2007年03月
のだめオーケストラ・コンサート
2007年03月01日(木) 7:48:45
昨日は日経で講演。
お題は「クロスメディア時代のクリエーティブ」。副題を「消費者が変わった。広告も変わらないと」とつけて、140ページにまで膨れあがった講演用パワーポイントを90分で説明しきる。1ページ平均38秒(笑)。ま、演出上1ページ1行とかも多いのでそこまでではないけど、動画もいっぱい交えながらだったから相当駆け足ではあった。聞く方も疲れたと思うけど、話す方も疲れたー。でもコレさえ聞けばここ数年の動向はほとんどわかる仕組みにはしたつもり。たぶん。
で、疲れ切った後、その足で有楽町の国際フォーラム・ホールAで開かれた「のだめオーケストラ・コンサート」へ家族で行ってきた。これも受験お疲れさんの一環。娘がずっと楽しみにしてきたものである。
出足良くチケット購入したせいで、1階の前から3列目。ただし舞台に向かって右端。
このホール、なんと5000人入るホールで、クラシックとしては音響に無理がある。だからだろう、PA(舞台用スピーカー)が入っているのだ。オケの生音を増幅して聴かせているわけ。席は右端。スピーカー前。つまり、左耳からオケの生音が聞こえ、右耳からPAのブーミーな音が聞こえる。定位も生の良さもあったもんではない。ちょっと車酔いに近い感覚すらあった。ううむ。
とはいえ、フジテレビ主催なせいか、構成は軽やかで面白かった。
アニメが流され、その筋に沿って演奏が繰り広げられるのだが、ドラマで千秋の手をやった大田佳弘、のだめの手をやった安宅薫らによる「悲愴」や「2台のピアノのためのソナタ」。大阪フィルの主席でもあるという長原幸太による「春」なども良かったし、のだめの声優による「おなら体操」もなかなか。お馴染みのベートーベン7番や3番、マングース君や吉森信のピアニカが登場する「ラプソディ・イン・ブルー」も楽しかった。
ドラマのために公募して結成されたという若手実力派たちによるオケはとても華やかな音を出し、一所懸命さがよく伝わってくる素晴らしい演奏。指揮の梅田俊明もノリがよく、立場も狙いも理解していて軽快。
カメラを多数使ってスクリーンではオケ・メンバーがアップで映し出される。会場の客はみんな「のだめ」の読者なわけで「楽器演奏者ひとりひとりの裏側に人間ドラマがあるんだなぁ」と想像しながら見てるので、なんか感動がいつものクラシック・コンサートとは少し違う。その辺が面白かったし、もっとその辺が表面に出てくると他のクラシック・コンサートも違ってくるだろうと思った。そう、もっと演奏者の肉声や人生が知れれば、地味なオケや演目でもきっと楽しいだろう。オケもこっちの方向に変わっていけば、収支が変わってくるのではないかなぁ。せめてオケ全員ブログを持って肉声を伝え出す、とかから始めるとか。
スペシャルゲストはクリスタル・ケイとSUEMITSU&THE SUEMITH。司会進行はフジの軽部アナだし、スクリーンをいろいろ使ってテレビ的に構成されているし、娘は実に楽しんだ模様。ボク的には細切れの演奏に少し欲求不満が残ったが、でもリラックスして楽しんだ。気がついたら疲れもずいぶん軽減されてた。サンキュー。
5000人入るホールが3日間完売だという。
のだめ人気恐るべし。これに限らず、ベートーベン7番を演目に入れるだけで完売になるコンサート続出だとか。マニアの間では批判もあるだろうが、クラシック・ファンの底上げとしてはとってもいいことだ。
ゴードンのティンキャップ
2007年03月02日(金) 9:00:22
去年やった講演でお知り合いになったクライアントとのご飯のあと、ひとりで「テンダリー」へ。久しぶりだ。
宮崎さんに「なんかウンダーベルク系で」とお願いした。
札幌の「バー山崎」(切り絵をしてくれるとこだ!)のオリジナル「フライハイト」を作っていただく。スロージンも好きなので大満足。そういえば「バー山崎」の出身で湯島の「EST!」の息子さんがやっている「アトリウム」が新しく移転したので先々週に行ったなぁ、とか思いながらゆっくり飲んだ。
一杯でサッと帰ろうと思ったボクに、宮崎さんがニコニコ寄ってきて悪魔の言葉。
なんとティンキャップの「ゴードン」が手に入ったという。んー正確には知らないけど1950年代? それはすごいなぁ。ではもう一杯、と居座る。オールド・タイプの「ゴードン」は本当においしいし。
ストレートでいただいたそのまろやかさに参った。舌や鼻を刺してくる要素がひとつもない。ジンは古いからって熟成するわけではないと思うので、これはもう作り方の違いなのだろう。なんでオールド・タイプの作り方を捨てるのだろう(やっぱり経済効率かな)。効率といえば、ゴードンは新ボトルを細長いタイプに変えたようだ。これは輸送効率なんだろうなぁ。前のボトルの方が100倍いいなぁ。
そういえば、「スミノフ」が韓国製になっているんだって? ボトルの裏を見たら確かに「製造元:韓国」と書いてあった。蒸留の仕方をちょっと端折っているようで、「冷凍庫に入れたら凍るのもあるらしいです」と。凍ってしまうウオトカ…。ううむ。これも効率重視の結果なのだろうなぁ…。
池田晶子死去
2007年03月03日(土) 8:55:12
死んで去る。か。
まいったな。ちょっと取り乱し気味。2月23日。46歳。腎臓ガン。
池田晶子の著作を初めて読んだのは、たぶん1992年。「事象そのものへ!」であったと思う。会社のとある上司に「読め」と紹介されたのだ。ちなみにその時もう一冊紹介されたのが池田清彦の「昆虫のパンセ」だったから、相当ハイブロウな上司である(中村さんだった。下の名前が思い出せない…)。
で、その後「メタフィジカ!」「帰ってきたソクラテス」あたりを読んで、それ以降ボクの中ではお馴染みさんになった。1996年以降に読んだのはこんな感じ。最近3年間に読んだ本はまだ感想を書いていないが。
冥福は祈らない。冥土での幸福を祈るということは、冥土での「存在」を肯定すること。「存在」とは何かを問い続けてきた彼女にそんなことをしたら笑われてしまう。
同時代に生きられて光栄だなぁ、と思える人をまたひとり失ってしまった。
彼女は死に際して何を考えたであろうか。今日はそんなことをゆっくり考える日にしたい。
半袖で天を仰ぐ
2007年03月04日(日) 17:46:36
昨日は池田晶子ショックでふて寝。こういう感覚は久しぶり。須賀敦子とか向田邦子とか高野悦子の時に近い感じ。彼女が生きていることを理由に「存在」に目をそらして生きていたかも、とちょっと思った。ボクが考えなくても池田晶子が日本のどこかで考えていると思えばなんとなく許されるような、そんな不思議な勝手感覚がどこかにあった。全然違うのはわかってるけど。でも。
娘の響子が「池田晶子さんのことは残念だけど仕方ないよ」と寝室に慰めにきてくれたりして(笑)、ズルズルと夜に起き出し、家族で映画「サマータイムマシンブルース」をDVD鑑賞。
公開時から評判が良く、「これは観なくては」と思っていながら見逃していた映画。こんな落ち込んだ日にはちょうどいいかも。娘的には「のだめ(上野樹里)と峰(瑛太)が出る」というのがツボ。
上野樹里が出る映画は面白いのが多いのだが、ちょっと前に観た映画「笑う大天使(ミカエル)」で大ハズシしたので同じ感じだったらヤだなぁと不安げに観た。冒頭が「笑う大天使」ちっくな不思議感覚だったので「ヤバッ」と家族で顔を見合わせる。でも中盤からどんどん盛り上がっていき、終わったら「面白かった〜」と大好評。とてもいい青春映画に仕上がっているなぁ。好きかも。
で、今日。
さすがに池田晶子ショックからは立ち直り、あまりに暖かい日だったので、半袖Tシャツ1枚で外出。
でもまぁ考えたらまだ3月頭。小学生とかに半袖クンもいたけど、さすがに大人では皆無。図らずも街で注目の的(笑)。車の中から指とかさされたし。すげーイチビリに思われたかも。
でもこの気持ちよさは譲れず。
春先にちょっと季節が早い格好で外出するウキウキ感ってイイよね…。とか。ちょっと天を仰ぐ。もう目をそらしてはいけないんだろうなぁ…。
バブルへGO!
2007年03月05日(月) 17:33:50
先日、題名の秀逸さに惹かれて映画「バブルへGO!」を観てきた。「タイムマシンはドラム式」っていう副題もいいしなぁ。なんといってもホイチョイだし。
んー、なんつうか、いい意味でゆるい映画だった。
いや、ボクみたいな「ホイチョイ好き」にとっては「いい意味」だけど、そうでない人にとっては「悪い意味」かも。着眼点はいいのだけど、演出がゆるすぎる(いや、脚本かな)。テンポも悪すぎる。「私をスキーに連れてって」に通じるゆるさなので、ホイチョイ好きはなんとなく好意的になっちゃうんだけど、ジェットコースターみたいな映画が多い今現在ではやっぱちょっと厳しいかも…。
1990年。ボクは入社5年目。「あぁあったよなぁ〜」と唸らせる懐かしい風景がいっぱい出て来て、そこはそれなりに凝ってくれているのだけど、小技ももっともっと入れて欲しかったし、懐かしグッズもまだまだ足りないし、テンポは数倍あげて欲しかったし、全体的に不完全燃焼だったかも。惜しいなぁ。何十倍も面白くなると思うんだけどなぁ。
個人的には「セラン」が懐かしい。セランでティラミス自慢するのとか、やったよやった(軽っ)
黄色い万年筆
2007年03月06日(火) 12:56:59
今日は娘の誕生日にして、夫婦の結婚記念日でもある日。
誕生日プレゼントは何がいい? と聞いたら「万年筆!」と渋いことを言うので、鳩居堂へ行って買ってきた。分相応のもの。入門編で充分だ。何に使うか聞いたら、これで日記を書くと言う。ふーん。
入学祝いはやっぱ辞書とかかなぁ。デジタルな両親の影響で調べ物にはGoogleとかWikiとかを多用している彼女だが(それはそれで時代の流れなので許容している)、紙の辞書の良さはまた格別。いろいろ調べて、いい辞書をセレクトしてあげよう。
というか、万年筆にしても辞書にしても、こういう「賢くなれそうなグッズ」を子供に買い与えるのって、なんか胸の奥の方からうれしい感じだ。親ってそういうものなんだな、と、あらためて。ボクの両親もこんなくすぐったい想いをしたのだろうか。
関係ないけど、昨晩行ったレストランで、隣の隣の席に黒柳徹子さんが座った。あぁビックリした。よく食べよく喋っていた。髪型が玉葱型ではなく、パーマばりばりだったのも新鮮。
Wii、すごい!
