雑談
週刊文春に書評を書きました
2009年07月03日(金) 7:13:38
えっと、昨日発売の「週刊文春(7月9日号)」にボクが書いた書評が載っています。
書評したのは駒沢敏器さんの「アメリカのパイを買って帰ろう―沖縄58号線の向こうへ」という本。
駒沢さんは友人でもあるので、この本は出版されてすぐ買って読んでいました。
で、「なんて素晴らしい本なんだ」と感嘆したんだけど、その素晴らしさを伝えるのが意外と難しく、さなメモにどう書こうか迷っていたところに、「書評を書いてください」と偶然に文春の編集の方から依頼があったんですね。過去に2回だったか書評書いているし、沖縄の本を文春から出していることもあるのでしょう。
うわー書きたいけど…こりゃ難しいなぁと頭を抱えたんだけど、沖縄の話でもあるし、友人でもあるし、変に理解がない人が書くよりは適任だろうし、こりゃやっぱり書いた方がいいだろう…と引き受けました。
そこから悩むこと一週間。
アメリカだったころの沖縄を著者がシーク&ファインドしていくノンフィクション・エッセイなんだけど、書き出すと言及したいことが多すぎて字数が足りない(12字×91行=1092字)。参ったなぁ。中途半端に削るとその魅力が浮き出てこない。上っ面をなぞると深い部分に触れられない。んー、ままよ、いっそのこと肩の力を抜いて「さなメモ」みたいに書こう!
と、「書評」と思わず「さなメモ」なんだと意識して書いて、先週金曜日にメールで原稿送りました。
同時に著者の駒沢さんにもメールで送ったら、最大限の感謝をいただきつつ、「ちょっと力入りすぎですね。いつもらしくない(笑)」と。あは、ダメじゃん!(笑)
いつもらしく書こうとしつつ、「この本をみんなに読んで欲しい!」という気持ちが勝りすぎて結局肩に力が入ってしまったみたいですね。いや、ほんと、まったく力不足で申し訳ない。
もしよかったら立ち読みでもしてみてください。
書いた書評は来週くらいに(販売が終わったころに)ここに掲載します。
いやホント、題名からはわかりにくいですが、沖縄好きは必読だし、いままでほとんど光が当てられなかった「アメリカだったころの沖縄」を濃密にも美しく浮かび上がらせた名作だと思います。書評の冒頭でも書いたけど、「この本は近年書かれた沖縄本の中でもベストではあるまいか」とボクは思うなぁ。
喜寿
2009年07月02日(木) 7:06:03
昨晩は7月4日生まれの父を囲んで、両親+家族の5人で「喜寿」のお祝い。喜寿、つまり77歳のお祝いである。
場所は、以前両親との会食で利用して我が家で評判が高い「まき村」。
大森の、こんなところにうまい店が? と疑われるような暗い道にポツリとある割烹だが、味は一流。都心にある贅を尽くした割烹よりずっとうまかったりする。
昨晩もうまかったなぁ。
イチジクと胡麻豆腐、トウモロコシの手まり揚げ、鱧と冬瓜のお椀、すばらしい刺身(本鮪、イカ、鰈)、アワビのタタキ、若鮎、湯葉あんかけ(絶品)、鮎の炊き込みご飯、マンゴープリン…。
両親も「うまいねー、うまいうまい」と大喜びで食べてくれた。14歳から77歳まで幅広い年代が揃った会食で、各一品ごとに全員に「うまい」と言わせるのって相当ハードル高いことだと思う。それをやりきってくださった「まき村」さん。本当にありがとうございました。コースの構成も絶妙でした。
お祝いに歩数計も差し上げて、じゃあ次は金婚式か、という感じ。
ボクが来年49歳なので、来年は両親の金婚式なのである(結婚50年目。つまりボクは結婚の翌年に生まれている)。その2年後は父の80歳の傘寿。その2年後は今度は母の喜寿。お祝いが続く。貯金貯金!
ゴッドハンド以前との違い
2009年06月30日(火) 6:47:08
そろそろゴッドハンドが上海から帰ってくるぞよ。
体調が「右肩下がり」なので早く行きたい。あぁまた散財だなぁ。でもついに最後の砦「食欲」までなくなってきたのでヤバイのである。これは自分的には相当の危険水域。だって普段は40℃の熱でも食欲だけはなくならない人なので。
ボクのサイトを読んでくださっている人と会うと「体調どうですか?」とか聞かれて照れくさいのだけど、ゴッドハンドの施術が始まる前と違うのは「でも顔は元気そうですよ」と言われること。
これ、驚くなぁ。ゴッドハンド以前は、体調良くても「疲れた顔してますねぇ」と心配された。自分でもイキイキしていると思っているときに「疲れが顔に出てますねぇ」とか言われてガックリきてた。
でも今は体調がイマイチなのに「元気そう」と言われる。
自分では「いや、ホント、もうダメだから」という顔をしているつもりでも「元気そうじゃないですか」とか言われる。この違いはなんだろう。根っこから治りつつあるということか。ヨガにくわしい人からも「東洋系の施術受けたり体が変わる時はその反動作用が必ず体に出るっていいますからねえ」とメールをもらった。いま「悪いところが奥の方から出てきているだけの状況」なのかもしれぬ。
そういえば、ふと気づくと、腰痛と足痛はない。キレイさっぱり消え去った(多少座骨に違和感があるがその程度。雲泥の差)。頭痛のみが残っていて、そこにダルさと食欲不振(まだ2日目)が重なってきている感じ。そうか、治る途上での反動なのかも。それなら耐えられるぞ。陽転思考。
あとはいい本とかいい音楽とかいい舞台とかに触れて気持ちを盛り上げていこう。レジャー系の「娯楽」が減少しているなら、「プチ娯楽」を増やして精神を活発にしよう。
ということで、ある方のお誘いもあって「生きて動いている立川談志」を見に行ったりしたのだけど(「居酒屋」と「よかちょろ」を演ってくれた)、その感想はまた後日。いやぁ眼福でした。
「娯楽」の減少
2009年06月29日(月) 8:24:46
テレビを見ていたらアユの映像が流れた。ayuじゃなくて鮎ね。
あぁ一時は最大の趣味だった鮎釣りも十数年してないなぁと思いつつ、ふと自分の生活を振り返ってみると、いわゆる「娯楽」をまったくしなくなった自分に気づく。
関西勤務時代は毎週末にテニスをしていた。夏は鮎釣りも数多く行っていた。二週間にいっぺんくらい誰かのホームパーティに顔を出していた(もしくは招いていた)。ゴルフもたま〜にではあるが行っていた。温泉とかにも定期的に行っていた。近場旅行も頻繁(関西は京都も奈良も紀伊も日本海も山陽も四国も近いし)。なにより「行きつけのバー」があった。毎日のように飲んだくれてだらだら出来る空間があった。
いまはそれらがほぼゼロである。土日は仕事か執筆か更新作業か講演か取材旅行。もしくは終日ベッド。
最近は平日の夜もいわゆる「仕事系・人脈系会食」が多く、くつろげる親しい友達とも全然会えていない。
というか、酒もやめつつある。体調理由もあるが「常に頭をスッキリさせていたい」という気持ちが勝るようになってきてしまった。酔いの効用は百も承知だが、酔うこと自体が嫌いになってきている。だからバー的なストレス解消の場にも全然行っていない。
これは次へのステップなのか、いい意味で人生の変わり目なのか、もしくは退歩なのか、つまらない大人への入り口なのか、どうなんだろう…。そろそろ真剣に考えないと後戻りできなくなる…。
ま、そんなことはともかく、鮎釣りしたいなぁ。
でも東京って鮎が釣れる川が遠いんだよね。クルマも捨てちゃったしなぁ。あぁ川行きたいなぁ(←海よりも川が好き)
第一回会社高校同窓会
2009年06月28日(日) 9:54:15
先週は高校の同窓会があったので、そのことを簡単に書いておこう。
1ヶ月くらい前にたまたま鮨屋で遭遇した同じ会社の先輩がいて、流れ上その先輩と2軒目に流れたのだけど、「そういえば高校の先輩ですよね」「あ、そういえば後輩だっけ?」となり、「うちの会社にも若手が意外と多く入ってきているみたいなんですよ」「へー。マイナーな学校なのにねぇ」「そろそろ同窓会でもしますか、うちの会社限定で」「お、いいね」とか話が発展し、翌日から若手たちの手も借りて(まだ個人情報がどうのと言われないころの)高校の名簿なんかも使って卒業生を調べ始め、会社に26人もいることが判明し、みんなに一斉メールを送ったら大変喜ばれ、一気に開催が決まったというのがその経緯。
26人…。多いような気もするが、この前エレベーターで麻布学園卒業のヤツにあったら「うちの卒業生は会社に百数十人いるっす」とか言っていたので、比較すると少ないんだろうな。でもこれには理由があって、この会社の社風は、どちらかというとうちの高校の校風の真逆なのだ。
ボクは渋谷の駒場東邦という中高一貫の男子校を卒業したのだけど、この高校の校風はとてもハッキリしていて、知らない人としゃべっていても「もしかしてアナタ、駒東じゃないですか? やっぱり!」とかわかるくらい卒業生が特徴的な空気をまとっている。
それをひと言で言うと、「そこはかとなく、ぬるい」(笑)。のんびりしていて中途半端で詰めが甘い校風(どんなんや)。お人好しでシャイで保護色。だからうちみたいな真逆な社風の会社にはまったく合わないし、ほとんど誰も目指さないのである。つまりこの会社にいる人たちは超マイナー勢力。どちらかというと異端児に近い。
参加者は26名中22名。ずらっと揃うと(異端児揃いとはいえ)やっぱり「ぬるい」や(笑)。
うちの会社っぽくないのほほんとした空気が漂っている。みんなこの会社で日々揉まれ続けているはずなのになぁ。中高の校風や恐るべし。
しかもこの高校、歴史が浅く、1980年卒業のボクで21回生。
だから先輩後輩の壁もうすい。上下関係までぬるいのだ。でも新設校の良さは学校創立のころの先輩(1回生)がまだ70歳前だったりするところ。会おうと思えば会える。今回も8回生の先輩が来てくれた。一番下は45回生(会社では2年目)。わりと均等に分布している。
第一回の会社高校同窓会はぬるーくのほほんと盛り上がった。
私立校の良いところは先生が(転勤せず)長く勤めていること。18〜24回生くらいが「あのジジイ、まだいるのかなぁ」とか親しみ込めて話していると、43回生とかが「え! 先輩たちのころから、この先生、ジジイだったんですか!」と驚く。そんな昔からずっとジジイだったのか!って驚かれるのもわかるけど、こっちはこっちでその後20年以上勤めていたのか!と驚く感じ。いや、いったいあのジジイは当時何歳だったんだ? うそ、計算上は40歳とか? ありえねー! いまのオレより年下かよ! だってすげージジイだったじゃん! とか、共通の先生の話題とナンパな話題(ナンパ校だったのです)で盛り上がった。
おかげさまでみなさん満足されたみたいなので、来年の開催も決まった。
言い出しっぺなので毎回幹事かな。今回は会社から近い店で開いたけど、次回は高校の同期がやってるあの店で開こう!(笑)
大阪で日帰り講義
2009年06月27日(土) 10:43:38
昨日は大阪日帰り出張。
うちの関西支社でレクチャーというか講義2連発。第一部は「コミュニケーションの未来予想図」を中心に「生活者の自分ごとにする様々な方法」について。第二部は「戦略PR」を中心に、ボクが書いた企画書とかをお見せした。4時間ほぼぶっつづけ。さすがにガス欠。疲れた。
日々の仕事をしつつ、こうして講演とか講義とか対談とかを引き受けているのは、ボクを育ててくれた業界への恩返しという理由が大きい(キレイゴトに聞こえたらごめんなさい。でもわりと本音)。
そういう意味では大阪の講義は絶対断れない。社内なので謝礼もないし、行って帰ってくるだけなので疲れるし、しかも東京を一日不在にする分、仕事が疎かになり、なにかトラブルめいたことが必ず起きる。でも断れない。関西支社と大阪という街には恩をいっぱい返さなければ。
4時間話したあと、ダイニング・バーで軽くご飯をご馳走になり、終電間際の新幹線で帰ってきた。
行きつけのバーにも寄らずまっすぐに。土日はきっちり休みたいうえに、実はプライベートでやること満載。一泊して土曜の朝にあちらを発つと貴重な土曜が半分以上つぶれてしまう。それを避けたいくらいやること満載。
しかもですね…。
頭痛が再発している。ゴッドハンドの施術が効いていたのは5日間。6日目に再発した。まだ完治してなかったのね。あいにくゴッドハンドは上海に出張していて来週まで帰ってこない。うーむ。ま、とにかく、頭痛があったので酒も飲まず、まっすぐ帰ってきたわけです。
昨日はマイケル・ジャクソンの死亡、そしてファラ・フォーセットの死亡、と、2つもビッグニュースがあったのだけど、それについてはいろんな人が書くだろうから書くのをやめる。ホント、このごろ大きな訃報が多いのだけど、このふたつは桁違い。どんなに栄華を極めた人にも死は平等にやってくる、か…。
「独りであること」
2009年06月26日(金) 7:20:11
そうそう、一昨日の6月24日は高野悦子の命日だった。
数年に一度、6/24という数字の並びを見て、電撃に打たれるように思い出す。今年は数日前にスケジュール帳を見ていてふと思いだし、久しぶりに命日を意識した。さなメモを見ると、2003年と2004年に命日を意識している。2005〜8年は忘れていた模様。
高野悦子。
もう世間的には忘れられた人なのかな。「二十歳の原点」という本で、ボクたちのちょっと前の世代に異様に影響を与えた人。いや、いま検索したら、新装本も出ているようなので、まだ読み継がれているのかもしれない。
ボクがこの「二十歳の原点」シリーズにのめり込んだのは、20歳の大学生のころ。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
この言葉と彼女の問題意識に心酔した青い日々。「ひとり」を「独り」と書くことなんかずっとマネしてた(今でもその名残があってたまにそう書く)。「独りであること」という命題については、唱えすぎて潜在意識に近いところまで下りており、無闇に孤独になりがたる癖すらある。基本的に人見知りだったりヒトと距離をとる習慣がついていたりするのもこの本の影響かもと思う。子どもの頃は「まったく人見知りしない子」だったらしいし、たしかに中高のころは人とばかりつるんでいた。この変わりようは高野悦子がきっかけか。
命日をきっかけに再読しようと一瞬思ったが、いま読むのは怖い。あれから28年の無為無策が炙り出されそうである。というか、これ以上「独り」が好きになったら困るし(笑)
経験値から自由であること
2009年06月24日(水) 6:23:15
ボクは「若者褒め派」である。
昨日のさなメモもそうだったし、いままでもいろいろそんなことを書いてきた。
実際、尊敬すべき有意なる若者は多い。学生に教えたりすることも多いせいか、一見ふにゃふにゃで情けなさそうに見える「イマドキの若者たち」が意外としっかりものを考えているのを知っているし、経済状況が悪い中で育ってきた若者たちの現実的な「夢」をなんとかバックアップできたらなと思っている。
あと、「褒める」ということを自分に課している部分も潜在意識的に少しあるかも。閉塞感ある社会でなんとかがんばろうとしている若者に少しでも自信と意欲を持って欲しいから。そして日本をちゃんと受け渡したいから。
肩書きも年齢も通じないフラットな価値観の「ネット社会」にもう15年身を浸していることも大きいかもね。メールなどで普通にやりとりしている人の中に10代の若者とかもいる。本当に肩書きも年齢も関係ない世界。ここにずっと棲んでいると、そういう不要な価値感から自由になれる。
というか、成功体験にがんじがらめになってそれを捨てられない「変われない大人」が嫌いなんだな。腐った大人が嫌い。不必要に上から目線の大人が嫌い。いまの日本の閉塞感はそんな大人たちのせいも多分にある。
でも、一方でボクはポジティブ・エイジング派。歳をとることの大礼賛者でもある。
悔しかったら早く大人になってみろ〜!と若者を囃したてたいと思うくらい「大人であること」が好きだ。生まれ変わるとしても10代20代とかまっぴらゴメン。体力だけはうらやましいが、あとは全然うらやましくない。若者でいるって大変だな、って同情しているくらい。
いや、昨日のさなメモを読んで、「さとなおさんはアンチエイジング派? 老いることへの抵抗感が大きい?」みたいなメールをいただいたので、うーん全く違うんだけどなぁ、そう読めるのかなぁ、と、なんとなく書いてみました。でも文脈なく唐突に書いているせいでとてもわかりにくいね。
なんというか、自分の考えに凝り固まらず、成功体験も身軽に脱ぎ捨てちゃうような軽やかでしなやかな大人が好きだし、そうなりたいと思ってます。「経験値が多いのに、経験値から自由であること」。そんな大人でありたいと心の底から思ってる。まだまだ軽やかには程遠いけど。
30歳と31歳
2009年06月23日(火) 6:26:19
ちょっとだけ前の話になるが、ベルリン・フィルのコンサートマスターに30歳の樫本大進氏の就任が内定した。
日本が誇るコンマス安永徹氏の後任として選ばれたらしい。今後約1年間の試用期間を経て、団員の2/3以上の賛成を得てから完全な契約を結ぶらしいが、それにしてもすごくない? あのベルリン・フィルのコンマスって…。団員になるだけでもすごいのに、コンマスって…。一般的に考えてかなりの経験値と解釈の深さ、リーダーシップの強さなどが求められるコンマスに弱冠30歳で選ばれるっていったいどんな人なのだろう。しかも年上&猛者揃いのベルリン・フィル。ちょっと考えられない。
ちょうど同じ頃、千葉市長に熊谷俊人氏が現役最年少の31歳で選ばれた。
彼は高2で阪神大震災を経験し、大学卒業後にNTTコミュニケーションズに就職したという。
すばらしいなと思うのはその行動力。政治不信を募らせていた3年前に「居酒屋で腐っていてもしょうがない」と一念発起し、脱サラして民主党の千葉市議会議員候補公募に応募して合格。1週間後に東京都内から転居し、翌年、稲毛区選挙区でトップ当選したという。そして今回も千葉市長選史上最高の17万票獲得。うーむ。まぁこれから年長&老練な議員たちに揉まれるのだろうけど、その行動力と志や良し。
30歳と31歳。
たまたまこのふたりがすごいのだとも言えるけど、やっぱり「普通に要職を任せられる20代30代」が世の中にはたくさん埋もれているのだろうなという実感を持つ。
企業の世界でも20代30代でトップを任せられる人材は意外とたくさんいるのだろう。なのに名ばかり実力主義の年功序列の中で実力を発揮しきれず埋もれきっている。まぁIT系では20代30代のトップがゴロゴロいるけどね。普通の企業ではまだまだ20代30代は下っ端の部類だ。
ボクの周りにも「こいつに企業トップに近い要職を与えたら、きっと大きく働くし、会社を変えるだろうな」という20代30代が何人もいる。「変な経験値」がつく前に彼らに要職を与えて行動させてみたいとよく思う(そんな権限が自分にないのがもどかしい)。経験値が必要な場合もたしかに多いが、意外と無経験な人でも行動力と志があったらできるもの。結局、地位が人を作るのだ。慎重さと臆病さばかりが身についた経験豊富な人より、多少危なっかしくても若い行動力と志がある人の方が企業や世の中を変える。
ボクはもう48歳。
勤めている会社においてはようやく中の上クラス。役員から見たらまだまだ下っ端である。
でも、本音を言うが、下っ端のくせに、すでに少しずつ守りに入ってきている自分を知り衝撃を受けることがある。経験値がつきすぎたのだろう。心の奥の方に妙な慎重さと諦めと守りがある。20代30代のころの蛮勇をずいぶんなくしてしまった。50代60代になったらもっと「守る」んだろうな。いろいろと築き上げてきたものを。
自分がそうだからって世の中の人みんながそうだとは言えないけど、でも、世の組織のトップである50代60代の大半は、このように「守っている」と言ってもいいと思う。日本は、「守っている人」が上の方にいっぱい巣くって慎重さと臆病さをはびこらせている、身動きとれない社会なのだ。
守っている人は若い芽を摘むのがうまい(ホントにうまい)。
20代30代の蛮勇なんてすぐ摘み取られる。自分がもし知らず知らずにそうなっていたらすぐ辞めよう。そして守る必要のない、まだ何も築き上げていない世界に旅立とう。
たった4日で3キロ減少
2009年06月22日(月) 8:24:13
去年くらいから会食が増えた。
要するに、本業の本を出して以来「一度話を聞かせろ」と言ってくださる方が増え、夜の約束が増えたわけですね。あっという間に手帳が2ヶ月先まで埋まる感じ。それを1年半続けてきた。毎晩のようにいろんな人と飲んできた。
そのうえ、あんな本を出したせいでプレッシャーの大きい仕事が増え、ストレスでの「激喰い&激飲み」も多くなっていた。普段からわりと節制する方だったけど、この1年半は「節制する」という心のゆとりがなかった。プールなどのいい習慣も消え去った。だって行っているヒマも体力もないんだもの。
でも、体重だけはキープしていた。
BMグラサン・ダイエットの中の「体重計に乗ってグラフをつける」だけは続けてきたから。あ、基礎代謝量も意識し続けてきた。これさえ守っていれば体重は増えない(自信)。
ただね、ここ1ヶ月くらい、急激に体調が劣悪になり、体重もキープできなくなっていた。グラフは相変わらずつけてるんだけど、きっと何かのバランスが崩れたのだろう。もしくは内臓がちゃんと働いていない(←ゴッドハンドに言わせるとこれが原因)。とにかく体重が少しずつだけど増え続けたのである。
結局ここ1ヶ月で一気に2.5キロ太ったですね。79.5キロから82キロへ。
微々たるものかもしれないけど、ずぅっと数年間体重をキープし続けてきた自分からするとちょっとショック。しかもこのまま際限なく増えていきそうだ…。なんだかここ1年半の不摂生が塊となって出てきた感じ。
ところが急展開!
ゴッドハンドに4日続けて通って内臓の働きを元に戻してもらったら、今朝、体重が79キロまで下がっていたのである。たった4日で3キロ! そういえば排出感も確かにあった。
カラダが正しく機能するって、スゴイんだね。
まだ治りかけで安心はできないし、今日なんかまた不調がぶりかえした感もあるんだけど(上がったり下がったりしながら治っていく)、お腹の肉もずいぶんすっきりし、体重もがくんと減り、気分はとても明るい方向へ。
油断せず完調に持って行くつもりなので、会食してくださる方々、しばらく酒抜きになっちゃいます。よろしくお願いします。
体調回復中
2009年06月21日(日) 10:59:29
結局4日連続でゴッドハンドの元へ出かけた。
相当カラダが痛んでいて「これは連続でなければ治らない。最低4日来て」と言われ、ボクも納得しての連続行。ただボクの選んでいるコースは「バカ高い」のでお財布には相当響く。まぁ「お金で健康な人生を買う」と考えれば、モノを買うよりずっと有効なお金の使い方。カラダを壊しては元も子もない。
1日目はカッピング(吸玉)と鍼と推拿。
鍼は首と座骨に計4本。彼はポイントを間違えずに深〜く入れるからかなり痛い。でも翌日には頭痛と腰痛がピタリと止まった。
2日目もカッピングと鍼と推拿。
ただ、鍼を背中(脊髄横)に一本入れた時点で「ギャギュギョ!」とボクが痛がったので、今日は鍼は一本で終了。あとは絶叫推拿。彼のマッサージはとにかく痛い。鍼の方がマシ。でもなんか鍼って苦手なんだよなぁ。大汗かいて終了。頭痛と腰痛の再発はなし。
3日目は鍼なしでカッピングと推拿。
彼のイイトコロは無理にやらないこと。ボクの反応や調子を見て変えていく。前日に鍼で痛がったので今日はなし。
カッピングはいつもは背中だけだが、今日はお腹にもやった。
あ、カッピング(吸玉)というのは、丸いカップを皮膚にパカッて吸い付けるもの。カップの中を火を使って真空にして吸い付ける。最初は痛いけどだんだん気持ちよくなっていく。ただ跡が真っ赤に痛々しく残るのが難。根性焼きの巨大なのみたいな跡が付く。
夜になって左側だけ頭痛が再発。治りかけのときによく出るらしい。でも体調は順調に回復。
4日目の昨日は、とりあえず一段落の日ということで覚悟を決めて行った。そう、鍼を受け入れる!
深呼吸してカラダ中リラックスさせ、鍼を心から受け入れる。「おー、すごいね、どんどん入る。サトさん、進歩したね。深く入ってるよ」とゴッドハンドが褒めてくれる中、「う〜痛い〜」と内心叫びながら、とにかく受け入れた。皮膚に刺すのが痛いのではない。奥の方のツボに刺さったときのもどかしくも重痛い感じが苦手なのだ。とはいえ全部で20数本。足も背中も腕も、最後は顔にも鍼を打った。我ながらがんばったなぁ…。終わってからは頭痛なし。腰痛はもうとっくにない。足痛も消え去った。
鍼を打たれながら、鍼の原理を聞いた。
ツボを刺激するとき、誰でも最初は指を使う。そのうち物足りなくなって木の棒とかを使う(そういえば木の指圧道具売ってるね)。そのうちそれにも物足りなくなって石とかもっと堅いモノを使うようになる。そのうちもっと奥に届かせたくなって、尖った石とか尖った鉄の棒とかを使うようになる。それが高じて釘みたいなものを使うようになり、その後「鍼(針)」になった、ということらしい。ツボに鍼を刺し入れて奥の方の神経を刺激する。悪いところの近くのツボに刺すとは限らない。足の先とか、遠くてもつながっている経絡に刺してカラダ全体で治していく。それがホリスティックな東洋医学。
相変わらず鍼は怖いが、でも背中と顔をクリアしたことでかなり自信がついたかも。
「とにかくサトさんはカラダ中ストレスでガチガチになっていて、それが神経を圧迫して頭痛を起こして、内臓の働きも邪魔されて弱っている状態。そうなると内臓から血も栄養もカラダに回らなくなる。それでカラダがもっとガチガチになる悪循環」だそうだ。原因不明な足の痛みも内臓のせいだとか。内臓が元に戻ってきたのか、足の痛みはなくなり、お腹の肉もすぅっと落ちてきた。最近オナラが出がちだったのだけど、これも収まっている。すごい変化である。
あとは定期的にゴッドハンドに通うお金をどうするか、だな。
業績悪化により大幅カットとはいえ、一応ボーナスが出たのでそれを当てたいとは思うが、デジタル一眼と洗濯機も欲しい。うーん…どうすっかな。
愛した店との別れ
2009年06月20日(土) 19:47:07
昨日のメモにいろいろメッセージありがとうございました。
あの店がなくなる喪失感を共有できること自体がうれしいです。予感はあったとはいえまだ呆然としています。メールを読んで共有して自分を慰めている感じ。さっそく予約された方も数人、本当にありがとう。ボクもなんとか8月までに那覇に行く段取り組まなければ…。
閉店情報が続きますが、香川のさぬきうどん店「宮武」が閉店したそうです。
二週間ほど前からさぬきうどん好きの間で飛び交っていたビッグニュースなんだけど、最近さぬきから遠ざかっているボクが急に騒ぐのもどうかと思い静観してました。
ボクがさぬきうどんに凝ったのは1997年。全国ブームのずっと前。
その驚きをスチャラカ紀行文にしてサイト上に載せたのがこちら「さぬきうどんをCHAIN EATING!」である。これが出版社の目にとまって本「うまひゃひゃさぬきうどん」になり、そこから二足のわらじ生活が始まったわけ。そういう意味で、さぬきうどんはいろんな意味で「人生の恩人」だ。
「宮武」は本当に特徴的なうどんなので、閉店してもそのうまさは舌と歯と鼻が忘れない。「宮武系」として弟子もたくさん巣立っていて、同じようなうどんも食べられる。でも、やっぱり、この世から「宮武」がなくなるのは寂しいことだなぁ。
「山本彩香」もそうだけど、愛した店との別れって愛した人との別れにとてもよく似ている。
自分が生きた証しが消滅する感じ。そのうち、死ぬほど通ったバーとか、季節ごとに通った鮨屋とか、カラダの一部になるくらいよく食べた街場の定食屋とかとの別れも必ず来る。怖いな。そんな事態になる前に死にたいくらいだ。
死の床で「あー、もう一度だけあの店の○○が喰いたい」とか思っても、「そういえば、あの店はもうなかったんだった…。あの店だけじゃなくてあの店もあの店ももうなくなって久しいな。あー…」とか諦めちゃうのって寂しすぎる。そういうのを避けるためには「自分より確実に長生きするであろう若い人がやっている店に通うこと」だが、おっちゃん化した舌にビッタシ合う味を作り出してくれる若手もそうはいないんだよなぁ。難しいもんだ。
東洋医学の主治医と西洋医学の主治医と
2009年06月18日(木) 6:31:29
先週からずっと頭痛と腰痛が同時に来ていて難儀していた。
そこに「原因不明の足の筋肉の痛み」が重なり、腰が痛いから同じ姿勢から動きたくないのに、足が痛くて姿勢を変えざるを得ず、姿勢を変えるたびに腰に響いてズガンズガン。姿勢を変えると頭もギガンギガン。ついでに咳がゴホンゴホン。それが腰と頭に響いてゴホズガギガン。もう何が何やら。まぁそれだけなら経験上やりすごせるのだが、なんだか頭まで働かなくなってきて、鈍い私もようやく危機感。
あー、それにしても頭が働かないって辛いなぁ。3日前のある会議ではうまく話をまとめられず、一昨日のある会議ではきっぱり決断ができず、自分的にはかなり許せない状態。プチ自己嫌悪。「不調は社会の迷惑」である。これは何とかしなければ!
ということで、重く痛い腰を上げ、昨日ようやくゴッドハンドに行って参りました。
ボクの東洋医学における主治医。神戸にもひとり東洋医学系主治医がいるから、東京の彼と、いつもの西洋医学の主治医、あと歯の主治医を入れて、ボクには主治医が4人いることになる。48年のキャリアで辿り着いた主治医たち。自分的にはなかなか豪華な布陣である。
とはいえ主治医と呼ぶにはご無沙汰しすぎたゴッドハンド。
「サトさん! いったいナニしてた!」と怒られるくらいはご無沙汰。さなメモで調べたら多分このとき以来。2年ちょいぶりである。
彼は中国では鍼の名手として通っていたらしいが、日本に移ってきてからは日本の免許がないために鍼治療はしていなかった(だから推拿 -すいな- 中心だった)。が、晴れて日本の免許を(免許が取れる学校に3年通うことで)取得し、いまでは鍼も診療項目に入れている。
まず問診して「サトさんの場合、深いところが悪いから、鍼をしましょう。怖いなら止めてもいいけど、騙されたと思って任せて」と言われ、ほぼ人生初鍼に(神戸時代に街角の鍼灸院に一度だけ行ったけど)。
首とお尻(座骨)に計4本。首は怖かった。でもこのひどい頭痛のためには必須らしい。
深いツボにしっかり入って鈍痛が広がる。うぅ。でも数分後には湿布を貼ったようにスゥーと涼しくなってくる。「血が流れ出したネ」とゴッドハンド。鍼を打ちつつ推拿でカラダを解してくれる。「しかしコレ、すごいカラダだね。ガチガチ。ほんとシヌよ」と笑いながら脅された。
足の痛みは内臓から。頭痛は過緊張とストレスだって。
推拿されながらくわしく症状を聞かれ、「ほら、それもシグナル。あ、それもシグナル」と指摘された。カラダが発する「そろそろ危ないよシグナル」がいろいろあるという。「カラダはちゃんと何度もシグナル出してくれてるネ。みんなそれを無視して働くから倒れるネ。熱なんて最悪のシグナル。急な発熱は相当の危険信号ヨ」と。そういえば風邪とかが原因ではない急な悪寒・発熱をここ半年で二回している。それを伝えたら相当怒られた(笑)
昨日の施術は即効性があり、銀座の診療院を出たときには頭痛も腰痛も足痛も一応消えていた。
効果に「おお!」と驚きながら、今度は西洋医学の主治医に会いに浅草へ。いや、ちょうど昨日の夜、ボクの「西洋医学における主治医」との会食(15人ほどの不思議なつながりの異業種宴会)が浅草であったのである。東洋医学の主治医にきつく酒を止められたので酒抜きだったけど。
西洋医学の主治医は東洋医学も認めてくれているので、「へー、そんなこと言われたの。なるほど。もしかしたらそれって…」と、親切にサジェスチョンしてくれた。仕事がバタバタしていて「遅れて行って先に帰る」という超失礼なことをしたのだが、これに懲りず、みなさままたお誘いくださいませ。
今朝は、早朝覚醒はしたものの、久しぶりの熟睡感。
もみ返しもなく、腰痛も頭痛もピタッと止まり、快調だ。「連続で最低3日は来た方がいいネ」とゴッドハンドに言われているので今日も明日も行く予定。オーダーメイドの「特別サトさんコース」だから少々お金はかかるが、「不調は社会の迷惑」、しっかり治そうと思うです。
和田裕美さんに会った
2009年06月17日(水) 8:35:35
ベストセラーを出し続けている営業マンとして名前だけは知っていた和田裕美さん(ブログ)にお会いした。
というか、彼女がやっているラジオにゲスト出演した。KISS-FM(神戸)の「WADA CAFE」という番組。
ご本人からメールで出演依頼をうけ、「ええと、名前だけは知っているけど、どんな人だっけ?」(失礼!)と急いで2冊ご本を読み(「こうして私は世界No.2セールスウーマンになった」「人に好かれる話し方」
)、うわーすげー人、と、おっかなびっくりお会いしたんだけど、とても人当たりが柔らかくて、「28歳にして世界No.2の営業ウーマン」という経歴から想像される「やり手感」とか「生き馬の目を抜く感」が全くない人だった。
そしてラジオで対談しているうちに「あぁ、この柔らかさが逆にNo.2の秘訣なんだな」と気がついていく。
だって、普段どちらかというと無口で人見知りなボクが、気がつくとバシバシしゃべっている。相手の身になって話を引き出してくれるし、大変な聞き上手だし、なるほどコレか、という感じ。等身大を全く崩さず、丁寧にコミュニケーションを取ってくれるこの感じ。
帰りに新しいご本をいただいたが、ざっとナナメ読みするだけで元気になる。とにかく「陽転思考」が徹底していてすがすがしい。ボクも見習わせていただきます。
オンエアーは7月4日19時半らしい(神戸だけど)。
ポッドキャストも彼女のサイトで公開されるみたいです。ご興味のある方は是非。
合理主義者は祭りをなくす
2009年06月14日(日) 12:38:41
YOSAKOIソーラン祭りのファイナル・パレード審査員をするために一泊で札幌に来ている。
ちなみにこれ、会社の仕事ではなく、個人でオファーされたもの。06年に急にこの祭りと縁ができ、講演行脚などをやったあと、07年から審査員。もう3回目の審査である。
ヒコーキの中で、前にもご紹介した「尾道坂道書店事件簿」を読んでいたら、著者が勤める啓文社(尾道を中心とした書店チェーン)の社長の口癖が紹介されていた。「合理主義者は祭りをなくす」だそうだ。日常の業務における格言だとは思うが、まさに祭りに向かっている道中だったのでいろいろ考えさせられた。
儲けばかりを見て極力無駄を省いていくと、祭りなんて無駄の極地(経済効果が見込める人気祭りは別にして)。そんなことやってるヒマがあったら他にやることあるだろう、である。でも、祭りをやめたその街は、確実に活力を無くし魅力をなくしていく。
このYOSAKOIソーランも一部では無駄とか邪魔とか言われている。たしかに壮大な無駄かもしれない。でもひとりの大学生の発想から生まれ育ったこの祭りは、実際にいろんな人のつながりを産み出し、地域同士の交流に、そして彼らのやり甲斐・生き甲斐に一役かっている。無駄、邪魔、うるさい、とか切り捨てるのは簡単だけど、合理主義は時に視野が狭くなりがち。ご時世的に合理主義が蔓延りそうだけど、省いていいものといけないものを見極めないとね。
寒いだろうと予想して厚着してきたが、札幌の寒さはそれを上回っていた。夜の審査の時にはマフラーも必須っぽい。あ、メールで頭痛のご心配などいろいろいただいてます。ありがとうございます。まだ痛いっす。
なんか先週、雑誌「小悪魔ageha」人気モデル・純恋(SUMIRE)さんが脳出血で突然亡くなったらしいのだけど(21歳の若さ!)、その数週間前から「頭が痛い」とブログに書いていたらしい。
すいません。気をつけます。
叔父のお葬式
2009年06月13日(土) 22:24:40
父方の叔父が亡くなり、昨日はお通夜。今日はお葬式。
叔父は大正生まれ。海軍も経験している。ボクが高校くらいまでは正月に必ず親戚が集まっていたのでよく会っていたが、中心となっていた祖父が亡くなってから集まらなくなっていたので、ここ十数年はほとんどおつきあいがない方だった。でも親戚づきあいはあまりなかったけど、個人的にはすこーしつながっていた。
というのも、叔父は引退してからネットを始め、ボクのサイトを見てメールをくれていたのである。
最初にメールが届いた時には驚愕した。1999年のことですからね。当時としてはかなり進んだ引退者である。その後もたまーにポツリとメールをくれ、ボクはボクで恐縮して返事を書いた。メールってかなりパーソナルなツールなので、なんだか急に身近に感じたものである。ネットって闇な部分もたくさんあるけど、こういう部分においてはかなり温かいコミュニケーション・ツールだ。ハガキでも電話でもこうはいかない。
斎場は五反田の桐ヶ谷斎場。
たまたまお隣同士だったのが著名なカメラマンの金戸聡明氏の葬儀。広告業界人がたくさん集まっていた。仕事仲間や同期もいたのでちょっとご挨拶。知っている方がふたりも並んでの葬儀。自分もすぐそちらに行きます、みたいな感慨も二倍に。
その後いろいろあって、出演した今日のTOKYO-FM「アバンティ」は聞き逃してしまった。
オレ、何語ったんだろう?(笑) この「何語ったんだろう?」という客観的な感じが、葬式後のリアリティ。つまり、(生も死も一緒なように)何を語っても一緒なので、まぁどうでもいいや、みたいな葬儀後の感覚。
明日は「生」を感じに、札幌YOSAKOIソーラン祭りへ。
今年はファイナルパレードの審査員をやります。
超頭痛
2009年06月12日(金) 9:11:56
昨日は夕方から頭痛。
普通の頭痛ではなくスーパー頭痛。目の奥を中心にギガンギガンと打ち砕かれる超頭痛。目を開けていられず、携帯メールとかも半眼で打つ状態。こういう偏頭痛は2003年くらいからご無沙汰だったんだけど、ここに来て再発した模様(2003年は会社で頭痛で倒れてERのお世話になった)。
先週倒れてからほぼ一週間、お酒を一切抜き、ウォーキングも適度にこなし、仕事もほどほどにしてきたんだけど、どうも体調万全とはいかないようで。ほんと、メールでご指摘されているように「男の更年期」なのかもしれない。そこに過労とかが重なってこんな状態なのかも。
タイミング良く、昨日は会社の「誕生月健診」があり、朝から血液検査だのCTスキャンだの超音波診断だのバリウム検査だのいろいろ受けてきた。健診ってわかることとわからないことがあるけれど、少なくとも悪いところは数値に表れるはず。結果待ちというところ。
折しも新型インフルエンザはフェーズ6のパンデミックに。冬に向かう南半球でかなり蔓延しているらしい。考え方によっては、冬になる前に軽く罹っておいた方がいいかもね。普通の生活をしていたらどうせいつかは罹るんだろうから。
あ、TOKYO-FMから連絡があり、今週末の「Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"」で、収録分がまた流れるそうです。この前はビジネス書がテーマだったけど、今度はホームページの話題だとか。どんなハナシをしたっけな。まったく覚えていない(笑)
コーチング
2009年06月10日(水) 9:28:02
先週、コーチングについての研修を受けた。
コーチングとは人材育成法のひとつ。まぁスポーツでいう「コーチ」を想像するとよくわかる。コーチする方法の研修ですね。会社の研修だったので、要するに「部下をコーチし、人材開発するための技法」を習ったわけだ。
中身については、ペーシングとかアクノリッジメントとか各人のタイプ分けとか、いろいろ参考になった。でも、根本的なところで一番参考になったのが「コーチング」と「トレーニング」の違い。
「コーチング」の語源は「COACH」(馬車)。馬車は人を目的地に運ぶことから、「目標達成に導く方法」を「コーチング」と呼ぶわけである。一方の「トレーニング」の語源も乗り物で、「TRAIN」(列車)である。これも、列車は人を目的地に運ぶことから「目標達成に導く方法」を「トレーニング」と呼ぶわけである。
そう、両方とも「目標達成に導く方法」。
では、コーチングとトレーニングの違いは?というと、要するに語源にあるのである。「馬車」と「列車」。つまりレールが敷かれて行く道が画一的に限られているのが列車(トレーニング)だ。人は目的地に着くためにそのレールに乗るしかない。それに対して馬車は、いろんな道を選べる。なだらかな道を通って遠回りしてもいいし、険しい近道を行ってもいい。本人とよく話してその人に一番合った道を通る。画一的な行き方を押しつけることはしない。それがコーチング。一番大きな違いはそこ。
ま、いままでの社員教育はトレーニングな部分が多かったわけだが(大勢をある程度のレベルに育てるにはトレーニングの方が便利)、時代の移り変わりとともに、十数年前から、個々の個性に合わせた人材育成としてコーチングが注目されてきたわけですね。
研修を聞きながら、部下のことを考えたのはもちろんだけど、ボクはわりと娘のことも考えていた。
教育、という観点から自分が彼女にやっていることを振り返ってみると、どっちかというと「トレーニング」に偏っていなかったかなぁ、とか…。
ちゃんと彼女の個性を見極めて、彼女とよく話して、きっちり気持ちを引き出して、決めた目標に向かっての「コーチング」をしていたっけ。レールに乗せて安心していなかったっけ。
というか、もっと前提的に、ちゃんと彼女の目を見て聞き上手な会話をしていたかなぁ(ペーシング)。ちゃんと個性を認めてオッケーのサインを送っていたかなぁ(アクノリッジメント)。ちゃんと個性に合わせた動機づけを与えていたかなぁ(モチベーション)。そんな反省をつらつらと。
こういうのって他人だと意識してやるけど、意外と身内にはしなかったりする。
究極の人材育成は我が子の家庭教育。もうちょっと意識的になろう、と、いまさらながら。
疲れ熱?
2009年06月06日(土) 10:49:30
いつものように朝5時台に目が覚め、体温を計ってみたら36.5℃に下がっていた。
まぁ朝イチは体温低いことが多いから、と、朝ご飯を終えてしばらく経ってから計りなおしたが、それでも36.5℃。平熱だ。全身がだるくはあるけれど、ほぼ全快した模様。ご心配をおかけしました。
しかしなんなんだろう。やっぱり「疲れ」かなぁ。とりあえず新型インフルエンザじゃないみたいなのでホッ。いや、冬になるまえに軽くかかって抗体持っておきたい気もあるんだけど。
でもこういう「急に悪寒がして発熱し、一気にヒートアップしたあと、翌朝にはケロリと治っている」みたいな症状って、若いときはあまりなかった気がする。記憶にない。若いときは発熱したら3日は苦しんでいた。年をとるとカラダが疲れに敏感になって、疲れが一定値を越えると発熱して教えてくれる、ようなことがあるのかもしれない。風邪でもなんでもない「疲れ熱」みたなもの。てめえ少しはカラダに気を遣え!というお怒り一揆。
幸いにも、この土日は予定がない(先週だったら沖縄出張だったし、来週だったらYOSAKOIソーランで札幌だった)。あー良かった。とにかく休む。丸二日休みまくる。それはそれで至福の時。
39℃
2009年06月05日(金) 20:53:45
急に熱が出た。
まぁ症状的には新型インフルエンザっぽくないので大丈夫だと思うけど、とりあえず寝ています。たまには休めとカラダが言っているのでしょう。おやすみなさい。
8刷!
