鮨 アーカイブ

タネの温度に敏感な鮨屋さんが増えてきた

2012年10月23日(火) 12:39:10

ここ20年、ネットの世界も大きく変わったが、鮨の世界も、握りの見た目はあまり変わらないものの、じわじわと変化をし続けている。あ、回転寿司のテクニカルな部分の話ではなくて、握りそのものの話ね。

15年くらい前までは、鮨=タネ(ネタ)だった。握りはタネで勝負している店がほとんどだった。
タネが新鮮で大きければ「いい鮨屋」。いいタネにみなひれ伏した。「タネ絶対君主制」と言ってもいい時代。

刺身を切って酢飯(シャリ)の上に乗せただけの店でも、タネさえ良ければちやほやされた。そんなもの刺身で食った方がうまいよ、と思うような店も多々あった。酢飯はたいがい甘めで、タネの引き立て役にちょこんといるタネ台だった。もちろん一部の高級店はそんなことはなかったが、まぁだいたいそういう流れ。

自分に許したちょっとした贅沢

2011年1月22日(土) 9:38:16

2月26日27日に慶應義塾大学日吉キャンパスで開催される「ワークショップ・コレクション こどものためのワークショップ博覧会」でなにかやろう、と、昨晩は博報堂の須田和博くんとカナリアの徳田祐司くんと打ち合わせ。ここに電通の佐々木康晴くんも入って4人でやろうとしている。

ボランティアだから基本楽しむことが前提だけど、「こどもと政治を近づける」というちょっと難しいテーマに取り組んでしまっているので、企画は意外と難航。だけどなんとか少しカタチになってきた。だれか若い人でいっしょにやりたい人はいませんか? 熱意のある方募集中。

で、22時過ぎに終わり、ふたりとも次の仕事に向かったので、ボクはひとり、鮨を食べに六本木「材木町 奈可久」へ。ひとりご飯って鮨が一番気楽なんだよね。カウンター越しに話し相手もいるし。この店は深夜までやっているから重宝する。

5年ぶりの小柴のシャコ

2010年6月19日(土) 12:36:23

先々週の7日、荒木町の小さな鮨屋で小柴のシャコを食べた。江戸前のシャコを食べるのは実に久しぶりである。

江戸前(文字通り東京の前の海という意味)のシャコは小柴産が一番と昔から言われている。小柴というのは八景島シーパラダイスのすぐ近く。漁港名としては柴(しば)漁港となる。あの辺で揚がったシャコが珍重されているわけですね。

数年前、ボクは小柴と野島に小旅行した。
その模様は「寿司ネタ産地へ小旅行」で読める。鮨好きには意外とオススメの小旅行。産地の景色を具体的に知っているだけで鮨屋のカウンターが数倍楽しくなること請け合いなのだ。タネが身近になるのが一番の効用だが、他にも、「小柴のシャコです」とご主人に言われて出されたときに「あぁ、行ったことあります。港の真ん前にあるパン屋のシャコパンが意外とおいしいんですよね♪」とかニコニコ話すことが出来るとか(笑)。まぁ他にお客さんがいるときにこれをやるとわりと恥ずかしいので注意が必要だけど。

ふたりで荒木町の小さな鮨屋へ

2010年2月26日(金) 7:56:22

単行本の出版が延びたので、執筆に当てるつもりだった昨晩もポッカリと予定が空いた。
こんなこと滅多にないので「疲れが溜まっているから帰って寝よう」という思いもありつつ、そんな夜に限って家人が出かけていて家にご飯がないので、誰かを誘ってご飯に行くことにした。

急だしなぁ、無理だろうなぁと思いつつ、「うまい店対談」を一緒にやっている伊藤さんに電話したのが19時すぎ。まぁ99%どっかにご飯に行っている。そしたら「たまたま空いている」と言う。おおっ。なんでも、打ち合わせが長くなりそうだったので約束をキャンセルして仕事していたら、意外と打ち合わせが早く済み、ちょうど今終わって「どないしよう」と思っていたところだというのである。そりゃ縁だ。どっかへ行こう!

