2005年11月 アーカイブ

たった40年前は立ち小便が普通だったよな

2005年11月13日(日) 22:31:20

一日中マック前。あーでもないこーでもないと呻吟。リニューアルも着実に進めてます。「遅すぎ!不便すぎ!」という督促メールもちらほら来だした(笑)。がんばります。というか、来週末あたり適当に見切り発車するかも。

で、今日のBGMはカーディガンズとジェイミー・カラムとシェリル・クロウとケイコ・リーとマーカス・ミラー。アルバムでシャッフルかけて1日中エンドレス。

ほんの20年前はまだレコードだったからかけるの面倒だったし(儀式的)、レコードは相対的に高くて貴重だったし(よくよく考えて買ってた)、街のレコード屋の品揃えもたいしたことなかった(今のような量販店もなかった)。それに比べたら、なんてシアワセな世の中なのだろう。と、シャッフル&エンドレスごときで感謝の意を持つくらい、今日はわりと謙虚な一日。

村上龍「無趣味のすすめ」

2005年11月14日(月) 8:16:43

幻冬舎から創刊された雑誌「ゲーテ」が面白かった。
スティーブ・ジョブズについて載っているので買ったのだが、村上龍の「無趣味のすすめ」という短文にずいぶん刺激された。特に次のような言葉。

 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

引退者がよく言う「趣味を探す」という言葉に常に違和感を持っていたが(趣味はわざわざ探すものではないと思うから)、もし探せたとしても、確かに趣味には「心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない」だろう。そんな晩年はイヤである。

11時間も寝た

2005年11月15日(火) 9:10:44

昨日は朝から頭痛がしていた。
もともと偏頭痛持ちなので(会社で頭痛で倒れて救急病院に運ばれて、医者に「偏頭痛とは一生のつきあいですよ」と言われた)、あぁまたか、と思って気にせずいたのだが、そのうち身体の節々も痛だるくなってきた。ちょっとゾクゾクもする。あれ?この感覚って久しぶり♪ とか♪マークなんか打ってる場合ではなく、これって風邪じゃーー!

残業も早々に家に帰り、アンプル剤飲んで、一杯だけ熱燗飲んで暖まって、21時には就寝。起きたら朝8時。うはー子供みたいに寝た。おかげでなんとなく治った気がする(どうかな?)。とりあえず会社に行ってみよう。今晩はおいしい食事の予定があるからな(仕事はどうなのだ)。

古く趣きある店は今のうちなのかも

2005年11月16日(水) 9:27:52

昨晩は池之端の「鳥栄」。相変わらずほっこりする美味に満足。以前ほど強いインパクトを感じなかったが、しみじみうまかった。ただ、飲む前に風邪薬を飲んでいたせいか酔いが早く、二軒目の「琥珀」ではわりかし酔っていた。今朝起きたら喉腫れてるし。うまいもん食べて熱燗飲んだら風邪くらい治る、と無理矢理思い込んでいたが、やはり幻想(当たり前)。今日は静かにしていよう。

それにしても「鳥栄」は趣きがありすぎて、東京に大震災が来たら営業不能になりそうである。そういう名店は東京に山ほどある。新しくできた堅牢な店よりも、震災が来たらなくなってしまいそうな店を優先して食べに行きたいなと不謹慎なことを考えている。だって阪神大震災でなくなった店っていっぱいあるし。悲しかったし。

震災後、西宮や芦屋のお屋敷街はずいぶん様変わりした。古く趣きある建物がほとんど崩壊し、ペラペラの新建材の家ばかりになった。東京の住宅街とかもずいぶん様子が変わるだろう。下町の風景は激変するだろう。今のうちに徘徊して目に焼き付け肌に染みこませておきたいと思ったりする。ちょっと不謹慎かな。

レストラン評論はしない

2005年11月17日(木) 7:22:13

勉強もあってオライリーの「What Is Web 2.0」を精読している。面白いけど難しい。英語力ねーなー…。まぁ英語力は置いといて、この論文、もちろん仕事的にも興味深いのだが、ナノメディアとしてのボクのサイトがこれからどうあるべきかを考える一助にもなっている。テクノロジーが我が手にないのが致命的ではあるが、ボクが持っているDataがどう共有されるのがヒトの役に立ち、かつ美しいのか楽しいのかをつらつら考えたり。