2009年06月02日(火) 7:08:36
誕生日当日にうれしいニュースが飛び込んだ。拙著「明日の広告」、8刷決定しました。みなさま、ありがとうございます。
発売から約1年半。おかげさまで願った通りのロングセラーになりました。今回の増刷のキッカケは、アスキー新書の編集さんによると、どうやら「尾道坂道書店事件簿」(児玉憲宗著/本の雑誌社)という本のおかげらしい。この本、WEB本の雑誌で連載している同名のブログを書籍化したものなのだけど、その本の冒頭で「明日の広告」を取り上げてくださっているのである(WEB版の方の記事は過去ログがたった5つしか残らないので、今は読めない)。
たとえば、こんな風。ちょっとだけ引用。
まず、手に取ったのは、『明日の広告』(佐藤尚之・アスキー新書)。読むのはおそらく三回目。でも読むごとに新しい発見がある。アスキー新書の営業さん曰く、著者の児玉さんは広島県内で展開する書店チェーン「啓文社」のカリスマ書店員なのだそうで、全国の書店員の間で尊敬を集めている人だとか。その営業さんもサインを貰うほどに尊敬しているらしい。脊髄の悪性リンパ腫を患いながら車椅子でフットワーク軽く働く日々を描いたその本の影響で増刷が決まったそうである。うれしいなぁ。
(中略)
※このあとも長々引用して、いったんアップしたんだけど、ちょっと照れくさくなったのでカットします。くわしくは本をお読み下さい。
なによりも、広告業以外の方が参考にしてくださっているのがうれしいかも。変化した消費者のことを中心に書いた本なので、実際「広告」以外にもかなり応用が利く内容だとは思っているし、そう読んでくださる方も多いのだけど、こうして目の当たりにすると特にうれしい。
著者の児玉さん(面識ないけど)、そして買ってくださったみなさま、どうもありがとうございました。
48
2009年06月01日(月) 6:01:48
48歳になりました。
娘(14歳)からは「え! もう50歳じゃん!」と、人生の終わりへの近さに驚かれ、山本彩香さん(74歳)からは「え! まだ48歳なの!」と、人生の始まりへの近さに溜息をつかれた。
年越しのワインはピエール・ガイヤールの「Saint-Joseph Clos de Cuminaille 1998」。
いい感じに熟成しているが、きちんと若々しさも残し、でも青くはない。このワインのようでありたいものです。
次の丑年で60歳。人生の大勢を決める大事な12年だな。逆に言うと、これからの12年で人生なんていくらでも変えられる。あらかじめ予想された結末なんてイヤである。「オレの人生、だいたいこんな感じ」とか、まとめに入ることだけは避けよう。日々わくわくしたいし。
そんな第一日目。紫陽花が似合う涼しい日。
移動が多い日
2009年05月31日(日) 8:36:04
東京に帰ってきたせいなのか、予想通りまたしても早朝覚醒。朝3時半に起床。夜早めに寝たというのも影響していると思うけど、もうちょっと寝ていろよオレ。
で、仕方ないからノコノコ起き出して仕事メールとか打っていたら、他にも早朝覚醒の人がいて、朝4時すぎに1通。5時すぎに1通、仕事メールが来た。うはは。日曜朝なのにみんな働き過ぎ。というか土曜夜からの徹夜?
うちの会社、みんなホントよく働くなぁと思う。
かく言うボクも、管理職だから残業も休日出勤もつかないのに、ちょっと公に出来ないレベルの残業量と毎週の休日出勤を普通にやっている。でもそんなボクを平気で上回るヤツがゴロゴロいる。きっとその分さぼっているヤツもいるのだろうけど、知っている限りではみんな身を粉にして働いている。広告業界っていい加減とかチャラいとか思われているけど、そしてそういう人も確かにいるとは思うけど、地味に地を這いずり回って普通の人の2倍か3倍の仕事量をこなしている「激務な真面目人」も多いのだ。
という文脈で「今日も仕事」とか書くと激務・真面目自慢と思われるかな(笑)
そんな気は毛頭ない。だって誰の命令でもなく自主的に好きでやっていることだし。今年は「働く」と決めているので働く。今年は広告業界にとってターニングポイントの年だから悔いがないように動く。それだけ。体調だけは最低限気をつけるけど。
今日は移動が多い日になりそう。
武蔵嵐山まで2時間ちょいかけて行き、そこから1時間半ちょいかけて高島平まで行き、そこから2時間くらいかけて帰ってくる。うわ。大阪往復くらいの移動時間じゃん。村上春樹の新作「1Q84」を読みながら移動するか、柴田元幸の新訳「ナイン・ストーリーズ」
を読みながら移動するか、半藤一利の「昭和史」
を読みながら移動するか、迷い中。まぁ寝ちゃうかもだけど。
ヘラヘラエヘラ
2009年05月28日(木) 17:39:50
昨日今日と企画書をたくさん書かなくてはいけなくて、あまり寝てもおらず、軽く死亡気味だった。なんとかクリアでき、いまはボーッとしている。でも数十分ボーッとしたらCM編集に行かないといけない。早く帰れると良いなぁ。
今日、気分的に重かったのは社内講演。
これ、広告のこれからのカタチについての私見(未来予想図)を提示し、そのための組織改革について述べる、という、考えようによっては相当重く難しいお題(まぁ自分でハードル上げたのだけど)。でもそういう難しいお題についてパワポを無理矢理まとめていくと、頭も無理矢理整理されていく(本を書くのと同じ作用)。結局、こういう「追い詰められ感」って大事なんだよね。
それもなんとかクリア。言いたかったこともある程度伝わった模様。めでたし。
なんだかね、疲れすぎていてずぅっとヘラヘラ笑っている感じ。文章もちょっとヘラヘラしている気がする。ヘラヘラエヘラ。明日は寝るぞ!と強く決心していたのだけど、なんと急に沖縄一泊出張に! 普段ならうれしくて小躍りするのになぁ。ちょっと疲れすぎ。しかもずぅっっっと室内会議っぽい。無事に帰ってくることが目的(どんな出張や)。
プチ立ち直り
2009年05月27日(水) 8:02:39
あまりに仕事メールが多く、軽く「メール拒否」状態に。
プライベートにいただくメールは普通に読めるんだけど、仕事メールが読めない(心が拒否る)。だって1時間見ないだけで30通くらい溜まる。全部読んでいたらまったく仕事にならない。受信トレイをざっと見て、超大事そうなもの以外は未読ですませてしまった。ごめんなさい! 仕事仲間の方々。でもなんでもかんでもCcに入れるのやめようよ。
昨日は夕方に2時間の講義をしたこともあり、極度に疲労して終業。激忙しい最中に「しゃべり」が入るとただでさえ無闇に消費しているアドレナリンをそこで使いきっちゃって、その後仕事が捗らない。というか完全にガス欠。トイレに行くにもひーひーぜーぜー。大丈夫かオレ。
終業後、会食があり、気心の知れた店だったので、店主に「すまん。疲れすぎ。疲れがとれる日本酒を」「あぁ、いいね、次は折れそうな心を支えるヤツ」「すばらしい。じゃ、ガツンと来るけど絶対明日に残らない酒」とか無茶なリクエストを続け、一杯一杯日本酒を変えていった。それに見事に応えてくれた店主さん。ありがとう。飲み終わる頃にはすっかり疲れが抜けていた。おいしいお酒においしい料理。偉大だな。生き返った気分。
帰り道、少し笑いたいと思って、iPodで談志を聴きながら歩いた。
仕事が多い(求められている)、おいしい食事(ちゃんと応えてくれる店がある)、夜道で談志(歩きながら名人芸が聴ける)。なんだよ意外とシアワセじゃないか。ダークサイドに落ちそうな気分だったけど、プチ立ち直り。単純だけど大切なこと。
ウォーキング・ノルマ
2009年05月26日(火) 8:07:50
先週は体調が悪かったので、二日間会社を休んだ(土曜は出社したので、日曜ふくめて週7日のうち3日休んだことになる)。体調が悪くて休んだので、当たり前だが休んだ日は家にいた。つまりウォーキングしていない。
ボクがポケットに持ち歩いている歩数計は週7日で23Ex消費するのがノルマである(この日のさなメモ参照)。一日ごとのノルマではなく一週間でのノルマだから、どこかで歩かない日があっても取り返しがつく仕組み。で、ボクの設定では一週間は火曜に始まり月曜に終わるようになっている。これ、つまり、疲れ切って土日にウォーキングをさぼっても月曜に取り戻せるように月曜を最終日にしているわけ。
いや、何が言いたいかというと、先週はウォーキングを3日さぼった結果、昨日の月曜(最終日)のノルマが凄まじくなっていたということ。計算上3時間弱歩かないといけないことになってしまっていた。3時間! 普通の生活では無理である。
だからまず朝、家を出て一駅分歩いた。そして会社がある駅のひとつ前の駅で降りてまた一駅分歩いた。METsを稼ぐためにかなり速く歩いたが、まだまだ全然足りない。昼前にクライアントで会議があったのだが、その帰りも一駅分歩いた。でもまだ全然だ。うーん…。
ただ、昨日が異様に忙しかったのが救いであった。デスクに座っているヒマが全くなく、会議、会議、クライアント、会議、プレゼン、会議、と、短いとはいえ移動の嵐。こりゃ意外とExを稼げるぞ。
思った通りExは順調に減っていき、あと数十分歩けばいいところまで行った。夜は会食だったので、そのレストランまで歩いた。これでちょうどノルマ達成くらいかなと思いながら歩いた。でもちょっと遅刻気味だったので店についた途端そのことは忘れ、そのまま慌ただしく飲みに突入。同じ会社に勤める大学時代のゼミの先輩・後輩との懐かしい会合。
で、飲み終わってからもすっかりウォーキングのことなど忘れていて、そのまま普通に家に帰って24時すぎ、つまり日付が変わってノルマ最終日が終わってしまった数分後、ふと気がついて歩数計を見た。ぐ。ぐがーーーっ! あとたった0.2Ex足りないじゃん! 通常歩行であと4分間歩けば達成だったじゃん!
ということで、買って3週間目はノルマ達成ならずでした。
あーあ。あんなにがんばって、あんなに取り戻したのになぁ。残念すぎ。ちょっと負けた感あり。
地方文化を壊したもの
2009年05月23日(土) 9:33:12
昨日のさなメモにはたくさんの強い共感メールをいただいた。100%首都圏以外在住者もしくは首都圏在住の地方出身者からですが(笑)。東京生まれ東京在住の方にはやっぱりピンと来ないのかもしれない。「あーそうなんだ、ふーん…。それで?」という感じかも。
でもね。報道や文化や意識の「東京偏重」を東京の人自身が客観的に知り、自覚することはとっても大切なことだと思う。
ホントの意味での地方活性化も地方分権推進もそこから始まる。第一歩。「全国的に東京中心意識を垂れ流すこと」は、ボディブローのように地方の地盤沈下に効いている。よく東京の人が「どの地方に行っても駅前がミニ東京みたいでつまらない」とか言うが、そういう東京模倣現象は実は東京中心意識の垂れ流しから来ている。その中でも最も影響力を持つのがテレビの東京偏重。予算の都合などもあるだろうし、東京で起こっていることを地方に伝えるのも大事だ。でも、知らず知らず東京偏重・地方軽視になり、地方の人の心を毎日のように傷つけてきたのは確か。
毎日傷つけてきたなんてオーバーだと東京在住の人は思うかもしれないけど、たとえばテレビの全国放送のニュースやバラエティで毎日ニューヨークの話題や事件、ニューヨークの天気や気温、渋滞情報、グルメ情報、ニューヨークのことを知らないと理解できないギャグだとかニューヨークに小さいハリケーンが近づいたという大騒ぎだとかを延々放送されたらどう思います?
地方の人の現状をたとえて言うならこういうことだ。傷つき、呆れ、馴れる。
で、そういう「ニューヨーク偏重報道や番組」が続いたら、東京は間違いなく荒廃する。人々はニューヨーク模倣に走り、東京独特の文化は軽視されて衰退し、ニューヨーク・ブランドに商店街は駆逐され、子供達はニューヨークに憧れて移住し、帰ってこない。東京人は深く傷つき、呆れ、馴れる。
そういう意味において、地方文化を壊したのはキー局の東京偏重報道(もしくは番組)と言っても過言ではないと思うな。まぁ在阪局の方からのメールによると「これでもだいぶマシになってきたんですよ」ということなので、改善される方向にうっすら期待したいけど。
あと、期待という意味ではネットも。
ブログが普及し、東京の人が地方の人の毎日を普通に読むようになり、意識が「日常レベルで」多少フラット化されてきたのは実は大きな一歩だと思う。
ネットによって地方の人同士の結びつきも深くなってきた。地方文化の再生に果たす役割は大きい。ネット直販で東京の人と地方生産者が直接つながりだした流れも悪くないし、「ネットが繋がりさえすれば地方でも仕事できるから移住してもいいな」と言い出してるクリエイター(インフルエンサー)を何人も知っている。元々フラットな性質を持つネットによって、中央集権から多少なりとも「分散」が起こる可能性には期待したいところ。
一方でネットの普及によるネガな側面ももちろんあるんだけど、この辺の功罪を書き出すと長くなるのでやめときます。
東京偏重報道について
2009年05月22日(金) 9:28:50
昨日の「東京偏重報道」への言及に対して、首都圏以外に住んだことがない方から「どこが偏重? 重大だから放送するのでは? 不公平? 自分が関東にずっと住んでいるからか地方との差別化を感じることはほとんどありません」と疑問のメールをいただいた。まぁ確かにずっと首都圏を出たことないとわかりにくいかもしれませんね。
たとえば九州在住の方からメールでもいただいたけど、台風のときが一番顕著にわかりやすいです。
台風が来て沖縄や九州が大変なことになっていても、東京発の全国放送ではほとんど報道されない。でも、かなり勢力が衰えたその台風が首都圏に接近すると、それだけで一日中「全国的に」トップニュースで流れ大騒ぎするんですね。関西に住んでいたときもうんざりしてました。「いや、もう関西は通り過ぎたんで。なんで全国放送のトップにして延々詳報を流すかなぁ。東京の台風情報は首都圏版の放送でやってくれよ」と。沖縄や九州の人なんかもっと呆れているのではないかな。
いや、百歩譲ってトップニュースでもいいや。首都なので。機能が麻痺したら困るし。でも、首都圏の電車運行状況やら天気図、転んでケガした人がどうのみたいなことは「全国放送しなくていい」。九州やら関西の電車運行状況が東京で流れたら「なんだ?」と思うでしょ? それと同じ。首都圏への放送に切り替わってからやってほしいわけです(たまに首都圏にしか住んだことない人は首都圏版(地方版)の放送に切り替わること自体を知らない人もいる。地方だとアナウンサーが変わるのでわかるのだけど)。
昨日の新型インフルエンザだって、「東京で2人でた」ということは百歩譲ってトップニュースで構わない。でも、たとえばその人たちが通った道のりの詳報なんて地方の人には関係ないんだから、全国放送のトップで延々と時間を割いて流す必要はない。地方の人が接触した可能性も考えて放送する必要があるとしても「後ほど詳しく」でいい。あんな詳しい情報を首都圏以外の地方の人も全員トップニュースとして見させられているわけです。それ、本当に傲慢なことだと思う。
で、キー局の制作者も、首都圏在住の人も、それを当然と思って疑問を抱かない。
ボクも東京出身なので、そのままずっと東京だったら疑問にすら思わなかったでしょう。関西に14年住んでみて、「うわ、ここまで東京偏重だったんだ」と初めて気づいたぐらいだから。だから首都圏以外に住んだことない方がわからないのも無理はないと思う。でもね、知ってください。
阪神大震災の当日、現地に住んでいたボクは、ようやく電気が来た我が家でつけたテレビで「東京でこの規模の地震が起こったらどうなるか」というコーナーを延々とやっていたのを見て殺意を覚えたんですね(笑)。
まさに今日あれが起こって、たったいま現在地獄の様相なのに、なんだその他人事は、と。というか、もっと切実に知りたい、知らなければいけない情報が他に山ほどあるわけです。全国放送で東京の物見遊山的情報を流すヒマがあるなら、せめて当事者たちには関西版放送に切り替えて、もっと切実な情報を流してくれ、と。東京の論理だけで物事を進めないで欲しい、と。
そういう怒りが「どうもネット上では一般市民が草の根でいろいろ有益な情報を発信していたらしいぞ。ネットってそういうチカラがあるんだ!」という気づきに向かい、その年の夏にこのサイトを開く直接のキッカケになったわけなんですが、それはまた別のお話。
はこびびと
2009年05月20日(水) 9:26:13
関西は新型インフルエンザの影響で大変そうだ。
「スーパーの食材売り場が大混雑です」(巣ごもり準備?)、「時間差出勤を強要されました」(混んだ電車に乗るなということ?)、「他の街に行くと『来るな!』と言われます!」(バイ菌扱い?)などなど、メールでいろいろご報告をいただいた。
そんな中、昨日新幹線で神戸から東京に着いたばかりの方と仕事飲み。
出張が多い彼は「東京の店で関西弁で話すだけで引かれる」と嘆いていた。関西から来たと言っただけで距離を置いて接客されるとか。「バイ菌ちゃうぞ!」「ワシは『おくりびと』ならぬ『はこびびと』か!」とかお怒り。
そりゃそうだよねぇ…。怒るのもよくわかる。とはいえ確かに彼が神戸から新鮮なウイルスを運んできたと言えなくもなく、そう言われると急に彼との距離が気になってきたりして。いかんなぁ。こうやって風評被害とか差別意識とかって広がるんだよな。そういう意識を撲滅するためにいっそのこと回し飲みでもしますか!(およしなさい)
とはいえ、昨日から微熱気味なボクは、ちょうどいまカラダが弱っているわけで、こういうときはウイルスが喜んで繁殖するわけで、ま、気をつけようと思います。ずっと代休すら取ってなかったので休もうかな。
強く想えば。
2009年05月19日(火) 7:06:04
昨日は終日スタジオ撮影。
朝早く入って、ちょうど終電で帰ってきた。
若いときはチェックすることや確認することが多く、スタジオ撮影もそれなりに忙しかったが、この年齢になるとあまりやることがない。若いスタッフにすべてを任せ、スタジオの隅にでんと座って撮影を見守るばかり。まぁトラブルが起きたときの保険みたいな存在か。寂しいような気楽なような。
近くにはスナックとかおせんべいとか差入れのお菓子とかが置いてある。それとの闘い。食べちゃダメだ。でも口寂しい。お腹も減る。美味しそうだ。でも食べちゃダメだ。太る。一口くらいイイか。いやダメだ。そんな一日。あ、運動不足になるので数時間おきにスタジオの周りをウォーキングした。ジジくさ。でも一応歩数計ノルマはクリア。そんな一日。
心配された難しい演出のCMもウェブもスタッフのおかげでなんとかこなし、ラストのグラフィック撮影へ。
これ、楽しかったな。いまやノリにノッている写真家レスリー・キー。タレントを自然に乗せていく彼の陽気さと技術、そして撮影の速さに感服。浜崎あゆみをはじめとするトップ・アーチストたちが彼を指名するのがよくわかる。
オフィシャルサイトで彼のバイオグラフィーを読んで驚いた。
シンガポール生まれの彼は、ふとしたことでユーミンを知り、独学で日本語を勉強し始め、20歳のときの1週間の初来日時にユーミンのライブを鑑賞。その後兵役を経て再来日。日本語学校に通いながら病院でのアルバイト。夜はレストランやチラシ配りの日々。で、24歳のとき「東京ビジュアルアーツ」に入学して本格的に写真の勉強を始め、30歳になった2001年、ついに夢が叶い、ユーミンを自身初の写真集のために撮影したとか(その後ユーミンのCD「Face's」のジャケットも撮っている)。
シンガポールからは遠い日本。そこのトップ・アーチストであるユーミン。そんなとんでもなく遠い存在でも「辿り着ける」んだな。手が届くんだ。強く想えば。
ちょうどこの撮影に来る電車で新譜「そしてもう一度夢見るだろう」をiPodで聴いていたので感慨深く。
そしたら撮影中、開きっぱなしだったマックブック・エアーに「ユーミンの札幌公演に行きました」というメールが届いた。シンクロニシティ。
藤原和博の帰り方
2009年05月17日(日) 21:00:35
昨日、「火曜は平田オリザさんと藤原和博さんと政治家の方々5人と居酒屋飲み。これについては明日書けたら書こう」と書いたけど、今日も仕事でちょっと疲れが出たのでまたの機会に。
ひとつだけ書くとすると、居酒屋での藤原和博さんの帰り方がカッコ良かった。
藤原さんを知らない人がいるかもしれないのでご紹介すると、彼は東京都初の民間人校長となり、「よのなか科」とか「夜スペ」とかで有名な人(一応Wikiにリンク ←正確かどうかは知らない)。
流れとしては、平田さん、藤原さんの講演会があり、それを聴講した議員さんたちと、なぜかボクが、平田さん藤原さんと飲みに来たという流れ。つまり藤原さんは主役のひとりであったわけ。
でも、彼は前回飲んだときと同じく、「あ、もう8時半だ。わたしは9時すぎには寝ますからもう帰りまーす」と、まさに宴もたけなわの8時半にスッとスマートに席を立ったのである。教育論とか芸術論を闘わせている最中に、話の中心にいた彼自ら、話の腰を堂々と折ってのお帰り。これがなんとも格好良かった。
ボクは会議の去り際はわりとキッパリしている。ええ、それはもう「じゃ!」という感じで。でも宴席の帰り方がマジで不得意だ。いろいろ気を遣って結局最後までつきあってしまうことが多い(金曜もそうだった)。よし、これからは藤原和博式にスッと席を立とう。キッパリ断固と席を立とう。
でもこれってお人柄も大きいんだよなぁ。藤原さんだとみんなワハハと笑って送り出すが、ボクがやったらムッとされそうだ(笑)。ま、それはそれ。今度やってみるぞ。
なんだか謙虚になった一週間
2009年05月16日(土) 21:07:58
なんか毎週のように書いている気もするが「あぁ今週もなんとか週末に辿り着いた」というのが正直なところ。ホント、今週もいろんなことがあった。
仕事もたくさんしたけど、夜もいろいろあった。
というか、いろんな人と会って、いろんな話をして、なんだか謙虚になった一週間。ボクなんかまだまだである(当たり前)。
月曜は某大女優のご家族とプライベートご飯。十年近くぶりにお会いしたが相変わらずお美しい。ずっと第一線を走り続けているオーラと、ふとした時に見せる素の魅力。十年近く経ってボクは彼女みたいにちゃんと魅力が進化したかな? まぁ比べる相手が相手だけど、それにしても…。
火曜は平田オリザさんと藤原和博さんと政治家の方々5人と居酒屋飲み。これについては明日書けたら書こう。「政治家の会合」みたいな空間に初めて身を置いたので新鮮だった。熱い想いを持った人たちばかり。ボクは彼らみたいな大局観を持てているっけか? ああいう熱い情熱をちゃんと維持できていたっけか?
水曜は広告業界の有名人と旧友と3人でご飯。数年前からの約束をようやく果たせた。ボクの本を過分に評価していただき、裏話などを話しているうちに「書いた当時の気分」をリアルに思い出した。あれからいろんなことがあり少し忘れ気味だった。そうそうそういうココロザシがあったんだった。初心だろ、初心。
木曜は夜の会議の後に友人とタラタラ。東京タワー近くのバーにてタラタラ話していたら急に強烈なデジャヴ。あぁそういえばこんな未来を想ったかも。で、それで? その後の未来は? 何もイメージできずしばし呆然。ここ数年オレはいったい何をやっていたのだろう…。
で、昨日の金曜日。
寒かった木曜の夜を引きずってちょっと風邪気味。これは休んだ方がいいのではないかという体調。喉がやられていて声が出ない。でも大事な仕事があったので会社に行ったのだが、その会議が長く長くかかってしまい、結局夜22時すぎまで。流れで「軽く一杯行くか」ということになり、体調を気遣いながらも「この会議の延長でちょっと仕事トークしておいた方がよいかも」と思って参加。同期と後輩と3人で仕事トーク。でも会議中からそうだったが体調が悪くて頭が働かない。んー…。
仕事トークでも押され気味。あー、はいはい、ボクがすべて悪かったよ的気分に。
しかも同期がディープな酒好きで「よし、二軒目は最低の店に連れて行ってやろう!」と。つーか、その時点でもすでに夜25時なんですけど(笑)。
二軒目は確かに「最低」の店で、ボクが最も苦手なタイプのノリの店。うわー。お客さんとか裸だよ。あっちでは首輪つけてるよ。ゲイもメイドもニューハーフもいるよ(本格的にHな店ではなく、お笑い系なんだけど、でも夜の底に蠢いている怪しい感じの店)。元気ならともかく、今の体調ではしんどい雰囲気。同期がトイレ行った隙に、後輩にスマンと耳打ちして先に店を出た。朝4時前くらいだったかな。
で、ようやく今日。
この一週間の出来事を思い出しつつ終日就寝。オヤジくさっ。でも貴重な休息日。体調管理優先。来週も相当大変だからなぁ。って、いつまでこんな綱渡りを続けるつもりなのだろうか。このままダラダラと人生終盤にさしかかるつもりなのだろうか。一度立ち止まって考えなければ。心底そう自覚した47歳。あと2週間強で48歳。
手洗い、うがい、正しい歯磨き
2009年05月11日(月) 6:27:44
パンデミック寸前の新型インフルエンザだけでなく、一般的インフルエンザや風邪の予防には「手洗い」と「うがい」が有効というのはほぼ常識的になってきた。レストランで外食するときもイスに座る前にまず手洗い励行。家に帰った時だけでなく、会社に朝着いた時も水うがい励行。個人的にはどちらも習慣になりつつある。仕事的に感染しているヒマなんてないし。
ただ、ずいぶん前にどっかの検証番組で「うがいは実は効かない」っていうのを見た記憶があって、うがいを心のどこかで信用していなかった。喉をガラガラやっているようでいてほとんど奥までは届かず、もちろん気管支も洗うことが出来ず、まぁそんなに効果ないんだろうな、と。
でも、NHK「ためしてガッテン」で、今年の冬に「歯磨きでインフルエンザ発症率10分の1」という放映を見て考えを変えた。内容を簡単に書くと、
鼻から喉にかけての粘膜はタンパク質の膜で覆われていてウイルスはなかなかくっつくことができない。ところが口の中の細菌が出す「プロテアーゼ」という酵素が膜を破壊することで、ウイルスがくっつき、細胞内に侵入できるようになる。その酵素は、歯垢、歯石、舌苔などから発生している。つまり、口腔内を清潔に保つことで、酵素ができにくくなり、ウイルスの増殖が抑えられる(インフルエンザ予防につながる)。というもの。
また、口の中には、インフルエンザウイルスの感染を助けると考えられる細菌以外にも、唾液に混じって気道に入り、重症の肺炎を引き起こす細菌なども多く住み着いている。そのため、日頃から口の中をきれいに保ち、細菌を除去しておくことが、幅広く危険な感染症を予防する対策として有効だ。
番組では東京都府中市の特別養護老人ホームで歯磨き指導をしたところ発症率が10分の1になったという事例を紹介している。インフルエンザが重篤な症状になりやすいご老人の予防にも効くのはいいね。
まぁこの説はまだサンプルが少なすぎて正確性に欠けるという話もあるし、歯磨きも「正しい歯磨き法」でやらないとあまり効果がないみたいではあるが、やらないよりマシだろう。
んでもって歯磨きと共に「うがい」も口腔ケアになるのは火を見るよりも明らか。細菌や酵素を洗い流してしまう効果くらいはあるはず。しかも頻繁なうがいと舌苔の除去は「口臭除去」にもつながる。こりゃ一石二鳥!
ちゅうことで、「入念な手洗い」と「頻繁なうがい」、そして「正しい歯磨き」の3つが重要っすね。
新型インフルエンザへの恐怖を利用して長く続く習慣にしちゃうのがポジティブ・シンキング。やって悪いことではないし、早く完全なる習慣にしてしまえオレ。
場馴れするということ
2009年05月07日(木) 7:39:44
書き忘れるところだったが、先月中旬にFMの録音に行ってきた。
TOKYO-FMの「Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"」。今年で18年目を迎えるという老舗番組「アヴァンティ」にゲストで呼ばれたのであった。話のテーマは「ビジネス書」。でも、ついでにということで「食べ歩き」「旅の地でのいい居酒屋」についてもしゃべった。およそ3回分。「ビジネス書」については5月9日が放送日らしい。おっと、あさってじゃん。あとのは放送日未定。
落ち着いた番組だったせいか、聞き手が良かったせいか、リラックスしてしゃべれた。
何度か書いているが、ボクにとって「しゃべり」は最大の苦手分野だった。相当の上がり症なのです。だから「リラックスしてしゃべれた」なんて文章を書くたびに、ある感慨が呼び起こされる。よくぞ克服(もしくは克服途上)まで漕ぎつけたな自分、みたいな。講演でも出演でもプレゼンでも、リラックスできたということ自体に「これだけ不得意な分野でも克服できるもんなんだなぁ」と深い感慨を覚えるわけ。
だって、たかが会食で6人以上になるだけで緊張してたわけですよ以前は。どうにも大人数が苦手だった。講演のような数十、数百の単位になるともう全然ダメ。いやぁ、ホント、リラックスできる未来があったとはねぇ。30歳の頃の自分に教えてあげたい。
やっぱり成長の最大必須項目って「場馴れ」なんだろうなぁ。そう思う。不得意なことでも場馴れするくらい数こなすことである程度は克服できる。そして、得意になる必要なんかない、と思っていることでも、場馴れすることでいつの間にか成長していて違う次元に入っていたりする。ふと気づくとそれが「人生最大の得意項目」に変わっていることすらある。
そう思うとき、ある分野を強制的に「場馴れ」させてくれる会社員生活の良さに気づく。
強制的に配属されて、強制的に教育されて、日々「興味なかったこと」に従事させられる。これが思ったより人生を広げてくれる。人生で従事するとは思ってもみなかったものを無理矢理やらされ、場馴れし、得意になることで、思ってもみなかった自分の「向いている方向」が見えてきたりする。まぁ例外ももちろんあるだろうけど、でも途中で投げ出すより、ずっと続けた方が得られるものは大きい。よく「自分がやりたいことじゃない」とか言って腐る新人がいるらしいが、与えられた環境でちゃんと場馴れして成長することは結果的に他の分野にも多大なる影響を及ぼし、いよいよ「自分がやりたいこと」に取りかかるときの大きな大きな武器になる。腐るのは損である。
そういう意味で、最初からずっと好きなことだけやってきたヒトに、特有の「狭さ」を感じることがよくある。音楽系アーチストにしても料理人にしてもスポーツ選手にしても。もちろんその世界なりの「強制従事」はあるだろうし、ひとつのことからでも真理は学べる。その分野で一流になったヒトはやはり一流だ。でも「思ってもみない方向」への広がりがあるとないとでは長い間にずいぶん違ってくるのではないかな。中田ヒデの「旅」は(自意識過剰すぎて)あまり好きではないが、彼の焦りはなんだかよくわかる気がする。
北野武は、自分が得意じゃない分野にわざと足をつっこんで「自分にプレッシャーをかける」という。
これ、この頃よくわかるようになってきた。得意じゃない分野で場馴れして成長すると人生が相当広がる。もう得意分野だけで生きていける彼だからこそ、そこでとどまらないように不得意分野に自分をぶち込むんだな。自分が閉塞してしまわないための一番の処方箋かも。
連休は三日休めた
2009年05月06日(水) 10:15:22
本当は沖縄出張から帰ってきて一日おいてすぐハワイ出張の予定だったのだが、仕事の都合でそれがキャンセルになった(例の新型インフルエンザとは関係なし)。良かった。ハワイに行っていたら一日も休めない連休になっていたところだった。
「仕事と言っても沖縄とハワイでしょ。楽しいじゃん」と傍目には思えるだろうけど、現地では体力使うし、東京に残してある仕事の差配もネットを使ってしないといけないし、とっても大変なのです。仕事が重なりまくっている時のロケは逆にとても大変。
とはいえ、ハワイに行かなくなったらなったで仕事は山積だ。
クライアントはだいたい長い休み明けに企画提出を望むもの。今回も「じゃ、連休明けに!」という案件が4つ。こりゃ休んでいるヒマはない! ということで会社に行ったり家で企画書書いたり。長い人では16連休というこのGWだが、ボクが休めたのは5/2の沖縄でのオフ(宮里酒造に行った日)と、5/4,5の二日のみ。まぁでも全部で三日休めたことで良しとしよう。
今日は7日8日にあるプレゼンの準備と来週頭にあるプレゼンの準備、メールのお返事、ゲラチェック、エクササイズ再開など、やらなければいけないこと山積。沖縄や高知や伊勢志摩の更新もしたかったんだけど、出来るかな(いや出来まい)。どっかでゆっくり時間をとって「おいしい店」を一気に更新したい。たまってくると気になる。気になることがいっぱい重なると心の状態が悪くなる。そういうスパイラルに突入しないように。
沖縄の行政に対する(相当ぼかした)おとといのさなメモに、地方行政のプロや沖縄でまさに行政に苦しめられている方から長く切実なメールが届いた。
視点が偏らないように沖縄行政側の事情や意見も知りたいが、いずれにしても沖縄という土地の特殊性を再度確認できた感じ。「観光」しか産業がないと言ってもいい特殊な県なんだけど、その「観光」に対する行政と民間の認識の乖離がすさまじい。箱もの・開発こそ「観光」だと考える行政と、沖縄らしさ・沖縄の真の魅力を探ることこそ「観光」だと考える民間。この距離が絶望的なほど埋まりにくい。
こりゃ、距離を埋めることを考えるよりも、双方から魅力的に思える別次元のアイデアがいるのかも。
「たむたむたいむ」オフ会
2009年04月26日(日) 13:29:26
昨日の土曜日は「かぜ耕士の『たむたむたいむ』サイト」のオフ会だった。
このサイト、元はと言えばボクのサイトでこんなコラムを書いたことが発端。約30年前のモンスター番組「たむたむたいむ」のことを書いたのである。で、DJのかぜ耕士さんからメールをいただいて、初めてお会いして、サイトを作るお手伝いをして、、、という流れ。そのサイトに集まった「深夜放送世代」、つまり40〜60歳代が昨日は約30人集まった(もちろんかぜさん本人も)。利害関係も何もなく、単にあの頃かぜさんの大ファンだったというつながりのみ。その気楽で楽しいことよ。
そういう流れなので乾杯の音頭をお願いされていたのであるが、直前まで仕事の打ち合わせをしていて、なんと遅刻するという失態。
40分近く遅刻したのだが、どうやらみんな三々五々のんびり集まっていたようで、タイミング的にはジャストだったみたい。ちょうど乾杯のタイミングで到着し、そのまますぐに乾杯の音頭。仕事モードが抜けず少々焦ったが、「あの中学高校時代の暗くて長い孤独な夜に、ラジオにかじりついてその声をむさぼり聴き、その後の人生に目に見えない大きな影響を与えてくれたあのかぜ耕士さんと、こうして間近にお会いできるのみならず、長時間われわれで独占できることがいかに奇跡的でシアワセなことか」という話を短くさせていただいた。
ネット時代だと「ありふれたこと」かもしれないが、あの頃中学高校だったヒトには「まさに奇跡」。ありふれた奇跡ってこういうことだなぁ、とか思うわけで。
で、その後すぐに、ゲスト出演2回目の「コラアゲンはいごうまん」の漫談。
彼はこのオフ会2回目の参加。ボクは彼の全国ツアー凱旋公演にも行っている。長時間漫談なのでテレビ向きでないのがネックだが、もっともっと売れてもいい芸人さんだ。今回はこのオフ会のためのオリジナルネタ。爆笑爆笑で面白かった。こういう長時間密室芸ってどうやったらメジャーになるんだろう…。(興味ある方はこちらの動画とかをどうぞ)
入れ替わってハックルベリーフィンのライブ。
このメモでも何度か紹介しているが、ハックルは「たむたむたいむ」の大スターで、「流れ星」という大名曲が当時超ヘビーローテーションだった。あの番組を聴いていた人は全員歌えるのではないかというくらい番組内では流行った歌だ。
メンバーのマークさんはボクの主治医。格好いいキャップをかぶっての登場。ボクが中学高校時代にラジオにかじりついて聴いたあの曲を歌っていたヒトが今のボクの主治医ってこともなんだか奇跡的だなぁと感慨を覚えつつ。もちろん今回も「流れ星」をやった。今回のパフォーマンスは特に良かった。泣いているヒトもいた。ボクもちょっと泣きそうだった。
その後、掲示板の常連さんであるハイパパさんによる「愛よこんにちは」のウクレレ&歌。なんか懐かしいと思って注意深く聴いたら知ってる歌だった。というか同年代の集まりなので、知っている話題とか曲が多い。
で、〆はかぜさんのパフォーマンス。
訳詞を朗読した後に曲を流すという洒落た構成で3曲。
ボクはかぜさんの詞の朗読が好きである。本業は作詞家で「涙をこえて」などのヒット曲があるかぜさんなので、作詞家の想いをちゃんと汲むことができる。そのうえでDJ技術をフルに使って朗読してくれるんだもの、そりゃ感動的になるに決まっている。
Suzanne Vega「Tom's Diner」
Janis Joplin「Me and Bobby Mcgee」
Richard Harris「Slides」
リチャード・ハリスの「スライズ」の朗読は前々回に続いて二度目。そのときのがあまりに感動的だったのでアンコールがあったらしい。アルバムの中の一曲なのでYouTubeにはないが、ここでさわりだけ聴ける。
そしてみんなで「涙をこえて」をカラオケして解散。いやー楽しかったな。奇跡的な集まりなんだなと思う。ボクは仕事があったので2次会3次会に行けなかったけど、みんなは深夜まで楽しんだみたいである。次は来年だろうか。いまから楽しみだ。
とりあえず金曜まで持った
2009年04月25日(土) 21:23:34
昨日は本当にヘトヘトで、昼過ぎにはもうガス欠状態。デスクで企画書をまとめていたんだけど、いつの間にか失神(というか睡眠)。座ってパソコンをにらんだまま微動だにせず寝ていたみたい(ちょっと怖い)。そこへ「そろそろ時間ですが」とお呼びが。うわっ、しまった、講演だ!
昨日はファッション系クライアントを数十社招いた講演があったのだが、なんか話す内容がいまいち定まらずパワポ作りに四苦八苦していたのである。どのくらい基礎的なことに触れるべきか、どのくらい実践的な内容にするかなどの具合がわからない。困ったなぁと思いながらおとといの夜に講演内容をパワポにまとめたんだけど、最後にもう一度集中して考えて直そうと思っていたのである。でももう直す時間がない。直す気力もない。このまま行こう。
会場に向かう最中も「だ、大丈夫ですか?」と気を遣われるほどフラフラで、あーこりゃ死ぬかもなぁと我ながら思ったくらい。まぁ話し始めればアドレナリンが出るから大丈夫なんだけど、それまで持つかな状態。ここまでフラフラなのは久しぶりだ。
ただ、講演ではその疲れがいい方に出た。緊張しがちな話し始めも相当リラックス。いつもこうだったらいいのになぁというくらい緊張せず、普段通りの話ができた。まぁこんだけヘトヘトフラフラだと緊張のしようもないのだけど。途中からアドレナリンも出始めて、なんとか最後まで持った。あー終わったぁ。
でも、その後が酷かったな。一度出たアドレナリンが引くと、アドレナリンが出る前よりも深く疲れを感じる。夜の会議の最中に急降下。グッタリ。もう電車に乗る体力すら残っておらず、自腹でタクシーに乗って帰った。
しかし最近の東京のタクシーは本当にレベルが下がったなぁ。
道を一から十まで聞いてくる。基本的な交差点すら知らない。寝てもいられないよ。まぁとりあえず金曜夜まで体力持ったのはラッキーだった。なんかどっかに仕事の抜けがありそうだけど、そういう心配を脳から閉め出して、とりあえず睡眠睡眠!
いい感じに修羅場
2009年04月24日(金) 8:02:03
う〜。仕事がまたスゴイことになってきた。それも複数案件が同時にスゴイことになり、ちょっと錯綜気味。これ、ちゃんと無事にしのげるのかな…。
修羅場馴れしている後輩とかと「いい感じだねえ」「修羅場ですなあ」と笑いあってはいるものの、背中では冷や汗をかいている。GWがあるので逆にそこで取り戻して攻勢に転じようと画策していたが、どうもそこはロケに行かないといけない雲行き。長いGWも一日も休めない予定。でもまぁロケって、ロケ先で「仕事がひとつ」なので(他案件の会議などが追ってこない)、逆に落ち着いていろいろ考えられるのだけど。
そんな中、昨晩は某大手新聞社の政治部記者さんたちと会食。会議が紛糾して1時間遅刻して参加。みなさんスイマセンでした。というか基本的に会食に遅刻することなんかありえないタイプなんです。それほど仕事が錯綜しているんです。スイマセンスイマセン。
いやぁ、新聞社政治部の最前線バリバリ記者さんと長く話すなんて人生初。おもしろかった。やっぱり異業種と話すのって楽しい。多少仕事絡みでもあったのだけど、オバマの話から日本の政治のこと、新聞の未来のことなど、いろいろと盛り上がった。特に面白かったテーマは「ネットのフラットな価値観が蔓延するであろう未来に、政党はどうなっていくのか」。イデオロギーを二大政党に収束させるのなんて到底無理。そのときどうなる?ってお話。いろんな見方があっておもろいな。
会食中、トラブル含みの仕事電話が3件飛び込んだ。あぁツッコミも災いの元だけど、軽口も災いの元だなぁ。仕事が多すぎてテンション上がらざるをえないボクの軽口が火種になったものもあった。気をつけないと。
とりあえず今日でようやく一週間が終わる。怒濤であった。でも最後にちょっと重めの講演が今日の午後にある。やばいなぁ。テーマが難しく、まだ話す構成が決まらない。さてどうしよう。
ツッコミは災いの元 2
2009年04月22日(水) 8:12:28
昨日のメモにはボクをリアルに知っている人からのメールが多かった。「そりゃびびるでしょう!」系。そうなのか…。ようやく自己認識したよ。ボクはそういうキャラなのね。気をつけよう(もう遅い)。
わりときつめのツッコミが好きなんだけど、きっと知らず知らずにきついツッコミをして東京の人を傷つけてきたんだろうなぁ。もう東京ではわかりにくいボケ(←通受けするようなわかりにくいボケが好き)も、厳しいツッコミも、東京では封じ手かもなぁ…。しゃべるのが不自由になるなぁ…。
そうやって無口になっていった人からもメール。
「ボケても誰も拾ってくれないし、つっこむとみんな引くし、どうしようもなくなってだんだん無口になっていき、大阪時代はあんなによくしゃべるキャラだった私が、いまではほとんどしゃべらない人になってしまいました」
わかるなぁ。
「転校先の東京の小学校では、私のつっこみで男子生徒が泣いてしまい、担任に職員室へ呼ばれ、絞られました」
こういうこともあるだろうなぁ。
「ツッコミで人間関係壊したこと、私もあります。半年くらいつきあった彼に、キミの言葉はきつい、と別れ話をされました」
ツッコミだとわからなくて素で受け止めちゃうとつらいよなぁ。
「後輩の方に言葉の使い方をツッコんでらっしゃいますが、さとなおさんの『みっともよくない』も相当おかしな言葉です」
いや、えーと、これは意識してそういう使い方をしています。すいません。長い文章の中でのちょっとしたアクセントというか引っかかりというか…。というか東京ローカルではわりと使われている言葉ですね。ギャル語からの派生です、たぶん。「みっともいい」と使う人もいますし…。
とか、必死に言い訳しながら、後輩の気持ちが少しわかったワタクシ(涙目)
うぅ…。「ほめられサロン」、行ってきます。 ←この反響もやけに多かった。
ツッコミは災いの元
2009年04月21日(火) 7:32:29
広告業界ではしばしば「刈り取り」とか「囲い込み」とかいう言葉を使う。
顧客を刈り取る、とか、消費者を囲い込む、とか、そんな感じ。まぁ商習慣的な言葉でもある。でもこの言葉を使っている時点でホントは相当古い。だってそれは完全に送り手(作り手)目線。昭和な考え方だ。消費者(生活者)が変化した今、こんな発想でキャンペーンを作っていたら時代に置いて行かれる。消費者目線に立つ発想が徹底していたら「刈り取る」とか「囲い込む」という言葉など出てこないはず。早く死語にした方がいいし、きっと10年後には使っていない言葉だと思う(と思いたい)。
いや、そんなかたい話がしたいのではなく。
つまりは業界最前線でバリバリやっているタイプの若手営業くんとかは喜々として「顧客を刈り取りましょう!」とか発言しがちなわけです。なんか業界っぽいしね。仕事している気にもなるしね。その言葉自体ちょっと古いということなんかあまり考えず、習慣的に口にする感じ。
昨日もここ数ヶ月一緒に仕事をしている優秀な若手営業くんが、メールで「その会議にクライアントのどなたが出るか、出欠刈り取り中です」と書いてきた。
会議への出欠を刈り取り中だぁ? なんだその変な使い方…。まぁ意味はわかる。もしかしたら現場ではそういう使い方もしているかもしれない。でもさー、あのさー、そういう業界言葉っぽい使い方ってそんなにみっともよくないよ…。というか、これってツッコメということ? 笑うとこ? そうなの?
ボケにはツッコまないといけないと14年の関西暮らしで叩き込まれたボクは、脊髄反射的にこう返信した(もちろん主要用件に返信しつつ、P.S.的に)。
>出欠刈り取り中です
そんなもん、刈り取るなよな。
(笑)をつけた方がいいか、とか、典型的関西弁を使った方がいいか、とか一瞬思ったが、まぁ普通のツッコミだし、みんながみんなツッコむところだろう、と考えて気軽にポチッと送信ボタン。関係者全返信である。まぁ別に笑いを取りに行ったわけでもなく、メールのラストに気楽な会話も入れといて、みたいな感じで。
そしたら数分後、その若手営業くんから大慌てかつ平謝りのメール(DM)が返ってきた。超平謝り。ほとんど涙目。なんか怒られたと思ってるらしい。えぇ〜! しかもそれをCcで読んだ同じ部署の後輩が「佐藤さん、なんか厳しい指導ですねー」と話しかけてきた。ハァ〜???
いやまぁなんつうか、関西で鍛えられたボケとツッコミの会話術は東京ではまるで伝わらないことはさすがに知っている。いらぬツッコミしないように気をつけてもいる。でも、もう十分親しくなったからって油断しちゃったよ。つうか、このメールが怒りメールかどうかくらいわかるよね? 普段ボクとつきあっているならさ?