ということで、ふたりで荒木町の小さな鮨屋へ。
若いご主人がやっているまだ新しい店。酢飯とタネのバランスもよく、おいしかったし安かった。置いてあるお酒は喜久酔と宝剣のみ。それだけでセンスがいいのがわかるよね。店名がご主人のおばあちゃんの名前というのもほのぼのして良い。

唐津にて「鮨処つく田」

2010年2月18日(木) 8:55:52

福岡に来ている。例のカンファレンスのオーラス日。

昨日は夕方に福岡に着き、少し打ち合わせをこなした後、電車に乗って唐津にひとりで向かった。約10年ぶりに「つく田」へ行きたかったからである。

「つく田」は唐津焼の作家さんの窯にお邪魔したときに「いまはあの鮨屋がいいよ」と教えてもらった店。あれは1996年のことだからもう14年前になる。そのうまさに唸り、ご主人から「きよ田の新津武昭さんの弟子」ということを聞き、失礼ながら「唐津のこんなところにこんな店が!」と驚いてサイトに書いた。まだ雑誌でもネットでもまるで紹介されてなかった頃のことである。そして10年ほど前にリピートもした(わざわざ行った)。いまでは人気店で東京からも毎日のように客が来る店となった(昨日も東京からのひとり客が他にいた)。電話したら一席だけ空いていたのでニコニコと。

好みの酢飯

2009年7月 5日(日) 9:48:18

札幌から東京に帰る前においしいランチが食べたいなと思って、森崎くんに携帯メールで「札幌でどっかうまい鮨屋ないかなぁ」と聞いたら、数店上げてくれ、その中でも「鮨菜 和喜智」を特に強く勧めてくれた。

前日に予約したら運良くランチがとれたのでゴー。
札幌は鮮度重視系の鮨屋が多く、それはそれで北海道っぽくていいのだけど、ボクは酢飯とのバランスを楽しみたいタイプ。タネだけ強くてもあまりおいしいと思わない。そういう意味では北海道は「ボクの好み的には鮨不毛の地」であったのだが、ここに来てようやく一軒知ったかも。森崎くん、ありがとう。

なんといっても、この店の酢飯が好みだ。
酢加減もいいが、酢飯が口中でパラける具合が絶妙だ。口に入れると自然にほぐれ、ふわっとパラける。そして一粒一粒が(堅めに炊いてあるせいで)口中で主張する。あぁこの炊き具合も絶妙。パラけ方も絶妙。好みだなぁ。
で、それが鮨ダネと同時に口の中で溶けていく。このバランス感。あぁ幸せ。

ヤマ、越えた

2008年8月21日(木) 12:03:04

昨日、8月20日はある種のヤマであった。
明日、つまり22日から夏休みに突入することもあって、その前に片付けないといけない仕事のピークであったことがひとつめ。週刊文春から鈴木敏夫著「仕事道楽」の書評を頼まれたのだが、それの〆切日だったのがふたつめ。「広告批評社主の天野祐吉さんとの対談」という、業界の方なら「うわー、それ、重そう!」とわかってくださるようなプレッシャーのきつい2時間がみっつめ。鮨職人・新津武昭氏が復活して週1日だけ握っているそのカウンターに座る、という、ちょっと鮨経験上では重要な夜になりそうだったことがよっつめ。

ここ数日の仕事量も厳しかったけど、〆切も厳しかったなぁ。
だいたい書けてはいたが、出だしがどうもしっくり来ず、最後の最後まで違和感あり。で、一昨日の早朝にウンコしてるとき一行目が突然にょろにょろとひねり出された(汚い!)。やはりトイレは発想の母。それを受けて一気に書き直し、なんとなく納得のいくものになったのが昨日の早朝。はぁ〜間に合った!

