2008年08月

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好きで好きで仕方がないこと

2008年08月01日(金) 9:06:05

いま、日本で一番多い姓は「佐藤」だという。
以前は「鈴木」が一番多かったらしいのだが、途中で「佐藤」が抜いたらしい。その悔しさだろうか、鈴木姓は「藤白鈴木会」みたいな鈴木姓の集まりが多いようだ。一致団結して「佐藤」を抜かせ!ということかな。

苗字館のランキングによれば「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「渡辺」「伊藤」「山本」「中村」「小林」「加藤」がベスト10。多いと思っていた「山田」や「木村」って意外と低いんだね。
ちなみに苗字館の都道府県別ランキングによると、東京では「鈴木」が1位。「佐藤」は2位だ。大阪では「田中」「山本」「中村」がベスト3。「佐藤」は12位で、「鈴木」に至っては26位。そういえば関西で鈴木さんってほとんど会わなかったな。もっと「鈴木」が少ないのが福岡。102位だ(「佐藤」は7位)。鈴木さんは西に弱いらしい。

って、なんでこんな話をしているかというと、昨晩、鈴木さんとご飯を食べ、「日本で一番多い姓はどっちか」という話題になったのだ。イタリアンでパスタとか食べながら「どっちが1位か」を議論する鈴木と佐藤の男ふたり。傍目から見たら相当キモイ。というか小せえ(笑)

お会いした鈴木勉(BEN)さんは、今年のショートショートフィルムフェスティバルでグランプリを獲った監督。その作品「胡同の一日」は世界最大の短編映画祭クレルモン=フェラン国際短編映画祭の正式招待作品にもなった。初対面だが、映画が好きで好きで仕方がない、というのが全身から滲み出ている映画小僧だった(40代だけど)。楽しかったな。
サラリーマンをやってると、周囲に「好きで好きで仕方ないからこの仕事やってます」という人がほとんどいない。ボクは社外人脈の方が社内人脈よりも多いので比較的そういう人に出会っているが、それでもやはり新鮮だ。とても刺激を受ける。というか「自分はどうなのだ」とヒリヒリした感情が胸に宿る。

今日の新聞によると、また平均寿命が伸びて、男は79.19歳になったそうだ(女は85.99歳)。
平均寿命まであと30年強。「好きで好きで仕方がないこと」を突き詰めるには充分なようで、体力の衰えとかを考えると、意外と足りない持ち時間である。第一ボクは本当に「好きで好きで仕方がないこと」が見つかっているのかどうか。広告も食事も物書きも好きである。でも、好きで好きで仕方がないかどうか。

スティーブ・ジョブズはこう言っている。
「33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきた。『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?』と。それに対する答えがNOの日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があると考えはじめるのだ」

そろそろ何かを変える必要がある。のか。

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残りの96%

2008年08月02日(土) 19:52:33

今日は朝から寝続け。朝ご飯と昼ご飯以外ずっと寝ていた。夜ご飯前に起き出して今。
咳風邪が苦しいのでこの土日で徹底的に寝て治してしまおうという魂胆もある。ベッドのお供は「ナルニア国物語」。何度目の再読だろうか。

最新の研究成果によると、宇宙の96%は暗黒物質と暗黒エネルギーで覆われ、我々が観測できている物質宇宙は全体のたった4%だと言う。
地球に置き換えれば、地球の4%、つまり、海を入れない面積で計算したらオーストラリアよりちょっと小さいくらいの面積しか人類は認識できていない状況だ。オーストラリアに住み、オーストラリアが世界のすべてと思って生きているということである。オーストラリアの外を何も知らず、その狭い価値観の中で何が真実か虚構か正義か悪かを言い争っているわけで、他の地を知ったらそんなものすぐにでも引っ繰りかえってしまう可能性の方が高い。

いや、何が言いたいかというと、単なるファンタジーと片付けてしまえる「ナルニアのような世界」だって、充分現実に存在しうる、ということ。なにしろ我々は宇宙のたった4%しか知らず、その4%すら正確には把握していないのだ。

ナルニア国物語の「銀のいす」の中で泥足にがえもんがこんなことを言う。

あたしらがみな夢を見ているだけで、ああいうものがみな-----つまり、木々や草や、太陽や月や星々や、アスランその方さえ、頭のなかにつくりだされたものにすぎないと、いたしましょう。たしかにそうかもしれませんよ。だとしても、その場合ただあたしにいえることは、心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なものに思えるということでさ。あなたの王国のこんなまっくらな穴が、この世でただ一つじっさいにある世界だ、ということになれば、やれやれ、あたしにはそれではまったくなさけない世界だと、やりきれなくてなりませんのさ。
残り96%すべてが判明する可能性は(少なくともボクの生きている間は)ほとんどない。ボクたちはたった4%の中で、それを「この世でただ一つじっさいにある世界だ」と信じて生きていく。やれやれ、それは確かにやりきれない。鎖国中の江戸時代の田舎の村人の偏狭な世界観のようにやりきれない。

心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なもの。

「心につくりだしたもの」が極端に減ってるなぁと自覚する昨今。仕事ばっかしてるからだな。そろそろ改めないと枯れてしまう。

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映画「崖の上のポニョ」

2008年08月03日(日) 19:00:13

ムスメとふたり、ジブリの新作「崖の上のポニョ」を観てきた。
子供向き映画だねーとか、つっこみどころ満載ーとか、いろんな感想が聞こえてくるけど、ボクはわりと絶賛だな。傑作だと思う。

この映画は大人の目で観てはいけないと思う。ただただ宮崎駿監督の想像力をありのまま受け入れればいい映画だ。これに比べると「トトロ」ですらかなり説明的に思えてくる。そのくらい感性のみで観たい映画。ストーリーすら少し邪魔になる。

というのも、実はいろんな伏線や意味づけがなされているストーリーではあるのである。
宗助は夏目漱石の「門」の主人公の名前からとってるという(彼は奪った女性と崖の下でひっそりと暮らす)。ポニョの本名ブリュンヒルデはワーグナーの「ニーベルングの指輪」から来ている(つまり宗助はジークフリートでもある。波の上の疾走の時の音楽はほとんどワルキューレの騎行だった)。ポニョが入るの嫌がったトンネルは「千と千尋の神隠し」に出てきた異界への入り口だ。

この3つを結びつけて考えるだけで、なかなか恐ろしいストーリーなのだが、他にも、夢かなって走りだすおばあちゃんたちはどう考えても死の世界の隠喩だし、小舟に乗った赤ん坊連れの若夫婦はまるで古き良き昭和の亡霊のようだし(ちょっとさつきとメイの父母のようだった)、船の墓場は出てくるし、助かった人々が乗っている船も精霊流しのようだったし(つまり死人の群れ)、ゴミだらけの海は巨大魚や古代魚によって浄化されてしまうし(王蟲?)、題名でわざわざ「崖の上」を強調しているのは「崖の上の一軒家だけ生き残ってあとは沈んで死滅したこと」を言い表している気がするし…。

と、ストーリーだけを深読みしていくと、決してハッピーエンドな映画ではないと思われたりするのだけど、その辺すべてうっちゃって、「ポニョ、ソースケ、好き!」と叫ぶポニョの可愛さに笑っていればいい映画なのだと思う。実際、結末はちょっとシアワセの涙が出た。頭で小難しく考えたことより、その涙の方をボクは信じたい。
というか、映画館にいた子供たちは(もちろんムスメも)上記のようなくだらない見方をせず、単純に楽しんで「おもしろーい!」と言っていた。ムスメは「ジブリで一番好きかも」と言っていた。それでいいのだ!(合掌:赤塚不二夫さん)

ちなみに、毎回なかなか唸らされる声優を起用する宮崎駿監督だが、今回のヒットは矢野顕子。なんとポニョの無数の妹たちの声が彼女である。すばらしすぎ。

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夏の歌

2008年08月04日(月) 6:35:32

だらだらとネットを眺めていたら「『夏の歌』カラオケ人気楽曲ランキング」みたいな記事があって、

1位 夏の日の1993 class
2位 夏祭り Whiteberry
3位 何も言えなくて…夏 JAYWALK(J-WALK)
4位 夏色 ゆず
5位 真夏の果実 サザンオールスターズ

という順位だった。
2位以下は知ってる(口ずさめる)が、1位を知らん。「夏の日の1993」? class? んー?
いまは便利だからそのまま座ったまま曲を購入できる。1分後にはiTunesでその曲を150円で購入。さっそく聴いてみる。んー、やっぱ知らんかった。1993年のヒットというからボクは32歳。あの頃の歌は知ってるはずだけど何故か抜けていたらしい。いずれにしても、ちょっと40代後半には歌えない歌詞だ。青い(笑)

夏の歌ねぇ。
ボクは20歳の夏に大瀧詠一の「A LONG VACATION」が発売された、という最強の人生を送っているので、別に他には何も望みません。充分シアワセだ。
あ、サザンの「熱い胸騒ぎ」が17歳の夏とか、達郎の「FOR YOU」が21歳の夏とかいうのも最強。この3枚の超傑作サマーアルバムがリアルタイム&ドンピシャに青春の夏にリリースされてくる人生ってどうよ。

ついでに言うと、レイニーウッドの「青い瞳のステラ 1962年夏…」が19歳の夏で、稲垣潤一の「夏のクラクション」が22歳の夏で、スタレビの「夢伝説」が23歳の夏で、TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」が25歳の夏だ。これらもボクの中でタイミング的に最強。

振り返ってみると、ボクにとっての夏の歌は男が歌うことが多いな。
まぁ、人生的に負けるとすると、ビーチボーイズの「サーフィンUSA」とかでリアルタイムの夏を過ごしている世代の夏には負けるかも。これはうらやましい。ええと、いま65歳とかそこらの方々ですね。この辺の方々はベンチャーズやグループサウンズもリアルタイム。これはなかなかにうらやましい。

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札幌大通公園のビアガーデン

2008年08月05日(火) 10:25:01

昨日から出張で札幌に来ている。
とにかく涼しいし乾いているし気持ちいい。超酷暑の東京から来るとマジで天国。夜に待ち合わせて飲みに行ったモリは「何言ってんですかー。今日は暑いですよー」と言う。札幌では暑い方らしい。いや、これ以上涼しかったら「寒い」という言葉すら出てきますから(ま、そこまではいかんが)。でもそのくらい涼しいの。少なくとも夜は。

この時期、大通公園は大規模なビアガーデンになっている。それも4大ビールメーカーの競演。テレビ塔方面から、サントリー、アサヒ、キリン、サッポロの順番で、それぞれ大きくスペースをとって営業している。どのスペースも満員。すごいなぁ。仕事帰りの人たちがそれぞれに集って楽しんでいる。ここらへんも札幌の素晴らしい部分。大通公園の使い方がとてもいいのだ。市民生活に密着してて、札幌市民がうらやましくなる。

「このビアガーデン、本当に気持ちいいから、ここでビールを一杯飲みましょう!」と、そのビアガーデンに向かうモリ。
いや、キミ、北海道では大スターなんだから(いやホントに)、こんな人混みは無理じゃない? と心配するも、「いやー大丈夫でしょう。たぶん」とか言って先に行く。大丈夫かなぁ…。ただ、モリの(およびチーム・ナックスの)北海道での愛され方は独特で、なんかファミリー関係みたいな親密感があるのでまぁ大丈夫か。でもそんな帽子もサングラスもしない素顔でビアガーデンに入っていくのはさすがにどうよ。

でも、大丈夫でした(笑)
みんなモリに気づくと「あー、リーダー!」と声をかける(彼の愛称はリーダー)。で、「がんばってー」」「応援してますー」「大ファンですー」とか手を振って、そこでオシマイ。みんな酔っぱらいなのに必要以上に近寄ってこず、ビールをもらって席にふたりで座ってからも隣の女性連と少し話しただけでみんな遠巻きにニコニコ見ている。愛されてるなぁ。その愛され加減がヒシヒシと伝わってくる。この関係性はちょっとやそっとではなかなか築けない。積み重ねてきたものだ。さすが。

一杯だけそこで飲んでから和食「みえ田」へ。
ここ、とてもおいしかった。ツボを心得た料理群。いい店だなぁ。その次に行った隠れ家っぽいワインバー「jose」も良かった。札幌ってここ5年でぐんと美味しくなった。どんどんいい街になる。

昨晩はボクたち仲間にとってとてもうれしいサプライズも。
あぁ、こういうのはうれしいものだな。生きていて良かったよ。と、老師的感想。おめでとう。んでもってありがとう。

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宮崎駿の「あー面倒くさい」

2008年08月06日(水) 8:13:46

札幌からの帰り便の出発が、羽田空港周辺の雷雨・豪雨で遅れ、東京に着いたのは午後10時すぎ。着いた頃には雨は上がっていた。晴れ男(笑)

ちょうど札幌に行っていた一日の間、東京は豪雨だったらしい。いろんな事故や被害が報じられるのを帰ってから知った。長く停電した地区もあったようですね。停電と聞くとすぐ阪神大震災での体験を思い出し、阪神大震災を思い出すと「こういう豪雨の最中に大地震が起こったらどうなるだろう?」とアタマが勝手にシミュレーションを始める。豪雨×大地震はかんべんしてほしいなぁ。

というか、豪雨というより、そろそろ「これはスコールなのだ」と考え始めた方がいいのではないか。
もう体感的には亜熱帯である日本の夏。スコールが定期的に起こっても不思議ではない。先月にインドやタイやシンガポールの人を相手にレクチャーしたことはここでも書いたが、そのときに「今日の東京はものすごく暑いけど、実際のところ、お国と比べてどうなんですか? やっぱりインドとかシンガポールは今日の東京よりずっと暑いですか?」と聞いてみたのだ。そしたら「almost same」と返ってきた。そう、東京の真夏はインド並みの暑さなのだ。もう亜熱帯的自覚を持ち始めた方がいいのかも。

