一般
広告批評、休刊
2008年04月14日(月) 6:40:21
広告業界で働く人、もしくは広告に興味ある人にはお馴染みだった雑誌「広告批評」が来年4月で休刊になる。部数減少や赤字が理由ではないそうだが、だからこそ、広告業界にとってとても象徴的な出来事だと思う。
このニュースをしばらく前に聞いてとても感慨深かったのだが、考えてみたらここ5年、マス広告よりもメディア・ニュートラルなコミュニケーション・デザインの方向に仕事も興味も向かっていたこともあって、ボクはほとんど「広告批評」を読んでいなかったことに気がついた。たまに読むと違和感すら感じていた。もうマス広告の「表現」だけで生活者に届く時代ではとっくにない。広告自体がすでに大きく変わっている。なのに「広告の批評」という題名のこの雑誌がそこを無視してずっと「マス広告の表現」を中心に追い続けていたのは相当偏って感じられた。
ただ、結果的にそこにある種の「批評」は感じていた。
こんな時代なのに敢えてマス広告の表現中心に編集していたことに。
そういう意味では、休刊は「殉死」に近いのかもしれない。部数減少や赤字が理由でないのなら、彼らは潔く「マス広告の時代」と殉死したのだ。それはそれで見識だ。
なんだか明治と乃木希典の関係を思い出させる。
乃木希典が明治という時代に象徴的に終止符を打ったように、「広告=マス広告」という図式に象徴的に終止符が打たれた感じ。
人生を賭けるに足る仕事を真剣に探している学生たちは、時代の終焉と始まりを敏感に感じ取っている。
広告批評が主催する「広告学校」は、やはりマス広告の表現を中心に学ぶ場なのだが、受講生が年々加速度ついて減っていると聞く。マス中心と思われているトラディショナル・エージェンシーの志望者数も今年は明らかに減ったと聞いた。レベルも下がってきたらしい。有能な学生が他業界、もしくはネット系広告会社に流れているのだ。いままでは潜在的だったので目を伏せていられたそういう問題点が、明確に顕在化してきたということだ。
いいことなのだろうな。
こうしてわかりやすいカタチで顕在化しないと、広告の世界はなかなか変わらない。
中の人たちはまだまだ少し前の「マス広告栄光の時代」の殻を引きずっている人が多いし、変わらないといけないとわかっている人たちも、日常の作業に追われてなかなか変われないままに日々を過ごしている。この「広告批評」の休刊は、まさに「顕在化された明日」である。志望者減少も「顕在化された明日」である。スルーせず重く受け止めるべきだと思うし、もう猶予はない。
拙著「明日の広告」でも書いたように、別にマス広告が終わったわけではない。「広告=マス広告」という時代が終わっただけ。消費者本位に考えてコミュニケーションをデザインしていけば、まだまだ広告は力を持つ。問われているのは「脱皮」の早さだ。変わらなきゃ。
著名ブロガーたちのインタビュー
2008年04月12日(土) 7:40:02
おとといの「情報メタボ」の記事に「論説サイトは除く」と書いたが、論説系ブログ(と一括りにして申し訳ないが)の方々もさすがに大変そうだ。
J-CASTニュースの「アメリカで著名ブロガーの死亡が相次いでいる」という記事の下の方に日本の著名ブロガーたちをインタビューしているが、まぁボクと同じようなことですね。いや、アクセスももっと多いだろうし、論説系だとアレが日常的に起こっているだろうから、もっとずっとずっと酷いか。
「極東ブログ」を運営するfinalvent氏は「異なる意見は受け入れたいのですが、かなりひどい嫌がらせをうけます」「多方面で誹謗中傷を受けました。そこまでブログを書くことはないな、やめようと思ったことは何度もありました」と語っている。
また、読んでいた感じ全くそんなこと見受けられなかった池田信夫氏も「プレッシャーはありますよ。月間100万アクセスを超えた辺りから、寝られない日が続き、医者にブログをやめろと言われて…。もう、どうしようもないコメントやスパムとかノイズが凄く飛んでくるんですよ。私はこういったものについて気にしない方なんですが、さすがにストレスになってきています」と書いている。
そういえばよく読む内田樹氏のブログもコメント欄がしばらく荒れていてドキドキした。いつ「面倒だし忙しいからブログなんかやめてしまおう」と彼が放り投げるか不安だったのだ(ずっと読みたいし、タダであれだけの論説を毎日読ませてもらってありがたいといつも思っていたから)。
ボクの原点は「日記猿人」(終了)という当時人気だった日記ランキング・サイトでの泥仕合の酷さの経験である。あの醜い泥仕合からたくさんを学び、自分の運営に活かしている。
1994年〜98年くらいだろうか。ばうわう氏を中心に日記猿人という狭い村社会の中で、酷い泥仕合が日常的に起こっていたのだ。
何人もの人が傷つき疲れて、サイトを閉鎖したり日記を休止したりした。裏掲示板みたいのがあったのだが、そこではもう読んでいられないくらいな罵詈雑言が飛び交っていた。
そのときはボクは泥仕合に巻き込まれなかったが、いまネット社会で起こっていることはたいていは当時すでにそこで起こっていた。もちろん規模はずっと小さいが、その分明確に動きがわかり、いろいろ学習できた。
2年ほど前に「ネット老人」という記事を書いたが、そこでこんなこと書いている。(自己引用)。
(前略)モンスター化って、ここで書いた「初期の興奮状態」もあるのでしょうね。
ま、でも、ある意味「誰でも通る道」かなぁとは思います(上から見て偉そうに言っているのではなく、客観的に)。
だって、たとえばその昔「日記猿人」とかに参加してた人ならわかると思うけど、いまのネット上の騒ぎって7〜8年前にすでにみんなそこで経験していたことの繰り返し。ネットのすごさを実感して興奮して発信しまくることも、素晴らしい出会いも、楽しいオフ会も、書き込みで傷つけあうことも、理不尽な誹謗中傷も、不用意な発言での炎上も、突然のサイト閉鎖も。そのサイクルは山ほど見てきました。今ネットをやってる人って6〜7割がまだネット始めて1〜3年程度ってとこでしょうか(特にブログ的に発信してる人)。みんなまだ初期の興奮状態にある気がします(偉そうに聞こえたらごめんなさい)。一概には言えないけど、ネット始めて5年以上経つとみんなネットの良さも限界も冷静に見えてきて、ネットに過剰期待しなくなり、意外と落ち着くものです。
ボクなんか11年やっているので、すでにネット老人です。「ネット上で議論する」とか「ネット上で相手を論破する」とか「そのあげく相手と分かり合う」とかについて何の期待もしてません。いや、期待しないどころか相当距離置いてます。泥沼になってシコリが残るだけ。もしくはサイト閉鎖に至るだけ。不毛。少なくともそういう先例を多く見すぎました。
(後略)
「ネットは自由だ! 何言ってもいいんだ!」とか「ネットはフラットだ! 年上だろうが有名だろうが関係なく文句が言えるぞ!」「少し書いてみたら共感コメントもらったぜ! 気持ちいい!」「どうせ匿名だ! 過激にやってやれ!」とか。性格もあると思うけど、5年もやったらかなり落ち着くと思うな。
とはいえ、これからも毎日のように、大量かつ圧倒的に若い「ネット新人」がデビューしてくるわけで、こういう人は減らないんだろうなぁ。とはいえ、悪が一定数出てくるかわりに大量の善も出てくるのがネットなので、それでもやっぱりネットが好き。ゆっくり長く、ポジティブにつきあっていこうと思っている。
情報メタボ化する人々
2008年04月10日(木) 7:37:08
やっぱり政治ネタはメールがたくさん来ますね(笑)
昨日の記事は、書いたあと「んー、誤解受けそうな文章だなぁ」と思いつつ見切り発車したのですが、なんとか伝わったようでホッとしています。ただ、やはり説明が足りなかった部分もある気がするので自己フォローしておきます。
背景を説明すると、「チベット問題について何故何も発言しないんですか!」という強めなメールがあったんですね。昔は偉そうにいろいろ政治的発言をしていたではないか、と。昨日の記事はそれに対するお返事の意味合いがありました。一般化して書いたので少し真意が伝わりにくかったかもしれません。
複雑で微妙な政治問題(この場合はチベット問題)について気軽に発言することの怖さ。熟考して書いたとしても必ずエキセントリックに反対する人がいて、その人たちの強烈なレスポンスの凄さ(生きていくのがイヤになるような罵詈雑言。今回は中国が絡んでいるのでもっとヤバイと予想できる)。そういうのをたった独りで受け止めることの厳しさ。サイト更新が怖くなり辞めたくなるという衝動と本末転倒さ。などをお伝えしようと前半では思ったのでした。
別にヘタレ表明をしたわけではありません(笑)
ある程度以上のアクセスがある個人サイトとしては避けて通らざるを得ないトピックはある、ということです。
サイトをやっている方からは共感のメールが多かったですが、最近とみに「超エキセントリックなメール」が増えており、サイトをやっている側も慎重にならざるをえない、という現状があるのです。昨日も4人の方から「こんな酷いメールが来て、サイトをやっていく気力が萎えた。閉鎖しようと何度も考えた」という経験談を送っていただきました。炎上→サイト閉鎖もその流れですよね。
こういう流れには社会的背景があると考えています。
拙著「明日の広告」でも書いたのですが、世の中に流れている情報はここ10年で410倍にも膨れあがり(総務省調査)、生活者はほとんどの情報をスルーせざるを得ない状況です。そうなるとどうなるか。「情報洪水の中から欲しい情報だけ選択して摂取する」という行動に出ざるを得ないわけですね。情報が多すぎて。
10年前までは情報がそこまでは多くなかったから、例えば新聞などでも「興味ない情報も読んでいた」。それがもっともっと選択的になっていると思われます。
そうするとどうなるか。
言うなれば「情報メタボ」というか「偏った情報の過剰摂取」が起こります。バランスのとれた情報摂取をしなくなり、自分の欲しい情報だけ過剰に摂取する。そして肥満する。オタクの出現はその前兆(先鋭)でした。
ネットにおける検索って「自分の興味あることを調べる」という選択的能動なので、彼らの「偏った情報の過剰摂取」を加速させます。たとえば「子供」「子育て」「子供の権利」みたいな情報に興味ある人が、検索などによって情報肥満したあげくモンスター・ペアレンツ化する。それを是正する情報や常識をバランスよく摂取しない。
バランスが悪いから「でもさ、そんなこと、普通しないよ」という常識がわからない。彼らの中の「普通」が偏っているのですから。だからいろんな分野でモンスターが跋扈する。狭量で自分勝手なクレーマーがたくさん育つ。自分が興味のある情報の方向に膨張した自己が暴走しだす。
政治分野だと「自分の正義」を信じて疑わないモンスターが出てきます。いまどき「正義」なんて「アメリカから見た正義」と「イスラム社会から見た正義」が全く違うように、実に多面的なはずです。たったひとつの正義なんてどこにもない。だから「妥協と落としどころ」が必要なわけで。
