2009年5月 アーカイブ

名護ロケ終了

2009年5月 1日(金) 7:40:43

名護のロケも昨日で終了。今日は那覇方面に移る。
名護では「おBAR」「縁」「夢の舎」「おかめ」にスタッフで食事に行った。どの店もなかなか良かったが、特に印象的だったのは「夢の舎」と「おかめ」かな。名護の店をあまり知らなかったのでいい店を知れて良かった。

この仕事、沖縄ロケ組と東京居残組に分かれて動いているのだが、東京は東京で修羅場を迎えていて、沖縄と東京で電話が異様に飛び交っている。昨日も結局ロケ終了後、夜中までその調整に終われた。沖縄のゆったりした空気の中、超アタフタしている自分がなんだか可笑しい。

頭頂部対策、いろいろいただきました(笑)
でも、一日目ですでにもう……手遅れ気味。水際対策失敗。この半年、外に出ず、スポーツもせず、ひたすら室内で仕事していたもんなぁ。肌が弱くなっている感じ。ついでに腹肉もかつてない状況。Tシャツで過ごすとやはり気になる。半年の油断(多忙)でここまで緩むか…。締めないと。

夜、「山本彩香」にて

2009年5月 2日(土) 10:28:45

那覇ロケも無事に終了。
天気にも恵まれ、スタッフにも恵まれ、段取りよいいいロケになった。上がりが楽しみ。

夜はスタッフ数人と「琉球料理乃山本彩香」へ。
「豆腐ようを美味しいと思ったことがない」という方がいたので、ではではと自信たっぷり食べていただいた。おそるおそる一口目を食べるのを見ながら、その後の喜色満面が予想できるだけにニヤニヤしてしまうワタクシ。そして予想通りの反応にこれまたニヤニヤ。だって美味しいもんね。ここまで手をかけて手作りしている店を他に知らない。

ボクが来店すると「実験台」ということで実験的に作っている料理を食べさせてくれる。昨日の白眉は「間引きマンゴーの酢漬け」。間引いた小さな小さなマンゴー(クルミくらいの大きさ)を3日かけてアクを抜き、酢漬けしたもの。マンゴーの実を大きくするために間引いたものすら無駄にせず美味しくしてしまう彩香流。しかし説明されなければ絶対マンゴーとはわからない。カタチは空豆、味は漬けた青梅が近いかな。食感はキュウリのピクルスが近いかも。うまし。

忌野清志郎、死す

2009年5月 3日(日) 7:11:47

沖縄から帰ってきた。
最終日、オフをもらってひとり残った沖縄では、いろんな出会いがありとっても楽しかったのでそれを書こうかとmac前に座ったわけだが、ネットに接続した途端、忌野清志郎(58歳)が亡くなったという強烈なニュースが飛び込んできた。58歳。がん性リンパ管症。絶句。

高校2年のとき(1978年)、RCサクセションを知った。翌年だったか「雨上がりの夜空に」の解釈を巡って友達と論争になったのをよく覚えている。そして陽水の名曲「帰れない二人」が清志郎との共作だとその後に知った。彼の独特のパフォーマンスよりもその「タダモノでない声」が好きだった。タイプは違うけど、陽水やヒロトや民生と同じような「人の心に直接届く声」。「ぼくの好きな先生」「スローバラード」「トランジスタ・ラジオ」…。夜中の孤独によく効いた歌たち。

彼が校長になった「ロックの学園」は、偶然にも亡くなった夜である昨晩、BS2でオンエアーされた(ボクは深夜に沖縄から帰り着いたので見られなかった)。
3月に行ったそのイベント会場(三崎高校)の校長室で、ぼんやりと清志郎のライブ映像とか展示されていた清志郎のステージ衣装とかを見ながら彼のことを考えていたのが、ボクの中での最後になった。本質はシャイな人なんだろうけど、ある使命感を持って「かぶいた」人でもあると思う。

ボクには「春雨」と呉屋さんのマンゴーがある

2009年5月 4日(月) 12:38:52

さて、一日遅れで沖縄最終日(5/2)のことを簡単に書いておこう。

この日は連休中唯一のオフ。まず、昼過ぎに宮里酒造所に伺った。
ここは近年評判をどんどん上げている泡盛「春雨」を造っている酒造所。実際ボクは最近ではこの「春雨」が一番好きである。「山本彩香」でもこの泡盛を出している。というか彼女が作る絶品の「豆腐よう」も「春雨」を使用して仕込んであるようだ(だからあの豆腐ようには「春雨」が一番マリアージュする)。