札幌に行っていて東京にいない間に仕事でトラブルが続出したのだが、8月は後半に夏休みをとることもあって仕事の予定がギッチリ詰まっており、対応も後手後手になる。
うんざり&面倒が続き、消えていなくなりたい衝動と果てしない疲労感に苛まれたが、家に帰ってからたまたまNHKの「プロフェッショナル」を見ていて、宮崎駿が絵コンテ考えながら「面倒くさい。あー面倒くさい面倒くさい面倒くさい」とつぶやくのを見て、なんだか立ち直った。これほど名声を得て、これほど人に求められ、待ち焦がれられ、感動を与えている人が、死にたいほどの「うんざり&面倒」に襲われている。これは逆説的でもあって、「あそこまで行ってすらそうなのか」という絶望にもつながりかねないのだが、昨晩は「いずこも同じ。とにかく進め。それでも進め」という気分になった。

そうそう、おとといくらいにトップページのカウンターが2500万を突破した模様。ありがとうございます。
それと、今発売中の雑誌「プレジデント」(2008.8.18号)で見開き2ページ出ています。出ているというかインタビューされてそれをライターさんが書き起こしてくれた記事が載っている、というだけですが。「達人に学ぶクライアントの落とし方」みたいな特集の3番目「アイデア立案」の部分。P80です。

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バレエ「エトワール・ガラ2008」観劇

2008年08月07日(木) 8:52:07

昨日は朝一から40分刻みにたくさん打ち合わせがあり、疲労の極致。
元々は1時間刻みだったのだが、ひとつのクライアントで2時間近く費やしてしまい、他にしわ寄せ。しわ寄せちゃった方々、すいません。でもその分、集中した。40分あれば相当のことが出来る。

で、際限なく続くと思われた打ち合わせの波を18時で無理矢理打ち切り、オーチャードホールに駆けつけた。
パリ・オペラ座バレエ団のエトワール(星:オペラ座バレエの最高名誉階級)を中心としたダンサーたちによるガラ公演「エトワール・ガラ2008」である。今年はアナニアシビリ+ABTを見事に見逃していたりして、バレエ欲が異様に高まっていたこともあり、ようやくスッキリ。あぁ楽しかった。

出演予定だったレティシア・プジョル(見たかった)、エルヴェ・モロー、ジェレミー・ベランガールがそれぞれ怪我で来日できなくなって、そのかわりに来日したのが、マニュエル・ルグリ(!)とメラニー・ユレル、マチアス・エイマン、アレクサンドル・リアブコだった。
というか、ルグリは彼一人で客を呼べる超大物。そんなルグリが代役で来てくれるなんてすごいラッキーである。彼は最後の一曲しか踊らなかったが、生チェロに乗って「どの瞬間もちゃんと絵になる高度に安定したダンス」を見せてくれた。ルグリ先生、さすがの安定感。

他に印象に残ったのは、エレオノラ・アバニャート、「思いがけない結末」の時のマリ=アニエス・ジロ(「メリー・ウィドウ」はいまひとつだった)、そしてマチュー・ガニオ。
エレオノラ・アバニャートの「椿姫」は、そのまま続けて全幕観たいと思ったな。ダンスもいいが、なにより演技がいい。表情の作り方がダンサーのそれを越えていた。あと、ボリショイ贔屓のボクとしてはルンキナをもっと褒めたいのだが、ルンキナは昨日は精彩を欠いたなぁ。

備忘録としてプログラムとキャストを。

・「ハムレット」第2幕より
  シルヴィア・アッツォーニ/イリ・ブベニチェク
・「ジゼル」第2幕より
  スヴェトラーナ・ルンキナ/マチアス・エイマン
・「椿姫」第1幕より
  エレオノラ・アバニャート/バンジャマン・ペッシュ
・「メリー・ウィドウ」※世界初演
  マリ=アニエス・ジロ/マチュー・ガニオ
・「ラ・バヤデール」第1幕より
  スヴェトラーナ・ルンキナ/バンジャマン・ペッシュ
・「ロミオとジュリエット」第1幕より
  メラニー・ユレル/マチュー・ガニオ
・「思いがけない結末」※世界初演
  マリ=アニエス・ジロ/イリ・ブベニチェク
・「ベラ・フィギュラ」
  シルヴィア・アッツォーニ/アレクサンドル・リアブコ
・「カンツォーニ」※日本初演
  エレオノラ・アバニャート/バンジャマン・ペッシュ
・「バーンスタイン・ダンス」
  アレクサンドル・リアブコ
・「ダンス組曲」
  マニュエル・ルグリ

「エトワール・ガラ」は2005年にも観ている。その日のメモを見てみると、来てる人はずいぶん共通しているな。
ガラ公演はもともとあまり好きではないのだが(ストーリーがあるものの方が好き)、モダン・ダンス系をやってくれるのはうれしい。昨日も「思いがけない結末」「ベラ・フィギュラ」とかでかなり発散した。前者のジロとか、まさに神。ダンスとして目が離せないどころか、そのしなやかな融通無碍さが心の奥にきっちり棲みついた感じ。キレイなダンスはたくさんあるが、心に棲みつくようなダンスはめったにない。

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大日本プロレス「リア王」観劇(観戦?)

2008年08月08日(金) 8:42:20

知り合いの映像ディレクター八代眞奈美さんが演出をやっているということで、シェークスピアの「リア王」を観てきた。出演者はすべてプロレスラー。おもろそー。どんな舞台になるのだろう…。ちょっとワクワクしながら横浜赤レンガ倉庫3階ホールへ。

会場に入ったら、これがなんと、リングのみ(笑)
客席はリングを囲っており、舞台というより完璧にプロレス観戦だ。どうやらプロレスラーが「リア王」をやるというより、「リア王」の設定を借りたプロレス興行の模様。ま、どちらにしてもクレイジーですっ飛んだ素晴らしいコラボ。おもしろいこと考えるなぁ(記者のレポートや対談などこちらで読めます)。
しかも席はリング前2列目。こんなかぶりつきでプロレス観るの初めてだよ。ちょっと怖い。

あまりプロレスは詳しくないし、観るのも中学生以来。だから出演者に思い入れもないし背景もわからないのだが、背景とかわかるとめちゃめちゃ面白い設定らしい。
グレート小鹿という大日本プロレスの重鎮(?)がリア王。彼が大日本プロレスの王位継承として3名指名する。ゴネリル谷口(谷口裕一)、リーガンWX(シャドーWX)、コーデリア伊東(伊東竜二)。でもうまくおべっかを言えないコーデリアはリア王の怒りを買い追放。ケント井上(井上勝正)とフランス帝王(MEN'Sテイオー)とともに去っていく。でもゴネリルやリーガンはリア王を疎ましく思っており…。といった具合。

リング上で、上記ストーリーに沿って、プロレスラーがマイクを持ってセリフを言う。というか「なんだこのヤロー」状態でいがみ合う。そこに唐突に「青コーナーより○○選手の登場です!」と音楽がなってレスラー入場。王位継承者のチームとそれに対抗するチームが闘い合う。という演出。音楽と照明も凝っているうえに、リア王のストーリーが意外とプロレスにしっくり来ていて面白い。

舞台上では、ゴネリルが敗れ(1試合目)、リーガンが敗れ(2試合目)、敗れたリーガンにも邪険にされてリア王が狂い、死んでしまう。ここで休憩。リング上に蛍光灯の祭壇が据えられる(知らなかったが大日本プロレスは蛍光灯バトルが名物らしい。蛍光灯を武器にして血だらけデスマッチをするのだ)。
休憩後の第4幕。リア王の死により、大日本プロレスは滅び去ったように見えたが、最後にコーデリアが出てくるんですね(3試合目)。で、蛍光灯を使った血だらけデスマッチへ。蛍光灯の破片とか血とかがバラバラ飛んでくるので、「ひえ〜」と後列へ避難しながら観る。つか、演劇を観る気分で来ていたのでいきなり血を見ると驚きも倍増。痛そうすぎ。リングに飛び散った蛍光灯の破片の上に叩きつけられるのってさ…。
ま、それはともかく、最後、コーデリアも敗れ去るんだけど(この辺、勝敗とストーリーは関係ないらしい)、大日本プロレスへの愛を語り、なぜか生き返っているリア王も「まだまだ死ねねぇ」と叫び、大団円(笑)

おもろかった。なんか妙な楽しさがあり、プロレスの良さも久しぶりに実感。
同行者たちとワハハと笑いながら会場を出て、とりあえずビールを飲もう、と、中華街の「山東」で水餃子&ビール。シェークスピア悲劇とプロレスとと血とバラと笑いとビール。いーね!(←CKBのケンさんっぽく)。

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タモリの弔辞

2008年08月09日(土) 7:24:30

北京オリンピックが開幕しましたね。
昨日は仕事で開会式は見られなかったけど、今朝テレビで見た印象としては「さすがチャン・イーモウ」。それと、国民のインタビュー映像が流れたのだけど、みんながみんな「中国がんばれ」と言っているのが異様だということ。普通、世界平和がどうの、とか、いろんな国の人がどうの、とか言うのに、自国のことしか言わない。まだそういう段階の国であるのは知っていたけど、それにしても…。

話は変わって。
赤塚不二夫の葬儀の時のタモリの弔辞が感動的だったので、自分の記録のために載せておきます。

 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。

 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 私もあなたの数多くの作品の一つです。

 合掌。

 平成20年8月7日

 森田一義

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故人にだけ通じる密室芸

2008年08月10日(日) 13:56:57

昨日書いたタモリの弔辞は実は勧進帳で、つまり用意した紙を読むフリをして実は白紙を読んだらしいとメールで教えていただいた。YouTubeでノーカット版を見つけたのでそれを見てみたが、確かに白紙のように見える。

> そして私に「おまえもお笑いやってるなら、
> 弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。

この弔辞の言葉が少し不思議だった。でもやらないんだ、と。
でも、実はやったんだな。
故人にだけ通じる「密室芸」を、タモリは最後の最後にやったのだ。

「会場のどこか片隅のちょっと高いところから」見ると原稿が白紙だということがわかる。つまり故人にだけ通じる密室芸なのだ。
「ひとみ寿司」でやったであろう四カ国語麻雀とかハナモゲラ語とか眉芸とか韓国語ニュースとかと同じような、「白紙の弔辞をもっともらしく読むタモリ」というギャグ。赤塚不二夫なら必ずゲラゲラ笑うであろう、ふたりだけにわかる密室芸。しかも葬儀の場も壊さない大人のギャグ。弟子として、卒業試験のような気持ちで、タモリは葬儀に臨んだのかもしれない。

もうひとつメールで教えていただいた。

> それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、

は、速記者の間違いで、実際には「重苦しい意味の世界から解放され」である、と。
映像で確かめても確かにそう言っている。だから昨日の文章は直しておきました。ここが「意味」になることで、この一連の文章はより深くなった。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
重苦しい意味の世界から解放されることこそギャグなのだ、と、よくわかる。赤塚不二夫は日本に重く沈殿する「意味の世界」を辛抱強く打ち壊し続けてくれたのだな。それも「大衆に膾炙しながら」。そこが偉大だ。

密室芸のころのタモリの面白さを知っている人は(ボクもリアルタイムで知っている)、いまのタモリをつまらないと切り捨てがちだが、大衆に膾炙しているところをもっと評価すべきなのだろう。彼もまた「意味の世界」を打ち砕き続けてくれている偉大な天才である。一世一代の密室芸。しっかり見させていただきました。

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大きく交替しないといけないタイミング

2008年08月11日(月) 8:13:23

おとといは丸一日、朝から深夜まで都内某所で仕事だった。
そーとー疲れた。でも、大御所稲越功一カメラマンとの仕事だったので撮影自体は楽しかった。大御所との仕事は何かしら発見や刺激があり、やはり楽しい。打ち合わせやセット建て込みではカジュアルな格好で来られた稲越さん。本番のおとといはおしゃれなスーツ。格好いい。

疲れが溜まっていたので、昨日は一日ひたすらカラダを休めた。ずっとベッド。〆切原稿をふたつクリアした他は何もせず。あ、「『北島康介』プロジェクト2008」(長田渚左著/文春文庫)を読んだっけ。今日の男子水泳100m決勝を前に読んでおくかと何気なく手に取った一冊。意外とおもしろくて一気に読んだ。様々な人がボランティアに近いカタチで濃く関わり、北島康介を作り上げている。その無私な情熱は美談だが、そこにちゃんと報酬が伴う社会にしないと、結局長い目では大国に勝てないだろうな。もう個人の努力で勝てた時代は終わったのだ。

あと、個人の誰それという意味ではなく、60代70代の協会幹部の方々が一斉に辞めてくれないと、やはり日本は勝てないだろう。
もう40代50代に任せて欲しい。やり方が違うのだ。これはどのスポーツ分野においてもそうだし、産業分野においても実はそうだ。ここ10年で世の中の様々な「やり方」が大きく変化してしまった。その変化に対応できず、過去の成功体験を当てはめようとする幹部や経営者が組織のトップに居残る限り、日本に明日はない。

基本的にボクは老人リスペクトの意識が強い人間である。年長者の経験や成功体験は尊い。
でも、ここ10年の変化は歴史的に見ても劇的なものなのだ。いまたまたまトップにいる方々にはタイミング悪くて申し訳ないと思うが、あなた方が悪いのではなく、たまたま「大きく交替しないといけないタイミング」なのである。明治維新と同じようなタイミングなのだ。過去の成功体験を捨てないと生き残れない時代。成功体験がない若手に思い切って任せないと取り残される時代。もう猶予なく。

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58秒91

2008年08月12日(火) 8:55:39

58秒91がどれだけすごい記録か、「『北島康介』プロジェクト2008」を読めばすぐわかる。数年前は1分を切る世界が憧れとともに語られていたのだ。それなのに世界で初めて59秒も切った。すごいな北島康介。金メダルおめでとう。

夜はグーグルの若い人たちと飲んだ。
ボクはトラディショナルな広告会社に所属しているので、最先端な会社の人たちとの飲み会は自分を試されているような緊張が(多少)伴う。先端の一部を担っているつもりではあるが、あちらからはどう見えてるのだろう、みたいな。でも杞憂だった。悩みや目的意識はいずこも一緒。というかコミュニケーションに先端もトラディショナルもない。相手に伝われば何でもいいのだ。逆に「先端」とか「テクノロジー」とかに縛られてしまう彼らの悩みも伝わってきた。