ま、短い文章中で語る問題でもないので多少論旨に飛躍があるかもですが、「偏った情報の過剰摂取」と、その結果としての「偏った情報肥満(=情報メタボ化)」は、これからも加速すると思われます。
ということは、今後、どんな発言をしても「危ない」。理論上は。
どんな話題を書いたとしても、エキセントリックに反応する「情報メタボ化したモンスター」が現れてくる可能性があるわけです。自分だって知らぬうちにモンスターになっているかもしれない。あぁイヤだ。
とはいえ、論説・啓蒙や主義主張をメインにするサイト(ブログ)なら、それでもそれを乗り越えていくべきでしょう。そういう目的のサイトなのですから。
でも、ボクのサイトの目的は別にあります(このこともそのうちちゃんと書くつもりです)。なので昨日「サイトの更新継続>政治の話題」と書いたのでした。
ボクはこれからも、発言すべきと強く感じた問題については発言していきます。草の根の発言が積み重なって世の中をよりよい方向に変えることがあると信じていますし。
ただ「情報メタボ化」した現在、どんな話題もものすごく慎重に書かないとヤバイのは確かなのです。特に微妙な政治問題。これはもう個人サイトで受け止めるのは無理かもなぁ(論説サイトは除く)。
ちゃんとした反対意見は滋養強壮として摂取してます。ありがたいです。でも「情報メタボ化」したモンスターの一方的な追求メールは本当に酷い。これは経験しないとわからないでしょう。全身の血が下がり気が遠くなります。「自分の考えを述べているだけなのだから堂々としていよう」と脳みそが判断しても、心が正常に動かない。そのくらい酷い。
こんなこと書くと「ブログを始めようと思っていたのに…」と尻込みする人が出そうですね。いまやっている人も萎縮しちゃうかもしれない。
でも、それでもボクが続けているのは何故だと思います? それを上回ってあまりあるイイコトがたくさんあるからです。それは保証します。それだけは確か。だからそんなこと言わず始めましょう。続けましょう。
って、今日も長くなっちゃいました。読みにくくてスイマセン。
丸元淑生さん、亡くなる
2008年03月12日(水) 8:00:55
なぜかニュースに気づかず、メールで教えていただくまで知らなかったのだが、料理研究家の丸元淑生さんが3月6日に亡くなった。74歳。
面識はまったくないのだが、20代の一人暮らしのキッチンに、ボクはずっと彼と立っていた。
分厚く、写真もまったくない彼の料理本「丸元淑生のクックブック」が彼との出会い。理屈っぽさが勝っていた若いボクの心に突き刺さった。なんて理詰めでクレバーな料理本だろう! とっくに絶版だが、いまでもボクのバイブルである。
んでもって、さすがにこれでは難しすぎると著者自身思ったのか、その後もっと簡単に書いた「システム自炊法」とか、写真がふんだんに入ったムック本「シンプル料理」「新・家庭料理」なども出版する。それらもこまめに読んでいき、ボクは彼の基本料理を中心に自炊をマメにするようになった。ほぼ信者。冷蔵庫の中は彼が提唱する栄養たっぷりの基本料理ストックがずらりと並んでいた。
道具も揃えた。築地に出向いて最高級の鰹節削り器を買い、基本のだし汁をとった。彼が勧めるさまざまな小物も揃えた。鍋も彼のお得意であるビタクラフトを買い揃えて無水で野菜を茹でたりしていたな。その鍋はいまでも活躍している。
得意にしていて今でも作る彼のレシピは「小魚のピクルス」。
- アジ(小型を8〜10尾)の内臓・エラ・頭・うす身を切り取り、大さじ1の塩を入れて沸騰させて火を止めたお湯にそれらを入れて2分〜4分茹でる(小さいアジなら2分)
- アジを取り出して水を切り、手で骨を身から外す。ここが細かい作業だが、身はバラバラにほぐれてもよい。
- 骨を除いた身をボウルにとり、レモン汁(1個分)をかけて塩で調味。
- ニンニク(2片)を刻み、パセリ(4〜5茎)も加えて刻み、そこにクミン(大さじ1)を加えて擂りつぶす。
- ボウルのアジにこれらを加え、オリーブオイルも加えてよく混ぜ合わせる。これで出来上がり。ラップして冷蔵しておく。
これがね、うまいのだ。何度作ったことか。
他にも「ビリアニ」や「ポーチド・フィッシュ」「タラのグラシオサ風」「豆のサラダ」とか、わりと作ったなぁ。どれもシンプルかつ短時間で出来、栄養たっぷりでしかもうまい。男のひとり暮らしに実に向いている料理群。
彼の肉体は滅んでしまったけど、彼のレシピはこうしてこれからもずっとボクの中に生き続ける。
というか、ツマに先立たれた後(笑)、ボクは彼の料理本に戻っていくだろう。高齢一人暮らしにこれまたビッタシな料理群なのだ。超理屈っぽく辻褄があっていて、簡単かつ栄養たっぷり。ひとりで作ってひとりで食べてもなぜか空しく感じないのだ。満腹感とは違う「満足感」で満たされる感じ。
豊かな食卓、これからも受け継ぎます。
丸元淑生さん、どうもありがとうございました。
あの日から13年
2008年01月17日(木) 6:55:35
阪神大震災の日は、毎年恒例ですが、このコラムへのリンクを。
地震が起こったら、まずこれをしろ!
地震が起こる前に、これだけはしておけ!
一度読んだ方も、また思い出すためにぜひお読みください。ボクの大震災体験談が書いてあります。お暇ならこちらもどうぞ。「震度7の朝、妻は妊娠9ヶ月だった」
そのツマの誕生日は、震災前日の昨日。
まだ結婚1年目だったので(震災から2ヶ月後の3/6が結婚1年目の記念日&ムスメが誕生した日)、ニュースとかで「あの日から13年になります」とか聞くと「あぁボクたちも結婚して13年なんだな」とか確認できて便利。
そうそう、オーディオ好きな方はこちらも。「震度7でぶっとんだボクの愛機たち」
どのコラムも10年前とかに書いたモノなので今読むと文章が若いなぁと思います。でも、個人的には大事な記憶なのでこのままに。 デジカメの画素数も低かったんだろうなぁ。画質悪い。
最近、よくあの揺れを思い出す。そして怖い。家族に何が起こるかが。
子供を13年も育てると、年々「失うこと」が加速度ついて怖くなる。その年月分、想いが強くなるのだろう。あのレベルの揺れだと何が起こるかわからない。いつ別れてもいいようにちゃんと愛さないとと思う。
そう、ボクにとって1/17は「愛」を確認する日でもあるのです。「愛」とかって照れるけど。
もっと文章がうまくなりたい
2008年01月08日(火) 8:14:03
中国人初の芥川賞候補になった楊逸(ヤンイー)さん。中国生まれで日本語などまるで出来ず、1987年に来日してから本格的に日本語を学び始め、今回の芥川賞候補作「ワンちゃん」を書いた。同作で文学界新人賞も獲っている。
日本語を学び始めてたった20年で芥川賞候補か、すごいな…、と感心したが、でも、考えてみたら、綿矢りさは日本語をいちから学び始めてたった17年で(つまり17歳で)文藝賞を獲り、その2年後に芥川賞を獲った。20年っていうのは一言語を使いこなして純文学まで昇華させるに充分な年月なのかもしれない。
たまに「ブログを始めたいけど、文章がうまく書けない」という相談メールをいただく。
でもこれは本末転倒的な相談で、文章はたくさん書かないとうまくならない。文章がうまく書けないからブログを始められない、では、いつまで経ってもうまくはなれない。たくさん書くという意味でブログはいいエクササイズになる。毎日毎日書くことによって少しずつヒトに伝わる文章になっていく。最初はぎこちない文章でも、書き続けると少しずつスムーズな文章になっていくものだ。まぁその遠い先に「書きすぎると筆が荒れる」ということもあるようだが、それこそ芥川賞を獲るようなレベルでのお話。
昨年末に本業の「広告」についての書き下ろしを書いたが(もうすぐ発売)、お笑いエッセイくらいしか書いてこなかったボクにとって、真面目な論の展開はなかなかハードルの高いものであった。いままでいかにいい加減な文章しか書いてこなかったかがよくわかる。達意の文章なんか程遠い。まだまだエクササイズが足りないのを実感する。そういうこともあって、最近は多少「カチッとした文章」を書くように、このさなメモでも心がけている。
いちから日本語で文章を書き始めて20年弱で芥川賞レベルまで行ける例がいくつかある、というのは励みになるな。もっともっと文章がうまくなりたい。まぁ文章の技術だけがうまくなっても、人間自体が成長しないと結局「いい文」は書けないものなのだけれども。
時間の終焉
2007年12月31日(月) 15:32:18
2007という見慣れた数字の並びも今日でおしまい。明日からは2008。
2007年に亡くなった人は、ボクが学生だった時代に全盛期を迎えていた人も多く、わりと感慨深いことが多かった。これから訃報欄がもっともっと身近に感じられるようになるのだろうな。
個人的に感慨深かった順に挙げてみると、白井郁代(祖母)、村田靖夫(建築家)、阿久悠(作詞家)、池田晶子(文筆家)、オスカー・ピーターソン(ジャズピアニスト)、黒川記章(建築家)、土井甫(振付師)、熊井啓(映画監督)、カート・ボネガット(作家)、植木等(俳優)、石立鉄男(俳優)、イングマール・ベルイマン(映画監督)あたりか。
他にも鈴木ヒロミツ、木原光知子、坂井泉水、羽田健太郎、城山三郎、渡辺和博、西村寿行、小田実、河合隼雄、藤原伊織、安藤百福、横山ノック、稲尾和久、宮沢喜一、船越英二、北村和夫、三好京三、池宮彰一郎、黒木靖夫、パバロッティ、アントニオーニ、ベジャール、エリツィン……きりがないな。
今年は「死」について例年になくよく考えた年であった。
早々に池田晶子の死去があったからかもしれない。カントは「永遠というのは中断なく持続される人間のすべての時間の終焉でなければならない」と言っていて、なるほど死というのは「時間という縦の流れからの脱出して永遠を手に入れること」なのか、と、わかったようなことを思い、そうであるならば時間=人生である今の尺度で死をとらえることはできないし想像がつくわけもない、と、最終的に放り投げた。
死んだら天国に「行く」とか、無に「なる」とかいう概念も、時間の尺度に沿っている。時間経過がそこにあるからだ。死が「ひとつの時間から出て、別の時間に入る」のではなく、時間自体の終焉を意味するのであれば、時間という枠から出ることが不可能なすべての人間の思考や行動は死の前で意味をなさない。であるならば死に準備などいらない。突然来るものを受け入れて時間の終焉=永遠を体感するのみ。
と、この程度の思索でなんとなく終えているあたりがボクの詰めの甘いところなのだが、ちょっと死生観に変化があった2007年だったかも。刹那的になったのではなく、より深く覚悟が定まった感じ。
キザなこと言ってんじゃねぇよ、と思いつつ、いろいろ考える楽しさに浸る2007年大晦日。みなさん、今年もこんなサイトにおつきあいいただき、どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
