2006年12月
父親たちの星条旗
2006年12月01日(金) 21:21:18
ビリー・ジョエルのライブがとても良かったらしい。マリインスキー劇場のロパートキナが絶品らしい。エッシャー展もよかったらしい。「フラ・ガール」も見逃しちゃったよ…。
というか、「娘が受験だし、どうせ家族全体息潜めて生きるならあと3ヶ月強ストイックに生きちゃおう計画」が気持ち的に盛り上がっていたのが9月10月だったので、秋の公演その他に目をつぶることにしてしまった後悔。うぅ。いろいろ観たかったなぁ。
とはいえ、第二部が来る前にコレだけは劇場で観ておかなければならぬ! と、映画「父親たちの星条旗」を今週なんとか観てきた。ギリギリですな。もうすぐ第二部「硫黄島からの手紙」が公開されてしまう。
感想は…。
んーと、阪神大震災の時に感じた感覚を少し思い出したです。わかりにくいかもしれないけど。
えーと、震災のときに「これってリアリティないな」と感じたんですね。神戸の現場にいながら。すごくリアルに家とか町とかが壊れていてヒトも死んでるのに、マジでリアリティがなかったわけ。あまりの現実の凄さに自分が幽体離脱して遠くから見つめている感じ。
その「リアルだけどリアリティがないというリアリティ」を、もしかしたら初めて描いた映画ではないか、と思ったです、この映画。
迫真のリアルを描いた映画はいろいろあるけど(プライベート・ライアンとか)、リアリティがないくらいリアルな現場の空気を描いたリアルさは他にはないと思うのです。
感想終わり。
…っていうか、困ったな。大きな障害がひとつありまして、集中できなかったのです。
つうのは、お隣に鼻が不自由な方が座っていて、3秒おきに「ふがっ」とするですよ。
鼻をすするのではなく、ふがっと鳴らすの。もうね、トリュフを探すブタLike。イーストウッドが描く渾身のリアリティにググッと心を持っていかれ、戦場の爆音にさらされて「うわ〜」と圧倒され、その余韻に感情をゆだねている静寂を「ふがっ」で穢される悲劇。まったくもってのめり込めなかったですね。心がスクリーンに入っていけなかった。
彼の周りの観客(隣はボク)はみな被害者系連帯を持って、奥床しく闘ったと思う。
あからさまにそのオジサンの顔を覗き込んだり、足を頻繁に組みかえてイライラを表現したり、「チッ」と舌を鳴らしたりの波状攻撃。みんなよくがんばった。でもそのオジサンまったく気付かない。うぅぅ。ある意味すごいよ。すごいスクリーン集中力だよ。
もしかしたら身体的なものかもしれないので強くは責められないが、それにしてもあんまりだった。もう一度観ようかな。でも阪神大震災を妙に思い出すので、ちょっと怖い。
揚げ物モード
2006年12月02日(土) 19:08:36
先週、昼ご飯にひとりで入った新橋の「和楽」のアジフライがバリッとして妙にうまくて、また「アジフライ食べて〜」モードに入っている。年に数回来るな、アジフライ・モード。1枚しか出てこない場合、半身をしょうゆで、半身をソースで食べる。しょうゆかソースかで数年迷った末にこう落ち着いたのだ。あぁうめぇ。
やっぱり先週、久しぶりに昼を食べに行った「とんかつ まるや」がまたうまくて、同時に「とんかつ・モード」にも突入。キャベツのおかわりが+100円になっていたが、その分たっぷり盛られるのでこれも満足。とんかつにキャベツってゴールデン・コンビだなぁ。あぁうまいとんかつ腹一杯食べたい!
要するに強烈なる「揚げ物モード」に入っているわけっす。
ガツンガツンに揚げ物食べたい! そのためには2,3キロの体重増は覚悟している。というか、すぐ痩せられる自信があるので(←BMグラサンダイエット提唱者だし:笑)。あ、BMグラサンじゃなくて、BMグラだけでも「太りません」ね。どんなに食べても。少なくともボクは痩せたまま体重キープしています。興味ある方はこちらから順に読んでくださいませ。
ちなみに、我が家は揚げ物を全くしない家なので、家ではアジフライもとんかつも食べられないんだよなぁ…。どこかでアジフライ+とんかつが両方食べられるうまい店探して、両方一気食べするのが当面の夢だったりします(笑)。
校庭芝生化の効果
2006年12月03日(日) 10:15:46
校庭の芝生化などについて書いた記事にいろんな感想をいただいております。ありがとうございます。
その中に具体的な実例が書かれているメールがあったので、ちょっと共有しますね。
校庭を芝生化した学校からは様々な事例が報告されており、さとなおさんが書いておられるように、登校拒否が劇的に減るということは多くの学校で証明されています。
「芝生プロジェクト」のシンポジウムでは、たとえば杉並区の小学校では、全校生徒欠席0人の日が芝生化後飛躍的に増えたとか、大阪府の小学校では1学期中の欠席日数が20〜30日の児童が毎年4,5人いたが、17年度は0人になったとか、そんな実例が数多く報告されました。他にも、
など、芝生の効果は想像以上に大きく、実施した学校の校長先生の多くは「芝生にして良かった」とおっしゃっておられました。
- 児童の登校時間が早くなった。
- 休み時間に教室に残っている児童がいない。
- 児童が芝生で寝転がっている。
- 近くの幼稚園、保育所がよく遊びに来る。
- 地域が芝生を利用するようになった。
- 夏は表面温度が10℃以上違う。
- プールの水の入れ替え時に消防団に撒いてもらった。
- 幼稚園では雲梯ができるようになった(落ちても痛くないから)。
すばらしいですねぇ。
もちろん裏側には芝生の維持管理のためにたくさんの人が苦労しているだろうし、表に見えてこない問題もあるでしょう。予算がないとか先生達の協力が得られないとかもあると思う。でも、くだらない箱物にお金を投入したり、いじめ防止の広報にお金を使ったりするくらいなら、校庭芝生化という選択肢をもっと国中の自治体が真剣に考えてもいいんじゃないかとボクは思います。
なお、すでに芝生化したある小学校の校長先生は「セキュリティでもっとも大切なことは、一人でも多く、たくさんの人の目が学校の中に注がれることだと思います。立ち入り禁止で鉄条網を張り巡らし、人目を避けることではないと信じています」と発言しているそうです。
芝生の維持管理のために地域の人や保護者に協力してもらったりして、たくさんの目が学校に注がれるようになり、セキュリティ・アップに役立った、ということなのでしょう。
ちなみに、関係ないけど「美しい解」という意味では、「電柱・電線をなくす」ということも考えて欲しいなぁ。昔こんなことを書いたけど、あの「我々の空を醜く覆っている物たち」を一掃するのは、物理的に国を美しくする第一歩だと思うし、意外な心理的効果、意外な経済効果、を生むと思う。
というか、単に個人的に電柱と電線がきらいなだけなのかもですが(笑)
ナッチャコ・パック
2006年12月04日(月) 4:51:06
うわっ!
