2009年4月 アーカイブ

ゴルフのおもひで

2009年4月11日(土) 18:29:38

ボクはほとんどゴルフ中継を見ないのだが、この季節、マスターズだけは観る。そんなに熱心な観戦者ではない。でもこの季節だけは早朝になんとなく。風物詩として。というかコースきれいだし。特にアーメンコーナーから16番までの6ホールを愛している。

放送中、セベ・バレステロスが脳腫瘍と闘っているということを知った。
バレステロス。好きだったなぁ。スイングの美しさではほぼトップかと。ひどい腰痛と闘いながら高いフィニッシュをキープし続けた。スイングとしてはジャック・ニクラウスとかトム・ワイスコフとかも好きだった(ゴルフをよく観ていた時期がわかりますね)。渋いところではジェリー・ペイトとか、日本によく来ていたグラハム・マーシュのスイングも好きだったっけ。要するに右足カカトからテイクバックが始動するタイプのアメリカン打法(と当時言われた。いまはどう言われているか知らない)が好きだったのである。

懐かしい顔としてゲーリー・プレイヤーが出ていたのにビックリ。73歳。まだスイングもしっかりしている。出場者一覧を見てみたら、ワトソンとかフロイドとかスタドラーとかクレンショーとかランガーとかライルとかカプルスとかも出ていた。懐かしい。意外と好きだったニック・ファルドは出ていないな。いまは何をやっているんだろうか。グレッグ・ノーマンも懐かしかった。たしか去年、テニスのクリス・エバートと再婚したんだよね。ふたりともある年代の人々にとっては特別な存在だ。

寝過ぎで頭が痛い

2009年4月12日(日) 18:13:56

昨日は起きていた時間がほぼ3時間。24時間あるうちの21時間は寝ていた。とにかく寝た。あ〜寝た。今日もそんな調子。まだ2時間ちょいしか起きていない。寝過ぎて頭が痛いんだけど、でもまだ眠い。あぁ眠い。ちょっと異様。それだけ疲れているのだろう。とはいえ今日はこれから仕事しないといけないし、連載原稿〆切があるので起きていないといけない。でも眠いなぁ。いま「うまい店対談」の更新を終え、これから企画書に取りかかる予定。原稿はその後。エンジンかかってくるであろう深夜に書こう。

なんか「うまい店対談」も含め、「おいしい店」系の更新の筆が進まない。
今年は会社の状況もあって、いやもう少し熱いココロザシ的に書くと「広告業界の明日のため」もあって(ホントかよ)、実は「人生史上初なくらいトップギアで仕事しよう」と決心しているのだけど、そう決めた途端になぜか小説(フィクション)が読めなくなり、時を同じくしておいしい店の更新の筆が止まってしまった。なんなんだろうこの感じ。読めないし書けない。気持ちが実業に寄りすぎたか。もしくは単なる疲れか。

でもこのまま前に進むのはバランス的に宜しくなく、仕事のクオリティにも影響を与えることが予想されるので、少しバランスを小説側に戻している最中である。昨日今日とガルシア=マルケスの「百年の孤独」の再読を始めた。もう20年ぶりくらいな再読。すっかり筋も登場人物も忘れている。ホセ・アルカディオ・ブエンディア、久しぶり。レメディオス、久しぶり。

ショートフィルム「胡同の一日」

2009年4月13日(月) 8:07:05

数日前のさなメモで「DID」を取り上げたとき、書くタイミングを逸したと書いたが、書きそびれていたことって意外とたくさんある。このショートフィルムについても長く長く書きそびれていた。

鈴木勉監督の「胡同の一日 〜A day in the life of Beijing Hutong〜」。中国題名は「一天在北京胡同」。
2008年ショートショートフィルムフェスティバルで、フェスティバル史上初、日本人としてグランプリを獲った作品である。世界最大の短編映画祭であるフランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭の2008年正式招待作品にもなった。

近代化に揺れる北京を22分間、シンプルかつ鮮やかに切り取った作品だが、現場スタッフは中国人なものの、脚本・監督が日本人(鈴木勉)である。そのせいか近代化を終えた日本人(古いものを壊し続けてきた日本人)からの視点で胡同の風景を描いており、少なくとも我々日本人にはとても感情移入しやすい作品になっている。近代化途上の中国人が観たらどう言うだろう。ちょっと知りたい。

不思議なメンバーの不思議な夜

2009年4月14日(火) 8:21:24

昨晩は友人の松井孝治議員の紹介で、平田オリザさん、藤原和博さん、そして松井さんの4人でごはんを食べた。平田さんは「芸術立国論」、藤原さんは「世界でいちばん受けたい授業」を読ませていただいたことがある。両書ともかなりの名作(平田さんのはまだレビュー書いてないが、さぼっているだけ)。おふたりともお会いするのは初めてで、いったいどんな会食になるのか多少緊張して出かけたが、とてもフランクで愉快な時間になった。楽しかった。