2007年03月07日(水) 8:15:45
ゼルダもWiiスポーツなどのソフトもすごいと思ったけど、昨日初めてWiiをネットに接続してみて、そのすごさにもう一度驚いた。リモコンを使ったゲーム性の新しさだけじゃなかった。
まず接続の設定がないのに感動。マック以上に簡単(というかWINが難しすぎ)。設定を初めて数秒で無線LANに繋がって、あっという間にお天気やニュースなんかのサービスが受けられた。お天気はインターフェースも見やすく素晴らしい。住んでる地域だけでなく、地球儀とか掴んでグルグル回しながら世界の天気を知れる。いいなぁ。
ニュースも感動した。わかりやすいインターフェースでニュース記事が読めるのだけど、そこでの文字拡大縮小の動作がすごい。こう来たか…。素晴らしい。これもマックっぽい。使う側のことを考えて、ちょっとエンタテインメントが入れてある。そういえば、任天堂ってアップルと思想が似てるかも。
で、Wiiをネットに繋ぐと、ファミコンやスーファミの懐かしいソフトがオンラインでダウンロードして遊べるのだけど、そこで懐かしの初代「スーパーマリオ」を買い(500円)、家族でひとしきり遊んだ。やっぱ名作だなぁ。いつの間にか数時間、キャーキャー言いながら遊んでいた。
んでもって、サイトもTVで見られる。
自分のサイトを見てみたあと(わりとまともに写っている)、話題のRimo(Wii上でYouTubeをTV感覚で流しっぱなしにしてくれるサイト)にも接続して、リビングのTVでYouTubeを流しっぱで楽しんだ。「流しっぱYouTube」って意外と楽しい。娘も妙に喜んだ。
なんつうか、TVと同じ地平線上で視聴者の時間を取り合う新メディアが忽然と現れたような感覚。
もちろんゲーム機は我々の時間を多大に持っていくのだが、あまりTVや新聞などのメディアと同じ地平では語られにくかった。それが急に同じ地平に出てきた感じ。頭の中で予想がついていたこととはいえ、実際に触れてみると「これからの茶の間メディアってこのWiiの延長線上にありそうな予感」がひしひしとしてきた。
ネットも動画の時代になり、ポータルサイトを中心としたテキスト一覧時代に比べてパラダイムシフトが起こってきている(動画はたった1ストリームで視聴者の時間を縛る、という意味で)。こういう時代は「生活者の24時間しかない時間の取り合い」がより重要視されてくるだろう。そのとき、Wiiみたいな「エンタテインメント複合機」はその代表プレイヤーのひとつになるのだろうなぁ。とか。
似た波、違う波、思ってもみなかった波
2007年03月08日(木) 8:34:00
今読んでいるよしもとばななの「チエちゃんと私」の中にこんな一節があった。無口なチエちゃんが独白する場面である。ちょっと長いけど引用してみる。
私はサーフィンをしなくて見ているだけだけど、見るのは好き。ずっと見ていると少しわかってくる。今日の午後、どんな波が来るのか、ある程度予測はつくんだよね。うんと慣れてくると。でもそこが人というものの弱いところで、サーフィンをする生活が数年続いてルーチンになってくると、いつかの天候、そのときの波と比べるようになってしまうし、波のことがわかったような気になってきてしまうみたい。それでケガして、また反省して、またケガして、を繰り返す人はとても多いよ。同じところをぐるぐる回ってるのに気づかないの。実は違うんだと思うんだ……。毎回違う波だというふうに思えることのほうが、似た波を分類するよりも大事なの。天気の分析は欠かせないものだし、するべきなんだけど、同じような天気と波があると思ってしまうのはとても傲慢なことで、同じようなものがあるとしたら、それは自分の内面のほうであって、世界のほうではないの。これって、自然はすごいっていう話じゃないよ、全然。自然以外も、全てのことがほんとうはそういうふうに毎回少しずつ違っているのに、広すぎてこわいから、人間はいつでも固定させて、安心しようとするの。知ってることの中に。3月末に家族でポルトガル旅行に行くのだが、そう言うと「なんでポルトガルなの?」とたいてい聞かれる。フランスでもイタリアでもスペインでもなく、アジアでも南の島でもなく、なんでポルトガル? と。
その理由はこんなことに近いかなぁと読みながらちょっと思った。人生も40年以上過ぎてくると波がだんだん似て見えてくる。そしてわかったような気になってくる。フランス行ってもイタリア行っても(食の経験値は深まるかもだけど)、ボクにとっては、似た波の枠から出ない感じがどこかでする。
ボクが今回旅行の候補に入れたのは、ポルトガルとかアルジェリアとかオランダなどなのだが、どれも自分の中で「思ってもみなかった波」である。そういうのを意識的に人生に組み込まないと、すぐ安心してさぼろうとする自分がいる。意識して刺激しないとすぐ自分の枠内で満足するようになっちゃうのだ(同じ理由で南米や中近東も考えたが、娘にはちょっと早い)。
というか、レストランでの食事も「波」に似てるなぁ。今日の夜、どんな波が来るのか、ある程度予測はつく。でも、
同じような天気と波があると思ってしまうのはとても傲慢なことで、同じようなものがあるとしたら、それは自分の内面のほうであって、世界のほうではないの。似てる部分、違う部分を分類して、知ってることの中に固定して安心しようとする。毎回違う「波」なのに。つまんないね。気をつけよう。
ドリームガールズ
2007年03月09日(金) 9:00:48
先週、映画「ドリームガールズ」を観てきた。
20年以上前にトニー賞の最優秀ミュージカル賞を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの古典の映画化。ずっと映画化の噂が絶えなかった作品だけど、20年以上待ってやっと映画化されたのね。まるでジェニファー・ハドソンの登場を待っていたかのようだ。
舞台をそのまんま映画化しました!って感じで、テンポはいいし曲はいいしブロードウェイっぽいきらびやかさはあるし、個人的にはとても気に入った。
というか、ビヨンセに参った。美しすぎる。歌も良いし演技も良い。ダイアナ・ロス&シュープリームスをモデルにしつつ、デスティニーズ・チャイルドの初期メンバー追放騒動をも思い起こさせて、複雑な味を見せていた。観て以来デスティニーズ・チャイルドやらソロ・アルバムやらを聴きまくっている。
巷で大評判のジェニファー・ハドソンより、ボクはビヨンセが素晴らしい映画だと思ったけどなぁ。逆にジェニファー的な人って代替が効くのではないかとすら思った(ああいうタイプ、ブロードウェイにゴロゴロいない?)。「アメリカンアイドル」でのエピソードと合わせ技で受けている印象を個人的には持った。
あと、エディ・マーフィー(あのモデルはJBなのか?)も快演。この程度の歌は普通にこなせるぜ、とばかりに伸び伸びやってたなぁ。さすが。
アカデミー作品賞が取れる作品ではないと思うけど、モータウン好きとしてはなかなか楽しい。やっぱ20年ほど前に買った「THE MOTOWN STORY 〜THE FIRST 25 YEARS」のCD(日本版はもう絶版みたい)も久しぶりに聴きまくり中。ダイアナ・ロスを愛していた先輩とふたりでR&Bをよく聴いたなぁとか、懐古モードへ。
一日中リニューアル作業
2007年03月10日(土) 21:35:40
シコシコと一日中「関西のおいしい店リスト」リニューアル作業(あと一週間くらいでオープンできると思います)。
関西のリストはだいたい1994年から1999年までに行った店が多いのだが(サイトを始めたのが1995年だから)、それってボクの33歳から38歳に渡っていて、体力的な意味で「食べ歩きの全盛期」でもあったのだった。
あの時期もし東京にいたら、東京のレストランの楽しみ方ももっともっと幅が広かったのだろうな、と、よく思う。店の知っている数が違うということよりも、店の使い方が全然違ったと思うのだ。
ボクが30代によく通い遊んだ店はほとんど関西にある。
もしあれらが全部東京にあったら、なんて深い40代食生活が過ごせていることか。まぁ転勤で強制リセットされたメリットもあるのだけど、とはいえなんだかモッタイナイ。とか、リストを整理しながら思ったな。いろんな人間関係もほとんどリセットされちゃったし。
25歳〜32歳くらいまでの食べ歩きを全く書き残せなかったこともちょっと惜しい。
まだネット自体がなかった時代だから仕方ないとはいえ、いま若くてブログ書いている人とかがうらやましくなったりする。書くことは考えること。書くことは反芻すること。食べたものをヒトが読んでもわかるような感想にして書いておくと食経験は圧倒的に深くなる。
それにしても、たった10年前くらいのことなのに、食の地図もずいぶん変わった。
リストを整理しながら、「お、十四代を置いているというだけでこんなに褒めてる」とか「クスクスを出すというだけで珍しいと騒いでる」とか「プルコギ以外を出す韓国料理屋を本格的とほざいてる」とか、今とずいぶん違うコメントの方向性にびっくりする。当時珍しかった日本酒や食材、料理がここ10年でごくごく普通になった。それにともなって、10年前は本格的だった店も、今では他が追いついて、ごくごく普通になっちゃった。なにやら感慨深い。
細かい作業に肩が凝って、夕方からプール。
血を隅々まで行き渡らせるのにスイミングは最適。今日はすいていた。
赤い男
2007年03月11日(日) 10:55:55
仕事柄、そしてプライベート柄、マックのMacBook Pro15インチを常に持ち歩いている。
重いのでショルダーバッグよりもバックパックの方が重宝するのだが、15インチはさすがに大きい。このバックパックとこのバックパックをローテーションで使っていたのだが、前者は無理矢理15インチを入れていたせいで壊れてしまった(ファスナーがボロボロになってオシャカ)。後者は革製でバックパック自体が重いので、服と合わせる時以外出動しない。というか重くなりすぎてちょと苦痛。
こりゃ困った、といろんなカバンを見て歩いていたのだが、先日あるバッグに決めた。買って1ヶ月以上になるのだがなかなか快適である。TUMIとDUCATIのコラボのヤツ(写真)。15インチが楽々入る上に軽くて丈夫。今のところとても気に入っていて他の2つくらいとローテで使っているが、派手なのでそーとー目立つのが難。ジロジロ見られる。でもそんなこと気にせず、黒に鮮やかな赤が入ったReebokとか履いてコーディネートして楽しんでいる。
ちゅうか、最近「赤」が無性に好きになってきた。
以前は緑とかオレンジが好きだったのだが、色の好みも変わるのだなぁ。
今では下着も赤だし(笑)、メガネも赤にした。あ、そういえばサイトの色使いも赤だな。
美輪明宏だったか、「黒をよく着る人は下着を赤にするとよい。というか、しなきゃダメ。不幸になる」みたいなことを書いていて、そういうの全く信じていないものの、一度だけやってみたのだ。イタリア人が年越しに赤い下着を着る、というのも後押しして。そしたら意外と良かったのである。なんとなく気持ちが明るくなる。なんだか元気な気分になる。単純でスマンけど。
で、赤い下着が習慣になってきたある日、この際だからメガネも赤に替えてみようと思い立ったのだ。
それまでしていたのはフレームなしでちょっとレンズに黒が入った怖めスタイリッシュ系。ただでさえ第一印象が悪いボクなのだが、このメガネだと相当怖いらしい。仕事上は有利なのだが、プライベートな初対面で嫌われ気味になる部分もあった。なんだかヤなタイプって。そりゃまずい。でも赤なら「優しい人」っぽくなれるかも!