ナッチャコ・パックが1日だけ復活するみたいですね。当時とまったく同じスタイルで。局はもちろんTBSラジオ。パーソナリティは当然、野沢那智と白石冬美。ディレクターは当時の斉藤俊介。すげ〜。くわしくはコチラ。
関東地方 2006年12月29日19時〜20時
ローカル 2007年01月02日19時〜20時
って、知らない人も多いか…。
ボクが中学高校時代だから、1970年代、関東地方で深夜放送と言えば、ニッポン放送の「たむたむたいむ」「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイヤング」、TBSラジオの「パックインミュージック」だったのだけど、それぞれ名物パーソナリティがいたんですね。
ボクが頼りないウェブマスター役を仰せつかっている「たむたむたいむ」のかぜ耕士さんはもちろん(そうなる経緯などはこちらを)、「オールナイトニッポン」は(ボクの時代は)鶴光、タモリ、タケシ、中島みゆき、桑田佳祐、糸居五郎、マイナーなところでは塚ちゃんなどなど。「セイヤング」では谷村新司・ばんばひろふみ、せんだみつお、落合恵子、グレープなどなど。TBSのパックは那智・冬美(チャコ)〜略してナッチャコ〜と、ミドリブタ、愛川欽也などなど。
そう、曜日によっていろいろ聴きわけたりして、深夜族も大変だったのです。
というか、深夜1時〜3時の放送をどの局かで聴いて、オールナイトニッポンの二部(朝3時〜5時)を軽く聴いて、ちょっと寝てすぐ学校行っていたよなぁ。そのうえラグビー部とか塾とかもこなしてた。毎日そんなことしてよくカラダが持ったもんだ。
で、絶大なる人気と実力を誇ったのが「金パ」こと「ナッチャコ・パック」だったのですね。那智チャコのパックインミュージック。金曜深夜の定番で、本も数冊出ている(持っている)。テープにも何本か録音してある気がする。磁気飛んでるかもだけど。
あぁあの頃の無闇に青い気分が蘇るなぁ。ナッチャコっていう言葉を読むだけで蘇る…。深夜に書き込むと尚更(まだ4時台だし。というか寝てないんじゃなくて早起きだし ←老人)
贅沢者
2006年12月05日(火) 12:58:03
昨晩は、とある天才とふたりで「上海蟹の老酒漬け」。
いやぁ絶品…。老酒漬けは他でも何度か食べたけど、ここのがベスト。うますぎる。この店、やっぱしっかりしているなぁ。季節にはこれからアッチではなくコッチに来よう(謎)
食い物の話を中心に話題はあっち行ったりこっち行ったり。尽きず。彼の時間を2時間も独占するとは、ボクはなんて贅沢者なんだろう。感謝。
イイトコドリみたいな超絶コースを堪能した後、彼と別れて南青山「Amoh's Bar」。
1周年も無事乗り切り、なんだか店も落ち着いてきた雰囲気。1年持つって予想以上に大変なことだと思う。青山って商売難しそうだし。これからもがんばってね。
打ちのめされた
2006年12月06日(水) 6:54:26
幻冬舎の見城徹社長の講演を聞いた。
題名は「『表現』は魂の救済」。杉山恒太郎さんとの対談ではあったが、杉山さんは見城さんの言葉を引き出す役割だったので、ほとんど見城さんが話した感じ。見城さんとは一度だけご飯をご一緒したのと、「見城徹 編集者 魂の戦士」という本を読んで感銘を受けたことがあるのとで(NHK「課外授業ようこそ先輩」出演をまとめた本だが、彼の半生、仕事のやり方・生き方をコンパクトにまとめたものになっていて、とても良い)、なんとなく話の内容は想像ついたのだが、それにしても……打ちのめされた。
講演中、面白いエピソードと豊かな言葉に圧倒されつつ、常にとらわれていたのは「オレは真剣に生きていない」という強い自己嫌悪。彼我の差に呆然とし、心から自分のサボリを憎んだ。オレは人生をさぼっている。生きることにハングリーになりきっていない。特にここ3年くらい。妙な落ち着きが出てきてしまっている(人生に)。表面的には必死に否定しつつ、どっか心の奥底で「まとめ」に入っているのではないか。まぁこれくらいか、と測っちゃっているのではないか。
彼の名言のひとつに「スムーズに進んだ仕事は疑え」というのがあるが、それに倣えば「スムーズに進んでいる毎日は疑え」なのかもしれない。流れに乗って泳ぐのは楽だ。楽であるから手をかくことをさぼりだす。まぁいいかと思い始める。でもそんな抜き手ではどこにも着けない。少なくとも「事を成す」ことは出来ない。
以前、見城さんとご飯させていただいたとき、前出の本を持っていってひと言書いてくださいとサインをねだった。「編集者はそんなことしないんだよ!」と照れて怒られつつ、ウンウン唸って長考し、ひと言書いてくださった。数々の名言を残している方なのでどんな言葉か期待した。でもとてもシンプルなひと言だった。
さとなお君! 一進一退!
当時より今の方がこの言葉の深さはわかる。まだ立て直せるだろう。いや、立て直す。立て直そう。
戦友ジーンズ死す
2006年12月07日(木) 18:30:52
2年半履き倒したジーンズ(最近ではデニムと呼ぶのが一般的らしいっすね。ボクはちょっと前までジーパンと呼んでいた世代ですが何か)が突然破れた。朝起きてジーンズ履いてマック前に座った途端、お尻の部分がビリリッと。
このジーンズ、わざと当時履けないサイズを買って「このセブンのジーンズが履けるようになってやる!」とダイエットの励みにした戦友みたいなヤツ。セブンのローライズ・ジーンズは当時オシャレな部類だったので、モチベーションにはなったなぁ。で、履けるようになってからは毎日の通勤はもちろん、海外出張から旅行から何から、いろいろつきあってくれた(もう一本のセブンとローテーションして)。たった2年半で破れちゃうなんてヤワだけど、でもこれだけ履き倒したのだからわりと寿命だったのかもしれない。
というか、まぁ履けるギリギリのサイズだったので布の負担が大きかったんだろうな…。破れた位置的にカットして短パンにするのは難しいかもしれないが、ちょっと工夫してみよう。とりあえず我が戦友、デッド・ソルジャーに、敬礼!
姉詩集
2006年12月08日(金) 5:29:59
早朝、というか4時から「姉詩集」を読んでしまい、頭が変な方向に活性化された。ちなみに書籍化されるらしい(ここでスレのまとめが読める)。あぁ1時間半も読んでしまった…。勉強しなくちゃな。でも目が痛くなったので二度寝します。
声枯れた
2006年12月09日(土) 12:25:47
昨日からなぜか大阪にいる。
東京にいる時はどちらかというと(いや、そーとー)無口な方であるが、大阪に来ると自分でもびっくりするくらいおしゃべりになる。かーかーこーこー話してすっかり声ガラガラ。しかも二日酔い。深夜3時までいろんな店に顔出した(7軒くらい行っただろうか)。うぅ。ちょっと肉吸いでも食べて復活してこよう(花紀京の特効薬)。
センチメンタル・イーティング
2006年12月10日(日) 8:46:30
大阪。
思った以上に二日酔いがひどく、ヨチヨチとなんばの「千とせ」へ。
「肉吸いと卵かけ御飯〜」と心の中でイメージしつつ(肉吸いとは肉うどんのうどん抜きなのだが、意外とあの脂な感じが二日酔いの胃にイイのである)、やっとこさ辿り着いたらなんと「本日臨時休業」の貼り紙が!
