気だけど、終わるとグッタリ疲れる。寝てないからなぁ。でも夕方「1時間だけ異様な集中力でやろう!」と部下とふたりで鞭打ちあいつつ、懸案のどうしてもまとまらない企画に手をつけたところ、彼のさりげないひと言からサクサクサクと音を立てて企画が進行! おやまぁなんだか出来ちゃったかも。すぐに営業を呼んで説明したところ「いいじゃないですか」となり、一気に具体的制作に突入。プレゼンに間に合うかも(喜)
グゴゴゴゴと紙にいろいろ書き殴って部下に渡し、ギリギリの時間に会社を出発、新宿での講義に走る(これがまた新宿駅から遠い)。
ある広告系学校の特別講義だったのだが、客席には制作会社のベテランもチラホラ。ぎゃ。学生さん相手かと思ったら意外と現役バリバリさんが多くてちょっと緊張。でも、企画でアドレナリンが出てたことと駅から小走りしたイキオイで1時間半なんとか完走。盛りだくさんを早口でスイマセンでした。
もう22時すぎ。アドレナリンが収まらないので「テンダリー」で一杯だけ飲むことにした。
ジントニックをもらって口をすっきりさせ、じゃ、帰ろうかな、と思ったら、宮崎さんが「『REBOOT』という雑誌の企画で "四十代をリブート(再起動)するカクテル" を作ったのですがいかがですか?」と。疲れを読まれてた模様(笑)。Bulleitというバーボン(この銘柄知らなかった)でバーボンソーダにしているのだが、宮崎さんはそれをステアせず、ソーダの上にバーボンを浮かべるようにして作ってくれた。おぉキレイ。そっと飲んだら最初の一口目はほとんどストレート。ガツンとくる。香りを味わいつつ飲み進めるとだんだん薄くなっていく演出。最後はソーダだけになる。あ、この変化、確かにリブートされるかも! 特に最後がクリアなソーダのみって、意外といいなぁ。
たった二杯でほろ酔いになって帰宅。メールと電話で仕事の進行状況を確認し(ちゃんと進んでる♪)、ホッとして急にグッタリ。あぁ夜メシ喰ってないや…。でももう寝よう。
今日はちょいと京都。明日はネット環境にいないので更新できないかも。
携帯メールで娘の夜ご飯に同席
2007年09月26日(水) 7:07:32
仕事が全然間に合わなくて、昨晩は遅くまでぐじゃぐじゃと会議をしていた。
昨晩は妻も仕事で出張だったので、期末試験中(二期制)の娘は家でひとりぼっち。夜ご飯を家でいっしょに食べる約束だったのにもう9時すぎだ。全然間に合わないので、携帯メールでなんとか娘の夜ご飯に同席。
会議中、3分置きに行き来する短い携帯メール。若造のころコレをやったらゲンコツもんだ。でも横の若者が変な目で見ているのに気がついた。ん? もしかしてこの年齢の男が頻繁に携帯メールしてるって、不倫かなんかに思われてる?
仕方ないからみんなに「子供のひとりぼっちの夜ご飯にメールで同席してまーす」と宣言して、さらに堂々と携帯メール。こそこそやらずとも、宣言しちゃえばみんな認めてくれる(批判不可!みたいな雰囲気を体中から漂わせたが:笑)。なんつうか、便利な時代ではある。会議しながら娘の雑談につきあえるんだから。
ONとOFFって何?
2007年09月21日(金) 5:35:51
昨日、ある雑誌のインタビューを受けた。
忙しい仕事とサイト、執筆、メシ、旅行などをどうやって両立させているか、という「タイムマネージメント」についての取材であった。ONとOFFをどう切り換え、どう使いこなしているか、みたいな質問。きっと分秒単位で時間を使いこなすコツみたいな答えが欲しかったのだと思う。スケジュール管理術とか仕事の仕方とかこまめにメモしとくみたいなノウハウとか。
でも、たぶんご期待に背いた(笑)
もっと根本的な話で止まっちゃったのだ。「ONとOFFって何?」みたいな(笑)
いや、聞かれてあらためて気づいたのだが、ボクにはほとんどその意識がないのである。少なくともこの数年は。
前にも「プライベートと仕事の区別」のことを書いたことがあるが、なんつうか、区別をつけて切り換えようとするからストレス溜まるし、いろいろ大変なんじゃないの?とか思う。
つか、ONって何だ?