オスカー・ピーターソン、亡くなる
2007年12月26日(水) 8:06:45
オスカー・ピーターソンが亡くなった。82歳。
ボクは彼のライブは3回ほど見ている。
その超絶技巧はたまにやり過ぎの部分もあるのだが、興が乗ってくると巨体を揺すってうなり声を上げるのが可愛くて、ライブで見飽きない人の一人。録音の良さでは定評があるTELARCレーベルからライブを録音したマイナーなアルバムが数枚出ているが、それなんかはライブ感を見事に再現していていつでもその雰囲気に浸れる。名盤がたくさんある彼だが、ボクはわりとそのTELARCをBGMで流していることが多い。レイ・ブラウンとハーブ・エリスというこれまたフェイバリットな人たちがバックについているし。
でも、一番のお気に入りは、彼のボーカル・アルバムである「ロマンス」。
座右のCDでも取り上げているので詳しくはそちらを読んでいただくとして、この彼の声が好きでわりとヘビーローテーションである。疲れた夜に聴くと効果満点。彼の死を知ってまずかけたのもこのアルバム。モノラルだしちょっと甘すぎる部分もあるのだけど、なぜか飽きない。この人にはもっと歌って欲しかったな。
こうしてどんどん好きなジャズ・ミュージシャンが亡くなっていく。
お年寄り度で言えばハンク・ジョーンズは来年90歳を迎えるが、なんと新年早々来日してライブをしてくれる。もうこれで最後かなぁと毎回思い続けて早10年ほど。彼とは長く一緒に仕事をしたおかげで仲がいいのだが、いまでも会うと「オ、オ、……イトーサーン!」と少し名前を間違える。惜しい! でもいいのだ。サトーでもイトーでも大勢に影響はない。彼が長生きしてあのコロコロしたフレーズを元気で聴かせてくれればそれでよい。あぁ来年が待ち遠しいな。
ポジティブ・エージング
2007年12月18日(火) 8:37:49
厚生労働省が発表した「2005年都道府県別生命表」によると、平均寿命が最も高い都道府県は、男性が長野(79.84歳)、女性が沖縄(86.88歳)だったそうだが、ワースト1位は両方とも青森(男性76.27歳、女性84.80歳)だったそうである。
意外だったのは、女性で大阪がワースト4位だったこと。大阪のおばちゃん、長生きしそうやけどなぁ。内実は別にして、あんなにストレス・フリーに見える人たちも少ない。
とはいえ、1位と47位の差が2〜3歳程度なので、まぁほとんど変わらないか。とりあえず男性平均寿命のワーストである76.27歳までボクは30年ある。あと30年…。何して遊ぼうかな。ボクの場合、なんとなく「人生のピークは70歳」と決めているので、あと24年はえっちらおっちら成長していく予定。そしてその後6年ほどで下りきる、ということか。まぁ下り坂が長いよりいい。
女性は若さに固執している人が多いけど、平均で85歳くらいまで生きることを考えると、お肌の曲がり角(25歳?)から60年は人生が続くわけで。そろそろアンチ・エージングからポジティブ・エージングに思想を変えた方がいいのではないかなぁ。年齢なりに美しい人、ボクには魅力的に見えるけど。まぁ確かにボクも20代30代のころは葉桜の美しさがわからなかったけど、いまはよくわかる。いまでは葉桜の方がきれいに見える。
というか、男が咲き誇った桜ばっかりチヤホヤするからアカンのね、たぶん。もっと葉桜の美しさを褒めるべきかも。
過酷な人生
2007年12月07日(金) 8:19:41
今度は独身女性軍から「ネイルに反感持っている主婦が言いそうなことはだいだいわかります。でもね!」系反論。つか、石を投げ合うのは結構だが、オレを挟んで投げ合うのはやめれ。石が当たる(笑)
あとは「世の奥様方が日々抱えている鬱憤はすごいんです」といろいろ教えてくださるメールもいくつか。これはまぁ勉強になるんだけど、でも、世の男性陣の鬱憤もすごいのよ、と、ボクはわりと「お互い様」論者。
ベースとして日本は「男性社会」だから、女性に鬱憤がたまるのはわかるけど、いったん不景気&逆風になると男性はいきなり逃げ場がなくなってストレスの固まりになる。2006年度「自殺対策白書」によれば、自殺者数は1998年に男性で急増。以来、男性の方が女性の2.5倍程度も多いまま推移している。まぁ自殺者の数で鬱憤をはかるのは間違ってるけど、「男性社会だから女性はきつい、鬱憤がたまる」という論理と同じように「男性社会だから男性はきつい、鬱憤がたまる」という論理もありえる、という根拠の一例にはなるかな。
ただ、世界各国の男女別自殺率を見ると、全世界的・圧倒的に男性の方が自殺率が高いので、「性差として男性の方が自殺しやすい性質を持っている」ということもあるかもしれない。
この白書の「年齢階級別の自殺者数の推移」を見ると、特に1998年以降は45〜64歳の男性の自殺がすごく多い。いま現在働き盛り&管理職年代が死を選んでいるわけね。で、1985年前後は35歳~54歳が、1955年前後は15歳~34歳が多い。
ん? ってことは、1934年〜40年に生まれた人たちは「自殺の三つの山」すべてに当てはまっている人たちってことか。一番自殺が多かった年代。いま67歳から73歳の男性。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台である昭和33年に18歳〜24歳の青春だった男性たちである。映画では「希望」が描かれていたけど、なかなか過酷な人生を生き抜いてきたのだなぁ。
吉田美和
2007年10月08日(月) 17:22:34
しばらく封印していたドリカム。というか吉田美和。
今日、家族が買い物に行って誰もいない時、アンプに灯を入れ、静かに流した。
これだけ愛が強く、みんなに分け与えるヒトに限って、愛する人を亡くしてしまうという巡り合わせ。
そういうことが、よりによって吉田美和に訪れてしまう不幸。
なんだかよくわからないけど、自分じゃなくて申し訳ない、とか思った。
ゴミの分別方法が変わる
2007年09月30日(日) 8:30:56
明日10月1日から日本郵政公社が民営化されるが、同時に、ボクが住んでいる地区のゴミの分別方法が変わる。
なんと今まで不燃ゴミとしていた「プラスチック、ゴム、皮革製品など」が可燃ゴミに変わるのだ。
ビニール袋もCDやビデオもボールペンも弁当容器も長靴やボールもプラスチック製おもちゃも発泡スチロールも皮革製品も、すべて可燃ゴミ。CDとかも可燃なのか…。
じゃぁ不燃ゴミとは何かというと、ガラス・陶器類や電球、アルミ箔、金属系、乾電池など。金属とプラスチックが分解できない部品なども不燃ゴミ。瓶や空き缶(飲食用)やペットボトルなどは、従来通り資源ゴミらしい。
なんでもサーマル・リサイクルといって、ゴミの焼却時に発生する熱エネルギーを発電などに利用するシステムらしい。「プラスチック、ゴム、皮革製品など」はこれまで埋め立ててきたのだが、それを可燃ゴミとして焼却することで発電量を増やすというのだ。埋め立て量が減るのは大変喜ばしいが、焼却時の有害物質とか大丈夫なのかな。焼却工場の設備・技術ともに改善されて、焼却実証では法規制値を下回ったというけれど。
まずはモデル地区から始めて、来年には東京全区で実施されるらしい。10年くらい前はゴミ問題に関心をもっていろいろ調べていたが、ちょっと目を離すとガラリと変わってしまう。少し注目しておこう。
亡くなった人たち
2007年09月16日(日) 18:38:14
おとといだったかな。土居甫氏が亡くなった。
言わずと知れたピンクレディの振付師。阿久悠に続いてピンクレディ関係者である。桜田淳子の振付もしていて、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」の第2回ゲストという名誉も持っているのは有名な話(第1回はタモリがファンである桜田淳子)。それももう25年前のことである。すごいな。
ちなみに、もともと「テレフォンショッキング」つうのは、タモリが伊藤つかさのファンで、お知り合いになりたくて始まったもの。友達の輪を広げていくうちにいつか彼女に辿り着くだろうという魂胆。数年後に伊藤つかさに辿り着いたときのお祭り騒ぎは今でも覚えている。
ま、そんなトリビアはいいとして。
書かなかったが、パバロッティもベルイマンもアントニオーニも相次いで亡くなった。ボクが10代20代のころ第一線で活躍していた人は、もちろんあれから20〜30年ほど経っているわけで、そりゃ亡くなるのも仕方ない。それだけ時が経ったのだ。
ボクたちの世代が本当にショックを受けるのは、ユーミンとか桑田とかが亡くなった時だろうな。なるほど自分が生きた時代も終わるんだ、と実感させられ悲観する気がする。ま、ボクの方が先に死ぬ可能性も高い。なんだかその死を聞く前に死にたい気もする。
話は戻って土居甫。
ボクは彼のピンクレディの振付を覚えて高校の後夜祭で踊り、週刊セブンティーンに写真が載ったことがある(笑)。軽い高校生だ。タンクトップにミニ着てさ。「透明人間」をやった。その時の相方(ケイちゃん役。ボクはもちろんミーちゃん役)も若くして死んでしまった。
ちなみにその後夜祭のステージでツイストの「宿無し」をやったのが「Amoh's Bar」の天羽である(笑)
台風の夜
2007年09月07日(金) 8:41:26
台風関東上陸でオフィシャルに早退オッケーになったというのに、昨晩は会食があった。
行く予定のレストランは赤坂の溜池にある。溜池とはその名の通り、水を溜めた人工の池だった場所である。江戸時代に飲料用の上水ダムとして作り、特許庁前の交差点から赤坂見附までの細長い池だったという。ダムにするくらいだから水が溜まりやすい地形。特に溜池の交差点は、豪雨が降るとクルマがプカプカと浮くくらい水が溜まるという。幸いそのレストランは地下ではないので水没はしないだろうが、よりによってこんな夜に溜池で…。
19時から始めて22時くらいまで。ここ数年のメディアの話から今現在変化しつつある状況など。堅苦しい会食ではなかったが、いろいろ参考になることが多かった。次回は居酒屋でと約束して終了。料理は相変わらず繊細至極。食べると優しい気持ちになれるような味。
外を見るとやはり大雨。でも店の前の道はまだ水没していない。タクシーを呼んでもらったが、電話がまったく繋がらない。地下鉄もいくつか止まっているらしい。進退窮まったな、と思った頃にようやく電話がつながり、なんとかタクシーが来た。ラッキー。乗ってる途中からどんどん豪雨に。家についたらゴミや葉っぱが道に散乱していた。近くの木は倒れかかっている。おぉ、久しぶりにちゃんとした台風だ。
夜中も風雨がすごかった。風で家がゴゴゴと揺れ、雨が壁をドドドと鳴らす。なんとなくベッドで映画「台風クラブ」の一場面を思い出していた。台風の中、校庭で工藤夕貴らが踊る場面。相米慎二も死んじゃったな。
一転、高原のよう
2007年08月18日(土) 19:55:49
今日は一転、高原みたいに涼しかった。
