2011年4月 アーカイブ

独立初日の朝

2011年4月 1日(金) 19:34:39

独立初日の朝は(晴れ男だけに)雲ひとつない快晴となった。

昨晩はなんだかやっぱり不安で、家族に「26年間お疲れ様!」とねぎらわれつつ、多少ネガなことも考えていたのだけど、一晩寝て朝起きたら完全に気分が変わっていた。

なんだろう、脳内右後ろに、広々とした芝生の空き地がある感じ。
ポカーンときれいな芝生の空き地がある。そしてその空き地が高原の朝のようにすがすがしい♪

捨てよう捨てよう

2011年4月 2日(土) 19:34:36

会社から段ボールが5箱届いた。

ボクが31日に必死に箱詰めしたものである。
半分くらいは捨てた。捨てきれず残ったものだけ家に送った。それでも5箱。こんなに家に置いておけない。これから時間をかけて1/3に減らしていくつもり。

四半世紀も会社にいると、それはもういろいろな資料や記録がたまる。
自分がやった新聞広告や雑誌広告の掲載紙(誌)とか、自分が作ったCMのビデオとか、自分が寄稿した専門誌とか業界誌とか、自分がプレゼンした企画書や、キャンペーンに集まった感想集などもある。超人気タレントの無名時代のオーディション・シートとかも取ってあるw 本やら記念品やらもやたらたくさんある。懐かしい人々の写真とかもたくさん。

見えてきたもの

2011年4月 3日(日) 18:53:38

「会社を辞めるといままで目に入ってこなかったものが目に入ってくるよ」と、1ヶ月前くらいにある人に言われた。

そうかな? 会社員にしてはフリーっぽく動いていたし、物理的にもフレックスタイムで自由に動いていたし、旅好きなこともあっていろんな風景を目にとめるようにしているし、空とか花とかもよく眺める方だし、会社員じゃなくなるからってあんまり変わらないんじゃない? そう思ってた。

でも違った。
風景でも空でも花でもなかった。

徐行運転中

2011年4月 5日(火) 9:24:19

昨日は夜まで「助けあいジャパン」関係の打ち合わせに出ていて、例によって打ち合わせから打ち合わせへと小走りに移動するようなことをやっていたのだが、いざ帰ろうと帰途についた途端、なんだか具合が悪くなった。

そういうときこそタクシー使えばいいのに、駅が近かったしその方が早いからと電車で帰ったが、家に着く頃には青息吐息。いつものように大喜びで迎えてくれる愛犬にも愛想できずヘタヘタと座り込む。

震災後の過労・精神的ショック・フラッシュバック・退職のバタバタなどが重なってカラダが痛んでいるんだろうとは思っていたが、少し様子が違う。いつもと違うだるさと頭痛。頭の右後ろがボワンとしてる。少し気持ちも悪い。ううむ、これはいわゆるくも膜下なんかの予兆に近いのか?

被災地の現状は刻々と変化している

2011年4月 6日(水) 13:05:53

民と官を連携させて、なるべく正確な情報を提供しようとしている「助けあいジャパン」であるが、いま大きくリニューアルしようと(またまた)突貫作業を進めている。

まだ起ちあげて2週間程度。
でも、状況の変化によってフレキシブルに対応していくのが「永遠のベータ版」のこのサイトだ。

もともと「必要な情報が必要な場所に届いていない」という阪神大震災の被災経験からこの民間プロジェクトを始め、たくさんの素晴らしい方々のご協力を得て進んでいるが(この辺の経緯は日本経済新聞の記事朝日新聞の記事にもなった。両方ともとてもわかりやすくまとめてくれている)、なによりも今ネックになっているのが「現地からの情報が予想以上に入らない」ということである。