一般的には仕事がONで、遊びや休暇、家庭がOFFだろう。でもなー、人生を主体に考えると、本当に遊びってOFFなのか? それこそONじゃないの? 「遊びがOFF」って「人生=仕事」という発想から出てくる言葉。仕事がスイッチ入った人生で、それ以外はスイッチ切れてる状態。でも、ボクみたいに「人生=時間」と考えるタイプにとっては、スイッチ切れてる時間って人生ではない(つまりは「死」)。仕事もONで遊びもON。サイトも執筆もON。家庭もON。飲み会も旅行もON。だってあらゆる時間一瞬一瞬こそが「人生」だと思っているので、どれも区別がつけられないのだ。キレイゴトに聞こえる? だとしたらゴメンけど、まぁ今の本音はそうかなぁ。
もちろんダラダラする時間は多いし、二度寝もするし、ベロベロに酔っぱらって使いものにならない時間もいっぱいある。でもそれらもOFFではなくてONなのだ。ONだから充実していないといけないということではない。どれも区別をつけていないだけ。
ダ・ヴィンチの言葉に「惰眠は死に似ている」というのがあるけど、ボクの中では「OFFって死に似ている」感じ。生きているすべての時間がON(でありたい)。だから切り換えない。そういう意味で全くタイムマネージメントしていない。スケジュール帳は会議とメシと家庭と遊びで同価値に埋まっていく。
ま、敢えて言うなら、早起きっすかね。コツみたいなものとしては。
今日も4時すぎに起きた。5時半現在、すでにいろいろこなした。でもこれは「目覚まし時計をかけて計画的に起きた」わけではない。自然に目が覚めたので仕方なく起きただけ。だからタイムマネージメントとはいえない。単なる老化現象である(笑)
とんかつと焼肉
2007年09月08日(土) 22:00:29
昨日はなぜか「肉」の日だった。
ボクは20代の一時期ベジタリアンをしていたくらいであるから、あまり肉を中心には食べない。なのに昼はとんかつ。夜は遅めに焼肉。なかなかハードだったな。
昼はとんかつの名店「勝漫」の職人さんが独立して開いたという「とんかつ やまいち」へ。8/20にオープンしたばかりの店である。てっきり「勝漫」のオーナーだと思っていたのだけど、雇われだったんだなぁ。
で、そろそろ辞めたいと周囲に漏らしたら「独立しろ」とせきたてられたとか。ただ、その職人さん、わりと弱気だったようで「自分なんかが独立しても成功しない」とあくまで謙虚。日本トップクラスのとんかつを揚げる人なのに謙虚すぎ。
でも常連さんをはじめ、強く勧める人が何人かいて、「勝漫」から程近い場所に店を開くに至ったと聞いた。ちなみに現在の「勝漫」は、ホテルの社員食堂で働いていた方が受け継いで揚げているとも聞いた。
いや〜やっぱうまかった。日本トップクラスに好きなとんかつかも。ご飯が少し残念だったけど、あっさりしたとんかつでいくらでも食べられそうだ。また来よう。
で、夜は広告の講義。
2時間の講義の中で、スラムダンクの事例を話したのだけど、終わってから聴いた人が寄ってきて「広告を続ける勇気が出ました」と言って泣いてくれた。普通にキャンペーン事例を話しただけだったのでちょっと戸惑ったが、なんかボクももらい泣きしそうになった。何かが伝わったのなら、うれしい。
講義後、一緒にやった方とふたりで渋谷「ぱっぷハウス」。焼肉だ。
裏メニューで豪華な食事。でも食べた量に比して高すぎる印象。うまかったけどなー。でもふたりとも「サシが嫌い」の「赤身好き」。とにかくサシが入っているのを持ってこないでくれ、と頼んだけど、裏メニューはどうしてもサシ入りばかり(まぁ単価が高いから仕方ないのだけど)。最後は内臓系。深夜なのに食い過ぎ。
ということで、しばらく肉はもういい気分。
ネット孤島
2007年09月05日(水) 12:13:45
昨晩は部の宴会。30人以上集まったかな。盛況。
インタラクティブ系のクリエーティブ部門なのだが、たった5年前とかは5人くらいで地味〜に宴会をやっていた。話も盛り上がらず、なんとなく白けたりして。でも昨晩はまったく異様な盛り上がり。しゃべりすぎて声が枯れたわ。隔世の感あり。