ここ数日の40℃近い酷暑に、沖縄のヒトから「沖縄に涼みにおいで」と電話があったくらいなのだが(沖縄は33℃以上には滅多に上がらない)、今日はもう感謝したくなるくらい涼しくて快適。朝起きて窓をあけてビックリした。ツクツクボーシも鳴き出したし、このまま秋になるといいなぁ。
ある新聞を読んでいたら、83歳の気象キャスター倉嶋厚さんがこんなことを言っていた。
「最近の天気はおかしい」っていうのは、「最近の若者」「最近の言葉遣い」と一緒で、昔から言われていたこと。いつも異常気象は当たり前と思えば、たいしたことないですよ。なるほど、たしかに最高気温更新される前の記録を持っていた1933年なんて地球温暖化の「温」の字もなかったころだろう。それどころか昭和時代って地球寒冷化が問題になっていたからなぁ。昔からずっと「これって異常気象だよなー」とか人類は言い続けてきたのかもしれない。あまり過敏になるのはやめておこう。
話はかわるが、「昨日の『水を飲むな! バテるぞ!』はある意味正しいのですよ」というメールをいただいた。
スポーツによる発汗には(ポカリスエットなどのように)水とともに電解質の補充が必要と認識が低かった時代には「水を飲むな」はある意味正解です。希釈による低ナトリウム血症は致命的なので。「水ばっか飲むな!塩もなめろ!」が正解だった、というべきなんでしょうね。なるほど。スポーツ中に水だけいっぱい飲むと逆に危ないわけですね。でも水を全く飲まないのはどうなんだろう。それも危ない気はするけど。とりあえず、ボクもここ数日の酷暑時はミネラルウォーターではなくてスポーツドリンクを飲むようにしてました。
観測史上最も暑い朝
2007年08月17日(金) 8:05:16
岐阜の多治見と埼玉の熊谷で40.9℃。1933年以来74年ぶりに国内最高気温更新らしい。
んでもって、今朝の東京の最低気温は30.5℃だったとか。一番涼しくて30.5℃って…。東京での観測史上最も暑い朝を迎えている。
暑さの描写で記憶に残っているのは、黒澤明監督の「野良犬」の冒頭部。
眼光鋭く、どこかやさぐれている雰囲気の野良犬が舌を出してハッハッハッと暑さに喘ぐ大アップ。このあとタイトルが出る。内容を予感させる導入部としても見事なのだが、うだるような暑さを一瞬で活写したこの場面がボクの脳みそにこびりついて離れない。「暑いなぁ」と天を仰ぐとき、頭の隅っこで野良犬がハッハッハッと喘ぐ。迷惑だ(笑)
もうひとつ、高校時代の先輩の声も頭の隅っこで響く。
「水を飲むな! バテるぞ!」
そう、信じられないかもしれないが、昔は運動部などの練習中に水を飲むのは御法度だったのだ。ボクはラグビー部だったのだが、夏の部活時、とにかく水など一滴も飲まなかった。今考えると熱中症一秒前。水を飲むのは練習後のみなんだもん。「水を飲むとバテる」という当時の常識から練習前にも飲まなかった。
夏合宿はまだいい。菅平みたいな涼しい場所で行ったから。でも東京のド真ん中で行われた夏練は地獄だった。とにかく水を欲したあの気分。こめかみがドクドク鳴った。血液は水分を失ってドロドロだったんだろうなぁ。でも練習が終わるまで一滴も飲まなかった。だからこそ、例の「ヤカン」がやたら効くわけなのだけど。
とはいえ、部活中も部活後も、熱中症で倒れた人がいた記憶がない。というかそんな言葉すらなかった。日射病という言葉はあったけどな。あんな水分極限状態でよく持ったものだ。
ぬるめの風呂
2007年08月16日(木) 4:51:30
東京に帰ってきた。夏休み終了。
Uターンラッシュも電車はさほどでもなく、わりとすんなり帰ってきたのだが、カラダはやはりバテバテのようである。休暇で疲れる、という典型的日本人パターン。というか、今夏は暑すぎたな。昨日は群馬の館林で40.2℃まで上がったらしいし。そんな中、名古屋・京都と特に暑い都市を歩き回ったせいもあるかもしれない。
今の日本の気温(36〜40℃)は、お風呂だと「ぬるめ」で、このサイトによると「ぬるめ(夏なら38度、冬なら40度位)の風呂に入ると、副交感神経のはたらきが高まり、精神的に落ち着きます。また、末梢血管も拡張するため、血圧が下がり、心臓の負担が軽くなります。疲れているときに、ぬるめの風呂にゆっくり入るのがよいといわれるのはこのためです」とある。「暑い!」とか思わず「これはぬるめの風呂でカラダにいいのだ」と思い込めば多少は気が楽か(笑) でもお風呂にしては長風呂すぎだな。
ちなみに熱めの風呂は、「熱めの湯(42度位)に入った直後は交感神経の緊張が高まり、末梢血管が収縮します。そのため、心臓に負担がかかったり、一時的に血圧が上昇したりします」とある。どっちかと言うとこんな状態を強いられているのかも。生きてるだけで危険な状態。
まぁそれはそれとして、さて仕事。
暑くても、休みの間に容赦なく溜まっているはずである。会社に行くのが怖いなぁ。あ、メールのお返事も溜まっています。旅行中書けなかったので。すいません。
映画「めがね」、試写会満員
2007年08月04日(土) 5:37:55
昨日は夜の打ち合わせを無理に切り上げて、荻上直子監督最新作「めがね」の試写会に駆けつけたのだが、なんと試写会会場は補助席も含めて満員御礼。立ち見でもいいので、と食い下がったがそれも満員。がっくし。チケットをくださった塩出師匠、スマンコッテ。
映画「めがね」は「かもめ食堂」のスタッフ再集結ってヤツで、主演はもちろん小林聡美。まぁ人気があるのもわかる。9/22からロードショーするので見逃すことはないと思うが(たぶん)、試写会で先に観て優越感に浸りたかった(笑)
んでもって、家にとぼとぼ帰った挙げ句、22時から1時間半やったNHK「ありがとう阿久悠さん〜日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち」も見逃した。夏バテが続いていて眠気に勝てなかったのだ(ま、早起きなのもあるが)。裏に妻娘が楽しみにしている「山田太郎物語」があって、それを録画しないといけなかったので録画も出来ず。再放送しないかな…。久しぶりに昭和の最強歌謡曲をたっぷり見たい(実はとてもマニアックに詳しい分野なのです)。
それにしても阿久悠を失ったのは痛い。ボクたちにはまだ筒美京平がいるし、さすがの阿久悠も最近ではあまり活躍していなかったのだが、それにしても…。
朗報。東京のタクシーが全面禁煙になるらしい(個人タクシー除くなのが痛いが)。これであのタバコ臭い車内もなくなるし(客を乗せてないときの運転手の喫煙も規制するなら)、密室なのにタバコを吸う同乗者もいなくなる。素直にうれしい。
でもこの調子で行くと、10年後とかには禁煙法とかも出来、30年後には「タバコが合法な時代があったんだってさ!」と若者が噂するような感じになるのかも。ボクはタバコが大嫌いだけど、たとえばジャズクラブに漂う紫煙とかは好きだし、穴蔵みたいな暗いバーで格好良くタバコを燻らせている男を見るのも好きだ。アメリカの禁酒法時代のようなエキセントリックな事態にならなければいいなと思う。タクシーは公共性が高いので禁煙は当たり前だと思うが、嗜好品を気楽に楽しめない世の中も窮屈である。行きすぎにならないように。
ヤマザキマリさん来日
2007年08月02日(木) 5:31:48
にわかに信じられなかったが、阿久悠が亡くなってしまった。
昨日ヤマザキマリさんと遊んでいる最中にそれを知り、しばし呆然。ボクが中学くらいから高校くらいまでの「流行歌に超敏感だった時代」に彼の全盛期が当たっただけに、人生と切っても切り離せない関係である。昭和がどんどん遠くなってくるなぁ。
ちょっとショックを受けつつ、昨日はヤマザキマリさん来日記念の遊び会。
リスボンですっかりお世話になった彼女と息子のデルスくんを我が家に迎えて積もる話いっぱい。お土産もいっぱい(ありがとう!)。そして途中からWii大会へ。相当盛り上がる。娘とデルスくんはふたりでDS「どうぶつの森」もやっていた。ネットを経由してお互いのDSの村を行き来したりしている。いまどきの子はこんなことが「普通」なんだよなー。おもろいなー。
夜は「福竹」でお好み焼き。途中からマリさんの旧知の仲でもある森崎博之くんも合流。「福竹」のお母さんもノリノリでえらく盛り上がった。独特のデルス節がお母さんの琴線に触れた模様。その後、家に戻ってお土産にいただいた絶品グラッパを飲みつつ深夜まで。森崎くんも初来宅。またゆっくり来てください。
そういえば、ずっと壊れてたクレルのアンプが昨日だけ奇跡的に生き返り、久々にアポジー(スピーカー)も気持ちよく鳴った。阿久悠の歌を流そうかと思ったけど、迷った末やめた。せっかくの楽しい場を湿らせても仕方ない。
デルスくんは東京のあまりの人の多さに若干まいっていたようだけど、とても楽しんでくれた模様。それにしても13時間くらいぶっ続けで遊んだなぁ。今日も少し遊ぶ予定。仕事もしないといけないけど。
台風4号北上中
2007年07月14日(土) 4:12:23
ええと、本日はボクたち「のれそれ花火企画」による打ち上げ花火大会当日ではありますが、非常に強い台風4号の北上で梅雨前線が活発化しているようで、大雨・強風も予想されます。
今日土曜日午前3時発表の天気予報によると「現在、関東甲信地方は、曇りで、雨の降っている所があります。今夜も、梅雨前線は本州の南岸に停滞する見込みです。このため、関東甲信地方は、曇りで、関東地方北部や伊豆諸島を中心に雨が降るでしょう」となっていて、ぎりぎり曇りで持つ可能性はあるかな、と。今現在(朝4時すぎ)、普通に曇り・無風だし。でも雨が降らなくても、風が強いと打ち上げは不可能なので、いずれにしてもわりと中止の可能性もありますね。晴れ男も台風には勝てん(笑)
で、花火大会が中止かどうかは、この「さなメモ」でわかり次第ご報告します。
最終決断は夕方16時頃かな。そのときボクは現場にいると思うので、携帯から書き込みます。もちろんそれ以前にわかったらわかった時点で書き込みます(去年、夕方に雨が降ったけど決行決断して、打ち上げ時には雨も上がって成功したので、意外とぎりぎりまで判断保留するかも)。今晩ご予定してくださったみなさん、ぎりぎりまで不確定で、申し訳ありません。
美しい生活
2007年06月13日(水) 8:09:51
世の中には「それを使っているだけでセンスがよくなるもの」というのがある。少なくとも「センスがよくなる気がする」もの。毎日それを使うことで生活の背筋がスッと伸びるもの。
美しい部屋に住んだら、センスよく毎日を暮らそうと心掛けるようになる。美しく機能的なキッチン用品を買うと、キッチンに立つのが待ち遠しくなる。美しいデザインの靴を履くと、その日一日歩き方まで優雅になったりする。美しくも繊細な文具を使うと、仕事の発想まで変わってくるだろう。
そんな少しずつの積み重ねが人間のセンスを変えていく。数年経つと明らかに垢抜ける。だから毎日使うものはとても大切なのだ。無理をしてでも美しいものを身の回りに散りばめた方がよい。
さて。Mac もそういうもののひとつだと思う(そういう流れかよ)。