で、赤いフレームのメガネに替えた。
JEAN LAFONTのヤツである。たしかに優しい人っぽくなったが、たまに「南海キャンディーズ?」とか言われる。単に軽くなっただけ? むむむ。
最近ではタートルやシャツまで赤くしだした。そのうち赤ジャケットとか赤ジーンズとか着だすかもしれない。そのときは「あぁお調子者が歩いてる」と温かく見守ってやってください。きっとハシカみたいなもんだと思います。
今週末には桜開花
2007年03月12日(月) 12:50:30
おもしろ本、数冊更新しています。
なんか最近、女性の書く本ばかり読んでる気がする。なんなんだろう。春だからかも。
今年の東京の開花は3月18日だとか。
早いなぁ。卒業式のときにはもう桜が散り始めているかもしれない。入学式のときは葉桜だ。中学入学を控えた我が家にとってはちょっと残念。
で、18日にはsuicaとpassnetが合体し、JRも地下鉄もバスも私鉄も乗れるようになる。これはいいなぁ。大便利。開花日にピッタシ合うなんて、関係者は喜んでいるだろう。
あ、それと、関西の話だけど、18日から昔住んでいた夙川にJRが止まるようになるんだって? 駅の名前は「さくら夙川駅」とか。んぬぬ。こういう情緒的な意味をつけた地名や町名、駅名ってキライ。意味付けは住民や使用する人がそれぞれにするもので、強制されることではない。
とはいえ、夙川の桜は(個人的には)日本一。
あの辺の開花時期は知らないけど、18日なんて意外といいタイミングかもしれない。
ポジティブに続く道
2007年03月13日(火) 8:20:54
女性作家がなぜか続いたのでいっそのことしばらくそうしてみよう、ということで、島本理生の「ナラタージュ」を読みはじめた(どうしてもナタラージュと言ってしまう:笑)。彼女の本は初めて。
この本はどうだかまだわからないが、男性作家に比べて女性作家は「ポジティブ」なテーマや結末を持っていることが多いと感じる。
3年ちょっと前に読んだ「どこにでもある場所とどこにもいないわたし」で著者・村上龍があとがきでこんなことを書いている。
強力に近代化が推し進められていたころは、そのネガティブな側面を描くことが文学の使命だった。近代化の陰で差別される人や取り残される人、押しつぶされる人、近代化を拒否する人などを日本近代文学は描いてきた。近代化が終焉して久しい現代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない。 (中略) この短編集には、それぞれの登場人物固有の希望を書き込みたかった。社会的な希望ではない。他人と共有することのできない個別の希望だ。文学の使命が変わったんだな、と普通に思う。
変わって久しいからこそ、どの本を読んでも希望の匂いがするようになった。女性作家の方がそれが顕著である。「近代化の終焉」に敏感なのだろう。
そういえば、最近若者にはやりの「泣かせ小説」だって涙の向うに希望の光がある。
サイトをやりはじめたころ、ネットがネガティブ・メディア(アンチ・メジャーメディア)だったこともあり、ボクもレストランや本をネガティブめに書くことが多かった。グルメ評論家やメジャーメディアが褒めるために褒めるなら「ネガティブな側面」を書く、みたいな姿勢である。そしてそれは有効だったと思うし、そこそこお役に立っていたとも思う。
でも、ネット自体がメジャーメディアになってくると急に違和感を感じはじめた。それは村上龍が言うところの「近代化の終焉」の影響もあったかもしれない。ネットの登場と普及が、近代化の終焉を推し進めた部分もあったのかもしれない。いつの頃からかポジティブを目指すようになった。
というか、時代的に「ネガティブの効力」が格段に薄まった。情報が単一だった時代には有効な気付きを与えた「ネガティブ」は、情報が洪水化した途端単なる「一意見」に落ち、ヒトはわざわざ読みたいと思わなくなった。ヒトはいま「個別の希望」が読みたいのだ。
「関西のおいしい店リスト」をリニューアルのために書き直していて特にそう感じる。
ほとんどが10年以上前に書いた記事だ。読んでいて「空気感」が違うのに驚く。ネガティブだ。自分ではそこまで意識してなかったが、やっぱりネガティブだ。自分も変わったのだろうが、特に時代の空気の変化を感じる。
もちろんネガティブな意見は古い、と言っているのではない。ネガティブな意見は必要だ。でも、そのネガティブは「ポジティブに続く道」でなくてはいけない。その辺がここ10年、特に大きく変わった気がする。
殺木、その後
2007年03月14日(水) 8:33:44
以前、近所の大木が4本切られてしまった話を書いた。
その更地には4軒の家が建築中なのだが、工事中のビニールシートに、ある住宅メーカーの名前が大々的に書いてある。
過敏に反応したのは娘の響子である。
テレビでそのメーカーのCMが流れるたびに、苦虫を噛み潰してぐじゃぐじゃに咀嚼して舌と上顎の間で擦り揉んだような顔をする。
「どうした?」
「このメーカー大っ嫌い!」
「木を切ったから?」
「そう。そのくせに自然がどうの木のぬくもりがどうのって言ってる!」
ボクがいないときに、その住宅メーカーと工事関係者が「工事始めます。ご迷惑かけます」と近所挨拶に回ったらしく、同居している父が応対したらしい。
「しばらくご迷惑かけますが、がんばって街に馴染むいい家を建てさせていただきます」
「どうかなぁ。百年の大木を4本とも切っちゃう会社だからなぁ」
「(苦笑)ちゃんと新しくいい木も植えさせていただきますので!」
「いやぁ、信用できないなぁ。取り返しのつかないことをやったからなぁ」
(辛辣な応対だ:笑)
大木を切る決断をしたのは最終的には敷地の持ち主だろう。不動産会社や住宅メーカーが進言したとは思うが(敷地効率を上げるため)、住宅メーカーだけが悪いのではない。でも、会社の評判って意外とこんなところで決まってしまって、たぶん一生立て直せない。
もちろん小さな小さな悪評である。局所的で個人的だ。無視できるし握りつぶせる。でも娘は一生持って歩くし、父も死ぬまで許さないだろう(ボクも)。クチコミ時代ということもあるが、こういう個人の確固とした強い想いは意外とバカにできない。娘の苦虫を噛み潰してぐじゃぐじゃに咀嚼して舌と上顎の間で擦り揉んだような顔を見るたびにそう思う。
TEAM NACS公演「HONOR 〜守り続けた痛みと共に」
2007年03月15日(木) 8:54:34
ひょんなことからお知り合いになった森崎博之さんのTEAM NACS「HONOR 〜守り続けた痛みと共に」の東京公演を観てきた。「水曜どうでしょう」やドラマ出演で人気が出ている大泉洋が所属する劇団、と言った方が通りが良いのかもしれない。北海道を本拠地にしているたった5人の劇団である。森崎さんがリーダーをやっている。
実はあまり期待していなかった。まぁこれからどんどん有名になって行くにしても、まだ地方の小劇団の域を出ていないのではないかなぁと思っていた。前評判は高かったが、一部のコアなファンによるもの、と思っていたのである。天王洲銀河劇場なんていう大箱で大丈夫なのかとも心配した(立ち見が出るくらいの超満員だったけど)。
また、題名の感じから、なんとなく第三舞台の初期名作「朝日のような夕日をつれて」に近い先入観を持っていた。なんかみんなで声合わせて青臭いセリフを言いそうな。1980年代の匂いがするような。「小劇団臭」がするような。
でも。
予想に反して、TEAM NACSの舞台はずっと洗練されていた。堂々たるストーリーと演出。笑いあり涙あり通底するテーマあり、を伸び伸び演じきっている。あの頃の第三舞台よりずっとメジャー感がある。ハッキリ言ってビックリした。
これは森崎さんが知り合いだから言うのではないが、彼の脚本と演出が実によい。お互い酔っぱらった姿しか知らない仲なので、これにもビックリ。2時間の長丁場を全く飽きさせない。
なんつうか全体に「お育ちのいい舞台」という感じだったなぁ。いい意味で。
小難しいこと言って観客を煙に巻くところがなく、ストレートかつ爽やか。ストーリーに無理なく入っていけ、素直に泣け、自然に笑えた。小劇団ちっくに変化球放ってる方が楽なのに、ちゃんと直球で真正面からストライクを取りに来た感じ。潔くて、でもよく練れていて、舌を巻いた。
北海道のある村の三代を、約70年、現代、過去、まだ現代と歴史を行き来して描いていくストーリーなのだが、歴史の遡り方がとても自然で上手。5人とも演技がうまいこともあるが、すっとストーリーに入れ込め、きちんと思い入れさせてくれる。たった5人でひとり何役もやっているにも関わらず、ストーリーと登場人物が素直に頭に入ってくる。これはなかなか高等な技。
まだ東京大阪札幌と50舞台以上公演は続くようである。
以前からのファン5割、大泉洋ファン3割、一般2割という雰囲気であったが、多くの人に見てもらいたい舞台である。終演後、思わずひとりでビールを飲みに行った。うまかった。舞台のおかげである。
久しぶりにビリヤード
2007年03月16日(金) 7:36:48
昨晩は、あるキッカケがあってビリヤードへ。
六本木ロアビル「バグース」。30台が壮観に並ぶ。ここはなかなか良いなぁ。
それにしてもものすごい久しぶりだ。学生時代には四つ玉をシコシコやったが、それからはここ20年で3回くらいしかやっていない。幸い昨晩はビリヤード巧者と一緒だったので、最初の30分は簡単にレッスンしてもらうことに。
「あ、昔はそうやって握りましたけど、いまでは指を輪にせず、親指立ててその付け根にキューを滑らすのが格好良く見えます」とか「あ、そういう時は台に指乗せるんですけど、親指を手の平の中に入れた方がイマっぽく見えます」とか、うーむ、わかってらっしゃる。短時間でイマイマの打ち方を見栄講座的にシンプルに教えてくれた。さすがだな〜。
玉の狙い方にしても、昔は「中心から1/3の点を狙う」とかで打っていた気がするが、「今はイメージボールですね」とおっしゃる。へー、そこにそういう風にボールがあるとイメージして狙うのかぁ。
9ボールをちょっとしたあと、8ボールを数ゲーム。なるほど玉に当てた後のポジショニングがポイントなのね。もともとがゼロだっただけにザクザク上がるビリヤード・リテラシー。うーん、面白い。たまに突きに来よう。
突き終わってから虎ノ門の「玄庵」に流れてうまいつまみに蕎麦(6月に移転して虎ノ門「兵六」と合体するらしい)。最後に銀座のシャンパンバー「ヴィオニス」で〆。
深夜の街を歩きながら薄い頭頂部になんか冷たいものを感じるなぁと思っていたら、やはり雪だった模様。今朝のニュースでやっていた。東京、初雪。
ラーメンズ公演「TEXT」
2007年03月17日(土) 13:35:13
超プラチナチケットであるラーメンズの公演チケットがラッキーにも手に入り、新大久保グローブ座までいそいそ出かけてきた。DVDやネットでは何百回となく見た彼らであるが(ラーメンズを見る会というDVD鑑賞会にまで参加した始末)、生は初めて。ちょっと体調が悪いのだがこれだけははずせない。
1階の前から7列目真ん中、という絶好の席ということもあり2時間びっしり満喫した。いや〜、ここまですごいかラーメンズ。
もともと「考えオチ」って嫌いではない上に、「バラバラに見えたものが最後でつながってくる」という構成がメロメロになるくらい好きなワタクシ。その上もともと活字中毒であるからして「テキスト」好き。「言葉遊び」ももちろん大好き。こんなボクが、超高度な言葉遊びコントの連続と、全く関連性が見えなかったすべてのコントが最後につながってくる構成、しかもちょっとせつなくさせるラスト、に、メロンメロンにならないわけがない。あぁメロンメロン。
(以下、ネタバレ注意始まり)
頭の準備体操的「五十音順コント」から始まり、言葉遊びの習作っぽい「ふたつのストーリーが同音異義語だけで重なるコント」、透明人間の定義の論争コント、その展開(条例コント)、恒例の片桐仁ハイテンションパフォーマンス「馬とジョッキー」、そして全く関連性がなかったすべてのコント(準備体操を除く)が突然つながって銀河鉄道風に終わる「透明人間コント」まで、まったく隙がない構成。笑いの渦。それも前頭葉をマッサージされるような超クレバーな笑いだらけ。
言葉遊びのコントなのに、ダジャレをひとつも出さなかったのは、これはもう意地だな。
つか、このさー、最後の最後にぶわっとコントをつなげて鳥肌立てさせて、しかも「コミュニケーションって何? わかりあっていたと思っていたのは幻想?」とかって深い疑問とせつなさを抱かせるところが小林賢太郎(作・演出)の真骨頂。もちろん同音異義のクレバーさとかもとんでもないんだけど、深く通底するテーマとその表出のさせ方に尋常でない才能を感じる。ただただ舌を巻くよ。
(以上、ネタバレ注意終わり)
あ、ラーメンズを知らない人もいらっしゃるかもですね。いまなら「マックのCMの2人」と言うのが通じやすいのか? 全国区になったのはコレとかコレのコントからだと思う。ま、これらは彼らのコントをフラッシュ化したものなので別物だけど。というか本物もYouTubeにたくさんアップされてるみたい。
HIROMIX
2007年03月18日(日) 8:53:47
娘の響子と「中学に入ったら部活とか何やりたいの?」みたいな話をちょくちょくしている。
まだ全然イメージが湧かないようではあるが、このところ「写真かコーラスかなぁ」とか言っている。器楽もやりたいようだが、これは部活とは別の課外授業で教えてくれるようなので(オケも出来るらしい)、部活は写真かコーラスか、らしい。まぁ実際にいろんな部を見てみるとまた考えが変わるかもだけど。
ボクは体育会系だったのでよくわからない世界ではあるんだけど、でも、「写真部」ってのはいいなぁ。写真って、美しい時間を切り取ると同時に、世界に対する自分の見方をハッキリさせることだからなぁ。中1からそういう訓練をしておくのは素晴らしい。と、ちょっと喜んだ父としては、進路を恣意的に強制することにならないように気をつけつつ、「写真に興味あるなら、とりあえずHIROMIX見とけ」とばかりにHIROMIXの写真集を2冊贈った(近い年代の人が撮った写真は共感を呼びやすいだろうし、アラーキーはまだ早いし:笑)。「Hiromix Paris」と「Hiromix Works」。まずはわかりやすいのふたつ。その後、「光」とか「Girls Blue」も見せてやろう。
ま、実際には自分で写し始めないと何もわからないと思うけど、でもなんだかうらやましいぞ。若く濁りのない網膜に写った物や景色や人を撮り残せるわけだ。ううむ。
つか、ボクだって80歳の自分に比べたら若くて濁りない網膜だ。
娘がもし写真を始めるなら、ボクも横で一緒に始めて勉強し、いろいろ写してみようかなと思う。確実に嫌がられるとは思うけど。まぁ少しくらい横にいさせろ。
インディ・ジョーンズ
2007年03月19日(月) 7:32:54
先週だったか先々週だったか、娘が友達とネズミーシーへ行ってきた。って、ちゃんと言えよ。はい、ディズニーシーです。
親が付き添わずに行くのは彼女も初めてで、それはもう楽しかったらしいのだが(親はネズミーに批判的だし)、その中でも特に「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」が面白かったらしいのだ。2回乗っちゃった〜、しかも2回目は2時間並んだ〜とか言ってるから、「ところで貴女はインディ・ジョーンズが誰だか知っておるのかね」と聞いたところ案の定まるで知らんとおっしゃる。
それはイカン。常識として知っておかねばならん。たとえばゼルダだってネプリーグだってインディ・ジョーンズの影響もろ受けよ、とか説いて、とりあえず映画の1と2(つまり「レイダース 失われたアーク」と「魔宮の伝説」)を借りてきて観せた。
怖い場面では目をふさいでいたようだけど、ものすごく楽しんだ模様。なにしろ1作目が1981年だからもう四半世紀前。でも古びて感じない。テンポも特撮もいい。さすがな出来だ。というか、第4作目が来年あたりに公開だって?