というか、つらつらと自分の根本を掘り下げていって「ボクは評論をしたいわけでは全くない」ということを再認識した。
ボクは評論がしたいのではなく「いいと思ったものをヒトにオススメしたがるオセッカイ」がしたいのだ。教えたがりのおせっかい。考えてみたら、さぬきうどんも沖縄もそういう態度で書いたものだった。「スゲーいいぞおいしいぞ。やってみ食べてみ」と。いい店やいい旅をヒトに教えて喜ぶ性格なのだ。んでもって「行ったけど良かったよ」というメールでももらえるとそれで満足するのだ。本や音楽や映画もそういう態度で書いている(いた)。

途中で「ジバラン」という評価サイトを主宰したおかげで、なんとなくレストランについては評論めいた書き方になっているし、一部からそう見られている部分もあるし、実際スタンスが何度かぶれた時期もあった。けど、もともとボクは「ヒトにいい店を教えるのが好きなだけ」なのであった。その根本に帰ろうと思う。レストラン評論はしない。ただ、おせっかいに徹する。今後はもうぶれないと思う。

深夜の東京タワー

2005年11月18日(金) 9:05:59

夜の長い会議の途中、断れない方から「おでんが食べたい。店は考えといて」との電話。ちょうど会議も終わりそうだったのでご一緒するのはやぶさかではないが、この時期にすいているおでん屋があるわけもなく、うーむと熟考。おいしいけど今から行ける程度にすいてる店…。全然アイデアでず、こういうときの最後の手段、伊藤さんに電話して聞く(笑)。滅多に使ってはいけない手だが、仕方なし。

で、浜松町のKへ。座れたし美味しかったし大正解。蛍光灯が燦々と照る超カジュアルな店なので一瞬引くが、お酒もおでんも良く、なによりお母さんとおねえさんのホスピタリティが良い。トマトのおでんがうまかった。食べてみたかったタマネギのおでんは品切れ。次回期待。伊藤さんありがとう。

その後、東京タワーの真下にある隠れバーでボージョレーヌーボー。リリー・フランキーの本のことなど話しながら。東京タワー周辺に行くたびに、この辺って電磁波はどうなっているのだろうかとか考える私は無粋者。照明が消えた深夜の暗い東京タワーもわりと好き。墨絵みたい。

終電ラッシュ

2005年11月19日(土) 7:12:40

久しぶりに終電に乗ったが、いま東京の終電ってすごいことになっているのね。朝のラッシュよりもすごい。身動きできない。駅員さんが押し込まないとドアが閉まらない。おまけにみんな酒臭い。タバコ臭い。肴臭い。人に寄っかからないと立てない酔っぱらいもいる。何やら叫んでいる泥酔者もいる。iPod大音量の若者もいる。なぜか中学生もいる。ここぞとばかり超密着してるH系カップルもいる。きっと痴漢もいるスリもいる殺人者もいる。修羅場じゃ地獄じゃ都会の縮図じゃ。

みんなひたすら超満員電車に耐えている。全員知らない人。無表情。都会の中の不特定多数。
でも、自分でサイトやったり他人のブログ読んだりしてると「あぁこの電車の中の2割くらいはブログとか書いているんだなぁ。無表情の裏側でいろんなこと想いながら生きてるんだなぁ」とか当然のことを感慨深く思い、ちょっと愛おしくなったり。表情のない他人だった集団がいきなり表情を持って感じられる。目の前にいる赤ら顔のにいちゃんがブログとかで「今日の終電ラッシュは死ぬかと思った」とか書くかもしれない。それはたまたまボクが読んでいるブログかもしれない。意味のなかった点と点がそうやってつながっている実感。ネット特有の現象がちょっと前からリアルでも深く感じられるようになった。その実感はまだ自分の中でちゃんと言葉にできていないものなのだが、中途半端に友達に話したらなんだか誤解された。いや、そういう意味ではなくて、んー……、説明が難しい。

うまいものと可愛いもの

2005年11月20日(日) 9:30:30

休日出勤後、夕方からあるお宅で打ち合わせ兼ホームパーティ。
ホスト役のOさんの焼く焼き鳥があまりにうまくて唸る。家庭の味ではない。もうプロの領域に踏み込んでいる。というか、もっとまずい焼き鳥を出すプロはいっぱいいる。彼が作るイタリアンも秀逸なので、イタリアンと焼き鳥をバランスよく組み合わせておまかせで出す店でもやってくれたら、と、ひそかに星に願う。ワインの品揃えもよくしてね。