以前部下だったタカヒロくんとも久しぶりの邂逅。お互いに以前とは違うスタンスになっていて、関係も多少変化した。大きな意味での「同志」。また飲もう。

グーグル以外にも、ある広告会社の新入社員が参加していて、入社3ヶ月の悩みをいろいろ聞いた。熱いな。燃えてるな。不安と情熱がひしひしと伝わってくる。それに経験者ぶって答えている自分を客観的なもうひとりの自分が遠くから眺めていて「愚かだ」とひっそり耳元で。情熱の前に経験は愚かでしかない。経験者ぶる淀んだ目の大人になるなよ自分、と強く心に刻む。

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独座観念

2008年08月13日(水) 7:38:26

NHKの「篤姫」は演出がとてもうまいドラマだが、先週の井伊直弼と天璋院の茶の場面は凄みがあった。
井伊直弼役の中村梅雀、迫真の演技。「一期一会」はもともと井伊直弼の言葉であり、その本人の一期一会の茶を演技するわけで、かなりの覚悟をもって臨んだと思われる。演出もまた同じ。狭い空間を大きく感じさせ、濁りのない澄み切った井伊の心と茶の味を印象的に描き、ふたりの精神の交流を静かに表現した。近来稀に見る名場面だったと思う。

  今日のこの一期一会が再び帰らぬ事を観念す。

その場面の〆のナレーションがこれ。
この「観念」という美しい言葉に心を打たれた。

確かもともとは「独座観念」という言葉だったと思って調べたら、井伊直弼の原文に出会った。「茶の湯一会集」の「独座観念」という一文である。

主客とも餘情残心を催し、退出の挨拶終れば、客も、露地を出るに高声に咄さず、静にあと見かへり出行ば、亭主は猶更のこと、客の見へざるまでも見送る也。扨(さて)、中潜り・猿戸、その外、戸障子など、早々〆立などいたすは、不興千万、一日の饗応も無になる事なれば、決て、客の帰路見えずとも、取かた付、急ぐべからず。いかにも心静に茶席に立もどり、此時、にじり上りより這入、炉前に独座して、今暫く御咄も有べきに、もはや何方まで可被参哉(まいらるべきや)、今日、一期一会済て、ふたゝびかへらざる事を観念し、或は独服をもいたす事、是、一会極意の習なり。此時、寂莫として、打語ふものとては、釜一口のみにして、外に物なし。誠に自得せざればいたりがたき境界なり。
現代語に超訳すると、こういう感じ。
茶席が終わり、主客ともに名残惜しく別れの挨拶を済ませ、客が露地にでたならば、もう声高に話さず、亭主は客が見えなくなるまで静かに見送るものである。すぐ中潜り、猿戸、その外戸障子などを閉めてしまうのはよくない。今日の饗応が台無しになってしまう。客が帰って行く姿が見えなくなっても、片づけを急いではならない。心静かに茶席に戻り、炉の前に独り座って、「もうちょっと話がしたかったな、今頃はどの辺まで帰られただろう」などと思いながら、今日の一期一会はもう二度と再び巡り来ぬことを観念する。独りでお茶を点てて一服してもよい。これこそ一会の極意である。この時、打語らうもの、釜一口のみ。これは辿り着くのが実に難しい茶の湯の境地である。
余情残心。一期一会。そして、独座観念。
今日、一期一会済て、ふたゝびかへらざる事を観念す。

美しい言葉だ。でも、いまの自分の毎日からはあまりに遠い言葉でもある。せめて一時、独座観念せよ。

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金本アニキ!!

2008年08月14日(木) 6:54:38

ボクに対する期待値が高すぎる仕事が次々と飛び込んできて、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらヒーヒー仕事をしている昨今。ついに処理能力を越えようとしている模様。本業の本なんか書くのも考えものだ。魔法使いか何かと思われる。新しいコミュニケーションなんて試行錯誤の連続で、トライ&エラー&エラーなんて普通なのに、すぐ正解が出てくると思い込まれている。んー。ただひたすら辛いんですけど。

と、まぁ自らへのプレッシャーのきつさと忙しさを嘆きつつ、無理矢理にでも遊びの予定を入れるのがボク流。
昨晩はすっごい久しぶりに家族で野球を観てきた。阪神巨人戦。東京ドーム。当然3塁側阪神席。阪神は5連敗中だったようだが、ボクが応援に行って負けたことがないので、まったく心配せず仕事終わりに駆けつけた。ドームに着いたのは4回表だったかな。

進行の早い試合で、8時すぎにはもう9回。1対1のまま延長へ。
で、延長10回表。ノーアウト・ランナー1塁2塁で打席に金本知憲が立ったのだった。

実は、ボクが応援に行くと延長10回で阪神が劇的に勝つ、というジンクスがあって、以前は日本シリーズで2日連続、10回に劇的な勝ち方をした(こちら参照。そのうち一回は金本のサヨナラホームランだった)。今回もそうだったら凄いなぁ、金本ならやりかねんなぁ、と思いながら大声出して応援していた。

そしたらさ!
打ったよ、金本アニキ!!
ライトスタンドに見事な3ラン。すげー! 格好ええー!

これで観戦3回連続で延長10回で阪神の勝利。これって珍しくない?
無理して観戦しに行って良かった。ムスメもほぼ初めてのナイター観戦に喜んでいた(2歳のころ甲子園球場の阪神戦に連れて行ったことがあるが覚えていないらしい)。ほぼ初ナイターで金本の劇的ホームランを見られるなんて、どんな強運なんだ!

というか、金本、すごいなぁ。大きな期待にきっちり応える。5連敗の重い雰囲気を一振りで一掃する。
と、こういう話の展開だと、「そういう金本の姿に、仕事のプレッシャーが少々きついくらいで泣き言を言う自分を猛省し、明日へのやる気に奮える」とかいう流れになりそうだけど、野球が終わってすぐ仕事の電話やら企画書作成やらしているうちに金本のホームラン効果もすぐしぼみ、ヘナヘナヘナ。

最近よく思うけど、発散や気分転換の有効期間がやけに短くなってきた実感がある。長持ちしない。旅行行っても、おいしいもの食べても、昨日みたいにいいもの見ても、昔なら数日から数週間は「明日もがんばろう!」とか思えたのだが、最近はヘタすると数時間しか持たない。時の流れがどんどん加速している感じ。生きにくい時代だなぁ。うつ病をはじめ精神的に罹患する人が増えるのもよくわかるなぁ。

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負けて終わりたい派

2008年08月15日(金) 9:14:11

いろんなことがうまく行かず、かなり苦しんでいたんだけど、昨日一気に状況が変わった。
相当つらくなることが予想された仕事がひとつ中止になり、トラブルが多かった仕事がひとつヤマを越え、企画に苦労していた仕事がひとつがブレイク・スルーし、と、バタバタと楽な方向に収束。うわー。こういうこともあるんだなー。相変わらず仕事量は多いものの、ずいぶん肩の荷がおり、ストレスが軽減された。いやホント助かった。一時はどうなるかと思ったよ。

と、気が楽になったせいか、昨晩は酔った。
はるか年下の友人が海外の修羅場から戻ったのでそのお祝いというかお久しぶりの会だったのだが、途中からもうグダグダ。どうやって帰ったのかもあまり覚えていない。いや、帰り道で仕事の電話をかけたのは覚えている。酔っぱらって電話された方も迷惑だったろう。すいません。

夜中に帰って床寝。
途中ちょっと起きて、鈴木桂治が一回戦で負けたのをテレビで観る。王者の惨敗。勝って終わる人と負けて終わる人がいる。ボクは「負けて終わりたい派」かな。最近ようやく「負けること」の良さとか格好いい面とかがわかるようになった。負けたら悔しい。でも長い目で見ると成長速度は高まる。物事を見る目がひとつ深くなる。人生が豊かになる。あとは負け方。美しい負け方ができる大人になりたい。…って、まだ酔ってるな、オレ。

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大人の社会見学

2008年08月16日(土) 18:04:24

以前、有名編集長とかIT系社長とかと飲んだことをちょっとだけ書いたが、そのとき同席したある社長の会社がユニークで面白いと盛り上がり、今度みんなで見学に行こう!ということになった。昨日はその当日。昼間2時間ほど時間をこじ開けて行ってきた。集まった見学者はボクを含めて4人。有名編集長2人とIT系有名社長1人が一緒であった。

行ったのはチラシを作る会社なのだが、その工程が見事に可視化されており、企画から納品までのすべての作業があるひとつのビルで行われ、上階から下階に向けて流れている。そのリアルな構造自体がとても面白いのだが、最初にあったその会社の社長からのプレゼンテーションがまた圧巻だった。
チラシ作りの1から10までがすべて整然と理解でき、その大変さとIT化による改革、そして将来像まで、ものの30分で見事にアタマに入った。面白かったなぁ。いままで全く知らなかった世界にどんどん詳しくなっていく過程って異様に楽しい。知らない異国に旅行したときに感じるような「新しい世界を知っていく快感」に近い。脳内で何か気持ちよい物質が分泌される感じ。

その30分の間、ボクの隣に座った編集長(まだ30代)がまた見事だったな。
まぁ特にメモ魔な人だったのかもしれないが、とにかくガシガシとメモをとっていく。この熱心さに「さすがに大ヒット雑誌の仕掛け人だ」と感嘆させられた。そこらのサラリーマンでは太刀打ちできないどん欲さ。こうやって自分を常にエクスパンドさせている人と普通に生きている人の差はどんどん広がるばかり。その「差が広がる瞬間」に同席させてもらった感じ。うーむ。ボクも負けずにエクスパンドさせないと!

と、なんだかやる気をもらって会社に帰り仕事。ガシガシガシ。
夜は前からの約束で割烹のYに行ったのだが(4回目の訪問だが味がやけに落ちていた)、その後2軒渡り歩き、深夜まで男2人で3本のワインを開け、「そろそろ帰るか。でもその前に仕事場に電話してみよう」と電話したら、若手がみんなで苦労しているみたいなので仕事場へGO。

深夜0時すぎ。みんなまだ残って入稿前のデザイン直しに四苦八苦している。結局2時半までかけて解決に辿り着き、ようやく解散。やる気が出たのはいいとしても、こんなことしてるとカラダが持たんな。

家に帰って昨日の朝刊とともにテーブルに置いてあったチラシを見る。
いままで何の気なく読み捨てていたチラシだが、今後はチラシを見るたびに、その向こう側に日夜必死に働いている人たちの顔が浮かぶことだろう。IT化されたユニークなビルの風景も思い出すだろう。新しい視点を獲得させてくれてありがとう、M社長!

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劇団四季「CATS」

2008年08月17日(日) 8:52:56

いったい何年ぶりだろう。劇団四季の「CATS」を家族で観てきた。
たしか、ニューヨークで1回、日本で劇団四季のを1回観ているお馴染みの舞台。劇団四季のは1980年代後半だったか。グリザベラ役を久野綾希子がやっていた記憶がある。そのときのラム・タム・タガー役が山口祐一郎だった気がするが、違ってるかもしれない。

つまりボクにとっては3回目の観劇なのだが、ムスメに「CATS」を観せておくのもミュージカル好きの親の義務だろうと思い(そうか?)、チケットをとった。前半終わってムスメは「ストーリーがよくわからない…」となにやら悲しげ。ボクもほとんど20年ぶりくらいに観るので場面場面を見事に忘れていた。何の予備知識もなく観ると確かに少しわかりにくいストーリーだ。

でも、休憩を挟んで後半はなかなか盛り上がり、最後はムスメもとても楽しんでいた。
久しぶりに観たキャッツだが、セットはさすがだし、ダンスもなかなか見事(ミストフェリーズ役の岩崎晋也がうまかった)。でもこんなにわかりにくいストーリーだったかなぁ。なんかグリザベラが天に昇っていくのも、昔はもっと納得出来た記憶があるのだが、今回は妙な唐突感あり。演出も(仕方ないとはいえ)やはりちょっと古く感じる。〆のネコ賛歌も蛇足っぽい。ミュージカルを代表する名作であることにかわりはないが、ここ数年ブロードウェイに通っている目で見ると全体に物足りない印象。

それにしても、劇団四季は20年前より格段に層が厚くなり、歌もダンスも相当うまくなっている。全国各地でいろんな公演を並行してやっているのだから、このレベルの人たちが数百人単位でいるわけだ。すごいな劇団四季。子供の頃に劇団四季でミュージカルに触れてこの道を目指す人もきっと増えているだろう。そういう意味で、日本のエンターテイメント界の普及・底上げ・レベルアップにどれだけ貢献しているかわからない。

が、逆に劇団四季しかメジャーがない今の状況も寂しいものがあるのも確か。実質的に「ミュージカル=劇団四季」では、若者の職業選択肢として狭すぎる。もうちょっと選択肢が増えて、エンターテイメント界を目指す若者が増えると楽しいのだけどな。

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お呼ばれ

2008年08月18日(月) 8:05:07

関西勤務時代は友人の家に遊びに行くことも、友人たちを我が家にお招きすることも、ごく日常的にやっていた。

これはふたつ理由があって、ひとつは年齢的なこと。まだ若かったのだ。20代30代というのはホームパーティが実に楽しい時代でもある。毎週のように行き来していた。
もうひとつは距離。関西って住む場所がわりと固まっていて、友人宅までの距離がそれほど遠くないことが多かった。特にボクが住んでいた夙川・苦楽園・芦屋近辺は、タクシーで15分以内にたくさん友人が住んでいた。だから気軽にみんな行き来していた。

東京はそうはいかない。
住んでいる場所がものすごくバラけている。例えばボクの家からタクシーで15分以内に住んでいる友人などほとんどいない。郊外のベッドタウンの友人宅までだと片道1時間もざら。距離の問題はわりと大きいなぁ。ホームパーティ終わって夜中に家族で1時間以上かけて帰るのはなかなかハードルが高いことなのだ(子連れだと特に)。

てなこともあって、お呼ばれすることもめったになくなった昨今だが、昨日は久々に家族でお呼ばれ。湘南に住む先輩の家にいろんな人が集まった。片道1時間ちょい。まぁ遠いのだけど、たまたま昨日は秋のような気候だったこともあり、そんなに距離を感じなかった。