メンバー的に教育論が中心になるかな、と思ったが、前半はボクや松井さんの「来(こ)し方」の話。藤原さんに「来し方を話して」とリクエストされ、ざっと話したが、まぁサラリーマンの来し方なんて話しても知れてる。学生時代の話、震災やサイトや出版の話など、多少の山谷はあるものの、ちょちょちょと話し終わった。でも久しぶりに自分の軌跡を振り返ったなぁ。意外と俯瞰する効果あり。
次に松井さんの「来し方」の話へ。そのままなりゆきで比較教育論になり、比較文化論になり、演劇の話になり、政治の話になり、日本のこれからの話に展開していった。そのままテレビ討論番組で流せそうな感じ。いろんな論が飛び交い、とっても刺激的だった。なんとか話にはついて行けたけど、日頃の勉強不足が悔やまれる。もっと勉強しないとなぁ。

「私は9時半に寝ます」と藤原さんがニコヤカに帰り、残り3人は二軒目へ。松井さんが「前に一度行ったことがある」と言うカウンターバーに向かったが、この店が変だった。
入り口に「買い物に行っています。すぐ戻ります。携帯にお電話ください」と、田舎の美容室みたいな札がかかっている。ドアは開いているので中に入って話しながら待つも、待てど暮らせど帰ってこない。BGMはシュープリームス。あまりに帰ってこないので携帯に電話してみたら「え……あ、すぐ帰ります」みたいな反応。そんなに意外かよ(笑)。というか、一応日本を代表する繁華街のもっとも繁華な交差点あたりの道路に面したバーなんですけど(笑)。

第五三二回 紀伊国屋寄席

2009年4月15日(水) 6:49:23

大事な会議があり、予定していた夜の会食をキャンセルさせてもらったのに、その会議自体がドタキャンになって時間がポッカリ空いた。さてどうしようかと思っていたところにタイミング良く落語のお誘い。オヤそれは楽しそうっつうことで昨晩はふらりと寄席へ。
でも誘ってくれた人自身が急な仕事で来れなくなって、結局ひとりで聞いた。なんだか全体にキャンセルな流れの夜。でもひとりで気楽に聞く落語もまた良し。いろんな偶然がめぐりめぐって出会えた貴重な時間。

行ったのは紀伊國屋ホールの紀伊国屋寄席。
紀伊國屋ホールって、今を去ること30年前の高校時代に、当時傾倒していた森本哲朗の講演を聴きに行って以来かも。たぶんそうだ。いや、その後、野田秀樹の演劇も観たかもしれない。とにかくなんだか異様に懐かしい。

寄席は、二ツ目の台所鬼〆(落研のような名前だけど小さんがつけたらしい)の「二人旅」から始まって、古今亭菊之丞の「湯屋番」、林家木久扇の「道具屋」で仲入(出演予定の桂文楽が急病で林家木久扇が代演)。再開後は桂米助の創作野球落語「虹ムコウ」があって、トリが入船亭扇橋の「化物使い」であった。

「日本人の知らない日本語」

2009年4月16日(木) 9:22:20

日本人の知らない日本語「日本人の知らない日本語」(蛇蔵&海野凪子著/メディアファクトリー)を読んだ。
日本語学校の教師(日本人)が外国人に日本語を教えていくコミックエッセイである。日本語初心者たちの奇問・珍問の数々が面白い。へーこんなこと疑問に思うんだー、という発見がいろいろある。まぁ「ここがヘンだよ日本人」に近いアプローチな部分もあるのだが、我々が気づきにくい日本語の一側面をシンプルに教えてくれる。

でも、ボクが一番面白かったのは実はそこではない。随所に出てくる日本語トリビアというか、外国人の質問で明らかになった日本語の歴史みたいなものである。もちろん、たぶんどっかで既知のものであると思う。どっかで聞いたことがある、という感じはあるのだけど、漫画でわかりやすく教えてくれるとまた違う知的興奮があった。

たとえば変体仮名の話。昔は「かな」がたくさんあった。たくさんありすぎてややこしいくらいたくさんあったという。理由は、いろんな漢字を元にみんなが勝手にひらがなを作りまくったからなんだって。例えば「か」と読む「かな」なんて7つくらいあったらしい。さらに「合略仮名」という一文字一音ではない「かな」もあり、一文字で「まいらせそうろう」と読ませる「かな」もあったとか。
この混沌に終止符を打ったのは明治政府で、明治33年に「ひらがなは一音につき一字だけを標準とする」という政令を出した、と。で、標準からはずれた「かな」を変体仮名と名付けた、らしい。あぁ、たまに古い店とかの店名に変体仮名が使われているが、それはその頃の名残なのねー…。