23時前くらいに解散したので、ひとり「グラビティ」に寄り道し、平野さんの作るドクター系のカクテル。何人か若者を誘おうかと思ったけど誘いそびれ(引っ込み思案)。まぁでもカクテルはひとりでちびちび舐めた方がおいしい。ポツリポツリと平野さんと話をし、新しい客が入ってきたのを機に店を出た。
今朝起きたらネットに接続できない。
うわー困った。モデム類を再起動したり設定を見直したりしてみるも接続できず。朝に送っておきたかった書類とかあったのになぁ。接続業者の方の問題だとすると時間が経てば直るかも、と、それを理由に二度寝する。あぁ二度寝ほどの快楽がこの世にあるだろうか。いや、ない。
とりあえず会社に来たが、自宅は未だにネット孤島。普段ネットに依存して生活している分、つながらないと心底焦る。ネットに囚われて生きてるなぁ。少しは自由にならないと。
覆面グルメ審査員
2007年08月29日(水) 8:13:52
昨日も学生さんとお昼ご飯。おとといとは別の人。女性。
「わたし、覆面グルメ審査員になりたいんです」とおっしゃる。
はぁ……、と、これまた詰まると、ボクが意味をわからなかったと思ったらしく、「あ、検索すればわかりますよ! 覆面でレストランで食べて点をつける人です!」と説明された。
んー、どうしようかな…、ジバランのこととか話そうかな、と思ったけど思いとどまり、「食べるの好きなんだね」とニッコリ右から左へ流す。学生さんは「あ、このオジサン、食とか興味ないんだー」という顔をしていた(笑) 説明してもよかったけど、それこそどっから話していいかわからんし、いまは別にそんなことやってないし。
でも「あまり好みを決めつけずにいろんな店にいっぱい行くといいんじゃないかな」とはさりげなく言っておいた。
疲労感にも似た淡い絶望
2007年08月28日(火) 8:46:42
学生さんとふたりで昼ご飯した。
ひえっ、たぶん25歳下だよ、四半世紀年下だよ、と内心びびりながら。
(学生たちよ、オジサンも内心びくびくしているのだ)
授業の一環としての会社体験である。就活ではない。
好奇心たっぷりにいろいろ質問してくる。
仕事とか広告とか会社員という人生とか生き方とか。とかとか。
あぁそれはね、と、気軽に答えようとしてふと詰まる。
ええと、それは、まぁいろんな考え方があるんだけど、ええと…。
あれ? なに詰まってるんだ、オレ。
詰まってるというか、どっから話せばいいかわからない。
真っ白いキャンバスを何色で塗ろうか迷っている四半世紀年下のヒトに、
話したいこと、伝えるべきことは膨大にある。
でも、ありすぎて、逆にどっから話せばいいかを見失う。
どこまでがお互いの前提で、どっから共通認識じゃなくなるのか、
距離感がはかれなくなっている自分がいた。
よく、老人が若者に意見を言おうとして、
言い淀んでふと口をつぐみシャイに笑う、みたいな図を見る。
あれは「どうせ言ってもわからないよ」と若者を冷笑しているか、
言いたいことがうまくまとまらない「脳の訓練不足状態」かと思っていた。
でも、違うんだな、たぶん。
あれは「どっから話せばいいかわからない」という茫洋たる思いだったのだ。
極限まで散らかった部屋を前にして
「一体どっから手をつけよう」と途方に暮れたときに感じるような、
疲労感にも似た淡い絶望だったのだ。
プライベートと仕事の区別
2007年08月21日(火) 9:03:09
昨日の夜に気がついたのだけど、昨日8月20日はこのサイトの開設記念日でした。12年前、1995年の昨日開設。13年目か…。なかなかの年月だ。こうなったら死ぬ前日までやり続けて、日本最長個人サイトを狙ってみたい(笑)。ま、明日あっけなく死んじゃうかもしれないんだけど。
こうして長いことサイトを続け、毎日毎日更新していると「根気がある人」と思われたりするが、そんなこと親が聞いたら「プッ。プププッ。ぶぁっはっはっ」と米粒飛ばして大笑いするだろう。何やっても長続きしなかった人なのである。日記も中学や高校のときにトライしていたが、最長で3ヶ月続いた程度。受験参考書だって買ってきた当初のやる気はどこへやら。最初の数十ページで挫折なんてしょっちゅうだった。親はボクの根気のなさを嘆き、将来を案じていた。
