2008年04月
「ちりとてちん」が朝ドラ史上最低視聴率 !?
2008年04月01日(火) 8:01:11
なんと。低いとは聞いていたが。
NHK総合で29日まで放送された連続テレビ小説「ちりとてちん」の平均視聴率が関東地区で15.9%と過去最低だったことが31日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は17.0%だった。これまでの関東地区の平均視聴率の最低は、2004年の「天花」の16.2%。昨年の「芋たこなんきん」は16.8%だった。(時事通信より)ありえん。マジありえん。史上最高の出来だと確信するあの朝ドラが。
というか、モノを作る人間の端くれとしてショックが大きい。
あれだけイイモノを作っておいて朝ドラ史上最低って…。つらいなぁ。こんなニュース、あの力作のスタッフや役者たちの耳に入れたくない。頼む。このニュースを知らずに生きていってくれ(無理)。
ま、でも、ボクにメールくださった方のほとんどが7時30分からBS2で見ていたようなので(ボクも)、視聴率に換算されないんだよな。サラリーマンで8時15分からゆっくり見られる人は少ないので、どうしても7時30分からBS2で見るようになるし、そうなると家族もそこで見るだろう。
あと多かったのは土曜にBSで5話まとめて見る、というパターン。これも意外と見ている人が多いようだった。BSの視聴率は足せないのか? 足せたら間違いなくそこそこの視聴率行ったはずだ。だって周りでファン、とても多いもの。「天花」や「芋たこなんきん」の比ではないもの。
しかし…。
あれだけ素晴らしい脚本を書きながら朝ドラ史上最低視聴率の汚名をかぶらないといけない藤本有紀さんの気持ちを考えるとせつないな。でも逆にコアで熱狂的なファンは得ただろうから、薄く広くウケるよりいいかもしれない。「ちりとてちん」の素晴らしさを知っているヒトは必ずや藤本有紀さんの次作を見るだろう。
そして決心した。オレはDVDを買う(笑)
磯山晶や宮藤官九郎のドラマのように、放映時の視聴率は悪いけどDVDの売上げは抜群ってヤツに、このドラマをしてやりたい。微力ながら。
関係ないけど、ついでにもうひとつ大ショック。
前々日にも書いたように自転車通勤の季節だなぁとウキウキしていたら、昨日、会社で通達があった。「自転車通勤は一切禁止!」とのこと。いままでも不文律として「禁止」だったが明文化されるとのこと。マジ? うぅ。もうこんな快感は味わえないのか(まぁこんな危険もあるのだけど)。なんだよ。なんでだよ。うー……。
「ちりとてちん」のスピンオフドラマ
2008年04月02日(水) 9:28:24
昨日は全国の「ちりとてちん」ファンからのメールで受信簿が埋まりました。
こんなに悲痛なメールの数々は記憶にない(笑)
そこまで思い入れさせられるドラマだったのですね。この思いはきっと制作陣にも届いているだろうし、視聴率最低だったことに彼らもショックを受けていないかもしれないなと。歴代最低でもこれだけ「深く」届いていれば、逆に誇りに思えることでしょう。
で、どうやら「ちりとてちん」のスピンオフドラマが制作決定になったようですね。
制作統括の遠藤氏のここへの書き込みによると「草原(桂吉弥さん)・小草若(茂山宗彦さん)・四草(加藤虎ノ介さん)の三人を中心にしたスピンオフドラマを大阪局で制作することにいたしました。連続テレビ小説でスピンオフドラマが制作されるのは初めてのことです」とのこと。パチパチパチ。
いまのところ関西のみのオンエアー予定らしいけど、全国放送の可能性も高いらしいので、これは楽しみに待つしかないですね。NHKの番組企画の多さと決定までの超大変な道のりはある方から聞いてよくよく知っているので、今の段階では「作ってくれるだけで超有り難い」というところ。
それにしても。ほとんどの方がBSで見てますね。今回のメールの嵐でそれもまた実感。
8時15分に総合テレビで見ることができる主婦の方も、裏でやっているNHK教育の「いないいないばぁっ!」を子供に見せていることが多いみたいでやはりBS。もしくは録画。メールだけのサンプルとはいえ、朝ドラに関しては視聴率は全く当てにならないことがよくわかりました(まぁビデオリサーチの少ないサンプル家庭の行動で決まっちゃうので一般家庭の行動は反映されないとはいえ)。
というか、視聴率という仕組みや考え方自体が20世紀の遺物なのが(いままでもそうとは思っていたけど改めて)いろんな方のメールから肌感覚でわかったな。視聴形態の多様化の進み方は尋常じゃないのに、いまだに「お茶の間での視聴率」を基準にしているテレビ局。生活者のメディア接触の変化との乖離はどんどん大きくなるばかり。そして「お茶の間での視聴率」に影響されて「お茶の間にウケる番組」を作るから、乖離は加速度的に広がる。お茶の間にはもう老人と子供しかいないのに。テレビがどんどんつまらなくなるスパイラル。
ま、それはそれとして、スピンオフドラマ、草若一門の外伝が見られるのはうれしいな。キャラとしては四草をもっと掘り下げて見せてほしいとか思ふ。
三浦しをん著「仏果を得ず」
2008年04月03日(木) 8:06:18

すっかり「ちりとてブログ」になりつつある昨今だが、ワールド的にとても近い本を読んだのでご紹介。三浦しをん著「仏果を得ず」(双葉社/1500円)。「ちりとてちん」が好きな方ならたぶん好き。といっても小浜家族編ではなく大阪草若一門編の方だけど。
この本は落語ではなく、文楽(人形浄瑠璃)の義太夫を題材にしている現代劇。
義太夫語りは落語「寝床」でも取り上げられるけど、その義太夫節を修行中の若者のお話である。古い芸能を伝承していこうとする若者たちが等身大で瑞々しく描かれている。毎章、テーマとなる文楽の解釈に悩みながら成長する主人公がなかなか魅力的(ある意味これも本歌取り)。知らなかった世界を楽しく知れる、という意味でも、純粋に小説としても、なかなかいい本である。
文楽は去年初めて観に(聞きに)行った。
普通初心者は人形遣いのそのリアルさに関心が向くらしいが、そのときのメモでも書いたように、ボクは最初から義太夫に目が釘付け。人形をあまり見なかったくらいである。竹本住大夫と豊竹嶋大夫。すごかったなぁ。
そういうこともあってか、この本の題材である義太夫は多少身近で、銀大夫の語りなども目に浮かぶようであるし、三味線とのやり合いなども十二分に楽しめた。義太夫語りの舞台裏を楽しく知れるのもうれしい。文楽が急激に身近になる。
とはいえ文楽をまったく知らない人でも楽しめるので大丈夫。読後、きっと文楽が観たくて観たくてたまらなくなること請け合いだ。この本は文楽ファンを急激に増やすだろうなぁ。
全体にさらりと読みやすく、多少漫画チック。というか連続ドラマっぽい(笑)。イケメンを配役すれば充分ドラマ化にも耐えうる内容。
惜しいと思うのは主人公の背景描写がさらりとしすぎている部分。「ちりとて」で言ったら小浜家族編的な部分がほとんど描かれない。その分シンプルにストーリーを楽しめるのは確かなのだが。
それと題名。読み終わってからだと「なるほど」と思うのだが、これは取っつきにくすぎる題名かも。表紙を漫画にするなど、文楽という一般ウケしにくいテーマの本を読者が手に取りやすい工夫はしてあるのに、題名が抹香臭くて一瞬「難しい本か?」と手が止まってしまう。ちょっと残念。
「ちりとて」ファン的には、「この役は加藤虎ノ介しかできん!」という、きわめて四草なキャラが重要人物として出てくるのでお楽しみに。
あ、いま、オレ、
2008年04月04日(金) 8:25:35
予約したっきり忘れていた映画「ヘアスプレー」のDVDがアマゾンから届いた。
この日にも書いたが、娘の響子が「もう何度観てもいいくらい気に入った」映画である。ひとつの映画を何度も何度も観ることはいいことだ。圧倒的にいろいろ学ぶ。場合によっては人生も変える。
届いたばかりのそれを優子がサプライズで渡しに行く。ボクはリビングで原稿を書いている。子供部屋の方角から「キャーーー! キャーキャーキャー!」という声が聞こえてくる。右前方から聞こえてくるその嬌声をバックグラウンドにMacに文字を打ち込む。画面から目をそらさないまま「あ、いま、オレ、シアワセ」と脳の片隅で意識する。なんでもない時間だけど、たったいま、まさに得難い時間が過ぎている…。
シアワセは思いがけないときにこっそりやってくる。それに気づくも気づかないも本人次第。昨日は気づけて良かったな。
その「満ち足りた感」は、でも、新たな悩みや不満が訪れるとすぅぅと消えてしまう。決して長持ちはしない。そこがまたいいね。
「と村」と「戸村飯店」
2008年04月05日(土) 14:12:10
ずっと行きたかった「京料理 と村」へ。
派手さはないが滋味溢れ、シンプルな中に奥深さがある料理群。このわたの茶碗蒸し、京茄子の焚き物、そして寒もろこに参った。特に寒もろこ。絶品であった。全体にある程度食べ慣れた人に向いている店かな。価格的に安くはないので、それなりに余裕がある熟年向きだ。ボクにはもう十年早い感じ。