毎日必ず使うコンピューターだが、Mac を毎日使うのと Windows を毎日使うのでは、長い間のセンスの差は大きいと個人的には確信している。
10月発売予定の Mac OSX Leopard のデモページを見た(「Watch the Demo」でそれぞれの機能の素晴らしいデモが見られる)。
美しすぎて溜息が出た。美しいだけでなく、使いたくなるデザイン。仕事すら楽しくなりそうなユーザーインターフェース。よりグラフィカルで直感的なので、マック初心者でも簡単に使えるだろう。Windows Vista が Mac OSX のマネをして(あっけにとられるくらいマネた)、見た目上は Mac に追いついた感じになっていて「ヤだなぁ。全然違うんだけどなぁ」と思っていたけど、またまた余裕で大きく引き離してしまった。思想もデザインも数年は先を行っている。
ちなみに、ボクは Win を使っている人とファイルのやりとりをしょっちゅうしているが、なんの不便もない。仕事で Win 使っている人も、そろそろ Mac にして、生活を「美しく」しませんか?(というか、シリコンバレーではMacを使っている人の方が主流派になりつつあるらしいけど)
とか、まぁボクは「Mac信者」ですので、適当に読み流してください。でも成長期の娘には絶対 Mac を使わせる。成人するころには美的センスが大きく違っているだろう。いやマジで。
2007年度トニー賞発表
2007年06月12日(火) 7:29:23
昨日はトニー賞発表。
発表寸前にブロードウェイで観まくっているので、受賞作品を推理したり、発表をドキドキ待ったりできた。これって実に楽しい。快感。次回も発表前にブロードウェイに観に行こうかな。
ミュージカル部門では「Spring Awakening」が圧勝。最優秀作品賞、最優秀演出賞、最優秀助演男優賞、最優秀振付賞、最優秀脚本賞、最優秀オリジナルスコア賞、最優秀照明賞、最優秀オーケストレーション賞の8部門獲得。他にボクが今回観た中では、David Hyde Pierceが「Curtains」で最優秀主演男優賞。「Mary Poppins」が最優秀舞台美術賞だった。どれも順当かな。最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞、そして最優秀衣装賞の3つを、観ていない「Grey Gardens」が獲った。
個人的には「メアリー・ポピンズ」の作品賞も少し期待したけど、でも「スプリング・アウェイクニング」の斬新さと勢いに2007年度のベスト・ミュージカル賞を与えるのはよくわかる。楽曲、演出、照明もとても印象的だった。主演男優賞も上げてもいいかもと思ったくらい。でもまぁデヴィッド・ハイド・ピアースの大ファンとしては、彼が獲って良かった。「メアリー・ポピンズ」は舞台美術がいいよねぇとモリとも話していたので、これも順当。新しさはあまりないけどいい仕事。
8部門獲った「スプリング・アウェイクニング」の感想を当日(5/27)のさなメモから抜き出しておくと、
19時からソワレで「Spring Awakening」観劇。こんな感じ。
直訳すれば「春の目覚め」。1891年発表のドイツの古い戯曲で、検索すると例えばココとかに戯曲が載っているので、これから観られる方は筋を読んでから行かれるといいと思う。若者の性の目覚めと悲劇を描いたものだが、その過激な内容に発表当時は発禁扱いだったという。その古典をロック・ミュージカルに仕立てた新作で、6月10日に発表されるトニー賞に作品賞を始め最多11部門でノミネートされている話題作。オフ・ブロードウェイから早々にオン・ブロードウェイに上がってきた作品でもある。オープニングから引き込まれる。
シンプルな舞台装置を演出と照明の力でものすごく魅力的に見せている。役者は最初から舞台袖の座席に座っており、出と入りが自然で場面展開がスムーズ。歌になるといきなり胸元からマイクを出してライブ形式になる演出も面白い。照明も卓越していて美しかった。前評判では過激な性描写が話題だったが、それはそれほどのものでもなく(いや、ブロードウェイでここまでやるのはやっぱり過激か)、若者たちの悩みがストレートに伝わってくる。まぁ戯曲自体が古いので性が乱れた現代とは合わない部分はあるのだが、とても魅力的な舞台で11部門ノミネーションもむべなるかな。この斬新さが評価されれば作品賞もとっちゃうかも。
ただ、個人的にはラストのまとめかたが弱いと思った。ホントにこの終わり方でいいの? 作る側も悩んだとは思うけど、アップビートで哀しみを歌っても良かった気がする。主役女性の最期もカタルシスなし。惜しい。
照明が良かった印象が強いな。あと主演男優のツバ。ツバ飛ばしまくりで歌うのだ(恣意的にではないが)。演出もとても良い。ただ脚本はどうかなぁ。もう少しやりようがあった気はする。正直、再見したいかと言われるとそうでもなかったり(ボクは。モリはもう一度観たいと言っていた)。
熊井啓監督
2007年06月05日(火) 9:21:31
ボクがNYに行った前後に何人か亡くなっていて、もちろん石立鉄男はショックだったし、ZARDの坂井泉水や松岡農相にもビックリした。平岩外四や藤原伊織、大庭みな子、ちょっと前だと塩沢とき、北村和夫、池宮彰一郎、横山ノック、ロストロポーヴィチ、ここ数日では羽田健太郎と、このごろ有名な方の死が多い気がする(敬称略)。
でも、個人的に感慨深かったのは5月23日の熊井啓監督の死である。
日本を代表する社会派映画監督である。もちろんお会いしたことはない。でもボクが20歳の時(1981年)に観た彼の映画「謀殺・下山事件」が、いまでもその時の感情を覚えているくらい衝撃的だったのである。のほほんと軟派に生きていた大学時代のボクは、ガツンと一発かまされた感じであった。
戦後史最大の謎と言われる下山事件についてはWikiでも見てもらうとして、その後ボクは矢田喜美雄の原作「謀殺下山事件」を読み、これまた衝撃を受けて下山事件関係の本を読みあさった記憶がある。友人にも下山事件論争を持ちかけたりして、いま考えたら大迷惑なにわか社会派だ(笑)。でも資料を読みあさって戦後史の闇に潜っていったあの時間はとても充実していて、いまでも大学時代のある象徴として思い出したりする。
下山事件関係のみならず、謀略だの謀殺だの戦後の闇だの題された本を自宅デスク周りに積んでいて、親に心配されたこともある(反体制思想にかぶれたと思われたのかもしれない:笑)
社会や政治が一筋縄でいかず、本当に裏で怖ろしいことがまかり通る場合もある、と、薄々気づいていたことを目の前にドウダと提示された初めてのキッカケでもあった(奥手すぎ)。熊井監督には素直に「ありがとうございました」を伝えたい。
ちなみに、経歴を調べていて気がついたが、熊井監督、ボクと誕生日が一緒でした(6/1)。なんだかうれしい。
二段組み1263ページ
2007年05月18日(金) 7:32:23
「水源」の根っこの部分に強い感動を覚えたボクは、当然のようにアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」をアマゾンで注文したのだが、昨日届いたそれは「水源」以上の分厚さ。二段組みの1263ページ。うわぁ。
でも、1998年のランダムハウス/モダンライブラリー発表では「アメリカの一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100の第1位」だし、1991年の米国国会図書館の調査では「聖書に次いでアメリカ人が人生で最も影響を受けた本」であるという。聖書に次いで、ってスゴイよねぇ。そんな本の初邦訳が「水源」と同じく2004年とは。なんでこんなにアイン・ランドの紹介が日本では遅れたのかな。
※1998年ランダムハウス/モダンライブラリーの発表に関しては怪しい部分もあるかもです。
さて、いずれにしても二段組みの1263ページ。
来週の木曜からNYに行く身としては読みはじめるべきかどうか迷う。読みはじめたら荷物に入れて持ってかなければならぬ。それはあまりに重い。でも「水源」と同じくNYが舞台のようだし、向こうで読みたい気もしてくる。とはいえ毎晩飲むだろうしなぁ…。ミュージカル三昧と時差と酒でグダグダだろうしなぁ…。重いの持っていっても読むかなぁ…。とか、ある意味ゼイタクな悩みっぷり。
NYは、ブロードウェイで観る演目、ほぼすべて決定。オンラインで予約済。7日間で10本観る予定(笑)
そういえば一昨日だったか、今年のトニー賞のノミネーションが発表になった。「ベスト・ミュージカル賞」にノミネートされたのはこの4つ。
「Curtains」「Grey Gardens」「Mary Poppins」「Spring Awakening」
「Grey Gardens」以外は全部観られる予定(「Grey Gardens」がベスト・ミュージカル賞取ったらショック!)。
「スパマロット」出演で大好きになったデビッド・ハイド・ピアースが主演する「Curtains」が楽しみ。ディズニーの新作「メリー・ポピンズ」も意外といいかも。ちなみにノミネート数が一番多いのは「Spring Awakening」で11部門らしい。発表は6月10日である。
目が疲れそうな晩年
2007年05月09日(水) 9:24:59
メールで強く勧められていた整体に行ってきた。
ボクにはゴッドハンドが効く、と、わかっていつつ、いろいろ調べるとそっちの整体も興味津々で。というかほとんどカラダに触らない整体なのだ。怪しいけど数回は通ってみよう。昨日は一回目。急降下していた腰の調子が多少上向きに。でも本当にベッドに寝るだけの整体なのだ。施術後はずいぶん物足りない(笑)。でもなんだか効いている気もする。少なくとも頭はスッキリしている。
で、施術後は飲酒厳禁とのことだったので、昨晩は予定を変更してインド料理へ。
インド料理って(個人的には)お酒が進まない。だから禁酒したいときには重宝するのである。骨董通りの「シターラ」。優しく洗練された味。ボクは好き。
それはそうと「DVD1枚分(4.7ギガ)を4秒でネット転送」ってニュースには驚いた(もちろんIPv6でだけど)
というか、いままでも実験上では5秒で転送できたらしいけど、いずれにしてもスゴイなぁ。こういうことが一般レベルで普通になると、もう「空気のように意識せず」データのやりとりができるようになる。動画や重いデータを一瞬で送受信できる世界。テレビのスイッチをつけたらテレビが映るのと同じスピード感で映画が観られる感じ。「昔って映画をテープとか円盤をマシンに入れて観てたんだって!?」と孫の世代にバカにされるの確定。
まぁ数十年後足腰立たなくなる我々世代には朗報とも言える。ベッドにモニターさえあれば寝たきりでも数秒で好きな映画を呼び出せる。床ずれに悩みながら年間800本とか映画を観る生活。どうよ? もちろんモニターで(手を使わずに)本も読める。ゲームも指さえ動けば遊べるだろう。目が疲れそうな晩年だ。
圧倒的に煩悩を克服した国民?