Iさんちの双子ちゃんも初お目見え。Iさんソックリ。そっと抱かせてもらう。まだ4ヶ月半。なんて懐かしい感触。あぁあの頃はただただ無事に育てば何もいらないと思っていたな。初心忘るべからず。授かり物に要望を多くするなんざ神をも恐れぬ行動だ。ただただ、元気で。丈夫で。

ワインを飲みつつ4人で仕事の打ち合わせをする予定だったが、結局(いや、予想通り)ぐだぐだ笑いあって終了。うまいものと可愛いものが揃った場で打ち合わせなど出来るはずもなく。つか、ちょっと飲み過ぎた。来週仕切り直しですね。

「ALWAYS 三丁目の夕日」と「夕凪の街 桜の国」

2005年11月21日(月) 7:55:52

「ALWAYS 三丁目の夕日」は素直に泣けました。ベタだけど。昭和30年代以前の生まれなら確実にあの時代の空気に触れられて泣くね。とはいえ平成生まれの娘も泣いてたけど。集団就職も住み込みも当然知らないので、夜いっしょにお風呂に入りながら(まだいっしょに入ってくれている)ちょっと説明した。昔の貧乏さや舗装されてない土の道や力道山や都電や氷屋なんかについてもゆっくり説明してやらないと。

それにしても昭和33年を再現したVFXにびっくらこいた。CGの出来自体はバレバレのところもあり(上野駅の雑踏で人間の多くをCGにしてたのとか大通りの情景とか)、CG臭さをどうしても感じてしまうのだけど、ここを責めるのは酷と言うもの。素晴らしい仕事と褒めるべきだろう。
ド頭にトリッキーなカメラワークをいくつか持ってきたのも演出的には成功しているかなと思う。あの頃へトリップする入口として効果的だった。美術陣の苦労も忍ばれる。父性や母性を演じきった役者陣も良い感じ。
それと、モチーフ(もしくは主題)としての「建設途中の東京タワー」が秀逸。これだけでご飯が三杯食べられる。バクバクバク。発展途上の日本と大きな夢と貧しさと豊かさとあの頃の空の広さをすべて「建設途中の東京タワー」で表現しきる上手さ。うーむ。

ただ、ボク的にはもう少し「イマ」と結んで欲しかった気はする。ノスタルジーに寄りすぎかな。もちろん監督も「イマ」を意識していたとは思うけど、たとえばスタッフロールあたりが東京の街がどんどん高層化する遠景の早回しで作られていたら、またこの映画は違った意味を持ったのではないかとかちょっと思った。

ギエム「最後のボレロ」

2005年11月22日(火) 8:02:06

うぎゃぎゃと焦るくらい仕事がまた切羽詰まってきた。でもそういう時こそ、うひょひょとしなやかにこなしたいもの。とかなんとか言い訳して夜早めに無理矢理仕事を切り上げ、東京文化会館へ。今晩ははずせない。何と言ってもギエム様である。公演タイトルは「シルヴィ・ギエム 最後のボレロ」。仰々しいがそういうことらしい。

ボクが観たのはBプロで、まず東京バレエ団でバランシン振付の「テーマとヴァリエーション」。次にシルヴィ・ギエムとマッシモ・ムッルの「Push」(ラッセル・マリファント振付)。そして東京バレエ団でモーリス・ベジャール振付の「春の祭典」。最後にギエムでベジャール振付の「ボレロ」。
バランシンのを除けば(除くのかよ)どれもなかなか。ベジャールってやっぱりいいなぁとか思ったし、ギエムの「Push」も瞠目のパフォーマンス。「春の祭典」も意外と良かった。井脇幸江の名前を覚えたし、大嶋正樹もなかなかよい。

でもでも! なによりラストの「ボレロ」が凄すぎた!
ストーリーも何もないただの踊りで泣いたのは初めてかも。涙がじわりゾロリ。ラヴェルの曲のパワーを越え、違う世界へ連れてってくれた。表現力というより伝達力。心に直接届く踊り。シャーマン降臨。参ったな。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。