「いや、佐藤さん、彼から見たら年次が相当上だし、業界的にも大先輩だし、見た目も怖いし、そりゃーびびるんじゃないですか?」
そ、そっかー…。そうなのかー……。じゃれるようなツッコミすら無理なのかー………。
そういえば、ふと周りを見渡してもこのプロジェクトでの最年長はボクだ。「ボク」とか若ぶってカタカナで書いているけど一番年寄りかつプロジェクトリーダーだ。んー、もしかして、若手から見たら遙か彼方にいる権威系オッサンなのか。ちょっとじゃれただけで平謝りされるくらい近寄りがたいのか…。
まぁそういうことは別にしても、ボケツッコミ文化がないところに文脈も空気も読まず、笑いもとれないツッコミをしたのはボクだ。ボクが悪い。悪い。のか。つーか、この程度のツッコミでもそんなに傷つくの?
なんだか若手との会話に急に自信がなくなり、ガックリ落ち込んだので、「ほめられサロン」で軽くほめられといた。すごーい! すてきー! イケテルー!
土曜日、旧友とふたりで
2009年04月19日(日) 19:01:43
大学時代のゼミの同期が「ゆっくりリラックスする土曜日でもどーや?」という企画をボクのために立ててくれ、昨日、彼の家で半日ゆっくりリラックスしてきた。
彼はボクのブログを読んでくれていて「人生があまりに余裕なくキチキチになっている感じ」を心配してくれ、「たとえば土曜日にワシの家がある国立に来て、半日だらだらと話をするとか、どーや?」と誘ってくれたのである。友達ってありがたいな。
誘ってくれたのは今年の1月初め。それはいいなぁありがたいなぁオメエとふたりで話すのも十数年ぶりだしなぁとは思ったが、その頃はこれまた極端にキチキチな人生だったので、「ありがとう! じゃ、たとえば春先は?」と返信し、「えー! えらく遠い先のことやなぁ」と呆れられつつ、あっという間にその3ヶ月が経って約束の昨日になったわけである。
国立(くにたち)は我が家からは遠い。1時間半くらいかかる。いつの間にか時間貧乏になっていたボクはその移動時間に少し腰が引けたが、「ま、思索したり読書したりにはいい時間だってば」と彼に諭された。思索か。そういやこの頃落ち着いて自分を見つめる時間も減っている。時間に追われ必死に働く毎日(まぁ今年はそういう毎日を敢えて選択したんだけど)。往復3時間、本も持たずiPodも持たず、もちろん仕事のことも考えず、ひたすら思索する時間に充てることにした。いざ考えはじめるとあっという間。
春の国立は美しい。駅まで迎えに来てくれた彼と話しながら「緑があるところはいいなぁ」とつぶやいたら「便利をとるか、緑をとるか、やねぇ」と。あぁ懐かしい彼の関西弁。
あらためて彼の顔を見ると髪の毛真っ白になっておる。お互い歳をとった。彼はわりと堅いタイプが集まるうちのゼミ(現代経済学専攻)では唯一かな、いろんな会社を自由に渡り歩き、現在では定職というものを持っていない。人から求められるままに日本中のいろんなプロジェクトに参加し、ソーシャルな活動を行って、超マイペースで立派に喰って行っているディレクター/プロデューサー。いい意味で浮世離れしたヤツである。そういえば奥さんもいい意味で浮世離れした音楽家(ロバの音楽座という古楽器系ステージ活動をしている)。そして彼らふたりが暮らす家も相当浮世離れしていた。ひと言で言うと「関西にあるインドネシア料理店」みたいだ(わかる?)。手作り感溢れ、小物も溢れ、ちょっとキッチュでちょっとファンシーでちょっと70年代的ヒッピー風。そして、こういう家の定番、お約束のようにネコがいる。まぁ犬よりはネコだろうなぁ、このふたりは。
昨日は奥さんが音楽活動で出張中とのことで、彼とふたりきり。
傍目からみたら50前のオッサンふたりだが、中身は学生とそうは変わらない。屋根の上に小さな見晴台があるので、そこで武蔵野に沈みゆく夕陽をセンチに眺め、それからシャンパン(やっぱり泡!)をあけて彼の手料理を食べつつ、青臭い話とか、ソーシャルな話とか、歴史の話とか。ゆったりした彼のペースに巻き込まれ、何も気を遣わず、たらたらぐだぐだ。ボクにはまったくそのつもりはないけど、やっぱり自分が生き急いでいるんだということを自然と思い知らされる。
あっという間に23時になった。家に帰り着くためにはそろそろ終電。
もっと話をしたいけど、名残惜しくはない。そこが旧友のいいところ。あっさりとお互いの人生に帰って行く。でもさ、それってなんというか、ちゃんと自分の人生をリスペクトして生きている前提があるからなんだよね。うまく言えないけど。そしてそれがお互いへのリスペクトにつながる。だからとてもあっさり別れる。だって会っていても離れていても同じだもん。しゃべっているのも黙っているのも一緒、みたいな意味で。
未来のどっかでちゃんと交差する点ができそうな予感を秘めつつ、そんではまた。数ヶ月後、数年後、もしくは十数年後に、また。
人生最高のシアワセのひとつ
2009年04月18日(土) 15:31:53
今週はスプマンテをよく飲んだ。毎日のように飲んだ。やっぱりこの季節、泡がおいしい。晩春もしくは初夏の薄暮にスパークリング・ワインを飲むことは、人生最高のシアワセのひとつかも。
今週泡をいっしょに飲んだ相手のひとりが、今度出版が決まった後輩。
入稿完了祝いで数人で飲んだのだが、人生初出版前後のブルーはもう他人事でなくよくわかるので、思いやり深く(笑)ゆっくり飲んだ。書いている間はハイテンションでも、書き終わって入稿してから「こんな本を世の中に出す意味なんてどこにもない」「誰も読まないし何の役にも立たない」「というか、恥」「いまからでも遅くないから出版を中止するよう出版社にお願いしてみようか」など、ぐじぐじぐじぐじ悩むものなのである(少なくともボクはそうだったし、そういう例をいくつも見ている)。
これは11冊出した後でも実はそんなには変わらない。いや、さすがに麻痺はしたけど、心のどこかで深く落ち込む。出版後数週間すると開き直ってくるのだが、出版までの数週間(場合によっては数ヶ月)、出版してからの数週間(場合によっては数ヶ月)は本当に辛い。処方箋は「飲んで乗り切れ!」くらい(笑)。ちょうど泡が似合う季節。泡飲んで乗り切れ!
一緒に飲んでいる時、その出版する後輩(女性)の同期(女性:仮にM)の話になった。
Mとは彼女が新人のころ仕事をした。もう10年以上前に会社を辞め、ある音楽家と結婚。あるときボクにメールをくれ、それ以来なんとなく連絡を取りあっている(サイトを続けていると、昔の友人からふいに連絡がくるみたいなことがよくある)。というか彼女は今夙川に住んでいて、先々週に桜を見に行ったとき、一緒に散歩しないかと電話で誘ったくらいは親しい(急に電話したので散歩は叶わなかったが)。
でも、今度出版するその後輩は、昔はとても親しかったというMと、もう10年以上話してもいないとのこと。同期の間でも行方不明ということになっているらしい。へぇー、じゃあ今から電話しよう、とその場で電話し、ふたりの同期女子(ただしアラフォー)は十数年の時を越え、いきなりガールズトークへ。
もうね、「人と人を思ってもみなく結びつける」ということも、ボクにとっては人生最高のシアワセのひとつ。好きなんです。うれしいんです。おせっかいな性格なんです。横で盛り上がるガールズトークを聴きながら、なんだかボクまでニコニコニコニコ。泡はうまいし、人と人は結びつくし、シアワセな夜だったな。こういう夜がたまに訪れるから、人生はやっぱり捨てたもんじゃない。
不思議なメンバーの不思議な夜
2009年04月14日(火) 8:21:24
昨晩は友人の松井孝治議員の紹介で、平田オリザさん、藤原和博さん、そして松井さんの4人でごはんを食べた。平田さんは「芸術立国論」、藤原さんは「世界でいちばん受けたい授業」を読ませていただいたことがある。両書ともかなりの名作(平田さんのはまだレビュー書いてないが、さぼっているだけ)。おふたりともお会いするのは初めてで、いったいどんな会食になるのか多少緊張して出かけたが、とてもフランクで愉快な時間になった。楽しかった。
メンバー的に教育論が中心になるかな、と思ったが、前半はボクや松井さんの「来(こ)し方」の話。藤原さんに「来し方を話して」とリクエストされ、ざっと話したが、まぁサラリーマンの来し方なんて話しても知れてる。学生時代の話、震災やサイトや出版の話など、多少の山谷はあるものの、ちょちょちょと話し終わった。でも久しぶりに自分の軌跡を振り返ったなぁ。意外と俯瞰する効果あり。
次に松井さんの「来し方」の話へ。そのままなりゆきで比較教育論になり、比較文化論になり、演劇の話になり、政治の話になり、日本のこれからの話に展開していった。そのままテレビ討論番組で流せそうな感じ。いろんな論が飛び交い、とっても刺激的だった。なんとか話にはついて行けたけど、日頃の勉強不足が悔やまれる。もっと勉強しないとなぁ。
「私は9時半に寝ます」と藤原さんがニコヤカに帰り、残り3人は二軒目へ。松井さんが「前に一度行ったことがある」と言うカウンターバーに向かったが、この店が変だった。
入り口に「買い物に行っています。すぐ戻ります。携帯にお電話ください」と、田舎の美容室みたいな札がかかっている。ドアは開いているので中に入って話しながら待つも、待てど暮らせど帰ってこない。BGMはシュープリームス。あまりに帰ってこないので携帯に電話してみたら「え……あ、すぐ帰ります」みたいな反応。そんなに意外かよ(笑)。というか、一応日本を代表する繁華街のもっとも繁華な交差点あたりの道路に面したバーなんですけど(笑)。
それから10分後くらいにようやく帰ってきた店主のおじさん、お待たせしましたの言葉もなく「で、何を飲みますか?」と面倒そうに。無愛想でもないがとっても無口でこちらの話にも乗ってこない。不思議な店の不思議な店主。繰り返すが立地は日本最高レベルである。大きな窓からの景色も相当いい。そのうえ値段も安い。でも営業する気なし。んー…いったい何なんだ(笑)。で、「じゃ、帰りますか」と我々が席を立った途端に急にイキイキしだし、「段差がありますからご注意を!」とニッコリ。3人とも大爆笑。気に入っちゃったかも。また来るぜオヤジ!
不思議なメンバーの不思議な夜。楽しかった。
社外の人間、異業種の人間と飲み続けているとこういう展開があるから面白い。特に昨晩は四者ともに専門分野が違ったのが良かった。ありがとうございました。また、ぜひ。
寝過ぎで頭が痛い
2009年04月12日(日) 18:13:56
昨日は起きていた時間がほぼ3時間。24時間あるうちの21時間は寝ていた。とにかく寝た。あ〜寝た。今日もそんな調子。まだ2時間ちょいしか起きていない。寝過ぎて頭が痛いんだけど、でもまだ眠い。あぁ眠い。ちょっと異様。それだけ疲れているのだろう。とはいえ今日はこれから仕事しないといけないし、連載原稿〆切があるので起きていないといけない。でも眠いなぁ。いま「うまい店対談」の更新を終え、これから企画書に取りかかる予定。原稿はその後。エンジンかかってくるであろう深夜に書こう。
なんか「うまい店対談」も含め、「おいしい店」系の更新の筆が進まない。
今年は会社の状況もあって、いやもう少し熱いココロザシ的に書くと「広告業界の明日のため」もあって(ホントかよ)、実は「人生史上初なくらいトップギアで仕事しよう」と決心しているのだけど、そう決めた途端になぜか小説(フィクション)が読めなくなり、時を同じくしておいしい店の更新の筆が止まってしまった。なんなんだろうこの感じ。読めないし書けない。気持ちが実業に寄りすぎたか。もしくは単なる疲れか。
でもこのまま前に進むのはバランス的に宜しくなく、仕事のクオリティにも影響を与えることが予想されるので、少しバランスを小説側に戻している最中である。昨日今日とガルシア=マルケスの「百年の孤独」の再読を始めた。もう20年ぶりくらいな再読。すっかり筋も登場人物も忘れている。ホセ・アルカディオ・ブエンディア、久しぶり。レメディオス、久しぶり。
あぁそれにしても寝過ぎで頭が痛い。脳味噌が砂袋のよう。頭蓋骨の中が痒い。
寝が足りたとはいえ、明日の月曜もきっと異様に眠いんだろうなぁ。でも2日かけて疲れを取ったのはきっといい影響を及ぼすはず。さて、仕事しよう。なんかヒーヒー辛いカレーが食べたい…。
キモい 〜 花粉症 〜 モリ
2009年04月10日(金) 6:33:38
昨日は今週の山だった。キモいプレゼンが2つ。そのうえ夜に講演。あぁ疲れ切った。よく乗りきった。
というか、最近「キモい」って言葉、二種類の使い方で聞く。「気持ち悪い」という意味と「肝っぽい(かなり大切な)」という意味のふたつ。元々は「キショい」(気色悪い)」と同じようにネガティブな意味だったと思うのだけど、そして今でもその使い方の方が主流だと思うのだけど、最近ボクの周りでは「肝っぽい」という意味で使う人が増えている。「明日の打ち合わせ、意外とキモいですよ」とか文脈なしで言われるとよくわからん。気持ち悪い打ち合わせなのか、肝っぽい大切な打ち合わせなのか。んー…。あ、ちなみに、このメモの冒頭で使った「キモいプレゼン」というのは後者な意味です。
というように、昨日は大切な日だったのだが、朝から鼻水とくしゃみが止まらなかった。風邪がぶりかえしたのかなぁとか思いながら仕事していたが、午後になって目まで痒くなってきて「あ、花粉症だ」と気がついた。たま〜にこういう症状になることはあるが、比較的軽く短く終わるので、まだ花粉症的自覚はないのだけど、これはどうやら花粉症だなぁ。聞いたらこの時期の花粉症は「ひのき」らしい。ひのき花粉症。まぁ杉より高級そうな感じがするので許す。つきあってやろうじゃないか。
って、こんな「キモい」とか「花粉症」とかの流れで言及するのもどうかと思うが、友人にしてTEAM NACSのリーダー役の森崎博之くん(モリ)に赤ちゃんが!(4月7日長男誕生!)。書くタイミングがなくて遅れたけど、おめでとうおめでとうおめでとう。ただでさえ天然記念物クラスに誠実な彼がもっと誠実になっちゃいそうで怖い(笑)。「も日記」とか読むともうすでにそうなっちゃっている。息子自慢の嵐、いまから覚悟しています。
講演という基礎練習
2009年04月08日(水) 13:08:45
昨晩は、大阪勤務時代の同じ部の上司ふたりと、「コミュニケーションをデザインするための本」を書いた岸勇希くんと4人で焼肉。岸くんはボクの部員でもあるのだけど、ボクも彼もバタバタと忙しくしているのでめったに顔を合わさない関係。昨日も「なんだか久しぶりだねぇ」という感じ。同じ部なのにな(笑)
というか、彼がボクの部に来てから3年弱だったか。こうしてメシを一緒にするのは昨日でなんと2回目である(部会などは除く)。たった2回。それほど会えない関係だ。そういう意味では昨日は超久しぶりにゆっくり今の広告のことなど話せた(焼肉屋へ行くタクシーの中で特に)。
たまに心配をしていただく。手法を開示しすぎではないかと。
拙著「明日の広告」と彼の「コミュニケーションをデザインするための本」を読むと、もう完全にこのチームのやり方がわかってしまい、競合相手とかに対して不利ではないのか、みたいな。
まぁそういうこともないことはない。でも、本って「書く過程で頭が整理され、いままでぼんやり理解していたことが血となり肉となる」という効果がある。読むだけの人と、書いた人とでは、実際かなりの差ができるものなのである。ボクも彼も、自分たちが書いた内容はとっくに血肉になって潜在意識の域まで降りており、そこを基礎とした上で次に行っている。この差は実感できるものなので、そういう意味では不利とかいうことはないかな(偉そうに聞こえたらごめんなさい)。
さらに、ふたりとも講演が異様に多いんだけど、講演で本に書いたようなことを繰り返し繰り返ししゃべっていると、基礎練習を繰り返すスポーツ選手のような効果が出てくる。こういう仕事でもスポーツのように基礎練習って本当に大事なんだなと最近わかってきた。数週間に一回は基礎をしゃべるこの繰り返しが実にいろいろな発見をもたらしてくれている。昨日も岸くんとそんな話になった。忙しい中での講演ってかなり大変だけど、やる意味ってあるよねぇ、次々と発見が出てくるよねぇ、みたいなこと。そこで得られた発見がどんどん次につながっていっている。
まぁそれはそれとして、広告界の現状やら会社の現状やら次の展望やら、4人でガーガーと話をした。そのせいなのか、単なる風邪なのか、今朝は喉が腫れ上がって声が出なかった。まぁ風邪かな。クスリ飲んで半休。家で企画書。
奇跡的にラッキーなことだと思う
2009年03月30日(月) 8:04:47
昨日のエントリーが「出版>ネットに読める」というご指摘があったので、少し付け加えた。自分としては、こうして毎日毎日サイトを更新していることを含めてネット上での活動の優先順位がめちゃめちゃ高いので、当然も当然に「出版<ネット」なのだけど、「そんなこと言わずもがな」と思って省略してしまったので、確かにそう読めるかもしれない。ただ、出版するとネットとは違う人脈が広がり、ネットの活動とはまた違う視野が開ける。その点は出版する意義でもあるかと。「普通のブロガーにはそんなこと夢の夢」という意見もあろうが、ボクも黒野さんもそんなこと微塵も考えずにネット上に雑文を書いていた。ボクたちも「夢の夢」だった。でも、意外と近いところに「出版」という思ってもみない人生転換があるよ、と言いたかったわけです。伝わりにくかったらスイマセン。
2000年に「週刊金曜日」という雑誌に連載を書いたとき、「本は消える。HPは残る。」というコラムを書いたことがある。HP(ホームページ)という呼び方に時代を感じるね。まぁあの頃はサイトという呼び方もまだあまりされてなかったし、ブログも産声あげてなかったし。で、そのコラム、まとめればこんな内容(元はここ)。
長いスパンで考えればどんな本でも消えてしまう。1000年後に残っている本など(ボクが書いたものレベルでは)まったくないであろう。まぁこれを書いた2000年って、まだネットは海のものとも山のものともつかぬ状態で、かなり「ネット擁護論」として肩肘張っている部分はある。デジタルデータも未来永劫は残らない。紫式部の例でもわかるように、紙の方が長く残る可能性もある。ただ、編集者のハードルを越えなくてもいいネット上のさりげない書き物が、編集者の厳しい目に淘汰され生き残った作家たちの本と同等かそれ以上の確率で「残る」のは確かだと思う(残す意志さえあれば)。
その点HPは残る。プロバイダーに少々のお金さえ払い続けていれば、書いたものは未来永劫消えない(たぶん)。しかもデジタルだから、紙が黄色く変色するとかもない。つまり子孫たちさえ少々のお金をケチらなければ、ボクが書いた文章は鮮明かつクリアに残り続ける。
そういう意味において、HPは史上最強のメディアかもしれない。
もちろん長く残ったからって読んでくれるヒトはいないだろう。
でも何かを残したい無名の生活者にとって、出版よりネットの方がすぐれたメディアであることは確か。良くも悪くも「商品」にしないといけない本と違って自分の思い通りに書けるし、子孫が読んでくれることもあるだろう。数百年後に誰かが検索して偶然サイトの中の一文に引っかかったりすることもあるかもしれない。そういう意味も含めて、ネットとかサイトとかって史上最強のメディアだと今でも思っている。
昭和の大流行作家である源氏鶏太や獅子文六の本はもうほとんど本屋では売っていない(古本屋を除く)。国民的作家だったらしいのに、ほとんど読まれていないし、「げんじけいた」「ししぶんろく」と入力しても変換すらされない(by ATOK2007)。そんなことを思うとき、無名の生活者が発信でき、それを長く残せる「ネット」の有り難さを再確認し、シアワセな世の中に生まれたもんだ、と思ったりする。
というか、「言論の自由」が(日本の法律上でカタチ的に)獲得されてから、まだたった数十年。いろんな血の歴史の上にこのシアワセは立脚している。毎日普通に使っているネットだけど、ホント、奇跡的にラッキーなことだと思う。
ネット上の発信を本にするということ
2009年03月29日(日) 10:45:00
ウェブは人類が有史以来初めて手に入れた「無名の生活者の発信メディア」である。
WWW登場以前は、何かを世の中に広く発信しようと思ったら、なんとかしてマスメディアに出るとか、出版社に原稿を持ち込んで本にしてもらうとかしかなかった。その確率は非常に低く、よっぽど意志が強い人以外はみんな最初から諦めていた。
でも、ウェブは違う。発信メディアであると同時に、自分が書いたものが世の中に取り上げられたり本になったりする確率がウェブ以前に比べて飛躍的に増大した。ブログで何気なく書いたことがメガサイトやマスメディアで取り上げられたことがある人も意外といらっしゃると思う。もしくはアマゾンとかでレビューを書いてもいい。それが「そのまま」多くの人の目に触れる。こういうのって、たった15年前は「ありえなかったこと」。世の中、根っこから変わった。そう思う。
ボクが本を出せるようになったのは、1998年にこのサイトに書いていた紀行文に出版社の方がたまたま目を付けてくれたのが元々(そして一作目「うまひゃひゃさぬきうどん」が出版された)。ボクが知っている限りでは無名素人のサイト上の雑文が書籍化されたのはボクで2番目だと思う。たぶん。1番目は山本ちずさんの「ソラミタコトカ―会社つぶれてしもたがな!」だと思う(元々のサイトはここ。文庫化もされたみたい)。当時このサイトは人気サイトで、ボクも大笑いしながら読んでいた。
なんでこんなこと書いているかというと、「ミクシィにこんな日記を書いていて、これが意外と好評なので本にできないかと思って…」とボクに相談してくださった方の本が今月頭に出版されたからである。いくつか出版社をご紹介し、結局それらでは実らなかったのだが、独自に売り込みを続けて、出版に至った。

その過程はブログにも書かれている(こちら)。
本の題名は「偽ロレックスを買う人は、どうして一生貧乏なのか?」(黒野修資著/PHP研究所)
普通のサラリーマン家庭で定年までに1億円貯めるにはどうすればいいか。一般人のための「金持ち父さん」であるこの本、異様にやさしく会計学を紐解いてくれ、それを家庭に上手に当てはめて資産作りの初歩を説いてくれている。数字に極端に弱いボクにもとてもわかりやすかったし、いろいろ発見があった本である。
それにしてもこれ、元がミクシィの日記なんだよねぇ。日記が40人前後のマイミクたちに受けて、それが結果的に本になる。すごい世の中だなぁ。
ネットより本が偉いなんて思わないし、出版がゴールだとも思わないが、SNSという仲間うちで何気なく書いていた文章が支持を得て、出版まで至る感じがイマだなぁと思う。
もちろん出版に至るには「この内容で売れるのか」という編集者の厳しいハードルを越えなければいけない。自分から持ち込む場合、WWW登場以前と変わらぬ高い壁があるだろう。でも「本を出すぞ!」と意気込んで書き始めるのではなく、「ミクシィ日記で書いてたらたまたまマイミクに受けて…」というところがイマ。しかも40数人のマイミク。
最近、会社で「こんなこと考えているんです」とか、広告についての展望とかを語る若手がいると「それ、本にしてみたら?」と無邪気に勧めているのだが、本を書くといろいろ世界が変わるのは確か。会社の一歯車である自分が個人名で世の中に出る。これ、ものすごく「人生の立ち位置」が変わる。会社の看板に隠れて遠吠えしていた自分から、個人名で世間に晒される自分へ。一見大変そうだけど、このスタンスを手に入れると人生が社外に大きく広がってより楽しくなること請け合い。
みなさんもブログとかミクシィ日記とかを読み直してみて、内容を広げて本に出来そうな部分がないか探してみるのはいかがでしょう。もちろん編集者のハードルを越えないといけないけど、越えられなくて元々。越えられたらラッキー。最初はダメモトくらいな気持ちで。
カラダが悲鳴?
2009年03月27日(金) 8:36:46
昨日はあれからすぐ主治医のもとに出かけたのだが、もうダメかと思った。
なにしろ痛くて歩けない。両ふとももが常に痛い。痛い痛い痛い。玄関まではつかまり立ちで行けたが、玄関出てから途方に暮れる。数センチずつ足を前に出してヨチヨチ歩くが、口からは常に「痛い痛い痛い」と声が漏れる。痛さには強い方であるボクが声に出して痛がるのは我ながら珍しい。タクシーをつかまえ、乗ってからも運転手が心配するくらい痛がる。いやホント、筋肉なのか骨なのかわからないけど、太ももの前面が痛すぎるのだ。触っても揉んでも大丈夫。物理的な筋肉痛ではない。でも痛い。動かすと痛みが増すということもない。常に痛いのである。
ようやく病院につき(タクシーで15分くらいのところ)、主治医に診ていただいたが、彼も首をひねる。ウイルスが悪さをするにしても両太ももだけに痛みが出るなんてあまり症例がないみたい。とりあえず血液検査をしようということになり、消炎剤を一錠もらってその場で飲み、血液検査の結果が出るのを待つことに。
で、結果から言うと、治りました(笑)
消炎剤を飲んで15分くらいしたら痛みが一瞬ふくらはぎ方面に移ったあと、きれいさっぱり消えた。「消炎剤で消えたということは、やっぱり炎症があったということでしょう」と主治医。血液検査の結果も問題なし。整形外科の先生も来てくれていろいろ検査してくれたが、物理的には問題がないという。やっぱりウイルスなのかな。
と、まぁまだ様子を見る感じではあるが、とりあえず復調しました。ご心配をおかけしました。
しかしそれにしてもなんだったんだろう。疲れが出たってヤツかもしれない。カラダが悲鳴ってヤツ。とりあえず悲鳴のおかげで丸一日睡眠できた。良かった良かった。
なんなんだ !?
2009年03月26日(木) 8:59:51
昨晩は友人のおめでたい報告を聞き、あー良かったなぁとご機嫌に飲んだ。思ってもみなかった新しい流れにはとにかく乗ってみること。乗ってみてダメだったらそのときはそのとき。何しろおめでとうおめでとう。
昨晩はもうひとつおめでたいことがあって、先週に峠を越えた大きな仕事のひとつが「勝利」と出た。めでたいなぁ。長々悩んだ複雑な仕事ではあったけど苦労した甲斐があった。といっても受注が決まっただけで、ここからが第一歩。もっと大変になるのだけど。
おめでたいことがふたつ重なり、相当上機嫌で帰ってきたのだが(飲んだお酒も「上喜元」だった)、帰ってベッドに横になり、30分ほど経ってから急にお燗が。いや悪寒が。
とにかく寒い。寒い寒い寒い。極寒だ。ここまで寒い悪寒も初めてかも。大の男が「うおー!」とか叫ぶ寒さ。息も絶え絶え。ひーひーひー。
布団をいっぱい出してもらって重ね、マフラーをし、お湯を飲んだりもしたのだが(お湯を飲むために手を布団の外に出すことが寒くて出来ないから大変だった)、震えが止まらない。熱を測ったらすでに38℃くらいある。急上昇中。こりゃ本格的か。
1時間弱ガタガタ震えていただろうか。ようやく温かくなってきてそのまま気を失うように就寝。最後の方はよく覚えていないが、とにかくカラダから震えが出て行かなかった。
で、先ほど起床。寒さは去っていた。熱も平熱。多少フラフラするがまぁ普通に戻った。あの悪寒はいったいなんだったんだろう。オオゴトじゃなくて良かったな……。ただね。先ほどから両太ももが激痛で参っている。激痛というか鈍痛と疼痛が酷くて「あー痛い!」と叫んでしまうくらい。菌が太ももに居を定めた? 動かすと痛いとかいうレベルではなく、とにかく四六時中痛いの。風邪でカラダ中の筋肉が痛いときがあるけど、あれの超酷い版。だって痛くて歩けないんだもん。かといって寝てもいられない。痛くて。
とりあえず主治医に電話して(朝早くすいません)今から行ってくる。今日は会議がいっぱいあるんだけど、とてもじゃないけどずっと「痛い痛い」と呻きながらこなすわけにはいかない。関係者各位。誠に申し訳なし。すべてドタキャンさせてください。
と、いま熱を再度測ったら微熱に上がっていた。ま、風邪ですね。倒れてもいられないので集中して治そう。
犬の寝言
2009年03月20日(金) 20:00:06
今日は祝日だったので朝からずっと寝ていた。今日は溜めすぎたメールのお返事だけはしようと心に決めていたんだけど、この感じではちょっと無理かな。まぁ休むときは休もう。寝たいだけ寝る。
ボクが寝ていると我が愛犬は必ずベッドに上がってきて横で寝る。今日もずっと横にいた。
飼い始めのころは、犬は決してベッドに上げなかった。そこは区別をつけて躾けていたのだが、長年飼っているとだんだんその辺が曖昧になり、いつ頃からかベッドに上がるのを許してしまった。いまでは夜は飼い主より早くベッド上で寝ている始末。まぁ可愛いから許す。
で、そのおかげもあって、犬の寝言を初めて聞いたよ。
ぐっすり寝ていたんだけど、どこからかピーピーと音がするので目が覚めた。「なんだろう? この電子音と踏切音の中間みたいな音は…」と不思議に思い、音の出所に目をこらしたところ、犬が寝ていたのである。
その次の瞬間、また「ピーッ! ピピーッ!」と犬から音がした。うわっ、なんだコレ。
よくよく観察したところ、どうやら口を閉じたまま「ワンッ! ワンッ!」と吠えているようなのである。
口を閉じていることで低音が消え、高音部だけがピー音として聞こえてきている模様。ためしに口を閉じて高い声でワーンワンワンと出してみてください。なんとなく再現できるはず。そんな音。その音がかすれ気味になってピーピーと聞こえる感じ。
足も必死に動かしている。あぁ夢の中で吠えながら走っているんだな(笑)。なんだか異様に可愛いな。
そういえば先週のロッド・スチュワートのライブで、犬の映像を大画面で流した。眠りながら足を必死に動かしている犬のプライベート動画。夢の中で走っている状態。あれと一緒だ。犬も夢見るし、寝言も言うんだね(笑)
あぁそれにしても和んだ。ニコニコ笑いながらまた眠りの世界へ。今日メールのお返事できないのはバカ犬のせいです。いろんなやる気を失いました。いい意味で。
峠を越しました
2009年03月19日(木) 8:05:05
仕事が峠を越した。火曜の午前中に大きな年間プレゼン、夜にも別クライアントで大事な年間プレゼン。ふたつとも個人的には綱渡りっぽかったけど何とかクリア。特に午前中のは企画書を100枚ほど自分で書いてのプレゼンだったので時間がかかったし責任も大きかった。あぁホッとしたよ。まぁでもこのふたつもこれで終わりではなく「これが始まり」だし、まだ大きな仕事が3つほど控えている。しかも昨日また大きな仕事が飛び込んできた。今年は気が抜けないな。仕方がない。
2009年2010年は広告業界にとってもメディア業界にとってもものすごく大切な2年だ。歴史的転換年。大きなターニング・ポイントだと思う。だからこの2年は「仕事の年」と腹を括った。あんな本を書いたこともあるし、モーレツに仕事しようと思う。ちょうど50歳前で人生的にもそういう時期でもあるし。
モーレツに仕事する、と決めて腹括ると、もう馴れきってマンネリ化してしまったと思っていた毎日でもいろいろと新しい喜びや学びが見えてくる。この感覚どっかで経験したなぁと考えていたら「あ、受験のときと一緒だ」と気がついた。小学校から高校まで毎日毎日勉強を続け、もう勉強なんて飽き飽きするほど馴れきっていたのだが、いざ大学受験のために(それも一度落ちて浪人が決まってから)腹を括ってモーレツに勉強しだしたら、まったく想像しなかった新しい喜びや学びが見えてきた。あの感覚。きっと毎日馴れきった家事とか、毎日馴れきった歯磨きとか、毎日馴れきった排便とかにも「隠れている喜びや学び」って山ほどあるんだろうな。「どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる」。ジェイもそう言っていたっけ。
モーレツに仕事する、とか言いつつ、ライブに行ったりミュージカル観たり旅行行ったり、結構遊んでんじゃん、と思われる方も多いと思うけど、これまた受験のときと一緒で「忙しいときほど他のことがしたくなる」というヤツですね。というか、先週ほど忙しい一週間でもライブやら講演やら演劇やらに行けたというのは自信になった。予定を詰め込んだらなんとかなるもんだ。
この週末も「ロックの学園」に行ってこようと思う。三浦半島三崎高校。「スラムダンク1億冊感謝イベント」をやって以来初めて行く。懐かしいな。泣いちゃうかもしれない。
地方紙で講演
2009年03月17日(火) 6:27:15
新聞系の講演が続く。
昨日は地方紙の集まりで講演。全国の地方紙の部長以上が集まった勉強会で、「新聞のこれから」を話させていただいた。大筋は先週に某中央紙に話させていただいた内容と一緒である。ただ、地方紙は地元に密着した強みがあり、そこについての研究は自分の中で未開拓分野なので、少し突っ込みが足りなかったかもしれない。これを機に地方紙についてもいろいろ考察してみたい。
昨日は仕事が本当に秒刻みだったので、この講演はかなり響いた。体力的に。たった1時間30分のしゃべくりとはいえ120枚のパワポを話し切るのは体力使う。
講演後いきなりガス欠となり(カラダが)、青息吐息。秒刻みが深夜2時まで続いたのだが、最後の方は1分ごとに大あくび。会議を一緒にしていた方々には申し訳なし。というか、あまりに時間なくて昼ご飯も夜ご飯もコンビニおにぎり2個だったので、物理的にガソリン不足だったのかも。ちゃんと栄養とらないとなぁ。
でもね、今日の昼前(もうすぐだ!)、ひとつ大きな峠を越す(仕事)。あぁうれしいなぁ。峠を越したらとりあえずメールのお返事から始めます。溜まりすぎてしまいました。すいません。
某テレビ局で講演
2009年03月13日(金) 8:29:54
都内某キー局で、放送局社員向けに、「エースで4番の時代が終わった 〜テレビのこれから〜」と題して話をした。
二日連続でちょっと気が重い講演。広告についてならいくらでも話せるが、メディアのプロたちに向かってメディアのことを話すのは、門外漢である分いろいろ悩ましい部分がある。現状分析で終わっても仕方ないので、ボクなりの提言も混ぜ込みたいし、かといってそれがあまりに的外れだと恥ずかしいし、微妙に緊張する。
おとといと同じく、前半はネガティブな話。YouTube上の動画なんかもお見せしつつ(意外とみなさん見ていない)、テレビ不況の原因を紐解いた。で、後半というか終盤はポジティブに「とはいえテレビは大丈夫」という展開。個人的には新聞に対する処方箋の方がいっぱい持っていて、テレビのそれはまだあまり持っておらず、9つ提言したおとといに比べて少なめ。というか、新聞よりテレビの方が話すの難しい(処方箋が難しい)。
ボクは拙著「明日の広告」で、類書ではほぼ唯一「旧来メディア」を肯定している。
これは日本でもトップクラスに長くネット上で発信してきた体験からも来ていて、「新しいメディアとしてのネットの弱点」がいろいろ見えているつもりだから言えることでもあるのだけど、かといって「やり方」を変えずに生き残れるとはこれっぽっちも思っていない。かなりシビアに考えて行動を起こさないと着実に没落するだろう。そういう意味でシビアに反省するキッカケとしての不況はチャンスである。すみやかに方向転換してほしいな。
ネット上では、ネット上だからということもあるが、ネットメディア系の業界人の言論が活発だ。旧来メディア側の人間の発信があまりに少ない。実際、ネットに触っている人も少ない。それはとても情けないことだ。「伝える相手」である生活者がここまで触れているメディア(ネット)を使いこなさず、いったい「伝える相手」の何を理解し何を伝えるつもりなのだろう。
「ネットならやってるよ。メールとかやってるし、ホームページとか見てるよ」とか言い訳する人も多い。いや、生活者と同じレベルでどうする。発信側はせめて毎日100コくらいブログなどを読んで、あらゆる新テクノロジー(サービス)を使いこなして、その上で「自分が携わるメディアは何をすべきなのか」を考えないといけないと思う。
と、ことほどさように、門外漢だけに余裕がなく、どんどんお堅い話になっていく(笑)。
昨日も講演後の質疑応答で「ブログとかで読んでいる感じよりずいぶん堅い話でびっくりしました」という感想をいただいた。あのですね、余裕があんまりないから柔らかく話せないんです。おとといの新聞の話の方がまだ余裕があって、ジョークとかいろいろ言えた。テレビについてはまだ「真面目に論ずる」のが精一杯なんです。
某新聞社で講演
2009年03月12日(木) 7:56:08
昨日は午前中に某新聞社で講演をした。
個人的にわりと好きな新聞社で、実際に購読もしている。親が取っていたこともあり、物心ついたときから読んでいる全国紙である。物心ついたときから四十数年間、毎朝毎晩のように読んできた新聞というのはいったい人間にどういう影響を与えるのだろう。ボクに知性なんかがあるとしたら、その数割はこの新聞でカタチ作られているのかもしれない。そう考えると新聞って大きな存在だ。
去年の新聞大会で話した内容を、というリクエストだったが、あれから約半年経って新聞に対してイイタイコトが溜まっていたこともあり、もうちょっと広げてお話しさせていただいた。パワポにして120枚(笑:まぁ1枚に1行とかも多いのだけど)。それを1時間でブワ〜ッと話す。伝わったかな。でもウケは良かったのでそこそこ伝わった気がする。
新聞社内用の講演だったが、副部長以上の幹部社員が集まっていて、なんと社長さんまで出席。以前のボクならガチガチに緊張したところだが、去年からの講演数が効いて意外とリラックスしてしゃべれた。「あぁ場数を踏むってやっぱり大事なんだなぁ」と脳味噌の隅っこで客観的に観察しながら話していた感じ。いやホント、しゃべりは一番の苦手分野だったので。
前半は新聞不況の分析をシビアに。後半は「それでも、やり方を変えれば新聞は大丈夫!」というポジティブ論を9つの提言とともに話させていただいた。まぁ時節柄、新聞を大丈夫と言い切るヒトなんてボクくらいしかいないかもしれないが、ちょっとした「気づき」と「価値転換」でモノの価値なんてスパッと変わりますからね。ボクは新聞にはまだまだ「気づき」と「価値転換」があると思っている。
講演後、社長さんにお呼ばれしてランチをご一緒に。
お世辞を言うわけではないが、こんなにカジュアルで好奇心旺盛で現場目線な大企業社長をボクは他に知らない(個人的に社長を知っている数が少ないこともあるけど)。現場に対する温かい想いも伝わってきて、なんだか清々しい気分になった。これからもこの新聞を読んでいこう。
会社に帰ってからはちょっとパニック。デスクに座るヒマもなく会議を渡り歩き、ふと気がつくと23時半。夜ご飯を食べる時間もなかった。終電ちょっと前に飛び乗って帰宅。朝から一分たりとも余裕がない、という日も珍しい。なんだかカラダ中がゴリゴリしていて、ベッドに寝てからもどんな体勢をとってもカラダが痛い。肩も背中も腰もパンパンに張っている模様。でもね、来週火曜を過ぎればラクになるからそこまでの我慢。もうちょっと。
そういえば映画館って喫煙可だった
2009年03月11日(水) 9:25:03
両親と話をしていて「そういえばそうだったっけ?」と思い出したこと。
「昔、映画館ってみんなタバコ吸っていたのよ」
そうだったなぁ、そういえば。
タバコの煙に映写機の光が映って妙にキレイだったことを思い出す。そうそう、みんな吸っていた。
でも、いまでは考えられないこと。
たった十数年前まで喫煙可だったヒコーキも、いまではもう考えられない。というか想像もできない。電車もほとんど想像できない感じになってきたなぁ。4月からは(JR東日本の首都圏では)ホーム上もすべて禁煙になる。まぁまだ遠距離系の列車に喫煙車両はあるけど、なんだか時代の遺物な感じ。
まぁボクは嫌煙者ではなくて(これとかこれとかこれ)、うまく共存できればいい、という考えだけど、映画館やヒコーキなど逃げ場がないところでタバコ吸われるのはやっぱりイヤかも。
オフィスも分煙が基本になった。そのうち全面禁煙になるかもしれない(そういうオフィスも多い)。たまに会議室や執務ゾーンでも喫煙可の会社に行くとちょっと新鮮。うわぁ、普通に灰皿置いてあるよ。
とはいえ、うちの会社もちょっと遅れていて、分煙はされているけど、喫煙スペースの煙や香りがエレベーターホールまで漂ってきてしまう。外国のお客さんとか迎えるときとか、とても恥ずかしい思いをする。タバコ臭いエレベーターホールってどうよ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな映画を観ると「昔はよかったなぁ」とか思うけど、よくよく考えたら喫煙しない人にはきつい時代だった。みんなタバコを吸ってたし、吸い殻は道に捨て放題だった。立ち小便も普通だったし、今考えるといろいろ信じられないことばかり。あの頃にはやっぱり戻りたくないかも。
今週は地獄の様相
2009年03月10日(火) 9:11:23
メールのお返事を含め、いろんな方々に不義理・失礼いたしておりますが、来週頭くらいに仕事の峠を越える予定です。ちょっと異様な仕事量になってきてオーバーフローしています。そのうえ、前からお約束していた重めの講演がふたつ、ずいぶん前にチケット取ったライブがひとつ、〆切寸前の取材旅行がひとつ、と、予期せず重なりまくってしまい、今週は地獄の様相。致命的なミスをしないようにするのが精一杯。
ライブはね、ロッド・スチュワート。
中学・高校・大学時代、彼のライブはすべて行ったけど、それ以来。二十数年ぶりだ。懐かしいなぁ。「ただのジョークさ」とかやるかな。若い時のやんちゃさこそロッドの真骨頂なんだけど、どんな歳の取り方をしたか、それも楽しみ(スタンダードとか歌わないことを願う)。
でも寄りによって今週とは…。
まぁ3時間観たら3時間分深夜作業すればいいんだけど、精神的余裕があるときに観たかった。