京都「嵐山吉兆」で13年修業した戸村仁男さん(実は千葉外房生まれ)は、一見気むずかしそうに見えるが、とても饒舌な方で、食材の話やレシピの話、修業の話などになるとニコヤカによく話される。
彼は青森の赤石川(天然遡上)に毎年鮎を釣りに行くそうで、鮎釣りを趣味のひとつとするボクとしばし友釣りの話で盛り上がった。
というか、東京に転勤してから鮎釣り行ってないな。世界最高に面白い釣りだと思うのだが、川が近くになんぼでもある関西に比べて、東京は相当遠くに行かないとおいしい鮎がいる川がない。でも戸村さんと話しているうちにふつふつと鮎欲が蘇ってきたので、今年はなんとか時間を作って行きたい。7月かな。どっかの土日をなんとかあけよう(無理かもしれないが)。

戸村と言えば、瀬尾まいこの新作「戸村飯店 青春100連発」(理論社/1500円)をちょうど同じ日に読んだ。そんなに多くない名字なのに偶然。戸村の日。
瀬尾まいこって高校生の気持ちを書かせたら天下一品である。戸村飯店の二人の兄弟の桎梏と解放が明るい筆致で描かれている佳作だ。
今回はナチュラルな大阪弁も炸裂しており、エセ大阪弁を操れるボクとしては楽しくも懐かしい(東京の人には違和感あるかも)。大阪弁の小説ってわざとらしいのが多いのだけど、この本はまったくそれを感じさせない。しかも東京と大阪の空気の違いが明確に描かれており、その点も愉快。
100連発というと吉本の名作「ギャグ100連発」を思い起こさせるし、わりと疾走感&炸裂感がある題名だと思うが、この前紹介した「仏果を得ず」と同じく、題名で少し損していると思う。疾走感&炸裂感というよりは、普通に温かくてさわやかな青春小説なのだ。少しキワモノに見えてしまうし、はしゃぎすぎに見えてもしまうかも。
でも、この兄弟、どっちも好きだなぁ。特に弟は名作「幸福な食卓」の大浦勉学くんみたい。いいキャラだ。読みやすい分、少し損をしている作家であるが、ボクはこの読みやすくさりげないところが好き。
抜け道の匂い
2008年04月06日(日) 21:42:05
先週一番長く歩いたのは新橋から渋谷までの15000歩かな。早足で1時間半くらい。
夕刻に新橋を出て、浜松町の港区役所のロビーに展示してある響子の写真を見て(賞を獲ったので区役所で展示中)、そのまま城山ガーデンを抜けて六本木を通り、西麻布から骨董通り、原宿を抜けて渋谷松濤まで。15000歩となるとなかなか疲れる。
二番目に長く歩いたのは銀座から九段・千鳥ヶ淵を回って東京駅まで歩いたもの。楽勝かと思ったら意外と長かった。
九段に用事があって、銀座からテクテクと九段までストレートに。用事の後、超満開の千鳥ヶ淵を「大きなたまねぎ」を歌いながら通り抜け、国立近代美術館の横を通って竹橋から東京駅。これは何歩くらいだったかな。回り道入れて12000歩くらいか。
もうクルマを捨てて5年近くになるし、クルマに乗らないと意外と道路って覚えない。
ボクが都内をクルマで走り回っていたのは大学時代だからもう25年前くらい。あの頃は道をいっぱい知っていたけど、もうずいぶん忘れてしまった。歩いていてもよく迷う。
当時、田中康夫がブルータスだったかポパイだったかで「東京の抜け道」を連載していたが、ボクも抜け道マニアで、彼の連載と気持ち的に張り合っていたっけ。「ここを曲がると誰も知らない超近道がある」とか「ここで赤信号なら左に曲がって回り込んだ方が直進より早い」とか、いろんなトリビアを身にまとって走っていた。
こうして歩いていると、たま〜に「お、ここ見覚えある」という細道に出て、「あ、これ、当時走った抜け道じゃん!」とか記憶が急に蘇ったりする。目印になる建物がもうほとんど残ってないし、高層ビルによって景色は様変わりしてしまったけど、なんかそういう道には「過去に落とした匂い」みたいなものが染みついていてわかるのだ。あぁココ走ったなぁ、懐かしいなぁ、助手席には○○が座っていたなぁ、とか、芋づる式に思い出す。楽しいな。
今年も行けるか!? ミュージカル
2008年04月07日(月) 7:40:28
土曜日はモリが東京に来ていたので一緒に夜ご飯。
銀座「ヴィラ・モウラ」でポルトガル料理を食べた後、家に呼んでピション・ラランドの1994を飲んだ。
去年に引き続き、またモリと一緒に「ニューヨーク・ミュージカル観劇ツアー」を敢行しようと画策していて、まだ日程は本決まりではないのだが「いま、どのミュージカルが面白いのか」を資料首っ引きで調べているところ。
今年公開の中ではこの3本が良さそうだ。「In the Heights」と「A Catered Affair」と「Cry-baby」。
「In the Heights」は「Rent」と「Avenue Q」をやったプロデューサーが仕切っていて、オフブロードウェイから上がってきたもののよう。なんだか想像はつくけど、でもまず間違いなく面白そう。「A Catered Affair」はハーヴェイ・ファイアスタインの脚本・主演なので必見。絶対観る。決まり。「Cry-baby」は初代「ヘアスプレー」のジョン・ウォーターズ監督のカルト映画(当時ジョニー・デップ主演)のミュージカル化。フィフティーズの音楽がふんだんに味わえそうだし、これも決まりかな。
この3本に「Young Frankenstein」、そしてディズニーの新作「The Little Mermaid」で5本か。リバイバルの「South Pacific」(南太平洋)を入れて6本。あとはなんだろうな。どなたか、今年のトニー賞の下馬評とかに詳しい方、ヘルプ!
ま、あとは再見系もあるかな。
モリは「JERSEY BOYS」をもう一度観たいと言っていた。ボクは、んー、意外と「Mary Poppins」がもう一度観たいかも。あと、もう3回目になるけど「Avenue Q」。暗記する勢い(笑)。
調べていたら、今年の秋から公開されるミュージカルの中に「Billy Elliot」があった。これって映画の「リトルダンサー」のミュージカル化だよね。う〜観たい! 来年も行かなアカン(笑)
患者側の代理人
2008年04月08日(火) 9:26:57
昨晩はある総合病院の医院長と病院事務の方々と会食した。
医院長とかいうとなんか「白い巨塔」的だが、彼は元々フォーク歌手で超気さく。楽しい会だった。
病院について知らないことがあまりに多く、「へー」とか「ほー」とかの連続。ボクの病院に対する印象は10年前からストップしているな。というか世間の印象も同じだろう。ここ10年でそんなに変わっているのね。
強く思ったのは、患者と医師の間に翻訳家(もしくはコミュニケーター)みたいなものが必要であること。病院側から見るとそれはコンシェルジュというかアドボケーターとなるが、患者側から見た場合、それは「代理人」に近いもの。
たとえば大リーグだと、プレーヤーの代理人(エージェント)が球団との年俸交渉など一切を受け持つ。プレーヤーがアピールしにくい年俸アップの交渉などをプレーヤーに代わってやってくれるのだ。それと似てる。
患者は医師に生殺を握られている。
だからその診察や薬、会計、入院状況などに疑問があっても口にしにくい。セカンドオピニオンをとる場合でも遠慮があるし、病気で消耗しきっているときはそんな気力もないかもしれない。つまり、常に「下」に立った「お願い」に近いコミュニケーションになってしまう。医師を仰ぎ見るコミュニケーション。
最近、病院では患者を「患者様」と呼んでいて意識が相当変わってきているらしいが、医師や看護師側の意識が多少変化していても、常に患者側は下から仰ぎ見ざるを得ない。
そこをフラットに見ることが出来る「代理人」的な存在があると、その不公平が是正され、患者側に溜まった疑問や不信が解消されるかもしれないし、結果的にそれは医師側にとってもコミュニケーションが楽になるのではないか(医師側の事情を代理人がきちんと理解することが前提であるが)。
特に死につながる大病の場合、患者は命を医師に預けざるを得ない。
一握りの名医にかかった人は諦めもつくが、そうでない人たちはなんか腑に落ちないままに死んでいく場合も多いと想像する。自分の命をビジネス・ライクに扱われてもいい。代理人への報酬もちゃんと払う。それよりもきちんと診療の内容と治る可能性、セカンド・オピニオンの有無などを納得したいし、それを第三者の目で客観的に教えてもらいたいとボクは思う。それがなにより心の平安につながる。
そういう「患者側の代理人」って存在するのかな。今後高齢者が増える日本では職業として充分成立すると思うのだけど。
医師として定年を迎えた人とか、事情で看護婦を辞めた女性とか、元薬剤師の人とか、病院側の事情もある程度わかった人が「患者側の代理人」として存在してくれると非常に助かるし、需要もあると思うのだけど。
正しいことを言いだすと、決まって人は悪いことをする
2008年04月09日(水) 8:49:12
さなメモで政治の話をあまり書かなくなって久しい。
1日のアクセスが1万を越えた頃から、政治についてコメントすると一定割合で超エキセントリックなメールが届きだし、ある話題について書いた時は家族の生命の危険すら感じた。いわゆる脅迫。「子供に気をつけろ」みたいな。