娘はハリソン・フォードに惚れたらしい。不死身だしなぁ(笑)。ボクは最後のスタッフ・ロールの2nd Unit Directorに「Michael Moore」という名前を発見してひとり笑ってた。四半世紀前のマイケル・ムーア!
これからも、常識として知っておかねばならない映画を毎週末に観せようかな。
女の子だし、次は「ローマの休日」あたりのヘップバーンを数作。その反応を見て、ワイルダーあたりに行くか、ヒッチコック周りに行くか、キャプラ調に行くか、スピルバーグ系に行くか、判断しよう。
微笑みの店
2007年03月20日(火) 8:39:51
年度末のバタバタに、旅行準備のバタバタが重なってなにやら慌ただしい。
出発まであと4日。年度末最終週に個人旅行で日本にいないという離れ業をするので、仕事各方面への根回し・調整など、抜けがないかちょっとドキドキ。
旅行準備も抜けがないかいろいろチェック。チケット、ホテル、オッケー。国際免許もらったし、レンタカー予約したし、海外用ケータイも予約したし…。あ、犬をペットホテルに預ける手配しなくちゃ! 最近では昼は室内放しっぱなしのペットホテルも出てきて良くなった。なるべくそういうところへ。あ、歯医者も行っておかないと! ちょっと左の上に違和感あるしな。あ、長時間ヒコーキ乗って長時間運転するからゴッドハンドに腰をほぐしてもらっとかないと! ううむ、なにやら慌ただしい。
でも、昨晩「眞由膳」のカウンターでゆっくりほんわか食べていたらそんな気分もずいぶんほぐれた。
ここの料理は、驚きがあるものではないけれど、人を安心させ、くつろがせてくれるチカラがある。というか、まず微笑みとともに客を見て、その微笑みをキープしたまま目の前で丁寧に料理を作ってくれるご主人(真由美さん)のお人柄だろう。嫌いな言葉だけどまさに「癒される」って感じ。慌ただしさを忘れるには最適な店かもしれない(夜遅めになると混んできてわさわさしてしまうけど)。ちなみにテーブル席に座るとその魅力は味わえないのでカウンターが良い。
真由美さん、ちょっと行かない間にダイエットしたようで別人みたいに痩せていた。聞けば8キロ以上痩せたとか。でも微笑みは変わらず。あぁなんだかホントにほんわかしたな。同行者とニコニコ楽しんでいたら、あっという間に3時間半。このほんわか気分を旅行に持っていこまい。
しこしこ作業ドクター・ストップ
2007年03月21日(水) 9:02:12
毎日しこしこと「関西のおいしい店リスト」のリニューアル作業をしているのだが、文章の書き直しとともにエクセルに打ち込んでいく作業なので、視神経を使う細かい作業でもある(ちなみにどこをどう直しているかは、東京の時と同じなので、ここをお読みください)。
で、ポルトガル旅行前にカラダを整えるため、ゴッドハンドのところへ行ってきたのだが、なんと「細かい作業禁止令」が出てしまった。「ダメよ、ダメダメ。もう絶対ダメ。このカラダ、普通じゃない。クモ膜下一秒前!」だって(泣)
まぁ、腰痛とかわかりやすい症状は出ていなかったものの、身体中の筋が張っている感覚はあった。いつもと違うなぁというくらいは。しかも左目の上の細い筋がガチガチでいくら揉んでもほぐれないなぁとも思っていた。コメカミ周辺も痛く、側頭部を少し揉むと悲鳴あげるくらいではあった。エクササイズしてもプール行っても、身体はほぐれず逆に強張った。でも懸案の腰痛が特にはなかったので放っておいたのである。
そうか、そんなに悪いか…。
「悪いヨー。というか、口、普通にしゃべれてる?」
ハッ!
そういえば「眞由膳」行ったとき、酒飲む前から滑舌が悪く、自分でも「口がまわらないなぁ。しゃべりにくいなぁ」と思っていたのだった。これってもしかして?
「顔の筋がもうガチガチよ。ホラ(と、頬を揉む。ギャーッと叫ぶボク)、もうガッチガチ。これ、頬の問題じゃなくて、頭、首、胸、背中、足、すべてにガチガチなのが出てるわけ。ココやココやココとつながってるから(と、ツボをちょっと押す。ギャギャギャと悶絶するボク)、順番にゆっくりほぐしていかないといけないネ。老廃物や酸が全部この固いところから動いてない。危ないヨー。一気に動かしても危ないし、動かさなくても危ないし」
彼の施術による地獄の1時間半で身体はずいぶんマシになったが、旅行前にもう一回、無理矢理行くつもりである。ゴッドハンド、実は大値上げして(引越もして)旅行前の財布には相当こたえるのだが、ボクとは相性がよくて身体が相当改善されるからなぁ…。ま、行っとこう。
ということで、旅行前にリニューアルできるはずだった「関西のおいしい店リスト」、旅行後のオープンになりまする。もう90%出来上がっているんだけど、最後の最後で相当細かい作業(全体チェック)をしないといけないので、無理に旅行前にやるのはやめときます。待っていてくださった方がいらっしゃったとしたら、ゴメンナサイ。
池田晶子の墓碑銘
2007年03月22日(木) 6:28:14
週刊新潮の先週号に、先日亡くなった池田晶子の最終連載が載っていた。連載タイトルは「人間自身」。大好きな山口瞳のは「男性自身」だったな。男性も終わり、人間も終わってしまったか。
最終回は「墓碑銘」という題であった。
墓碑銘と聞いて思い出すのは「次はお前だ」というローマの秀逸なるそれだ、と書いたあと、では自分の墓碑銘は何が相応しいか、という展開になり、こう語る。
それなら私はどうしよう。一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。ならこんなのはどうだろう。「さて死んだのは誰なのか」。楽しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。連載ではこれが絶筆となった。腎臓ガンだったので、たぶん確信的だったのだろう。
「さて死んだのは誰なのか」
彼女の思考を追ってきた人にとっては至極胃の腑に落ちる言葉である。
というか、彼女にとって「死」は「無い」。他人の「死」は「在る」。でも自分の「死」は「無い」。つまり、この墓碑銘は他人への問いかけでもあるが、「死」は「無い」自分への問いかけでもある。
わかりにくいか。ええと、彼女の本「あたりまえなことばかり」から引用してみると(P109)、
「死とは何か」の一般的な答えとしては、無になること。そこで納得する。しかし、ここも非常に大事なところなんですけど、無というものは無いから無なわけです。無が在ったら無ではない。無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、「死ぬということは無になることである」という言い方によって、そこで言われている無というものは無い、すなわち、死は無い、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きているのか。その視点を手に入れると、死が存在すると思って生きているこの世の光景が可笑しく見えてくる。無いものを在ると思ってるんですから。思い込みですね。世の中のすべてが錯覚の上で動いている。これはおもしろい。もしくは「14歳からの哲学」から引用すると(P50)、
ですから、死が存在しないと気づきますと、「人生」という言葉の意味するところがまるっきり変わってきます。やがて死ぬ、どうせ死ぬと言えなくなっちゃう。なぜなら死は無いから。人生の意味ががらっと変わる。
論理的に考えれば確かにそうなります。でも現実に人は死ぬではないか、と反論されるでしょう。確かに毎日、人が死んでいます。でも、死ぬのは常に他人なんですね。だれも自分が死んだことは無い。死は他人の死としてしか経験することができない。やっぱりそれこそが現実なわけです。これ、気がつくと非常に不思議なことなんです。
生死の不思議とは、実は、「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということだね。無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。んー、もっといい引用がどっかに見つかりそうだけど、まぁいいや。いい加減長いし。
君は、たぶん、死ぬのを怖いと思っているだろう。死んだら何にもなくなるんじゃないかって。でも、何にもなくなるということは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いんだろう。ないものを怖がって生きるなんて、何か変だと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。死んだら何にもなくなって、すっきりするだろうなって。でもやっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、死ななくたって同じじゃないかな。
あるいは、他人を死なせたい、殺してしまいたいという気持ちがよぎることもあるだろうか。でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? それこそ本当に怖いことかもしれないじゃないか。
さあ、君は、死のことなんか、まるっきり知らないということに気がついたかな。そりゃ当たり前なんだ。だって、君は生きているんだもの。生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると思っているこの「生きている」ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
自分で、考えてごらん。当たり前のことを考えるよりも面白いことはないのだから。
さて、死んだのは誰なのか。本当に死んだのか。ということは死は在るのか。無が在るのか。「ない」が「ある」のか。どこにあるのか。死がないなら、さて死んだのは誰なのか。
酒でも持ち込んで、ゆっくり彼女の墓と語り合いたい墓碑銘だよね。
卒業式 & 行ってきます
2007年03月23日(金) 5:24:35
昨日は娘の小学校卒業式。
「卒業生入場!」のあたりから涙腺が危なかったが、最後の方の150人の卒業生それぞれがひと言ずつ言って文章になっていく美しい演出とクラスごとに輪唱になっている素晴らしいコーラスとでググッと来て(意外と凝った卒業式だったのです)、あぁ来るぞ来るぞの予感とともに「仰げば尊し」の前奏で撃沈。ねぇ「仰げば尊し」の前奏って最強だよね。最強の催涙爆弾だよね。その後「蛍の光」でダメ押し。あぁ喉までひくつく。
親子込みで卒業写真を撮り、5年生がトンネルの輪っかを作る中、学校から送り出す。
なんだか自分の体験と重ね合わせつつ、娘の今の想いを想像しつつ、人生ってきっともうこういうことでいいんだろうなぁとか思った。満ち足りたよ。足るを知った。どうもありがとう。
昨日は「この会議を休むのはサラリーマン的にどうなのだ」という会議が午前中にあったのだけど、でも、小学校の卒業式には代え難い。やっぱりこっちに出て良かった。