どっひぇーとぶっ飛んで、その勢いで斜め向かいにある「釜たけうどん」に入ってしまった。さぬきうどんの有名店である。おぉ、ぐっと踏み込む歯を包み込む系ムニムニうどんじゃん。なかなかうまい。入り口横に「うまひゃひゃさぬきうどん」も発見。我が本ながらなんだか懐かしい。
そのまま「なんばグランド花月」方面に歩いていくとその横で行列が。ふーん、このたこ焼き屋は入ったことなかったなぁと二日酔いも忘れて思わず並んで買ってしまう。でも正解だった。うまかった。「ワナカ」というたこ焼き屋さん。急に他のたこ焼きと食べ比べてみたくなって「会津屋」「大阪で一番おいしいたこやきくん」などで食べてみる。んー「ワナカ」の方が好きかも。
たこ焼きと言えば、大阪勤務時代に一番好きだった天満の「うまい屋」へ昨日行ってみたら火事(類焼)で店自体がなくなっていた。来春には再開するらしいが残念。あの古い雰囲気も良かったのに。
小麦粉を胃に入れたら急に調子が悪くなった(というか食べ過ぎ?)。
中崎の住宅街に友達が開いたカフェ「kitchen」に行き、水をもらって休憩。この店、以前は近くで小さく営業していたのだが、築80年の一軒家に移り、とてもオシャレでコージーなカフェに変身していた。だらだらしゃべって別れ、中崎を少し歩く。この辺オシャレな小さい店がいっぱい出来たなぁ。
ホテルに帰り昼寝。だいぶ調子が戻ったので夜ご飯食べに福島の「う越貞」(うおさだ)へ。途中、福島近辺も散歩したが、びっくりするほど今風の店が増えていた。
「う越貞」に来るのは10年ぶりくらいかなぁ…。懐かしい。一緒に行くはずの後輩が急病で救急車で運ばれたので(マジ)、ひとりカウンターで。数年前からじわじわと仕入れ先を変えているらしく、最上質の魚がズラリと並んでいる。へぇ、ずっと勉強を怠らない人なんだなぁとうれしくなる。八幡浜の白甘鯛と五島列島のくえが特に印象的。そーとー上質。うまかった。ご夫婦でやっている小さい素朴な居酒屋だけど、大阪でも最上の魚を出す一軒になっていた。また来よう。次は間人と同じくらい質がいいという津居山の松葉ガニを。
本当はその後苦楽園のいつものバーに飲みに行こうと思っていたのだが、大将が倒れて気弱になっていると聞いていたホテル阪神地下の「奴寿司」へお見舞いがてら伺うことにした。
大阪勤務時代は曽根崎新地の雑居ビルの地下の小さな店で営業していた店。知る人ぞ知るその「奴寿司」(天満の同名店とは別物)を誘致するとはホテル阪神もなかなかやるなと当時舌を巻いたものである。
谷大将とは仲良くて、いっつも冗談言いあいながらじゃれていた。というか若かったボクが鮨の食べ方や美味しさを知ったのはこの店のおかげ。カウンターでひとり食べることもここで覚えた。20代のボクにはちょうどいい敷居の低さと値段と味だったのだ。
谷大将はいまでは若手に任せて週数回しかカウンター内に立っていないらしいが、運良く今日は立っていた。最初はお互いぎこちない感じ。でも、「どうも! お久!」「……あれ? あ! あ〜!」と照れ臭く再開の挨拶を交わしているうちにだんだん昔の調子に戻ってきた。お互いの老け加減をからかいあいながら何貫か握ってもらう。あぁ懐かしい。そうだった。これが谷さんの握りの味だった。鮨リテラシーが上ってしまった今ではいろいろ思うこともあるが、それでもボクは「谷大将の手で握ってもらった鮨が好き」である。あの手でボクのために握ってくれた鮨はとても特別な味がする。
彼は倒れてもすぐ現場に復帰して元気にやっているが、確かに少し気弱になっているっぽい。「最近元気がなかったけど、佐藤さんの顔みて少し元気そうになった」と奥さん。でも握りはちゃんと元気な頃の谷さんの味だったよ。また来るから絶対握り続けてな。ちょっとセンチになりつつ店を出る。センチメンタル・イーティング。
満員劇場御礼座2006
2006年12月11日(月) 9:25:32
今回の大阪行の目的のひとつである「満員劇場御礼座2006年ひそひそ公演『それは秘密です』」を観てきた。
満員劇場御礼座(以下「満劇」)の公演のためだけに毎回新幹線代払って大阪に行ってもなんにも惜しくない。そのくらい良い。笑える。ほんわかする。というか好みに合っている(知りあいが出ているのもある)。でも貧乏性なので行ったら行ったでいっぱい食べたり飲んだりしちゃう、というのがこの金土日の真相である。ってどうでもいいか。
ちなみに今回もあっという間に前売り完売したらしいのでこのメモでも告知しなかったが、関西に住んでるなら是非観てほしい演劇ですね。とはいえサラリーマン集団の舞台なので不定期公演。なかなかやってくれないのが難である。
今回は全体的に本がよく出来ていた気がする。淀川フーヨーハイ、あべの金欠、心斎橋ラムネの3人の脚本があっさりとしつこめの間のギリギリのバランスで良かった。ちょっと前に観たつかこうへいの「蒲田(錦織版)」より良い(マジ)。いつものメンバーも流石なもの。客演の高瀬和彦氏もとても良かった。早く次の公演を望むです。
昨日のメシは、久しぶりに新世界を歩き回っていろいろ食べた。
通天閣の足もとをぶらぶら歩いて行き交う人を眺めているだけでなんだか元気になるなぁ。なんつうか「人間どうやっても楽しく生きていける」みたいな小さな自信を得られる。やっぱ新世界はええわ。ちなみに発見としては串カツ屋は「八重勝」が一番好きかも、ということ。例の二度漬け禁止の串カツ店がいろいろあるのだが、その中では。「だるま」とかと連続で食べてみてそう実感。
【追記】
新世界の串カツですが、「八重勝」も「だるま」も超人気店で、普通に1時間とか並ぶ世界です。
なのでボクみたいにハシゴしようと思ったら「朝10時半の開店前から『八重勝』に並んで(開店直前に行くともう座れない)、開店と同時に食べ、20分ほどバクバク食べたらすぐ『だるま』に向かい、開店前から並ぶ、という段取りを踏まないととても無理です。ちなみに「だるま」ジャンジャン横丁店なら11時開店。本店は12時開店です。ワタシも食べ比べてみる〜というメールをいただいたので、追記。
「すし匠」〜「カルマ」
2006年12月12日(火) 12:48:32
昨日のメモ、少し追記してあります。ハシゴする人(いるのか?)のためのコツというかなんというか。
昨晩は対談相手の伊藤さんと四ツ谷「すし匠」。
数ヶ月に一回ふたりでどこかに食べに行くが、まぁいろいろ話は尽きないこって。でも意外と食とか店の話はそんなにしない。
「すし匠」は、酢飯を使い分けることで(一部鮨好きに)知られている店。基本は白酢の酢飯を使っていて、さわらの昆布締めや煮小柱、赤身のヅケとかは赤酢の酢飯で握る。赤酢は少し酢をきつめにしてある。
ボクとしては酢飯の使い分けはとても素晴らしいことだと思っている。
優れた職人は「自分の酢飯と握り方」にタネを合わせて一貫を完成させていく。でも、逆にそのタネに一番合う酢飯の状態を作り分けられれば、鮨はまた違う次元に入っていける気がするのだ。そういう意味では昨日はとっても楽しんだ。ただ、酢飯を変えることでご主人がまとめ上げたい味の方向性が多少ばらついてしまったのも事実。白と赤をわかりやすく変えすぎているのかも。その中間くらいのグラデを使ってくれるともっとまとまって良いのだがなぁ、でもそうすると多種類炊き分けないといけないので大変すぎるなぁ、とか思いながら食べていた。
いずれにしても、創意工夫に満ちた素晴らしい鮨だった。いや〜満足満足、と店を出て、白金の「カルマ」へ。その昔「リジョイ」という店で宮崎優子さんと一緒に(というか弟子として)シェイカー振っていた浅川康明さんがやっているバー。宮崎さんのドクターYを所望したら「私オリジナルのドクターもできます」とのことで、名付けてドクターYASをいただくことに(彼の名前がヤスなので)。むむ。うまし。またこれを飲みに来るね。