法事の意味
2009年03月09日(月) 8:01:33
昨晩の「情熱大陸」(TEAM NACS)、舞台を観たばかりの人間にとっては異様に面白かった。
しかし大泉脚本、超ギリギリの上がりだったんだなぁ。公演初日9日前にモリと飲んだけど、そのときのモリのピリピリ具合の裏側がよくわかった。こりゃ胃が痛いわ(笑) というか、初日の模様が放映されていたけど、そこでのラストとボクが観たラストが違う。初日からずいぶん手を入れたみたいだな。いつ最終完成するのだろう。
昨日の日曜は法事だった。
母方の祖父の十三回忌と祖母の三回忌を兼ね、親戚が横浜に集まった。
若い頃は法事なんて意味ねえと思っていた。ご先祖を敬う気持ちは人一倍ある方だとは思うが、この忙しいのに別に親戚が集まって弁当食ったりビール飲んだりしなくてもいいじゃんと思っていた。各自が仏前で祈ればいいことだし、儀式も形式的なものだと思ったし、親戚のオジサンとかとビール飲むために半日つぶれるのももったいないとか思っていた。
でも、このくらいの年齢になると法事の大切さがわかってくる。
儀式としての大切さではなく、なんというか「集まって故人のことを強制的に思い出す」という「時間」が大切で貴重な感じがわかってくる。お寺やお坊さんや儀式や弁当やビールはその小道具として存在するだけ。儀式とか儀礼の意味って「わざわざそういう時間を共有するための理由づくり」だったんだ、みたいなこと。
若いころはまったくそっちの意味に気づかず、ただただ退屈に思っていた。
いや、「強制的に思い出す」ということの大切さは理解していたかな。でもそれは個人個人がすればいいことだと思っていた。でも、故人を愛する人々が集まらないと発生しない「想念」みたいなものってあるんだな。そんなことを思った休日。
コーヒー口臭問題2
2009年03月06日(金) 12:15:21
コーヒー口臭問題にはいろいろ解決策をいただきました。
コーヒーの口臭、ティースプーンで舌の上の汚れを掻き出してあげると、だいぶ違いますよ。ポケットに忍ばせておくといいですね。ええと、これはちょっと…。ティースプーンをいつもポケットに入れておくオジサンって、新手のヘンタイみたいじゃない?(どんなプレイか知らんけど)
私、以前にスタバに勤めておりまして、当時はコーヒーミントってのがあったんですよ。なんてことは無いフリスクみたいなものなんですが。ただ、ミントではなく、何で「コーヒーミント」なのか?と疑問に思い、フード担当に聞いたら、「コーヒー飲んだ後、臭うでしょ? その臭い消し」と。なるほどー。これ、検索したら「アフターコーヒーミント」という名前みたいですね。「アフターコーヒーチューイングガム」というのもあるみたい。これ、いいなぁ。まだ売っているのかどうかスタバに行ってみよう。
コーヒー口臭の原理を教えてくれた方も。
1)コーヒーの成分が舌の表面に付着したまま口腔内のpHが下がると特有の口臭を発する。元ネタはココらしいですが、これでいろいろ理解ができました。確かに食後のコーヒーのときはそんなに口臭しないかも。朝いちの会議で他人のコーヒー口臭に苦しむ理由もわかった(笑)
2)コーヒーやお茶の渋みの元は唾液分泌を抑制し、口腔内が乾くのでpHが下がる。それによって口臭の成分が生成される。
3)コーヒーで口臭が発生しやすい状況は起床直後や空腹時など、元々唾液分泌が少ない状態。
4)淹れたてのコーヒーより長時間保温したコーヒーの方が口臭を起こしやすいようだ。
5)コーヒーに起因する口臭を防ぐには、飲んだ後、舌を動かすなど唾液分泌を促して口腔内のpHを上げるか、水を含み舌を口蓋にこすりつけるようにして残渣を洗い流すようにすれば良い。
とりあえずは唾液分泌ですね。
そういえば長時間ヒコーキに乗る前に空港のドラッグストアで口臭止めのガムを買おうとしたら、そこのオジサンに「機内は空気が乾燥してるから口が匂うんだ。ツバを出して口の中にためてクチュクチュやれば口臭なんか消せる」と買うのを止められたことがありました。あのオジサン、正しかったんだなぁ。でも商売っけなさすぎ。買おうとしてるのに止めるこたあない。
コーヒー口臭問題
2009年03月05日(木) 8:39:21
会議会議会議と打ち合わせが続く毎日。最近は加速度が上がり、いったい今何の打ち合わせをしているのか、頭をリセットするのが間に合わなくなるときもある。
ま、それはいいとして、問題は会議でかなりの確率でコーヒーが出ること。
飲み過ぎで胃が荒れる、というのはよく聞く話。それはそれで問題だ。でもボクが気にするのは「口臭」。コーヒーって飲むと口が臭くなる(ならない?)。カフェオレとかは特にそうだ。せめてと思ってブラックで飲んでいるが、それでも口臭は気になる。だってこの会議が終わったらすぐ別の会議で、それはクライアントも来たり初対面の人もいたりするのである。そこに行くのに口臭ぷんぷんはとてもいや。
この悩みは接客業の人はわりとあると聞いた。知り合いの占い師も「口臭はお客様に失礼だからコーヒーは飲まない」と言っていた。というか、その言葉を聞いてから「そういえばそうだ」と気になりだした感じ。コーヒーのあの独特の甘い口臭って、気になり出すととてもイヤなんだよなぁ。
解決策として、まずフリスクとかガムとかがあるのだが、コーヒーの口臭には勝てない気がする。というかクライアントとかの前でガムを噛むわけにもいかない。そうなると歯磨きしかないが、いちいち歯磨きしに行く時間もない。あとはリステリン系の洗口剤を使うことくらいか。これ、舌がやられそうでどうにも馴染まん。んー…。
あまりに時間がなくてどの対策もとれず、手持ちのフリスクも切れてる場合、これはもう「無口」になるしかないのだが、これはまったくの本末転倒。何のための会議やねん。第一感じが悪い。ヒゲに坊主の大きなオッサンがひたすら無口。イヤなヤツすぎ。でも口を開いて口臭が漂うのもイヤ。むぅ。
ま、根本的に「会議で出してくれたとしてもコーヒーに手を付けなければよい」という解決策があるのだが、昭和30年代以前に生まれた人間は「出されたものは残さず食べる(飲む)」という強迫観念がある。なんか手つかずに残すということが出来ないのである。
ということで、今日も会議室で葛藤している。
このコーヒーを飲むべきか飲まざるべきか。次の会議の前に歯磨き行くヒマってあったっけ。フリスクの買い置きってあったかなぁ。ううむ…。
あの頃生まれた赤ちゃんがそろそろ入社してくる
2009年03月04日(水) 7:55:51
旧友と飲んだ。
旧友といっても、会社に入ってから知り合った人。入社2年目だったか(とすると22年前だ!)、あるクライアントの打ち合わせの場で一緒になった新聞社の人。それだけだったらそこで関係は終わるのだが、ある朝、最寄り駅の「苦楽園口駅」(当時は大阪勤務だった)で、ばったり会い、そこからつきあいが始まったのである。
お互い会社も業界も違うけど大学が一緒の同期ということがすぐわかり(在学時は顔も知らなかったが)、東京出身で縁もゆかりもない関西に配属された境遇も一緒、住む場所として阪神間の苦楽園を選んだのも一緒、そしてどっちも一人っ子、と、なんだかとても「近い」存在に一気になった。
ボクの行きつけのバーを紹介し、彼もそこの行きつけに。
ボクが当時遊びまくっていたグループにも紹介し、一緒にテニスなどを毎週末する仲に。彼がドイツに転勤したときは一度泊まりに行ったっけ。お互いに東京に戻ってきてからも数回飲んだ。お互いに「一人っ子の距離感」というのがあり、踏み込みすぎず離れすぎないいい感じの距離でつきあってきた。昨日は数年ぶりの飲み。大きく面変わりしたボクに比べて(まぁ坊主だしね)、彼はほとんど昔と変わらない。いや、顔は変わらないけどカラダが違う。ちょっとぽっちゃり丸いのがトレードマークだったのに、マラソンを続けているとかですっきり締まっていた。んー、個性の喪失(笑)
関西の郊外の小さな駅でたまたま声かけてから20年以上経って、それぞれの会社の中堅として機能していて、こうして東京の恵比寿で鍋をつついている不思議。「ぼく、佐藤さんがあの駅で声かけてくれた瞬間を覚えてますよ。右後ろから声かけてくれたんですよね」「ボクもなんだかよく覚えてるなぁ」 たった昨日のことのように思えるけど、あの頃生まれた赤ちゃんがそろそろ入社してくるくらい年月が経ってしまった。
とはいえ懐かしい話ばかりではなく、新聞や広告のイマの状況について情報交換し、これからについて意見を言い合う。ペーペーだった二人が一丁前に業界の将来を語る関係になった感じがどうにも可笑しくて、なんだか楽しい夜だった。また数年後、どこかでゆっくり。
東京の父役
2009年03月02日(月) 7:30:15
NHK大河ドラマ「天地人」、なんとなく見続けているが、あのいきなり暗転してスポットライトが当たる演出、なんとかならないかな。横で中2の娘すら失笑している。
土曜は胃が痛くて寝込んだ。
金曜に一緒に飲んだ人も風邪で寝込んだらしいので、ボクのも風邪かも。ただ、彼は熱。ボクは胃。症状が出る部分があまりに違う。んーどうなんだろ。ずっとしくしくしくしく痛い。胃が痛むのは超久しぶり。そういえばこういう痛みだったなぁと思い出した感じ。しくしくしくしく。寝てても痛みで目が覚める。
日曜の朝もまだ痛かったが、朝ご飯食べたら少しマシになったので、昼ご飯に丸の内まで出かけた。
前からの約束で、神戸のN母子とR妊婦と4人でランチ。Nさんの娘さんがロースクールに通うために東京に一人住まいをするというので「では東京の父をやってあげよう」とお節介を申し出たのである。東京の父役はこれでふたりめ。ひとりめはこの人。ふたりめの彼女とはどういうドラマが生まれるかな。まぁとりあえず司法試験一発合格を目指してがんばれ。バックアップするよ。
胃はまだ思い出したようにチクッと痛む。金曜に食べた刺身に何かいたか、と思わないでもないが、それだったらもっとずっと痛むはず。まぁ風邪の初期だったのかな。土曜に寝たのが効いて今朝は比較的好調に。
ネット > 組織
2009年03月01日(日) 19:23:26
先週末の夜、広告系が4人で集まった。この方とかこの方とかこの方とか。わりと大御所の方ばかり。光栄でした。
ボクのは厳密にはブログではなく「サイト」だと思っているが、まぁでもブロガーの中に入れてもらうとして、ブロガーが増えていいなぁと思うのは、こうしてライバル会社と言われる人たちとも「ブロガー同士」として気楽に会えるようになったこと。ブログ以前だと少し構えていた気がするけど、いまはそれがない(少なくともボクは)。「たまたま別会社だけど、大きくは仲間」みたいな同胞感覚がある。ブログ以前とはずいぶん関係性が違う。
たぶん「ブロガー」もしくは「ネットの住人」という概念の方が「組織人」という概念より圧倒的に広いのでそうなるのだろう。特にボクはサイトを始めて14年と長いせいもあってかその意識が強い。会社から一歩外に出ると「ネットの住民:さとなお」に戻る感じ。別にネットどっぷりではないが、ネット上での独立した「肩書きのない個」をとても大事にしている。「明日の広告」も会社名出さずに個人として書いたし。
4人とも広告界の変化に対して超ポジティブで、変化を先導(煽動)しようとしている部分もあり、話はいろいろ盛り上がった。あと、店が良かった。場末的な場所にあって異様に安いんだけどちゃんとうまい。穴子とかぴくぴく動くのを七輪で焼く。うまかったなぁ。いや〜いい店をおしえていただきました。ありがとうございました。
終電間際のラッシュ地獄
2009年02月27日(金) 9:29:28
寒い。今日は東京でも最高気温4℃とか。冬の冷徹な空気は嫌いじゃないけど、北海道とかと比べて東京は家の中が寒いから、余計寒さが身に染みる。寒いなぁ。
寒いと言えば、不況感の冷え込みも激しいようで、それが端的に出ているのが「電車」である。
去年の秋くらいから「人身事故による遅れ」が尋常じゃないくらい多くなり、しょっちゅう止まりはじめた。言わずもがな、自殺の急増だ。特に11月くらいが多かった気がする。ボクの路線だけで週に2回は足止めを食らった。
年末に比べて1月2月はそれも減った気がするが、変わって増えてきたのが「終電間際の大混雑」である。
これはね、47年生きてきて最高レベルのラッシュ。つまりは「タクシー帰宅」が激減し、みんながみんな終電を目指した結果である。飲酒運転撲滅の成果で自家用車通勤も絶滅寸前だし(特に週末)、タクシーチケット全廃の会社が増えたせいもある(うちもだ)。懐が寒いせいで二軒目三軒目と飲み歩かなくなったせいもあるかもしれない。タクシー会社も飲食業も客激減だろう。大変だなぁ。
先週の金曜日がすごかった。
終電まであと3本という時間(24時半くらい)に乗り換えのターミナル駅についたのだが、ホームが人で溢れていた。「これ、ギュウギュウになるなぁ…」程度に思っていたのだが甘かった。ホームに入ってきた電車がすでに超満員。そして開いたドアに酔っぱらいたちが自己チュー満開で殺到するからたまらない。満杯すぎてドアが閉まらないのだ。駅員が走り回って乗客のお尻を押すが閉まらないドア続出で、結局5分くらいかけてドアをやっと閉めて発車。当然ボクはまだホームの中央にいる。列が少ししか進んでいないのだ。
ここまでのラッシュは朝でも見たことがない。中学生当時、日本トップと言われたラッシュ電車で通学していて、足が地面から浮いたまま(両側から押されるとそうなる)一駅間を行ったことがあるが、それを越えている。だってその頃でもドアが閉まらないなんてことなかったもん。
で、結局2本乗れず、最終の終電でやっと乗れた。
電車に乗ってからは全く身動きとれず(冤罪よけの両手上げも当然できず)久しぶりの通勤地獄を味わった。というか息が苦しい。酸素が薄い感じ。その上暑い。酔っぱらいが発する体温なのか、車内が異様に暑く汗だくだく。そのうえそのうえ朝と違うのは「異様に酒臭い」。うえ〜勘弁してくれ〜!(自分も酒飲んでるくせに)
でもあれ、乗り切れなかった客いたと思うなぁ。彼らはどうやって帰ったんだろうか。あれ以来、ボクは終電間際を避けるため、23時頃までには駅に着くようにしている。そのころでも地方だったら「満員電車」と呼んでいい状態だ。まぁ健全といえば健全な生活だし、特に年度末に向かって不況感が増していることもあるだろうし、春や夏になったらまた気分も変わるのだろうけど、なんだかちょっと寂しい冬である。寒いねぇ。
リアルDNA
2009年02月26日(木) 8:30:57
この「さなメモ」も昨日で3000記事(エントリー)を突破した。今日で3001記事目。
不定期日記という名前で出していた日記を、CGIプログラムで毎日更新できるカタチにしたのが2001年9月5日。その日から、ロシアとかネットにつなげない場所に行った時以外、ほぼ毎日更新して約3000日ということである。
2001年9月って当然ながらまだブログの「ブ」の字もない。ブログの普及は2003年くらいからですからね。だから当時はhtmlをしこしこ書くかCGIで少し楽するか、くらいしか手段がなかった。さなメモも2005年6月1日にMT化するまではCGIで続け、過去ログは手作業でアーカイブ化していた。よくぞまぁそんな面倒なことを。隔世の感あり、である。
でもそんな日々の積み重ねのおかげで、ここ7年半の人生は色濃くココに格納されている。
もともと、仕事で悩んでいたとき「同じ年齢のころ、父親は毎日何を考えて仕事していたのだろう。後から振り返るのではなくて、リアルタイムでそのときの悩みとか高揚とかを知りたかった」という思いがあり、じゃ、とりあえず自分の毎日を残すか、と始めたのがこのさなメモ。なので基本的には「毎日の記録」である。何をやったか、どう生きているか、を記録に残すのが主な目的だ。自分にしかわからないサインとかニュアンスとかも散りばめてあり、その時のリアルな感情を思い出せるようになっている。
そして、ボクがそう思ったように、いつか子供が「父親は同年代の時、どう悩み、どう考えて生きていたのだろう」と思う時がきたら読んでみて欲しい、とも思っている。リアルDNA。写真にもビデオにも残せないリアルな父親の毎日が、40歳になったころの娘に何かしら影響を与えるだろうか。ま、飲んだ食べたばっかりなしょーもない毎日だからたいした影響力はないとは思うけど、後から振り返って言うどんな説教や忠告より、こういうリアルな毎日を伝える方が有意義だとは思っている。
どうかな? これを読んでいる40歳になったころのアナタ。
早朝覚醒からほぼ脱出
2009年02月23日(月) 12:56:36
1年以上悩まされた早朝覚醒からほぼ脱出。と、言ってもいいと思う。ここ1ヶ月、わりと眠れている。早朝に目が覚めない。
昨日の日曜日もひたすら寝た。1年間の睡眠不足を取り戻すかのような勢い。「それって花粉症の症状かもですよ」とメールで教えてくれる方もいるけど、ボクにとってはどちらも同じ。眠れるなら御の字だ。
ただ、書き物や更新がうまく捗らないのは困った。
仕事は(えらく難しい案件ばかりなのだけど)妙にサバサバこなせているのだけど、連載原稿や習作、おいしい店の更新などがどうしても進まない。ある種のスランプなのかな。そういえば仕事も「調子がいい」というのではなく「割り切ってこなせている」状態だ。「ここまではボクが出来る範疇だけど、そこからは出来ないから任せるねー」みたいな割り切りが自分の中でスムーズに出来ている。以前だと全部「自分の責任で!」とか背負いがちだった。その辺、いい意味で無責任になれてきたのかも。
わかりやすいところでは、読書の習慣が戻って来つつある。
一時期まったく読めなかった(読む気分にならなかった)。このまま順調にペースを戻したいな。うまく行くかどうか。
「明日の広告」6刷
2009年02月13日(金) 8:00:41
拙著「明日の広告」、6刷決まりました。
5刷になったのが去年の5月。それからジワジワ売れ続けて6刷です。アマゾンではまだ200〜800位あたりを乱高下しており、売り出して1年になる本としてはかなり健闘。広告本の中では部下の岸くんの本と1位を争っている状況です。ロングセラーになるのが理想だったのでうれしいです。どうもありがとうございます。
この本を出して1年。自分の人生的にも大きな転機になりました。おかげ様でというかなんというか、いまでは極端に難しい案件ばかり持ち込まれ、途方に暮れる毎日です。仕事量も規模も1年前とは比べものにならない感じ。でもまぁ「そういう時期」なのだろうと仕事に集中しています。
昨日もとても難しい案件のプレゼンがあり、なんとかこちらのアプローチが認められて発進しそうな雰囲気。でもこれ、ちゃんと出来たらわりと画期的だなぁ。世の中に派手に目立つわけではないけど、じんわり「空気」を作って世論をゆっくり変えていく。そんな感じ。地味かつ地道だから、よしんば成功しても関係者だけがじんわり喜ぶというだけだけど、いまはそういう「目立たない広告」「記憶に残らない広告」(←プッシュ型広告ではなくパブリック・リレーションズ的な意味での)が自分の中での一番の問題意識です。
それにしても…。昨日も「超極端に難しい案件」が持ち込まれた。「こ、これは…、む、無理じゃないですか?」が本音。目的達成不可能だと確信。でもどこかに大逆転要素がないか考え中。あぁそれにしても難しいな。
伊勢志摩のお店
2009年02月10日(火) 8:21:30
突然ですが、クレア・トラベラーの連載で伊勢志摩に行こうと思っています。
伊勢志摩に行くならここへ行けー!というお店、もしご存知でしたらお教えください。よろしくお願いします。松阪も含みます。まぁ賢島観光ホテルとか和田金とか赤福とかは別にして、どこかあるでしょうか。伊勢うどん、手こね寿司、伊勢エビなどなど。おいしい店をご存知の方、ぜひお願いします。ちょっと急いでいます。
そうそう、これもお知らせしなくては。
ここで書いた中村美和子さんの個展、赤坂でやっています。大きく引き延ばした写真もいいですが、ブック(作品集)の中の写真がまた素晴らしいので見てみてください。場所などのお知らせはこちらで。
ご心配いただいてますが、相変わらず「眠い」です。眠い眠い眠い。
でも「早朝覚醒」がここ1週間ないのです。これって1年ぶりな感じ。1年分の疲れがなぜか今押し寄せている感じです。そのわりに異様に忙しく予定も満載だけど、ペースは意識してゆっくりやってます。でも、なんかの境目かも。そんな意識がありますね。
そうだ、謝らなければ。
「おいしい店リスト」、1月中の更新、結局ムリでした。じわじわと書いてはいるけどまだアップしてないままに、ゆっくりペースに突入してしまいました。様子を見ながら無理せず更新します。すいません。
適当ができないのが、不適当
2009年02月09日(月) 7:42:46
蜂にさされた芋虫のようにのたうちながら(←「次郎物語」風)、夜遅くに連載原稿だけ仕上げた。今日推敲すればなんとか間に合う。昨日は半日くらい書く気が起こらず(というか眠すぎて)のたうっていた。つらし。
あー、とにかく眠い。なんだこれ。今日会社に行ってもデスクで寝ちゃいそうだ。
やらないといけなかった分厚い企画書は6割くらいしか出来ず、ちょっと冷や汗状態。でも出来ることしか出来ないし、と開き直って会社に行く。「適当ができないのが、不適当」とはある先生の言葉。その通りだなぁ。適当に適当に。
最近、「今年の夏」を視野に入れているのか、ダイエットを決意する人が多いようで、BMグラサン・ダイエットへの問い合わせをメールでよくもらう。ええ、あのダイエット法、いまでも有効だと思いますよ。ボク、9キロ痩せてからリバウンドしてないし(たまに2キロくらい太るけどすぐ痩せる)、あれは基礎代謝を増やして痩せる方法なのでカラダに負担もかけません。いまから5ヶ月あったら確実に5キロは痩せられるダイエット法だと思う。しかもポイントは「食べる量を減らさずに!」だ。
そうそう、なぜかボウズへのお問い合わせも重なっている。4月を機に大きくイメチェンしようという方々がそろそろ悩み出している感じ。
お悩み相談は以前ココに書いた。いまでもこの思いは変わらない。どうぞ思い切ってボウズに!
今日も寝ています
2009年02月08日(日) 17:03:11
昨日はあれから夕ご飯を食べ、TBSのたけしが出ているニュース番組の特集ビデオに知り合いが出ているのを見て(ちゃんと名前入りで出ていた。すごい)、携帯メールで「おめでとう!」と書いて、すぐ寝た。結局昨日は24時間中18時間は寝ていたと思う。最近の自分的には画期的な睡眠量。そして今日も寝ている。今日は「やらないといけないこと」がふたつあり、それは分厚い企画書の仕上げと連載原稿の〆切なのだけど、やたら眠くて眠くて眠くて眠くて意志が負けた。あー間に合わねー。
なんか糸が切れたような睡眠洪水。白河夜船。これはこれで何かのサインかな。精神的に低調な日々が続いていたのだけど、これをいい機会に抜け出せるのかもしれない。
ええと、おかげで「連絡しないといけないこと」「返事を書かないといけないメール」などが疎かになっています。本当に申し訳なし。あぁでも眠い…。こんなんで明日会社に行けるかな。
疲れ切って寝ています
2009年02月07日(土) 18:40:05
「よくぞ週末に辿り着いたな…」と金曜夜中に嘆息したくらい大変な一週間だった。
バタバタと忙しいというよりは頭脳労働系の忙しさだったが、容量いっぱい考え続けた毎日だったと思う。あぁこの程度で自分の容量越えちゃうか、と限界を感じつつ。複雑怪奇な仕事が駆け込み寺のように持ち込まれる難しい部署にいることもあるのだけど、ひとつひとつの仕事が途方に暮れてしまうくらい難しい。
そんな中、金曜は民放連のセミナーでしゃべるという重たい仕事もあり、疲れはピークに。
広告業界や学生さんなどに広告の話をするのはさすがにもう馴れたが、メディア相手に話すとなると内容も切り口も変わってくるので講義の予習が大変。テレビ業界でしゃべるのは初めてだったが、新聞大会や雑誌国際会議の時と同じく、いちからそのメディアについて思考を始める作業なのでなかなかにストレスだった。門外漢がメディアのプロに対して1時間みっちり講義するって意外と重たい。
でも、おかげで「テレビについて強制的に深く考える」時間がたくさん持て、今後の思考の端緒となった。執筆もそうだが、切羽詰まって必死に考えざるを得ない状況に置かれることでようやく見えてくることって多い。書いたりヒトにしゃべったりしてみると、ぼんやり頭でわかったつもりになっていたことが実はスカスカの理論だったとわかったりする。新聞や雑誌に続いてテレビについての思考が一歩進んだ。まぁまだ入り口だけど。
ということで、今日の土曜日はカラダがこのまま溶け出すんじゃないかと思うくらい寝ています。
朝ご飯に起き、またすぐ寝て、昼ご飯に起き、またすぐ寝て、いま夕ご飯のために起きたところ。ご飯食べたらまたすぐ寝ます。どんだけ寝ても寝足りない感じ。本当に疲れていたんだなぁと我が身を思いやる。
四十肩
2009年02月04日(水) 6:56:03
いやスイマセン見栄張りました「五十肩」ですゴメンナサイ。ってまぁ症状は一緒なんだけど。
2週間前くらいから右肩が痛く、自分的には「ストレスによるひどい肩こり」だと思っていたのである。あぁ肩が回らないくらいの肩こりは初めてだぁ、とかね。でもどうも様子がおかしい。普通に手を伸ばしたりするだけで痛みが走る。ビビビ。手は上に上がる。でも後ろにはほとんど行かない。どんだけ筋肉をほぐしても痛みが軽減しない。んーこれって…。というか、だんだん関節そのものが痛くなってきた!
ということで、頭の隅っこではなんとなく「そうかなー」と思っていたことを認めざるを得なくなったわけです。
五十肩。ネットで調べたらまさにそういう症状だ。そっかー、来るんだなー自分にもそういう時代が…。自分だけはそういうことから逃れられると人間思いたがるわけだけど、逃れられないのだなぁ…。老眼が来たときもそれなりにショックだったけど、五十肩もショックである。
最近カラダがいろんな方法で「無理するなよ」と伝えてきているのを感じる。ただ、ここでそのささやきに屈服すると際限なく老化しそうなので少々無理目の生活を送っている。昔ムツさんが言っていた。「カラダはいじめた方がいいんです。使い倒さないと弱ります」 ボクもどっちかというとその考えに近いんだけど、でも多少は速度を緩めろということか。
老眼もさ、なっただけならいいんだけど、進行しやがるんだよな。どんどんどんどんいろんなものが見えにくくなる。そうなると見えないことに馴れ、少しずつ見ることを諦めるようになる。この「諦め」の長い過程が「老い」だ。目や肩だけでなく、耳や口、気持ちなどもそうやって老いていく。まぁヒトに対する思いやりが増える過程でもあるし、「老人力」的ポジティブ・エイジングな考え方も好きなのだが、この「諦め」とはもう少し闘っていきたい。なにより諦めたらつまらないからね。まだまだ見たいものも聞きたいものも味わいたいものも多い。いましばらく、欲深な人生にて。
イマドキの若者
2009年02月03日(火) 8:38:53
ネズミーから帰ってきた途端に頭痛もとれた。どんな魔法?
昨晩は講義。学生さんたち中心に社会人含めて100人弱。
始まりからとにかく空気が固く、ちょっと笑い方面に話題を振っても反応なかったので、もう中途半端にジョーク言うのも諦め、途中からひたすら真面目に「今伝えたいこと」を必死にしゃべった。2時間みっちり。なんとかしゃべりきって「あぁ今日は反応があまりなかったなぁ」と内心反省していたら、終わった途端に聴講生がズラリと質問に並ぶ。うわっ。なんやちゃんと聞いてくれてたんやないか。全部答えきるのに40分くらいかかったよ。
実は先週同じ講義を違うクラスにやり、個人的にはそちらの方がうまくしゃべれたのだが、そちらでは終わってからひとりも質問に来なかった。昨日はどちらかというと固いしゃべりで少し残念な感じだったのにな。わからないものだ。
ボクは「イマドキの若者」がわりと好き。
真面目で真摯で「希望を見いだそう」とポジティブだ。先が見えないこの時代をなんとか楽しく生き抜こうと苦心している。質問に来た若者たちもそれぞれとても可愛い(男が多かったけど)。最終的には「がんばって!」という無責任な励まししかできないんだけど、心底そう思う。ほんと、この時代に「若者」でいるのも大変だ。少しでも状況をよくして引き継ぎしたいが、どうなるかなぁ…。ま、オレもがんばれ(無責任風に)。
ミラコスタ & ネズミー・シー
2009年02月02日(月) 9:01:10
娘のたっての願いにより、家族でホテル・ミラコスタに一泊しに来た。
このサイトを長く見てくださっている方はご存知の通り、ボクにとってディズニーは天敵だ(こんな不定期日記も書いていた。文章が若くて恥ずかしいけど)。ディズニーとすら呼ばない。ネズミーで充分。
とはいえ娘は娘。ボクの趣味を押しつけるわけにも行かず、ご多分に漏れずネズミーファンである。まぁグッズが家に溢れることはないにしても、ネズミー・リゾートに行くのは彼女の最大の楽しみのひとつである。でも彼女はボクが嫌いであることを知っていて極力ボクを誘わない。今回も超おずおずお願いしてきた。なんだか自分のカタクナサが申し訳なくなり、おつきあいすることにした。
しかしオレ、どんだけネズミー嫌いなのか!
カラダが拒否するのだ。昨日は朝から(普段健康そのものの)胃腸がムカムカし、ネズミー・シーに着いてからも頭痛が鳴り響く。この症状は「くも膜下」の前兆では? というくらい調子が悪化。頭の左側がぐわんぐわんしやがる。うー、ネズミー・シーでおっ死ぬ人生だけはイヤだ。
まぁそんなわけで、アトラクションに少しだけ乗って、すぐミラコスタに帰って寝ていたワタシ。みんなが褒めるだけあって気持ちのいいホテルではあるが、壁紙からベッドカバーまでピノキオだよ(泣)。
ただ、ネズミー嫌いのボクでも、このリゾート全体のホスピタリティだけはさすがに認めざるを得ない。末端まで教育が完璧に行き届いているし従業員のモチベーションもすごく高い。部屋の窓から広場が眺められるのだが、今朝も早朝から掃除のヒトがわらわら出ている。街灯一本一本磨いて歩いているお兄さんもいる。あれだけ大勢のヒトが夜22時まで遊んでいたのにゴミひとつ落ちてないよ。すごいなぁ。これでレストランがもう少し美味しければなぁ。
というか、さすがデゼニー(出銭ー)リゾート。家族で来るとチャリンチャリンお金が落ちる。
娘は月曜が休校日で休みなので一泊二日でネズミー・シー三昧(娘はランドよりシーが好き)。ボクはこれから出社。退散退散。
戦友と
2009年01月29日(木) 8:56:42
昨晩は2歳下の同僚と広告の未来のカタチについて深く語った。カタチというか、新しいビジネスモデルとそれを実現するための体制みたいなこと。お互いに考えが近く、ほぼ同じ地点に着地。そう、やっぱりソコだよな。でもソコに着地する人って実は少数派なんだよな。
彼とはチェコ、ニューヨークと修羅場行脚をした。もう5年前になる。
ある企業のショートフィルムを撮るロケをチェコでし、ニューヨークで編集した。ニューヨークには3ヶ月近く滞在した。監督はハリウッドの若手で、主演は小雪さん。シノプシスはボクが書いた。
もう本当に修羅場な毎日で、数え切れないトラブルが次々起こった。でも、ハリウッドの映画監督と丁々発止やりあったのはその後の大きな自信になっている。日本と世界にレベルの差はない。それがわかっただけでも収穫だった。
その「地獄」のような仕事をしたときの戦友なので気が合うのはもちろんだが、お互いの才能的に補完しあえるのが彼とのコンビの魅力。ボクにないものを彼が持ち、彼にないものをボクが持つ。そして広告の未来にも同じようなビジョンを持つ。
しばらく一緒に仕事していないけど、そろそろまた組んで、今度は「新しい体制」を作ることを目指そうか。
お互いに「これこれこういう改革をして、次世代に渡す」みたいな発言が出る。
そう、もう「渡す」時期なのだ。変化に対応し、改善し、貢献し、ちゃんとした体制に昇華して、後輩達に「渡す」。変化のただ中にいるボクたち世代の役割だ。それをお互いに再認識してお開き。ちょっと飲み過ぎたかも。神保町「嘉門」にて。
冬は比較的大丈夫
2009年01月28日(水) 6:52:14
相変わらず満員電車では両手で吊革上のバーを握り「私は痴漢ではありません」と痴漢えん罪から身を守っているボクであるが、バーに手が届かない場所に立っているときはそれも叶わず、手のやり場所に困っている。困っていると手の動きが不自然になり、疑われないとも限らないのでそれまた困る。ずっと万歳しているのも変だが、かといって手を下にはおろすのは危険だ。そうするとなんとなく胸の前で手をお祈り状に組んだりするしかない。胸の前でグッと手を握る。満員電車で懺悔しているように見えるオッサンってどうよ。
でも最近は楽になった。手袋である。分厚いフリースの手袋。これをしたまま痴漢するヤツはいない。と思う。フリース越しの感触がまたたまらないの、というヘンタイが広い世界のどこかにいるかもしれないが(この世界、奥が深いらしいし)、まぁたぶんいない。だから手をおろしていても大丈夫。なはず。あれ? 大丈夫かな。ちょっと不安になってきたな。
でもまぁ冬はみんな着ぶくれてるからね。比較的大丈夫。油断してても大丈夫。問題は気が緩む春。冬の油断を引きずったまま薄着の世界に突入する。くわばらくわばら。ってまだ気が早いけど。
あとひと回り
2009年01月27日(火) 8:16:06
数日前に60歳の話を書いたが、実は「60歳」が妙に気になっている。
正月に「今年はウシ年、年男。…ということは、次のウシ年で60歳か!」と、急に認識してしまって以来、なんとなく頭から離れないのである。自分でも意外なほど「あとひと回りで60歳」という思考がしょっちゅう出てくる。つまりは人生の短さに対する慨嘆であり、つまりは残り時間が意外と少ないことに対する焦燥である。
もちろん60歳以降にも(健康であるならば)長い長い人生は存在する。そんなことはわかっている。でも、サラリーマンにとって60歳というのは特別な年齢だ。定年。もうアナタはいりませんよと言われる年。そこまでサラリーマンでいるかどうかは別として、60歳がある種の社会的区切りであることは間違いない。
60歳まで会社人間でいてしまうと、会社引退と同時に仕事人生も終わりになる。仕事内容も人脈もそこでスパンと途切れ、あとは文字通り余生となるか、まったく新しい仕事をいちから始めるハメになる。
逆に60歳でも終わらない仕事を先に探し当てていれば、そういう区切りはなく、60歳以前から一生それに取り組める。そういう仕事を早く見つけて確定し、そこに突き進む方がシアワセな老年だ。いわゆるライフワークである。ライフワークという言葉にちょっと違和感はあるのだが、まぁこの言葉が一番近い。
そういうことを頭では十数年前から理解しているものの、なんとなく「まだまだ先のこと」と思ってきた。それが急に「あぁ意外と時間がない!」という焦りに変わった感じ。だって60歳で急にライフワークを始めるわけにはいかない。もうそろそろ準備に入らないと間に合わない。あと4〜5年がリミットだ。
本業以外にいろんなことをやってきた。意外なものがメイン・ライフワークになるかもしれないと思って見境なくやってきた。でもまだ「これ!」と思えるものがない。いや、もう実は身近にあるのかもしれないが、それをライフワークとはまだ認識できていない。そろそろ大きな方向性は出さないとなぁ。なるようになるさ、という思いもあるが、今度ばっかりはいい加減に済ませたくない。どうやって死んでいくかという問題とほぼイコールだからである。一回しかない自分の死についていい加減なのはちょっとイヤ。いや、かなりイヤ。
デジタルとアナログのタイムラグ
2009年01月25日(日) 11:41:58
地デジ対応のデジタルテレビ(20インチ)を買ったのは去年だったかな。
それまで使っていた古いアナログテレビ(15インチ液晶)はキッチンに行き、料理中に妻がアナログ放送を見ている。
で、キッチンでご飯を作りながら妻がアナログ放送を見、ボクや娘がそこから数メートル離れたリビングのメインテーブルでデジタル放送を見る、ということが朝ご飯前とかにたまに起こるのだが、そこで初めて気がついた。音声がズレるのだ。タイムラグが発生する。
知ってました?
というか、アナログ放送とデジタル放送で同時に同じ番組を見ないと気がつきにくいことなのだけど。
朝、ニュースとか見ていると、デジタル放送の方が数秒遅れて放送している。
ニュースが「森のクマさん」状態。輪唱になるのだ。ちょっと酔う。
調べたら、デジタル放送は放送局側でデータを圧縮して送信するため、受信した後にそれを解凍する作業が発生するらしい。その解凍する時間の分(数秒)だけアナログ放送より遅れる、と。ふーん。このデジタルテレビの中で際限なく解凍作業が行われているわけね。
だから新年のカウントダウンとかはアナログ放送の方が正確なんだとか。なるほど。つまりテレビを見ながらの「たった今、全国的にこの瞬間から新年!」という同時間感は地デジではもう味わえないということか。
そういえば最近の放送は「時報」がなくなった。ピ、ピ、ピ、ポーンってヤツ。
地デジになると正確な時間が表示できないからなのね。なんだかなー。新年の時報にしても、サッカーなどのライブ中継にしても、いろんな生放送にしても、「完全同時感」って興奮の一番のスパイスなのになぁ。数秒とはいえ遅れて入ってくるって、少し興が削がれるな。
広告系総会と広告系講義と
2009年01月24日(土) 22:02:38
昨晩は「第3回広告系総会」に出席。総会っていっても宴会だけど。
もともと広告系のブロガーの集まりから、だんだん広告業界全体の集まりになり、昨晩は180人もの広告系仕事人が集まった。広告業協会などによるオフィシャルなものではないが、ココロザシある若手たちが中心になって盛り上げている会である。ボクは年齢的には上から数%かな。年寄りの部類。
過去2回は所用で行けなかったが、同じ広告の道を歩んでいる(もしくは目指している)若者たちといろいろ話をしてみたかったので、今回は最優先で参加してみた。あまり広くもない居酒屋を貸し切って180人。なんというか情熱風呂にでも入っているような熱さである(物理的にも精神的にも)。一度も座らず立ちっぱなしでいろんな人とお話しをした。よく読んでいるブログの主にも何人かご挨拶。名刺交換も100名弱と。
なんだかうまく言えないけど、会社のため、ではなく、業界全体のためにできる努力をしつづけよう、みたいな殊勝なことを再確認した。「明日の広告」はかなり業界全体を意識して書いたんだけど、ここで立ち止まってはいけない、とか、そんなこと。いろんな若手に会って話せたおかげ。タカヒロくん他、幹事の方々、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
そのまま二次会に流れた人もいたようだが、ボクは翌日(つまり今日)の講義のための採点が100枚あったので一次会で失礼した。
広告系の学校の講義だったのだが、事前に出しておいた課題に対する提出シートが100名強の受講生から届いており、それに赤を入れて採点をして、今日、返却&講評しなければいけなかったのである。で、昨晩は帰ってから一枚一枚読んでいく作業。コミュニケーション・デザインの講義なのでそれぞれの回答が長い。丁寧に読んでいったらあっという間に午前2時。
とりあえず寝て、今朝は早起きしてパワポで講義文書を作った。
回答を見て「みんなが理解していないポイント」がよくわかったので、そこを中心に講義内容を書き直す。ギリギリまでかかって作り、13時から青山にて2時間の講義。わりと機関銃のようにたくさんしゃべってきた。ちゃんと理解してくれたかな…。
昨晩も今日も広告の明日に燃える若者たちに接し、いろんな想いを受け止めさせていただいた。ボクも、つらいつらいと嘆いてばかりいないで、あと一歩だけ前に進もう。
感動はなくならないが、興奮はなくなる
2009年01月23日(金) 7:36:06
昨晩はある方の還暦のお祝い会をした。
還暦と言っても今の60歳は若い。特にお祝いした相手は若い。ヘタするとボクよりずっと元気。現役バリバリで業界を引っ張っている。だからだろう、自分でも還暦というのが実感できないようだ。まだまだ衰えを感じないのになぜ還暦なのか。その現実を受け入れられない感じ。
でも、そんな彼も納得の出来事があったらしい。
年上の有名なリンパマッサージの先生に定期的に施術を受けてるんだけどさぁ、その先生に「60歳になった実感がないんですよねー。何か変わりますかねぇ」と聞いたらさぁ、「感動はなくならないが、興奮はなくなる」って言われてさぁ、なんかすごい納得しちゃったよ。「興奮がなくなりますか!」
「なくなるんだよー。気がつかなかったけど、言われてみたらその通りだなって」
なるほどそうなのか。60歳ってそういう年齢なのか。
「感動はなくならないが、興奮はなくなる」
なんか急に「おもいでの夏」や「冒険者たち」を観たくなった。
ジェニファー・オニールやジョアンナ・シムカスにまだ興奮できる自分がいるかどうか確かめたい(笑)
年とったらゆっくり観よう、って、いろんな甘酸っぱい映画のことを思い描いているんだけど、60歳までに観ないといけないことが判明したなぁ。そのうちあんなことにもこんなことにも興奮しなくなるのかなぁ。興奮というスパイスがなくなったら、映画とか小説とか、どんな風になるんだろう。寂しいような、それはそれで楽しみなような…。
あの日から14年
2009年01月17日(土) 7:57:00
もう毎年恒例すぎて「しつこい!」という向きもあろうかとは思いますが、阪神大震災の日はこのコラムへのリンクを。
地震が起こったら、まずこれをしろ!
地震が起こる前に、これだけはしておけ!