小禄(おろく)の住宅街にさりげなくある赤瓦屋根の酒造所。こんなに有名なのに本当に小さいし看板もない。駐車場に大きな野生のキーツ・マンゴー。これが目印。これがなければ再訪できないくらいさりげない。こんなさりげない酒造所、初めてである。
後で宮里社長(ボクより2歳ほど若い)にお話しを聞いたら、「最近、小禄も住宅街になり、こういう工場に対しての規制が多くなって、建物を大きくも出来ないし建て替えも修理もできないんです。こちらの方がずっと古くからやっていて、住宅街になったのは最近なのに…」とのことだった。だから売れていても大きく出来ず、施設が古くなっても修理もできない。周辺に気を遣って看板も出していない。そんな風に身を潜めて沖縄を代表する泡盛が造られている…。

バレエ「ザハーロワのすべて」観劇

2009年5月 5日(火) 9:18:06

ザハーロワのガラ公演「ザハーロワのすべて」最終日を観てきた。@東京文化会館

ザハーロワを盛り上げる脇役陣はボリショイからで、これがなかなかに豪華。
ウヴァーロフにメルクーリエフにワシーリエフにシュピレスフキー。そしてカプツォーワにコバヒーゼ。あとはキエフバレエからのエントリー。さすがザハーロワ、集めるなぁ。まぁロシアの人はみんな日本に来たがるらしいので(岩田さん談)日本公演だからということもあるのだろうけど。

このメモでも何度か書いたが、ザハーロワを初めて観たのは2003年。マリインスキー劇場からボリショイ劇場に移ってきたデビュー公演の「ジゼル」をモスクワで観たのが最初である。それ以来いろいろ観てきているが、その伸びやかな肢体と教科書的にきちっとした踊り、高く上がる足、優雅な細部、そして圧倒的な美人度とオーラなどは認めるものの、実はあまり好きではないダンサーだったりする。美しくまとまっているが、心にグッと来ない。迫り来るものがない。他のダンサーなら涙ぐめる踊りが、ザハーロワだとまるで泣けない。まだ「踊り」が「演技」になっていないように感じてしまう。

連休は三日休めた

2009年5月 6日(水) 10:15:22

本当は沖縄出張から帰ってきて一日おいてすぐハワイ出張の予定だったのだが、仕事の都合でそれがキャンセルになった(例の新型インフルエンザとは関係なし)。良かった。ハワイに行っていたら一日も休めない連休になっていたところだった。
「仕事と言っても沖縄とハワイでしょ。楽しいじゃん」と傍目には思えるだろうけど、現地では体力使うし、東京に残してある仕事の差配もネットを使ってしないといけないし、とっても大変なのです。仕事が重なりまくっている時のロケは逆にとても大変。

とはいえ、ハワイに行かなくなったらなったで仕事は山積だ。
クライアントはだいたい長い休み明けに企画提出を望むもの。今回も「じゃ、連休明けに!」という案件が4つ。こりゃ休んでいるヒマはない! ということで会社に行ったり家で企画書書いたり。長い人では16連休というこのGWだが、ボクが休めたのは5/2の沖縄でのオフ(宮里酒造に行った日)と、5/4,5の二日のみ。まぁでも全部で三日休めたことで良しとしよう。

今日は7日8日にあるプレゼンの準備と来週頭にあるプレゼンの準備、メールのお返事、ゲラチェック、エクササイズ再開など、やらなければいけないこと山積。沖縄や高知や伊勢志摩の更新もしたかったんだけど、出来るかな(いや出来まい)。どっかでゆっくり時間をとって「おいしい店」を一気に更新したい。たまってくると気になる。気になることがいっぱい重なると心の状態が悪くなる。そういうスパイラルに突入しないように。