ボクが書いたのは、いま読み返しても普通の論説なのだが、違う意見を信じている人たちにとっては許せなかったらしい。エキセントリックなメールは時に人格攻撃につながり、無視しようと思っても精神的ダメージをかなり受ける。そういう原因はわざわざ作らない方がいい。だからめったに書かない。
ちなみにこれは「萎縮」ではない。ソリューションだ。優先順位を考えたとき、「サイトの更新継続>政治の話題」と判断しているだけ。つまり、更新継続が困難になるくらいやる気を失わせるメールが届くわけですね。
脅迫に負けて論を曲げる気はないし、いろんな意見があることは実に健全だとは思うが、たったひとりで不特定多数を相手にするのは無理だし、ひとりひとりとメールのやりとりをして議論するのも物理的に不可能。だからよっぽど強く説を主張したいときか、きっちり熟考した話題のとき以外、不用意に政治的な話題は書かないことにしている。
たま〜に新しい読者の方から「これだけ世間の話題になっているときにひとかけらも触れないのは救いようがない政治的無関心」というような言葉をいただくことがあるが、これからも数十年、死ぬまでサイトを継続させることを最優先させた方策ですので、ご勘弁を。人一倍関心はあるし、発言すべきと強く思ったときはまた別なので。
というか、ここ数年、「自分と合わない意見に過敏に反応する人」もしくは「自分が正しいと信じることを過激に主張する人」がものすごく増えた気がする。
この許容量の狭さ、もしくは「相手をやりこめてやろうとする情熱」みたいなものがあまりに行きすぎている場合は感心すらする。炎上するサイトを見ているとコメント欄はたいてい「謝罪しろ!」という叫びで埋まる。人格全否定の言葉も多数書かれる。
最近では奈良の「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクター問題がすごかったな。デザインした人のサイトのコーナー(いまでは閉鎖)は罵詈雑言・人格全否定の言葉で埋まった。その人の人生に対する敬意のひとかけらもない。なるほど「鬼畜米英!」で団結した国民なのだな、と、哀しい納得をしてしまう異様さであった。他人事ながらちょっと涙ぐんだくらい酷かった。
とはいえ「ボクは違うもんね、冷静だもんね」と言いたいわけでもない。
昨晩、ある美人さんの結婚決定祝いにボクを含めて男性3人が集まった。男性3人の中には同年代の参議院議員もいた。
食事している最中に彼の携帯に「日銀副総裁人事、不同意」の電話が次々入ったりして「おお、政治の現場だ〜」とミーハーに楽しんだのだが、ま、それはそれとして、彼はある政治的問題について委員をしていて、その問題についてディナーの間も議論になったのである。特にボクともうひとりの男性とで。その間、議員は黙って両方の意見に耳を傾けていた。
その問題についてそれなりに意見があったボクは、もうひとりの男性の言葉にちょっと過敏に反応した。
「何もわかっていない! というか、そういう意見はむしろ有害!」と一瞬にして頭に血が上ったのである。んでもって気づいたらきつめの言葉を発してしまっていた。発言したあとすぐに恥じたけど、基本的には「サイトにエキセントリックなメールをくれる人や、炎上サイトに罵詈雑言を書き込む人」に近かった(ま、それらよりはずいぶん柔らかいが)。同じことしてるよオレ。
久しぶりに自分の中のマグマの存在を再確認した。
うーん。不必要に丸まることもないけど、もうちょっとは制御できていると思っていた。まだまだ成長途上であることを思い知らされたな。
議員は、ボクともうひとりの男性の間に立って、両方の意見を汲み、落としどころをスッと提示した。
さすがに政治のプロだなぁ。そう、政治とは「妥協と落としどころ」なのだ。30代の頃は「政治とは理想の実現」だと考えていたが、まぁもちろんそれも建前上あるにせよ、無限に意見がある中でどの妥協点に落とし込むかが民主主義国家における政治の日常なのだ。
河合隼雄は「正しいことを言いだすと、決まって人は悪いことをする」と書いた。
山本夏彦は「まじめということはよいことだと思われているが実は悪いことなのだ。まじめと正義は仲良しだ、したがって正義も悪いことなのだ」と書いた。
正しいと信じること。まじめに考えること。正義を追い求めること。それらは狭量で不寛容で窮屈になりがちだ(戦時中の日本のように)。「妥協と落としどころ」を求めるのは一見醜く不細工な解決法だが(正しくまじめに考える人にとって政治はそう見えるだろう)、様々な人の多様な意見を許容する。
人生も年数を積んでくると、自分が正しいと思うことに妙な自信を持ち始める。妥協せず頑固にそこに固執しだす。その自信を常に疑う気持ちをキープしないとな、とか、行きすぎたまじめは悪いことなのだということを常に反芻していないとな、とか、いろいろ思った夜だった。
情報メタボ化する人々
2008年04月10日(木) 7:37:08
やっぱり政治ネタはメールがたくさん来ますね(笑)
昨日の記事は、書いたあと「んー、誤解受けそうな文章だなぁ」と思いつつ見切り発車したのですが、なんとか伝わったようでホッとしています。ただ、やはり説明が足りなかった部分もある気がするので自己フォローしておきます。
背景を説明すると、「チベット問題について何故何も発言しないんですか!」という強めなメールがあったんですね。昔は偉そうにいろいろ政治的発言をしていたではないか、と。昨日の記事はそれに対するお返事の意味合いがありました。一般化して書いたので少し真意が伝わりにくかったかもしれません。
複雑で微妙な政治問題(この場合はチベット問題)について気軽に発言することの怖さ。熟考して書いたとしても必ずエキセントリックに反対する人がいて、その人たちの強烈なレスポンスの凄さ(生きていくのがイヤになるような罵詈雑言。今回は中国が絡んでいるのでもっとヤバイと予想できる)。そういうのをたった独りで受け止めることの厳しさ。サイト更新が怖くなり辞めたくなるという衝動と本末転倒さ。などをお伝えしようと前半では思ったのでした。
別にヘタレ表明をしたわけではありません(笑)
ある程度以上のアクセスがある個人サイトとしては避けて通らざるを得ないトピックはある、ということです。
サイトをやっている方からは共感のメールが多かったですが、最近とみに「超エキセントリックなメール」が増えており、サイトをやっている側も慎重にならざるをえない、という現状があるのです。昨日も4人の方から「こんな酷いメールが来て、サイトをやっていく気力が萎えた。閉鎖しようと何度も考えた」という経験談を送っていただきました。炎上→サイト閉鎖もその流れですよね。
こういう流れには社会的背景があると考えています。
拙著「明日の広告」でも書いたのですが、世の中に流れている情報はここ10年で410倍にも膨れあがり(総務省調査)、生活者はほとんどの情報をスルーせざるを得ない状況です。そうなるとどうなるか。「情報洪水の中から欲しい情報だけ選択して摂取する」という行動に出ざるを得ないわけですね。情報が多すぎて。
10年前までは情報がそこまでは多くなかったから、例えば新聞などでも「興味ない情報も読んでいた」。それがもっともっと選択的になっていると思われます。
そうするとどうなるか。
言うなれば「情報メタボ」というか「偏った情報の過剰摂取」が起こります。バランスのとれた情報摂取をしなくなり、自分の欲しい情報だけ過剰に摂取する。そして肥満する。オタクの出現はその前兆(先鋭)でした。
ネットにおける検索って「自分の興味あることを調べる」という選択的能動なので、彼らの「偏った情報の過剰摂取」を加速させます。たとえば「子供」「子育て」「子供の権利」みたいな情報に興味ある人が、検索などによって情報肥満したあげくモンスター・ペアレンツ化する。それを是正する情報や常識をバランスよく摂取しない。
バランスが悪いから「でもさ、そんなこと、普通しないよ」という常識がわからない。彼らの中の「普通」が偏っているのですから。だからいろんな分野でモンスターが跋扈する。狭量で自分勝手なクレーマーがたくさん育つ。自分が興味のある情報の方向に膨張した自己が暴走しだす。
政治分野だと「自分の正義」を信じて疑わないモンスターが出てきます。いまどき「正義」なんて「アメリカから見た正義」と「イスラム社会から見た正義」が全く違うように、実に多面的なはずです。たったひとつの正義なんてどこにもない。だから「妥協と落としどころ」が必要なわけで。
ま、短い文章中で語る問題でもないので多少論旨に飛躍があるかもですが、「偏った情報の過剰摂取」と、その結果としての「偏った情報肥満(=情報メタボ化)」は、これからも加速すると思われます。
ということは、今後、どんな発言をしても「危ない」。理論上は。
どんな話題を書いたとしても、エキセントリックに反応する「情報メタボ化したモンスター」が現れてくる可能性があるわけです。自分だって知らぬうちにモンスターになっているかもしれない。あぁイヤだ。