2007年04月27日(金) 8:04:47
高校生の出世意欲調査で、米中韓に比べて日本は断トツの最下位だったとか。
「偉くなりたいか」という問いに、「強くそう思う」と答えた高校生は中国34.4%▽韓国22.9%▽米国22.3%に対して、日本はわずか8.0%。卒業後の進路への考えを一つ選ぶ質問では、「国内の一流大学に進学したい」を選択した生徒は、他の3国が37.8〜24.7%だったのに対し、日本は20.4%にとどまった。ふーん。
そういえばセックス回数調査でも世界26ヵ国中、日本は最下位だったっけ。両方とも見方によっては「情けない」「だから日本はダメ」ということなのだろうけど、別の見方をすれば、「出世欲」とか「性欲」とかって「煩悩」だよね。つまり「圧倒的に煩悩を克服した国民」ということもできるわけだ。
圧倒的に煩悩を克服した国民。
人間が辿り着くある種の精神的理想郷かもしれない(笑)。
個人単位で克服するならまだしも、国民単位で(しかも若いうちから)克服しつつあるのはある種素晴らしいこととも言える。めっちゃ大人な集団じゃん。仙人みたいに枯れていて、それはそれでクールなのでは? 先行ってるのでは? とちょっと思ったりもする。いやマジで。仏教国的には特に。
5年ほど前に書いた不定期日記にも引用しているが、ガルブレイスがこんなことを言って日本を礼賛している。
日本は再び世界の偉大な模範になっているね。これでもう十分だ、と決めてしまった。物やサービスをもっと手に入れようと働き続けるより、余暇がある生活の方がいいというわけだ。執ように続く経済成長より、もっと幸せな公式を見いだした。(中略)これは世界でまったく例がない。リラックスした平和な存在たらん、というわけだ。ま、意見はいろいろあるだろうし、それもわかるんだけど、これはこれでなかなかいいんじゃないの? と思う自分もいる、ということで。
経済にあまり力を入れなくとも、心地よくあればいいと日本は発見した。
プロフィール帳
2007年04月15日(日) 8:55:55
日曜の朝はNHK教育テレビで「課外授業 ようこそ先輩」の再放送を見ることを楽しみにしていたのだが、再放送が月曜深夜に移ってしまいガックリ。日曜朝にふさわしい番組だったんだけどな。
プールの本拠地(?)をかえたのだが、すこぶるいいプールで満足している。水はきれいだし今のところ空いているし、風呂などの施設も良い。
そのせいか、昨日はとても快調で、体幹の切り替えで身体がグーンと進む感覚が今までになく感じられた。25mも11〜14ストローク。いつもは沈みがちな左での息継ぎも最低限の動きで出来た。敢えて言えばローリングしすぎかと思ったが、気持ちよければなんでもいいや。
自転車通勤にも気持ちいい季節だなぁ。
最近、睡眠が浅くすぐ目が覚める。プールや自転車で身体を疲れさせてしまえ、と思うのだが、疲れさせても目が覚めるので困っている。メールで「躁鬱の初期の可能性も」と指摘され、まぁ年齢的にそういう可能性もあるので少し観察中。自覚がなくても身体的症状として出てくる場合がある、とのこと。ストレスが多い日々を送っているのは確かなので、身体が何か信号を発しているならちゃんと受け止めたい。
娘は中学での初一週間を終え、疲れ切った模様。まだ慣れないし、初めてのことが続くし。
今って「プロフィール帳」を交換して友達を増やしていくらしい。娘も「○人書いた〜」とか喜んでいる。いろいろ話してじわじわわかりあうより「とりあえずプロフ交換してインスタントにわかりあう」という辺りがイマっぽい。お互い自己紹介とか照れるしうざいんだろう。
「前略プロフィール」ってサイトが去年から一部仕事仲間内で評判なんだけど(数百万の利用者がいるらしいけど、大人にはほとんど知られていない。ティーンのコミュニケーションのあり方を考える上でよく話題に上る)、これも「プロフィール帳」と同じ使われ方をしてると思われる。
直接会ってても「あ、これ、とりあえず読んで」とか言って自己紹介代わりに携帯の画面読ませて、お互い共通点を探して会話を始める、みたいな。ゆっくり話してわかりあうという段取りを省略して時間を節約している感じ。プロフ見て趣味が合わなかったらすぐ次に移る感じ。お手軽なんだな。いい悪いは別にして。
ブログ数では日本語が世界一
2007年04月14日(土) 18:05:41
最近気になったニュースとしては「ブログ数では日本語が世界一」ってヤツ。
現在、ブログ検索エンジン「Technorati」が追跡しているブログの数は全世界で7000万。そのうち日本語で投稿された記事数は全体の37%で英語圏を抜いてついに1位に。」(GIGAZINEより)なんだかすごいな。日本人がそんなに発信欲が強い感じはしないんだけど、どうなのだろう。ただ、ブログを複数持っているヒトも多いようなので、単純計算はできないかも。
この前、ある会社のヒトと話をしていたんだけど、その人は入社の面接官をしていて、「ブログをやってますか?」と就活学生全員に聞いてみたらしい。で、結果は約8割がやっていたらしいのだが、驚いたのはそれぞれが持っているブログの数。なんと平均4つだったそうだ(mixiも含める)。英語圏の人が平均いくつくらい持っているのかわからないから比較はできないし、面接である程度見栄張ってる可能性もあるが、一部のアクティブな数十万人が複数発信している、というのが現状かもしれない。
それはともかく、カート・ヴォネガットが死んでしまったのはわりとショック。
まぁ「そういうものだ」(「スローターハウス5」での決まり文句)なのだが、ある時期の自分的アイドルではあったので感慨深い。彼なんかは、もし今彼が青春期を迎えていたら、機関銃のようにブログを書いていたひとりかもしれない。なんか「書く」という根本的情熱を、彼は教えてくれた気がする。
今週末には桜開花
2007年03月12日(月) 12:50:30
おもしろ本、数冊更新しています。
なんか最近、女性の書く本ばかり読んでる気がする。なんなんだろう。春だからかも。
今年の東京の開花は3月18日だとか。
早いなぁ。卒業式のときにはもう桜が散り始めているかもしれない。入学式のときは葉桜だ。中学入学を控えた我が家にとってはちょっと残念。
で、18日にはsuicaとpassnetが合体し、JRも地下鉄もバスも私鉄も乗れるようになる。これはいいなぁ。大便利。開花日にピッタシ合うなんて、関係者は喜んでいるだろう。
あ、それと、関西の話だけど、18日から昔住んでいた夙川にJRが止まるようになるんだって? 駅の名前は「さくら夙川駅」とか。んぬぬ。こういう情緒的な意味をつけた地名や町名、駅名ってキライ。意味付けは住民や使用する人がそれぞれにするもので、強制されることではない。
とはいえ、夙川の桜は(個人的には)日本一。
あの辺の開花時期は知らないけど、18日なんて意外といいタイミングかもしれない。
池田晶子死去
2007年03月03日(土) 8:55:12
死んで去る。か。
まいったな。ちょっと取り乱し気味。2月23日。46歳。腎臓ガン。
池田晶子の著作を初めて読んだのは、たぶん1992年。「事象そのものへ!」であったと思う。会社のとある上司に「読め」と紹介されたのだ。ちなみにその時もう一冊紹介されたのが池田清彦の「昆虫のパンセ」だったから、相当ハイブロウな上司である(中村さんだった。下の名前が思い出せない…)。
で、その後「メタフィジカ!」「帰ってきたソクラテス」あたりを読んで、それ以降ボクの中ではお馴染みさんになった。1996年以降に読んだのはこんな感じ。最近3年間に読んだ本はまだ感想を書いていないが。
冥福は祈らない。冥土での幸福を祈るということは、冥土での「存在」を肯定すること。「存在」とは何かを問い続けてきた彼女にそんなことをしたら笑われてしまう。
同時代に生きられて光栄だなぁ、と思える人をまたひとり失ってしまった。
彼女は死に際して何を考えたであろうか。今日はそんなことをゆっくり考える日にしたい。
名札すら個人情報?
2007年02月22日(木) 8:55:10
おととい書いた個人情報の件、「うちもこんなです」といろいろ教えていただきました。
友達の住所を知らないのは当たり前。年賀状手渡しもわりと当たり前。電話連絡網も前後の人の番号しか載っていないとか。それどころか、子供の名札すら最近の小学校ではつけないらしい。そういえば、昔は胸に校章とともにつけてた記憶があるけど、最近は見ないなぁ。
「入学したての1学期は、子供さえも同じクラスの子の名前も分からなくて、パニックになる状態」だって。名前と顔を一致させるための名札すら、個人情報っすか…。行きすぎだなぁ。現場もきっと行きすぎだと感じていると思うけど、たぶんそういうことを「個人情報ざます。登下校時に変な人に名札を見られたら危ないざます」とか訴えるPTAがいるんだろう。
確かに、個人情報流出や傷害事件、性犯罪系など、危ういことが多い世の中なので予防は必要だ。でも限界はあるので、ボクは毎朝子供を送り出すときに「今日が最後かも」と一瞬覚悟して「いってらっしゃい」を言う。いや、オーバーでなく。ただ「社会に出す」ということはそういうことだからなぁ。リスクが多い分、得ることができる果実も大きい。
まぁ、とはいえ日本はまだまだ自由が確保されている方かも。
イギリスなんか確か「12歳まではどこへ行くにも親などの保護者を同伴しなければいけない」という法律があったと思うし(12歳だか13歳だか正確には覚えてないが)、アメリカのいくつかの州でも「12歳未満の子供を子供だけにしてはいけない。家に子供だけ置いて出ることもいけない」と法律で規定されていた気がする。そういやこれらの国を旅行している間、子供だけで遊んでる姿なんて見たことない。
「公園で遊んでらっしゃい」とか子供だけを送り出したりしたら即刻逮捕。家で一人でお留守番させるだけで即刻逮捕。もし日本でもこうだったら親はどんな生活になるか、想像するだけで暗い気分になる(笑) でも、大きくはそっち方向に時代は向かうのだろうな。とか。
過疎か!
2007年01月31日(水) 7:59:12
ボクの受験前ってどうだったかなぁ。
試験前日は学校休んで暗記ものを頭に詰め込んだような気もするけど、覚えてないや。
ということで、とうとう本番前日。娘は今日も学校に行った。ま、当たり前か。
でも一週間前とかから休んでいる子もいるらしい。一昨日ですらクラスで12人休んだらしい。昨日は22人休んだらしい。試験前日の今日はもっとすごいだろうなぁ。30人の大台に乗るか!?
言っとくがひとクラス39人である。昨日なんかそのうちの22人が休んだらしいのである。給食とかひとグループになって食べたというのである(17人しかいないからねぇ)。今日30人の大台に乗ったら9人とかで授業うけるのである。過疎か!
娘は「そんな状態で授業がなりたつのかどうか見てみたい」とか言って、今日も学校へスキップして出かけた。大物(笑)
でもあれだなぁ。明日の試験当日はもっといっぱい休むわけで(東京の中学受験はだいたい2/1〜3に集中する)。試験受けずに登校する子はそれはそれで疎外感あるだろうなぁ。平然と平日に試験を実施する中学も中学だよなぁ。
ビっくりスタ!
2007年01月30日(火) 8:04:57
朝刊のWindows Vista発売広告を見て呆れた。
そこまでプライドがないか、と。
その水滴風な丸いアイコン、光の反射、鏡面シャドウ…。まったくそのままMacの真似ではないか。デザインまでそのままパクるか。ちょっとビックリ。
んでもってネットでいろいろ調べてみたら、もう口があんぐりあいてしまって…。
機能もMacの真似しすぎ。エアロにしてもダッシュボード的なものにしてもフォントにしてもウィンドウの動き方にしても。なんだこりゃ。Macじゃん。
まぁもともと歴史的にWindowsの設計自体がMacの真似なんだけど、それにしても業界トップの誇りみたいなものがもう少しあると思ったのだけどなぁ。8年(だっけ?)かかってこれですか?