塾のお迎え
2006年12月13日(水) 5:17:18
近所の塾に行っている娘のお迎え。自転車でビュー。
夜だし暗いし寒いし。会社帰りで疲れているし。
でも、小6の響子を塾まで迎えに行くのもあと1ヶ月半(2月頭が本番だから)。そう思うとかけがえのない時間に思えてくる。暗くて寂しい夜道も価値があるように見えてくる。塾のドアから子供が飛び出てくる瞬間を愛おしく感じてくる。いただいたメールの一節に「子供はすぐ大きくなっちゃいますよ!」というのがあったが、ホント、子供と一緒に過ごす時間なんかあっという間に終わり、すぐに妻と二人きりの時間が訪れるのだろう。シアワセなんだろうな、うん、シアワセなんだ、お迎えにビューと向かっているこの「たった今」こそ、が。
美輪明宏が「幸せとは陽炎のように儚いもの。手にした瞬間に飛び去るもの」みたいなことを書いていたが、その通りかもしれない。彼は続けて「なのに世の中の人は『幸せになります』『幸せになりたい』と、一度手に入れたら未来永劫変わらない固形物でもあるかのように言い、求める」みたいなことを言う。つまり結婚式とかで「幸せになってね」とか「なります」とか言うのは違ってるよ、ってことだ。幸せとは瞬間の感覚のことを呼ぶのだから。そしてそれが続くとだんだん麻痺して当たり前になり、また不満を持ち始めるのが人間なのだから。
だから、たぶん、幸せとは「なる」ものではなくて「気づく」ものなんだろう。
幸せに気づく感性(それはたぶん感謝する心)をもっともっと磨きたい、な〜んて殊勝なことを思う冬の朝。夜明け前。新聞配達のバイクの音。
ラジオの魅力を一番知っている世代
2006年12月14日(木) 8:14:45
火曜に録画しておいたTV「伊藤家の食卓」を観た。
かぜ耕士さんが出ていたからである。見逃した方は番組オフィシャル・サイトの「番組内容をチェック!」→「ウラ昭和史」→「ナンチャッテおじさん」を観るとキャプチャー画像がちょこっと観られる。番組中では昔の「たむたむたいむ」放送中の写真なども映された。懐かしい…。
そうそう、ナッチャコ・パックへのメールもいろいろありがとうございます。
TBSラジオの方からもメールをいただき(というか友達なのだけど)、「レギュラーで那智チャコが復活するとしたら、聴きたいっ!っていう層はかなりいると思います?」と軽く聞かれた。
いますよいます!
でもその層って壮年なの。働き盛り。その辺が問題ですね。聴きたい気持ちはあってもなかなか暇がない。
そういう意味では、ボクたちの「深夜放送世代」が定年引退したときがラジオの最大のチャンスかも。時間ができ、ノスタルジィとともにラジオに帰ってくる人がわりといる気がする。ラジオの魅力を一番知っている世代かもしれないし(ラジオしかなかった世代よりも選択的に聴いていたという意味で)。
かぜさんやナッチャコをはじめ、当時いっしょに青春を過ごしたパーソナリティたちが、ボクたちと同じように歳をとって、ボクたちと同じような視点で、だけどちょっと兄貴姉貴目線で、世の中を語る。その共感たるや他のメディアでは味わえないものだと思う。
老後って言葉、嫌いだけど、でも、そんな老後、ちょっといいな。
流通のチカラ
2006年12月15日(金) 8:46:30
割烹「樋口」。
年内に裏を返そうと思っていたのだが、なんとか間に合った。誠実で真摯な料理。だけど客を緊張させる真面目さではなく、肩の力がホッと抜け真面目さ。この辺がこの店の真骨頂かもしれない。疲れた時に特に効く。
途中で白川(白甘鯛)が出た。ううむ。去年から今年にかけての「のどぐろ(アカムツ)」同様、はやり始めているみたいだなぁ。このところ続けて白川を食べている。
ここ数年、流通の進化と客の高級志向に伴って、地方でもめったにお目にかかりにくかった希少な高級魚が都内の割烹や居酒屋に出回るようになってきた。去年だったかフツーの居酒屋で「のどぐろ」の文字を見たときなんか驚いたもん。来年あたり白川もフツーに並び出すのかもしれない。でも東京でそれだけ消費されると、逆に地方では枯渇するんだろうなぁ。申し訳ない。というか、地方を訪問する楽しみが薄れるので、東京に流通させなくていいです(笑)
そういえば那覇から「きっぱん(橘餅)」が届いた。というかいただいた。ありがとうございます。本当においしい。
もう謝花きっぱん店でしか作っていない銘菓。二ヶ月待ち。だから観光客はなかなか手に入れにくい。東京にも流通していない。でもわざわざ那覇に行って買いたくなる希少な味のひとつである。
流通のチカラは素晴らしい(特にここ数年)。食べ物だけでなく、本もCDもクリスマス・プレゼントだって、家にいながら手軽に買える。すぐ届く。感謝感謝。
でも、わざわざその場所に行って苦労したり努力したり探し出したりしてやっと手に入れる、口に入れる、みたいな体験をしていないから、自分の幅は広がらないし、選択眼も養えない。人生もとても安易になる。まぁ、良し悪しというかなんというか。難しいところですね。
教育基本法
2006年12月16日(土) 18:01:19
寝休日。だるくて体調が思わしくない。まぁこういうときもあるさ、と、本をいっぱい抱えてベッドで過ごす1日。寝だめカンタービレ。それにしても先週くらいからずっとだるい。精神的には元気なんだけどカラダがついてこない。
教育基本法改訂、可決。
どう思いますか?というメールをいくつかいただいているが、びみょ〜に態度保留。自分の真ん中に変わらない芯みたいなものはあるのだが、もう少し考えたい。
以前「国歌国旗強制違憲問題」について軽くコメントしたとき(こんなのとかこんなの)、強い賛同と強い反対の両方をメールでいただいた。通常、強い反対メールというのは感情的でよくわからない論が多いのだが、今回はとっても丁寧で理性的なメールもいくつかいただいた。そして一理あると正直思った。ボクは物事の一面しか見ていないのかも、と少し不信感を持った(自分に)。それ以来、ふとボンヤリするときとかになんとなく「国歌、国旗、教育、愛国」について考えている自分がいる。ずっと堂々巡りだけど。こういうのはなかなか結論はでないのだろうな。自分個人に当てはめて考えるときと自分の娘に当てはめて(親として)考えるときとでは結論が違ったりするし。
サラリーマンの人と自営業の人とでもずいぶん考えが違ってくるよ、と、ある人に言われた。
集団で団結して行動する職種の人と、個人の能力と努力で生きる職種の人とでは「国歌国旗強制違憲問題」についても「教育基本法問題」についても結論が違ってくるというのだ。それもあるだろうなぁ…。ボクはその上「ラグビー」という超団結系スポーツもやっていたし(笑)
いずれにしても、結局子供に一番影響を与えるのは家庭での教育だと思うので、ボクが信じている「生き方の基本」「国に対する義務と義理と権利と愛情」みたいなものは娘にブレなくちゃんと伝えていくつもり。その上で娘が違う思想を持つならそれはそれ。自由にやってください。
日帰りバサカニ
2006年12月17日(日) 8:09:12
「『だるい』をおろそかにしてはいけない」とありがたいお叱りを受けつつ、ちょっと必要があって日帰りで岐阜県は瑞浪市のバサラ・カーニバル(略してバサカニ)に行ってきます。よさこいソーランの瑞浪版。おかみさんソーランを応援してきます。大スズメバチ酒を飲まされないように気をつけなければ(笑)
昨日のハナシ、自営業(個人営業、もしくは会社経営者)の方から「そうなのよ〜」という反応がわりと。
特にサラリーマンから独立した人は、ビフォア・アフターで比較できることもあって、強くそれを感じるみたいですね。なるほどー。いろいろ考えさせられます。サラリーマン生活を20数年やっているので、視点が少し硬直化しているかもなぁ…。
新幹線でゆっくり考えよう。
瑞浪バサラ・カーニバル