とはいえ、論説・啓蒙や主義主張をメインにするサイト(ブログ)なら、それでもそれを乗り越えていくべきでしょう。そういう目的のサイトなのですから。
でも、ボクのサイトの目的は別にあります(このこともそのうちちゃんと書くつもりです)。なので昨日「サイトの更新継続>政治の話題」と書いたのでした。
ボクはこれからも、発言すべきと強く感じた問題については発言していきます。草の根の発言が積み重なって世の中をよりよい方向に変えることがあると信じていますし。
ただ「情報メタボ化」した現在、どんな話題もものすごく慎重に書かないとヤバイのは確かなのです。特に微妙な政治問題。これはもう個人サイトで受け止めるのは無理かもなぁ(論説サイトは除く)。
ちゃんとした反対意見は滋養強壮として摂取してます。ありがたいです。でも「情報メタボ化」したモンスターの一方的な追求メールは本当に酷い。これは経験しないとわからないでしょう。全身の血が下がり気が遠くなります。「自分の考えを述べているだけなのだから堂々としていよう」と脳みそが判断しても、心が正常に動かない。そのくらい酷い。
こんなこと書くと「ブログを始めようと思っていたのに…」と尻込みする人が出そうですね。いまやっている人も萎縮しちゃうかもしれない。
でも、それでもボクが続けているのは何故だと思います? それを上回ってあまりあるイイコトがたくさんあるからです。それは保証します。それだけは確か。だからそんなこと言わず始めましょう。続けましょう。
って、今日も長くなっちゃいました。読みにくくてスイマセン。
大阪の夜
2008年04月11日(金) 8:15:58
大阪にいる。
といっても、昨日の夕方ついて、講演をひとつして、飲んで、寝て、いまから東京へ帰る。せめて夙川の桜を見に行きたかったな。でももう帰らなければ。
講演を2時間して、解放されたのが21時過ぎ。
「ヘレカツサンド専門店 梵」。「Bar Tazmi」。「Pile Driver」。「うどん処 大和屋」。「ワインバー サンテ」。昨晩行った店。意外と行ったな(笑)。3軒目からはずっとひとりで逍遙。「なんか蕎麦かうどんが食べたいなぁ」と北新地を歩いていて偶然入った「うどん処 大和屋」のカレーうどんが妙にうまかった。ここ知らなかった。麺が弱いけど深夜にはちょうどいい。また来よう。
最後は「ワインバー サンテ」の森さんとこに久しぶりに。
すごく喜んでくれてちょっと感激。そういえば2年ぶり以上かな。相変わらずとてもいい店だ。ふたりでいろんな話をして深夜3時ころ堂島ホテルへ帰りつく。講演主催者がとってくれたホテルだが、ベッドからガラス張りのお風呂が見えるちょっとエッチーな部屋。むぅぅと唸って即寝。
著名ブロガーたちのインタビュー
2008年04月12日(土) 7:40:02
おとといの「情報メタボ」の記事に「論説サイトは除く」と書いたが、論説系ブログ(と一括りにして申し訳ないが)の方々もさすがに大変そうだ。
J-CASTニュースの「アメリカで著名ブロガーの死亡が相次いでいる」という記事の下の方に日本の著名ブロガーたちをインタビューしているが、まぁボクと同じようなことですね。いや、アクセスももっと多いだろうし、論説系だとアレが日常的に起こっているだろうから、もっとずっとずっと酷いか。
「極東ブログ」を運営するfinalvent氏は「異なる意見は受け入れたいのですが、かなりひどい嫌がらせをうけます」「多方面で誹謗中傷を受けました。そこまでブログを書くことはないな、やめようと思ったことは何度もありました」と語っている。
また、読んでいた感じ全くそんなこと見受けられなかった池田信夫氏も「プレッシャーはありますよ。月間100万アクセスを超えた辺りから、寝られない日が続き、医者にブログをやめろと言われて…。もう、どうしようもないコメントやスパムとかノイズが凄く飛んでくるんですよ。私はこういったものについて気にしない方なんですが、さすがにストレスになってきています」と書いている。
そういえばよく読む内田樹氏のブログもコメント欄がしばらく荒れていてドキドキした。いつ「面倒だし忙しいからブログなんかやめてしまおう」と彼が放り投げるか不安だったのだ(ずっと読みたいし、タダであれだけの論説を毎日読ませてもらってありがたいといつも思っていたから)。
ボクの原点は「日記猿人」(終了)という当時人気だった日記ランキング・サイトでの泥仕合の酷さの経験である。あの醜い泥仕合からたくさんを学び、自分の運営に活かしている。
1994年〜98年くらいだろうか。ばうわう氏を中心に日記猿人という狭い村社会の中で、酷い泥仕合が日常的に起こっていたのだ。
何人もの人が傷つき疲れて、サイトを閉鎖したり日記を休止したりした。裏掲示板みたいのがあったのだが、そこではもう読んでいられないくらいな罵詈雑言が飛び交っていた。
そのときはボクは泥仕合に巻き込まれなかったが、いまネット社会で起こっていることはたいていは当時すでにそこで起こっていた。もちろん規模はずっと小さいが、その分明確に動きがわかり、いろいろ学習できた。
2年ほど前に「ネット老人」という記事を書いたが、そこでこんなこと書いている。(自己引用)。
(前略)モンスター化って、ここで書いた「初期の興奮状態」もあるのでしょうね。
ま、でも、ある意味「誰でも通る道」かなぁとは思います(上から見て偉そうに言っているのではなく、客観的に)。
だって、たとえばその昔「日記猿人」とかに参加してた人ならわかると思うけど、いまのネット上の騒ぎって7〜8年前にすでにみんなそこで経験していたことの繰り返し。ネットのすごさを実感して興奮して発信しまくることも、素晴らしい出会いも、楽しいオフ会も、書き込みで傷つけあうことも、理不尽な誹謗中傷も、不用意な発言での炎上も、突然のサイト閉鎖も。そのサイクルは山ほど見てきました。今ネットをやってる人って6〜7割がまだネット始めて1〜3年程度ってとこでしょうか(特にブログ的に発信してる人)。みんなまだ初期の興奮状態にある気がします(偉そうに聞こえたらごめんなさい)。一概には言えないけど、ネット始めて5年以上経つとみんなネットの良さも限界も冷静に見えてきて、ネットに過剰期待しなくなり、意外と落ち着くものです。
ボクなんか11年やっているので、すでにネット老人です。「ネット上で議論する」とか「ネット上で相手を論破する」とか「そのあげく相手と分かり合う」とかについて何の期待もしてません。いや、期待しないどころか相当距離置いてます。泥沼になってシコリが残るだけ。もしくはサイト閉鎖に至るだけ。不毛。少なくともそういう先例を多く見すぎました。
(後略)
「ネットは自由だ! 何言ってもいいんだ!」とか「ネットはフラットだ! 年上だろうが有名だろうが関係なく文句が言えるぞ!」「少し書いてみたら共感コメントもらったぜ! 気持ちいい!」「どうせ匿名だ! 過激にやってやれ!」とか。性格もあると思うけど、5年もやったらかなり落ち着くと思うな。
とはいえ、これからも毎日のように、大量かつ圧倒的に若い「ネット新人」がデビューしてくるわけで、こういう人は減らないんだろうなぁ。とはいえ、悪が一定数出てくるかわりに大量の善も出てくるのがネットなので、それでもやっぱりネットが好き。ゆっくり長く、ポジティブにつきあっていこうと思っている。
GRUAUD-LAROSE 1967
2008年04月13日(日) 21:05:40
昨晩は対談ブログを一緒にやっている伊藤さんたちを家に招いて食事。
というのも、伊藤さんがあるワインショップで「GRUAUD-LAROSE 1967」を見つけて、それを飲もうということになったのだった。1967は妻の優子の誕生年。それを覚えていてくれて、一緒に飲もうと買ってくれたわけ。優しすぎる。遠慮せずありがたくいただいた。
41年間寝続けたこの赤ワインは、開け立てはさすがに寝ぼけていて頼りないくらいだったが、だんだん若さを取り戻し、最後は十分力強いものとなった。うまいなぁ、1967年にボルドー地方に降った雨(笑)。
伊藤さんが「ちりとてちん」のCDを持ってきてくれたので、それを聞いたりしながら。
なんかさんざん盛り上がったんだけど、最近は飲んでから記憶がなくなることが多く、なんだかよく覚えてないや。でもワインの味だけはしっかり覚えている。ちゃっかりしてる。
広告批評、休刊
2008年04月14日(月) 6:40:21
広告業界で働く人、もしくは広告に興味ある人にはお馴染みだった雑誌「広告批評」が来年4月で休刊になる。部数減少や赤字が理由ではないそうだが、だからこそ、広告業界にとってとても象徴的な出来事だと思う。
このニュースをしばらく前に聞いてとても感慨深かったのだが、考えてみたらここ5年、マス広告よりもメディア・ニュートラルなコミュニケーション・デザインの方向に仕事も興味も向かっていたこともあって、ボクはほとんど「広告批評」を読んでいなかったことに気がついた。たまに読むと違和感すら感じていた。もうマス広告の「表現」だけで生活者に届く時代ではとっくにない。広告自体がすでに大きく変わっている。なのに「広告の批評」という題名のこの雑誌がそこを無視してずっと「マス広告の表現」を中心に追い続けていたのは相当偏って感じられた。