出張寿司、つまり職人が家に来て握ってくれる、という贅沢なホームパーティで、地元で捕れた魚をふんだんに。
出張寿司って子供たちが一番喜ぶね。即席カウンターにかぶりついて下拵え作業を見学。タネを見ながら好きに注文するのも異様に楽しいようで、ムスメなんか「サーモンの炙り」とか「縁側」とか、見よう見まねながらも通っぽい握りを注文していた。炙りはバーナーで焼くのが見ていて面白いらしく子供に大人気。

大人はダブルマグナムの「Bollinger」や、同じくダブルマグナムの1982年の「Chateau La Tour de By」を飲みながら。マグナムは大きい分保存状態的においしいことが多いが、ホームパーティだと見た目的にも豪華な感じがして良いなぁ。みんなの気持ちが盛り上がる。注ぎ役に任命されたのだが、2本注ぎ終わるころには腕が震えた。腕力なし(笑)

結局14時くらいから20時くらいまで遊んで帰宅。気楽で楽しい会をどうもありがとうございました。
というか、湘南ってやっぱりいいな。老後の移住地候補に急に入ってきた(笑

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お金のお話

2008年08月19日(火) 9:25:43

ここのところ知り合いから立て続けに副収入関係でうらやましがられたので、いい機会なので誤解を解いておきたい。お金のことを書くのってイヤだし、書き方によっては批判を受けるのだけど、あまりに誤解が多いので。

よく訊かれるのは本の印税。
これは何度か説明しているが、定価の10%がボクの収入となる。「明日の広告」は743円だから、誰かが1冊買ってくださったら74.3円がボクに入る計算となるわけだ。本屋の書棚でたまたま巡り会い、たまたま手にとって、意を決してレジに行ってくださる、という確率的に異様に少ないことが起こって、初めて74.3円が入るのだ(この辺の心情は昔こちらに書いた)。

本というのは1万部売れたらヒットである。10万部なら場外ホームラン。100万部は人気作家でも一生に一回あるかないかのミラクルだ。たとえば1万部で計算すると74万3千円がボクに入る計算。「明日の広告」はその数倍は売れているが、10万部にはもうちょっと届いていない。たとえ10万部売れたとしても743万円にしかならない。

しかならない、と書くと反発を受けそうだが、10万部というのは普通のライターにとって人生にそんなにはない場外ホームランだということを思い出して欲しい。毎回このくらい売れれば喰えるが、人生で数度、ようやくこの程度の収入が入るのではとても「印税で喰っていく」のは無理だということがわかると思う。「夢の印税生活!」と、知らない人は必ず揶揄してくるのだが、とんでもないことでございますよ。世に本の印税だけで食べて行けている人なんて数十人しかいないだろう。

もちろんボクは本業のサラリーマンがあるから印税は副収入となり、いろいろ助かる。でも、3ヶ月くらい毎晩毎週末しこしこ頑張って、自分の20年分の広告経験をすべてぶちこんででの収入としては決して見合うものではない。え? それでも収入入るだけマシじゃんって? それはそう。でもアナタも書いてごらん。異様に大変な地獄の作業だから。お金儲けだけ考えるなら別の方法の方がいい。全く見合わない世界なのです。

次に講演料もよく訊かれる。
ある友人に「1回100万円とかもらえるの?」と言われて呆然とした。そんな風に思われているのか! 確かに有名タレントや文化人の中には1回数百万もらえる人がいるだろう。でもボク程度の人間の、しかも専門分野の講演なんて数万円ですよ、数万円。二桁違いますって。2時間しゃべりまくって1万円ってなこともよくある。来月、ある地方にヒコーキ乗って講演に行くが、これなど講演料は0円。ホテル代とヒコーキ代出すから是非是非来てくれ、と若い人たちに頼まれて出かけるボランティアだ。

だから、ここ半年、立て続けに講演をしてますが、こんだけ予習して、仕事の合間を縫って駆けつけて、こっちが得たノウハウや教訓を出し惜しみなく提供して、「え、この程度?」って程度の収入ですよ。半年分を足し算しても数十万。軽自動車も買えない程度の収入。それに費やした経験と時間を思えば、決して見合うものではないのです。いままで育ててくれた業界への恩返し的な考えでなんとか続けていっているだけ。

ついでだから連載料も。
10年前、超超無名だったころは数千円でした。雑誌1ページとか書いて数千円。マクドナルドのバイトの方がずっとずっと効率的です。最近はちょっとは上がったですけど、それでも数万もらえるかどうか。それにかける時間には全く見合わないものです。原稿ライティングだけで食べていくなんて相当奇跡だ。
おまけに(特に単発原稿では)出版界の悪習として書く前に報酬が提示されない。苦労して書き終わって入稿してようやく「○○円を振り込みますので口座番号を教えてください」というメールを受け取り、報酬がわかるという仕組み。ライター専業の人なんかやってられないと思う。収入わからず仕事するって異様に不安なものなのです。ホント悪習だ。

でもね、もっとスゴイのが非常勤講師料。
大学とかの非常勤になるとするでしょ。いくつかオファーがあって受けてからビックリしたんだけど、半期(要するに半年)1コースの非常勤講師料っていくらだと思います? 5万円行かないんですよ? いいですか、講義1回分ではなくて、半年分で、ですよ。毎週毎週半年教えて、全部でたったの数万円。交通費になるかならないか。こんなの正当な報酬じゃない。教えさせてやっている、に近い発想。バイト代以下だよなぁ。教えるに至る努力や知識や経験もまったく無視。いやぁ下には下があるなぁ、と驚きまくった次第。

とにかく、出版や雑誌や大学ってそれぞれみんな不況で悩んでいらっしゃるけど「そんな報酬で優秀な人が集まるわけない」という根本的なところから考えなおすべきだと思う。優秀な書き手や講師が集まらないから、どんどん内容がつまらなくなり、読者や学生から見放されるという負のスパイラルに陥っている。

お金のあるところに優秀な人は集まる。
まずコンテンツ・メイカーを優遇して報酬を増やすこと。それが業界不況脱出の一番優先すべきことだとボクは思うなぁ。ライターで高収入が得られる、となったら、優秀な人がその世界に入ってきて競争しだす。そうすればコンテンツは加速度的に面白くなっていく。他業界からも人材が流入してくる。でまた競争が起こって…、と、そういう正のスパイラルにならないと不況なんか脱せないと思う。

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内定者へのメッセージ

2008年08月20日(水) 8:23:35

数日前になるが、我が社の「内定者用冊子」のインタビューを受けた。

一日の過ごし方、とか、会社に入って一番印象深かったこと、とか、これからも残って欲しい我が社のいいところ、とか、自分の中の鉱脈、とか、いろいろ聞かれた後、「では最後に手書きでひと言、内定者にメッセージを」とリクエストされた。与えられたのは名刺大のスペース。ひと言? ひと言ねぇ…。

オサニチを長く書いていたし、今は雑誌「oggi」に「明日を変えるひと言」という連載コラムも持っている。そういう格言的ひと言には強いはずである。でもなぜか何も思い浮かばなかった。うーん、困った…。

苦しんだ末、最初に思いついたのは「社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え」という言葉。これは元々、ボクが新入社員当時に大ボスから言われた言葉。今でも守っているし、経験上とても役立った言葉だったので、まずはこれを書いた。

でもなぁ…。社内の人間とばかり飲んでいる人って、うちの会社には多いからなぁ。個人サイトに書くならまだしも、内定者用の冊子に「そういう人はバカなのよ」と言い切っちゃうのもどうなのか。配属部署によっては周りほとんどバカってことになっちまう。そりゃまずいかもしれない…。

で、次に思いついたのはタモリの座右の銘。「やる気のあるものは去れ!」

これはね、深いんです。深い上に、肩に力が入っている新入社員にはわりと効く言葉だと思う。でもなぁ…。内定者に向かってコレを言うのって、なんだかウケを狙ってるイヤらしさがあるよなぁ。というか、本当にやる気がある人(かつ、この言葉の深さがわからない人)が読んだら、とてもヤな気持ちになる気がする。んー…、これは書くのをやめよう。

切羽詰まって最後にボンヤリと浮かんだのが、パタゴニアの企業理念。「遊ばざる者、働くべからず」

あー。普通かもなぁ。でもこの言葉も深いんだよなぁ。ボクが日々守っている言葉でもあるしなぁ。まぁこれはこれでアリか。と、これは書いた。

さて、1つめと3つめ。見比べて悩む。どっちがいいっすかね。
なんとか選び、ありがとうと言ってデスクに帰って仕事をし、ふと「やっぱりあっちにしよう」と考えを変えてメールを出して変えてもらった。ま、どっちでもいいんだけどね。でもなんだか今でも迷ってます、ハイ。

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ヤマ、越えた

2008年08月21日(木) 12:03:04

昨日、8月20日はある種のヤマであった。
明日、つまり22日から夏休みに突入することもあって、その前に片付けないといけない仕事のピークであったことがひとつめ。週刊文春から鈴木敏夫著「仕事道楽」の書評を頼まれたのだが、それの〆切日だったのがふたつめ。「広告批評社主の天野祐吉さんとの対談」という、業界の方なら「うわー、それ、重そう!」とわかってくださるようなプレッシャーのきつい2時間がみっつめ。鮨職人・新津武昭氏が復活して週1日だけ握っているそのカウンターに座る、という、ちょっと鮨経験上では重要な夜になりそうだったことがよっつめ。

ここ数日の仕事量も厳しかったけど、〆切も厳しかったなぁ。
だいたい書けてはいたが、出だしがどうもしっくり来ず、最後の最後まで違和感あり。で、一昨日の早朝にウンコしてるとき一行目が突然にょろにょろとひねり出された(汚い!)。やはりトイレは発想の母。それを受けて一気に書き直し、なんとなく納得のいくものになったのが昨日の早朝。はぁ〜間に合った!

天野祐吉さんとの対談は、もうここ数ヶ月の重荷で、先週あたりからは重荷過ぎて「はよ終わってくれ」と願ったほど。天野さんの新刊が冬に出るのだが、そこに収録する対談で、5人のうちの1人になぜかセレクトされたのだ。固辞しまくったのだが、企画意図・セレクト意図などを出版プロデューサーに延々口説かれ、つい受けてしまった。あぁプレッシャーきつかった。
でも案ずるより産むが易しで、なんとか2時間話し終えた。対談って慣れていないので(というか、ちゃんとしたのは初めてに近い)、なんかしゃべる部分と聞く部分のバランスが上手に取れず、途中舞い上がってしまった部分もあり、後悔はいろいろあるが、まぁこれが今の自分の実力、ということだと思う。

新津武昭氏は鮨好きの間では有名で、伝説の鮨職人ということになっている。
藤本繁蔵の数少ない弟子のひとり。銀座「きよ田」で名を上げた鮨職人。ボクは15年ほど前に一度行っている。そのときはまだ鮨カウンターに慣れていなかったこともあって異様に緊張した。いまは西麻布の「鮨 青木」の奥の個室カウンターで週に1回だけ握っている。

仕入れは青木さんで、酢飯と握りが新津さん。「仕入れをご自分でしないと握りは変わりますか?」「もうそれは大きく変わります」とおっしゃっていたから、完全に新津さんの握りというわけではない。ブランクも7年ほどあり勘も鈍っているだろう。でも「鮨の歴史として欠かせない人を(ある程度鮨経験を積んだ今)食べる」という意味では貴重な夜。

昨日はカウンターはボクと同行者のふたりのみ。しかも同行者が遅れたので、20分ほどボクは新津さんを独占し、いろんな話を聞いた。
「きよ田」開店一日目に小林秀雄が来たことや、常連だった白州次郎との初対面秘話などから始まって、毎晩80本ビールの大瓶をひとりで飲んだという話(!)、「今では減って30本になりました」という話(!!)、それでも本当に毎晩飲むのだという話(!!!)、それも早飲みで20分で20本空けるのだという話(!!!!)。いや、ビールの話だけしていたわけではなく(笑)、でもその話ですっかり打ち解け、いろんな話で盛り上がったなぁ。

同行者が来てからもニコヤカな新津さんは付かず離れず、絶妙な距離感でいろんなお話しをしてくれた。「きよ田」の記憶ではこんなに饒舌な方ではなかったはずなのだが、もう終始ニコヤカで楽しげ。裏話もいろいろ。いまや有名店になったあの店の持ち逃げ話など、ここでは書けないことも多い。「左様でございます」が口癖でどんどん話にドライブがかかる。

握りは記憶よりずいぶん優しい。藤本繁蔵の先輩弟子おふたり(鈴木さんと舘野さん)と比べるのも何だが、おふたりより突出して優しい。もっとエッジが立った鮨だった気がしたなぁ、というのが最初の印象。
酢飯が絶妙。タネとのバランスも絶妙。「伝説の鮨だから」という有り難みは置いておいて、トップクラスにおいしいとは思った。最初に赤身5貫。その後もすべて2貫ずつというスタイル。新子、新烏賊、鯛、穴子、それぞれ良い。一品一品というより全体のコース・バランスがとても良い鮨。よく出来たソナタを聞いてるような気分になった。こういう気持ちよさは鮨では希少。

でも、えーと、もし興味を持って行かれる方がいらっしゃったら、お財布だけは分厚くして行かれた方がよろしいかと。高い鮨屋はいろいろ行ったけど、2位以下を大きく引き離して断トツの新記録。ボルトの200メートル決勝みたいな感じ。まぁ多少追加で握ってももらったが…。いやぁ参った。領収書も取らず自腹で払うふたりに女将さんはちょっとびびっていた。社用の方が多いのだろう。

冬には、こういう間借りではなくて、ちゃんと復活されるとのこと。東京の鮨地図がまた賑やかになる。すごく楽しみだけど、財布が…。

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イタリアへ行ってきます

2008年08月22日(金) 4:43:02

いろいろ仕事を済ませ、とりあえず夏休み前の仕事完了。
いまからイタリアへ家族旅行に行ってきます。

行くのはベネト州。ベニスの上の方ですね。
前にも書きましたが、漫画家ヤマザキマリさんが書いた「モーレツ!イタリア家族」の舞台である家族の元へ行ってきます(バッサーノ・デル・グラッパ)。3泊お邪魔して、あとはトレントで1泊。ソアヴェに2泊。ベニスに2泊。基本は田舎旅。でも、グラッパとかソアヴェとか、酒好きにはとってもいい名前の土地でしょ(笑)

田舎なのでネット環境が不安。更新できないかもしれません。そのときは後追いで更新します。

では、行ってきます!