2006年12月18日(月) 12:09:49
瑞浪バサラ・カーニバルに行ってきた。
名古屋から中央本線で40分。静かな町の単独のお祭りなのだが、100チーム以上の「よさこいソーラン」チームが参加していて異様な盛り上がりを見せている(バサラ公式サイトのたとえばこの写真とかを見ると盛り上がりの一端がわかる)。
驚くのは、遠くは北海道や東北からもチームが参加していること。みんな自腹でわざわざこの小さな町まで駆けつける。しかもチームの踊りを踊れるのは5分だけ(総踊りや乱舞には参加できるが)。たった5分踊るために全国各地から長時間かけて参加しに来るわけだ。それも主に10代20代の(お金に一番不自由しているはずの)若者たち。すごいなぁ。
いろいろ見たり聞いたりしていると、どうも「草の根レベルの交流努力の結果」のようである。各地のチーム同士が同窓会のように(もしくは忘年会のように)温かく再会を喜びあったりしている。瑞浪がそういう場を用意し、市を上げて温かく迎え、地道に10年(このお祭りは10周年だそうだ)やり続けた結果が、眼前に展開されているのだ。
地方の市町村は「地域の活性化」が切実な問題で、この瑞浪の盛り上がりをいろんな地域の人々が見学に来ていた。行政ではない市民レベルで自然発生的に地域同士が結びついているのが素晴らしい。しかも若者が「うちの町をなんとかしなくちゃ!」と燃えていたりするのがもっと素晴らしい。
新幹線の終電に間に合うギリギリまで瑞浪の「日吉屋」での打ち上げに参加して飲んでいたのだが、瑞浪の人と、北海道大学"縁"の学生とそのOBたち、北海道の江差(枝幸)の方々、三重の方々、静岡の方々などが入り乱れて「お祭りの成功」を祝っている感じがとっても心地よかった。地域の商店街とか青年団、主婦、学生、単なるお祭り好きなどの人々が、各地で自主的に交流し、盛り上がり、結びついていく。いわば、リアル・インターネット。リアル・ロングテール。リアル・WEB2.0。
ささやかながらもご協力して、地域活性化の助けになりたい。とか、これまた殊勝なことを思いつつ、帰ってきた。大スズメバチ酒は飲まされずに済んだ(笑)
熱燗専用
2006年12月19日(火) 7:56:35
以前瑞浪に行ったときに作陶した美濃焼を、日曜の宴会時に手渡しでいただいた。
瑞浪市には陶磁器会館「美濃焼プラザ」というのがあり、美濃焼、瑞浪焼を売っていたりする(わりと陶器で有名な街でもあるのだ)。そこで陶芸教室もやっていて、作陶体験教室に入れるのである。正味1時間程度の作業。ロクロを回して茶碗とか湯呑みとかを作っていく。ボクはぐい呑みを作った。広口の大きめのぐい呑み。ロクロを回すのは初めてだったので緊張しつつなんとか完成。それが焼き上がってきたわけである(写真1、写真2)。
どうすか! 初めてにしてはなかなかっしょ!(自己完結)
「おぉ〜!」と喜び、さっそくその場で酒をもらって飲んでみる(呑み初めは「三千盛純米大吟しぼりたて」)。
当然「ぅ、ぅ、ぅうまいっ!」と叫びたいところだが、唇に当たる部分が少し肉厚すぎて、せっかくの銘酒の切れがにぶって感じられるのが難。この飲み口の部分って本当に味に影響を与えるなぁと実感させる出来(笑)。リーデルとかここの薄さで勝負してたりするもんなぁ…。でもここを薄くするのって初心者にはハードルが高いしな…。
ただ、逆に冬の熱燗とかならこの肉厚さもホッコリ感じられていいかも。熱燗専用にしよう!
自分で作った自分専用のおちょこ。大事にしなくちゃ(震災が来ても割れないように仕舞い方を気をつけなくては!)。瑞浪のみなさん、ありがとうございました。
後輩と天麩羅
2006年12月20日(水) 8:54:31
昨晩は中学高校の後輩とメシ。
後輩なのだけど会ったのは初めて。ここ数年メールのやりとりをしていてなんとなくお会いすることとなった。
サイトを読んでくださっている方と会うのはわりと勇気がいる。勝手に美化されていることが多いからである。実物見てガッカリさせたら申し訳ないなぁとか気を遣う。そのうえとっても落ち着かない。相手にはサイトですべてを知られているのに自分は相手のことをほとんど知らないという不公平な状況が意外とつらい。こっちは裸なのに相手は服を着ているみたいな落ち着かなさ。モゾモゾ。さらに、わりと疲弊もする。「相手がイメージしてくれているさとなお」をどこかで無意識に演じている部分があるのだろう。やっぱり激食べした方がいいのかなぁとか(笑)。
だから帰ると肩が凝っていることが多い。自意識過剰なのかな。サイトやってるヒトならわかってくれる感覚だと思うけど。
でもまぁ今日は後輩だしな、肩の力を抜いて行こう、校風が強い学校だったのでだいたい相手の雰囲気は想像つくし、しかも相手もサイトを持っていて少しはこっちも予備知識があるし…。と、昨晩は普段より気楽に出かけたのである。意識して気楽に。
で、ある隠れ家的な穴場店に天麩羅を食べに行ったのだが、しょっぱなの素材を食べて何も考えず瞬発的に「○○ですね」と言ったらイキナリ間違えた(笑)。うわぁ。肩の力抜きすぎ。こういう時ってびみょ〜な空気が流れて困る。ヤバイと思って次の素材からはわりと緊張して味わう方向に。だって普通天麩羅にしないような素材ばかり揚げる店なんだもん。合鴨とかイチゴとか柿とか。おもしろいでしょ? でも意識してちゃんと食べないとまた間違う。結局緊張。ダメじゃん。
肩に力が入り、緊張モードから抜け出られなくなり、とはいえどっかで「気楽にしよう」という意識もあり、なんつうか途中から何しゃべってるか自分でもわからないほど脈絡なくなりすぎてしまった。まぁそういう晩もあらあな。ごめんね後輩。また行きましょう。
真冬のスイカ
2006年12月21日(木) 7:16:58
季節はずれ、いや、季節違いのスイカを食べた。
ある驚異的な「隠れてない隠れ家店」でデザート代わりに出たのだが(この店の感想はまた書きます)、これがまたうまかったのだ。千疋屋と同じ仕入れとご主人は言っていたが、スイカ真っ盛りの夏に食べても最上等と感じるような美味。まぁ外は寒風吹きすさび、みんなコートの襟を立てて歩いているのが見える中、ざっくり切ったスイカに汁したたらせてかぶりつく妙なシズル感も手伝ってはいると思うけど。
高知のハウスものだと言うが、こういう季節を無視した食べ物を食べるとき、「旬をないがしろにするのもなぁ」とどこかで後ろめたく思いつつ、「本当に幸せなことだなぁ」という深い感慨を覚える。
「青柳」の小山裕久氏はその著書の中でこんなことを書いている。
八百屋の軒先に行けば一年中あらゆる野菜が溢れ、旬がなくなってさみしいということがよくいわれます。しかしそれは間違いだと思うのです。
たとえば平成のこの時代は、暑い夏でも部屋に入れば冷房がきいて涼しく快適という暮らしがありますね。これはたぶん、昔の人にいわせればユートピアです。冬もそうです。どんなに外が吹雪いていても一歩家の中に入れば、暖房のきいた暖かい部屋がある。北国の人は雪掻きの辛さを骨身に染みて知っていますから、彼らにしてみれば、現代は天国です。
同じように四季を通じてさまざまな野菜に出合えることも、昔を考えればパラダイス。それを旬がないと嘆くのは単なるない物ねだり。それこそ感性の欠落した人のいうことだと思います。クーラーを入れて涼風が心地よいと感じたならば、外は夏でもそれは秋の始まり。そんなふうに四季を感じることはいくらでもできるはずです。
で、「どんなところでも四季を感じることはできる。もっと言えば、瞬間瞬間が四季である」というような論につながっていくのだが、確かに季節違いのスイカは「それを食べた瞬間、ボクの中で『旬』」であった。
寒い寒い夜遅く、驚異的なコースの最後の最後に甘〜いスイカにかぶりつく。本当にパラダイスだよなぁと感じ入った次第。
お腹一杯になりました?