ボクの阪神大震災体験談が書いてあります。
死者6434人。行方不明3人。負傷者43792人。住宅全壊10万4906戸。住宅半壊14万4274戸。都市型大地震だったので被害が莫大にでかいですね(同規模の震度である新潟中越地震は死者67人)。
上のコラムは神戸でのことを書いてますが、これにお住まいの街の地域性を足して、リアルに対策を練られるといいかと思います。都市型、郊外型、過疎型、沿岸型、山地型など、それぞれに準備の仕方、避難の方法、備蓄の必要性などに違いが出てくると思います。
パンデミックへの備えも含めて、サバイバルへの対策を個人個人が練っておく必要がありますね。いざとなると国は何もしてくれません。してくれても後手後手です。とりあえずサバイバルは個人責任。最低一年に一回は対策を練り直しましょう。
しかし100年に一度という経済危機に大地震が重なったら、いったいどうなるんでしょう。東京で起こった場合、数年経っても避難生活を余儀なくされてる人が100万人単位で生まれるかもしれません。「疎開」が流行語になったりもするかもですね。疎開先の確保、そこまでの移動手段なども念頭に置かなければ…。
神楽坂にて恒例のお祝い
2009年01月15日(木) 8:10:09
昨晩は毎年恒例の新年のお祝い。神楽坂のお茶屋さんにて。
今年で4年目かな。メンバーは、所用でどうしても来られなかったひとりを除いていつもの4人。金粉の入ったお酒を飲み、伝統的な正月正装をした芸者さんの踊りを見て、最後は全員で三三七拍子(三味線入り)。1時間だけの恒例のお祝いである。今年も無事に始まれり。最後まで行き着けるかな。
4人で2軒目。タクシーでワンメーターの「カルネヤ」へ。
正式店名は「ANTICA OSTERIA CARNEYA」。カルネとはイタリア語やスペイン語で「肉」の意。要するにイタリアン焼肉店である。なんだか最近「カルネ」という言葉を店名に使う店が増えたよなぁ。思ったよりずっとカジュアルな店内でいろんな料理をとってわいわい楽しんだ。安くて美味しいいい店だ。焼肉のイイトコドリである「カルネヤ・オールスターズ」や「カルネヤサラダ」なんか印象に残っている。あ、「パイナップルとバジリコのソルベ」も。なんだよそれ、と思ったけど、ちゃんと味がまとまっていた(バジリコ風味が勝っていたけど)。おもしろし。
そーとー発散できたけど、発散が長続きしないのがここ最近の傾向。重いストレスがすぐ戻ってくる。気がつくと溜息をついている自分。あーあ。
仕事な祝日
2009年01月13日(火) 6:26:07
あぁ昨日はよく仕事した。祝日だというのに。
朝起きてから、朝ご飯と昼ご飯と夜ご飯の時間を除いて、寝るまでずっとマックと本に向かっていた。なんだ、もうなくなっちゃったかと思ってた集中力、少しは残ってるじゃん。もしかしたらイノシシのおかげかもしれないけど。
一番はかどったのは企画書。約150ページある企画書をいちから書いていってとりあえず必要な要素を埋めることができた。あとは〆のアイデアを足して、わかりやすく整理してレイアウトし直したら出来上がり。えらく気が楽になった(この企画書作成がわりと苦痛だった)。とはいえあと2日はかかるけど。
残りの時間は「パブリック・リレーションズ」とか「PR」とかの専門書を赤ペン片手に精読。
これからの新しいコミュニケーションに絶対必要な要素群。あと、調査の本ももっと読みたいし、IRの本も読みたい。アメリカのロビイストがどうやって動いているかも知りたいな。クリエーティブ&インターネットという自分の土俵をそっち方面に大きく広げるのがこの春の目標。まだまだ道は遠いけど、全体像は掴めてきた。
BGMはドゥダメルの「フィエスタ」。
ライブでの高揚感が蘇る。これ、燃えるし、適度に散らかってるのも脳を刺激してくれて良い(まとまりすぎたクラシックは逆に捗らない)。しばらくはこれをBGMに仕事&勉強をしよう。
「大衆」から「個衆」「鏡衆」、そして「結衆」
2009年01月09日(金) 6:52:48
昨晩は今年の講演初め。講演というかレクチャーかな。小規模でアットホームな会だった。
広告関係の方はおらず、流通やメーカーや商社の方が集まったビジネススクール。なので、広告の話を基点に、なるべく店頭や商品開発に応用できそうな話をしてみた。ここ10年くらいの生活者の変化とそれにどうやって対応するかをかいつまんで1時間15分で話し、あと45分は質疑応答。それぞれの現場でのお悩みやボク個人に対する質問。一番多かったのはやはり生活者へのアプローチというか調査の仕方みたいなこと。どうやってターゲットもしくは「欲しがっている人」に出会えばいいか、に皆さん悩んでらっしゃる。それがわかったらとっくに起業独立しているわけで、ボクももちろんわからないのだけど、ボクなりの答えを提示させていただいた。
未だ「大衆」という言葉が存在した時代のマーケティング方法から抜け出せないことが今の現場の一番の問題点なのだろうなとつくづく思う。「大衆」という大きな塊がどう動くか、を、マーケッターが脊髄反射的に追ってしまう。頭ではもう「大衆」の時代ではないとわかっていても、そういうやり方がカラダに染みついていて自然とそう動いてしまう感じ。
もちろんとっくに「大衆」の時代ではなく、「分衆」を経て「小衆」「個衆」を経て、いまではそーとーバラバラだ。
そして今の特徴は、バラバラだからこそ「結びつきたがる」「共有したがる」ということ(それを表した「鏡衆」という言葉もある)。
「大衆」の時代は「個」が重視され、個性あることを個人個人がしたがった。共有より個性。カタマリから抜け出したい欲望が強かった。でも今は逆。バラバラだからこそどっかでつながっていたい。わかりあいたい。この広いバラバラな砂漠の中で仲間を探し出したい。それがYouTubeでの発信やブログでの結びつき、ミクシィなどのコミュニティの発展やクチコミの強さにもつながっていると思う。
バラバラだけど結びつきたい。そんな時代に「大衆」が存在した時代のやり方は全く通用しない。
いままで通りの調査方法では「買ってくれる相手」を見つけられない。たとえ見つかってもいままで通りの一律表現ではなかなか伝わらない。老若男女に同時に伝えられたお茶の間も崩壊し、伝え方も細分化した。共有したがる個々の人々にアプローチするのは、大衆に向かって絨毯爆撃することに馴れた身には非効率的に見えるし、影響力も小さく見える。流行も小さくしか作れない。でもそれをしていかないと売れにくい時代なのである。
一方で、ここ数ヶ月、また状況が変化してきているのも感じる。
急激に加速する不況感と、それに起因する強い不安感によって、いままでバラバラだった人々がカタマリになりだしている匂いがする。言うなれば「結衆」に近い感じ(結びつきたがる感じと不安からの結集感と)。折しも不況でみんな外に出なくなり、大画面液晶テレビの普及もあって(個々の部屋で小さい画面を見るよりはリビングの大画面を見たいとなり)、お茶の間の復活も感じられる。たった数ヶ月で状況が大きく変化しつつある。そしたらまたやり方を変えないといけない。めまぐるしいな(笑)。でもボクなんか飽きっぽい方なので、こういう変化の時代はちょっと楽しい。
講演の後、懇親会。
お酒が入って和んだけど、どうしても席の周りの人としかお話できないのが申し訳なかった。
香川からこの懇親会だけのために上京した方がいらっしゃったんだけど、いきなりだったので話の接点が見えず、あまりお話し出来なかったのが特に申し訳なかった。ここ読んでらっしゃるかな。すいませんでした。
1mmと3mm
2009年01月06日(火) 7:42:26
1mm程度に短くした髪の毛だが、頭にシャドウな部分がなくなった分(髪の黒っぽい部分がなくなった分)、かなり丸顔に見えるようだ。
初出社で「太った?」とか、まず聞かれた。まぁ確かに1キロくらい体重増えたが、本人としては筋肉増加分だと思っているのでちょと不満。「いや、髪を極限まで短くしたからじゃないかなぁ」と返すと、あぁ…とか頭を見て、「そういえば、そうかもね」と言って、そこからがふたつに分かれた。「でも、怖くなったね」という意見と「でも、優しく見えるようになったよ」という意見のふたつ。
「それって坊主というかほとんどスキンヘッドですよね。ちょっと怖いかも」「んー、サングラスとかしたら完全にヤ○ザですね」という人が半分。
一方「なんか丸くなって優しい顔になったんじゃない?」「可愛くなった」という人が半分。両極端だ。どっちやねん。
んー、どうしようかなー…。1mmと3mm。どっちにすっかなー…。
たった数ミリの違いなんてたいしたことないと思ってたけど、意外と大きな違いのようだ。1mmだとファッションも変わってくるのかもしれない。頭にシャドウがない上に色白なので、黒とかが似合わなくなるかも。というか黒だとより「怖い」方向に印象が流れるだろう。ただでさえ第一印象が悪いボクである。「怖い」方向に印象が流れるのはあまり宜しくない。でも「優しくなった」と言ってくれる人も半分いるし…。
まぁしばらくは1mmに切って様子を見、それを3mmまで伸ばしてまた様子を見、という繰り返しになりそうである。今後お会いする方々、いちいちボクに「どう思う?」と聞かれると思いますが、生ぬるく見守ってやってください。
ゆるやかに発進
2009年01月05日(月) 4:51:16
この休みの目標のひとつに「カラダを締める」というのがあった。
ヨガと基本エクササイズ。特に腹筋。これらは一週間まめにやったと思う。ただ体重は増えた。まぁ筋肉は重いので筋肉がついてきたとも言えるが、少しお雑煮食べ過ぎたかな(←お雑煮好き)。まぁ基礎代謝(BM)が増えたのでそのうち自然と痩せるだろう。
年末、バリカンの目盛りを下げ、1〜2mm程度にした。
超短髪というかほとんどマルコメに近くなった。が、家族も両親も気づいてくれない。まぁ見た目変わらない、ということだろう。こっちの方が気持ちいいのでしばらくこれでやってみる。刈りたてをジョリジョリ触っているのが気持ちええ。
今日から出社となったらいきなり早朝覚醒。
どんだけイヤなのか(笑)。朝4時前に目が覚めて、その後寝られず、仕方がないからさなメモ書いている。まぁ昨日が惰眠の一日だったので寝が足りているせいもあるかもしれない。ただ、1月の早朝って好きではある。空気の密度が違う感じ。
ちゅうことで、激動の2009年の仕事始め。
年頭の初心を忘れず、マイペースでゆるやかに発進しようと思う。まずは早朝ヨガ(超簡単版)から。ヨガをすると「体が資本」って言葉を思い出すね。からだがスッキリすると頭が働く。頭が働くといろんな心配事が解決し出す。いい循環だ。
自己肯定の弱まり
2009年01月04日(日) 16:08:46
お正月休み最後の日。
心安らかに連続して休めるのは今年はもうないかも、と、サイトをいじったりするのもやめてベッドで物思いにふける日にした。別名、ほとんど惰眠。
惰眠中、ふと気づいた。
このところの精神的迷走は「自己肯定の弱まり」が原因だったんだな。自己否定が強まりすぎた。本業もプライベートも領域を広げすぎたせいで全体の密度が薄まり、部分部分の完成度が低くなり、それを悔いて内省的になってしまった。それが強い自己否定につながった。そんなことよりも領域をここまで広げられた自分をもっと肯定するべきであった。もっと誇りに思うべきであった。
また寝て、ふと目が覚める。
そういえば、この休み中、娘のこともよーく見ていたが、彼女もこのところ自己肯定が弱い。自己否定的な発想をする。謙虚というには否定的すぎる。これはボクのが移っているのではないか。いかんいかん。ボクも直すけど、もっと彼女自身のイイトコロに気づかせてあげて、自分を好きになるようにしてあげないと。
以前オサニチに「不得意なものを克服するには、人生はあまりに短い。自分のいいところだけを伸ばして生きていきなさい。」というのを書いた。そういうことだよな。こういう言葉は自己否定的な時に限って思い出さないもの。休み最後の日にふと思い出せて良かった。
安心してまた眠りに落ちる。そんな一日。平和である。
箱根駅伝応援 & 撮影行
2009年01月03日(土) 16:07:50
箱根駅伝を応援に行ってきた。
復路第10区。田町駅で降りてNEC本社ビル前あたり。
箱根駅伝って「そういえば母方の祖父が大好きでいつも正月はテレビで見ていたなぁ」程度の記憶しかなく、ボクはあまりちゃんと見たことがない。今年は何も予定がない正月ということもあって、昨日ほぼ初めてスタートからゴールまでゆっくり見てみたが、いや〜おもしろいね、これ!(何をいまさら)
で、娘が今年も「港区観光フォトコンテスト」に応募するというので(去年はニューエイジ賞に入賞)、「じゃあ箱根駅伝を沿道で応援する人の表情とか撮ったらどうだ?」という話になり、「えーと港区のコンテストだから港区で撮らないとな。そうすると田町駅あたりかな」ということで、沿道応援&写真撮影に出かけたのである。まぁ観光フォトコンテストにふさわしい題材かどうかは迷うところだが、風物詩ではあることだし、応募できなくても練習としては最適。
狙いは旗振りながら応援する子供とか老人とかの表情。
沿道向かいから300mmの望遠レンズでアップを狙ってみるという、娘としては初めてのトライをしたが、ちゃんとブレずに撮れてるかな(デジカメじゃなくてフィルムなのですぐに結果がわからない)。まぁ望遠レンズで、しかも銀塩フィルムでバシャバシャ撮るのはいい経験だ。一枚一枚の緊張感が違う。
ランナーたちはまさに一瞬で目の前を駆け抜ける。
あらかじめ狙ってた被写体の表情のアップと、駆け抜けるランナーたちの動きがちゃんとフィルムに定着しているかどうか。いくらでも失敗が出来る、かつ、結果がすぐわかるデジカメでは味わえないドキドキ感である。
撮影の帰りにボクはひとりプールへ。
あぁやっぱり気持ちよい。でも久しぶりのせいかかなり疲れた。200m泳いではゼイゼイ。結局1000mくらいでダウン。少しずつ体力戻さないとなぁ。今晩はNHK BS2で「ロックの学園」の再放送があって、斉藤和義のライブが見たいと思っているんだけど、この疲れ具合だと寝ちゃうかもなぁ。深夜2時半くらいからっぽいので(←うちのレコーダーはBS2が録画できない)。
2009年あけましておめでとう
2009年01月01日(木) 8:02:48
東京は雲ひとつない穏やかな元日です。
初日の出は6時50分だったので、ベランダに出てビルの合間から昇ってくる太陽を拝みました。
今年はどんな年にしようかな。すべては自分次第。すべては自分次第。すべては自分次第。
テーマはいい意味での「ダウンサイジング」。
不景気な意味の「規模縮小」というニュアンスではなく、「規模最適化」に近い感じ。生活をシンプルに整理して「自分にできること」を粛々とやっていこうと思います。一方で「自分にできること」をひとつひとつ増やしていく勉強の年にもしたいですね。そう書くとえらく地味な感じだけど、イメージとしては「ホップ・ステップの年」。ジャンプまでの助走の年。
あ、写真は娘が撮ったウシの置物。うちは優子がウシ好きなので(たぶんチーズ好きから派生してます)、ウシの置物が多いんです。ボクがウシ年生まれということもあるけれど。
今年のトピックスはやっぱり「明日の広告」
2008年12月31日(水) 15:04:10
個人的に2008年の最大のトピックスは、本「明日の広告」を出したことだと思います。
いままで単に「食のヒト」的に思われてきたのだけど、これでようやく「広告メインのヒトだったんだ」と世間に認識された感じ。ええ、実はそうだったんですよ(笑)。本業は広告を中心としたコミュニケーション(今は広告の枠組みを出ようと思っています)。食は趣味のひとつです。
おかげさまで「明日の広告」は広告の本としては異例に売れて、いままでで累計8万部(5刷)。ボクが出した本の中で一番売れた本になりました。
最高でアマゾンの総合10位。レビューも29件書き込まれ、平均で星5つです。発売後1年近く経つのに昨日見たらまだ500位以内(まぁこれは乱高下するんですが)。本当にありがとうございます。ついでに言うと、青山ブックセンターでは上半期ベスト1だったそうです。
年末になって「2008年ベスト10」みたいな特集が組まれ、いくつかの雑誌やブログでありがたいことに上位に選ばれました。
光文社の「本が好き!」という書評誌では「今年読んだ『最高の一冊』」に選んでくださった評者もいました。リクルート「R25」の「2008年R25特選」にも大きく取り上げてもらい、「この本を広告関係者だけに読ませておくのはもったいない」と書いてもらいました。ありがとうございます。
本が話題になった副産物として、講演依頼が増えました。
今年は結局80本くらい講演・講義・セミナーをこなしたのではないかな。週2本弱。夏から秋にかけては週3本とかこなしてました。しゃべりがうまくなったわけでは決してないけれど、かなり経験値が上がりましたね。場数をこなすことの大切さを改めて認識した感じ。特に札幌での新聞大会のパネラー体験。あれは本当に緊張したけど、舞台度胸がつくと同時にとても勉強になりました。あ、あと天野祐吉さんの本の対談相手も勉強になった。ああいう大きな経験って自分が活性化されるんですね。
そういう活性化も今年の収穫のひとつです。
いろんな人と話して、いろんな経験を積んで、どんどん自分の中が活性化され、考え方が進化していく感じ。
サイトで情報をずっと出してきたので「情報は出せば入ってくる。いっぱい出せばいっぱい入ってくる」とは知っていたけど、今回の本はその予想を上回って莫大な量のインプットがありました。やっぱりアウトプットは大切。これからもずっとアウトプットし続けます。
今年はホント、いろんないい出会い、大切な出会いがありました。
反省点もたくさんあったけど、広くフレキシブルに動けた1年でもありました。今後の仕事人生の方向性に大きな変化をもたらす1年だったかも。つらかったけど、きっと後々思い出す大切な学びの年だったのでしょう。
さて、明日から2009年。
四柱推命によると、ボクは2010年から20年間「天井知らずの運気が来る」らしいので(笑)、もっと学んで、いい助走をして、来るべき大ジャンプに備える年にしたいと思います。大ジャンプ前のホップ・ステップという感じ。ええ、そうですね。静かに燃えてます。
……ただ、問題は、まだどこに向かってジャンプするのか決まっていないこと。
ダメじゃん!
ゆっくり、じっくり
2008年12月30日(火) 22:05:14
年末にかけてご心配をいただきましたが、ここ数日わりと眠れています。
相変わらず早朝覚醒ではありますが、これは昼寝で寝が足りているからでしょう。過緊張で目が覚めるというよりは、自然に目が覚める感じ。年末年始はほとんど予定を入れてないので、じっくりと心とカラダの不調を直していこうと思います。
クナイプ入れたいい匂いのするお風呂にゆっくり浸かり(いつもは烏の行水)、メールで教えていただいたヨガ体操を念入りにやり(超初心者向けのから始めてます)、ぼんやりクラシックやジャズを聴き(ドゥダメル!)、1週間かけて心とカラダを正常に戻していく作業。
これでまだ戻らなければ東洋医学とか心療内科とかホメオパシーとかにヘルプを頼む感じです。みなさん、本当にご親切にいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
そして広告の勉強もじっくり。
本を書いたり講演をしたりすると「情報が向こうからどしどしやってくるようになる」という流れが起こるのだけど、そうすると自分の勉強不足を痛感するような事態も頻繁に起こります。コレを新たに語るためにはアレを知らなければいけない、アレを知るためにはコノコトを掘り下げて研究しなければならない、みたいに領域や考えが否応なく広がっていく。だから加速度的に前に進みます。その一環。
いま勉強し直しているのは「定性調査と定量調査」。赤ペン持ってじっくりと。こんな本読んでるクリエィティブ・ディレクターって変態だよなぁとか内心笑いつつ。でもね、今後のクリエィティブの必須学習事項だと思う。戦略PRを含めて。あとはメディアの収益構造についてもう少し学べたらこの年末年始の目標は達成、かな。
そうそう。ここで宣言したサイト更新作業も毎日しこしこやってます。
でもまぁハッキリ言って間に合わないかも(笑)。すごい量なので。まぁ冬休み中に100店くらいは増やせると思うけど。でもこれは来年の早いうちに必ず追いつきます。ちょっと思うところもあるので。
明日はもう大晦日。いろいろあった2008年もオシマイです。来年デフォルトなんかがもしあったら、「のんびりしていた最後の年末」とか、後々思い出すのかな。そんなことを思いつつ。
2008年を振り返っていろいろ反省しています
2008年12月29日(月) 16:48:40
来年飛び上がるためにも、一度ググッと深くしゃがまないと。
ということで、自分を振り返って厳しめにいろいろ反省しています。
2008年は仕事面で反省点が多かったですね。原因を二日かけて探ったのですが、「自分ができること」と「自分ができないこと」をきちんと把握せずに事に及んだことが大きいかな。「明日の広告」なんて本を出したこともあって周囲の期待が大きくなり、それに応えようとしすぎた感じ。スーパーマンじゃないんだから一人でできる質も量も限られます。その点を甘く認識して仕事を受け、オーバーフローし、それぞれが中途半端になっていってしまった。これは来年からかなり厳しく改めたいと思っています。
あと、視点の変化にうまく対応できなかった。
「明日の広告」はわりと広めの視野で書いた本です。それでもまだ「広告」という分野に限っている。でも、実は出版から約1年経って、その「広告」をほんの一部とする「パブリック・リレーションズ」(この言葉も古いけど、いまはこの言葉しか当てはまる言葉がない)に興味も関心も向かっています。プッシュ型広告、プル型広告、広報、戦略PR、コンテンツ、WEB2.0的自走コミュニケーション、次世代テクノロジー、クチコミ、そして商品そのもの……などをすべて使って生活者とコミュニケーションしていくやり方ですね。
「コミュニケーション・デザイン」という概念はこれにとても近いのだけど、まだ「広告まわり」の意識が強い。パブリック・リレーションズは、もっと視野と領域を広げて、すべてを関連させてコミュニケーションを作っていかなければいけません。最近ではオバマ次期大統領がこの方法を効果的に使って選挙を闘い、「マーケッター・オブ・ザ・イヤー」を獲りました。
で、志向も思考もそちらに向かっていて、自分の中でのリワイアリング(配線組み替え)もある程度進んでいるのに、実際の仕事が、たとえば「広告」という分野の中の「プッシュ型広告」という分野の中の「クリエィティブ」という分野の中の「CMプランニング」だったりすると、どうにも視点が切り替えられず、プランニングの細部が少しずつ甘くなっていきます。これは悩みました。ここ十数年ずっと普通に見えていたはずのものが、ふと気づくと見えなくなっている。ショックでしたね。でもきっと空から俯瞰すると細かいものが見えにくくなる、みたいなことなのでしょう。使う筋肉が違う。偉そうな意味ではなく。 俯瞰も細視も両方できるのではないか、と甘く考えた自分がいけない。
あと、広告プランニングでは重要な「コア・バリュー」とか「コンセプト」とかいう考え方も、ボクの考えるやり方では「それはひとつではなく伝えたい相手によって分散して存在する」「だからいろんなメディアやソース、タイミングを組み合わせる」ので、何かひとつに絞るという発想がなかったりします。
でも、トラディショナルな作業だと、いきなり「コア・バリュー設定」なんですね。それに直面して初めてそういう発想自体が自分の中で消えていたことにハッと気づいたりしました。自分が変化していることを他から知らされて戸惑う感じ。アレレと困っているうちに、ふと気づくとスタッフとの間で意識乖離が起こっている…。この乖離をちゃんと埋められなかったのも大きな反省点のひとつです。
というか、ボクがトラディショナルなプッシュ型広告の現場に細かく関わっていること自体がすでに非効率的なのかもしれません。
広告制作現場が好きなもので未練たらしく関わり続けていますが、もう志向も思考も変わったのだから、潔く離れるべきなのでしょう。そして、自分が考える新しいコミュニケーション分野の開拓に邁進するべきなのかもしれません。
2009年は大変厳しい年になります。大不況という言葉で片付けられたらラッキーなくらい。
そういう年は「やり方を変える千載一遇のチャンス」でもあることは前に書きました。そしてそれは「個人」にも言えること。自分自身、大きくやり方を変える年にするべきなのだろうな、と思います。クリエィティブ・ディレクターという肩書きからも自由になる頃合いかもしれません。
来年はちょうど年男。つまり48歳。あとひと回りで60歳。
いつまで仕事するかは別にして、残された時間を考えると、自分がいままでやってきたやり方を大きく変えるにはいいタイミングなのだと思います。
そんなことをつらつら思う年の暮れ。
来年の出発点
2008年12月27日(土) 20:54:51
モスクワに帰った岩田守弘さん。
さみしいけど、帰ってからブログを頻繁に更新してくれているので遠くは感じない(このエントリーにはボクの名前もチラリと)。やっぱりブログって素晴らしいメディアだな、と有り難く思う。
彼はいつも要所要所でメールをくれるのだが、それがボクのさなメモに対する短信で、いつもとてもほのぼのする。
昨日のさなメモで「ゆっくりお風呂につかり」と書いたら、彼からさっそく「こんにちは佐藤さん。そうだ、お風呂だお風呂だ!!」と短いメールをもらった。ボリショイの第一ソリストに向かって言う言葉じゃないかもしれないけど、なんか可愛いww
ボクは彼からいろんなことを学ばせてもらっているが、その中の一番大きなものは「素直さ」だ。こういうメールをもらうと心底「ボクも彼みたいに素直に生きていきたい」などと思う。でもまぁボクみたいなひねくれものにはほとんど無理っぽい。これって後天的には難しいのかな。先天的に素直じゃないと無理なのだろうか…。
だったらせめて、二番目に大きく学ばせてもらっている「努力」だけはなんとかしたいと思う。彼の「努力」に少しでも追いつきたい。
彼の言葉にこんなのがある。
「世界中の35歳の中で僕ほど努力したものはいないと胸を張って言えるんだ」
一度ここで紹介したことがある言葉だが、年末で自分を振り返るこの時期、もう一度取り上げて自分への戒めにしたい。
この言葉、彼を知らない人が聞いたら誤解する言葉かもしれないけど、あそこまで素直で謙虚な彼の口から出ると本当に納得する。そして自分を振り返って思わず下を向いてしまう…。ボクは今年、世界中の47歳の中で、どのくらい努力したかな。少なくともオバマには負けたな(←比較になりません)。
素直に認めよう。
ボクは、今年、自分に与えられた環境において、自分で誇りに思えるほどの努力をしなかった。成長はした。経験も積んだ。でも「努力をしたか」と言われると胸を張れない自分がいる。
この悔恨を来年の出発点にしたい。
48歳になる来年、ボクはいままでの経験やスキルを食いつぶして生きていくのではなく、もう一度意識して青臭い「努力」をしたいと思う。本業の広告も誰よりも勉強しようと思う。文筆系もしっかり自分に向き合ってチャレンジしてみようと思う。もちろん遊びも食事もその他もろもろも。
こういう思いって、10代の頃から毎年のように誓っては挫折してきたことでもあるが、ボクにもう先はない。50歳を目前に控えて先送りしても意味がない。バレエ・ダンサー引退の年齢(38歳)を迎えた岩田さんと同じ心境。背水の陣。本当に猶予はない。最後のチャンスだと思っている。
戻すぞ!
2008年12月26日(金) 9:02:09
さて、今日で仕事納め。
いつもの年越し蕎麦の店「泰明庵」が予約できなかったので、今年は違う店に。あぁ毎年あそこでワイワイ〆るのが恒例だったし楽しかったのになぁ。
12月はボリショイやドゥダメルや大阪行き、高知行きなどがあって一見派手っぽかったが、仕事は相変わらず忙しく、体調も「なんとか年末まで持たせたい!」とギリギリだった感じ。ようやく今日に辿り着けてマジうれしい。いや〜きつかった…。人生でも最高レベルにきつい一年だった…。特に秋から冬にかけて、精神的にもかなり危機っぽかった。紙一重。
年末年始はどこにも出かけず、メールでいろいろ教えていただいた健康法を実行に移し、体調を元に戻すことに専念するつもり。
毎日ゆっくりお風呂につかり、精神的にもゆったりしたい。エクササイズやプールも無理なく再開しようかと思っている。今年は1月に「明日の広告」を出してから急に多忙になり、精神的プレッシャーも強くなり、エクササイズもプールも疎かにしてしまった。体重計には毎日乗っていたので体重は増えていないが、体型がだらしなくなった。戻すぞ!
そういえば今年は読書も疎かにした。いろんな「いい習慣」がたった1年で崩れ去ってしまった。メールのお返事も溜めまくる毎日。仕事も後手後手に回った。ちゃんと続いたのはこの「さなメモ」のみかも。なぜかこれは苦もなく続く。なんでだろ。
ちなみに「いつも何分くらいかけて書いているんですか」という質問をよくいただくのでお答えしておくと、今日でだいたい10分くらい。もう少し長い文章や、そこそこ神経使ったりする内容のものは15分から20分くらい。観劇記とか長いのになると30分くらいかかってしまいますね。書く前に内容が頭の中でまとまっている場合はもっとずっと短く数分で。でもたいがいは最初の一行を書いてからダラダラと話を広げていくことが多いです。
プレゼントの価値
2008年12月25日(木) 8:00:57
娘もさすがにサンタへのアンケートを書く年代から脱出し、「クリスマス・プレゼントに欲しいものがあるから有楽町の丸井で待ち合わせよう」って感じで、具体的に欲しい物を父親に買わせる、というドライな年代に突入した。夜中に枕元に忍んでいってプレゼントを置く、という行為はもう一生できないのだな。面倒がなくていいけど、それはそれでちょっと寂しい。
丸井というかイトシアか。混んでたなぁ。ホントに不況?
トヨタが前期2兆2千億の黒字から一転して今期の営業赤字1500億を発表したくらいなスピードで大不況に突入しているのだが、消費感覚的にはタイムラグがあるようで、まだ繁華街は買い物客で溢れている。でもこの混雑も今年までかもしれない、しばらく見られなくなるかもねとボンヤリ思いながら娘と買い物をした。まぁオバマのデフォルトがあるかどうかはわからないけど、かなり大変な事態になることは目に見えている。2009年は試練の年だろう。
広告業界的に言うと、広告費の大幅削減は避けられない。
でも、ポジティブに考えれば、「少ない予算の広告で商品が売れる事例」をたくさん作って、広告が違うカタチに生まれ変わるチャンスでもある。変化した時代、変化した消費者に合わせ、「いままでのやり方」を大幅に変えることができる千載一遇のチャンス。そしてその延長線上には「広告はパブリック・リレーションズのほんの一部である」という未来があるだろう。そこは広告業界にとっては新領域であり、チャンスはまだまだ山ほどある。
好況のままだったらやり方はなかなか変えられない。不況はチャンス。やり方を抜本的に新しくするチャンス。メディアもプロダクションも、もちろんクライアントも、古い体質から脱皮する千載一遇のチャンスを迎える。逆に言うと、ここで変われなかった企業は5年後に存在していないだろう。
話を元に戻す。
それにしても、娘が商品を選び、ボクが財布を開いてそれを買い、はいプレゼント、と、レジ横にいる娘にそれを渡すのって何だか変。ATMになった気分。
でもまぁ逆に娘が大人になったらまた「人が時間をかけて考えて選んだプレゼント」を喜ぶようになるだろう。一度はドライになる時期があってもいいと思う。欲しい物をもらうのがうれしい年代はそれでいい。そのうちプレゼントの本当の意味に気づく。プレゼントの価値は物にあるのではなく「相手のことを考えた時間」にあるということに気づく。
4年後の今日
2008年12月22日(月) 6:39:11
高知ハシゴ食べの最中ではあるけれど、今日はこの話題。
夏頃のOggiの連載にも書いたのだが、「マヤ文明におけるマヤ暦は2012年12月22日で終わっている」ということをご存知だろうか。
紀元前1550年に生まれたマヤ文明は天文学に驚異的に長けた文明だったこともあり(それはもう宇宙人が築いた文明としか思えないほど進んでいたらしい)、長い周期で考えるマヤ暦を持っていた。その1サイクルは5128年。彼らはその第5の時代に文明を築いた。その前に4つの時代があったということだ。
で、その第5の時代(つまり今)は2012年12月22日に終わるらしいのである(一部に12月23日という説もある)。宗教とか予言ではない。純粋に天文学と計算によって導き出されているらしい。
しかも! 2012年12月22日は、マヤ文明のみならず、アステカ文明、古代インカ族の末裔であるケロ族に伝わる伝承、アリゾナのホピ族が語りつぐ伝承などにおいて、ともに「世界が終わる日」とされているらしいよ(偶然なのか?)。
そして、もうひとつ。このマヤ暦に科学的根拠を加える説があるのである。
それは「2012年12月20日〜23日ごろ、地球はフォトンベルト(光の粒子が充満した空間)にすっぽり入る」という説。
その日、地球は銀河系にあるドーナッツ状の光の帯に突入し、そこを通り抜けるのに2000年かかるという。太陽系は1万数千年の周期でこのフォトンベルトに入るらしく、前回これに入ったときはアトランティス大陸が沈没したとも言われているらしい。それがなぜかマヤ暦と合致しているのだ。
まぁ本当かどうかは知らない。トンデモ学説かもしれない。フォトンベルトの話もイギリスの研究所の発表となっているが、裏を取ったわけではない。また、光の粒子の中を地球が通るからって世界が終わるとも限らない。マヤ暦がそこでちょうど終わっていることと関連づけて、ノストラダムスのときみたいに騒ぐのもおバカな感じだ。
でもね。
たった4年後の今日なわけですよ。
あとたった4年で人生が終わるとしたら、いったいどう生きるのか、考えてみるのも悪くない。どう優先順位をつけるのか。何が無駄で何が無駄でないか、ちゃんと見極められるのか。
折からの大不況。なんか終末めいて来ましたね。みなさん、準備はよろしいっすか?(笑)
奇跡的な一日
2008年12月14日(日) 19:15:40
大阪での土曜日はとてもいい一日だった。
二日酔いを「きしめん あまの」の味噌煮込みうどん辛口えのき入りで醒ました後、キタをゆっくりゆっくり散歩して14時に福島のABCホールへ。まずは満員劇場御礼座で「踊る職員室」を観劇。
見終わってからフェスティバル・ホールまで歩いていって17時開演のボリショイ・バレエ「白鳥の湖」を観劇。終演後に楽屋を訪ねて岩田守弘さんとハグし「ところで今晩なにしてる?」と聞いたら「何も」と答えるではないか。じゃあご飯行きましょう、と、最終の新幹線で帰るのをやめて、北新地のいつものバーへ。
常連さんたちも多く観劇していたので、自然と岩田さんを囲む会に。みんなでバレエのこと、練習のこと、ロシアのことなんかを聞く。みんなが岩田さんに惚れていくのが手に取るようにわかる。うれしい。自分が惚れられるよりずっとうれしい。この辺とっても不思議な感覚。
深夜をまわって閉店時間になったので「今日のホテルをどうしようかな」と考えていたら、一緒にいた山本夫妻が「うちに泊まったら」と提案してくれた。有り難く乗らせてもらって、まず岩田さんをホテルへ送り、ハグしてお別れ。「今度はいつ会えるかなぁ」とお互いにちょっと哀しい気持ちに。でも世界のどこかで岩田さんが独りがんばっていると考えるだけで勇気が出る。会わなくても会っているのと一緒。ありがとう。
仁川までタクシーで移動して山本家へ。
いや〜…なんか久しぶり、という感じ。いや、この新しいマンションに来たのは初めてなのだが、実はボクは20代に山本夫妻の家に毎週のように遊びに来ていたのだ。一緒に3人で旅行をしたこともある。そのくらいの仲なので、遠慮もせずそのままビールビール。広告の行く末について激論になったりするも、喧嘩にならないところが昔の仲。なんだか懐かしいね、って3人で遠い目に。
結局朝5時までしゃべくっていた。長い一日だった。満劇〜ボリショイ〜岩田さんを囲んでの飲み〜懐かしい山本家での飲み……。ボクにとってはかなりシアワセな一日。奇跡的な一日。
8時まで3時間寝て仁川駅まで送ってもらい、電車を乗り継いで昼に東京に帰ってきた。疲弊と体調不良で読者の方々にご心配をかけているのにこんな無茶をしていて申し訳ないけど、こういう時間がボクを元気にするのも確か。気持ちの強さが少しだけでも戻ってくる。さて仕事仕事。
あ、満劇とボリショイの感想は明日にでも。
全面的な好意
2008年12月08日(月) 6:28:21
昨日は12時から上野の東京文化会館でボリショイ・バレエの「白鳥の湖」を家族で観劇。
観劇後に出社。15時半くらいから5時間ほど打ち合わせ&企画をしたあと、夜の部を踊り終えた岩田守弘さんを迎えに21時くらいに再び東京文化会館へ。それから岩田さん、そしてY氏家族3人も合流してご飯。22時に月島の「傳々」で焼肉。日曜の夜中に開いている貴重な「うまい」店。
Y氏の娘さんは岩田さんを頼ってモスクワにバレエ留学をしていた。Y氏家族とボクの関係も長く深く、ボクも留学に一役かっていたりした。そんなこんなで久々に集まった。楽しく気の置けない時間。お互いそれぞれに対する全面的な好意に全員が溢れている。こういうことがたまに起こるから人生はやめられない。
深夜1時前に帰宅。
「白鳥の湖」、かなり感激したのですぐにでも書きたいところだけど、朝からいろいろやることがあるので感想は明日に。というか、昨晩はあんなに好意オーラをもらってリラックスしたのに、今朝も目覚ましいらずの早朝覚醒(笑) 相変わらずの過緊張か…。
そうそう、昨日の「過緊張」にメールをたっくさんありがとうございます。
「私も!」「これって未病なんですね! 知りませんでした!」みたいのが多かった。みなさん疲れてますね。それに交じって真剣に心配・忠告・医師の紹介などをしてくれる方々もたくさん。不覚にも涙ぐみました。ありがとうございます。そういえば昨日の「白鳥」でも泣いたなぁ。涙もろくなっているのは年齢か。それとも単に心が弱っているのか。
カラダが送ってくるサインには相当敏感に日々生きている方だと思う。長持ちしたいし。ただ、物理的な過労に比べて精神的な疲れのサインってわかりにくいな。「まぁまだ大丈夫だろう」と思い込んでいる自分をそろそろ変えます。ハードルを下げる。具体的に手を打つ。でも仕事のペースを緩めるとトラブるからな…。この辺が思案のしどころ。バランスの取りどころ。
過緊張
2008年12月07日(日) 6:53:41
ちょっと前だが、こんな記事があった。
「朝、時計が鳴る前に目が覚める」 働き盛りに多い「過緊張」ほっておくと危ない。もうね、すべてが当てはまる。というか、最近では目覚まし時計すらセットしたことがない。今朝も4時台に起床。過緊張&早朝覚醒。そして不眠、喉のつかえ、だるさ、肩こり、頭痛。結果としての慢性疲労。まぁ最近では眠れる日も出てきたのだけど、大きく見れば完全に「未病」であるな。
11月27日11時15分配信 J-CASTニュース毎朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。結構なことのようだが、本当は危ない症状なのだ。「過緊張」といい、それが疲れの原因になっているというのだ。働き盛りに見られる不眠、肩こり、体のだるさ、ほてり、女性に多い冷え症もそうだ。病気とまではいえないが、ほっておくとよくない。
「過緊張」とは、心や体の緊張が進んでしまい、ゆるめたくても自分ではゆるめられない状態をいう。病気というほどではないが健康でもない、いわゆる「未病」を引き起こす「元凶」ともいえる。
たとえば、毎朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。体内時計が朝起きる時間を覚えているなどと自慢げに話す人がいるが、そんなことを言っている場合ではない。仕事へ出かけなければならないという緊張状態からくる一種の症状で、ストレスが溜まっていく前ぶれなのだ。
眠りが浅く夜中に何度も目が覚める、トイレに起きる。暑くもないのに汗をかいたり、あまり気づかないが喉や胸につかえを感じて呼吸が浅くなったりする。寝起きなのに肩が凝り固まっている。こうした症状も、過緊張が原因とされる。
そんな過緊張や早朝覚醒、不眠などを解消しようと仕事のペースをゆるめると、途端に仕事に綻びが起きる。まぁ当たり前っちゃ当たり前か。元々ペースをゆるめた自分が悪いので誰のせいでもない。自己嫌悪に陥る。でもまたペースを戻すと過緊張・早朝覚醒・不眠が戻ってきて疲れ切ってしまう。この悪循環をどうすればいいのか、わりと思考停止な昨今。ちょっと悩み深い。
みんなが楽しんでいる空間に身を置いて(会食とか観劇とか)ポジの「気」をもらおうと試みるが、その効果も数時間かな。まぁそれでもないよりマシなのでなるべくそういう場所に行くようにしているが、だんだんこれ自体も疲れの原因になりつつあるかも。んー、悪循環のまま年末へ。
写し間違い
2008年12月05日(金) 7:32:10
昨日(木曜)の朝、歯医者に行った。10時の予約。
9時50分に着いたが、10時オープンの小さな歯医者なので近くを少し散歩して時間をつぶした。9時58分になったのでそろそろいいだろうと自動ドアボタンを押す。あれ? まだ開いてない。おかしいなぁとすりガラス越しに中を覗くとやけに暗い。あれ?
すりガラスに書かれた営業時間を確かめるとAM10:00〜と書いてある。んーおかしいな…。ふとその横に目がいく。「休診:毎週木曜日・日曜日」と書いてある。ん? 今日って何曜日だっけ…?
えーと、月曜はあれやって、火曜があれだったから、んー、水曜? いや、木曜だ! 今日木曜じゃん! ということは休診 !? ええ〜!
手帳を見直す。確かに木曜の予約になっている。ふと思いついて古い手帳を取り出してみる。ちょうど1週間前に2009年度の手帳に替えたばかりで、そのとき古い手帳から新しい手帳に予定を書き写したのだが、念のため古い手帳も持ち歩いているのだ。
ま、もうオチはわかると思うけど。
丸1日予定を写し間違えていたワタクシ。古い手帳では金曜の予約になっていたorz。
んあ? ということは、新しい手帳では木曜の夜に書き込んである「鷹匠寿」での会食も………金曜じゃん! 写し間違えじゃん! うわー。金曜(今日)は岩田守弘さんと会おうとおととい約束したばかり。ダブルブッキングだぁ! でも岩田さんとはボリショイ・バレエ公演出演後に会うから夜中だし、なんとか両立できるかな…? うーむ…。
仕事の予定は複雑怪奇なので、引き続き古い手帳で処理していたので被害なし。あー良かった。おかげで昨晩の予定がなくなり、疲れ切っていた&あまり寝てないこともあり、早く帰って20時台には就寝。朝6時まで10時間も睡眠完走。早朝覚醒もせずグッスリ。写し間違いのおかげでポッカリあいた救いの時間。写し間違いも悪いことばかりではない。
さて、今日は歯医者。10時の予約。今度は間違いナシ!
「今思えば軽々しく使っていた」
2008年12月04日(木) 7:57:34
わりと「生と死」についてよく考える方ではあると思うが、情けないもので、身近にそういうことが起こらないとどこかで真剣になるのを「先延ばし」にしてしまっている自分がいる。というか、身近にそういうことが起こるとまた急に真剣に考えるようになる。
先週、同期が亡くなった。
9月まで元気に働いていたのに、急に病に倒れ、それからたった3ヶ月。
たいして親しい男ではなかったが、さすがに身につまされる。毎朝のように「今日なのかな、小鳥さん? 今日かい?」とかつぶやいているくせに、心のどこかで「今日じゃないだろう」と高をくくっているのを誰かに見透かされた気分。
保釈された小室哲哉氏がこんなことを言っていた。
保釈会見で「人生をリセットし、再出発を図るチャンスを与えてもらった」と感謝の言葉を口にしたあとのひと言。
「曲の歌詞でチャンスという言葉をよく使ったが、今思えば軽々しく使っていた」
今思えば軽々しく使っていた…。今思えば軽々しく考えていた…。死の間際にそう思わないために、人生をしっかり立て直そう。最近あまりに慌ただしくてちゃんと「生きて」いない。ひとりでゆっくり思索する時間すらまったく取れていない。
腹筋が痛いくらい笑った
2008年12月03日(水) 7:48:30
大阪勤務時代の先輩が東京に単身赴任してきたので、当時大阪勤務でいま東京にいる数人の人間で迎え撃った。
行ったのは門前仲町の「宝家」。超久しぶり。ここ、ラーメンと餃子の店なのだが、夜はおまかせコースで天ぷらとか刺身とか鍋とかが出る。看板料理の餃子(揚げる直前に生地伸ばす)やラーメン(具だくさん)ももちろん出る。このコースが量も多くてうまいのだ。しかも激安。飲んで食って5000円を切る。7,8年ぶりに来たが相変わらずのコストパフォーマンス。時節柄うれしいな。
それにしても笑った笑った。懐かしい話に花が咲く、という言葉があるが、まさに花が咲いた。腹筋が痛いくらい笑ったのっていつくらいぶりだろう。東京勤務でこんなに笑うことなんてないからなぁ。大阪ではしょっちゅうこんな風に笑っていた気がする。笑いの合間に会話する、という感じだったしな、大阪。特に大阪のうちの会社。
「宝家」はテレビがつけっぱなしの街場のラーメン屋。
笑いの合間にふと見ると、テレビではNHKの「プロフェッショナル」が流れていた。取り上げられていたのは武豊。あれ、もしかして来週は岩田さん? ということは予告編やる? 途中からおしゃべりに大笑いしながら画面も注目。そしたらやったやった! 来週の予告編でモリが出た!(森崎くんもモリだが、岩田守弘くんもモリなのだ)
んー、格好いい!
ようやくあの岩田さんにスポットライトが当たる。長かったなぁ。
みなさん、12月9日のNHK「プロフェッショナル 〜仕事の流儀」、いまから録画予約しといてくださいね!
モニター前な1日
2008年12月02日(火) 8:03:07
昨日は朝10時から夜9時までずぅっと企画書を書いていた。
会議の予定も入れず、企画書作成用に1日開けておいた日なのだが、昼ご飯もお弁当買ってきてパソコン・モニター前から離れないという徹底ぶり。約11時間ずぅっとモニター前。途中何度か企画書をプリントアウトしてデスクに広げて構成を俯瞰して眺めたり、ブツブツつぶやきながらフロアを歩き回って考えたりはしたが、後はほとんどモニター前を離れなかった。
あ、「18時半に東京タワーが新しいデザインでライトアップされる」と朝のニュースで聞いていたので、そのときだけ東京タワーが見える窓際へ行ったな。なかなか素晴らしかった。それと後輩の「ちょっと愚痴聞いてくれますか?」にも30分ほどつきあったっけ。興味深い&同情した。でもそれ以外はずぅっとモニター前。
切羽詰まった企画が中心だったこともあり、11時間なんとか集中力が保ったが、9時に終わったときはモニター酔いでクラクラだった。歩いていてもフラフラと左右によろめく。とりあえずワインでも飲まんとやってられんと友人と気楽なイタリアンに行った。「疲れがとれる白ワインを!」と無理な注文をしたのだが、アルト・アディジェのリースリングを出してくれた。あぁこのすっきりした酸味。疲れが霧散するよ、ありがとう。おまけに料理は「トルテリーニ・イン・ブロード」を勧められた。仔牛と鶏のレバーを包んだ小さいラビオリがブロードに浮かんでいる。これまた疲れがとれるし温まる。ありがとう。
今朝起きたら頭と目と肩と手が痛い。すべてモニターの見過ぎ&キーボード打ちすぎを原因とする。あかんなぁ。1日ムリをすると悪影響が数日続く年齢だ。どうして学習しないかな。まぁ今日はモニターを見るヒマもなく会議会議会議の日なのだが。これまた極端な1日になる予定。
後日、後日
2008年11月26日(水) 6:53:25
昨晩は仕事を4時間抜け出してTEAM NACSフィルムツアー「N43°」(メンバーによるアフタートークつき)を観に行った。
余裕がないので観劇感想は後日。端的に言えば「メンバーそれぞれバラバラにショートフィルムを作ったのに、ちゃんと5つの作品がつながってひとつの作品になっているところがすごい」。いや、内容もテイストもほんとバラバラなんですけどね。ま、後日。
で、観劇終了後、23時に都内某所で集合して会議。25時すぎに都内別所にて会議。そして今日は朝9時から600人規模の大きな会議でスピーチ。昼から大きめのプレゼン。と、なかなか厳しいスケジュール。でもまぁ今日を乗りきればナントカコウトカ…。
深夜仕事を終えて、朝方に乗ったタクシーが怖かった。
PSP(プレステ・ポータブル)がダッシュボードに立てて設置してある。PSPでテレビを観るソフトがあるでしょ、あれを使ってテレビのワンセグ放送を観ながら走っているのだ。
まぁカーナビとかでテレビつけっぱなしのタクシーは多い。でも、あれは運転席の左下、ハンドルの左の方に画面がある。走ってる間は首をひねらないと画面は見えない。でもこのタクシーは違う。ハンドルの真後ろ延長線上のダッシュボードに設置してあるのだ。運転手の視界のほぼど真ん中。PSPが邪魔でフロントノーズなんか見えない位置。うわ〜。
これ、完璧に「ながら運転」である。どう運転しても視界にテレビが入る。ちゃんと道路を見てる、と主張しようがなんだろうが、テレビ画面が盛り上がったらどうしてもテレビを観てしまう位置。しかも音も消音していない。後部座席に座っているボクが問題なく聞き取れる大きさで流している。注意力散漫のお手本みたいな運転じゃないか。
さすがに注意しようと思ったが、スキンヘッドに白いメガネの若い運転手。ちょっと怖い。
運転で事故るのも怖いが、運転手とのトラブルも怖い。いまどき何をされるかわからないからな…。
せめてと思いタクシー会社と運転手の名前はメモった。これは言わねば。
ただ、うっかり家の前につけてしまったので、自宅を知られているという弱みがある。情けないが、変に恨まれてもなぁとか、思わず慎重になってしまうご時世だ。ま、これも後日に判断しよう。今日は脳味噌の余裕がない。後日、後日…。
生きて在る価値
2008年11月24日(月) 7:48:17
昨日の結婚式&披露宴は六本木ヒルズの51階、ヒルズクラブで行われた。
話題の新ビルというのに全く興味がないボクは、六本木ヒルズにもほとんど出入りしない(まぁ六本木ヒルズが新ビルだったのはずいぶん前だが)。有名社長への直接プレゼンのためにヒルズクラブに呼ばれたことが一度。J-WAVEに出演するために訪れたことが一度。それだけ。それらのときもその景色には目を奪われたものの、ビルの設計や内装のセンスなんかに対しては「だっさ」と思っただけであった。プレゼンのときなんかはまだこのビルも出来たばかりだったのだが、すでに格好悪かった。
ボクはたぶん、結果として時代の流れに乗ったのではなく、「時代の流れに乗ろうとプロデュースされた建造物」が嫌いなのである。その時代の格好よさを目指して、どこかその時代に媚びて作られた物は、それはそれは急速に格好悪くなる。時代に消費されるスピードが尋常ではない。賞味期限が短いのだ。この六本木ヒルズというのはその象徴みたいなビルディングだと思う。設計・プロデュースされた頃にはほんの一瞬だけ格好よかった。でも竣工した頃にはもう格好悪くなっていた。他にも評判の悪い奇抜な建造物はいろいろあるが、チカラがある建築家が造った物はちゃんと内部に「普遍」を湛えている。そこが違う。
と、ビル自体は大嫌いなボクであるが、中で行われた宴はとても普遍的ないいものであった。
新郎新婦とともにその赤ちゃんも出席した披露宴で、すでに新生活が始まってから長い、ということもあり、なんだかとてもアットホーム。いわゆるひな壇もなく、ボクなんか新郎新婦と同じテーブルであった。こういう披露宴も初めて。というか、ご親族の方々を除くとほぼ最年長。これはショックだったなぁ。最年長だよ、最年長。
でも、その赤ちゃん(一歳半)が異様に可愛くてまいった。
長い宴に一度もぐずらず、騒がない。ずっと静かに機嫌がよいのだ。しかも、カメラを向けるとちゃんとカメラ目線になり、まばたきもせずじっとレンズを見つめ、タイミングよく笑う(これが本当にすごい)。会場を歩き回り愛嬌を振りまく。出し物のマジックにもタイミングよく絡む。天才かと思ったよ。
もともと、ボクがやっていたあるプロジェクトがきっかけで結ばれたふたりである。あの仕事がなければこのふたりも出会わず、この赤ちゃんも存在していなかったのだなぁ…。こういうのを「偶然」とは呼ばず「縁」と呼ぶ。数十億分の一の確率の「糸」が複雑に絡み合う。
それにしても。
自分が意図しないところで、自分からは見えないところで、自分の人生が他の人生に影響を与え、それがつながっていく。生きて在る価値とは意外とそんなところにあるのかもしれない。目に見えてるほんの表層でくよくよ悩むではないぞよ、自分。
キャスティング
2008年11月22日(土) 9:17:03
昨晩はタレント選定の長い会議。
ある商品のCMを作っているのだが、絵コンテはだいたい出来たものの、役者がなかなか決まらない。もうそろそろ決めないと先に進めない。キャスティングの会社の方も呼んで一気に固める覚悟で。
会議ではボクがダントツに年上だ。
でも、いまの若手俳優とかを(他の若い参加者たちと比べても)自分が意外と知っていることに気づく。娘がいるおかげかな。録画したドラマとかをちょこちょこ見ているのだ。だから「あのドラマの○○役をやっていた男子がいいかも」とか発言できる。そうするとキャスティング会社の方が「それは△△くんですね」とすかさず名前を言ってくれ、その場でノートパソコンで検索して顔写真を映しだし、プリントアウトして壁に貼る。快調に会議が進む。もちろんボクが知らない若手俳優も多い。顔写真を見たり、YouTubeで演技やインタビュー動画を見たりして選定していく。便利な時代だなぁ。昔ならいちいちビデオとかを取り寄せていた。
3人の役者を組み合わせて使おうとしているのだが、ひとりならイイと思った役者が、3人並べるとバランス的に悪くなったり、他の役者に飲まれちゃったり。かといって、いい役者ばかり並べると逆に普通っぽくなっちゃったり、違和感ない3人にしちゃうとインパクトがなくなっちゃったり。「この人!」と決定的と思った役者を思いついても、すでに競合他社に出演していたり。キャスティングという仕事って楽しいけど相当パズルちっく。いいキャスティングってCMや映画やドラマのキモだもんなぁ。
最終的にはとてもいい組み合わせが二組できた。と、思う。
絵コンテを見ながら、この3人が動くところを具体的にイメージする。セリフが少しずつ変わっていく。この過程もなかなか面白い。紙の上の絵が急に動き出すのだ。
10年以上前は毎日のようにCMコンテを描いていた。ボクはキャンペーン全体を設計する方が得意で、CM企画はそんなに得意ではないのだけれど(天才みたいにうまい人がまわりにたくさんいるし)、やっぱりなかなか楽しいな。しかも後輩たちがみんな優秀で上手にまとめてくれる。いい空気が流れている。
各地に散らばった小さな分身
2008年11月20日(木) 7:58:25
寒いね。今年一番の冷え込みとか。東京は12月下旬の気温らしい。初雪がふったところも多い模様。まだ11月中旬なんだけど。
クレア・トラベラーの「2泊3日うまうま旅」の連載のおかげで地方に食べに行くことが増え、テレビの気象予報や新聞やネットの天気予報が楽しみになった。いままで無関心だった地方の天気を見るのが楽しいのである。あぁ秋田は雪か、でも仙台は晴れてるんだなぁ、札幌は氷点下、福岡が雪!? 広島は?などと、最近食べた都市を身近に感じながら天気予報を見る。あの街のあの通りの雪景色を思い描く。あの街のあの店のオジサンが空を見上げる様子を想像する。あの街のあの商店のオバサンが手にほぅと息を当てるのをイメージする。
ファンシーに例えれば、自分の小さな分身がいろんな場所にいる感じ。
最近2回行ったばかりの秋田は特に具体的にイメージできる。秋田駅前のあの交差点。川反の橋の上。「酒屋まるひこ」の酒棚の前。千秋公園の池の横。山王の「酒盃」の玄関。市民市場の三角そばやの前。ボーダーが練習するあの空き地の横。川反近くの古本屋の中……。いろんな場所に自分の小さな分身がちょこんと座っていて、空を見上げたり雪を眺めたり寒さに凍えたりしている。それが肌感覚で想像できる。
旅って、旅をしている間だけでなく、旅が終わった後の「自分が拡張した感じ」がわりと好き。朝の天気予報を眺めながら、各地に散らばった自分を頭の中で掻き集めていろいろ想像する短い時間がわりと好き。
ヌーベルな日本料理って?