ただ、結果的にそこにある種の「批評」は感じていた。
こんな時代なのに敢えてマス広告の表現中心に編集していたことに。
そういう意味では、休刊は「殉死」に近いのかもしれない。部数減少や赤字が理由でないのなら、彼らは潔く「マス広告の時代」と殉死したのだ。それはそれで見識だ。
なんだか明治と乃木希典の関係を思い出させる。
乃木希典が明治という時代に象徴的に終止符を打ったように、「広告=マス広告」という図式に象徴的に終止符が打たれた感じ。
人生を賭けるに足る仕事を真剣に探している学生たちは、時代の終焉と始まりを敏感に感じ取っている。
広告批評が主催する「広告学校」は、やはりマス広告の表現を中心に学ぶ場なのだが、受講生が年々加速度ついて減っていると聞く。マス中心と思われているトラディショナル・エージェンシーの志望者数も今年は明らかに減ったと聞いた。レベルも下がってきたらしい。有能な学生が他業界、もしくはネット系広告会社に流れているのだ。いままでは潜在的だったので目を伏せていられたそういう問題点が、明確に顕在化してきたということだ。
いいことなのだろうな。
こうしてわかりやすいカタチで顕在化しないと、広告の世界はなかなか変わらない。
中の人たちはまだまだ少し前の「マス広告栄光の時代」の殻を引きずっている人が多いし、変わらないといけないとわかっている人たちも、日常の作業に追われてなかなか変われないままに日々を過ごしている。この「広告批評」の休刊は、まさに「顕在化された明日」である。志望者減少も「顕在化された明日」である。スルーせず重く受け止めるべきだと思うし、もう猶予はない。
拙著「明日の広告」でも書いたように、別にマス広告が終わったわけではない。「広告=マス広告」という時代が終わっただけ。消費者本位に考えてコミュニケーションをデザインしていけば、まだまだ広告は力を持つ。問われているのは「脱皮」の早さだ。変わらなきゃ。
鮨さいとう
2008年04月15日(火) 7:43:57
ある会社に出向した仲のいい同僚と鮨。
彼と、NYに学びに行った後輩との3人で「鮨部」と称していろいろ食べに行っていたが、みんなバラバラになってしまったな。でも個人的には環境がバラバラの方が好き。同じ環境で愚痴言って飲んでるより、それぞれに違った環境や価値観を報告しあった方がずっと有益だ。この夜もとても有益な話をたくさん聞けた。
行ったのは赤坂の「鮨さいとう」。
ううむ。実は評判ほど期待していなかったのだが、この店はうまいなぁ。隙なくうまい。敢えて言えば穴子と玉子がわりと普通かなと思ったが、それ以外のすべてが(昨晩は)うまかった。ご主人お若いのに素晴らしい。
夜8時半からの二回転目。ちょっとだけ早く店に着いたのだが、「まだお席の用意が出来ないので、それまでこちらで飲んでお待ちいただけますか?」と、同じビル内のバー「The King's Arm」へ誘導される。で、結果的にそこでのお勘定は店持ちになるというサービス。さりげなくこういうことが出来るのもなかなか。
バーナード・リーチのデザインによる古いバー「The King's Arm」で同僚は空きっ腹にマティーニを飲んでしまい、「鮨さいとう」に戻っていきなりハイテンション。他にあまりお客さんがいなかったこともあって飛ばし始める。ご主人も意外と多弁で、鮨業界のいろんな裏話を教えてくれた。面白し。
印象深かったのは、青柳の串、鰹の即席ヅケ、スミイカ、コハダ、ハマグリ、炙ったミル。
タネの温度と酢飯の温度を揃えているのが好ましい。意外と高級店でもタネが酢飯に比べて冷たいとか熱いとかいうことがあるものだ。じっくり人肌まで寝かせて酢飯の温度と合わせたハマグリのうまいことうまいこと。
つけ台が客側に傾いている独特のデザインの店。カウンター内の真ん中に立つご主人から五角形状に広がる店内は相当ユニークだ。6席しかない小さな店だが、なんか劇場的で面白い(ちょっと圧迫感はある)。
でも鮨はやっぱりいいな。最近ちょっとご無沙汰だったけど(直近では小倉の「もり田」で食べたのが最後)、また少し食べ始めよう。
体内時計?
2008年04月16日(水) 8:01:08
先週の大阪での講演はパワポ(パワーポイントというプレゼン・ソフト)で143枚に及んだ。
2時間で143枚。1分で1.2枚。有料の講演だったので、ぜひ元を取って欲しいこともあり、アレも言おうコレも言おうこの動画も見せよう、とか盛り沢山に入れ込んでいたら最終的にこんなになってしまった。まぁ1枚にたくさんの要素を入れるのが嫌いなので、1枚1行とかも多いのだけど、動画とかもいろいろ見せて143枚はさすがに多い。
いつも多くても120枚くらい。140枚台はさすがに初めてだったので2時間でしゃべり切れるかなぁと不安だったが、終わってみたらアラ不思議。最後の1枚を終えて時計を見たら2時間ジャスト! ピッタリ! 素晴らしい!(でも質疑応答の時間がなかったのだけど…)
昨日はもっとすごかった。
ある企業にお呼ばれしてレクチャーに行ったのだが(内容は「明日の広告」)、宣伝関係のプロ相手ならコレも入れようアレも見せようと、もっともっと増えていってしまい、作り終わってみたらなんと183枚(笑)。昨日も2時間だったから、1分で1.5枚。さすがに無理がないか? 動画やDVDを見る時間を引くと、実質で1分2.5枚くらいになる。おいおい。
でも、これまた不思議。絶対無理だと思ってたのだが、最後の1枚をしゃべり終わって時計を見たら2時間ジャスト! なんのマジック? そんなに早口にしたつもりはないのだけど、大阪より40枚も多くてもなんとか入っちゃった。というか、聴いてくださった方々の方が大変か。どんどん話が進むせいで消化不良になったかも。だとしたらスイマセンでした。でも、その後30分も時間延長して質疑応答があり、うれしかったな(質問があるとうれしいものです)。
伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」に、精確な体内時計を持つ女が出てきたが、講演もそれなりに数をこなしてきて、わりと体内時計が出来てきたのかも。
ってまぁ2回ともまぐれだな、まぐれ。
調子に乗るともっと枚数増やしそうだから気をつけよう。
自転車は車ですから
2008年04月17日(木) 8:33:29
二回連続で自転車に当てられた。
ある晩と翌朝。二度とも若い女性の運転する自転車。二度とも商店街の歩道。車道とはガードレールで区切られているタイプの歩道。幅は三人が横並びできる程度。
一度目は夜。普通に歩いていたら、後ろから急にぶつかられた。チリンチリンもなし。
ぶつかられた瞬間、女性の「きゃっ」という言葉。自転車がよろけたのだ。ボクは右ふくらはぎを当てられた。まぁたいして痛くはない。とはいえ瞬間的に「もっとスピード落としてよ」とひと言出た。怒りというより注意である。
自転車は基本的に軽車両。車だから車道を走らなければならない。
というか、自転車が歩道を走っていい国なんて、先進国ではどこにもない(はず)。一度バンクーバーでレンタサイクルして、日本の習慣からなにげなく歩道を走ったら、若者からF○○○と中指を立てられたことがある。自転車は車なのだ。
日本の場合、自転車歩道走行可の標識が出ている歩道もあるが、それはあくまでも例外(その例外がほとんどの歩道で適用されているのが問題)。
その場合も前に人がいたら降りるか止まる。もしくは超徐行。歩道は歩行者優先だ。本来ならチリンチリンも鳴らしてはいけないくらい歩行者優先なのである(歩行者が邪魔な場合、鳴らしてどけるのではなくて自転車が一時停止しないといけない)。常識である。とはいえそんな常識も自転車初心者や免許を持たない人は知らなかったりする。言いたいことはいろいろあったが、全部引っくるめて「歩道を走るなら走るでいいけど、スピードは落としてよ」という意味のひと言を言ったのである。
まぁ当然謝るだろうという予想を覆し、その女性、このオヤジ何言ってんだみたいに天を仰ぎひと言、「そっちこそ真ん中歩かないでよ!」。けん責口調。え? ぶ、ぶつかられたコチラの立場は? 一瞬呆然としていたら、彼女は自転車を急発進させスピードを上げて去っていく。瞬間的に頭来たボクは「え? おい! 待て!……歩道を走るな!」と大きな声。でも最後の言葉は届かなかったかも。くそー。自転車を愛する人間のひとりとして許せん!
と、翌朝憤って妻に話し、用事があった妻と家を出てふたりで駅に向かっていた。
昨日と同じ歩道。夜と違って通勤で混み合っている。そしたらまた後ろから、チリンチリンもなく、右肘にガツンときた。今度も女性。前日は三十代前半ぽかったが、その日は二十代後半っぽい女性。朝で急いでいるせいなのかぶつかった後も速度をゆるめず、「邪魔なのよ!」と明確に語る一瞥を送ってきた上で何も言わず走り去っていく。思わず声が出る。「おい!」。大声。でもあっと言う間に遠くへ行っちゃった。
な、なんなんだ?