ということで、満ち足りたまま、ポルトガルへ家族で行ってきます。
リスボンに入って、時計回りでポルトガルを一周してきます(レンタカーで)。
いろんなことが満ち足りると客死しそうなので、リニューアルを含めて、いくつかやり残しを作ってみたり(笑)。あっちでは古城とか修道院とかをホテルに改造したポウサーダにたくさん泊まってくるんだけど、ネット環境は…、ダメだろうなぁ。一応マックを持っていくので繋がったら何か書きますが、ダメな場合、次の更新は4/1になるかもです。時を遡って3/24から一気に更新する予定。
では、行ってきます。
ポルトガル旅行1日目 〜24時間かけて移動
2007年03月24日(土) 5:27:01
朝6時50分に東京の家を出た。
JL405便。今回の家族旅行は成田〜パリをたまったマイレージで移動したのだが、期限ギリギリのマイレージが余分にあったのでボクだけビジネスクラスにさせてもらった。というかボクはでかいのでエコノミーだと足も組めなく姿勢もかえられない事態となる。妻も娘も快く同意してくれ(ふたりともサイズが小さいのでエコノミーでも多少余裕がある)、ちょっとボクだけ楽させてもらった。少し後ろめたかったけど、とにかくありがとう。
機内で観た映画は「ナイト・ミュージアム」「007カジノ・ロワイヤル」「主人公は僕だった」「麻雀放浪記」の4本。12時間30分のフライト中、なるべく眠らないようにして時差対策をする。娘の響子は初海外がNYという贅沢者で(今回が二度目の海外)、そのとき自然史博物館にも行っているので、そこが舞台の「ナイト・ミュージアム」がことのほか面白かったようである。
パリのシャルルドゴール空港でトランジットで約5時間待ち。つらっ。でも娘にとっては「周りが全部外人」という状況に慣れるという意味で良かったかも知れない。その間、会社の後輩のM嬢に偶然出会ったり、本屋に入ったり、カフェに入ったりして時間をつぶし、ようやくリスボン行きに搭乗。エアフランスに乗って、リスボン着が現地時間の21時30分。日本時間で朝6時30分。ええと家を出たのが朝6時50分だから…、約24時間かかったわけだ。ふぅ。
それにしても印象的なのは上空から見たリスボンの夜景。
いろんな夜景を見てきたけどトップクラスかも。街灯がオレンジ一色なのが効いている上に、空港が市内中心部から近いので、うわって驚くくらいビルの近くを飛んでランディングする。いやぁ魂抜かれる美しさ。自分が地上に降りていくというよりオレンジが地上から浮き上がってくるイメージ。
初めて降り立ったリスボンは5℃のパリに比べて生暖かい。
パリではわりといた日本人もここではほとんど見かけない。タクシーで市内バイシャ地区(繁華な下町らしい)のホテルまで。8ユーロ。利便性だけでホテルを選んだこともあり、古くて小さくて不親切だが、泊まった部屋はまぁまぁ。特に文句はない感じ。まぁ寝るだけだし。
金曜の夜なのでファドでも聴きに行こうと一瞬思ったが、さすがに24時間移動の疲れがあってやめた。バイシャ地区は繁華なのかさびれているのかよくわからない雰囲気。でもあとで気がつくが、リスボン全体がそんな感じであった。
さて寝て明日からに備えよう、と思った瞬間、海外用に借りた携帯へ日本から電話。
イヤな予感通り、仕事で大トラブル発生。冷汗。そこからは各方面に電話電話電話。この携帯は距離に関係なく通話1分につき280円するのだが、いったい何人と何分話したろうか(泣)。いきなりアドレナリンがぶんぶんに分泌され、眠気が吹っ飛ぶ。
結局ほとんど眠れず、畠中恵著「しゃばけ」を一冊読み終わったら朝焼けが見えてきた。いま寝るのを諦めてこうして日記を書いている。あーあ。ここ33時間くらいほとんど寝てないや。運転とか気をつけよう。
ポルトガル旅行2日目 〜リスボン、オビドスに惚れる
2007年03月25日(日) 6:08:17
快晴。温暖。最高気温18℃最低気温9℃。
夜中に電話すると家族が起きるから、朝を待ってまたいくつか電話し、大トラブルが小トラブルになったことを確認。ホッとしつつ二度寝(?)も諦めて、起きてきた家族とともに朝7時からバイシャ地区を散歩。ふたりともよく寝れたらしく時差ボケは多少マシみたい。西へのフライトはわりとマシだったことを思い出す。ボクはといえば、今日ずっと起きてるとなると48時間ほとんど寝てないことになる。持つかな。いや、運転もあるし、持たせないと。
さて。出だしの1時間早朝リスボン散歩で、家族はいっぺんにリスボンが好きになってしまった。
こんなに「自然体で歴史的な街」って初めてかも。
いや「自然体で歴史的な国」かな。ポルトガル全体に共通していそうだ。とにかく素朴に謙虚に、歴史が日常に密着しており、厚かましくもわざとらしくもない。イタリアもフランスもドイツももっと観光的だし自慢的だし実際すごいのだけど、ポルトガルは自慢臭や奢りをほとんど感じない上に、観光なんか意識すらしてない感じ(実際観光客も多くないし)。かと言って卑屈ではなくプライドは奥底にちゃんとある、みたいな。このさりげない自然体さが心底気持ち良い。ロシオ広場、サント・ドミンゴ教会、コメルシオ広場。歩く分だけポルトガルを好きになっていく。
ホテルに帰って朝飯を食べたあと(パンとコーヒーだけの粗末な朝飯だった。パンはうまし)、9時30分にAVISへ。ここでレンタカーすると共に、リスボン在住の漫画家ヤマザキマリさんと待ち合わせ。
ヤマザキマリさんは、ある方を介して紹介され、今日が初対面なのだが、リスボン訪問前にメールで何度もやりとりしたりブログを見たりしているうちになんだか妙に親しい感じになり、全く初対面という感じがしなかった。
リスボンにいながら雑誌「KISS」(「のだめ」とか連載してる漫画雑誌ね)とかに連載を持っていて、「モーレツ!イタリア家族」という本も出している。その本を読んでから行ったのだが、なんつうか波乱万丈の人生なのだ。
中2でヨーロッパ一人旅したり、そこで知りあったイタリア人の元へホームステイしたり、その家族の中の激年下(マリさん言)のベッピーノ(もちろんイタリア人)と結婚したり、エジプトやシリアに住んだり、モーレツなイタリア人家族と嫁として同居したり…。で、いまはベッピーノの仕事の関係でリスボンに住んでいる。お子さんはうちと同じく12歳。
こんな風に書くと猛女(?)みたいだが、実は常識的かつ気遣いの人。話は面白いし、体験談とか異様だし、なんとも素晴らしい方である。
しかも、旅の案内人として、ボクらのツボをすぐ見抜き、ホント素晴らしい半日を過ごさせてもらった。たった半日で、我が家族を「ポルトガル大大大好き」にさせ、娘のリスボン留学を真剣に検討させ、リスボンに日本家庭料理店でも開いて喰っていくのは可能かという試算までさせた(店なんてやりたくないが、他に喰って行く手段がなさそうなので)。ううむ。
ま、とにかく素晴らしい半日だった。ホント、リスボンに住もうかと思ったよ。
朝9時30分に出会ってから、15時30分くらいに別れるまでをザッと書いてみると、まず、レンタカーを借りてから、ベッピーノが運転するLANCHAで先導してくれ、リスボンを見渡す丘の上で軽く景色を眺めたあと市場へ。ここでレンタカーを駐車場に入れ、あとはマリさんの案内で手ぶらで街にくりだした。
ちなみに「ポルトガルって車上荒らしとか大丈夫?」と聞いたら「治安はヨーロッパ1いいと言われているし、車上荒らしもまず大丈夫。田舎に行ったらもっと全然大丈夫」とのこと。
で、市場。どんな街に行っても、市場があるならまずはそこへ、が佐藤家の習慣。
驚いたのは魚も肉も野菜も果物もとても日本と似てること。食材の共通点が多い。「こりゃ住めるな」と思った。マリさん曰く、在住邦人はポルトガル全土で300人くらいしかいないのではないか、とのことだが、ラテン系のくせにわりとストイックなとこが日本人と気質が似てるし、東洋人差別もないらしいし、気候はいいし(欧州一晴天が多いとか)、古いものを大切にする心もいいし、適度に素朴でがさつだし、そのうえ食材が一緒となれば、こりゃ住める。
市場で現地のチーズとうまそうなサラミとクッキーを買って、近くの公園でちょっと齧る。
公園はカードゲームをするおじさんたちがいっぱいいて、なにやら老人ホーム状態。貧しいながらもみんなが人生を楽しんでいるのが伝わってくる。印象的なひととき。
「さとなおさん、体力大丈夫? じゃあ路面電車に乗って少しリスボンらしいところを歩きましょう」
お次は路面電車で市内見物へゴー。
いかにもリスボン的な「細い坂道を家の壁ギリギリで通り過ぎる路面電車」を実地体験。木造の趣深い路面電車がいかに市民に根ざしているか、乗ってみていろいろわかる。で、途中で降りて、絵はがきポイントを少し見たあと、響子が偶然見つけた1787年からやってるロウソク屋でイースターエッグの素敵なロウソクを買い、たまたま通りがかったお洒落な雑貨系セレクトショップでも買い物をしたあと、今度は近代的な路面電車に乗って海岸沿いのBelemという町へ。
中心部から電車でほんの15分ほど出ただけなのに、やけにリゾートっぽいところ。美しい。
世界遺産のジェロニモス修道院、ピンクの壁の大統領官邸やエッグタルト発祥の店とも言われる「パステイス・デ・ベレン」を横目で見ながらマリさんが「激安激うまの魚屋」と呼んでる店へ行き、ランチ。
「Floresta de Belem」(Praca Afonso Albuerque,N1A1300-004 Lisboa/21-363-63-07)。美しい公園前にあるトラディショナルなポルトガル料理(特に魚)を食べさせるレストラン。ポルトガルに美味な料理は多々あれど、その中でも特にシンプルな魚の塩焼きみたいのが食べたかったんだよなー。
外のテラスで強めの日差しを浴びながらゆっくり食べる。
小アジのフライ、アジのグリル(辛みソース)、イカのグリル、野菜スープ、セミフリートなどのデザート&コーヒー。量も充分。付け合わせがリゾットだったりするし、お通しもパンも沢山出てくる。ボク以外の大人はワインとかも飲んで、全部で40ユーロ。6500円くらい。子供含めてひとり1600円か。確かに激安いし味的満足度も高いなぁ。なにより娘が「ポルトガル料理っておいしい!」と喜んで食べている。日本の家庭料理を素朴にして味を濃くした感じだから、子供には特においしく感じるのだろう。
ボクは、昨晩・今朝とロクなものを食べてなかったせいか、食事したら急に元気が出てきた。そうかメシが足りなかったのだな。いまからの運転もこれならクリアできそうだ。
さて、そろそろリスボンを出て今日の宿泊地オビドスへ向かわなければいけない。
ベッピーノの車で駐車場まで行き、レンタカーに乗り換え、先導してもらってリスボン市内を出る。わかりやすい道のところまで連れて行ってもらい、そこでマリさんとベッピーノと別れた。たった6時間弱なのに、なんだか1ヶ月くらい一緒にいた気分。しかも「リスボンに住みたくなった」ほど好きにさせる技。ありがとう。また29日に会えるね、と話しつつ別れる。マリさん、ホント、オブリガード。