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イタリア旅行第1日目「モーレツ家族」

2008年08月22日(金) 21:00:00

ということで、イタリア家族旅行。
ヴェネト州(ヴェネチアの上の方)を巡る、というマニアックな旅。旅のきっかけはこちらに書いたが、ポルトガルで知り合った漫画家ヤマザキマリさんの旦那さん(イタリア人)の実家に泊めていただくことになったのだった。彼女のマンガ「モーレツ!イタリア家族」の登場人物たちの元に泊まる旅。そこに3泊させてもらい、ついでにあと5泊その周りを回る、という感じ。イタリア旅行というよりはモーレツ家族に会いに行く、という目的の方が濃い旅である。

成田発11時のJAL。エコノミーだが非常口横の前が広い席がとれ、そんなに疲れなかった。
映画は「アフタースクール」「ぼくの彼女はサイボーグ」「アイアンマン」を観た。ずっと見逃していた「アフタースクール」はさすがに面白かった。でも男の子としては「アイアンマン」の楽しさに軍配をあげる。こりゃ男の子の夢の世界。若者が出てこずオッサンばかりなのもいい。最後の闘いなどオッサン対ジイサンだ。いいなぁ。本は待望のフロスト新刊「フロスト気質」をゆっくりと。やっぱこのシリーズは傑作だ。

パリのシャルルドゴール空港で2時間ほど乗り継いでヴェネチア空港へ。夜20時くらいに着いたのだが、21時くらいまで明るいこともあり、空からのヴェネチアの風景が絶景だった。

スーツケースを受け取って出口を出たらヤマザキマリさんと息子のデルス、そしてモーレツ家族の主人公的な奥さん(マリさんの姑)マルゲリータが笑顔で迎えに来てくれていた。
ちゃんと挨拶を、と思ってオタオタしていたら「それで予約したレンタカーはどの会社?」と聞かれ、すたすたとレンタカーオフィスへ向かうマルゲリータ。なるほどこういうペースか、と感心しているうちにマリさんとふたりでいろんな手続きをしてくれ、そのままパーキングにレンタカーを拾いに行き、あっという間に車に乗ってモーレツ家族の家へGOであった。早い…。レンタカーしたのはシボレーのワゴン車。夜だし右車線だしマニュアルだし、慎重に運転していく。先導はマルガリータ車。

暗い夜道を1時間半ほど走ってモーレツ家族の家へ。
バッサーノ・デル・グラッパ(Bassano del Grappa)という街の郊外。グラッパ山の麓に広がるのどかなところである。白アスパラ発祥の地だったり、地名通りグラッパ酒も作っていたりする。

モーレツ家族の家は、マリさんの本で予習済みだったので違和感はなかったが、思ったよりずっとモダンで素敵だった。マリさんの義父アントニオ(60歳)とその娘のローザ(20代)が迎えに出てくれる。あぁアントニオ、マンガと顔が同じ(笑)。ローザは超美人。シャイで優しい感じ。マリさんの旦那(彼らの息子)のベッピーノは仕事でシカゴに行っており今回は会えない。残念。

この家はアントニオの設計で、家具などほとんど彼の手作りでもあるらしい。発明家でもある彼の発明家具(ユニークなひと踏みステップ階段や傾いた本棚、隠し戸棚など)が家のそこかしこにある。彼は元々フェラーリの技師。デザインセンスもあり、家具もそれぞれ格好いい。でも家族に言わせると「使いにくい」らしい(笑)。工房は体育館くらい広い。いろんな秘密の研究をやっていて、設備投資とかとても個人レベルのものではないのだが、マリさん曰く「資金源は不明。謎」とのこと。まぁ元々資産家みたいなのでどっかにあるのだろう。

もう22時すぎなのだが、イタリアの夜ご飯は元々遅い。ボクたちを待っての夜ご飯。うれしいな。
キッチン横に大きなテーブルがふたつあり、どちらも10人くらい座れるのだが、そのひとつにみんなで座る。ワインが開けられ、大皿でお料理がどかどか置かれ、これを食べろあれを食べろと大皿が回ってくる、という、映画で観たようなイタリア大家族の食事風景だ。

この家はたいていのものが自家製。庭に農園があり、超ロハスな生活をしている。
自家製トマト、自家製アンティチョークが特に美味。生ハム・メロンも良かったし、ミートボールもおいしかった。「チーズの専門家が来る!(←優子のこと)」と、チーズ好きのアントニオが盛り上がっていたらしく、チーズもたくさん。そしてもちろんワイン。地元のプロセッコ。地元密造グラッパ。キーナ・マルティニ。ブランデー。謎の80度のお酒など。

さんざん楽しんで2階の部屋へ。
3つベッドがある部屋をボクたちのために使わせてくれた。洗面やシャワーもある。10畳くらいある落ち着いた木の部屋。

ヒコーキの中で映画三昧をしていて寝なかった響子はさすがにダウン。お酒が入ったせいもありボクもすぐ就寝。なんかまだたった数時間しかイタリアにいないけど、イタリア人の家にお邪魔しているせいか、妙にイタリアに馴染んだ気分。観光旅行ではこうはいかない。マリさんやモーレツ家族に感謝しつつ。

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イタリア旅行第2日目「26人の大パーティ」

2008年08月23日(土) 21:00:00

モーレツの朝はコケコッコーで始まる。
5時前から鳴き出した彼らの声で目が覚め、7時には本格起床。80度の酒やブランデーのせいかよく寝られた。

夜には暗くて見れなかった庭を眺める。絶景。遠くにグラッパ山。そこから畑が手前までずっと続いている。
「あそこに一本の大きな木が見えるでしょ。あそこまでがこの家の敷地」とマリさん。ひょえー広い。とうもろこし畑(飼料用)が3/4、あとは自家農園。自家農園にはありとあらゆる野菜が植えられ、なにやら200年まえの栽培法なんかも取り入れられているらしい。すべて無農薬有機農法。鶏や鴨もいる。犬は減って2匹になり、猫も少なくなったらしいが、十分賑やか。特に犬のビリー(本当はリリーという雌犬らしいが、みんなビリーと呼ぶ)は愛嬌振りまき系で、響子はすでに心を奪われている。カワイイ。

朝ご飯はその庭にて朝日を浴びながら。
でかいテーブル(この家のテーブルはどれもこれもでかい)に自家製サラミ(地下に熟成庫がある)、自家製パン、自家製野菜類、そして地元のチーズなどを広げ、コーヒーをいただく。実にシアワセ。暑くもなく寒くもなく、風は心地よいし食事はうまい。トウモロコシ畑がさわさわ鳴り、鳥がさえずり、犬と猫が歩き回る。極楽。

食事中も会話は賑やかだ。
マルゲリータは厳格かつ賑やかな働き者。明るく元気でマイペース。アントニオは研究者肌。温和で物静かだけどマイペース。このふたりのかみ合わないマイペースさがこの家の様々な騒動の元になっているようだけど、ふたりとも基本的にサービス精神旺盛で親切だ。そしてよく動く。じっとしていない(いられない)。感心するくらいじっとしていない(いられない)。とてもエネルギッシュ。マリさんによると「会って3日目くらいまでは大丈夫。あれでもこっちのペースに合わせてくれているから。でもそれを越すともう大変よ。振り回されまくるから」らしい。なるほどなるほど。

食後、ネットにつなごうと四苦八苦。
この家のPCは普通にネットにつながっているのだが、持ち込んだマックがつながらない。一瞬つながったのだが、またすぐダメに。おかしいなぁ。IPを厳密に設定すればつながりそうだが、でもいっそのことネットなしもいいかと思い直し、いさぎよく諦めた。

午前中はアントニオとマリさん、デルス、そしてボクたち3人、車2台で近所を案内してもらった。
まずは「Diesel」の工場横にあるアウトレット。Dieselって、ここバッサーノ・デル・グラッパが発祥なんだって。知らなかった。社長はバッサーノの街に25歳くらい年下の美人と住んでいるらしい。てっきりアメリカの店かと思ったらイタリアなんだね。最近わりとDieselを着るボクは喜んで買い物。工場横のせいかB級品なんかも置いてありなにしろ安い。本当の意味のアウトレット。いろいろ見て、結局37ユーロと39ユーロのシャツを二枚買った(定価では140ユーロくらいのもの)。ピンクとムラサキ。

次に地元のオシャレなワイン屋。
実は今日はアントニオの60歳の誕生日。夜は地元の友人たちが26人来宅しパーティになるという。そこで飲まれるワインを仕入れるのである。
この店、一本一本買うというよりは箱買いの店で、驚いたのが店内にガソリンスタンドみたいなマシンがあって、そこから自分で持ってきたタンクにホースでじゃばじゃば注ぐという買い方。イタリアではワインはまさに日常に欠かせないものなのだなぁ。

そこから、人間チェスで有名な街マロースティカに行き、ここ近辺では一番の品揃えといわれるチーズ屋「Casa del Parmigiano」へ。
実はアントニオが異様なチーズ好きと判明。かなりマニアックに好きなようで、技師をやめてチーズ屋になろうかと画策しているほどなのだ。で、優子とふたりでそのチーズ屋のマエストロとチーズ談義に突入するものだからたまらない。長いのだ。ボクは途中で飽きて、子供たちを連れてジェラート屋へ行ってイタリアン・ジェラートを堪能。本場のジェラートはさすがにうまいけど、最近日本も追いついたんだな、と確認。

一度家に戻って荷物を置き、総勢8人で「Vecchia Trattoria DA DORO」へ。
スローフード協会からの認定証をもらっていたり、イタリアのマニアックなグルメ本で絶賛されているわりには交通の便もあってか空いていて、観光客にも無名な、知る人ぞ知る穴場店。マリさんの本には「看板が出てない名店」として出てくるが、どうやら看板をつけるようになったらしい(小さくて見逃す程度だけど)。素材を厳選し、バターや砂糖を全く使わないイタリアン。田舎の小さな小さな街の小さなレストランとは思えないほどモダンな料理で、盛り付けも美しい。スローフードを基本にしつつ、前衛も忘れない感じ。

前菜の鱒のムースが絶品だった。胸腺肉を使ったリゾットも素晴らしい。ホロホロ鳥とフンギのパスタ、カタツムリとポレンタなども良かったな。ピーチのセミフレッド、温かいチョコのタルトも良し。とっても都会的な料理である。地のワインもおいしかった。マスカットの甘い微発泡ワイン(アスティ)をちょっとだけ響子に飲ませたら気に入ってしまい、数杯飲んだ。これが響子の「酒をおいしいと思った」初体験(笑)。旅の地での印象的な初体験は人生を豊かにする。うらやましいくらいである。

シェフのScapin Giovanniはとにかくよくしゃべる。客席でずぅっとしゃべっている。
「いつ料理をしているのか不思議になるでしょう?」とマリさん。まさにその通り。あんなにしゃべくっているのに料理は待たせずサササと出てくるのだ。でも彼のトークがこの店の良さの数割を締めるので文句はない。そういう意味では、イタリア語、それもヴェネト方言のイタリア語を解して通訳してくれるヒトが同行しないと楽しさ半減する店かもしれないので注意が必要。

一度家に帰って休み、疲れ切った響子(時差で死んでいる)とデルスを置いて、ヤギのチーズを作っている農家にお邪魔し、ヤギのチーズを作る工程を見学させてもらった。アントニオと優子、大盛り上がり。このふたり、昼のチーズ屋以降、意気投合したらしい。チーズ好きの連帯感恐るべし! 帰りには地元の小さなスーパーにも寄った。地元に根付いた小さなスーパーって大好き。面白すぎる。

さて、夜は20時からパーティ。
26人の大宴会。これだけの人数が着席できる、ということでこの家の広さをわかっていただけると思う。というか、椅子の数が足りているのがスゴイ。

長くつなげられたテーブルに大皿とワインとコップが数限りなく並ぶ情景はまるで古いイタリア映画のよう。モーレツ家族の特徴としてパスタを食べないので(アントニオが炭水化物を控えている)、「イタリア家庭のパスタはどんなだろう」と楽しみにしていたボクとしては少し残念だったが、それ以外のマンマの味が充実しているので気にならない。生ポレンタ、クスクス、数々の野菜、煮込み系などの大皿が次々と手渡しで回ってくるのと別に、お客さん自らが26人を巡ってよそっていくというパターンもある。箱で買い込んだワインが次々空く。

ボクたち家族のすぐ前に、地元では有名な食評論家のオジサンが座り、優子とチーズやワイン談義の花を咲かした。途中音楽家によるピアノ演奏で「ハッピーバースデイ・アントニオ」の大合唱もあり、オジサンたちとのボード型サッカーゲームの対戦もあり、とにかく賑やか。
というか、イタリア人、全員が口を開いてしゃべっている。聞き役がいない。全員明石家さんま状態。これがスゴイ。んでもって「じゃ、帰るね」と立ち上がり、チャオを言い合ってから1時間くらいしゃべり続けてたりする。日本の静かなホームパーティとは別物。喧噪きわまる。いい意味で。

言葉が通じない上に疲れもあり、ボクたちは23時くらいに部屋に退散。マリさんをずっと通訳にしているのも悪すぎるし。で、即寝。夜半に大雨・落雷があったのはうっすら覚えている。でも雷よりも1階のお客さんたちの声の方がでかい(笑)