2008年11月17日(月) 21:49:16
そういえば、昨日書いた雑誌国際会議でパネリストをしてくださったブライトコーブのアダムさんが「日曜まで日本にいるのでどこかおいしい店を教えて下さい」と言ってきた。間に立ってボクを紹介してくれた人が「この男は東京の店にちょっとくわしい」と吹き込んだらしい。希望は「ヌーベルな日本料理が食べたい」というもの。
「ってことはクラシックな日本料理はもういろいろ食べたということ?」と、たどたどしい英語で聞いたら、「はい、だいたい食べました」と言う。どうやら日本料理ファンでずいぶん食べ込んでいる模様。「鮨とか天ぷらとかのジャンルものも食べた?」「わりと食べてます」「ふーん」「だから、もっとヌーベルな日本料理が食べたいのです」「なるほど…」
ヌーベルな日本料理。いくらでも思いつきそうだ。
でも改めて頭の中を検索してみても意外とヒットしてこない。最近では気の利いた割烹はたいていちょっと小洒落たワザを効かす。クラシックとモダンを組み合わせるメニューも多い。フュージョンっぽい店も増えている。でもそれらが「ヌーベル」かと言われるとちょっと違う気がする。そういう表面的な小技ではなくて、もっと潮流的な何かを呼ぶはず。心棒が一本未来に向かって伸びているような、一貫性という背骨が通っているような。
まぁアダムさんもそこまで根本的な質問をしたのではないだろうとわかりつつ、悩みに悩んで、結局「表面的にヌーベルなもので勘弁してもらおう」と数店リストアップしてメールした。店の内装と盛りつけがモダン。料理も工夫が効いた良質なもの。クラシカルな日本料理にはとても見えないし根っこも違う。ヌーベルと言えばヌーベルだ。でも問題はボクがその手の料理をあまり好きではないということ。好きでもない料理を人に勧めるのってなんだか辛いな。
ヌーベルな日本料理って何だろう。まぁボクが無知なだけかもしれないけど、少し自分の中で発酵させるテーマにしてみたい。
アジア太平洋デジタル雑誌国際会議
2008年11月16日(日) 20:52:37
おとといの金曜日、国際雑誌連合と日本雑誌協会が主催する「第1回アジア太平洋デジタル雑誌国際会議」のパネル・ディスカッションにモデレーター(司会というか、いわゆる田原総一朗役ですね)として参加してきた。
3日かけていろんな講演やディスカッションがある大きなカンファレンスである。日本の出版社はほぼすべて参加したんじゃないかな。場所はホテル・ニューオータニの鶴の間。でかい会場だ。かなりチカラが入っている模様。
大会テーマは「紙とデジタルの融合」。
デジタルへの対応が大きく遅れた雑誌業界がようやく真剣に焦りだしたということか。ちょっと遅い。でもどんな競争でもそうだが、遅れたなら遅れたなりの闘い方がある。出遅れた、ということをちゃんと意識すれば効率的に近道を通れると思う。
ただ、例によってボクは門外漢である。そういう大雑把な話は出来てもくわしい話など全然ムリ。メディアとしての雑誌の現状についてしっかり把握しているわけではない。
たぶん、新聞大会に呼ばれたのと同じ理由、つまり、拙著「明日の広告」で既存マスメディアを肯定的に捉えたことが呼ばれた理由なんだろう。まぁその手のことを大雑把に話すならイイですよ、と、わりと軽い気持ちで受けたのだが、フタを開けたらパネル・ディスカッションの司会役だった(泣)。司会なんて生まれて初めてだし、司会が無知だと話にならないからある程度勉強しないといけないし、しかもパネリストがアメリカ人らしいから和やかなディスカッションにはなりにくいし(同時通訳はつくけど)、直前になってから構成にかなり悩んだ。そのうえパネリストのお三方は、ケータイ広告と、アドネットワークと、動画テクノロジー、という三社で、共通点がほとんどない。これをいったいどうまとめろと……(泣)
与えられたテーマは「デジタル広告の未来を探る」。
分科会ではあったが、使用会場は一番大きな鶴の間で、聴衆は数百人。モデレーターはボク。パネリストは以下のお三方。デジタル最前線の方々だ。
藤田明久氏(D2C社長)日本
Ralf Hirt氏(glam media VP)アメリカ
Adam Berrey氏(brightcove SVP)アメリカ
ボクはネットをさんざんやったあげく、いまは一周回って「紙メディアとしての雑誌 応援論者」的になっている(新聞も同じく)。
コミュニケーション・デザインの観点から言ったら、すべてのメディアが共存する方が面白い未来になるわけで、雑誌業界が変に自信を失って迷走し、「紙」という魅力的なメディアの価値を自ら貶めることは、雑誌業界にとっても、生活者にとっても、望ましくないと考えるスタンス。まずは紙としてのメディア価値を最大化しようよと思う。いまの「変化した消費者」に対応してメディア価値を最大化してもいないのに、闇雲にデジタルへの道を進んでも、そこには怖いデジタルの虎たちが待ち受けているだけ。食べられちゃうよ?
とはいえ「そういう意見を講演しろ」という依頼ならまだしも、今回は司会である。デジタルの最前線で闘うお三方の意見を聞いて、論をまとめていく役回りだ。んーどうしよう……。あ、そうだ! いっそのことデジタルの旗手たちに、紙メディアとしての雑誌に対しての提言をしてもらっちゃうのはどうだ?
と、いうことで、そうしました(笑)
与えられた75分のうち、前半は三社のプレゼンテーションとそれに対するボクの質問。後半はデジタル側から見た紙メディアとしての雑誌の可能性・かなう部分かなわない部分・雑誌の未来像などを聞いていくことにした。
え? いったいどこが「デジタル広告の未来を探る」なのかって? いやいや、アナログ側の人間があーだこーだ未来を予想するより、デジタル側からの分析を聞いた方が早いですからね。それこそが「探る」でしょう。
アメリカ人のおふたりは多少「デジタル至上主義」な部分があったので少し論点が一方的になったが、D2Cの藤田社長(たまたま高校の後輩だった)はポイントをわかってくれてとてもいい提言をしてくれた。最終的には三社ともに「雑誌の未来は明るいのではないか? やりかたによっては」みたいな感じに結ばれた。まぁまぁのまとまりだったかも。
なんつうか、その昔、まだ「大衆」という言葉がまだあったころ、大衆である生活者は逆に「個性」を目指し、「個」に生きることがもてはやされたんだけど、少衆、分衆を経て「個」の時代になった今、人々は逆に「共有してつながる」ことに快感を覚え、孤立を嫌う傾向にある。
このように、生活者は時代の流れに大きく影響されながら生きている以上、たとえばデジタルが空気みたいに普通のものになった時代においてはアナログの良さ、紙の良さが見直され、もてはやされることも充分ありえるとボクは思うわけで。
雑誌は問題山積でこのままではダメだと思うけど、変化はチャンス、雑誌にしか出来ない「強み」を整理し、選択し、集中し、より魅力的に生まれ変わって欲しいな、とか。一生活者としての素直な思うです。
あー、でも、なんだか異様に疲れた。
公の場での司会って、こんなに疲れるんだなぁ。司会者やインタビュアーの苦労がわかったのが今回の収穫かも。話すこと少なそうだからもっとずっと楽かと思っていたよ。いろんな経験をすればするほど、周りの人への敬意が増すよ。イヤほんと。
寝ています
2008年11月15日(土) 17:36:52
思ったよりも一週間、いや、先週の土日は秋田に行っていてちゃんと休めなかったので二週間か…、の疲れが溜まっていたようで、今日は動けず。ずっと寝ております。
昨日は「第1回アジア太平洋デジタル雑誌国際会議」のパネル・ディスカッションにモデレーター(司会)として登壇したのでそのことを書きたいと思ったのだけど、キーボードをカラダが拒否していてなかなか書けず。明日書きますね。
この土日、先延ばししている仕事の企画書書きに当てようと目論んでいたんだけど、この疲弊感では無理っぽい。休む日は休むことに徹しよう。
そうそう、「ほぼ日」さんのところの「梅田望夫×岩田聡×糸井重里」の対談がグッと来る。
主体的に時間を使わない限り、ちょっと痛いくらい心に刺さった。
人生はすぐに終わってしまう。やることをどんどん誠実に小さくしていったら、
妙に豊かになっていくというか、
さっきの梅田さんの話でいうと、
原資は小さかったのに、大きなことができるというか。逆に、間口だけを広げていくと、
広げたところに自分の時間を
たくさん分配しなくちゃいけませんから。
すると、奥のほうにきちんと進めないんです。けっきょく、間口だけをどんどん広げて、
自分という人間の個性も活かせないまま、
べったりとそこに時間が
費やされていく状態というのは、
ムダですよね、非常に。
意識して広げてはいるのだけど、疲弊しちゃってちゃぁ本末転倒だ。間口を広げることで主体的な時間の使い方も出来なくなって来ている。やることが不誠実に大きくなっていっている。
真剣に見直す時期に来ている。ヒシヒシと。
出し汁もダメなのか
2008年11月13日(木) 8:13:26
昨晩は大阪勤務時代によく仕事したCMディレクターと10年ぶりくらいに飲んだ。
いまはあるCM制作会社の社長をしているその先輩とはなぜか縁があり、いくつかCMを撮り、ロケも何度かご一緒させていただいた。CMの監督っていい意味でも悪い意味でも自己主張が激しい人が多いのだけど、先輩は物静かで謙虚という珍しいタイプ。今ではそれに磨きがかかり、いよいよ人格者然とした佇まい。こういう方が社長の会社ってきっといい会社だろうな。
驚いたのはその記憶力。
ボクなんかすっかり忘れていたエピソードをいっぱい覚えていて、いろいろ話してくれる。あー!そんなことあった…気がする、みたいな、記憶の端っこに引っかかっている微妙な出来事をたくさん思い出させてくれた。仕事自体を忘れていたというのもあった。えー?そんなCM撮ったっけ?……あぁでも撮ったな。撮った撮った! と、しばらく考えてから思い出す感じ。そういえば○○さんをタレントにして撮ったわ。一緒にカラオケも行ったわ。とか、芋づる的に思い出す。
というかボクの記憶はどうなっているのだろう。あの頃はあまりに忙しかったので(最高で月間13本CMを作ったりしてた)、自分の中で仕事記憶を次々消去しながら次に進んでいたのかも。
その先輩は数年前に痛風になったらしい。
「薬を飲んでいるのでたいてい食べられますが、それでもビールは飲めないんです。それとね、アジの開き。あとは鰹節や干し椎茸を使った出し汁もダメです」と教えてくれた。まぁプリン体が多い食品は常識的には知っていた。ビール、レバーや白子系、内臓系、魚卵、カニやエビなどなど。でも、それに加えてアジの開きや出し汁にもプリン体が多いとは知らなかった。
ボクの尿酸値は規定数値内に入ってはいるが、痛風って本当に痛いらしいので(昨晩もずいぶん脅かされた)、プリン体が多いのを少し減らすことにしようかな。そろそろそういう年齢である。でも出し汁とかがダメなのは致命的だ。どうしよう。プリン体って水溶性で、出し汁に溶け出すんだって。んー……ちょっと困った。
「出し惜しみしちゃダメよ」
2008年11月11日(火) 8:18:55
秋田往復には新幹線を使ったのだが、座席の背に「トランヴェール」という薄い無料雑誌が挟んであった。手持ちぶさただったのでなんとなくそれを眺めていたら、巻頭エッセイを脚本家の内館牧子さんが書いていた。その中の一文。ちょっと長いが引用させていただく。
脚本家の橋田壽賀子先生が「おしん」を書かれている最中、私は先生の熱海の仕事場に通っていた。膨大な資料を整理する程度の手伝いだが、卵以下の私にとって、一流脚本家のそばにいられるのは、何ものにも替え難い幸せだった。たまたまではあるが、今の自分にとても響いたので備忘録的にここに載せておく。あぁ今読めて良かった。書いてくれてありがとう内館さん(面識ないが)。
それから約十年後、私はNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」を書くことになった。先生は大喜びされ、一席設けて下さった。私は暮色の熱海が一望できる一室で、たったひとつだけアドバイスを頂いた。
「出し惜しみしちゃダメよ」
これは強烈だった。さらにおっしゃった。
「半年間も続くドラマだから、ついついこの話は後に取っておこうとか、この展開はもう少ししてから使おうとか考えがちなの。でも、後のことは考えないで、どんどん投入するの。出し惜しみしない姿勢で向かえば、後で窮しても必ずまた開けるものよ」
実はその時、私はすでに半年分の大まかなストーリーを作り終えていた。出し惜しみと水増しのストーリーだった。熱海から帰った夜、私はそれを全部捨てた。向き合う姿勢が間違っていたと思った。
「出し惜しみしない」という姿勢は、人間の生き方すべてに通ずる気がする。
以前、ボクも「出し惜しみしないこと」について、不定期日記に書いた。ムツゴロウさんのエピソードである。これは加筆修正してエッセイ集「人生ピロピロ」(角川文庫)にも収録した。「出し惜しみしないこと」はボクの中でとても大きな位置を占める言葉なのである。
でも、ふと気がつくと忘れている。今こそ必要な言葉だったりするのに肝心なときに忘れている。人生とはそんなことの繰り返しだなぁ。こんな体たらくでも少しはじわじわ前に進めているのであろうか。
追いつきます宣言
2008年11月04日(火) 6:34:50
ずっと更新が遅れていた「地方の行った店」がようやく追いついてきました。
あと数店、各地で書けていない店がありますが(札幌とか博多とか)、いままでの遅れに比べればずいぶんイマに追いついてきました。地方へのご旅行の参考になさってください。
これであと京都十数店、東京数百店(!)書けば、おいしい店リストもイマに追いつきます。でも東京はほんと更新さぼっていたので年内に追いつくかどうか…。いや、追いつこう。あと2ヶ月で追いつきます宣言(信じる人少ないと思うけど)。
あと、全く追いついてないのがメールのお返事。
1ヶ月半ほど追いついてません。誠に申し訳なく。こんなこと書いてますが、基本的にお返事はしています。よっぽどメールが多いときは別ですが…。でも最近数ヶ月は全体的に超遅れ気味。忘れた頃にポツリとお返事届くのでちょっとお待ちください。これも追いつきます宣言。
三連休、昨日は出社したけど、まぁまぁカラダを休めることができ、なんとなく精神的に余裕が出来たので、いろいろ立て直そうという前向きな気持ちが生まれてきました。やっぱり寝るのは大事。ゆっくりと立て直そう。本も次作にそろそろ取りかかろう(クレア・トラベラーの連載をまとめる予定)。いろいろ追いつくぞ。
三連休ではあるが
2008年11月01日(土) 12:24:21
さきおとといの17時すぎに受けた「一週間後にプレゼン」という仕事。
翌朝おとといの午前中にスタッフを選んで一緒に打ち合わせ。その後社外スタッフも入れて昨日打ち合わせ。少し感じが掴めてきたのが昨日の夜遅く。だいたいこんな方向かなぁ…。でも土日月と三連休なことを忘れていた(!)。三連休あけたらもう火曜じゃん。水曜がプレゼンなので火曜に一気にまとめないといけないじゃん。実質あと一日しか営業日ないじゃん!
とか焦っていたら、営業さんが「クライアントに根回ししたいので、火曜には完成したものが欲しい」と。
ねぇねぇ、三連休あけの午後には完成品が欲しいってさ、それって三連休仕事してなんとかまとめろ、と言いたいわけ? ボクはそういう非人間的な仕事は受けません。というかもともと泣き落とし的に頼んできた仕事なのにそんな無理がよく言えるね。だいたい直前にそんなこと言ってスタッフに三連休の予定があったらどうするのよ。と怒った。ら、横にいたスタッフたちがのほほんと「三連休、仕事しますよ?」と普通に言いやがる。おーい。ちゃんと休もうよー。そういう仕事スタイルやめようよー。つか、要するに自分の三連休がつぶれるのが痛いだけだったりもするんだけど、でもさ、人生を仕事に牛耳られるのだけはやめようよー…。
実はこの三連休、沖縄に行く予定であった。
遊びではなく個人プロジェクトの件だったのだが、それが数日前に先方の都合で中止になり、だったら久しぶりにとことん休もう!と思っていたのである。先週も連休できなかったしね。
まぁそういう意味ではこの土日月の予定はない。予定はない。予定はないがっ。休みたいのだっ。もうカラダがそろそろ限界なのだっ。キミたち30代とは違うのだっ。
結局理不尽に押し切られ、三連休は企画と打ち合わせとまとめに。
ただ、ボクが怒ったことを受け、火曜日の根回しは「できたらする」程度になった。でもまぁ考えたら水曜プレゼンということは、火曜にはそこそこ出来ていないといけないし、結局三連休のどこかでは集まって完成させないといけないだろう。あぁ連続で休みてぇ。
と、愚痴から始まった三連休。
三日全部は休めはしないが、11月中旬はもっと忙しくなりそうなので、貴重な休日だ。ダラダラと「ダメ人間」に徹してカラダをひたすら休めよう。ということで、おやすみなさい(堂々の三度寝へ)。
また修羅場か…
2008年10月30日(木) 6:51:01
今日はプレゼンがひとつあり、別のクライアントにも提出ドキュメントがひとつあり、両方ともわりと重いのでスタッフの多くが昨日の晩から徹夜している。
ボクもメールなどで途切れ途切れに参加。
徹夜は若いときに死ぬほどやったので、もう若手に任せてつきあわないことにしているが、どうしても「みんなが起きているのに自分だけ寝てて申し訳ない」という後ろめたさが残る。昔のボクの上司みたいに「あとはよろしく〜!」と後ろめたさなくサッサと帰り、翌朝、徹夜した人の気持ちなんか考えずに「ここ出来てないじゃん。やり直し〜」とヌケヌケと言える神経を身につけるべきなのか。仕事とはそういうもんなのだ、という気もするし、今の若者はそれでは動かない、という気もする。
まぁプレゼン前日に徹夜しなくていいようにスケジュール管理する、というのが一番なのだが…。
ちなみに、今日のこのふたつを終えると少し山を越えるはずだったのだが、昨日の17時すぎにふたつ続けて新しい仕事が入った。ひとつは一週間後の小プレゼン。もうひとつは一ヶ月後の大プレゼン。嗚呼また修羅場か…。「しばらくは少しだけ楽になるぞ」と喜んでいた矢先だったので、ちょっとショック。いや、かなりショック。
寝た寝た〜
2008年10月29日(水) 6:59:14
昨日の夕方、会社のデスクでふと気づく。
おや? 今日の夜、仕事ない? 会食もない?
ぃぃぃいっっそいで家に帰り、まず夜ご飯まで寝た。30分寝た。いかに自分に疲れがたまっているか理解する。そしてサッと夜ご飯。食べ終わってもまだ20時半。メールチェックしたくなる自分を抑えて、歯を磨いて着替えて、とりあえずベッドへ。まだ21時前だ!
なんか早朝覚醒せず済みそうな予感と共に横になる。
一応、湊かなえの「告白」を寝付きの友として読み始めたが、すぐ眠くなる(本が面白くないわけではない)。あぁ、眠くなってくれた! 来てくれてありがとう、睡魔!
そしてそして、次に気がついたのは朝6時半である。
すごい! やった! 早朝覚醒せず!
つーか寝たなぁ。こんなに連続で寝たのは何週間ぶりか。いや何ヶ月ぶりと言っても過言ではない。9時間くらい目が覚めず。快挙だ。めでたい!
って、こんな「普通のこと」で大喜びしてすいません。でも一度医者に行ってこようと決心してたくらい早朝覚醒を苦にしていたし、あまりに疲れが溜まっていて不安だったので、なんだかとてもうれしいのです。「普通のこと」をちゃんと出来るって、そーとーシアワセ。
「ぐっすりと寝たあとの頭の中の感じ」って気持ちいいな。それを味わいつつ。
聴衆によってまったく反応が違う
2008年10月28日(火) 8:16:07
昨日の午前中は某クライアントにて講演。150人くらい集まってくださり、なんとか2時間話しきった。
ここ半年、40以上の講演をこなしてきたが「講演は聴衆次第」ということがようやく実感できてきた。
というか、最近やっと余裕ができてきて、一方的ではなくインタラクティブに話ができるようになってきたのだろう。聴衆に合わせて微調整することができるようになった。余裕がないころは聴衆の反応に関係なく一本道をひたすら走るような講演内容だった。いまはいろいろ寄り道しつつ「どのゴールを目指そうかな」と考えながら話をしている。
それにしても聴衆って本当にそれぞれ違う。
同じ話をしても、同じ動画を見せても、聴衆によってまったく反応が違う。思いも寄らない場所で笑いが出たり、いつもウケる場所でウケなかったり。 もちろんボクの話し方も日によってムラがあるわけで、その影響も大きいだろうけど、土地柄・社風・年齢層・男女比・時間帯などによって意外なほど大きく反応が違うのを肌で感じる。
昨日はびっくりするようなところで笑いや反応が出て面白かった。へー、ここでドワッとくるか、みたいな。全体にとても明るい。実に風通しのいい社風であることがよくわかる。なるほどこういう社風の会社なんだなぁと講演をしてみて初めてわかった感じ。
話し終わって質疑応答の時間になり、最初にされた質問は「講演に関係ないんですけど、ブログ読んでます。さとなおさんの生きる目標ってなんですか?」だった(笑)。会場が揺れる。明るい会社だなぁ。その空気に乗らせてもらって「というか、答えたくない」と失礼にも言い切るワタクシ。また会場が揺れる。笑いで講演が終わった。よかったよかった。
お役に立てたかどうかはわからないが、講演のやり方といい(アドリブ式にした)、自分のリラックスの仕方といい、やっぱり新聞大会での経験がとても役にたっている。あれに比べればたいていのプレッシャーは克服できる。厳しい山を乗り越えるってやっぱり大事だな、と実感。ありがたい経験をさせてもらったなぁ。大失敗していたら人生の汚点として記憶されただろうから、結果論ではあるけれど。
ウォシュレットの後、便座を拭いてくれ
2008年10月27日(月) 6:08:54
海外に行って何がイヤって、ウォシュレットがないことだ。
すっかりウォシュレットに甘やかされた我が尻は、いきなりの紙の生活になれず、なんだかとても痛まってしまう。痛いというかむず痒くなる。汚い話だが残糞感もある。海外では必然的に歩く距離が長くなったりするのだが、尻がその状態だと長距離歩くにも心から楽しめない。
ヨーロッパを旅する場合、ビデが普及しているので、それを上手に利用する方法はある。紙を使用した後にそっとね。でも電動式遠隔操作に慣れた身には相当きびしい。なんか清潔な感じがしない。海外でウォシュレットが普及しないのは「尻にあたるあの水が得体が知れなくてイヤという意識があるから」だとどこかで読んだが、ビデはよくてウォシュレットは抵抗がある、というのは理解できないな。単なる「やらず嫌い」だろう。もっと普及してくれよ。
携帯用ウォシュレットを旅行中持ち歩いている友人もいるが、これもなんかしっくり来ない。なんというか「その道具」を持ち歩く感じがね、少し抵抗ある。とはいえないよりマシ。旅行中はいつも「買ってくればよかった」と後悔するが、出発する前は毎回それを忘れてしまう。今度の海外旅行の際は忘れないぞ。
って、なんでこんなことを突然書いているかというと、日本では最近、公衆の場(レストランとかホテルとかオフィスとか)にウォシュレットがとても増えて、それはそれで実に喜ばしいことなのだが、ウォシュレットの後、便座をちゃんと拭かない人があまりに多いことに少々腹を据えかねているからである。
つまり、ウォシュレットをし終わった後、水圧が強いと便座に水しぶきが残りますよね。それをそのままにしてお帰りになる方がとても増えたと思うのだ。
増えたというか、まぁ普及するに従って目立つようになったということで、そのまま帰る人の割合は昔から変わってないのかもしれない。とにかく、個室に入って便座を見てガッカリすることがとっても多い。あれはやはり使用後ちゃんと拭いて、それから流して欲しい。
とはいえ「ウォシュレットがない海外よりはマシ」という思いもある。
というか、そう思うようにしている。ないよりマシ。あるだけシアワセ。そう考えれば楽になれるので、水しぶきだらけの便座とかを見ると「海外でお尻がむず痒くなることに比べればとてもハッピーなことなのだ」と海外でのむず痒さを思い出すようにしている。ここでこの文章の冒頭に戻る。海外に行って何がイヤって、ウォシュレットがないことだ。思考の無限回廊。
マジすか
2008年10月26日(日) 10:36:05
ちょっと前のことだが、打ち合わせを終えてラストオーダー間際の店に入った。
10年ぶりくらいに来た店であったが、なかなか美味しく食べ、いつしか店内はボクたちだけに。じゃ、帰ろうかなと店を出ようとした瞬間、厨房の方で大きくお皿が割れる音。ガッシャーン! もう客がいないと油断したのか、店員が大きめの声でしゃべっている。
「オマエ、何やってんだよ〜、気をつけろよ」
「スイマセーン」
「あのな、皿の持ち方、いい加減覚えろよ」
「マジすか」
「マジすかじゃねぇ!」
いや、たいしたエピソードじゃないんだけど、「マジすか」の使い方が妙にツボで、同行者と大笑いした。
というか、若者の間で「普通に」や「やばい」の意味が拡散していい意味にも使われるようになったように、「マジすか」の意味も多少変化してる? 「やっぱりそうですか」程度の軽いポジティブ・ニュアンスで若者が「マジすか」を使い始めてる?
いずれにしても、「マジすか」って明治時代の人が見たら日本語と思わないだろうな。マジ=真面目、すか=ですか、と分解できないだろう上に、できたとしても「真面目ですか」っていう文章も相当理解不能。正確に言うと「『マジ』メにで『すか』」の略だろうけど。この言葉の裏にある「ウソ!」みたいなニュアンス、そして「やっぱり?」みたいなもっと高度なニュアンスを明治人が理解できるとはとても思えない。
ま、こんなことを思い出したのも、昨日仕事の電話をしていて、小さなお願いを後輩にしたら「マジすか」と言われたせい。「マジだよ」と普通に答えたが、あそこは「マジすかじゃねぇ!」と叫ぶべきだったかな。それとも「やっぱりそうですか」的に軽く言ったと解釈して流して良かったのか。まぁよくわからんな。
せっかくの2日連休が!
2008年10月25日(土) 14:16:31
超久しぶりに土日連続で休める予定だった。このところの疲労の溜まり具合が尋常ではなかったので、もうホント待ちに待ったという感じの2日連休。
とはいえ相変わらずの早朝覚醒で、今朝は土曜なのに5時すぎに目が覚め、何の気無しに仕事メールを開いたら、あらら、なんだかトラブルの模様。むぅぅぅと読んで、返事を書き、いやこれは直接話さないとどうやらまずいと思い直して朝8時になるのを待って各方面に電話(休日なのにスイマセン)。急いで収束をはかったが、結局明日の日曜は出社と相成ってしまった。あーせっかくの2日連休が!
まぁでもとりあえず今日は寝ようと二度寝するも1時間くらいで目が覚めてしまう。いろいろ心配事項が思い浮かぶのが原因。なんだか自分で企画書書いたりした方が楽だな。後輩の育成が急務なのでそれも兼ねて「任せる」という姿勢で臨んでいるのだが、自分でやらない分、心配ばかりが先に立つ。でも任せないと後輩は伸びない。毎度のことながら「任せる」というのは胆力のいる作業だ。
もう自分でやっちゃう!と一瞬だけ決断してパワポを書き始めたけど、やっぱり止めた。ここまで任せてきたのに、ここでボクが手を出したら逆効果。ディレクションだけして、あとは「任せる」。ストレス溜まるのでジャンク・フードをぽりぽり食べる。ストレス食べ。よくないなぁ。あぁストレス解消したい。
青臭さを失わない友人
2008年10月24日(金) 8:28:03
「La BOMBANCE」で仕事仲間と夕食。
店名はフランス語で「ご馳走」。フレンチ・レストランのようだが和食である。でもフレンチっぽいエッセンスも入っている料理群。日本酒で通したが、フォアグラのソテーに合わせて「醸し人 九平次」をリーデルの大きなグラスで出してくれ、これが料理とよく合った。リーデルで冷酒。おいしいな。
仕事仲間は元同期で、若くして独立し、プロダクションを長く経営している(彼のブログ。他の社員もたまに書いているようだが)。
お互い50歳を数年後に控えて、人生をどうするか、なにを削ぎ落としてなにを残すか、などが話の中心になってくる。広告業界を元気にするにはどうすればいいか、そのために自分たちができることはなにか、なんかも周辺話題としてわりと熱く。そして青臭く。
青臭さを失わない友人がいることは貴重だ。
実はこの青臭さが邪魔になり、昔はお互い仲が悪かった。というかボクが避けていたと言った方が正確か。でもいつしか仲良くなり今に至る。彼は若いときから優秀で有名なアート・ディレクターで、ギラギラした目で派手な仕事をしていた。ボクは彼と親しくなる将来なんかあるとは思っていなかった。親しくなったのは何のきっかけだったかな。今では思い出せない。でもボクが自分のすべきことをようやく理解したころだったと思う。早熟な彼。晩熟なボク。交差した一瞬。
いまでは同期で一番親しいに近い。不思議なもんである。水と油みたいに遠い関係だと思っていたのにな。
たぶんこれから10年20年、他にも「思いもよらない人」と仲良くなるのだろう。その人はいまどこでなにをやっているのか。どう交差してどう親しくなるのか。そう思うと生きていくのがチョット楽しみ。
ありがとう、新聞大会
2008年10月17日(金) 7:08:41
昨日、ホテルから出る直前に慌ただしく更新したときに、新聞に顔写真が出ているとなにげなく書いてしまい、いろんな意味でちょっと後悔しながらヒコーキ乗っていた…。んー、まぁ仕方ないか。でもなんか居心地悪いなぁ…。
ま、それはともかく新聞大会。
超大規模の大会だったけど、終わってみれば「数ヶ月も緊張しつづける必要はなかったかな」って印象。でもそれはなんとかうまくいったから。やはりパネリストも聴衆も社長+幹部だらけ、というのは異様であった。地方紙の社長や幹部ってその地方の名士でもあるし、うちの社長・会長・役員たちも来ているし、だいたい50代60代の男性だらけの聴衆っていうのも経験がない。どういう話題でどういうウケ方をするのか、どのくらい噛み砕けばいいのか、まったく未知数…。
しかも講演ではなくパネル・ディスカッション。講演の場合、自分のペースで話していけるが、パネリストはペースを勝手に作れない。いったいどうなるのだろう…。
午前中は札幌交響楽団(尾高忠明指揮)の演奏。ランチ後は神田山陽のスピーチ(すげー面白かった)。で、基調講演をエコノミストの浜矩子さんが1時間しゃべったあと、いよいよわれわれの出番である。
パネリストは朝日新聞社・秋山耿太郎社長、新潟日報社・高橋道映社長、西日本新聞社・川崎隆生社長、そしてボク。コーディネーター(司会)は北海道新聞社・菊池育夫社長。
舞台の上からの景色はなかなか壮観。オジサンばっかりだー。
「舞台上からこの景色を写真撮ったら怒られるかな」とか思いつつ、アレ?意外とあがってないや、とも思う。講演だと舞台にあがった途端になにかしゃべりださないといけないので落ち着く暇がなく、それが「頭の中真っ白」につながるのだが、パネリストだと司会役が話しをしているうちに会場を隅から隅まで眺められ、現状把握に時間をかけられる。だからなんとなく落ち着ける。
意外と落ち着いている自分にホッとしつつ、しゃべる順番が来るのを待つ。
このパネル・ディスカッション、テーマを「広告」「編集」「販売」「ウェブ」「協調」「企業モデル」の6つに設定し、新聞の現状と未来について、パネリスト全員がそれぞれ5分強ずつ話しをしていく形式。ボクは「広告」と「ウェブ」に関しては専門なので、15分くらい話すように言われていた。あとは他の方と同じく5分強ずつ。つまりひとりで50分くらい割り当てられている。
ボクに求められているのは新聞業界の外からの忌憚なき意見である。いろいろ考えた末、とかく暗い話題ばかりの新聞業界なので、とにかく明るい未来の話をしてやろうと心に決めた。要は考え方で、明るい側面から考えていけばいくらでも明るい切り口は出てくる。綿密に予習をしていく間に「新聞業界の明日は意外と明るい」と思える切り口もいくつか出てきた。そこらをどんどん話していこう…。
最初のテーマは「広告」。
ボクの専門テーマだし、15分しゃべらないといけない。予習はしっかりやったのでしゃべる内容は大丈夫。あとはひと言目。冒頭の1分をゆっくり上手に話し出せさえすれば……と思っているうちに、ボクのひとり前の朝日新聞の秋山社長のスピーチが始まった。
ら、彼はボクの著書「明日の広告」を取り出して、「佐藤さんの本を読んだんですけど、この本にはこう書いてありまして」とボクの本の内容をしゃべりだしたのだ。うわっ、そ、それってボクがしゃべる内容なんですけど!(驚)。で、どんどん引用した上で「この辺について佐藤さんのお話を興味深くお待ちしたいと思います」と結んだのだ(泣)
なに〜!
ボクのしゃべることずいぶん話してしまったし! 用意してあった冒頭の数行も使えないし! ど、どうする !?
少しパニックになりかけたが、ここで思わずマイクに向かって「ひ、ひどい…」とつぶやいたことで、会場がワハハと揺れた(!)。おお !? その空気を掴んだまま司会の菊池社長が絶妙のタイミングでボクに話を振ってくれ、ボクがもう一度「秋山社長、ボクのネタ取ってひどいです…」と続けたところでまたワハハ。
この笑い二発で落ち着いた(笑)
ド頭で笑いさえ取れれば成功したも同然。なぜなら聴衆が一気に好意的になってくれるし、しゃべっている本人も妙に落ち着くからである。
秋山社長の話を受けて話す内容をアレンジし、なんとか自分の持って行きたい方向に話を持って行く。空気が温まった会場に向けて「いやいや、みなさん悲観してらっしゃるけど、ちゃんと変化さえすれば新聞広告の未来は明るいですよ。なぜならですね」と快調にしゃべり始めた自分を、もうひとりの自分が微笑みながら見ている。
そのままいい感じで最後まで。
終了した瞬間、足がふらつくくらいドッっと疲れが出たから、やっぱり緊張はしていたと思うのだけど、わりと多くの方から名刺交換を求められ評判は上々だった。いや、もう、ホント、よかった…。
パネリストの社長の方々ともずいぶん親しくなった。社長!とこちらが身構えなければ、本当にいい感じのオジサンばかり。それぞれの会社では怖い存在なのだろうけど、まぁボクには関係ないし(笑)。特に秋山社長とはいろんな話をさせていただいた(ありがとうございました)。
レセプション会場で少し飲んだあと退散。一度ホテルに帰ってマッサージを受け(逆に疲れが出ちゃったけど)、21時からモリたちと待ち合わせて「ビストロ・ヴァンテール」へ。おいしい料理とおいしいワイン(3本くらい飲んだ)。いい店だ。そのうえうれしい出会いもあり、楽しい夜だったな。
ということで新聞大会、終了。
ま、結果的にはいわゆる「案ずるより産むが易し」ってヤツだったのだけど、この経験はゆっくりじわじわと効いてくる気がする。
特に場馴れのジャンプアップ。野球の日本シリーズなんかで「大舞台を経験してるベテランの強さ」とかが取りざたされたりすることがあるけど、なんかそれに近い感じがあるなぁ。緊張必至の大舞台をとりあえず経験しおえた感覚。←偉そうな意味ではなく。
というか、忘れていたけど、来月、今度は「雑誌の国際的大会」があり、そこではモデレーター(パネル・ディスカッションの司会役)を引き受けていたのであった。むむぅ。パネリストは外国人。むむむぅ…。でも、今、「なんとかなるさ」と思う自分がいる。これは新聞大会のおかげだなぁ。ありがとう、新聞大会。
しゃべれました♪
2008年10月16日(木) 6:45:47
新聞大会のあとマッサージを受け、そのあとずいぶん飲んだこともあり、疲れが出たのかすっかり寝坊。
ヒコーキへの時間がギリギリなので長くは書けないけど、応援してくれた方々へ。
しゃべれました♪
声も震えず、額汗も脇汗もかかず、しどろもどろにもならず。イイタイコトはなんとか言えたかも。なんか高いハードルを越えて少しすがすがしい気分。また少し「自由」を獲得した感じ。詳細はまた書きます。
朝起きてホテルの部屋に届いていた北海道新聞(今年の新聞大会の主催社)を開いてビックリ。主催社だからだと思うけど、新聞大会が見開きで大きく特集されていて、ボクの顔写真も大きく出ています(笑)。メディアに顔写真が出るのは(業界系を除くと)ほぼ初めて。いままでずっと出さずにいただけにちょっと困った…。
あ、空港に向かう時間だ…。
アドリブ系の講演
2008年10月14日(火) 8:50:52
先週も講演がふたつあったのだが、両方ともアドリブ系でやってみた。
ひとつはテレフォン・ショッキング形式。
つまりタモリ役がいて、ボクにインタビューをしてくれる。ボクがアドリブでいろいろ答える。それを聴衆が聞いてくれるパターン。いつもガチガチに構成したパワーポイントを作って、それを映し出して講演するボクにとって、これはあまりないパターン。最初は不安だったのだが、パワポでの一本道じゃない分、アドリブや周辺のイイタイコトなどを自由に織り交ぜたり会場の空気に合わせて話題を変えていったりもでき、一本道の講義よりずっとカジュアルでくつろいだ会となった。
あれ? オレ、意外と話せんじゃん。
それが正直な印象。しかも意外と楽しい。
で、ふたつめの講演も時間が短かったこともあり、アドリブ系にしてみた。
パワポは作ったが、「不況→広告費削減とならないために」「マス広告だけではなぜダメなのか」「クロスメディアという言葉の罪」「イマなアイデアの出し方」「言うは易し、消費者本位」みたいに、一枚に一行、テーマを次々提示するのみ。そしてそのテーマに沿ってアドリブで話していくのだ。これも初めてのパターンだったんだけど、意外といけた。カジュアルな形式だから会場からの質問も自然と盛り上がり、こちらも答えやすかった。
って、いままでどうやっていたのだ、と思う方もいるかもしれないけど、アガリ症でしゃべりが下手だった(もしくはそう思い込んでいた)ボクは「パワポで完全に構成された講演なら話せるけど、アドリブ的に話していくのは死ぬほど苦手」と思い込んでいたのである。
この苦手感覚は話し下手しかわからないかもなぁ。講演直前までは普通にしてても、演壇にのぼって聴衆の顔を見ると急に緊張してくる。うぅこれはイカンと思って緊張したまま冒頭のジョークを言う。噛む。会場はシーンとしている。わき汗がドー。そしてしどろもどろになってしまう……あの頭が白くなる感覚…。ただパワポがあればすぐ一本道に入ることができ、適当に盛り返せるのだ。アドリブだとどんどんしどろもどろが深くなるだろう。
でもここ半年の多量の講演体験で、いつの間にか(少なくとも広告コミュニケーションというテーマでは)意外と最初から自由に話せるようになってきた。すべて場馴れのおかげ。話しなんて急にうまくなるわけではないが、場馴れすると少なくとも冒頭がスムーズになってくる。冒頭がうまくいけば後は大丈夫。普段の口調でにこやかに話せる。時には会場を掴める。講演は冒頭次第なのだなぁ。
と、このふたつのプチ成功体験(?)を思い浮かべて、明日(ついに明日!)の新聞大会のイメージングをする毎日。うまくいくぞうまくいくぞうまくいくぞ ←オーム真理教方式
モノではなくコトを贈る
2008年10月13日(月) 6:46:07
8月末にイタリアに行き、漫画家ヤマザキマリさんの旦那の実家である「モーレツ家族」の家に数日泊まらせていただいたのであるが、帰国してから「さて御礼をどうしよう」と悩んでいた。
とりあえず手紙を書こうと思ったが、考えたらイタリア語の手紙など書けない。あちらも英語は不得意であるから英語もダメ。じゃあ食品かとなるが、これは行くときにお土産である程度持って行ってしまっており、なんか工夫がない気がする。
うーむ…。
悩みつつ、そこで過ごした楽しい日々を写真を見ながら懐かしんでいるうちに、「そうだ! モーレツ家族と過ごした日々を写真集にして贈ろう!」と思い立った。
いまではネットにいろいろ写真集サービスがある。
これを利用して小冊子を作ることにした。
選んだのは、Photoback。
サイト上でちょちょちょと作って発注ボタンをポンッ。1週間後には素敵な写真集が出来上がった。1冊1890円。イメージより小さいが慣れると逆に可愛い。(表紙の写真:モーレツ家族でのパーティ風景)(ピクニックの写真:みんなでドロミテ渓谷に出かけたのだ)
イタリアのモーレツ家族、そしてポルトガルのマリさんのところに送った。
マリさんのところには着いたらしく、ブログにアップされていた。ウケたようで良かった(ホッ)。
モノではなくコトを贈るって、いいかも。
海外や国内でお世話になった人に贈るとき、これからも活用しよう。
なりふり構わず「伝えて、売る」
2008年10月11日(土) 14:00:07
強烈な世界同時株安で一気に経済がシュリンクしそうな昨今。
あえて(あえて、ね)脳天気に「広告のコミュニケーション・デザイナー」として発言をすると、テレビCMや新聞広告がふたたび盛り返すようになるのではないかと思っている。広告費の落ち込みで苦況に陥っている両業界だが、不況感が蔓延するとヒトは家を出なくなる。行動を控え守旧派的になる。お茶の間にタダで流れてくるエンターテイメントであるテレビ、そして黙っていても宅配されてくる新聞をいつもより見るようになるのは確か。
まぁ単純な発想だけど、家にテレビがあり、新聞もとっているという前提に立つと、お茶の間がもう一度機能し始める可能性はわりとあるんじゃないかな。そこにどんなコミュニケーションをとっていくか、それを考えるとちょっとワクワクする。
というか、ボクを含めた広告マンは、いまこそ「広告で商品が売れた!」という事例をたくさん作るべくがんばらないと、この業界は一気にシュリンクしてしまう。ただでさえも広告が効かないと言われ始めて数年、この不況の風はそこに追い打ちをかけてくるだろうし。
広告で売る。そのためには変化した消費者(生活者)に合わせて、広告手法自体が大きく変わらなければ無理。イメージがどうの、ブランディングがどうの、ではなく、今は自覚的に「広告で売る」というゴールを設定して、なりふり構わず「伝えて、売る」ということをやらないといけないと心底思う。まぁその辺、拙著にもさんざん(ポジティブに)書いたが、なんかまだまだみんな危機感なさすぎな気がしてならない…。
ちなみにボクの企画書はこのごろ「○○(商品名)を○○億円売るために、我々がお手伝いできること」みたいな表題が多い。題名でゴールを明確に金額で設定して、そこに向かって細かくコミュニケーション・デザインしていく。広告の範疇ではないことまで言及していく。データと首っ引きで試算して作り上げていく。
そんな企画書、クリエーティブ部門っぽくないと思うかもしれないし、数字も不得意なのだけど、そのくらいな意識じゃないとさすがに生き残れないんじゃないかと、わりと冷や汗かいているのだ。
広告業界志望の学生に会ったりすると背筋が伸びる。
ボクらは彼らに「明るい広告の未来」を見させてあげないといけない。残してあげないといけない。そこをちゃんと自覚したい。
人生でもトップクラスのプレッシャー
2008年10月10日(金) 8:35:37
来週の15日(水)に、人生でもトップクラスにプレッシャーのかかる仕事があり、日々緊張が高まっている。
テンションが上がったり下がったり、人に頼ったり独りを欲したり、異様に元気になったり急に疲弊したり、なんだか気分が乱高下。というかですね、この仕事を言われたのが6月。なんでそんなに早く言うかな。この4ヶ月、ずっとこのプレッシャーと闘っている。
親しい友人にはちょこちょこ愚痴をこぼしているのだが、違う業界の人にはこのプレッシャーがわかりにくいようで、理解してくれようとはするもののどこかでピンと来ていない模様。それもそうだろうなぁ。
かといって会社の同僚ならわかってくれるかというと、ボクの周りのクリエィティブ部門の人間はピンと来ない様子。まぁボクでも他人事だったらピンとこないかも。だから気楽な気持ちでその仕事を受けてしまった。受けたあと、いろんな説明を聞いているうちに「こ、これはひょっとしてオオゴトなのでわ!?」とびびりまくった次第。
実は新聞業界の仕事(依頼は新聞協会より)なのだが、どうやら新聞業界ではその年最大のイベントで(その名も「第61回新聞大会」)、うちの会社のその部門の人間に話すと一瞬絶句した挙げ句「そ、それは……地獄だなぁ」と憐れんでくれる。そんな類のプレッシャーなのである。
新聞大会というのは、よく知らなかったのだが、全国の中央紙・地方紙の社長・副社長・専務クラスが年に一回一同に会し、新聞のあれこれについて話し合う、というイベントである。地方の持ち回りで、今年の開催は札幌。大会式典は尾高忠明指揮による札幌交響楽団の演奏から始まる。そういう大イベントなのである。
ワタクシに課せられたその仕事とは、その新聞大会の壇上でパネル・ディスカッションをする、ということ。日本語で言ったら座談ですね。
座談といっても3時間を超える長丁場。聴衆は日本の新聞社全紙の社長・副社長・専務クラスがズラリ(日本の新聞社はこんなにある)。全員スーツの大観衆だ。んでもって、座談相手の4人(ボクを入れて5人で座談)がこれまたみな社長さんなのである(!)。朝日新聞社社長、新潟日報社社長、西日本新聞社社長、そして司会は北海道新聞社社長。そこにボク。一介のクリエィティブ・ディレクター。なぜボクがその場にいないといけないのか、いまだに理解に苦しんでいる。
講演と思ったのでまぁなんとかなるかと引き受けたのだが、座談と知ったのはちょっと後。座談はまったく未知数だ。壇上でアドリブがきかないタイプなので不得意分野。というかパワポなしでなんかしゃべれないよ。しかも相手は社長様たち。新聞業界素人のボクにいったい何を望んでいるのか。まぁ当日聞かれる話題についてはだいたい教えてもらっているので予習はできるし、素人だからこそ出来る発言もある。それにしても、んー、困った…。
たぶん拙著「明日の広告」でメディアの明日をポジティブに書いていることが人選のキッカケだと思うので、当日は超明るい話をしようとは思っているが、それにしても、座談相手が座談相手、聴衆が聴衆。しかもうちの会社の社長・専務・常務・局長クラスまでみな来るという。あー胸が痛くなってきた(←数週間来の胸の痛みの原因はこれかも)。
乗り越えるべき山が高ければ高いほど、乗り越えた後は違う風景が見える。
もともとアガリ症で話下手のボクにとって、チャレンジし甲斐のある高い山である。でも違う風景が見えるには「乗り越える」ことが前提。頭が真っ白になり、声が震え、大汗かき、支離滅裂な話をしてこの大切な大イベントを台無しにする自分の姿がちょっと想像できる(わぁ)。あぁ逃げ出したい!