場馴れするということ

2009年5月 7日(木) 7:39:44

書き忘れるところだったが、先月中旬にFMの録音に行ってきた。
TOKYO-FMの「Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"」。今年で18年目を迎えるという老舗番組「アヴァンティ」にゲストで呼ばれたのであった。話のテーマは「ビジネス書」。でも、ついでにということで「食べ歩き」「旅の地でのいい居酒屋」についてもしゃべった。およそ3回分。「ビジネス書」については5月9日が放送日らしい。おっと、あさってじゃん。あとのは放送日未定。

落ち着いた番組だったせいか、聞き手が良かったせいか、リラックスしてしゃべれた。
何度か書いているが、ボクにとって「しゃべり」は最大の苦手分野だった。相当の上がり症なのです。だから「リラックスしてしゃべれた」なんて文章を書くたびに、ある感慨が呼び起こされる。よくぞ克服(もしくは克服途上)まで漕ぎつけたな自分、みたいな。講演でも出演でもプレゼンでも、リラックスできたということ自体に「これだけ不得意な分野でも克服できるもんなんだなぁ」と深い感慨を覚えるわけ。

だって、たかが会食で6人以上になるだけで緊張してたわけですよ以前は。どうにも大人数が苦手だった。講演のような数十、数百の単位になるともう全然ダメ。いやぁ、ホント、リラックスできる未来があったとはねぇ。30歳の頃の自分に教えてあげたい。

「バーンズ」同窓

2009年5月 8日(金) 7:56:34

昨晩クライアントと飲んだのだが、その宣伝部長が偶然なんと「バーンズ」の元常連であった。

「バーンズ」というのはボクの関西勤務時代の行きつけのバー。
約14年間で150本のオールドグランダッドを入れた店である。いったいいくら使ったんや。頻繁に行ってた頃は週4日は入り浸っていた。

ボクがその店に通い始めたのは、確か1985年。宣伝部長がよく行っていたのは1980年〜84年。行っていた時期は重なっていないが、20代にあの空間に入り浸りマスターと長い夜を過ごしていたのは一緒。それって同窓みたいなものである。そのうえ好物にしていたそこのメニューがチキンカチャトラということも一緒であった。あの店で毎回のようにチキンカチャトラを食べる人ボクくらいかと思ってたよ。なんという偶然!

2009年5月 9日(土) 10:39:57

新聞とかにも出てたけど、昨日の午後6時すぎ、東京でものすごい虹が浮かび上がった。

47年生きているが、こんな美しい虹は初めて。
ちょうどあるクライアントの22階会議室でプレゼンしていたのだが、あまりの美しさにクライアントも驚き、プレゼンを中断して会議室を真っ暗にし、みんなで窓外に見とれることとなった(毎日新聞の写真にリンクしておきます。JALが飛んでいる写真がお気に入り)。

その会議室は海に向いていて周りに遮蔽物がない。
虹は完全な半円で、一方の地平との接点からもう片方の地平との接点までくっきり見えた。しかも二重。そのうえ空は曇天で暗かったので、暗い色バックに鮮やかな七色が浮かび上がる感じになっていて、それはそれは筆舌に尽くしがたく。んー、なんというかあまりくっきりしていて、七色どころでなく、二十四色くらい見える勢い。

自分の声を聴くってホント気持ち悪い

2009年5月10日(日) 7:34:17

FM東京の「アヴァンティ」、意外と人気なんですね。よく聴いてます(ました)とメールをいくつもいただきました。確かにボクも昔何度か聴いたことがある。でもクルマを捨ててからすっかりご無沙汰だ。

で、昨日の自分の放送、一応聴いたんだけど、なんか「リラックスして話せた」と書いたわりには早口で滑舌も悪くてダメダメな感。もっとわかりやすく話せよオマエ(笑) ジョークも入れずに真面目一方な専門分野トーク。こんなことバーのカウンターで話してたら確実に嫌われます。真鍋かをりの軽妙トークの直後だけに特にお堅く感じられた。あーあ。まぁまだ話すことで精一杯でジョークとかまで頭が回らないのでしょう。もっともっと場馴れが必要。

つか、自分の声を聴くってホント気持ち悪い。キモッ。
聴いた方々から「もっと低音で熊のような声かと思っていた」「もっと低くて太い声だと想像していた」といただいたんだけど、そんな印象なんですか? ヒゲの大男と自分のことを書いているからかなぁ。大男というのは「背が高い」という意味なんです。ダイエット成功してからはどっちかというとヒョロ系。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。