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イタリア旅行第3日目「ドロミテ!」

2008年08月24日(日) 21:00:00

朝9時起床。結局25時すぎまでパーティをしていたみたい。
9時間ぶっつづけで寝るなんて健康な状態でなら数年ぶりじゃないかと思う。あぁよく寝た。

下に降りていくとモーレツ家族はみんな活動を開始していて、部屋はすっかり片づいていた。
つい数時間前まで26人の大パーティをやっていたとは思えないほどきれい。マルゲリータの働きぶりがすごい。アントニオは「天気がいいから佐藤家族をドロミテ渓谷に連れて行きたい。すぐ行かなくちゃ。いったい彼らはいつ起きてくるんだ」と朝早くからそわそわしていたらしいが、マルゲリータやローザから「お客様のペースを少しは考えなさい。彼らは長距離の移動と時差で疲れてるの」と強く叱られたそうで、なんだか元気がない。でも机の上に今日行くドロミテの本や地図が重ねられ、相当予習をしてくれていたみたいだ。うれしいな。

昨晩のパーティの残り物で簡単に朝ご飯。
とはいえ、自家製パンや自家製マーマレード、自家農園の野菜の数々、自家熟成のサラミなど充実の食卓。イタリアの国民食と言われるヌテッラも経験できた(正確に言うとヌテッラと同じ味だが違うメーカーのもの)。

わーっと出してわーっと食べてわーっと片づける。少しこの家の「わーっ」なペースが掴めてきた。料理しながら食べて、食べながらすでに片付けてる印象。必ず誰かが立ち上がっていて何か働いている。
ローザが「ごめんなさいね、慌ただしい家で」みたいなことを言うが、いえ?とっても楽しいですよ?という感じ。でもマリさんに言わせると「これが楽しいのは3日まで」とのこと。確かに彼らが「わーっ」と動いているとこちらも座っていられずいろんな手伝いをしてしまうのだが、そのうちこれが農作業や家の修理などにも拡張していき、疲れ倍増になるらしい。特に嫁であるマリさんはつらいだろうなぁ。

午前11時くらいにドロミテ渓谷に出発。
ドロミテとは山塊という意味のイタリア語。アルプスの麓、イタリア側に広がる岩だらけの山と緑の草原地帯。車でわずか2時間弱で「ハイジ」の雰囲気を味わえる景勝地らしい。

モーレツ家族とうちを合わせて8人。車2台。配車はアントニオと優子(すっかりチーズ好き同志意気投合して異様に仲がいい)、デルス、響子(同じ歳で日本語ベラベラのデルスは響子のよき仲間)が一台目。道中ずっとチーズや地理や歴史の話題でアントニオと優子は盛り上がっていたらしい。ふたりとも中学2年生レベルの英語なのでちょうど合うのだ。
二台目はボクが運転して、マリさんとマルゲリータとローザ。こちらはこちらでマリの通訳でいろいろ盛り上がる。物静かなローザがわりとずっとしゃべってくれて、日本の生活なんかについていろいろ話す。

天気がいい。ド快晴。「今日はありえない天気だわね。美しすぎる」とマルゲリータ。
マリさんも「こんなにくっきり山が見えるのは初めて」と言う。昨晩、25時くらいにどしゃぶりの雨が降り、朝は冷え込み、ドロミテに行くにはベストな天候になったらしい。確かに異様にクッキリと山が見える。スコットランドのスカイ島ですら晴れさせた「晴れ男」の面目躍如(笑)※そのうち写真もこの辺からリンクします※

アルプスの麓あたりは昔オーストリア領だったらしくドイツ語が通じるらしい。家もチロル風が増え、イタリアっぽくないが、イタリア人にとっては自国内で異国を感じられることもあり、その絶景さも手伝って、ローマなどの南からも車で訪れるくらいな景勝地らしい。近づくに従ってその絶景さに言葉をなくす。こりゃ素晴らしい。しかもクッキリ加減が半端じゃないので、いちいち車を止めて写真を撮りたくなる。

地元民(モーレツ家族)と一緒なので観光客があまり来ない絶景ポイントに行けるのがうれしい。
FonzasoからFiera di Primiero(観光地)を抜け、昼ご飯はそこから東に山を入っていった「Chalet Piereni」というシャレー(山小屋)の裏の絶景ポイントでピクニック。山裾の草原に敷物ひろげてスプマンテを飲みながらメロンやらトマトやらチーズやらをパンとともに。いやぁ、絶景すぎ。天気よすぎ。雰囲気ハイジすぎ。「ハイジ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を足して2で割った感じで、日本人なら誰でも魅入られる状況だ。
腹が落ち着いたらみんな草原に寝ころんで昼寝。あ、アントニオだけはこんな時も本を手放さずずっと読んでいた(笑)。いずれにしても極楽である。

次のポイントに行こう、ということで、車に戻って極細山道を行く。対向車が来たら崖に落ちそうな山道。
途中「これはハイジが住んでいるとしか思えないだろう」という穴場を通ったりもした。観光客もここまでは来ないような穴場。でもそこに止まらず、ずっと登っていき、途中から大きな道に出て、観光地S.Martino di Castrozzaも抜け、いろは坂みたいなカーブを数多くこなし、カウベル鳴り響く牧場に辿り着いた。

ここも絶景。Passo Rolleというスキー場のようである。
海から隆起した白の山塊と、マグマが固まって出来た黒の山塊が対照的に観察できるポイントで、いかにもアントニオ好み。ボクの横に寄ってきて「見てごらん、山の色が違うだろう? こっちは海で、こっちはマグマだ。pH値がね、こちらは○○で…」と説明してくれる。基本的には中2の英語なのだが、難しい説明になるとイタリア語が混ざるので訳わからず。ボクはそういう説明わりと好きなのに残念だ。

この時点でもう午後4時。イタリアは午後9時くらいまで明るいから焦りはしないが、でもそろそろ帰ろうか、ということに。
ただ、帰る間際にマルゲリータが牧場脇に生えているクミンを見つけてしまい、みんなでクミン・シード収穫に血道をあげることに相成る。ここらへんの脱線具合&熱い情熱&超マイペースな感じがモーレツ家族。もう慣れたが、確かに毎日つきあうとちと大変かも。なにしろ息子のベッピーノ(マリさんの旦那)や娘のローザですら「この家はついていけない」と嘆息するくらいなのだから。

ちょうど「夏のバカンスも今日まで」という日に当たってしまったらしく、帰り道は大混雑。抜け道に入ったところで先導するアントニオ車が迷い、ボクたちともはぐれた。まぁこっちの車にはマルゲリータがいるから安心なのだが。
家にはボクたちの車が45分も早く到着。夜8時くらい。アントニオ車は呑気に観光をしていたらしい。マイペースだなぁ。

こっちの車にマルゲリータやローザやマリさんがいたせいもあり、彼らが到着するころには夜ご飯の準備があらかた済んでおり、もうボクたちは飲み始めていた。右車線&山道運転で疲れたボクはすぐに酔っぱらい、妙に楽しく。途中から言語中枢に支障を来したほど(笑)。ご飯はパーティの残りを消化しつつ、トゼーラというチーズをオリーブオイルで焼いたものや、ポレンタ、スープなども加わりおいしい。今日のピクニックでまた親しさが加速して、わいわいと賑やかな夜ご飯になった。

グーグル・マップのストリート・ビューで日本の我が家を見せたり、マルゲリータがアフリカのマリ(国ね)へ行った時の写真を見たりしているうちに夜も更け、就寝。今日も盛りだくさんだった。ありがとう。ちなみに今日覚えたイタリア語は「カスピタ」(マジ !?)、と「バスター」(もうたくさん!)。

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イタリア旅行第4日目「グラッパ、そしてお別れ」

2008年08月25日(月) 21:00:00

鶏の声に目が覚める。昨日よく寝たせいか調子はよい。
今日でモーレツ家族ともお別れ。朝8時くらいからいつものように大テーブルにいろいろ並ぶ朝食。「でもいつもはこんなに並ばないわよ。お客さんが来たときだけ」とローザ。なるほどそりゃそうか。

午前中はマリさん母子とバッサーノ・デル・グラッパの街を観光。
家から車で10分くらいだろうか。もともとこの街の目抜き通りにモーレツ家族は大きな家を持っていたのだけど、あるとき急に田舎暮らしに目覚めて引っ越したらしい。

この街はポンテ・ベッキオと呼ばれるイタリア最古の木橋で有名。駐車場(勝手に車のナンバーを読み取ってくれ、そのナンバーで精算をするハイテクな有料駐車場)に車を止めて古い通りを歩く。
月曜朝なので店はあまり開いてないが、季節モノのポルチーニ茸を揃えた食材屋さんはだいたい開いていて、それらを眺めてるだけでも楽しい。木橋やら川やらを見たあと、木橋のたもとにある名物の古いグラッパ・バーへ。カンパリとグラッパをベースにした赤いオリジナル・カクテルが有名らしく、夜は激混みするらしい。朝なのでまだ空いていて、川を眺めながらゆっくり飲む。デルス(マリさんの息子。中2)はボクたちと別れたらもう日本の話をする人がいないので、必死に日本のテレビやらジャンクフードやらの話をする。ポルトガル語、イタリア語、日本語が堪能な彼だが、日本が一番好きらしい。好きというかエキサイティングだと言う。確かに日本は中学生くらいにとっては刺激に溢れて感じられるだろうなぁ。

グラッパの「POLI」の店にある小さなグラッパ・ミュージアムを見たあと、昼ご飯。
マリさんオススメの「Ristorante Pizzeria al Saraceno」。マリさんというよりモーレツ家族が常に行きつけにしている店らしく家族ぐるみのつきあいっぽい感じ。ピッツァとパスタで軽く。ナポリ出身のシェフらしく、ピッツァはナポリ風。ピッツァ・バッサーノという白アスパラを使ったバッサーノ風ピッツァが美味。ポルチーニ茸を使ったパスタも濃厚な美味。全体に塩が強めだが、これが現地の塩加減なのかも。

一度家に帰ってひと休み。アントニオの発明品(数千万円投資した本格的な物品)を見せてもらい、説明を受ける。これ、日本で売ったら絶対売れる。でも「まだ完成品ではない。真の完成を見るまでは売れない」とガンコなアントニオ。まぁガンコなのは発明家の資質のうち。待つしかない。

夕方、家のすぐ近くのグラッパ工場を見学。「CAPOVILLA」というメーカー。
地元でも高級グラッパとして知られている蒸留所で、家族経営っぽい造りだけど、設備は相当近代的な上に作り方の厳格さはイタリアでもトップクラスらしい。加糖・加香を含めて全くの無添加はイタリアではここだけ、と彼らは強調する。特に様々なフルーツから作ったグラッパがすごい。無農薬有機栽培で作ったフルーツを丸ごと熟成させ、香料も一切使わず丁寧に丁寧に仕上げていく。一通り説明を受けたあと元エンジニアのオーナー(独立してグラッパの道に入った)も出てきて桃の熟成工程を見せてくれた。試飲させてもらったが、普通のグラッパはもちろん、桃のグラッパ、梨のグラッパ、ベリーのグラッパなど絶品だった。こりゃすごい。

まだ日本では無名。でも説明をしてくれた女性は「日本のレストランにも入ってます」と、一覧を見せてくれた。10軒くらい。このグラッパ目当てに食べに行くぞ。というか、これだけ熱のこもった説明を受け、厳格な作りに触れると、ここ以外のグラッパは欲しくなくなってしまうよ。

数本買い込んで帰宅。いよいよモーレツ家族ともお別れだ。
アントニオと名残惜しい別れをして出発。高速に乗る途中にある「STEFANEL」のアウトレットにつきあってくれたマルゲリータともそこでお別れ。マリさんとデルスともそこでお別れ(ローザとはバッサーノのリストランテで別れた)。急に寂しくなるけど、なんかお別れという感じがしないのはたぶん再会の予感があるから。来年だか再来年だかに必ず会えるだろう。

もう19時すぎ。
今日の目的地トレントには夕方には着いているはずだったのだが、すっかり遅くなった。まぁ21時までは明るいから、と気楽に出発した我ら3人家族。トレントはトレンティーノ・アルト・アディジェ州の州都。バッサーノ・デル・グラッパから100キロくらい北上する。高速なので1時間強で着くと目論んだのだが…甘かった!

バッサーノでも薄々感じていたのだが、イタリアは(とりあえず北部に限っては)道が異様にわかりにくい。標識もとてもわかりにくい。運転もとてもしづらい。
高速でトレントまで行けたのはいいが、そこからホテルまで迷いに迷った。ホント、わけわからん。ホテル予約時にマリさんから「トレントは市内がわかりにくいから、市外のホテルの方がいいわよ」と聞いていたので、比較的わかりやすい市外のホテルにした上に、アントニオにも詳細に行き方のレクチャーを受けていたにも関わらず、迷いに迷った。空も真っ暗になり、いまどこにいるかもわからなくなり、小さなガソリンスタンド(無人)で絶望的に地図を眺めているとき、地獄に天使、おねえさんバイカーに巡り会い、道を丁寧に教えてくれた。イタリア語だったがなんとかわかった。そのまま無事にホテル「Maso Wallenburg」に辿り着きチェックイン。あぁ疲れ切った。1時間半は市内市外をうろちょろしていたぞ。

もう22時。でもイタリアではこの時間から夜ご飯なんて珍しくないのでどこかに行こうかと思ったが(ホテルに食堂はない)、またトレントの街に出て迷うのも怖い。ホテルの人が言うには車で5分のところにいい店があるというが、そこに出るのも怖いくらい迷ったので、もう出たくない。
ということで、手持ちのパンとかで夕食を済ませた。このボクが夕食を諦めたくらい迷った、ということでこの迷い具合を理解していただけるのではないだろうか(笑)

ぐったりと就寝。ホテルはとてもキレイで、部屋は清潔。朝起きてみてわかったが、荘園をホテルにしているようで葡萄畑がまわりに広がっている。この荘園のオリジナルワインもあるようだ。

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イタリア旅行第5日目「麗しのメラーノ」

2008年08月26日(火) 21:00:00

朝8時くらいまでグッタリ寝。優秀なナビゲーターとして我が家で名を馳せている優子も、迷ったことがショックで落ち込んでいる(笑)
今日もまた快晴。今回は天気に恵まれすぎ。少し葡萄畑を散歩したあと、コージーな朝ご飯を食べ、ワインショップでこの荘園オリジナルのワインを買い込み、出発。とりあえず「魔の街トレント」の市内見学をしようと思ったが、市内でまた迷う(笑)。でも、昨晩・今朝と迷いまくっている間にほとんどトレント市内見学が終わっていることにも気づく。まぁもういいか、次の目的地へ行こう、と出発。