さて、レンタカーでオビドスへ。
慣れない右車線に緊張しつつ、ポルトガルの田舎の景色を堪能する。
オビドスは古い城塞都市。中世がそのまま残っている街として愛されている。城壁で町中が囲まれているのだが、中をくまなく歩いたとしても1時間ちょいですべての路地が歩けちゃうくらいな規模の可愛らしい街である。
今回の旅は「ポウサーダ」に泊まる旅でもある。
これはスペインで行ったら「パラドール」。中世の城や修道院、貴族の館などを現代に蘇らせた国営ホテルだ。ちょっと贅沢だが今回は4つ泊まり歩く。今日泊まるのは予約が取りづらくて有名な「カステロ・ド・オビドス」。オビドスの城。リスボンから北に1時間ちょい高速で走ったところにある。
まぁなんつうか、リスボンで「ポルトガル大好き! イタリアよりフランスより好きかも!」となっていたボクたちだが(ちなみにヤマザキマリさんも「イタリアも住んだし好きだけど、ポルトガルの方がもう何倍も好き!」と強く言っていた)、オビドスでまたポルトガル好意度大アップしてしまった。ワンアップきのこがピロ〜ン♪って感じ。実にかわいらしく美しい。それでいて仏伊にあるような「どうだどうだ!」みたいな歴史文化自慢的厚かましさがまるでなく、とっても謙虚で素朴。肩の力も抜けきっている。
箱庭系の街が好きな娘はもう夢見心地で、いろんなところをデジカメにおさめている。
今回、娘とふたりで盛り上がっているのは(妻はチーズでしか盛り上がらないので)、「写真」。
今度上がる中学で写真部に入ろうか、という勢いの娘は、この旅行で「自分が面白いと思ったもの、美しいと思ったものを撮る」ということに目覚め、絵はがき的な景色よりも、道端の消火栓とかゴミ箱とか小さな花とか壁の模様とかにぐっと寄って撮っている。
同じ物体でもボクと彼女ではトリミングや狙いが違うところを見せてあげると悔しがってもっと撮る。んでもって小さなデジカメの限界を初めて知り、一眼レフだとどう映るのか、とか聞いてくる。いい兆候だなぁ。気がつけばひとりずっと遠くで小花を撮っていたりして一瞬焦るが、とにかく治安は良さそうなので目の隅で確認しつつ自由に行動させることにした。
美しいオビドスの夕暮れを十二分に楽しんだあと、ホテルに帰って一休み。
このポウサーダの部屋は抜群に良かった。すごい広いというわけではないが、古くて親密で謙虚で清潔。まぁ中世の古城ですからね。雰囲気が悪いわけがない。オビドスの街とともに長く記憶に残りそうである。
というか、48時間近くほとんど寝ていないのだが、リスボン散歩、運転、オビドス散歩、と普通にこなせた自分に驚く。若い頃に数多くやった徹夜仕事で徹夜が慣れてるということもあるが、今回は調子いいぞ。
でも、ポウサーダのレストランでDaoの赤ワインと本格的ディナーを楽しんだらさすがに糸が切れ、そのまま深い眠りに。
あ、レストランはベーシックな味だったけど「Rice black Sausage Fried in Olive Oil」と「Roasted Kid with Giblets Rice country Herbes」が良かった。後者は仔ヤギ肉のローストなんだけど、香り立ち方がほんのりめで、肉のうま味が充分に出ていて、とてもうまかった。ちょっと高めだけど満足。
ポルトガル旅行3日目 〜ナザレからポルトへ
2007年03月26日(月) 6:22:29
快晴。昼間は暑いくらい。
今日からサマータイムらしい。時計の針を1時間進める。
昨晩は何時に寝たんだろう。朝5時ころ(昨日までの4時。日本時間の13時ころ)、スパッと目が覚めてしまった。もう少し寝てた方がいいんだけど、わりと快調。たぶん7時間弱くらい寝られたんだろうな。
Macを開いて日記を書いたあと、娘が起き出すのを待ってオビドス早朝散歩。
あと数時間後のオビドスとの別れを娘はすでに悲しんでいる。
朝焼けが美しい城壁や、城壁から外の静謐な田園風景を満喫しながら、人っ子ひとりいないオビドスをふたりで散歩(妻の優子はまだ寝てる)。オビドスは城壁の上をぐるりと一周歩けるようになっているのだが、柵も何もなく、1mほどの幅。高所恐怖症のボクはとても無理。娘はとても行きたがるが、娘が歩いているのを下から見るだけで金玉が縮み上がるのでそれも禁止。散々バカにされる(結局、あとで妻と娘のふたりで城壁上を散歩した。ボクは見てられなくて土産物屋で待っていた)。
小さくも美しい花の接写の仕方や背景のボケ味の出し方を教えたりしつつ散歩をおえ、ホテルへ帰って朝食。
朝食のブッフェにシャンパンが置いてある。朝シャン。あ〜運転がなければ朝から飲むのになぁ…。焼き立てのエッグタルトなども出て来て満足。パンも実に美味。ポルトガルってパンがうまい。
朝食後3人でオビドス散歩。この街と別れがたい娘がシンプルな石のペンダントトップをせがむ。記念にするらしい。
さて、レンタカーに荷物を運び、ナザレへGO!
A8という高速に乗って1時間弱の海辺の町(村?)。想像と違ってリゾートっぽかった。ちょっと南仏の小さなリゾートという趣。「ナザレで食べたイワシの塩焼きが忘れられない」と言う信頼できる人が日本で2人もいるのでここでランチを食べることに。
オレンジの広い砂浜。青緑の波。地層が見えてる高い崖。リゾートっぽいパラソルと店。
でも、ところどころ「ここは沼津か!」って感じでアジの干物が並べて干してある。日本の漁村にいるような魚臭さ。うはー、こんなところもよく似ているなぁ。干物の横にはナザレ特有の黒装束を着たおばあちゃん。いい感じ。
苦労して駐車して(ポルトガルは駐車天国。車庫証明がいらないのでみんな普通に路駐)、町を歩いて一周し、海岸沿いの外国人観光客相手のレストランは避け、奥まったところでとても流行っている店に入ってみた。表で魚を焼いていて雰囲気はとてもいい。「Restaurante Tipico Taberna D'Adelia」(Rua das Traineiras,12,2450.196 NAZARE/262-552-134)。この"Restaurante Tipico"というのは郷土料理を出す店、という意味みたい。ティピカルから来ているのかな。なので店名は「Taberna D'Adelia」かも。
広いのにとっても混んでいる店で活気があってよかったな。
周りのテーブルを見ているとカルディラーダ(ポルトガル風ブイヤベース)やカタプラーナ(海鮮蒸し煮鍋)が実にうまそうだが、ここは初志貫徹してサルディーニャス(いわし)を頼むも「今日はない」と言われガッカリ。気を取り直してメニューをよく眺めると、アローシュ・デ・ポルヴォ(蛸のリゾット)があり、日本のポルトガル料理店で食べて気に入っていたのでこれを取ることに。それとカルド・ヴェルデ(キャベツのスープ)、そして魚のケバブ(串焼き)を頼んだ。
結果、大正解。実にうまい。
蛸のリゾットは鍋ごとドカンと大量に来たのだが、こんなに沢山ガツガツ食べる響子を見たのは久しぶり、ってほど、気に入ったらしい。ボクも大満足。うみゃひゃひゃひゃ。日本に帰って同じものを作ってみるために慎重に舌に刻み込む3人。ケバブもうまかったなぁ。バカリャウ(たら)系の分厚い肉と野菜と海老が鉄串に吊り下がってドでかく出てくる。
食事に異様に満足し、「いい店だ〜、しかも安ひ〜、住みたい〜」とかほざきながら車に戻り、ポルトへ向かう。
ヤマザキマリさんには「ブサコあたりで高速降りてアローシュ・ド・パト(鴨のリゾット)か仔豚の丸焼きを食べたら」と勧められていたのだが、蛸リゾットを吐くほど食べてしまったのでそれは諦めポルトへ直接向かう。約250キロほどだろうか。
ここ3日間で総計8時間くらいしか寝ていないので、日本で買い込んだガムとかを噛みながら高速道路をひたすら安全運転。こっちの人はとにかく飛ばすので、それに釣られないように我慢我慢。そうそう、借りたクルマはオペルのアストラ。JALのグローバルクラブなのでAVISでアップグレードされたみたい。高速安定性はとてもいい。風景はどこか日本に似ていて馴染み深い。
なんとか3時間弱のドライブに耐え、橋を渡ってポルトガル第二の都市ポルトへ入る。
ドウロ川が左右に見えた時はその美しさに感動したなぁ。でも市内に入るとわりと普通の欧州都市って感じ。
妻の優子は超優秀なナビなので、道を間違えず、ストレートにホテルへ。
少し休んでからポルトの街へ繰り出す。もう19時くらいなのだが、サマータイムでまだ明るい。まずは中心部のカテドラルへ行き、そこからサン・ベント駅、リベルダーデ広場、市庁舎と歩き、トリンダーデ駅周辺まで逍遥。いやぁ変わった街だ。大都市で建造物とかも立派なのに、どこかドラクエに出てくる典型的さびれた港町って雰囲気も保っている。気候も気質も違うけど南イタリアの小さな漁港的さびれ感。中心部に多少魅力的な場所はあるが、ほんの数ブロックはずれると実に普通な佇まいで「なんだか独特の雰囲気だねぇ」と言いながら歩く。
というか、メシ屋を探していたのだ。昼の蛸でまだお腹がいっぱいだったので、BARっぽいとこでつまみとポートを飲めればいいと思っていたのだ。
が、日曜のせいか、とにかく店があいていない。予習したりヒトに聞いたりしておいたレストランはほとんど休みで、じゃあ行き当たりばったりで入ろうとしても全くあいていないのだ。途中で「インペリアル・マクドナルド」というのを見つけた。シャンデリアな店内のマクドナルド(うはは)。仕方ないからそこに入ろうかと思っちゃうほどあいていなかった。歩き回った揚げ句「仕方ないからホテルで食べよう」と、ホテルへ帰った。
わりと安く泊まれたのでメリディアンを選んだのだが、ここのレストランと来たら…。
結果的に非常にまずいディナーとなった。残しまくり。しかもドウロの赤ワインはちょっとブショネ気味で楽しくない。ポートまで辿り着く気力も失せ、「まぁポートなんて酒精強化ワインだからどこで飲んでも一緒だ」と慰めあいつつ、部屋に帰った。ポルトで本場のポートを飲めなかったのは痛いなぁ。
部屋に帰って撃沈。
もうポート酒のお土産もリスボンで買った方がいいなということになり(もしくは明日、ドウロ川沿いドライブのときに醸造所に入って直接買えばいい)、明日は早めにポルトを出立することに。おやすみなさい。
ポルトガル旅行4日目 〜トラブル&至福
2007年03月27日(火) 6:21:10
朝5時、スパッと目が覚める。7時間くらい寝られたかな。快調。
このホテルはネットに繋がったので、まずはMacで日記を書き、3日分をサイトへアップした。
今日も長距離を運転するので、少しでも行程を楽にするために早めに出発。というか、ポルトという都市に未練なし(笑)。環状線を走ってポルト市外の高速に乗り、まずはアマランテを目指す。今日はドウロ川沿いのブドウの段々畑を見つつ、アマランテ、レグア、ラメーゴという小都市を周り、最終地ベルモンテのポウサーダまで辿り着く予定である。