最近、自転車マナーが特に乱れているとは思っていた。自転車と歩行者との事故は10年前の約5倍らしいし、自転車に当てられて死亡した事故の例も聞く。でもその憂いもあるけど、今回の二件は「注意(チリンチリン)もない。謝りもない。それどころか『自分が正しい』と信じ切って相手を責める」という点がとてもショックだった。なるべく性善説で生きていきたいが、最近揺らぐことばかりが起こる。そういう時代? 日本だけ? 老人なら、ここから国を憂う論に発展させて新聞の読者欄に投書するところである。
ま、ボクの中のもうひとりの自分は「180センチ超で丸坊主のオトコにぶつかっておいて全く動じないのはなかなかなオンナである」と面白がる部分もあるのだが、でも限度があるなぁ。しかも二回連続。大声を出したのは恥ずかしいが、歩道で人に当たると大声出すオヤジがいる、という事実が少しは抑止力になるかもしれないから、これからも当たってきたら大声出すぞ。というか場合によっては説教オヤジになってやる。
ボクも自転車初心者のころ、歩道を走っていたりしていた。
だからそのこと自体は少し寛容に見たい。長く日本の習慣だったし歩道を走る例外も認められているわけだしね。でもさ、ぶつかったら謝れよ。生きていく上での基本すぎ。説教オヤジになるにしてもそこから話を始めないといけないのかよ。話長すぎ。道交法の話まで遠すぎ。
自転車は車ですから 2
2008年04月18日(金) 7:49:15
昨日の話の続き。
自転車通勤をしていた経験から言うと(現在は会社からの「自転車通勤禁止令」により中止)、車を運転している人も「自転車=車」という意識がなさすぎるのを感じる。
メールでもいくつかいただいたが、自転車で車道を走っていても、車を運転している人から、さも「邪魔だ! 自転車は歩道を行け!」とばかりのクラクションを受けることは多々ある。「なに車道走ってんだ?」と、運転席からガン飛ばされることもある。レース用の自転車は車道を走っていてもクラクションを鳴らされないが、MTBやママチャリは邪魔者扱い。まぁ遅いから仕方ないけど、でも、「自転車は車の仲間」「車道を共有する友人」みたいな意識があまりにもなさすぎる運転手は多い。
実際、車の前をフラフラと自転車が走っていると邪魔だし危険なのはよくわかる。堂々と車道を逆行してくる自転車もいたりする。自転車ならいいだろうと飲酒運転しているバカもいる。安全優先で考えるとやはり歩道を行って欲しいだろう。でもそろそろ「邪魔だしウザイけど仕方ない。仲間なのだ」という意識に変えてくれないと、結局自転車は歩道に追いやられ、歩道での歩行者との接触事故は減らないだろう。
ほんと、歩道を我が物顔に走る自転車は迷惑だからなぁ。
ある知り合いが「オレはね、歩道を歩いていて後ろから自転車にチリンチリンと鳴らされてもね、絶対道を譲らないんだ」と言っていた。チリンチリンに含まれる「邪魔だ、どけ」というニュアンスといちいちケンカするということらしい(笑)。特に走っている間中チリンチリンと鳴らし続けて歩道の真ん中を行こうとする老人男性とはいつも闘いになるらしい。うはは。よくいるよね、そういう老人。
まぁ、歩道は歩行者優先なので彼の主張は「正しい」のだが、正しさは時に暴走して「正論という暴力」になるので、そこは過渡期として寛容になりたいと個人的には思う。
昨日の話も、読み返してみると「二度も連続でぶつかられた自分の歩き方に問題はないのか?」という疑念が湧いてくる。まぁ歩道を歩行者がどう歩こうが文句言われる筋合いはないし、自転車が徐行&一時停止するのが基本なので「正しい」のだが、「自分に非はない」と信じ込んでいるとしたら、それはそれで「自転車ぶつかり走り去り女」と精神構造的に変わらない。
ちょっと自分の歩き方を反省もしつつ、暴走する自転車を睨みもしつつ、今日も通勤してみよう。
今日は大雨だから、傘さして歩道を突っ走ってくる自転車がいるぞ(笑)。注意。
仙台に一泊
2008年04月19日(土) 19:23:24
仙台に一泊で行って、夕方帰ってきた。
クレアの連載の自腹下見旅行である。ええと一泊で8軒行ったかな。牛タンの店2軒、冷やし中華発祥の店1軒、塩釜の鮨屋1軒、塩釜の割烹1軒、ずんだ餅1軒、カフェ1軒、バー1軒。あ、あと「はらこめし」の駅弁も食べた。あまり体調がよくないわりにはまぁまぁ回ったな。
仙台の夜、メシにつきあってくれたのは宮崎在住の海森堂。
たまたまボクが仙台に行く前日に「いま出張で東京に来ていますー。明日は仙台ですー」と携帯にメールをもらい、「あら、ボクも明日仙台に行こうと思っていたところ。一緒に夜飯する?」と話が急にまとまったのであった。彼とは5年以上前からメールを頻繁にやりとりしていたが、一緒にご飯食べるのは初めて。宮崎と東京のメール友達が、まさか仙台の、それも塩釜の山の上の小さな割烹「千松しま」で一緒に飲んでいるとは、なんだかとっても不思議な感じ。変な縁だねぇ。
ちなみに、まだあと最低一回(二泊くらい)は仙台に行く予定。
仙台に詳しい方々、もしおいしい店の情報をご存じでしたらお教えいただけると幸いです。甘えついでにお願いすると、次の次は高知にしようと思っているのだけど、高知、詳しくないんです。どなたかヘルプ!
「博識」はたぶん死語になる…
2008年04月20日(日) 9:49:18
中学高校生のころラジオで聴いていて、一方的大ファンだった「かぜ耕士」さん。
さなメモでも何回か書いているが、1997年2月にこんなコラムを書いたことがキッカケで、こんなことがあり、いつの間にか親しくさせていただくようになった。ボクの人生の中の奇跡的な出来事のひとつ。だって多感すぎる中学高校時代に毎晩毎晩聴いてすごく影響を受けた人と後世で親しくなれるって、他の奇跡と少しニュアンス違わない? なんだろうな。中学時代に熱中した太宰治とその後親しく話せるようになった、みたいな感じ。ボクの中ではムツゴロウさんもそうなったんだけど(彼の著書「ムツゴロウの青春記」に熱中した中学時代をボクは持つ)、そういうのってやっぱり奇跡だ。
1997年2月っていったら、まだグーグルもなかったころ(グーグルは1997年9月設立)。ボクのサイトの中の小さなコラムによく辿り着いていただけたなぁと思うのだけど、逆に言うと個人サイトもいまほど多くない頃で(ブログという言葉の種すらなかった)、まだまだああいうコラムが少なかったことも幸いしていたのかもしれない。早く始めた者の余得かな、こうして親しくさせていただけているのは。
で、その後、彼の個人サイト「たむたむたいむ」を作るお手伝いをしたりしつつおつきあいを重ねさせていただいているが、その「かぜ耕士」さんが2ヶ月ほど前からブログを始めている。「レドンドの風」というブログ(かぜさんは西海岸の有名な避暑地Redondoに住んでいた時期がある)。
いや、何が言いたいかというと、このブログが面白いのである。
昭和50年以前生まれの映画やポップス好き、もしくは現在のアメリカのTVが好きな人には堪らないだろう。
以前からかぜさんが異様な「博識」だということは知っていた。
例えば「たむたむたいむ」内の「セコハン・ラヴ」なんか読むとちょっと驚く(特に下の方の蘊蓄)。でも、いざその一端にブログで毎日触れ始めると「ありえないなぁ」と毎日つぶやくこととなる。ひとりWikipedia状態。もちろん記憶のみではなく、手元資料などを調べながら書いてると思うが、でも、実際に生で彼の「博識」に触れたことのあるボクは、ブログでの資料的記述のほとんどが彼の記憶から出ていることを知っている。間違いがないように年月日の確認として資料を調べているだけだろう。
しかもかなり抑えて書いている。本当はもっともっと饒舌に語りたいはず。実際には映画スターたったひとりについて、そこから派生する様々な蘊蓄も含めて、平気で朝まで語り続けられる人なのだ。でも「毎日それをやると疲れて更新しなくなっちゃうから」という理由で、ブログではそーとー抑えているみたい。
ネットが出現し、常時接続やユビキタスが普通になり、検索でいつでもなんでも知ることができるようになった現在。
知識は外部化され、自分の内部に蓄積しておく必要がどんどんなくなっている。だって携帯とかで検索したらわかるんだもん、いちいち覚える必要がない。ひとりの中にある知識よりネット上の知識の方が圧倒的に広くて深い場合が多いんだもん、覚える努力がバカらしく感じられる。こういう意識の変化は人類にとってとても大きなことだと思う。
たぶん「博識」という言葉はそのうち死語になる。「知識人」という人種も絶滅するかもしれない。
知識を内部に持たずに果たして知恵が生まれるのか、もしくは知識の外部化という効率が個人個人の知恵を遙かに越える成果を生み出すのか、ということに関しては数十年後の人類が身をもって証明してくれるだろうが、少なくとも「知識を多く得る喜び」と「それに対する尊敬」が大きく変質するのは確かな気がする。
博識への敬意が減ると、知識への敬意も減る。
たとえば学校の先生・教授たちの博識にボクたちは最低限の敬意を持っていたが、検索が日常化した現在はどうだろう。知識なんて外部に持っておけばいい分、生徒たちの「先生の博識への敬意」は減ってるはずだ。知識的には「外部のWikipedia>先生の内部」なんだもん仕方がない。
そして、ネット上で手軽に得られる知識を適当に組み合わせてアレンジすると「知恵っぽい何か」にもなるので、「知恵」にすらだんだん敬意を持てなくなる。
ボクは「知識や知恵をより多く得ること=大人になること」だった時期が長かったので(教養主義的人生観)、人生の成長は知識の増大とどこか比例していた。それは「成長が実感しやすい人生」でもある。あまり悩みなく前へ進めた。いまの学生はそうはいかない。成長なのか退歩なのかも判断が難しいし、目標設定もしにくいだろう。
むぅ。「博識=尊敬すべきこと」という時代にギリギリ生きられてラッキーだったなぁ。知識や知恵を得ることが喜びとして存在した。楽しく成長を実感できた。
ボクたちは「内部化された知」の最後の時代にいるのかもしれないね。
かぜさんの、たった一人の内部から湧出してくる博識に敬意を覚えながら、ふとそんなことを思った日曜の朝。
見忘れた!
2008年04月21日(月) 6:30:44
「ちりとてちん」のスペシャル番組(スピンオフドラマと違うヤツ。題名は「それぞれのちりとてちん」)、昨日BS2で放送されていたみたいですね。終わってからメールで知った。しまった!