天野祐吉さんとの対談は、もうここ数ヶ月の重荷で、先週あたりからは重荷過ぎて「はよ終わってくれ」と願ったほど。天野さんの新刊が冬に出るのだが、そこに収録する対談で、5人のうちの1人になぜかセレクトされたのだ。固辞しまくったのだが、企画意図・セレクト意図などを出版プロデューサーに延々口説かれ、つい受けてしまった。あぁプレッシャーきつかった。
でも案ずるより産むが易しで、なんとか2時間話し終えた。対談って慣れていないので(というか、ちゃんとしたのは初めてに近い)、なんかしゃべる部分と聞く部分のバランスが上手に取れず、途中舞い上がってしまった部分もあり、後悔はいろいろあるが、まぁこれが今の自分の実力、ということだと思う。

お呼ばれ

2008年8月18日(月) 8:05:07

関西勤務時代は友人の家に遊びに行くことも、友人たちを我が家にお招きすることも、ごく日常的にやっていた。

これはふたつ理由があって、ひとつは年齢的なこと。まだ若かったのだ。20代30代というのはホームパーティが実に楽しい時代でもある。毎週のように行き来していた。
もうひとつは距離。関西って住む場所がわりと固まっていて、友人宅までの距離がそれほど遠くないことが多かった。特にボクが住んでいた夙川・苦楽園・芦屋近辺は、タクシーで15分以内にたくさん友人が住んでいた。だから気軽にみんな行き来していた。

東京はそうはいかない。
住んでいる場所がものすごくバラけている。例えばボクの家からタクシーで15分以内に住んでいる友人などほとんどいない。郊外のベッドタウンの友人宅までだと片道1時間もざら。距離の問題はわりと大きいなぁ。ホームパーティ終わって夜中に家族で1時間以上かけて帰るのはなかなかハードルが高いことなのだ(子連れだと特に)。

YOSAKOIソーラン & 酒抜きすすきの

2008年6月 8日(日) 9:18:09

木金と雨だった札幌も、ボクが千歳空港に着く頃から晴れ(笑)。そろそろ「晴れ男」という非科学的なことを認めてくれてもいいのではないか(→R嬢)。

札幌に着いて、まず未食だった「ピカンティ」でスープカレー。その後、大通公園まで行って「YOSAKOIソーラン祭り」。ボクはステージ演舞よりパレードの方が好きなので、パレード中心に夕方までいろんなチームを観た。印象に残っているのはやはり「平岸天神」。彼ら恒例、冒頭の「波」の演舞を観るとなぜか涙が出る。
あと、へたっぴいだけど一生懸命なマイナーチームの演舞も好き。こういうのも涙が出るんだよね。って、すっかり涙もろいオッサンに。20代30代のころからは考えられないような変化。いや、若い人たちもそのうちわかりますから!

携帯でGmailを見ると、次々と「病気の怖い話」がメールで舞い込んでいる。みなさん、そんなに怖がらせないでください。でも「そういう年齢」なのだなぁと自覚。風邪のつもりで病院行ったら別の病気が見つかって即入院&即手術、それから半年入院したまま今に至ってます、なんて例もベッドから携帯メールで送られてきた。怖いなぁ。一寸先は闇な年齢になってきたのだなぁ。

うまいもので頭痛を霧散させる

2008年5月 1日(木) 5:31:03

企画書書きの寝不足もあって偏頭痛がし、肩こりも酷かった昨日。会社のデスクに向かっていても常に目の奥の方がジンジンと痛い。ちょっとヤバイな、これは。

こういうときの対処法のひとつは「思いっきりおいしい昼飯を食べる」である。ボクの場合、それで治った過去がある(ホントかよ)。なんか悪いストレスみたいなものが出てっちゃうのかな。

電話してみたらラッキーにも席がひとつ空いていたので「鮨しみづ」。
地方の名店をいくつか回っている昨今だが、やはりここの鮨はひとレベル違う。というかボクとの相性が抜群なのだ。年々相性がよくなる気がする。数年前より柔らかく優しい握りに変化してきているが、奥の方に力強い男鮨が身を潜めていて、その酢の強さといい、パラけ方の絶妙な具合といい、Too Muchじゃない感じといい、お値段といい、食後の気持ちよさといい、ボクの中の「鮨の理想」に今一番近いかもしれない。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。