ボリス・ヴィアン

2009年4月17日(金) 8:52:32

ロシアでのニュース。
ある男性の肺の中に、5センチほどに成長したモミの木が見つかったらしい。28歳のArtyom Sidorkinさんが吐血をするなどの肺の苦しみをうったえたために病院で検査をしたところ、腫瘍があることが発覚。すぐに緊急手術をしたところ、吐血や痛みの原因が、腫瘍ではなかったことがわかった。
なんと、肺の中におよそ5センチほどのモミの木が入っていたのである。口から5センチもあるモミの木を飲み込めるはずがなく、飲み込んだとしても肺に入るはずがない。医者によると、このモミの木はまだ種の状態のとき、吸引により偶然にも肺に入り込み、そこで栄養を摂取しながら成長したのではないかという。このニュースを読んで、十年ぶりくらいでボリス・ヴィアンを思い出した。「うたかたの日々」。片肺に睡蓮が咲く女性が登場する美しくも腐蝕した小説。こういう小説が書きたいと願った青い日々。あそこからずいぶん遠くまで来てしまった気がする。

人生最高のシアワセのひとつ

2009年4月18日(土) 15:31:53

今週はスプマンテをよく飲んだ。毎日のように飲んだ。やっぱりこの季節、泡がおいしい。晩春もしくは初夏の薄暮にスパークリング・ワインを飲むことは、人生最高のシアワセのひとつかも。

今週泡をいっしょに飲んだ相手のひとりが、今度出版が決まった後輩。
入稿完了祝いで数人で飲んだのだが、人生初出版前後のブルーはもう他人事でなくよくわかるので、思いやり深く(笑)ゆっくり飲んだ。書いている間はハイテンションでも、書き終わって入稿してから「こんな本を世の中に出す意味なんてどこにもない」「誰も読まないし何の役にも立たない」「というか、恥」「いまからでも遅くないから出版を中止するよう出版社にお願いしてみようか」など、ぐじぐじぐじぐじ悩むものなのである(少なくともボクはそうだったし、そういう例をいくつも見ている)。
これは11冊出した後でも実はそんなには変わらない。いや、さすがに麻痺はしたけど、心のどこかで深く落ち込む。出版後数週間すると開き直ってくるのだが、出版までの数週間(場合によっては数ヶ月)、出版してからの数週間(場合によっては数ヶ月)は本当に辛い。処方箋は「飲んで乗り切れ!」くらい(笑)。ちょうど泡が似合う季節。泡飲んで乗り切れ!

一緒に飲んでいる時、その出版する後輩(女性)の同期(女性:仮にM)の話になった。
Mとは彼女が新人のころ仕事をした。もう10年以上前に会社を辞め、ある音楽家と結婚。あるときボクにメールをくれ、それ以来なんとなく連絡を取りあっている(サイトを続けていると、昔の友人からふいに連絡がくるみたいなことがよくある)。というか彼女は今夙川に住んでいて、先々週に桜を見に行ったとき、一緒に散歩しないかと電話で誘ったくらいは親しい(急に電話したので散歩は叶わなかったが)。

土曜日、旧友とふたりで

2009年4月19日(日) 19:01:43

大学時代のゼミの同期が「ゆっくりリラックスする土曜日でもどーや?」という企画をボクのために立ててくれ、昨日、彼の家で半日ゆっくりリラックスしてきた。

彼はボクのブログを読んでくれていて「人生があまりに余裕なくキチキチになっている感じ」を心配してくれ、「たとえば土曜日にワシの家がある国立に来て、半日だらだらと話をするとか、どーや?」と誘ってくれたのである。友達ってありがたいな。

誘ってくれたのは今年の1月初め。それはいいなぁありがたいなぁオメエとふたりで話すのも十数年ぶりだしなぁとは思ったが、その頃はこれまた極端にキチキチな人生だったので、「ありがとう! じゃ、たとえば春先は?」と返信し、「えー! えらく遠い先のことやなぁ」と呆れられつつ、あっという間にその3ヶ月が経って約束の昨日になったわけである。

丸元喜恵著「野菜と魚の栄養ごはん」

2009年4月20日(月) 6:53:25

丸元淑生理論らくらく実践 心と体が元気になる!野菜と魚の栄養ごはん (講談社のお料理BOOK)ボクが丸元淑生さんに私淑していることは前にも書いた
独身時代、ボクは彼の本を読んでその理論と味に惚れ、楽しく自炊をしていた。出張がち&外食がちだったので毎食は無理だったが、朝ご飯はわりときっちり丸元流だった。当時のボクの朝は鰹節をカリカリ削るところから始まった。ダシをとって味噌汁を作り、冷蔵庫から基本料理のストックを出して野菜と豆たっぷりの朝ご飯。豆については関西で手に入らないものも多く(なにしろ20年前のことだ)、東京出張時に問屋に買いに行ったりもした。

結婚してからは、というか、30代40代と余裕がどんどんなくなって(外食もぐんと増えて)料理することも激減してしまったが、余裕ができたらまた丸元本に戻るんだろうなぁと思っていた。定年でもしたらまた丸元理論をいちからやろう、とかね。そうボンヤリ思っていたところ、先月、彼の娘さんである丸元喜恵さんが料理本を出した。

「野菜と魚の栄養ごはん」丸元喜恵著/講談社

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。