でも、総合放送で再放送があるみたいです。ホッ。4月27日(日)25:15〜26:00。早速録画予約した。
草若の弟子たちが主人公のスピンオフドラマもBS2にての全国放送が決定したらしい(当初は関西ローカルの予定だった)。めでたしめでたし。きっとファンの声がNHKに殺到したのでしょう。
BS2といえば、おととい放映された「週刊ブックレビュー」のラストのベストセラー紹介に「明日の広告」が出た。渋谷ブックファーストの週刊ベストセラーを読み上げたところでほんの数秒(笑)。8位だった。出版してからまだたった3ヶ月なのだが、もうずいぶん昔みたいに感じていたから、あらためてうれしかった。買ってくださった方々、どうもありがとうございます。
最近いろんな作業が重なってちょっと余裕がなく、メールのお返事もたまっているし、いろんなところに不義理もしている。んー。こうやって友人知人をなくしていくのかも。というか、仕事関係とか大きな抜けがなければいいなぁ。そのくらい抜け抜け。すいません。
銀色夏生著「子どもとの暮らしと会話」
2008年04月22日(火) 7:31:55

「子どもとの暮らしと会話」。久しぶりの銀色夏生。題名がえらくストレート。詩ではなく、子供たち(中2と小2)との会話、そこから派生するいろんな想いを綴った本。
銀色夏生の「心の自由さ」に軽く打ちのめされる。
これは容易に手に入れられるものではなく、「心を自由であらせようとする瞬間瞬間の努力」を毎日毎時間毎分毎秒積み重ねていった結果であることはボクも知っている。だからこそ彼女は詩人であれるのだし、それは実に得難いことなのだが、でも「欲しいな」と無理を思った。これを手に入れるのにサラリーマンであること(つまり外部環境)は障害にならない。心のありようだから。でも、長い間にできあがってしまった自分の心の枠を取り払うのは、内臓にこびりついた脂肪を取り除くのよりだいぶ難しい。小さな努力と習慣の積み重ね。これに比べりゃダイエットなんか楽勝。
収めてあるいろんな会話がとても魅力的だ。
そうなんだよなー。子供との会話ってこうやって遺しておきたいものがいっぱいあるよなー…。日常の小さな小さな出来事と共に。
一方で銀色夏生が子供の性格を平気で「嫌い」「たえられない」「早く遠くへ行って欲しい」とか公に発表しちゃう(書いちゃう)のにもドキドキする。自由すぎない?(笑) でもそういう表現のおかげで、読み終わるころ、子供を上から目線で見ない彼女の姿勢が読者にうつり、自分たちも対等な地平にいるのを自覚する。フラットな目線の獲得。ここらへんは銀色夏生の真骨頂。レストランの食事が豊かな時間と栄養を与えてくれるように、彼女は新しい目線を提供してくれる。詩人というのは尊い仕事だな。
会話やエッセイだけでなく、写真やイラストも面白い。それらを丹念に拾って心に収めていると意外と時間がかかる。1日で読めるかな、と思った本だが、3日もかかってしまった。どっか田舎でゆっくり読むべき本かも。
この本をくれたのは遠くに行く友人。
くれた理由は理解したよ。ありがとう。気をつけて。
和稔じょ
2008年04月23日(水) 6:56:31
十勝の幕別町から「和稔じょ」が届き、ステーキにして食べた。
和稔じょ。わねんじょ。ほとんどの方が知らないと思う。それも無理がない。4年前に品種登録されたばかりなのでまだ知られていないし、ほとんど流通もしていない。といっても遺伝子組み換えの新製品とか品種改良の末とかいうものではなく、偶然発見された品種を丁寧に殖やしたものらしい。
このページを見るとよくわかるが、「和稔じょ」とは毛や毛穴がほとんどない、すぺすぺの長芋なのである。ホントにすべすべでキレイ。毛がないから普通の長芋と違って皮をむかずに食べられる。その分、少しの収穫傷も目立ってしまうのが欠点らしいが、それを補って余りあるキレイさ。
で、これがうまかったのだ!
収穫した堀内農場の方によると「和稔じょは甘味があるのでそのままおろして醤油をかけて食べるか、千切りにして食べていただけたら良いと思います。あと5mmくらいの厚さのいちょう切りにしてバターで炒めたりうま煮のように煮付けたりしても良いかと思います」とのことだが、ボクたちはまずは分厚く輪切りにして照り焼きステーキにしてみた。バターで炒めたあと醤油と味醂をまわしかける。食感と中の味がよくわかる食べ方。正解。とてもうまい。ネバネバでモチモチ。甘みが深くクセになる味。中2の娘も大喜びで食べた。
収穫は11月なのだが、年を越すとまた甘味が増すと言う。
次は生で食べようと思うが、ステーキが気に入った我が家はもう1回はステーキするかな。うま煮もいいかも。磯辺焼きとかもいい。「次はああしてみよう、こうしてみよう」と食べ物で盛り上がる食卓はうれしい。
いつも少し迷いながら話す
2008年04月24日(木) 6:52:42
昨日は朝9時からずっと打ち合わせばっかりで、最後のは夜11時開始という、まさに打ち合わせ三昧の日であった。死のロード。でも、夜11時からの打ち合わせは直前で急遽中止になり、「明日も忙しいから今日は早く帰って寝よう」とさっさと帰ってきた。
帰ってボンヤリしていると、娘から悩みを打ち明けられた。お友達関係の悩み。
んー、この年代は友達関係が世の中のすべてだからなぁ。大人になって振り返るとたわいもない悩みでも、彼女らにとっては世の中が真っ黒に塗りつぶされてしまうような重大事。
いつも迷うのだけど、こういうときって、「たいしたことないよ!」といかにも取るに足らない問題であるかのように明るく導いてあげるべきか、「う〜ん、困ったねぇ、そうだなぁ…」と一緒に深刻になって対応策を考えてあげるべきか、どっちがいいのだろう?
どちらの場合も「きちんと話を聞いてあげる」のは前提。でも視点が変わる。
長い人生から見たらたいしたことないのだよ、という長期的視点を常に与えるようにするのが前者のソリューション。視野狭窄を避けることを優先とする。すぐには難しいにしても少しずつ広い視野を刷り込んでいくやり方。これはこれで人間的強さが身についていく気がする。
子どもと同じ視点に立って、物事にきちんと向き合って解決策を導き出すスタンスをとるのが後者のソリューション。冷静に問題点を抽出して複数の解決策の中から最善のものを選び出す。トラブル処理の方法や、客観的視点の獲得、論理的思考などが長い間には身についていくだろう。
どっちがいいのか、いつも少し迷いながら話す。
昨晩はなんとなくふたつの中間みたいな感じでお悩み相談を終了してしまい、ベッドに入ってから少し後悔。中途半端だったかなぁ…。もっとどっちかにきっちり寄った方がよかったかなぁ…。
なかなか俯瞰なんて出来ないんだけど
2008年04月25日(金) 7:34:52
ある会社の、超理不尽&強制的に人事異動させられちゃう後輩に、去年書いたエントリー「サラリーマン生活の優れた部分」の中から自己引用。
んでもって、サラリーマンって「強制的に視点を変えさせられちゃう」という意味において、なかなか優れた職業(?)だと思う。異動とか転勤が理不尽に言い渡される。そして思ってもみない方向に人生が流れていく。でもこれは、結果的にだが、人生を爆裂的に進化させてくれはする。いや、マジで同情しちゃうくらい理不尽な異動だと思うけど、ちょっと後に俯瞰して自分を眺めてみて欲しい。大きく成長し、視野も広がっている自分に気がつくと思う。ぜひ、前向きに。
ボクもサラリーマンにならなければ大阪で働くなんてことはありえなかった。超理不尽だと思い、いやいや大阪に行ったものだ。でも、結果的に、あの十数年を抜きに自分の人生を語ることなんてできないくらい深く影響を受け、成長させてくれた。こういう強制的人生の変化は、成長過程において非常に重要な気がする。個人で仕事をしている人にはそれがない。自分の「常識」に固まってしまいがちだし、視点の変化を得るのが非常に難しくなる。若くして独立した優秀な人(技術者や料理人や職人や)が、意外とその地点から成長してなかったりするのはそういう部分もあると思う。外部からの強制変化がない分、自分でそれを作り出さないといけない。それはとても難しいことだ。
サラリーマン生活における「強制的人生の変化」は、意外と貴重で有り難いことなのである。
って、このサイト読んでない可能性も高いんだけど(笑)
菓子パン @仙台
2008年04月26日(土) 9:32:20
またしても一泊で仙台。クレア・トラベラーの自腹下見。
東京で普通に仕事して、仙台についたのは夜。新幹線で一時間半で着くので楽。考えようによっては通勤圏内。
まずは鮨。最近の仙台では一番評判が高い店。ちょっと「とろけ系」が多かったが楽しい店だった。まだお腹に余裕があったので二軒目に居酒屋で一杯。うーん、この店もいいなぁ。両方ともアタリ。
そのあと、あるバーで仙台の同業者たち(広告)と落ち合って軽く。楽しい時間。
決して恵まれた条件ではない地方の現場で働いている広告マンを、ボクはなぜか偏愛しているので、オファーがあったら極力会いに行く。組織が小さい地方の会社は逆に部間の壁が低いのでコミュニケーション・デザインがうまく行くことも多い。まぁ地方のクライアントは変化が遅いことが多いのでなかなか大変ではあるのだが。
もう一軒ひとりで行こうかと一瞬考えたが、おとなしくホテルへ。もう無茶が効かない年齢だ。自重自重。
翌朝。というか今朝。
ホテルの窓から新緑のケヤキが見える。外に出るとキリッと冷涼で空気が澄んでいる。仙台って美しいな。通りの名前もいい。晩翠通り。青葉通り。広瀬通り。定禅寺通り。
朝食は上杉にあるパン屋「石井屋」。メールで勧められたのだが、んー、食べ過ぎた!(笑)
だって、なんつーか、菓子パンの殿堂なのだ。丁寧に作った懐かしい味がこれでもかと揃っている。メロンパン2種、カレーパン、クリームパン、ジャムパン、あんぱん、コロネ、フランクロール、コッペパン……。
思わずいっぱい取って2階のイートイン・スペースでいろいろ食べてしまった(いくつかは持ち帰り)。あぁ昼ご飯2軒行こうと思ったのに腹一杯だ。でもおいしかったから満足。
昼ご飯食べたら帰京。
仙台は奥が深いのでもう一度くらい調べにこないといけないかも。でもスケジュールが詰まっているので悩みどころだ。
風邪ひいた
2008年04月27日(日) 5:28:39
昨日の書き方が悪かったこともあり「菓子パン9個は食べ過ぎ!」というメールいくつか。
いや、菓子パンの種類がいろいろあった、という記述と、「いろいろ取って次々食べた」という記述は別なんです。途中に「……」と入っているところでボク的には少し話が変わってるのです。つか、さすがに9個も食べないし! 今年47歳だし!