今日はもっと北へ行ってみよう、と決めていたので、とりあえずボルツァーノ(BOLZANO)を目指す。高速に入りそびれたので地道で移動。でも最近日本で流行のトレンティーノの白ワインを作っている葡萄畑の真ん中を走ることになり快適。リンゴなどのフルーツも多く作っており、景色も実にキレイ。

ボルツァーノはなんか中途半端な街っぽいので、そこはそのまま通り過ぎ(途中のORAという村が良かった)、そのもっと北、ほとんどオーストリアとの国境付近にあるメラーノ(MERANO)という小さな避暑地を目指すことに。結局午前11時すぎくらいにメラーノに到着。
このメラーノという街、日本で行ったら軽井沢って感じだろうか、高級な温泉避暑地らしいのだが、結果を先に言うと「異様に美しくて良かった」。山々が迫る中にあって市街は美しく、高級ブティックや小洒落た店が並び、オシャレした人々が闊歩する。でも適度に田舎でこぢんまりしているのだ。季節もよく花盛り。山と川と新しい教会と古い教会とドゥオモ。日本人にはほぼ無名だが、この街は拾い物だった。

駐車場に車を止めて散歩。
広大で美しいテルメ公園(近代的でものすごくきれいな湯治センターを内包する)を抜けてPASSIRIO川の周りへ。美しい景色にしばらく見とれたあと、街一番の繁華街らしいPORTICI通りを歩く。原宿の竹下通り程度の細道なのだが、周りにぎっしりブティックやレストランが並び、歩いているだけで楽しい。途中の「Flora」というレストランで昼ご飯。全体に塩がきつい。スペックという名物ハムのピザやキノコのパスタなどを食べ、異様に出来のいいデリカテッセン(「Seibstock」という名の店だった)に惚れ、また歩いてジェラートを食べ、名もない古い教会の席に座ってボンヤリし、と、市内を堪能。ここは一泊か二泊で来たいな。日本人好みの可愛い景勝地だ。

メラーノに後ろ髪引かれつつ別れを告げ、南へ戻る。
高速をひたすら走り、1時間後には「魔の街トレント」を過ぎて高速を降り、ガルダ湖へ。
ここでまた少し迷い、ナビ優子は「イタリアは難しすぎる」と嘆きまくる。助手席でどれだけ地図を見てても酔わない地図好きの彼女をして迷わせるイタリアの道は超上級者向きだ。

イタリア最大の湖ガルダ湖の東岸沿いを約50キロ、ひたすら南下。
予想に反して超リゾート地で、沿岸は開放的な気持ちの良い風景と人々の水着姿で賑わっている。天気がよく気温が高いのも手伝って人出が多い。最北部など湖上はウィンドサーフィンの群れで渋滞しているほど繁華である。
湖を右に見ながらの気持ちのいいドライブ。建物もオシャレだし糸杉もきれいだ。湖というよりほとんど海な雰囲気。途中ボルドリーノ(Boldolino)という街で車を止めて散策。あまりの暑さにコーラとジェラートの一気食べ。雰囲気はほとんど南仏。カンヌやニースの空気に似ている(まわりのリゾートらしさも)。素晴らしい。

最南部まで下がってガルダ湖に別れを告げ、高速に戻ってヴェローナを通り過ぎ、今日の最終目的地ソアヴェへ。ここのアグリ・ツーリズモ(現役の農家を改造してホテルにしている宿)に泊まる。ソアヴェは白ワインで有名。隣にはヴァルポリチェッラというこれまた有名な赤ワインの畑の産地もあり、この辺、イタリアワイン好きにはたまらない土地である。

高速を降り、さて宿へ、と思ったら、そこが宿だった(笑)
「MONTE TONDO」という宿。アグリ・ツーリズモなのでもっと奥まったところにあるかと思ったら高速横だった。これは誤算。葡萄畑の真ん中にある雰囲気のいい宿で、入り口も立派。石畳のエントランスには糸杉とオリーブ。レセプションの雰囲気も感じの良さも最高で、評価サイトでの評価もとても高いのだが、高速横というのは惜しいなぁ。
部屋はメゾネットで、農家っぽく木をふんだんに使用したいい部屋だが、窓が小さく暗い。バルコニーもない。まぁ基本的に農家体験なので文句はないが少し残念。他はグッド。この葡萄畑で作っているソアヴェはとてもおいしいらしいし、ワイナリーも見学できる。ソアヴェ市街までも歩いて30分ほど。とてもいいんだけど、高速横と窓だけが欠点。

荷物を置いて、ソアヴェの街へ。
古い城と城壁に囲まれた小さな街だが趣はとてもいい。
街のほぼ真ん中にある「Enoteca Al Drago」という雰囲気のいいワインバーでまずはソアヴェ。いろんな種類が置いてあり迷う。冷えていてうまい。その後、宿で勧められたレストランをいくつか訪ねるも、バカンス時期なのか休みばかり。「Trattoria Dal Mord」「Ristorante Amleto」にふられ、結局「Ristorante Al Gambero」の横の「Osteria La Scala」へ。

まぁここしか開いてなかった、ということもあるが(最初に行った「Enoteca Al Drago」でも食事は出来るが)、でも意外とおいしく、それなりに満足。特にヴェネト風スープパスタがとても良かった。前菜盛り合わせの焼いたポレンタや生ハムもおいしい。木をふんだんに使った店内は中世そのままの雰囲気。地酒であるソアヴェやヴァルポリチェッラ、リパッサ、アマローネを飲みながら。

長時間運転(約10時間)の疲れか、わりと酔ったので宿に帰って即寝。

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イタリア旅行第6日目「楽しやヴェローナ」

2008年08月27日(水) 21:00:00

朝6時起床。
またまたド快晴。毎日昼は暑く(30℃ちょい)、朝晩は涼しい(18℃くらい)。快適な気候。

宿で朝ご飯を食べたあと、ソアヴェの丘をドライブする。
この地の80%が葡萄畑ということでそれは「世界一」らしい。丘に沿って細道を上ったり降りたり。農道と普通の道との見分けが難しく、何度も農道に迷い込んではUターンする。丘のてっぺんの葡萄畑以外何もないところにもアグリ・ツーリズモがあり、とても憧れるがここに来るまでが細道の迷路。この宿を予約しても二度と来られないな(笑)

ソアヴェの丘をボクたちほど知っている日本人は(専門業者を除いて)他にいないぜと思うくらい細道を走り回ったあと、平地に戻り、ヴェローナ(Verona)へ。

ソアヴェから一般道で30分くらい西のこの街は、「ロミオとジュリエットの舞台の地」としても知られている。もちろん「ロミオとジュリエット」は(史実を元にしているとはいえ)シェークスピアの創作なので、本当にこの街が舞台というわけではないが、ちゃんと「ジュリエッタ(ジュリエット)の家」とか「ジュリエッタの墓」まである。

街についたのが13時くらいだったので、ヴェローナの市外(城壁外)にあるトラットリア「Trattoria San Basilio」へ。
ここはミシュランに載っている店(無星だけど)。でもミシュランを持ってこなかったので住所はわかるが地図がわからない。で、例によって迷いまくり。市外東の入り組んだ道を走り回り、人に聞きまくって、もう諦めた頃に偶然見つけた。

でも、見つかって良かった。この店は実に良かった。
天気がいいせいもあるが、緑の生け垣に囲まれた中庭のテーブルに通され、シェフ(フルーツ柄のパンツがド派手)自ら英語でメニューを説明してくれた。んでもって料理がまたいい。ボクはここで食べた「ポレンタのポルチーニのせ」とデザートの「マスカルポーネのムース」が忘れられない。激うま。あ、同じくデザートでもらった「ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリーとかのフルーツ盛り合わせ」も絶品。地物のベリー類の実力を知った瞬間。
他にも「ほうれん草とリコッタのカネロニ」「タレッジオ味のリゾット」「ラムのコートレット」「鳥のベーコン巻ソアヴェ煮込み」など、どれもうまひ。リゾットだけちょっと塩が強かったが、これは北イタリアの料理店で何度も経験したこと。これが本場の塩加減なのだろう。
塩と言えば、「ラムのコートレット」のとき、シェフが「この料理は塩で味付けしていないから、これらの塩をそれぞれ楽しんで」と塩を4種類持ってきた。普通の塩と、デンマークのスモークした塩。ヒマラヤの岩塩。ハワイのレッドソルト。このうち、スモークした塩がとてもラムと合った。これ、欲しいなぁ。

すっかり満足して、城壁内へ車を走らせる。
ここでまた大迷い。こうして迷った話ばかり書いていると運転能力&ナビ能力が無いみたいだが、さにあらず。ポルトガルでもどこでもほとんど迷わないくらい地図読み能力のある家族である。でもイタリアは無理。もしくは相性が悪い。標識はわかりにくく道も入り組んでいる。とにかくわかりにくいのだ。市外東部から城壁内に入ろうとしただけなのに、北部の城横にいる。どう考えても南部にいるはずなのに北部にいる。トレントといいヴェローナといい、わかりにくすぎ!

と、迷いつつ、なんとか城壁内に車を駐車し、まずはエルベ広場へ。
ヴェローナって、あまり日本人が観光に行かない街だと思うのだけど、この街は素晴らしいな。歩き始めて数分で「他の街にも行こうと思っていたけど、今日は終日ここで過ごそう!」と家族全員が一致したくらい良い感じ。

エルベ広場の市を楽しみ、そこからジュリエッタの家へ行って観光客の渦にもまれ、家から東へ二本目、Coinという小さなモール横の小道を入ったところにある古くて趣ある書店兼文具店で鶏の可愛い置物を買い、その先の感じの良い八百屋を見、アレーナ(ローマ時代の円形劇場)がある広場手前の「Venchi」というジェラート屋で棒キャンディーを買い、アレーナ広場のベンチで休み、カフェでエスプレッソを飲み……、と、ヴェローナ中心部を堪能した。

特に「Venchi」というジェラート屋のジェラートが気に入り、帰りがけにもジェラートを買った。
スウィート類に疎いので知らなかったが、この「Venchi」はチョコで有名な店。それの直営ジェラート店らしく、ここだけ行列(短いけど)。他の街でもいろいろ食べたけど、ここのジェラートがいまのところ一番。日本に出店したら受けるだろうなぁ。アレーナ広場からジュリエッタの家へ向かう道沿いにある。アレーナ広場から数十メートル。

昼ご飯をまともな店で食べて満足していたのと、暑くて(31℃)水分やジェラートを摂りまくっていたのとでお腹があまり空かず、夜ご飯は宿(昨日と連泊)に食材を持ち込んで軽く済ますことにした。
ソアヴェの葡萄畑にあるだけあって、宿の冷蔵庫にソアヴェの白ワインが常備されている。それを飲みつつ、さっき見た八百屋でフルーツを買って、食材店でハムとかパンを買って、ゆっくり食べようという魂胆。娘の響子にずいぶん旅の疲れが出ていたのも理由の一つ。

で、ゆっくりソアヴェに帰って宿の部屋で夜ご飯。21時くらいから。
昼のトラットリアのデザートのフルーツでその実力を認識していたブルーベリー(超甘い)、黒葡萄、異様にうまいプチトマトなどを大皿に並べ、食材屋で買ったモルタデッラ・ボローニャというハム(絶品)にパン。そして部屋の冷蔵庫に入っていたMONTE TONDOのソアヴェ。とても極楽な食卓である。んでもってベッドがすぐ隣にある。これまた極楽。

本当はヴェローナのアレーナで屋外オペラをやっている時期だったのだが(今日の演目は「カルメン」。明日は「アイーダ」)、21時開演で終演が午前1時とかなので、響子のことも考えて諦めた。

ワインと超うまい果実に酔ってそのまま即寝。

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イタリア旅行第7日目「酷暑のヴェネチア」

2008年08月28日(木) 21:00:00

朝6時前に起床。今日もド快晴。東京はボクたちが離れてからずっと雨模様で肌寒いらしい。

昨日ソアヴェの街中にいい食材屋を発見していたので、そこにチーズなどを見に行く。
「La Casara e non solo」という店。朝8時からやっている。さすがにワインがうまい土地にはいいチーズを置いている店がある。店の超親切なオジサンと長々話して地元のチーズを買い、昨日と同じくヴェローナの街へ。

ヴェローナの国鉄駅でレンタカーを返却。鉄道でヴェネチアを目指す。
これは「鉄子」である優子の希望。ボクもヨーロッパの鉄道は嫌いではないのでいいのだが、ワインなどを買い込んだ荷物は強烈に重いということともう50歳近いということを彼女は失念している(笑)。しかも電車には待ち時間がある。ヴェネチア行きの列車は1時間30分待ち。うーん、こんなことなら素直にレンタカーでヴェネチアに入った方が賢かったかも。

駅の待合いカフェみたいなところで1時間半「フロスト気質」などを読んで過ごし、12時43分、ようやく待望の列車到着。強烈に重い荷物を列車に担ぎ上げ(ホームが低いから大変)、狭い通路を荷物を縦にしたり横にしたりしながら2等のコンパートメントに入るだけで体力消耗。
学生時代にこういう旅をした。ユーロレイルパスを使った1ヶ月のヨーロッパ貧乏旅行。それを鮮烈に思い出す。都市から都市への2等車移動が貴重な睡眠時間だった。もう今の体力ではあんな旅はできないことを実感する。あれは25年前のことなのだ(!)