空が低い。まるでこれから巡り合うトラブルを象徴しているかのようなどん曇り。
そう、この日、大きなトラブルが発生したのだ。簡単に言うと、失せ物・病気・事故。うわぁ。こう書くと怖いな。でも悪いツキは全部放出し、夜には至福の体験が待ち受けている。禍福はあざなえる縄の如し。でもこの時点では誰もそんなことは知る由もなく、昨晩のメシのまずさの話で盛り上がっていたのであった。
トラブルについてちゃんと書き出すと、本にしたら一章丸々割かないといけないくらいの量になるので、超簡単に記していこう。
左右にブドウ畑を見ながらA24で1時間半くらい走りアマランテという街についた我々だが、当初この街は通り過ぎる予定であった。ただ、古く美しい石橋で有名だということなのでゆっくり市内を走っていたら、本当に美しい石橋が現れたではないか。こりゃきれい。思わず車を止め、写真を撮る。娘の響子も相変わらずデジカメ三昧。今日もいろんな「面白いもの」を探し出しては撮っている。
で、街も妙にかわいいので少し散策していると、橋沿いにポルトガル伝統スウィーツ屋を発見。テーブルも設えてありその場で食べられるようだ。ポルトガルは甘いものもなんだか妙においしい国。ちょっと昭和っぽい甘さで懐かしいのだ。アマランテは相当田舎なので英語も全く通じないが、スウィーツを指さし、テーブルを指さし、食べたいという振りをしてゆっくりいただくことにした。
ここで響子がチーズタルトを撮ってデジカメをテーブルに置いたのだが、それを忘れてしまうことになる。
ポルトガルは路駐天国で、どこにどう止めても何も言われないのだが(余程非常識な止め方でない限り)、日本人の我々は路駐にドキドキする習性がついている。遠くからピーポーピーポーという音が聞こえてくると焦って車を見に行く反射神経を持っている。で、こんな田舎に珍しくパトカーのサイレンが聞こえてきたので支払いもそこそこに店を飛び出し車に向かったのだ。
もちろん車は大丈夫。考えてみたら当たり前だよね、とか話ながらかわいい街をバックに写真を撮ろうとして、響子がデジカメを忘れてきたことに気がついた。走って戻る。その間3分ほど。でももうなかった。外国であんな精密機器を置きっ放しにして取られないわけがない、と大人のボクたちは知っているが、娘は納得できず、呆然として泣き出してしまう。でも店の人に何度聞いても「ない」「知らない」の一点張り。ううむ。でも疑い出したらキリがないし、第一言葉が通じない。
幸い、昨日まで撮った写真はMacに取り込んで保存してあるし、ボクもデジカメを持ってきているので、最悪の事態ではない。でもモノに妙に愛情を持ってしまう質の娘な上に、とにかくデジカメを撮りまくってハッピーにしていたのでショックは大きかったようだ。高額商品でもあるしなぁ。
まぁでもモノで良かったよ、また買えばいいんだから、と慰めても立ち直らない。しばらくそっとしておくしかない。というか、こんなことでポルトガルの印象が悪くなったらつまらない。ううむ…。
でも心配は無用だった。1時間後、第二のトラブルが起こって彼女は立ち直ったのだった。
アマランテ周辺はヴィーニョ・ヴェルデという微発泡の"緑"ワインで有名なようで、とにかくブドウ畑ばっかりだった。赤でも白でもなく緑ワインね。西麻布の「ヴィラ・マダレナ」で知って以来、好きでよく飲むワインなのだが、ポート酒用の畑と同じくらいたくさんある。
とにかくブドウ畑ばっかり。一応ワイン・アドバイザーの資格を持っている優子ははしゃぎまくり。ドウロ川特有の渓谷の急な崖を利用した段々ブドウ畑を「うわ〜ホントに段々畑だ〜!」とか叫んでいる。というか、マジで超急斜面をひと畝ごとに段々畑にしているのだ。高所恐怖症のボクでは収穫など絶対できないであろう。
で、満足そうにはしゃいでいた優子が急に黙った。
「アレ? なんだかお腹が痛い」と言い出す。その1分後には「ト、トイレ!」と叫ぶ。
彼女は便秘系の人で下痢など数年に一回あるかないかなのだ。それがこの急下降。焦ったボクは山道をぶっ走って店とか探すが、段々畑しかない。ま、結果的に道端の野原を掻き分けて行って処理したのだが、その後も座り込んで動けないほどの痛がりようだ。母親の突然のトラブルに響子はすくっと立ち直り、いろいろ気を使う。落ち込んでいる場合ではないと思ったようだ。
ボクはボクで常備している正露丸を3粒握り、彼女に渡そうとするが、薬すら飲めないくらい痛がっている。
うぅ。仕方ないのでとにかく街を目指そうと彼女を車を乗せ、走らせる。右手にはいつでも飲めるように正露丸を3粒持ったまま。そろそろ街だなぁ、人家が出て来たなぁ、と思った時点でまた「イタタタ! ト、ト、トイレ!」。すでに切羽詰まった顔の優子。う、うわ〜。もうすでに街だ。野原はない。人目も多い。しかもそこそこ大きな街だが店が見つからない…。「車で隠すから道で…」「ダメ! できない!」…そりゃそうだ。一分一秒を争う表情。ブロロロロ。めちゃくちゃ飛ばした。その最中、リスボンのヤマザキマリさんから電話が鳴る。放っておけばいいものを日本人の哀しい習慣として思わず出てしまう。右手に正露丸3粒。左手に携帯電話。目は店を探す。車はぶっ飛ばし。いま振り返っても事故らないのが奇跡的(その辺の様子はマリさんのブログでも書かれています)。
「かけ直す!」と叫んで電話を切り、ちらっと目の隅に入ったカフェの前(交差点)に無理矢理キキキと止めて優子を送り出す。ま、間に合うか!? 響子も一緒に走ってついていく。
後から聞いたら、カフェに入るなりカフェのおばさんが瞬時に状況を判断して何も言わずトイレの鍵を差し出してくれたようだ。これも奇跡的。言葉も通じないし、もう説明する余裕もなかったみたいだし。結局、ほんの一秒差でトイレに間に合った模様。車を安全な場所に止めて追いついた時には響子はトイレ前でポルトガル人に囲まれつつ頼もしく番をしていた。もうデジカメをなくした時の落ち込んだ面影はない。
結果的にはこれで優子の病気は終了。食あたりだったのかなぁ。昨晩のまずいメシか、アマランテのスウィーツか…。でも他の2人は平気だったしなぁ。いったいこの急降下はなんだったのだろう。不思議。
で、デジカメの件とトイレの件を2人に謝られつつ(いやいやお互い様よ)先に進むことにしたのだが、30分後、今度はボクがトラブルを引き起こそうとは…。
この街はレグアと言って、ポート酒の積み出し港でもあるドウト川沿いの街。
中途半端にでかく、道もわかりにくい。で、行ったり来たり迷ってうろうろし、注意力が散漫になっている時、それは起きた。
ガシャ!
接触事故である。旅先での面倒度トップクラス。
でも、幸いサイドミラー同士の接触だった。
音がした後バックミラーで確認したら駐車していたBMWが追ってくる。「あぁぶつけちゃったんだ〜」と諦め、道端に寄る。免許とって以来ほとんど初めての事故(軽い接触は以前あったが)。車を降りてBMWに近づいたら、中からスーツにサングラスの強面セニョール登場。引きつる。でも向うは向うで言葉が通じない&でか・ひげ・丸坊主にびびっていた模様。うーん、これはどうかなぁ、と言う顔でミラーをいじっている。あぁ、ミラーカバーがぶっ飛んでるよ。田舎なせいか、通りすがりの車が次々止まる。そうしているうちにぶっ飛んだカバーを拾って持ってきてくれた車も登場(親切だ)。みんなでワイワイやっている。困ったな。誰一人英語が通じない…。
そしたら強面セニョール、カパッとカバーをはめて電動ミラーを動かしてみた後、親指を立てるではないか。
ん? 何のサイン? と思ったらニコッと笑う。あ、オッケーってこと? 許してくれるの?
許すどころか、相手は「オブリガード(ありがとう)」と握手してきた。ありがとう?
おまけに横にいた優子にまで手を差し出して「オブリガード」って。いいヒトだぁああ〜(笑)。ありがとうを言うのはこっちなのに…。まわりの人々もみんな笑顔。いいヒトタチだぁああ〜(その辺の様子はマリさんのブログでも書かれています)。
ちゅうことで、トラブルが3つ連続して起こり、3人すべてが順番にトラブル元になり、逆に旅が印象的になったのでした。それぞれ軽く済んで良かったよ。いろんな教訓も得たし、結束も強まった。
ええと、いい加減長いな。あとは簡単に。
レグアの街を出てポート酒の醸造所とかを横目で見つつラメーゴに向かう。ちょっと芦屋みたいな雰囲気の高級さ。ポート酒成金が多く住んでいるのかな。
ラメーゴでようやくランチ。お腹に不安がある優子は見てるだけ。このラメーゴもなかなかかわいい街である。少し見物したかったが、トラブルが続く流れになっているので余計なことはせず、慎重に先に進むことにする。
昔ドライブしたことのあるウェールズ地方によく似た景色が続く。岩がゴツゴツ飛び出した草の高原。荒涼とした景色が大好きなボクとしてはまさに快感なドライブ。豪雨になったり晴れ渡ったりと不安定な天気の中(トラブル日にふさわしい天気)、2時間強高速を走って、目的地のベルモンテに着いた。
ここは「旅の行程上仕方なく泊まることになった街&ポウサーダ」である。
旅程を考えていてどうしてもこの辺で一泊しないと日数が足りないことに気付き、あっちこっち探した揚げ句見つけたポウサーダなのである。ポウサーダといっても民宿に毛のはえたものから古城までいろいろある。ベルモンテのポウサーダは超無名だし、他のポウサーダに比べて圧倒的に安いし、街自体も超無名&小さいので、実はまったく期待をしていなかったのである。
ところが奥さん!
このポウサーダが至福の宿だったのである。
昔の修道院を改装してモダンかつ清潔に作り替えてある。まだ新しい。周りは自然が色濃く残り、景色も最高。ホスピタリティもよく、笑顔が溢れている。施設的にも素晴らしい。要所要所にサロンがあり、アンティーク家具とモダンアートがセンスよく飾られ、気持ちのいいソファが置いてある。隠し部屋みたいのもあってどこも自由に使える。宿の周りの散歩も楽しく、石造りの修道院跡は古墳みたいな趣だし、裏手にはインディ・ジョーンズばりの洞窟まである。お腹を休めるために寝ている優子を部屋に残し、響子とふたりで探検してまわったが、もう響子がはしゃぐこと。確かに最高の宿である。センスよすぎ。ちょっとポルトガル人を見直したくらい。
で、食事もとても良かった。
ウズラとイベリコ豚のベーコンのポート酒煮込みが特に印象的。
地元のワインもシラーっぽい中にイチゴの甘みが隠れていて美味。チーズの品揃えもとてもいい。デザートもいい。サービスも丁寧&笑顔でグッド。すべてに満足して3人で80ユーロほど。安い!
食後酒にポートを飲んでボクは撃沈。
今日はホントいろいろあったなぁ。そうそう宿からヤマザキマリさんに電話して、昼の電話の非礼を詫びつつ笑い話をたくさん。心配してくれていたようだ。「でももうこれでアンラッキーは出し切りましたね」「そうそう、出し切った」
ん?