ということで、ややこしいので昨日の後半少し直しておきました。実際に食べたのは5つくらい。菓子パン5つって腹一杯になるね。お土産も5つくらい買った。
その後、ホテルで休み、早めにチェックアウトして早足散歩して腹減らして、昼飯に「ピッツェリア・デ・ナプレ」「牛タン雅」「八仙」と3店行き、メールで強力推薦された「粟野の笹かまぼこ」をお土産に買って東京へ帰った。すっかり仙台が気に入ってしまった。土地勘も少しついた。
ピザ、うまかったなぁ。仙台でこのレベルのピザに出会えるとは驚き。「雅」の「たんタタキ」も良かったなぁ。「八仙」の餃子も甘みが良い良い。なんか充実した昼飯ハシゴだった。笹かまは「粟野」以外だと「白謙」も勧められたけど仙台駅では見つからず。「粟野」楽しみ。前回は違うメーカーのものを買ったが、味の違いや如何に。
で、東京に帰ってきて昨晩は仕事をしこしこ。
んでもって今朝起きたら(5時起床)、風邪をひいていた。くしゃみ多数。鼻水ズルズル。んー、おかしいな。このところ忙しかったから疲れたかな。連休前半は大切な仕事2発。連休後半は「NYミュージカル旅」に行くことが決定しているのに、やばし!
読んでは寝、寝ては読み
2008年04月28日(月) 6:57:40
昨日はクスリを飲んでビタミンCも大量にとって、暖かくしてベッドで安静。風邪初期のうちに1日で治そうとかなり真剣に風邪と闘う。おかげでたぶん治った。あぁでも「風邪で倒れる」というのも甘美な誘いだったな。久しぶりに寝込みたい欲望がある。治っちゃったけど。
安静の友は、マルクス・アウレリウスの「自省録」。いしいしんじの「ぶらんこ乗り」。小林聡美の「ワタシは最高にツイている」。読んでは寝、寝ては読み。どれもいい本だったので夢見がよい。後者ふたつはサササと読めたが、「自省録」は味読系なのでまだまだ時間がかかりそう。この手の小難しい本は高校時代に見栄はってたいてい読んでいるのだが、50歳を前にしたイマじゃないとわからないことばかりなのは自明。あの頃どんな顔して読んでいたんだろうオレ。高校時代に読んで理解したフリをしていたあれらの本は、結局成長の役に立っているのかな。
夕方から起き出して、翌朝までにどうしても仕上げないといけない企画書にとりかかった。
3時間くらいで出来ると思っていたが、あれやこれやで5時間強。7割がた出来たところで時間切れ。バージョンアップしたパワーポイントに慣れなかったのも大きい。すぐ固まっちゃうし。相変わらずだなMS。こんなことならKeynote(マックのプレゼンソフト)を使えば良かった。ぶつぶつ。
企画書作りは得意なはずなのだが、ここ数ヶ月、どうもしっくり来ない。
「明日の広告」を書いてから、少し構成に変化が出てきて、それがまだ自分に馴染んでいないのだ。本を書く作業って自分の考えをクリアにまとめる過程だから、きっと何かがボクの中で結実しているのだろうけど、その結実が逆に企画書をまとまらなくしている感じ。どこかに何か欠けているピースがある。それがまだ見えてこない。
そんなこんなで、またしてもメールのお返事が溜まってます。少々お待ちくださいませ。
自転車は車ですから 3
2008年04月29日(火) 18:29:47
また自転車でトラブル寸前(前に書いた記事、1,2)。
というか、今回はボクから起こしたようなものか…。
朝の通勤途中、混んだ歩道を歩いていた。みんな急いでいるからボクも早足。流れに乗ってスムーズに。
と、後ろからチリンチリンチリンチリンとしつこいほどのベルが鳴り、だんだん自転車が近づいてくるではないか。歩行者を軒並み隅に追いやって歩道を突っ走ってくるようだ。最近の一連のこともあり、ムゥゥと唸って歩道の真ん中を歩くのを止めないことにした。ついにボクに追いつき、真後ろで高らかに鳴るチリンチリンチリンチリン。相当ムカッときたが我慢。横を歩く男性も道を譲る気配なし。よし、ふたりして行こう。というか、相当早足で歩いているのでチリンチリン鳴らされる筋合いはない。急ぐなら車道を行け。自転車は車なのだ。そのうえ、ひと言言っておくが、そのチリンチリン鳴らすの、基本的に交通法規違反だからな。
結局ボクの後ろで10秒くらいは鳴らしていたであろうか。目立つなぁ。相手も相当アタマに来ている模様。
で、ある隙間を見つけて自転車が一気にボクの前に出た。そのときすごい勢いでボクを睨む運転手。若い男だ。ネクタイした20代の男性。目が合い睨み返す。目があったまま自転車の速度が落ち、止まりかける。「…あぁ、ケンカになるなぁ。面倒くさいなぁ。ケンカなんて何年ぶりだろう?」とか思いつつ覚悟を決めた。というか声が出た。「おいっ」
そこで自転車は再び速度を上げた。チリンチリンと鳴らして歩行者を蹴散らしながら。
半分ホッとしつつ「おいっ!」と声で追いかける。止まらない。ちょっと先の広くなったところで大きく後ろを振り返り、またボクを睨みつけた。んでもって消えていった。
がぁ〜、アドレナリン噴出した〜(笑)
まぁ46歳のオッサンとしては青年とケンカして勝てる気はしない(上背を利用すれば互角か)。というか、ちょっとしたケンカでもケガのさせ方によっては会社に連絡が行って懲戒だってあり得る。だからケンカにならなくて正解。あんな青年のために仕事が滞るのはたまらない。でも、それにしてもアタマくる。あの「こっちは悪くない! オマエが悪い!」と信じて疑わない態度。「オレは急いでるんだ! ノロノロしやがって!」と自分の都合だけを優先する自己チューな視線。
で、例によってアタマが冷めてから反省するわけなのだが、「こっちは悪くない。オマエが悪い」と信じて疑わない態度は、あの瞬間ボクも同じではあったんだよな…。いや、実際こっちは悪くないし、法律的にもあっちの負けなのだが、とはいえ喧嘩腰以外に対応はなかったのか、大人なくせにすぐアタマに血を上らせたのはどうなのか、正論にこだわる必要があったのか、他の解決策はなかったのか。微妙に難しい。過渡期として寛容になろうと前に書いたばかりだし。つか、喧嘩腰って相手と同じ土俵ということで。んー大人げない…。
なんかそのうち本格的なトラブルを引き起こしてしまいそうな予感がするので、通勤ルートを変えようかと考え中。なにより朝からイライラするのはカラダによくない。とはいえ抑止力的オヤジも街に必要な気もする。んー、どうすんべ。
Event Reminder
2008年04月30日(水) 6:56:23
ticketmasterでチケットを買うと「Event Reminder」というメールが届く。キミのイベントはもうすぐだよ!と明るく挨拶があって、そのイベントが書かれているわけなのだが、昨日それが届いた。
Hello Naoyuki. Your event is happening soon!
Young Frankenstein
When: Saturday, May 03, 2008 8:00pm
Where: Hilton Theatre 213 West 42nd Street New York
おお。ミュージカルの「ヤング・フランケンシュタイン」、そういえば予約した! ええとMay 03ね。42丁目ね。って、うわっ、5/3って今週じゃん! すぐじゃん! 月が替わるせいかそんなに近いとは思ってなかったよ。
そう、なんとあさって、5/2出発でニューヨークに行くのだった。
昨年に引き続きのミュージカル三昧。すっかりミュージカル仲間になったモリたちと。家族にも「ひとりで行くこと」を根回しして許してもらった末のイベントだった。そうまでして行くのに、なんと実感もワクワクもないことよ。50時間後には出発なのに全くそんな意識も心づもりも用意もしてないワタクシ。前日である明日もプレゼンと会食がありバタバタだ。体調もボロボロだしやること山積。ちゃんとすべて終えて出かけられるのか!?
いや「ヤング・フランケンシュタイン」より前にイベントがあるのも思い出した。
5/2、つまり出発した日の夜であると同時に到着する日の夜(日付変更線を越えるからそういうことになる)には、ヤンキー・スタジアムで「ヤンキーズ vs マリナーズ」がある。チケットを取ってある。ううむ、あさっての夜には松井対イチローを観ているのかオレ!
最悪、パスポートとカードと財布とチケットだけ握りしめて、とにかくヒコーキに乗るべし!




