2008年9月 アーカイブ

満6歳おめでとう!

2008年9月11日(木) 9:01:25

今日は911。セプテンバー・イレブン。同時に我が愛犬の誕生日でもある。満6歳おめでとう! そう、あの同時多発テロからちょうど1年後に我が愛犬は生まれた。でもキミも犬年齢で言ったらそろそろ中年。早いなぁ。

今週は講演がとっても多い週で、全部で4つある。
7月8月と体調も悪く、異様に多忙&家族旅行もあったので、その頃オファーがあったものをすべて「9月でもいいですか?」と先送りしていたのだ。そのツケがここに来て爆発している感じ。会食も9月に先送りしていたのでほぼ毎日。結構つらい。というか、ここんとこ仕事も異様なので分秒単位の生活になりつつある。しかも早朝覚醒。やばいな。倒れず9月を乗りきりたい。今の希望はそれだけ。

昨日の「クラス理論」はわりと共感くださった方が多かったみたいです。よかった。
ボクには、もうひとつ、クラス理論があるので、それは数日のうちに書きます。今日はさなメモ書く余裕があまりないのでこの辺で。

「忙しい」って結局何かに使われている状態ですよ

2008年9月12日(金) 9:37:42

昨日も講演。
ある会社に呼ばれて話をしたが、若い人が多く、なんとなく楽しかった。若い人が多いのってやっぱりいいな。彼らに風通しのいい社会を残してあげるためにもっと必死にがんばらなくちゃ、とか殊勝なことを心の中で再確認する感じ。いつしか「次の世代に残す」という意識が強くなり始めた。45歳を過ぎてからだろうか。制度疲労で崩れ壊れつつある日本をなんとか少しでも立て直して、もっとヤンチャに生きられる世の中に変えて次代に渡さなければ、とかね。キレイゴトに聞こえたらごめんなさい。でも、いつもではないけど、そんなことをこの頃よく思う。
今晩も若い人を相手にした講演。金沢なのでちょっと遠いけど、刺激をもらうくらいな気持ちで行くつもり。疲弊しきった身に必要な栄養分。

昨日の講演後、「Amoh's Bar」で高校卒業以来約30年ぶりに同期に会った。
まぁ店主の天羽自体が同期なのだが、彼がここで店を構えていることで、彼がハブになり、思ってもみなかった同期に会う機会が増えてきた。昨晩の彼も「思ってもみなかった」ヤツ。中学高校のときはそんなにつきあいもなく、こうして今頃会うなんて想像もつかなかった。

3人で会ったのだが(天羽を除く)、ボク以外のふたりも中学高校では全く接点がなかったふたり。でも、彼らは境遇がとても似ていて、ある講演会でばったり再会して以来、意気投合しているらしい。ふたりとも7年でサラリーマンを辞めて起業し、売上げ100億とかの大成功をし、ひょんなことから綻びが生じて破産し(バブル崩壊もある)、借金を返し終わって第二起業をして今に至る苦労人実業家。天国と地獄を経験し、なんだかたくましくなっている。

金沢美人ズ

2008年9月13日(土) 20:59:59

昨日の夜は金沢で講演。
金沢の28〜33歳くらいのビジネスマンの異業種交流会で2時間話す。最初は1時間20分と言われていたのだが、せっかくヒコーキ使って一泊で行くんだからもっと話させろ、と2時間に(笑)。長時間みんな熱心に聴いてくれた。それなりにイイタイコトは伝わったと思う。

東京一極集中が激しい今、地方の若者はいろいろせつない気持ちを抱えて仕事をしている気がする。
ボク自身、若いときに大阪勤務になり、「東京とは状況が違うけど負けないぞ」と気張りつつ、どこかでせつなかった。だからだろう、東京以外で頑張っている若者を応援したいという気持ちがボクは強い。そのせつなさ、少しはわかるぞー、みたいな。
まぁ実際に東京で働く辛さは相当なもので、地方の方がシアワセだと思う部分も多いのだが、でもどうせ苦労するなら一極集中の首都で自分を試してみたい気持ちもわかるのだ。そういう若者たちに、地方ならではの良さを仕事に活かす方法、東京に負けないやり方、なんかをボクの経験をふまえて伝えたい、とか思って話した。偉そうな意味ではなく、なんとなく若いときの自分に向かって言っている気分で。

話終わって会場を出たのが22時。さて金沢の夜である。金沢の知り合いが待っていてくれる。

寝休日

2008年9月14日(日) 20:18:19

今日はずっと寝てました。
朝7時に起きて朝ご飯食べて少しメールのお返事書いてまた寝て、昼ご飯に起きて少しメールのお返事書いてまた寝て、夕方起きてメールのお返事書いて夕ご飯食べて、だらだらしていまからもう寝る態勢。書きたいことはいくつかあるんだけど、今日は寝ようと思います。おやすみなさい。