アンラッキーだったのかな。いや、意外とラッキーだったのかも。
響子は大切なモノをなくすことで海外での心構えを知り、優子は首尾よく行けた&響子が立ち直るキッカケになったし、ボクはボクで最小限の事故で済み、ポルトガル人の異様な優しさに触れられた。
笑って話せる程度で済んだラッキーに感謝しつつ、4日目もオシマイ。メモのくせに長くてスマン。
ポルトガル旅行5日目 〜スペイン国境地帯
2007年03月28日(水) 7:29:52
早朝4時に目が覚めた。それでも6時間半くらい寝ている。快調。
とりあえず昨日のトラブル系の日記を書き、朝になるのを待つ。窓からの夜景もキレイ。このポウサーダ、いいなぁ。とにかくセンスが抜群だ。まだ無名のようだが(少なくとも日本人には超無名)、たぶんすぐ有名になるだろう。偶然とはいえついている。オフシーズンのせいか3人で1泊3万円程度。
外はド快晴。窓からの景色が絶景。
ようやく起き出した家族とともに早朝散歩する。空気のおいしさが尋常ではない。鳥の声。花の香り。ベルモンテという街自体、自然の中にポツンとある小さな城下町なのだが(30分くらいで全部歩けるだろう)、そこから数キロ離れたところにあるココは周りにもう何もない。豊かな自然しかない。それも極上の。
朝メシも良かったなぁ。
ジュースのフレッシュさ、パンの香ばしさ、ベーコンのうまさ、フルーツ類の充実さ、それとリコッタチーズについてきたカボチャ(?)のペーストが最高だった。身体の中がキレイになるようなブレックファストを久しぶりに食べた。
で、後ろ髪引かれつつ朝9時に出発。響子は絶対再訪するそうである。「私、目に焼き付ける」と目を真ん丸くして宿内を凝視。デジカメなくして逆に目で記憶に残そうとしているようである。イイコトだ。
まずは昨日見なかったベルモンテの街を軽く歩く。
小さな丘のてっぺんにある小さな古城を中心とした可愛い街。優子は小さなチーズ屋でセーラ・ド・エストレラーダを購入。この地方の有名なチーズ。
で、ベルモンテともお別れして高速に乗り、スペイン国境の村々をドライブ。
途中からアレンテージョ地方に入り、だんだんと景色が南国風に変わってくる。
小さくて可愛い村、Arez、Nisa(チーズで有名)などを経由して、マルヴァオンへ。
近くにモンサントという有名な小さな村があり、そこに行くことも一瞬考えたのだが、わりと遠回りな上にマルヴァオンと似ている部分もあるので断念。この辺は昔のポルトガルらしさが残っている上に、スペイン国境地帯なので城塞も多く、観光客には魅力的な村が多いのだ。
マルヴァオンは下から眺めると「あんなとこ車で登れるのか?」と不安になるような急斜面の山のてっぺんにポツンとある天上の村。中世の要衝でもあったのだが、昔ここに住んでいた人は大変だったろうなぁ。
えっちら頂上に辿り着き、駐車場に車を止めて街を歩く。なんだか全体的に改装中みたいでどこもかしこも工事をしていた。そういう意味では清潔感がなくちょっと残念。古城に上ると周囲360°が見渡せる。アレンテージョ地方はもちろん、スペインも見渡せる凄まじい絶景。絶景好きな人は必訪。そうでない人は…他の村でもいいかな(笑)。まぁこの手の城塞都市に慣れてきたせいもあるが。
ランチはここのポウサーダで食べた。
窓が前面ガラス張りになっており、絶景ランチが楽しめる。ただ味はちょい濃いめ。仔山羊のキャセロールとバカリャウ・ア・ブラースを。塩がきつい。全体にポルトガルの食事は塩がきついのだが、ここのは特に。
あ、でも、イベリコ豚の産地に近いせいか、アレンテージョも黒豚で有名なせいか、お通し(コベルト)で出て来たサラミやハムのうまいこと! これは絶品!
天上の村マルヴァオンから降りて地上に戻ってくると、周辺は典型的アレンテージョ風景となっていた。
オリーブ畑が増えはじめ、強めの日差しにオレンジの屋根と純白の壁の家(多少の違いはあれどもすべての家がそんな感じ)が映える。ごつごつした岩が減りはじめ、草原が増えはじめる。羊や牛もだんだん多くなり、コルク樫の木も多くなる。あぁこれがアレンテージョか。気に入る人がいっぱいいるのがわかる感じ。
草原と池とぽつぽつ生える木、北海道みたく地平線まで見渡せたりする。というか、こんな肥沃で美しい地方がここまで手付かずに自然が残っているなんて日本では考えられないな。人口が1/10しかないこともあるんだろうけど、なんかもったいない。そう思うくらいは素晴らしい景色と気候だ。
ポルタレグレを通り過ぎ(優子がスーパーでNisaチーズを購入)、カステロ・デ・ヴィデなどの超美しい村を通りすぎる。なんというか典型的なアレンテージョ。真っ白な町並み。木陰やベンチでだべるじいさん。頬っかむりして歩くばあさん。強い日差し……。なんだか見惚れる。
で、今日の最終地エルヴァスに早めに辿り着いたのだが、中途半端に大きな街で、あまり美しくない。見事な水道橋がある他は特に見どころもなく、小さくて可愛い村が好きになっていたボクたちには楽しくなかった。
スペイン国境まで十数キロ。ポルトガル人にとっては多少エキゾチックなのかもなぁと思いつつ、町をグルリと散歩してポウサーダへ。
前日のポウサーダが異様に良かったのでココも期待したが、立地も施設も雰囲気もいまひとつでちょいガッカリ。ラウンドアバウトの横にあるしなぁ(笑)
でも、ポルトガル1古いポウサーダらしく、古さがわりと味になっている。昨日と比べなければ上等上等。部屋は女性好みで可愛らしいのだが、わざわざ目指して行くこともない感じである。まぁでもいいホテルなんだけど。オビドスやベルモンテと比べてはいけないな。
部屋で休んで夕食へ。
ここのシェフは塩抑え目派のようで味的には好みに近い。アレンテージョの名物料理であるアソルダ・アレンテジャーナ(にんにくスープ)、カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ(豚とアサリと香草の炒め)やお勧めされた豚料理(ミーガシュ・デ・ポルコ)、ポルトガル・デザートなどを味わう。まぁまぁ。
ワインはアレンテージョ産を。ベルモンテの地産ワインのフレッシュさはなく、ボルドーをヌフドパプ系に濃くしたイメージの味。南国だ。
部屋で響子と少しトランプして就寝。ソリティアを教えてみた。響子は時差にも負けず元気である。優子は多少バテ気味か。つか、胃腸を痛めたのは昨日だし仕方がない。
ポルトガル旅行6日目 〜アレンテージョ満喫
2007年03月29日(木) 6:39:55
朝4時に目が覚めた。んー、5時間くらい寝たかな。まぁまぁ快調。Macで日記書き。
外は曇り。窓から名物の水道橋が見える。ライトアップされている。今日は移動も少ないので余裕。朝メシをゆっくり食べる。昨朝と同じリコッタチーズと一緒に出てくるDoceと呼ばれる甘いジャムがここでもあった。「Doce de Cenoura」。キャロットのDoce? ベルモンテではパンプキンだった模様。これ実にうまいのでお土産に手に入れたい。
とりあえず車で近くのルドンドへ行ってみることにする。ここは陶器で有名な町。でも町よりも周辺ドライブが最高だ。
途中の景色、まさに絶景。アレンテージョ最高。ボク的にはプロバンスよりイイ。これから流行る予感ぶりぶり。
なんというか、北海道の広大さとイギリスの春の田園の美しさとスペイン南部の陽気さと日差しの強さがミックスされた感じ。牛や馬や羊や黒豚が見渡す限りの平原にポツンポツンと草を食む。そう、黒豚(イベリコ豚)までものすごい広い草原に放し飼い。こりゃおいしいに決まっている。オレンジやレモンがたわわに実り、オリーブとコルク樫とブドウが非常に贅沢な植えられ方をしている。草原にたまに出てくる小川や池も美しい。
あぁアレンテージョ、いいなぁ。
乾いた空気。
気取らない人々。
コルク樫の美しい丘陵。
忽然と現れる白い村。
遠くに見える古城。
カウベルの音。鳥の声。
あくまでも強い日差し。
そして、かつて世界を征服した文明の名残。
でも、謙虚で奢らず、威張っていない。
思ったよりいいセンスと色彩感覚。
メシは日本人の舌に合い、豚も羊も山羊も牛も魚も野菜もうまい。
ワインもチーズもうまい。
そのうえ日本人との遭遇率ゼロ。
とか、酔いしれながら、ドライブを続ける。
ルドンドに辿り着くまえにヴィラ・ヴィソーザを少し見学。どの村でも古城に出会うので古城は少し飽きてきた。町並みが実にキレイで清潔な村。次にルドンド。オレンジやレモンがぼこぼこ落ちっ放しになっている。もったいないねぇ、これでオレンジジュース作りたいねぇと話ながら歩く。ルドンドは陶器工房がいくつかあるがかなりシャビー。買うならエヴォラでの方がいい、と意見一致し、エヴォラへ向かう。
さて今日の昼はエヴォラの「Tasquinha do OLIVEIRA」(タスキーニャ・ド・オリヴェイラ:rua Candido dos Reis,45-A/266744841)。
ここは唯一予約をしておいた店(とはいえ言葉が不自由なのでヤマザキマリさんに予約してもらった)。なぜか日本のガイドブックには載っていない。エヴォラにはもうひとつ有名な「Fialho」という店があるが、そちらが伝統の名レストランだとすると、こちらは地元っ子に愛されてる家族的な店という感じ。小さな店なので予約して行け、と日本でふたりの人(ポルトガルをよく知る食ライター)から推薦されていたのだった。
結果。最高。今回の旅でトップのレストランかも。
料理の詳細は「海外のおいしい店」の方に書くが、最初に出てくる前菜小皿がすべてうまーい。これで「上質のポルトガル定番料理」はすべて経験できる感じ。メインでとった「鳩の雑炊」(Arroz de Pombo)がまた絶品。14席しかない店内の雰囲気もとてもいい。サービスもとっても親切。優子がここで出るチーズが気に入ったみたいなので「どこかでこれと同じものが買えるか?」と聞いたら2つ分けてくれた(ちゃんとここで熟成させているみたい)。食後に胃腸を整える地元の軽いリキュールもサービスしてくれ、大変気分よく店を出る。欠点はそこそこ高いことかな。前菜小皿は勝手に出てくるのにすべて食べた分だけお金がかかる。突き出しだぁと思って全部に手をつけると100ユーロくらいすぐ。次回来る時は(来ると決めている)もっと賢くオーダーしよう。
満ち足りてエヴォラの街を散策。
そしてまた満ち足りる。わりとシャビーだったエルヴァスに比べると天国みたいにいい街だ。ここは「住める」なぁ。ポルトガルを見直すようなセンスのいい店も多く、街並みも人も公園もすべてよい。つか、世界遺産にも登録されている街だから元々美しいのだ。
センスのいい土産物屋があったので、いろいろ買い込む。アズレージョのタイルや陶器系、朝食べたDoceもあったので購入。地元のborba産ワインも数本買った。違う店で豚の置物も。散歩していて飽きない。
16時すぎになったので、そろそろ今日の宿、アライオロスという街のポウサーダに向かうことにする。
サマータイムで19時でも明るいが、このポウサーダは自然の中にあって実にイイと聞いていたので、早めに行って散策しよう、となったのだ。
古い修道院を改造してホテルにしているそれは、なんというかとってもモダンでクールな宿だった。外部は修道院。でも内部はどこかのモダンアート美術館に紛れ込んだような趣。白い壁で無機質にデザインされていて、回廊は迷路のようになっている。うっわーオシャレだぁーと溜息つきながら部屋に案内される。
部屋のバルコニーからの景色はこれまた絶景。牛や羊が見える牧場を正面に、右にアライオロスの城、左に地平線まで続く田園が見える。部屋の天井も5mくらいあり、屋外プールなどの施設もクールに配置されている。見事なポウサーダ。
ただ、受付やレストランでのサービスまで全体にクールなのが惜しいところ。そういう方針なのかもしれないけど、もう少し笑顔とか欲しい感じ。
ディナーは21時前に。
というか、19時とかにディナーに行くといつも我々だけなのだ。21時くらいからポツポツ客が入り出す。だからちょっと遅めに行ってみたが、それでも一番ノリだった(笑)
イベリコ豚の特別メニューがあったので、マリさんに「特に Segreto de Porco Preto という料理名があったら迷わずそれをご注文なさることをオススメします。黒豚のヒミツという名前の料理です。何のことはない、黒豚の霜降り(パーツはどこなんだか)なんですが、イベリコ豚に負けないアレンテージョ黒豚の美味しさが実感していただけると思います」と勧められていた料理をとる。それと数日前から探していた仔豚の丸焼き(Leitao Assado)がメニューにあったので、それも。ふたつとも「メイア・ドーセ(半分の量)」でオーダーした。
なんつうか、あんな贅沢な環境で育てられる黒豚がおいしくないわけない。うまいなぁ。borbaの地ワインと合わせるとこれも最高。
しかしあれだな、ベルモンテのポウサーダといい、ここアライオロスのポウサーダといい、日本の女性トラベル雑誌にはまだあまり書かれていないと思うが、もし書かれたら「大絶賛!」確実。個人的には世界トップクラスの宿だと思う。観光や買い物が目的の旅ではなければ必訪。ボクは(特にベルモンテを)是非再訪したい。