って、Winユーザーの方々、すいません。
まぁマイナーなMac派としては、それだけMacOSXは洗練された先進OSなのだという再認識と、真似すんなバカという排他的感情と、この気持ちいい使用感をMacユーザー以外に味わわせたくないという既得権益感と、真似なくせに結局メインストリーム持ってっちゃうんだよなぁという自己憐憫とが重なって、いろいろ複雑なんです。キャンキャン吠えさせて。
話は変わるけど、ええと、おととい書いた長文にしみじみメールいろいろありがとうございます。ちょっと言い足りてない部分があって、伝わってるかどうか不安だったけど、それなりに伝わったようで良かった…。
いろんな方のサラリーマン生活への想いを読ませていただきました。しみじみと。いろんな場所でいろんな方がいろんな感慨をお持ちなようで。
変わったよねぇ。以前の体制(文化)が必ずしもイイとは言えないし、効率重視なりにまた新しい文化は芽生えるのだろうけど、あれはあれで失うにはもったいない文化だったなぁと。でも、それを惜しみ懐かしんでいると時代は先に進めない。そういう意味での(自分の中での)終止符だったのです。
焦ったのは「あ〜、原淳です」と電話が来たこと。これまたビックリ。
てっきり「てめぇ上等じゃねぇか!」と怒鳴られると思い身をすくめてしまった(笑)
でも「飲みにつれてってやる」との温かいお言葉をいただきました。あぁ良かった。ボクももう歳なのでムチだけは勘弁してくださいって何度もお願いしました。伝わったかどうかは微妙。
キットカット・タクシー
2007年01月19日(金) 8:17:13
偶然「キットカット・タクシー」に乗った。正確には「サクラサク・タクシー」なのかな。
会社の人と乗ったのだが、これまた偶然、中学受験の娘を持つ人で「あと2週間ですねぇ」とか話しながら乗ったのだ。乗るときに「なんだか桜模様のタクシーだなぁ」と思ったのだがそういうタクシーだとは気づかず、乗ってそのまま「今年は中学受験生が去年より15%増えたんですってねぇ」「困りましたねぇ」とか、現場レベルの受験の話を続けていた。
ら、運転手さんが「大丈夫です! もう絶対受かります!」とイキナリ叫ぶ(大声で)。
ハァ、と微妙に笑ったら、「いや、ホントです! だって都内に30台しかないんです! 大当たりです!」と言う。そして「サクラサク仕様のキットカット」と「さくらさくよ。2007」のノートを手渡してくれたのである。キットカットが「きっと勝つと」の語呂で受験生に人気なのは知っていたが、こんなことやっていたとは知らなかった。
なんでも、本郷商店会と中央無線タクシーと企業数社で「サクラサク受験生応援委員会」っていうのをやっていて、都内で30台、満開の桜のラッピング・タクシーを運行しているらしいのだ。受験生とその家族が乗るとキットカットとかをくれるらしい。しかも、大学入試センター試験当日は、東大本郷キャンパスへ付近の駅から受験生の無料送迎するんだって。
いや、しかし、なんだか妙にうれしいもので「受かるかも〜!」と親同士やけに喜ぶ。
というか、受験生の親同士が一緒になるのも珍しいが(しかも話すのはほとんど初めての人)、そのふたりで都内で30台というタクシーにたまたま乗るのも相当な確率だ。もうこの時期になると神頼み的な気持ちになっているので、マジで「受かるかも〜!」とニンマリしてしまう。オレも普通の親になっちまったなぁとシニカルな部分をほんの少し残しつつ。
ただし、ちょっと微妙。
そのキットカットとノートを出先に忘れてきちゃったのだ(泣)
カバンを持っていなかったので机の上に置いたんだけど、縁起物だからとキレイに並べて置きすぎて風景に馴染み、帰りに気がつかなかったのだ。あ〜あ。今日とりあえず取りに行ってみるけど、不特定多数が出入りする場所なので、無理かもなぁ。
タクシーに乗った時点で御利益があるのか、キットカットとノートを忘れた時点でその御利益もなくなってしまうのか、どっちなんだろう。でもまぁ受験生の親は「出来ることはすべてしてやろう」という気分になるので、取りに行ってみる。冷静に考えれば、単に商店街&企業のキャンペーンに踊らされているだけなんだけど…。上手に受験生の家族心理を突いてくるなぁ。
阪神大震災から12年
2007年01月17日(水) 6:50:02
比較的新しい読者の方はご存知ないかもしれませんが、ボクは当時神戸(正確に言うと夙川)に住んでいたので、あの大震災をもろに経験しているんです。
で、この日になると、しつこいけど毎年のように、自分が書いた以下の記事をご紹介します。こういうのは「くどいくらい言ってちょうど良い」と思っているので、これからも一生くどく行きまっせ。1年に1回はこの記事を読んでください。お願いします。
「地震が起こる前に、これだけはしておけ!」
「地震が起こったら、まずこれをしろ!」
「震度7の朝、妻は妊娠9ヶ月だった」(当日のドキュメント)
※一番上の記事を元にテレビ朝日のニュース特集にも出ました。顔はモザイクで(笑)
今日久しぶりに自分の記事をじっくり読み返してみて、ひとつ対策不足が表面化しました。いつの間にかおろそかになっていたりするんですね。書いた本人ですらこの体たらく。みなさんは大丈夫ですか? 今日にも来るかもですよ!
iPhone !
2007年01月10日(水) 6:53:35
早起きして「Macworld Expo 2007」のジョブズの基調講演結果をネットで見る。
去年のExpoではIntel製プロセッサ初搭載の「MacBook Pro」と「iMac」が発表された。今年はどうかとワクワク見てみると…。
大方の予想通り、iPhoneとApple TV(以前の発表では iTV)。それにパラマウントのiTunes Store配給開始とアップルの社名変更(Apple Computer, Inc.→Apple Inc.)であった。
なんと言っても「iPhone」だ。
うわー、かっけー! コンパクトな薄さ11ミリの筐体に特許技術が200以上も詰め込まれているという(日本語のくわしい記事はとりあえずココとココで。リアルタイム更新の実況日本語記事はココとか。アップルサイトではココ。英語だけど直感的にわかりやすくデモされている)。
iPod、電話、インターネット接続(htmlサイト閲覧)の一台三役。2メガピクセルのカメラも搭載。キーボードはなく全面タッチパネルでの入力。そして何よりMacOS Xが動くという。パソコンとは完全同期。iTunesはもちろん、ブックマークやカレンダーも同期可能。ウェブメールも可能。無線LAN接続も可能。ま、想像されることは全部可能。
横にすればセンサーが感知して自動的に画面も横位置になる。サイト閲覧や写真閲覧はズームする際に指を2本使ってタッチパネル上で広げるようなジェスチャーをすれば拡大される(ここらへんがアップルっぽい)。それとそれと、Googleマップが使える! Googleマップで店を探し、その店をクリックするとそのままその店に電話できたりする!
この直感的操作感…。もう開発されつくしたと思っていた携帯電話分野も、アップルがやるとこうなるんだなぁ。デザインがいいとこんなにブレークスルーが感じられるんだなぁ。なんだか「真の常時接続」を感じさせる次世代機だ。……とまぁ、ワタクシは「アップルの犬」なので、ただひたすら感心しております(アップルが何か作るだけで感心するバカですので、興味ない方はスルーしてください)。
アメリカでは2月、日本では2008年発売を予定かぁ。新年早々来年待ちかよ。待ちきれないなぁ。
でも「iPhone」って名前はCisco Systemsが商標を持っていて「VoIP装置として去年12月に発表されている」と聞いていたんだけど、オッケーになったのかな。
地球温暖化?
2007年01月07日(日) 17:59:02
勉強と読書と原稿と企画書作りの1日。やることいっぱい。間に合わない。
気晴らしに家族で犬散歩に出たら、いつもの散歩道に梅が咲いていた。1月7日か、まだ早いよなあ。
梅の木がずぅっと植えられているので家族の間で「梅道」と呼ばれている細い道なのだが、その中の3本ほどが紅梅を開かせていた。白梅はまだ固いつぼみ。種類が違うのかな。でも梅は大好きなのでうれしい。春に手が届きそうでよろしい。まぁ東北のスキー場は雪がないというし、NYではなんともう桜が咲いたというし、世界的に暖冬なんだろう。
このように暖冬とか迎えるとすぐ「地球温暖化」に結びつけて考える人が多いが、ボクはそれはちょっと思考停止的だと思っている。危機意識を持つのはとても大事なことだが、たとえば「環境危機をあおってはいけない 〜地球環境のホントの実態」(ビョルン・ロンボルグ著/山形浩生 訳) や「環境問題のウソ」(池田清彦著)を読むと真逆に近い主張もなされている。どっちが正しいかは難しいが(どのみち両陣営とも仮説だし)、マスコミや一部識者の意見を鵜呑みにせず、双方の意見を知って自分の頭で考えたいところ。
たった30年前、1970年代には「地球寒冷化」「地球に氷河期が来る」という内容の本がたくさん出版されたというから、学説や科学者の主張というのもコロコロ変わるのだ(大きな周期で言うと地球は氷河期に向かっているというのは本当らしい)。仮に氷河期が近づき大冷害の危険性もあるとわかったとしたら、温暖化に効果があるCO2の増大はいきなり「イイコト」になる可能性だってある。いろんな可能性をニュートラルに眺めて、フェアに考えたいと個人的には思っている。
火打石
2007年01月06日(土) 19:08:17
友人に火打石をもらった(写真)。
写真左が「火打石」。水戸黄門が愛用したという「水戸火打」だそうで、火打石の最上と言われる硬く粘りのあるメノウを手作業で割り整形したものだという。で、写真右は「火打金」ですね。この金属の部分に石を当てて火花を出すわけだ。
「切り火」は、火打金を左手に持って固定し、右手で火打石を持って手前から向こうへカチカチと当てこすって火花を出す。清めたい場所や、出かける人の右肩口に後ろから2,3回カチカチと切りかけるのが作法だと説明書に書いてある。
なるほど切り火かぁ、とばかりにカチッ、カチッ、カチッとやってみるが、これがなかなか難しい。何度かやるとごくたまに、目立ちたがりの線香花火みたいな火花がひとつ、接触点から意外と遠くにキリリと現れる。きれいだ。
切り火と聞くと、なんといっても思い出すのは香山美子。たしか大川橋蔵の「銭形平次」だったかな。平次の奥さんであるお静役だった彼女が毎回玄関で「お前さん、行っといで」と声をかけながら小粋に切り火で平次を送ったのをなんだかよく覚えている。あの頃は時代劇をよく見たなぁ。
よし、受験当日、切り火で娘を送り出してやるかな。カチッ、カチッとね。受験の魔物に喰われないように。
話は変わるが、安藤百福氏が亡くなりましたね。
日清食品創業者で、インスタントラーメンの発明者。昨今のラーメンブームも小さい頃からインスタントラーメンを食べてきた人たちあってのものだ。つまり彼のおかげ。マジで、チキンラーメンとカップヌードルを発明した功績は日本史、いや世界史にも残るものだろう。現代日本の偉人のひとりだとボクは思う。どうもありがとうございました。
ナッチャコ・パック
2006年12月04日(月) 4:51:06
うわっ!