あ、そうそう、イタリア旅行あたりからいただいたメールのお返事、書き始めています。遅れてスイマセン。

和服で芸者さんと遊ぶ会

2008年9月15日(月) 7:11:14

おととい、着物の話題を少し書いたので、書き損じていた話でも。

このところ数年続けて、神楽坂の料亭で芸者さんを呼んでのお正月会を有志3人でしているのだが、「そろそろボクたちも和服を着て料亭に行くお年頃である」という話になり、正月以外に年にもう一回「和服で芸者さんと遊ぶ会」をしよう、と話が進み、その第一回目を先々週にやったのだ。イタリアから帰って数日後。
まぁ半分自己投資みたいな話である。そろそろそういうことも知らないと日本人として如何なものかみたいな。いや、そんな大仰なことでもないのだけど。

場所は神楽坂の料亭「牧」。
年に一度、正月しか行かないのでまだ馴染みではないが、馴れないボクたちにいろいろ作法を教えてくれるお師匠さんのような店である。「馴れないボクたち」と書いたが、馴れているメンバーもいて、親の世代からその店に通っているお馴染みさん。その方の紹介でボクたちも通えることとなった。

出席番号順は性格に影響を与えているかも

2008年9月16日(火) 8:10:58

数日前「変なヤツがいる割合は高校のクラスと変わらない」を書いたが、実はもうひとつ普段の生活の中で中学高校のクラスの風景を思い浮かべることがある。クラス理論その2ですね。それは「名前」。あいうえお順の出席番号順は性格に影響を与えているのではないか、という推論である。

とはいえ、実は「あ行」と「わ行」が顕著であるだけで、それ以外の名前はそうでもないかも、という貧困な理論である。
もっと言うと「名前に『あ』がつく人は常に臨戦態勢で対応が早い。従順。かつ度胸もある」「名前に『わ』がつく人はちょっとひねくれていて裏読みしそう」という2例しかない。理論とは言えない(笑)。まぁ「か行の人は」「さ行の人は」とか、もうちょっと無理矢理な理論に発展させられないこともないとは思うのだけど、面倒なのでまだ考えていないという不完全な理論である。

いや、何が言いたいかって言うと、「名前に『あ』がつく人」って、中学高校では特に大変じゃないですか。いつも緊張してないといけない。要はそういうこと。

「あ」の人やら「わ」の人やら

2008年9月17日(水) 6:45:19

昨日の記事について「あ」の人からのメールいっぱいいただきました(笑)
もしくは結婚して「あ」から抜けられてどれだけシアワセだったか、というメール。「あ」がいなくて難儀した「い」の方とか、「あ」の夫を持った方による夫の愚痴報告とか、いろいろ面白いメールありがとうございました。少しだけご紹介してみます(勝手に短く編集させていただいています。取り上げられてイヤな方はお知らせください)。

私の夫は「あ」の人で、ほとんどの学年、ほとんどのクラスで1番だったようです。彼いわく、「どうせ1日目にあてられるのはわかっているから初日だけしっかり予習。2日目以降は居眠りしていても大丈夫」とのことでした。

「わ」の夫、リーダーシップはないですね。人の意見を聞くタイプです。へたすると自分の意見を求められることのないまま議論が進んでいきますw 夫によると、名前が最後でイヤだったことはほとんどないそうですが、唯一、身体検査がイヤだったそうです。たとえば、1組の男→女という順に進むと、自分がまだパンツ一丁で待機している最中に女子が来ちゃって、「わ○○くんがいるー、やだー」みたいに言われたとか。

生まれたときから「あ」である夫は、高校時代には準備する間もなく、難しい問題の一番手で当てられて、いつも答えられなくて先生に怒られていたようで、高校時代に良い思い出はない、と申しております。要領を身につけることもなく、ひねた状態だけが育っていった様子、うぷぷ。

私は旧姓が「い」から始まったのですが、クラスに「あ」から始まる人が必ずいるとは限らず、それこそ歌のテスト、体育の実技、クラス替えの際の自己紹介、等々プレッシャーを感じることが多々ありました。ただ度胸もアドリブ力も全然つかなかった気がします。子供にはこのような思いはさせたくないと、結婚相手は「か」行後半〜「ま」行の人にしようと決めていました。その点では「び」となったので、成功(?)だと思いました。ただ海外で生活していた時に、入っていたサークルで渡された名簿を見ましたら、Bがトップになっていて、海外も視野に入れて結婚相手を選ぶべきだったか・・・とちょっと後悔した次第です。

「あ」の人やら「わ」の人やら ー2

2008年9月18日(木) 8:16:31

まだまだ続々メール届いています。今日も少しご紹介。まずは友人の「あ」の人からのメール。

まあ、「あ行」だったことで性格が変わったかどうかはよくわからないけど、名前に関して言うと、新しいクラスでの席順が「あいうえお順」に窓側の後ろから決まる慣習によって、仲が良くなる自分の友達に「あ行」の人か、席が横並びになる「か行」ないし「さ行」の人が圧倒的に多くなったことは事実。 卒業後、自分がどの大学行こうか決めたり、就職の進路考えたり、飲食業の経営を夢見てたりしたのも、かなり中高校の友達の影響を受けてのことなので、そう考えると、中高校時代の「名前」とか「出席番号」とかの持っている意味って、人生形成上、凄い影響力を持っているのではないか、と。 言われてみればそうだなぁ。気がつかなかったけど、ボクも中高の友達は圧倒的に「あ行」「か行」「さ行」「た行」あたりの友達が多く、「な行」以降の友達が少ない。教室で言ったら黒板に向かって左側の友達が圧倒的に多い。それはボクが左側の人だったからか! なるほどー。