体力もそうである。日々の行動や旅先での強迫観念的異常行動で、年齢のわりに「体力がある人」と思われたりするが、これも親が聞いたら「信じられない…」と首を振りながら日本酒を飲むだろう。どちらかというと虚弱体質と親は認識していたと思う。小さいときから「あなたはカラダが弱いんだから無理をしてはダメ」と言われ続けた記憶がある。ラグビー部もそれを理由に(親に)辞めさせられそうになったし。
なんでこんなに変わったんかな…。
いや、変わってないのかも。根っこのところでは今でも「根気がない」し「体力もない」と自覚している。たぶん単に自分を鼓舞したり体力温存したりが上手になったというだけのような気がする。
というか、プライベートと仕事を区別してないからかもしれない。
たとえば会社では誰でもある程度「根気がある」し「体力がある」。プライベートならとても続かない事務作業でも毎日こなせるし、徹夜だって仕事ならなんとか体力持つ。仕事を途中で投げ出すわけにはいかないからだ。そういう意味で言うと、ボクはプライベートにもその方式を持ち込んでいるところがある。
ボクは若いころ残業や休日出勤がとっても多い人だったので、「人生=プライベート+仕事」と考えちゃうと「プライベートの時間がほとんどないじゃん!」ということになり、精神的にきつい時期があった。プライベートがほとんどない自分に自己憐憫したり、人生を損していると思い込んだりしていた。でも、ある時「プライベートと仕事の区別をつけなければいいんだ!」と気がついてから楽になった。区別してもしなくても同じ人生にかわりはない。「人生=時間」とシンプルに考えて、プライベートのよいところを仕事に取り入れ、仕事のよいところをプライベートに取り入れようと考え直したのである。
なんかヒトには説明しにくい考え方で、たとえば友人とかに「だから家族との時間もある意味仕事だし、サイトも食事も読書もプールも仕事に近い。そう考えるといきなり楽になるし継続も可能になる。面倒なことも苦痛なことも、ある程度克服される」とか話してもなかなか理解されない。バカじゃないの?と嫌悪の目で見られることすらある(笑)
でも、なんつうか、ボーダーをなくしてみたら(ボクの場合は)自由が獲得されたし、根気も体力も続くようになった。ま、そういうことですね。長々と書くほどのことでもないんだけど。
過去の成功体験が通じない職場
2007年08月07日(火) 8:23:16
会社でボクは「過去の成功体験」が通じない職場にいる。
日々進化しているインターネットの真っ直中でキャンペーン・ディレクションをしているからである。
たとえ成功事例をつくっても半年で「古く」なる世界。ネット以前であれば、一度成功事例や賞を獲りさえすれば下手すると一生食えるみたいな部分があったのに、ここではたった半年で古くなってしまう。「最近の成功事例は?」とか聞かれて1年前の事例を鼻高々に話しても「それって1年も前じゃないですか」とすっごい過去みたいな言われ方をしかねないのがネット業界なのだ。成功事例や賞などはすぐに捨てて次に進まないといけない。
これって過去の実績にすがりつきたい40代中盤男にとっては実際とてもしんどいことなのだが、過去の成功体験だけで生きている人にはなりたくないからまぁこれもアリかなと満足はしている。頭も硬直化しないしね。
ただ、反面、「過去の成功体験というアドバンテージを使えない分、常に若手と対等に張り合わないといけない」わけで、これがなかなか厳しい。斬っても斬っても新しく若い敵が現れる。しかも、若手を前にすると思わず「それはこうした方がイイのだよ」とか過去の成功体験を振りかざして口出しちゃったりする。あ〜そんな口出ししたら仕事が古くなっちゃうのに。我慢せよ我慢。
でも最近気がついた。
若い人ほど意外と成功体験に固執する。成功体験が少ない分、たったひとつの成功体験を大事にしすぎて凝り固まってしまう人が意外と多いのだ。早々に自分の世界を作ってしまう。若いうちからそんなに狭くしてどうする、とか口出ししたいのだけど、これも我慢せよ我慢。成功体験は捨て続けないといけないんだ、と、自分で気づくまでじっと我慢。
二度寝前の深夜メモ
2007年07月27日(金) 2:15:31