2006年12月22日(金) 8:50:43
昨晩は講演。丸ビルの東京21Cクラブ内にて。
みっちり2時間半、「消費者が変化した。広告も変化しないと!」という演題で話をさせてもらった。ここ数年の流れの総括、消費者の変化、必然としての新広告手法、広告とコンテンツのシームレス化などを、キーワードとともにご紹介。コレデモカ!と思うくらいたくさんの面白事例(映像)をご紹介したので飽きなかったとは思うが、ちょっと盛りだくさんすぎたかも(笑)。沖縄のおばあと一緒で「お腹一杯になってもらわないと、もてなしてる気がしない」のです。聴いてくださった方々、お疲れ様でした。長時間ありがとうございました。
講演後の懇親会が終わってから、エレベーターで35Fに上がって「オザミ・トーキョー」でセミナー主宰者の方とふたりでお疲れ様ワイン。さすがに一人で2時間半話したのはあまり経験なかったのでわりと疲れていたみたい。ワインが回る。でも話題はいろんなところに飛び、とても楽しい食事。ありがとうございました。
盛り上がって飲んでいるうちに24時を過ぎ、小走りでなんとか終電に間に合った。年末の木曜の終電ってすごいのね。朝のラッシュよりすごい。酒臭くもあるし(お前が言うな)。
もみくちゃくちゃになりながらグッタリ帰宅。深夜にここまで大ラッシュになるのなんて世界でも東京だけだろうなぁ。
忘年会ゼロ
2006年12月23日(土) 8:21:59
先週で年内の外食予定はほぼ消化し、あとは仕事納めの日の蕎麦のみとなった。娘の受験(&自分の勉強)もあって数を減らすようにはしていたが、それでも「年内に行きましょう」と急に入る予定もある。それらも無事にこなし、落ち着いた年末年始に突入できそうである。
んでもって、今年はついに「忘年会ゼロ」を達成!
以前よりこんなことを書いてはいたが、完璧にゼロって初めてじゃないかな。家庭も財布も肝臓も痛まない。やっぱり忘年会ゼロは気持ちいい(ちなみに新年会予定もいまのところゼロ)。
というか、5年以上かけて会社周辺で作り上げてきた「佐藤はこんな人」像がそろそろ周知徹底されてきた模様。
つまり、佐藤という男は「夜の会議はめったに出ない(どっかに夜メシに行ってしまう)」「ビジネス・ランチも嫌う(どっかに昼メシに行ってしまう)」「休日出勤はめったにしない(行方をくらます)」「接待、パーティ、忘年会、新年会などの義理を欠く(聞こえないふりをする)」、というイメージが社内外に浸透したということである。
うはは、こうなるまで苦労したぜよ(ホントかよ)。
いや、言っておきますけど、以前は人一倍やりましたからね。残業も(休日出勤含めて)200時間前後やってたし、宴会は幹事を率先してやっていた。つきあいもとても良い方であった。
でもある時悔い改めたのだ。人間の持っている時間は有限だ。仕事に人生を牛耳られたらきっと後悔する。というか、そんなことしなくても仕事はキチンとこなせる。それも(実際やってみて)よくわかった。残業しない、と決めると昼間の時間の使い方も変わってくる(まぁシビアに言うと多少「粘り」が減るが)。つきあいやしがらみも、切ってみたらそれほど重要なことではなかったことがわかってくる。
酒の席でのコミュニケーションを否定しているわけではない。これは今でも人一倍やっている。でも、会社の人とつきあうより会社外の全然違う職種の人とつきあって刺激をもらう方が、結局は仕事のためにもなる。飲み屋で会社の仲間と仕事の愚痴を言い合うことほど非生産的なことはない。
そう。そういう意味では新入社員時代に「社外の人間と飲め。社内の人間とばかり飲んでるヤツはバカと思え」とある上司に教えてもらったのが大きかった(それについてのコラムはこちら)。実にありがたいサジェスチョンであったなあ。
本城直季「small planet」
2006年12月24日(日) 9:08:50
昨晩は家でクリスマス・パーティ。ボクの父と母も迎えて。
娘の中学受験を控えているのでやるかやらないか一瞬迷ったが、やらないと機嫌悪くなって長く引きずりそうな気配があったので、クリスマスとお正月は普段通りすることにした。パッと楽しんでパッと切り替えよう。ご馳走作って(優子が)、いいワイン飲んで(大人が)、サンタの格好して(犬が)。
ボクから娘の響子へのプレゼントは本城直季の写真集「small planet」。
実際の風景をミニチュア模型ライクに見せる大好きな写真集。何も知らずに手に取ると「ミニチュア模型で作った風景をいかにもリアルな風景っぽく撮っているんだ」と誰でも思う。でもじっくり見ていくと「あ、リアルをミニチュアのように見せているんだ!」と気づく。これが飽きない。箱庭好きにはたまらない。うわーうわーと感嘆しながら見てしまう。なんでも大判カメラのあおり(カメラでレンズと感光面をずらして撮影する技術)を使って撮るとこうなるらしい。ふーん。Photoshopでも作れそうだけど、後処理しないからこそのシズルがよく出ているなぁ。
とりあえず娘はこの面白さをわかってくれたようで、「おもしろーい!」を連発しながら見てくれた。よかった。
そう、現実は見方をちょっと変えるだけで非現実的になる。いつも「リアル」だと思って見ているもの、感じていることは、本当に「リアル」なのか。つか、リアルとは何なのか。いま生きている日常は本当にリアルなのか。そんな視点を与えてくれる一冊だ。よくできた文学や映画のように、日常を異化してくれる希少な芸術作品なのですね。小6には少々ハイブローかもだけど、こういう視点を持つと人生に「強く」なれるので、あえて。
ちなみに奥さんには ANNA SUI のパープルで小さめのコサージュを差し上げました。
八千草薫!
2006年12月25日(月) 8:55:34
ルテアトル東京で、舞台「黄昏 〜On Golden Pond」を観てきた。
出演は、八千草薫、長塚京三、賀来千賀子、三浦浩一、中村友也、飯田邦博の5人。ヘンリー・フォンダ主演の映画で観ていたので(ちなみに舞台劇を映画化したもの)、筋も主題もお馴染みではあったが、映画を観たのは20代前半、あの頃感じられなかった「老い」への想いが様々に交差して、なんだか最後には涙ぐんでしまった。
というかですね、長塚京三演ずるノーマン(80歳)の言動がやけに「わかる」のですよ。
強い共感がある。思えば映画ではヘンリー・フォンダ演ずるノーマンをチェルシー(ジェーン・フォンダ)目線で「うぜぇ」と思って見ていた20代前半のワタクシ。時は移って20数年後のワタクシはすっかりノーマン派。主題の捉え方も180度違う。それが実感できただけでも収穫あり。でも80歳の気持ちにすっかり共感しちゃう45歳って…、どうなのよ?