私も「あ」の人でした。そんな私が中学時代に好きだった人の名前は「あいかわ」君。私よりも尚、早い苗字を持つ男。中学生というのに「彼とは結婚できないし…(結婚して子供にあ行の苦しみは味わわせたくない)」とか考えてとうとう告白をしないまま卒業しました。お馬鹿ですよね。

私は「か」の人でしたが、クラスの席で「あ」の人が隣だったので「あ」の人の悲劇は毎日目の当たりにしてました。だから、結婚するとき「あ」の人だけは避けようと意識してました。子供にあの悲劇を体験させたくなかったのです。結局「や」の人と結婚でき、満足ですww

私は「ゆ」の人です。中高のとき、クラスの名簿がアルファベット順で「女子→男子」という順番でした。「ゆ」の人は、必ず女子の名簿の最後でした。男子が次に身体検査に入ってくるのに、私一人まだ着替えていてとてもいやでした。で、男子1番の「あ」の人がとても色白で、髪型も女性的。よく、どこから男子なのか?と先生方を悩ませました〜! いまは同窓会で笑い話しますけど当時はとてもいやだったのを覚えています。
私は名簿のはじめとうしろ、どちらもいやです。苦労します。なんとなく名前は「あ」のように早いのも、「ゆ」のように最後なのもいやだなと小さなこだわりができたと思います。男性でも「あ」の人や「い」の人に会うと「え、この人と結婚したら『あ』の人にになる? それはいやだなあ〜」と勝手に名前の選り好みをする自分がいます。そんな選り好みしていたのが災いして、まだシングルでしょうか? アホですね〜。

「あ」の人やら「わ」の人やら ー3

2008年9月19日(金) 5:51:32

メール受信簿が「『あ』の人です」「『わ』の人です」みたいな件名で埋まっています(笑)
ええと、全部ご紹介したいけどそれは無理なので、いったん今日で中締め。また面白いのが溜まったら書くかもしれません。

祖父が「す」の人です。わりと早くに亡くなったのですが、そのときに来た弔電が見事に「さ」行のオンパレードでした。「か」行はなし。「た」行が一人二人いたかな? 私の交友関係も出席番号まわりの人が多かったので、ほほー、いつの世も同じじゃのうと思いつつ弔電をチェックしていたことを思い出しました。

わたしの苗字は、和田。いつも席順は最後でした。高校時代の仲良しの友人を思い浮かべてみると、堀(ほ)、山田(や)だったりして、ご高説ごもっともです。

わたしは「か」ですが、高校の友達は「あ行」と「か行」と「さ行」が圧倒的です。なんか「ま行」「や行」「ら行」「わ行」って廊下側ということもあって暗い印象があります。まったくの偏見ですが、でも遠い人たちでした。

出席番号が交友関係にも影響を与える話、意外と反応が多かったです。
この論を発展させると、たとえば、「あ」の人は窓際の列で、交友関係が右側の列の人に偏り、「わ」の人は廊下際の列で、交友関係が左側の列の人に偏るのに対し、「さ行」「た行」「な行」あたりの人は必ず両側に列があり、交友関係も前後両側360度に気を配らないといけないという意味で、社交的かつ気遣いの人が多いかもしれませんね。窓際の列の人や廊下際の列の人は180度に気を配ればいいから比較的閉じこもって生きていくのも可能。「あ」の先頭の人や「わ」のラストの人に至っては90度に気を配っていればいい。これも性格に影響を与えているかも。
あと、ずっと窓側だった6年間と、ずっと廊下側だった6年間というのも影響を与えそうですね。

今週末は広島・尾道

2008年9月20日(土) 8:26:47

先週は金沢、今週は広島・尾道、来週は富山、と週末旅が続いている。
金沢と富山は講演だが、広島・尾道はクレア・トラベラー連載の下見自腹取材旅。仕事が鼻血状態でバタバタなのだが、このタイミングで来ないと〆切に間に合わない。だから無理矢理スケジュールをこじあけてやってきた。怒濤の9月、早く終わってくれ。

広島に来たと言っても、なんか学会だかなんだかで広島市街のホテルがまったく取れず、呉のホテルに宿泊。呉、初めて来たなぁ。今朝の呉は(例によって晴れ男のドッ晴れもあってか)美しい。ホテルの部屋から海と山が両方見える。

昨日は昼間に仕事をしたあと、夜に広島に着いてシャオヘイくんと待ち合わせて食事。
広島をナビしてもらうには最適なヒトである。「獨楽」「無櫓火」とハシゴ。瀬戸内の魚はやっぱり美味しい。昨晩の鯛はとてもいい香りだった。両店ともとてもいい店。特に「無櫓火」は気に入った。酒についての考え方に深く賛同。ストレートよりずっとうまい飲み方も体験。こういう店、東京にはほとんどないなぁ。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。