疲れが溜まっているのが自覚され、昨晩は残業もそこそこに帰宅。ご飯を食べて21時前には就寝。あっという間に寝付いたのだけど、午前2時には目が覚めた。ダメじゃん。というか5時間は寝てるのか。でも疲れがとれた感じはしない。もう少し寝ないとなぁ。ちょっとネットしたら二度寝(?)しに行こう。
北方「水滸伝」は四巻を読み終わった時点で止まっている。いや、なんつうか、面白すぎて。出てくるキャラがどれもこれも魅力的すぎるのだけど、どうも五巻以降、主要キャラに死の試練が起こり始めそうで読み進めるのが怖いのだ(笑)。最相葉月の「星新一」に浮気したり、池田晶子の最新刊(にして遺作系)の「暮らしの哲学」や「人間自身」をゆっくり読んだりして先送りしている。
もろもろバタバタすぎて、関西のおいしい店リストのリニューアルや東京のリストの更新が滞っているのが気になっている。東京のリストも新規開拓が50軒くらいあり、早くまとめてしまいたい。地方の行った店も100軒くらい書いていない(というか元々リニューアルが終わっていない)。でもこの仕事状況からするとなかなか厳しいかも。
仕事は、コミュニケーション・デザインという分野において、ここ数年でずいぶん成長というか視点が上がった気がする。自分の中にようやく揺るがない基準が出来てきて自信がついた感じ。いろいろやっているうちに視点が高くなり、部分から全体に俯瞰がきくようになった。いままでも俯瞰していたつもりだけど、少し高さが足りなかったことに気づいた。やっぱ経験値とか仕事量とか過去にやったことの咀嚼って大事なんだなぁとかいまさらながら。
ところで、どなたかセンスのいい表装店、ご存知の方いらっしゃいませんか? 隈取を額にしたいのですが。
企画書 & 大ショック
2007年07月16日(月) 7:42:19
昨日は早朝から仕事の企画書をひとりしこしこ。
ある商品の、半年以上に渡るキャンペーン企画構成を、メディア・ニュートラルですべて矛盾なく一企画書に入れようとしているのだが、普通に書いていくとなかなか複雑に見えてしまいプレゼンとしてよろしくない。プレゼンの相手が苦痛にならないようにシンプルにシンプルに直していくだけですぐ数時間。ページ数は現時点で150ページ超だが、もっとシンプルにして130ページくらいまで減らしたい。とはいえ、いまから制作物のカンプを入れ込んでいくので、どうなることか。間に合うのか?
と、疲れに目を腫らしながら作業していたが、ふと気づくと外が静かだ。
東京は台風の影響はほとんど受けなかった模様。「でかいの来るぞー!」と煽るだけ煽られて実際は静か、っていうパターン、東京は多いからなぁ。ま、来ないに越したことないのだが。
夕方まで様子を見て、外出できそうな天候とわかった時点で、娘がショッピング・モールに行きたいと言い出す。頭は企画書のことでいっぱいだったが、気分転換にいいかも、と、家族で出かける。写真部用のデジカメを買ってあげると約束していたし。
でも、家を出た途端、疲れでフラフラなのを自覚。根詰めすぎた…。
電車に乗ってなんとかモールにたどり着き、まずは家電量販店。「接写ができ(1〜3cm)、28mm広角があって、光学ズームが5倍以上で、撮り味が良いもの。画素数は3〜500万あれば充分」という条件でデジカメを探すが、選びようもなく1機種に。リコーのCaplio R6。まぁネットで調べてもこれかと思ったけどやっぱりこれか。
店員に聞くと、他社の候補もいくつか上げつつ「リコーは色がナチュラル。薄いと言う人がいるくらい。C社は色が派手目。メリハリあり。O社は明るい」などと。メリハリはパソコンですぐつけられたりするので、結局リコーに。ボディ色も赤があったし。ちょっと高いけど、まぁ酷使してくれ。銀塩コンパクトカメラはボクのMINOLTA TC-1(名機!)を譲るつもり。一眼レフはCanonがある。
モール内の店で娘の服を少し見て早々に退散。
ボクがあまりに疲れた感じなのでみんなに気を遣わせてしまった。よくないな。でも家に帰ってデジカメ動かしてみたら、フラッシュが光らない。ぐあ!不良品 !? どういじっても光らない。こりゃダメだ。明日取り替えにまたあそこまで行かないと…。がっくし!