ま、そんなことより驚異的だったのは八千草薫のかわいらしさであります。
実年齢は(失礼ながら)75歳かな。明るく前向きなエセルを演じたこともあるけど、それにしてもかわいすぎ。相変わらず美しいし、歌声もよく通るし、品があるし、なにより笑顔がキュート。いや〜、いい意味でオバケである。「人に見られる職業」なので一般人とは比べられないけど、それにしても素晴らしい年のとり方だ。
年をとる、ということを様々に考えさせられた週末。あぁそういえば読んだ本も「死にたくないが、生きたくもない。」(小浜逸郎著/幻冬舎新書)だった(笑)。体調不良も手伝って、少し自分に引きこもり気味。
なんだかダメダメ
2006年12月26日(火) 9:29:29
メール友達(サイトも持っている)に鬱病の人がいて、その人とたまにメールのやりとりをするのだが、「いや〜、ボクも最近そーとーダメで」と書いたら、「私もだてに何年もさなメモを読んでるわけではありまきねん。私にはプンプン匂っておりましたよ」と、ダジャレを入れて返信が(笑)。匂ってましたか。
んー、いろんな刺激物を毎日の生活にまき散らして自分を刺激してはいるのだが、なんだかダメダメなんだよなぁ。でもここ数日は「ダメに徹して超だらだらしてる」ので楽は楽。なるべく人に会わず家に引きこもっている。会社? 会社はもともと年末は長めの休みを予定していたので大丈夫(今日は昼から行くけど←フレックス)。
経験値的に、晦日あたりから復活する予定。
たまに数週間ドカンと落ち込むのも、その後どわっと吹き上がるのに必要な要素。とは経験上わかってるけど、ここまでダメダメだとさすがに不安になる。だから今日は刺激物摂取のため「みんな昔はリーだった」を観劇に行く予定。そんなことしないで寝てればいいのに、じたばたしてしまうサガ。
ダメダメ解消物質をいろいろ摂取
2006年12月27日(水) 9:27:01
なんだよなんだよ、なんでみんなボクがダメダメだとそんなに安心するんだよ(笑)
まぁなんだか喜んでいるらしい読者さんたちを尻目に、昨日は刺激物摂取に励みました。復活のための地道な処方箋であります。
まずは昼ご飯。久しぶりの「カレー屋nagafuchi」。ご主人が亡くなって閉店かと思われたところ、救い主が現れてあの味が再現されて復活(くわしいことはリンク先を)。ずっと行けなかったけど、ダウナーな自分を励ますためにそのエピソードを肌で感じたい(そして辛いカレーで活性化したい)。大雨の中、GO。
サラサラ感が多少変わっていたかな、と思ったけど、永渕さんの味をかなり再現。こうして記憶に残る味を残す人生の素晴らしさ。なるほどなー。カラダもたっぷり汗かいて満足至極。
で、会社でぬるっと仕事。そこそこいろんなことがありアワアワしたけど、ダメダメのわりには冷静に対処(たぶん)。その後打ち合わせを兼ねて病院へ友人のお見舞いに。
クリスマスも年末年始も病室に入りっぱなしの友人は、それでもやる気十分で、教えられること大だったなぁ。退院後アレをしようコレをしようと仕事の話で盛り上がる。彼とは自然と仕事の話で盛り上がれる。うん、ダメダメにはよく効いた(お見舞いに来てエネルギーをもらって帰るのもどうかと思うが)。
病院からバスで渋谷へ。パルコ劇場で舞台「みんな昔はリーだった」を観劇。
このブログで激賞してあったのを見て、すぐにチケットをネット購入したのだが、なるほど面白い。男たちのくだらなくも愛しい中学時代・中年時代がよく描けている。大笑いしつつ、泣かされつつ、最後はさらりと予定調和をぶちこわされて気持ちよい(その辺のバランスが好き)。
ホリケン(堀内健)、相変わらず滑舌悪いけどそれも味になっていて良い。池田成志は1987年くらいからよく見ているが流石にうまくて好き。伊藤正之も京野ことみも板尾創路もNHK「ファイト」に出ていた瀬川亮も良かったけど、強く印象に残ったのは竹下宏太郎。この人イイな。もっと出て欲しい。あ、それと後藤ひろひとのデ・ニーロが爆笑。作・演出・出演の人だけど要所を締めて余りある。
いろいろ笑わせてもらい、新鮮な気分になる。ダメダメに効いたかな。
そういえば、瀬川亮の役名が「ひろゆき」なんだけど(後に「ばかゆき」になるんだけど)、それを名乗っただけで会場が笑った。ひろゆき、という名前だけで笑いがとれる時代なんだなぁ。
終演後のロビーで、ブログで激賞してた当人とバッタリ。青島幸男氏のお通夜の帰りとか。昨日で2回目の「リー」だそうだ。うわ〜と偶然を喜びしばしおしゃべり。奥様もご紹介してもらった。ちょっと楽屋も覗かせてもらった。みんな一線でがんばっている人ばかり。エネルギーあるなぁ。
腹が減ったので、嵐のような雨の中、気になっていた焼鳥屋にひとりで。
まだオープン1ヶ月でういういしい。へー意外とうまいぞ。お酒の品揃えはどうかなーと、うむうむ食べつつお酒のメニューを見ていたら、日本酒のところに「村祐 純米大吟醸」があってひっくり返る。おみそれいたしやした。大きくのけぞったところを店員さん(奥さん?)に見られ、日本酒がお好きですか?と聞かれ、いや〜村祐ってまるでリースリングですよねぇとわかったようなことを言ったら「九朗左衛門 雅山流」を出してきて飲ませてくれた。ううむ。これはちょっとムルソーみたいで面白い。
「実はお酒の仕入れは利き酒師に任せっきりでわからないんですけどね」とご主人共々謙遜するが、さして繁華でもない下町でこの仕入れは勇気がいる。フツーに食べて飲んで2600円とお代もうれしやありがたや。また来るね。ニコニコになった。
夜中には雷まで鳴り出し、ずぶぬれになって帰宅。そんな一日ざんしたね。行動だけ追うとあまりダメダメには見えないな(笑)。でもひとつひとつからダメダメ解消物質を摂取できた気はする。こんな感じの復活途上。今日は打って変わって一日静かに過ごすつもり。まずは溜まってるメールのお返事からゆるりと。
「のだめ」ドラマ終了
2006年12月28日(木) 8:24:03
このエントリーのラストで、「のだめ」は怖くて観られない、と書いた。「のだめ」ファンだった佐藤家としてはドラマ化にはどちらかというと否定的であったのだ。だって目も当てられないドラマ化だったらイメージ壊れてしまうし。
でもごめん。実際には全部観た(録画駆使)。最終回が今週月曜だったのだが、毎回実に面白かった。久しぶりにテレビの力を感じたよ。ええと脚本は衛藤凛。演出は武内英樹ほか。グッジョブ。あれだけの人気マンガのドラマ化としてプレッシャーかかったと思うがよくがんばったなあ。原作に忠実すぎる部分もあったけど、これは原作が元々とてもドラマ的だったという部分もあるのだろう。竹中直人のシュトレーゼマンにはいまだに「どうなの?」と思うが、それ以外のキャスティングは素晴らしい。まぁ最後には竹中直人も見慣れた。
特にSオケのベト7の回(あれ? ブラ1だったかな)と最終回のベト7が良かったなぁ。泣けたし。
とにかく、クラシック・ファンの底上げには計り知れない貢献だ。