札幌ではモリが脳天気に「飲みましょうねぇ!」と待ってくれているが、ごめん、前日夜とかに飲んだらプレッシャーから深酒しちゃいそうだよ。あ、二日酔いくらいで行った方が逆にアガらないかも。いやいややっぱりそれはダメだ。んー……また胸が痛くなってきた(笑)
シーシュポス
2008年10月09日(木) 12:51:10
ターミナルケアに従事する医師と、ある宴席で隣り合い、少し話を聞いた。
「ボクたちの仕事のゴールは、相手の死なんです」と淡々と話される。本来、相手を治すのが仕事なのに、治さずに見送ることが仕事となる矛盾は、最初彼を悩ませたという。相手の死がゴール。いったい達成感はどこにあるのだろうか。
いまではその辺は吹っ切れたとおっしゃっていたが、なんかその人がシーシュポスに見えた。
もちろん、その仕事が徒労に近いのだと言いたいわけではない。患者の笑顔、家族の安心はなによりの糧だろう。でも、なんというか、自分が患者のために積み重ねた時間が、患者の死とともに無に帰す感覚が、どこか、苦労して岩を山頂まで押し上げたあげく、岩が転がり落ちてはじめに戻る、という「シーシュポスの神話」の不条理さを思い起こさせる。
自分の努力や苦労、喜びや悲しみ、そして毎日の営みが、相手の記憶が消滅すると同時に消えてなくなってしまう感じは、老夫婦の片一方が亡くなったときの、残された人の絶望によく似ている気がする。
残された人で自殺する人がいるが、あれは愛した人を亡くした悲しみというより、相手の中に長く長く積み重なった自分の時間そのものの消滅を絶望するのではないだろうか。
人生は、肉体の死のあと、自分のことを覚えている人がひとりもいなくなった時点で本当の終わりを迎える。
次々亡くなっていく患者たちを見送ることは、彼らに記憶された自分の時間の消滅を見届け続けることでもある。それにボクは耐えられるのかどうか。ちょっと頭の中でシミュレーションしてみただけで、したたかに悪酔いしてしまった昨日の夜更け。
風呂に入るのは午後9時36分
2008年10月08日(水) 8:16:45
昨日ノーベル物理学賞をとった3人のうちのひとり益川敏英教授は、時間を決めて行動するのが好きだという。出勤時間は毎朝午前8時2分、風呂に入るのは午後9時36分と決めていた、というのである。
出勤が分単位で決まっているのはよくわかる。電車の都合とかもあるだろう。うちの子も「6時47分にNHK街角情報室のテーマ音楽が流れるときに家を出る」と決めていて、まぁ分単位だ。でも、風呂が分単位で決まっているのはユニークだなぁ。午後9時36分。なぜ36分? どうせなら9時31分にすれば、ク・サ・イという語呂合わせで風呂っぽくなるのに(アホか)。
とはいえ、この「時間を決めて行動する」というのは実はよくわかる。
日常をあるサイクルで「自発的に」律すると、日常の生活が自分のペースで習慣化され、ものを考えたり継続して執筆作業をするときなどに好都合なのだ。この「自発的」というのが大事。「風呂に入るのは午後9時36分」と自分で決めることで、他人の都合に影響されず自分本位で動くことが出来る。他人の予定がどうであれ、午後9時36分には風呂に入る、と決めて、自分のペースをキープするわけだ。
ボクも本を書くときなど、日々の習慣化は意識する。他人の都合に合わせて日々を生きてると執筆なんてとても出来ない。テンションの維持もできないし集中力も続かない。サラリーマンは他人(クライアントとか上司とか)の都合に合わせて日々の動きが決まる職業だからそれがかなり難しい(事務職を除く)。本を書くときはそんな中でも出来る限り自分ペースにもっていって習慣化する必要がある。そうしないと、連載をまとめるとかは別にして、長い書き下ろしなんか無理だなぁ(「明日の広告」は書き下ろしだった)。
まぁ益川さんみたいに分単位は難しいけど、もう少し自分のペースで日々を律して生きないと、クリエィティブな社外活動なんかできない、と反省しつつ、今日も明日も他人のペースで生きていくのが決まっている。来週も再来週も。今月も来月も。どっかでこの連鎖を断ち切って集中せねば。
秋田いい店、行くべき店
2008年10月05日(日) 11:48:09
クレア・トラベラーの連載「二泊三日のうまうま旅」で秋田を考えています。
以前、高知の情報をお願いしたことがありましたが、編集の関係で高知は戻りガツオの時季まで待つことになり、先に秋田に行くことにしました。
で、実は秋田って足を踏み入れたことがないんです。
きりたんぽ、ハタハタ、比内地鶏、稲庭うどん、そして美味しいお米など、いくつか思いつくのですが、どなたか「秋田ならここ!」という店、ご存知の方がいらっしゃったらお教えいただけると幸いです。新幹線で行けるので、仕事の合間を見てさっと下見食べに行きたいと思っています。秋田のいい店、行くべき店。特に朝ご飯にいい店なんか、全くノーアイデアで…。
この連載もそろそろ終盤。本にまとめる段階になってきました。
いままで連載したのは、東から言うと、札幌、仙台、軽井沢、名古屋、金沢、京都、大阪、博多、長崎、那覇。それに来月号の広島・尾道、特別編のニューヨークを足して12都市。あとは秋田、高知、宮崎、新潟、そして身近な横浜・鎌倉あたりのどれかを足して連載を終了し、本にまとめるつもりです。本用の書き下ろしは、東京、台湾、ソウル、かな。
その街に二泊三日の旅をするなら、昼夜朝昼夜朝昼の7チャンス、どこで食べればいいか、をエッセイ風に書いていく旅の本。来年の夏くらい目標で書き上げたいと思っています(大幅加筆予定)。
ということで、秋田の情報など、もしありましたら、よろしくお願いします。
みずの実
2008年10月03日(金) 7:42:50
昨晩行った店にも「みずの実」があった。
みずの実。東北の方の山菜で晩夏が旬。茎の部分に実がついている独特な山菜。シャクシャクした食感で実にうまい。東京ではまだ知らない人が多いが、数年前から「みずの実」を出す割烹や居酒屋がポツポツ出てきた。今年は3軒目の出会い。初めて食べてからボクはずっとみずの実のファンで、メニューにあったら必ず頼む。
みずの実を食べつつ、昨晩は珍しく会社談義。
新たに部長になった後輩とふたりで飲んだのだが、彼の悩みや不安がびんびん伝わってきて、こちらも妙に熱心に自分の体験などを語ってしまった。食事の場で会社の話とかほとんどしないので(消化に悪いし)、逆に新鮮。しゃべりながら、あぁ自分はこんなこと考えているんだ、と自分の思考を確認した感じ。
なるほどこうやって世のオヤジたちは会社談義・仕事談義・人事談義をするのだなぁ。
麻薬(やったことないけど)みたいに気持ちがいいのも少しわかる。だらだらと仕事周辺の話をしていると変なカタルシスがある。でもやはり封印しよう。仕事が終わったら、なるべく仕事と関係ない人と食事をし、仕事と関係ない話をする(結果的に後で仕事につながることはあるが)。ずっと心がけてきたこの方針は、こういうちょっとしたカタルシスから崩れていく。
仕事相手と飲まないわけではない。クライアントとも飲みに行くし、先輩とも後輩とも飲む。でも会社談義や仕事談義、人事談義はなるべく封印。
社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え。
この言葉の効果を、四半世紀くらい会社にいて、いま改めて実感している昨今ゆえに。
主治医かつ現役シンガー
2008年10月01日(水) 9:45:51
胸が変、という症状について恐怖体験談をいろいろいただきました。心肺機能に自信がある方でも突然なるのが心臓関係の病気なんですね。「ま、なんとかなるさ」と甘く考えていたボクもさすがに怖くなって病院行きを考えていたところ、タイミングよく主治医である「まーく」さんから「その症状だとこうこうこういう可能性があります。不安ならすぐ来てください」というメール。ハイ、スグ、イキマス…。
まーくさんは医師にして、現役のシンガー・ソング・ライターでもある。
ボクが中学生のときに毎晩聴いていた深夜放送「たむたむたいむ」のスター。この番組、リスナーから持ち込まれた歌を紹介する「自作自演の歌」というコーナーがあり、そこでハックルベリーフィンというデュオ・グループの「流れ星」という歌がしょっちゅうかかっていたのだ。番組最大のヒットじゃないかな。なぜメジャーで売り出さないのだろうと思うくらいの名曲で、ボクも大好きだった。いまでも暗唱できるくらいよく歌っていた。そのデュオ・グループのふたりのうちのひとりがまーくさんなのである。
人生とは不思議なもので、35年近く前の暗い夜、ラジオにかじりついて聴いていたあの曲を歌っていた人が、いま主治医的にボクを診てくださっている。
ひょんなことから「たむたむたいむ」のパーソナリティであるかぜ耕士さんと個人的におつきあいさせていただくことになったボクは(これも人生の不思議のひとつ)、「たむたむたいむ」サイトのお手伝いをすることになったのだが、そのオフ会でハックルベリーフィンのおふたりと知り合ったのである。その後、まーくさんはボクのサイトを読んでくださるようになり、メールのやりとりが始まった。
で、今年の初夏、ボクが不調に苦しんでそれをこの「さなメモ」に書いていたら、まーくさん(医師バージョン)からメールでアドバイスをいただき、ついには診ていただくようになったのである。そして今ではもうほとんど主治医。
ボクにはサイト読者という心強い医者代わりがいて、あまりにひどい生活をしていると警告を発してくださる方がたくさんいるのだが、実際の主治医もサイト読者というのは(ちょっと裸や数値を見られるのが恥ずかしいが)これまた実に心強いものだ。だってボクが不調に苦しんでいると、それを相談する前に主治医からメールが来るのである。なんと贅沢な(笑) 「主治医がボクのサイトを毎日のようにチェックしてくれていて、生活や体調を把握してくれていること」の安心感と言ったらない。
昨日も診察室に座ったらすぐ「最近忙しいもんねー。とりあえずこの検査とこの検査をしましょう」と、こちらが状況を説明せずとも完璧に把握されていて戸惑うほど。廊下ですれ違った病院職員の方も「あ、佐藤さん、ブログ読みましたよ。大丈夫ですか?」と気遣ってくださる。いや、実はまーくさんが医院長を務める奥沢病院が属する病院グループで講演をしたことがあり、病院内にそれを聴いてくださった方が何人かいるのである。
奥沢病院は決してボクの家から近いわけではないが、少々遠くてもこの環境はもう手放せない。普段からボクの生活や体調を掴んでくださっている医師と出会うなんてことはめったにないし、現役で歌を歌っているというのがまたいい。知り合いでもあるのでいつでも電話で体調を相談できるのも素晴らしい。セカンドオピニオンにも柔軟だし、気軽に検査にも応じてくれる。しかも、病院の方々が実にアットホームで明るい雰囲気。建物は古いが居心地がとてもいいのである。
ちなみに検査結果はシロ。
いろんな検査をしてもらったが、心筋梗塞系の疑いはほぼないそうだ。ホッ。というか、血液検査の数値なんて初夏の不調時より良くなっていた(笑)。なんてカラダだ。そのうえ、2ヶ月ほとんど酒を飲み続けているのに、γ-GTPの数値まで下がっていた。うーん…。
でもまぁ胸にはまだ違和感あるので、いろんな可能性を話し合い、とりあえず今日は会社を休んで一日休養することに。ストレスや過労が遠因であることは間違いないだろうし。ゆっくり寝ます。おやすみなさい。
プレゼンって学校の必須課目にした方がいい
2008年09月30日(火) 7:12:22
昨日の朝は快調。昼も快調。お? この快調感は久しぶり! と喜びつつ溜まった雑務や打ち合わせをこなしていたが、夕方くらいに急にふらふらになった。あれ〜と思う間もなく一気にガス欠症状。体力の底が浅くなっている模様。もう眠くてしんどくて倒れそうだったが、講演があったのでとりあえず向かう。
控え室で数分、気を失うように寝て、18時半から講演。
聴衆は20代30代を中心に120人。若手中心の伸び盛りの会社。業界トップクラスの活躍をしている会社でもある。富山での不出来が頭をよぎったが、眠すぎたこともあってか超リラックスして話を始めることができ、そのままリラックスしたまま最後まで。あぁやっぱりリラックスって大事だな。聴衆が満足されたかどうかは別にして、話す側としてはわりと満足できた。少し自信回復。まぁ時間がたっぷりあったのも良かった。やはり1時間半から2時間は欲しい(いまは伝えたいことがたくさんあるので)。上手に1時間にまとめるワザはまだボクには無理のようだ。今月は短時間の講演が多いのでちょっと憂鬱。
プレゼンって、学校の必須課目にした方がいいな。もしくはスピーチ。
社会に出たら相手にプレゼンする場面が激増する。自分自身がどういう人間かを相手に伝える場面も激増する。国際社会であればなおのこと。もう超必須技術である。でも、高校でも大学でもほとんど教えない。赤面せず、あがらず、リラックスして話すのは(しゃべりが得意な人を除いて)ひたすら場馴れと訓練が必要だ。座の空気を掴み、引っ張り、なごませるワザは、超不得意なボクでも「あぁこういうことか」とわかる瞬間がある。体系的に訓練したらきっと近道があるだろう。
とか思いつつ、懇親会もこなして帰途につく。あぁ今日も酒を飲んでしまった。もともと週に2日は酒抜きの日がある生活をしていたのだが、8月以来ほとんど毎晩飲んでいる(飲まざるを得ない状況)。ペースを週2日酒抜きに戻したい。11月にはこの異様なペースから脱出できる見込み。
家に帰って落ち着いたらまた胸が少し変。心筋梗塞の前兆を疑った方がいいですよというメールをいただく。ありがとうございます。疑ってみます。
「営み」の欠如
2008年09月29日(月) 12:08:42
久しぶりに寝た。長時間。ひたすら。崩れるように。
ずっと休んでなかったこと、地方への往復、深夜作業、仕事や講演の様々なプレッシャーなどが一気に来たらしく、なんかいくら寝ても疲れがとれない感じだった。胸が変。締め付けられるような違和感があり、それがとれない。マラソンを走ったあとのような胸の痛み。まぁ今朝はそれがとれていたのでもう大丈夫かな。たぶんストレスだろう。もろもろやりすぎ。
家族は旅行に行っているので、誰もいない日曜日だった。あ〜寝たな〜。多少起きている時間があったが、頭はまったく働いておらず、さなメモだけはいつの間にか更新していたが(習慣とはすごいもんだ)、それ以外は思考停止。いま大地震が来てもボンヤリ当然のように受け入れちゃうのではないか、と思うくらい思考停止。
おかげで今朝は気持ちよく目が覚めて、犬と一緒に小雨の中を散歩。
ここしばらく余裕がなく、犬散歩も家族に任せきりにしていたのだが、こういう「毎日のこと」の大切さに改めて感じ入る。
「毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら」
加藤登紀子さんの言葉。
要するにボクは「営み」をしてないのだな。突っ走る時期(20代30代)を越え、ずいぶん「営み」に近づいたと思っていたが、少し忙しいとすぐ元に戻ってしまう。目新しいことに夢中になってすぐ捨ててしまう。
この辺のバランスが人生の肝要。
もっと気持ちよく生きられるよう、もう少し意識して地に足をつけよう(←でもきっとまたすぐバタバタと浮遊しだすのだろうけど)。
しゃべりが低調
2008年09月27日(土) 22:26:26
昨日の富山の講演、なんか最初からギクシャクしてしまい、あまり上手にしゃべれなかった。
というか、もともと話はうまくない方なのでこれが普通といえば普通なのだけど、ここ十数回それなりにちゃんとしゃべれていたので油断したかも。富山に着いてから講演パワポを作ったくらいギリギリだったのも要因か。いずれにしても富山の方々に申し訳なく、少し落ち込みつつヒコーキで帰ってきた。
今日のプレゼンはその影響もあり、少しおっかなびっくりで話し始めた。内容は自信があったが、しゃべりは相変わらず低調。んー、よりによって大事な仕事のときに限って低調が来るとは。話しているうちに低調を回復できるような技術がほしい。
でもまぁ結果としては70点。ある程度決まり少しホッとしている。これからまだひとヤマもふたヤマもある仕事だけど、無事完走できるようがんばろう。明日は少し休める。寝るのみ。
キトキトのはずだった
2008年09月26日(金) 6:46:16
本当は昨晩は富山でキトキトの魚を食べているはずだった。
今日の昼、富山の関係会社に地元のクライアントをお招きして講演をするのだが、古い先輩が支社長をしていることもあり、前泊でおいしい魚と日本酒をご馳走になっているはずだったのだ。
でも、昨晩午前2時。なぜか東京の編集室で企画の打ち合わせをしているワタクシ。
忙中閑ありの一泊富山旅のはずが、朝いちのヒコーキで発って18時には東京に帰ってくる日帰り突撃出張に。
帰ってすぐ会社で打ち合わせ。その後はいったい何時になることか。
カマス、鯛、アオリイカ、フクラギ…。
白エビにはもう遅いかもしれないけど甘エビが旬になりつつあるかもなぁ。あ、ゲンゲもそろそろかなぁ。と、無駄な想像をしてみたりする。冷やおろしを飲みつつ食べたかったな。
昨日もよく働いた
2008年09月25日(木) 7:37:25
昨日もよく働いた。
早朝はオッジの原稿書き。〆切日。推敲してメール送信ボタンをポチと押したらもう出社時間。いっそいで出かけてまずは打ち合わせ。その後、土曜の大きなプレゼンのための企画書を集中して書く。一昨日に状況がかわり、半分以上書き直しになったのだ。勢いのみで2時間で書き上げる。意外と出来たかも。でも客観的になれるまで半日ほど別のことをしてその後チェックすることにする。
昼ご飯は平河町に出かけて編集者の方々と打ち合わせご飯。ボクの連載の担当編集引き継ぎや誌面デザインの打ち合わせ。担当編集者がおめでたで産休に入るのだ。いま周りでおめでたラッシュとか。バタバタだったがやはりちゃんと会うのはよい。メールだけというのはバランスが悪い。顔見て話さないと。
天ぷらでお腹一杯になり、午後からは睡魔と闘いつつ打ち合わせをいくつか。事務・雑務作業を後回しにしているうちに溜まってしまい、提出書類や申請書類の山がちょっとヤバイ量。フロスト警部状態。でも仕事が追ってくるんだもん無理だよ、と自分を正当化して見て見ぬふり。この先送りがどんな事態を引き起こすのか一瞬想像するが、やっぱり見て見ぬふり。
夜、グーグルで講演だったので、夕方遅めから講演内容のチェック。今週は講演が3つ。「9月以降なら」と夏ごろ先送りしたツケである。
1時間10分という時間に入るように2時間用の講演を削り、聴衆の方々(グーグル社員ではなくクライアント系)に合わせるために内容を少し入れ替えたりしているうちにもう出ないと間に合わない時間に。
19時から渋谷のグーグルにて講演。約100人。
ボクの話なんかよりグーグルのオフィスを見に来た方々が多いんだろうなと思いつつ、内容が盛り沢山なので早口で走り抜ける。いままではテレビCMや新聞広告が「エースで4番」で、彼らが打てば試合に勝てたんだけど、消費者が変化したこの時代、打線のつながりで点を取らないと勝てなくなったんです、なぜならこうこうこういう流れだからです、じゃあどうすればいいかというと例えばこういう事例、ボクの発想法はたとえばこういう風。みたいな講演。
テレビCMや新聞広告が「エースで4番」というワンマンチームではもう勝てない。とはいえ、彼らのチカラが落ちたわけではない。3番4番であることはかわりはない。ただ彼らのホームランだけに頼っていてはもうダメなのだ。1番が塁に出て機動力を発揮して、2番がつなぎ、と、全員野球で勝っていく時代だ。例えばこんな打線。
1番 検索(SEM)
2番 CGM
3番 新聞広告
4番 テレビCM
5番 ネット広告
6番 雑誌広告
7番 交通広告(OOH)
8番 ラジオCM
9番 モバイル広告
他に優れた代打要因もたくさんいる。メディア・クリエーションやフリーペーパー、アドバゲームなど魅力的な代打が揃っている。それらを使ってどの打順からも点が取れるチームにしなければいけない。
ちなみに上の打順はメディアのチカラの順ではない。この順番で消費者を誘因するということでもない。検索の機動力、クチコミのつなぎ、マスメディアでどかん、街メディアで駄目押し、消費者の行動動線に沿って下位打線できれいにつないで点を取る、という無理矢理な例示をしてみただけ。ラジオやモバイルが1番打者に座るチームもあるだろう。それも消費者本位で決めていく。
昨晩はこんな比喩から講演を始めてみた。ラブレターといい打順といい、比喩が多いヤツだ。
講演終わって名刺交換して21時すぎ。編集室に直行し編集作業。
夜23時ころ夕食のお弁当。うな重。腹に染みいる。午前中に書き上げた企画書を後輩に見てもらい、客観的にもう一度精査する。一部が妙にくわしすぎることの是非を話し合いつつ、8割方これでいいかもと納得する。
企画案の精査をしつつ編集チェックをして、27時くらいに帰途につく。翌日(今日)は企画書仕上げの日で、目一杯アタマを使わないといけないので少しでも睡眠時間を稼ぎたく、ボクだけ先に帰らさせてもらった。みんなはあと数時間。役割分担ということでよろしく。
で、さっき起床。今日明日がヤマ。乗り越えられますように。
広島はちょうど分かれ目
2008年09月23日(火) 8:37:59
東京から広島だったらヒコーキで行く、という人が多いと思うが、ボクは新幹線である。
まぁもうちょっと先の博多になるとボクもヒコーキかな。5時間はさすがにきつい。でも広島はちょうど分かれ目。姫路や岡山だと完全に新幹線。広島だと一瞬迷う。4時間弱。新大阪からさらに1時間半弱か。んー、でもまぁ新幹線かな。
理由の1は「飛び乗れる」ということ。
便数の少ないヒコーキと違って、予約せずに仕事の具合で飛び乗れる。本数も多い。腰がちょっとつらいがアジア方面にエコノミークラスで行ったと思えばたいしたことはない。ヒコーキって乗っている時間は短いけど、空港と市街との移動を考えると意外と時間がかかるし、万が一乗り損ねたら大変。しかも先週末みたいに台風が接近しているときは欠航だってありえなくはない。そういうリスクを考えるとやはり新幹線。
理由の2は「1985年の日航機事故」。
ボクの入社の年であるが、ボクが勤めていた大阪支社から7人の死者が出た。そのうち4人はよく知っていた人。うち2人は入社半年とはいえわりと目をかけてもらっていた人。よく話した。ご飯も行った。その人たちが一瞬にして消えていなくなってしまった。あの夏は葬儀だらけだった。
入社直後のこの体験は強烈で、ヒコーキに乗らないと行けない場所、あまりに遠い場所以外は基本的に電車で行くという発想の元になっている。特に出張。出張なんかで死んじゃうのはとてもイヤ(労災が出るので家族にはいいけど)。リスクは少しでも避けたい。もちろんヒコーキ事故の確率はとても低いし、地上で行ったって事故に合う可能性はある。でもまぁ日航機事故の悲惨さを思うと近場で乗る気にならないなぁ。
ということで、東京からの場合、広島は分かれ目なんですね、ボクの場合。広島以西だとヒコーキ。広島は新幹線。
東北方面だと、青森までなら確実に電車。札幌だとさすがにヒコーキ。北陸は一瞬迷う。金沢も富山も電車で行けないことはない。でもまぁ不便すぎるのでヒコーキかな(早く北陸新幹線、走れ!)。そんな感覚です。
「あ」の人やら「わ」の人やら ー3
2008年09月19日(金) 5:51:32
メール受信簿が「『あ』の人です」「『わ』の人です」みたいな件名で埋まっています(笑)
ええと、全部ご紹介したいけどそれは無理なので、いったん今日で中締め。また面白いのが溜まったら書くかもしれません。
- 祖父が「す」の人です。わりと早くに亡くなったのですが、そのときに来た弔電が見事に「さ」行のオンパレードでした。「か」行はなし。「た」行が一人二人いたかな? 私の交友関係も出席番号まわりの人が多かったので、ほほー、いつの世も同じじゃのうと思いつつ弔電をチェックしていたことを思い出しました。
- わたしの苗字は、和田。いつも席順は最後でした。高校時代の仲良しの友人を思い浮かべてみると、堀(ほ)、山田(や)だったりして、ご高説ごもっともです。
- わたしは「か」ですが、高校の友達は「あ行」と「か行」と「さ行」が圧倒的です。なんか「ま行」「や行」「ら行」「わ行」って廊下側ということもあって暗い印象があります。まったくの偏見ですが、でも遠い人たちでした。
出席番号が交友関係にも影響を与える話、意外と反応が多かったです。
この論を発展させると、たとえば、「あ」の人は窓際の列で、交友関係が右側の列の人に偏り、「わ」の人は廊下際の列で、交友関係が左側の列の人に偏るのに対し、「さ行」「た行」「な行」あたりの人は必ず両側に列があり、交友関係も前後両側360度に気を配らないといけないという意味で、社交的かつ気遣いの人が多いかもしれませんね。窓際の列の人や廊下際の列の人は180度に気を配ればいいから比較的閉じこもって生きていくのも可能。「あ」の先頭の人や「わ」のラストの人に至っては90度に気を配っていればいい。これも性格に影響を与えているかも。
あと、ずっと窓側だった6年間と、ずっと廊下側だった6年間というのも影響を与えそうですね。
「あ」や「わ」がうらやましい、という積極的な方も。
- 私は「た」で、小学校1クラス40人のうち出席番号は24番から26番までというのが常でした。最初でも終わりのほうでもなく、かといってど真ん中でもないあたりが非常につまらないなーと思ってました。中3で海外の学校に移りましたが、アルファベットの中のTのポジションって、五十音の中での「た」とあまり変わらないんですよね、感覚的に。これも中途半端だなーと思っていました。
- 私は「は」の人です。何でも目立ちたいタイプとしては中学高校とつまらなかったですね。「あ」の人がうらやましかった。急に当てられるの得意なんです。私ならこう答える、こうアドリブする、と内心シミュレーションしては、何で「は」なんだろうとイライラしてました。
前々回、前回と、「あ」の人は大変だ、損をしている、という見方が多かったですが、「あ」をうらやましく思っている方も意外といる、と。他にも「あ」ですごい例とかモテる例とか。
- 私も「あ」のひとです。小学校時代はずーっと出席番号1番でした。でも、私立中学に入ったら前に3人、さらに「あ」の人がいてびっくり。特にそのうち一人の「あ」の友人はまさに、さとなおさんが書かれているように「準備万端」な「あ」の人でした。成績優秀・品行方正・スポーツ万能の優等生だったそのスーパー「あ」のひとが全ての「あ」業務を引き受けてくれたおかげで、私は中高時代にあまり「あ」な記憶がありません。
- 幼稚園のときの初恋の相手は「いけがやくん」。小学校に上がって好きになったのは「ありまくん」。クラス替えで3年になるとまた「いけがやくん」。5年になるとちょっと好みが?「すぎやまくん」。中学校になってお約束。好きになったのは「あおしま先輩」。先輩が卒業。クラスの男子もちょっと大人に?で、好きなったのは「あおのくん」。以上が、私が好きになった男子の名字です。すぎやまくんをのぞき、見事に「あ行」ばかりです。彼らには「ドッヂボールが強い」「50m走が早い」「クラス委員長とか生徒会長とかをやっている」という特徴がありました。
結論。「あ行」の男の子は何かを率先してやることが多く、目立つ。ゴレンジャーで言うと赤レンジャー。女の子がちょっと大人になって、「陰のある感じがすてき」「ちょっとワルいところが魅力」「放っておけない感じが母性本能をくすぐる」なんていう複雑な「好き」の感情が生まれるまでは、「あ行の男子」はモテるのではないでしょうか?
確かに、目立つ分だけモテる可能性も高くなる。
最後にちょっとほのぼのした例で〆。
- 私は旧姓「ほ」の人でした。小学校の時の仲良しの友達が、出席番号順で私の後ろの「ま」の人だったのですが、ある日突然彼女は「い」の人になって出席番号順ではるか前のほうに移ってしまいました。彼女のご両親がが離婚して、彼女は母方名字に変更になったのです。それはそれは悲しくて、私は家に帰って自分の母に言いました。「お父さんとお母さんも離婚して」と。私の母の旧姓も「い」の人だったからです。
「あ」の人やら「わ」の人やら ー2
2008年09月18日(木) 8:16:31
まだまだ続々メール届いています。今日も少しご紹介。まずは友人の「あ」の人からのメール。
- まあ、「あ行」だったことで性格が変わったかどうかはよくわからないけど、名前に関して言うと、新しいクラスでの席順が「あいうえお順」に窓側の後ろから決まる慣習によって、仲が良くなる自分の友達に「あ行」の人か、席が横並びになる「か行」ないし「さ行」の人が圧倒的に多くなったことは事実。 卒業後、自分がどの大学行こうか決めたり、就職の進路考えたり、飲食業の経営を夢見てたりしたのも、かなり中高校の友達の影響を受けてのことなので、そう考えると、中高校時代の「名前」とか「出席番号」とかの持っている意味って、人生形成上、凄い影響力を持っているのではないか、と。
- 私も「あ」の人でした。そんな私が中学時代に好きだった人の名前は「あいかわ」君。私よりも尚、早い苗字を持つ男。中学生というのに「彼とは結婚できないし…(結婚して子供にあ行の苦しみは味わわせたくない)」とか考えてとうとう告白をしないまま卒業しました。お馬鹿ですよね。
- 私は「か」の人でしたが、クラスの席で「あ」の人が隣だったので「あ」の人の悲劇は毎日目の当たりにしてました。だから、結婚するとき「あ」の人だけは避けようと意識してました。子供にあの悲劇を体験させたくなかったのです。結局「や」の人と結婚でき、満足ですww
- 私は「ゆ」の人です。中高のとき、クラスの名簿がアルファベット順で「女子→男子」という順番でした。「ゆ」の人は、必ず女子の名簿の最後でした。男子が次に身体検査に入ってくるのに、私一人まだ着替えていてとてもいやでした。で、男子1番の「あ」の人がとても色白で、髪型も女性的。よく、どこから男子なのか?と先生方を悩ませました〜! いまは同窓会で笑い話しますけど当時はとてもいやだったのを覚えています。
私は名簿のはじめとうしろ、どちらもいやです。苦労します。なんとなく名前は「あ」のように早いのも、「ゆ」のように最後なのもいやだなと小さなこだわりができたと思います。男性でも「あ」の人や「い」の人に会うと「え、この人と結婚したら『あ』の人にになる? それはいやだなあ〜」と勝手に名前の選り好みをする自分がいます。そんな選り好みしていたのが災いして、まだシングルでしょうか? アホですね〜。
このパターンもとても多かったですね。「『あ』の人とだけは結婚しない!」という女性。「あ」の男って可哀想(笑) アナタが結婚できないのは、苗字が「あ」から始まるというだけの理由かもしれませんよ!