ナッチャコ・パックが1日だけ復活するみたいですね。当時とまったく同じスタイルで。局はもちろんTBSラジオ。パーソナリティは当然、野沢那智と白石冬美。ディレクターは当時の斉藤俊介。すげ〜。くわしくはコチラ。
関東地方 2006年12月29日19時〜20時
ローカル 2007年01月02日19時〜20時
って、知らない人も多いか…。
ボクが中学高校時代だから、1970年代、関東地方で深夜放送と言えば、ニッポン放送の「たむたむたいむ」「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイヤング」、TBSラジオの「パックインミュージック」だったのだけど、それぞれ名物パーソナリティがいたんですね。
ボクが頼りないウェブマスター役を仰せつかっている「たむたむたいむ」のかぜ耕士さんはもちろん(そうなる経緯などはこちらを)、「オールナイトニッポン」は(ボクの時代は)鶴光、タモリ、タケシ、中島みゆき、桑田佳祐、糸居五郎、マイナーなところでは塚ちゃんなどなど。「セイヤング」では谷村新司・ばんばひろふみ、せんだみつお、落合恵子、グレープなどなど。TBSのパックは那智・冬美(チャコ)〜略してナッチャコ〜と、ミドリブタ、愛川欽也などなど。
そう、曜日によっていろいろ聴きわけたりして、深夜族も大変だったのです。
というか、深夜1時〜3時の放送をどの局かで聴いて、オールナイトニッポンの二部(朝3時〜5時)を軽く聴いて、ちょっと寝てすぐ学校行っていたよなぁ。そのうえラグビー部とか塾とかもこなしてた。毎日そんなことしてよくカラダが持ったもんだ。
で、絶大なる人気と実力を誇ったのが「金パ」こと「ナッチャコ・パック」だったのですね。那智チャコのパックインミュージック。金曜深夜の定番で、本も数冊出ている(持っている)。テープにも何本か録音してある気がする。磁気飛んでるかもだけど。
あぁあの頃の無闇に青い気分が蘇るなぁ。ナッチャコっていう言葉を読むだけで蘇る…。深夜に書き込むと尚更(まだ4時台だし。というか寝てないんじゃなくて早起きだし ←老人)
校庭芝生化の効果
2006年12月03日(日) 10:15:46
校庭の芝生化などについて書いた記事にいろんな感想をいただいております。ありがとうございます。
その中に具体的な実例が書かれているメールがあったので、ちょっと共有しますね。
校庭を芝生化した学校からは様々な事例が報告されており、さとなおさんが書いておられるように、登校拒否が劇的に減るということは多くの学校で証明されています。
「芝生プロジェクト」のシンポジウムでは、たとえば杉並区の小学校では、全校生徒欠席0人の日が芝生化後飛躍的に増えたとか、大阪府の小学校では1学期中の欠席日数が20〜30日の児童が毎年4,5人いたが、17年度は0人になったとか、そんな実例が数多く報告されました。他にも、
など、芝生の効果は想像以上に大きく、実施した学校の校長先生の多くは「芝生にして良かった」とおっしゃっておられました。
- 児童の登校時間が早くなった。
- 休み時間に教室に残っている児童がいない。
- 児童が芝生で寝転がっている。
- 近くの幼稚園、保育所がよく遊びに来る。
- 地域が芝生を利用するようになった。
- 夏は表面温度が10℃以上違う。
- プールの水の入れ替え時に消防団に撒いてもらった。
- 幼稚園では雲梯ができるようになった(落ちても痛くないから)。
すばらしいですねぇ。
もちろん裏側には芝生の維持管理のためにたくさんの人が苦労しているだろうし、表に見えてこない問題もあるでしょう。予算がないとか先生達の協力が得られないとかもあると思う。でも、くだらない箱物にお金を投入したり、いじめ防止の広報にお金を使ったりするくらいなら、校庭芝生化という選択肢をもっと国中の自治体が真剣に考えてもいいんじゃないかとボクは思います。
なお、すでに芝生化したある小学校の校長先生は「セキュリティでもっとも大切なことは、一人でも多く、たくさんの人の目が学校の中に注がれることだと思います。立ち入り禁止で鉄条網を張り巡らし、人目を避けることではないと信じています」と発言しているそうです。
芝生の維持管理のために地域の人や保護者に協力してもらったりして、たくさんの目が学校に注がれるようになり、セキュリティ・アップに役立った、ということなのでしょう。
ちなみに、関係ないけど「美しい解」という意味では、「電柱・電線をなくす」ということも考えて欲しいなぁ。昔こんなことを書いたけど、あの「我々の空を醜く覆っている物たち」を一掃するのは、物理的に国を美しくする第一歩だと思うし、意外な心理的効果、意外な経済効果、を生むと思う。
というか、単に個人的に電柱と電線がきらいなだけなのかもですが(笑)
美しい解
2006年11月26日(日) 10:55:05
ロバート・アルトマンとかアニタ・オディとかフィリップ・ノワレとか仲谷昇とか斎藤茂太とか灰谷健次郎とか次々と他界されてますね。季節の変わり目。みなさんもお大事に。というか今「他界」という字を思わず書いて美しい言葉だなぁと思ったです。そうか他の世界へ行ったのか。ボクもそのうち行く。どんな世界だろう。楽しみだ。
話は変わるけど、最近読んだ明るいニュースの筆頭は「東京都内の公立小中学校の校庭を、10年かけてすべて芝生にする」ってヤツ。
ヒートアイランド現象を抑制するとか、子供の運動能力を上げるとかいう面で報道されているみたいだけど、この「校庭を芝生にする」っていうコンセプトは「登校拒否が劇的に減る」という側面がある。実例も報告されている。学校に行くのが楽しくなるわけね。
シンプルで美しい解だと思う。精神論よりそういう「実質的で物理的な施策」が効くのだと思う。校庭が緑の広〜い芝生になるだけで、もしかしたらイジメだって自殺だって減るかもよ。美しいものって陰湿さを一掃するもん。「あ〜きれい!」「あ〜気持ちいい!」って思うだけでいろんな気持ちがポジティブになる。
青空学級とかしたら気持ちよさそうだなぁ。先生と芝生の手入れをしながらいろいろ話せるかも。きれいにすると気持ちいいと知れば掃除だって自然とやるようになる。花壇だって整えるようになる。きれいな芝生の校庭があれば休日に近所の大人が集まるようになるなぁ。学校に近所の目が届きはじめると犯罪者もきっと近寄りにくくなるぞ。柔らかい芝生の上での運動は子供の足腰にもいいし、どんどん遊ぶ場所が減っている都会の子供には格好の遊び場になる。いいことずくめ、ってか!
もうひとついいニュースと思ったのは「京都市が屋外看板やネオン広告を市内全域で全面禁止する景観施策案を発表」ってヤツ。
いままであまりに無視されてきた「景観と広告」の問題に大きくメスが入れられる。住んでいる方や地元で経済活動している方には不自由を強いることになるが、これも美しい解だと思う。
「国や郷土への誇り」や「愛国心」みたいなものは意外とこういう景観の美しさから生まれてきたりする。教育基本法で愛国心を持つよう訴えるより、「物理的に国を美しくする」方がよっぽど効く気がする。
キャピトル東急
2006年11月24日(金) 7:33:20
11月でクローズしてしまう「キャピトル東急ホテル」に行った。
館内をいろいろ歩いてみたが、あらためていいホテルだなぁと感じ入った(泊まったことないから部屋とかはわからないが)。施設も古いなりにいい味出している。これ、壊しちゃうん? もったいないなぁ。日本って何でも壊しちゃうなぁ。まぁスクラップ&ビルドもここまで徹するとそれはそれで個性ではあるけどさ…。地下3階の村儀理容室も覗きに行ってみた。小泉前首相などの行きつけ。なるほどココか。
地下1階の中国料理「星ヶ岡」で夕食。
ここは土日祝限定でオーダー式のバイキングがあり、クローズ前にそこで中国料理を楽しもうという食事会があったのだ。通常のメニューにある100種類の料理のどれを何品オーダーしても8500円ポッキリ。燕の巣とかフカヒレの姿煮とかアワビとか取ったらもう元が取れてしまう。燕の巣のスープだけでも3000円だし。
こういう状態でメニューを見ると逆上してドダダダダダダとオーダーしてしまいそうなので、オーダーは女性陣に任せ、メニューはなるべく見ないことにした。見ない。オレは見ないぞ。「お皿はきっちり掃除しますので(余らさず全部食べちゃいますので)なんでもオーダーなさってください」と口ではイイヒトぶったこと言いながら心の中は「うまそうなものオーダーしないと許さん!」状態。そのくせメニューは見ない。タチが悪い。
でもみんなセンスのいいオーダーをしてくれ、2時間みっちり楽しんだ。6人でシェアしつつ全部で20種類をオーダー。元はとりまくっていると思うが、まぁ食べ放題って結局店側が儲かるっていうし、どうなんだろ?
ちなみにこの店、赤坂東急プラザ2階に移って12月16日再オープンするらしい。「この店もクローズなのか〜」と惜しみつつ食べていた私たちって…。しかも12月16日から「新規開店記念で連日オーダー式バイキング開催」だとか…(笑)。ぐがー。
それにしてもカロリー取りすぎたので、朝プールに行こう。
大人が教えるべきこと
2006年11月14日(火) 8:55:24
おとといの「復讐としての自殺」にメールをたくさんありがとうございます。
「昔、わたしも同じように考えてました」というのが多かったです。やっぱそういう人多いのね。もしそれが今の小中学生でも同じなら、大人が「命の大切さ」を説けば説くほど復讐効果は増すわけで。そんなに大切で尊いものを捨てての抗議は相手に必ず通じ、相手を反省させ、自分はいよいよ悲劇のヒーロー(ヒロイン)になれると思っちゃうわけで。んー、ちょっと逆効果。危ない流れかも。「命なんか捨てても相手はたいして気にしない」「相手は『な〜んだ、やり甲斐ねぇな』とか思う程度でヘラヘラと次の攻撃目標を探すだけ」くらいにクールに説いた方が効くのかもしれない。実際そうだし。
あとは「生きていると楽しいことがいっぱい待っているぞ」と、大人が普段から身をもって教えることかな。
そりゃ大人がつまんなそうな顔して生きてりゃ子供も生を軽んじるわいな。死ぬと損、これからいっぱいある楽しいことが味わえないよ、って「現世御利益的な損得」で説いた方が子供には通じる気がする。
もし読者に小中学生がいるなら言っておく(たぶんいない。あ、娘か)。
あのな、悪いけど、人生、楽しいから。大人になったら楽しいこといっっっぱい待ってるから。オッチャンは経験したから知っている。毎日楽しいぞ〜。あんたらの知らない美味しいもの、美しいもの、快感、感動、楽しすぎて身をよじっちゃうことなんかが山ほど待ってる。まぁ騙されたと思って生き続けてみ。楽しいのは保証する。
というか、ボクなんか小学校時代の友達なんかひとりも残っていない。中学の友達も数年に一回ほど親しい人に会うだけ。要するにその後の人生にほとんど関係ない人たちなのだ。毎日友達関係に一喜一憂しているかもしれないけど、深刻に考えずにヘラヘラ笑ってやり過ごしーや。そのトンネルさえ越えれば、全然違う人たちがキミに会えることをニコニコ待っているし、楽しいこともホントたくさん待っている。味わわないと損だぞよ。
昨晩も楽しかった。というか美味しかった。
前から行きたかった神宮前の割烹「樋口」に行ったのだけど、いや〜予想以上の美味。くつろげるし気持ちいいし印象的だし、気に入ってしまった。雄のシシャモの腹に木の芽の酢みそ和えを挟んだヤツなんて絶妙だった。また行こう。
復讐としての自殺
2006年11月12日(日) 10:23:52
中学時代に一人なぜかボクにしつこく暴力をふるってくるヤツがいた。いま考えればある種の「親しみの裏返し」だと思うのだけど、当時は本当にイヤだった。そいつ一人のせいで学生生活は一時期真っ暗だった。集団のイジメは経験したことないけど、アレはある意味イジメだったのだろう。学校という小さな世界に生きていた当時のボクにとっては大問題。切迫してた。
わりと追いつめられたボクは、自殺もちょっと考えた。
発想的には「そいつが強烈に後悔するようなことをして復讐する」である。ボクは当時からでかかったが、そんなボクでもかなうわけないくらい筋骨隆々の彼に、それ以外の仕返しは思い浮かばなかったのである。「ボクが自殺したらオオゴトになって、彼はめちゃくちゃ怒られるだろうし涙を流して反省するだろう。みんなボクの葬式で泣いてくれるだろう」という自己憐憫的思いつきに一瞬夢中になり、自分の「悲劇のヒーロー具合」に酔い、視野が狭くなって行くあの感じ。生々しく思い出せる。
そういう発想を