あぁあの無表情なオケの人たちの裏側には意外とこういうドラマが隠されているんだ、と、クラシック・ファンでない人たちにもわかっただろう。楽曲の素晴らしさにも目覚めてくれただろう。コンサートも客足が伸びていると聞く。着メロでもベト7がトップだった時期があると言うし。すごいすごい。我が家でも去年の春時点でこんな効果もあった。ドラマの挿入曲にもいちいち「原曲を聴いてみたい」と反応する。きっと各家でいろんな「クラシック底上げ現象」が起きているものと思われ。
あ、それと、娘が「何をやるにしても相当の努力が必要なんだ」「ちゃんと努力するとまた違う喜びがある世界が待っているようだ」と肌で感じたらしいこともうれしい。楽器は特に地道な努力の積み重ねですからね。
年越しアルギン会
2006年12月29日(金) 8:37:19
昨日は恒例になりつつある「年越しアルギン会」。
半ドンの仕事納め帰りに、銀座の老舗蕎麦屋「泰明庵」にて、名物ドリンクである「そば焼酎のそば湯割り」を飲みつつ、つまみ喰って蕎麦喰って今年を〆るのである。
なぜアルギン会かというと、この「そば焼酎のそば湯割り」のそば焼酎がドリンク剤の空き瓶に入って出てくるのだ。正確に言うとリポDの空き瓶っぽいのだが(ラベルが剥がされているからわからない)、誰かが「アルギンZの空き瓶」と呼んでからずっと「アルギン会」。泰明庵の机の上にアルギンの空き瓶をズラリと並べる異様さを楽しむ会となった。これをしないと年が終わった気がしない、という有様になりつつある。
回りは50代を中心としたサラリーマンたちで満杯。無事に年を終えた安心感にネクタイ緩めてズルルと蕎麦を手繰っている図がなんとも美しい。いや、もちろん個人個人は美しくないのだが、集団で見えてくると妙に美しいのである。日本はこの人達に支えられているのだなぁ、お疲れ様、ありがとう、と感謝の気持ちすら起こる(まぁ自分もサラリーマンのひとりなのだが)。
昼1時半からアルギンを飲み始めて5時半まで飲み続け。「空き瓶足りないから回収するよ〜」とか言われて、せっかくズラリと並べたアルギンは回収されちゃったよ。む〜ん、入店してくるお客さんがドリンク剤の空き瓶ズラリを見て驚く顔が楽しみなのに(笑)
深夜に独り、ナッチャコ・パック
2006年12月30日(土) 7:39:33
家族が寝入った深夜のリビング。
お酒を用意して、実家から借りてきたラジカセに向かい合う。ラジカセもそろそろ死語かなぁ。
昨晩1時間だけ「ナッチャコ・パック」が復活したのである。
放送はTBSラジオにて19時から。それをリアルタイムでは聴かず、家に奇跡的にあった新品のカセットテープで録音しといて、みんなが寝静まるのを待つ。カセットを巻き戻す。シュルルルルル。カセットを巻き戻すなんて何年ぶりかな。懐かしいその音が自分の時間を一気に過去に巻き戻していく。
そうやって環境を「あの頃の深夜」っぽくして聴いた約30年ぶりのナッチャコ・パック。
うわ〜あの頃のまんまだ〜。うわ〜チャコちゃんのツッコミって実は異様にうまかったんだ〜。うわ〜ふたりの掛け合いが絶妙すぎ〜。と、いまさらながらにあの放送のレベルが高かったことを実感する。広告のプロとして今ではそれなりに肥えてしまった耳で聴き直してみても実に面白い。野沢那智も白石冬美も、お互いとハガキと世間と聴き手に対して、それぞれに見事な距離感を保って話を進める。うまい。素晴らしい。というか、久しぶりのくせに息合いすぎ(笑)
「テレフォンラブ」「青山レイニーナイト」などの死ぬほど懐かしい選曲もうれしく、あっという間に1時間が経った。せめて2時間やってほしかったなぁ。お便りも昔の雰囲気で良かった。無名の個人の主張であるあの頃のお便りって、今で言ったらブログかな。書かれている内容は巷に溢れる面白いブログと同じか劣るくらいだろう。でもふたりのパーソナリティがその素材を上品に膨らますことでこんなに温かくいい気持ちになれるのだなぁと感心する。同じエピソードが3倍くらい面白くなる。ブログにないものはソレだ。当時のナッチャコやかぜさんをはじめとするプロのパーソナリティたちは実はそれをやっていたのだ、と、長い年月が経ってやっとわかった感じ(遅すぎ)。
ラストテーマの「シバの女王」が流れてきたときは鳥肌が立った。
ラジオの前で過ごした数限りない独りの夜の記憶が一気に蘇り、ガガガとシナプスがつながる感じ。「シバの女王」を聴きながら臨終の時を迎える自分すら絵として浮かんだ。なんでだか知らないが。でも死ぬとき聴くなら曲のエンドと人生のエンドのタイミングばっちり揃えて欲しい(笑)
※ローカルでも放送されます。くわしくはコチラ。
セカンド・ライフ
2006年12月31日(日) 10:19:28
2006年も今日で終わり。
いろんな人に出会い、いろんなことがあった。成長したかな。退歩してないかな。
ここにきて、青島幸男、岸田今日子、ジェームス・ブラウン、フォード元大統領など、いろんな人たちがばたばたと亡くなった。そして今日サダム・フセインの処刑も行われたらしい(東京裁判レベルの法廷だと思うのだが)。なんだか人の死をやけに身近に感じる今日この頃である。
そんなこんなな年末。
2006年ラストとして「セカンドライフ」を始めてみた。まだ英語版。日本語版はあと数ヶ月後らしい。マックはダメかと思ったらちゃんと対応してやんの。素晴らしい。無料ダウンロードして「Srank Sinatra」という名前のアバターを作って入ってみた。
偉そうに言えば、数年前ウルティマ・オンラインにヘビーにはまってやっていたことと一緒かな。悔し紛れで言えば、数年前同じことを考えてある企業とこういうのを作ったことがある(β版まで出来上がりながら企業の方針が変わってプロジェクトは中止になったが)。でもまぁ…、いろんな可能性を秘めているコミュニティではあるなぁ。リアルワールドと地理的に同期させた方が面白いと思うが、どうなのだろう。
セカンドライフの世界をひと通り歩いて(空を飛んだりして)、いまひとつやることが見つからないので、今日は一日ダラダラと「Perry」という場所の小さな池の中で半身浴しています。もし入られる方がいたら場所検索して話しかけに来てください(席はずしてたらゴメンなさい)。
こういうのをやってみるに、2006年はネットにとっては本当に節目の年だったといまさらながら実感する。
SNSがフツーになり、ブログが常識になり、YouTubeがはやり、Time誌のPerson of the Yearが「YOU.」となった(この最後のドットが味噌)。Web2.0という言葉を含めてある境目だったな。きっと後からそう振り返ることだろう。
人間関係、そして表現やコミュニケーションは、もうネット抜きでは成立しにくくなった。そういう状況に肯定的否定的とかいうのではなくて、もう「そうなっちゃった」のだ。2006年以前の文脈で国や社会や家族を論ずると少し間違う気がする(自殺やイジメなんかも。食とかについてでさえも)。
とか、つらつら思いつつ、来年もみなさん、よろしくお願いします。