「あ」の人やら「わ」の人やら
2008年09月17日(水) 6:45:19
昨日の記事について「あ」の人からのメールいっぱいいただきました(笑)
もしくは結婚して「あ」から抜けられてどれだけシアワセだったか、というメール。「あ」がいなくて難儀した「い」の方とか、「あ」の夫を持った方による夫の愚痴報告とか、いろいろ面白いメールありがとうございました。少しだけご紹介してみます(勝手に短く編集させていただいています。取り上げられてイヤな方はお知らせください)。
- 私の夫は「あ」の人で、ほとんどの学年、ほとんどのクラスで1番だったようです。彼いわく、「どうせ1日目にあてられるのはわかっているから初日だけしっかり予習。2日目以降は居眠りしていても大丈夫」とのことでした。
- 「わ」の夫、リーダーシップはないですね。人の意見を聞くタイプです。へたすると自分の意見を求められることのないまま議論が進んでいきますw 夫によると、名前が最後でイヤだったことはほとんどないそうですが、唯一、身体検査がイヤだったそうです。たとえば、1組の男→女という順に進むと、自分がまだパンツ一丁で待機している最中に女子が来ちゃって、「わ○○くんがいるー、やだー」みたいに言われたとか。
- 生まれたときから「あ」である夫は、高校時代には準備する間もなく、難しい問題の一番手で当てられて、いつも答えられなくて先生に怒られていたようで、高校時代に良い思い出はない、と申しております。要領を身につけることもなく、ひねた状態だけが育っていった様子、うぷぷ。
- 私は旧姓が「い」から始まったのですが、クラスに「あ」から始まる人が必ずいるとは限らず、それこそ歌のテスト、体育の実技、クラス替えの際の自己紹介、等々プレッシャーを感じることが多々ありました。ただ度胸もアドリブ力も全然つかなかった気がします。子供にはこのような思いはさせたくないと、結婚相手は「か」行後半〜「ま」行の人にしようと決めていました。その点では「び」となったので、成功(?)だと思いました。ただ海外で生活していた時に、入っていたサークルで渡された名簿を見ましたら、Bがトップになっていて、海外も視野に入れて結婚相手を選ぶべきだったか・・・とちょっと後悔した次第です。
- 私は「や」なのでかなり後ろでしたが、かなりのあがり症でして、人前で発表したりするのがすごく苦手だったんです。で、人間の心理とは面白いもので、あてられるのは早ければ早いほど緊張しないものなんです。それこそ緊張している暇もないほど間髪いれずにあてられたら、「あれ?」といううちに終わっちゃっているのではないでしょうか? それが、「や」みたいに後ろのほうだと、「あと何人で自分の番だ」などと考えているうちにどんどん緊張感が高まってくるんですね。恐怖映画などで少しずつ化け物が近づいてくる、、みたいな手法(?)に似ているのかもしれません。
- 私は旧姓「わ」なのですが、まさしく今日のさなメモな感じで学生時代過ごしてました。「わ」って大変、でも「あ」の人よりましよねーって。わ行で随分鍛えられた気がしています。
それとは別に、私が性格以外に出席番号で影響を受けていると思っているのが、どこに座るかということです。「わ」(それも女子)って、クラス替えとか席替えがあると、必ず一番右の後ろになるんです。なので、私はしょっちゅう一番右の後ろの席になっていて、クラス全体、みんなの背中見ながら授業を受けていました。幸い目
もよかったので、黒板もよく見えて、私にとって一番右の後ろはとっても落ち着く席でした。で、そのためかは分からないのですが、未だに何かの講演会とかセミナーとか会議とかでも、どうしても右の後ろがいいのです。前の席だと本当に落ち着かない。後から、参加者の背中を見ながら話を聞くのが一番落ち着いて聞けて話も理解できるのです。
なんかこの話題、えらく盛り上がりますね。まだまだ面白いメールはあるのですが、今日はこの辺で。エピソードがある方はお知らせください。また折を見てご紹介します。
出席番号順は性格に影響を与えているかも
2008年09月16日(火) 8:10:58
数日前「変なヤツがいる割合は高校のクラスと変わらない」を書いたが、実はもうひとつ普段の生活の中で中学高校のクラスの風景を思い浮かべることがある。クラス理論その2ですね。それは「名前」。あいうえお順の出席番号順は性格に影響を与えているのではないか、という推論である。
とはいえ、実は「あ行」と「わ行」が顕著であるだけで、それ以外の名前はそうでもないかも、という貧困な理論である。
もっと言うと「名前に『あ』がつく人は常に臨戦態勢で対応が早い。従順。かつ度胸もある」「名前に『わ』がつく人はちょっとひねくれていて裏読みしそう」という2例しかない。理論とは言えない(笑)。まぁ「か行の人は」「さ行の人は」とか、もうちょっと無理矢理な理論に発展させられないこともないとは思うのだけど、面倒なのでまだ考えていないという不完全な理論である。
いや、何が言いたいかって言うと、「名前に『あ』がつく人」って、中学高校では特に大変じゃないですか。いつも緊張してないといけない。要はそういうこと。
出席番号順って便利だからよく使われますよね。
授業中も「じゃ、出席番号順で答えてもらおうか。ほれ、アイダ、お前からだ」みたいに、いつ当てられるかわからない。突然それは来る。寝ていられないし、ちゃんと聞いていないといけない。「さ行」であるボクなんか、「あ」の人が当たった時点で周りの人に「ねぇ、何? どんな質問?」とか聞けば十分間に合う。だから授業中はちゃんと寝てました(笑)。「あ」がつく人はそれが出来ない。常に当てられる可能性と闘わなければいけない。先生のペースに合わせて従順に授業の流れに乗らざるを得ない。
「あ」の人はもっと大変なことがいっぱいある。
体育のテストも音楽のテストも一番最初。クラスの空気がまだ緊張しきっている中、最初にみんなの前で実技したり歌ったりしないといけない。これ、きついよなぁ。必要以上に注目も集まるしなぁ。テストじゃない実技とかでも、他の人のやり方を見てマネをする、というワザが使えず、いの一番にやらないといけない。だから度胸もつく。
他にもある。実力テストの結果とか通知表とかを渡されるのも一番最初。卒業証書も最初に渡される。目立って仕方ない。注射とかも一番にうけないといけない。行列で移動するときとかもクラスの先頭、つまり先生のすぐ後ろ。悪ふざけもできないよ…。いやもう、こうやって細かく書き出したらたくさんたくさんあると思う。「あ」の悲劇。そういう環境に6年もいると性格にも影響があるのではないか、と、そういうことですね。
「い」とか「う」とか「え」とか「お」の人々もわりと大変。
授業中に出席番号順で攻められたとき、「あ」がAと答えたら、「ほれ、イトウ、他にあるか?」と他の答えを用意しないといけない。そういう意味で「あ」の人は無難な答えを言えば済むが、「い」以下の人は他の可能性を瞬時に考えなければならない。アドリブ力が鍛えられる。そういう意味では「あ」の人より応用が利くとも言える。
それらに比べて「か行」「さ行」あたりはのんびりしたもんだ。「どうせ回ってこないさ」と鼻で笑ってる。ぼんやり物思いにふけったりしている。ゆっくり考える時間があるので切迫感が全く違う。変な答えを口走っても目立たない。楽ちん。まぁそのかわり実務より空想系・熟考系に向いているかも。「た行」「な行」「は行」はどうでしょうね。これはようわからん。無理矢理言えば「回ってこないからこそ目立ちたい」タイプと「一生目立たず静かに生きたい」タイプに分かれるのかも。いやそんな単純じゃないか。まぁわからん。
「わ」の人は逆の意味で大変。
「今日は出席番号ラストから行こうか。ほれ、ワダ、答えてみろ」と、急な展開があり得る。だから「この前『あ』から行ったから今日あたりは『わ』から来るのではないか?」と先生の心を裏読みすることに馴れていく。つまりひねくれるわけ(「わ」の人、ごめんなさい:笑)。「まぁ常識的には『あ』から始まるだろうけど、心の準備も一応しておかないとね」みたいな冷めた目線が身についていく。いい意味で冷静沈着。アナリストとか、「わ」の人、多くないか?(笑) んでもって逆から来ると「ら行」「や行」「ま行」あたりも答えを用意しないといけない。この辺は「い」や「う」の人と一緒だが、やっぱり裏読みに長けていく。
ええ、全体にこじつけです(笑)
でも、成長期の中学高校6年間、上記のようなことが習慣になっている「あ」の人と「わ」の人は、相当性格にも影響があったのではないかとは思う。そういうこともあって、アイダさんとかアイハラさんとかアカイさんとかアオキさんとか、そういう名前の人に会うと「あぁ『あ』の人ね、反応が早そうだな、度胸もあるかもな」と思うし、ワキタさんワシオさんとかワダさんとかに会うと「『わ』の人かぁ。冷静に裏読みするかも」とか思う(笑) いや、そんだけです。
※こういうこと考えている人が他にもいるかなと検索してみたら、リクルートに応用してる論があった。なるほどなるほど。「わ」の人の考え方が違うが「あ」についてはほぼ一緒。
※※追記:メールで「奥田英朗さんが同じ事を野球にたとえて書いていらっしゃいます」と教えていただきました。「延長戦に入りました」というエッセイ集だそうです。寡聞にして知りませんでした。面白そうだから読んでみよ。
和服で芸者さんと遊ぶ会
2008年09月15日(月) 7:11:14
おととい、着物の話題を少し書いたので、書き損じていた話でも。
このところ数年続けて、神楽坂の料亭で芸者さんを呼んでのお正月会を有志3人でしているのだが、「そろそろボクたちも和服を着て料亭に行くお年頃である」という話になり、正月以外に年にもう一回「和服で芸者さんと遊ぶ会」をしよう、と話が進み、その第一回目を先々週にやったのだ。イタリアから帰って数日後。
まぁ半分自己投資みたいな話である。そろそろそういうことも知らないと日本人として如何なものかみたいな。いや、そんな大仰なことでもないのだけど。
場所は神楽坂の料亭「牧」。
年に一度、正月しか行かないのでまだ馴染みではないが、馴れないボクたちにいろいろ作法を教えてくれるお師匠さんのような店である。「馴れないボクたち」と書いたが、馴れているメンバーもいて、親の世代からその店に通っているお馴染みさん。その方の紹介でボクたちも通えることとなった。
店に電話で聞いたら「まだ夏だし、浴衣で結構」とのことなので、まずちゃんとした浴衣をこしらえることに。
そう、花火師とかやっているくせにまだちゃんとした浴衣すら持っていなかったのだ(寝間着みたいのは持ってるが、料亭に着て行けるようなものではない)。呉服店系有名百貨店に行き、お立ち台みたいなところに立たされていろいろ着させられ、経験豊かな店員から角帯やらも含めて着方を一通り伝授され、購入。黒地に+模様が無数に入った渋い浴衣である。「これは下に襦袢を着て足袋を履けば着物としても使えます」と店では言われた。後に料亭「牧」でそれは否定された。どうなのだろう。
会社へは普通の洋服で行き、会社帰りに「牧」へ行って持ってきた浴衣に着替え、そのままお座敷に直行して遊ぶ、という段取り。百貨店で着方は習ったが「ええとええと」とオタオタしていたら「はい、やってさしあげますよ」と女将さんがさささと着付けてくれた。着せてもらっている間がなんだかとても色っぽくて参った。
お馴染みさんは浴衣でなく着物。ボクたちは浴衣。とりあえず見慣れないお互いの姿を笑い合いつつお座敷に入る。全員なんだかアガッている。やっぱりなんとなく晴れがましいのだな。芸者さんたちに「似合う似合う」とお世辞を言われつつ、上手に緊張を解いてもらって少しずつ状況に馴染んでいった。
男の帯は恥骨の上に来る。この場所がぐっと締まると背筋が伸びるね。女性の着物と違って胃腸を締め付けないから食事もちゃんと出来る。座椅子にあぐらもなんとなく様になる。なんか楽しいなぁ。所作もどこか優雅かつ男っぽくなる。錯覚とわかっていつつ、なんとなくそういう気分に浸れるのだ。和服っていいね。
美しい踊りを見た後、いわゆる「お座敷遊び」。三味線に合わせて色っぽいゲームを芸者さんとするのである。
「いやー、この遊びはやっぱりスーツ姿より和服が合いますねー」と芸者さんたち。そうなのだ。自分たちでもそう思う。芸者さんと和服同士だとかなり様になる。遊ばしてもらったのは「涼しくなったから」「いざり勝五郎」「おひらきさん」、あとは何をやったかな。あと2つくらい楽しんだ。伝統的な遊びというのはよく考えられているなぁ。シンプルでたわいもないがちゃんと楽しい。客同士ワハハと笑える。
遊び終わるころにはみんなの緊張もすっかり解け、もうヘラヘラと気持ちよく笑い続けるだらしなさ。プロの芸者さんというのはやはりすごいな。骨抜きにくつろげた。
茶道もそうだが、芸者遊びも日本文化の粋が集まっている。年にたった2回では「遊び馴れる」まで数十年かかりそうだが、とりあえず定期的に触れておくのは大切なことだと思う。とか(笑) なんだか知らんが言い訳しつつ、また来年が楽しみだ。冬は浴衣というわけにはいかないからちゃんとした着物だなぁ。買わなくちゃ。とはいえ着物の道は散財の道。気をつけよう。
寝休日
2008年09月14日(日) 20:18:19
今日はずっと寝てました。
朝7時に起きて朝ご飯食べて少しメールのお返事書いてまた寝て、昼ご飯に起きて少しメールのお返事書いてまた寝て、夕方起きてメールのお返事書いて夕ご飯食べて、だらだらしていまからもう寝る態勢。書きたいことはいくつかあるんだけど、今日は寝ようと思います。おやすみなさい。
あ、そうそう、イタリア旅行あたりからいただいたメールのお返事、書き始めています。遅れてスイマセン。
「忙しい」って結局何かに使われている状態ですよ
2008年09月12日(金) 9:37:42
昨日も講演。
ある会社に呼ばれて話をしたが、若い人が多く、なんとなく楽しかった。若い人が多いのってやっぱりいいな。彼らに風通しのいい社会を残してあげるためにもっと必死にがんばらなくちゃ、とか殊勝なことを心の中で再確認する感じ。いつしか「次の世代に残す」という意識が強くなり始めた。45歳を過ぎてからだろうか。制度疲労で崩れ壊れつつある日本をなんとか少しでも立て直して、もっとヤンチャに生きられる世の中に変えて次代に渡さなければ、とかね。キレイゴトに聞こえたらごめんなさい。でも、いつもではないけど、そんなことをこの頃よく思う。
今晩も若い人を相手にした講演。金沢なのでちょっと遠いけど、刺激をもらうくらいな気持ちで行くつもり。疲弊しきった身に必要な栄養分。
昨日の講演後、「Amoh's Bar」で高校卒業以来約30年ぶりに同期に会った。
まぁ店主の天羽自体が同期なのだが、彼がここで店を構えていることで、彼がハブになり、思ってもみなかった同期に会う機会が増えてきた。昨晩の彼も「思ってもみなかった」ヤツ。中学高校のときはそんなにつきあいもなく、こうして今頃会うなんて想像もつかなかった。
3人で会ったのだが(天羽を除く)、ボク以外のふたりも中学高校では全く接点がなかったふたり。でも、彼らは境遇がとても似ていて、ある講演会でばったり再会して以来、意気投合しているらしい。ふたりとも7年でサラリーマンを辞めて起業し、売上げ100億とかの大成功をし、ひょんなことから綻びが生じて破産し(バブル崩壊もある)、借金を返し終わって第二起業をして今に至る苦労人実業家。天国と地獄を経験し、なんだかたくましくなっている。
彼らに「疲れてるねー」と言われ反省。疲れが外に見えるのはカッコワルイ。
というか、雇われサラリーマン特有の疲労顔なのだろう。苦労しているとはいえ社長である彼らは「人を使う側特有のイキイキ顔」をしている。「いやさ、佐藤、一度社長をやると人に使われるのが耐えられなくなるんだよ。疲れちゃうし。いや、一度権力を持つとね、とかいう偉そうな意味ではなくて、自分の好きなことを自分の判断でやるのと、他人の命令と判断に合わせて物事を運営するのとでは、疲れもやり甲斐も違うという意味で」とか言う。うぅ。その通りだよな。
以前「オサニチ」で「『忙しい』って結局何かに使われている状態ですよ」という言葉をご紹介したことがあるが、まさにその通りな感じ。あぁそういえばこの頃知らず知らずに「忙しい」という言葉を連発しているなぁ。あんなに「もうこの言葉を言うのは恥ずかしいからやめよう」と思っていたのに。
今週、仕事の峠をひとつ越えたので、三連休をしっかり休んで、きっちり切り替えよう。そんなことを思う金曜週末。
満6歳おめでとう!
2008年09月11日(木) 9:01:25
今日は911。セプテンバー・イレブン。同時に我が愛犬の誕生日でもある。満6歳おめでとう! そう、あの同時多発テロからちょうど1年後に我が愛犬は生まれた。でもキミも犬年齢で言ったらそろそろ中年。早いなぁ。
今週は講演がとっても多い週で、全部で4つある。
7月8月と体調も悪く、異様に多忙&家族旅行もあったので、その頃オファーがあったものをすべて「9月でもいいですか?」と先送りしていたのだ。そのツケがここに来て爆発している感じ。会食も9月に先送りしていたのでほぼ毎日。結構つらい。というか、ここんとこ仕事も異様なので分秒単位の生活になりつつある。しかも早朝覚醒。やばいな。倒れず9月を乗りきりたい。今の希望はそれだけ。
昨日の「クラス理論」はわりと共感くださった方が多かったみたいです。よかった。
ボクには、もうひとつ、クラス理論があるので、それは数日のうちに書きます。今日はさなメモ書く余裕があまりないのでこの辺で。
変なヤツがいる割合は高校のクラスと変わらない
2008年09月10日(水) 7:46:11
ブログを始めようと思っている人から軽い相談をうけることがよくあるのだが、その中でも多いのが「変な人も読みに来るんでしょう? ストーカーみたいに絡んできたらどうすればいいんでしょう」というもの。「炎上」を含めて、マスコミが煽る「ネットの負の側面」みたいなものを、始める前から怖がっているのだ。
そういうときのボクの答えは決まっていて、「もちろん変な人もいます。でもそれは高校のクラスと割合は変わらないよ。ネットが特に変な人が多いというわけではないよ」という感じ。実社会と変わらない。それも中学や高校のクラスを思い出していただけるとわかりやすい。
つまり、1クラス40人として、クラスに「変なヤツ」「気にくわないヤツ」「どうしても好きになれないヤツ」って必ず1人はいた。
その割合が、13年間サイトをやってきた肌感覚で言うと、ほぼ適用される。1/40。1日のアクセスが400なら10人。4000なら100人。40000なら1000人。つまり、アクセスが増えれば増えるほど変な人が読みに来るリスクも増える。
4000アクセスで100人って、「100人も変な人が読みに来る!」と考えると怖いかもしれないけど、別に団体さんで来るわけではないからご安心を。
多くの変な人は孤立していて、独特のタイミングで独特の論理をひっさげて絡んでくる。そのときもクラスを思い出せばいい。クラスで「変なヤツ」が絡んできたらどうする? とりあえず相手にしないのが一番だとボクは思う。まぁここは人によって対処法が違うだろう。いちいち相手して追い返す人もいるだろうし、喧嘩しちゃう人もいるかもしれない。とにかく「あぁこのメールは(もしくはこのコメントやトラックバックは)40人中1人の変なヤツなのだ」と考えると気が楽になる。そういうヤツは1クラスに1人は必ずいるのだから、自分の記事が悪いわけではなく、仕方がないことなのだ。落ち込んだりする必要はない。
ちなみに、気の合う人が読みに来る割合もクラス理論がだいたい当てはまる。
クラス40人中、あなたと気が合って友達になる「いいヤツ」「好きなヤツ」は5人くらいはいましたか? 人によっては40人中1人の人もいるだろうし、「いや20人はいた」という人気者もいるかもしれない。その割合がイコール、ブログのファンの割合になる(40人中0人の人はまったく違う考え方をした方がいいのでここでは論じない)。
40人中5人なら、そのくらいの確率であなたのブログのファンになってくれるのだ。彼らはあなたのことを積極的に好いてくれて、わざわざメールをくれたりもする。1日400アクセスなら50人、4000アクセスなら500人、40000アクセスなら5000人は気が合い、積極的に好いてくれて、その一部が好意的なメールをくれるのだ。縁があればリアルでのつきあいも始まったりする。
ネット経験が少ない人はすべての人と仲良くしようとする。異論を積極的に受け入れるのがブログの醍醐味だと勘違いしている。そして、少しでもネガティブなメールがきたら落ち込んじゃったりする。そういうときはクラスの風景を思いだそう。変なヤツは必ずいる。そいつとわかりあう必要はないのだ。あなたにネガティブな人たちも必ずいる。彼らの意見を受け入れる必要も特にはないのだ(もちろん傾聴に値することなら謙虚に聞こう)。
クラス全員とは仲良くなる必要はない。気が合う「40人中5人」でいいのである。
赤を着る月曜日
2008年09月09日(火) 7:27:59
イタリアから帰国以来、まぁ文楽なんかを観たりして順調に遊んでいることもあるのだが、疲れがとれず、なかなか辛い。
昨日の月曜は朝からどうにもダルダルだったのだが、竹本住大夫の影響かやる気だけはあったので「よし! 赤を着て元気に出社!」と意気込み、全身を赤で固めた。赤い男。赤キ○ガイ。でも派手な色って気持ちを元気にさせるし、ダルい月曜にはピッタシかも。
赤いTシャツ。赤い靴下。赤い靴。メガネも赤いし下着も赤。ついでにジーンズにも赤が入っているし、鞄にも赤が入っている。そういえばケータイも赤だ。もうね、すべて赤。美輪明宏が「黒っぽい地味な色を着るときはせめて下着を赤にしなさい」と言っているのを聞いてから、黒を着ることが多いボクは赤い下着を着用することが増え、メガネを赤にしてからはどんどん赤い服を着る割合が増えてきて、と、すっかり赤い人生になっていっているのだが、さすがにここまで赤いと目がチカチカする(笑) 会社でも「今日はなんですか。どうしたんですか」と問い詰められた。「いや、疲れてるからさー」とか答えると「周りも目が疲れます」だと。すまんの。
そういえば昨晩飲んだ某有名編集者が言うには「赤い下着は腰にいいらしいですよ。ボクは赤パンはいて腰痛が治りました」とか言っていた。
昨晩は岸くんと一緒に、フリーマガジンの雄であるおふたりと4人で飲んだのだが、業界やメディアを越えて意外と発想が近いことにお互い気づき、いろいろな意見交換に盛り上がった。広告側の見方とメディア側の見方なのでもちろんスタンスは違うのだが、発想の根本がとても似ているのでなんか一緒にプロジェクト組んだら面白そうである。ボクと岸くんはもとより発想がとても近いし、彼らと社外プロジェクト的なものを少し回してみるのもいいかもしれない。
とか思いつつ、今日の講演、明日のプレゼンと準備しないといけないことも多く、夜中に帰宅してからシコシコと作業。今朝も早く起きてシコシコと作業。結局こんなにダルいのに4時間強しか寝れていない。まぁ明日のプレゼンが終わったら少し寝られるかな。早朝覚醒しなければ、の話だけど。
催眠術師の弟子
2008年09月06日(土) 4:46:08
先週の日曜夜にイタリアから帰ってきて、月曜朝からいきなり休暇明けの激務に突入し、今週は仕事も多かったけど夜の予定も多く、とにかく眠い眠いとつぶやきながら日々をこなし、異様に疲れきって「やっと土曜だ! 土曜は予定が何もない! 寝られる!」と、金曜の24時に喜々としてベッドに倒れ込んだのに、あぁそれなのにそれなのに。こういう朝に限って何故4時に目が覚めるのか。何故寝続けられないのか。まさに早朝覚醒。目がパッチリ。仕方ないからこうしてマック前。
昨日は朝いちに歯医者で手術。麻酔をばんばんにきかせて歯を削った。そんでもってその1時間後にある場所で講演。麻酔に痺れた口がうまく回らなくて難儀した。広告業界の精鋭の方々を前に「基礎の基礎を確認っ」みたいな話。広告系有名ブロガーが来ているなんて知らずにヘラヘラしゃべり、後で名刺交換して冷や汗かいた。
そのまま昼ご飯も食べず打ち合わせの嵐に突入。プレッシャーのかかる仕事が多いが、あまりそこを考えすぎないように、なるべくいい加減になるよう自分に言い聞かせる。放っておくと必要以上に責任を重く考えるところがあるので、こういう性格は鬱とかになりやすいという自覚あり。楽に、楽に。
夜はある企業の常務さんと会食。仕事ではなくプライベート。すっごく昔から異様な濃度でこのサイトを読んでいただいている方で、会食のお約束をちょっと前にしたのだった。楽しかったけど、読まれすぎていてちょっとお尻の座りが悪かった(笑)。店は六本木の「さだ吉」。久しぶり。昨晩も実においしかった。腕が上がったかな。
3人で会食したのだが、その3人目が催眠術師であることが判明。弟子を何人もとっている本格的な人。花火師のときと同じように即座に「弟子になります!」と宣言。催眠術って興味あるなぁ。ただし同性(その方)より異性(その方の弟子)から習った方が実は効果的だと諭され、弟子の弟子になることに。つまりこの方は大師匠に当たることになる。ヘヘー(土下座)
催眠術って上手にやれば自分にもかけられるという(自分がかかりやすいタイプなら)。実際に世に成功者と言われる人々は、成功した自分を明確にイメージして目標に突っ走るというが、それって自己催眠の一種らしい。まぁそうだよね。というか「アナタは今日は10時間眠れる〜」とか自己催眠できないものか。眠いのに眠れない〜。今日は久しぶりにプールでも行ってカラダを疲れさせ、そのあと昼ご飯をたっくさん食べて腹一杯になり、長時間昼寝を目論もう。あぁスポーツクラブが始まるまであと5時間もあるや。早く始まれ〜。
ぼくたちは何だかあっという間に消費しちゃうね
2008年09月03日(水) 6:43:26
昨日の夜、みんなで打ち合わせしながら「福田首相辞任」の話になった。
「でもさ、一国の首相が辞任するという大事件なのに、たった1日で、もうなんだか遠い出来事みたいだな」
「そうそう。なんか遠い」
「安倍さんの時はまだ謎があった分、興味が継続したけどね」
「今回は謎がない分、あ、そう、と頭の中の引き出しにしまってオシマイ、ハイ次って感じ」
「北京オリンピックなんかずいぶん昔みたいだ」
「昔だったら1ヶ月くらいはオリンピックの話してたけどなぁ」
「もう今頃その話してるのって相当ダメな感じだよね」
「福田さんの話題が『今頃感』あるくらいだからなぁ」
「明日の広告」でも書いたが、1994年から2004年までの10年で世の中に流れる情報量は410倍になった(総務省情報流通センサス報告書より)。
たとえば街を歩いていて10個の情報、看板とか人の顔とか音楽とかに接していたのが、たった10年で4100個に増えたということである。それに比してヒトが処理できる情報量は10年でほとんど変わっていない。つまり我々は9割9分以上の情報を処理できずスルーしていることになる。どんなに重要な情報もスルーせざるを得ない。そのうえ次々に新しい情報が押し寄せるので興味や関心が長続きしない。
その典型のような感覚だ。たった1日であの大事件がずいぶん過去になっている。年末によく「今年の重大事件」とかの特集をTVで見て「あれ? この事件って今年のだっけ? ずいぶん昔に思えるなぁ」とか思うことはみなさんもよくあると思うけど、その感覚が年々加速して行っているような感じ。
情報消費のスピードがどんどん加速し、スルーする情報も日々増えつづけ、物事のほとんどは他人事と化し、世間のたいていのことに無関心になっていく。なっていかざるを得なくなっている。
もちろん「自分」という情報も、あっという間に消費されていく。
そういう社会に暮らしている人間は自分の存在をどう位置づければいいのか。どう自我をキープすればいいのか。その辺に今起こっているいろいろな問題の根っこがある気がする。
体調上向き(予定)
2008年09月01日(月) 6:42:38
恐る恐る体重計に乗ったが、イタリア出発前よりむしろ減っていた。79.5キロ。良かった。野菜やフルーツを多用するイタリア。意外と肉も食べなかったし(ハムはいっぱい食べたけど)、リストランテなどでも昔と違って量が少なくなっているようだし、もう「太る国」からはとっくに脱皮している模様。ただ、ジェラートをいっぱい食べちゃったのでちょっと不安だった…。
夏風邪の咳はほぼ治った。
出発前はまだ相当ひどく、会社の医務室でもらった薬を大量に持って行ったほどなのだが、旅の中盤くらいから急に治り始め、いまではたまに出る程度。咳には1ヶ月弱苦しめられたのでこれはうれしい。空気はだんぜんイタリアの方が乾いているので喉には良くないが、田舎に行っていたせいもあり空気が良かったのかも。
体調が戻ってきたことを受け(今後、旅行の疲れやたまった仕事で疲弊してまたボロボロになる可能性もあるけど、とりあえず)、エクササイズ&プールを復活させるつもり。体重は低値安定だが、筋肉が減って贅肉が増えているのをお腹のプヨプヨで感じる(笑)。せっかくビルドアップした体型をここ1年、ちょうど「明日の広告」執筆あたりからのバタバタで台無しにしてしまったので、もう一度ビルドアップにかかろうと思う。9/1と区切りも良いし。
9/1と言えば防災の日。
しつこいかもしれないけど、「地震が起こったら、まずこれをしろ!」「地震が起こる前に、これだけはしておけ!」にリンクしておきます。ボクの個人的大震災体験を綴ってます。
ついでに。いま売っている「週刊文春」で書評を書いています。ジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの「仕事道楽」の書評。ご興味ある方はお読みください。
内定者へのメッセージ
2008年08月20日(水) 8:23:35
数日前になるが、我が社の「内定者用冊子」のインタビューを受けた。
一日の過ごし方、とか、会社に入って一番印象深かったこと、とか、これからも残って欲しい我が社のいいところ、とか、自分の中の鉱脈、とか、いろいろ聞かれた後、「では最後に手書きでひと言、内定者にメッセージを」とリクエストされた。与えられたのは名刺大のスペース。ひと言? ひと言ねぇ…。
オサニチを長く書いていたし、今は雑誌「oggi」に「明日を変えるひと言」という連載コラムも持っている。そういう格言的ひと言には強いはずである。でもなぜか何も思い浮かばなかった。うーん、困った…。
苦しんだ末、最初に思いついたのは「社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え」という言葉。これは元々、ボクが新入社員当時に大ボスから言われた言葉。今でも守っているし、経験上とても役立った言葉だったので、まずはこれを書いた。
でもなぁ…。社内の人間とばかり飲んでいる人って、うちの会社には多いからなぁ。個人サイトに書くならまだしも、内定者用の冊子に「そういう人はバカなのよ」と言い切っちゃうのもどうなのか。配属部署によっては周りほとんどバカってことになっちまう。そりゃまずいかもしれない…。
で、次に思いついたのはタモリの座右の銘。「やる気のあるものは去れ!」
これはね、深いんです。深い上に、肩に力が入っている新入社員にはわりと効く言葉だと思う。でもなぁ…。内定者に向かってコレを言うのって、なんだかウケを狙ってるイヤらしさがあるよなぁ。というか、本当にやる気がある人(かつ、この言葉の深さがわからない人)が読んだら、とてもヤな気持ちになる気がする。んー…、これは書くのをやめよう。
切羽詰まって最後にボンヤリと浮かんだのが、パタゴニアの企業理念。「遊ばざる者、働くべからず」
あー。普通かもなぁ。でもこの言葉も深いんだよなぁ。ボクが日々守っている言葉でもあるしなぁ。まぁこれはこれでアリか。と、これは書いた。
さて、1つめと3つめ。見比べて悩む。どっちがいいっすかね。
なんとか選び、ありがとうと言ってデスクに帰って仕事をし、ふと「やっぱりあっちにしよう」と考えを変えてメールを出して変えてもらった。ま、どっちでもいいんだけどね。でもなんだか今でも迷ってます、ハイ。
お金のお話
2008年08月19日(火) 9:25:43
ここのところ知り合いから立て続けに副収入関係でうらやましがられたので、いい機会なので誤解を解いておきたい。お金のことを書くのってイヤだし、書き方によっては批判を受けるのだけど、あまりに誤解が多いので。
よく訊かれるのは本の印税。
これは何度か説明しているが、定価の10%がボクの収入となる。「明日の広告」は743円だから、誰かが1冊買ってくださったら74.3円がボクに入る計算となるわけだ。本屋の書棚でたまたま巡り会い、たまたま手にとって、意を決してレジに行ってくださる、という確率的に異様に少ないことが起こって、初めて74.3円が入るのだ(この辺の心情は昔こちらに書いた)。
本というのは1万部売れたらヒットである。10万部なら場外ホームラン。100万部は人気作家でも一生に一回あるかないかのミラクルだ。たとえば1万部で計算すると74万3千円がボクに入る計算。「明日の広告」はその数倍は売れているが、10万部にはもうちょっと届いていない。たとえ10万部売れたとしても743万円にしかならない。
しかならない、と書くと反発を受けそうだが、10万部というのは普通のライターにとって人生にそんなにはない場外ホームランだということを思い出して欲しい。毎回このくらい売れれば喰えるが、人生で数度、ようやくこの程度の収入が入るのではとても「印税で喰っていく」のは無理だということがわかると思う。「夢の印税生活!」と、知らない人は必ず揶揄してくるのだが、とんでもないことでございますよ。世に本の印税だけで食べて行けている人なんて数十人しかいないだろう。
もちろんボクは本業のサラリーマンがあるから印税は副収入となり、いろいろ助かる。でも、3ヶ月くらい毎晩毎週末しこしこ頑張って、自分の20年分の広告経験をすべてぶちこんででの収入としては決して見合うものではない。え? それでも収入入るだけマシじゃんって? それはそう。でもアナタも書いてごらん。異様に大変な地獄の作業だから。お金儲けだけ考えるなら別の方法の方がいい。全く見合わない世界なのです。
次に講演料もよく訊かれる。
ある友人に「1回100万円とかもらえるの?」と言われて呆然とした。そんな風に思われているのか! 確かに有名タレントや文化人の中には1回数百万もらえる人がいるだろう。でもボク程度の人間の、しかも専門分野の講演なんて数万円ですよ、数万円。二桁違いますって。2時間しゃべりまくって1万円ってなこともよくある。来月、ある地方にヒコーキ乗って講演に行くが、これなど講演料は0円。ホテル代とヒコーキ代出すから是非是非来てくれ、と若い人たちに頼まれて出かけるボランティアだ。
だから、ここ半年、立て続けに講演をしてますが、こんだけ予習して、仕事の合間を縫って駆けつけて、こっちが得たノウハウや教訓を出し惜しみなく提供して、「え、この程度?」って程度の収入ですよ。半年分を足し算しても数十万。軽自動車も買えない程度の収入。それに費やした経験と時間を思えば、決して見合うものではないのです。いままで育ててくれた業界への恩返し的な考えでなんとか続けていっているだけ。
ついでだから連載料も。
10年前、超超無名だったころは数千円でした。雑誌1ページとか書いて数千円。マクドナルドのバイトの方がずっとずっと効率的です。最近はちょっとは上がったですけど、それでも数万もらえるかどうか。それにかける時間には全く見合わないものです。原稿ライティングだけで食べていくなんて相当奇跡だ。
おまけに(特に単発原稿では)出版界の悪習として書く前に報酬が提示されない。苦労して書き終わって入稿してようやく「○○円を振り込みますので口座番号を教えてください」というメールを受け取り、報酬がわかるという仕組み。ライター専業の人なんかやってられないと思う。収入わからず仕事するって異様に不安なものなのです。ホント悪習だ。
でもね、もっとスゴイのが非常勤講師料。
大学とかの非常勤になるとするでしょ。いくつかオファーがあって受けてからビックリしたんだけど、半期(要するに半年)1コースの非常勤講師料っていくらだと思います? 5万円行かないんですよ? いいですか、講義1回分ではなくて、半年分で、ですよ。毎週毎週半年教えて、全部でたったの数万円。交通費になるかならないか。こんなの正当な報酬じゃない。教えさせてやっている、に近い発想。バイト代以下だよなぁ。教えるに至る努力や知識や経験もまったく無視。いやぁ下には下があるなぁ、と驚きまくった次第。
とにかく、出版や雑誌や大学ってそれぞれみんな不況で悩んでいらっしゃるけど「そんな報酬で優秀な人が集まるわけない」という根本的なところから考えなおすべきだと思う。優秀な書き手や講師が集まらないから、どんどん内容がつまらなくなり、読者や学生から見放されるという負のスパイラルに陥っている。
お金のあるところに優秀な人は集まる。
まずコンテンツ・メイカーを優遇して報酬を増やすこと。それが業界不況脱出の一番優先すべきことだとボクは思うなぁ。ライターで高収入が得られる、となったら、優秀な人がその世界に入ってきて競争しだす。そうすればコンテンツは加速度的に面白くなっていく。他業界からも人材が流入してくる。でまた競争が起こって…、と、そういう正のスパイラルにならないと不況なんか脱せないと思う。
お呼ばれ
2008年08月18日(月) 8:05:07
関西勤務時代は友人の家に遊びに行くことも、友人たちを我が家にお招きすることも、ごく日常的にやっていた。
これはふたつ理由があって、ひとつは年齢的なこと。まだ若かったのだ。20代30代というのはホームパーティが実に楽しい時代でもある。毎週のように行き来していた。
もうひとつは距離。関西って住む場所がわりと固まっていて、友人宅までの距離がそれほど遠くないことが多かった。特にボクが住んでいた夙川・苦楽園・芦屋近辺は、タクシーで15分以内にたくさん友人が住んでいた。だから気軽にみんな行き来していた。
東京はそうはいかない。
住んでいる場所がものすごくバラけている。例えばボクの家からタクシーで15分以内に住んでいる友人などほとんどいない。郊外のベッドタウンの友人宅までだと片道1時間もざら。距離の問題はわりと大きいなぁ。ホームパーティ終わって夜中に家族で1時間以上かけて帰るのはなかなかハードルが高いことなのだ(子連れだと特に)。
てなこともあって、お呼ばれすることもめったになくなった昨今だが、昨日は久々に家族でお呼ばれ。湘南に住む先輩の家にいろんな人が集まった。片道1時間ちょい。まぁ遠いのだけど、たまたま昨日は秋のような気候だったこともあり、そんなに距離を感じなかった。
出張寿司、つまり職人が家に来て握ってくれる、という贅沢なホームパーティで、地元で捕れた魚をふんだんに。
出張寿司って子供たちが一番喜ぶね。即席カウンターにかぶりついて下拵え作業を見学。タネを見ながら好きに注文するのも異様に楽しいようで、ムスメなんか「サーモンの炙り」とか「縁側」とか、見よう見まねながらも通っぽい握りを注文していた。炙りはバーナーで焼くのが見ていて面白いらしく子供に大人気。
大人はダブルマグナムの「Bollinger」や、同じくダブルマグナムの1982年の「Chateau La Tour de By」を飲みながら。マグナムは大きい分保存状態的においしいことが多いが、ホームパーティだと見た目的にも豪華な感じがして良いなぁ。みんなの気持ちが盛り上がる。注ぎ役に任命されたのだが、2本注ぎ終わるころには腕が震えた。腕力なし(笑)
結局14時くらいから20時くらいまで遊んで帰宅。気楽で楽しい会をどうもありがとうございました。
というか、湘南ってやっぱりいいな。老後の移住地候補に急に入ってきた(笑
大人の社会見学
2008年08月16日(土) 18:04:24
以前、有名編集長とかIT系社長とかと飲んだことをちょっとだけ書いたが、そのとき同席したある社長の会社がユニークで面白いと盛り上がり、今度みんなで見学に行こう!ということになった。昨日はその当日。昼間2時間ほど時間をこじ開けて行ってきた。集まった見学者はボクを含めて4人。有名編集長2人とIT系有名社長1人が一緒であった。
行ったのはチラシを作る会社なのだが、その工程が見事に可視化されており、企画から納品までのすべての作業があるひとつのビルで行われ、上階から下階に向けて流れている。そのリアルな構造自体がとても面白いのだが、最初にあったその会社の社長からのプレゼンテーションがまた圧巻だった。
チラシ作りの1から10までがすべて整然と理解でき、その大変さとIT化による改革、そして将来像まで、ものの30分で見事にアタマに入った。面白かったなぁ。いままで全く知らなかった世界にどんどん詳しくなっていく過程って異様に楽しい。知らない異国に旅行したときに感じるような「新しい世界を知っていく快感」に近い。脳内で何か気持ちよい物質が分泌される感じ。
その30分の間、ボクの隣に座った編集長(まだ30代)がまた見事だったな。
まぁ特にメモ魔な人だったのかもしれないが、とにかくガシガシとメモをとっていく。この熱心さに「さすがに大ヒット雑誌の仕掛け人だ」と感嘆させられた。そこらのサラリーマンでは太刀打ちできないどん欲さ。こうやって自分を常にエクスパンドさせている人と普通に生きている人の差はどんどん広がるばかり。その「差が広がる瞬間」に同席させてもらった感じ。うーむ。ボクも負けずにエクスパンドさせないと!
と、なんだかやる気をもらって会社に帰り仕事。ガシガシガシ。
夜は前からの約束で割烹のYに行ったのだが(4回目の訪問だが味がやけに落ちていた)、その後2軒渡り歩き、深夜まで男2人で3本のワインを開け、「そろそろ帰るか。でもその前に仕事場に電話してみよう」と電話したら、若手がみんなで苦労しているみたいなので仕事場へGO。
深夜0時すぎ。みんなまだ残って入稿前のデザイン直しに四苦八苦している。結局2時半までかけて解決に辿り着き、ようやく解散。やる気が出たのはいいとしても、こんなことしてるとカラダが持たんな。
家に帰って昨日の朝刊とともにテーブルに置いてあったチラシを見る。
いままで何の気なく読み捨てていたチラシだが、今後はチラシを見るたびに、その向こう側に日夜必死に働いている人たちの顔が浮かぶことだろう。IT化されたユニークなビルの風景も思い出すだろう。新しい視点を獲得させてくれてありがとう、M社長!
負けて終わりたい派
2008年08月15日(金) 9:14:11
いろんなことがうまく行かず、かなり苦しんでいたんだけど、昨日一気に状況が変わった。
相当つらくなることが予想された仕事がひとつ中止になり、トラブルが多かった仕事がひとつヤマを越え、企画に苦労していた仕事がひとつがブレイク・スルーし、と、バタバタと楽な方向に収束。うわー。こういうこともあるんだなー。相変わらず仕事量は多いものの、ずいぶん肩の荷がおり、ストレスが軽減された。いやホント助かった。一時はどうなるかと思ったよ。
と、気が楽になったせいか、昨晩は酔った。
はるか年下の友人が海外の修羅場から戻ったのでそのお祝いというかお久しぶりの会だったのだが、途中からもうグダグダ。どうやって帰ったのかもあまり覚えていない。いや、帰り道で仕事の電話をかけたのは覚えている。酔っぱらって電話された方も迷惑だったろう。すいません。
夜中に帰って床寝。
途中ちょっと起きて、鈴木桂治が一回戦で負けたのをテレビで観る。王者の惨敗。勝って終わる人と負けて終わる人がいる。ボクは「負けて終わりたい派」かな。最近ようやく「負けること」の良さとか格好いい面とかがわかるようになった。負けたら悔しい。でも長い目で見ると成長速度は高まる。物事を見る目がひとつ深くなる。人生が豊かになる。あとは負け方。美しい負け方ができる大人になりたい。…って、まだ酔ってるな、オレ。
独座観念
2008年08月13日(水) 7:38:26
NHKの「篤姫」は演出がとてもうまいドラマだが、先週の井伊直弼と天璋院の茶の場面は凄みがあった。
井伊直弼役の中村梅雀、迫真の演技。「一期一会」はもともと井伊直弼の言葉であり、その本人の一期一会の茶を演技するわけで、かなりの覚悟をもって臨んだと思われる。演出もまた同じ。狭い空間を大きく感じさせ、濁りのない澄み切った井伊の心と茶の味を印象的に描き、ふたりの精神の交流を静かに表現した。近来稀に見る名場面だったと思う。
今日のこの一期一会が再び帰らぬ事を観念す。
その場面の〆のナレーションがこれ。
この「観念」という美しい言葉に心を打たれた。
確かもともとは「独座観念」という言葉だったと思って調べたら、井伊直弼の原文に出会った。「茶の湯一会集」の「独座観念」という一文である。
主客とも餘情残心を催し、退出の挨拶終れば、客も、露地を出るに高声に咄さず、静にあと見かへり出行ば、亭主は猶更のこと、客の見へざるまでも見送る也。扨(さて)、中潜り・猿戸、その外、戸障子など、早々〆立などいたすは、不興千万、一日の饗応も無になる事なれば、決て、客の帰路見えずとも、取かた付、急ぐべからず。いかにも心静に茶席に立もどり、此時、にじり上りより這入、炉前に独座して、今暫く御咄も有べきに、もはや何方まで可被参哉(まいらるべきや)、今日、一期一会済て、ふたゝびかへらざる事を観念し、或は独服をもいたす事、是、一会極意の習なり。此時、寂莫として、打語ふものとては、釜一口のみにして、外に物なし。誠に自得せざればいたりがたき境界なり。現代語に超訳すると、こういう感じ。
茶席が終わり、主客ともに名残惜しく別れの挨拶を済ませ、客が露地にでたならば、もう声高に話さず、亭主は客が見えなくなるまで静かに見送るものである。すぐ中潜り、猿戸、その外戸障子などを閉めてしまうのはよくない。今日の饗応が台無しになってしまう。客が帰って行く姿が見えなくなっても、片づけを急いではならない。心静かに茶席に戻り、炉の前に独り座って、「もうちょっと話がしたかったな、今頃はどの辺まで帰られただろう」などと思いながら、今日の一期一会はもう二度と再び巡り来ぬことを観念する。独りでお茶を点てて一服してもよい。これこそ一会の極意である。この時、打語らうもの、釜一口のみ。これは辿り着くのが実に難しい茶の湯の境地である。余情残心。一期一会。そして、独座観念。
今日、一期一会済て、ふたゝびかへらざる事を観念す。
美しい言葉だ。でも、いまの自分の毎日からはあまりに遠い言葉でもある。せめて一時、独座観念せよ。
大きく交替しないといけないタイミング
2008年08月11日(月) 8:13:23
おとといは丸一日、朝から深夜まで都内某所で仕事だった。
そーとー疲れた。でも、大御所稲越功一カメラマンとの仕事だったので撮影自体は楽しかった。大御所との仕事は何かしら発見や刺激があり、やはり楽しい。打ち合わせやセット建て込みではカジュアルな格好で来られた稲越さん。本番のおとといはおしゃれなスーツ。格好いい。
疲れが溜まっていたので、昨日は一日ひたすらカラダを休めた。ずっとベッド。〆切原稿をふたつクリアした他は何もせず。あ、「『北島康介』プロジェクト2008」(長田渚左著/文春文庫)を読んだっけ。今日の男子水泳100m決勝を前に読んでおくかと何気なく手に取った一冊。意外とおもしろくて一気に読んだ。様々な人がボランティアに近いカタチで濃く関わり、北島康介を作り上げている。その無私な情熱は美談だが、そこにちゃんと報酬が伴う社会にしないと、結局長い目では大国に勝てないだろうな。もう個人の努力で勝てた時代は終わったのだ。
あと、個人の誰それという意味ではなく、60代70代の協会幹部の方々が一斉に辞めてくれないと、やはり日本は勝てないだろう。
もう40代50代に任せて欲しい。やり方が違うのだ。これはどのスポーツ分野においてもそうだし、産業分野においても実はそうだ。ここ10年で世の中の様々な「やり方」が大きく変化してしまった。その変化に対応できず、過去の成功体験を当てはめようとする幹部や経営者が組織のトップに居残る限り、日本に明日はない。
基本的にボクは老人リスペクトの意識が強い人間である。年長者の経験や成功体験は尊い。
でも、ここ10年の変化は歴史的に見ても劇的なものなのだ。いまたまたまトップにいる方々にはタイミング悪くて申し訳ないと思うが、あなた方が悪いのではなく、たまたま「大きく交替しないといけないタイミング」なのである。明治維新と同じようなタイミングなのだ。過去の成功体験を捨てないと生き残れない時代。成功体験がない若手に思い切って任せないと取り残される時代。もう猶予なく。
タモリの弔辞
2008年08月09日(土) 7:24:30
北京オリンピックが開幕しましたね。
昨日は仕事で開会式は見られなかったけど、今朝テレビで見た印象としては「さすがチャン・イーモウ」。それと、国民のインタビュー映像が流れたのだけど、みんながみんな「中国がんばれ」と言っているのが異様だということ。普通、世界平和がどうの、とか、いろんな国の人がどうの、とか言うのに、自国のことしか言わない。まだそういう段階の国であるのは知っていたけど、それにしても…。
話は変わって。
赤塚不二夫の葬儀の時のタモリの弔辞が感動的だったので、自分の記録のために載せておきます。
8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。
平成20年8月7日
森田一義
好きで好きで仕方がないこと
2008年08月01日(金) 9:06:05
いま、日本で一番多い姓は「佐藤」だという。
以前は「鈴木」が一番多かったらしいのだが、途中で「佐藤」が抜いたらしい。その悔しさだろうか、鈴木姓は「藤白鈴木会」みたいな鈴木姓の集まりが多いようだ。一致団結して「佐藤」を抜かせ!ということかな。
苗字館のランキングによれば「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「渡辺」「伊藤」「山本」「中村」「小林」「加藤」がベスト10。多いと思っていた「山田」や「木村」って意外と低いんだね。
ちなみに苗字館の都道府県別ランキングによると、東京では「鈴木」が1位。「佐藤」は2位だ。大阪では「田中」「山本」「中村」がベスト3。「佐藤」は12位で、「鈴木」に至っては26位。そういえば関西で鈴木さんってほとんど会わなかったな。もっと「鈴木」が少ないのが福岡。102位だ(「佐藤」は7位)。鈴木さんは西に弱いらしい。
って、なんでこんな話をしているかというと、昨晩、鈴木さんとご飯を食べ、「日本で一番多い姓はどっちか」という話題になったのだ。イタリアンでパスタとか食べながら「どっちが1位か」を議論する鈴木と佐藤の男ふたり。傍目から見たら相当キモイ。というか小せえ(笑)
お会いした鈴木勉(BEN)さんは、今年のショートショートフィルムフェスティバルでグランプリを獲った監督。その作品「胡同の一日」は世界最大の短編映画祭クレルモン=フェラン国際短編映画祭の正式招待作品にもなった。初対面だが、映画が好きで好きで仕方がない、というのが全身から滲み出ている映画小僧だった(40代だけど)。楽しかったな。
サラリーマンをやってると、周囲に「好きで好きで仕方ないからこの仕事やってます」という人がほとんどいない。ボクは社外人脈の方が社内人脈よりも多いので比較的そういう人に出会っているが、それでもやはり新鮮だ。とても刺激を受ける。というか「自分はどうなのだ」とヒリヒリした感情が胸に宿る。
今日の新聞によると、また平均寿命が伸びて、男は79.19歳になったそうだ(女は85.99歳)。
平均寿命まであと30年強。「好きで好きで仕方がないこと」を突き詰めるには充分なようで、体力の衰えとかを考えると、意外と足りない持ち時間である。第一ボクは本当に「好きで好きで仕方がないこと」が見つかっているのかどうか。広告も食事も物書きも好きである。でも、好きで好きで仕方がないかどうか。
スティーブ・ジョブズはこう言っている。
「33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきた。『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?』と。それに対する答えがNOの日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があると考えはじめるのだ」
そろそろ何かを変える必要がある。のか。
夏の咳
2008年07月30日(水) 7:37:41
先週、クーラーの温度をうっかり低めに設定して寝てしまったことがあり、翌日から少し咳が出るようになった。コホンコホン。「あぁ夏の風邪は長引くんだよなぁ」と思いつつ、ここんとこ仕事で余裕がなかったせいもあり放っておいた。ら、おとといくらいからひどく咳き込むようになった。コホコホコホン、ゲホッ、ゲホゲホゲホッ。慌ててクスリを飲むもすでに時遅く、昨日は咳のしすぎで声がでないほど。あぁまずいまずい。
体調は悪くなく、咳のみ。でも胸の筋肉(?)が疲れ、しゃべりにくいこと夥しい。つらいなぁ。でも自業自得だ。ちょっと前にカラダを壊していたんだから、自分のカラダから出る信号くらいちゃんと読み取って大事にしてやれよ。
夏木マリ曰く。
「カラダは自分のものじゃなくて神様からお借りしているもの。いつかお返しする。だから大事にしなきゃいけないの」と。
その通りでございます。ごめんなさい。
肘掛けに靴下足を載せるオヤジたち
2008年07月29日(火) 7:06:18
昨日は愛知県某所にて仕事で講演。
名古屋まで新幹線に乗って、名古屋からまた電車乗って、と、片道3時間ちょいかけて出かけた。地方の知らない街に行くのは好き。今回も生まれて初めての街で楽しかった。一生知るはずがなかった街角。一生すれ違うはずがなかったおばあちゃん。大嵐じゃなければゆっくり散歩でもして帰りたかったな。
そう、大嵐。途中からかなり荒れた。
後で知ったのだが、神戸の都賀川とか金沢の浅野川とか氾濫したほどの嵐が西日本を襲っていたらしい。
特に浅野川のテレビ映像にはビックリした。主計町が! あぁ「太郎」が水に埋まってる! 大丈夫だったかな…。
と、そ