ヴェローナからヴェネチアは1時間30分。ヴィチェンツァ(Vicenza)、パドヴァ(Padova)を越え、ヴェネチア・メストレ駅(VE Mestre)に到着。
島のサンタルチア駅ではなくひとつ手前の駅のホテルを選んだのは、マリさんの「重いスーツケースを持って島に入るのって大変。島内は車が走ってないから宿までの手段が水上系しかなくて大変だし、古いホテルが多くてエレベーターも少ない」という忠告に従ったもの。ひとつ手前の駅前に宿をとり、島へは電車で10分かけて通った方が賢いというのである。これはね、あとでわかるけど正解だった。荷物が少ないとか長期滞在するとか高級ホテルに泊まる場合は別だけど、荷物が巨大とか数泊とか4つ星程度のホテルに泊まる場合、島内に宿を取ると荷物の移動だけで一苦労だしお金もずいぶんかかる(水上タクシーとかポーターとか)。島外に泊まって荷物を置き、身一つで島に遊びに行った方が便利である。そのうえ予約した「Hotel Plaza」はまさにヴェネチア・メストレ駅の真ん前。列車を降りて1分で着く。

ホテルに入ったのが14時30分。まだランチをしておらずお腹が空いたのでメストレ駅の食堂でパニーニを食べてお腹を紛らわす。この駅食堂のパニーニ、お腹が空いていたこともあるが意外とおいしい。

メストレ駅からサンタルチア駅までは本数も多く、来た列車に適当に飛び乗る。改札も検札もないのでタダ乗り。払う気は満々なのだけど(笑)
10分後にはサンタルチア駅に着いて、いよいよ最終地のヴェネチアである。ボクは大学生時代以来2回目の訪問。25年ぶりである。

暑い。酷暑だ。
そのうえわりと疲れ切っていたので水上タクシーとかゴンドラ、ヴァポレット(水上乗り合いバス)とかを利用しようと思ったが、話し合いの結果「今日は疲れてるから近場見学でいいじゃん」ということになり、近辺散歩へ。でもなんとなく「Per San Marco」という表示に沿って歩いていったら結果的にサン・マルコ広場への片道2時間程度の散歩になってしまった。迷路のような細道をゆっくり歩く。響子も最初は物珍しくて写真を撮りまくっていたが、だんだん「ヴェネチアの撮影ポイントは無限にある」ということに気づき、写真を撮るのを諦めだした。いや、まさに無限にある。すごい街だ。

感じのいい店、観光客相手の店、マニアックな店など、いろいろ冷やかし、気がついたらリアルト橋、そしてサン・マルコ広場。地図もあまり見ずに歩いたので遠回りも多くしたが、その分ヴェネチアはずいぶん掴んだ感じがする。やっぱり旅は歩くのが大事だ。
広場には楽隊も出て異様に賑やか。というか、どこもかしこも原宿状態の人混み。世界随一の観光地ヴェネチア。さすがである。

今日は異様に暑く、体力消耗も激しい。ジェラート食べたりしながら適当に休み、「carpisa」という店で響子のバッグを買ったりしながら(セールで50%だった)19時まで時間をつぶして夜ご飯。歩いていてなんとなく感じが良いなと思ったトラットリア「ANTICO CALICE」へ。リアルト橋からサン・マルコ広場へ向かう道の脇道。1979年からやっている店で、入り口や看板の感じが気に入ったのだった。
この店、大正解でもないけどまぁまぁ。前菜の「サラミのポレンタ添え」やメインで頼んだ「魚のフリットミスト」「レバーとタマネギのヴェネチア風」がうまかった。特にポレンタは上手。今回、北部の主食ともいえるポレンタに妙に詳しくなったが、その中でもトップクラスにうまいポレンタだった。

ワインはトカイ。一本開けて帰るころには疲れと酔いでダウン。でもサンタルチア駅まで行かないといけない。リアルト橋から水上バスで行こうかと思ったが、酔っていてなんとなく段取りがわからず、面倒なので歩くことに。これがまた道がわからず四苦八苦で1時間くらい。迷路すぎる。

もう歩けない!というくらい疲れたころ、ようやく駅に着いた。
響子など朦朧としている。ごめんごめん。列車で10分、徒歩1分でホテルに到着。今回の旅で初めてのバスタブに浸かる。子連れ旅とはいえ、もう50歳に近いのだし(まだ47だけど)、そろそろもっと高級なホテルに泊まるようにした方がいいかも。どうも食事以外は節約してしまうクセが抜けない。

三人とも倒れるように即寝。明日は実質最終日。明後日ヒコーキに乗る。

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イタリア旅行第8日目「ヴェネチア船散歩」

2008年08月29日(金) 21:00:00

イタリアは格好いい男が多いが、格好いい女が少ない、というのが印象。とにかくイタリア男は格好いい。体躯よくシャツを着こなししている。スキンヘッドにサングラスに清潔そうなシャツというパターンが多い。
それに比べて女性はもうひとつかな。フランス女の方がセンスも感じも良い。モーレツ家族のローザがいまのところイタリアで見た一番の美女。ただ、イタリア女はフランス女よりずいぶん親しみやすいのも確か。というかイタリア全体に親しみやすい。フランスだとこちらに肩に力が入ってしまう部分があるが、イタリアだと肩の力を抜いて話したり行動したりできる。

昨日ずいぶん歩き回ったせいか、朝はみんな少し寝坊気味。というか、ヴェネチアの暑さと人の多さにわりとグッタリしていて、もう一度あの中を歩くのを躊躇している部分もある。今日は船に乗って周辺の島を中心に無理なく巡ろうと話し合う。夜は高級リストランテを予約してあるので、夕方には一度ホテルに帰ってきて着替え&休もうとも画策した。

午前11時くらいに列車でヴェネチア・サンタルチア駅に着き、行動を開始。
まずヴァポレット(水上乗り合いバス)の12時間チケットを3人分買い(カードが使えないので注意)、1番の各駅停車船でサンマルコ広場を経由してリド島へ。各駅停車ということもあるが、サンマルコ広場まで35分くらいかかり、そこからリド島までも20分くらいかかる。

世界有数のリゾート、リド。本当の魅力は高級ホテルやカジノを経験しないとわからないだろうが、まぁさわりだけでもという感じ。ヴァポレットの駅から西にずっと散歩。ちょうどお昼なので目に入ったピッツェリアに入ってピッツァ。響子はどの店に行ってもマルゲリータを頼み、本場の味を舌に覚え込ませているようなので、ボクもそれに便乗して一口もらっているが、この店のマルゲリータはとてもおいしかった。ナポリ風でもローマ風でもなく中間タイプかな。薄めの生地だがモチモチ感がある。味つけもよし。

リド島から本島の東側の駅に戻り、そこからガラス工芸で有名なムラーノ島へ。
この移動でも乗り継ぎ入れて1時間くらいかかる。最初はブルーノ島へ行こうと思っていたが、そんなことしていたら夕方にホテルに帰れないのでムラーノ島へ。でも響子の友達用のお土産とかもここで見つけられて良かった。ブルーノ島のレース編みよりムラーノ島のガラス工芸の方が響子も喜ぶし。

ひと通りムラーノ島を見て、そこからサンタルチア駅までヴァポレットを乗り継ぐ。それも約1時間。3人ともこの移動時間の長さにイライラし始めている。気温も33℃くらいあったのではないか。天気が良すぎて逆につらい。人出も異様に多く、いい加減疲れ切った。

17時ころ、なんとかホテルに帰ってシャワーを浴びて生き返る。19時半のリストランテ予約を1時間遅らせる電話をして少し寝る。3人とも消耗しきっている。いまから高級レストランでのフルコースはつらいかも…。でも最後の夜なのでとりあえずオシャレして出かけることに。

行ったのはサンマルコ広場の東側にあるホテル・メトロポールのメインダイニング「MET」
ここは神戸のNさん推薦の店で、日本からわざわざ予約していった。ヌーベル・イタリアンとでも言うべき、モダンな料理群のようである。

ホテルの奥、中庭にボクたちのテーブルは設えられていた。雰囲気はとてもゴージャス。ロマンティックで美しく、気分も良い。ただ、座った途端に蚊の攻撃にさらされ、標的になりやすい響子は身をよじりっぱなし。「なんかモスキート・キラーみたいなものはないか?」と聞いたら奥に探しに行ったが、結局「ない」と。この店、これだけ蚊が多くて他の客から苦情が出ていないのかな。全体にとてもいい店だったが、まずは不満から始まってしまったのが残念。

料理はシェフおまかせの「サプライズ・コース」(「超モダンでクリエィティブな料理です」と説明された)と「ベネト州の料理を基本にしたコース」とアラカルトの3つが基本。超モダンは日本でも食べられるのでベネト州のコースを選んだ。一品一品のワインを合わせると115ユーロ(19000円くらいか。高い!)。ワインを合わせないと85ユーロ。

ワインを合わせないコースにして、分厚いワインリストからヴァルポリチェッラのリパッサを頼む。
料理は、泡を使ったり、メインの魚を蒸籠で出したり、様々な工夫がなされたもの。アミューズで出たトマトのコンソメスープと前菜のイワシの赤オニオンソテー添えが実に良かった。前半は期待以上の料理。
でもメインは普通だったかな。工夫は効いているけど無理に変化球にしているところがあり、この手の創作を頻繁に目にする日本人としては多少つまらない部分がある。得に残念だったのはデザート。ポレンタとかフルーツとかをミルフィーユ状にしたものにグラッパとミルクを合わせて給してくれたが、斬新さはわかるものの大空振り。どちらかというと「まずい」部類。プチフールもいまひとつ。うーむ。

結局、不満は蚊とデザート。あ、値段も高すぎると思ったが、なんでも異様に高いヴェネチアならこんなもんなのかも。
しかしやはり〆のデザートは大変重要だと再確認した。デザートで気持ちが盛り下がったまま船で数十分かけて帰るのはちょっと苦痛だったかも。
「MET」は流行のレストランのようなので、ヴェネチア映画祭が始まったヴェネチアで有名俳優とか監督が誰か来るかな、と少し期待したが、わりと空いていた。今日あたりは北野武や宮崎駿もヴェネチアに入っているはずなのだが、まぁそんな偶然あるわけないか。

リストランテから約40分ほどかけてホテルへ帰る。3人とも疲れ切っていたので即寝。

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イタリア旅行第9日目「のんびり移動の最終日」

2008年08月30日(土) 21:00:00

今日は帰る日。15時10分ヴェネチア空港発のヒコーキに乗る。それまでの過ごし方として選択肢は3つあった。
ひとつ目は早起きしてパドヴァ(Padova)という街に行く(電車で20分くらい)。ここはガリレオ・ガリレイが学んだ大学があり、マリさんの旦那さんもその大学(パドヴァ大学)を出ており、なんか行ってみたかったのだ。2つ目はヴェネチアに行って魚市場を見学する。3つ目はホテルの部屋でのんびりゆっくりして疲れを取る。
で、結局3つ目を選択。時間貧乏性のこの家族としては珍しい選択だが、まず早起きが出来なかった(ボクは6時に起きたが、優子響子が全然起きず)。そして外に出てみたら異様に暑かった(これでヴェネチア行きは断念)。結局、9時くらいまでホテルに居てゆっくり朝食を食べ、メストレ駅周辺を散歩したり、空港までのバスを確認したりしているうちに12時のチェックアウトに。

メストレ駅からタクシーだと35ユーロくらいかかるらしいが、バスだとひとり3ユーロな上に思ったより早く、20分ほどで着く。そりゃバスでしょう。今回はこれで車、列車、船、バスと4大移動手段を網羅した旅になった。乗り物好きな優子はさぞかし満足だったことであろう。

ヴェネチア・マルコ・ポーロ空港は中が新しくて店もいっぱいあり立派。早く着いても苦にならない。

パリでの乗り継ぎも2時間ほど。
この文章はその乗り継ぎ中、シャルル・ドゴール空港のカフェで書いている。もうすぐ成田に出発。夏休みの最終日に成田に着くというスケジュールなせいか子供連れは少なく、大人が多い。さすがに翌日から学校というのはつらいもんなぁ(響子にはそうさせるけどね)。

と、これでイタリア家族旅行はオシマイ。
これでなんか「深い縁」がイタリアと出来てしまった感あり。思いがけない展開がこれからもありそうなそんな予感に震えながら、とりあえず旅の記録は終わろうと思う。長々と読んでくださった方、どうもありがとう。個人の備忘録なので正確ではない記述があるかもだけどご容赦を。

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イタリアから帰ってきました

2008年08月31日(日) 22:13:18

ということで、東京に帰ってきました。
イタリアはネットが通じる宿がほとんどなく(行ったのが田舎なのもあるけど)、メールもまるで見ず更新もまるでせずという毎日。久しぶりに超アナログ&浮世離れした日々でした。イタリア語ちんぷんかんぷんだったのでニュースも新聞もほとんど触れず。だからネットにつながらないと北京オリンピックがいつ終わったのかもわからない。いかにネットに依存しているかよくわかる。星野ジャパンが4位だったのもついさっき知ったよ(笑)

東京の第一印象は「蒸し暑い〜!」
というか、昨日までは寒かったって? 聞けばボクが出てからずっと雨で、梅雨みたいに寒かったとか。大雨&嵐で被害も出たと帰りのヒコーキの新聞で知った。でもボクが出た日も帰った日(今日)も晴れ。イタリア行っている間もずっと「ありえないくらいの天気」と現地人が言うほどのド快晴。でもボクがいない東京はずっと雨って……、やっぱ「晴れ男!」ということでいいのではないか(笑)

帰りのエコノミーも行きと同様、足が伸ばせる席(前にキャビン・アテンダントが座る席)が取れたのだが、旅の疲れもあってか行きより相当つらかった。腰が危ない状態。あぁつらかった。エコノミーは席がやはりつらいなぁ。
映画は「ナルニア国物語2〜カスピアン王子の角笛」「カンフー・パンダ」「ローリングストーンズ・シャイン・ア・ライト」「西の魔女が死んだ」の4本を観た。中でもマーチン・スコセッシ監督が撮ったストーンズのライブ映像が圧巻。これ、まだ未公開なんだって? 劇場の大きなスクリーンで再見したい。

家に帰って、愛犬を引き取って、先ほどようやくいない間のメールを怖々チェック。
プライベートのメールはそれほどでもなかったが、会社のメールが520通たまっていて吐きそうになった。すいません、お返事明日いっぱいかかります。プライベートの方はもう数日ください(緊急っぽいのにはなるべく早く返信します)。

で、イタリアの旅を後追い更新しおわって、今。
現地でザザザと書いたものをそのままアップしているので、多少あとで直すかもだけど、とりいそぎ。

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