しかも!
さっき何気なくアマゾンとか価格コムとかで調べたら、その量販店より15000円〜20000円くらい安く売っている店が大半。マジ? いつも使う量販なので「まぁそんなに価格も違わないだろう」と信用したボクがバカだった。20000円って…半額くらいじゃん! 信じられない。調べずに買ったボクもバカだけど、ここまで価格が違うと思わないよなぁ…。ショック! というかバカ。バカバカバカ!
ショックから立ち直れず、死んだ魚の目になりながらまた企画書。深夜まで。
あっちを直すとこっちに矛盾が出てきてこっちを書き直す。でもそうするとそっちが不要に思われて、削除するとあとでその必要性がわかりまた書き足す。そんなことの繰り返し。「明日も1日かかっちゃうなぁ」と溜息つきながら就寝。
分秒単位
2007年07月13日(金) 8:48:49
仕事が分秒単位で行動しないと間に合わない感じになってきて、さすがにあたふた。久しぶりに仕事量の見積もりを誤ったなぁ。
昨日は10年ぶりくらいにレストランに30分遅刻した(それでも行くか!)。同行者にはすまんことをした。レストランだけは遅れないように生きてきたのに! いずれにしても相当切羽詰まっているご様子。ちょっと昨晩はレストランに行っている場合ではなかったかもなぁ。でも楽しかったので良し。
とかなんとか言っているうちに、2007年も近寄ってきた(カウンターの話)。
こんなルールです。どうぞ、ゲットしてください。経験的に言って最後の方はあっという間にカウンターが回るんだけど、一方で土日や祝日はアクセスが減るので、何日がXデイになりそうか予想が難しいですね。いずれにしてもこの週末あたりが臭い。くさ。
大学で講義
2007年06月26日(火) 7:09:14
昨日はある大学で講義。100人ほどの学生を前に、消費者の変化とメディアの変化、それに伴う広告手法の変化を1時間半。盛り沢山すぎて時間が足りなかった。でも動画とかを多く見せたこともあってそれなりに喜んでくれた模様。
ここ数年、個人的に、若者を見る目が客観から主観に変わったようだ。「娘の延長線上として見る」ようになった。「親目線」とも言える。以前は客観的に、ちょっと冷たく見ていた部分があったが、今は逆に温かめ。きばれよ〜、と励ます目線。ダメダメっぽい学生を見ても、娘がこうだったらと考えて、思わず親身になってしまう。子供を持つってこういうことなのだな、と、あらためて実感する感じ。
世の中に「今時の若い者は…」と否定的に言う大人は多いが、ボクはあまりそう思ったことがない。比較的「今時の若い者は良い」というスタンスを取る。もちろん困ったちゃんも多いし、学力・モラル・常識の低下なども相対的にはあるだろう。面白み・覇気・人との関係性も薄いかもしれない。でも、「今時の若い者は…」とか言う人って、単に自分が若い頃のことを美化しているか、忘れているだけだと思う。アンタもたいしたことなかったはずだ。若者なんてみんな未熟なのが前提。未熟じゃない若者もたまにいるが、逆にちょいきもい。
昨日もキャンパスで今時の大学生をずっと眺めていたが、ボクの頃に比べてみんなお洒落で個性的。気が弱そうな若者が多かったが、言い換えれば優しいとも言える。思ったよりマナーもしっかりしていて、最寄りの駅とかの階段でもちゃんと全員片側に寄って歩いていた。ボクが学生の頃よりマトモだと思う。
人生の選択肢が多すぎる時代は学生にとって大変だ。有史以来こんなに選択肢が多い時代もないだろう。だらだらしているようで、みんな心の中の不安と闘っている。不安に打ち勝って姿勢良く前に進んで欲しいと思う。
と、たった一日大学で教えただけで教育者気分になっているワタクシ。相変わらず影響受けやすい人である。