ニューヨークの友人が作ってくれたビデオ

2011年4月 7日(木) 14:28:51

ニューヨークの古い友人がこんなビデオを作ってくれた。

ニューヨーク在住の彼とは十数年前にいっしょに長い映像作品を作った。
ボクが企画し、彼はライン・プロデューサーだった。ニューヨークやコニーアイランドでロケをし、編集した。とても印象深い仕事で、細部にわたってすごくよく覚えている。ニューヨークのアパートの窓のカタチをきっかけに次々と物語がつながっていく10分ほどの映像で、ストーリーも仕上がりもとても満足していた。あぁ懐かしい。

すごい名前の鮨屋。そして夕焼け

2011年4月 8日(金) 23:33:12

昼に初めて日本外国特派員協会に行った。
日本の海外に対する広報に疑問を持っていたので、ある方の紹介でその方面のプロ(日本語ぺらぺらのアメリカ人)に会わせていただいたのである。

話の内容は「なるほど」と頷くものばかり。
そりゃそうだよなぁ…と、まぁ予想はできたものの、暗澹たる気持ちになる。

というか、たとえばオバマは250人のコミュニケーション・チームを持っている。
ある内容をオバマがスピーチするために、スピーチライターから、ソーシャルメディアのプロ、背広やネクタイの色を決めるプロ、国務大臣との連携などを考えるプロ、全体設計をするPRのプロなどが集まり、寄ってたかって知恵を出し合い、世の中に発信していく。

お客さん、指が入りません!

2011年4月 9日(土) 23:32:16

311以来、ずっとジムにも行ってなかった。
過労や睡眠レス、緊張による萎縮、軽いPTSD的な感じなどから、カラダをほぐしにジム&マッサージ行かなくてはなぁと思っていたのだけど、今日、ようやく時間が出来て行ってきた。

というか、肩の張りが尋常ではない。ガチガチやぞ。
まずはジムのマシンで肩をストレッチ。うわぁ肩、動かねぇ…。

ジムでゆっくり肩をほぐして、多少は血液が流れ出したようなので、今度は近くのマッサージ店に行ってみた。
銀座のゴッドハンドのところに行こうかとも思ったのだけど、このガチガチで行ったら確実に地獄になるので(あそこはただでさえも痛すぎる)、まずは近所でほぐそうと思ったのだけど、マッサージ店のにいちゃん、いきなり驚く。

ようやく1ヶ月。まだまだ1ヶ月。

2011年4月11日(月) 18:09:34

この1ヶ月、がむしゃらに動いてきたけど、いったい何が出来たのかと自分に問い、暗澹たる気分になることが多い。

「なるべく正確な情報を、被災地、そして被災地を支援したい人に提供する」という目的で、100人ほどの人が集まり、超突貫で作った「助けあいジャパン」も、当初予想した規模を遙かに超える被害により「現地からの情報がまったく届かない」という事態に直面し、アプローチの変更を手探りで進めている。

というか、まだテレビも電話もない避難所が3割ほどある、という。
パソコンや通信環境どころではない。まだ共同で観るテレビすらないとは・・・

プレゼンテーション演習

2011年4月12日(火) 23:24:55

今日から1年間、学習院大学法学部政治学科で「プレゼンテーション演習」という講義を受け持つ。
非常勤講師ではあるが、「広告コミュニケーション」ならいざ知らず、「プレゼンテーション」を教えることになるとは思わなかった。若き日の赤面症の自分に教えてあげたいw

つか、なぜか「プロが聞いてみたいプレゼン2位」とかに入ってはいるが、基本的にしゃべりはボクの人生の不得意分野である。不得意なだけあって「どうすれば少しはマシになれるか」は教えられるけど、それ以上でもそれ以下でもない。学生をがっかりさせたらマズイなぁ…。

演習なので、シラバスには20名限定と書いたのだが(スピーチさせたりするのでそのくらいが限度)、今日ガイダンスに行ってみてびっくりした。廊下まで人が溢れている。教室は20名しか入れない小さなもの。その中に50名、いや60名以上いる。むんむんしている。予想しなかっただけにうろたえる。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。